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1956-11-24 第25回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年十一月二十四日(土曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 佐々木秀世君    理事 大坪 保雄君 理事 野澤 清人君    理事 藤本 捨助君 理事 赤松  勇君    理事 滝井 義高君       植村 武一君    大橋 武夫君       高村 坂彦君    亀山 孝一君       草野一郎平君    小島 徹三君       小林  郁君    田中 龍夫君       田中 正巳君    中村三之丞君       中山 マサ君    八田 貞義君       古川 丈吉君    松岡 松平君       亘  四郎君    井堀 繁雄君       多賀谷真稔君    佐々木良作君       八木 一男君    八木  昇君       吉川 兼光君    渡辺 惣蔵君       中原 健次君  出席国務大臣         労 働 大 臣 倉石 忠雄君  出席政府委員         労働事務官         (労政局長)  中西  實君  委員外出席者         参  考  人         (日本炭鉱労働         組合委員長)  原   茂君         参  考  人         (日本経営者団         体連盟事務局         長)      後藤  浩君         参  考  人         (全国石炭鉱業         労働組合書記         長)      重枝 琢己君         参  考  人         (石炭経営者協         議会常務理事) 松本 栄一君         参  考  人         (全国電力労働         組合連合会会         長)      向井 長年君         参  考  人         (関西電力株式         会社取締役)  藤田友次郎君         参  考  人         (日本電気産業         労働組合委員         長)      小川 照男君         参  考  人         (国学院大学教         授)      北岡 寿逸君         参  考  人         (東京大学教         授)      有泉  亨君         専  門  員 川井 章知君     ――――――――――――― 十一月二十四日  委員加藤精三君、仲川房次郎君及び松澤雄藏君  辞任につき、その補欠として田中龍夫君、山本  勝市君及び高村坂彦君が議長の指名で委員に選  任された。 十一月二十二日 失業対策事業費全額国庫負担等に関する陳情書  (第一三九号)  蚊、はえの撲滅費国庫補助に関する陳情書  (第一四〇号)  上水道及び簡易水道事業費国庫補助増額等に関  する陳情書  (第一四一号)  失業対策事業による就労者収入認定に関する  特例設定陳情書  (第一五七号)  簡易水道施設費国庫補助増額に関する陳情書  (第一五八号)  清掃施設整備に対する国庫補助等に関する陳情  書  (第一七八号)  清掃法施行合中の一部改正に関する陳情書  (第一七九号)  結核療養所都市復元に関する陳情書  (第一八〇号)  都市清掃事業に対する国庫補助等に関する陳情  書(第  二一〇号)  国民健康保険事業普及等に関する陳情書  (第二一一号)  環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律  制定陳情書  (第二一二  号)  世帯更生資金増額等に関する陳情書  (第二一三  号)  重要港湾の検疫港指定に関する陳情書  (第二二一号) を本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法  の規制に関する法律附則第二項の規定により、  同法を存続させるについて、国会議決を求め  るの件(内閣提出議決第一号)     ―――――――――――――
  2. 佐々木秀世

    佐々木委員長 これより会議を開きます。  電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法規制に関する法律附則第二項の規定により、同法を存続させるについて、国会議決を求めるの件を議題とし、審査を進めます。  この際参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。本日はお忙しいところ御出席下さいまして、まことにありがとうございます。参考人方々におかれましては、あらゆる角度から忌揮のない御意見を御発表下さいますようお願い申し上げます。時間の都合 上、意見を述べる時間はお一人十五分程度といたしますが、意見をお述べ願ったあとで、委員諸君から質疑があると思われますから、その際も忌憚なくお答えを願いたいと存じます。なお念のため申し上げますが、参考人方々発言なさいます際は、委員長の許可を得ていただくごととし、発言の内容につきましては、意見を聞こうとする問題の範囲をこえないようにお願いいたします。また委員参考人方々質疑をすることができますが、参考人委員質疑をすることができません。以上お含みおき願っておきます。  次に、参考人の皆様は、御発言の際は、劈頭に職業または所属団体名並びに御氏名をお述べ願いたいと存じます。なお発言の順位は、かってながら委員長においてきめさせていただきますので、御了承願います。  それでは御発言をお願いいたします。まず原参考人にお願いいたします。
  3. 原茂

    原参考人 私は日本炭鉱労働組合執行委員長原茂であります。今回参考人として、政府提出にかかわるスト規制法延長につきましては反対をいたします。そういう立場から六点にわたりまして参考意見を述べたいと思います。  第一点に、今臨時国会政府提案をいたしましたその経過と背景につきまして、若干意見を申し述べたいと思うのであります。  法律が作られまして三年を経過いたしまして、これを存続するのかしないのか、こういうことの一番先に基本となるべきものは、政府独自の独断できめるものではないというふうに判断をしております。まずその一つとして、この法律国民がどういう立場関心を持ち、このことに対する賛否の世論がどうなっているか、こういう世論の上に立って政府は本法案提出についての態度を決定すべきではないか。しかしながらそのことについては全然触れずに、この世論を無視したやり方は、本法案提出にかかわる考え方と基礎について間違いではないかというふうに理解をするのであります。  それでは、この法案当事者である、労働組合はもちろん反対をしておりますけれども、石炭経営者あるいは炭鉱経営者がどの程度この法案関心を持ち、存続意思をお持ちであるのかどうか、こういうことにつきましても、やおら最近になりまして日経連中心に、この法律存続すべきであるという決議を始めましたけれども、この上程をめぐる国会以前、あるいは委員会の審議を省略するというやり方等が消滅をするに至るまでの経過については、賛成をしておるけれども、必ずしも積極的な行為としてこの存続意思表明をしてなかったということも事実であります。  またこの法案提出に当って、この臨時国会日本とソ連の平和条約を結ぶ日ソ共同宣言を批准するという重大な国会であったにもかかわらず、そういう批准の問題以上に、労働者弾圧しようとするストライキ規制法をすみやかに審議しないで通過をさせようとする意図は、これはこの国会の議事堂の中で議論として横車でも通ろうと思いますけれども、国会の外に出ました国民の中では、まことに常識を逸脱した行為というふうに理解をするのがあたりまえではないかと思うのであります。  次に、いかにこの法律というものを通すために、世論やそれぞれ当事者の基盤を無視し、結局は横車をもって法律を通そうとする意思はどこにあったのか、全然見当がつかない。むしろ新聞やその他の報道機関の推察によりますと、それは保守党内部政府内部党内事情の現われがこの法律一つかけ引きの道具に使われておるというこの世論を無視することはできない状態ではないか、こういうふうに理解をしております。  第二点に、この法案が作られましたときの動機の問題に若干触れてみたいと思うのであります。昭和二十七年の暮れに、電気産業並びに石炭産業労働組合が賃金の値上げを要求して戦いをいたしました。このストライキの長かったことをもって、これはかたき討ち的報復手段として作られたのがこのストライキ規制法であるというふうに労働学者全部がその当時言われたことは、これまた事実でございまして、ここにもうすでにこの法律が生まれるときから非常に重大な問題をはらんでおった。あるいは特に電産に至りましては完全なるストライキ禁止法に近い憲法違反疑いがあるということは、これまた労働学者指摘するところとなったのであります。  それから何といっても、この労働法というのが日本労使ルールを将来よりよきものとしてきめようとする一つ手段として、国会を指導し、あるいは国の政治をあずかる政府としていかにあるべきかという場合のやり方は、一つ弾圧の方式をもって両方言い分を抹殺するというやり方もありますが、両方言い分を尊重しながら、国民批判世論の上に立って仲裁的な役割と一段と高い指導理念労使ルールというものを民主的に作り上げるという手段政府の、特に労働大臣や労働省の当然の仕事であるべきだというふうに認識をしております。残念ながらこの法律を作る当時から今日に至りましても、弾圧をもって労使ルールを作ろうとする古くさいこういう考え方は、必ずしも日本経済やあるいは日本国民利益にはならない、こういうふうに判断をいたしまして、この動機に不純と無理があったということを指摘せねばならぬと思うのであります。  第三点には、このストライキ規制法うというものは非常に不公平な法律である。労働者やあるいは労働組合を押えることは明らかに規制はいたしておりますけれども、使用者規制するという裏づけは何らないのであります。その理由として、たとえば炭鉱におきましては労働者が大量に首を切られたり、あるいは閉山をしたり、炭鉱廃止をしたり売買すとことは経営者の自由であります。しかしそれに対して抗議をするという手段規制をしておるのがこの法律である。こういうことを考えますと、これはまことに不公平な、片方だけを押えて片方を擁護するという、びっこな法律というふうにやはり見なければならぬだろう。特に労使ルールをきめるときに片方だけをシャット・アウトしておいて、正しい労使ルールを作ろうとする指導理念というものは、根本的に間違っておるのではないか、こういうふうに理解をせざるを得ないのであります。特にまた電源ストライキであるとか、あるいは保安要員の問題を中心にこの法律がなっておりますけれども、このストライキ規制法成立以来、あるところでは保安電源も支払いがおくれたという理由をもって一方的に打ち切られた事実もあります。こういうふうにして使用者がやるいろいろな意味の保安要員の、あるいは保安確保のことや電源のスイッチを切ることは規制せずに、労働者がやることだけを規制することはまことに不公平な法律だと言わなければならぬのであります。  次にはこの法律基本は、国民に訴えるものは国民感情でしょうけれども、理論的に言うと公共福祉である、これを阻害するような争議行為というものを規制をしなければならぬというのがいわゆる一大課題というふうに理解をいたしております。それでは公共福祉という名目を持つ日本労働法というものは何もないのか。それは労調法に、明らかに人命を保存する保安というものを確保し、それに必要ないろいろな対策を当然考えなければならぬという労調法三十六条が規定をされて、りっぱな法律ができ上っておるのであります。あるいは公共福祉というのは、すなわちそれは日本国民生活国民経済に重大な影響を及ぼす、こういう争議行為をいわゆる公共福祉に違反するというふうに政府も言われておりますし、一般的な常識ではないか。そうしますと、そういう場合における争議調整というのは、緊急調整というりっぱな法律労調法以外にでき上っておるのであります。このことは、二十七年の暮れに緊急調整をもってわれわれの争議を中止させた事実をもっても明らかなことで、これ以外にストライキ規制するというのはどこに目的があるのかということは、まことに常識ある国民理解に苦しむものであります。  それから特に炭鉱の場合に保安の問題を掲げて、保安要員の差し出しを拒否するということにつきましては明らかに非常に公共福祉に反するという行為をうたうならば、それでは日本国民経済とわれわれの争議行為との比較といたしまして、どういう規模の争議行為日本経済国民生活影響するのか。五十人あるいは八百人の一つの鉱山が石炭が出ない、あるいはその山はつぶれるということをもって直ちにこれが公共福祉に反するというのか、あるいは全国的にこういう行為を統一することによって初めて日本経済影響する、こういうふうに規定するのか。この点はこの前の提案といたしました国会齋藤次官答弁によりますと、石炭産業というのは国家資源でありまして、一鉱といえども、あるいは一山といえどもこれは大切なものである、そういうものがつぶれたりつぶされるということについては、これは公共福祉に反するという答弁をしておるのであります。そういうことになりますると、石炭国家資源であり公共福祉である、従って政府国民的な立場から当然重大だと考えるならば、昭和二十八年に成立いたしましたこのストライキ規制法成立後どのくらい炭鉱がつぶされたか、あるいはつぶれたかという事実を発表いたしまして、これはだれがやったかということを明らかに指摘をして皆さん批判を仰ぎたいと思うのであります。  炭鉱の数にいたしますと五百二十五炭鉱というのがストライキ規制法成立以来つぶされております。これは労働組合争議行為をしてつぶしたのではありません。経営者意思に基いてつぶしたりあるいは閉山をしたりあるいは売買をした、こういう姿があり、一方においては大手炭鉱の犠牲で中小炭鉱がつぶれて、従って国家資源というのが放置されておるのではないか。こういうのは、公共福祉や重大な国家資源をどういうふうに政府は考えるのか。こういうことについては公共福祉に反するのではなくて、われわれの争議行為だけが、石炭一かけらだけでも公共福祉に反するというこの考え方が、どこか少し間違っておるのではないか、こういうふうに理解をせざるを得ないのであります。しかもそれだけに五万四千人という労働者が、この炭鉱から追い出されて失業しておる、こういう事実も合せて判断を願わなければならないのであります。また石炭合理化法案通過をいたしまして、公共福祉であり、重大な国家資源であるにもかかわらず、これを政府みずからが炭鉱をつぶすという合理化法案を作ったではないか。従いましてこれは経営者意思に基いて売ろうとするならば、政府が買い上げるという方針を決定しておるのであります。片方では経営者意思によって閉山をしたり廃山をする、片方においては政府経営者意思に基いてその石炭山を金を出して買い上げてそれをつぶしてしまう。こういうやり方をやっておることは、公共福祉との関連はどういうことになるのか、まことに理解に苦しむところであり、非常に矛盾をするのであります。もしそれほど石炭が重要な国家資源であり、もしこれが公共福祉にかかわるという重大な資源であるとするならば、これは自分勝手に、やめたいときはやめ、あるいはやりたいときはやる、あるいは勝手ほうだい閉山をしたり売山をするという個人個人の私企業にやらしておいたのでは、この国家資源というのは大へんなことになりそうではないか。むしろ国管国有によって、国の責任においてこの産業を経営するならば、こういうむちゃくちゃな行為やこの法律は必要がなかったのではないか、こういうことになぜ政治家皆さんが気づかぬのか不思議でならぬのである。  次に第五点目といたしまして、炭労保安放棄をすると、ここにおいでになる日経連事務局長さん初め盛んに宣伝をしておりますけれども、保安を放棄するかしないかというこの意思決定労働者労働組合側にあるのではありません。保安法に基いて保安管理をする責任義務は、明らかに保安管理者である石炭経営者にあるのでありまして、この石炭経営者保安管理者でありますから、保安管理をして、保安放棄をするかしないか、山をつぶすかつぶすまいか、この意思決定労働組合労働者じゃなくて保安管理者である経営者がするのでありまして、それをわれわれが保安放棄をするように決定をしたとか、あるいはする意思があるとか、しそうであるとか、危険であるとかいうのは主客転倒である。みずからの責任を回避をしてわれわれに責任を押しつけ、保安放棄の汚名をその方に押しつけようとする考え方自身は、自分の義務と権利を放棄した間違いである、このことを明らかに皆さんが知っていただかないと非常に間違いを起しますので、特に保安放棄はだれがするのか、それは経営者みずからの意思決定に基くものである、こういうふうに理解を願いたいのであります。
  4. 佐々木秀世

    佐々木委員長 原参考人にお願い申し上げますが、大体お願いしておりました時間が参りましたので、結論に入っていただきたいと思います。
  5. 原茂

    原参考人 これから結論に入ります。  というわけで、石炭経営者保安管理をするという必要があるならば、これは明らかに、保安法に基いてやろうとする義務は、そういう必要な設備と必要な人員の収容を経営者みずからの手に基いて行うべきでありまして、われわれの争議行為争議状態のまっただ中で、強制的に保安を確保しろという業務命令を出すこと自体が大きな間違いではないか、こういうふうに理解をしております。  それから六点目に、この三年間の経過を顧みまして、違反事件は事実行為として何らございません。またこれが国民利益になった法律であるのかどうかということを判断いたしますと、法律の精神から全く立ち離れまして、結局は経営者を擁護する法律であったのではないか、国民利益になる法律というふうにいわれましたけれども、それは先ほども言いましたように、国家資源、あるいは公共福祉の重大な要素は経営者意思によって勝手ほうだいに処理をされておる、この事実からいたしましても、これは国民利益ではなくて、経営者を擁護する法律でしかなかった、あるいは大量の失業者を出して、労働権を剥奪するという、スト禁止的な、あるいは憲法違反的な疑いがある、こういう点が明らかになってきたのではないか。特にこの法律存続させるかどうかについて、臨時国会の始まる以前から、あるいはその後も、政府やり方に対して、新聞を初め国民世論がこぞって反対をし、労働法学者がすべて反対をしておるという事実からして、この法律がいかにむちゃであり不必要であるかという事実を国民的な立場からも指摘できるのではないか、こういうふうに思います。  最後に、政府責任としてこの労働政策法律をもって制定する場合に、劈頭申し上げましたように、やはりそれぞれの立場を尊重し、国民批判世論の中で労働法制定をし、あるいは改善をする、こういうやり方を忘れては日本の民主的な労使ルールを築き上げ、日本経済に寄与するという労働立法はできないということを最後指摘をして私の参考意見を終る次第でございます。
  6. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に後藤参考人にお願いいたします。
  7. 後藤浩

    後藤参考人 私は、日本経営者団体連盟事務局長後藤浩でございます。この法律存続するかしないかという問題に入る前に、私はもちろんこの法律は当然に存続すべきであるという結論でございますが、大体この法律は、電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法規制に関する法律という非常に長い名前法律であります。しかし通称、略しまして、スト規制法というふうにいわれております。本来労使関係において、ストが許されるのは当然でございます。しかしスト規制法というこの名前からいたしますと、いかにもすべての産業ストを制限するんじゃないだろうか、せっかく許されている労働者労働権を制約するんじゃないだろうか、労働運動に対する弾圧ではないだろうかというふうな考え方がどうも一方に宣伝されるきみがございます。従いまして、一般にこの問題に対しては非常に誤解を招いているというふうに思います。もちろん良識ある国民皆さん方からは、当然この法律規制している事実につきましては御支持を得るのが当然だと思うのでございますが、そういうふうな関係から、一方、反対するための反対の人々がこれを非常に悪用いたしまして、無知の人人をアジリ、反対に押しやろうというふうな空気があるように思って、非常に遺憾に思っております。従いまして常識以上にこの問題が混乱もし、複雑もしておるんだというふうにも見られるのであります。  大体この法律規制される問題は、産業のうちでも、石炭電気のこの二業種に限定されております。しかもこの二業種のうちでも、いわゆるスト手段——スト手段はいろいろございましょう。現在も炭労並びに電産並びに電気労連、いろいろの角度争議行為は行なっていらっしゃるようでございますが、そのうちの最も公共福祉に反する争議行為、これを一つやめるべきじゃないかというのがはっきり宣言された規定だと私たちは思うのであります。従いましてほかの産業スト権を制約するとか、あるいは労働組合運動全体を弾圧するというふうな目的は毛頭ないんだというふうに解したいのであります。公共福祉にあまりに反する、たえがたい打撃を与える、この問題だけをしぼって規制しようとするところにこの法律のねらいがあるんだと思います。それならばなぜそういうふうな規制をしなければいかぬのかといいますと、これは二十七年の尊い体験からいたしまして、電気の場合でございましたら、ああいう停電スト行為をされますと、工場の作業は中止しなければなりませんし、あるいは商店では商売ができなくなる、あるいは農村では脱穀ができなくなる、あるいは家庭では台所の用意もできなくなり、暗やみで御飯を食べなければならない、学生も勉強ができなくなり、ろうそくで勉強しなければならなくなる、病院でも手術台に上っている患者が困ってしまうというふうな事態が多々あったのでありまして、こういう停電というふうな、たとい労使関係の紛議があろうと、第三者に影響を与えることの非常におびただしい行為についてはやめるべきであると思うのであります。石炭の場合も同じでございまして、やはり保安放棄ということになりますと、たちまち炭鉱は水浸しになりましょう、あるいは自然発火をして爆発することにもなりましょう。これは何も石炭業者あるいはその炭鉱を持っている方の被害ばかりでなく、国家資源そのものが壊滅することになる非常に重要な問題でありますので、これはやはり労使ともに慣しむべきことではないだろうかと思います。良識ある先進国労働組合では、この停電スト並びに保安放棄というような問題については、当然お互いが自粛して、やっていないのであります。従いまして、こういう行為はもう永久になくなってほしいというのが国民すべての人たちの願いだろうと思います。従いまして、この法律というものがたとい恒久化されようと、これは当然なことだと私は思います。もし組合皆さん方が良識を持って今後スト行為に臨まれて、こういうことをしないということになるならば、結局この法律は死亡化するわけでありますが、そうなるならばなおけっこうだというふうにわれわれは理解したいのであります。  大体労使関係におきましては、憲法の保障いたします団結権あるいは団体交渉権、いろいろございましょう。しかし、いかに憲法で保障されているそういうスト行為でございましても、公共福祉あるいは権利乱用にわたってはいけないということが、憲法の十二条、十三条あるいは民法の一条において明確にされておることでありまして、すべての権利行使はやはりそういうふうなワク内において行使されるべきものだ、公共福祉尊重の上において権利は行使されるべきものだということを常に考えております。特に大衆行動の場合におきましては、どうも権利乱用あるいは行き過ぎというものが団体心理からしてとかくあり得ることでありまして、そういう意味からしても、やはりある程度の制約が必要であるということを常々考えております。国民大衆も一ストとなれば自分たらに被害が及ぶのも当りまえなのだ、電気事業ストをやっているから電気が消えるのもやむを得ないのだというふうな理解が、まだ日本労使関係の歴史が非常に浅いがゆえに往々あると思います。かつて十数年前、アメリカにおきまして停電ストがございましたが、それに際しましてアメリカ人はいかに憤激したか。もちろんわれわれと違いまして、電気生活は非常に高度のものでごいまます。もう食べることから活動すること、事務をとること、すべて電気的になっておりますので、停電したならばたちまち生活そのものにもえらい大きな影響を与えるのでありますが、この事件からしまして、あるいはその電気会社がついに破産をするあるいは電気組合が解散するというところまで大衆が激高したという事実があるようでありますが、その一事をとりましても、この停電ということが、われわれの文化生活といいますか、産業生活国民生活そのものにいかに大きな影響を及ぼすかということは事実だと思いまして、こういうふうな行動は、良識ある労働組合争議行為としてはやはり慎しむべきだ、もし自粛しないというならば禁止すべきであるというふうに私たちは思うのであります。
  8. 佐々木秀世

    佐々木委員長 後藤参考人に申し上げますが、お願いしておりました時間が参りましたので結論に入っていただきます。
  9. 後藤浩

    後藤参考人 そこで存続に対する私の見解でございますが、先ほどの原さんの御発言では、最近になってようやく思いついたんじゃないかというふうなことでございますが、われわれは当初からこれが存続を必要とするという意見であったことは、私の今まで申し上げた通りでございます。また、組合運動の国際的信用あるいは国内的信用を高める意味におきましても、組合としてはこういうことをやっていただきたくないというふうに思います。しかるにかかわらず炭労におきましては、この法律の実施後の三カ年におきまして、七回にわたって保安放棄を指令しております。一回は軽微でございましたが実施に入りました。また、保安の確保は経営者責任であるということを原さんも申されておりましたが、私は、こういう場合においてはやはり労使が、どこまでも自分たちの職場を守る意味におきましても、国家資源を守る意味におきましても努力すべきことではないかと思っております。  また、電気の場合におきましても、やはり依然として、停電スト手段が正当なる争議行為であるというような認識というものがいまだに十分きまっておられないようにわれわれは見受けますが、これでは国民としても非常に不安でございますので、この意味におきましてもやはり存続を絶対に必要とする。また、たといこういうふうな法律が出ましても、決して労働組合の待遇改善を停止しているのではございませんで、それぞれの分野においての限度において待遇改善も現実に行われておるのでございまして、こういう法律があるから待遇が上らないのだという結果には決してなっていないと私は思います。われわれとしましては、安心して作業を継続し、国民も安心して生活を続けていくというふうになってもらいたいのであって、これが努力の目標ではないかと思います。  もしこの法律を廃止することに賛成するというならば、停電ストもけっこうだ、停電もしてもらってほしい、してもいいのだ、炭鉱も爆発してもいいのだというふうなお考えでしかないのだというふうに私たち判断せざるを得ないのであります。それゆえにぜひとも存続を必要とすると私は思っております。
  10. 佐々木秀世

    佐々木委員長 以上で後藤参考人の陳述を終りました。  後藤参考人は時間がないそうですから、この際同君に対する質疑を許します。井堀繁雄君。
  11. 井堀繁雄

    ○井堀委員 後藤参考人にお尋ねをいたしたいと思いますが、今後藤さんのお述べになりました中で、現在社会におけるストライキ、つまり労働争議は阻止することのできないものであるということをお認めの上で御発言があったように伺っております。もちろんお尋ねするまでもなく、あなたの地位からすればこの程度のことは常識だと思いますが、ただその中で、公共福祉影響を与える争議については禁止するという意味でこの法案存続にきつい御賛成のようであります。そこで私があなたに一言確認をしておきたいと思いますことは、ストライキというものを最小限度にとどめるという道は、経営者側としても労働組合側としても——これは言うまでもなく労働争議を希望する者は労働者側にも経営者側にももちろんあろうはずはないので、今日の社会においてはストライキに訴えなければ問題を処理することができないというところに前提があるわけであります。こういう意味で、それが公共福祉影響を多大に与える場合においては、そういう争議行為というものをあらかじめ労使関係の間において調整する方法というものを考えるべきものではないか。ことにストライキというのは偶然に発生するわけではありません。雇い主と労働者の間における利害、しかも経済的な利害関係における明確な対立が前提になるわけでありますから、そういうものを解消するということが、もし公共福祉に迷惑を与えるというような大きなストライキであるならば、ストライキの原因を解決するために善処するべきであるということがこういう場合に建前になるのではないかと思いますが、日本経営者を代表されます団体であるだけに、今後の日本経営者側の意向としてあなたの意見を伺っておきたいと思います。
  12. 後藤浩

    後藤参考人 確かにストという問題は、労使間には必然的に起り得る問題だと私も思います。しかしこのことは非常に労使にとっては悲しむべきことと思います。そこで公共にこの問題が影響が及ぶという問題につきましては、これはできるだけ私は慣しんでほしいと思います。それがゆえにこそ公共事業に対する争議につきましては労調法におきまして、普通の民間争議とは違った意味においていろいろな制約も法制化されているのは御存じの通りだと思います。根本は今もお話のございましたように、労使間に紛争が起るということ自身をやはり何とか防ぐ方法はないかということにつきましてもわれわれとしても、日夜この問題については経営側の立場ではございまするけれども努力しているつもりでおります。(赤松委員日経連は扇動ばかりする」と呼ぶ)しかしとにかく賃金問題というものは非常に深刻な問題でございまして、合理的に賃金を支払う方法は一体どうしたらいいか、労働組合、労務者の納得のいく方法は一体どうしたらいいかという一連の問題、これはとにかく労使ともが今後とも極力努力して、労使の紛争あるいはストライキのような深刻な問題にならぬように努力することが私は必要だと思っております。
  13. 井堀繁雄

    ○井堀委員 簡単にお答えをいただきたいと思いますが、ストライキというものは不可避的なものであるとお考えであるかどうか。
  14. 後藤浩

    後藤参考人 やはり産業民主化の精神を体しますと、経営者側に対しまして労務者としては労働組合というものを結成されて、そうして待遇改善についてそれぞれの意思経営者側に対して申し入れする、もちろんこのストライキというものなしでこの問題が合理的に解決すればこれはもう一番願わしいことだと思っておりまして、ストライキというものが初めからあるというふうにのみはわれわれは考えておらない。なるべくなきをもって最上のものとすることは当然でございます。
  15. 井堀繁雄

    ○井堀委員 あなたは回りくどく言っておられますが、次に、聞きたいからお尋ねしておるのでありますが、現在社会においてはストライキは否定できないというお考えには異存はないでしょう、はっきり伺っておきます。
  16. 後藤浩

    後藤参考人 今の産業民主化の考え方から申しますと、やはりやむを得ぬことだと思っております。   〔赤松委員「権利じゃないか」と呼ぶ〕
  17. 佐々木秀世

    佐々木委員長 委員方々に申し上げますが、参考人意見の相反する方方が見えておられるのでありますから、御意見が合わなくてもヤジを飛ばすことや、やゆすることは慎しんでもらいたいと思います。
  18. 井堀繁雄

    ○井堀委員 ストライキを否定するほど極端な議論でないことは想像できますが、そこで問題は、電気産業並びに石炭鉱業に限ってこういう法律を設けるということは、言うまでもなく公共福祉に名をかりているわけでありますが、公共福祉影響を与えるストライキは、この二つの産業に限らない。最も直接的な被害を与えるという程度の相違を取り上げるならば、あるいはそうであるかもしれない。そこで停電というものが、あなたが例にとりましたように、社会生活に非常に大きな影響を与えることは言うまでもない。あるいは炭鉱が全く使いものにならぬようなことになりますことは、非常な国の損失であることは言うまでもないことであります。しかし先ほど原参考人のお話の中で伺いましたように、この規制法が効力を発生してからわずか三年そこそこの間に五百二十五の鉱山が廃鉱になり五万四千人の労働者がそのために失業したということでありますが、このように五百二十五の炭鉱がすでに廃止されておる。廃止するような運命の炭鉱においても、もしスト規制法のこの精神によって保安要員を引き揚げるというような事態が、争議行為という形において行われれば当然罰せられるのです。  それからいま一つあなたにお尋ねしておきたいと思いますことは、停電の場合でも、これはせんだってこの委員会質疑の中で通産相から明らかにされたのですが、かなり多くの停電争議行為以外で行われておる。でありますから停電とかあるいは炭鉱を廃止するということは必ずしもストライキによる以外に、大きな公共福祉影響を与えておるわけです。ただそれが不可抗力であるかどうかというところに問題がある。ストライキというものが不可避的なものであるということならば、公共福祉関係からいえばそれも一つの不可抗力ということになるわけであります。  だから不可抗力になるかならぬかということは、労働争議になるかならぬかの問題、ストライキを発生せしめるかどうかは、労使間の努力にこそまつべきものであります。それを一方の労働者側だけの責任に帰するということは労働争議それ自身を片寄って見ている考えです。何でもないところに労働者がいきなりストライキをやるということならば労働者責任です。あなたもお認めになるように、近代社会のストライキというものは、一方的に労働者から何も理由なくかけるようなことはないわけであります。ストライキというと何か大げさに聞えるのでありますが、労働者が労働力の提供を拒む、その場所が不幸にして保安要員であったり、スイッチ・オフというようなそういう立場におかれておる労働者のそういうものに対しては、労使関係の間において紛糾の起らないように、雇い主と労働者の間に適正な労働条件を考えるということが、前提になるべきではないかと思うのでありますが、この点に対して経営者側も責任を全然労働者側にのみ帰すべきじゃないと思う。雇い主も一半の責任をお負いになるお考えはないか、この点だけをはっきり今後のためにお聞きしておきます。
  19. 後藤浩

    後藤参考人 先ほどの廃鉱の問題でありますが、これはストライキ労使の問題とはおよそ事態が違う経営の問題だと思います。廃鉱になるような炭鉱はおそらく貧鉱の炭鉱だと思いますが、貧鉱の炭鉱を掘っていて果して経営として成り立つか、経営ということは何も経営者だけの問題でございませんで、そこに働いている労働者人たちにも、まあ満足はされるかどうかはわかりませんが、給料を払い、職場として働いてもらえるかどうかという問題でもあろうかと思います。そういうふうな問題に立ち至った場合において、いわゆる石炭合理化法というような問題も側面にございまして、廃鉱という問題がそこに出てきたと思います。しかしここで取り上げられておるスト規制法の問題につきましては、それとはおよそ違った異質のものだと理解をしたい。もちろん労使紛争の問題につきましては極力避ける努力を払うということは当然ではございますけれども、今までの炭鉱争議、三年前の場合を見ましても、その後の場合を見ましても、やはりそういう経営の問題、あるいはその効果を存続するという問題とはまた別な問題として提起されておるように考えております。
  20. 井堀繁雄

    ○井堀委員 もっと端的にお答えいただきたかったのですが、もしストライキというものが不可避的なものであるという前提であるならば、それは問題にもよりけりでしょうが、第三者に多大なる迷惑を与えるというようなこと、労使双方においてまず解決していかなければならない問題だ、その解決ができないときにストライキになる。だからストライキというものそれ自身は、労使双方の責めに帰すべき行為である。労働者側だけの責任じゃないのじゃないか。この点が非常に大事だと思うのでお尋ねしているのです。もちろん私はそういうストライキを期待したり、あるいは賢明な労働組合がそういう争議行為を予定するようなことはおそらくないと思う。でありますからストライキになること事態を阻止することができるかできぬかが前提になる。もしどうしてもそれがストライキの発生するほかないということであれば、ちょうど今あなたが経営の例でとられましたが、貧鉱であるということはいりいろな理由があるでしょう。しかしそれは経営者判断やあるいは経営者を取り巻く少数範囲の利害関係で、その鉱山をやめることもできるわけであります。けれどもその石炭山を掘ることをやめたということで、石炭の需要供給の関係から受ける公共福祉影響があることについては何ら変りがない。ストライキであろうと、それが採算の上であろうと、そういう点は今その場合においてはひどく論議する必要はないじゃないか。ただ争議行為というものは不可避的なものであるかどうか、すなわち廃鉱を余儀なくする理由と、ストライキをよすかあるいはそれを阻止することができないという原因を断つことができるかいなかがかかって問題ではないか。それを労働者側の責めだけに帰すべきものであるか、雇い主側もその半ばを負うべきものであるかということについて、日本経営者側の指導的立場に立つ団体でありますから、この点について見解を明確に伺っておきたい、こういうことなんであります。
  21. 後藤浩

    後藤参考人 争議になるということ自体につきましては、何も労働組合だけの責任だとわれわれは思っておりません。経営側も何とか円満に事態を収拾したいという気持であるのでありますが、不幸にして組合側と意見が衝突する、そこで争議になるんだと思っております。
  22. 佐々木秀世

    佐々木委員長 井堀君に申し上げますが、お約束の時間が参りましたので、質問をおまとめ願いたいと思います。
  23. 井堀繁雄

    ○井堀委員 今はっきりいたしましたように、ストライキの原因が労使双方の責任であるということは、お認めになったわけであります。そうでありますと、問題はこういう争議行為規制する場合においては、労使双方の責任をやはり公平に問うという方法が公正だというふうにお考えにならぬかどうか。その場合にこの規制法というものはどうしても労働者側の行為法律によって禁止するというへんぱな結果が起ってくるのではないか。こういう点に対してはあなたはどうお考えですか。
  24. 後藤浩

    後藤参考人 先ほども最初に申し上げましたように、この行為そのものは本来やっていけない行為だと私は思います。公共福祉にあまりに反する行為であって、こういうことをやるということは、やはり組合に対する社会的反撃もありましょうし、国際的な信用をそこなう問題もありましょうし、良識ある組合ならばこういうことはおやりにならぬ、やっていけないことであるというふうに、私はこの保安放棄並びに停電ストに対しては理解したいと思います。
  25. 井堀繁雄

    ○井堀委員 あなたのおっしゃるまでもなく、私どももそういう争議行為をやるということを好まないのが一般の常識だと思うのであります。しかしそれを拡大して言えば、ストライキ自身が好ましいことではないので、だから程度の問題なんだ。ですからそれは労働組合も雇い主も同様に世間から非難を受けると私は思う。だからそういう非難を受けるような争議行為労働組合もあるいは雇い主も起さないようにするということが当然だと思う。その点について私どもは、こういう法律の三年間の経過を見てわかるように、そういうものを置いておくことがいいかなくすことがいいかということは、先ほど申し上げましたように、そういう争議行為を好まない組合としては、ことに労働組合の良識ある行動と雇い主の責任ある態度、すなわちここで言われておりますように、よき労使慣行を作り上げるという形において、こういう問題を解消していくということは、提案者も言っており、われわれもそう考えておる。しかしそれは、むしろ政府やわれわれがそういうことを力や方法によって規制するのではなしに、労使の良識によってこういう問題を解消するようにすることが理想ではないか、こういう点に対して経営者はどういうお考えであるかということを実はお尋ねいたしまして、私の質問を終りたいと思います。
  26. 佐々木秀世

    佐々木委員長 中原健次君。
  27. 中原健次

    ○中原委員 後藤さんにちょっとお尋ねいたします。いわゆるスト規制法制定の当時における状態といいますか、その中で政府がこの立案をするに至りました最も大きな動機というのは、言うまでもなく二十七年のストライキだと思います。ところが二十七年のストライキの場合に、労使双方がそのストライキの禍根を断つために経営は経営の立場から誠実をもってこれに臨む、こういうことが必要であったと常識上思えるわけであります。ところが当時伝えられるところによると、あるいは私どもの知るところによりますと、経営の方で団体交渉をなるべく避けようという努力がなされておる。このことについては先日も本委員会質疑があったわけであります。今さらじゃなくて、三年前の当時に、このことは社会問題として相当批判の対象になったわけであります。従ってそのことについて日経連の方もおいでになる関係から非常によく御存じだろうと思いますので、その間の事情を聞かせていただきたいと思います。
  28. 後藤浩

    後藤参考人 実は本日電気事業並びに石炭の団体の方もお見えになっていらっしゃいますので、その方の方が御答弁にはむしろ適任だと思います。私といたしまして一応常識的に考えておることは、確かに当時におきまして団体交渉の形式につきまして、統一交渉がいいか単独交渉がいいかというような問題が議論になったことは覚えております。しかし団体交渉を拒否するということはおそらくなかったのではないか。大体労使関係の場合におきまして、団体交渉というものは基本的な問題でありますから、そういうことを避けるということ自身は不当労働行為の問題でもありましょうし、これは好ましくない。その実態がどういう程度であったかは私よく記憶いたしませんが、話題になったことは知っております。これは両業種の担当の方においでいただいておりますから、あとから一つその点については深くお尋ねいただきたいと思います。
  29. 中原健次

    ○中原委員 もとより他の方にもお尋ねすることになると思いますが、いやしくも日経連事務局長という非常に重要なお立場においでになるだけに、その当時の事情をあまり詳しく知らない、あるいは答えることが困難であるというふうには私はよう理解いたしません。ことにこのことについて団体交渉を拒否するなどというようなことがあろうとはもちろん思いません。これはとんでもないことです。団体交渉には応ずべきであります。応じなくてもよいということにはなっておらぬ。それを拒否なさろうとは思いませんが、いろいろなことに託して交渉を遷延する、交渉に応ずることを回避することに努力をする、これはありがちのことであります。そういう経験はわれわれよく見聞いたしております。これはやはり拒否したのではないけれども、確かに回避したということにはなる。従って団交の方から申しますと、回避に至れば団交は前進いたしません。これは間違いないわけです。従ってその間の経営者側の能度あるいはその間にとられたいろいろな団交を進めようとする努力がもしあるとするならば、どのようにして団交を進めようとして努力したのか、そういうことは直接経営者に聞かなくても、あなたのお立場でよくわかると思います。それをなおかつ答えるに適当でないということではわれわれは了承できない。大へん重要な問題です。ことに先ほどから、いわゆる公共福祉ということが非常に問題になっておるわけでありますから、このことは公共福祉とつながりがあるわけです。従って公共福祉と切り離して考えられないだけに、少くともスト規制法存続賛成であるという御宣言が最初にございましたからには、その紛争の一番もとになった事柄について、何らかの結論をここで聞かしていただかなくてはわれわれとしてどうも了承できないわけです。そういう意味ですから、あなたの答え得る範囲でけっこうです。もちろんお立場があることはよくわかります。経営者自身でないから、あるいはその団体交渉の対象でなかったかもしれません。けれども経団連という一つの連盟からいえばそうはいかぬ。しばしばいろんな方針を出しておいでになるわけですから、そうはいかないと思います。そういう意味でせっかく御回答をいただきたい。
  30. 後藤浩

    後藤参考人 先ほどから申し上げましたように、きょうお見えになっている石炭の両氏あるいは電気の両人方ともにあの当時の団体交渉の対象になった方ですから私よりお詳しいと思います。ただ団体交渉でございますので、そこには相当かけ引きもございます。もちろん経営者側もいろいろな考えをもって臨まれる場合もありましょう。何とか誠意をもって妥結したいと思ってもなかなかうまくいかぬ場合もありましょう。組合側におきましてもやはり相当のかけ引きがあって、あるいは遷延策をとる場合もありましょうし、小さい問題を非常に長時間にわたって論議する場合もありましょう。これはやはり労使双方の話し合いの場においてよく起る問題ではないかと思います。しかし団体交渉は労使双方とも誠意をもって臨むべきだということは当然だと思います。
  31. 中原健次

    ○中原委員 重ねて申し上げますが、もちろん経営の方たちにも聞かしてもらいたいと思うておるのです。しかしただいまのお話で、戦術もあることであるから、場合によれば遷延の対策としてそういうことをとる場合もあるという意味の御回答があったと思うのです。そうなりますと、遷延といってもこれは限度があることでして、それが数十日にわたる遷延では、いかに善意に解釈しようといたしましても、誠意があるなどという解釈は私には出てこないと思うのです。そうじゃなくて、積極的に労働者側の要求を解決することに努力する、こういう方式、態度に出ていただかぬことには、この問題はどうにもならぬと思います。先ほど井堀君の話もありましたように、ストライキというものは避けられないものであるという現実の経済機構の中における一つの宿命的なものがあるわけですから、そうするとどういたしましても紛争が起った以上は経営の方にも相当の責任があることは免れないと思うのです。従って私は対策としてある程度まで引き延ばしをなし得ることも妥当であるという結論は出にくいと思います。やむを得ない遷延はあると思いますが、やむを得ないのではなくて、意識的に計画的に遷延を企図する、こういうことになったのでは、私にはとても誠意などあろうと思えないことに実は相なりますから、その点について私は今お尋ねしようとしたのです。しかしあなたのお立場から答弁ができないということなら、別にお答えいただかないでよろしいのです。  それに関連してもう一、二お伺いしたい。それはわれわれの見関するところでありますが、ストライキが起りました場合に経営の方でストライキをこわすために、あるいは労働階級の攻勢の態勢を弱めるためにいろいろの策を持たれることがあるわけであります。その策の中でいわゆるスキャップ団というものを入れるということがよくある。裏切り団を入れてこれをまぜ返すという作戦によくお出になるわけであります。あるいは特定の勢力をむしりとるために買収とか、脅迫とか、ときには暴力まで用いる、これは事実あるのであります。そういうような事柄は経営者立場として作戦上やむを得ざるものと解されるのかどうか、これを一つお尋ねしたい。
  32. 後藤浩

    後藤参考人 労使関係労使の相互の信頼の上に結ばれるのが一番好ましいことだと思います。しかし労使関係の問題につきましては御承知のように戦後十年間というきわめてまだ短い経験でございます。その間において経営側にもやはり相当ふなれな問題もありましょうし、いろいろあとから考えますとこうすればよかったというような問題も多々あろうかと思います。これは労働側においても同じだろうと思いますが、今御指摘になったような問題は、もし現実にそうであるならば、これは堂々と労働委員会あたりに持ち出して御判定を受けていただくということであってほしいことだと私は思っております。
  33. 佐々木秀世

    佐々木委員長 中原君に申し上げます。お約束の時間がすでに過ぎておりますから、一つ最後の御質問をお願いいたします。
  34. 中原健次

    ○中原委員 ただいま申し上げましたような経営側のストライキ破りともいうべきいろんな術策が講ぜられておるという事実は否定できないわけです。これは労働委員会で云々、あるいは何々で云々ということじゃなくて、現実にそういう問題が起っている場合があります。ところがいつの場合でも、経営の方でそういうことをほしいままにされても、これは別に法律上の責めを負わずに済んでおります。ところがその逆に、万一労働の方で、何かそれに類するようなこと、暴力があるとか何とかいうことがあればすぐ問題になる。こういう不公平があるわけです。先ほど公正ということがだいぶ出ておりましたが、公正ということを一局部について考えてみても、公正が保障されておらない事実がある。事実そうなのであります。お立場がどうでありましても人間の良識をもって判断すれば、これは事実あるわけなのだからうなずけないことになるわけです。具体的に例を出せというのなら私は何ぼでも例を出します。そこで、そういうような事柄が現実に平気で繰り返されておる。それをただそのままに手を組んで見のがしておる。むしろ場合によれば便益を与えている。こういうことさえ実は今日の日本の世相の中ではあるわけです。政府国会というものが、それをどう見たらいいかということが大きな問題になるわけです。これはあとの議論になるけれども、そうなのです。そこで、少くとも労使間の領域の中で、このことの公正な判断と処理に対する妥当な方法が考えられてもいいんじゃないか、もし公正ということを言うならばですよ。公正じゃない、あくまで腕でやるんだ、こういうことなら別です。しかし、そうじゃないと私は考える。公正を期しようという良識があるのなら、これを許されちゃならぬとすれば、私から言えばむしろ経営の方から労使のよき慣行を成熟させるために、このことを一つ政府の方で考えてもらいたいというくらいのことを持ち出されても別に言い過ぎじゃないと思います。だから私は先日、スト規制法の問題はどの立場から考えてみても、今日の憲法に背反しておる立法措置であるから、それならなおさらのこと、経営の方に対する一つの経営規制というような対策を講ずべきじゃないかと発言しました。ところがどうもそれは政府の方ではとんでもないことらしいんです。しかし国民の側から言えばとんでもないことじゃない。国民が迷惑するということについては、あなたの方でも幾たびも繰り返しておいでになる通り迷惑します。だから国民が迷惑するという見地から考えるならば、争議を宣言し、ときにはスイッチ・オフ、保安要員の引き揚げにまでいかなければならぬような状態が起る原因は労働者側だけにあるのではない。特にこのことについては事実の追及が必要になるが、先ほどの原さんの話によると、五百数十カ所の貧鉱が廃坑になっておる。あなたのお言葉によれば、それは貧鉱だからそんなものは労使ともに迷惑だからやめたのだろう、こういうふうに片づけておいでになりますけれども、そう簡単にはいきません。もしそうであれば、また一つ政治的な問題がありますが、いずれにしましてもかれこれ思い合せると、少くとも経団連あたりで経営者側の労働対策について、労働に対する方針についていろいろなことを御案出になるのでありますから、単に経営だけではなく、そういうことも非常に考えておいでになるのでありますから、私はそういう良識を期待したい、こう思うのです。そのような意味でこれに関する御所見を簡単でけっこうですから一言承わっておきたい。
  35. 後藤浩

    後藤参考人 先ほどから申しておりますように、労使関係は相互信頼の関係があるということが最大の理想だと思います。それがための労務管理をいかにうまくやるかということがわれわれ日経連としての最大の目的として日夜仕事をしているところでありまして、御意に沿った努力はわれわれ今後とも続けたいと思っております。
  36. 中原健次

    ○中原委員 もう一言だけ。ただいま相互信頼の上でというお言葉がありましたのでちょっと申し上げます。相互信頼であるがためには、先ほど私が申しましたように、いわゆるスト破り的な対策といいますか、そういう労働に対する懐柔手段や脅迫手段というものは信頼を増すものにはならぬと思います。むしろ信頼どころではなくて逆なことになると思います。でありますから、万一相互に信頼が度を増すことによって云々ということを真実にお考えでありますならばなおさらのこと、経営に対する信頼を労働者自身も、あるいは第三者の立場から考えましても、なるほどこれだけの経営の態度を持って臨まれるならば経営を信頼していいじゃないかと言えるような、そういう実績を積み重ねてもらいたいと思う。それなしには相互信頼とおっしゃっても空語になってしまうのです。これは大事だと思います。そういう意味で今までの経験から言えば逆に逆になっている。信頼どころではないのです。怨嗟さえ起るのです。私はそう思います。これはとんでもないことです。それでかれこれ考えますときに、経営の方でただ自分の利潤を追求する、高めていく、そのためには労働は奴隷化してもよろしい。むしろ奴隷化した方がよろしい、こういうことはとんでもない。こういう考え方は不届きしごくだと思います。これは客観的にそういう事実があるのです。従ってそういうかれこれとした問題を総合御判断を願って、一つ経団連あたりでりっぱな方針を出していただきたい。これは第三者が見てもなるほどいい方針をお出しになられたと納得のいくように一つ御努力が願いたいと思います。このことを最後一つお願いしておきまして、私は時間がないようでありますから終ります。
  37. 佐々木秀世

    佐々木委員長 以上で後藤参考人に対する質疑は終ります。後藤参考人お忙しいところをまことにありがとうございました。どうぞお帰りいただいてけっこうであります。  次に重枝参考人にお願いいたします。
  38. 重枝琢己

    ○重枝参考人 私、全国石炭鉱業労働組合の重枝琢己でございます。私はスト規制法の延長に対して反対でございます。そういう立場において若干意見を述べさしていただきたいと思います。  まず第一は、スト規制法そのものでありますが、これは周知の通り悪法でございまして、不必要なものであるというふうに考えております。このことについては、三年前スト規制法制定される過程において十分私たち意見を述べております。この委員会委員の方もその点は十分御承知のことだと思っております。従ってこの点については簡単に申し述べたいと思いますが、本来保安の確保、私は主として炭鉱の問題について限定したいと思いますが、保安の確保というようなものは、労使が話し合いでやっていくべきものでありまして、これは労働協約を結んで原則的なことをきめる、あるいはそれに基いて何か争議が行われる事態になった場合には、労使が協議をして保安を確保していく、こういうふうに行なっていくのが当然であるし、まだそういうふうに行われておるというふうに考えております。こういうような事態でありますから、スト規制法というようなもので取り締る必要はないというふうに考えます。特に保安の確保ということでスト規制法には四つの項目をあげておりますが、炭鉱はきわめて事情が異なっておりまして、言葉をかえて言えば、一つ一つ炭鉱がそれぞれ事情が違っておると言ってよろしかろうと思います。従って保安を確保する、あるいは保安要員を入れるということになりますとしても、これは一律に規定できないことは当然であろうと思う。これは労働省が出しておりますこのスト規制法を実施するための通牒の中にも、随所にそういう点が明らかに出ておることでも、これは政府も認められておるところだろうと思います。各山の判断において対処していくべき問題であろうと思います。  それからもう一点は、スト規制法に掲げてあります各項目について、ストライキと直接の因果関係が認められない点が相当ございます。たとえば鉱害などというのは、ストライキ、あるいはいわれておるところの保安要員の引き揚げというようなものがあっても、そういうようなものと鉱害というものが直接因果関係があるというふうには私は言い得たいと思っております。先ほど日経連後藤さんは、何か保安要員の引き揚げということで、直ちに炭鉱が爆発するかのようなことを言っておられますけれども、これは炭鉱をよく御存じないためであろうと思う。いろいろ炭鉱の事情は違いますので、直ちにそういうようなことになることにはなっておりません。またそういう場合があるとしても、どの程度保安要員を出したらいいかというようなことについては、これは一律には言えない。極端に言えば毎日々々一つ一つの山で事情が変っていっておると言って差しつかえないだろうと思います。  それからもう一点、公共福祉を擁護するということでございますが、これは炭労の原さんからもいろいろ述べられておりますけれども、公共福祉ということと炭鉱の経営ということと、果して直結することができるかどうかということは疑問であろうと思います。炭鉱の経営というのは、資本主義のもとで営利を目的としてなされております。それで経営をしようがやめようが、あるいは拡張しようが縮小しようが、そういうことは経営者判断にまかせられておる。これは先ほど後藤さんも言われた通りでありますが、そういたしますと、公共福祉ということは、そういう積極的に炭鉱を経営するという立場から考えると、各人の判断にまかせられておる。極端な経営者もございまして、全く自分のためだけを考えてやっておるという場合も多いわけでありますから、もし炭鉱の経営すべてが公共福祉を擁護するということでありますならば、そういうものこそ大いなる規制を加えなければならない。そういうものは規制を加えずに、ストライキというものに対してのみ規制を加えようとしておる。しかもそれが無限といっていいくらい拡大解釈のできるような法律を作っておるということは、全く間違いなことであろう。そういう意味で、スト規制法自体が悪法であり、不要なものである、私はこういう見解を持っております。従ってその延長には当然反対でありますし、延長する必要はないというふうに考えております。  第二の点は、スト規制法がそういう悪法であるからということをしばらく別にいたしまして考えましても、延長するという論拠は成立しないというふうに考えております。それはスト規制法というのは、三年後にその延長か廃止かをきめるという形で制定をされております。今度の延長ということの決議案の提案理由の中には、「現下の実情にかんがみ、同法をなお存続させる必要がある」というふうに書いてあります。また委員会における提案理由説明の中には、「健全な労働慣行が十分確立されたとは認めがたい」ということで、延長をするというふうに理論が立ててあります。スト規制法は当然二十七年に行われた電気あるいは石炭における長期かつ大規模なストライキの苦い経験も契機として作ったものであるということが、同じくその提案理由の中に認めてありますし、こういうようなことはやらない方がいいのだけれども、やむを得ずという非常の事態に対応して、そういうものを作るというふうに言われておると思います。従って、この三年の間に健全な労働貫行が確立されることを期待をして、三年間という期限が切られておった、期待をしておったというふうに、はっきりと書いてある。こういう点が三年間のうちにどういうようになったかという点を考えてみることが、延長是か非かという結論を出す大きな論拠になろうと思っておるわけでありますが、私は率直にいって、昭和二十七年末のあの事態というものは、今日ないと思います。この三年間、そういうような緊迫した事態はなかったと思います。こういう事実は率直に認めていかないと、問題はこんがらかってくると思うのであります。さらに第二に、具体的に保安要員を引き揚げて公共福祉を阻害したという事実もありません。一つ炭鉱においてそういうことが行われたということを、先ほど後藤さんは述べられましたけれども、しかしそれによって公共福祉が阻害されたというふうにお考えになっている方は一人もなかろう。そういうふうに事態も改まっておりますし、そういう事実もないわけであります。しかも私は労働組合の動向というものを考えてみますと、この間に非常な成長をしておると思います。これは法律制定のときに希望された正しい労働慣行というものが樹立されるという方向に向っておる、ある分野においてはほとんど完成の域にきておるということは、私は言って差しつかえないと思います。私労働組合立場からいって、経営者のいろいろなこの点に対する考え方に対して非常な不満を持っておりますけれども、しかし労働者の良識によってそういうような事態が一歩一歩確立されておるという事実は、国民ひとしく認めておるところであろうと思う。民主的な労働組合が労働関係組合の中で大きく成長をいたして、たとえば炭鉱における保安の確保という点についても、組合立場によって自主的な判断でそれを十分遂行していくという傾向が大きく出ております。電気産業においては、特にその点が著しかろうと思っております。  全炭鉱は三年前の制定のときにも、そういう民主的な労働組合というものの立場から、自主的な判断でこういうことは解決をしていく、それが労使関係の本来のあり方だという立場反対をいたし、その後努力をしておるわけでありますが、今度延長されるというような事態に立ちまして、われわれはその方針の上に立って、三年間この法律が不要であるし、悪法であるということを現実に示してきた、その戦いの立場に立ってこの延長を反対をしたいうとい立場をとって、この問題に関心を持っておる方々意見を聞いたわけであります。われわれは、きわめて短時日でありましたけれども、われわれの立場に立って、このスト規制法の延長に反対をする二とに対する同意の署名を全国に求めたのでありますけれども、約三十万人の同意の署名を得ております。うしろの方に積んでありますのが、われわれが集めました署名簿でございます。こういうような事実を認識をしていただきたいと思うのであります。こういうような労働関係の中でも漸次民主化の方向が進められており、そうして国民的な世論もそういう組合を支持し、そういう組合を育てていく、そういうことによって間違った労働関係というものが是正されていく、あるいは誤まったストライキをやらない、こういうような慣行が出てきておる、こういうような傾向を認めることこそ政治ではなかろうかと私は思っております。そういう民主化の芽ばえ、進歩の芽ばえというものを認めて、それに対応する態度をとっていただくということが、私は民主政治の発展であろうと思います。そういう点を強くこの委員会皆さんを通して、国会政府に訴えたいと私は思っております。そういうことがまだ十分でないという点かかりにあるといたしましても——提案理由の中にも十分でないというような言葉もございますが、結局相当程度の認むべき健全な労働慣行というものができておるということは、反面認められておるものだと思うわけでありますが、そういたしますならば、そういう現実に立ってこの問題の判断をしていただかなければならないと思います。
  39. 佐々木秀世

    佐々木委員長 重枝参考人にお願い申し上げますが、お願いしておりました時間が参りましたので、結論に入っていただきたいと思います。
  40. 重枝琢己

    ○重枝参考人 そこで私はそういう完全でなくても、ある程度のものがあるとするならば、その立場に立って対策を立てていただきたいと思います。これは労働大臣もしばしばそういう傾向にあるし、そういう事実があるということは認められておるわけでありますから、そういたしますならば、もし若干の不安があるということであれば、現在の法律そのものでなく、政府が考えられておる不安とするところにのみ対応するような法律に、この法律を変えられるのが私は当然ではなかろうかと思っております。たとえば、労働組合立場からこういうことを申し上げるのはどうかと思いますけれども、電気産業においては今日ほとんど電労連によって労働者が組織されており、経営者との間の健全な労働慣行というものも相当進んで確立されておる。それならばその事態を認めて、電気産業に対してはこういう法律はもう必要ないのだということを示されるのが、私は至当ではなかろうかと思っております。また別の観点から、若干の改善はあるけれどもなお不十分な点があるということであれば、三年間実施してきたスト規制法を永久法にするのでなく、また別の時限を切った時限法にしていくということこそ、私は政治の本来の姿ではないかと思っております。労使関係の健全な慣行の確立を願って三年間をきめ、その確立ということが漸時進んでおるということを認めながら、今度は三年間という期限を切った法律を永久法にするということは、私たちはその理由がどうしても認められないわけであります。そういう政治に対しては、民主的な労働組合の運動を進めておる組合員としては、非常に憤激をさえ覚えるのであります。事実は事実として率直に認めて、その上に立ってこの法律の処置を考えていただきたい。私はこの法律は悪法であり不要なものであるから、ここで廃止すべきであると思っておりますが、百歩を譲ってなお若干必要とする問題点があるならば、その問題点に限って延長という問題についての検討をされ、その方針を出され、法律制定に進まれるのが至当であろうと考えるわけであります。
  41. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に松本参考人にお願いいたします。
  42. 松本栄一

    ○松本参考人 私は石炭経営者協議会常務理事の松本栄一であります。本法についての存続を必要とする理由を述べさせていただきたいと思います。  本法を存続させるかどうかにつきまして第一に検討すべき点は、提案理由にもありました通り本法施行当時から現在までの間に、本法を必要としないような労使関係が成熟したかどうかという点でございまして、第二は、本法が制定されましたために労使関係が著しく不均衡になって、他産業労働者に比較しまして、電気石炭労働者が低劣な労働条件のもとに置かれているかどうかという点であると思います。電気につきましては藤田さんから後ほど説明があると思いますので、私はこの二点について石炭だけの立場から所見を述べさせていただくとともに、存続反対論者の所論のうちに事実の誤認、または考え方の相違等に基く所論ではないかと思われる点につきまして、多少の釈明を試みさせていただきたいと存じます。  石炭産業に従事しております労働者は、九月末現在で約二十九万人おります。この所属組合炭労が約二十万、全炭鉱が約五万、その他が中立となっております。炭労、全炭鉱ともに本法制定の当時から本法に反対はしておりましたけれども、その理由は全く異なっておりまして、全炭鉱は本法に規定してあるような行為は、争議行為としても行うべきことではないということを当然のこととしております。そうして自分たちはかつてかかる戦術を打ち出したこともないし、今後とも行おうとは思っていない、それだから不必要だというのがただいまも述べましたように論拠になっているのでありまして、また傘下の各単位組合におきましても、争議時におきます保安確保に関しましては労働協約に明定いたしまして、これを順守しております。しかるに炭労は本法施行下におきましても、本法は労働者に対して保安確保義務を課したのではなく、保安管理者が行う保安確保をピケをもって妨害してはならないのだ、そういうふうに規定してあるのだと解釈いたしまして、これを下部組合に教宣するとともに、労働協約において争議時における保安協定をしておる単位組合に対しましては、上部の指令は右協約に優先して組合はその範囲においては責任を免れるのだということを教宣しまして、今お配りしました資料にあります通りに十二回にわたりまして保安放棄を指令しております。またその資料にありますように、各大会においてはこの戦術は最終的に必要なる戦術であるということをそのつど確認しているのであります。しかも大手の十四社というものは、昭和二十九年以来賃金と期末手当は炭労の要求に従いまして、炭労といわゆる対角線交渉というものを行なって解決しております。大手の十四社の労働組合組合員数というものは、炭労全組織の八〇%をこえておりまして、出炭は月産にしまして約二百三十四万トンで、これは全国の出炭の六〇%以上をこえているわけです。こういう規模の炭鉱におきまして保安が放棄されたときには、どんな結果を国家資源国民経済に及ぼすかということは、あらためて私が説明するまでもないと存じます。なるほど炭労の指令に基きまして現実に保安を放棄しました実例は、ここにありますように二十九年の高島がただ一回であります。しかしそれは実現の可能性というものを如実に示したものでありまして、自然発火によって切羽の放棄をやむなくさせられた貴重な体験なのであります。その他の事例はことごとくこれは中央労働委員会のあっせん、これを受諾しますか、または要求の全部を容認いたしまして、そして回避されたということになっております。ほとんど全部の存続反対論者がその論拠の一つとしまして、過去三カ年間に本法に違反するような行為は一回も行われていないということでありますが、以上の私の説明の通りでありますので、これはちょっと考え方が違っているのではないかと思います。あるいは本春の賃闘におきまして、炭労保安放棄を回避したではないかとおっしゃるかもしれませんが、確かに回避はいたしました。しかしその理由は、争議行為として行うべきではない、こういうことで回避したのではなかったのであります。ここにわれわれは本法が必要だという意味があるのであります。本法の廃止は、炭労の従来の主張とその解釈に自信を与えまして、争議行為の行き過ぎをとどめるところのブレーキをなくしまして、保安放棄の実現性というものを一そう増大せしめるおそれがあるのであります。  第二には、本法の施行によって炭鉱労働者の労働条件が、一体劣悪になったかどうかということであります、それは資料の二枚目に示した通りであります。第一表は他産業との賃金の比較であります。第二表はコストの中に占める労務費の割合を示したものであります。第三表は大手十八社の統計上に表われた損益の総合計でございます。それをごらんになると歴然としておりますように、決して他産業と比べて悪くなっていない。のみならず、二十七年以来炭鉱が赤字を続けているにかかわらず、労働者の賃金は上昇し、また生産費に対する労務費の割合は増大しているということを示しております。それから炭鉱が好況になってきたという三十年以来は、やはり賃金は著しく増加しております。しかも炭労の統率力というものは、年を加えるごとにその力を増大しておりまして、総評の傘下におきます民間産業における最強最大の組織として、労働運動の最前線を常に濶歩していることは、これは皆さんの認めるところだと思います。本法は、従いまして正常なる組合運動に対して何らの障害にはなっていないことは明瞭なことだと思います。  次に、本法に反対する諸論への釈明をさせていただきたいのですが、第一は、国家資源の確保と言いながら、経営者政府は結託をして石炭鉱業合理化臨時措置法というものを制定して、勝手に炭鉱をつぶしているではないか、こういう反論であります。石炭資源ということと、鉱物の石炭ということとは違う話でありまして、単に地下に石炭があるというだけでは国家の資源ではないのであります。これは経済的に価値があるかどうかということが、一つ問題になることは自明の理であります。合理化法は、経済的に価値のない炭鉱を廃止して、石炭産業を合理化することによって生産力の増強をはかろうというのでありまして、保安放棄は、逆に経済的に価値のある炭鉱保安を放棄しようというのでありまして、全く問題は違うというふうに御了承を願いたいと思います。  その第二番目は、保安放棄というものは、鉱山保安法に書いてあるのだからそれで足りるではないかということであります。それはまことにその通り、鉱山保安法におきまして保安の確保の義務を課してあるのでありますから、それで十分なのでありますけれども、鉱山保安法には船員法三十条にありますような争議制限の規定という明文がないのであります。そのために、一部の労働法学者は、この規定争議時には通用がないというようなことを申しますので、炭労はそういう所論を金科玉条といたしまして、下部の大衆を教唆しておりますから、やはり本法によって禁止された行為というものを明らかにしておく必要がある、私はそう思います。  その三は、緊急調整をもって足るのではないかという所論があるようでありますが、本来行なってはならない行為を禁止したのがスト規制法であり、緊急調整は、正当なる争議行為であっても、その規模とかその機関のために一時的に中止させようという目的のものでありまして、おのずからその目的を異にしておるものと思います。  それからなおおっしゃる方は、経営者は自己の力で保安を確保できるではないか、こういう議論があるようでありますが、通常炭鉱保安業務に従事している工職員というものは、全従業員の約二〇%ぐらいであります。しかも保安法に定められました一定の知識と経験と技能とを必要といたすものであります。炭鉱はおおむね山間の僻地にありますし、鉱業所を中心として一つの市町村を構成しておりまして、その住民の大部分というのが炭鉱の従業員であります。しかもその都市には、会社経営の鉄道が唯一の交通機関だというようなところもあるような次第でありますので、そういうところで直ちに数百人または数千人の保安要員を他に求めるというようなことは、これは言うべくして行えない。しかもただいま申し上げましたように、保安法規定したような資格要件があるということになりますと、ますます困難だということを御了解願いたいと思うのであります。  最後に申し上げたいのは、経営者はロックアウトによって非常に優位になったではないかということでありますが、経営者は二十九年以来、炭労の行なって参りましたこの坑外搬出拒否という部分ストに非常に手をやいて参ったのでありまして、この戦術は御承知のように、自分の方の損失を極度に少くして、相手方に多大の損害を与えるという、きわめて不公正な争議でありまして、たとえて言いますれば、碁将棋におきますはめ手のようなものだと存じます。このはめ手というものは、正しく受けられたときにははめ手を使った方が不利になるというのが碁、将棋の常識でありまして、このロックアウトというものが使用者に与えられた争議の対抗手段の定石でありますから、はめ手を定石で受けたというのにすぎないのであります。炭労争議の定石を用います以上は、当方は労使関係の安定をこそ願え、攻撃的なロック・アウトを行うというようなことは毛頭考えておりません。  そのほかの反論につきましては、三年前にこの委員会でずいぶん御議論をなさったことでありますので、今さら私が繰り返して申し上げる必要はないと思います。
  43. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に向井参考人にお願いいたします。
  44. 向井長年

    ○向井参考人 私、全国電力労働組合連合会の会長の向井でございます。本日、衆議院の社労委員会参考人として参った次第でございますが、特に私、本法案の審議に当りまして社労委におきまして、当事者、あるいはまた関係者を呼ばれまして参考意見を聞かれることをまことに喜びといたし、敬意を表する次第でございます。ただこの法案存続するという形において政府が上程される前に、現在のこの法案に対して国民世論と申しますか、一般国民あるいはまたいろいろな学者等の意見をほとんど政府自体が聞かなくて、そのままこの国会に上程されておる。この点につきましてまことに遺憾に存ずる次第でございます。なぜならば、特に御承知のように、現在この法案に対する国民世論といたしましては、全く悪法であり、これは存続すべきでないというような考え方が現在各所に現われております。これは御承知のように各新聞社の社説を見ましても、あるいはまた私たちが集めました一般世論の集積といたしましてここにある署名簿を見ましても、あるいはまた私たちがこの法案に対して、われわれみずから一般学者なりその他世論に対しまして公聴会を開きまして、その公聴会の過程においてのあらゆる人たち意見を参考にいたしましても、この法案はもうあるべきではない、また憲法の精神に背反する行為である、こういう考え方を実は述べております。これは十月十三日に社会党を中心にいたしまして、一橋の吾妻さん、あるいは評論家の中島さん、あるいは都立大学教授の沼田さん、全中協労働部長の島田さん、毎日新聞社の江幡さん、弁護士の小林さん、あるいは労働省婦人課長の田中さん等の人たちに来ていただきまして、一般公聴会を開催いたしたのでございますが、その人たち意見そのものも、この法案に対しましてはまっこうから反対した意見が述べられております。かかるように、現在の一般の世論といたしましては、今申しましたように、ほとんどがこれは悪法であり、しかもこういう憲法に背反する法律を再び延長するがごときは、これはまことに遺憾であるというような態度が今現われておるのでございます。かかる意味におきまして、私は電気労働者立場からこの法案に対するところの反対意見を以下述べたいと存ずる次第でございます。  特に第一番目には、憲法の精神に背反するということを申し上げたいのでございます。なぜならば、御承知のように憲法の第二十八条には労働者の罷業権は労働者固有の権利といたしまして保障されておるのでございます。従ってこの点につきましていろいろ言われておることは、私たち電気労働者あるいは電気労働組合が、停電とか電源ストライキというものは、電気を消そうとかあるいはまた発電所をとめる、こういうことが私たち目的ではないのでございます。これはあくまでも私たちが正常な労働力を提供いたしておりますが、この紛争の過程において、私たちの労働力の提供を拒否するというのが目的でございまして、少くとも停電あるいは電源スト、いわゆるこれに対して電気をとめようというのが目的ではないということ、これをまず明らかにいたしたいと存じます。従って、しからば派生的に電気がとまるということになるかもしれませんが、これは御承知のように、電気事業あるいは炭鉱においてでもございますが、やはり私たちは発電所、変電所におきましては、労働力の提供を拒否する場合に、そのまま送電しっぱなしでこれを拒否いたしますと、非常に危険な状態が起り得るおそれがある。従って私たちがこれを拒否する場合においては、まず安全な形において労働力の提供を拒否しよう、こういうことが私たちが今申しました一つストライキ行為となって現われるのでございまして、これは決して停電あるいは電源に対するところの電気をとめるという精神ではない、派生的に、いわゆる安全の形に置こうとするときに起きてくるのがこういう状態であるわけでございます。従ってこれは三年前私たちが電産当時にいろいろこういう問題がありましたが、その中で私が憲法に背反する精神であると言うことは——これに対する二十五件の裁判事件がございます。電源あるいは停電に対するところの事件が出て参りましたが、これは先般も私たちがいろいろ裁判所の判決等を調査いたしますと、二十五件ほとんどが無罪である、あるいはこれが免訴になり、検事控訴が棄却になっております。従ってこの精神から考えましても決してこれは合憲的な法律ではない、憲法の精神と背反する一つ法律である、こういうように私たちは断言せざるを得ないのでございます。  こういうところに憲法に背反するところの一つの考えが明確に現われておると考えられます。次に第二番目には、特にこれは政府なりあるいはまた経営者の、組合に対するところの一方的な抑圧手段であるというように私たちは考えるのございます、これはなぜならば、この法律が施行されるときに、皆様も御承知のように、電気労働者あるいはまた炭鉱労働者の賃上げ闘争が、ますますこの紛争が長引き、しかもこれが困難な状態に相なった次第でございますが、そのときに特に政府公共福祉に反するというような名目のもとに、しかもこの法律が時限立法の形で強引に制定せられたと私たちは考えております。これは全く私たちから考えますならば本末転倒でございます。と申しますのは、紛争を何とか解決するための誠意が経営者にも非常に乏しかった、あるいはまた政府自体の中におきましても紛争を解決するための努力が足らなかったのではなかろうか、こう私たちは考えるのでございます。従ってこれは特に経営者あるいはまた政府からいうならば、労働組合の中においての逸脱傾向があったから、これは当然公共福祉に反すると考えるから必要である、こういうことを言われておりますが、しかしもし私たち労働組合の中におきまして逸脱あるいは行き過ぎ行為があるとするならば、これは決して政府やあるいはまた経営者、いわゆる権力やあるいは法律というようなもののいろいろな抑圧手段によって訴えるのではなくて、少くとも労働組合の自主的な、いわゆる私たちの力によって克服するのが、当然でございまして、権力やあるいはまた法律によって規制することは大きな間違いであると私たちは考えるのでございます。かかる意味におきまして、もしこういうような状態を権力や法律によって規制するならば、これは決して今後正常ないわゆる健全な労使関係はいつになっても生まれないと考えます。少くともこれは先ほど経営者の方も言われましたように、お互いがあらゆる問題を誠意をもって解決しようというこの考え方の上に立つならば、いわゆる紛争というものをそういう行為に訴えなくても解決するのではなかろうか。ただこれが一方においては、今申しました考え方から解決をしようという誠意よりも——しかもこの法律に対しましては、この法律を何とかしくための方法として、この当時は、私たちのこの争議を延引策をとり、そうしてこれの解決をはばんで、石炭にあるいは電気にこの法律をしこうとするような策略があったのではなかろうか、こう私たちは邪推をせざるを得ないのでございます、これはなぜならば、特に先ほども言われましたように、もし電気におきましてもこういう事態、ほんとうに公共福祉に反するというような事態が起るならば、これは御承知のように労調法第三十五条におきまして緊急調整という規定があるわけでございます。政府自体がこの規定を施行することができるのでございますが、そういう法律がありながら緊急調整をしかずにいたしまして、そしてただ今申しました世論の悪化を待って、しかもこの法案を一挙に通そうとするところの魂胆がそこにあったのではなかろうか、こういうような考え方を強く持つわけでございます。特に私は、この法案制定の当時の現況を申し上げますならば、これは私たちから考えますならば一方的に責任組合に転嫁した法律である、こう考えます。なぜならばこの法律が施行された当時、特に電気の場合を私は申し上げるのでございますが、先ほど申しました賃金の問題が壁にぶつかった当時、世論の反撃を一手にこうむらすように、根底からストライキ規制しようとするところの考え方が強く現われておりまして、その当時は公共福祉を私たちは阻害したことはないと考えております。なぜならば、私たちは少くとも当時の状態を調査いたしますと、一般電灯にいたしましても、あるいは工場の保安電力にいたしましても、あるいはまた交通機関にいたしましても、完全に確保いたしておったはずでございます。従ってそういうような一般の公共福祉に反したような形は生まれてなかった、こう私たちは考えたいのでございますが、しかしながら特に当時は、御承知のように二十七年、二十八年は未曽有の渇水期であったのでございます。従って非常に電気の不足を来たし、あるいはまた石炭の不足を来たしまして、これについての停電、いわゆる電気の限制が著しく行われておったのでございます。これは決して私たち労働組合ストライキではなくて、会社のいわゆる停電制限が盛んに行われた当時でございまして、これが一般世論に対しましては、先ほど申しました賃金のストライキとともにあわせて、一方的に組合ストライキのためであるかのごとく宣伝されたことは、まことに私たち遺憾に存じておる次第でございます。特に私はこれを申し上げますならば、経営者の日常の経営に対する怠慢が、今申しました渇水期に備えての確保ができていなかった、特に火力の増強とかあるいはまた石炭の確保とかが行われていなかった、これはただどろぼうをつかまえてなわないをするようなことではなくて、平時において、いわゆる公共の事業を担当しておる経営者は、少くともかかる状態のくることも予想して、石炭の確保あるいはまた火力の増強も当時からどしどしやらなければならないことが、その当時は非常に経営者が怠慢と申しますか、経営者のこれに対する関心あるいはまた努力が非常に足らなかったと私は言わざるを得ないのでございます。そういうような、今申しましたような状態がこの当時起きておりまして、これがすべて私たちストライキのごとく宣伝され、一般世論の悪化がしかも私たち責任にすべて転嫁されたことが、この状態であったろうと私は考えております。従ってこういうような状態の中から、特に私たちその後の今申しました電源あるいは停電というストライキに対しましても、やはり先ほど申しました憲法の精神から考えて、労働者固有の権利として当然あるべきであるとわれわれは考える。しかしこれを直ちに実施するとかしないとか、こういうことをよく私どもは聞かれるのでございますが、これは少くとも労働者が、あるいは労働組合が自主的にみずから決定するものであって、他の第三者の介入すべき問題ではない、こう考えておるのでございます。従って私たちは私たちの良識で、私たち組合の力で、われわれみずからこういうあらゆる問題に当って参るのでございまして、法律やあるいはまたこういう規定によって規制されることは大きな間違いであり、もしこういうことをなされるならば、健全な将来においての労使慣行が阻害される結果になると私は考えるのでございます。かかる意味におきまして、特にこの法案に対しまして私たちはまっこうから、憲法の精神に背反する行為であり、なおまたこれは健全な労使慣行を将来作り上げるための大きな阻害になるところの法律である、ただ一方的に経営者を保護する法律である、こういうように断ぜざるを得ないのでございます。  かかる意味におきまして、将来労使慣行が健全になるためには、やはりこういう悪法は少くとも撤回され、あるいはまたこれが審議過程において、皆様方の意見によってこれを廃案にしていただきたいと存じます。従って電労連あるいはまたその他労働組合立場といたしましては、わが国の労働組合も十年有余非常にいろいろ変転はして参りました。しかしながら自分たちの力を知り、自分たちの良識を養いまして、ここに健全な慣行が今芽ばえ、生まれつつあるのでございます。三年たちました今日、かかる法案をまだそのまま存続さすとするならば、これは先ほど申しましたように、健全にしてしかも自由にして民主的な組合が生まれ、労使慣行がよりよく育とうとするところの、これに対する大きな障害を与えるものと私は考えるのでございます。従ってこれは社会党の議員の皆さんだけではなくて、自民党の皆様方も、将来労使慣行が健全に育ち、健全にこれが発展するためには、ただストライキをやめさすためのこの法律であるから、やはりどうしてもこれは反対しなければならぬというような観念的なものではなくて、この真相を、現在の労使慣行のこの状態を十分皆様方が知っていただきまして、その中から、真剣にこの問題についての討議をなされまして、最終的にはやはり将来日本産業の振興のために、あるいは経済の発展のためにも、よりよき労使慣行をつくるために、かかる憲法に背反した法律をどうしても皆様方のこの国会におきまして撤回されるように心から要望いたしまして、私は私の意見を終ることにいたします。
  45. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に藤田参考人にお願いいたします。
  46. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 私は関西電力株式会社取締役藤田友次郎でございます。いわゆるスト規制法につきまして参考人としての意見を申し述べたいと思いますが、結論を先に申し上げておきますが、私はただいまの向井長年氏の意見反対でございまして、存続論者でございます。以下その理由を陳述いたします。  私は昭和二十二年以来電産との交渉に自身身をもって当って参ったのでございますが、その間いろいろの起伏がございましたけれども、その最高潮に達したのが本法制定の直接の契機となった二十七年の秋の大争議であったのでございます。申すまでもなく電気は生産と同時に消費されまして、貯蔵が不可能でありまする上に、他の商品をもってかえることはほとんど不可能な実情でございます。従って、停電電源ストが直ちに一般需用家に影響を及ぼすことになりまして、その損害は当事者である会社、組合の受けるものとは比較にならないほど深刻でありますので、この点において他の争議行為と本質的に非常に違っているということをまず考えなければならないかと思うのであります。そこでこれが立法されました昭和二十八年の当時の情勢をごく短時間振り返ってみたいと思いますが、当時も各地で公聴会が開かれたのは御承知の通りであります。東京で開かれ、大阪で開かれ、福岡で開かれたのでございますが、そのときの意見を今振り返ってみますと、経営者側は全面的賛成、労働者側は全面的反対、これはいろいろの立場もありましょうが、結論から申しましてそういうことになっております。第三者であります公益の代表の方々の御意見は賛否両論があったのでございます。しかもここで集約いたしますと、その法律制定するかどうかについては賛否両論がございましたけれども、この保安放棄という争議行為、それから停電電源ストという争議行為、これは好ましくない、できればやるべきでないという意見は、最大公約数的に一致しておったものと考えておるのでございます。これは当時の事情を申し上げたのでございますが、先ほど質問者のお方の御意見でも、このスト行為そのものは好ましくないという御発言が確かにありましたので、現在もそういう情勢であろうかと考えておりますが、これは今後公述を進めていくに従ってはっきりいたしてくると思います。法律を立法するかしないかということは別といたしまして、この行為そのものは好ましくない、こういうように日本経済なり国民生活に障害を与えるようなものはやるべきでないという意見は、これは最大公約数の意見と考えていいかと思うのであります。  そこでこれをやらないような状態にするのにはどういう方法がいいかということが議論の焦点になったと思います。もちろんこういうことは、労働組合の本質論から申しましても、法律をもって規制するということは第二次的な問題でございまして、できれば労使双方の良識、労使間の健全なる慣行の成熟を待って、これはやるべきでない、これが好ましいということは当然でございます。当時もそういう議論が行われた。しかしこれが果して、当時の情勢から申しまして、そういうように労使間の良識なり、労使間の健全なる慣行の成熟によって防がれるかどうかということが実際問題として論議されたのでございます。当時の実情から申しまして、これはまだそういう時期ではない、とてもそういうものにたよってはおられないということで、次善の策ではございますが、法律をもって規制せざるを得ないというような結論になったのは、これまた明らかな情勢でございます。従いましていろいろ修正案が出まして、そういう趣旨ならば一応三年間の限時立法として立法する。しかしてその三年間にそういう労働慣行ができ、そういう労使の良識によって処理できるという見通しがついたならば、あるいはつくかつかぬか、この三年間の体験を経て三年後にもう一ぺん審議しようということで、この法律ができたように記憶いたしております。そういう経過から申しまして、今三年たちましてこれを存続するか、廃止するか議論をされておりますので、これを判断する基準は二つあると思います。  第一は、現在の情勢が立法当時の情勢とどう変っておるか。そういう好ましい労使慣行が成熟しておるかどうか、こういう問題が一つ、そして一般の電気に対する重要性がどうなっておるか。産業の面から電気に対する重要性がどうなっておるか、こういう問題がまず第一に議論されなければならないかと存じます。第二には本法の制定によりまして労使間の均衡が破られたかどうか。先ほども二、三回御発言があったと思いますが、この法律組合弾圧法である、これによって組合が弱体化し、経営者が有利になって非常に不均衝な状態労使問題が処理されておる、こういうようなお話もありましたので、果してそういうような結果が現われておるかどうか、この二点が問題になるかと思います。  今その第一の一般情勢の変化につきまして考えてみたいと思いますが、今電気の需用は、三年前の電気の需用の当時より、より以上重要なものとなっておることは御承知の通りでございます。つまり最近の産業界を見まするにつきまして、産業設備の近代化、家庭電化の普及等によりまして、電気の公益性はますます高度化して参っております。しかも最近の需用の伸びはわれわれが当初電力事業が再編成されまして、当時考えました需用増の計画に対しまして約倍近い伸びを示しておるのでございます。これは産業全体といたしましては、非常に好ましいことでございまするが、われわれの計画いたしました何パーセントかの需用増に対する開発計画が、今足らない状態になっておる。従って経営者の必死の努力をもって今開発をやっておりまして、政府の方からも相当な資金をお借りいたしまして、やっておるのでございますが、この懸命な努力にもかかわらず、なお需給の均衝が安全とは言えないような状態になっておる。従いまして電気というものが社会、国民生活国民経済に及ぼしまする重要度は、当時よりは倍化されておる、こういうことを考えていいかと思うのでございます。  次にもう一つの情勢といたしまして、この三年間に電気事業における労使関係が著しく成熟をいたしまして、本法の存続を必要としないまでに変ったかどうかこういうことになります。もちろん申し上げるまでもなく電気事業労働組合は、ただいま申しました昭和二十七年暮れのいわゆる電産大争議を直接の契機にいたしまして、組合の内部でそのやり方批判が起きたのであります。その従来のやり方に対しまして批判をいたしまして、遂に組合の分裂となりました。当時は御承知のように全国一本の個人加入の日本電気産業労働組合でございましたけれども、そういうことでは今までのやり方批判されまして、企業別の労働組合が逐次結成されまして、そのまた各会社の企業別の組合が、今全国大の連携を保ちまして、いわゆる電労の組織ができておるのであります。従って当時とは組合考え方なりやり方はある程度変貌したということは言えるのでありますけれども、しかしこれを手放しで安心していいかどうかということは保障いたされないのでありまして、その例といたしまして最近の電労連の各地で行われました会議あるいは総会等の模様を見ましても、組織が拡大されるにつれまして、最初に考えた意向と違った発言が再々行われております。今労働者は十三万となっておりますけれども、約十二万強が電労連に結成され、また電産が一万弱残っておりますが、この電労連の大会等を見ましても、昭和二十七年当時の考え方に基く発言が非労に多いのでございます。これはわれわれ直接傍聴はいたしておりませんが、新聞その他の報道によりましてはっきりいたしております。しかもまだその考え方反対の電産の組合が相当残っております。今小川さんもお見えになっておりますが、まだ電産の組織としては、全国大の能力は失いましたけれども、部分的に残っておるのが実情でございます。そういうことでいろいろ総合勘案いたしますると、当時電産のやり方批判して誕生した電労当初の基本理念が今後いつまで貫かれるかどうか、これは実際的に保証し得ないものと私は断定をいたします。  さらにもう一つの問題は、先ほど向井長年氏の発言にもございましたが、二十七年当時の争議の際に起訴された案件が、最近になりまして逐次地裁その他で判決が出ておるのでございますが、この判決はいずれも停電スト電源スト行為そのものの本質的な違法性、不法性を糾明されず、正当性の限界につきまして疑問は持ちつつも、この理由を見てみますと部分的なストであった、あるいは被害が軽微であったというようなことをとらえまして、現場の実態に関する認識を欠き、情状酌量的な見地から判断を下されまして、無罪になっておるのは、先ほど向井長年氏が言われた通りでございます。そこで先ほども言われたように、それならば停電ストは合法じゃないか、憲法違反じゃないじゃないか、こう申されますが、これは私たち考え方が違うのでありまして、先ほど言われましたように社会の良識が、こういうことはやるべきでないというておるものが、たまたまこのスト規制法がなかった時代に起りましたことが今無罪となっておりますと、これがどんどん出て参りますと、非常に思想的の混乱が起きるのではないか。法律的にも無罪だというようなことでこれが次々と実施されないという保証はこの面からも保証されないのであります。そうなりますと、これはこういうことをやりました結果、国民生活なり国民の日常生活にいかに悪影響を及ぼすかと考えますると、この一点からでも非常に問題が大きいかと考えるわけであります。  要するに、第一点の問題でありまする一般情勢は、昭和二十八年の本法案制定当時と変ってない、むしろその必要性は倍加したというような結論になると考える次第でございます。  第二点は本法の実施によりまして労使間の均衡が非常に阻害され、非常に不均衡な情勢になって問題が処理されたかどうか、こういう問題になるわけでございますが、これは二十八年以来私は引き続きまして企業別組合なり、当時残っておりました電産との交渉に身をもって当って参りましたけれども、そのつど決して悪い労働条件で解決をいたしておりません。皆さんの一部の方のおっしゃるように非常に一方的なものであれば、会社側として組合の要求をけりまして一方的な解決をしたということになるのでございますが、決してそうではございません。二十八年に問題が解決いたしまして以来、数回の賃金問題その他の交渉をいたしておりますけれども、これは電源スト以外のストをもちろん背景にされておりますけれども、ある場合は非常に平和的、ある場合は電源スト以外のストと並行されましたけれども、結果といたしましては労使双方ともそう変な結果でないという確信を持っておるのでございまして、御承知のように電労連傘下の企業別組合——電産もこれと同じことになるのでございますけれども、この現在の労働条件はいわゆる高水準の労働条件といわれているわけでありまして、決して不均衡にはなっていない。むしろそれまでは労使双方の交渉ではほとんど自主交渉で解決したことがなくて、第三者の調停にお願いして解決をしておったものが、過去二回、三十年、三十一年、二回とも自主交渉によりまして、しかも定期昇給制を確立するという協定ができまして、二回とも定期昇給の問題で自主交歩で解決いたしております。むしろそういうことになりまして、組合といたしましても私は決してこの法案のために不利な状態に陥ったと考えていないのであります。
  47. 佐々木秀世

    佐々木委員長 藤田参考人に申し上げますが、時間が参りましたので結論に入っていただきたいと思います。
  48. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 ただい電気事業組合のことを申しましたが、一言炭労の方も申し上げますと、炭労も先ほどの御発言で非常に一方的な法案だと言われましたけれども、これが果して一方的に処理されておるかと申しますと、そのつど成功いたしております。これは私が申し上げるのでなくて、総評が秋季攻勢あるいは春季攻勢のあとで、本年は非常に成功したということを発表されておるので間違いのないところだと考えます。要するにこの法案によりまして一方的に弾圧されて片手落ちになったということはごうもない、かように確信をいたしておる次第であります。  従いましてただいま取り上げました二点、制定当時の一般情勢がどうなっておるか、あるいはその後三年間に労使関係の問題の処理がどうなっておるか、こういう二点から申しまして、これは引き続いて存続をいたして何ら支障ない、むしろ絶対存続をしていただきたい、かように考えます。
  49. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に小川参考人にお願い申し上げます。
  50. 小川照男

    ○小川参考人 日本電気産業労働組合の小川照男でございます。電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法規制に関する法律附則第二項の規定により、同法を存続させるについて、国会議決を求めるの件につきまして、私の意見を求められておりますので、参考人として以下意見を申し上げたいと思います。  まず結論から申し上げますと、本法を存続させることについての決議をなさることについては反対でございます。私どもは本法が最初、昭和二十八年の国会に出されました当時から、先ほどからいろいろな方がおっしゃったように、本法は憲法第二十八条の労働者に与えられた基本的権利を侵害するものである、そして憲法にいうところの、賛成論者がおっしゃる公共福祉ということを乱用した解釈といいますか、そういうものに基いて労使の対等の立場を資本の側に一方的に有利にするところの悪法である、こういうふうに主張して参ったのであります。このような基本的議論はいろいろなところで行われておりますので、私はこの問題につきましては省略いたしまして、電気産業に働いている労働者として具体的な問題について、二、三点につきまして反対をいたしたいと思います。  まず反対理由を簡単に申し上げまして、あとでそれぞれについての内容の御説明をいたしたいと思います。  まず、本法が制定された当時、それからその過程においての、国会その他での論議の中で論議されたときの本法立論の根拠が不明であるし、非常に薄れておるという点を指摘をいたしたいと思います。それから第二番目に、本法律を今国会でお出しになったときに労働大臣の御説明の中で、健全な労働慣行の確立ということを言われておりますけれども、本法は健全な労働慣行の確立を阻害するものである、こういう意味で反対をいたしたいと思います。第三点といたしまして、この法律労使の力の均衡を失わしめる法律である。いわゆる労働者を圧迫する法律であるという点を指摘いたしたいと思います。第四点といたしましては、この法律が施行された結果、電気労働者は労働条件が非常に下っておる。そういう点から第三点を裏づける論議といたしまして申し上げたいと思います。  まず第一点から申し上げますと、この法律が出されましたときの小坂労働大臣であったと記憶いたしておりますが、委員会での御答弁なり御説明の趣旨の中で、炭労の場合でも、電気産業の場合でも、今までの法律でもやっていけないことを、いろいろ不明確であるのでここではっきりさすのだ、これが本法律なんだ。別にある権利を剥奪するのではない、だから弾圧ではないのだ。当然やっていけないことをここで明らかにするのだ、こういう御説明がございました。電気事業におきましては、御存じのように昭和二十一年から取り来たっておりました停電ないしは電源ストライキ行為につきましていろいろ刑事問題が起きております。先ほど向井参考人が申し上げましたように、現在までのところ二十五件事件が起きております。これもまた先ほど御説明申し上げましたように、ほとんどが無罪となっております。当時はまだ無罪の点がはっきり確定したという判例がきわめて少うございました。ごく最近の労働省から出ております週刊労働に、いわゆる延長賛成の立場からお書きになっておると思いますけれども、私どもの行なわれておる裁判で有罪になっておるという御主張がございました。確かに地裁段階ではまだ若干有罪になっておるところも一、二ございます。しかしながらほとんどのものは無罪になっております。特に停電ストライキにつきましては、神奈川で起りました事件で、昨年の六月であったと思いますが、東京の最高裁で無罪の判決を受けております。この内容につきましては、御必要があれば本委員会でも御調査を願いたいと思っております。これは決して先ほど藤田参考人がおっしゃったような内容で無罪になってはおりません。しかも高裁の判決は検事側が上告を放棄いたしまして、確定判決になっております。あの当時違法であるものといわれた単純な停電、いわゆるスイッチ・オフのストライキでありますが、これが日本の法の建前からいきますと、最終的に合法であるという決定が出されております。また昭和二十七年に新潟県の大谷川というところで起きた事件につきましても、これは厳密に申しますと、まだ審理中でございますけれども、本年の九月でございましたか、東京高裁で全員無罪になっております。そこで有罪になっておる部面、あるいは本質的に電産の事件でいわゆる被疑事件として刑事事件になった理由でありますが、この理由が、電気を切った、いわゆるスイッチ・オフをやった、あるいは発電所におけるところの労務を提供しないというストライキをやった、このことが違法であるという起訴を受けたことは一件もございません。ただ起訴の理由になっておりますのは、私どもがストライキ、スイッチ・オフをやり、あるいは職場の放棄をやった状態を確保するためにピケットをしく、そうして会社側から運転をしたいという形で俗にいうスキャップが入ってくる。このスキャップとピケットのせり合いになって、会社が業務を行おうとするのを威力をもって妨害をしたのだ。こういう形でいわゆるこの威力の問題が問題になっております。現在地裁で有罪になっておって高裁にあがっておる分でも、この威力の、いわゆるピケット・ラインにおける問題が問題点であって、スイッチを切ったことがいけないのだ、こういう形の起訴にはなっておりません。くどく申し上げましたが、以上のようにあの当時論議をされました、特に主管大臣から弾圧法規でなくて、今まで悪いものを整理するのだ、こういうふうな立法のいわゆる基本的な考え方が次々に日本の司法府において事実をもってくつがえされておる、こういう状態の中でその基礎を失った法律がそのまままた何らかの形で生きていくというようなことは、どうしても法治国である日本国民全般としても納得のいかないことじゃないか。いろいろ言われるように、これは存続することがいいとか悪いとかいうことは別といたしましても、そういう法の建前からいっても無理なんじゃないか、やはり時期を改めて再検討すべきではないかというふうに思っております。またこの法律につきまして、先日の当委員会で労働省当局かあるいは労働大臣であったか、あの制定当時に本会議なりあるいは委員会あたりで担当者が答弁をされたことよりは違った解釈のことがいろいろ言われておるということを聞き及んでおります。これは私場所についてはおそらく記録にあると思いますが、これが制定されますときに、時の犬養法務大臣であったと思いますが、たしか参議院の商工委員会ではなかったかと思いますが、そのようないわゆる間接的な障害についてはこれを適用する考えはない、こういうことをはっきりおっしゃっておいでになると記憶いたしております。しかしながら二、三日前の当委員会では、そのようなことがやはり適用されるのだとか、この法規に違反した事実があるのだというような形で御説明があったやに承わっております。そのように条文は非常に簡単でありまして、この法律のねらっておる目的というものは非常にあやふやであり、あいまいであるということが言えるのじゃないか。少くとも電気事業という事業の労使の問題のあり方をいろいろな意味できめるといいますか、考えるにしては、あまりにもあやふやな法律ではないかというふうに考えられます。これはこの法律制定される当時からそのような議論が非常にされておったのではないかというふうに記憶しております。時間がありませんので第一の点につきましては以上で終りたいと思います。  それから第二の点でございますが、これは今回出されました議決案の大臣の御説明の中にも、健全な労使関係を確立するためにやるのだというふうにおっしゃって、速記録に出ておるようでございますが、先ほどの参考人も申し上げましたように、労使の健全な慣行の確立というものを何かで規制してやる、端的に申し上げるならば、いわゆるこのストライキをやることがいいとか悪いとかいうことは別といたしまして、少くとも片方基本的に持っておる権利——ある二人の人か何かの力比べをやるといいますか、二人の人が交渉ごとをやるときに、片一方の人間の片足なり両足なりを縛っておいて、一つこれで何とか二人の相撲なら相撲をとるいいルールをきめなさい、 こういうルールのきめ方はおそらくむずかしいと思います。相撲の土俵をきめるにいたしましても、二人の両手両足を束縛されない形で何尺の土俵がよろしいと、こういうことをだんだん経験の中からきめていく。相撲の土俵は十三尺からこのごろ十六尺になったようでありますが、これはとる人たちなり行司なりお客さんなりが見ておって、この程度がよろしいということが長年月の間にきまったのではないか、最初から十三尺が十六尺になったのではなしに、十五尺になりまた一尺延びたということも聞いておりますが、少くとも労働問題、いろいろ問題があったと思いますが、長いといいながら労働運動という大きな社会的な現象というものは——日本でも歴史としては長い歴史を持っておりますけれども、一応大きく取り上げられて全国民関心になった時期というものはまだ十年であります。この十年間のただ単なる事象をとらえて、一つの何というか、先ほど申し上げましたような片一方を縛って健全な慣行を作りなさいというようなことは、とうてい不可能なことである。もしその中で一つの慣行ができたとしたならば、あるいは片一方の方には都合がいいかもしれませんが、きわめてちんばな慣行ができるのではないかという心配をいたしております。
  51. 佐々木秀世

    佐々木委員長 小川参考人に申し上げます。時間が参りましたので結論に入っていただきたいと思います。
  52. 小川照男

    ○小川参考人 それでは省略いたしまして、簡単にあとを申し上げたいと思います。この法律の結果いろいろのことを言われておりますけれども、今申し上げましたように、片方が持っている権利を少くとも束縛されたということは事実であります。そうしておいて労使の均衡が破れていないという議論は、私どもにはどうしてもわからない。いわゆる労働者側が持っている権利を使うことかいいとか悪いとか——先ほどからも停電をすることはだれもいいとは言っていないということがありましたが、いいと言っていないということは何かといいますと、一般の社会でいわゆる悪ということではないと思います。ただ困るということだと思います。悪であるならば、これは刑法上の問題ということになると思います。少くとも悪ではない。そういうものについてこういう形で制限をされますと、だれが考えても片方が不利だ。これを労使の均衡が破れてないという御論議をされる方の言い分なり理屈が私どもとしてはわからない。結果的に、あるいは一事象をとらえては、そのときはある問題が五分々々ということは言えるかもしれません。しかしながら長い目で見れば、どうしても片方が束縛されている。このことは労使の均衡を破っているというふうに断言してもいいと思います。そこでその労使の均衡を破っている実例といたしまして、若干述べてみたいと思います。
  53. 佐々木秀世

    佐々木委員長 参考人に申し上げますが、もうだいぶ時間が長くなっておりますので、あとは質疑に応じて述べていただくということでいかがでしょうか。
  54. 小川照男

    ○小川参考人 それではそういたします。
  55. 佐々木秀世

    佐々木委員長 以上でただいま御出席の参考人の諸君の陳述は終りました。参考人の諸君に対する質疑は午後に譲ることといたしまして、午後二時半まで休憩いたします。    午後一時十六分休憩      ————◇—————    午後二時五十五分開議
  56. 佐々木秀世

    佐々木委員長 休憩前に引き続き会議を再開いたします。  午前中に引き続き参考人方々より意見の聴取を行いたいと存じます。  新たに御出席下さいました参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。時間の都合上意見をお述べ願う時間はお一人十五分程度といたしますが、意見をお述べ願ったあとで委員諸君から質疑があると思われますから、その際お答え願いたいと存じます。なお念のため申し上げておきますが、参考人方々発言なさいます際は、委員長の許可を得て意見を述べていただき、発言の内容につきましては、意見を聞こうとする問題の範囲を越えないように願います。また委員参考人方々質疑をすることができますが、参考人委員質疑をすることはで一きません。  以上お含みおき下さいまして、それでは参考人の御発言を願います。北岡参考人
  57. 北岡寿逸

    ○北岡参考人 国学院大学教授北岡でございます。今までに多くの人の意見の開陳がございましたし、時間が制限されておりますから、私は重複を避けて要点だけをお話し申し上げます。  本法で禁止しておりまする停電スト及び炭鉱保安要員の引き揚げといったようなものは、私の寡聞の範囲におきましては、いずれの国におきましても法律でこれを禁止しているかもしくは社会の良識、労働組合の良識をもってこれを抑制しておるのでございまして、今ごろこういうストを合法化しようかどうかといったようなことを問題にしておる国はあまりないと思うのであります。私は先年アメリカに参りましたときに、アメリカの労働省でこういうストを禁止する法律がないかどうかと聞きましたところが、ないと言う。なぜかと聞きましたら、社会的事実がないのにこれを禁止する法律は必要ないじゃないかと笑われた。私はなおも愚問を繰り返しましてそれならもしそんなことがあったらどうするのかと聞きましたところが、そんな停電ストとか炭坑を水浸しにするようなことがあれば、二十四時間以内にそれを禁止する法律ができるだろうと言って笑ったのであります。それからさらに私は、公共事業の労働組合全国の連合がマジソンにございますが、そこの書記長のマイヤー氏にこの法制を聞いた、そうしたらマイヤーはこれについては各州の立法は区々であるが、しかし州の法律規定しなくとも労働組合の規約、コンスチチューション、もしくは団体協定においてこの種の労働争議をやらぬと規定しておるところが多いというのであります。それを聞きますとそんなばかなストをやると民衆の激高に触れて、労働組合はつぶされる。だからこんなものは自分で押えるか、押えるまでもなくやるんだ、こういうお話でありました。私はわが国におきましてもこの種のストというものは、労働組合の良識として当然抑制すべきものであると思うのでございますが、不幸にしまして、わが国はそういうことが現に行われた。また行われる趨勢にあるから、こういう法律が必要になったのだと思う。また私は元来この種のストは、こういう法規がなくたってこれは違法である、許されないものであるという考えを持っておるのですが、不幸にしまして日本の学界並びに裁判界におきましては、必ずしもそうじゃないと思う。このスト規制法がなければ、この種のストは合法であるという見解があったものですから、それでこの法律ができたものだろうと思う。ただこの法律を三年の時限立法にしましたのは、その間には労働組合が健全化しまして、こんなことは問題にならないようになるかと思ったのでございまましょうが、不幸にしてそこまでに発達しなくて、今もしこの法律を廃止しますと、現在の情勢におきましてはこの種のストが当然合法化されまして、大規模に現実にストが行われるかどうかは別としまして、社会はその脅威を受けると思うのであります。  そこで私の考えをこの二つに分けて別々に申し上げますと、第一に停電ストというものは、社会の動脈であり血液である電力の供給を、少数の労働者もしくは労働組合の幹部の取引の手段に使わせようというものでありまして、法益の均衡を失する。少数の、十万そこそこの労働組合の取引のために、場合によりましては、全国民に迷惑をかけるようなことをやらせようというのでありますから、それは法益の均衡という点から申しましてもいけませんし、また元来このストというものは、労務の提供を拒むということがストの本質でございますが、停電ストというものは単に労務を提供しないということだけでは行われない。スイッチを切るという積極的の動作が要りますし、のみならず、そういう場合におきましては、通常非組合員つまり会社の職員がスイッチを入れようとしますと、組合はこの職員側のスイッチを入れる行為を防止しなければならぬ。今までのを見ましても、おおむねスクラムを組んで、さらにからだに触れまして、これが日本語の暴力という言葉に当るかどうかしれませんが、英語で言えばフィジカル・フォースを使って、職員つまり非組合員がスイッチを入れることを妨害するのですから、これは明白な業務妨害行為であると私は思うのでありますが、この点につきまして日本の学説、判例は必ずしもそういう解釈をとっていない。それからまた停電ストというものは公益事業会の第八十五条ですか、これにおいても禁止しておる。そこで私の見解では、本法がなくても停電ストというものは不法行為と思っておる。しかしながら従来の判例並びにその後の判例は、労組法第一条第二項を1私はこれは間違った援用だと思いますが、これを援用しまして、停電ストというものが許されるということをいっておる判例がむしろ多いのでございます。これは私は本法制定当時より以上に一そう本法の必要が加わっておると思います。  次に炭鉱保安要員の引き揚げストを見ましても、これは炭鉱を破壊するものでございます。職場を失う行為でございますから、こういうものはストの観念には入らない。ストは、決して仕事をしないというのではなくて、よりよい労働条件で仕事をしたいというのですから、事業主の資産もしくは国家の資源を失うのみならず、労働者の職場を破壊するようなことはストの観念に入らない。これは自殺行為であって、事業主の資産もこわしますから、いわば無理心中といったような行為であろうと思います。自分も死に、相手も殺すという無理心中といったようなことは、これは経済取引の観念には入らぬと思います。その上にまた鉱山保安法におきましては、これを禁止しておる。にもかかわらず、この点につきましてもはっきりした判例はございませんが、ある程度において、この保安要員ストも違法ではないといったような判例がございますので、本法を必要としておるのであります。けさから聞いていますと、後藤さんなどの発言にありましたように、その後の判例は、むしろこういうふうなことを、ことに停電ストにつきまして是認するような傾向が一そう強くなっていますので、この法律を廃止しますと、明らかにこの種のストが合法化されると思います。合法化されますと、しからば大規模にストが行われるかどうか、これはもとより何とも言えません。これはもっと国民の良識に信頼したい、労働組合の良識に信頼したいのでございますが、ともかく停電スト、炭坑保安要員の引き揚げのストをもって国民生活並びに国家産業が脅かされるということだけは、われわれははっきりと予見してかからなければならぬと思うのであります。本法の廃止論者は、いろいろなことを言っておられますが、私は労働組合の諸君が本法の廃止を強く主張しておられるということは、私から言わせれば、労働組合はどうも本法を悪用しようという下心があるんじゃないかと思われるのでございますから、私はその点からいって本法の必要が非常に大きいと思うのであります。労働組合はこれによって大きく取引の効果がふえるのでありますから、一応これは理屈があると思いますが、全国民の利害を代表すべき政党の方がこれを支持されるのはどうかと私は思うのであります。実際問題といたしましては、電気をとめたり、炭坑を水浸しにするということは、ほっておけるものではありませんから、これに対しましては、使用者は譲歩に次ぐに譲歩をもってしなければならぬ。その結果賃金は上っていくのであります。これは労働組合のねらいでありましょうが、賃金の値上げはもとよりけっこうでありまして賃金は高い方がよいのであります。それはもっともでありますが、しかしながら、こういう事業主も抵抗できないような強い力をもって要求されますと、バランスを失した賃金の値上げが行われる。また生産性の増加を伴わない賃金の値上げが行われまして、これは国民経済に悪い影響を与えると思います。ことにわが国の労働組合の大部分の人は、生産性向上運動に対しましてあまり協力的ではございませんから、こういう強い武器を与えますと、生産性の向上を伴わない賃金値上げが行われまして、電気とか石炭というような日本の基幹産業の料金もしくは物価が上るということは、わが国の輸出工業にも大きな影響を与えまして、日本国民経済が危殆に瀕するだろうと思うのであります。この点から申しましても、私は本法は廃止してはならないと思うのであります。  なおもう一つおそろしいことは、この停電ストとか炭坑水浸しストとかいうような非常に強力な、抵抗できない武器が政治的に利用されたらどうなるか。これは今そのおそれがあるというわけではありませんが、想像でありますが、たとえば電気炭鉱が国家の補助を要求してストをする。そうしてその財源としては、たとえば国防費であるとか自衛隊が廃止されるということがいたされますと、結局これは実際上は政治ストになりますが、一応形式上経済ストになりますから、これは合法ということになるのでありましょうが、これに対しましては、産業使用者も同国民も抵抗する力がないのでありますから、政府はこれをいれるか、もしくは内閣がやめるよりほかには方法はなかろうと思うのであります。わが国が戦前におきまして、陸海軍大臣が武官制であったために、陸海軍の軍閥がこの官制一本を振り回しまして有害無益な軍備を拡張いたしました。のみならずそれをもって足れりとしないで、内閣をだんだんと支配いたしまして、ついに内閣が軍部にくずされてしまって、大東亜戦争というような悲惨な経験をなめたことはわれわれ忘れ得ないのでありますが、今労働組合に、この停電スト、炭坑水浸しストというものはこれは合法である、使ってよろしいということで、こういうものを与えますと、これはこの種の大組合を第二の軍部にするおそれがあると私は思います。  なおもう一つ、おそろしいことは、社会党の方々は、公労法を改正しまして国鉄にも争議権を与えよということを言っておられますが、もしこういうことになりますと、国鉄とか、電産とか、炭労とかいったような組合が非常に大きな勢力を持ってくる。もしこれを共産党が支配しますれば、日本の共産化といったことも私はできないことはないと思うのであります。そういう点を考えましても、この法律を廃止するということは、政治的、経済的に非常なおそろしい影響があるので、これはぜひ継続したいと思うのであります。
  58. 佐々木秀世

    佐々木委員長 次に有泉参考人にお願い申し上げます。
  59. 有泉亨

    ○有泉参考人 有泉でございます。私はお招きいただいて、ここでどういう意見を述べるべきかということを少し迷ったのですが、このスト規制法をそのまま延長するかどうかというのには二つの論点があって、一つは法理論であるし、一つは政策論であると思うのです。法理論はおそらく判例の趨勢などの御紹介などがあって、かなり明らかにされておるのではないかと思いましたので、実は用意したのは政策的に一体どう考えるべきかということなのでありますが、しかし今北岡先生のお話を伺っていて、どうも少し法理論もつけ加えた方がいいのではないかと考えるに至ったわけです。それはたとえば北岡先生は、停電ストというのはこういう法律がなくても違法である、こうおっしゃったのですけれども、停電ストというのは、実は概念としては正確でないのですね。たとえば電産は電源ストと言っておりますが、停電ストというのは、電気がとまるということをあれもこれも含めて何かストと言っています。ところが電源における労務供給をやめるのだ、そうするとその結果電気がとまる、こういう場合に果して労務提供の拒否以上のことがあるのか、こういうことになると問題なんです。そうして労務提供を拒否するのは、まさにストライキ基本的な部分であって、そしてそれこそ憲法が保障するものであるというのは、今その日付を引用することはできませんが、最高裁判所が非常に厳格に争議行為規定する場合でも認めているところなのです。ですから労務提供を拒否するという権利は、憲法の十八条か何かに奴隷労働を強制されることはないという保障がありまして、そこからくる問題なので、二十八条の積極的な争議権の問題ではない。それでいやならば働かなくてもいい。そのために当然直接に処罰されることはない。何か特別な立法で、国家がある人に、お前はここで働いてなければいかぬという義務づけをすることはあると思います。そういうときには、それに違反すれば違法になる。しかしそういうものがなければ、働くのはいやだといって債務履行の責任を負わされることはあるかもしれませんが、決して処罰されることはない。これが近代憲法基本的な原則だと思うのです。従ってスト規制法電気を直接とめるような争議行為をしてはいかぬと言ったのは、やはりプラスをしている。憲法の、あるいは普通の労働争議の法理以上にプラスをしている。だから、たとえば揚水口の流木を掃除するのをやめたというだけでもスト規制法に該当するのだというような、むちゃな議論が出てくると思うのです。  そこで法理論はそれくらいにしまして、この問題が論ぜられるようになってから、二、三の議論を伺っていますと、三年間何もストライキをやらなかったというふうに組合は言うわけです。その三年間何もしなかったなら、これから先もしなければ、別にこの法律を作ってもいいじゃないかというふうな議論が行われているのですが、これはどうもあげ足とりにすぎないので、ここで、一国民として皆さんにお願いしたいのは、もっと実質的な議論をしていただきたいということです。たとえば電産ストライキによって電気がとまった部分はどれぐらいだとか——これは昭和二十七年ごろにはやや電気事情も回復したらしいのですが、しかしそれでもストライキでない理由によって電気がとまった部分も相当あるわけでして、そういうものはどうなのか。それから現実に電気がとまったためにどれだけの損害が産業に及んだか、また逆に言えば、スト規制法ができたために電産の賃金ベースがどういうカーブを描いたかとか、そういう実質的な問題を取り上げて議論していただきたいように思うのです。私はそれについて一々データを持っておるわけではありませんが、そのためにかりに月千円のベースか押えられた——本来こういう単純なワーク・アウトもとめるようなこういう特別な立法ができたために、電産の賃金がどれだけ押えられたか。かりに千円としますと、ごく大ざっぱにいって十三万人ぐらいの従業員がいるらしいのですが、労働者たちの手取りは一年に五十億下げられているということになる。それと見合う何か、従来電産のストによってどれだけの損害が起きたかという、そっちの計算と見合してほしいというふうに思うのです。そういう議論をしていただきたいと思うのですが、しかし三年前にはとにかくこの法律が三年という期限付で通りました。その期限付で通ったときの世論新聞論調というようなものを見ますと、必ずしも全面的に反対というわけではなくて、ある面で支持をした。それはなぜだったろうか、こう言いますと、これはどうも少し組合の運動方針批判みたいなことになるわけですが、労調法があるにもかかわらず、電産は常にスト権を確保しようと試みた。あの問題、この問題と取り出して、いつでもストライキができるような態勢をとっていて、ストをやるぞ、ストをやるぞとこう言った。それが国民に与えた影響というものがあまりよくなかったと思うのです。また部分的な労働者のワーク・アウトによって電気はとまる、そうして賃金はみんながもらうというようなこと、そういうことがかなり影響があった。それから、これは末弘先生などは割合とはっきり一言っておられたのですが、日本の今日では、電気ストライキでとまったときた、すぐ組合しようがないなと、こういうふうに考えるのをもう一ペん反省し直して、一体どこに原因があるのだろうと、こう言うほど日本国民の意識が進んでいなかったということも原因しているのじゃないかと思うのです。そういうやり方に対する批判はあるにせよ、末弘先生なども、とにかくいざとなるとワーク・アウトをして電気がとまるかもしれないぞという、その伝家の宝刀は別にしておられた。そういうことは大事にして、いざというときに使うべきだ、小出しに使うとあまりよくないというような意見を述べておられるのです。そういう最後のいざとなればというものがあって初めて対等の交渉ができる、会社に対する圧力というよりも、一般消費者に対して不安を与えるという点が問題だったのだろうと思うのです。ですからそういう意味では現実にどれだけの一体損害がこのために起きたかということは、われわれの知りたいところなんですが、寡聞にしてその数字にしてどれだけの損失があった、こういうデータを今まで見ていないのです。  それから問題を石炭の方に移して考えますと、石炭の場合と電気の場合とは事情が非常に違う。組合保安要員を引き揚げるぞ、こういうふうに言いますが、しかしこれは私だけの考え方かもしれませんが、一体組合保安要員を引き揚げるものではないと私は思うのです。それはごく部分的には突発的にどこかの山で非常に労使関係が過激になって引き揚げるというようなことが起るかもしれませんが、しかし全国的な規模であるいは一地方的な規模で、保安要員が引き揚げられるなどということは考えられないことです。それはなぜかと言えば、山がつぶれたら組合は、労働者はどこへ帰っていくか、こういう問題なので、そこでそれはちょうど夫婦げんかでたとえてみれば、別れるつもりはないのだけれども、もう出て行きますよ、こういうふうに言うようなものなんで、そこで出て行くと法律で縛っちゃうぞ、おまわりさんを呼んで縛っちゃうぞ、こういうふうに奥さんに言ってしまったら、亭主はこれはあぐらをかいてしまって、さあ出て行くなう出て行け、こういうことになる。そこで例はあまり適切でないかもしれませんが、法律で出て行くぞということを縛るというのは、果して夫婦の間の関係を対等にし得るものだろうかということ、これは対等にはしないのではないか、こういうふうに思うのです。どうもたびたび北岡先生を引き合いに出して申しわけないのですが、北岡先生は最近読売新聞に人災はもうこりこりだ、この標題はおそらく新聞社でつけたのではないかと思いますが、とにかくそういう論文をお寄せになった。しかしあれを拝読しますと、とにかくあれはストライキはやってはいかぬ論になるのですね。おおよそストライキが起ればどこかとばっちりの迷惑が及ぶのです。それが一般の公衆に及びます。たとえば私鉄がストをやればやはり及びますし、そういう公益事業でなくても、どこかでストライキが起れば、それと取引した相手方は迷惑するわけですが、それが少し目立ってくるととめるというアイデア、どうもそういうアイデアのようにうかがえるのです。一体そういうものだろうか。ストライキ権の十分になかった今から百年くらい前のイギリスの労働条件と、それからストライキ権が労働者基本的な権利として認められてきた後のイギリスの労働者の労働条件というものを比較してみると、そんな遠くのことを言わなくたって、日本のことを考えてもそうでございます。戦前の労働者の状況と、それから戦後の労働組合がとにかくスト権を確保して対等の関係で交渉しているその状況とを比較してみれば、これはどうしても資本主義社会においてはスト権をかなり強力に労働者に認めなければ、民主主義は成り立たないということがそれらのことから明瞭にわかるのです。ちょっとでもストライキが大規模になったらとめてしまう、こういう考え方は非常におそろしい。それこそ北岡先生が言われたような、どこかの独裁の、逆にそっちの方へいく心配はないか、こういうことを心配するわけです。私はここでおそらく延長についての反対論を述べろという、こいつは反対論を述べそうだということで選ばれてきたのだと思いますが、しかし、実は北岡先生が読売新聞にあれを書かれたそのすぐあとで、読売新聞から私に電話があった。そして実は北岡先生からこういう投稿があるのだが、そうしてそれは政府案を支持している、お前は一つ反対論を書いてくれないか、こういう申し入れがあったのです。しかし私はちょうど学会から帰ったばかりで、健康状態もすぐれませんし、非常に多忙だったので、これをお断わりした。お断わりするときに、反対論ならどんな学者をつかまえてきても、労働学者をつかまえてくれば、だれでも反対論を言うから、だれでもつかまえなさいと言った結果が、早稲田の野村平爾教授になった。ここで申し上げておきたいのは、別に私は一人々々確かめたわけではありませんが、労働省などでしょっちゅう利用をしていらっしゃる東大の石井照久教授とか、それから慶応の峰村教授とか、そういうふうな方でも、おそらく法理論としてスト規制法憲法違反であると言うかどうかわかりません、そうは言わないかもしれませんが、政策論としてすぐ法律組合の手を縛るということは適当かどうかとお聞きになったろ、おそらくみなそれはノーだと、こうおっしゃると思うのです。一橋の吾妻光俊教授にしてもそうでしょうし、それから先にいくともっとはっきり断言できるのですが、都立大学の沼田教授、早稲田の野村教授あるいは明治の松岡教授、おそらく委員会では賛成論を述べさせる学者をだれを探そうか、もうあまり人材がいないのじゃないかと思うのですが……。
  60. 佐々木秀世

    佐々木委員長 有泉参考人にお願い申し上げます。お願いしておりました時間がすでに切れておりますから、結論に入っていただきたいと思います。
  61. 有泉亨

    ○有泉参考人 それでは一言だけ申し上げておきます。今までの立法の考え方は、組合を未成年者扱いをされている。しかし私は組合国民としてその責任を持つべきだと思います。イギリスの労働組合というものは、相当国の行政にもタッチして責任を持った行動をしておる。組合も十分責任を持った行動をしてもらいたい。しかし責任を持ってもらうためには、未成年者扱いしていたのでは、これは責任を持ってくれということは言えない。憲法の保障する基本的な権利は十分に認めておいて、そうしてそのかわり責任ある行動をとってくれ、こういうのが近代国家における立法政策なのではないか、こう考えます。大へん失礼いたしました。
  62. 佐々木秀世

    佐々木委員長 以上で参考人よりの陳述は終りました。  これより参考人に対する質疑を行います。質疑の通告がございますので順次これを許可いたします。御質疑をなさいます際は参考人の氏名をお呼び願ってお願いしたいと思います。滝井義高君。
  63. 滝井義高

    ○滝井委員 今たくさんの参考人の方から御意見を述べていただきましたが、参考人の方の御意見の中にも、あるいはここ数日来の政府の各委員諸君の質問に対する答弁の中にも、実は公共福祉ということと社会通念という言葉と、健全なる労使間の慣行の成熟というか、こういう言葉がしょっちゅう出てくるのです。ある場合はずばりと公共福祉で質問をはね返していく、しかしある場合は行為そのものが違法なんだ、こういう言葉の使い分けが再々にわたって行われてくるのですが、どうもこの法三章的なスト規制法というものの解釈について、統一的な見解というものをなかなか把握しにくいという情勢にあるようでございます。そこで端的に、まず第一に私は藤田さんと松本さんにお尋ねしたいのですが、お二方は基本的な人権と公共福祉のいずれを重きと見るかということなんですが、これを一つ率直にお答え願いたい。
  64. 松本栄一

    ○松本参考人 基本的人権というのにもいろいろあると思いますが、私は学者ではないので、法律論を申し上げることは差し控えたいと思いますが、憲法十二条、十三条だったと思いますが、結局基本的人権といえども、公共福祉のためには制限を加えるということは、現在の社会においては常識ではないかと思います。そういうふうに私は考えております。
  65. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 基本的人権と公共福祉のどちらが大事かという御質問でございます。私はきょうの公述では、基本的人権という言葉も使いませんし、公共福祉という言葉も使っておりませんが、せっかくの御質問ですから、われわれ法律学者でない、しろうとの考えを申し上げたいと思いますが、おそらく基本的人権とおっしゃるのは、憲法二十八条の規定中心にしてお考えになったと思います。公共福祉憲法十二条、十三条の規定に基いての御質問かと思いますが、私はどちらも大事と思っております。大事と思っておりますが、基本的人権ももちろん大事でございますが、公共福祉との関連で調整をする必要があるのだ、この調整をする一つの例が、今度のスト規制法である、われわれはかく考えております。
  66. 滝井義高

    ○滝井委員 お二方は、一方の方は公共福祉に重きを置くし、一方の方は同格だ、しかしこの法律では、公共福祉という見地から、基本的人権と申しますか、労働権といいますか、その間にある程度調和をはかる必要があるということでございました。政府争議権と公益との調和といっておりますし、かつて十六国会で、小坂労働大臣公共福祉労働者の権利との調和、こういうことを申しております。政府もそう申しておりますが、おそらくこれは調和をはかるということだと考えられます。そうしますと、公共福祉労働者基本的な権利の調和をはかるということでございますが、実は政府の御説明によりますと、このスト規制法の解釈の態度は、ストをやるという、このスト規制法規制をされておるその争議行為そのものが、結果のいかんを問わずだめなんだ、いけないのだ、こういうことになっておる。ある場合には公共福祉ということが出てきますが、このスト規制法規制をされるその行為というものは、行為そのものがいけないのだ、公共福祉とは全く別だ、結果のいかんを問わずこれは違法だ、こういう形を実はとってきておるわけです。実はここに公共福祉という言葉の魔術が用いられるのです。ある場合には公共福祉という言葉を持ってきますが、だんだんこれを突き詰めていきますと、実はストをやる行為そのものが——この規制法規定されておるこの行為そのものがだめなんだということになってきておるようでありますが、藤田さんも松本さんも、そういう御見解なんですか。今藤田さんは調和をはかるということをおっしゃったのですが、政府答弁では調和も何もない、行為そのものがだめなんです。こういう点、御両氏の御見解を伺いたいと思うのです。あなた方もやはりそうお考えになっておるのかどうかという点です。
  67. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 ただいまの御質問は、行為そのものを重要視しておるのか、その生ずる結果を考えておるのかというような御質問かと思いますが、端的に申しまして、私たちの考えから申しますと、やはりそういう結果を生ずるから悪いのでございまして、また組合がこれを利用しようというのは、そういう結果を生ずるからこそ争議の効果があるのでありまして、結果が生じないものは、そういう効果がないのだろうと思います。私はやはりそういう行為をやった結果、そういう結果が出るからいけないのだ、かように考えております。
  68. 滝井義高

    ○滝井委員 そうしますと、その結果というのは、公共福祉に反する結果でなくってもいいという結果なんですか。公共福祉に反する結果だけを言うわけなんですか。そこの結果が大事なんですが……。
  69. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 電気がとまるということは、公共福祉に反すると考えております。
  70. 滝井義高

    ○滝井委員 そうしますと、非常に小さな範囲でとまってもそれはいけない、とにかく電気がとまるということ、そのこと自体がいけない、こういうことになれば、結果のいかんにかかわらぬことになるわけです。電気がとまるということの結果が非常に広範囲にわたってとまる場合と、きわめて局部的に、小さな部分にしかとまらない場合があるわけです。だから労働省の見解は、結果のいかんを問わないと、こういう見解の上にあるようです。あなたの御見解も電気がとまれば結果のいかんを問わないと、こういうことになるのでしょうか。
  71. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 これは電気のとまる範囲の問題と、質の問題と、二つあると思います。非常に範囲の広い場合はもちろんいけませんし、非常に範囲が狭くても非常に重要なる結果を生ずるようなものであれば、たとえば手術をしておる最中にとまる、あるいは特別のばい菌を養成しておる場合にとまる、これは非常に重大な結果を生じますので、そういう場合はとにかくそういう結果を生じてはいけないということになるのでございますが、ただそういたしますと、そういうものだけをより分けて、こういう停電ストはこういう結果になり、こういう電源ストはこういう結果になるということを分類するということになりましょうが、これは事実上不可能であります。従ってそういう広範な範囲になっても困るし、また範囲が小さくても重大な結果を生ずる場合がありますから、実際問題といたしましては、停電ストはやめてもらわなければならぬ、こういうことになるだろうと思います。
  72. 滝井義高

    ○滝井委員 どうもあまり端的にお割り切りになった今の結論からいうと、行為のいかんを問わないということになるようでありますが、そうしますと、実は今藤田さんから停電の範囲と質の問題が分析的にあげられたのです。私は判例というものは、そこに結局無罪や免訴になった結論が出てきておるのではないかと思います。われわれは法治国でございますから、三権分立の精神からいえば、司法権が決定するものはやはり大事なことだと思います。これには経営者であろうと、労働者であろうと、一応従わなければならぬことになってくるわけです。そうしますと、範囲と質ということを考えれば、結果のいかんを問わないということになってくるような感じがするのです。たとえば手術をしていない、大事な細菌の培養をしていないような、きわめて軽い、われわれが社会通念で考えて——いわゆる社会通念ということか出るでしょうが、常識的に考えて、それが公共福祉に反しないと、こういうことならば、たとえば電源ストのようなものはそういう公共福祉に反しない場合があり得ると思うのです。そういう場合はどうも公共福祉では当てはめられないことになってくる。そうすると、その場合は政府行為そのものが悪いと、今度はこういう言葉の魔術を使ってくるのです。この点はこれ以上突っ込みますまい。今あなたから範囲と質の問題を述べていただきましたから、それでいいと思います。  次にお尋ねしたい点は、さいぜん読売新聞のことが出たので恐縮でございますが、実は読売新聞の三十一年十一月二十一日の「気流」というところに、早稲田大学の中野実さんという方が、これは投書だと思うのですが書いております。この中野さんは、スト規制法は延長すべしという賛成論者なんです。ところが、その投書の結論的なところにこういうことが書いてあります。「現在、私の知る限りにおいては石炭鉱業労使関係ははなはだ憂慮すべき状態にあると思う。労使ともどんな手段ででも勝った方が得であるといった考えで、お互いに目前の利益を守るための戦術の研究に終始している。このような状態の続く限り石炭資源を確保するためにはスト規制法存続するほか方法がない。」こう書いてあります。労働者側が非常に強硬で、そういう戦術を用いておるということは、すでにさいぜんの石炭協会の松本さんのお言葉で聞いたわけです。そこでこの存続すべしという賛成論者の中野早大教授は、石炭鉱業に関しては自分は相当の見識を持っておるということを自分で前に書いておるのですが、今松本さんの御見解では、労働者側がだめなんだ、すでに再々にわたって保安要員の引き揚げの決定をしたし、どうも信用ならぬというような意味の意見を述べておられますが、よく石炭鉱業のことを知っておるという中野さんは、資本家もどうも手段を選ばずやっておるということを書いておるのです。その点、石炭経営者協議会の常務さんでございますのでおわかりだろうと思うのですが、何かそういう事実があるのですか、手段を選ばないストの戦術でも経営者がお用いになることがあるのでしょうか。
  73. 松本栄一

    ○松本参考人 それは私が書いたのでないので、どういう点をあげておるのかわかりませんけれども、石炭経営者はいまだかつてそういうことをやった覚えはないと思います。
  74. 佐々木秀世

    佐々木委員長 滝井君に申し上げますが、お約束の時間が大分過ぎておりますから、一つ質問をなるべく簡単に……。
  75. 滝井義高

    ○滝井委員 わかりました。そういう覚えはないということでございますが、この法律を見ますと二条には電気事業の事業主という言葉があり、そのあとに電気事業に従事する者と、事業主が必ず上についている。また三条には石炭鉱業の事業主と、こう事業主がついておるのです。一体社会常識で、この法律の中に事業主という言葉を入れることが必要であったかどうかということなんです。何か事業主が、いわゆる電源ストとか保安要員の引き揚げに対抗するような争議行為というもので、実際に社会通念でやり得るようなものをお持ちになっておるかどうか。われわれは学生のときに「青丹よし奈良の都」という歌で、「青丹よし」というのは「奈良」のまくら言葉だったが、どうもこの事業主というのはまくら言葉のような感じがするのです。この事業主というものを入れて、初めて法は事業主と労働者の均衡を保ったのだというまくら言葉のような感じがしてならないのです。私は何か事業主の方で、いわゆる公共福祉を害するようなことをやることがあるかなといろいろ考えてみたのですが、どうもそのようなものを思いつかないのです。何か事業主の方で思いつくものがおありになるかどうか、これを一つ藤田さんにお教え願いたい。なければないでけっこうです。
  76. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 私の方に御質問がありましたから申し上げますが、これを立法されたのは政府でございまして、われわれが立法したわけではないのでよくわからないのですが、実は三年前これを立法するときに公聴会を開かれまして、私は公述人として大阪で述べましたが、そのときにこの法律は非常に一方的な法律だという意見があるけれども、経営者の方はこういうことはあってもなくてもやらないのだ、争議行為として停電スト電源スト経営者はやったことがないし、今後もやる必要がございません、経営者の方はそういうことをやったこともなし、やらないのであるから、これを組合の方がやっちゃいかぬとおきめになっても、決して不均衡にはならぬと公述をいたしております。それにもかかわらず信用がなかったのかどうか、こちらも入っておるが、それは立法者にお聞き願いたいと思います。
  77. 滝井義高

    ○滝井委員 ではどうもありがとうございました。そういうことがわかればまくら言葉ということになるわけです。  そこでこれは藤田さんと有泉先生に一ぺんに二つの点をお尋ねしたいと思います。このスト規制法が通りますと、発電、送電、配電までの一切のストライキが禁止されることになるわけですが、そうしますと残りますものは事務ストと集金ストだけだということになりますが、電気事業経営者として、たとえば国家公務員には人事院の勧告というものがあるし、公企業体には仲裁とか調停というものがあるのですが、その場合に何か経営者として、そういう一切の大事な対抗手段というものが剥奪されたら、あとはセミの抜けがらみたいになっておるのですが、そのセミの抜けがらになっておる電産なり電労の労働者諸君に安心をさせるような何か対策と申しますか、そういうものをお考えになったことがあるか、なっておればどういうことをお考えになっておるか、これを一つ。  それから有泉先生にお尋ねしたいのは、実は今度の延長の決議を求める法律が出たときに、倉石労働大臣はこの出し方には三つある、一つは延長してくれという議決を求めること、一つは延長しないでくれということ、一つ国会が延長するかしないか決定してくれ、こういう三つの仕方があるのだ、こういうことを申しましたが、私はもう一つあるような感じがする、それは政府としては存続したい、それは一年か二年の時限立法にしてくれという出し方があるような感じがするのですが、そういう第四の方法法律的に見て可能かどうか、これを一つお教え願いたいと思います。この二点だけで終ります。
  78. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 最初の、この法律を実施しますと片手落ちになって、組合はセミの抜けがらのごとくなる、そうおっしゃいましたが、これはそうならぬということを再々申しておるのでありまして、そうなっておりません。そのほかのあらゆる争議行為が残っておりますし、またその三年間に決して不利の状況にはなっていないということを申し上げます。その点をはっきり申し上げておきますことと、かりにそうなったとしても、労使間の問題の解決にどういうことを考えているかという御質問がございましたが、私はしょっちゅう申しておりますが、こういう法律があろうとなかろうと、労使間の問題の解決は労使双方の信頼が大事である、ですからお互いに対等の人格を認めて信頼心を持とう、ただしかし信頼心を持てといわれても、これはお念仏、お題目ではいけないのでありまして、真に経営者が誠心誠意をもってでき得る限りの対案を出してやっておるかどうか、信頼性を持つと同時に経営者がそういう態度にならなければいけない、こういうことを実は考えておりまして、組合にも、私はただ地方本部で交渉するだけでなしに、ひまをみましては支店、支社全部回りまして、現地の組合の幹部とも懇談いたしまして、そういう趣旨のことをるる説明しております。それは組合の方も十分その趣旨には賛成しておる。要するにそういう態勢ができましたならば、いかなる問題でも労使間で解決ができる。先ほど、今までは第三者の調停にお願いしなければ解決しなかったものが、ここ数年自主交渉で円満に解決をしておるというふうに申し上げたその背景にはそういう事実があるので、御参考までに申し上げました。
  79. 有泉亨

    ○有泉参考人 第一の、ストライキの権利を奪ったかわりに何かそれにかわるものを考えるべきかどうかという御質問だと伺ったのですが、それは憲法二十九条は所有権を保障しておりますが、その保障のあとで公共福祉のために収用することができる、しかしそれは相当の対価を払わなくちゃいかぬ、こういう規定があります。二十八条はすぐそれと隣り合せで、その規定なしの、言葉の上では無条件の保障をしております。そこで、二十八条の保障を奪うことができるかどうかに議論があるのですが、かりに百歩を譲って、それを何か具体的な権利との関係において制限をせざるを得ない、こうなった場合にも、二十九条並みのそれにかわる何かが必要じゃないか、こういうふうに私は考えております。  第二点は、これを作るときから三年という時限立法でできたのですから、ここでお出しになって二年とか三年とかという時限立法にすることはちっとも差しつかえないというふうに考えます。
  80. 佐々木秀世

    佐々木委員長 八田貞義君。
  81. 八田貞義

    ○八田委員 このいわゆるスト規制法をはさんで今国民不安がある、これは一体どういうふうな国民不安があるか、これを二つぐらいに分けて考えてみますると、二十七年、八年の部分ストに対して被害が少なかったというような意味で不起訴になっておる、従ってもしもこのスト規制法がなくなってしまうと、このスト行為というものが合法化されていろいろな心配の種を生む、こういうところに一つ理由があると思うのであります。もう一つは、社会党及び労働組合はあくまでこのスト規制法を阻止するのだ、こういうふうにいっておるわけであります。そこで、あるいは通らぬかもしれぬというような印象を政府の部内にも、あるいは国民の中にも持っている人があるのです。こういった通らぬかもしれぬというような印象がどうしてできるかと申しますと、乱闘国会の再現を暗黙の間に計算に入れて、それを予想した上のことであろうと考えられます。またきょうの産経時事にも、この阻止がもしも可能だということを予想されるならば、へたをすると乱闘戦術が議会政治の慣行となりはしないかということを書いておりまして、このスト規制法を何とか流そうとする手段から、乱闘戦術というものが議会政治の慣行となってくる、こういうふうに心配する向きがあるのであります。ここで私、有泉先生にお尋ねいたしたいのでありますが、先ほど来組合方々のお話を伺いますと、いわゆるスト規制法というのは悪法だ、反動的だ、あるいは非民主的だというふうにお話がありました。そこで悪法だといって一口に片づけてしまうような絶対的な基準があるかどうかということです。私は各人各様の主観的判断によるところの相対的なものであるというふうに考えております。この点有泉先生の学者としての立場から、悪法だといってきめつけてしまうところの絶対的基準があるかどうか、この点お伺いしたいと思います。
  82. 有泉亨

    ○有泉参考人 学問はなかなか幅が広いものでありまして、法律一つの条文の解釈でも、たとえば憲法九条というようなものの解釈でも、あの説この説というふうに対立説があります。しかし学者がある説を主張するときには、自分はそれが正しいと思って主張している、反対の見解の人はやはりそれが正しいと思って主張している、だれも正しくないと思って主張している人はないと思うのです。ですからそういう意味ではどこかに真理があるのかもしれませんけれども、人間のことですから結局いろいろ議論をしてみてどこかで説をかえるということも起きましょうし、初めから絶対的なものがあって、そして自分の見解がこれと一致するのだということを言える人というのはそう多くはないと思うのです。しかし現在まあ私に、この法律はどっちだ、こういったら、これはお延ばしにならない方がいいだろう、こう言うしかありません。それだけでよろしゅうございますか。
  83. 八田貞義

    ○八田委員 そうすると、有泉先生のお考えは、いいとか悪いとかという判定の絶対的な基準というのはないのだ、各人各様の主観的な判断によるところの相対的なものである、こういうふうに了解してよろしゅうございますか。
  84. 有泉亨

    ○有泉参考人 そう投げやりでもないのですけれども……。ですから、自分としては、ことにこういう社会問題に取っ組んだ学問というのは歴史の方向といいますか、進行する方向に沿ったもの、それが何といっても歴史に承認を得るものだろう、こういうふうに確信するわけです。しかし反対説があったときに、お前の説は誤まっておる、こう主張しますけれども、その人が反対を主張するのは何か倫理に反するとかなんとかいう、そういう評価はすべきでない、こういうふうに考えます。
  85. 八田貞義

    ○八田委員 時間が制限されておりますので、そこを突っ込んでお話ししたいのですけれども、先に質問を進めて参ります。  そこで私は、有泉先生も多分この問題についてはいろいろとお考えになっておられると思うのでありますが、国民の総意とすべての意思とは私は違うと思うのでございますが、いかがでしょうか。というのは、国民の総意というのは、公共福祉である。すべての意思というのは、組合とかあるいは特定の地域におけるところのすべての意思であって、公共福祉とは違う。私の利益を追求するものである。ですから、すべての意思国民の総意とは明らかに区別されるべきものだという論が出ておるわけでありますが、この点に対しまして有泉先生はどうお考えになりましょうか。
  86. 有泉亨

    ○有泉参考人 労働組合というのは国民の一部ですから、その組合意思国民全体の意思だということにはならない、これは非常にわかり切ったことだと思います。ただ御質問の趣旨がはっきりのみ込めないのですが、おそらく国会の審議に結びつくことかと思いますけれども、少し他事にわたってあるいは委員長からおしかりを受けるかもしれませんが、国会の多数がそのときの国民の総意を代表しているかどうかというのは、若干問題がある。だからこそ社会運動なり何かいろいろな運動があり得るのです。それから選挙の折にあらゆる細目にわたってまで国民意思を問われていないかもしれない。そこであるときの国会意思が必ずしも国民の総意と合わないかもしれないということがあり得る、こういう点は留保しておきたい。
  87. 八田貞義

    ○八田委員 今の場合について、私は公共福祉というのは自分でこういうふうに考えておるのです。先ほど滝井君から基本的人権と公共福祉との関係につきまして質問がありましたが、実はこの問題につきましても、前に労働大臣にその見解をただしたわけです。基本的人権の権利の主張は、僕は、あくまでやってもよろしい、ただ権利と権利とが衝突してはいかぬのだ、権利の主張というものは社会生活と調和のとれた主張でなければいかぬということを言っているわけです。そこで公共福祉という面と、それからすべての意思というもの、組合側の国民すべての意思であるというような言葉を私は分けていかなければならぬと思うのです。すべての意思、あるいは組合あるいは特定の地域のすべての意思という言葉と、それから国民の総意とは明らかに区別されなければならぬという考えを持っているわけです。しかもその間において公共福祉という面から考えていくならば、やはり権利と権利とが衝突しないような格好でいくのが、私は社会生活と調和のとれた権利の主張である、こういうふうに解釈いたしているのであります。  そこで健全なる労使慣行ということが盛んに言われておりますが、私は、これは一体どういうことを言うのだということに対しましては、これを一品に簡単に言うならば、経営者は所有権の上にあぐらをかいてはいけない、また労働者団結権あるいは争議権の上にあぐらをかいてはいかぬ、こういうことを言うのだろうと思うのです。そこで一体今日問題となっておるところの電気事業に携わっておるところの労働者の数はどれくらいあるか、また炭鉱労働者の数は一体どれくらいあるか、あるいは先ほど有泉教授が言われましたように、スト規制法のためにこれらの電気労働者あるいは炭鉱労働者の賃金体系にどのような影響を及ぼしたかというような具体的問題に入っていかなければならぬと思いますが、その前に一体電気労働者の数はどれくらいあるか、あるいは炭鉱労働者の数はどれくらいあるか。これは労働省の方からお答え願いたいと思います。
  88. 中西實

    ○中西政府委員 電気の従業員は大体十三万余り、炭鉱関係労働者は大体二十九万程度と承知しております。
  89. 八田貞義

    ○八田委員 こういうこまかい問題につきましてはあとでまたお聞きいたしますが、先ほど来労使の代表方々からいろいろ伺っておるのでありますが、全労の方々と総評の方々では、同じ存続反対でも、その理由が違うように私考えておるのであります。一体こういうふうに同じ労働組合といいましても、スト規制法存続反対ということについては、これは同じでありますが、しかしその理由、内容については違う。その矛盾が労働組合の中にあります。これに対しましてこの矛盾を一体どうするのだ。この矛盾をこのままにしておいて、もしも社会党の人々が政権をとった場合、この矛盾を一体どうするのだ。そういうような心配を抱くのでありますが、スト規制法によって労使間の不均衡が起ったといいますが、あるいは起るのだというふうにいわれますが、一体どういうことを具体的にさしておられるか。これを労働者の方の重枝さんと小川さんにちょっとお伺いしたいと思います。
  90. 重枝琢己

    ○重枝参考人 いかなる不利が起ったかということでありますが、これは幸いにして労働組合の組織が非常に強くなってきておりますから、それによって目に見えて不利が具体的な事実として起ったということはなかろうと思います。しかしそれだから差しつかえないじゃないかという議論にはならないと思います。というのは、たとえば賃金が低い高いという議論をする場合に組合の方は低いという、経営者の方は高いという場合、何年間論争をしてけっこう労働者生活をしておるじゃないか、こういうようなことで賃金が低くないということを論証しようとするのと似ていると思うのです。労働組合はあらゆる方法を考えて、労働組合の団結の力で目的の達成のために努力をしていきますから、もちろんいろいろな方式を考えて、われわれの条件が不利にならないように戦っていきたい。そういう結果が先ほどいったようなことになっておると思うのです。しかしこれが悪用されようとするケースはいろいろ具体的にもあろうし、またそういう危険は非常に多いと思います。具体的なケースは、これは炭労などでも相当あろうと思いますが、先ほどちょっと申しましたように、保安の確保といっても各炭鉱において、あるいは一つの炭坑においても時々刻々変ってきますから、どれだけの保安要員を出して、どの程度保安の確保をやればいいかということは、これはなかなか判定のむずかしいところであろう。その場合に経営者の都合のいいような形で、ここのところには出してもらわなければならぬ、ここには出してもらわなければならぬ、そういうような意見がしばしば出てくるわけです。特に重要な施設の保持という点については公共福祉を守るというようなことよりも、自分の会社の財産、個人の財産、そういうようなものを守るという意味に悪用して、保安要員の差し出しというようなことでトラブルを起しておるというような点がいろいろあろうかと思います。
  91. 小川照男

    ○小川参考人 御質問が一般論のようでありますから、まず一般的に、あるいは若干私どもの立っております立場の中で具体的な例を引きながらお答えをいたしたいと思います。御質問はそういうことがあるか、こういわれるのだと思いますが、私は先ほど意見を申し上げるときに具体的なものがあるということで、途中で実はやめさせられまして具体的な例をあげることができませんでしたので、この機会にあげたいと思います。  先ほどから言われております社会通念といいますか、常識的に考えて労働者使用者と交渉する場合に本来持っておる権利、いわゆるこれだけを金を上げてくれなければ働きませんぞと言えない立場にある。とにかく働くだけ働かなければならぬ、こういうことにストライキ規制法はなっておると思います。そういうところから考えても、一つ言い分といいますか、しかも会社側の痛い点がこれによって梗塞されておる。このことで結果的に、かりに現在のところ、あるいはこのスト規制法が二十八年にできてから二十九年のこの半年間には何もなかったかもしれない、二年間あるいは三年間何もなかったかもしれないけれども、たといなかったにしてもだんだんと蓄積されていく、そういうものの、先ほどどなたかおっしゃいましたが、セミの抜けがら的な力の関係、これでは当然不均衡が起る、というよりも、むしろ起きない方が不思議じゃないか、起きないと言われるならば起きない方が不思議じゃないかというふうに、私どもとしては一般的に考えざるを得ないのではないか。  そこで具体的にそれを申し上げますと、私どもの職場ではいろいろ言われておりますけれども、きわめてこまかい例を申し上げますと、いわゆる会社の経費を節約するために時間外の節約ということを会社の経営から言ってきて、職場の末端の使用者には時間外の割当をする、この職場では何%以上の時間外を出してはいかぬと言う。組合がこういうストライキの裏づけを持ったところの強力な団体交渉ができるような状態のときであるならば、そのようなことをたとい言われてきても、当然時間外が必要なときにはやる、必要でないときにはやらないということがはっきりしておりました。ところがだんだん、このごろはそういうことをさせてはいないと言われるかもしれないが、会社の首脳者からはそういうことをさせろということの指示は来ないけれども、末端の職場の長は上から言われるとやむを得ずに制限をするから、今度は組合の力が弱いときには、労働者個々は仕方なしに、たとえば自分の仕事ができないから自宅に持って帰って仕事をする、そうして時間外の賃金はもらわずに実際の仕事をしてきている、こういう現象が私ども電気労働者の職場ではあちらこちらに起っております。このことはやはり電気労働者がこの交渉権の力の裏づけを失っておるという事実を裏書きするものだと思います。  それから具体的な労働条件につきましておし上げてみたいと思います。まず分けまして労働協約の面、この中に具体的な労働条件がございます、それから賃金と退職金と三つに分けますが、労働協約について申し上げますと、電産では昭和二十八年九月、これはスト規制法が七月に成立したのですが、いわゆる電気労働者の組織と、経営者の組織とで持っておった統一の労働協約がございましたが、この統一労働協約を結ぶことが結局九月以降できませんでした。それからその後各個協約になったのですが、この各個協約の中でいわゆる平和条項が挿入されました。これはいろいろ、平和条項を挿入した方がいいとか悪いとかいう意見はありますが、少くともそのときの組合としては平和条項を入れることには非常に反対でありました、ところがこれが挿入された。この平和条項には三点ばかりございますけれども、こまかくなりますから省略をいたします。それから経営協議会というのが御存じのように協約の中にあるのでございますが、この経営協議会の中の付議事項、いわゆる労使が経営協議会の場で物事を決定していくという事項の中から、以前の協約では相当経営の核心に触れるといいますか、たとえていいますと、会社の予算なり決算なり、こういうものもやはり経営協議会の議に一応付せられておりました。ところがこういうものは会社の経営権であるという主張は従来からございましたけれども、その主張が少くともこういう裏づけがなくなった状態の中で会社に有利になって、いわゆる付議事項からそういうものがはずされておった、こういうことがございます。それから一、二段階になっておりますが、全国的に会社が九つありますから、みながみなこの通りの数字ではございませんが、以前はいわゆる時間外の賃率というものが千分の七・六であった時期がございますけれども、現在において最低は千分の六・九、基準法のぎりぎりの賃率になっております。そういう賃率まで下げられてきた。それから特にひどいところといいますか、四国電力でありますが、ここでは労働協約の中に労働組合に専従する役員の任期を二カ年間にする、二カ年以上は続けない、こういうことまで入れておる。これは労働組合自体がきめることを、協約の中で会社側に約束する、こういうこともあります。それから労働組合法の六条であったと思いますが、いわゆる団体交渉の委任権があるわけなんですが、第三者に団体交渉を委任しないという条項が協約の中に入っておる。このように日本法律でも定められておるものを協約の中でまた狭められておるという、こういうような実態がございます。こまかい問題は省略いたします。  それから賃金の問題でございますが、これについて申し上げますと、まず以前から労使の間に非常に問題になっておりました、俗に電産型賃金といわれておりましたいわゆる生活給を主体とした賃金、これはいろいろ御議論があるところだと思いますが、これがいいか悪いかは別といたしまして、少くとも労働者側としては私どもの体系を守っていきたいという非常な強い意欲を持っておりましたけれども、あの二十八年以降若干違った段階で、全国一律ではございませんけれども、職階級的な職務評価、人事考課という形に変えられた賃金に大多数の会社がすでに変更になっております。それが元の電産の賃金の形でございますと、年年黙っておっても年令加給だとか勤続給だとかいう形で、会社によって少し違いますが、百五、六十円から二百円程度の自然増加、一年たって年令が一つふえれば幾ら、こういうふうに増加することになっておりましたが、これがそういう形の中でなくなってきた。あとは賃金のベース・アップの問題でございますが、これは数字的に相当ややこしいし、全国的に非常にばらばらになっておりますので、今ここに私資料を持っておりませんから、もし御必要であれば後に提出をいたしたいと思います。  それからいろいろございますけれども、ここでもう一つ申し上げたいことは、電気事業の総支出と申しますか、総経費の中に占める人件費の割合の問題であります。大体この数字はあるいは統計とは少し違うかもしれませんが、大まかに申し上げますと、昭和二十三年当時、これはスト規制法ができるよりうんと前でありますが、この当時が大体四八から五〇というパーセンテージを占めておりました。それが昭和二十七年当時、ちょうどあの大ストライキの当時と、二十八年のスト規制法ができる当時、この当時に大体二三、四%というように、非常に下っておるわけです。それから昭和三十一年の現在、大まかに申し上げまして大体二〇%前後、こういう形に下ってきております。  以上概括的に不均衡になった結果条件が下ってきたということを申し上げまして、こまかい点は省略をいたします。
  92. 佐々木秀世

    佐々木委員長 八田君に申し上げますが、時間が過ぎておりますから、結論に入って下さい。
  93. 八田貞義

    ○八田委員 そこでただいまいろいろお話を伺ったのでありますが、スト規制法によって賃金体系とかあるいはほかの産業に比べて賃金の推移が悪い方に向いているのだというようなことで、私の質問に対するお答えにはちょっとほど遠いというふうに考えるわけであります。もちろんこの問題につきまして、電気産業とかあるいは石炭鉱業の賃金の体系をほかの産業の体系とこまかく比較いたしまして、そうしてその賃金の推移というものを見ていかなければならぬと思うのであります。これについては時間がないから省略さしていただきますが、一般論としてもう一つ伺っておきたいことは、スト規制法というのは、先ほど、事業主はまくら言葉であって、実際は労働者に対するだけの争議権に対する規制だ、こういうふうに言われたような感じを私は受け取ったのであります。ところがこれに対しまして経営者側の方は何らの規制を受けていない。こういう印象が与えられておるわけです。経営者側の方はちっとも規制を受けていない、ところが労働者に対するところの争議権に対しては規制を加えておる。ここに不均衡があるじゃないか、こういう意見が出ておるわけです。そこで私は経営者に対する規制は、鉱山保安法とか公益事業会によって十分に規制が加えられていると解釈いたしておるのでありますが、これに対しましてただいまお答え願った御両所から、一つお答え願いたいと思うのであります。
  94. 小川照男

    ○小川参考人 公益事業会、鉱山保安法、その他は、最初に電気なら電気の事業というものを営むときに、電気事業というものが社会的に成り立つための一つの要素としてでき上って、その上に電気事業が成り立っておる。それからこのストライキ規制法というものは、いわゆる労働者と資本家が物事を条件その他で話し合う場においての労働組合法の立場から認められておるところの労働者ストライキの権利、こういうものを規制したものでありますから、これを比較するといいますか、そういう形で比較すること自体がむずかしいといいますか、一般的にする何ではないんじゃないか。争議のことだけいいますと、使用者争議というものは生産販売をとめ、そうして販売から生ずる集金をやらない、こういうことが争議なんですが、これは会社をやっている以上はそれをやることは、むしろ会社側に損になることですからやらぬ方が当り前であって、これをまたやらぬでもいいというような、そういう規制の仕方は、ちょっとストライキの対抗手段という形の中ではあり得ないんじゃないかと考えております。
  95. 重枝琢己

    ○重枝参考人 鉱山保安法は、営利のための私企業として石炭鉱業ないしはその他の鉱業を営むということについての保安の確保をいってあるわけです。それはこの法律でいう公共福祉を擁護するという問題とは問題の次元が違うと私は思っております。そこでこの公共福祉を擁護するという次元から考えてみますならば、不均衡があるということを申し上げておるわけであります。それはなぜかと申しますと、経営者の方はなるほど石炭鉱業の事業主もそういうことをやってはならぬというふうに言っておりますけれども、私たちがこの法律公共福祉を擁護するということを悪用しておるというふうにいっておりますのは、この石炭鉱業の場合、三条の制限によって、利益を得るのは個々の石炭鉱業なんであります。石炭鉱業経営者がその利益を得る、こういうふうになっております。少くとも公共福祉を擁護するというのは直接的でなくて、私有財産というものを温存をするということを通して公共福祉を擁護するということになってきておる。そこに公共福祉に通じない程度において私有財産を保護するという意味での悪用あるいは経営者の乱用、こういうようなものが出てくるということを私たちは言っておるわけです。従ってそういう点を考えますならば、そういう私有財産の保護というようなことでなく、石炭鉱業を真に公共福祉を擁護するために経営をしたり運営をしていくという面での制約が加えられなければ片手落ちになる、こういうふうな考え方から私たちは申し上げておるわけですから、片手落ちであるという点はそこをお考え願いたいと思うのであります。
  96. 八田貞義

    ○八田委員 今の御発言でございまするが、私ちょっとその点において異論があるわけなんです。というのは今私有財産を守るのだとおっしゃいましたれけども、この施設の保護というのは私は私有財産とは思われない。資本家の私有財産というふうなお考えがあるようでありまするが、私はそういうふうに考えない。今日やはり資本家というのは一体だれかというば株主であります。株は大衆に分散されておる。ですから今日大企業におきましては、資本家と経営者とそれから労働者というものの三つから成り立っておるわけであります。そこで争議の結果、直接脅威を受けるものが社会公共であったりあるいは労使生存の基盤ともいうべき企業採算であったりすべきではないのである。ですから反社会性とかあるいは生産管理になるようなストというものは規制されなければならぬ、こういうふうに私は解釈をいたしておるわけであります。そこでこの法案がもしもなくなった場合、この場合に果してよい労使間の慣行ができていくかどうかという問題です。今日の電気労働者の間にも全労系の方と総評系の方と分れておるようであります。炭鉱労働者においてもやはり総評系と全労系とに分れておると思います。そこでもしも法律があって、そのために今までこの法律に抵触するようなスト行為がなかったからこれをこのまま存続さしてみても実害がないではないかという議論に対しましては、これは私もいろいろと考えなければならぬと思うのでありまするが、ただ問題は争議行為というものは、この規制しているのは争議を指導されるいわゆる幹部に対するところの規制であります。そこでもしも労働組合大会が開かれた場合に、このスト規制法がなくなって、合法化されたんだ、なぜ組合幹部は停電スト電源ストあるいは保安放棄をやらないのだ、こういったことが私は組合大会の空気としてはどうしても出てくると思うのです。その場合にこれを押え切れるかという問題が起って参ります。それは公共福祉と違うのだというようなことをいってみましても、組合大会はすべての意思を追及する大会であって、すべての意思すべての考えを代表して大会の空気というものは出ておるわけです。その場合に、穏健なる組合の指導者があるいは幹部の方がこれは悪いんだといって押え切ることができるかどうかということに対しては私は不安を持つのであります。むしろ穏健なる労働者、正しい労働者を守るためにこの法律はある程度まで保護の役目をしておるんじゃないか、私はそういうふうに考えるのでありまするが、これにつきましてもう一点だけ一つお伺いしておきたい。
  97. 重枝琢己

    ○重枝参考人 私は第一の問題について現在の石炭鉱業は私有財産であるということ、それから営利のために用いられているということは間違いないと思います。すべての鉱業権というものはこれは私有財産であります。施設もそうであります。営利を目的として石炭鉱業が営まれておるということは、これは何人も否定できない厳然たる事実だろうと私は思う。そういう点と関連をして、しかもそういう私企業でやっておる人たちが、自分の営利を中心にして炭鉱をやったりやめたり、規模を大きくしたり小さくしたりしておられるわけです。そういう点のいろいろな間違いとかその他によって公共福祉がいろいろ影響されておる点はたくさんあると思う。そういう点についてはちっとも規制されずに、そこに働いておる労働者スト手段としてそういうものをやるという場合に、たとえば小さい炭鉱一つとかあるいは大きな炭鉱であっても、その一つのある一部分でたとい保安放棄が行われても、それは直ちに公共福祉を阻害するということにはならないと思う。私たちはそういう意味で均衡が破れておる、そういうふうに言っておるわけであります。しかしそういう場合にも、石炭鉱業というのはわれわれ労働者からいえば自分の職場である。だからそれを守るという建前をとらなければ、われわれの労働条件の永続的な向上はできないという意味で、保安放棄というようなもので炭鉱を壊してしまうということは、労働組合としてやるべきでないという立場を私たち炭鉱としてはとっておるわけであります。全労関係ではそういう方針を支持されておるわけであります。これをいわゆる穏健だというふうに言われます。なるほどある意味では穏健かもしれません。しかし穏健だということと労働組合が弱いということは全く異質なものであるということは申し上げておきたいと思うのです。私たちはそういう職場を守る。しかし守りながらその中で自分の労働条件をよくしようという意味においてはきわめて強烈な戦いをやっている。穏健ではあるかもしれませんけれども、もっと強い労働組合をわれわれは指向しておりますし、そのために最大の努力をいたしておる。弱いからそういうことをやらないということでは決してございません。大会においてそういうことを論議いたしますと、あるいは組合員からそういう保安放棄をやるべきじゃないかという意見が出るかもしれませんが、私たちは敢然として私たちの所信を述べて、そうして組合員のほとんど大多数の賛同を得て、力強い運動を展開しておるというのが現状であるわけであります。こういうようなもので保護されておるとはちっとも考えないし、こういうものこそ最も悪法であろうと思う。これは組織のいかんを問わず、もし中央の組合幹部が観念的なことを考えて保安放棄などをほんとうに指令をいたしますならば、良識ある今日の職場労働者はその指令を克服をして、その職場を守りながら自分たちの労働条件を向上させるという正しい運動の方向に大多数が進んでいくということは、私は確信をしておりますし、それは事実であろうと思う。そういう意味で、むしろこういうような悪法を置いておくことによって労使関係に不必要なトラブルを起してくる、こういう点を私たちは考えておりますので、そういう点を十分御了承願いたいと思います。
  98. 小川照男

    ○小川参考人 ただいまの御質問の中にだいぶ御意見もありましたが、組合の穏健、不穏健ということがあるのでありますが、これは今全炭鉱の方がおっしゃった通りでありまして、この法律が出されますときの健全な組合ということも、私どもの曲解であれば幸いですが、どうもストライキをやらないことが健全なのだ、あるいは穏健なのだ、こういうふうに響くので、私どもは健全とか穏健とかいうことについてそういうふうな見方をしてないということをまず申し上げておきます。  それから大会で執行部が大衆の、スト禁がなくなったからストライキをやれということが押えられるかどうかということを穏健、不穏健の形で御質問になったのですが、私はどうもそういうときに押えるというようなことが果して組合として穏健なのか、健全なのか、それからストライキ手段というものは、やはりそのときの問題を片づける目的、内容それから会社側の態度によって大衆が判断をしてきめる、意見を出すことなのでありまして、また執行部としてもそのときの状態でやるべきかやらぬべきか、一般的にやるとかやらぬとかいうことを前もってきめるのではなくて、このときの情勢の中で、もちろんこれは公益事業でありますから、会社と組合だけの問題でなくて、社会の環境なりいろいろもろもろの条件、ここで今日こういうことが議論になったということも将来の判断には入ると思います。そのときの状態の中で、やはり執行部はそのときの執行部の性格においてこたえるということが一番健全な組合であるし、できるだけ組合員の意見を尊重しながら、客観性といいますか、これにマッチするようなことに指導していくのが最も健全なまた穏健な組合の指導者ではないか、こういうふうに理解をしておりますので、押え得るとか押え得ないとか、そういうことは、組合の性格としてお答えできないのではないかというふうに考えます。
  99. 佐々木秀世

    佐々木委員長 委員の諸君にお願い申し上げます。参考人方々との議論にわたらないようにお願いしたいと思います。質問でありますから、質問を続行していただきまして、詰問にならないようにお願いしたいと思います。多賀谷真稔
  100. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 有泉先生にお答え願いたいのですが、先生は労働法学者でありますが、労働法は、常に社会の状態をよく研究しておかなければならないと思います。そこで、この前のいわゆる電産、炭労争議といわれるもの、これが本法の制定の端緒になったわけでありますが、電気産業にいたしましても、これは具体的にはあとから同僚委員が質問をいたしますので、私はこまかくは聞きませんけれども、あの際の状態を第三者として見てみますと、統一労協の問題で、経営者の方は、むしろ拒否の態度に出ておる。個別交渉をしたい、個別協約をしたい、こういう態度に出ておる。さらにできればこの際というわけで、いわゆる電産式といいますか、賃金体系の破壊を考えておる、さらにまた諸条件の切り下げをやらんとしておる。大きく分けますとこういうように三つの大きな問題が一度に出されておる、こういう感じがするわけであります。そこであれだけ大きな争議になったのだと考えるわけですが、何かこれはどうも普通の単なる労使関係でなくて、占領治下にありました労使関係を一挙に是正しようという態度がこういう争議になったのではないかと思います。それで先生は第三者としてどういうようにお感じであるか、これをお聞かせ願いたい。
  101. 有泉亨

    ○有泉参考人 少し古い、三年前のことなんで、はっきり記憶にないのですが、どう言ったらいいのでしょうか、占領が終ったあとで、従来占領中は、たとえば二・一ストにしても、何かぴたっと上からきてどこかで争議をとめる、そういう手段があった。せっかく講和になったわけですが、何かそういう上からぴたっととめるものにかわるものというふうなことで、一連の労働争議などを統制する立法が出てきたのではないかというふうなばく然たることしかお答えできませんですが……。
  102. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 この点についてはあとから質問があると思いますので、略します。  次に石炭関係について経営者の松本さんにお尋ねいたしたいと思うのですが、二十七年の炭労争議をながめてみますと、十三日、十四日に四十八時間争議をやり、十七日からは無期限ストライキに入っておる。これは十月でございます。それから十一月二十六日までざっと四十日間全然団体交渉が行われていない。そして二十六日出ましたのは標準作業量の依然としての増大でありまして、実質賃金の切り下げ、こういう回答しか出ていない。四十日間放置しておいて、そうして出てきたのは賃下げだ。こういうところにやはり問題があったのではなかろうかと思います。ことにそのときに非常に言われました議論は、経営者の方は、今から炭界が悪くなるから、ことに石炭の価格の契約期であるから、これを何とか都合のいいように転化せんとして、貯炭を七百万トンからかかえておったから、その貯炭を減らすためにやっている争議である、一部にこういう批判のあったことは、これは新聞でも言われておりました。当時いろいろ言われておりましたので御存じであろうと思いますが、この点をどういうようにお考えであるか。と申しますのは、当時非常な利潤を示しておりまして、三割から四割の配当もあるし、しかも六十三日の争議が終って、そうして十一月、十二月のストライキをまるまるかかえました昭和二十八年三月の決算期におきましても、六十三日争議をやったけれども、どれ一つとして赤字を出した会社がない。私はこれを非常に奇妙なことだと思うのです。六十三日も争議をして、赤字を出した会社が一つもない。そして決算期はもちろん赤字もありませんが、やはり二割から三割の配当が続けられている。そこで、これは単なる賃金問題ではなかったのではなかろうか、こういうように考えるわけですが、この点、どういうようにお考えであるのか、一つお聞かせ願いたいと思います。
  103. 松本栄一

    ○松本参考人 あの当時の石炭界は、いわゆる朝鮮動乱の景気から不況に入り込んだときでありまして、そのために石炭業界としてもこれが対策に腐心をしていたのであります。たまたまそのときの賃金交渉が十月から始まったわけでありますが、そのときに提示したのはたしか名目賃金の五%の引き下げだったと記憶いたしております。それから今おっしゃいましたように、四十日間ほとんど団体交渉が持たれなかった。これはひとり使用者側だけの責任でなくて、団体交渉というものは労使両方でやる交渉でございますから、両方責任だったと存じております。  それで、そのあと実質的な賃下げをいたしてけしからぬじゃないかというようなことでございますが、また経営者陣営としてはこれから生産向上、能率の向上ということに考えていかなくちゃならぬという態度で、五%の賃金引き下げというのをやめまして、たしか標準作業量を訂正するということで提案したのだったと思います。その当時の社会情勢といいますか、石炭界というものは、先ほど御指摘がありましたように、非常に膨大なる貯炭をかかえて困っておりましたので、そういうことになったということでございます。  それから貯炭を減らすためにストライキをやったのじゃないかとおっしゃいますが、ストライキをやったのは労働者側でございまして、使用者側がストライキをやったのではございませんから、その貯炭を減らすためにストライキをやったという責めは別に使用者側にはないだろうと思います。  それから、それだけのストライキをやったにもかかわらず決算がほとんどどこにも赤字を出していないではないかということでございますが、これはその当時の考課状をごらんになればわかりますように、全部積立金を取りくずしたりなんかして、結局過去の蓄積資本を食ったものでありまして、それでもなおかつ二十六年度と比較すれば約半分くらいの利益になっておるという状態でありますから、しかも使用者側のこういう状態で賃上げが当然できないのだというような見通しは全くその通りになりまして、その翌年からは非常に石炭鉱業の危機を迎えまして軒並み赤字を出しまして、これは大手十八社だけの合計ですが、一躍四十数億の赤字を出したというような状態に転落していって、やっと今年度になって立ち直ってきたというような状態でございます。これは事経済問題といいますか経営の実態というようなことにつきましては、やはり労使間に意見は非常に対立しておりましたけれども、使用者側の見通しの方が正しかったということを社会的に実証しているのではないかと存じております。
  104. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 私は貯炭があるからストライキをしたんだ、こういうことの意味ではありません。むしろストライキの解決を遷延せしめて放置したのではないか、こういうことを言っておるのであります。と申しますのは、その当時石炭協会から出されました資料も、また労働省から出されました資料も、通産省から出されました資料も、一カ月以上に争議が及ぶけれども石炭が足らなくて非常に困るということを訴えた資料が一つもない。むしろ石炭は余っておるから大丈夫だ、そして足りなければ輸入炭を入れるし、重油を入れるんだ、こういう資料が当時通産省あたりからも出され、当時は労政局長は賀来さんでしたが、賀来労政局長もここの委員会でお話になっておる。ですから私はこの点はきわめて重大だと思うのです。ところが今お話がありましたが、やはり石炭協会、経営者が考えておった考え方は間違いがなくて、その後において炭鉱は非常に苦境に陥ったじゃないか、こういうお話でしだが、私はここに重大な問題があったのじゃなかろうか。それは石炭経営者が重油という競争物のあるのをお忘れになっておったのだ、こういう感じを持つのです。その後の苦境はここに数字がありますから申し上げてもいいのですが、確かに悲惨な状態になりましたけれども、重油の輸入の数字がこの二十五年から二十六年、二十七年、二十八年と見ますと、幾何級数的に伸びておる。ですからそういう点を見ると重油という競争物のあることを忘れて、貯炭を減らせばいいという考えのうちに、重油がどんどん入ってくる。こういうことがむしろ不況の大きな原因の一つになっておるのではなかろうかというように私は考えるわけですが、どういうようにお考えであるか。その点と、さらに、時間がございませんので簡単に申し上げますが、たとえば今の石炭状態を見ますと、電力用炭がかなり大きな地位を占めておる。電力用炭はお天気さん次第でふえたり減ったりする。一〇%雨が多くなりますと、二百数十万トンから違う。一〇%上下いたしますと、五百万トンから違うのですが、こういうことに対しましても、協会の方ではどういう努力をされておるか。業界の安定というのが労使の安定をもたらすのでありますが、協会としても業界の安定に対しては、ほかの産業と比べて客観的に見ると、どうも努力が足りないような感じがするわけですが、その点どういうようにお考えですか。この二点について……。
  105. 松本栄一

    ○松本参考人 第一点の方は、これは世界の傾向でありまして、固体燃料より液体燃料への転移ということは、ひとり日本だけの問題じゃなく、外国でもそういうふうになっております。液体燃料という競争燃料があるのを知らなかったのじゃないか、こうおっしゃるのですが、やはり燃料界の傾向だと御了承願う方がいいのではないかと思います。  それから、渇水、豊水にどう対処するのかというお話かと存じますが、これはどうも天然の自然現象でございますので、自由に雨を降らしたり、天気にさしたりというわけには参りませんので、そのときどきの問題として処置せざるを得ないと思いますが、石炭経営者もだんだんこの苦境時で利口になりまして、独禁法に触れない程度において生産調整というようなものをやって、重油と競争してお互いがはなはだしく食い合うようなことのないよううにというようなことは考えてやっておるつもりであります。それから火力発電量を増加しまして、それによって一般的に需要量をふやすというようなことも考えながらやっておる次第でございます。
  106. 佐々木秀世

    佐々木委員長 多賀谷君に申し上げます。時間がだいぶ過ぎておりますから結論に入っていただきたいと思います。
  107. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 今おっしゃいましたように、なるほど石油をだんだん使うようになるのは世界的傾向ですけれども、こういうお考えを協会の方がお持ちですと、石炭産業というのは私は日本においてはこれは重油が、今はちょっと高くなっておりますが、安いのがきまっておりますし、便利でありますから、どんどん入ってくる。ですからそこに使われておる労働者がどんどん首切られる、こういうことになるのでありまして、私はもう少し協会はきぜんとした態度を持って、いたし方がないということではならぬと思うのです。さらにこの火力の問題でもそうですし、お天気さん次第だ、どうにも仕方がない、こういうことでは働いておる労働者の方がかわいそうだ、こういう感じを持つのであります。議論にわたりますからやめますが、それで先ほど高島炭鉱の例を出され、これについて経営者の方からお聞きいたしましたが、炭労委員長の原さんからこの問題についてお聞かせ願いたい。
  108. 原茂

    原参考人 三年間のうちで高島鉱業所が一カ所だけ保安放棄をした、これは非常に危険な要素の一角である。いわゆる氷山の一角であるという陳述がございましたが、これは事実と違いますので、よしあしはともあれ訂正いたします。  高島に起きました問題点の具体的な事実だけを言いまして、理由はあとからいたします。保安要員というのは大体二割程度出しておりました。これは期末手当の要求でございましたが、自然発火の危険があるということで、二割の保安要員のほかに採炭夫を入れろという経営者側の要求がございました。従いましてそういう事態に対処するために、二回にわたって保安出炭ということで採炭をやったのであります。これは十二月の十八日から二十三日、それから四日の朝にかけて問題になったのでありますが、このときには明らかに保安要員というのは二割程度全部就業いたしております。見解が違いましたのは、自然発火の危険性が、直ちに保安採炭をしなければあるのかないのかというのが議論の対象になりました。会社の方は危険だから直ちに採炭を続けてくれ、こう言うし、組合の方はむしろまだ大丈夫である、心配しなさるな、採炭をするということは、結局それは商品化されて会社の利益になるのだから、それはストライキという効果が何も意味がないのだから、そんなに不必要に炭を出す必要がない。これが組合の主張であったので、保安要員の放棄をしたという言い方、あるいはそういう思想というのは事実と間違っているということを明らかにいたしました。  それからこの原因になった要点は大へん大切なので、スト規制法というのを乱用するという一例になると思うので申し上げたいのだが、この問題は期末手当の交渉権の確立というのがストライキの始まりである。これは炭労が三菱鉱業株式会社と団体交渉すべきである、こういう交渉を申し入れましたが、経営者はこれを拒否いたしました。従ってこの交渉権確立のストライキがまず四十三日続いたわけであります。ところがこの団体交渉を拒否するという経営者の態度が、現在の労働法からいってどういうことになりますかというと、明らかに不当労働行為であるのであります。そうすると不当労働行為であるべき団体交渉を拒否する経営者規制をされないで、それに戦うという労働組合だけが規制をされるというのは、スト規制法の乱用ではないか、これは明らかに事実をもって証明をできるのであります。思い出したから、ついでに申し上げておきます。
  109. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 松本さんからお配りになったこの資料で高島炭鉱の場合、結局五日間にわたり保安放棄が行われた、こういうことが言われているのですが、保安放棄を行なったわけではないわけですか。原さん。
  110. 原茂

    原参考人 保安放棄はいたしません。二割の従業員は絶えず最後まで入っておったわけです。保安採炭のそれ以外の要員を出せと言うから、危険がないから炭を出す必要がない、こういうことが議論の対象になりました。それから二割も従業員が入っておるのだから、これは組合員ですから、もし危険だったら一番先にやられるのは経営者ではありません。われわれ労働者の二割も入っておるのです。これがやられるのだから、そんなばかなことはしないのです。
  111. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 この点経営者の方はどういう考えですか。
  112. 松本栄一

    ○松本参考人 保安というのは、先ほど重枝参考人からも申しましたように、固定したものではないのでありまして、この高島炭鉱というところは非常に自然発火のしやすいところなので、この自然発火を防止するということも一つ保安作業なのであります。この場合は全般の説明はその通りでございますが、結局保安出炭をしなければ坑内火災の起るおそれがあるから保安出炭をしてくれというのに対しまして、高島の労働組合保安出炭をするけれども、その石炭は海の中へ捨てる——海底貯炭といいますけれども、海底の中に貯炭ということはございませんから、結局海の中に捨てるという主張をしたわけでございます。それで海の中に捨てるということは、そういうことはさせられぬということで、結局保安採炭ということの就業がなされなかった。会社からは就業命令を出したのでございますけれども、就業はできなかったということでございます。それからこれも非常に貴重な経験なんでございますが、どういうふうになったら一体危険になるのかということは非常にむずかしい問題で、この場合も切羽の表面温度が何度までになったら自然発火しているのかということが議論になりましたけれども、なかなかこれは論定できない問題であります。ところがそれがわかるころには、たとえば自然発火をするころには、もう人間としてはそこへ行って作業できない程度の温度になってしまう。従って労使ともに坑内火災を起させるつもりがなくとも、これは自然的、必然的に火災が起る。といって防止しようというときは地上の火災と違いまして、そこへ近づく方法かないというような状態になるのであります。高島炭鉱の場合も、結局その切羽に行くということが危険になりまして、退却しまして密閉いたしまして、その切羽はとうとう放棄してしまったという結果になっておるのであります。これはやはり今まで一般業務命令に反して保安を行わなかったために貴重なる石炭資源を失ったという一つの事例になっておると私は考えております。
  113. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そうすると、これは保安放棄をしたのではなくて、保安炭の処置について、結局保安炭は出すけれどもその処置について議論があったので、こういう状態になった、こういうふうに理解してよろしいわけですね。
  114. 原茂

    原参考人 先ほど経営者の方から海底貯炭というのは海に投げるのであって貯炭ではない、こう言われましたが、海底貯炭というのは貯炭です。それはただ海の中へぽんぽん放ってはだめだが、かますに入れるなり箱に入れるなりすれば大丈夫です。ただ金がかかるから経営者がしたくないのでそういう方法をとらぬ。問題は経営の問題で、経営者は金を出したがらぬところに問題がある。  それから保安要員の拒否ではないということは、明らかに二割の保安要員というものは常時詰めております。それからたまたま今度ここで、十八日から二十四日の朝に争議が妥結をいたしましたから、事実行為としてそういう状態が起きたのかということが問題になりましたが、あの行為については、そういう危険がある、あるというのは経営者言い分だけで、結果としては問題は起きなかった。むしろそれ以前に問題があったので、これは経営者のサボによりましてこれは常時起きているのです。大事な国家資源がなくなるというのは、これはガス爆発だけでも大へんな事故でありまして、しかもそれは国家資源だけではなくて、ことしになりましてから大体五百六十名程度労働者が死亡いたしております。そうするとこういう人間が死ぬということは大事であるのかないのか、こういうことも当然政治家皆さんが議論していただかないと、それこそ大へんなことではないか。国家の資源を大切にすると同時に労働者の命も矢切にするような規制法を明らかにしていただきたいと思います。
  115. 佐々木秀世

    佐々木委員長 多賀谷君に申し上げますが、労働組合経営者とお互いに議論するようなことは、裁判所ではないのですから、一つ質問を上手にやって下さい。
  116. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 北岡参考人にお尋ねいたしたいと思いますが、政府も実はこの法律は解釈立法であって、宣言的なものであって、この法律によってあらためて非合法化するものではない、こういうことを従来、ずっと説明をされました。今先生のお話を聞きますと、この法律がなくなったら合法化される、停電スト——停電ストといいましてもいろいろございましょうが、電源ストなら電源ストを例にとりますと、この法律がなくなったら合法化される、こうおっしゃる。そうすると今まで私たちが聞いておったことと非常に違うわけですが、その点はどうですか。その点ともう一つ、従来でも違法であった、ことに電気停電スト電源ストは違法であった。こうおっしゃるが、公益事業といって、労調法第八条にいろいろあげてありますが、その中に「水道、電気又は瓦斯供給の事業」という項目がございます。そうすると電気をとめるという行為以外、電気労働者争議を公益事業として規制する必要がどこにあるでしょうか。この二点お聞かせ願いたい。
  117. 北岡寿逸

    ○北岡参考人 第一点は、当時まだ今日のような、はなはだ言葉は乱暴ですが、乱暴な判例はなかったのです。だから、私なんかの意見もそうだったのでございますが、この法律がなくてもストは違法であると思っておったのですが、はっきりしませんから解釈立法でやるということを労働省は言っておったのですね。ところがその後出ました判例が、私なんかと反対な解釈をとられまして、電産の停電ストなんかが合法だといったような判例が出ましたために、これは解釈立法でなくして、非常に大事な立法だと思うのです。これを廃止すれば、もちろん停電ストをやっても保安ストをやっても合法である。それからもう一つは、こういう法律を作って廃した以上は、その法律反対解釈で、やはり合法化されたことになると思うのです。従って今日におきましては、この法律を作ったとき以上にこの法律が必要になったと思うのです。  もう一つは八条のこと、だれか労働側から申されたのですが、かつて、緊急調整ができるときには、労働側は非常に反対だった。それが今日は、こういうりっぱな法律があるからといって、緊急調整が大へんほめられましたが、調停はこれはきわめて微温的なものでありまして、ただ勧告するだけのことでありまして、こういうものではとうてい今申し上げました停電スト炭鉱保安ストをとめる力はない。やはり私はこういうような非常に国家産業、個人生活を破壊するようなものは、法律ではっきりきめた方がいいと思うのです。
  118. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そうすると先生の御意見は、従来は解釈立法であると、こう労働省も言い、先生方もお考えになっておったが、今日の段階においてはこれは創設的な立法である、こういうふうに理解してよろしいのでございますか。その点と、もう一つ、公益事業関係法律は微温的であるということをおっしゃっておりましたか、そうしますと、先生の考え方では、たとえば労調法ではとうてい取り締ることはできないから、やはり別の法律が要るんだということになりますと、労調法のたとえば第八条の一項三号から、電気事業というものは、別の単独立法ができたんだから削ってもよろしい、こうお考えでしょうか、この二点です。
  119. 北岡寿逸

    ○北岡参考人 第一点は、簡単に言えばそういうことになると思います。あの当時は解釈立法と思ったでしょうが、今日はそうではなくなった。それから申しましたように、一たん法律を作ってそれから廃しますと、やはりそれは初めからなかったということはだいぶ違うと思います。  第二点は、先ほど申し上げましたが、労調法はやはり争議権というものを尊重して、尊重した上に調整する。第八条というものは別に大したことはない。調停の強制だけでありまして、調停の結果を拒否すればそれだけですから、これはただちょっと争議をスムーズにやるというだけのものでありまして、決して停電スト保安ストをとめるきめ手ではない。従って私はこれは両方必要だと思います。この停電ストとか保安要員ストのみが、そうではないのですから、電気ストにおきましてもそのほかのストもあるし、炭鉱にもそのほかのストがあるのですから——炭鉱は八条にございません、第二項にあればあるのですが、それ以外にはありませんから、両方あった方がいい。できるだけストというものはない方がいいのですから、ストを防止するようなあらゆる施設があった方がいいだろうと思います。
  120. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうも私の質問の仕方が悪かったので、十分私が考えておったお答えを得なかったのですが、実は電気というものについて単独立法ができますと、一般日常生活に欠くことのできない事業の中に、実際停電ストがなくなりますと、たとえば事務ストでありますとか、その他のストライキは、日常生活とあまり問題がない。そこで結局労調法の中にわざわざ公益事業としていろいろな制限をする必要はないのではないか、こういうように考るわけですが、どういうようにお考えでしょうか。
  121. 北岡寿逸

    ○北岡参考人 その考え方に私は一部賛成ですね。それはそうとも言えると思います。しかし私はまあどちらかというならば、たびたび申しますように、ストというものはできれば避けた方がいいですから、私はもっと調停の機会をたくさん作った方がいいと考えるのですから、私は今のあなたの意見に決して反対じゃない、そういうことは言えます。しかしながら、やはりスト調整する機会というものはたくさんあった方がいいという意味で、別に……。
  122. 佐々木秀世

    佐々木委員長 大坪保雄君。
  123. 大坪保雄

    ○大坪委員 私は原さんに二点ほどお尋ねしたい。そのあとで重枝さんに一点お尋ねしたいと思います。  原さんにお尋ねしたいことは、ことし総評がいわゆる春季闘争という計画をいたしまして、その中の重要部門は炭労の大手十四社に対する争議であった。これはいわゆる部分ストという戦術を十四社に対しておとりになったわけですが、この部分ストについては、先ほどどなたかもお話しになりましたが、どうも私はアン・フェアな争議手段のように思うのですが、しかし経営者にとっては、まあ一種のきめ手のような非常に痛い争議戦術であった。この部分ストという労働組合側の戦術に対抗する手段としては、私はロックアウト以外にはない、こう思うのです。賃金カットなどというものは、きわめて無効である。従って部分ストに対しては、経営者はロックアウトをやるであろうということは当然予想され、またそういう宣伝もされておった。従ってその場合には、保安要員の引き揚げをやるんだというので、炭労は指令もお出しになっておるようでありますが、それについては保安要員の差し出し拒否、これはいずれの場合においても違法ではない、こういう建前を炭労ではおとりになっておるようですね。そこで今度の春季闘争の場合にも、ロックアウトをやった場合には、保安要員の引き揚げをやる、差し出し拒否をやるということを指令にも出しておられた。それは結局三月のころにロックアウトを十四社が全面的にやったのに対して、保安要員の引き揚げは炭労としてはされなかった。そこのところをちょっとお伺いしたいのです。今年の五月九日から十五日までのあなたの方の第十五回大会の際の決定事項として、昭和三十一年度行動方針というものがある。その中に、今回の闘争において炭労が既定方針としておった保安要員差し出し拒否の方針の実行を避けたのは、あの当時の条件のもとではそれを採用することは適切でないと判断したからであった。この方針を放棄したわけではもちろんない。そういうことをうたってあるようですね。最後手段として今後なお残されているものであることを再確認されねばならないというようにうたっておられる。そこでちょっとお伺いしたいのですが、初めは保安要員の差し出し拒否ということを方針として示されておったにかかわらず、現実にそれをなさらなかったというのはどういうわけであったのでしょう。
  124. 原茂

    原参考人 これは春の賃金闘争のことだと思いますが、十四日に石炭経営者が全国的にロックアウトをする、こういう宣言をいたしました。十七日の日に炭労は戦術転換をする、こういうことになったわけですが、どういうわけで方針を変更したのかというのは、これは戦術でございますので、あるときは進んだり、あるときには退いたり、あるときには右へ行ったり、左へ行ったりというわけで、戦術的にこれは方向転換をしたのであります。ただお聞きになる要点は、この考え方を放棄しておらぬのはほんとうかどうかという確認の意味でお聞きになったと思いますので、申し上げたいと思いますが、労働者あるいは労働組合というのは、経営者の態度によってその対抗的な方法なり、あるいは抵抗の度合いというものを規定するのでありまして、経営者が非常に悪質である場合、あるいはやり方が非常に一般常識をこえるようなやり方をする場合、当然労働者は非常に憤慨する。あるときには自分の首が切られてあしたから失業する、こういうふうな事態、一番災禍を受けているときに、賃下げをもって対抗する、こういうむちゃくちゃなことをもって経営者が対抗する場合には、それに相応する致命的な対抗手段を講じようということを労働者なり労働組合が考えるのは当然じゃないか。その反対に、生活というものを絶えず考慮し、あるいは経理を絶えず公開して、これが裸の経理であって、諸君が取る取り前というのはこれしかないじゃないか、こういう進歩的な正しい経営をやる、こういう場合における労働者なり労働組合は、あるいは一部の労働組合が旗を振っても、労働者はついてこないだろうと思うのであります。先ほどの質問の中に、これは幹部の規制法的なことを言っておりましたが、幹部を規制いたしましてもだめでありまして、こういう争議行為規制するという基本というものは、労働者生活を改善する、あるいは労働条件を改善する、こういう常に、国際的までいかぬでもいいから、日本常識判断してわかるような、経営の実態を明らかに労働者の前にガラス張りにして、労働者生活を守ってやる、こういう謙虚な、すなおな気持が現われるとするならば、私はこんな法律を論議する必要はなかっただろうし、六十三日のストライキにはならなかったろうし、皆さんがこういう規制法を作る必要はなかったのじゃないか、こういうふうに考えられますので、差し出しの拒否というのは、われわれの戦術として変更されたけれども、基本に流れるものは、われわれのことをどれほど経営者が考えるかによって、労働組合の態度あるいは方針が左右されるものである、こういうことを基本的に国会におられる皆さん理解しない限りにおいては、頭の悪い、古くさい経営者はますます考えぬだろうと思うのであります。
  125. 佐々木秀世

    佐々木委員長 時間が迫っておりますし、だいぶ質問者がまだ残っておりますので、質問なさる方も、御答弁なさる方も、核心に触れて簡略にお願いいたします。
  126. 大坪保雄

    ○大坪委員 私はきわめて簡潔に聞いていますから、よけいなことは言わぬので、イエスかノーか、そこのところを言ってさえいただけばいいのです。  そこで今のお話で、今年の春の場合には戦術としてやらなかったのだという理由が、どういう戦術をとるかということは、そのときの経営者側の態度によるのだ。それはいいのです。ところが炭労の大会では、大体保安要員の引き揚げというのは違法じゃないのだ、最終戦術としてやるべきものだ、最後手段として残すべきものだということを始終言っておられる。今年の春の場合にはやられなかったけれども、原則としては炭労としてはこの保安要員の引き揚げというものはやるのだ、こういう建前なんですね。これはたびたび大会の決議等もなされているし、指今も、先刻松本さんに伺えば、十二回も出している。そのときそのときの戦術としては変るかもしれぬけれども、基本的な戦術としては、保安要員の引き揚げをやるのだ、こういうことですか。そうでしょうね。
  127. 原茂

    原参考人 盛んに保安要員の引き揚げ、引き揚げと言っているが、炭労は引き揚げするということは一回も言ったことはありません。ただ交代を出さぬ、こういうことであります。それから保安要員の確保というのは、基本的には、これは法に定められた経営者ないし保安管理者責任である、こういうように理解しております。それからこの考え方を、いつの場合でもお前たちはどう理解しておるのか、という禅問答のようでありますけれども、労使というものは禅問答で解決できませんので、どうしてもわれわれの声というものは具体的な事実に基いて皆さん理解をしていただかなければならぬので先ほど説明いたしましたが、長くなるのでその辺はごかんべん願いたいと思います。それから今の場合に、明らかに保安要員差し出しということをあるときに拒否する場合があるということは、経営者の態度というものはとんでもないので、皆さん常識以上にひどいのですから、その場合は問題になります。
  128. 大坪保雄

    ○大坪委員 禅問題じゃないんだ。あなたの方の指令がたびたび出ているし、大会の決議に出ている。それがあるために保安要員の引き揚げというのは最終戦術としてやるつもりなのか、こういうことを伺っている。
  129. 原茂

    原参考人 最終的にという言葉は適当でないと思う。経営者の出方によってそういう事態が発生する場合があり得る、それをスト規制法をもって抑制しようとする基本的名目としている、なぜなら、三年間のスト規制法でわれわれが当然やっている行為ですから……。
  130. 大坪保雄

    ○大坪委員 これは言いません。ただあなたの方の決議に最後手段としてはと書いてあるのですよ。もう一ぺん帰って見直して下さい。それからこれはどうなんでしょうか。この十四日の東京新聞の夕刊に、あなたと、それから能勢荘吉さんとが談話の形式で出されておる。あなたの場合は、反対として、「明らかに憲法違反」云々ということが書いてある。これは談話をなすったんですね。東京新聞の十四日の夕刊です。よろしゅうございますね。
  131. 原茂

    原参考人 内容は適当でないけれども大体内容は合っています。
  132. 大坪保雄

    ○大坪委員 それでこれを拝見して、私この一点だけを伺いたいと思いますが、こういうことがあるのですよ。山にあっては、「一週間位放っておいてもなにも起らぬところも少くない。保安放棄戦術によって部分的には破滅状態に陥るところがあっても、それは経営者側の無自覚による自業自得というべきで、全般的には社会福祉に反するということはない。」これが一点。それから最後のくだりに、「保安放棄戦術はもともと正当な戦術であり、それを悪法でことさら不当視しているのであるからそれを是正するわけだ。」こういうように書いてある。これは全文を読むことは適当でありませんし、時間もありませんが、炭労の今までの指令なりあるいは決議なりというものと、それからあなたのこの談話と照し合わせてみますと、どうも保安放棄をやりたくてたまらないのだ、最後手段としてとっておいて、できればいつでもやりたいのである。ところが不幸なことにはこのスト規制法というものがあって、これを禁止しておるから、やれない。何とかしてスト規制法というものをやめてもらって一つ自由に保安放棄でもできるような、戦術の自由に使えるような争議をやりたいのだ、こういう気持があふれておるように思うのです。何かしらあなたの指導しておられる炭労はやはり今度このスト規制法が廃止されて、かりに廃止されたと仮定すれば、おそらく保安放棄というものは最終戦術としてどんどんやる、やりたくてたまらぬからのけてくれ、こういうことではないかと思いますが、その点いかがですか。
  133. 原茂

    原参考人 ただいまのは反対で、やりたくないのであります。やらせるように持ってくるのは経営者であります。
  134. 大坪保雄

    ○大坪委員 これはなかなか原さんもさる者で、白を黒と言いくるめることはお上手ですが、これ以上は申しません。結論ははっきり出たと思います。  そこで重枝さんにちょっとお伺いしたいのですが、先刻もあなたの御供述を伺っておって、こういう御発言をなさったように思うのです。この本法ができてから三年の間は良識ある要するに慣行、これの成熟するのを期待してのことであったと思います。それができたかどうかということがこの際問題になるのだ。ところが自分の考えではできたと思う。そこでこのスト規制法のごときは延長すべきでない、保安放棄公共福祉を害されたという実績もない、事態は非常に変っておる、こういう御発言である。ところが今私が原さんにお尋ねしたように、炭労は——あなたの方は私どもはそうでないと思います。非常に国家産業公共福祉のために、国民の幸福のために敬意を表しております。ところが今問答申し上げたように、炭労は二十八年スト規制法ができてから大会のたびに保安要員引き揚げということは違法でない、やるのだといっておる。そうして現実に指令をたびたび出しておる。高島炭鉱のことはありますが、申しません、現実に指令を出しております。今年の大会においても、今年の春には保安要員の引き揚げはやらなかったという弁解をしておる。しかしながらやるつもりだったけたども、戦術としてやめたのであって、今後はやるのだということを言っておる。原さんのお話では、やはりやるのだ、こういう意図がはっきりしたのです。これはあなたが先刻お話になった良識ある慣行ができたということは言えぬのではないかと思います。この点について、炭労はあなたの兄弟のような同じ炭鉱労働者組合でありますから、実情はよく御承知だと思いますが、この点についてあなたの御意見はいかがですか。良識ある慣行はまだできていないと思うがいかがですか。
  135. 重枝琢己

    ○重枝参考人 先ほど良識ある慣行という点については炭鉱電気両方分けて言ったと思います。御質問は炭鉱の方でありますから、電気産業の方は良識ある慣行を大体お認めになっておるように思います。(大坪委員「必ずしもそうでない」と呼ぶ)炭労の場合を申しますと、私はそういうことがしばしば決定され、そういう問答が大会で繰り返されておりますけれども、実際問題として公益を阻害するような保安放棄というものは一切行われないと確信いたしております。それはよその組織について確信するのはあれだとおっしゃるかもしれませんけれども、炭鉱労働者としてかつて私たちも一緒にやっておったこともございますし、炭鉱労働者のほんとうの苦労というものを考えた場合に、そういう戦術というものが実現されることはない。その点は自民党の方々も御安心なすって、そういう芽ばえをむしろ伸ばしていく方向に持っていっていただきたい。
  136. 大坪保雄

    ○大坪委員 最後に一点。そうすると、あなたは原さんを横に置いてなかなか言いにくいと思うけれども、あなたの言説は一応了承する。了承するといたしますれば、こんな法律はあってもなくてもいいことになる。それなら何も一生懸命に血道を上げてこの法律を廃止すべしという論議を重ねる必要がないのじゃないか。あって別にじゃまにもならず——原さんのようにやりたくてたまらぬからこの法律は廃止してくれというならこれは理由があります。ところがやる気はないのだ、ただやめてもらいたいのだというなら、これはナンセンスです。これをどうしてもやめてほしいということは、私はやはりそうじゃないかというふうに思うのです。どうしてもやる気がないということでありますならあってもなくても同じだ。この間テレビを見ておったら、社会党の勝間田清一氏が今度政府スト規制法を出すというが、何も平地に波乱を起さぬでもよいじゃないかということを盛んに言っておる。平地に波乱を起すのは社会党の諸君だけれども、三年間やってきて別にどうということはなかった。これからもやる気がないというなら、これはことさら大声疾呼して三十万の反対署名をとってきてやるほどのことじゃないのではないかと私は思いますが、その点どうでしょう。
  137. 重枝琢己

    ○重枝参考人 そこが私は考え方の相違点だろうと思います。先ほどの北岡先生の御陳述の中でしたか、各国でも法律で取り締っておるところもあるし、取り締っていないところもあるというようなお話がありましたが、私たちはこういうようなものは無用の長物だと思っております。全炭鉱については先ほど申しましたが、炭労についても、原君は委員長として、先ほどの答弁以上のことはなかなか言えないと思いますけれども、実際問題としてそういうものは起り得ないと私は思っております。それではそういうふうにやらないならば、そう反対しなくてもいいじゃないかということでありますけれども、私は先ほど言うように、労働関係の問題については、一方的な権利の制限が現われるようなことはなるべく避けたがよろしいという考え方であります。政府もこの点ははっきり言っておられるのであります。「そもそも、労働関係に関する事項につきましては、法をもってこれを抑制し、規律することはできる限り最小限度にとどめ、むしろ労使の良識と健全な労働慣行に待つことが望ましいことは、言うまでもないところであります。」しかもこの法律は三年間の限時法として成立をしておるわけであります。そういうふうな芽ばえがあるし、そういう一般的な見通しができるということであれば、すみやかにこの法を廃止して、そしてそういう労働者の真の意欲、国民の民主的な批判というものによって、正しい労働関係を伸ばしていくんだという政治をやるのが民主政治の発展だと思います。そういう意味で、民主政治を発展させるために、民主政治の発展をつまずかせるようなものを置いておくということについてはわれわれは反対だから、三十万の署名もとりました。今後あらゆる署名運動もやり、反対運動もして、そういう無用の長物は除いていきたい、こういうふうに考えております。
  138. 佐々木秀世

  139. 八木昇

    八木(昇)委員 どうも時間がおそくなってしまして、参考人方々にお気の毒だと思いますので、実はたくさん御質問申し上げたいと思ったのですが、私もできるだけこれを減らしまして、端的にお伺いをいたしたいと思いますから、お答えの方もできるだけ端的にしていただきますようにお願いいたします。  最初に有泉先生と北岡先生にお伺いをしたいと思うのですが、第一の点は、先ほど北岡先生の最初のお話によりますと、もしこのスト規制法が今後廃止をせられるということになると、停電ストというものがむちゃくちゃに行われる、炭鉱は爆破されるようなことにもなる、従って、一度このスト規制法ができた以上は、これを廃止するということはなかなか問題が大きい、こういうふうな意味合いのことを申されたと思います。ところが御承知のように、電気の場合に例をとりますと、もし関西なら関西に二十の発電所があり、その発電所が全部職場放棄をしたという場合になりますと、これはとんでもないことになります。全停電でまっ暗やみになる、それから鉄道のシグナルも消え、水道もとまる、炭坑は水浸しになる、これはもうとんでもないことになる。従って、今日スト規制法以前に許された争議行為についても、やはり一つの限界がそこに存在をしておった、こういうふうに私は思うわけです。ということはどういうことかといいますると、労調法の三十六条にもありまするように、工場、鉱山の保安影響を及ぼす、こういうようなことは、従来もスト規制法以前においても禁じられていたわけです。また過去において電気労働者が行いました争議行為におきましても、最高限度全国の発電所の通常発電しておりまする発電量の二〇%かせいぜい三〇%程度以上の職場放棄というものはなされ得なかった、こう思うのでございますが、スト規制法がもしないとするならば、そういう場合には、電気の場合には無制限にストライキが行われてよろしいのだ、こういう解釈になるのかどうか。そこにやはりおのずと、スト規制法というものがなくても、ちゃんと法はこれを明らかにしているわけですが、この点を一点お伺いいたします。  それから第二の点は、先ほどまで労政局長がおられましたので労政局長にもお伺いしたいと思ったのですが、このスト規制法ができましてから後経営者側が非常に強くなったということは、これはもう争えない事実でございまして、先ほど一例が出て参りましたように、組合の専従を二年以上するということは許さないということを労働協約によって結ばれているという現況が出ている。これをもっとくだいて申しますると、たとえばAならAという人物がある組合の書記長になって、そうして組合に専従をして、給料はもちろん会社からもらわず、組合費の中から金をもらって生活をしている、ところがその人が二年間組合専従の書記長をして、三年目にも非常に人望が高くて、組合員がまたことしも書記長をしてくれということでそれをきめましても、会社がこれを許さない、こういうようなことは労働法の建前からいって果して許されるかどうか。労働法のどれに当るか知りませんが、第七条の第三号あたりにもその辺が明記してあるのでこれは非常に大きな問題ではないかというふうに感ずるのですが、この点についての御見解を伺いたい。  以上二つをまず明らかにしてほしい。
  140. 有泉亨

    ○有泉参考人 お答えいたします。私の理解するところでは、基本的な人権というものは憲法で保障されておりますが、しかしそれは、十二条とか十三条とかによって、公共福祉に適合するように行使しなくちゃならないということになっております。そこでこれを逆に言い直せば、権利は乱用してはいけないということなので、その権利乱用ということについては、別にどういう法律がなくても適用がある。だから、争議権の乱用ということが起っても、その乱用があればこれに何らかの措置をとり、権利の行き過ぎとして労働法上の保護を受けない、こういうことは起ると思うのです。それで、この権利乱用というのはどこから乱用になるかというと、これはなかなかむずかしい問題なので、それを立法によってどこかに線を引くということは非常に困難であります。そこで基本的人権が向う側に保障されておるとすれば、これを権利乱用の方で一律に押えようとする場合には、立法技術としてはなるべく控え目の方が間違いない、行き過ぎというのはいけない。具体的には、先ほどの御指摘労調法の三十六条というのは、人命にかかわることだから、こういうところで憲法二十八条の保障する争議権を一律に押えていく、こういうものだと思うのです。これで第一点のお答えになったかどうかわかりませんが……。  それから第二点ですが、組合の専従について使用者が品をいれるというのは、これは明らかに不当労働行為である、こう考えます。
  141. 北岡寿逸

    ○北岡参考人 第一点の、本法が廃止されたならば停電スト炭鉱ストがどうなるかという合法性の問題につきましては、炭鉱停電では今日は違うと思います。炭鉱につきましては、私は今日では本法を廃止されましてもこういうものは違法である。しかもことに実害を生ずる。実は今までほかのストをやりましても職員が跡始末をしておりますから実害がなかった。だからこれは大したことはないといって無罪になっておるのでありますが、もし職員が跡始末のできないほどの大規模な保安ストをやったり、もしくはスクラムを組んで職員の入坑を拒むということをもしやりますれば——私はそんな非常識なことを日本労働者がやるとは思いませんけれども、これは想像上の問題でありますが、やりますれば、私は違法だと思います。停電ストにつきましては二つに分けまして、先ほど有泉教授からこのスト規制法に対して反対労働法学者がたくさんおる、賛成の人は北岡一人と言わぬばかりのことでありましたが、かりにそうでありますれば、私はこれは非常に不幸な現象だと思うのであります。そういうような現在の学界の空気であることは事実です。これが裁判官に影響を及ぼしまして、日本の裁判官は、おそらくは単純なる労務の拒否でありまするならば、停電ストでも今日では本法が廃止されますれば合法だというだろうと思います。これは大へんなことになるだろうと思います。しかしながらおもにそういう場合におきまして、職員がこういうふうな停電ストなんかのときは自分でかわって電気の供給ができるんですね。そういう場合にこれをとめるのには単なる労務拒否ではなくて、スクラムを組んで実力をもって職員の業務を妨害するんですね。そしてこの行為は、先ほどちょっと申しましたが、東京高裁のまことに乱暴な判例だと思うのですが、東京高裁ではこれらのものは違法じゃないと言っているのです。これは程度が少いからそう言ったのでしょうが、これがもし大規模な停電ストをやって、しかも職員が熱心にこれをかわってやろうとするときに、この業務を妨害しますれば、やはりこれは違法であるということになるだろうと思うのです。従って、本法を廃止したからといって、直ちに日本の国がまっ暗になったり日本炭鉱がつぶれることはございませんけれども、こういう脅威を受けるということは、これは経済的に政治的に大へんなことである、こう言ったつもりであります。  それから先ほどの専従の問題は、もし労働組合意思に反して、労働組合の職員でございまする専従に対して経営者がかれこれくちばしを入れますれば、これは明白に不当労働行為であると思います。幸か不幸か、不幸ですが、不幸にして現在の専従なるものは賃金はもらってませんが会社の籍を持っているのです。これは私は労働組合は非常に卑怯だと思うのですが、籍を抜かない。そして、自分らの特権をもらっておる。現に労働をしませんから賃金はもらいませんが身分関係がある。身分関係がある以上はある程度の職務命令を受けるのは当然だと思う。それからまたそれが一方的の命令でなく団体協約でいく以上は、不当労働行為でも何でもない、当然のことだと思います。
  142. 八木昇

    八木(昇)委員 なお特に北岡先生にはお伺いしたいのですが、今の第一点などはどうも端的なお答えをいただいたとは言い得ないような感じで、なおお伺いしたいのですが、時間がございませんから省略いたしまして、あと関西電力の藤田さんにお伺いしたいと思います。  第一の点は、これは電気の場合、このスト規制法電気の発電、送電、配電、こういうふうに電気を起して、お客さんのところへ電気を送り届けるまでの過程におけるストライキというものは、ほとんど全面的に近いような禁止のような状態になるわけですね。そうしますとストライキというのは、その工場の生産を停止するということがストライキでなくてはならないわけで、そうなりますと辛うじて残された唯一の労働者としての会社へ打撃を与え得る要素としては、その売りつけた電気の代金を集金する、集金業務ということを拒否するというようなことくらいしか残らぬことになろうかと思うのです。ほかにこまかい事務ストはありましても、これは決定的な会社へ影響を与える問題にならない。  そこで具体的にお伺いしたい点は、集金ストをやりましても、前々から電力会社の集金は請負制度、委託集金制度というものに相当なっておるわけですが、スト規制法実施後、さらにその制度がずっと広められておったわけで、もし全国的におよそのことがおわかりにならなければ、関西電力だけでもけっこうですが、委託集金と電力会社による直接集金との割合、それをお知らせいただきたい。  それからもう一つは、もし直接集金人が一カ月なら一カ月ストライキをして集金をしなかったという場合、会社として電気はお客さんに送り届けているのですから、その送り届けた電気料金の集金は一体どのようにされるか。当然翌月あたりに二カ月分の電気料金を取られることになるだろうと思うのですが、もしお客さんがぐずぐず言う場合には、電力会社はそういう電気料金を払わないお客さんには、送電停止をしてよろしいという権限を与えられておる。そういう事態の場合にどういうことをされるのか。これは集金ストなるものの会社に与える経済的効果がいかほどのものであるかということの参考になり得ますので、この点を一点お伺いいたします。  それからもう一点は二十七年の電産争議というものが、当時非常に社会的に一つの大きな問題となったのでありますが、私ちょっと調べてみますと、こういう社会的な問題を起すについては、その責任はやはり経営者といえどもこれを免れることはできないのではないか。ということは、昭和二十四年からの賃金問題についての中央労働委員会の調停案を一体会社は受諾したか拒否したかということを調べてみますと、昭和二十四年の賃上げ問題では会社拒否、組合受諾、昭和二十五年のやはり賃上げのときには組合側は中労委調停案を条件を付して回答、経営者はこれを拒否、二十六年のときは組合側の拒否、会社側の受諾、そして二十六年は労使拒否、二十七年労使拒否でございますが、こういうふうにもし労働者の社会に対する責任を追究せられるとするならば、第三者調停に対して経営者はいかなる態度をとるべきものであるとお考えか、それを一つ明らかにしてほしいと思います。  それからもう一点は、私が調べましたところによりますと、このスト規制法が実施せられてから後の労働者の給与状態は、会社の利潤の上昇の割合との比較においては非常に悪い。そもそも根本的に考えてもそうでありますが、これは労働省の調査によりますと、戦争に突入する以前の昭和十一年の民間電力会社の賃金平均は一日当り二円二十四銭、月額換算してざっと七十円、その昭和十一年と今日との物価指数をとりますと、日銀調べで三二八・八、CPIで三七〇・一、今の七十円をこの割合でかけますと、今日の電気労働者の賃金ベースよりこれが上回るのであります。従って今日、日銀調査による物価指数に当てはめると、電気労働者の賃金水準は戦前の賃金水準のまだ八七・三%にしかなっていない。しかもCPIに比べると七七・五%にしかなっていない。ところが他方におきましては、会社側の利益金の上昇の状態というものは、これは私の調べでは、昭和二十七年の上期における純利益を一〇〇として、昭和三十年下期の純利益は三一四になっておる。配当をとりますと、昭和二十七年上期を一〇〇として昭和三十年下期は七二〇となっておる。もし必要ならば金額を申し上げます。  それから先ほど小川参考人がおっしゃったように、すべての総括原価の中に占める人件費の割合というものは、最近三カ年の間にずっと落ちてきておる。この辺の状況について御見解を明らかにしてほしいと思います。以上の点についてお伺いいたします。
  143. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 お答えいたします。先ほど委員長から時間もないから端的に答えろという御指示でございましたから、端的に答えたいと思います。  第一の委託集金と直接集金との割合はどうか、こういうことでございますが、全国的の統計は今持ち合せておりませんが、関西電力に関する限りは、大体五〇%・五〇%になっておるかと思います。そのときどきによりまして多少情勢が変りますが、大体は五〇%・五〇%、こういうことになっております。  それから集金ストを一カ月もやった場合に、翌月の集金の処理をどうするか、こういうことでございますが、幸いと申しますか、遺憾と申しますか、一ぺんも集金ストをやった例がございません。集金ストそのものをやりかけたようなときもありましたが、そう徹底的な集金ストをやった例がございません。これは仮定の問題になりますので、はっきりしたお答えはできないと思いますが、要するにこういう事態が起きましても、集金は何とかしてやりたい。しかしそのときには無理のない方法で善処したいと考えております。
  144. 八木昇

    八木(昇)委員 会社として経済的な損失があるかどうか。
  145. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 そういうことはお聞きになっていなかったと思いますが、とにかくこういうことは実例がございません。また今後とも、私先ほど申し上げましたように、労使間の問題の処理ということは、こういうストのない状態ストをやらなくても、労使双方の信頼で問題を解決するようにわれわれが努力いたしておりますので、今後とも一カ月にわたるような集金ストがないように努力したい。かたがたこういう前例のないことにつきましては、仮定の上に立ったお答えは混乱を起すと思いますので、控えたいと思います。  それから調停案に対する態度でございますが、二十四年以来そのつどの調停案に対しまする態度を明示されまして、その上に立ってどうか、こういう御質問であったと思いますが、なるほど会社はそのまま受諾できなかった場合もございます。しかし調停案の趣旨を尊重するという態度はそのつどとって参ったのでございます。ただ無条件で受諾というようなことが非常にむずかしい場合は、やはり調停案を実施するための原資の捻出方法につきまして労使双方協力をして出したい、こういう見通しがついた上でこれを実施したいというような条件付の回答はいたしました。これを拒否とおっしゃるんだと思いますが、大体におきまして調停案の趣旨は尊重して参ったのが事実でございますが、ただ、ただいま申し上げましたように、どうしても実際実施する場合にいろいろな問題がございますので、これの協議を一つお願いする、こういう態度をとって参ったのであります。要するに調停案といいますのは、なるべく尊重いたしますけれども、無条件で受諾できる場合もあり、条件付で受諾する場合もある、こういうことを申し上げたいと思います。  それから賃金の上昇率と、会社の利益の上昇率とがマッチしていないのじゃないか、こういうことをおっしゃられましたが、今具体的な数字を八木委員からお出しになりまして、御説明があったのでありますが、私は遺憾ながら具体的な数字を持っておりませんから、八木委員の数字が正しいなら正しいのでございまして、ただし、それがほんとうであるかどうか、それが正しい姿であるかどうか、こういう問題になるのでございまして、実は電気事業におきましては、御承知のように非常にシヴィアな原価計算をいたしまして電気料金がきまっておるのであります。一ぺんきまりました電気料金の中には、その当時の人件費は含まれておりますけれども、それ以後に上昇する人件費というものは含まれていない。しかも電気料金の改訂というものは、ここ二年間やっておりません。そういうことで非常に制約されており、一般産業と違って人件費の増加を電気料金にはね返らすということに事実上不可能な状態であります。次の電気料金の改訂の際によく説明をして御了承を得るよりほかに仕方がないというような状態になっております。従って電気労働者の賃金と申しますものは、その最初の原価計算で含まれた人件費の上に、その後労使協力して生産性の向上をした、その裏づけの範囲で増加をせざるを得ない、こういうことでございまして、こういうように業績が上ってこういう業績であるから今回の賃金問題はこの程度一つおさめてもらいたい、こういうことをそのつど話しまして、先ほど申し上げましたように、過去二回は自主交渉で円満に妥結しておるわけでありますから、この点は決して無理なことではない。しかもその結果は、一般産業の中でむしろ高水準のところまで行っておるということを申し上げまして御了解を得たいと思います。  それから、総経費と人件費との比率がだんだん下っておるじゃないかということですが、これは当然でありまして、まあ資本主義経営の原理から申しまして、総経費と人件費との割合は何%であるべきであるかというような経済の研究もございますが、これはあらゆる産業について何%でなければならないという明確な数字はまだ出ておりませんけれども、われわれ終戦直後あたりやっておりましたときには、大体において四〇数%、五〇%に近い人件費を払っておったのであります。明確な結論は出ておりませんけれども、こんなものは健全経営でない、産業として成り立たないということはもう明らかなことでございます。しからば何%が正しいかということは、今申し上げたように明確な結論はございませんけれどもアメリカあたりの例を見ますと、まあ一二、三%というようなところが常識のように考えております。現在私の方の人件費の比率は二〇%前後でありまして、まだまだ健全経費にはほど遠いのではないか、それほどの人件費をいまだに出しておるということをお答え申し上げます。
  146. 八木昇

    八木(昇)委員 時間がおそくなりますからあと少しでやめますが、ただ今、かつては人件費の割合が非常に高く、五〇%からになっていたものが、経営者に言わせれば健全化してきたというのですが、しかもそれでも戦前の昭和十一年の賃金水準にすら達しておらない、しかも生産性は飛躍的に増大をしておる、こういう現況だから、実は私は御質問を申し上げたわけであります。  そこでこの点は、もう一度藤田さんと、それから同じ関西の御出身でございますから向井さんと、お二人の方にお伺いをいたしたいのでございますが、第一は、昭和二十七年当時行われました争議行為というものは、これは電源の職場の職場放棄というものを、組合がやったのは事実でありますが、それによる電力の不足をカバーする意味で、電灯やその他の停電を、スイッチ・オフを実際にやって電気を消したのは、一体組合組合の指令によって消したものであるか、会社が休電指令によって自分の考え通りにこれを消したものであるか。そしてその当時の、おおよそでよろしゅうございますが、関西における電灯負荷と電力負荷の割合はどのくらいか。そして実際の停電状況は、私どもの見るところでは電灯負荷の停電の割合が高かったように感ずるのでありますが、その辺の状況についてお話しをいただきたいと思います。  それから第二の点は、最近の二、三カ年間の労使関係でありますが、たびたびストライキが行われておるかどうか、その実情について、およその点をお話し願いたいと思います。  それからあとの点は、これは向井さんからお答えいただきたいと思うのです。非常にこれはあけすけな質問でありますが、民主的に労働運動をやろうとしても、あるいは世にいう穏健な組合活動をやろうとしても、どうも常に資本家側の方から裏切ってきておるのではないか。たとえば昭和二十五年のレッド・パージの当時、民主的な労働運動というものが起っている、しかしながらその後戦後最大のストにならざるを得なかったということは、どうもやはり労働運動というのは労使間の相対関係であって、一方的に労働者が民主的かつ穏健になろうとしても、その気持に沿うような資本家の出方が乏しいのではないか、こういうふうに考える。それでそういうことについての御見解、それからまたいかに民主的かつ自由なる労働運動をやろうといたしましても、スト規制法なんというものをどんどん作って政治的にその活動を縛ってくれば、勢い組合政治的な勢力を伸ばして、そういうスト規制法などを作らないような政治勢力を作り上げるように、大いに政治的にならざるを得ないのではないか、こういう傾向はないか、この二点について向井さんの方からお答えいただきたいと思います。
  147. 藤田友次郎

    ○藤田参考人 第一点の、当時二十七年の停電ストの際に会社の方でも制限をやったんではないか、これはその通りでございます。ただ会社の方で需給バランスを調整するために、非常制電をやったことは事実でございますが、これは御承知のように二十六年の春以来、五十年来、五十年来の渇水というような渇水に見舞われまして、非常なる努力をいたしましたけれども、結局力足らずいたしまして一部の調整停電をやらざるを得なかった、これは人為を尽しましても、物が足らないという、残念ながら日本経済全体の貧弱なるところの反映を受けてこういうことになったのでありまして、その後は非常な努力をいたしまして、調整停電というものはほとんど現在ではないという状態になったのであります。組合のやられました停電ストは、物があるにもかかわらずとある、こういうことでございまして、この点で私は本質的に違っておる、かように考えております。  なお、当時の電灯負荷と電力負荷とはどの程度になっておったかというお尋ねでありますが、いろいろ統計の取り方によって違いましょうが、われわれの方で電灯負荷と称しておりますものと電力負荷と称しておりますものとは、当時は、はっきりした数字は覚えませんけれども、電力が七〇%程度で、電灯は三〇%程度ということになっております。ところが最近の情勢から見ますと、御承知のように電力の需用が非常に伸びております。先ほど私が全体の需用が予想の倍近くも伸びておるというのは電力方面でございまして、特に三千キロ以上の需用家に多いのでございます。電力量の比率から申しますと、現在では電灯の方が二〇%、電力の方が八〇%、こういうようになっておるのが事実でございます。  それからスト規制法ができてから最近数年間ストライキを再々やっているか、こういう御質問でございますが、再々やっておるといえばやっておりますし、やっていないといえばやっていないのでありまして、少くともそれ以前よりはストライキの数は減っております。特に臨時給与等の問題でございましたならば、ストライキなしにそのつど円満に解決しておるのが実情でございまして、本年の四月の定期昇給の率をきめる際に、ごく短期間部分ストがやられた程度でございまして、以前よりは非常に穏やかな情勢になっております。
  148. 向井長年

    ○向井参考人 私電労連の立場でございますが、特に二十七年、八年当時の電力事情の問題は、今藤田さんから答えられたのですが、私も関西でございまして、当時このストライキにも参加いたしておりましたし、よく知っておるわけでございます。具体的の数字につきましては明確に記憶いたしておりませんが、大体当時関西で百二十万キロ程度であれば、電力も、あるいは電灯も制限せずにいけたのではなかろうかと存じます。ところが二十七年あるいは八年のあの渇水期の中におきましては、大体水力自流が六十万キロ程度ではなかったか、なお火力を合せれば七十万あるいは七十五万、こういう形から考えまして、総送力から考えますと、大きな会社がいわゆる停電制限と申しますか、こういう形をやっておったと思います。従って当時私たちストライキも、若干部分的ではございましたが、各発電所の中で職場放棄、いわゆる労務供給拒否がやられておりましたが、それよりも大きな問題といたしましては、会社みずからの制限行為が大きく社会的に影響を及したということは、私最初の陳述の中で申し上げた次第でございます。  なお、負荷の問題につきましては、電灯負荷あるいは電力負荷、これは藤田参考人が言われた通りのように私たちも考えております。  次に、ストライキがその後たびたびやられたかどうか、この問題でございますが、これは御承知のごとく電労連大の問題ではございませんが、各企業の中において、本格賃金あるいはまた労働協約等々、いろいろな問題を迅速に処理するために、一つ手段として、今申しました、このスト規制法に該当するストライキじゃなくて、部分的な、いわゆる職場放棄的なものが若干あったと考えております。  なお三点の、民主的労働組合として健全な組合として発展しようと努力しても経営者がこれに対して裏切り行為をやるのではなかろうか、こういう質問でございますが、この点につきましてはそういう事態もあると考えます。と申しますのは、特に私たちは、やはり労働組合目的を遂行するために、あらゆる手段をとっていろいろな要求も上、あるいはまたそれに対する闘争もいたすわけでございますが、しかしいろいろ事態解決の中で、やはり会社が一方的に、特に人員の問題につきましても、現在どしどしと人員が削減されておる。これはなぜならば、御承知のように首切りは電気の場合はいたしておりませんが、やはり停年あるいは事故退職者、これが関西の場合を例にとって申しますならば、一年間に約千人近くに上る。それに対しまして新規採用が約半分程度である。こういうように私たちは考えるわけでございます。これは関西のみならず、各九電力事業の中におきましてほとんどが今申しました形で人員が減っていく。それに対する裏づけがほとんど半数以下である。こういうようにして、日常いろいろな労働強化と申しますか、これが現に各末端の職場々々で現われてくる。なおまた、先ほど申しましたその中から一つの業務を遂行するためには、やはりその人員では足りないというところから、やはり時間外の仕事もしなければならぬ。こういう場合に、小川さんも言われましたが、特に時間外の賃率の引き下げとか、あるいはこれに対する一つの予算上のワクをはめてそれ以上はやらさない。こういう形でいろいろこういう面においての職場の不満が各所にあるわけでございます。そういう点から、私たちが正常なしかも健全な組合を、ただ単に観念的な私たちの闘争だけではなくて、具体的に私たち利益を守る組合として発展しようとする。これに対して、やはり会社としてはそれに対する裏づけと申しますか、これは十分ではありません。そういう点はわれわれも日常体験しておる次第でございます。  四点といたしまして、特にしからば今申しましたこのスト規制法の問題を一つ考えましても、やはり政治的に社会党を伸ばす必要があるのではなかろうか、こういうような質問で、ございますが、これはもう当然労働組合にとりましても、あるいはまた国民の一人といたしましても政治関心を持たない、あるいはまた政治理解を持たないということは大きな間違いでございます。従って労働組合は、特にその立場から政治関心を持つと同時に、やはり政治活動の大きな部面は選挙である、そういう立場から、常にわれわれも組合内部において政治感覚と申しますか、あるいは選挙に対します問題をわれわれは指導しておると同時に、われわれの代表を各議会に送ろう、こういう立場でわれわれも社会党と協力してやっておる次第でございます。
  149. 八木昇

    八木(昇)委員 最後に一点だけ有泉先生にお伺いして終ります。御承知のようにこのスト規制法には罰則がないわけでございます。で政府の方の御答弁によりますと、このスト規制法に違反をした場合は、その行為労働法上の保護を受けられない。従って旧公益事業会による罰則の適用を受ける、こういう説明でありますが、どうも私どもしろうと考えでも少しく納得がいかないのであります。その点についての御見解を簡単にもしできますればお願いいたしまして終りたいと思います。
  150. 有泉亨

    ○有泉参考人 罰則がないというのは、実は私はこれが作られるときも呼ばれて意見を聞かれたと思うのですが、そのときも罰則がなくて何か奥歯に物がはさまったような法律だということを申し上げたと思います。罰則なしにほうってあるのは、公益事業会や、それから鉱山保安法ですか、それが直接に従業員をも縛っている、どうもそういう立場でできているような気がするのです。で果してそうだろうかということを少し疑問に思うのです。今でもその疑問は解けないのですが、理由なく電気の取扱いをしないとか、そういうふうな条文ですが、これは経営者が公益事業の特別の許可をもらって独占的に仕事をしておりながら、お前は気に食わないから電気を引いてやらぬとか、どうもそういう規定のように思うのです。それから電気に何か物を触れてこわしたりしてはいかぬという規定がありますね。その方は、一体それがウォーク・アウトも禁じておるのかどうか。その点もどうも疑問に思っておるのですが、特殊な立法なのですね。ですから鉱山保安法にせよ、今あげました公益事業会、その方は特に突っ込んだ勉強をしておりませんので、そういう疑問を持っておるということしかお答えできません。
  151. 中原健次

    ○中原委員 時間がおそくなりまして特に参考人皆さんお気の毒に存じます。従ってお尋ねしたい諸点をきわめて簡単に整理をいたしたいと思います。その中でまず有泉先生にぜひお尋ねしたい。もう一つは小川委員長にお尋ねしたいというのが二点でございます。  最初に有泉先生の御所見を伺います。今さら伺わなくても大体わかっておるようなことでありますが、しかし事非常に重大だと思いますので、一言御発言を願うてみたい、こう思います。と申しますのは、先日来からの質疑応答等の中に私どもが非常に耳にはさまって気になっておりますのは、労使間の均衡を失する、つまりことにスト規制法のごとき立法の措置を通しまして労働者立場が一そう不利になっておる、こういう均衡上の問題が飛び出しておるわけでありますが、今さら不思議そうに申し上げる必要もないほどに明らかなことでありまするけれども、先ほどもどなたの御発言だったか知りませんが、本来ストは非合法的なものであるというような言葉さえ漏れておりましたので、一そうその感を深ういたすのであります。明治、大正あるいは昭和の初期時代は労働行為がしばしば合法のうちの外に追い出されておったと思いますけれども、それは日本の労働階級が、はなはだ残念なことでありますけれども奴隷的な労働の中に追い込まれておった。そういう実態の中から労働階級の労働三権とでも申しますか、そういうふうなものが許されておらなかった、そういうことで、時の特に軍国主義的なはなはだ極端な弾圧法規がございましたので合法のうちにはなかったと思いますが、それは申すまでもなしに敗戦の後国際的な批判も受け、また国内的にも非常に深刻な批判が出て参りまして、少くとも近代国家を形成しようとするにはそういう事態があってはならぬということから、基本的な人権というものが浮び出して参りまして、ようやく労働者と資本は対等でなければならぬ、そういうことを法律の中でも規定したようなことになったと私どもは思うております。そういう観点から思うてみますると、いわゆるスト規制法なるものが出現いたしましてから、資本の側に妙に法律的加担をする、こういう結果が出ておるのではないか、これは、おるのではないかという疑問的な言葉も必要ないほど明らかになっておるのであります。そこで、この法律の措置というものが、労使関係をますます不均衡に追い込んでいくという結果に陥っておるのではないか。しかも一面に経営の側では、たとえばストライキが起りますと、先ほどもちょっと指摘したのでありますが、ロック・アウトをどんどん強行していく、あるいは各種の方法を通しまして、ストライキ破りを行う、あるいは言葉をいろいろに用いながらではあるか、団体交渉を回避する努力が払われている。先ほどもちょっと御質問の中にあったと思いますが、スト規制法を立案する動機といわれておりますあの当時の電産、炭労ストライキの当時のごときは、四十数日の長きにわたりまして団交を回避するという努力を払われておる。かれこれ思ってみますと、これはなかなかもって重大なことでありまして、そういうことがきわめて無関心ということはありませんが、為政者の方では無関心でもあるかのごとき姿を呈しまして、これを顧みておらない。しかもそれだけではなくて、そういう立法措置をするためには、公共福祉を阻害するの行為が労働階級にあった、こういう一方的な解釈で、どんどん宣伝がなされておるわけであります。ついうっかりしておりますと、国民がひょっとしたらそうかもしれないというような懐疑を懐疑ならばいいのですが、だまされてしまう、こういうおそれさえあるのではないか、私はそう思っております。そこで、先般来しばしば繰り返されたのでありますが、ただいま有泉教授からも言われたと思いますが、憲法十二条、十三条という線が実は非常に強調されまして、あの条項というものはあたかも公共福祉一点ばかりの個条でもあるかのように、特に政府に至りましてはにぎやかに宣伝いたしました。そこで私は、そういうものをかれこれずっとあわせて考えて参りますと、ストライキ規制法などというものは、やはり憲法の命ずる精神に全く対立しておるものではないか、従ってこれに賛成すると反対するとを問わず、きわめて高い理性を、そうして知性を今こそ必要とするときなんではないか。高い知性、理性というものがみんなの頭に浮んできて、その中で、あらゆる具体的な資料の収集の中で可否を論じていく、こういう形にならないことには、これは大へんなことだ。先ほど教授も言われましたように、ことに労働法学者立場は、歴史の前進におくれざらんことを期さなければならぬし、その歴史がやがて事の結論の可否、曲直を判断するであろうという大きな自負を持っておる学問の立場であればなおさらのこと、そういう問題等についてかなり深い思索が要るのではないか、そういうことを最近特にきびしく自分で感じておるわけです。ところが残念なことには、そういう傾向をも全く無視されまして、とにかく三年以前のそれをもう一度、いやむしろそれを恒久立法に切りかえることもきわめて妥当であると言わんばかりの雲行きが出ておるわけでありますが、果してそれが歴史上恥づことのないよき措置なのであろうかどうであろうか。これは労使という立場でなくて、国民の知性の立場から考えて、そううかつなことを言うわけにいかぬのじゃなかろうか、こういうように痛感いたしております。  ちょっと前提が長くなりまして恐縮でありますが、いずれにいたしましても、この判断の結果といたしまして、このスト規制法なるものは労使の均衡を破り、しかも一方的に偏在するような条件を作る、そういう立法に値しておるのではなかろうか、これがお尋ねの要点であります。
  152. 有泉亨

    ○有泉参考人 労使の均衡という点からいうと、御説のように、ことに電産の場合よけいそういうふうに思います。というのは、およそ争議らしい争議ができない。先ほどから皆さん質疑応答の中で出ているその電産の事情を聞いてみますと、何かものを言わない争議だとか闘争だとか、非常にきたない格好をしてこじきのまねをしてやる闘争、そんなものしか闘争らしい闘争ができない、そうして労使の両者を縛るような仲裁の道はない、そうすると、使用者側は交渉を幾ら遷延してもよいわけでありまして、幾らしても今まで通りの賃金を払っておればよいわけであります。そうすると債務不履行にならない、そういう関係に立つ。石炭の場合になりますと、石炭では保安要員を引き揚げなくっても争議はできるわけですが、しかしそこは考え方基本問題でして、さっき夫婦げんかの例をあげたら、どこかでおひやかしになりましたが、夫と妻でけんかをしておるときに、妻が逃げることができないという法律をちゃんと作ったとすれば、夫の方はあぐらをかける。ですから、逃げるつもりはなくても逃げますよということは言えなくちゃ、また言うだろうと思うのです。そう言ったからといって、私が先ほど述べましたように、また重枝さんもそう確信されておるということで私も意を強うしたのですが、言ったからといって保安要員を引き揚げるということは、実際にそんなに大規模に行うものではないという、そういう確信ですね。組合の方でも、少くとも二つの組合のうち一つの代表者がそう言っておられる。しかし、交渉の過程でそういうことか言えないというのは一だからこれを個々の労働者に直して言いますと、私はもうお宅は労働条件が悪いからやめますと、こう言ってやめることができないところまで響くわけです。それはどうも論理的にいって労使対等ではない、こういうふうに考えるわけです。憲法の十二条、十三条の問題が出ましたのですが、あれは今日のところでは日本全体の法体系の解釈、運用の面ではどうも公共福祉基本的人権が制限、ことに憲法二十八条の今制限ができないのだという説は、現実には破れておると思う。しかし学説としては、東京大学から出ております憲法逐条の解釈の三冊本がございます。あれをごらんになるとおわかりになると思いますが、私は参加しておりませんが、東京大学の田中二郎教授以下の諸先生が書いたものに、やはり公共福祉という非常にあいまいな概念では、無条件に憲法が保障しておる権利は制限できないのじゃないか、こういう説が載っております。そして十二条、十三条はまさにそういう非常に強い権利をもらったのだから、今度は各人が自分で十二条、十三条を大いに守って権利乱用にならないように公共福祉を侵害しないようにこれを行使すべきだ、こういうのが十二条、十三条の解釈になっていると思います。ただその説に賛同しているわれわれとしては残念なことですが、最高裁とかあるいは一般行政的な取扱いの面ではその説は通っておりません。そういう状況ですが、憲法二十八条、あそこに「勤労者の」とこういう言葉を使っている。これはだれもが繰り返していっていることですが、一般国民じゃなくて、勤労者の団結権は保障する、二十一条の保障以上に二十八条の保障をするとなっているのは、やはり無意味にあるのではなくて、これは相当に尊重してもらいたい、コンヴェンションとしては公共福祉理由にあれを制限するような方向があり、現に行われておるのはかりにやむを得ないとしても、精神からいって大いに尊重してほしい、こういうふうに考えるわけです。
  153. 中原健次

    ○中原委員 もう一ぺんお尋ねしておきたいのですが、ただいまの基本的人権の問題であります。私どもの解釈では労働者のみならず、つまり人間の基本的人権というものがいわゆる憲法基本的人権を阻害するおそれのある場合云々という場合に適用する場合には、自分の行為が人の基本的人権を否定し侵す、こういうときの基本的人権を阻害するおそれのあることを避けなければならないということにつながるのじゃないか。従ってただ漠然と、だれかが損をしたからすぐ基本的人権だという意味ではないのじゃないか。だから基本的人権を守るということは、相手の基本的人権を阻害するということと関連するのじゃないかというふうに私どもは思っております。そうなりますと、やはりスト規制法というものが、ちょっと無理にそこにこじつけて解釈をして流布宣伝しているのじゃないかという感じの方がどうも深くなるわけです。そこでそういうような意味が理解されるからには、憲法の精神を生かそうとする意味からいうと、どうもスト規制法なるものはやはり憲法に反しておる立法措置である、こういう理屈が出て参るわけであります。従ってこれは軽々に結論を出すのはかなり困難がありますけれども、三年前の公聴会のときに有泉先生を初め、東大、慶大、早稲田あるいは和歌山大でしたか、等々の先生たちにも御苦労を願ってお説を拝聴したわけです。学者の説はいろいろありましたけれども、結論としてはどうも違憲の疑いがある、あるいは違憲立法である、あるいはこれは反対である、こういう御議論になったように私どもは記憶いたしております。まあどなたか一人はそうでもなかったようでありますけれども、それは私どもとしてはあまりとるべき説のように思いませんでした。というのは、やはり憲法を非常に重視するという観点から、私どもそういう判断をいたすわけでありまして、従って今回のこの法律案の審議にあたりましては、やはりそれにこたえるだけの審議の態勢というものは、絶対に必須の条件であるとさえ思っておるわけです。そういう意味で、基本的人権というものがさなきだに失われよう、失われようとしておる段階であります。ことに最近は生産性向上運動というものが、御存じの通りに持ち上って参りまして、なるほど一面には非常にいい趣旨のようにうかがえるのでありますけれども、厳密に追及して参りますとやはり人間の権利というものが蹂躙され、ことに生存するいのちの権利、生活の権利、そういうものがどんどん踏みにじられなければならぬような、そういう形に生産性向上運動というものが方向づけられておるということを私ども感じておりますので、なおさらそういう情勢の中におけるスト規制法の繰り返し、しかも恒久立法化への努力を国会がもしするとすれば、これは大へんなことになるのじゃないかと考えておるわけです。この点につきまして一応もう一度先生の御見解を伺いたいということと、それから最後まで残っていただいておそれ入りましたが、小川委員長からも一つそのことについて、労働者はこのことについて特にどう思っておるかというお説を承わっておきたいと思います。
  154. 有泉亨

    ○有泉参考人 どういうお答えをすればいいのかちょっとあれですが、基本的な人権というものは他の基本的な人権と衝突する場合にそこで調整をする、しかし他にどういう基本的人権があるかということがあまり明確でない場合もあり得るわけです。そこではやはり権利乱用という現象が起きてそこで制約を受ける、権利それ自体として乱用である、他人の権利と衝突するかどうかは別として乱用である、こういうことはあると思います。そうして今お話があって思い出すのですが、炭労保安要員引き揚げをやると二十七年ごろにいわれました折に、保安要員を引き揚げておいてピケット、こういうことをいわれたことを記憶するのですが、私はそれは少し行き過ぎだろう、保安要員を引き揚げておいてピケットを張って、会社側が自分でやろうとするのをとめる。これは二十九条の問題で会社が自分の財産が水浸しになったり何かするのを自分でやろうとするのはおとめにならぬ方がいいだろう、こういうふうな意見を述べましたが、それは今もそう思っております。しかし出発点はやはりかなり具体的な他の基本的な人権と衝突をするかあるいは明瞭に権利乱用である、こういうところに限界が引かれ、そういう観点から今度のスト規制法を永久的なものにする、こういうことになると法理論としてはやはり賛成できないと思うのです。ですから法理論を一本通すということになればそうなるのですけれども、先ほど一番最初に申したように政策論1これは憲法というものがあまり文字から離れていけば憲法を守れない、こういうことになり、最高裁判所で違憲立法だということになるはずのものですが、その限界というのはなかなかむずかしいので、憲法自身も運用の面で若干は日々変り得る、しかし私としては二十八条をそういうふうに変えたくない、変えるべきではないと理解しております。社会的の事実としては変る。  そこで参考人として意見を述べるとすれば、法理論としては私の説からいえば憲法違反疑いが濃い、こういうことになると思います。しかし政策論としても組合責任を持ってもらうような態勢に持っていくことが労使関係を民主化し、全体の幸福を増進する、さしあたり何か危なげなところがあるようでも、これは親から子供を見ますと、いつまでも、青年になっても子供のように考える。使用者側が組合を子供のように見るというのはある意味では僭越かもしれませんけれども、とにかくまだ戦後組合というものが経験が浅いという点があって、そういう意味で社会的に前の立法は一部分肯定されるような空気もなくはなかった、こういうことですが、次第に組合もおとなになっていただくし、使用者側も組合の存在を十分に認めて、そうして自主的にやっていく、それにはこういう法律がない方がいいだろう、政策的にもそう考えております。
  155. 小川照男

    ○小川参考人 時間がないようでありますから、簡単に申し上げます。私は有泉先生のように学者でありませんから、理屈はよく存じませんが、私どもが戦後組合運動をやっておりまして、特にこのスト規制法制定前後から感じておりますことは、終戦後新憲法ができまして、特にわれわれ労働者には直接関係のあるいろいろな法律ができた。そして少くとも社会が進歩していくにつれて、労働者の解放といいますか、労働者の制限をするということでなしに、一般の国民にしても自由をより多く与えていくという形に法律というものはなるべきじゃないかというふうに私どもは考えているのですが、少くとも戦後の昭和二十二、三年ごろと現在を比較いたしますと、皆さん御存じのように、いろいろ問題になりました破防法だとか、教育二法でありますとか、このスト規制法だとかいうふうに、その他いろいろな民主的な制度がだんだん狭められていく。私ども電気労働者だけのことを申し上げましても、たとえば労働組合法の五条でありますか、使用者から主とした経費をまかなわれてはならないというのがあったのですが、この法律が厳然としてありながら、たしか昭和二十四年ごろまでは、いいか悪いかは別として、まだ財政的に弱体である日本労働組合は、組合の専従者も会社から給与を受けておりました。ところがそれを不当労働行為になるのだという形で、実は財政的にも組合の専従者を少くするような政策に使われたといいますか、本来それは組合が持つべきかもしれませんけれども、少くともそういう形が同じ法律の中でも政策的に使われてきた。それからまた、労調法の三十七条でありますか、これは直接私ども公益事業に関係がありますが、これもやはり、昭和二十何年でございましたか、一部改正を見ております。これも結果は別といたしまして、あのときの意図は、前のように一カ月の冷却期間を置いて無制限にやるのではなしに、ストライキのときは事前に通告をするという形で、立法の趣旨はいろいろ説明されておりましたけれども、やはり少しでも何とかストライキをやらせないようにしよう、こういう意図であったように私どもは考えております。最近に至りますと、労働基準法の改悪といいますか、労働者がより悪くなるようにいろいろ考えられておりますし、いろいろな面かだんだん——兵隊がないというのに軍人がたくさんできてきて、先日の話では、エジプトよりは日本の軍隊の方が多いようでありますが、これも兵隊がいないという憲法のもとにおける国だ。こういう格好で、何がなしに、戦後私どもが一個の人間として解放され、権利を与えられたと思っておったものがだんだん狭められてくる。デモにおきましても都条例というようなことで、だんだんあちらこちらにおいて狭められてくる。こういう状態というものは、何か昭和二十年という一つ日本の新しい契機に穴があく。二十年を飛び越して十九年がくるのじゃないかという気分が私どもとしてはしておるわけであります。この問題は、先ほど電気労働者十何万人、炭鉱労働者四十何万人のことじゃないか、お前たちだけのことだ云々ということがありましたけれども、私どもの感じとしては、これは一電気労働者炭鉱労働者の問題ではなくて、大きな日本の流れ、いわゆる憲法の解釈なり、憲法を運用していく方々のきわめて高度な知性といいますか、日本の国のあり方に対しての遠き将来にわたっての深い知性の上に立っての御判断をお願いしたい、こういうふうに心配をいたしておるわけでありますので、よろしくお願いいたします。
  156. 佐々木秀世

    佐々木委員長 中原君に申しますが、お約束の時間の三倍かかっておりますから、一つ結論を出していただきたいと思います。
  157. 中原健次

    ○中原委員 それでは委員長のお言葉に従いまして、小川副委員長にもう一つお尋ねします。  先ほど関西電力の取締役ですか、藤田さんのお話で、総経費と人件費の割合のことについて——先ほど小川さんのお言葉では、五〇くらいの位置だったものが二〇くらいに押えられてしまったのが現状だというので、私ども非常にびっくりしておったのです。ところがただいまではまた一二ないし一三くらいならどうにか経理の健全性が保てるだろう、こういうお話があったので、ますますもって大へんなことだと思うのです。日本の労働階級というのは大体飢餓ようやくの線におるわけでありまして、別に多過ぎるような給与をとっておりません。しかるにそれが一二ないし一三くらいまでまだ下げなくちゃならぬというような常識がもし流布されておるとすると、これはますますもって大へんだ。しかもそれにかてて加えて、そういう妙な立法措置が次から次にとられてきて、労働者は自分の主張すべきことをどうにも主張するすべさえない、こういう形が予想されてこないわけではない。こういう関係で、いわゆる組合の指導的な立場を持たれる方々責任というのは非常に重大でありますし、また国会におります私どもとしましても同様きわめて重大な責任を感ずるわけです。これは保守とか革新とかいうことでなくて、わが日本産業経済のよき発展を願う立場から考えまして、きわめて私は責任が重いと思います。そういう意味で一応この際、この二〇%という状態にまで押し下げられている。特に現在の電産関係労働者立場、これはおそらく大体全般にも似たようなものが及ぶと思いまするが、その立場から考えまして、今のような立法措置がもしうかつになされる、立法措置ではなくて現行の法律を延ばすという措置が、しかも永久化すというようなことが万一行われるということになって参りますると、これは全日本の労働階級、これはもう組織がどの組織におるとかということじゃなくて、私は日本産業の労働階級並びに国民全般の立場、国家の財政、いや国家の経済産業こういうものをまじめに考える者、あるいは人間としての権利、基本的人権を守らねばならぬとする熱意を持つ者の立場から、全体としてこれは大へんなことだと思うのです。そういう意味では、もしこういう立法措置がそのままのまれ、あるいはそういこうことの危険をさらに助長するおそれありとする生産性向上運動というものがますます羽翼を伸ばして、しかもそのような間違った見解が国民に流布されるというような状態が起ってくるといたしますると、これは私は相当腹を締めて考えなければならぬのじゃないか、こういうふうに思いますので、時間もありませんからただそういうような問題を提起いたしまして、あなたの御見解を伺っておきたいと思います。
  158. 小川照男

    ○小川参考人 非常に大きな、広い問題でありますので、短時間にはなかなかお答えしにくいと思いますし、これでお答えになるかどうかわかりませんが、時間も制限されておるようでありますから簡単に申し上げたいと思います。  少くとも直接電気事業をとってみますと、これはかって昭和二十三年か四年の中央労働委員会の調停案が提示されますときに、現在の中山会長が調停委員長であったと思いますが、これが電気事業においては総経費と人件費の割合が五〇%程度までがよろしい、こういうようなことを——それ以上がいいということじゃないと思いますが、五〇%程度でよろしい、こういうことを調停案の中でありましたか説明の速記の中かに残っておると思いますが、そういうことからだんだんこういうことになった。もちろんこれはだんだん賃金が下り一方的に生産が上ったということだけではないので、若干の他の要素もあると思いますけれども、少くともきわめて極端なところにきている。特に三〇%程度から二〇%、今日までに至ったには、先ほど列挙いたしましたような形の、だんだん労働者にその面のしわを寄せてきた、五〇から三〇になるまでは、いわゆる全般的な経済の回復といいますか、その面も手伝ったと思いますが、少くも三〇から二〇に下げられる段階というものは速度もおそかったわけなのですが、しかしこれは労働者のいわゆる労働条件の圧迫によって人件費は下げられておるというふうに、大まかに言って間違いないのではないかと思います。そこで現在は、関西の藤田支配人はうまくいっておる、こうおっしゃっておるのであります。それは確かにスト権がないような形でやられておる組合だから、ストライキをやっても仕方がないから結局団体交渉で片がつくという、これは当然なんで、それはつけなければこちらが損です。たとえば千円くれといっても五百円しか出せぬというと、そのまま話がつかなければ五百円にもならないから、もう適当な時間に五百円で折り合おう、これはもらわないよりはいいですから、もらおうという形で片がついております。これは決して円満にいっているのじゃないと思います。そこで組合員は確かに穏健な組合員という形で表現されておりますけれども、先ほど当事者の向井関西出身の方もいわれておりますように、職場の中では不満がつのりつつあります。私どもが心配しておりますのは、どういう組合のあり方がいいかということは、いろいろ議論がありますけれども、少くとも健全な、穏健なということをいわれながら、このような法律で、しかも手かせ足かせをすると、その不満から、また職場が実際に今のように結果的に条件が悪くなる形の中から、むしろ労働者は本質的な自分の生活を守りたいという意欲から、むしろ左翼化するといいますか、われわれが考えていないような方向にうんと左翼化する危険性も生まれてくるのではないか。そのことは決して政府方々も望んでおらぬと思いますけれども、やはり穏健にやろうとする行き方、これについてはそういう育て方というものがあるのではないか。こういう押えつけるという形で健全になっておる。確かに犬でもきびるときはおとなしいのです。それが犬の本性です。出したら何をするかわからぬからいつまでもきびっておく。そういう意味で、ほんとうの労働組合というものはでき上ってない。やがてまた先ほど言われております、私どももやりたくないのでが、まあ一般的、常識的にいえば陰険なといいますか、いやがらせ的なストイキと申しますか、正々堂々たるストライキをやる道がないのですから、いやがらせ的なストライキ、会社の社長のところに夜襲をかけるとか、いろいろなことを考えておるわけです。とにかく変にいくと個人を相当攻撃するような、だんだんストライキとしてはわれわれがやりたくないような手段も用いなければやれない、こういう形になる。それでも要求が通らないという状態がだんだんきつつあるということを申し上げてお答えにかえたいと思います。
  159. 佐々木秀世

    佐々木委員長 参考人方々には長時間御出席下さいましてまことにありがとうございました。次会は明後二十六日午前九時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。   午後六時五十四分散会