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三鍋委員 私はただいまから
行政機関職員定員法第二条第一項の
建設省職員の
定数に関しまして
建設大臣及び
関係当局に質問をいたしたいと思います。
敗戦によりまして、
国土が四つの島に閉じ込められ、しかも九千万の人口を擁するわが国にあって、
国土の開発、風水害の防止、その復旧などの
建設工事は、すべての産業の興隆に直接大きい
関係を持っておりますことは、今さら言を要しない点であります。特に
例年台風によりまして引き起されている
災害によって甚大なる被害を
国民生活に与えていることは、まことに遺憾とするところであります。ここにおきまして、
建設工事の促進は、
国民のひとしく熱望するところでありまして、
工事の
遂行は、抜本的な
予算措置とともに、
合理的人員の
配置と、直接それに携わる
職員の身分の保障による
責任ある
職務の
遂行によって円滑になされるものであると
考えるのであります。ところが、この重大なる
責任を持っておるところの
建設省職員の
定数を調査してみまして、実に不可解な事実を発見いたしました。これではなかなか
仕事は順調に進まないのではないか、りっぱな、精神のこもった
仕事ができないのではないか、
災害が
災害を生むといわれる
原因がここにもあるのではないかといった
感じさえ持つのであります。
そこでお尋ねしたいのは、
建設省の
定員状況を調べてみますと、
本省及び
付属機関には千九百六十九名、
地方建設局には八千五名、合せまして九千九百七十四名となっているのであります。ところが驚くべきことには、このほかに
常勤労務者、いわゆる準
職員といわれておるのでありますが、この
業務に従事している人が一万一千五百六十五名、
常勤的非常勤職員、俗に
補助員といわれておるのでありますが、この
人々の数は六千四名、合せまして一万七千五百六十九名、約二倍に相当する
実質的職員が存在することになっておるのであります。準
職員というのは、その
内容を見ますと、
給与におきましても、
退職金その他ほとんど
職員と同じであるのでありますが、二ヵ月
雇用といった契約の
常勤労務者であります。
補助員といわれるのは、
常勤的非常勤職員でありまして、日雇いであります。その
職務内容を調べてみますと、これまた
一般職員と何ら変るところがないのであります。しかもその
給与は、
行政部費の一部の支出のほか、
工事費から
人件費が支払われているのであります。
職員の約二倍に相当するこれらの
人々に
職員と同じ
仕事をさせながら、名目はどうであろうとも、
人件費が出ているのに、どうして
定員の
ワクからはずしてあるのであろうか。準
職員、
補助員中相当多数の人が
工事現場の実質的な
責任者となっているのであります。たとえば、主任となり、あるいは金庫を預かり、小切手を切ったりして、重要な
職務を行なっておられるのであります。ここに具体的な例を
一つあげてみまするならば、たとえば天神川の
工事事務所の例であります。これは
委員長の鳥取県の例でありまして、特に
委員長の御出身の県を選んだわけではないのでありますが、私は、これはやはり全国的な
一つのケースだと思うのであります。これは
工事予算は約一億円なのであります。
工種は
河川改修、
道路、橋梁、砂防ということになっておるのでありますが、この
職員構成を見ますと、百三十一名でできておるのであります。その
内容を調べてみますと、
職員が四十二名で、
準職が六十八名、
補助員が二十一名ということになっております。つまり四十二名に対して、準
職員、
補助員が八十九名ということになるのであります。そうして所長さんとか課長さん、
係長さんは大体
職員なのでありますけれ
ども、その他の
事務員とかあるいは
技能員とか、中には
係長といった人までこういった身分不安定な
状況のもとに
業務に携わっておられるのであります。最近の
建設事業を見ますと、一時的な
仕事よりも恒久的の
仕事が非常に多くなっておるのであります。そういう現在におきまして、身分不安定にしたままの
准職員制度をこれで妥当であると思っておられるのかどうか。これでは
責任の所在が明らかではないということになるのではないかと思うのであります。りっぱな
仕事ができないのではないかと思うのであります。これらを総合して見ますと、明らかに保守党の
歴代政府が
行政整理の一枚看板にとらわれて、面子にこだわった最も悪らつな
人権無視の
やり方であるといった
感じすら持つのであります。なおこれにつきまして奇怪なことがあるのであります。
職員が上司の指示によりまして
任命配置願いというものを書かされたのであります。その一札をとられて格下げされたものが一千名に上るのであります。
行政整理とは格下げをすることか、非
能率化をあえてすることかといった
感じさえ持つのであります。
国民から見ますと、これら
准職員、
補助員を
定員の
職員とされても税金の額には変りがないのであります。
一つの
事業をりっぱに完成するかいなかということは、一にかかって人を生かして使うか、人を殺して使うかにあると思うのであります。人を生かして使うということは、常に愛情を持ってこれに接し、
希望と精神的安定を与えることであると私は思うのであります。しかるに
建設省の今の
やり方ではそういった片鱗だに見出すことができないのであります。これでは結果的には明らかにまた国費の乱費であるということにもなるのではないでしょうか。りっぱな
技術、
事務的才能を身につけた人が何年たっても
臨時雇ということはあまりにも
人権を無視した
取扱い方ではないでしょうか。人間を
物品扱いにしているといっても過言ではありますまい。こういったことを
本省においてやられますから、この下部の方におきまして、あるいは市井におきまして各工場なんかは
臨時雇制度というものをだんだん取り上げて、そうして
労働者を圧迫して不安定な
生活に追い込んでおるという事実をやはり私
たちは見のがすことができないのではないでしょうか。
大臣はこの準
職員や
補助員の
方々の切実なる
叫びが耳に入っていないのでしょうか。これをやはり私はお聞きしたいのであります。たとえば七年も八年も勤務していまだに二ヶ月
雇用といった形で取り扱われたのでは、まじめに働くのがばからしいといったような
気持さえ出ておるのであります。はなはだしいのは、結婚の際に、お前は
補助員であるから、
臨時職員であるからといって、その縁談が破談になったという例さえあるのであります。この
事務柄といたしまして、
市町村役場とかあるいは
安定所、銀行など対外的な折衝の際でも、
常勤労務者では名刺さえ作ることができないといった悩みを持っておるのであります。また
工作整備事務所では熟練したら民間の方に転職していく。
建設省はこれらの
養成所の観すらあるといわれておるのであります。何年たったら一人前の
職員になれるのかわからない
状態の中で
生活苦と自暴自棄に陥り、まじめに
技術や
業務を修得向上しようという意欲はだんだんなくなってきている、これらの
状態とこれらの
叫びというものがやはり
大臣にもおわかりになっておらなければならないと思うのであります。
次にこの
職務責任度の点から
考えてみましても、
先ほど申し上げましたように、ほとんど
職員と同じであるのに、こういった
差別は私は絶対に許されないと思うのであります。これらの
人々の
学歴の
内容を本年の四月の
状況から調べてみますと、
大学卒業生が五十人おります。
専門学校卒業生が二百四人、
旧制中学以上の者が二千三百八十三人が準
職員の
取扱いを受けておるのであります。また
補助員にとってみますと、
大学卒業生が八十五人、
専門学校以上が百五十二人、
旧制中学校以上が四千二百三十六人もおるのであります。これをまた
奉職年数から見ますと、準
職員の場合は、十年以上勤めていられる方が千二百二十九人、五年以上の方が二千大百六十四人、四年以上勤めていられる方が千二十七人、三年以上は五百八十六人という数字に上っております。
補助員の場合は、五年以上が千九百六十八人、四年以上が千六百九十三人、三年以上が千四百九十八人、このように、
内容を調べてみますと、
学歴といい、
勤務年数といい、りっぱな
資格者であると思うのであります。それらの人がこのような
取扱いを受けている。私はこの問題はやはり
自分自身の身になって
考えてみたい、あるいは
自分のむすこがこういう
状態に置かれている場合のそういう
立場に立って
考えてみたいのであります。こういう
状態では
仕事に精魂を打ち込んでやることができないのではないか。結果から見ますと、
建設省は
技術員や
事務員の
養成所ではないかといった感すら持たざるを得ないのであります。将来の
希望がないから、
技術を修得したならばやめていく人が多いのもここに
原因がありましょう。だからその補充のために新しい人を採用する、直接重要な
現場の
仕事に携わっている人が経験の浅い人によって埋められていくという、こういうことでは
能率が上らないと思うのであります。いい
仕事は絶対にできっこはないと思うのであります。そこで
政務次官にお尋ねしたいのは、私の今まで述べましたこの
建設省の
職員構成につきまして、どういう御
所見と対策をお持ちになっているか、これをお尋ねしたいのであります。
補助員以上は
定員内の
職員にしようとする強い決心を持っておられるかどうか、今まで
通りにやはりずるずるとやっていかれるのかどうか、これをお聞きしたいのです。