○森参考人 私は本日お呼び出しを受けました森茂吉でございます。私は大正九年から今日まで三十七年間
池袋駅前に居住して、現在菓子製造販売業を営んでおるものであります。また
昭和二十一年十二月から本年三月三十一日まで約十カ年、
池袋駅を
中心といたします第十地区の区間整理
委員を勤めて参りました。また
昭和七年以来豊島区議会に議席を有しているものであります。今日問題となっております
池袋東口駅本屋用地の件につきまして、用地の換地を審議いたしました区画整理
委員会の一員としての証言を申し上げ、賢明なる先生方の御判断を仰ぎたいと存ずる次第であります。
そもそも、区画整理は、御承知のごとく、戦災都市復興計画の一環といたしまして今日まで
政府が各都市に命じてた施されたものであります。問題の東口駅本屋用地は国鉄が
東京都知事に要請いたしまして区画整理により獲得したものであります。これが経過を申し述べさしていただきますならば、
昭和二十三年八月の区画整理
委員会に、国鉄の川地としてかなり広い設計図を示されたのであります。その際私は、地元の土地所有権者並びに借地権者を代表する区画整理
委員として、このような広い土地を何ゆえに国鉄が必要とするのかと質問いたしたところ、運輸省から見えていた当時の伊藤停車場課長が、
池袋駅には将来上信越線が乗り入れられるので、駅舎を改築し、駅構内広場を作るためにこの度の土地が必要であるという
説明をしたと記憶しております。地元に住む私
たちとして、
池袋駅がりっぱになり、ゆったりとした駅の構内広場ができ、その駅に上信越線が乗り入れられるということであるならば、地元繁栄のためにけっこうであると思い、そのために強い減歩がかけられたとしても賛成すべきだと判断いたしましたので、運輸省の
説明を了承した次第でございます。
その結果、私もその減歩を受けた一人でありますが、駅前周辺は最高四割五分から四割二分の約半分に近い減歩を受けたわけでございます。減歩と申しますのは、区画整理の結果減らされる土地の歩合のことであります。たとえば私
個人といたしましても駅周辺で、約三百坪余の減歩を受けておりますが、その駅前の一例を示しますと、区画整理前は駅前に八十六坪を持っておりましたものが、整理後は五十坪になり、その減ぜられた比率がすなわち四割二分で、つ
まりそれだけ減歩を受けたというわけであります。こうような高率な減歩ではありましても、近い将来の
池袋地区の繁栄を楽しみにいたし、強い減歩を甘んじて受けたのでございます。
ところが、その後一向に駅舎改築の気配も見られず、どうなったのかと心配いたしておりましたところ、
昭和二十五、六年ごろから
池袋交通会館という駅舎を改築する
会社の準備会ができるということを耳にいたしました。
昭和二十七年にはその
会社がホテル並びに貸事務所を駅舎の上部に収容するという条件で駅舎改築を国鉄により承認されたと聞きました。ホテルや貸事務所
程度のものならばまあまあいたし方ないと思っておりましたが、これがいつの間にやら丸物というデパートに姿を変えて今年二月から工事に着手したわけであります。最近知ったところでありますが、
昭和二十八年二月に
池袋交通会館準備会は、前運輸政務次官伊能繁次郎氏を社長とする
池袋ステーション・
ビル株式会社として成立し、事業内容も二十七年の国鉄の許可のときとは全く異なってデパート経営と変更しております。そしてこの
会社をどこか適当なデパート業者に売り込もうとしたところ、たまたま
東京進出を希望していた京都の丸物と結んだと考えられる点があります。この結果設計も当初の地下一階、地上五階のものを、地下三階、地上八階に変更して、百貨店法の成立を考え、あわてて今年二月に工事に着手したものであります。
私
たちがかかる過酷な減歩に耐えてまで区画整理に協力いたしましたのは、何もデパートを駅の上に建てさせるためではありません。りっぱな駅舎とゆったりした構内広場を作ってもらうために民有地をいわば供出したものであります。しかして減歩を受けた者の中には多数の地元商人が含まれております。商人から土地を出させておいて、逆にその商人を苦しめるようなデパートを作らせることなどは全く大それたことであります。しかもデパートを収容するためには売場面積を広げろ必要があります。そのために池ビルの工事は敷地一ぱいに建てられ、一坪の構内広場も残しておりません。従いまして駅構内には一台の車の乗り入れる余地もない始末であります。このことは現地を御視察下されました参議院商工
委員会の諸先生方も現地でひとしく御感想を漏らされたところであります。この点については、後ほど高野氏が述べると思いますから私は省略いたしますが、とにかく当初の約束に反してきわめて乱暴な設計をしたわけであります。
区両整理と申しますのは、御承知の
通り公共のために必要な土地を削ることによって生み出すものでありますから、区画整理後はそれぞれ所有土地が小さくなることは当然であります。ところが
池袋駅東口国鉄用地については、東口に国鉄の所有地がわずかしかなかったので、
民間の土地から多くの
坪数が振り向けられております。私の調査の結果によりますと、五百九十坪が民地から提供されております。つ
まり国鉄は区画整理の結果五百九十坪だけ逆に増し換地をされたわけであります。このように旧鉄が
民間から土地を取り上げておいて、しかも当初の約束に反して一坪の駅構内広場も作らず、デパートを引き入れ、その上上信越線の乗り入れも立ち消えになってしまったというのでは、われわれ地元民として黙視するわけには参りません。私に言わすれば、上信越線乗り入れは口実であったというほかはありません。
またこの国鉄の増し地分は金銭で精算されるように都の方で進められておりますが、われわれは駅舎並びに駅構内広場のために提供した土地でありますから、約束に反してこの土地をデパート進出のために提供したのではありません。従いまして金銭で精算するなどということは断じて承服のできないところであります。今日の
池袋の繁栄はデパートによってもたらされたものではございません。もとより戦前戦後を通じましてわれわれ地元の小商人の力によって今日の繁華がもたらされたものであります。その他
池袋の町がにぎやかになったからといって大資本家が出てくる、しかも昔から国鉄の所有地ならばともかくといたしまして、
民間より提供された公共の土地にはいかなるデパートの進出といえども断じて収容するわけには参りません。われわれ小商人にとっては、土地は取り上げられ、その上商売は取り上げられるという結果にたりますので、重大なる決意を固めざるを得たいのであります。国鉄は本来の公共的立場に立ち戻るべきであります。また当初の約束
通り、この土地にはりっぱな駅舎と、ゆったりした構内広場を
建設すベきものと私は考えるのであります。私どもはこの点について、ここに強く主張するものであります。
以上、
池袋駅東口本屋の
建設が約束に反して進められている事実を証言いたす次第であります。何とぞ諸先生方におきましては、よろしく御審議のほどをお願いする次第であります。