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1956-12-05 第25回国会 衆議院 外務委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年十二月五日(水曜日)     午前十時五十五分開議  出席委員    委員長 前尾繁三郎君    理事 石坂  繁君 理事 須磨彌吉郎君    理事 高岡 大輔君 理事 山本 利壽君    理事 穗積 七郎君 理事 松本 七郎君       愛知 揆一君    伊東 隆治君       植原悦二郎君    大橋 忠一君       菊池 義郎君    並木 芳雄君       淵上房太郎君    大西 正道君       戸叶 里子君    福田 昌子君       細迫 兼光君    和田 博雄君  出席政府委員         総理府事務官         (南方連絡事務         局長)     石井 通則君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局第一         課長)     針谷 正之君         外務事務官         (経済局次長) 佐藤 健輔君         外務事務官         (条約局第二課         長)      滝川 正久君         大蔵事務官         (主税局関税調         査官)     柴崎 芳博君         通商産業事務官         (通商局次長) 中山 賀博君         参  考  人         (南方同胞援護         会総務課長)  浦崎  純君         参  考  人         (沖繩労働者協         議会常任委員) 瀬名波 栄君         参  考  人         (沖繩諸島日本         復帰期成会会         長)      仲吉 良光君         参  考  人         (在外資産補償         獲得期成会事務         局長)     比嘉 一雄君         参  考  人         (愛媛大学文理         学部学生)   森田  正君         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 十二月三日  委員小川半次君、大坪保雄君、小西寅松君、中  川俊思君野澤清人君、坊秀男君及び山本正一  君辞任につき、その補欠として松本俊一君、池  田正之輔君福田篤泰君、渡邊良夫君、伊東隆  治君、並木芳雄君及び芦田均君が議長指名で  委員に選任された。 同月五日  委員芦田均辞任につき、その補欠として淵上  房太郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員淵上房太郎辞任につき、その補欠として  芦田均君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 十二月三日  新潟市にソ連領事館開設等に関する請願(北れ  い吉君紹介)(第四六六号) 同月四日  沖繩土地収用問題に関する請願五島虎雄君紹  介)(第五〇四号)  原水爆禁止等に関する請願中原健次紹介)  (第五〇五号)  同外四件(中川俊思君紹介)(第六三二号)  同外四件(高津正道紹介)(第六三三号)  同(南好雄紹介)(第六三四号)  国連加盟とともに沖繩小笠原問題解決に関す  る請願淵上房太郎紹介)(第六二八号)  原水爆禁止並びに被災者援護に関する請願外一  件(原彪紹介)(第六三五号)  同(永田亮一紹介)(第六三六号)  同(河野密紹介)(第六三七号)  同(田中利勝紹介)(第六三八号)  同(西村力弥君外一名紹介)(第六三九号)  同(山花秀雄紹介)(第六四〇号)  同(坂本泰良紹介)(第六四一号)  同(川村継義紹介)(第六四二号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  関税及び貿易に関する一般協定譲許追加に  関する第六議定書受諾について承認を求める  の件(条約第六号)(参議院送付)  沖繩土地接収問題等に関し、参考人より意見  聴取     —————————————
  2. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これより会議を開きます。  関税及び貿易に関する一般協定譲許追加に関する第六議定書受諾について承認を求めるの件を議題といたします。  質疑を許します。石坂繁君。
  3. 石坂繁

    石坂委員 ただいま議題となりました件について、若干の問題についてお伺いをいたしたいと思います。  今回の関税譲許に当りまして、日本アメリカから七十六の税目についての関税譲許を得ており、わが国から六十七の税目が出たと説明になっておりますが、これによりましてどのくらいの価格になるかという点であります。私の聞くところによりますと、アメリカは四百万ドルを与えて七百五十万ドルを与えられた。英国は九千四百万ポンドを与えて千四十万ポンドを与えられたというようなことを聞いておりますが、それと対照いたしましてわが国はどのくらいのものを与え、また与えられたかという点を伺いたい。
  4. 佐藤敏人

    佐藤説明員 お答え申し上げます。一九五四年ないし五五年のただいま税率譲許いたしました品目についての貿易額で申し上げたらいいと存じますが、ただいま御指摘数字米国の対日譲許の額が五四年の輸入統計によりますと一銭百七十五万二千ドル、五五年の額が一千六百三十九万ドルと相なるわけでございます。これに反しまして日本アメリカ譲許いたしました額は一九五四年に一千八百三十六万九千ドル、一九五五年には二千四百六十六万八千ドル、こういたしますと、これだけの数字で見ますと、多少日本の方が貿易額でとりますと不利になっておりますが、御承知通りアメリカはこの春の交渉に当りましてほかの国と交渉をいたしまして、約五百税目と記憶いたしますが、五百税目につきまして第三国に譲許をしておるわけでございまして、これが日本に間接的に利益を及ぼす次第でございますが、その品目につきましての日本輸出額間接利益が一九五四年に一千二百十九万九千ドル、一九五五年には二千百四万三千ドル、こういうふうになっておりますので、その点から考えまして日本には相当大きな利益がある、こういうことに相なるわけであります。それから御承知通り日本アメリカだけでなく、スウェーデンにも約八品目と記憶しておりますが譲許しております。それによります米国の得ます間接利益はごくわずかでございまして、数字を申し上げますと、間接利益が五四年が七万六千ドル、五五年が二万六千ドルというふうに非常に小さな数になっております。
  5. 石坂繁

    石坂委員 先日資料として配付を受けましたうちに、「各国関税譲許わが国輸出に及ぼす影響」というのがあります。そのうちに、今回の譲許によりまして「対米貿易拡大に資するところが大きい。」ということがうたわれておりますが、確かにその通りだと思います。そこでこの際将来の見通しというものはむずかしいことだとは思いますけれども、ただいまの資料にある「対米貿易拡大に資するところが大きい。」という抽象的なところからもう一歩進めまして、この後どういうふうに拡大していくというお見通しをつけておられるのか。もっとも貿易の消長というものが関税率以外の要素にかかることの大きいことも私ども了解いたすのでありますけれども、一応この後の見通しについて伺っておきたいと思います。
  6. 佐藤敏人

    佐藤説明員 この点につきましては、説明書にございますように、また先生からの御指摘にございますように、非常にむずかしい問題であり、かつ御指摘のように関税率引き下げられたからそのまま輸出が増大するということには直接的には相ならぬと考える次第でございまして、アメリカないしスウェーデンその他各国の景気の状態にもよりますので、はっきりした数字は申し上げかねるのでございますが、ただお手元に差し上げましたわが国に対する輸出影響の一番終りに、昨年譲許いたしました各品目につきまして輸出増加程度が記載してございます。もしこういうふうにいくならば、大体二割ないし二割五分程度平均増加になるのではないかというふうに考えておりますが、これとても冒頭申し上げましたように非常にラフな勘定でございまして、関税率以外の要素が入って参りますので、果してそうなるかどうかは確信を持てない次第でございます。さよう御了承願います。
  7. 石坂繁

    石坂委員 将来の見通しについての問題は大へんむずかしい問題だと思いますので、その点はただいまの御答弁を一応了承いたしておきます。  ところで今回の譲許交渉アメリカスウェーデンの二カ国でありますが、この二カ国だけであって他の国との交渉ができておらないのは一体どういうわけか。そういう交渉をされたのか、されたけれどもできなかったのか、もししてもできなかったのならばどういう事情なのか、ちょっと伺っておきたい。
  8. 佐藤敏人

    佐藤説明員 お答え申し上げます。実は、御承知と思いますが、昨年日本ガットに正式に入ります際に十七カ国とすでに交渉をしておりますので、その際に日本に対して譲許し得るものは相手国がすでに大体してしまった。従って、日本とその他の国との直接利害関係ある品目は、大体その際に話が終了いたしてしまいましたので、ほかの国とする余地がなかった。ただアメリカにつきましては、御承知通り互恵通商法が延長されました関係上、またアメリカ税率が比較的にほかの国よりも高いという観点から、アメリカ日本との間が主になりまして今春の交渉に至ったわけでございます。従って、簡単に申し上げますと、アメリカ以外の国とは関税譲許を直接にし合う余地がなかった、こう申し上げられると思うのであります。
  9. 石坂繁

    石坂委員 アメリカ以外の国とは関税譲許交渉余地がなかったということでありますが、私の聞くところによりますと、セイロン関税譲許交渉には応じたけれどもついに妥結ができなかったということですが、果してしからばそれはどういう理由によるのでしょうか。
  10. 佐藤敏人

    佐藤説明員 御指摘のように、セイロンとも話し合うつもりでおりましたが、紅茶、ココアの税率について多少彼我見解の相違がございました関係上、その当時交渉はできなかったのであります。
  11. 石坂繁

    石坂委員 付表の第一、昨年度関税引き下げ譲許を受けた主要な品目とその輸出数量についての資料がありますが、これによって見ましても、大体の品目雑貨類が多いようであります。従って、貿易品目としてはあまり重要なものではないように見受けられるのであります。しかるにわが国貿易が現在重化学工業品に移りつつあるような現状だと思いますが、これらの重化学工業品について関税譲許獲得をすべきだと思うのであります。これらの点について交渉されたのか、どういう処置をとられたのか、お伺いいたしたい。
  12. 佐藤敏人

    佐藤説明員 重化学工業製品につきましては、昨年の交渉の際非常に力を入れまして、すでに対米の譲許は得た。従いまして、今般は主として御指摘雑貨類に主力が注がれた。また、御承知通り目下のところは対米貿易はまだ遺憾ながら重工業製品といいますよりも雑貨の点が相当重要でございますし、それからガット関税交渉の大きな主義といたしましては、両国間で具体的に重要性のある品目について税率引き下げ交渉をやる、こういう関係になっておりますために、今般はわが国から向うに出ます重工業製品を比較的除きまして、雑貨類に力が注がれた、こういうことになっておる次第であります。
  13. 石坂繁

    石坂委員 今回の交渉に際してガットの重要な条文である三十五条の適用廃止あるいはまた緩和について提案をしようとされたが、これを中止したというようなことも仄聞しておるのですが、これはどういう事情でそういうことになりましたか。
  14. 佐藤敏人

    佐藤説明員 今御指摘の点は、この関税交渉についてでございますか、それとも約二週間前に終りました今度の総会についてのお話でございますか、どちらでございましょうか。
  15. 石坂繁

    石坂委員 関税交渉なり今回の会議でも、どちらでも……。
  16. 佐藤敏人

    佐藤説明員 ガット三十五条問題については常時関係国折衝を続けておりますが、今のところ遺憾ながらまだ大多数の国につきまして基礎的な話し合いができておらない次第でございます。この関税交渉をいたす際にもいろいろ手を尽したのでございますが、そこまでに至らなかった。ただ新聞にも出ておりましたのであるいはお気づきかとも思いますが、援用国でございましたブラジルが今般輸入税の大改正を行いまして、これが来年早々ブラジル議会を通過して実施されるはずでございますが、それが通過いたしますとブラジル日本に対して三十五条を撤回するという約束ができております。従いまして三十五条援用国十四カ国のうちでさしあたってブラジルだけは援用が撤回される、こういうことに相なっておる次第であります。
  17. 石坂繁

    石坂委員 ただいまのブラジルの問題でありますが、今御答弁のように現在ブラジル議会関税の全般的な改正を検討しておる、従って来年の正月になると日本に対する援用が自動的に解消する。しかる上に日本といたしましてはブラジルとさらに関税交渉を行なって正式なガット関係を結ばれるお考えですか。
  18. 佐藤敏人

    佐藤説明員 御指摘のように、三十五条が撤回されますと、そのとたんに正式の関係になるわけでございまして、それ以後ブラジル各国関税交渉を新しい税率によりましてやるわけでございますが、そのときは日本も当然それに参加いたします。そのときに日本ブラジルとの関係においてガット関係が生じるのでなくて、その以前に三十五条を撤回したときにすでになるわけでございます。
  19. 石坂繁

    石坂委員 次にただいま問題になっておるアメリカわが国綿製品輸入禁止について伺っておきたいと思いますが、われわれ考えますとどうもガット精神にも反するし、日米通商航海条約精神にも反すると思うのであります。ことにガットの第十一条には「数量的制限一般的廃止」という規定が明らかにうたわれておるのですが、第十三条には「数量的制限の無差別適用」という条文がこれまた明記されてあるのであります。かような条文があるにもかかわらず、しかもガットを提唱したのはアメリカがまっ先に提唱しておりながら、日本綿製品に対して現在とっておるような禁止的な処置をやるということは、この根本から申しましてまことに不適当だと私は思うのであります。せっかくただいま外務省といたしましても交渉をしておられると思いますけれども、新聞等の伝うるところによると、総ワクなり別珍の数量でなかなか折り合わない、こういうことでありますが、ただいままでの交渉の経過並びに今後の見通しについて伺いたい。
  20. 佐藤敏人

    佐藤説明員 アメリカがああいうことをやる点につきましてはいろいろ問題があると思います。今御指摘の綿布につきましては最近新聞にも出ておりますようにいろいろ問題があり、かつその内容はどうであるかという御質問でありますが、目下谷大使向うで最上層部折衝中でございますので、その内容は私といたしましては遺憾ながらここで申し上げたくないのでございます。ただ最近に至りまして徐々に折り合いの方向に向いつつあるということは申し上げられると思うのでございます。ただ交渉のことでございますからどういうふうになりますか、これはなかなか予断ができませんが、徐々に歩み寄りの方向にあるということだけは申し上げられると思います。
  21. 石坂繁

    石坂委員 ただいまの御答弁の趣旨にかんがみまして、内容の詳細は私も差し控えますが、大体こちらの主張しておるワクはどのくらいになっておりますか、新聞紙上では伝えられておるのですが……。
  22. 佐藤敏人

    佐藤説明員 先ほど申し上げましたように、ただいま向うに出しておるワク折衝中でございますのでごかんべんを願いたいと思います。
  23. 石坂繁

    石坂委員 これは新聞に出ておりますけれども、お尋ねは遠慮いたします。  そこで最後に、ソ連及び東欧共産圏諸国との関係でありますが、もちろんソ連及び東欧共産圏諸国ガットに入っておりませんが、一面日本ソ連との間には今回貿易の発展及び最恵国待遇の相互許与に関する両国間の議定書ができておる。そこでソ連から日本輸入する場合にどういう関税を課することになるのですか、このガットとの関連においてもその点はどうですか。
  24. 佐藤敏人

    佐藤説明員 共産圏諸国の中でチェコだけはガットに加入しております。従ってこの点だけ御訂正申し上げておきます。それから御指摘貿易に関する議定書におきましては、たしか一でしたか二でしたかにおきまして最恵国待遇関税についても与えておりますが、この最恵国待遇は無条件の最恵国待遇でありまして、税率について申し上げれば、このガット税率ソ連貿易にも適用ざれるわけであります。あの種の協定を作りますときには、必ず税率については最恵国待遇をどこの国でも与えておりますが、その場合の最恵国待遇と申しますのは、一番いい待遇、すなわち具体的に申し上げますと、ガット税率のあるものはガット税率適用されるわけであります。
  25. 石坂繁

    石坂委員 ソ連貿易は御承知通り国家管理貿易であります。これは必ずしもコマーシャル・ベーシスでやらないで、ときによると政策的の見地から非常に安く売るというようなことがあり得ると思うのであります。さような場合には、わが国としてはどういうふうに対処されるのか。現にガットのうちには第六条にダンピング非難規定もあるわけであります。これとの関連におきまして、そういう場合においてのお考えをお尋ねしておきたい。
  26. 佐藤敏人

    佐藤説明員 実はわれわれソ連との貿易におきまして最も心配しておりますのは、御指摘の物が安いというよりも、むしろ物が高い方が心配でございまして、先般石油につきましても日本輸入したいという話がございましたが、これはほかの国から輸入しておるものよりも高いということで、なかなか輸入ができない。従いましてむしろせっかくああいうものができましても、向うのオファーしてくる値段がなかなか日本がほかの国から買っておる場合よりも高くて、むしろ買えないのではないかという心配の方が多いわけであります。
  27. 石坂繁

    石坂委員 一応この程度で終りたいと思います。
  28. 前尾繁三郎

    前尾委員長 暫時休憩いたします。     午前十一時二十四分休憩      ————◇—————     午後一時三十九分開議
  29. 前尾繁三郎

    前尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  沖縄土地接収問題等に関する件につきまして、参考人より意見を聴取することといたします。本日御出席の方々は、南方同胞援護会総務課長浦崎純君、沖縄労働者協議会常任委員瀬名波栄君、沖縄諸島日本復帰期成会会長仲吉良光君、在外資産補償獲得期成会事務局長比嘉一雄君及び愛媛大学学生森田正君であります。  議事に入るに当りまして参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。御多用のところ特に当委員会のために御出席願いまして、まことにありがとうございました。本日の議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位からおのおの御意見を開陳していただき、そのあとに委員から質疑がある予定であります。御意見の開陳は大体お一人二十分程度にしていただければ非常に幸いだと思います。念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言はそのつど委員長の許可を受けることになっておりますので、御了承願います。なお参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。  それではこれより参考人の御意見を伺うことにいたします。仲吉良光君。
  30. 仲吉良光

    仲吉参考人 私は声がかすれておりましてお聞き苦しいのですが、御容赦願います。私は日本国連加盟沖縄の復帰問題についてでありますが、日本国連加盟は本年中に実現するの見通しが明るくなっております。国家のために慶賀にたえない次第であります。われわれは国運の進展のこの機会に、十年の悲願たる沖縄祖国復帰を期待いたして、各位の深甚な御同情と御尽力を得たいのであります。  国連機構は全加盟国主権平等の基礎の上に立つということになっておりますし、加盟条件平和愛好国家となっております。しかし昨年日本を含めた十八カ国の一括加盟安保理事会に勧告しました政治委員会の案によりますと、国家統一ができていないドイツ、朝鮮は除外されていたのであります。この点から申しますと、民族統一国家であることがやはり加入条件であるという不文律ができたように解釈されております。しかるに日本は自分の領土たる沖縄小笠原に全主権が及ばず、行政権が行われていない。民族統一独立国家とは申されない。だからこの不文律に照らして、極端に申しますと、加入条件に欠くるところがあると私は解釈をしております。それだからこの国連加盟と同時に沖縄小笠原に全主権が及ぶように、そうして他の加盟国と同等の主権平等国たるの地位を確保しなければならないと思うのであります。アメリカが従来維持しておりますこれら諸島における軍事基地日米安保条約に包含して、そうして日本の本土の基地同様に日本行政下に維持できるのであります。これをしいて日本政治圏外に十年余りも放置しているのはアメリカの建国の精神にももとるわけでありますから、米国もこの際日本国連加盟機会にして、日本に全施政権を返して友好の実を示してもらいたいと思うのであります。  この間刷りものにもして上げました通り、これら諸島サンフランシスコ平和条約の第三条で、アメリカを唯一の施政権者として国連信託統治下に置くとあって、日本もこれに同意しました。しかしまだ信託統治には移っていない。依然として日本領土圏内にあり、また条約日本沖縄小笠原領土権の放棄は要求されていない。それでありますから国連憲章七十八条の「国際連合加盟国の間の関係は、主権平等の原則の尊重を基礎とするから、信託統治制度は、加盟国となった地域には適用しない。」というこの規定は、条文通り沖縄小笠原にも日本加盟後は適用すべきものだと思うのであります。  私はこの条文について、去年の十二月日本加盟が手中の六、七分は可能であるということになりましたので、米国政府及び上下両院外交委員会軍事委員会陳情書を提出しまして、日本加盟が実現したら沖縄小笠原にもこれを及ぼしてくれという陳情書を出したのであります。すると、上院外交委員会国務省意見を徴しましたら、国務次官補のサムソン・モルトンという人が上院外交委員長のジョージに意見書を出して、その外交委員会から私のところにそのままこの書面が参っております。これが今年の一月であります。国務省意見としては、この七十八条は第一次世界戦争のときに委任統治領となってその後独立をして国連加盟したシリア、レバノン、イラク、この三国に信託統治を行わないという保障のために挿入されたものであるから、たとい日本国連加盟してもこの七十八条は日本及び沖縄には適用しない。沖縄平和条約三条でどこまでもアメリカが維持していく。国連憲章の百七条に、「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」こういう条項があるから、平和条約第三条は廃棄はできない、こういう意見書を送って参りました。  しかし私の方は、この国務省意見にはどうも服しかねます。制定当時はそうであったかもしれませんが、七十八条は厳として存在をしている。効力は失っていない。のみならず、昨年十二月の総会で、国連は一躍七十六カ国のメンバーになった。そのときに国連普遍性のあるものであるが新しいプリンシプルが生まれたのであります。米国新聞などでは文字通り人類議会になった、こうまで言っている。それだからこの七十八条も普遍性のあるものとして解釈するのが正しいということを、また国務省及び上院外交委員長にあててやりましたが、同じ手紙しか来ていないのであります。  ことし鳩山さんがモスクワにおいでになりまして、日ソ共同宣言もできるようになり、ブルガーニン・ソ連首相が、日本加盟に対して今度ソ連拒否権は使わないと新聞記者に語って、それが新聞、ラジオで伝わっておりますから、いよいよ日本加盟がことしこそは実現するものと思いまして十月に安保理事会十一カ国の代表者それから事務総長に陳情書を送りまして、広い解釈を求めたのであります。そうしますと、十一月二日付で安保理事会の事務局から、総長の命令によって、あなたの方の陳情書内容及び趣意はよく了解できたから、その旨をプリントして加盟各国に配ったという返事がありました。とにかく一度事務局がわれわれの陳情書を取り上げております。しかしながら、果して安保理事会がわれわれの希望するように広義に解釈をしてくれるかどうかはなはだ疑問であります。  またこの間日ソ共同宣言審議の特別委員会条約局長は、ほぼ国務省と同じ御見解で、この七十八条は沖縄には及ばないという御解釈をされております。が、私は、この七十八条の国連加盟国の間の関係は、主権平等の原則の尊重を基礎とするから、信託統治制度は、加盟国となった地域には適用しないという条章は、万物をはぐくむ太陽の光と仰いでいるのであります。そうして日本国内の識者の、米国務省の解釈はあまりに狭過ぎるという御意見もようやく承わっております。現に加盟七十九カ国の領土内には信託統治の地域がありません。のみならず、信託統治をやる可能性、潜在性すらありません。日本加盟しましたら、加盟国日本としてはこの例外に置かれてはいけない。この例外に置かれぬように努力すべきものだと思うのであります。御案内のように、沖縄小笠原アメリカの管理下にいつまでも置かれるとやはり七十九カ国の例外に置かれることになる。これは国連加盟して主権平等の位置を確保している日本としては体面上忍びない。国民感情もこれを許さないと思います。そうして、ポツダム宣言を受諾した日本だからやむを得ないという口実は今後通用しないと思います。  ここでお願いに転じたい。新聞の報道によりますと、政府は、日本国連加盟した暁、その喜びを国民と分け合うために大幅の恩赦を行うという。これはしごくけつこうであります。それならばこの国家の恩情を八十万沖縄県民にも及ぼしていただくよう真剣に何か考えていただきたい。つまり沖縄の復帰、これをどうかこの機会にお願いしたい。一つ外務委員各位、外務省も真剣にこれを考慮していただきたいと私は切願をする次第であります。  従来もともすると、沖縄問題ははれものにさわるように官民ともに米国に対しては弱腰である、消極的であったような感じを受けるのであります。しかし国連日本加盟して国際的に位置が高まる日本としては、従来の消極性を脱却しまして積極的にアメリカ交渉を開始していただきたいのであります。わが加瀬大使は、ニューヨークにおける国連内のアジア・アラブ連盟にメンバーとしてこの夏おいでになりまして、日本国連加盟にアジア・アラブが一致して賛同してくれるように懇談されましたら快諾を得たのであります。またこのアジア・アラブの連盟からソ連の態度緩和をしてもらったように伝わっておるのであります。だから沖縄問題の解決にも、この手は考えられるのであります。  私のお願いしますのは、日本加盟をしましたら、国家としてまず第一着手に優先的に沖縄小笠原問題の解決という一点にしぼって、南の方の領土問題を解決してほしい、これは全国民の希望であるということを外務委員各位は意にとめていただきたい。第一着手にこの問題を加盟直後の国家の問題としてやっていただきたいと思うのであります。しかしながらまず日本加盟が先決の問題であります。ゆえに加盟以後に万事はかかるわけでありますが、来る十二日にと大よそ予想をされております安保理事会において、日本加盟の勧告案が決議されましたら、直ちに国会でこれら諸島問題の沖縄小笠原の返還要望の決議をなさっていただいてアメリカに送るとともに、わが政府にも決意を促していただきたい。もし来週中に国会が開かれないとすれば、外務委員会だけでも御決議下さって日本国民の意思を表示されるように、来週の十二日の安保理事会の決議直後にぜひこれをお願いします。この点委員長の御留意、御配慮を得たいと思います。(拍手)
  31. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次に浦崎純君にお願いします。
  32. 浦崎純

    浦崎参考人 沖縄における軍用地問題につきまして、私見を述べまして御参考に供したいと存ずるのであります。  御承知通りアメリカの施政下にある沖縄におきましては、いろいろなしかも困難な問題が山積しておるのでありますが、当外務委員会におかれましては、早くから沖縄問題に深い関心を寄せていただきまして常に熱意を傾けて直剣に御調査、御審議をいただいておりますことは、われわれ八十万住民が衷心から感謝いたしておるところであります。ことに施政権の回復問題、講和発効前の土地等の補償問題、次いで起りましたプライス勧告をめぐる四原則貫徹問題等につきましては、格別なる御配慮を煩わし、そのつど全会一致をもちまして、問題解決促進のためにありがたい決議をしていただいておりますことは、われわれは深く肝に銘じておるのでございます。  申すまでもございませんが、沖縄にこのような不幸な問題が次々と起り、困難な事態が続生しておりますのも、つまりは祖国から切り離されて異民族の支配下に置かれているからであります。この沖縄の現実の姿を変えない限り、沖縄住民には安定もなければ幸福もない、かように思うのであります。  今にして思いまするならば、南海の果ての一つの小さい県ではありましたが、全国都道府県に伍して、同一施政のもとにおかれていたころを考えまするとき、まことに感無量なものがあるのであります。これというのも戦争のもたらした不幸な結果でありまして、沖縄八十万の民は子々孫々に至るまで戦争をのろい、戦争の悪業を恨み続けるのでありましょう。それにしてもわれわれが、過去十一年間苦悶し続けて参りましたことは、何と申しましても祖国との行政分離であります。この行政分離さえなかったとしますならば、たとえ国敗れて山河なしとする一大変貌があったとしても、また無事の住民数十万を犠牲にし、かつ、一切の財物を無にしたとしましても、おそらく現在に幾倍する幸福と、民族としての生きがいを感じておったと思うのであります。  さて本日の委員会でお願い申し上げたいことは、沖縄問題の中で最も比重の大きい軍用地問題についてでありますが、すでに御承知のように、この問題は、対日平和条約発効前と、条約発効後の問題に大別されるのであります。  講和条約発効前の基地問題とは、沖縄の軍事占領以来、米軍が使用して参りました土地に対する補償問題でありますが、この補償についてアメリカはかように申しております。すなわち一九五二年、つまり昭和二十八年四月二十八日以前の土地使用に対しては、琉球人は米国に対して補償を要求する何らの法的根拠をもたないと、かように言明いたしております。この言明は、米国下院軍事委員会におきまして、担当責任者であるところのマーケット少将によって公式に発表されたのでありますが、沖縄軍用土地委員会連合会から現地における米軍当局に対して発した公式照会の回答もこれと同様であります。  アメリカがこのようなことを申しておりまするところの根拠は、対日平和条約によって、日本米国に対する国及び国民の戦時賠償要求権を放棄しているからだと、かように申すのであります。つまりアメリカは上陸作戦以来沖縄で必要な土地などを使用し、かついろいろな損害を住民に与えていますが、地料もその他の損害も賠償する責任はアメリカにはない、かように申すのであります。なぜ、こんなことを言うかと申しますと、日本平和条約で戦時中の国と国民の損害について要求しませんということをちゃんと同意し、条約に調印したではないかというのであります。なるほど平和条約はその十九条でこのようなことを規定しているようでありますが、アメリカ側の主張は、この規定は、沖縄を含めた日本国民の賠償請求権の放棄だといって一向に取り合ってくれないのであります。しかしアメリカは、このような規定にかかわらず、マーケット少将の議会における証言によりますと、一九五〇年七月一日から一九五二年四月二十八日まで、つまり講和条約発効の日までの期間に対して土地使用料の支払いをしたと述べております。日本政府部内で、沖縄に対し、講和条約発効前の補償がアメリカによってすでになされているといわれているのは、おそらくこのことであろうと思われますが、これについてのマーケット少将の証明は、当時、米国軍隊の該地域における活動は、使用に際しては支払をという原則に基いてなされたからだと述べております。してみると、アメリカ側から支払われた若干の地料は、条約規定からすれば例外的の処置であって、今後は支払いのなされることはあり得ないというのが、マーケット言明や土地連合会に対する公式回答によって明確にされているのであります。  このような事情からいたしまして沖縄側としましては、アメリカ側に補償の意思のないことを確かめまして、去る六月、国会並びに政府に対しまして、これが補償をしていただきますよう請願をいたし、陳情に及んだわけであります。つきましては国費きわめて御多端な折ではございましょうが、戦後十一年にわたる住民の窮状を救っていただく愛情から、この際国会並びに政府の積極的な御配慮を要望し、一日も早く実現していただきますよう強くお願い申し上げる次第であります。  次にこの問題とも関連するものでありますが、例のプライス勧告反対、四原則貫徹の島ぐるみ闘争は、御承知のように米軍の逆鱗に触れまして予想されていたように、各個撃破的な圧力が加えられ、一時はひっそりした表情を見せていたのでありますが、その間におきまして、彼らは闘争の基盤をなすところの住民組織の画期的強化に意を用い、去る九月には、全住民を網羅する土地を守る総連合会を結成しているのであります。最近に至り、この組織の内部運営を強力化するために、一括払い反対闘争委員長、新規接収反対闘争委員長など四部門を担当する責任者を選任し、かつこれらを統合するところの事務局を新設して、そこに精鋭を配置するなど、住民組織は非常に強化され、充実されて参ったのであります。最近連日にわたって各部門ごとの委員会が続開されているようでありますが、その意図するところは、この運動を住民の一人一人に浸透させ、いかに闘争が長引くとも、堅忍持久の体制を確立して、長期不敗の抵抗を続けようとするところにあるようであります。  ごく最近の情報によりますと、これまで運動の圏外にあったかのごとき印象を与えておりました財界人に対する呼びかけも活発となり、協力方の要請を続けているようでありますが、財界人もようやく事の直相を知り、むしろびっくりしているとのことであります。去る六月以来燃え上った全島民の島ぐるみ闘争は、かくして一段と組織化され、今後における成果が期待されるのでありますが、このように弱小、孤島住民が、世界最強を誇る大国アメリカ向うに回し、しかものしかかってくる権力を押しのけて、断固立ち上っている姿は、まことに悲壮であり、その心情は実に民族を守る雄々しいものがあるのであります。元来、温順にして謙虚、しかも忍従に耐えてきた沖縄住民が、アメリカの意表をついて、決然立ったのも、要は彼らの求めてやまない四原則が、みずからと子孫の生活を守り、祖先伝来の土地を守り、日本国土を守り抜こうとする民族必死の、しかも最低限の要求であり、悲願であるからであります。  さらにここで強調いたしたいことは、八十万住民が日夜この闘争の場にあって、ひたすらに思いをはせておりますことは、祖国の支持と九千万同胞の支援であります。去る六月以来、国民世論を沸騰させて以来、沖縄に寄せられた国会、政府、国民の温情に対しまして、彼らは島をあげて感泣しておるのであります。しかも険しく、道遠い問題の解決にただ一つの光明を与えさせてくれるものは、国と、国民の愛情から発する積極的な支持と、通窮打開の道だけであります。これはまた悲壮な彼らの闘争をささえるところの精神的な支柱でもあるのであります。さらにここで考えることは、四原則貫徹の闘争は、決して短日月では解決は困難であり、これを持ちこたえさせるためには、彼らが食いつなぐところの配慮が、何としても必要であります。現地住民がひたすら期待してやまないのは、先に述べました講和発効前の補償の実現であります。祖国政府の配慮により、問題解決に曙光が見られるとなれば、彼らの士気はとみに上り、あたかも地獄にあって仏にめぐり合せた蘇生の思いをいたすでありましょう。この窮状から救い出す意味からいたしましても、四原則問題に解決の道を開いていただくとともに、国の愛情を傾けて講和発効前の補償を実現して下さることは、まさに早天の慈雨に値するものであります。  願わくば、祖国の敗運を一身に引き受け、しかも二重三重に十字架を背負わされている沖縄の同胞に、生きる希望を与えていただきますよう懇願いたす次第であります。(拍手)
  33. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次は比嘉一雄君にお願いいたします。
  34. 比嘉一雄

    比嘉参考人 御指名にあずかりました比嘉一雄であります。  先生方には日夜政務御多端にもかかわらず、われわれのために貴重なる時間をさいていだだきましたことに対し、沖縄在住の十五万、約三万世帯の外地引揚者にかわって、衷心より感謝申し上げるものであります。まず原稿を読み上げて証言とし、それによって御協議願うことにいたします。  先生方の御記憶にいまだ新しいことと思いますが、不肖私は去年の十月以来沖縄在住の全外地引揚者を代表いたしまして、生活苦にあえぐ子が御両親に御相談のつもりで上京すること去る五月とこのたびで都合三回にわたって上京し、苦しんでおる引揚者の諸問題について御相談申し上げているのであります。  まずまっ先に先生方の親心によって解決していただいた預貯金問題についてお礼を申し上げたいと思うのであります。この預貯金問題はいまだ支払いの段階に至っておりませんが、南方連絡事務局の御依頼によって近々に支払うべくもうすでに十月五日から調査を始めておるようでありますので、あらためて御礼を申し上げますとともに、御安心下さいますようお願い申し上げる次第であります。  では、未解決のまま残された問題について御相談願いたいと思うのでありますが、その残された問題ということは、沖縄在住のわれわれ外地引揚者に対して特別援護策を講じていただきたいということであります。私が申し上げる特別援護策ということは、終戦後設けられました引揚援護法によって、厚生省において引揚者の生活更生のため無担保で一世帯三万円ないし五万円貸し出された更生資金を沖縄にいるわれわれにも貸し出していただいて、本土におられる引揚者と同等に本国政府の恩情に浴させていただきたいという意味なのでございます。この更生資金の実現こそ私が代表として上京した目的であり、重大使命なのであります。どうぞ諸先生方、身売りした子に愛の手を伸ばす親のお気持になっていただいて、この願いをかなえて下さいますよう重ねてお願い申し上げる次第であります。  もし引き揚げ後十年も過ぎた今日、更生資金ということは筋が通らないというのであれば、何らかの形にかえて御援助願いたいのであります。ぜひとも特別援護策を講じていただきたいとしつこくお願いしなければいけない理由は、御承知のように、本土におられる外地引揚者の方々と、沖縄にいるわれわれとは全く事情を異にするからであります。事情を異にしているという理由についてはあえて私がくどくどしく申し上げなくとも御承知のことと思いますので、省くことにいたします。戦前のわが国の国策は、南進国策とか海外発展とか言いまして、外務省や拓務省は、海外におったわれわれ在留邦人に向って、今いる土地に根を張って、わが国の海外発展のために、新日本建設のために、その土地の開拓事業に全力を入れよと言い、母国に送金する必要はないと言って指導してきたのが、当時の日本政府の移民政策であったとするならば、当時も今日も日本政府に変りがないゆえに、敗戦によって海外から裸で引き揚げて苦しんでおるわれわれ外地引揚者に対する全責任は、政府が負うべきであると断言してはばからないものであります。  今度の敗戦のため、三府四十三県という四十六人兄弟のうち沖縄が一番犠牲になっておるということに対しましては、全国民だれ一人として否定することはできないはずであります。よって私は、沖縄在住の外地引揚者に特別援護策として早急に更生資金の貸付、あるいはそれにかわるべき援護措置を実施していただきたいとお願いしておるのであります。なお、南洋群島やフィリピンからの引揚者が多数であるために、子供四、五人をかかえて困っている未亡人や、むすこや嫁が現地で戦死したために、四、五人の孫を育てるのに苦しんでいる六、七十才以上の老人家庭がはなはだしく多いということも御参考のために申し上げておきたいのであります。しかし申し上げましたごとく、敗戦のためにこういった悲惨な目にあっていることが、母国日本の再建に偉大なるプラスになっていることも認識していただきたいのであります。同時に、四十六人兄弟のうち一番親のために役立っているということもわかっていただければ幸いであります。  なぜそう申し上げるかといいますならば、かりに鹿児島でできる大根や菜っぱをどれだけ大阪や東京に運んでも、外貨獲得にはならないということも皆様御承知通りであり、戦前の沖縄はそれ相当に野菜や肉牛を鹿児島や神戸に出していたのであります。ところが今日の沖縄は野菜作りに適した土地のよいところは軍用地に取られ、食べ余して県外に出しておった肉牛はアメリカ人の大量消費によって住民が食べて余るどころか、とても足りなくて、野菜類やその他日用雑貨一切が本土依存となっている現状であります。でありますがゆえに、全住民が朝から晩まで安い賃金でアメリカにこき使われてかせぐ金はほとんど生活必需品代となり、ドルになって外貨として母国に送られておることも御承知願いたいのであります。戦後の沖縄貿易面と日本の対外貿易面を見れば、沖縄が母国再建にいかに役立っているかがはっきりすることと思うのであります。正確の数字を持ち合せていないということも残念ではありますが、大略申し上げて御参考に供したいと思うのであります。沖縄が本土からの輸入額は七千万ドルに対し、沖縄から本土への輸出はわずかに七百万ドルにすぎないのであり、戦後日本の対外貿易によるドル獲得の面から比率的に言ってアメリカが第一位で、沖縄が第二位を占めているとのことであります。という意味で、去る五月の国会のとき大蔵委員会と社会労働委員会において私は、父よ身売りしている子に愛の手を伸ばせと訴えたのであります。  次に、人口問題の解決策として海外移民の送り出しを、旅費資金の面あるいは事務面についても本土の他県並みに取り扱っていただきたいことを切にお願いしてやまないものであります。三十万人しか収容できない島に現在人口が八十三万人、毎年の自然増加が二万人以上になっておりますので、大量移民の送り出しが急を要するのであります。沖縄移民の実現のために相当の経費を要するでありましょうが、沖縄に現地出身の外務省嘱託を任命していただきますよう特にお願いする次第であります。  結論といたしまして、先ほどから申し上げましたごとく、われわれ外地引揚者が再び海外進出の実現を見るまでの食いつなぎとして、更生資金もしくはそれにかわるべき特別援護措置の早期実現を賜わりますよう、くれぐれもお願いする次第であります。更生資金の問題について政府当局の諸先生方に申し上げたいことは、さきにも述べました沖縄在住の全外地引揚者一同にかわって去年の十月以来三回も上京し、全引揚者の苦しい現実を訴えておりますことは、金があり余って、遊び半分に東京へ来て、ただぶらぶらしているのではなくして、着のみ着のままで外地から引き揚げてきて苦しんでいる一人一人がわずかずつの会費を集めて全員にかわってお願いしてきてくれという使命を受けて、はるばる遠い南海の小島から来ていることは御承知通りであり、戦争のためにアメリカに身売りしている子の苦しさに対し無関心である父の愛情を呼び起して救いを求めるために来ているこの気持をお察し願いたいのであります。なぜこうまで申し上げなければならないかということは、去年の十月以来自民党のある部会の席で、あるいは衆議院の各委員会において何回も同じことを訴えているにもかかわらず、十月十一日の大蔵委員会において、私の証言によって、議員側の御質問に対し、政府側の答弁は、施政権が別だから簡単にはいかないと思うのでアメリカ側に交渉してみて善処するとか、あるいはどういう形にしたらよいかも国民金融公庫に問い合してみるとかいったような御返答ぶりを聞かされたとき、あまりにも冷淡もはなはだしい感じを受けたのであります。政府側の諸先生方にほんとうの親心があるとするならば、去年の十月と今年の五月に訴えただけで、アメリカ側や国民金融公庫等に対する交渉や調査もすでに済んで、君が来るのを待っていたんだと言われるのが、親として子に対する愛情ではなかろうかと思うのであります。しかし、あらゆる事情によって、十月十一日の大蔵委員会まではそういう御返答もやむを得なかったとしましても、その次の日からは何らかの手を打っていただいておるのではないかと思いまして、一カ月たって十一月五日の午後三時半、大蔵省に石原官房長をたずねてみましたところ、十月十一日の委員会における答弁と何ら変っていないことがはっきりしましたとき、実に情ない父との再会を重ねた感じがしたのであります。東京におられる諸先生方にしてみれば、一カ月、二カ月は何のこともないかもしれませんが、遠方から来た私にとりましては、経済的にまた精神的に、どうしていいのかとほうにくれるほかにないのであります。また三回も来て懇願して何らの結論も見ずには帰られないのでありまして、切腹するともただは帰られない、この断腸の思いをお察し願いたいのであります。  何とぞ諸先生方、父親の犠牲になって身売りしている子にゆかたの一枚も送って励ましてやろうというお気持を起して下さいませんでしょうか。施政権関係で更生資金としては筋が通らないということであれば、何らかの形に変えて実現できますよう、ぜひ今日の委員会ではっきりした結論を出していただきたいのであります。三万世帯の引揚者が真の愛情を味わうことができますよう、あたたかい愛の手を差し伸べて下さいますように、繰り返し繰り返しお願いして、私のお話を終ることにいたします。  弱輩の意見をお聞き取りいただきますれば、小生無上の光栄と存ずる次第であります。まことにありがとうございました。(拍手)
  35. 前尾繁三郎

  36. 瀬名波栄

    瀬名波参考人 国会の外務委員会において、皆さん方の貴重な御時間を私のためにさいていだだきまして、心から感謝申し上げます。  プライス勧告が出されまして、このプライス勧告を読んでみますと、沖縄は民主主義の見せどころである、民主主義の陳列だなであるということが明記されております。沖縄におけるアメリカの軍政がほんとうに民主主義の標本であるかどうかということは、これまで皆さん方が新聞やその他でごらんになったと思いますが、人権問題が幾多山積しております。読んで目をおおい、聞いて耳をおおいたくなるような人権問題があるわけであります。そのうちでも、私労働者として今日初めてこちらに上ったわけでありますので、まず労働問題の現状が沖縄でどうなっているかということと、それから土地問題の現状がどういうふうになっているかということをここで申し上げてみたいと思います。  まず沖縄における労働者は、これまで完全に無権利状態であったのであります。労働法規も与えられず、安い賃金と強制労働、タコ部屋制度、こういった中で呻吟して参りました。その中で一九五二年の六月ごろになって、沖縄軍事基地を作るために日本本土からたくさん来ましたところの清水組の下請会社である日本道路設備会社、ここの労働者が初めてストライキを起した事件がありました。これはどういう理由であるかと申しますと、わずか二千円にも足らぬような給料であるにかかわらず、それが二カ月も不払いになっている。おまけに百四十三名のうち六十名も首切りになったということ、それから非常に奴隷的な待遇を受けているということが原因であります。彼らの要求は不払い賃金の即時支払い、首切りをやめてもらいたい、中間搾取をやめてもらいたい、タコ部屋制度をやめてもらいたい、雨が漏る宿舎を直してもらいたい、かやを支給してもらいたい、食器とはしを支給してもらいたいという要求でありました。彼らの話によりますと、もちろん私も現地を見ましたが、私たちは十二坪に四十名ほどすし詰めにされています、食事は朝そうめん汁一ぱいです、ときには太平洋といわれる塩水汁を飲みます、食器も三十名に五、六名分しかない状態です、寝るときかやがないので青草を燃やしてどんどんいぶすのですが、蚊が逃げる前に人間が逃げてしまいます、またこの沖縄で働くところは軍作業のみです、金をもうけて親兄弟に喜んでもらうという一念だけで働いてきています、しかしこのぼろぼろの服を見て下さい、この哀れな格好を見て下さい、借金したいが、もはや金を借りる道すらも全くなくなってしまった、われわれはどうして生きていったらいいのだろうというふうな悲惨な状態に追い込まれていたために、ついにたまりかねてこれらの人たちが待遇改善と賃金の不払い反対を掲げて争議に入ったわけであります。  これは同じ条件にあえいでおる沖縄十万の労働者に大きな影響を与えまして、この問題だけは片がついたのでありますが、しかしそのほかの職場においては、やはり同じような労働者の搾取と低賃金あるいは労働強化、こういった非常な苦しみの中で次々とたまりかねて、松村組の争議とかいろいろなものが起ってきたわけであります。  こういうような労働者の高まりで、ついに五三年の七月に沖縄の立法院で労働三法が制定されました。ところが占領軍は労働三法が制定されると同時に布会百十六号という労働関係法を出しまして、軍関係の六万の労働者と、民間関係の五万の労働者が二つに法律上分けられてしまったわけであります。その中で労働者はやっと労働組合を作ることができるというので、喜んで労働組合を作ってきたわけでありますが、しかしこの労働組合も次々に軍の権力者によって圧殺されて参りました。そのことについて本年の五月に自由労連の沖縄調査団が日本の代表四名を加えまして沖縄に参りました。これの報告にもはっきりと現われております。ことに沖縄における労働者の賃金は人種差別の賃金だといわれておりますが、この自由労連の報告書にもこれが報告されております。アメリカ人の一時間当り最低賃金が一ドル二十セント・フィリピン人が五十二七ント、日本人八十三セント、沖縄人十セントというように、国籍によって最低支給さえも見られておる。しかも最低の十セントというのが沖縄人の給料である。ところがプライス勧告によりますと、沖縄には沖縄の歴史始まって以来最高の賃金が支払われているということを申し述べてあります。なるほど戦前はあるいは日給八十銭か一円だったでしょう。しかし現在では軍関係の労働者であっても二千円そこそこは取っております。なるほど歴史始まって以来の最高給与であるかもしれません。しかしそれがそうであるならば、戦前一きれ五銭であったとうふが、現在では三百倍の十五円になっておる。これも史上最大の値段であります。このようにして物価は高くなり、しかも賃金はそれに引き合わないくらい安い。この報告にも現われている通り、人種差別的な給料が与えられているというふうになっております。  しかも生活はどうかと申しますと、独身男子の場合、これが軍関係の労働者でありますと、月に約二千四百四十四円もらえます。食糧費が一月に千二百四十一円、食糧費以外の支出が六百三十三円、そのほかに地方税が約五十六円、所得税が九十八円、合計二千二十八円かかります。そうしますと二百円そこそこが手元に残るということにしかならないわけなんです。そのために、一家の戸主が働いて四名ないし五名を養うということが普通の家庭だというふうに考えられておりますが、これではとても生活ができないので、自分の妻もあるいは年とった親までも働かさなければ、一家の生計が成り立たないというふうな状態にあるわけであります。しかも仕事はだんだんと少くなってきております。そうしますと当然生活が苦しくなり、ついにスクラップ、あの戦争中の砲弾の鉄くず、これを拾って露命をつながなくちゃならないというふうな状態にまで追い込まれております。さらに悲惨なことには、ことしの二回にわたる大きな台風のために、ことに宮古島におきましては、作物が全部荒らされてしまって、手持ちの食糧さえもない。仕方がないのでソテツの実をとって食べなくちゃならないというふうな現状になって、ついに一家六名がソテツの中毒で死亡するというふうな悲惨なことが起ってきておるわけであります。  こういう低賃金を押しつけられ、しかも強制的に封建的なタコ部屋制度の中に追い込まれているために、労働者は自分たちの生活を守るために何とかして組合を作りたいという希望が大きいわけでありますが、その組合を作るということさえも、沖縄においては、法律上は許されておっても、実際には許されないというふうな状態にあります。そうしてこのことはこの自由労連の報告書にもはっきりと現われておりますが、アメリカ政府の達した多くの布会と琉球政府の出した法律は、日本アメリカの法律から何らの一貫性もなく範をとったものであるように見える。これは特に制限的労働法規に当てはまる。これらの法律や規則は、おそらく琉球列島の人民の発展段階をよく知らないだれかが、アメリカ政府と琉球政府に勧告したものと思われる。これら布告、法律は、労働組合運動の発展を援助することを意図するものであったろうが、それが適用されると、むしろ多くの場合障害となっているというふうに、自由労連でさえも、沖縄における労働法規が、いかに労働者を圧迫するための法律であり、労働者を保護するための法律でないということを的確にここで報告しているわけであります。  また実際に労働組合を結成いたしましても、たとえば琉球立法院の職員組合あるいは電通の組合、こういった人たちが、年末手当が月の三割しか与えられていないのを五割にしてもらいたいというために、署名を集めて陳情書を出したことがあります。これは昨年の年末であります。ところが、私服警官が回って来まして、下部の組合員、特に婦人の職員のところに来て、だれが署名を始めたか、だれが言い出したのか、だれがその紙を回してきたかというふうにして、妨害をする、抑圧をする、あるいは脅迫をするということがあって、組合活動をするということ自身が、向うでは赤のレッテルを張られるというふうな状態にあります。それで私たちこの労働三法が通過した直後に全沖縄労働組合協議会というものを結成したことがございます。しかしこの当時の七つあるいは八つの組合は、結成後わずか半年もたたないうちに全部つぶされてしまった。そのことについて、その労働組合には政党員が参加しているからというふうなことをよく聞くのであります。しかしながら、あの当時の組合が、政党員が参加していたとしても、どういった活動をしたか。たとえば那覇の航空隊の中にV・Wという会社がございます。そこの従業員約二百名が労働組合を作ったことがございます。そうするとこの労働組合をつぶすために軍は挑発行為をするわけであります。どういった挑発行為かといいますと、そこの婦人従業員——これは給仕でありますが、この給仕が会社のアメリカ人の部屋に食事を運んで参ります。そうすると、このアメリカ人は部屋のかぎを締めて、そこでその女を手ごめにする、給仕に暴行する。あるいはまたその給仕たちが仕事が済んでシャワーに入っておる。そうするとそこに飛び込んできてまた暴行するというふうな人権じゅうりんの事件があったわけであります。それに耐えかねて、そこの給仕娘六名が職場を放棄してうちに帰ってしまったことがある。その問題を取り上げて作ったばかりの組合でありましたが、そこの委員長がマネージャーのところに交渉に行った。ところが、マネージャーは問答無用で、エア・ポリスに電話した。エア・ポリスがジープでかけつけまして、すぐジープの中に組合の委員長をほうりこんで、ゲート外にひっぱり出してA・Pのポストで拳銃をつきつけて退職書に強制的に署名させた。そういうことをやっております。また漁業組合連合会の職員の組合にあっては、そこの組合の委員長がメーデーに参加したということだけでもって首を切られております。そういうように、まだ労働組合として動いていない、ただ形を作ったというだけで、これに挑発をかけて、次々に労働者を首にし圧迫していくというようなことが事実であります。そうなると、この労働組合に政党員が加盟していたから組合がつぶれたということは理由にはならないと思うのです。ところがこれが沖縄においては公然と言われているわけです。  そういうような状態にありますので、結局国際自由労連としてもほうっておくことができなくなって、沖縄に調査団を派遣し、これの報告書がまとまっているわけでありますが、その報告書の最後に勧告が出されておる。これには、沖縄における労働立法は軍民別々ではなしに一本化しなければならない、またもっと簡素化しなければならないということがうたわれておる。またアメリカのタフト・ハートレー法ともいうべき市会百四十五号、いわゆる組合の認可権をアメリカの軍政府が握るということをやめなければならないというような勧告もなされております。また人間として恥かしくない生活水準を与えるために、賃金を実質的に上げなければならないということも申し述べております。特にアメリカ軍の要員が家内労働者——いわゆるメードでありますが、家内労働者を雇って恥ずべき搾取を行なっていることは、実に家内労働者に対する低い賃金のくぎづけがあることによって可能ならしめられているというふうに、いかにアメリカの低賃金が恥ずべき搾取であるかということを、アメリカの自由労連そのものが認めているわけであります。  このようにして労働者は非常に生活に苦しんでおりますが、しかもまた首切りは自由自在に行われております。この自由労連の報告書でも、失業保険さえもない、健康保険さえもないということがうたわれ、健康保険法を制定しなければならない、失業保険法を制定しなければならぬということさえも勧告されておるわけであります。この国会におきましても、ぜひ沖縄労働者の無権利状態、低賃金にあえぐ生活難の状態、これから少しでも救っていただくために、せめても自由労連の勧告書を実施してもらうようにアメリカ政府にも要請していただきたいということをお願い申し上げるものであります。  また現在の軍用地問題に関してでありますが、沖縄の軍用地の一括買い上げと新規接収、これは御承知のように民有地が一万二千エーカー、国有地が三万エーカーを新たに接収する。これまで四万一千エーカーばかり取られております。合計して八万三千エーカーであります。そうしますと、一エーカーが千二百二十四坪でございますから、八万三千エーカーといいますと、千二百二十四坪の八万三千倍になるわけであります。この一括払いと新規接収を中心とした。プライス勧告が発表され、沖縄県民の土地を守り、四原則を貫徹するための抵抗運動が熾烈に燃え上ってから、やがて半歳を経ようとしております。同勧告の発表当時、アメリカによって任命されている比嘉任命主席は、四原則がいれられなければ主席をやめるとかたい決意を表明し、立法院議員も同様に全員辞表をそろえて議長のもとに提出いたしました。市町村長、市町村議会議長、軍用地連合会幹部等も主席、立法院議員と運命をともにすることを誓い声明したわけであります。そしていわゆるプライス反論なるものをムーア副長官に提出したのでありますが、それに対する返答はいまだに正式には来ていません。そうして六月二十日、二十五日の二回にわたる四原則貫徹住民大会には、延べ二十万の県民大衆が動員され、各市町村では、土地を守る会の組織が進められてきました。  こういう中で教職員会、青年会、婦人会、PTA、三政党等十八団体で、沖縄土地を守る協議会(会長は屋良朝苗先生)が結成されました。この土地協主催の七月二十八日の県民大会には、二十万余の県民大衆がさしもの広い那覇ハイスクールの校庭を埋め尽したのであります。沖縄本島の人口は約六十万でありますから、人口の約三分の一が参加したことになるわけであります。  この県民の抵抗の姿を祖国の新聞、ラジオ、雑誌は連日トップに取り上げ、県民代表の本土派遣によって、十一年間の軍事占領支配のもとでの苦しみの訴えが一段となまなましく九千万同胞に伝えられました。これに対する同胞の国民的世論は、日比谷公園での沖縄問題解決総決起大会に結集され、党派、信条の違いを乗り越えて、プライス勧告反対、四原則支持、沖縄施政権の返還、と三原則を決定して、実践に乗り出し、沖縄に対する支援と激励が日ごとに高まってきていることに、われわれ県民は深く感謝いたしております。  さてこのように沖縄の土地を守るための抵抗運動が日本国民の独立と平和を守る戦いと結びついて発展してきたが、参院選挙が済み、新たに日ソ交渉の問題が国民の世論として浮び上るにつれて、沖縄問題は次第に新聞面から姿を消して、そのすきにアメリカ現地軍は伊江島真謝区民の所有地約三十万坪をガソリンをかけて焼き払い、国頭村安田部落に強制測量のかまえを示してきた。  さらに県民の抵抗運動がこれ以上強化されると、米軍人と衝突を起す危険があるという理由で、基地経済に依存している胡差市を中心とする沖縄の中部地区一帯にオフリミットをしき、経済圧迫を加えてオフリミット解禁を嘆願する市町村長に解禁の交換条件として、反米的な集会やデモはやらないと声明を出させました。それだけではなく、琉球大学の学生が反米デモをやったという言いがかりをつけて、琉大に対する財政援助を打ち切ると通告し、さらにデモに参加した学生の退学処分を強要し、六名の学生を強制退学させたのであります。  沖縄現地でこのような抵抗運動に対する抑圧と攻撃が続けられる一方、アメリカ極東軍司令部は、日本の国会議員や各界代表者の沖縄渡航を拒否し続けております。そうして、八月十七日、レムニッツアー大将は比嘉任命主席に書簡を送り「沖縄軍用地問題解決の折衝には日本政府を介入させないで、現地軍代表と沖縄側代表との現地二者会談でする」とアメリカ政府の方針を明らかにしております。これは、言うまでもなく、県民の抵抗運動を日本国民の主権独立を守る戦いから切り離し、沖縄の戦いを孤立させることをねらったものであります。  次いで八月三十日アメリカ政府副、長官ムーア中将は「土地問題解決の現地折衝の相手は個々の地主とやる。正式に選抜された、または任命された琉球政府及び市町村代表はこの交渉の援助に介入させるが、五者協議会や、軍用地連合会や、その他の団体は地主の代表として認められないので、現地交渉には介入させない」と発表しました。  こうして大衆運動の抑圧と民族の分裂をねらって次々に打ち込まれたアメリカ軍の攻撃は、県民大衆の憤激を買いながらも、しかし、それは抵抗運動の上層部に動揺と敗北感を与えるのに成功しております。動揺と敗北感は、まず比嘉任命主席を総裁とする民主党内部に現われ、中部地域にオフリミットが発せられ、琉球大学生の処分が命ぜられるや、任命政府の首脳は得たりとばかりに、大衆運動を行き過ぎだと成しめ、その抑制に乗り出してきました。民主党の幹事会は抵抗運動の中核となっている沖縄土地を守る協議会の解散を要求し、他方、四原則を貫徹するためには比嘉主席が任命権者に対してそのいすを返上し、振り出しに帰って県民とともに抵抗すべきである、これができなければ、民主党の総裁をやめて貰いたいと強硬に申し入れた新里善福幹事長は幹事会で拒否され、ついに同氏は九月一日民主党を脱党し、無所属となって抵抗運動を続けることを声明しました。民主党政調会長星克議員は、四原則は軍用地問題解決の原則を示しただけのものであって、これには幅がある、原則と条件は本質的に異なっている、原則だけでは問題を解決できないから、何らかの条件で解決しなければならない、と原則と条件の新語を持ち出して妥協の線をはっきりと打ち出しました。あるいはまた、三年ないし五年分なら補償金として前払いを受けてもよい等の上層部の妥協的な傾向は、抵抗運動の戦列を混乱させ、抵抗運動の発展を著しくはばんでおります。もとより異民族の圧制からみずからを解決する戦いに起伏があるのは当然であります。  沖縄の運動も現在困難な谷間に落ち込んでおります。しかしアメリカの占領支配の中で十一カ年の間長い苦しい戦いを続けてきた沖縄の働く大衆は、このような一部上層部の軟化にもかかわらず、祖国の国土である沖縄の土地を防衛するために、部落、職場からの組織を下から盛り上げ、じわりじわりと広げつつあるのであります。  しかし最近この上層部の軟化や動揺を助長し激励している方が、祖国日本の議員の中にもおられるようで、軍用地問題解決案として、五カ年契約毎年払いの妥協案をもって対米折衝を開始しようと、国土の切売りにもひとしい政策を持ち出しているとのことを聞いております。沖縄を異民族の支配から解放し、原水爆基地の拡張を食いとめ、一坪の土地も売り渡すことなく、日本領土主権を侵させず、生活と民主主義を守るための土地防衛の四原則は、日本沖縄のあまりにも親米的な階層の合力によって徐々に切りくずされようとしております。  しかし私たちは、祖国日本独立と平和の勢力の力を信じ、同胞とかたく手を握り、四原則を切りくずし、プライス勧告を受け入れようとする人々の反民族的動きを排し、土地を守り、祖国復帰をかちとるまで、あくまでも運動を進めるでありましょう。従って祖国の政府におかれましても、また各政党におかれましても、一致協力して、四原則を一歩も切りくずすことなく、問題の解決についても、日本沖縄現地、米国と三者話し合いによる解決ができるよう御努力下さるとともに、去る十一月三十日沖縄問題解決国民運動連絡会議並びに東京沖縄県人会よりお願いしてあります別紙要請書の各項目が、一日も早く実現できますよう御奮闘をお願い申し上げる次第であります。  要請書は配られているはずでありますから略することにいたしたいと思います(拍手)。
  37. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行。あと森田参考人一人で終るわけです。お見受けいたしますと、外務省から針谷課長においでいただいておるようですが、針谷課長に、今まで提起され、われわれが持っておる問題のすべてを質問して、この席上ですべて回答していただくということは、非常に無理なのじゃないかと思うのです。ですから、少くとも外務大臣並びに大蔵大臣あるいは政務次官等にぜひ来ていただかぬと、あと審議ができないと思うのですが、委員長はどういうふうな御方針でおられるのか。
  38. 前尾繁三郎

    前尾委員長 日をあらためて責任者に来てもらいましょう。きょうは無理ですから……。
  39. 穗積七郎

    穗積委員 それでは今委員長の言われた通り、会期中に必ず両大臣を呼んで、政府の方針をその前にきめておいてもらって、はっきりすることを委員会としては決定しておいていただきたいと思うのです。
  40. 前尾繁三郎

    前尾委員長 そういうことにしましょう。  次に森田正君。
  41. 森田正

    森田参考人 私は現在四国松山の愛媛大学で法律学を専攻しております森田と申します。奇跡的にもただ一人日本の学生代表として、暑中休暇を利用しまして沖縄に約二十日間滞在して、現地のなまなましい模様を、特に沖縄全島を端から端までくまなく視察して帰った者としまして、この席上で日本の全学生並びに琉球大学千七百の学生にかわって沖縄の実情を申し上げることを、非常に光栄に存じております。  私は現地の土地問題と生活調査並びに日本の大学と琉球大学との親善をはかる、この三つのことを目的にしてあちらヘ渡航したわけであります。ちょうど終戦記念日の八月十五日にパスポートがおり、そのあくる日八月の十六日に神戸を出帆しまして、九月の十二日に神戸に帰るまで約二十日間全島くまなく視察したわけであります。あらゆる団体代表が申請したのに奇跡的にパスポートがおりたことに関しては、非常に厳密な思想調査を受けまして、思想が穏健なことが認められました結果なのでございます。ですから私はあくまでここでイズムを超越して、ただ一介の日本の大学生として見た現地の模様を忠実にお伝えしたいと思うのであります。特に沖縄資料に関しましては、この委員会並びにあらゆる席上で出尽しておるように思いますので、資料を中心にせず、現地の模様を主体にしてお話を進めていきたいと思うのであります。また場所も全部申し上げると非常に時間がかかりますので、特に一番対象的になります首都の那覇近辺のこと、それから一番悲惨な、沖縄の縮図ともいうべき伊江島、沖縄本島から四海里離れた島でありますが、このことを中心に申し上げたいと思うのであります。  まず最初に那覇のことでありますが、日本から行って一週間くらい滞在して帰る人々は大てい那覇に滞在し、那覇をもって沖縄全島のことを推しはかるような傾向が従来多分に見えたのです。もちろん那覇は沖縄の首都としまして、その国際通りなんかを歩けば復興も早く、日本よりもずっとよい感じもするのでありますが、これは那覇においても国際通りに限られており、非常に外面的なことであります。なるほど道路も完全に舗装されておる。建ち並ぶ鉄筋コンクリートあるいは沖縄独特の軒の低いしっくいのある家々を見ればいかにもエキゾチックな感じがし、内地をはるかに離れた気持がします。また街路を歩く人々、米人、フィリピン人、俗に言う黒んぼ、沖縄人、こういう人々を見ればさながら国際人種展を見るようなわけであります。しかしながら、那覇もいいのは国際通りだけでありまして、少し横町へおりて参りますと、まだ日本の戦後を思わせますようなあのわらぶきの家あるいはトタン屋根、こういうのが高台から一望千里見おろされるわけであります。また那覇の一番高い旧沖縄の宮城でありましたところに現在琉球大学が設立されておりますが、昔の姿はもう見る影もない。一ころ船遊びをしたという龍澄池も今は全く泥沼と化しているようなわけであります。  特に那覇について一番感じたのは、非常に日用品が高いということであります。反面ぜいたく品が非常に安い。ここで言えることは、完全に日本経済を締め出してアメリカの資本を投入する目的が明確に現われていることであります。また道路につきましても、基地のあるところは非常によいのでありますが、一歩基地がないところへ参りますと、特に南部の那覇飛行場のある小禄あたりに参りますと、今まで完全舗装を誇っておりました道路が一度にでこぼこに変る。沖縄人のみが通る道路は石ころも多く、またでこぼこも多い。ここに参りますと、いかにもアメリカの統治の現実性を見せつけられて実に情ない気持になるわけであります。  沖縄の農業人口でありますが、現在においても有業人口の約六割を占めると言われておりまして、産業の中心をなしております。戦前は平均七反の耕地面積と言われておりましたが、今度の軍用地接収なんかによりまして今日沖縄全体を平均しますと四反五畝となっております。また農業所得は全所得の四九%を占めていたのでありますが、昨年の統計によりますと、これが二四%に転落し、その反面軍事関係の雇用が一五%を占めております。また建設業は戦前の四%から七%に上っておるようなことを見ましても、この基地経済が沖縄の経済を的確に表現していることが明確にわかるわけであります。  それから沖縄の中部のことでありますけれども、胡差あたりへ参ったのはちょうど八月下旬でありましたが、この胡差に行きますと、町が人種によってはっきり区別されているのです。米人専用と黒人専用と明確に分れていて、ここにも人種の問題が明確にさらけ出されているのが現実であります。日本でオンリーと呼ばれておりますいわゆる娼婦であります。沖縄ではどこへ行ってもハー二ーという言葉をもって呼ばれておりますが、統計によりますと、沖縄人の娼婦よりも、むしろ日本内地特に奄美群島あたりから出かせぎに行くパンパンの方が数が多いということを聞いて、実はあぜんとしたようなわけであります。戦前貞淑をもって世界に誇ったやまとなでしこがかくまで堕落したかという、その現状をまざまざと胡差の町では目撃したわけであります。  それから、沖縄の一番の縮図ともいうべき伊江島のことなのでありますが、これはことし五月に参りました自由労連の代表四名なんかも全然上陸を許されず、全く見ざる聞かざるということが現在でもなお続いているわけであります。私があちらに参りましても、上陸早々から帰国の船に乗るまで、ずっとCICという秘密警察に尾行されまして、調査に非常に困難をきわめた事実からして、この島は上陸することが不可能になるのではないかという気づかいもあったのでありますが、琉大生の特別な好意によりまして、私と琉大生とそれから日本の法政大学に来ております留学生二人、計四人で上陸したわけでありますが、この島は、先ほど申し上げましたように、沖縄本島から東北に四海里ほど離れた島でありまして、従軍記者のアーニイ・パイルの戦死地として有名な島であります。約七〇%は完全に軍に接収されており、残った三〇%の石多い耕地に唯一の生活資源を求めながら、島民たちはほんとうに血の出るような抗争を続けているわけなのであります。  この島へ上陸しましたのは八月の二十九日でありますが、ここはアメリカ軍の爆撃の演習地になっているわけで、毎日午前七時から午後の六時まで、雨天の日を除いてジェット機二機が入れかわり立ちかわりここで爆撃の練習をしているわけなのであります。ちょうど私がこの島に上陸しますと、どういう情報の関係か、日本の学生が来たから爆撃を停止せよというような情報がいきまして、私が上陸すると同時に、今まで盛んに行われておりました爆撃がはたとやんでしまったのであります。とうとうその晩はこの爆撃の模様を全然目撃できずに困り果てた結果、私たちの身がわりとして法政大学の二人の学生とこの島の青年二人に本島の方に帰ってもらったわけなのです。そうするとアメリカ軍は私たち四人が全部引き揚げたと思ったのでしょう、ちょうど彼らが船に乗りますと同時に、待っていましたとばかりにさっそくあちらの軍用機がやってきまして、爆撃を始めたわけであります。ここで爆撃の行われております演習地へ実地に入り込みまして、実は九死に一生を得て帰ってきたわけであります。それは後ほど申し上げることにしまして、この伊江島に二日間滞在して、夜三時、四時まで熱心に話す島民たちの話を通じて、いろいろな新しいことをたくさん聞いて帰ったわけであります。以前発表されましたものとかなり重複するかもしれませんけれども、この伊江島で聞き得た接収の模様を御披露してみたいと思うのであります。  伊江島がまず最初に接収されましたのは一九五三年、今から三年ほど前であります。七月二十四日に、伊江島の一番悲惨な真謝部落という部落がありますが、ここの区長外六名が、当時土地係をしておりました後藤二世の指示に従い、日当支払いのもとに真謝部落の地上物件を調査したわけであります。そうして調査が終了しました後にその捺印が必要だというので、その要求をそのまま受け入れまして、調査終了と同時に捺印したわけであります。これが問題となってくるわけでありますが、それからもう一つ、一九五四年の七月に知念ハナさんとかいう女の人が、一週間以内に立ちのけという強制命令を受けまして、立ちのきを余儀なくされたわけであります。それからその後この爆撃演習地設置のために、山林、原野あるいはそれに伴いますところの農作物が非常な損害を受け、そうしてうろたえ騒ぐ島民に対しまして、後藤二世は、多額の賠償金が米軍によって支払われた上に、農耕は自由に許されるから心配するなという言をもちまして、一応島民をなだめたあげく、いかにも適正補償を払うようなことを言っておりましたが、この甘い言葉にだまされて、人々は支払いの来るのをきょうかあすかと待っていたわけなのであります。ところがさきに申しました地上物件調査のときの日当も払わないばかりか、その調査終了のときしました書類はすでに立ちのき書類にすりか、えられていたわけであります。また米軍は損害補償金を全然払わず、農耕は雨天を除いて毎日行われます爆弾投下のために全然できず、作物はこの爆撃のために完全に焼き払われております。そうして伊江島の島民たちは危機の状態に追い込まれざるを得なかったわけなのであります。  この一方的な非合法的なやり方に対しまして、島民は一致団結しまして、適正補償の要求、爆撃演習の中止を陳情し続けたわけであります。昨年の三月十一日にアメリカ軍武装兵約三百名がこの島に上陸しまして、祖先伝来の寸土を守ろうと合掌して嘆願します並里清二老人、六十才でありますが、この老人をなぐったあげく毛布をかぶせ、なわで縛り上げ、これを軍事裁判に付したのを初め、山城ウメという四十才の人でありますが、そのすみかを焼き払った。その他十一戸がブルドーザーで引きつぶされたような事件もありました。そして困り果てた島民たちはテント小屋に一時的に移動させられて、ここで生活を続けたわけであります。テント小屋でありますから、雨天のときには雨が漏り、また池のように水がたまる、こういうような人間の生活を全く離れた、牛、馬あるいは豚のような毎日の生活が続けられたわけであります。そして沖縄独特の蒸し暑さとテント生活のために知念マガという六十才の人が卒倒したというような事件も起っておるのであります。そしてすみかを焼き払われ、ブルドーザーで引きつぶされたために、病人や子供たちは木陰やススキの陰に避難しなければならないようなありさま、あるいは人間として一体どこにからだを休める場所を求めてよいかわからないような状態、あるいは飲料水である貯水タンクを破壊され、どぶ水を飲まされて、病魔に襲われて苦しめられたというような事件、これを私のもとに集まってくれました真謝部落の人々は涙ながらに夜ふけるのも忘れて三時、四時まで切実に訴えたわけであります。  それからやはり昨年の三月十四日、この真謝部落の代表たちは、伊江島の村長と一緒に伊江島における米軍隊の行動を民政府と琉球行政府に報告して善処を依頼したわけであります。しかし信頼を全く裏切られ、伊江島の地主たちは土地明け渡しを承諾し、金も受け取り、あるいは地主みずから丁寧にこわして運搬しているとのことであるから、君たちも早く帰りなさいというようなことを言われまして、立ちのき料の支払いも武装軍隊の威嚇のもとで行われたわけであります。そして沖縄政府は四月以降六カ月間は一日B円にして二十一円——ちょうど日本の金の三倍の価値がありますが、B円にして二十一円の生活補償を行うと約束しながら、週一回の農耕を許してあるから、こういうふうな理由をもちまして、わずか一カ月で補償金は打ち切られてしまったわけであります。その後現在に至るまで全然生活補償のないままが続いているわけであります。  それからまたもう一つ重大な事件としましてやはり昨年の八月二十日でありますが、この真謝部落に住んでおります十八才の少年、今村賢男君という、これは特別に僕が親しく話して、彼から直接聞いたことでありますが、この今村少年が、ちょうどことし七十九才になるおばあさんと二人で暮していたわけでありますが、この少年の家も強制接収され、政府からの生活補償も断たれ、生活に支障を来たしたために、やむを得ず、同じく八月二十日の午前六時に今村少年が所有しておりました自分持ちの畑へ出かけて、イモを掘っておるところを逮捕されたわけであります。そして米軍は軍事裁判にかけて、六カ月の懲役を言い渡したわけであります。このことに関して米軍は午前八時までは自由に出入りしてもよいという許可を与えておるにもかかわらず、こういう事件が起ったわけなのであります。  それからまた私がこの島に行きます一カ月ほど前でありますが、七月には約四十万坪の農作物がガソリンの散布によって全部焼き払われております。ちょうど私が参りましたとき、その焼け跡がなまなましく残っておりました。  伊江島は従来までこういう経過を経まして現在に至っておるわけなのでありますが、それでは一体伊江島島民の現在の生活状況はどういうふうなものであるかということをお伝えしてみたいのであります。  大体沖縄本島は、兵庫県の淡路島の約二倍といいます。伊江島はどのくらいの面積をしておるかといいますと、総面積は一万九千一反歩であります。そのうち軍使用のために接収された土地が、一万二千八百七十七反であります。ですから、これをパーセンテージに直しますと、先ほど申し上げましたように約七〇%、すなわち厳格には六七・七%が完全に接収されているわけであります。先ほど私が九死に一生を得たと申しましたが、いよいよこれから現地におけるなまなましい生活の模様をお伝えしてみたいと思います。全然生活の保障を、生存権の保障が許されていないわけでありますから、一時的に張りめぐらされておりました鉄さくは全く取り除かれ、ただ危険地帯としてのみ現在許されておりますが、しかしながらこの島民たちは残されておりますわずか三〇%の耕地だけでは、食糧の絶対量が不足して生命を全うできないわけであります。ですから一時的には全島をこじきをして回って、この実情を訴えて、そのカンパによって生活を一時的につないでいたというような事実も現在までにあったわけなのであります。何回も申し上げますが、この約七〇%の接収地は、今ジェット機による爆弾投下が毎日行われているわけであります。彼らは最後の生きる手段としまして、この投下されてくる爆弾の破片、すなわちスクラップによって生命をつないでいるわけなのであります。ですからいつもどこからいつ落ちてくるともわからないような、この爆弾の雨の中で、生も死も完全に超越して、ただ生きたい、生存権を全うしたい。この一念にかられまして、青年のみならず、まだ幼稚園に上らないような児童から、あすの命もわからないような老人に至るまで、一生懸命にスクラップを掘っているわけなのであります。非常にこの姿を見たときには感慨無量でありました。同じ日本の同胞でありながら、一方ではかくもしなければ生存権が全うできないのか。実にこの島で見た風景は、義憤を感ぜざるを得なかったわけであります。  ちょうど私が爆弾投下地に入り込みまして、間もなく米軍の飛行機に囲まれてしまいまして、まわりから爆弾投下が行われたために、外に出られなくなってしまったわけであります。ちょうど一番付近に落ちましたのは、私の約十メートルくらいのところに爆弾が一発落ちましたが、幸いけがはしなかったのでありますが、完全に泥に埋まってしまって、もうこれはおそらく生きて帰れないような気持になって、半ばあきらめていたわけであります。ほんとうにこの爆撃地の中で三時間もいる間、爆撃が続けられて、全然外へ出られなくなった。ほんとうに九死に一生を得て、部落に逃げて帰ったわけなのであります。しかも私はこれがわずか三時間、あるいは四時間であったからいいようなものの、この島における島民の生活というものは、このような状態がきのうもきょうもあすも、沖縄日本に復帰しない限り永遠に続くわけなのであります。まずそういうことをあらかじめ申し上げて、一体それではこの伊江島の島民たちはどのような方法によって生活を全うしているか。これを申し上げてみたいと思うのです。  まず第一番に申し上げましたように、爆弾投下の中で、荒廃した土地で農耕を続けているわけなのであります。そして米軍の農耕してよいと言っているところは、全然不毛な、粘土が削り取られてしまって全く農耕には適さないような、石ころががらがらところがっているところでありまして全く作物が育たないわけなのであります。困りましたあげく、農民たちは飼っておりました牛とか馬とか豚とかヤギまでもすっかり売り払ってしまい、それから主として荷馬車でありますが、動産の売却を始めたわけであります。それからたくわえておりました貯金も全く使い果してしまった結果、飢饉等の非常事態に備えておりました非常用の食物、これはイモとか、澱粉とか切りぼしとか豆類なんかでありますが、これを一時は食べておりましたが、もうすでに現在はこれも食べ尽してしまって、ないような状態であります。それから次には本土あるいは沖縄でも比較的恵まれております北部あたりからのカンパによって、一時的には生活を維持していたこともありましたが、これも非常に一時的でありました。それからもう一つは、出かせぎ人の送金によって生活をしている人々がほんのわずかいるのであります。たとえば真謝部落で私が調べました結果を見ますと、真謝部落では出かせぎ人は現在十二人おりますが、この十二人がどのくらいの金額を送金してくるかといいますと、最高が一人一月にB円にして八百円であります。だから日本の金にして二千四百円、これが最高であります。しかも出かせぎ人といっても一部に限られておりまして特に運転手とかなんとかいう技術関係に限られているわけなのであります。  それから何回も繰り返しますが、現在では、そういうふうな状況を経まして、もう最後の手段として、この投下された爆弾をわれ先にと拾い集めて、その破片をお金にかえて、それによって生命を維持しているという状態が続いているわけであります。だから彼らは手ぐすね引いて投下されてくる爆弾を木陰に隠れて待っておるわけであります。一つが落ちると、そこへわれ先にと走って行き、また次が落ちてくるのを待つ。だから一度投下されたところへもう一度爆弾が落ちてきたならば、そこで命も何も一瞬にしてふっ飛んでしまうわけであります。しかし生活の窮迫はここまで彼らを追い込み、これ以外に生きていく方法はないのであります。ですから、この島の子供たちは、はきものもなく、帽子もなく学校に行くのに弁当もない。昼まで授業を受ければ、午後からは空腹に耐えかねて学校をサボって帰る。これが別に珍しい状態ではないのであります。ただ非常に感心しましたことは、こういう窮迫した島にありましても、この子供たちの親は教育に非常に深い関心を持ちまして、自分たちは一食ぐらい食べなくてもいいから、ぜひ子供たちには教育を受けさせてやりたいという強い信念を持って、子供たちの成長を見守っているわけであります。  それから政府より生活扶助の救済を受けているものがどれくらいあるかといいますと、真謝部落では十八戸あります。それから軍による条件付生活補償を受けているものが二十一戸、全然補償を受けていないものがいまだに三十四戸も残っているわけであります。こういうことに対しまして、村からは土地税を免除しようという話が出たわけでありますが、区民としては土地をあくまでも取り上げさせないで、今まで通り土地税を支払って、最後まで祖先伝来の寸土を守っていこうという強い決意を固めて、戦い続けているわけであります。  最後に、私が沖縄を離れる九月七日、はるばる伊江島から船の出る那覇までかけつけてくれた真謝部落の代表から、日本へ帰ったらぜひ祖国九千万の同胞に訴えてほしいという書類を依頼されてきましたので、これをこの席上で訴えて御批判を仰ぎたいと思うのであります。   祖国九千万同胞に訴える  祖国の独立と平和を守るために日夜戦っておられる九千万同胞に心からの敬意を表します。  私たち伊江島真謝区民は、アメリカの正義と人道に反した土地収奪のため限りない苦しみを押しつけられてきました。一九五五年三月十一日アメリカ軍約三百名の完全武装兵が上陸し、合掌して嘆願した並里清二老人を殴打し、毛布をかぶせ、なわで縛り上げ、軍裁に付したのを初め、山城ウメ、山城盛安の住家を焼き払った。その他十二品川がブルドーザーによって破壊された。そしてテント小屋に移動させられたが、雨天のときは雨が漏り、池のように水がたまり、炎天のときは蒸し暑くて、知念マガという人が卒倒したほどであります。  住家を焼き払われ、ブルドーザーで引きつぶされたがために、病人や子供は木陰やススキの陰に避難しなければならないような、生きた人間として一体どこにからだを休める場所を求めてよいかわからない状態でありました。その上、飲料水である貯水タンクを破壊されて、どぶ水を飲まされて病魔に襲われたのであります。  そのことは、六月二十九日名護保健所長、大山長隆医師を団長とする池宮、喜瀬の二医師と数名の看護婦が来て、区民百名の健康診断を行なったところ、九十四名が疾病と診断されたことでもわかります。  それだけではなく、政府は一九五五年四月以降向う六カ月間を最高一人二十一円(B円)の生活費を支給するという約束をしながら、五月分よりアメリカ占領軍の命令によって打ち切られたため、やむなくこじきまでし、全県民の救援によって、辛うじて露命をつないだのであります。このような耐えがたい苦しみを政府に訴えれば、警官を使って実力によって追い払われた。仕方なく部落に帰り、自分の土地で農耕を続けたら、米兵から銃剣を突きつけられ、または発砲し、暴行を加え、軍用犬にかみつかせようとして、三十二名が逮捕されたのであります。  八月二十日今村賢男少年は七十九才のおばあさんと二人暮しで土地を取り上げられ、政府からの生活費も断たれ、食うに食なく仕方なく、その目午前六時自分の畑へ出かけてイモを掘っているところを逮捕された。しかもアメリカ軍は午前八時までは自由に出入りしてよいという許可をしているにもかかわらず、十八才の少年を逮捕し、六カ月の懲役を課して投獄したのである。  この非道を訴えて、土地収奪に対して先頭に立って反対する真謝区長大城幸蔵外区民九名を本部警察署は脅迫し、弾圧したのであります。  アメリカ軍によってこのような水攻め、食糧攻め、住家焼き払い弾圧、軍用犬による逮捕投獄等の残虐きわまる仕打にも屈することなく、断固として戦い続けてきたのも、祖国九千万同胞の激励と御支援があったからであります。この祖国のあたたかい同胞愛に対し、区民一同は心から感謝の意をささげております。  このたびの、プライス勧告は、伊江島、伊佐浜区民を苦しめただけでなく、生きる権利を奪い去って沖縄全県民を死地に追い込もうとするものであり、伊江島に対しては、七月十二日、十四日、十五日の三日間にわたって、しかも農耕地にガソリンを振りまいて、大事な食糧である農作物を焼き払っています。  われわれはこの耐えがたい苦しい中にあってもなお戦い続けることのできるのは、背後に九千万同胞が断固として控えていることであり、さらに正義人道、神の御名において、われわれの正しい訴えは全世界の良心の支持を得て、アメリカ全国民にも必ず理解してもらえるであろうことを信じています。  この土地問題が解決されるまで、生命を賭して最後まで戦い抜く決意でありますから、祖国九千万同胞の皆さんも団結を固め、なお一そう御支援下さるよう、伊江島区民一同は強く訴えます。      沖縄県       伊江村真謝区民一同  これをもちまして報告を終ります。(拍手)
  42. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これにて参考人意見の開陳を終りました。これより質疑を許します。
  43. 福田昌子

    福田(昌)委員 今沖縄の方からいろいろお話を承わりましたが、私も一昨年沖縄に参りまして、現地をつぶさに見学さしていただきましたが、今お話を承わりましたが、その実情はまだ実際よりもいささか御遠慮がちな御説明であったとさえ考えます。沖縄の現状は私ども日本人として考えますれば、これはもう黙視できない、大へんな悲惨な状態にございます。日本人として、また国会として、これに対して当然の措置を考えるのは、これはもう緊急妥当なことでございますので、かような意味においてぜひお取り上げをいただいて、十分実情をお聞きとり下さって、外務委員会としても処置をおとりいただきたいと思います。
  44. 松本七郎

    松本(七)委員 これはいずれ大臣その他出席を求めて問題を発展させなければならぬと思いますが、一応きょう参考人の方からいろいろ事情をわざわざ述べていただいたのですから、出てきておられる政府側の方から、陳述に対して現在どういう措置がとられておるのか、また方針はどうなっておるのか、答弁できる範囲のことを一応ここで政府側から現状を説明していただきたいと思います。今陳述されたことを聞いておられるのですから、それに対して政府は当然答弁されるべきことがあると思いますから、これを一わたりずっとお話願いたいと思います。
  45. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 ただいま各参考人から多数の事項につきましてお話がございましたが、個々の問題を詳しく申し上げられるかどうかわかりませんが、一応われわれが沖縄問題に対していろいろ措置しておりまする事項につきまして、御説明を申し上げたいと存じます。  まず初めに沖縄復帰に関する問題の要望の陳情がございましたが、これに関しましてはあるいは現地の要望なり、本土におられる沖縄出身者その他関係者、あるいは関係団体の要望等を十分聴取いたしまして、外務省にいろいろ実情を申し上げ、また外務省におかれましてもあらゆる機会をつかんで米側に日本政府あるいは国民の要望を伝えて、なるべくすみやかなる機会沖縄に復帰しますように要望いたしておるような状況でございます。またあるいは直接団体その他からアメリカ側に要望せられることにつきましても、各団体からできるだけその実情も聞き、ことにアメリカ側から回答が与えられるものにつきましてはその回答もいただいて、われわれの施策の参考にいたしておるような状況でございます。  次に沖縄の土地問題に関しましては、従来から沖縄におけるいろいろな実情をできるだけ調査をいたしまして、外交折衝上参考になるような事項につきましては外務省に連絡いたしておるような次第で、ことにプライス勧告が発表せられまして以来は、現地における島民の動きにつきましては、毎日々々日を追いまして状況をつかんでおるような状況でありましてこれに関しましては政府部内におきましてもいろいろ関係各省と協議をいたしまして、ことに外交問題でございますので、外務大臣あるいはまた外務省の関係の人々から、大使館に対していろいろ沖縄側の要望を主張し、また外務省からはアメリカにおける日本大使館に連絡されまして、アメリカでもいろいろ本国において日本側の要望を絶えずいたしておるような次第でございます。講和発効前の土地問題の補償に関しましても、従来から政府部内においてしばしば協議いたしたのでございますが、現在の事務的な段階といたしましては、講和発効前におきましても昭和二十一年以来行政が分離せられ、この土地の接収については日本政府として何ら関与する余地もございませんし、これに対して日本本土におけると同様に日本政府が補償を出すという責任はないものと考えるのでありますが、アメリカにおきましては、昭和二十五年七月から講和発効までの土地等の補償を講和発効後に支給したような点もあります。また現在アメリカの行政管理下にあってアメリカが住民の福祉向上の責任を持っておるわけでありまするので、アメリカ側にこの善処方を要望すべきものであろうというように、現在のところ、私どもの方としていろいろ折衝しておるような次第でございます。  また引揚者の方々の問題に関しましては、私ども南方連絡事務局といたしましては、内地における引揚者と同様に考えられなければなるまいというような建前から、本年度引揚者の調査をいたしました際におきましては厚生省と協議いたしまして、厚生省のいろいろ定めました調査要項に基きまして、沖縄における引揚者の調査も厚生省からその調査費を送付して実施いたしたようなわけでございます。  また戦前の郵便貯金あるいはまた在外銀行、会社、あるいは沖縄に戦前に支店等を持っておりました勧業銀行あるいは鹿児島嶼業銀行等の戦前の預貯金につきましては、その具体的な案を作りまして目下沖縄の現地においてアメリカの民政府と協議をいたし、また一般郵便貯金に関しましては、奄美協定に定められておりまする規定によりましてその債権債務の決済をいたすべく、これは外務省からアメリカ大使館に交渉いたしておるような次第でございます。  なお引揚者に対する更生資金交付の要望がございますが、この問題は非常にむずかしい問題でありまして、今日沖縄日本の行政管下にありません関係から諸般の困難な問題があるので、実際実施することはなかなか困難であろうというように考えております。なお沖縄におきましては大衆金庫というものがございまして、これがあるいは若干日本本土の貸付より条件が悪いのかもしれませんが、相当資金もあるのでありまして、まずそういう資金の活用をせられたならどうであろうかというようなことも考えておるような次第でございます。そのほか現地のいろいろ、ある面におきましては、道路が整備し、その他よくなっておるところもございますが、ある面においては、まだまだ日本の本土に比較しますと、あるいは生活水準その他、低い面もあり、また教育等につきましても不十分な点もあるのでありまして、ことに教育面におきましては、文部省におきまして年間約五十名の公費学生を募集いたしまして、日本政府の経費をもって大学に入学させておりますし、また自費の学生の入学希望者につきましても、受験等の点におきまして、非常に困難な実情にもありますので、できるだけ行政的な指導によりまして、学生の自費入学のあっせんもいたしており、また教員の質の向上のために毎年二十五名ずつ約六カ月の期間本土の高等学校、中学校、あるいは小学校に配当いたしまして、いわゆる教員としての訓練をやっているような次第でございます。  そのほかいろいろな問題がございますが、できるだけ現地の実情を把握し、またそれぞれの重要な事項に関しましては、外務省において米側にその善処方を要望するというような方法をとってきておるような状況でございます。
  46. 松本七郎

    松本(七)委員 ちょっと参考人に聞いておきたいことがあります。政府側の方はいずれまたあらためて詳しくやらなければなりませんが、この機会参考人のどなたでもけっこうなんですが、今の答弁にもあるように、結局は施政権の問題にいつもひっかかって、なかなか問題が前進しないわけです。そこで、新しい事態としては、日本が近く国連加盟できるというような見通しが出てきたのですから、国連加盟すると、信託統治、あるいはこれまでの間の施政権の問題が当然大きく浮び上ってくるわけなのです。この国連加盟を契機に、サンフランシスコ条約の改訂問題というのが、沖縄を通じて、非常に大きい問題になるだろうと予想されるのですが、これについて、現在の沖縄における運動において、何らかこの桑港条約改訂運動というようなものがすでに起ってきておるかどうか、今後の見通しはどういうふうに立てておられるか、その間の事情を少し御説明願いたい。
  47. 仲吉良光

    仲吉参考人 復帰運動は昭和二十一年から東京で復帰期成会を組織いたしまして、東京を中心にし、関西、九州に、沖縄出身者によって復帰期成会の支部がありまして、それから沖縄ではそれより少しおくれまして昭和二十五、六年ごろから祖国復帰期成会というものができまして、われわれの方と現地の方とは連絡をして続けております。つまり復帰運動は十年間やっているわけであります。
  48. 高岡大輔

    ○高岡委員 議事進行について。先ほど南連局長から御答弁があったのでありますが、先ほど来五人の方々からそれぞれ貴重なといいましょうか、切々たるお気の毒な話をいろいろ聞かされたのであります。これに対する御答弁のように南通局長はおっしゃったのでありますけれども、話を聞いておりますと、対米関係においては非常に腰が弱く、金ごとになるといやに強く話があるように感ぜられるのでありますが、この問題はいずれの問題も、今五人の方のおっしゃいましたどなたの話も、政治的な面が非常に多いと思う。従いまして、先ほど来穗積委員もおっしゃいましたように、また松本委員もおっしゃいましたように、いずれ日を改めて政府の外務、大蔵両当局の首脳部からも一つ御出席を願って、その上で私どもは質疑を試みたい、かように考えるのでありまして、本日はただ参考人だけに対する質疑で一つ終りたい、かような考えでありますから、よろしくお願いいたします。
  49. 穗積七郎

    穗積委員 関連して。私もただいまの石井局長の御答弁日本政府を代表する最終的な御答弁だとすると、はなはだしく不満足なわけです。その程度の御答弁を聞くためにこの委員会を開いたわけではないと私どもは思っております。ただし、事務当局の方にすれば、現在法律にきめられておる範囲においてしか行政措置はとれない。またその行政措置にいたしましても、政府の方針が決定してからでなければ、個人的な希望や方針というものも述べられないという苦しい立場におるわけで、今高岡さんもおっしゃったように、沖繩問題の生活につながるささたる問題の解決にいたしましても、やはり基本は常に対米交渉の外交問題にかかっておりますし、それから国内の問題にいたしましても、桑港条約前の土地補償に対するいろいろな要求、これはわれわれの考えでは、あくまでアメリカに責任があるという解釈に立ち、その交渉をすべきだと思っておるけれども、それを今言っておったのでは、短かい時間になかなか解決がつかない。しかし、島民の現状は直ちに金が要るわけです。そういう場合には、土地補償はアメリカの責任であるが、それとは別に日本政府が特別の支出をしてこの急場を救わなければならない。こういうようなことも、国内のまさに重要なる政治問題でありまして、法律問題ではございません。ですから、今までの御答弁をもって、今日のいろいろな要請、または陳情等に対する政府答弁として本委員会を終ることについては、われわれは賛成するわけには参りませんから、きょうは石井局長の事務当局としての御答弁はそれなりに伺っておいて、そうしてあと外交または政治問題として、これは国会を中心にして解決しなければならない問題については、先ほど申しましたように、ぜひとも今会期中に関係各大臣、場合によれば総理の出席を求めて、この際可及的すみやかに政府の方針を決定せしめる。またわれわれも八十万の沖縄島民に依頼されたのではなくて、九千万の日本人自身の深刻な独立と平和の問題として、それを代表する意思表示として、国会における何らかの意思の決定がなさるべきだと思う。そのためにはまずこの委員会が中心になってそのあっせんをしなければならぬと思っておりますから、本日のところは、あと参考人に対する質疑がございますならばそれを継続していただいて、それが済みました後には、今申しましたような取り計らいをどうするかということについては速記をはずしてごけっこうですから、きょう御出席の全外務委員の懇談会をして、あとの処理についての相談をしていただきたいということを委員長に私は提案をいたします。各委員諸君の御同意を得てそういうようにお取り計らいいただきたいことを提案いたしたいと思いますからよろしくお取り計らいを願いたいと思います。
  50. 戸叶里子

    戸叶委員 今穗積委員も言われましたように、政府当局の御答弁は何度やっても前進しておらない。同じところに停滞していると思います。特に引き揚げの援護の問題にいたしましても更生資金の問題にいたしましても、何度この委員会に出されましても同じ答弁であります。これは今穗積委員の言われましたような、日本の今日置かれている状態で仕方がないにいたしましても、先ほど幾度か参考人が言われましたように、ちょうど日本国連に新しく加盟するという一番いいチャンスで、この機をのがしては何らかの沖縄問題の前進ということはあり得ないと思います。そういう意味でこの外務委員会も何らかの前進をこの際示さなければ引っ込まないというくらいの決意をもって、この問題の解決に当っていかなければならないということを考えるものでございます。  そこで先ほど伺いました点で二点だけ疑問を抱いたのですが、更生資金の貸付等の問題についても、日本政府としては今できないという御答弁で、それに加えて大衆金庫というものが沖縄の方にはあるけれども、こういうものの利用も一つの解決法じゃないかということをおっしゃいましたが、それは沖繩でどのように利用されてどんなになっているかということをちょっとお尋ねいたします。  それからもう一点森田さんにちょっと伺いたいと思いますのは、先ほど伊江島の方へは自由労連の代表者さえも上陸を許されなかった、自分はたまたま行くことができたというお話でございましたが、沖繩の那覇等の方が伊江島べ行くような場合は自由にできるか。沖繩内では自由に行き来ができるか。それまでも秘密にされているかどうか。この二点を伺います。
  51. 比嘉一雄

    比嘉参考人 先ほど戸叶先生から石井先生の御答弁に対しての御批評がありましたが、それに対してお答えしたいと思います。  戸叶先生のお話では、事務当局は、引揚者の問題は去年から訴えているにもかかわらず、一向前進してないとおっしゃったのでありますが、私からしてみれば、前進というよりもむしろ後退しておると申し上げなければいかぬと思うのであります。なぜかと申しますならば、私がこの問題をひっさげて国会に参りました当初から、石井局長並びに南連の各関係職員の方々とはひざを交えて御相談したことは数たくさんあるのであります。那覇に見えたときは那覇で、東京へお伺いしたときは東京でも局長室はもちろんのこと、席を変えても何回も御相談しているのであります。そして局長初め全職員がわれわれを励まして協力してやる、しっかりやれと激励されているのであります。ところが二、三日前私がお伺いしてみましたところが、それがまるきり反対にひっくり返りまして、今さっきの御答弁のようなありさまであるのであります。その御答弁並びにこの間からの先生たちのお話を聞きますと、理論をたてにして現実を無視しておる考え方じゃないかと私はこう申し上げたいのであります。なぜかと申しますならば、なるほど沖縄にも国民金融公庫とほぼ似たような組織を持っている大衆金庫というのがあるのでありますが、これは組織だけでありまして、実際に充実していないということは、どなたでも御想像できると思うのであります。と申しますのは、昨年まで四千何百万円かの資本金を持っておりましたが、これはおもに中小企業者を対象として組織したものでありまして、われわれ裸で引き揚げてきて困っている者を窮地から引き上げるという組織のもとに作られたものではないのであります。四千万円余りの資本金では中小企業者だけでもまかない切れないで、一時貸し出しを中止した事実もあるのであります。それを一時増資いたしまして六千七百五十万円という資本金に増額したのでありますが、われわれ三万世帯の引揚者が日本国家に要請している更生資金は少くとも十五億円であります。果してこの六千七百五十万円ぐらいの資本金を持った銀行が、われわれ三万の引揚者が要求している要求を満たせるかどうかということから考えましても、政府側の言いのがれでなくて何であろうかと私は申し上げたいのであります。今までのようにほんとに御誠意がありますならば、何とか議会にも政府にも当って、今まで誓った約束通り実現さしてやる、がんばれと言われるのが当りまえであろうと思います。私は今の石井局長の御答弁に対していささか不満の意を表するものであります。申し上げましたごとく、わずか日本内地の金にして二億二百五十万円にしか当らない資本金を持った銀行に交渉せよということは、理論をたてにして現実を無視するといったような考え方であると私は申し上げたいのであります。とても二億二百五十万円の資金ではわれわれが要求しているところの十五億を満たすことは不可能だと思いますので、そういう観点から御賢察下さいまして、終戦後十一年も泣いて暮している引揚者を困窮から救い上げていただきますよう、特にこの席をかりてお願い申し上げるものであります。
  52. 森田正

    森田参考人 ことし五月に参りました自由労連の代表というのは、ちょうど極東軍のキング大佐というのがずっとつききりになっておりまして、そういう関係でほかのところは全部見れたわけなのですが、特にあの島は一番土地接収も激しく、また人権じゅうりんの激しい島なのです。このキング大佐がずっとつききりでおりましたものですから全然行けなかったのですが、私の場合は、ずっと尾行はされておったのですが、名前は言えませんが、伊江島出身の人がおりまして、この人の郷里にお世話になるということで、私の場合は許されたのであります。沖縄の人は自由に行き来できます。小さい船で四十分ぐらいかかりますけれども、一日に一往復しておりますから沖縄の人は自由に行き来できます。
  53. 戸叶里子

    戸叶委員 今比嘉参考人からのお話を伺いましたが、この問題で石井局長とお話しても仕方がないと思いますので、先ほどの穗積委員からの提案のように何らかの形で、急に何らかお金が出せるかどうかという問題を考える意味におきましても、この質疑は一応打ち切って、この委員会としては私はぜひ重光外務大臣、小林厚生大臣に出ていただいて、皆さん方のきょうの陳述を参考にして質疑をしていきたい、こういうふうに考えます。
  54. 松本七郎

    松本(七)委員 どうせこれは大臣を呼んでやらなければならないのだけれども、形式的にきょうは参考人だけだ、そういうふうにきめないで、来ているのですから、今までの経過などもここに明らかにすれば、いかに南方連絡事務局というものが今まで怠慢であったか、どういう扱いをしてきたかといういろいろな問題があるのです。だからそういうところを少し並行して聞かなければならないと思う。南方連絡事務局の方がどういうふうに扱ったかということによって、わざわざ来て下さった参考人に対する質問も出てくると思います。そんなに分けてやる必要はないと思うのですが、一つ簡単に事務局側に答弁していただきたい。  だいぶ前に、今の在外資産補償の問題は、先ほど御答弁があったような状態でなかなかできにくいからということだったので、しからば特別見舞金くらいでも何とか都合できないだろうか、そういう話があって、それならばそういうことを考慮しましょうという御答弁があったと私ども記憶しておる。それで在外資産補償の運動をされておる方も、そういう具体的な処置を相当期待しておられたように私どもは聞いておるのですが、こういう問題は現段階ではどういうふうなことになっておりますか。
  55. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 在外資産の問題につきましては、私、全般的な詳しいことは存じておりません。ただ本年度予算におきまして在外引揚者の調査をするということがきまったわけでありまして、この在外引揚者の調査については本土に居住しておる者と同様に一つ取り扱ってもらいたいということで、厚生省が担当省でございますが、厚生省と協議をいたしまして、同様な様式によって沖縄についても調査をいたしたような次第でございます。今後補償がどうなるかということは、全般的な問題もあるわけでありますので、私からは現在のところ何ら申し上げる段階には至っていないような状況でございます。
  56. 松本七郎

    松本(七)委員 この点比嘉さんにお伺いしたいのです。今の御答弁では、国内で法の許される範囲で何らか特別の処置をしようというはっきりした意思表示はなかったように言われるのですけれども、私どもの聞いておるのとちょっと違うようです。
  57. 比嘉一雄

    比嘉参考人 この問題は自由民主党の政調会長に何回も解決していただくようにお願いしておるのであります。自由民主党の政調会長としましては、沖繩の引揚者は特にかわいそうなことは言わぬでもみなわかっていることだから、そういったような更生資金という問題は、施政権が別になっておるために、外務省や大蔵省に話してもなかなか法律的にむずかしいということを聞いておるので、あるいは特別見舞金でがまんしてくれということになるかもわからぬが、それでもいいかというお話でありましたので、本国政府がそういうふうに親心を持って考えていただけば、金額の問題じゃなくて、ほんとうに真心からかわいそうだ、何とかしてやろうというお気持に対しては、われわれは反対することよりも、むしろありがとうございます、何とかして下さいとお願いするよりほかありませんから、何分よろしくお願いしますと申し上げたのであります。そうすると、法律的にそういう更生資金を沖縄に持っていって貸すということも非常にむずかしいようだから、あるいは外務委員会でまとめて、特別見舞金にでもして現状を解決してやろうじゃないかというふうにまとまってきたら、政調会の方でも考えるというような御返答を聞いたのであります。
  58. 松本七郎

    松本(七)委員 わかりました。
  59. 戸叶里子

    戸叶委員 ちょっと関連して。私さっき質疑をあとにすると申し上げましたが、厚生大臣にあとから伺う参考にもなりますので、石井局長にもう一度伺いたいのです。先ほどの比嘉さんの更生資金に対しての御答弁をお聞きになったと思います。沖縄での大衆金庫ですか、その利用というものは全然お間違いのもので、これは中小企業の人たちに融資するものであり、しかもそれはもうすっかり借りられて、足りなくて困っているものだというようなこともおわかりになったと思うのです。そうなってきますと、今石井局長がおっしゃったようなのとは全然別個のものになってくるわけですが、これに対してどうしてそういうふうな考えをお持ちになるに至ったか、その辺のいきさつを伺いたいと思います。
  60. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 向うの行政下における実情というものはいろいろな状況もありますので、私どももなかなか詳細には把握できておりませんからあるいは間違いかもわかりませんが、私どもの聞いておる範囲では、大衆金融公庫というものの貸付に、中小企業に対する貸付と一般的な更生資金の貸付と両方あるように聞いておるわけであります。更生資金の貸付の方はあらかじめ割り当てたような金額といいますか、あるいは予定しておったような金額までは達しませんで、その需要は非常に少いわけであります。そこでその予定されておる金額がもうなくなれば別でありますけれども、その予定金額くらいまでは希望者があれば貸し付けられるのじゃなかろうか。こういうような詳しい事情はせんさくできませんからあるいは間違いかもしれませんけれども、一応そういうように考えておるわけであります。なおまた今後さらに一そう詳しく調査した上で考えたいと思います。
  61. 戸叶里子

    戸叶委員 今沖繩の置かれている国際的な情勢から見て、こういうふうなことが困難であるというならわかりますけれども、今の御答弁を伺っておりましても、実情をよく把握なさらないでそういうふうなことを勝手におきめになるということは、私は少し早計過ぎると思うのです。しかも責任ある地位の方がそういうことはちょっとどうかと思うのです。きょうお聞きになった実情で大衆金庫を利用しようというようなことは当然できないことだということがはっきりおわかりになったと思いますから、この点のお考えを新たにして、そうしてさらにほかの方法でそうした資金の融通をお考えになっていただきたいということを私は申し上げたいと思うのです。いずれこのことについては厚生大臣によく伺いたいと思いますけれども、どうぞその点をお考え直しになっていただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
  62. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 われわれ現地の実情がもし間違っておるということがはっきりしましたならば、その実情は関係各省に申し上げたいと思います。が、現在のところまだ間違っておるかどうか、はっきり間違っておるということを申し上げるまでには至っておりませんから、あらためて調査しまして実態を把握したいと思います。
  63. 穗積七郎

    穗積委員 この問題は僕はやはり内閣全体の責任として、対米交渉または県民に対する救済対策として考えないと、かく分れまして南連事務局なりあるいは厚生省、大蔵省、外務省というふうにやっていたのでは解決しない段階にきているのじゃないかと思うのです。  そこで私は外務省の課長もお見えになりますからお役所の方に申し上げておきたいと思うのです。というのは、あなた方は沖縄の現状を皆さんが知っただけを基礎にしてお考えになって、今の日本政府沖縄県民に対してとっておる対策は非常に不十分だ、できるならば少くとも本国の国民と同様の平等な取扱いをしたいという念願を持っておるわけです。しかしそれをはばんでおるのは、私が先ほど言いましたように、一つは対米交渉の問題と、一つは金の問題で、結局は大蔵省にかかってくる。今局長がいろいろ苦しい答弁をされたようだが、それでわれわれはむろん満足しないけれども、局長自身も満足しておる答弁ではないということを確認しておいていただきたい。というのは、せんだって台風がきました。そこで実は与党にもございますが、野党のわれわれの社会党にも沖縄問題の解決のための特別対策委員会ができておりまして、その委員長である淺沼と、私が事務局長をいたしておりましたが、二人が党を代表いたしまして政府に要望いたしました。そのときは今言いましたように厚生省や大蔵省を突っついてもなかなか決定ができないということを判断いたしまして、これは内閣の問題だというので総理に会見を申し入れた。ところが総理は日ソ交渉の問題で都合が悪いというので、かわって根本官房長官に会ってくれというお話でございましたから、そこで根本官房長官は内閣を代表する者としてわれわれは党を代表して会ったわけです。そのときに、具体的な問題はいろいろあるけれども、まず当座の問題として、今お話のお金の問題に触れるわけだが、木材、衣類、食糧等の救援物資を急速に送ることを決定しろ、額についてはこの程度以上を要望したい。それからもう一つは、いろいろ対米関係や予算の名目もあるから、取扱いとしてはたとえば土地その他に対する補償費として出す、それもちょっと困るというようなこともあるかもしれぬ、また生活資金として出す場合においても困るかもしれぬが、この際はそういう予算の款項目にわたって話をしておってそこで動きがとれないようなことをやっていたのでは、これは何のための政治かわからなくなるというので、そこで名目はどういう名目にしても、国会としても予備費から出すのならばおそらくはみんな納得すると思う。だからおよそこのくらいの額のものは当面すぐ出すべきじゃないかということをわれわれは正式に申し入れた。委員会ではありませんから速記録には載っておりません。そのときに根本官房長官は、内閣を代表されての御答弁でございましたが、まことに適切なる御要望でわれわれも同感にたえない、内閣だけでやるべきことをつい手間取っておるものだから野党からも鞭撻を受けなければならぬ、おくれておることはまことに心苦しいが、皆さんの鞭撻には感謝いたします。今の台風に対する見舞の物資を送ることはすぐやるようにいたしましょう。続いてお金のことについては、実は内閣としては総理もそのつもりでやっておって、大蔵大臣に言っておるんだ。ところが大蔵省当局が予算の款項目にとらわれたりいろいろして、ああでもないこうでもないとまだ言っておる。けれども、内閣としてはあくまで大蔵大臣に命じてそれを実行するようにさせたいと思うからということで、われわれの鞭撻に感謝されるとともにそういう約束をされた。しかもそれは可及的すみやかにやらなければ効果が薄いわけですから、その点についても強く希望を申し入れておいたのです。ですからその間のことを私どもがあなたの方へ連絡しなかった、ちょっとすればした方がよかったわけですが、事務当局とされても今戸叶委員からいろいろな御質問があって、それに対して少くとも上からきているところ、あるいは法律の許すところではこれだけしかできない、予算の上ではこれだけしかないから手がつけられないというようなワクの中で、あなた自身も良心にかんがみて、どうも遺憾にたえない答弁しかできなかったというそういう答弁にとどまっていないで、これらの事情を私は関係の皆さんにも申し上げておきますから、その点をどうぞお含みの上で、一つ事務当局としてもせっかく今の現地の参考人の強い要望にもこたえるような努力をされたい。その希望と可能性を捨てないで努力していただきたい。のみならず、その実情を申し上げておかぬというと、これはもうこの程度しかできないのだということで初めからあきらめ話ばかりでは、これは何といいますか死んだときのお経のようなものになりますから、そういうことでなくて一つ善処していただきたいということを要望いたしておきたいと思うのです。その間の事情を申し上げて、私はきょう一々あなた方の心底や方針を伺おうと思いません。いずれあらためて総理なり関係閣僚に出ていただいてそしてこの問題は先ほどから話があったように、国連加盟問題と政治的にも実にタイミングにクローズ・アップされてきた重要な問題でございますから、そういう意味でわれわれは取り扱いたいと思っておるのです。ですからその点はよく含んでおいていただくように要望するわけでございます。
  64. 淵上房太郎

    淵上委員 関連してちょっと。ただいま穗積委員からも御発言がありまして、この問題について官房長官と折衝のお話がありましたが、私どもも大いに共鳴して官房長官を督励したのであります。大蔵省のいろいろな関係もあるのでございましょうが、いずれ南連局長からも御報告があるかと思いますけれども、政府では米二百トン、三千三百三十四俵と木材三千五百石を早急に手配して現地へ送るということに相なったそうであります。この問題につきましては今どの程度まで進んでいるか、それの御報告を伺いたいと思うのであります。御承知のように先般南方同胞援護会という政府の協力団体ができたのでありますが、しかるにまだ発足早々でそういう仕事はできないので、とりあえず日本赤十字社をしてその取扱いをさせることに相なったそうであります。今、穗積委員からのお話のように、事は急を要するものであって、火事見舞が一カ月も二カ月もおくれると変なものになりますので、早急にこれが実現方を切望してやまないのであります。この機会に南通局長からその手配はどの程度進捗しているかの御説明をお願いしたいと思います。
  65. 石井通則

    ○石井(通)政府委員 ただいま穗積先生からも非常にあたたかい御意見をいただきましてまことに感謝を申し上げます。ただ私ども、筋の通るものと筋の通らないものといろいろございますので、筋の通るものについては身命を賭してでもやりたい、こういうような考えを持っております。筋の通らないものについてはなかなか解決のできない問題がありますので、いろいろ苦心をいたしておりますが、その点に御同情を賜わりましたことを厚くお礼を申し上げます。  ただいま淵上先生が救援物資に対する報告をしてくれということでございますが、救援物資につきましては先生方各党から強い御援助がありまして私どもといたしましては南連の事務のうちで、ほかの事務から比べますと、非常に事務的に早くいったというくらいに考えているような次第でございます。沖縄の問題を処置する上におきまして、いろいろな法令的その他の制約がありましたので、当初国から出すという考えでおったところが、法律上の制約のために厚生省を通じまして赤十字社に補助金を交付して、赤十字社が現地の赤十字社に送るという形式をとることにいたしまして、赤十字社と細部にわたりいろいろ検討し事務的な準備をいたしたのでございます。その準備もほとんど完了いたしておるのでございます。ただ若干船積みの関係がございます。この十日前後ごろに米を百トンずつ二回、それから木材の方はごく近く二百石を送りまして、逐次各便船を利用して送ることになっておりまして、相当部分は年内に木材も送ることが可能でありますけれども、若干年明けてというような段取りになるようなものもございます。これは船積み等の関係があり、一ぺんに出せないというような状況でございます。もう近く第一回の船は向うに着く予定になっております。
  66. 前尾繁三郎

    前尾委員長 ほかに質疑はございませんか。——なければ本日はこの程度にいたします。  参考人各位にはどうも長いことありがとうございました。  次会は公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時三十八分散会