○逢澤委員 山下政務次官は、大体
全国の戦没者
遺族会がさきに要望しておる事柄については、それぞれ局長を通じて御
承知だと思うのでありますが、両三年前に一応この議が上ったことがあります。その際に、
全国の
遺族は、そのための会を開きまして、当時、無名戦士の墓としての問題をやったのであります。その当時、最終には千鳥ケ淵というようなことも田邊援護局長の口から出たこともありますが、そのときの日本
遺族会の
考え方としては、結論からいいまして、作ってもらうなら靖国神社の境内ということでした。しからずんば、一応千鳥ケ淵でもいいだろうというふうな話も一時的にはあった。ところが、それを押し縮めたところが、それではいけないということになった。それでも
政府が強行して今日のような――きのう実は私は新附を見てびっくりしたのです。境内か、しからずんば、これはみな分骨してくれというのです。名はわからないけれ
ども、各県の出身者が何人ということはその地域でわかる。そこで、その数に応じて、各都道
府県にそれを分骨してもらいたい、それで各都道
府県の護国神社なり、それぞれのところに奉祀する、こういう取りきめをしてある。このことについては
厚生省の係にはよく通告しておるのです。その理由はかねて御
承知だと思いまするが、靖国神社自体は、
国家が管理することができない。今回の提案は、また若干
趣旨が違っておるらしい。
軍人及び
一般の戦没者の遺骨を合祀するというただいまの次官の
お話であったのでありますが、それは、若干合祀者の
人々の種類が違うから、日本
遺族会としては
考えが違うかもしれませんが、この問題が出た根本は、戦死者は今度会うときには九段の森で会おうと言っていた、しかるに靖国神社自体が今日のような事態になっておるので、これはすみやかに
国家が処理するような方策を
考えねばいかぬ。ところが、残念ながらまだ現在ではその域に達していない。その前に無名戦士の墓のような、これに類似するものを
国家が金を出して作って、
国家の管理のもとにやる、本家の靖国神社は
国家が管理できない、そしてその分身の墓は
国家が管理するとしますと、今のうちは戦士者の親もあり家内もあり
子供もあるから、それができても、靖国神社に参拝します。けれ
ども、行く行くは靖国神社を
国家が管理せぬということになると、その
中心は無名戦士の墓に移行してしまって、片方は国が管理して相当の集中的なお祭りができる。片一方は参拝者も次第に少くなってくる。今でこそ肉身がいるからなんだが、先になると草がはえる。こういう例はすでに
全国で十ほどあります。私の岡山県にもちょうどその例がある。岡山県に例をとりますと、市内に操山という一番の景勝地がある。その操山に三勲神社というものがある。楠正成、和気清麿というような当時の思想の
指導者が対象になる神社があった。私
ども幼年のころ、
学校の先生に連れられていったが、りっぱなものだった。ところがその三勲神社は氏子がない。氏子がないので、今度のように神社に対する
国家の保障がなくなったものだから、屋根を銅板でふいておったのですが、戦後銅板を取ってしまった。とうとう雨漏りになって、今日はなくなってしまった。靖国神社も、今日ではまだそうならぬが、これから五十年、百年先には、だれも管理者がなくなると、おそらくそうなるだろう。これは
全国の人が言うておる。そういうことを
考えたときに、無名戦士の墓を先に解決するということは、前後を誤った処置であると思う。従って、先に申しあげたように、まず靖国神社を
国家が管理するということを先にきめる、今、
海外から
引き揚げてきておる御遺骨が粗末になっておることは重々私
どもも
承知しており、まことに相済まぬことだと思っておるけれ
ども、それよります二百万に上る御英霊の神社に対するあこがれ、それからその
遺族の神社に対するあこがれというものを
考えたときに、
国家が管理する無名戦士の墓とか、あるいはそれに類似のところに遺骨を納めるということは、大体戦死者自体の意思に反するではないか、だから、
遺族としては断じて
承知することができないということなのであります。この点については、すでに
厚生省には、草葉さんが大臣の折にも、その諮問があってその回答をしております。しかるに、今回この挙に出られたということは、大へんなことになると思うのであります。それはおやりになることはけっこうだけれ
ども、私はその責任者としてよく
承知しておるから申し上げるのだが、これが出ましたら、おそらく会合がありますが、会合をすれば、
政府の方でこれを強力に断行するというなら、遺骨だけは各県に返せということになることははっきりしておるのです。この点をお
考え賜わって、処置していただきたい。
それから、もう
一つ申し上げておきたいのは、これは私の
考え方だから確定的なものではありませんが、
政府の
考え方としては、戦死者の遺骨だけでなく、
一般戦災者の遺骨も同時に合祀するというお
考え方だから、当時の構想とは違うのじゃないか。
遺族としましても、その点
考えたけれ
ども、
一般の方と合祀してもらうということは再びません。それは、戦死者自体が、
国家のために積極的に進んでいって、今度会うときには九段の森で会おう、こういう気持で行っておるのだから、それを他の
戦災者の御遺骨と一緒に合祀するということについては、これは私
ども今までの
遺族の気持を想像してみましたときに、これは賛成しない、しかられる、こういうことになっておる。そうなると、どういうことになるかというと、今の
政府が御
計画しておる
一般の
戦災者の御遺骨をそこに集骨なさるということについては、これは何をか言わんやであります。しかし、戦死者の遺骨はそこに堆積しておるから、それと合せてする、こういうことにはおそらく賛成をいたしかねる、こういうことを申し上げておきたいと思います。これは答弁は要りません。幸いに今日はそういう責任あるお立場でおいでになっておるから申し上げるが、日本
遺族会がかつて単葉厚生大臣からこの問題に対する諮問があったときに、はっきり今申し上げた
通りのことを申し上げてそうして今日に至っておる。そこで今日さらに当時のことを変更して、靖国神社の
措置が確定しない間に、その前に無名戦士の墓、ないし無名戦士の墓類似のものを強行するために閣議決定をしたということは、これはあまりにも
事情を無視したおやり方であるということだけは、強く申し上げておきたいと思います。