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政府委員(北島武雄君) お答え申し上げます。米軍から大量の冬服の供与を受けたことは事実でございます。供与を受けたにもかかわらず、
あとで買ったという事実はないのでございます。検査院の御
指摘も、くれるということがわかっておったのになぜ買ったか、こういう御
指摘でございます。その点につきまして若干弁明申し上げたいと思うのでありますが、現在
アメリカ軍から供与される物資につきましては、その時期につきましてきわめて不確定なことが多いのでありまして、一たん供与されるときまっておりましても、
あとになりまして取り消されましたり、それからまた時期がずれるということも非常にございます。ことに増強の場合の
編成装備品の物資につきましては、大体におきまして供与が確定されておりますが、臨時に供与されるものにつきましては、往々にしてそれが途中で流れる、あるいは時期がずれるということが多いのであります。この問題の冬服の点でございますが、
経過を申し上げますと、
昭和二十九年の七月の中旬ごろ、先方の担当官から陸上幕僚監部の補給
関係の担当官に、場合によると冬服が自衛隊の方に譲渡できるかもしれないという通報がございました。口頭でございました。ただ当初におきましてはこれが有償譲渡であろうという話でございましたので、有償であるならば国内で調達した方がむしろ安くなるという
考えでありましたので、有償では困るというふうにお答え申しておきました。ところが七月下旬になりまして、無償になるかもしれないという話がございましたので、無償ならというわけで
防衛庁も非常に乗り気になりまして、その後、連絡担当官を置きまして、ほとんど毎週一回くらい相手方に打ち合せさしたのであります。八月下旬になりまして無償ということがほぼ確実ということになりましたが、時期とか規格、品質等につきましては一切不明でございました。その後二十九年の九月の中旬になりまして、冬服約三十五万着及び冬服の生地が約三十五万着分、あわせて七十万着
程度のものが自衛隊に供与されるかもしれないという、米軍部内の通報の文書の写しを
防衛庁が入手いたしましたので、そこで、さらにかけ合ったわけでありますが、ただし品質とかその
程度、時期につきましては、一切不明でありました。しかし
防衛庁におきましては一応譲渡の場合を予想いたしまして、受領方法につきまして検討を加えたのであります。その後、譲渡品の
程度それから時期につきまして、早急に知らしてもらいたいということを、ひんぱんに軍事援助顧問団に要求したのでありますが、軍事援助顧問団におきましては、一切不明だということでありました。かつ二十九年の十月になりますと先方の担当官が交替いたしまして、さらに十月には釜山における
アメリカ軍の補給所が火事で焼けたのであります。そこにおきまして、きわめてこの冬服の供与を受けるということが絶望という状態になりました。そこで
防衛庁におきましては意を決しまして、既定の調達
計画を実行いたしたのであります。その後十二月の末になりまして、先方の担当官から譲渡について打合せしたいという申し入れがありまして、直ちに受領態勢をとったのでありますが、一月上旬の
予定期日になりましても実現を見ず、きわめて悲観的な応待をもってせられたような状態であります。これが二月になりましてさらに好転して、現実に二月から九月の間に授受が行われた、こういう結果でございます。
防衛庁におきましては、もともと、いつどのくらいのものを自衛隊に供与されるということが確実でございますれば、もちろん既定の調達
計画は実行するわけにはいきません。
防衛庁におきましても非常に慎重な態度をもちまして、ひんぱんに先方に折衝いたしましたが、何分にも時期等は一切不明でございましたけれ
ども、ところが三十
年度になりまして一月から新隊員が入ってくるという状態でありまして、意を決しまして、万一これが、供与が実現できなかった場合におきましては、補給に不円滑、補給の困難を来たしますので、調達の責任者といたしましては意を決して、二十九年の十月に調達いたしたわけであります。