○加瀬完君
討論に先立ちまして、私は政府並びに
議長に対しまして、厳重な注意を促したいと思います。
今までこの本
会議における
委員長の
報告に際して、
委員長が行方不明になったり、担当の国務大臣がいなかったりしたことは、私は寡聞にしてその例を聞きません。(
拍手)政府が党略的な意図のもとの
法案だけに熱心でありまして、政府与党みずからの重要な自治法に関する
法案に対して、
かくのごとき冷淡な、あるいは冷淡を通りこしまして、
国民を侮辱するもはなはだしい怠慢の体をなすことは、大臣がどういうお考えを持つのか、このような
運営をする
議長は、どういう所見のもとに行なったのか、この
討論終結の
あとで御所見を伺いたいと思います。
私は、ただいま
議題となりました自治法関係の二案に対しまして、
社会党を代表いたしまして、
反対をいたします。(
拍手)
衆議院から回付されました修正点等につきましては、部分的に賛成の個所があるのでございますが、全体的に言いまして、近来、政府が地方財政にとっておりまする態度は、あくまでも指導監督権の強化の一語に尽きるのであります。具体的に言うならば、地方財政の再建法にいたしましても、交付税法にいたしましても、地方公務員法の一部
改正法案にいたしましても、特に地方財政計画を見ますると、この傾向が一目瞭然であります。この政府の地方行財政に臨む基本的態度に、わが党は
反対を続けて参りました。このたび
議題となっておりまする
地方自治法におきましても、この傾向また顕著であります。具体的に
反対の
理由を申し上げます。
提案の
理由によりますると、地方自治の健全なる発達ということを題目に、民主的な、能率的な
運営、行政経費の節減、行政効果の充実、住民福祉の向上という四項目を掲げておりますけれ
ども、この四項目、特に
あとの二項目は、国と地方との関係、地方の財源賦与、こういう問題が解決をいたしませんでは、この目的を達する解決のめどは全然つかないのであります。しかし、このたびの自治法の
改正の案の中にも、この精神というものはほとんど忘却されております。ここに大きい問題を私は感じておるのであります。
〔副
議長退席、
議長着席〕
反対の第一点は、今申し上げました
国家機構と地方自治体との調整関係が全然考えられておらないということであります。地方自治体だけをどういうふうにいじってみたところで、
国家権力との関係をどういうふうに調整するかという問題が解決をされませんでは、地方自治体の規模なり、性格なり、権能なりというものは、おのずから生れて参りません。たとえば、再建整備法のような方式をもって
国家計画への統制をしいて参りまするならば、地方自治というものは生育をすることができないのであります。こういう傾向がこのごろとみに激しくピッチを上げて参りました。そうしてこういう国のために地方を犠牲にするというやり方は、軍備強化の態勢に入りますると、いつでも顕著に現われて参るのであります。たとえば
昭和九年から
昭和十九年ころの太平洋戦争を前後する間の、軍備拡張態勢のもとにおける地方歳出と
国家歳出の割合を調べてみますると、
昭和九年には、国に対して地方が一〇二%でありました。それが十三年には六六%に減り、十九年には一九%に減りました。国の一〇〇に対して
昭和十九年は地方は一九の予算だけしか用いない。一九%の仕事しかできないということであります。このことは、軍事費の支出の増大が地方行財政に対して、はなはだしい統制と干渉を示すということを教えておるものであります。現状におきましても、この傾向は激しく打ち出されまして、たとえば、先ほ
ども例に出されました
昭和二十九年の
乱闘国会を現出いたしました警察法の
改正の
一つの大きな目的は、地方経費の節減ということでございましたけれ
ども、警察法を
改正いたしましても、地方経費が節減されておりません。
昭和二十九年には百七億が追加をされ、
昭和三十年には五十三億というものが追加されております。あるいは基地の拡張、行政道路、こういう施設の提供費は、二十九年には四十九億、三十年には七十四億、三十一年には百億と累増いたしております。これに比較いたしまして、地方住民の民生の安定に資すべきところの、たとえば公共事業費のごときは、治山治水対策費、河川改修にいたしましても、砂防にいたしましても、造林にいたしましても、治山費にいたしましても、全部減っております。都市に対する都市計画の費用も減っておりますれば、農村に対しては土地改良、耕地整理という費用は全部減額をされております。自治体の本旨からいたしまするならば、住民の生活向上のための支出増、住民の負担軽減の
要求、こういう二つの
要求が当然地方自治の根底でありまするけれ
ども、この具体化が、今まで地方行財政に対しまして出された
法案には全然読みとることができないのでございます。政府案の示しておりまするのは、いつでも住民のための経費は出せないけれ
ども、軍事的性格の予算、あるいは権力強化の予算、こういうものを大幅に押し出しておるのであります。今、国の地方行政の方向と、住民が
要求いたしておりまする地方住民の
要求とを比べ合せますると、国の
要求というものが全面的に大手を振って立ちふさがりまして、地方の住民の
要求の予算というものがだんだん削減され、後退させられてくるという現状にあります。こういう矛盾というものを解決をいたしませんでは、地方自治の発展というものを期することができません。私の
反対の第一点はここであります。(
拍手)
反対の第二点は、自治体が発展をいたしますには、その裏づけとなります地方の財源というものがまず前提として与えられなければなりません。ところが最近の地方財政計画というものを見ますと、太田長官も御存じのように、何ら自治権を尊重するという性格ではなくて、地方財政をどうして圧迫するか、行政規模をどうして縮小するか、この一語に尽きるのであります。昨日も例に出しましたけれ
ども、平衡交付金以来、交付税というものがあります。この算定は、地方財政計画によりまして、
昭和二十五年の決算額を基礎といたしまして、その上へ積み重ねて参りました新規財政需要額というものを幾らと見て、その新規財政需要額の分だけの交付税を出すという建前をとって参りましたけれ
ども、この新規財政需要額の増加を見ますると、
昭和二十六年、二十七年、二十八年と、こう三年を見ますると、何によってこれが増加したかと言いますと、ほとんど二十六年は九七%、二十七年は九六%、二十八年は少し下りまして七四%というものが、国の施策の影響によりまして、地方費の
要求増を来たしておるのであります。そこで、地方的な事情というよりは、国の政策による影響が多いわけでございますので、当然この分は国が持つべきでありますけれ
ども、国はこういう方法をとっておりません。特に大切なことは、本年から
昭和二十九年を押えまして、これに修正を加えておりますから、
昭和二十九年を押えますと、
昭和二十九年は、この新規財政需要額が三百七十八億であります。この三百七十八億をどういう形で出させたかと言いますと、臨時事業費の減というもので二百三十億、節減による減で百二十億、その他、こういう形をとっております。事業費の減というのは何かと言いますと、道路の費用を減じたものが四十一億、単独事業を減じたものが七十七億、道路を直してもらいたい、いろいろ土地改良等の単独事業をいたしたい、こういう費用というものは全部切り捨てておるのであります。
そこで、今度は一方、地方の収入に対しましては、地方税が四百二十五億、地方譲与税が二百三十五億、雑収入という変な財源に百八十二億も増収計画を立てております。これに反しまして、国庫支出はどうなっておりますかと言いますと、国庫支出金は百四十二億を減、地方債は百三十九億を減、交付金は百六十億を減じておるのであります。国の
責任で出さなければならないところの財政需要額が膨張しておりますのに、国の方の支出はうんと減らして、その需要量そのものを全部住民に転嫁するという方法をとっております。こういう交付税制度というものは、地方を圧迫するだけでございまして、地方に十二分に仕事をさせる財源効果というものは全然表わしておりません。
また、担税能力がそれだけあるかということになりますと、
昭和二十五年を一〇〇といたしますと、
昭和二十九年は一七八に膨張いたしております。これだけ新税とか、あるいは制限外の課税ということで、住民の負担というものの増大をさしておるわけでございます。この
一つの例は、
昭和三十一年の財政計画では、五百三十一億の新しい増加というものに対して、四百七十四億の地方の負担、国が出したものはたった五十六億、こういう形で進めて参りました。さらに、応益原則というものを打ち出しました。これは、土地改良でも道路でも、受益をするものは受益者負担で当然負担をするのだという方式であります。これでは、住民は何のために過酷な税金を払っておるのか、税金のはね返りというものは全然こないという形をとらせられておるのであります。こういうふうな、地方行政を十二分に行い得ない地方財政、このアンバランスというものを最低行政規模という言葉で打ち出しました。今の地方行政は膨張しているのだから、最低行政規模に、もっと小さいところの行政規模に圧縮しようというこのコンクリート化を政府はねらっております。このようでありましては、地方財源のないところに地方自治というものは存在しないのであります。これでは、全然財源を与えられない地方自治の振興ということを政府が考えておるということでありまして、これは、われわれがどうしても
反対せざるを得ない第二の
理由となるわけでございます。(
拍手)
反対の第三点は、この
法案の裏には、知事の官選、道州制、内政省の下心が隠されておるということであります。このたび地方団体の性格というものを、府県あるいは指定都市、市町村、こういうふうに区別をいたしました。市町村にいたしますと、これを基礎団体というふうな名称で呼びました。府県は、これを広域団体という名前で呼びました。この府県と市町村の間の事務の配分というものが明確でありませんから、当然これは競合をして参ります。指定都市に至りましては、さらに府県と区別のつかないような事務を持ちますから、この間に争いが非常に大きく起って参ります。従いまして、
国家の統制方式あるいは指導権、こういうものが入りませんと、調整、解決がつかなくなります。そこで知事を官選にするというふうなことが必要になって参りますし、あるいはまた、内政省というものを設置しなければならないところの必要性というものが生じてくるように、自治法が改悪をされておるのであります。具体的に言いますと、府県の性格の中では、固有事務といたしまして、総合開発でありますとか、治山治水事業、
電源開発、こういうものをやるということになっておる。
電源開発ということにいたしましても、治山治水ということにいたしましても、あるいは総合開発でも、埼玉県なら埼玉県、栃木県なら栃木県という
一つの県でやるということは不可能になりまして、隣県が連絡をする、あるいは国が
一つのまとまった地域の総合を頼む、こういう形をとらざるを得なくなりますので、どうしても国との関連が強くなり、国の監督権も仰がなければならないという仕組みに立たせられるわけであります。これでは自治体というものは育って参らないのであります。
具体的にもう
一つの例を申しますと、特別市というものを廃しまして、指定都市というものにいたしました。指定都市というものにはいたしましたけれ
ども、この指定都市というものには、特別市のような権限というものを移してありません。指定都市はやはり府県の知事なり、あるいはもっと国の監督なりというものを待たなければ、指定都市がやっていけないような性格を持たしてあるわけであります。この、国の監督権を温存をしておるところに、私は非常に疑惑があるわけであります。こういうような、国の監督権を待たなければできないということは、やがて国の監督権を作る、内政省を作る、こういう形にもなるわけであります。言い漏らしましたが、
一つの県で仕事ができない、区域を広げなければ仕事ができないということになれば、道州制というものを考えざるを得ません。こういうような、やがて非常な地方行財政に対する、財政に対する
国家統制はできたが、行政に対しても、激しい
国家統制をしようという下心が隠されておるということを、われわれが認めますときに、
反対の第三点をどうしてもあげざるを得ないのでございます。(
拍手)
反対の第四点は、
民主主義訓練の場を失わさせておるということであります。この
改正案によりますと、現在の
議会の回数、常任
委員会の数、こういうものを制限をいたしました。行政
委員会というものに、はなはだしい制限を加えました。たとえば二百三十九条の三は、予算執行に対しまして、知事、市町村長に行政関与権というものを持たせまして、長の干渉権というものを拡大いたしまして、
議会あるいは行政
委員会というものを、はなはだしく押えてあるのであります。
民主主義というものは、この
国会の中でだけ
民主主義というものは育って参りません。地方
議会なり、地方の行政なりに住民がみずからタッチをいたしまして、
自分たちが
自分たちの行政をする、
自分たちの村を治め、町を治める、こういう訓練が積み重なって参りまして、
民主主義というものが訓練されて参るわけでございます。ところが、こういうふうな
民主主義を訓練する場というものをだんだんと押えて行くのであります。こうなって参りますると、非常に
日本の
民主主義の育つ上には、小さいような
改正が大きい響きを持つわけでございます。なぜこういうふうにしたかという
理由を伺いますと、能率化だと、こう言う。そこで能率化ということ、能率優先化、あるいはまた民主化の優先化、能率化と民主化というものがここに問題になります。私は、能率化というものをだんだんと進めて参って、民主化というものを押しつぶしてくるこのごろの傾向というものに、非常な心配を感ずるのであります。