○加藤正人君 私は、緑風会を
代表いたしまして、当面の諸問題について
関係各大臣の見解をたださんとするものであります。
まず
鳩山総理大臣に対し、当面の
日ソ交渉に関してお伺いをいたしたいと思います。もちろんこの問題につきましては、すでに論議し尽され、世論の動向もほぼ確定されているところでありますから、今日は時間もないことでもあり、今さらその
交渉内容に触れんとするものではないのでありますが、ただ、総理の本問題取扱いについて、憂慮にたえない点があるように感ぜられるので、この問題にのみ焦点をしぼりたいと思うのであります。
真偽のほどは必ずしも明確ではないのでありまするが、新聞紙の報ずるところによりますと、最近
ソ連側より非公式の線を通じて、いわゆる終戦宣言に関連する何らかの申し入れがあったやに伝えられているのであります。もちろん現在までのところでは、それが総理あてのものであったのかなかったのか、あるいは正式の
提案といえるような性質のものであるかどうか、われわれはこれはわからぬのであります。けれども、少くとも
ソ連側にそのような動きのあったことだけは間違いないところであります。現在ロンドンにおいてそのための
日ソ正式
交渉が持たれておるにもかかわらず、わざわざ非公式の線を通じて、そのような働きかけがなされるということに、われわれ
国民はひとしく疑惑の念を禁じ得ないのであります。一種の謀略であるとすらきめつける者もあるくらいであります。
そこで伺いたいことは、
ソ連側の
提案そのものの是非は別といたしまして、このような
ソ連側の動きを、一体
政府はどのように受け取っているのであるか、そうしてこれに対して
政府はどのような
措置をとらんとするつもりでありますか。ただいま総理大臣その他から、この間からの
いきさつについて承わったのでありますが、事、はなはだ重大でありますから、特に総理としてのお
考えを伺いたいと思うのであります。
さらには、
ソ連側のかかる不明朗な動きを誘発している原因は、むしろわが方の国内
事情、つまり二元
外交が云々されておるような国内
事情にあるのではないか。果して米英等の国家に対しても、
ソ連はかかる正式の
外交ルートを無視した方途に出ることができるでありましょうか。かつて
わが国にも二元
外交が云々されたことがありました。しかしそれは軍部の横暴時代のことでありました。そうして今や再び二元
外交が云々されておるのであります。これは当時と全く
事情が異なり、同一内閣の閣内のことでありまするが、ともに国を誤まるおそれのあることについては同一であります。この点こそ
国民の憂慮している点であると私は思います。常に民意を尊重し、民心を安んずることが政治の要諦であるにかんがみまして、この際、一国の総理として、率直に御反省あることを切望するものであります。以上、三点について御見解を承わりたい。
次に、
経済外交の問題へ入りまするが、実は賠償問題の進め方について、若干の
提案を申し上げて、
外務大臣からその見解を伺う予定であったのでありまするが、時間の
関係で、本日はそれを割愛してただ一点、西欧通貨の自由化に関連して、
経済外交上必要な
措置をとる要はないかということを、大蔵、外務両大臣に伺いたいのであります。西欧通貨の自由化は、肝心の英国
経済の悪化によって一時遠のいた格好にあることは否定し得ないのでありますが、しかしいずれにいたしましても、それは単に時間の問題であって、遠からず実現するものと予想しておかねばならないのではないかと思うのであります。そこでこれに対する
対策でありますが、西欧通貨の交換性が回復された場合、実際上の問題として交換性を回復した
国々の間には、自然の成り行きとして、一つの
経済圏、ブロックのようなものが形成されることとなり、その圏外にある
国々は非常に不利な立場におかれるのではないかと
考えられるのでありまするが、
わが国等は、さしあたりこの趨勢に追随し得るだけの実力はとうてい持ち合わさない、まして東南
アジアの
諸国は、一そうしかりというべきであります。従いましてわれわれといたしましては、このような
アジア諸国間において何らかの
経済的な組織体を持たねばならないのではないかと、私はひそかに
考えるものでありまするが、
政府の見解は果してどうでありましょうか。かつて小笠原大蔵大臣は、正式な国際
会議において、欧州決済同盟と同じような構想のもとに、
アジア決済同盟の結成を
提案したことがありました。このA・P・Uともいうべき構想は、当時の財界の一部が
考えた単なる思いつきの程度にすぎなかったのでありまするが、小笠原蔵相はこれを取り上げたのでありました。西欧通貨の自由化に対する
対策として、このA・P・Uの
考え方がいいというのではないのでありますが、少くともエカフェの機構を通ずるなり、あるいは
アジア経済会議を提唱するなりして、何らかの
対策を検討すべきではないか、
政府は果してこの問題をどのように
考えておられるか。
次に、
経済問題について伺いたいのであります。最初に大蔵大臣に、
経済政策の基調は果して堅実なものであるかどうかということについて伺いたいのであります。過去二年にわたるデフレ
政策の効果を一挙にしてふいにするか、あるいはよく有終の美を飾り得るか、今後の
経済政策のあり方、特に三十一年度
予算の持つ意義は、ひとしお重大であります。この意味において、
予算案編成途上に見られた総理の無関心というか、あまりにも無
責任な
態度は強く
批判さるべきでありまして各省大臣が
予算のぶんどりのみに狂奔したり、また
自民党内部の無統制ぶりを天下にさらけだしたのも決してゆえなしとしないのであります。このような経過を経て編成された
予算案について、
政府はその
財政演説においても健全
政策を堅持したと自称しており、事実一般会計の収支が一応償っている点から見て、一般的にもまあまあといった程度に受け取られているようであります。しかしながら冒頭申し上げたように、デフレ
政策の効果をふいにするかどうかという観点から見ますれば、必ずしも堅実なものとは申せないのではないかと思うのであります。すなわち、
わが国の
経済は一昨年来健全なる
発展を遂げ、
生産は戦前の二倍近くにも達する盛況でありまするが、このことは、デフレ
政策の効果というよりは、むしろ未曾有とも称せられるほどの海外の好景気に負うところが多かったとは、今日一般の常識であります。たとえば昨年における
わが国の輸出の特徴は、地域的には
アメリカ向けの輸出が好調であったことと、品目別には鉄鋼の輸出が非常に増したことでありましたが、これは従来鉄鋼の大手輸出国であった西欧
諸国では、好況のためにその国内需要を満たすのに精一ぱいであったためで、この一事が端的にその間の
事情を物語っているのであります。このように一昨年来のデフレ
政策は、いまだ十分にその
成果をおさめ得たとは申せないのであります。かかる
状態のままに、
経済の基調そのものは輸出ブームの影響によって事実上変貌を遂げつつあるのであります。ここにいわゆる
拡大均衡論が根強く胚胎する
理由もあるわけでありますが、
経済の地固めがいまだしとすれば、功をあせることの禁物であることは論を待たないところであり、あくまでも地固めのための
政策は堅持されねばならないはずであります。
そこで
予算編成に当って十分配慮されねばならない問題は二つあると思うのであります。その一つは、いうまでもなく現在
日本経済に潜在しているインフレ要因であります。三十一年度の輸出もおそらく本年並みあるいは若干これを上回ることが予想されるのでありますが、このように二年、三年と、かなりの輸出超過が続けば、特に底の浅い
日本経済がインフレ化しないとはだれしも保証し得ないところであります。現に英国はおろか、さしも堅実と思われた西
インドの
経済すら、そのためにインフレ化しつつあると伝えられているのでありまするが、
わが国にもこのような根強いインフレ要因が明らかに存在しているということ。これに反してもう一つは、現在の金融はもはやインフレを調節する機能を著しく喪失しつつあるということ、すなわち現在の市中銀行の日銀依存度は皆無に近く、従って今までのようなインフレ調節機能を喪失しているという事実であります。これら一連の事実を考慮しつつ、地固め
政策を堅持するとせば、
財政面にかなりの緊縮的性格がなければならないことは自明の理であります。収支だけ償えば足れりとするわけには参らないのであります。
しかるに現在
提案されている
予算案を見ると、その規模においては前年度に比べて、実質的には八百億程度、すなわち一般会計において約四百億、これに
財政投融資を削減して、これを
民間資金に肩がわりしているやりくりを合算すれば、実に八百億程度の膨張となっており、しかもこれらは、あげて防衛、恩給、
社会保障等の
消費的支出に充当されているのであります。蔵相の孤軍奮闘は、まことに同情に値し、また
財政規模も一兆三百億程度に押えた
努力は多とするものでありまするが、これでは明らかに
経済の引き締め、産業基盤の地固めを貫徹せんとする意思はゆがめられていると申さねばならないのではないかと思います。単に一般会計だけでなく、前述のもろもろの
経済事情を勘案して、
財政経済政策は果して真に健全であると言えるかどうか、この見解を伺いたいのであります。
次に、公団方式の是非について伺いたい。公債発行をめぐる論議が、今度の
予算編成上の大きな論点の一つであったと思いまするが、今回は一応これを取りやめることになったことは、前述した意味において、はなはだけっこうなことであったのであります。しかしながら、最近の
財政のやりくりを見ておりますと、住宅公団、道路公団あるいは北海道開発公団等々、特に昨年ごろからこの傾向が強いように感ぜられるのでありまするが、これはまことに憂慮すべき傾向であります。すなわち、これらの事業の多くは本来一般会計において見るべき性質のものであると思うが、一般会計を一兆円に押え、また公債を発行しないという、いわば表面をつくろうためにわざわざ公団を作り、公団債という形で資金を集めるというやり方でありまして、実質的には、いわゆる公債
政策と何ら選ぶところがないばかりでなく、しかもこれらの公団には多数の役職員が必要となるわけで、その弊害は決して看過し得ないところであります。この点に関する蔵相の見解はどうでありますか。
次に、
経済五カ年
計画について高碕企画庁長官に伺いたいのであります。昨日の
経済演説においても御説明のあったごとく、五カ年
計画とは、要するに
昭和三十五年度において
完全雇用を
達成し、特需に頼らない、いわゆる
自立経済を
達成するためには
日本経済はかくなくてはならないという、いわば単なる希望図であり、まず最終
目標を定めて、これに合わせるように個々の
計画を逆算的に作り出したという
関係もあり、かつはまた、ちょうど内外景気の最も好況なときに立案されたという
関係もあって、たとえば労働率の設定の根拠もあいまいであったり、あるいはまた年率五%という
経済の成長率の見込み方にも疑問が感ぜられる等々、要するにいいかげんにつじつまを合わしているという感がはなはだ強いのでありまするが、しかしながら、この
計画も要するにわれわれの
努力目標を示したという点にその意義があるのでありまするから、ここではその個々の
内容に触れることは避けて、ただ次の一点だけについて伺いたいのであります。すなわち、この
計画には、あたかも仏を作って魂を入れないように、
計画の裏づけとなる肝心の資金
計画が全然なされていないという点であります。なるほど五カ年全体として要する資金の総ワクは一応算出されているのであります。けれども、われわれの最も重要だと
考える年次
計画、すなわち初年度はどの部門に幾ら、二年度、三年度にはどの部門に幾らという資金の配分
計画がなされておらぬ。過日発表された五カ年
計画の初年度
計画にも、この資金
計画の裏づけがなかったのであります。これでは
予算と
計画はマッチし得ないのは当然であり、致命的な
計画の盲点となっていると思うのでありまするが、あえて年次別に資金
計画を立てなかった
理由、及びそのようなことで果して
計画の
達成が期待し得るかどうか、この点について見解を伺いたいのであります。
次に、
貿易の問題について通産大臣にただしたいのであります。前述したように、通貨の自由化とその前提となる
貿易及び為替の自由化は、現在国際的に着々
推進されつつあるのでありまするが、このことは言うまでもなく国際抗争が文字
通り真剣勝負の時代に入ることを意味するものであります。
わが国に課せられるところの本格的な試練とも言うべきでありまして、この意義はまことに重大であると思うのであります。
わが国においてもこの国際趨勢に対処するため、出血補償リンクの廃止、あるいは商社の外貨保有制の実施等、若干の自由化がはかられて参りましたが、なお為替管理の面、外貨
予算の編成の面、あるいは二国間の双務
協定貿易の面等に、なお問題が多く存在しておるようであります。近く開かれまする日英通商
会談においても、英国はわが方の特別外貨制度、あるいは船舶に対する利子補給制度の撤廃を
要求してくるのではないかと見られているようでありまするが、この意味において現在の国際的な動きとにらみ合せて、
わが国においても、今後果してどのような面からどのような順序で検討が加えられ、この国際的な趨勢に伍して行かんとするか、その構想を具体的に承わりたいのであります。なお、このような自由化と連関して問題となるのは国内の産業
政策についてであります。すなわち現在は設備の制限や、あるいは操業度の調整等の産業
政策は、為替管理による輸入数量、つまり原料面から調整を加えている面がかなり多いのであります。従って為替管理が今後自由化の
方向をたどるとせば、よほど国内問題の
処理をうまくやらなければ、産業界に相当の混乱が起るのではないかと思うのであります。この点通産大臣の所見を承わりたいのであります。
最後に、労働大臣から当面の賃金問題について、
政府の見解をただしたいのであります。総評においては恒例のごとく、しかしその規模においては、いまだかつてない大がかりな春季攻勢を展開すべく着々と準備が進められつつあると伝えられておるのであります。業種も業態も全く異なるいろいろの企業の労組が一斉に歩調をそろえて立ち上るというふうなことは、全く
世界にその類例を見ないのであります。思うに
わが国の労働運動が、このようにして戦後十年間、
国民経済のワクも企業経営のワクも、すべてこれを乗り越えて、年中行事のごとく賃上げを戦って来たというような不健全な様相を呈して来たゆえんのものは、ひっきょう戦後の
日本経済が、
アメリカの
経済援助と朝鮮特需という僥幸によってささえられて来た結果、温室
経済になれて、当事者たる労使はもちろん、
国民全体の
自立精神が弛緩し、あえて
経済の実体に眼をおおうてやすきについて来たことに、その根本的な原因があったのではないかと思うのであります。一昨年からとられて来たデフレ
政策の意義も、単に当面の
国際収支の改善というだけにあったのではなく、
国民全体の
自立精神を喚起するということに大きな意義があったと申すべきであったのであります。しかるに、このような意義を持つデフレ
政策そのものもいまだ十分その
成果をおさめないままに、
経済の基調が変貌して来ている。こういう情勢のもとにおいて、われわれは今や戦後かってなき大規模な春季労働攻勢に当面しつつあるわけでありまして、それだけに今回の賃金問題はひとしお重大なる意義を持つものであると私は
考えるのであります。なるほどデフレ
政策の効果もある程度上り、これが海外景気にうまく便乗して
日本経済は予想外の好転をみましたが、それでもなおかつ
わが国の物価は全般的に割高であり、また、海外の景気も西欧
諸国においてはすでに頭打ちとなり、特に国際
貿易の前途には通貨の自由化という、真に
日本の産業が果してこの試練に耐え得るかどうか、はなはだ憂慮にたえないような試練が前途に待ちかまえておるのであります。しかして国内産業の実体は、その後多少の改善を見たというものの、なおきわめて弱体であり、資本構成を見ましても、今なおその六割は借入金に依存し、収益率も戦前の六分の一、減価償却も戦前の二分の一しか行なっていないありさまである。このことをもって私はその
責任を賃金問題にのみ転嫁するつもりは毛頭ないのでありまするが、しかしながら過去の賃金問題がきわめて安易に取り扱われ、
生産性向上の利益も、あげて賃上げに吸収されてきた事実は、これは否定し得ないところであります。戦後のこの多い人口を養っていかねばならない
日本の産業に課せられた社会的責務が、戦前とは比較にならぬほど重くなっているということと、国際
経済の趨勢に思いをいたせば、今こそこのせっかくのチャンスを逸することなく、資本の蓄積と設備の近代化に努めるべきときであり、結局このことこそ、真に労働者の福祉の増進と
雇用の
拡大に通ずる
唯一の道であることを銘記せねばならぬと思うのであります。総評の賃上げ行動綱領によれば、賃金は労使の力
関係によって獲得すべきであるとしているようであるが、なるほど短期間の問題としてはあり得ないことではない。しかし大局的に見れば、そのように企業の支払い能力を越した賃上げが獲得されたとしても、結局はコストの上昇から営業不振を招き、ひいては経営規模の縮小を通じて賃金の引き下げ、企業整備を余儀なくせしめ、真の意味の労働者の福祉には反する結果に陥るのみであります。(
拍手)
賃金問題は、以上のような諸点から考慮されなければならないが、特に当面問題となるべきベース・アップという
考え方そのものが、インフレ時代の産物であり現在のように物価は安定し、賃金は戦前を上回り、かつ昇給制度というものが行われている現況下にあっては、果してその
考え方自身が成り立つものであるかどうか。
政府は果して当面の賃金問題をどのように
考えておるか……。