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公述人(有泉亨君) 初めにあやまっておかなければならないのですが、実は私ここへは
法律の専門家ということでお招きをいただいたのかと思うのですけれ
ども、こういう
法案をほんとうに腰を落ちつけて読みましたのは今度資料を送っていただいて初めてなんです。そこでこまかい
法律論を勉強する時間がありませんでしたので、日ごろ考えているその
考え方をお話して御参考に供したいと思います。
先ほど
弁護士連合会の方、佐々木さんですか、言われましたように、
接収された
建物の
借地権とか借家権というものが
接収の間眠っているということがはっきりすれば、そうすると問題はすべて解決をする、
解除されたときにまだ
借地権は途中おるわけですから、そこからつながって残りが十年だとか五年だとかということになるわけなんで、そうしてそれが判例などでもしはっきり確定してきますと問題はかなり違ってくるのだと思うのです。ところが
借地権とか借家権というものが眠っておるのかどうかということになると、先ほどからのお話を伺っても、実際にタッチされておる方のお話でも必ずしもはっきりしない。ことに疎開などのときに借家権、あるいは
借地権の対価が払われたのかどうかということも、第五次とか第六次とかで違うことがあって、はなはだその辺が不明瞭なんです。そこで
立法府としてのことを考えますと、それはもっと早くはっきりさしてやった方がいいんではなかったかというような気がいたします。能力があって
裁判所へ出ていって争った者だけがかりに眠らなかったんだという判決をもらったとしても一般の人はそういうことを知りませんから、これはだめだったというふうにあきらめているかもしれない。そういう意味ではなはだ今までもっと早く出なかったということが遺憾であるというふうには思うのです。しかしまあ問題は少し理屈ぽくはなるのですが、
土地所有権なり家屋
所有権なりと、それを使う
使用権というものが現在日本の法制の中でどういうふうに扱われているかということを、やはり考えてみる必要がある。そうしますと、これはあの
借地権とか借家権というのは、非常に今日強いものにはなっておりますが、しかしそれは建前としてはやはり使っている人の使用
関係を安定させよう、こういうねらいであって、使っている人がそれをどこか譲渡したり、財産として処分しようというときには、これは必ずしも
保護しない。だからそういう意味での処分できるような財産としては
保護していない。しかしその人がそこで商売をやっている、家を建てている、そういう
関係を安定させようと、こういうところではかなり行き届いた
規定があって、
土地を借りて家を建てれば、ほとんど家がこわれるまでは大体借りておられる。家を借りた場合でも、家主さんの方が焼け出されて行くところがないというふうな事情でもないと、そう簡単には出ていけと言われない。そういう工合に使用
関係は非常に
保護されておるわけですが、それを譲渡しようというようなことになると、民法に六百十二条というような
規定炉あって、貸主がうんと言わないと譲渡ができない、こういう建前だと思うのです。ところがその現実にはどうかといいますと、私もどうもあまり事実をよくは知らないので、はなはだ自信のないところなんですが、
借地権というのは、実際は非常に譲渡されておる。東京でも相当の値段で現実に取引がされておる。そういう事実上は財産化している。借家権の方はその点が少し違いまして、なおビルのことは知りませんが、普通の住宅ですと、借家権を譲渡できるということは、まず今日でも考えられていないのですけれ
ども、
借地権の方になると、かなり譲渡性が出てきておる。そこでまあ
法務省などの方でこの
法案に
反対されているようですけれ
ども、その建前というのは、その
使用権——借家権にせよ、
借地権にせよ、使用の安定をはかっているのだから、そうしてそれがずいぶん長いこともう使わなくなってきている。そうすると、今さら出てきてそれを使うという必要がどれだけあるかというふうな、そういうようなお考えが基礎になっている。それだけではないと思いますけれ
ども、それが底の方にあるのだと思うのです。そこで、ことにそういう安定をはかるという
立場から考えると、従来どこかで、たとえば
罹災都市借地借家臨時処理法の
権利を行使する機会などがあったもの、そういうものがもう一ぺんこの
法律でよみがえるというようなことがあるいは御心配になっているのではないかと、こういうふうに思うのですが、しかし現実をどの程度に評価するか。そういう現に
借地権というようなものが取引の対象になっているということを、どういうふうに評価するかということが、とにかくこの
法案に対して私が自分の考えをまとめていく上に非常に重要な問題ではないかと考えた点なのです。そうしてそういう事実の上に、われわれは現在
借地借家臨時処理法、簡単にこれから今ありますものを
臨時処理法と申し上げますが、
臨時処理法というものがある。そして
臨時処理法のねらいもやはり
使用権の確保ということがかなり
使用権の安定といいますか、そういうところが重要なねらいであった。もう一つのねらいは、例の戦争のあとで
土地が遊んでいる。そうすると遊んでいる
土地を能力ある者に使わせよう、こういうねらいも相当、非常に強い意味で
法律の中に盛り込まれてはおりますが、一つのねらいというのはやはり使用
関係の安定ということだったというふうに思うのです。そこで今日実情をよく知らないので何とも言えないのですが、戦争後十年もたったあとで、
使用権の安定という意味では果して昔十年も前に使っていた人をまたそこへどうでも入れてやらなければならぬという必要があるかどうか、こういうことが問題になる。ところが先ほど伏線として申し上げましたように、
借地関係などというとその
借地権というものが財産として今日価値が認められている。そうすると十年たとうと、二十年たとうと、十年前の方で没収された、不当に占拠された、こういうものならば補償してやらなければならぬのではないか。それは同時に使用の安定、それから先ほど
横浜の方がおっしゃったように、そういうことになれば
土地がすぐ利用される。それがどの程度全体
——この
法律というものは
全国的に施行されるものだと思いますが、全体の上でどれだけの重みを持つか知りませんが、そういう作用をも営むかもしれない。そこで
借地権についてと借家権についてとでは少し私の
意見というのは分れるのでして、
借地権について認めることを借家権についてまで認めなければならぬのか、
二つを分けて考えることができないか、こういうことが一つ、そうしてそれは現に
接収されている場合でもそれが実際にあるのではないかという気もするのです。というのは、ある人の
土地を借りて家を建てている、その家が
接収されている場合に、その家賃というものの中には
借地代が入っているのではないかと思うのです。これは調達庁の方でどういうふうに計算をされているか存じませんが。ところが貸事務所か何かのビルの中の一室が
接収されているときには、前に借りていた借家権を
接収したからその対価をやるということはどうも問題になっていないようです。はなはだ私の知識を申し上げてあれですが、最高
裁判所に真野さんという方がおられます。真野さんの事務所が
接収された。そうすると、事務所が
接収されたことのその対価をよこせとは、先生言っておられないのですが、そこにあったテーブルや、椅子や、そういうものがそのまま
接収されたから、その使用代をよこせ、こう言ってがんばられた。そうして決して調達庁の協議に応じない。そこで必ず東京都の収用
委員会にかかってきまして、そうして机を一つ使用代一年幾らというような計算をする。その例でもわかるように、どうも借家の場合には
使用権というものの対価は計算に入ってないので、
借地と借家では何かそういう違いがあるのではないかと思うのです。そこでそういう
使用権をかりに
借地というものを中心にして考えてみますと、今言いましたように
法律の上では、財産としては
保護していないのですが、現実には財産になっている。そうしてそれはしかも半
永久的なものになっている。そうしてしかもそれが
接収によって使用することができない。使用しないために、使用が不可能になったから
権利は消滅するだろうかというと、どうもそうではない。むしろ、たとえば消滅時効に関する
規定などは、
権利を行使することを得るときから消滅時効は進行します。それとは少し事情が違うわけでありますが、十年なら十年という
期間は
権利を行使できないということになる、そこは切れる、
法律の
解釈としても、そういう
解釈ができるのではないか。しかしその
関係は、非常にはっきり
権利関係として
法律の方面で取り扱われていないので、そこの辺がデリケートなところだと思う。そうしてしかもそれは、
法律の上で明瞭な
権利、財産としての
保護が
規定されていないものですから、一方で、その
法律の面をたよった事実
関係が積み重ねられてくる。たとえば疎開、まあ疎開の
土地の例だと少し工合が悪いのですが、疎開された疎開地の所有者が、どこかでだれかに売るという、まあ
接収されているとなかなか売れないという話ですが、そういうことが起ると、
第三者が出てきて、その
第三者に対して、今度の
法案ですと
借地権をよこせと、こう言えるということですから、
第三者が迷惑をこうむる、こういうことがやはり起きてくるので、その点をまあ法理論を厳格に展開される
立場からは心配されるのじゃないかと思うのです。ただそれが、どの程度そういう例があるのかというのは、これは一、二の例を知っているというだけではどうも判断できないのでして、その辺のことになると、事実を確かめない限りは何とも言えない、こういうふうに考えます。
そこで、今まで述べたことを簡単にまとめて申しますと、とにかくもし
土地所有者に思わぬ利益がころがり込んでいって、そうして
借地権者が、
接収されたということから非常な
損害をこうむっている、こういうことがあるならば、これはどうも調整してやる必要がある。借家
関係でもやや似た事情はあると思いますが、若干事情は違うというふうに思うのですが、それでこれをどういうふうに調整をするか。そうすると今度の
法案ですと、
法案のたしか
三条四項などでは、その辺の仕組み、四項に限りませんが、その仕組みがオール・オア・ナッシングということでできているので、
借地権を取得できるかできないか、できるならばまるもうけですし、できないということになればまる損だ、こういうことになるのですが、しかしこれは、はなはだ自信のないところですが、
使用権というものが、今日の法の体系の中で、何かやはり事実と、それから形式的な法の建前との中間にあるようなものなので、それを法の建前の方でも、今度作る場合でもオール・オア・ナッシングにしてしまうのはどうだろうか。だから貸してくれと言えば、勝つか負けるかだ、こうしないで、何かそこに調整の方法はないだろうか。その
借地権があるのだ、こう申し込んだときに、使用者側が正当の
理由があると、こう言えばもう断われますし、正当の
理由がないということになれば、
借地権が生ずる。そうではなくても、その間で何か話し合いをする機構を作って、そうしてその地主も、思わぬことで自分のところにもうけが残ったんだからこれを補償する、補償した上でノーと言える、こういうふうなゆとりをどこかで作れないだろうか。そうなりますと、実は
第三者が現われてくると、なかなかむずかしい問題にはなりますが、
〔
理事宮城タマヨ君退席、
委員長着席〕
まあそういう事柄がややこしくなるということと、当事者間の公平をはかるために、ややこしいのはがまんするかどうか、こういう問題なので、少しぐらいはややこしくても、公平をはかるために、何かそういう調整というものを入れてはどうか。そうすると自然、第一条のこの
法律の目的などというところも、
借地借家
関係を調整する、単に調整をする、こう言っても、オール・オア・ナッシングですと、どっちかが不平をいうことになるわけで、そこで
接収から生ずる損失を両当事者間で公平に負担するような、そういうことを目的としてうたっていただいて、そうしてそういう趣旨のことをどこかに入れていただくといいのではないか、こういうふうに思うのです。
それからもう一点だけ、時間をいただいて申し上げたいのは、使用
関係の安定というのが、何といっても基本である。そこで先ほ
どもちょっと申しましたが、従来
臨時処理法で救済を得ようと思えば得られたという
関係は、これは今さら済んでしまったことを起す必要は広い。その点はこの
法案ではどうなっておるのか、
法案を丁寧に読めば、どこかで配慮がなされておるのかしれませんが、
臨時処理法で救済を求める機会がなかった、そういう
借地権者、
借家権者を
保護する、こういうことはぜひ考えていただきたい。
それから第二には、そういう安定ということが中心だと考えますと、
講和発効後
——前でも
接収解除はあったと思うのですが、
接収が
解除されたあとで、両当事者間で何らかの話し合いがついたのは、これは今さら寝た子を起さなくてもいいだろう、話し合いがついたということは、結局
借地人なり借家人の側がそれを緊急に使用しなければならぬ必要がなかったから話し合いがついたのではないか。もっとも地主の圧力、家主の圧力で、やむを得ずのんだというようなこととか、
法律を知らなかったから地主の申出を承諾したとかいうことで
争いが起きないとも限りませんが、しかし一応
考え方としては、話し合いのついたものは、もう一ぺんここで、この
法律、これはなかなか強い
法律ですが、こういう
法律で起さないように配慮をしていただいた方がよくはないか。
そうして全体としていいますと、どこか、だれかの批評にも出ていましたが、
罹災都市借地借家臨時処理法というのはできがよくない
法律で、大あわてで作った
法律で、
解釈上疑義がある。その疑義が必ずしもはっきり解決しておるとも思えないのです。そういう点もなお御配慮をいただきたい。しかし全体として、こういう
法律を作って
関係を明確にする、そうしてまあ私の述べたような損失、これは国家が補償すべきものかどうかわかりませんが、国家がとにかくさしあたって補償してくれないとなれば、両当事者の間で公平妥当に分担するというような精神で
法律をお作り下さると大へんありがたい、こういうふうに考えます。