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亀田得治君 京都における犯人誤認事件に私
ども調査に参りました結果を概略御
報告いたしたいと思います。
京都地方検察庁における犯人誤認事件の調査結果について、私がお許しを得て
派遣委員一同を代表し御
報告申し上げます。
委員羽仁五郎及び新谷寅三郎及び私の三名は、去る八日、九日の二日間にわたり、京都府庁、西陣警察署及び京都地方検察庁において本件事件の関係人である四少年、公判証人、弁護人、警察官及び検察官その他合計十八名から事情を聴取したほか、問題の公衆便所そのほかの犯行現場付近の状況並びに西陣警察署の内部を視察して参りました。関係者のうち少年一人及び森鳥検事には先方の都合で会うことができませんでしたが、京都府庁及び前堀弁護士から調査に多大の便宜を与えられたことを特に御
報告いたし、感謝の意を表したいと存じます。
今回の調査は、関係者も多くきわめて多様にわたっていますので、詳細は別に
報告書に譲り、ここでは最も大きい問題点、つまり四少年を犯人と誤認したことにつき、捜査上のミスがなかったかどうか、四少年に対する自白強制、暴行拷問の事実がなかったかどうか、村松証人を逮捕したことにつき検察上の、ミスがなかったかどうかの三点について
報告いたします。
まず捜査上のミスの問題でありますが、これについては村井京都府警本部長も明らかにミスであったことを認めています。私
どもとしては、このミスは次の六点、すなわち第一点は予断による見込捜査をしたこと、第二点は捜査官の合理的、科学的判断力が十分でなかったこと、第三点は検察庁の処理にたよろうとする甘い態度があったこと、第四点は人権尊重の精神に欠けるものがあったこと、第五点は捜査の有機的統一がとれていなかったこと、第六点は、これは検察庁の責任ですが、警察の捜査に対する指導が万全でなかったことの諸点にあると判断いたしました。
その理由は、宋、浜田両少年は、事件発生直後警察で第五の人物の怪しむべき
行動を詳細かつ具体的に述べているのであります。これはきわめて重要ですから、その供述調書の部分を、少し長くなりますが、御参考までに読んでみます。
宋少年曰く「私も又相手をなぐろうと思ってよく見ますと、附近は暗いので顔はよくわかりませんが、年齢不詳、丈五尺二寸位、中折帽子、白トックリダブル背広の男がけんかをとめておりました。すると相手の二人はこの仲裁の均に食ってかかりましたが、私たちもおるので、この二人は鍋町を西へ逃げ、約三十メートルくらいの隆本方横手で、うち一名の男に追いつきました。このときも私が一番おくれ、春夫や浜田、山本はすでにこの男を相手になぐっておりました。私が行くと、この男は北側の塀にもたれるようにしながらばったり倒れました。現場にはたくさんの人が見ておりました。」こう述べ、翌日には浜田少年が当時白トックリシャッを着た男がジャックナイフを出したのを見たことを浜田少年からけんか後聞いた事実を供述しています。
つぎに浜田少年いわく「どこから出てきたのか、私の後の方え廻って来た一人の男が私と相手の間に立って相手の男に向って、まあ待て、とか言って居りました。すると相手の一人が仲裁に入った男の瀕を手でなぐりつけました。その心仲裁の男は川手を手で押して一歩後方に退り、〃やるのか〃と言うて上衣のポケットに手を入れて何か出したように思いました。その時相手の二人は西に向って逃げ出したので、私は川手を追い、二人の中の一人の男に追いつきなぐろうとしたとき横から相手の一人が私の肩をつかんで引っぱったのであります。それで私は相手の脇下であったか手を入れて、そのまま道路の北側のお寺の石坑のところに押したのであります。すると仲裁に入った男が横から出てきた相手の首に手を巻いてしまいました。そのとき私の手が相手から離れたのでとっさにズボンの後ポケットに入れてあったハーモニカを取り出して相手の頭の付近を数回なぐりつけました。そのときもう一人の川手の男は山本が川手をしていたように思いますが、判然しません。とにかくもう一人の男が逃げ出したので私も追っていこうと思うたとき仲裁に入った男がまた追っていったのであります。そのときあとに残っていた相手の男も少し走りましたが路上の北端の方に横向きに倒れました云々。仲裁人の人相は一見二十六、七歳、丈五尺三寸位中肉で色が黒いようでありました。判然覚えているのは、トックリのシャツに、ナンド色の背広の上下、半長靴をはいておりました。」こう述べ、さらに、この仲裁人が下手人であると直感したわけについては、「その男がポケットに手を入れて何か取り出した様子であり、私が相手と取組んだ時この男が相手の首を手で巻いた動作等から、その時何か刃物で突いたのじゃないかと
考えた」と、供述しているのであります。
山田、山本二少年の警察における供述調書の内容は、残念ながら入手することができませんでしたが、少くともただいまの供述によってわかりますように、真実に触れている感があり、第五の人物が直接の下手人ではないかを疑うべき
余地が大きいのであります。
しかるにこの点について警察では事件発生当時の見物人二十数名について取調べをしたが、判明しなかったと釈明していますが、多数の参考人のうちに二少年の客観的真実に合致した供述を裏づける一人の目撃者も得られなかったということはまことに驚くべき現象であります。
果して警察が、二少年の自由なる供述を尊重し謙虚にして真剣な態度をもって捜査をしたかどうか、疑問とせざるを得ません。換言すれば、警察では事件の外形的な形態や少年の経歴その他の表面的な現象に捉われ、始めから下手人は四少年の中の一人であるとの予断を抱き、その見込みの下に捜査を進めた疑いが濃厚であります。
事件の捜査主任の一人であったある警部は、私
どもに対し「四少年の中のだれかがやったのではないかとの見込みであったが、予断を持ったわけではない。そう信ずるについては事件の経過を通観し、多年の経験に基く確信であった」旨述べ、事件の筋と勘によって四少年を犯人と認定せざるを得なかったことを強弁していますが、この言葉は本件の捜査が予断と見込みの
もとにいかに誤まられたか、そして多年の勘なるものが厳粛なる事実の前にはいかに危険をはらむものであるかを自白しているにひとしいのでありします。見込み捜査の弊害はまことにおそるべく、これを根絶せねばなりません。捜査は常に証拠に基き、あくまでも人権尊重を基盤とし、合理的科学的考慮の裏づけを伴ったものでなければなりません。これを欠くときは、本事件のように真相を見誤まり、あまつさえ、自白を強制し、暴行拷問のおそるべき人権じゅうりんの問題を惹起することを捜査官は深く銘記し、戒心すべきであります。これが第一点であります。
先般刑法等の一部を改正する
法律案の公聴会において、高田
委員長から、
わが国警察の科学捜査
施設の貧困な状態について御質問があったと記憶しておりますが、捜査の合理化、科学化は近代司法警察の要請であります。現行刑事訴訟法が自白のみによる断罪を排し、傍証を要求しているゆえんのものも、またそこにあることは申すまでもありません。ある参考人の警部は、私
どもに対し「四月二十六日宋少年が自供を翻えして犯行を否認したが、これまでたびたび凶器の出所についてでたらめばかり言うので、その否認も信用しかねた」と答えていますが、犯行を自白した者が何ゆえ凶器については真実の供述をすることができないのかということを合理的に追及していけば、当初宋少年が犯行を否認していた事実と相待って、当然そこに宋少年は凶器について語るべき何ものも持っていないのではないかというきわめて自然の大きな疑惑にぶつからざるを得ないはずであります。これは一例にすぎませんが、かように合理的探究の精神に欠けるものがあった、これが第二点であります。
それでは警察は四少年を真犯人と確信して送検したかと申しますと、必ずしもそうとは見られない。一まつの疑点を残して送検したのではないか、そこに捜査の不徹底があったもののように感ずるのであります。
前堀弁護士は「警察は検察庁に事件を送致すれば検察庁がこれを何とかしてくれると甘く
考えている」と述べています。ところが、ある警部は「裁判所は警察を信用していけません」と述べています。あとでそれは裁判所が警察を盲信していないという
意味であると釈明しましたが、盲信していないのは当りまえの話であって、やはり「裁判所は信用していない」という
意味で述べたものと解されます。しかしかような自信のない
考えで、捜査上の疑点の究明を怠り、あとは検察庁まかせでは、人権保障上まことにゆゆしいことであります。宋、浜田少年はあとで述べますように、事件後友人岩本宅で真相を語っております。また佐藤真犯人は料理屋の女中をして犯行現場を見にやっております。これらに対しどこまで捜査の手を伸ばしたか、徹底を欠いたうらみがあったのでないかと感ずるのであります。これが第三点であります。
由来西陣警察署は伝統的に取調べがきついということで、一昨年にも積慶園の収容児の取調べで暴行問題を起し、責任者の処分をみています。
取調べがきついということは、人権尊重よりも警察独善に傾いているものと批判されなければなりませんが、かように人権忠恕に対する自党のおくれていることが、自白を強制し、ひいて真実発見を妨げる誘因になったということは重大な問題であります。これが第四点であります。
次に、浜田少年はけんかが終った後、友人の岩本君宅に立寄り、けんか闘争の状況を岩本君に話したことを明らかにし、取調官に事件当夜の真相をうかがう手がかりを与えています。
しかるに警察では岩本君を取調べたかどうか判明しませんが、捜査主任の一人は、そのような
報告は一こう耳にしていないと述べており、私
どもは、果して警察が捜査官の縦横の連繋を十分に保ち、有機的に統一された捜査を展開したかどうか、一まつの疑問を抱いております。これが第五点であります。
もとより私たちは四少年を真犯人と誤認し、あるいは真犯人を発見し得なかったことについては、警察のみを糾弾しようというのではありません。そこには検察庁側の責任はどうか、家庭裁判所もその職責を尽すに遺漏はなかったか、あるいは一般大衆の協力が得られたか、その他いろいろの事情をしんしゃくしなければならないことは当然であります。
現地では、検事拘留の
期間十日のうち七日は警察側に食われている実情のようでありますが、これではわずかの残り
期間内に担当検事が、警察側の取調べの欠陥を考究是正し、みずから種種の取調べを行い、適正な起訴不起訴を決定することは、けだし困難といわなければなりません。勢い本件のような否認事件については確信のないまま起訴する羽目に陥るのであります。
四少年の起訴状を見ますと、検察官は包括的に一個と見るべき
行為を前後二個に分割し、最初のけんか暴行については暴力
行為等処罰に関する
法律を適用し、後の殺人結果については傷害致死罪に問擬しています。これは理論的にはとにかく、起訴の常道から見るとまことにおかしい。重い罪の傷害致死一本で起訴すれば、それで十分ではないかと思います。しかるに検察官がことさらに暴力
行為をくっつけたゆえんのものは、四少年の犯行に確信がなかったから、これをもって突っかい棒をしたと、こういうふうにしか解釈されないのであります。これはひっきょう検事拘留が本来の
意味で活用されなかったことに起因すると批判しなければなりません。検察側が司法警察職員に対する指導指揮に完璧を期し、検察権行使の適正をはかるため、一そう反省
努力すべきことを切望するのであります。これが第六点であります。
それから犯罪捜査が一般大衆の協力なくしてはよくその実効をあげにくいことは多言を要しません。本件の場合、けんか闘争の現場に居合せた多くの元物人、先にもあげましたが、少年らの次人岩本君、また真犯人に頼まれて犯行現場を兄にいった女中など、幾多重要な関係者が存在しています。しかるに、これらの
人々のうちで捜査線に現われ、真相発見に有力な手がかりを与えた者が、果して幾ばく存在したでありましょう。そこに大衆の協力の欠陥があった。というよりも警察の民主化が西陣警察署の「警察は最も民主化されている」という言葉を逆に行っておって、まだ地についていないことを暗に物語っているのではないでしょうか。
なお、家庭裁判所については、応問の都合上直接調査することができませんでした。裁判所からは
報告書が提出され、その中で第五の男について「少年に相当追及し発兄に努めたが、少年らの供述に具体性がなく、目撃者もなく、十分な捜査機能を持たない家庭裁判所としては、結局第五の男を確認することができなかった」と述べていますので、一言付け加えておきます。
第二に、自白強制、拷問、暴行の問題について申し述べます。
この問題については、少年らは、口をそろえ一様に事実行われたことを訴えているのであります。たとえば、宋少年は、四月十二日から十八日までの間岡本、広瀬、権藤、永徳という刑事から手を引っ張られる、腹を突かれる、手錠をはめられ、正座させられる、数人の刑事に取り囲まれて自白を強いられたり、刑事の股倉に頭をはさまれて小突かれる、髪の毛を引っ張られる、いろいろの乱暴にあい、耐えかねて虚偽の犯行を自白したと訴えております。
浜田少年も、おもに権藤刑下から四月十二日またぐらに頭をはさまれ小突かれた、正座の姿勢をくずしたといってはなぐられた。無理な姿勢で手錠をかけて調べられ、短刀を突きつけられたこともあると述べております。
山本少年は、やはり権藤刑事のため良心があるかと腹を突かれたり、首や顔を打たれたり、うしろ手に手錠をかけて調べられたり、また刑事十名ばかりに取り囲まれてひっくり返されたこと、食事を与えられず、自白したら食わせてやると鼻先に突きつけられたりしたことを申し立てています。
しかるに、これに対し警察官側では異口同音に少年らの言い分を否定するので、ついに対決の手段をとったのであります。そうすると、少年らは当の刑事諸君に対して、こうしたではないか、ああしたではないかと、もろもろの事実をあげて詰問するのに反し、刑平諸君は、ただ一方的に否認し去るというありさまで、結局は水かけ論であります。
しかしながら、少年らの自白強制などに附する供述の内容がきわめて具体的かつ詳細であって、事実無根であると
考えることは無理であるのに反し、警察官側の態度は、いずれも申し合せたように、ほとんど抽象的、一方的否認に終始しています。もし警察官側においてそれが捏造虚構のものであるというのであれば、もう少し積極的な反駁があってしかるべきではないかと感じました。
前堀弁護士のごときは暴行の事実を強硬に主張し、あくまでその責任を追及するとさえ極言いたしています。
もとより私
どもは少年の言い分をそのまま信ずるわけではありませんが、これまで調べた諸般の状況からして自白強要の疑念を深めたことはいなむことができません。
前回警察庁中川刑事部長が暴行脅迫の事実はないと認められると
報告していますが、京都府警本部監察課においては、格別に刑事、少年について調査しています。かような手ぬるさで真相が究明できたと思ったらもってのほかであります。よろしく四少年に弁護人を付し、双方を対決させるのでなければ、らちはあかないということを警察は自省すべきであります。
とにかく、警察における自白強制、あるいは暴行拷問は、戦後いまだに跡を絶たない民主主義のガンでありまして、これが根絶は司法警察行政に課せられた急務の
一つであります。従って
法務委員会としては、本件について追及の手をゆるがせにすべきではありませんが、現在警察本部において徹底調査を約していますので、いましばらくその是正作用を監視し、その上で態度を決定されたいと存じます。
同時に、かような事件の抜本策についても深く検討すべき必要があろうかと
考えます。この点について前堀弁護士から、次のような三つの
意見が述べられています。
すなわち、その第一点は現在警察では一人の刑事が取調べを行なったように外観上調書が作成されているが、実情は多くの刑事がそれまでに入れかわり立ちかわり被疑者の取調べに当るのである。これでは被疑者はだれによって取調べを受け、暴行などされてもだれにされたかはっきり見きわめることが実際上困難ある。従って、責任の所在を明確ならしめるため一人の警察官が身分、氏名を明らかにして取調べに当るようにすべきである。
第二点は、逮捕勾留を検事勾留に切りかえた場合は、警察の留置場を拘置監に代用する制度は廃止すべきである。現在のようでは警察は検事の知らない間に自由に被疑者を出し入れして取調べをする結果、とかく人権じゅうりんの問題を起しやすい。従って留置場の出し入れに厳重な制限を設けるか、でき得べくんば検事勾留について特別の立法措置が望ましい。
第三点は、現行法上被疑者の自供調書はそれが警察官の作成したものも検察官の作成したものも、証拠力は全く同一であるから、その間の何らか差等を設けることが必要である。かように三点をあげていますが、まことに有益な参考資料として付け加えた次第であります。
最後に、第三の証人逮捕問題について申し述べます。まず、偽証の認定自体が相当であるかどうか、私
どもは、これはきわめて疑わしいと
考えています。なぜならば、検察庁が偽証を認定したおもな理由は、佐藤証人の証言と村松証人の証言とに食い違いがあること、現場の照明の関係上、村松証人の証言のようには公衆便所の外で第五の男の服装、
行動などが詳細に見えるはずはないこと、この二点にあることは、先般法務省の
報告どおりであります。しかし、肝心の佐藤証言については、裁判長がこれを伝聞証言のため中途で証人調へを打ら切ったということを聞いています。真偽は裁判所に聞いてみなければ判然としませんが、もし村松証言とが食い違ったところで全く問題になるわけはありません。
それから公衆便所の点ですが、天地視察の結果によれば、相当薄暗い個所ではあるが、附近に外燈もあって、人の服装行勅はもちろん、刃物を手洗い水の中に入れてみたところ白く光り、決してわからないという状況ではありません。これをわかるはずがないと
考えた検察官は果して実地検証の上便所付近の照明の状況をよく確めたのかどうか、疑問であります。
とにかく、偽証の認定において、すでにミスがあったと
考えられるのでありますが、それは警察の場合と同様、やはり予断と見込みに出発した非合理的な検察
活動が災いしたといわなければなりません。その後村松証人は森鳥検事の予断圧迫に耐えかねて、法廷で第五の男が背広を着ていたと証言したのは偽証であって、実はその男は背広を着ていませんでした、とさらにうその上塗りをしておるのであって予断追求もここまで来るとむしろこっけいにたえないのであります。
次に深夜に及んで村松証人を逮捕した経緯はどうかと申しますと、ただいまのように、予断をもって取り調べたものですから、なかなか村松証人は森島検事の期待するような供述をするわけはありません。そのうち夜に入ってようやくうその上塗りを供述したので、午後七時ごろ取調べを打ち切り、それから森島検事は中田刑事部長に経過
報告をし、それから連れ立って泉次席検事をたずね、村松証人の取調べ状況を
報告し、打ち合せなどをしていますが、森島検事の上申書――これは私
どもの出発前に受け取ったものですが、これによれば、打合せに午後八時半頃から十一時頃まで約二時間半かかっています。わずか一人の証人の取調べ状況を
報告し、その逮捕を協議するにしては、慎重を期したとしても長過ぎる時間ですから、おそらく逮捕問題について泉、中田両検事と森島検事との間に相当
意見がわかれたであろうことは、察するにかたくありません。直接森島検事から真相を聞くことができなかったことは残念ですが、上申書には、森島検事は、村松証人の逮捕に
反対したところ、泉次席からそれでは検察庁の士気を阻喪する、君は無能検事だ。あす有能な検事に村松を取調べさせる。もし偽証を自白すれば君は責任をとれ。とにかく今夜逮捕しよう。と言われ、やむなくその命に従った旨記載してありますが、一方泉検事等は、そういう激しい言葉を吐いた事実を否定しています。言葉のやりとりはとにかくとして、泉、中田の両検事は当時逮捕説を強く主張したことを認めていますから、結局森島検事が上司の
意見に屈服したと申しても差しつかえないかと思います。
それでは、証人逮捕の責任は、泉、中田両検事にあるかと申しますと、必ずしもそうとはいえない。熊沢検事正は決裁者としては責任は
自分にあると述べていますが、それはそれとして、森高校事もまた佐藤証言が伝聞証拠であることを果してよく説明したかどうか、上司の判断を誤らしめたという
意味においての責任はないかどうか、なお究明を要する点であります。
裁判官に逮捕状の発付を請求したのが十一時半ごろ、ところが疏明資料不十分のため裁判官はたやすく応ずることをせず、ようやく午前一時を過ぎて発行したというのが真相のようであって、ここにも検察庁の見込み違いがあったわけであります。
検事正は証人逮捕のミス、特に深夜逮捕の行き過ぎを認め、事件全体の責任を強く感じていると申しています。
しかし、そうであるならば検察当局は、すべからく村松証人の起訴猶予処分を撤回し、不起訴処分の決定を断行して、
国民に与えたいたずらなる疑惑、不安、恐怖の念を一掃し、みずからの不明を謝すべきである。
国民が今後片言隻語の違いで偽証罪の汚名を着せられることをおそれ、証人台に立つことを忌避するような事態に至ることがあれば、責任だけでは片づかない重大な問題であります。
現に村松証人のごときは再び証人台に立つことはこりごりだと述懐しています。この人の名誉を回復するためにも、検察庁が官僚的面子を捨てて、不起訴処分に訂正することが当然の道であると
考えます。検事正は上司と協議の上善処方を確言していますが、
委員会としては、その結末を見守り、場合によっては法務当局に勧告せられたいと思います。
以上概略申し上べましたが、要するに、犯人誤認問題については、見込捜査その他六点の欠陥を究明しましたが、これは制度上及び運営上において検討されなければなりません。自白強制問題については、なお真相の究明を待ち、
委員会の態度を決するとともに、関係当局に対し具体的対策の樹立を勧告するのがしかるべきかと
考えます。
また証人逮捕問題についてはなお当局の調査を希望し、今後の反省を促し、起訴猶予処分の取り扱いを監視すべきものと思います。
なおいろいろ細かいことがありますが、割愛してこの程度で一応の
報告を終ります。
なおこの
報告書の結論といたしまして私
どもの調べで事実関係が完全に明らかになった部分と、若干明らかになっておらない部分と二つあります。すでに明らかになった部分については、この際警察、検察当局においてもその部分についてだけでも
考え方を明確にし、とるべき責任はとるべき段階ではないか、こういうふうに概括的に
考えております。これは本日は大麻国務大臣、
松原さんも見えておられますが、一応
報告を終り、
報告に対する
委員各位の御
質疑等あればそれをいたしまして、そのあとでそれらの点について私
ども特に現地で調べてきた者としてその点についての若干
質疑をしてみたい、こういうふうに思っております。