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宮城タマヨ君
大阪拘置所移築問題に関しましての
調査報告を申し上げます。
私
ども委員三名は、三月八日から十日までの三日間大阪府に派遣されまして、
大阪拘置所の移築問題について現地の実情を
調査して参りました。私が
調査班を代表してその次第を御
報告申し上げます。
御承知のように、
本件の問題は、
大阪拘置所が戦後の過剰拘禁の状態を改善するため、政府は昭和二十六年大阪市北区北錦町のいわゆる天満橋敷地に移築する計画を立て、土地買収をいたしましたところ、地元の反対にあい、計画一頓挫の形となりました。それで現在問題となっておる都島区善源寺町友渕町にまたがる延原製作所敷地に計画を変更したのでございますが、ここでも地元の猛烈な反対が出て、反対期成同盟などから請願陳情が提出されるに至りましたので、当
委員会といたしましてもついにこの問題を国政
調査の一環といたしまして取り上げることになった次第でございます。
調査の目的は、一、
大阪拘置所の過剰拘禁の状況、つまり施設拡張の緊要性の程度、二、天満橋及び都島の敷地の状況、特に都島については反対の理由となっておる学校教育、産業、
道路及び緑地計画、民心などに及ぼす影響、三、現地矯正
当局側の
意見、なかんずく地元の反対に対する
意見及び現在拘置所のある地区に増築する案に関する
意見、四、地元側の
意見、五、他の適当な候補地の有無、という五点に置いて
調査を行なったのでございます。
大阪到着の翌九日まる一日を
調査に費し、午前中は主として
大阪拘置所ほか敷地三カ所を視察し、午後はもっぱら現地矯正
当局、地元代表、及び法曹
関係者との会見に過しましたが、本問題の実情の把握は当初の予想以上に相当むずかしく、与えられた時間では十分な
調査を遂げるに至らなかったのでございます。この点についてはのちに言及いたしますが、とにかく詳細は別に
報告書にしたためて提出いたしますから、これについて御承知いただくことにして、ここでは簡単に要約して
調査の状況と結論とを申し述べたいと存じます。
まず
大阪拘置所の状況でございます。この拘置所は本所と四条分禁所とから成っておりますが、分禁所の方は四条町にありますが、時間の
関係上残念ながら視察することができませんでした。以下
大阪拘置所と申しますのは本所のことでございますから、そのつもりでお聞き取り願います。
拘置所は敷地約二千三百坪に対し建坪約千二百坪、延べ二千百坪、大正七年に設置された二階建庁舎で、一見していかにも古く、かつ狭隘そのものの感じを受けました。収容定員四百七十名に対し、視察当時の収容現在員は九百三十七名、約二倍の過剰拘禁となっております。定員一名の房室に三名、はなはだしいのは定員三名の房室に十名も収容し、普通各房の一人当りの面積、内面実測坪数はO・七坪ないしO・九坪であるのに、実際はO・二七坪ないしO・五三坪、つまり畳一枚に二人ないし三人という状況でございました。この数字をもってしましても、いかにひどい過剰拘禁でありますかが察知されるのでございます。従って建物の周囲にも十分な基地がなく、運動、衛生、保安警備などの面から見て、はなはだ不十分のようでございます。例をあげればまだまだございますが、とにかくこのような実情では、被収容者の人権を尊重し、処遇の適正を期しがたいばかりでなく、管理警備上からいたしましても遺憾でございますから、
大阪拘置所の拡張または移築は急務であろうかと感じた次第でございます。
なお四条分禁所の方も
当局の
説明によりますと、収容定員千二百二十八名に対し、現在員千六百七名、約四百名近い過剰拘禁となっており、その施設も臨時応急的な脆弱なもので、採光不十分な内房式の構造であるとのことでございました。
そこで、拘置所を現在地に拡張増築することができないかどうかという問題でございます。この点は地元が強く要望し、高層建築が可能であるのに、
当局がこれを顧みないのは不可解であると攻撃し、一方
当局側では高層建築の管理上の難点、隣接地の既設建物の処置、
道路関係、建築基準法上の制限など、いろいろ理由をあげ、これまた強く反対しているのでございます。
そこで、まず拘置所を現在地に拡張するにいたしましても、第一に、現在の敷地だけに増築する場合、第二に、東側の隣接地にある法曹会館、弁護士会館、判横車官舎などを取り払い、この敷地にまで拡張増築する場合、第三に、さらに
道路を越えて東側の一画まで延長し、拘置所官舎、判
検事官舎、更生保護
委員会庁舎、民家などを取り払い、これらの敷地にまで拡張して増築する場合、第四に、これは厳密には移築となりますが、ただいま述べました東側の一画だけに移築する場合と、いろいろの案が
考えられます。
ところで新しい拘置所にどのくらいの延べ建坪が要るかと申しますと、過去数年の収容状況から見まして、少くとも二千五百名の収容能力のあるものを建てなければならないと思われます。これだけの定員のものを作りますのには、
法務省側では一万二千坪を要すると言っておりますので、一応その数字で仮定して参りますと、第一案では現在の敷地と変りませんから、かりに現在の建物でいっても十階の非常な高層建築となります。第二案では、敷地合計三千七百坪、その五割を建坪にとるといたしましても六、七階。どちらにしましてもかような高層建築は、一般の事務官庁と異る拘置所の機能上、果して適当であるかどうか疑問と存じます。第三案では三、四階程度のもので済むかと思いますが、中間を通る
道路との
関係、撤去建物の移築問題、その他複雑めんどうな問題が派生することが予見されますし、東側の一画は
検察庁において将来そこに庁舎を建設することを希望しているようでございます。第四案に至っては、敷地合計三千坪、第一、二と同様高層建築となるばかりでなく、既設家屋の撤去、移転の至難な問題を伴います。
かようなわけで、現在地拡張案は、地元の要望にもかかわらずその実現はきわめて困難なものと
考えられるのでございます。
次に天満橋、都島の敷地及び現地視察中、地元側から新たに申し出がございました候補地茨田地区について申し述べます。
まず天満橋敷地でございますが、ここは面積約一万一千坪の整然とした矩形状のあき地で、後に都島敷地について
説明しますように、特に撤去を要する建物など障害物もなく、若干の整地工事によって直ちに建築に着手し得る状態にあります。
裁判所からも近く、場所としましては、周辺地がやや繁華に過ぎ、また近くの天満橋駅から望見されることに難点はございますけれ
ども、都島敷地に劣らぬ格好の候補地であると認めました。第二に都島の方でございますが、ここはやや不整の矩形状をなしている広大な土地で面積は天満橋敷地より八千坪も広く、拘置所用地といたしましては十分でございます。ただいまこの土地には元工場の巨大な建物が数十棟立ち並び、中には堅固なれんが造りを交えていますので、これの取りこわしなどの予備工事に相当の日子と経費を要し、拘置所の早急な移築目的には沿いかねるのではないかと思われる点が難点でございます。
なお地元の反対理由の
一つとして、ここの敷地は都島工業高校などの教室から指呼の間に望見され得るということでございますが、視察の際は、その校舎は他の建物にさえぎられて見えませんでございました。とにかく都島敷地は、南北は直ちに鐘紡及び十条製紙の工場に、東は鐘紡野球場にそれぞれ隣接し、西は淀川に面していて、周辺の学校までは直線距離で三百メートル以上、通路を迂回すれば八百メートル以上の距離を隔てて、その間に工場民家など密集していますので、拘置所を設置することが他の地区に設置する場合に比較して、特に学校教育の環境に悪影響を与える憂いがあるとは
考えられません。もっともそれは拘置所の構造体裁や護送経路のいかんな
ども大いに関連してくる問題と存じます。次に、この敷地を工場用地として温存すべきであるという反対理由については、現在の工場建物及び
付近の工業地としての状況から見て、確かにそれは一理あることと思いますが、しかしただいまのところ工場の再建または転用については別段の話もなく、この点は大阪経済界の意向とも関連する問題であろうかと存じました。それから敷地の中央部は京阪国道と淀川堤防上の
道路とを連絡する大
道路計画の路線の予定地であって、九割まで計画完成済みであるということでございましたが、指示された
道路を視察した結果によりますと、幅約五メートル、通行はひんぱんでなく、近年開設されたものかどうか確認されるまでに至りませんでした。また、もし敷地中央部を大
道路が貫通することになりますと、東西に長い都島敷地は南北に二分されて狭長かつ不整形を増し、かえって工場用地としての価値を半減するのではないかと
考えられます。淀川沿岸一帯に桜を植えて緑地化する計画も、また反対理由の
一つでございますが、これは将来の計画のように見受けられます。おそらく地元側の意向は、暗い印象を与える拘置所の存在が緑地化の効果を減殺するということにあるかと察知されますが、私
どもは緑地化によって人生の暗い施設の印象が幾分でもやわらげられることこそ望ましいのではなかろうかと
考えたのでございます。最後に、拘置所の設置が区民に不安恐怖をもたらすという現地側の懸念については、従来過去数年間同じ区内にある大阪
少年鑑別所の収容児の逃走、放火、
暴行など多くの事故によって迷惑をかけられたために、地元の人々が拘置所の移築についてまで不安の念をたかぶらせるに至ったことは十分同情されるところでございます。しかし拘置所は
少年鑑別所と異なり、保安警備の面においてはるかに強化されていること、また未決拘禁所の近代的な機能を全からしめるため、これを都市に設置すべき必要がある限り、そこに発生した事故は、たとえ他の地区にあっても、市民全般に影響を及ぼさざるを得ないことを地元の人々にも理解していただきたいところでございます。それから隣接地の工場の従業員も移築に反対しているとのことでありましたが、両工場とも敷地に対し背を向けているような格好で一あって、特に従業員の労働意欲や気分をそぐほどの影響があろうとは
考えられません。とにかくこれら心理的な影響の点は、敷地内の拘置所の位置、構造その他建築上の問題とも関連することでございます。
次に茨田地区について申し述べます。この地区は急に視察することになった
関係上、明確な資料も判然としないまま一応土地の状況を視察するにとどまりました。ここは地積約一万三千八百坪、
裁判所からの距離約六・五キロ、自動車で約十五分の所にあるということでございますが、
付近は民家の少い水田地帯で、上空を高圧送電線が通過しています。拘置所側の
説明によりますと、ここを敷地とするためには、土砂約六千九百立方坪、トラック二万三千八百台分をもって埋め立てすることを要するとのことで、一見いたしましても基礎工事に相当の日子と経費を要するものと
考えられます。
なお候補地と連関して現在の
裁判所、
検察庁及び弁護士会の意向はどうかと申しますと、いずれも拘置所の移築自体は必要であるとしていますが、どこの敷地が適当かという内容的な
意見の表明は差し控えております。もっとも弁護士会では、さきに天満橋敷地案を支持し、実行
委員を設けて、その実現に協力してきた
関係上、今後早急に都島敷地案について検討を加え、賛否の
態度を明らかにしたいと申しております。
警察当局としましては、なるべく
裁判所に近い場所を希望しております。
以上三カ所の候補地をかれこれ比較してみますと、私
どもといたしましては第一に都島、第二に天満橋、第三に茨田地区の順序が適当であると認めました。もっともこれは
調査当時を基準とした結論でございます。
ところがここに
調査終了後、ただいまの結論に重大な影響を及ぼす新しい
事情が発生しましたので、付け加えて申し上げます。それは都島の敷地は延原観太郎氏の所有ということになっておりましたが、最近その所有権について紛争が起り、良島正浩という人が昨年十一月延原氏との間に代金二億三千万円で売買契約を結び、手付金五千万円の内金五百万円を支払って、敷地の所用権を取得したということを理由に、延原氏を相手取り、去る三月二日土地の処分禁止の仮処分を神戸地裁尼崎支部に申請し、五日にその仮処分決定がなされたということでございます。これに対し延原氏は異議を申し立て、
事件は本訴に持ち込まれたといううわさでございます。このことは三月十五、十六日の大阪夕刊読売、大阪日日
新聞に大々的に掲載され、また反対同盟側から陳情もございました、とにかくかような紛争が生じ、
裁判によって、土地の処分が禁止ざれたことが事実といたしますと、もちろん結論はこれを変更しなければなりません。すなわち紛争の解決まで結論を見合せるか、または延原氏に所有権があることに落ちつくことが前提条件として都高敷地案をとるか、それとも拘置所を早急に移築すべき必要性とも連関し、紛争が長引くようであれば、都島案を不適当とするか、微妙複雑な事態に立ち至りました。
いずれにしましても、本問題については、なお現在地建築案に関する専門的な所見、都島敷地の工事計画、茨田地区に関する具体的資料、拘置所移築の緊要性、敷地交換のいきさつ及び評価基準、土地紛争の実情など諸点について、
法務省側の
意見をさらに徴し、検討を重ねる必要があろうかと
考えております次第でございます。
以上中間的なものとなりましたが、これをもって一応
調査報告を終ります。