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参考人(
木村亀二君) 私はこの
法案につきまして、大体三つの点から考えなければならんじゃないかと、こういうふうに考えております。
第一は
現行刑法の
略取誘拐罪に対して一種の
特別刑法を作ろうという
趣旨でございますが、その
特別刑法の
刑罰の点が
現行刑法の
刑罰よりも重くなっておる。この点が
一つ。
それから第二は満七歳未満の者に対して特に重い刑を
規定した
特別法を作るということ、これが第二でございます。
それから第三は身のしろ金その他財産上不法な利益を得ようとしてなした場合には、これが
刑法の二百、二十五条、この
法案の第一項に当る
営利誘拐罪とみなすという
規定、この点でございますが、この二つの点がこの
法案の
中心になると、こういうふうに考えております。
まあ一般にこの
略取誘拐の罪の刑についてはわが
現行法は御
承知の
通りに
外国の
立法例と比較いたしますと、非常に軽いことになっております。また
昭和十五年に発表になりまして、われわれが
改正刑法仮案といっております、
刑法草案の
規定と比較しても軽いことは事実なのであります。その点からいって全体としてもう少し刑を重くしていいのではないかということが問題になるのでありますが、これは
外国の
立法例でも特に
アメリカでは
死刑を
規定した
規定のあることは
御存じの
通りでございますし、ドイツの二百三十九条、
参考資料には九条と書いてありますが、九条のAが
ほんとうなんでございますが、これも三年以上の重懲役ということで、比較的重くなっているわけです。ところがこの点について
アメリカでは
御存じのリンドバーグの
事件がありまして、これを機会にして各州とも非常に重い刑を
規定しておりまして、この
死刑をやめるかどうかということについて非常に議論があるわけであります。ところがいろいろの
統計を見ますと、
子供の
誘拐の
規定における
死刑というものは絶対に置きたいという
世論が非常に強い。これは
アメリカ式の例の大げさな
犯罪が非常に行われるという点を考慮した一種の一般予防的な見地から、そういうふうな
意見が出ているのでございますが、ドイツの
刑法の二百三十九条Aというのは、これは一九三六年のナチスのヒトラーの立法でございまして、やはりリンドバーグ
事件によく似た
事件がドイツにもございまして、それがきっかけとなってドイツにも重い刑として
法律にでき上ったわけでございますが、このナチス的な立法は、終戦後連合軍の管理
委員会でほとんどみな削ってしまったのですが、この二百二十九条のAその他若干残っておりますが、しかしこれもちょっと私などの考えではきわもの的な立法という性質が
相当強い。そういうふうな
意味で
外国の
立法例が刑を重くしておるということは、必ずしも日本の
略取誘拐罪の
規定を重くしなければならないということについての非常に重要な
参考に私はならないのじゃないかと、こういうふうに考えております。
それから
略取誘拐罪の
規定は何を保護しておるのかという点について議論がありまして、特に二百二十四条の
規定で、被拐取者たる未成年者の自由を保護しておるのだという考え方と、それから監督者または保護者の監督保護の権利を保護しておるのだという考え方があるのでありまして、この監督保護の権利を保護しておるという解釈は、二百二十四条の
規定の解釈としては成り立つのですが、こうした立法形式をとっておるのは
御存じの
通りフランス
刑法の
規定からきておるわけなんです。しかし
刑法全体の体系的な地位から見ますと、これはやはり自由に対する保護をなした
規定であることは明らかなのであります。ところが、自由と申しましても行動の自由ですが、行動の自由を侵害する行為についての処罰
規定は、
略取誘拐の罪のほかには二百二十条の
逮捕監禁罪、それから二百二十二条の
脅迫罪、二百二十三条の強要罪、こういうふうな
規定があるのですが、これらの
規定を見ますと、二百二十二条の
脅迫罪は二年以下の懲役ということになっておりますし、二百二十三条の強要罪は三年以下の懲役、それから二百二十条の
逮捕監禁罪は三月以上五年以下の懲役となっておりますので、
略取誘拐罪の二百二十四条の
規定も三月以上五年以下の懲役ということになっており、大体
逮捕監禁罪と同じ
方針のもとに
規定せられた
刑罰だと考えなければならないのであります。そういうふうに自由を侵害する
犯罪の
刑罰の全体から見ますと、どうも
略取誘拐罪の特殊の場合だけをこれ以上に重く罰するということは、刑のバランスが少くとも
現行法の建前上破れるということが
一つ問題になるわけです。それでこの
委員会には前に法務省の
専門家の
委員も出ておりましたが、やはり部分的に
特別法によって刑を重くするということにしても、やはり全体の
刑法の立場から考えて、あまり
刑罰がある特殊の点について不当に重くなっておるというふうなことに対しては、やはり
刑法というものは
社会の秩序を維持するために非常に公平なものでなければならないというふうな見地から考えなければならない点が残されておるので、特に
特別法をもって重くしなければならないという点については、私は賛成いたしかねるのであります。
それから第二の、七才未満の
幼児に対する
略取誘拐の罪の二百二十四条以下の
規定の刑を特に重くするということは、
犯罪の成立の
方面から見ますと、若干問題があるわけなのです。それは七才未満の者に対する刑が重くなって、七才以上の者に対する刑が軽いのは一体どういうふうな理由なのか、それは七才未満の者については特別に保護しなければならないという事情があるのはあるのでございますが、しかしこれを特別の
規定によって、そうした重い刑を
規定するということが立法技術的に見ていいかどうかということは、私は問題になると思うのであります。
それからもう
一つは、もしこうした
特別法を作りまして七才未満の者に対する刑を重くいたしますと、これは刑が加重せられるわけですから、こうした重い
犯罪を犯す場合には、その
犯罪人が七才未満の者であるという点についての認識がなければならない、犯意がなければならぬ。ところが、その犯意というものについて私はその証明が非常にむずかしくなるのではないかと思う。のみならずもしこうした
法律を知って
犯罪を犯すというふうな悪質な
犯罪人が現われて来ますと、実は自分は七才未満だと思わなかった、八才だと思った、七才以上だと思ったというふうなことになって、結局、重い刑の処罰をしようとする
目的が達せられないというふうな結果にもなりかねない。おそらくは弁護人がそちらに付いていたら、きっと自分は七才未満だと思った、知らなかったと言えと言って大いにけしかけるのではないか。そうすると重く罰しようとしてかえって軽い
規定の適用というようなことになると、やはりおもしろくない結果になるのではなかろうか。この点を解釈論として懸念しておるわけであります。
それからこの
略取誘拐の主体が、たとえば離れておる親が、父親のもとにおる
子供、母親のもとにおる
子供を母親なり父親が
誘拐して
連れて来たというような場合には、やはり刑を軽くしなければならない。これは刑の短期が軽いからその点で考慮できるじゃないかということも言えるわけですが、そうした小さい
子供に対する場合、それからまたその
子供の親、またはその他の親戚がなしたという場合は、いろいろの情状で重く判断したり、軽く判断しなければならないということもあり得るわけですから、立法技術的に見れば特に七才未満の者を取り出して、それに対する刑を重くするというよりも、全体として
略取誘拐に関する罪の長期をもう少し重くして、そうしてそれぞれの具体的な
事件について適当に裁判所において裁量するというふうな、そういうふうな立法
方針であれば、必ずしも私は不賛成ではないという
気持でおるわけなのであります。しかしそれは今申しましたように、やはり
刑法全体の
刑罰体系の改正というふうな場合にやるよりほかないのじゃないだろうか。この点について
改正刑法仮案以来、
刑法並びに監獄法改正
委員会というものは廃止されて、継続しておりませんが、
刑法の改正というのは終戦後、
昭和二十二年に憲法の民主主義的の精神に基いた民主主義的な政治的な
方面の改正があり、その後執行猶予に関する改正が三回ほど行われて、執行猶予の部分だけは非常によくできておりますが、全体としては日本の
刑法は今日世界的に見て実に古くさい古色蒼然たるもので、改正しなければならない点がずいぶんあるわけなんです。それについて私はむしろこの
法務委員会の方が早く改正しなければならぬというふうな
意見をお出しいただいた方が、かえって
特別法案によって
目的とされておるような意図が十分に達せられる機会が多いのではないかという考えを持っております。
これは少し余談になるかもしれませんが、
刑法は実にどこの国に比べても、わが
刑法はできた当時は新
刑法だというので非常にいいものがありましたし、
規定の個々の点についてはいいところもあるのですが、もう明治四十年以来非常に長い間経過して、たとえば保安処分の
規定がないとか、あるいは常習累犯者に対する
規定がないといったように、実に
刑事政策的な点からいって思想が古くなっているわけです。そういうふうな
意味で
刑法改正事業こそ私は緊急な問題だというふうに考えておるわけなのであります。
それから第二項、第三項の身のしろ金その他財産上の不法の利益を供せしめる
目的をもって、
幼児を略取し
誘拐したという場合に、
刑法の二百二十五条の
営利誘拐罪とみなすという
規定でございますけれ
ども、これは
営利誘拐罪のその
営利の
目的というのはどういうふうなものかについては、すでに法務省の代表者が説明申し上げているようですが、これについては実は解釈が非常に分れまして、通説と申しますか、比較的多い一方の説では、被拐取者、すなわち
被害者を直接に利用してそうして
営利をはかる、たとえば売りとばすとか、あるいはまた前借金を取って長期の契約で他人にこれを供させるとかいうふうな場合は、普通考えられておるわけですが、しかしその他非常に広く解釈いたしまして、こうした身のしろ金を取るという
目的の場合も、やはり
営利の
目的だという解釈も成り立つわけなのであります。これは今お話に出ました
トニー・谷のむすこさんの
事件についての
東京地方裁判所の判例の中には、そういう広い解釈をとっておるのであります。ところがこの広い解釈についてもちょっと問題があるのは、こうした身のしろ金その他の財産上不法の利益を得る
目的で——
目的さえあればいいのですが、——
目的で
略取誘拐をしたという行為は、これは他面から申しますと、恐喝罪の予備になるわけです。二百四十九条の恐喝罪の予備になるわけです。ところが恐喝罪では予備を罰していない。この予備を罰していないのに、これが二百二十五条の中にひそかに予備を罰する
規定が入っていたということになるとちょっとおかしい。予備を罰しないのだから、たとえば二百二十五条の
営利誘拐罪の中に入るとしても、これは二百四十九条の
規定の
趣旨からして除外されてしかるべきだという議論が立ち得るわけなのであります。その点が学説の分れておる根拠になっておるわけですが、私は二百二十五条の
営利の
目的は広く解釈していいという考えを持っておるわけなんであります。従ってその
意味からいたしますと、この第二項の
規定は、それに続いて第二項も同じように問題になるわけですが、むしろ解釈にまかしておいた方がいいのじゃないか。こうした
事件が頻発するに従って私は解釈も時代の要求に従って動くという点から見て、すでに
東京地裁の判例もできておりますから、解釈にまかしておいてよいのではなかろうかという考えを持っておるわけです。
それからもう
一つ「身代金その他の財産上不法の利益」となっておりますが、身のしろ金を取るということが普通でございましょうが、身のしろ金は
刑法上の言葉で申しますと、財物の中のお金というその一部分ですね。「身代金その他の」というと、身のしろ金以外の財産上の利益で、お金以外の財物をよこせというような場合には、ここに入らないというので、ちょっとこの
規定の書き方としては、不備じゃなかろうか。それでありますからむしろこういう
規定を設けるのだとすれば、財物またはその他の財産上の利益を取得しようとする
目的でというふうにでも書き直せば、少しはっきりいたしますが、今申した
通り営利の
目的の中にこの
目的も入るという解釈をとれば、特にこういうような
規定を設ける必要はない。そこでこれは今申しましたように、恐喝罪の予備の行為に当るわけですが、もし身のしろ金その他の財物または財産上の利益を得るために恐喝行為、すなわち
手紙をやるとか、
脅迫状をやるというようなことになれば、そのことだけで
脅迫罪の未遂になりますし、それからお金をもらえば恐喝罪になる、殺せば殺人罪になるというので、
現行刑法の
規定で十分私はまかなえる。凶悪なる
犯罪について刑を重くしなくても、恐喝罪は十年以下、殺人罪は
御存じの
通り死刑まで、少くとも今日の
現行法ではやり得るというのでありますから、十分まかなえるという考えを持っておるので、この第二項、第三項についても私は特に必要はない。こういうふうに考えますが、どうもはなはだ申しわけないのですが、この
特別法案を認めるということは、今日の
刑法の運用の上からいっても、また立法技術的に見ても、私はあまり適当ではないのではなかろうかという考えを持っておるのであります。しかしそのことは、むろん
被害者たる
両親あるいは
子供に対するその悪質な行為に対して、決して私は寛大であるという
意味ではないので、何とかこれはなくさなければならないという点は、皆さんと同じ
意見で、数年前に仙台でやはりこうした
事件がございまして、男の子でしたが、殺してしまってから金を出せというので、だいぶ大きな
事件がございましたし、
昭和十四年でしたか、
東京の松坂屋で
小学校の先生の奥さんが小さい赤ちゃんを
連れて買い物をしておる。そのときにどっかのちゃんとした奥さんが、私が抱いていてやるから買い物しなさいと言うので、それで買い物してこちらに帰ったときには、もうその女がいなかったという
事件でありますが、従来非常にひどい行為が日本でもあったわけなんでございまして、その都度に私も感想的な
意味でいろいろ書いたことがございますが、こうした.悪質な
犯罪をなくするということは、一体刑を重くして、そして処罰する、悪質
犯罪を阻止することができるかという点でございますが、
犯人というやつは、これは
御存じの
通りに、少し精神的におかしいやつもあるわけなんです。例の
トニー・谷さんの弁護人も心神耗弱論をやっておりますが、どうも少しおかしい。
刑法の
規定を見て、こういうような結果になるといって、
犯罪を計画的にやる
犯人はないので、大ていの
犯人は、つかまらないだろう、大丈夫だろう、こういうような
気持でやっている。それで従って、つかまらないと思うのですから、重い刑が課せられるかどうかということは念頭に全然ない、うまく行くだろう、こう考えておる。ここに
犯人の警戒心がどっか落ちておる。ところが、
刑法の
規定を見て、こんな重い刑で罰せられるということが、理屈がわかる人だったら、初めから
犯罪をなさない。
それでは、
犯罪を阻止する方法は、何が最も確実かというと、やはり
警察ないし検察の
捜査を確実にやって、
犯罪を犯せば必ず発覚するという確信を一般民衆に植え付けるということが根本になるのですから、この点、
警視庁の
刑事部長さんも十分に確信のあるお話をなされておりましたが、
捜査面を確実にやって、
捜査の効果をあげるということこそ、今日私は一番緊急な問題じゃなかろうか、こういうふうに考えております。従ってまた、
刑罰を重くしたからといって、
犯人が悪質行為に出ないとか、一般予防に効果があるとかいう点では、それほど重要な問題じゃなかろうというふうに考えております。いずれにしましても、全体といたしましては、私は
現行刑法の運用によって、十分とは言いませんが、この
規定がなくても、この
規定の
目的とするだけの効果をあげ得るという信念を持っております。ただし、刑をもう少し重くしてもいいんじゃないかという考えはございますが、これは、
刑法全体の改正を非常に早い機会にやって、その際にさらに考慮してやっても十分間に合うんじゃないかというふうな
意見を持っております。
簡単でございますが、私の
意見を終ります。