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説明員(
平賀健太君) 第十五条の二の「勧告することができる。」という言葉につきましては、
先ほど来法制
局長もお述べの
通りで、全く同じ
考えを
法務省としても持っておるわけでございまして、要するに勧告をする
権限を家庭
裁判所に与えたわけでございます。
権限を与えたということは、いやしくも
裁判所がこういう
権限を与えられました以上は、この
法律の規定の
精神に従って忠実にこれを守るべき義務が当然出てくると思うのであります。で履行を勧告することが相当である、必要であると認めます場合には勧告をしなくてはならぬ、そういうことになると思うのであります。しかしながらすべての場合に勧告をしなくてはならぬかと申しますと、そうでないのでありまして、たとえば債務者の側に非常に気の毒な事情が発生しておる、今これを勧告するのは相当でないと認める場合には勧告をしないこともできるわけでありまして、必ずしゃくし定木に勧告をしなければならぬということにはならぬわけであります。ただ非常にはっきりいたしておりますことは、「勧告することができる。」とあるのだから、してもよければしなくてもよろしい、家庭
裁判所の都合次第で自由勝手にしてもいい、しなくてもいい、そういう趣旨では決してないのでございます。それからなお御参考までに申しておきますと、そもそも家庭
裁判所というのは、やはり家庭の紛争というものをできるだけ平和的に解決をする、ただ何でもかでも義務を履行させればいいというのじゃなくて、同じ義務を履行させるにしましても、できるだけ平和的にやる。これがやはり家庭
裁判所設置の
精神であろうと思うのでございます。でありますから、この
家事審判法の規定全体が非常に家庭
裁判所に裁量権を与えておる。実情に適した措置をとることができますように、非常に家庭
裁判所に大きな裁量権を与えておるのでございます。たとえば
現行法の第十一条を見ますというと、家庭
裁判所に審判の申立がありますと家庭
裁判所はいつでもこれを調停に付することができるとあるのであります。付することができるので、これも付してもいい、付せぬでもいいというのでは決してないのであります。できる限り平和的に解決するという
精神からいいまして、審判といいましても裁判でありますから、強制的な裁判ではなくて、できることなら調停に付した方が家庭
裁判所の
精神に合うわけであります。調停に付した方が相当だということになれば、家庭
裁判所はやはりその規定をもちまして審判事件を調停に付さなければならぬ、こういうことが出てくると思うのであります。それからさらに第十九条を見ますと、一般の民事訴訟が
裁判所に起って参ります。たとえば離婚なんかにつきまして民事訴訟が起ってきました場合に、訴訟となりますと原告被告対立しまして、法廷で相手の非行をあばいて、証拠を出して争うということになってくるのであります。これは妥当でない、できる限り平和的に解決するという
精神から、やはり調停に付した方がいいわけであります。でありますから、第十九条におきましては、そういう場合には
裁判所はその訴訟事件を「調停に付することができる。」とやっぱりなっておるのであります。これも同じ
精神でありまして、付してもいい、付さなくてもよろしい、自由勝手にどうでもしてよろしいという
精神では決してない。調停に付することが適当と思われる事件でありますならば、
裁判所は必ずこれを調停に付さなければならぬのであります。ところがまた一方、何でもかでも、しからば調停に付さなくてはならぬ趣旨かというとそうではないのであります。調停に付するのが適当でない事件もこれはあるわけであります。たとえば
現行法によりますと、相手方が
精神病である、
精神病にかかりまして回復の見込みがないという場合には、離婚の請求ができることになっておるのであります。たとえば妻なら妻が
精神病にかかって回復の望みがないというので、夫の方から離婚の請求をしてきたという場合に、これを調停に回しましても、一方は
精神病者なのでありまして、話のつけようがないわけであります。こういうのは調停に付すべきじゃない、こういうのはもちろん付さない。その他またいろいろな事情で調停に付するのが適当でない事件もあり得るわけで、そういうのは付さなくてもよろしい。しかしいやしくも調停に付することが相当である事件であるならば、これは必ず調停に付するのが
裁判所の
職責だ、そういう趣旨の規定でございます。その他
現行法の
家事審判法の規定に「できる。」というのがあっちこっちにあるのであります。
精神はしかしみな同じであると思うのであります。
で、この
法律案を立案いたしました
法務省としましても、
先ほど法制
局長のお述べになったのと同じ
考えでありまして、この「勧告することができる。」という規定は、家庭
裁判所の裁判官の方で十分にこの運用に注意をされれば、かえってこの勧告しなければならないというような、しゃくし定木な規定なんかよりもこちらの方がずっと効果を上げるんじゃないか、そういう趣旨をもって、この「できる。」という立案をいたした次第でございます。