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1956-05-12 第24回国会 参議院 文教委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月十二日(土曜日)午前 十時十九分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加賀山之雄君    理事            有馬 英二君            吉田 萬次君            湯山  勇君    委員            雨森 常夫君            剱木 亨弘君            笹森 順造君            白井  勇君            田中 啓一君            中川 幸平君            三浦 義男君            三木與吉郎君            秋山 長造君            安部キミ子君            荒木正三郎君            矢嶋 三義君            高橋 道男君            竹下 豐治君   国務大臣    文 部 大 臣 清瀬 一郎君   政府委員    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   公述人    日本教職員組合    中央執行委員長 小林  武君    茨城県知事   友末 洋治君    熊本県P・T・    A連合会会長  高木  裕君    横浜市教育委員    会委員     林  知義君    札幌外国語学校    校長      山口 末一君   —————————————    本日の会議に付した案件 ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律施行に伴う関係法律整理  に関する法律案内閣提出衆議院  送付)   —————————————
  2. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより文教委員会公聴会を開会いたします。  問題は地方教育行政組織及び運営に関する法律案及び同法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案であります。本法律案は、周知のごとくわが国地方教育行政に関する重要法律案であり、従って当文教委員会といたしましても、今日まで慎重な審議を行なって参りましたが、その重要性にかんがみ、委員会審議に資するため、昨日及び本日にわたって公聴会を開き、各界の方々の御意見を伺うことになった次第であります。  本日の議事の進め方は、昨日御報告通り公述時間はお一人約二十分、質疑時間はお一人約四十分とし、お一人ごとに終了することになっております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  本日は当委員会のため貴重な時間をおさきいただき、まことにありがたく存じます。本法律案に関しまして、御意見を十分御開陳いただきたいと存ずる次第でございます。  これより公述に入ります。小林武君。
  3. 小林武

    公述人小林武君) 私は、日教組委員長小林でございます。  今度の法律案につきまして、一応この法律案について私ども調べてみました。その改正の御趣旨を見ますというと、地方公共団体における教育行政と般行政との調和を進めることが一つ、それから教育政治的中立教育行政の安定の確保というようなことが提案の御趣旨のようでございますけれども、私はどうもこの提案の御趣旨がきわめて根拠が薄弱であるというふうな工合に考えるものです。同じく提案の御趣旨の中に書かれておりますところのお言葉の中に、教育委員会成果について述べておるところがございます。六三制の実施、教科内容の改善、社会教育振興については、漸次その成果を上げてきたということが書かれております。しかしながら、占領下早急の間に採用、実施された制度であるから検討されなければならない、こういう御趣旨でございます。私は教育委員会制度によって六三制のこの実施が成果を上げたという、それから新らしい教育教科内容が改善されたという、あるいは社会教育振興成果を上げたという、こういう点から見ますというと、教育委員会というものは、これが作られましたところの趣旨が十分上げられて、多少その間において欠点とするようなものがありましても、大きな目的の点においては成功をしたと認めないわけにはいかないわけであります。これは提案者の方もそのように認めておられる。  ただ、廃止される、廃止といいますか、抜本的の改革をされる御趣旨というのは、占領下早急の間に採用、実施されたのであるからということでございまして、この点については、私は御提案にきわめて根拠が薄弱であるというように考えるわけでございます。特に六三制教育、あるいはこの新教育の問題につきましては、文部省から出されて——出されたと思うのでありますが、新らしい、文部省から出たこの学制八十年夏という、これは前々の文部大臣でありますところの大達さんのころに出されたものでありまして、これが学問的にどれほどりっぱなものであるかというようなことについては、私はかれこれ批判申し上げる学識もございません。しかしながら、文部省が出されたものでありますし、その間においてちょっと私が読んでみますというと、これは事実そういうところが、事実に即したところが相当あると思うわけであります。この中で六三制について、六三制を採用したことは、アメリカ教育使節団報告書に示された趣旨にもよるが、実はこれまでのわが国学制がこのような精神による改革を実施しなければならないようになっていたところによるのであると、こう書いてある。これは決してアメリカから押しつけられたというよりかも、日本学制がそういうものを採用しなければならないところの段階に来ておったと、こう書いてあるわけです。すなわち、この事情と使節団の見解が結び合って六三制を成立させたと、こう書いてあるのでありますから、これは決して占領政策によって強制されたということばかりではなくて、当然来たるべきものが来たというふうに、文部省もこういうふうに認められて書いておらられる。その六三制が実施されて、それが相当の効果を上げておる、しかもその制度の中身としてあるところの教育内容の改善が、これが十分成績を上げておるという、社会教育の面においてもその振興に相当の実績が上っておるという、こういう点をながめてみますというと、ただ早急の間に採用実施されたというようなことのために、これが抜本的に改正されるというようなことは、根拠がきわめて薄弱であるから、これは改悪になる、こういうふうに考えるわけであります。  どうしてこういう薄弱な根拠によって、こういう改悪をなさなければならないかということを考えますというと、私どもはどうもその陰に一つ意図が隠されておるのではないかというようなことを、非常に心配するものであります。「占領下早急の間に」ということでありまして、これは提案されました政府におきましても、あるいは与党におきましても、憲法の問題とか、あるいは今度の問題とかについては、占領下早急の間にやった、これはアメリカから押しつけられたというようなことを非常に強調されておるわけでございます。憲法改正の歌などという歌によりますというと、この憲法のある限り、このマッカーサーのあれは、というようなことが与党の方々にも歌われているようでございますが、こういう点は非常に強く御主張なさりますけれども、一面この基地問題だとか、原爆の実験の問題になるというと、あまり強腰でもないように考えますので、どうも私は首尾が一貫しないという点で、いろいろこの教育上の問題になるというと、これらと引き合して私どもは憂えるものでございます。教育の問題については、その点どうしてもそれらのものと一緒にされたような、意味の通らないことをやられるということについて、私ども教育関係者は非常に心配をし、残念にも思うところでございます。  こういう提案の御趣旨から私どもは反対するわけでございますけれども一体この御趣旨によって、改悪されるところの内容を見ますというと、私どもはどうも政府のねらっているところ、文部省のねらっているところは、一体教育というものをだれの側に置くということをお考えになっているか、国家権力のもとに置こうとするのか、それとも教育というものを国民全体のものとして置こうとするのか、この二つの、立場をこのどっちかにしようとお考えになっているのだと思うのであります。私はこのお出しになった法律案を見まするというと、これは国家権力に置く、そのためには文部省をどうしても旧戦前文部省、古い文部省に復活させようというような御意図があるように思うわけでございます。任命制の問題、あるいはその任命制のほかに二本建制度の廃止の問題、予算案の問題とか、条例案等の問題について、あるいは国、都道府県、市町村一体としての教育行政制度の確立、樹立というようなこと、これらを見ますというと、今度の法律案はどう見ても、これは国家権力のもとに教育を置こうとする意図がある、こういうふうに見るわけでございます。もし、ほんとうに戦後改革されたように教育国民のものにするということであるならば、教育委員会制度は存続させなければなりませんし、存続させるということのためには、どうしても公選制というようなものは存置しなければならないことは、これは私ども政治のことはあまりよく知りませんけれども、明らかなように考えるわけであります。国会等におきましても、前に翼賛選挙というような選挙があったように記憶をいたしておりますが、こういうものが一体国会のほんとうの正しいあり方を一体示し得たかどうかというようなことは、これは日本国民にとっては、経験済みでございます。特に政治に携わる方々についてはもうこれはよく御存じのことと思うのであります。こういう点やはり国民のものとして教委制を存続するというならば、やはり公選制というものは堅持されなければならないと思う次第であります。  私は教育中立性とか、あるいは教育をよくするためにというようなお考えのもとに、文部省権限を強めるということ、これは私はとらないのでございます。その提案の文章の中に、技術的な指導、助言または勧告の範囲を越えることはできない現行の制度から、積極的な指導をやろう、あるいは是正措置をとにかく文部省が持っていなければならない、あるいは教育委員会教育長の任命に対しては、承認の権利を持っていなければならないというようなお考えでございますが、これによって日本教育政治的中立を保って、他のいかなる権力からも離れて、そうして教育本来のものを守り抜くようにお考えになれば、私はこれは非常な誤りだと思うのであります。率直に申し上げまして私は文部省という役所、あるいは文部大臣のもとに指揮、指導されていくところの文部省というものは、決してそういう権力を守るというような、教育教育本来のものとして守っていくということは、なかなか困難であるということを私は感ずるわけでございます。これは私の過去の実績からそれを申し上げるのであります。経験から申し上げるわけでございます。それは私どもが長い間教員をやりまして、戦前と戦後というような大きな二つの違った制度の中で教師をやってきたわけでありますから、その体験を通しての問題でございます。また一面、先ほども申し上げました文部省の今までの何年かの歴史考えてみましても、ほんとう文部省教育のために一切の権力に抵抗したというようなことの歴史がないわけでございます。これはこういう官僚の一つ制度、あるいは政党の大臣の出ている一つ制度というものがそういうことがなし得ないわけである。どうしても抵抗をすることができないような仕組みになっているわけでございます。でありますから文部省というようなものの歴史を見ますというと、常にそのときの政治権力に都合のいいようなことをやっておったということが相当明らかになるわけでございます。たとえば同じ人が、同じ文部省が、前は白といったものを今度は黒といわなければならないような状態に追い込まれたという事例は、相当あるわけでございます。たとえば先ほども申し上げましたが、教育委員会制度はどうしても必要だというような趣旨に立った文部省が、その次ではまたこれとは逆の一つの方式を出す。それを文部省の役人の人はそれをやっぱりそれとして、ちゃんとこれを組み立てて出さなければならぬということになるわけでございます。たとえば、戦時中に戦時教育例とかいう法律が出たことがございました。ああいう日本の青少年を一切戦争に対して協力させる、戦争一つの力である、あるいは戦争に従属している労務給源であるというようなこと、あるいは一つの戦力である、防衛力のあれであるというような法律が出た。そういうものの考え方から、今度は占領下になるというと、はっきり今度は新しい制度が必要だというようなことを言い出す。そう言ったかと思うと今度は、次に別の政治権力が出るというと、すぐあれらの制度は誤まりで、前の制度を守っている者は、これはちょっと思想が危険であるというようなことを言い出す。こういうようなことが文部省の今までのやり方と仕事の中から検討すれば、いつも出てくると思うわけであります。こういうことでは、一体教育というものは、ほんとう教育というものを教育立場から守ることは不可能であると思うわけであります。そういう意味からいっても、やはり教育国民のものとして、国民がそれの意思によって動くような仕組みができていかなければならないと思うわけであります。そういう意味で、私は公選制教育委員によって運営される教育委員会制度というものは、現在のところ必ずしも満足な状態とは言えませんけれども、これに対して関係者がそれぞれ研さんしていくならば、ほんとう日本の民族のために、日本の国の国民のための教育というものは、その中から成長していく。外部の圧力からも、あるいは内部のあつれきからも左右されないような、真の日本教育がそこから生まれてくるというふうに考えるわけであります。でありますから、今度の文部省を強化することによって、日本教育がよくなるという考え方は、これは根本的に誤まりである。こういうところに観点を置いた改革案というものは、私は率直に言ってやはり改悪案であると、こう言わざるを得ないわけでございます。  こういう内容を盛っておりますから、この法律そのものも、相当私は行き過ぎた点があると思うのであります。いわゆる反動的であるという部分を相当占めておると思うのであります。たとえば教材に対する考え方などというのは、私はこれは行き過ぎも、はなはだしいというふうに考えるのであります。一体映画であるとか、ラジオであるとか、こういうような問題にいたしましても、教材としてそれらのものに制限を加えるというような考え方、これは少くとも時代の進歩というようなものと、教育の現場における技術面というものを全然考慮に入れないやり方である。あるいはこういうものを抜きにしても、教育というものは結局教師が自分の目のまわりから、子供の目のまわりから、いろいろと教材を取り上げて生きた教育をしようとすることになれば、その地域との関係においていろいろ教材は、教科書のみならずそれ以外のところから広くこれは取り上げられなければならない。こういう点を考えますというと、教材に対して一々文部省が干渉する、教育委員会が干渉するというような、どういう法律の建前は全く誤まりであって、こういう統制によってこそ教育萎靡沈滞してしまうと申さなければならないと思うわけであります。いつの教育を見ましても、教育萎靡沈滞歴史は、きわめてワクにはまった統制によってなるのだということを、私は考えておる次第でございます。これらがまた、一面関連として出ておりますところの教科書に関する法案等と関連をもってそうしていきまするというと、日本教育というものは、全く戦前のような一つ統制のワク内に入って、そうして日本教育の中からほんとうにいきいきとした国民教育は生れてこない。このように考えて、非常にせっかく戦後何年か、いろいろな困難の中から、少くとも日本教育が自主的な、明るい、活動的なものとして、成長しかけておるときに、こういうものを出されることは残念なわけでございます。  もう一つ私は申し上げたいのは、占領下早々の間に採用されたとかというようなことについて、いろいろ御検討しなければならないことはないとは私は申し上げないのです。もちろん占領下早急の間に、しかもある程度の占領軍の圧力があったということは、これはだれも認めることです。しかしながらそういうものの中に、文部省みずからが言っているように、そういうものの中にも日本教育が六三制を採用しなければならないような、新教育を採用しなければならないようなものが、すでにできておった。だからそういう一つの要求に対して、上から押しつけられたという形でもって、われわれが受け取ったことは、非常に残念でございますけれども、しかし非常に極端な、きびしい統制の中にあった教育が、敗戦というような事実の中にあって、ああいう手続上になったことは、これはやむを得ないと思うわけであります。でありますから、私どもほんとう日本教育立場から、こういう点について目を向けるということは、これは否定するものではありません。しかしながら、今度の改革案の中に、一体戦前日本教育というようなものに対して、一体反省がなされたかどうかということについては、これはすこぶる疑問があるわけであります。極端に私をして言わしめれば、そういう反省がないという全然……、戦前において日本教育が誤まりを犯したということについての反省がない、そういうきびしい反省をしていれば、こういう結果は生れてこないというふうに感ずるわけでございます。この点私は教師立場として非常に残念に思いますし、その点については参議院においても、十分お考えを願いたいと思うわけであります。  私ども教師は、やはり何といっても、上からのこの押しつけの命令だけではやり切れないわけであります。何といっても教師と、いうものは、教育責任を持たなくちゃいかん、それは、一時的の問題でなくして、少くとも子供が成長して、そうしてその時代において一つの活躍をして終るまでの、そういう教育責任というものはあるものだと思うわけであります。そういうものに対して、教師責任を持てないということであれば、私はこれは教育でないと思うわけです。そういたしますというと、これは決して上からの押しつけでなく、教師みずからの責任において、教師が信ずるところに従って、そうして教育というものは行われなければならないと思うわけでありますから、教師に課せられた使命というものは、信じていないものは、これは教えてならないわけであります。正しからざるものは教えてならない。正しいことを守って、そうして子供ほんとうに生命を打ち込んで教えるというようなことについて、戦前教育は極端に、これを統制し、妨害をしたわけでございます。こういうようなやり方をまずのけるということ、のけたということは、新しい教育において私は大きな成功であったと思うわけであります。そういう点の反省がなくて、いたずらに戦前文部省に復活して、監督指導の権を強化するというようなこと、これは大きな誤まりであると思うのであります。特に教科書の面、教材の面にまで、これが行き届いてやるというようなことは、これは私ども考えればきわめておそるべきことであるというふうに考えます。また、地方行政との調和というようなことを非常に強調されまして、そうしておられますが、内容は、これを伺ってみますというと、内容は地方自治体の長の下につけるということです。私どもに言わせれば、知事の権限の中に入るという、市町村長権限のもとに入るということ、これは私どもそういう戦前教育の体系の中にあったわけであります。そういう場合において、一体教育は非常に国家のために重要なことである。国家百年の大計のもとに立って、国家におけるところの最も重要な仕事であるとは言いながら、一体視学官とか、視学とかという者が、県庁内においてどれほどの勢力を持っておったか。はなはだいやな言葉でございますけれども、属僚中の属僚であったと私は思うのであります。それが一体教育ほんとうに尊重することになるかという、教育の権威を一体高めるということになるかどうか。さらに町村にいきますと、学校長というような者の位置が、町村長に比べてどれほど低いものであるか、町村長の一顰一笑によって、あるいは町村長に使われている一吏員によって、学校長の人事がどうされるというような、一教員の身分がどうされるというようなことが、戦前において行われておったわけであります。私どもは少くともその中において二十年近いあれをやっておった事実を、われわれは体験している。それを少くとも新しい教育は、教育委員会制度というものを作って、知事とは対等の、教育関係においては対等の地位を持つ教育委員を作った。そういうことになったことは、私は大きな進歩であり、国が教育を尊重するということの意味において、教育行政を非常に高めたということで、私は非常によいことであると思っておるわけでありますが、これが再び地方行政教育行政との調和においてというふうにして、また、旧に復するというようなことは、教育を軽視する私は考え方だと、こういうふうに考えるわけであります。しかも、それが今度は文部省との関係において、国との一体の形においてという名前のもとに、文部大臣教育長の承認までやるというようなこと、あるいはみずからこの法律提案の御趣旨の中にうたっているように、指導権を与えるとか、是正措置をどうするというようなお考え方は、これは少し時代逆行の精神であるというふうに考えるわけであります。私ども法律上のことその他については、しろうとでよくわかりませんけれども、私が長い間教員をやってきたその体験から通して、きわめて危険なこの法律案であるということを考えるわけでございます。  なお、最後に私申し上げたいのでございますけれども、どうかこの点についてはいろいろお考えをいただいて、熱心な御討論をいただいておるわけでございますけれども、特に慎重に御論議をいただきたいということを、一教師立場から申し上げたいわけでございます。何しろこの法律案が出ましてから、十人の学長の声明、あるいは数百名の学者の反対の声明がございましたし、あるいは教育関係十四団体の反対が、現在では二十七団体に広がりまして、そうしてその中には教育委員会はもちろんのこと、日本教師組合である組合日本教職員組合、あるいは高等学校教員組合、あるいは日本PTA全国協議会、その他いろいろな、教育におよそ関係を持つという団体がみなこれに参加している。私は教育をやる、行政をやる方も、実地にこれを子供に行なっている立場の者も、それから子供の親である人たちも、全部がこの反対しているということを、一つ参議院では十分お考えを願いたいわけであります。これほどの問題を、非常な短時日の間に、しかも十分な過去のいろいろな資料等もはっきりさせられずに、あるいは意見も聞かれずに、これをやられるということになりますというと、将来教育に対して大きな悔を残すことになるように思うわけでございます。どうぞ教育の問題だけは、朝令暮改というような、そういう軽はずみなことでなく、お願いしたいということを私は申し上げたいわけでございます。  私は先ほども申し上げました通り、今の教育が完璧だとは申し上げません。その間においていろいろ向上もさせなければなりませんし、悪い点も改めなければならないと思うわけであります。その場合においては、今申し上げましたような、教育関係するあらゆる団体が率直に自分の意見を述べて、そうしてみずからが資料を提出して、悪いものはこれは悪い、こういう点が悪いというようなことまで、お互いがほんとうにすなおな気持で出し合えるような雰囲気の中で、日本の民族の将来を決する教育制度を打ち立ててくるのでなければ、私は大へんであるということを考えるわけでございます。この点私は教師立場から非常に憂慮にたえないので、参議院に対しては、どうぞ十分お考えをお願いしたいというを申し上げまして、私の公述を終ります。
  4. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ただいまの公述に対しまして、質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 お忙しいところをわれわれの審議のためにわざわざおみえいただきまして、まことにありがとうございました。非常にけっこうな公述をいただきまして、実は私どももそういうあなたが教師立場におきまして、日本教育を憂えることにつきましては、全く私どもと同じ観点に立っておられると思います。しかし、この機会におきまして二、三の点について御質疑を申し上げることを、お許し願いたいと思います。  ただいま公述されました点につきまして、特に私は端的に申し上げますと、法律上の問題につきまして、あなたはしろうとだとおっしゃいましたけれども、私どもの解釈と多少違う点があるかと思うのでございますので、その点について多少御意見を承わりたいと思います。あなたは、ただいまいわゆるこの教育は、国民全体について責任を負って行うものであって、国家権力に服するということを否定されたようなお言葉がございましたが、教育基本法の第十条の、「不当な支配に服することなく、」という「不当」という文字は、私は正当な支配には服するということであると思います。正当な支配とは何か、これは今日国民全体、国民に主権がある限りにおいては、国民全体の意思として正当に表明された支配に服するということであろうと思います。しかも、その国民全体の正当に表明された意思というものは、最終的には国会におきまして法律としてそれは現われてきたものであって、御承知のように、教育基本法も学校教育法も教育委員会法も、今まで全部これは私は国会において成立した法律によって支配されて……、施行され、これによってやるべきものだと思います。あなたはすぐ、国家権力というのは直ちに政党の支配というようにお考えになるように考えますが、法律法律として成立した以上は、これは国家の意思でございます。この国家権力を否定するということは、同時にまたこれは議会の否認というようなにおいがするのでございまして、それは私はそういう意味でおっしゃったのではないと思います。しかし、その点につきましては、私は誤解がございますので、それはおそらくそういう意味ではなかろうと思いますけれども、その点一つ一言だけ御釈明を願いたい。
  6. 小林武

    公述人小林武君) 私の表現が悪かったせいか、誤解をされたようであります。私は国家権力を全面的に否定するとか、議会を否認するとかいうような気持は毛頭ございません。むしろ私は憲法を尊重し、教育基本法を尊重するという点では、どなたにも負けないくらいの熱意を持っているというふうに考えているわけであります。しかし、私は非常に先ほどもちょっと触れましたが、不満な点があるわけでございます。私ども憲法に宣誓しておるわけです。この憲法は絶対守る、こういうことをいわれておりますが、お話を聞きますということ、文部大臣憲法を守ることを教育でやるというと、これはいけないのだということを国会空言われたとかいうことを伝え聞いたわけでございます。(「そんなとんでもないこと言うもんか」と呼ぶ者あり)そういう、(「言ったじゃないか」と呼ぶ者あり)まあ一つ私の発言をお聞き願いたいと思います。(「委員長、ヤジを禁じて下さいと呼ぶ者あり)たとえばそういうことを、憲法を守るということは、このごろは何か平和憲法を守るということは危険思想であるというような考え方が、どうも教育の世界では心配されてきたわけであります。教育を守るというようなことを教師が言うというと、どうも危ない、こういうようなことはどこから出る、あるいは政治をとっておられるところの与党方々が、憲法改正の歌を歌われるというようなこと、こういうことはわれわれはやはり憲法を守ろうという者にとっては、教師にとっては、宣誓をして教育に当っておる者については、非常に心配をさせる。私はそういうことがきわめて危険思想であるということを申し上げたいのであります。だから憲法のもとにおいて、教育基本法のもとにおいて教育をやれというような、そういう国家の命令なり教育委員会なりの命令に対しては、私はどこまでも服従してやるという、こういう考えでございます。  なお基本法の問題が出ましたから申し上げますが、文部大臣教育基本法について改正の御意思があるというようなことも、これも聞いておるわけであります。こういうふうなことになるというと、先ほど私が申し上げました通り教師というものは一体何を信じて教育をやったらいいのか、何年かたったならばもうそれが変るのか、常にそれではもうふらふらしたものであって、教育というものは信念をもって行われないということになるわけであります。でありますから、私は申し上げるのは、教育というものはそういう内閣が違ったとか何だとかいうことは別に、少くとも安心してやれるところの全体のはっきりしたものの考え方を立ててもらいたいということを申し上げておるのであって、決して剱木先生のおっしゃる議会否定とか、あるいは国家権力を否定するとかいうようなことは、毛頭思っておりません。
  7. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 小林さんに一つお願いしておきますが、これはきょうは公述人の方をたくさんお呼びいたしました。われわれがあなたに質問する時間は一時間であります。一つ私のお聞きすることについてお答えを願いたいと思います。憲法論につきましては、私はここで申し上げません。ただあなたが不当な支配ということについて、あなたはその唯一の論拠は、教育委員会が、教育委員が公選されておる、だから公選されておる委員の言うことはすべてこれは是認されるけれども国家権力に従うのはいかぬ、こういう言い方をされるところに、非常に国民の誤解が私は起ると思う。やはり教育委員会は公選される、教育基本法の規定は国民全体に対して直接に責任を負って教育行政を行うのでありまして、それが公選であるか、その選任の方法がどうであるかということには触れていないのであって、私は最も尊敬する昨日の、教育委員会をお作りになったときの当面の責任者である森戸先生ですら、しかも森戸先生のときに公選制をきめたのでありますが、それですら公選制必ずしも適当でないということをおっしゃったように聞いております。(「任命制も適当でない」と呼ぶ者あり)私はそういう意味合いにおきましては、いかなる立場においてこれを行うかということは、正当に表明された国民の意志が、その教育委員会がこれを行うということであると思うのであります。そのゆえに、これが公選制であるという、公選制でなければならぬという原則には何ら関係がない問題でございます。そこで私はこの点について申し上げたいと思いますのは、私ども公選制反対しておる大きな一つの理由は、教育委員会が、あなたは教育委員会というものは非常にいいことをやっておるのだ、私ども教育委員会ができましてから非常にいい点があることは十分認めます。しかしながら、教育委員会制度ができて非常に論議されておる点があることは、あなたもお認めになると思います。その一つの大きな点は、この公選ということによりまして現われてきたところの姿から申しましてそこに一つの……、はっきり申し上げます。いわゆるこの教員組合というものを選挙母体にいたしました教育委員が選ばれてきておるという事実でございます。これは、おそらくこの制度を勧誘しましたアメリカ教育使節団にしましても、これはおそらく想像しなかった点であろうかと思います。いわゆるこの教育委員会というのは、私が申すまでもなく合議制の行政機関でございます。その行政機関がある一部の、国民の一部の者の利益代表によって組織されておる。これは一つのこの教育委員会の誤った姿の一つであると私は思います。それが現在において私どもは各府県の状態においてみまして、あらゆる面においてその姿を見るのでございます。この学校の先生が先生の異動におきましても、組合の指令によって異動が行われておるという例はたくさんございます。そういうような状態にあって教育行政が行われてはならぬ、これこそほんとう意味の不当な私は教育行政に服するものであると思うのでありまして、この点につきまして、あなたは、この教育委員会制度が、こういう点についても全然欠点がなかったとお考えになるのでございましょうか、その点一つ簡単に御答弁願います。
  8. 小林武

    公述人小林武君) 私は剱木先生とは大分意見が違うのです。というのは公選された方に対して、私は、これはここから出たからこうであるとか、あるいはどうだとかいう文句は言いたくないわけです。国会議員の方でも、教育委員の方であろうが、町村会議員の方であろうが、国民が投票をしで選んだ方については、私はその権威を認めるという主義なのです。それをもって、一体この男の身分はどうであるとか、この国会議員のあれはどうであるとかいうことによって、国会の選ばれた議員さんたちを信用しないということになれば、私は国会制度というものを否認されることになると思うのです。そういうことは、ですから、私はそういう態度は絶対とらない。公選された方は、これは国民自分の清き一票を投じて選挙したのですから、された方は、それはもう国の代表であるということは認めます。この点は私は、でありますから公選制によってやられた教育委員会というものは、私はりっぱなものだと思います。日本国民によって選ばれた皆さん方議員はりっぱな方であると私は信じております。それから組合の指令で人事行政が行われたというようなことがございましたら、私はあとでお伺いしたいのであります。私はさようなことは存じておりません。
  9. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 公選された現議員がりっぱなものであるということについては、もちろん公選制がある限りにおいては私どもも是認します。ただし、これは国会議員の場合とだいぶん違うのでありまして、国会議員があなた方が日教組の線によって選挙された方が社会党に出る、あなた方の指令に基いて、指令に基いてというのは語弊がございますが、(「語弊がある」「取り消せ」と呼ぶ者あり)取り消します。……されるのはこれは当然のことです。しかしながら、そういうような、同じようなことが教育委員会において行われるということは、これは私は教育委員会の姿としておもしろくないと思う。今日におきまして、(「そんなことないよ」と呼ぶ者あり)そういう状態が起ったことが公選制においてわれわれが反省しなきゃならぬという点になった原因で、大きな原因があるということはあなたもお認めいただけると思います。私どもはこの教育中立性がなければならぬという意味から申しまして、この選挙によって出たものが一つの色彩を持つで出るということは、これは当然でありまして、その意味が今回公選制を改めていこうという一つの大きな原因になったことは事実でございます。まあその点は別といたしまして、もう一つは私は、あなたは戦前教育ということについて反省をしておらぬ。そしてまた戦前教育に返る、特にまた、今日市町村長の下に立つとか、あるいは府県知事の下に立つとか申されますけれども市町村長そのものはこれは昔の市町村長とは違います。府県知事そのものも、また昔の府県知事とは違います。同じくこの府県知事国民の公選によってなった独任制の行政機関でございます。だからそういう点は全然無視されて、昔のままに、いわゆる国が内務官僚として内務省から任命された知事とは違うということはお認めになると思います。ただしかし、今度の改正によって、私どもはその選任方法が、この議会の承認を得て府県知事任命するということであって、教育委員会そのものが府県知事の支配下に立つとは考えておりません。しかし、かりにそうだとしても、昔と違うということだけはお認めになると思いますが、いかがでございましょうか。
  10. 小林武

    公述人小林武君) 私はどうしても公選制の問題では、御意見とは違うようです。私は公選制というからには選挙が行われるので、選挙が行われれば、皆さん方も教育委員もみなこれは選挙運動というものがあるわけです。その運動を通してやる以上、それは同じようなお考えの方が集まってやられるわけですから、色合いはいろいろあると思います。しかし、そのことによって公選制というものが云々されるというようなことは、私はこれこそ非常に危険な考えではないかと思うわけであります。こういう考え方が発展するというと、どうも議会制度というようなものに不安を持ったりするようになって、若干戦前そういうようなあれがあったようでありますが、私はそういう点については、やはり今後大いに気をつけて、国会制度日本人は大事にしていかなければならぬと考えておるのであります。公選制とか選挙とかいうようなことを、何か卑しいことのように、あるいは、その中に不正があるというような考えは持ちたくない。改善すべき点があっても、これはやはり正しい行き方だというふうに考えておりますので、別に矛盾は感じません。なお、公選知事によって任命されるのですから、公選知事よっているから、公選知事の下についてもいいだろうというお話は、私はこれはちょっと意見が違うのであります。公選知事ということは、私はやはり公選知事がよろしいと思っております。しかし教育委員会制度の建前というものは、その知事と一緒に並んで、教育というものを、教育知事とも言われるべきものによってやられたことは、これは文部省においでになった方でありますから、よく御存じだと思うのであります。これは教育尊重の建前から、あの当時教育知事とも言われるべきものとして作ったわけであります。その点が私は非常にいい制度だと思うのであります。しかもそれは皆の、国民の意思によって、地域住民の意思によって選ばれたものであるということ、だからこれがあって初めて日本教育は、いわゆるいろいろな自治体の下であるとか、あるいは国家権力の下であるとかいうようなものでなしに、純粋に国民の意思によって、国民のものとしての教育として発展すべき素地がここにできたわけだと考えるので、私は先ほど公述のときに述べました通り教委制度というものは、今のような現行制度がきわめてよろしいと、このように考えております。
  11. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 私は、お聞き違いだと思いますが、教育委員会が今度の改正によって、市町村長知事の下につくということは申し上げた覚えはございません。その点は私が言っていないのでございますから、その点はあとで取り消しを願います。公選の問題につきましては、公選しなければならぬという意見は、大体この公聴会を通じて、その反対意見相当ありましたし、われわれが傾聴すべき意見があったと思いますが、この点については一応……私はこれからほかの委員会に行かなければなりませんので時間がございません。一応とどめておきますが、今日は実はお触れにならなかった点でございますが、この点について一言だけ明確にしておきたいと思います。  それは、あなたが代表しておられます日教組の態度といたしまして、私は実は昭和二十七年でございますか、全国的に教育委員会を全面実施という場合におきましては、日教組はこれは強く反対されて参りました。その後地教委の廃止ということは、おそらく日教組の一つの大きな線であったと思うのでありますが、昨年の十一月か十月ごろから、その態度を変更されまして、この地教委の設置を主張され、是認するような傾向にあったかとと思うのであります。先日の衆議院文教委員会におきまして、坂田委員の質問に対しまして、あなたは現在日教組としては任意設置であるということをお答えになっておるようでございます。で、私はあなたのほんとうの理論をつき進めていくならば、私は全部全面実施であるか、もしくは県教委の線でとどむべきか、その二つ一つではないかと思うのであります。いわゆる地域的に公選によって現在の教育委員会が地方自治体において絶対に必要であるという主張をされるならば、それは財政とか、あるいはそういう点について必ずしも全部の方に置くことはしない、いわゆる任意設置であるというようなお答えをしておるのでありますけれども、その根拠において非常に私は矛盾があるのじゃないか、私はかつてあなた方の唱えられましたように、県教委一本の線でいくというならば、これでまた一つの理由があると思います。また、全面的に全国の市町村にまで置くというならば、これはまた一つの理由があると思います。しかし、あなた方の組合の内部におきまして、おそらく私の知っておる限りにおきましては、地教委に反対されておる向きもあるし、また県教委一本でいこうという説もあるし、これを転換されて全部一応今のところは認めておこうという説もあるやに聞いております。それであなた方がこの法案について全面的にこれは反対だ、全面的に反対だと申されますけれども、PTAなんかの関係においては、この点については非常にまちまちな意見を持っておると思います。そういう意味合いにおきまして、もう一ぺん、あなたは衆議院で任意設置ということを御主張になりましたが、その根拠をもう一ぺんここでお述べを願いたいと思います。
  12. 小林武

    公述人小林武君) 先ほどの第一点の質問で、知事の下につくということは言わなかったとおっしゃるのでありますが、私はまああなたのおっしゃったとかおっしゃらないとかでなく、この法律には任命するものは知事または市町村長——任命権者、解任のこともこの中に書いてある、法律の中に。解任することも書いてある。任命し、解任する。やめさせることもできるし、やらせることもできる。こういうようなものであれば、これはどういう関係になるかということはよくおわかりだと思います。私はだから俗な言葉で、きわめてわれわれのそう法律のことでは詳しくないものから言えば下につくと、こういうことを言ったのであります。具体的によくお考えになれば、よくおわかりになっていただけると思います。  それから次の地教委の問題でありますが、これは衆議院でもそういう質問を受けました。私はそのとき申し上げた通りでありまして、日教組はいまだ大会……、私の方はなかなか窮屈なものでありまして、一度大会で決定いたしますと、この決定が手続をとらなければ別に変えたということにならないのであります。現在まだその手続をとっておりませんので、任意設置ということを現在守っております。しかしながら任意設置を守っておりますけれども、大体みんなが、このごろいろいろ話し合ってみまして、われわれが反対したのは、あの地教委が制定されるときに、ときの政府がこれは日教組を監視するためだ、文部大臣ははっきり私に言ったんです。日教組を監視するためこれは置かなきゃならぬ、こうおっしゃった。あるいは与党の議員の方もそういうようにおっしゃった。そういう一体教員組合を押えつけなければならぬ、力を弱めなきゃならぬとかという立場のものであれば、その当時むきになって反対するという気分も、われわれ出たわけであります。またそういう意図のもとに、相当強くそういう制度が作られたものですから、あるいは委員会方々の中にもそういうことにちょっと力が入り過ぎて教員に向われた方もあるようであります。また、先ほどどもの方のように、日教組がやられるために作られたということから、地教委との現場においてそういう一つの前から妙な雰囲気があったために、非常に争いが起ったというようなことはないわけでございません。そういうことは現在までもあって、地教委というものに対して疑義を持っている者は私ども組合にも率直にございます。これは認めます。しかしながら、感情的にはそのようなことを言っても、いろいろ教育のことを考えてみますというと、感情的にはそういういうようなことが考えられても、一体地教委を含めて、教育委員会制度というものはどういう制度なのかということを検討すべきだということに、われわれはなったわけであります。この点については数度の代表者会議においても、あるいは書記長会議というようなものを開いても、あるいは中央委員会の議題に出して、そうしてこれを。今はきめないけれども、討論をしてくれ、こういうやり方も私どもは諮っております。十分討論さしたわけです。そうしてこれはみんなの意向として。一体なったのは、どういうことであるかというと、われわれがそういう地教委との間に他からいろいろなさしがねがあったために、いろいろな争いを起した。起したけれども、今教育委員会制度を全面的に廃止するというようなときになってみれば、われわれはそういう小さいいさかいを起すことによって……、よく両者が話し合えば、これは日本教育の民主化のために必要な機関であるのに反発するというようなことはつまらないから、われわれはそういうものを解消して、教育委員会制度を守り抜くという、こういう立場で両者は日本教育の民主化を守らなければならぬ、こういう結論がわれわれの方から出てそうしているわけでございます。しかし、私どもが当初反対いたしましたのは、そういう感情的な一面もあったけれども、あるいは教育委員会制度というものは日本で初めてだ、地域の広さというようなこと、あるいは人口のいろいろな配置の問題もあったでしょう、そういうようないろいろな点からわれわれはこれについてはやはり一律に置くというようなことは、果して日本の国情に合うか合わぬかというようなことを討論いたしまして、任意制というものを出したわけであまりして、私どもはその際において教育委員会制度を全面否定するような立場で、地方教育委員会反対したわけではないのでありますから、その点は御了承いただきたいわけであります。  なお、二十七団体についてもいろいろ御議論があるというようなお話でございましたが、それはどうも私は当りまえだと思うわけです。先ほど私も率直に言いましたが、日教組の中にだって、まだ少数の人はあるいは地教委というものにはどうもいじめられているばかりでいるからおもしろくないと思っている人もいるだろうと私は思うのです。PTAの方の中にもそういう方もあるかもしれない、いろいろありましょうけれども、やはりこの点だけは認めていただきたい。日本教師の五十万の人間が一つのいろいろな機関で集まって、今度はそういうことを考え直すべきだという考えが出てきている、あるいはPTAの全国的な一つ団体においてこれに反対すべきだという決議が出れば、それはその団体の意思としてやはり見るべきであると思うわけであります。これは国の政治の場合においても同様だと思います。八千万なら八千万、九千万なら九千万の人間が皆同調していなければ、国の政治はとり得ないというようなこともないわけでありますから、この点は私はそういうような解釈に立ってとにかく二十七団体反対というととは強くお考えを願いたいということを申し上げます。
  13. 笹森順造

    ○笹森順造君 ただいまの公述によりまして現行法、現行の委員会法も、これには不備な点もあるし、全くこれは満足なものでもない、いろいろな点においてやはり欠陥のようなものがある、こうお考えになっておりますかいかがですか、そういう工合に私先ほどの御公述を承わりましたが……。
  14. 小林武

    公述人小林武君) 私は大きな筋ではたとえば公選制の問題とか、それから委員会精神とかいう問題については、私はこれはきわめて今のところよろしいと思います。しかし細部の問題にわたって教育委員会制度が全く完璧だというようなことは申し上げられない、こういうことを申し上げたのであります。でありますからその間において、たとえば人事の問題で多少ごたごたしている、これは私は率直に認めないわけにはいかないわけです。人事がやはり渋滞するというようなことは多少あるわけです。しかし、それには教育委員会制度を解体しなくても、その教育委員会制度の中において一体教育委員会相互が何らかの方法を講ずるということによって解消される、そういう点では、まあ一例を申し上げたわけでありますけれども委員会制度を根本的に変えるというような方式ではなくて、悪いところは一ついろいろな点で直すということは、これは私は認めておるわけであります。しかしこのような委員会制度が事実上無意味になるというような改正に対しては反対だと、こう申し上げたのであります。
  15. 笹森順造

    ○笹森順造君 内容の御説明は時間の点でけっこうでございますから、今お話しの人事渋滞というようなことの一カ条をあげられましたが、そのほかに個条的ででも、こういう点はあるという、この法案についての欠陥があれば、まあ完璧でないと仰せにはりましたので、学校の教員として直接お感じになっておる点を、今までの委員会法においてこの点はよくない、この点は直したい、この点はやはり不満足だという点を、個条でよろしゅうございますから、今お考えであるならば御例示を願いたいと思います。
  16. 小林武

    公述人小林武君) 私は今そういう点について詳しくは調べておりませんので、ちょっと今ここでは申し上げられませんけれども、人事面なんかについては多少そういうことが考えられる。人事の交流はよくしなけりゃならぬということは、これは教員同士の間でも相当いろいろ討論のあったことでございますので申し上げたわけでございます。しかし、これについてほんとう日本教育を進めるという立場から、これについていろいろ討論をしようという機会があれば、これは私ども十分資料をそろえて申し上げるわけでありますが、現在ここで、こういうような権威のある立場で軽率に私は申し上げるというようなことはちょっとできませんので、これは差し控えたいと思います。
  17. 笹森順造

    ○笹森順造君 実は私どもは、この前の現行の法律と今度の法案とを比較対照いたしまして、前の現行法においてやはり瑕疵がある、完璧でないというので、これを直したいという気持がこの法案にあるように理解しておりますので、やはりこれはこの法案の実体についていろいろ考えていく必要があるというので、まあ各個条的にこういうことをお聞きすればよろしいのではないかと思ったわけであります。そこで先ほどの剱木委員からのお尋ねの関連質問で、実は私はお聞きしたかったのでありますから、この機会にお尋ねしておきたいと思います。それはたとえばこの教育中立性ということは、あくまでも堅持していきたい、そこでこの現行法ができます当時の国会に提出せられます前までは、特にこの原案は教育委員の特殊性ということを非常に考えて、一般の行政あるいは一般の法律のために責任を負うところの国あるいは地方自治団体の立法の責任に当るところの議員の選挙とはよほど趣きを異にしておるものがある、こういう独自性を考え一つ考え方がありましたのは教員の立候補を禁止するという考え方が実はあったわけなんですね。ところがそれが国会において修正されておると、実はこの点は相当どもその当時から論議した点なのでありますが、ところがこの実際の例を見まするとこれが修正された結果によって先ほど剱木委員がお話になって、不千分だとは思いますけれども、あれは意を尽さなかったのではないかと思いますけれども、結論として現われたところは、やはりこの教職員の立候補をした者の方が当選率は非常に高くなっていると、こういう事実は、それは選挙者がそう認めたんだからそれに対して信頼を与えるという御解説は、私はこれは同意しておるわけであります。ところが結果においてそういうことが現われているという事実は御認識になっておられますかどうか、お尋ねしておきたいと思います。
  18. 小林武

    公述人小林武君) 私は結果として教育委員の中に教員出身者が相当の数入っているということはこれは認めております。なおそのことは、こういう新しい制度ができて、そうしてこの制度運営日本教育運営するということになれば、私はやはり教育の専門家の中から出なければならんということが、当時国民からも考えられたし、あるいは教員の中からも考えられたということは、これは必ずしも間違いではないと思うわけであります。しかし、これは将来ともそうならなきゃならぬとか、結果を予想して将来この種のものは教員から相当数出なければだめだなどということは私は考えないわけです。そういうものでなくて、その当時の状況によって、皆さんの御判断によって、そういうことになったのだ、そういうふうに考えます。  なお、それから私は教員の立候補というようなことがございましたけれども教員について立候補の制限がされるというようなこと、教員であるから特別な、普通の人間よりかも特別な何か法的な制限を受けるというようなことについては、私はこの日本の民主化という立場から反対であることは、前の教育法律のときから主張しているわけであります。こういうことは私はとにかく日本ほんとうに民主化させるものではない。むしろどういう一体その構成が、国会議員なら国会議員の構成がどういうあれだったらよろしいとか、あるいは教育委員会というものはどういうあれだったらよろしいということは、やはり私は民主化を進めることによって、国民の中からおのずから出てくるとき、でなければならないし、それにやっぱり時間をかけなくちゃいけない。徐々にやっていくというような考え方によってで香るものだと思うのでありまして、そこに法律の力を借りるとか何とかというようなことは私はしてはならないと、こういうふうに考えております。
  19. 笹森順造

    ○笹森順造君 この教育委員会委員の立候補資格を現職教員に禁止するというようなことはできないと、そのときの情勢においてそれはだれでもそういう場合になるべきだというようなお考え、これはまああなたの考えでもあり、また私ども必ずしもこれを否定するものではないことでありますが、さらにあの当時のことを振り返って、また将来へのことを考えてみますると、現職教員であって地方自治団体の議員ともなり得る法律をわれわれが作ってこれを約一年以上実行したこともございましたのですね。あのときにいろいろな弊害をわれわれが考えて、それだけはやめようということにした。しかしあの当時はそこまですることが教員の身分を向上したり、あるいはまた不当なる支配から脱出するために必要なことであったということも、あの当時の状況としては私どもはまあ賛成しないまでも、これを認めざるを得なかったと、こういうようなまあ状況にあった。ところが時代がだんだん変って参りまするとそれはいけないのだといってこれを直した。そういうようないきさつなども考えてみて、この教育の特殊性というようなことを考えてみると、かりに公選制ということがあっても、この点がやはりいろいろな反対な現象が現われるということについて、いろいろとわれわれの苦心せざるを得ないようなことがある。従って剱木委員の御質問に対してお答えになったことの懸念は教員として全然ないのかどうか。あるいはまた、特にこの選挙に当って今まで現職の教員が特に自分のグループから同類意識をもってたくさん出そうという現実に運動をされたかどうだか、この二つの点をこの際にお聞かせを願いたいと思います。
  20. 小林武

    公述人小林武君) 当時の状況によってですね、先ほども申し上げました通りこういう新しい制度一体作り上げていくことについては、教育を知っている者からたくさん出なければこれはいけないというような考え方は、それは組合にあると思います。教員の中にあると思います、そういう考え方は。そのことによって私は弊害が起きるというようなことは、ちょっとこの場合は考えられないのであります。
  21. 笹森順造

    ○笹森順造君 じゃあとの問題はどうですか、もう一つの方は。
  22. 小林武

    公述人小林武君) あとはどういう問題でしたでしょうか。
  23. 笹森順造

    ○笹森順造君 実際運動としてこの選挙のときに教員組合組合として、あるいはまた組合との連絡において何か運動でもされた実際のことがおありであるかどうかと、こういうことでございます。
  24. 小林武

    公述人小林武君) それは教員の…ずっとこう今まで考えてみますというと、法律で規制されない場合、あるいは公職選挙法によっていろいろ変化があったと思うのであります。たとえば自由に運動のできた時期もありました。それから運動が禁止された時期もありました。現在ではまあそういう行動がきわめて狭められております。そのワク内でそれぞれやったということはあるでしょう。これは合法的に教員がやるということは、それは私は当然だと思っております。それはそのワク内においてのことはこれは私はやってよろしいとこう思います。
  25. 笹森順造

    ○笹森順造君 そこで現行法の中で私どもが非常に気にしておりますのは、いうでも教育財政の確保ということに現行法ではむしろ弱い点を露呈しているのではなかろうかということでいろいろ考えておるのでありますが、先ほど私がお聞きしたがった一点は、かりに現行法に不備な点があるとすると、教育費を獲得——という言葉は適当かどうか知りませんが、教育費を多く得るために、現在の制度はどうもいろいろな点でうまくないのじゃないか。つまり、端的に申し上げますると、行政の二元化ということはいけないということは、教育自体の問題の裏に、その教育を伸張しまた、発達せしめるために、できるだけ必要なる限度を維持するだけのものを国家財政あるいは地方財政でまかなってあげなければならない。ところが、二元的になっているために、決定権が地方自治体の議会にあるにすると、なかなかその点がうまくいかないということがあるやに実は感じた。ところが、これが一本化されると、その責任において熱意をもって、また事実首長が内容をよく検討して熱心にそれに当るというようなことになって、かえっていいのじゃないかというような点などを考えますので、過去における教育委員会が、どうも必要なものを要求して、当然法の規定によって、財政の需要額を満たすべきようなことの論拠があるにもかかわらず、それが満たされていない。そうして満たされないときに、今度はその責任を議会にかけて委員自分責任を回避するというような事実を私は実は実際の例をたくさん知っている。こういうようなことを考えてみると、その辺に欠陥があったので、これを直すために新しい法律の方がいいのじゃないかというような気もするので、その点教育財政の確立の面からお尋ねしているわけであります。
  26. 小林武

    公述人小林武君) 私は全く逆な考えを持っております。私は戦争によってあのぐらい日本教育が壊滅状態のときに、それをとにかく六三制を取り入れて、教科書も与えられないような状態から、とにかく十年足らずの間に今日の状況に持ってきたのは、やはり教育委員会の力だと思うのです。これがもし知事の下にあるところのものであるならば、あるいは市町村長の下にあるものであるならば、私はそういう主張はできなかったと思うのです。これがやはり教育知事ともいわれるような立場に置かれたということ、それから公選制であるために、民意にこれに反映させなければならないというようなこと、こういうことのために私は教育委員会は非常に予算をよけい取ったと思うのであります。それは、われわれのような教師の者は現場のことから考えますから、現場からいえば、これは必ずしも十分だとは言えませんけれども、私は少くとも過去の教育官僚と言われるような人たちであるならば、とても現在までにはこのようにりっぱにならなかったと、こう思うわけであります。私はむしろ、これは私の考えですが、県知事やあるいは市町村長とかいうような自治体の長とか、議会の人たちが今の現行制度反対するのは、そういう教育のある程度の対等の主張を非常におきらいになっているのじゃないか、予算その他で。でありますから、もう口を開けば、私どもきわめて小範囲でありますけれども知事さんとか市町村長さんにお会いすれば、どうも今の地方行政の赤字というのは、教育費からきているよといったようなことをすぐ言う。それを解消するには、教員の首を切ればよろしいとか何とかいうなことをいつも言われるわけです。ですから、今のような状況の中では、今度のような法律が出てくるといろと、私は教育財政というものはきわめてとんでもないことになると思っております。特に私例として申し上げたいのですが、徳島県の例を見れば、これはもうよくおわかりになると思います。非常な莫大な赤字を持っているから、今度は一つ教育にそれをしわ寄せしてやろうというような再建案です。教員の首を切る。昇給昇格は一切認めない。それから今度は期末手当は一切支給しない。それからもしこれでも十何年後には三十五億とかなんぼとかの赤字になるから、そのときにはさらに三百名の高校の教員の首を切る。現在二百四十何名とか首を切る、こういう案です。これは教育委員会任命制になったならば、とにかく教育委員会知事さんにきめられて、いやならお前やめろというような、やめさせるような方法もこの法律の中には相当考慮されておるようでありますから、こういう教育委員さん方では、これに対抗して教育を守るなんということはとうていできない。その点は先生とは考え反対で、教育委員会制度があったからこそ、現在日本教育はここまで復興した、このように考えております。
  27. 笹森順造

    ○笹森順造君 私はここで討論するのでないのですから、見解の相違については申し上げませんけれども、事実私どもは戦後の日本教育考えてみますると、パーセンテージにおいて教育費というものは非常に低かった。四%くらいまでようやく上ったという戦後の非常なみじめな状況からだんだんに上昇してきて、ごらんの通りにパーセンテージも上っておる。できれば私どもは諸外国の平均の例の一五%くらいまで上るというようにしていきたいというのが私どもの念願です。これがためには、国会議員も考え、あるいはまた文部大臣考え、あるいは都道府県の知事考え、地方の首長も考えている。こういうところに一つ時代的な進展が、日本の経済の発展とともに来ているということも私どもは期待している。しかもまた、これはわれわれはだれに期待するかというと、公選によって行政の全責任を負っている者が他の生活の上に必要な地方財政とにらみ合せて、同時にこの教育のことを進めていかなければならない。ワクは広げてパーセンテージはさらにこれを上げていくという方向へと、実はこの教育財政はいっておる。こういうところはむろん教育委員会の方の御努力もありましょうけれども、われわれ国会においてこれを審議しこの法案を考える場合には、そこに重点を置いて考えておる。ところが、あなたのお考えでは、これがどうも反対な、文部大臣がそこに出てくるとこれは減っていくんだ、知事が出てくると減っていくんだというような感じは、私はどうもこれは意見の相違、感じの相違でありますから、受け取りたくない、そうあってはならないと、実はこう考えておる。こういう意味で私はもっとすなおにこれを見ていきたい。先ほどからのお話を考えますると、戦前の古い文部省が復活するのだ、翼賛政治の場合と同じことになるのだということをおそれながら、今度この委員会というものが任命制だとこうだ、こういう理論の中に、ずいぶん私は納得しかねる論理がそこに伏在しておるように私どもは非常に残念に思うわけで、それをもう少し新しい時代における新しい日本の国の構成は、すべてそういう工合になっていくんだという理解を教員自身が持っておるか持っておらんか、どこまでも反感を持って反対するというようなお考えなのか、ともに協力してそこにいい日本教育を建設していくというお気持があっての御発言であるか、その点だけを一つ最後にお聞きしておきたいと思います。
  28. 小林武

    公述人小林武君) 私は国会とか、政府とか、そのほか国民全般の人たちが協力して教育をやはりよくしていかなきゃならん、またそういうような行き方の場合においては、みんなが虚心になって、やっぱりそれに向かっていかなくちゃならん、また、そういう私は時期だとも思っておるわけです。われわれのような現場の教師から言えば、そういう時期が来ている。今のように右に揺れ左に揺れ、あるいは二大政党時代ですから、政権がかわるたびに政策が変るということになれば、私は教育というものは成り立たないと思います。そういう点においては教育はやっぱりどんな政治のもとにおいても、決してあまり大きな揺れ方はしないような制度というものが打ち立てられなきゃならんと考えておりますので、そういう点では別に片寄ったあれを持っておるわけでありません。ただ、しかし、先生と根本的にやっぱり違う考えがあると思います。それは、何といっても、今度改正される法律によって、先生の場合においては、教育というものが尊重される、こういう考えでありますけれども、私はやはり制度としては先生のお考えをとらないわけです。私は制度としては、やはり知事と同じ建前に立つところの教育委員会というものがあって、知事教育の面ではある場合においては対立した考え方をもって教育を進めるということ。両者において最後は調和するわけでありますけれども調和点がなければならんと思います。調和してやってきたわけですから、今まで。そういうある場合においては教育立場を強く主張する知事と同等の立場に立つ、市町村長と同等の立場に立ってやるという方があってこそ、日本教育は進展する。しかし知事ほんとうに特定な人がいて、教育を尊重する人がある、あるいは文部大臣にもそういう方があって、何をおいても教育だというようなお方があれば、それはその個人の方の特定の期間においては、それはそういうことがあり得ても、私は制度においてそういうことがあり得なければ、その個人がなくなれば、その次の人のお考えによって今度は別のあれになってくる、こう考えますので、私としてはやはり制度に非常に重きを置いて、やはりどなたがなっても、教育というものは軽視されないような制度を現在とるべきだとこういうふうに考えるわけであります。
  29. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 他に御質疑の方はございませんか。
  30. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 一言だけ伺います。それは昨日、本日と二日にわたって公聴会を開いているわけですが、昨日公述人として本委員会公述をいただきました東京経済大学の教授伊部政一君、この方は公述人立場としては、この法案に賛成の立場においてこの法案を賛成される政党の推薦によって公述を述べられた方でございますが、小林公述人委員長をされております日教組の問題について御発言がありましたので、この際私はあらためて責任者である委員長の御所見を承わっておきたいと思います。時間の関係もありますので、多く申し上げませんが、伊部公述人わが国の現在の教育界は無政府状態である、この無政府状態に日教組はつけ込んで日本教育を混迷に陥れようとしている、こういう御発言がございました。そのほかいろいろございましたが、それは申し上げません。今公述人公述を承わっておりますというと、戦後のわが国の文教政策が変転として変って朝令暮改であることは、現場において教育を預かっておる公述人等においては、非常に不安定であり、迷惑をしている、あるいは教育の予算面から不十分な点を指摘されておりましたが、果して現在のわが国教育界は無政府状態であり、またその無政府状態という認識のもとにおける日本教職員組合組合運動というものが、日本教育を混迷に陥れ、さらに極端に言うならば特定外国に奉仕しているかに見えるというようなかような公述が自由民主党の諸君の推薦によってここでなされたわけでございますが、あなたは幸いにしてその日教組の委員長でございますので、この際所見を承わっておきたいと思います。
  31. 小林武

    公述人小林武君) どういうことをさして無政府状態だというのか、私は質問内容をお伺いしなければわからないわけなんです。こういうようなことをおっしゃって、しかも日教組がそれを利用してさらに混迷に陥れようとしているというようなことは、ちょっとまともにまじめに、その御答弁を申し上げる、相手があったら……、その筋でないわけでございまして、日教組は今の教育において無政府状態だと思っておりません。日教組がそういう混迷に陥れるというようなことを考えているわけでもございません。これは日教組の組合活動に教育に対する研究の非常な大きな仕事をやっているわけであります。これを一つ十分お考え下されば、果して日本教師考えておる教育というものは、外国に奉仕する教育なのであるか、あるいは日本の国を混迷に陥れようとする教育なのであるかということは、明らかになると思うわけです。だからそういう具体的な問題を一つお取り上げになって見ていただければこの公述人はよく御理解をいただいたわけだと思うわけです。しかし、ただこれだけのことを聞いてちょっと御返答をまじめにしたくない気持もしておるわけですが、ただ私はここで日教組の委員長として申し上げることは、少くとも日教組の組合に入っておる者は六十万近いわけです。その六十万の教師というものは私は日本教師のほとんどであると思うのです。幼稚園から大学の関係の人も含めておるわけです。これらの人たち日本の国をよくしようと思う一念で教育に当っておるのであって、このことはどなたが何と中傷誹謗いたしましても、私ども実績をもって示しておるつもりでございますから、私どもはそのような中傷には驚きませんが、しかしそういう御意見の人があったら一度お伺いしてみてからでないと、はっきりしたことは申し上げられません。
  32. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 以上をもって小林武君に対する質疑を終了いたします。どうもありがとうございました。   —————————————
  33. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 次に、続きまして友末洋治君から公述を求めることにいたします。
  34. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 今回政府国会に提出されました地方教育行政組織及び運営に関する法律案等につき、都道府県知事立場から意見を申し述べたいと存じますが、それに先だって、地方教育制度改革に関する全国知事会の意見を申し上げますることをお許しいただきたいと存じます。  全国知事会におきましては、終戦後実施せられました地方教育制度につき、重大な関心を持ちまして、かぬてから、その実情と体験とに基き慎重な検討を重ねまして、一応その改革意見を決定いたしておるのであります。すなわち、これが検討に際しましての基本的な態度といたしましては、  第一には、地方教育行政は、地方自治の基礎的なものでございますが、他の一般自治行政と分離して考えるべきでなく、常に一体性を保持すべきものでありますこと、  第二には、地方教育の水準と、他の一般自治水準との間には、それぞれその重要性に応じまして均衡を保ちつつ、総合的に地方自治の本旨の実現をはかるべきでありますこと、  第三には、地方教育行政は、あくまでも不当な支配を排除し、政治的中立性を保持すべきでありますこと、  第四には、地方教育行政は、国の教育目的と、限定されました国の調整作用にも相協力すべきでありますこと、  以上の基本的態度に立脚して検討いたしました結論といたしましては、  第一に、独立性を持つ行政機関としての都道府県教育委員会は、教育内容、方法等に関する基本方針、教育人事その他重要事項を審議いたしまする機関にこれを改めますこと、  第二には、教育委員会委員公選制はこれを廃止し、委員は、地方公共団体の長が、議会の同意を得て任命するものといたしますこと、  第三には、教育委員会の予算等の原案送付制度は、これを廃止いたしますこと、  第四には、義務教育職員の任免権と給与支給責任とを一元化いたしますること、これらがおもなものでございます。  次に今回提案されておりまする法案について、以上申し上げました全国知事会の基本的態度と結論とに基きましてその意見を申し上げたいと存じます。  まず、最初に結論から先に申し上げますると、本法案は総体的に見まして、教育委員会の性格に関しまする事項を除いてはおおむね私ども意見が取り入れられておるのでございます。従いまして、私どもが実際に当って深刻に悩み続けて参りました現行法の持つ重大な欠陥は、これによって相当是正せられ、ひいて地方教育行政振興はもとより、地方自治の進展にも寄与するものがあると考えられます。よって本法案が本国会においてすみやかに成立することを期待する次第でございます。  しかしながら、さきに申し述べました私どもの地方教育制度改革に関しまする基本的な態度に照らして、本法案をしさいに検討いたしますると、たとえば、教育委員会の性格等、その改革のきわめて不十分と認められるものがあるのでございますので、この点は、今後の改革にこれを待つほかはないと存じます。ただ、私どもの基本的態度に著しく反すると認められるものにつきましては、でき得れば、修正の上、本法案の成立することを期待いたすものでございます。以下再考を要すと認められまする事項について、若干申し述べたいと存じます。  第一には、本法案におきましては、教育委員会と、地方公共団体との関係が、やや明確を欠くうらみがあるやに思われます。教育委員会を、行政委員会として存続せしめまする以上、従来のごとき孤立・独善的な傾向は、努めてこれを避け、地方自治一体の方向に向かわしめますることが特に重要ではないかと考えます。ついては、その趣旨制度上明確にいたしまするため、公安委員会と同様、地方公共団体の長の所轄の下にこれを置くことを法定いたしますることがより適切であると考えます。  第二には、本法案によりますれば、都道府県教育長任命は、文部大臣承認を要することになっておりまするが、これは、地方教育行政の本質・政治的中立性の保持・国の地方教育行政に対する責任の限界などいづれの面から、どう考えましても筋の通らないものでございます。この事項がありますために、本法案が教育国家統制への復活、反民主化の逆コースなどの痛烈な非難がなされておるのでございます。文部大臣承認のねらいは、これによって人事の全国的な交流を促進し、教育水準の維持向上に資するにあることと思われまするが、制度上一々承認を要することとする場合におきましては、その運営の如何にもよることではございまするが、過去の経験に徴し、漸次諸種の弊害が生ずるおそれがあると考えられます。もとより、教育長に適格者を得ますることは、きわめて重要な事項に属し、地方の最も苦心するところでございまするが、これに対する措置としては、都道府県の求めに応じて、事実上、文部大臣指導・助言することをもって足りるものと考えます。よって都道府県教育長任命については、文部大臣承認を得ることは取りやめ、知事が、教育委員会の議を経てこれを行うことが適当と考えます。  第三には、本法案による文部大臣指導・助言・援助の限界は、おのずから国の教育目的の達成・全国的教育水準の維持向上・教育の機会均等の確保に限定されるものと考えられまするが、注文の上において、これが明確を欠きまするがため、地方教育行政に対し無制限に介入し得るの誤解を招き、諸種の不安を生ぜしめておりますることは事実でございます。従ってこの不安を解消せしめるためにも、国の責任の限界を明文化することが適切であると考えます。なお、文部大臣指導・助言・援助又は措置要求は、国の責任の確実な実行を保証する意味において、制度上、その必要性はこれを認めるものでございまするが、これらの実施は、地方自治の本旨に従い、その総合性を乱さない配慮のもとに行われることが必要でございまするので、都道府県知事のみを通じて行われることにこれを改めることが望ましいと考えます。  第四には、本法案によりますれば、指定都市に対する特例を設けておりますが、これは指定都市を包括する都道府県の教職員人事の交流を阻害し、ひいては教育水準の維持と教育の機会均等に著しい障害を与える結果となるのであります。しかして、大都市の人口は激増し、これに伴い教職員の定員もますます増加し、多数の新規採用を必要とする趨勢にあります反面、郡部人口はかえって漸減し、これに伴い、教職員の定員を減じ、整理の道を講ずべき趨勢にありますので、その間における人事交流の円滑化をはかる措置を講じておきますることは、その府県にとり絶対に必要となっておるのであります。よって、五大府県におきまする教育行政の特殊性にもかんがみ、指定都市の特例に関しまする条項は、これを削除すべきものと考えます。もし、万一削除ができなければその欠陥を補いまするために、第一に、校長の人事権、給与決定権は、府県教育委員会に留保いたしますること、第二に、その他の教職員の人事権、給与決定権は指定都市の教育委員会に委任するといたしましても、その委任事務の執行につきましては、あらかじめ、当該府県の教育委員会に協議いたしますこと、この二点の修正を加えることが必要かと考えます。  以上申し上げましたごとく、本法案の内容には、慎重に再検討を要するものが苦手あると考えられるのでありますが、他面次に申し上げまするがごとく、地方自治の実情から考えて、積極的、かつ、重要な実益を有するものがあるのであります。すなわち、第一には、教育委員公選制廃止して、任命制にいたしたことであります。御承知のとおり、都道府県教育委員会は、発足後八年、三回の選挙を経ているのでありますが、その結果から判断いたしますると、本来の目的とは逆の方向をたどって参り、真に国民の公正な意思を反映するに足る姿にはなっていないと考えます。すなわち、参考資料に示しますごとく、都道府県教育委員の五七・八%は教員出身者をもって占められ、このまま公選制を存続いたしますれば、近い将来には、これらの人々をもって大部分が占められあたかも、職業教育委員の観を呈し、諸種の弊害を生ずるのみならず国民各階層の意思は反映されなくなるものと推察されるのであります。かかる現象の生ずる原因は、選挙が巨額の費用を要し、かつはなはだしく煩瑣でありまするため、組合等の組織内にある者以外におきましては、人材の立候補がきわめて少なく、従って住民の選挙熱も低調となり、投票率は回を重ねるたびに漸次低下すると同時に、無投票当選の現象すら激増せんとしているのであります。かかる事態に立ち至りましては、すでに公選制の意義は、全く失われておるのでありまするから、これを救済するには、任命制による以外に有効な方法はないと考えます。  しかるに、いたずらに公選制の理想にとらわれ、現実の弊害に目をおおわんとする風潮が、世間の一部にあるのでありますが、これは結果において、教育を軽視するものと断ぜざるを得ないのでございます。しかも、その任命は、公選された首長と議会の協力とによってなされるものであり、地方教育行政が地方自治の基礎である以上、なんら民主主義に反するものではないと考えます。なお、任命制が、適正な人材の選任、政治的中立性の保持に何ら支障なくむしろ有効適切な方法でありますることは、公安委員、人事委員任命によって、実際に立証されているところでございます。  第二には、教育委員会の予算等の原案送付制度廃止したことでございます。教育委員会に、予算等の原案送付権を認めたことは、不当に、教育予算が圧迫されることのないよう、万一の場合に備えました措置であると思われるのでございますが、終戦後の地方教育行政は、戦前に比し、飛躍的にその重大性が認められ、しかも、首長の選任権が直接住民に与えられました以上、教育費が不当に圧迫されることは、常識上考えられない時代となっており、現実におきましても、各府県の教育予算は他の一般行政諸費に比して、まさるとも劣る事実は絶対ないものと確信するものでございます。しかして収入についてなんら責任を持たない教育委員会に、歳入歳出に関する原案作成の権能を認めますることは、理論上に矛盾があるばかりでなく、実際上も適正な原案作成は不可能なのでございます。かくのごとく、なんらの意義を持たない予算原案送付制度は、いたづらに首長と教育委員会との対立、紛争の原因となり、全く有害無益のものでございまするから、かかる制度はすみやかに廃止して、地方自治の明朗化、能率化に資すべきであったのでございます。  第三には、義務教育職員の任免権と給与支給責任とを都道府県に統一したことでございます。従来、義務教育職員につきましては、任免権は、個々の市町村にあり、給与の支給責任は、都道府県に負わしめるというきわめて不合理な制度になっていたのでございます。これがために、教員の配置、昇給昇格等は、複雑な手続を要しまするばかりでなく、その適正を欠き、ひいては、義務教育水準の維持向上に重大な支障を生ぜしめていたのでありまして、これこそ、教育の実際において重大な弊害の原因をなしていたものであり、その一元化は、一刻も放置することを許さぬ、緊急事であったのでございます。  以上、要しまするのに、本法案は、その内容において若干の欠陥を有し、その補正を要するものがあるのでございまするが、反面、幾多の長所を有し、総体的に見て、その欠陥を補って余りあるものと判断されまするので、この際ぜひとも成立せしめ、もって、地方教育行政振興地方自治の進展並びに文化国家の建設に費せられまするよう強く期待いたすものでございます。  以上をもって、私の公述を終ります。
  35. 秋山長造

    ○秋山長造君 友未さんに二、三点お伺いしたいと思いますが、この法案についての御質問を申し上げる前に、その前提として知事会の方の地方自治に対する基本的な考え方についてちょっとお伺いしたい。御承知のように今度の国会には教育関係については今問題になっている法案が出ておりますが、別に地方自治法の改正案が出ているわけです。その地方自治法の改正案を読んで見ますと、いろいろ技術的な点もありますが、見逃すことの輝きない重大な問題が含まれている。それは御承知の通り従来地方自治法において、府県と市町村というものは並列的な同じような基礎的な地方公共団体という規定がなされておる。ところが今度の改正案を見ますと、今までのような並列的な規定でなしに、基礎的な地方公共団体は市町村一本になっておる。そうして従来同じく基礎的な地方公共団体と目されておったところの府県というものは、基礎的な公共団体ではなくして、それとは少し違ったといいますか、地方自治オンリーの立場からいいますと、少し地方自治から浮いた性格に変えられておるのですね。つまり町村と国との中間団体のような形になっておる。これは非常に重大ないろいろな意味を持っておると思うのです。この点について知事会並びに代表として御出席になった友未さんはどういうお考えを持っておられるか。
  36. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 地方自治法の改正法案が提出されまして、府県と市町村に関しまする規定が設けられておるわけでございまするが、仰せの通り町村が基礎的な公共団体であるという表現になっておりまして、府県につきましては別に基礎的なという表現になっておりません。私どもといたしましては、県も市町村もともに地方公共団体であるというふうに考えております。特に基礎的というふうに表現されておりますることは、一つの公共団体である個々の市町村を包括いたしておりまする関係におきまして府県があるという意味に解釈いたしているのでありまして、仰せのような基礎的という意味に、あまり強くこれを重視して考えているものではございません。制度上から申しまするというと、ともに同じような地方公共団体であるというふうに観念をいたしているのでございます。
  37. 秋山長造

    ○秋山長造君 今友末さんはきわめて楽観的な御見解のようですけれども、これはちょっと従来、また現在も別な場合に言ったり考えられたりしていることと少し違うのじゃないかと思うのですけれども、今度のこの地方自治法の問題は、これは今日こつ然として現われた問題ではないので、従来これはもう繰り返し繰り返し最大の論点になっている問題だと思うのです、地方行政の問題として。で、決しておっしゃるように簡単な問題と私は思いませんし、また知事会としてもおそらくそう簡単には考えておられん、気休めにそういうことを言っておられるのじゃないかと、失礼ですけれども私は思うのですがね。やはりこれは今のところはこれはまだ芽ばえですから、だからあまり考え方に隔たりはないようですけれども、これはもう将来の見通しという点から考えると、相当これは違った方向にいきかねないというおそれがあるということはお認めだろうと思うのです。論より証拠、そういう性格規定から始まって、次から次に展開されるいろいろな条文を読んでみますと、とにかく一歩々々中央からのいろいろな名目によるところの、俗の言葉で言えばひもが地方、特に府県、具体的には府県知事というものに対してついてきつつあるということは、お認めになるのじゃないかと思うのです。そうしてその理由として説明されるところによると、結局日本のような小さい国で、そうして各府県がそれぞれ独立性を主張して、ばらばらな行政をやっておったのでは困る、だからもう少し中央政府を中心に能率化といいますか、あるいは集権化といいますか、あるいは国全体の行政調和というか、バランスというか、あるいは一体性というか、そういうものをもっと尊重していかなければならない、こういう説明がされておると思うのです。こういう説明はその言葉自体としてはしごくもっともな言葉が多いのですけれども、しかしその底に流れる傾向といいますか、また、それが具体化された場合に出てくるであろう結果というようなものを予想した場合には、やはり昔のような中央集権そのままではないにしても、それに近いような形になるおそれが出てくるのじゃないか、これと併行してたとえば憲法改正なんかの問題が論議されておるけれども、その中にも重要な一項目として地方公共団体というものの性格と範囲というものを、現在とは変えようという考え方が強くあることは御承知の通りです。当面知事の直接選挙というものをやめる、いわゆる知事官選にするというようなことが、もうこれは日常茶飯のように議論されておる、これも御承知の通りです。だからなおさら私はさっき申し上げましたような傾向というものが漸次頭をもたげてくるということも、これは杞憂ではないと思うのです。そういう問題について地方自治の責任者としてどのようにお考えになり、また、そういう傾向に対してどのように対処なされようとしておられるのかお伺いしたい。
  38. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 今回提案されておりまする地方自治法の改正は、府県や市町村の性格に関する根本的な改革を何ら含んではおらないのであります。ただ今の御質問は、今後府県、市町村に関しまする事項について、中央集権的な方向にいく傾向がありはしないかという意味からの御質問だったかと考えます。現在の府県市町村につきましては、なお検討を要するものがあることはこれは認めざるを得ないのです。これにつきましては、その地域の適正化をいかに考えるかという問題が一つある。同時に国と地方公共団体との正常ねあるべき姿をどうきめるかということが最も大きな問題かと考えます。すなわち国と地方の関係におきましては権限の問題もありますると同時に、税財源の適正配分という問題もあるのでございます。現在の状況は権限も、また財政権も大幅に中央に握られておりまして、実質的には中央集権的な色彩がきわめて濃厚だと、かように実は考えるのであります。そこでこれらの改革につきましては、府県の区域という問題とからんで、勢い参りまするので、根本的な慎重な検討をいたしました上においてなさるべきである、かように考え知事会といたしましても、これらの問題について従来から慎重な検討をいたしまして、すでに結論は一応出しておるところでございます。そこで中央集権化の方向に向う一部の考え方があることは、これは認めます。しかしながらさような方向にいくべきではないのでございまして、あくまでも府県、市町村というものは、地方自治の本旨を実現いたしまする団体としてこれを考えて参る。ただ地域的に不十分な点がございまするので、時勢の進展に即応してこれをもっと拡大する。同時に国と地方との行財政の権限の適正配分も行なって参りますることが最も必要ではないか、かように考えておりまする次第であります。
  39. 秋山長造

    ○秋山長造君 前提の問題ですから、前提としてはもう一点だけお伺いします。そういたしますと、知事会としての基本的な考え方は、現在の憲法第八章に言う地方自治の原則はあくまで守っていきたい。にもかかわらず現状は憲法の条文では地方自治がりっぱに書いてあるけれども、現状は実質的には中央にいろいろな面で握られておる面が多い。そこで名実ともに今後は地方自治を徹底してやっていきたい、こういうように了解してよろしゅうございますか。
  40. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 全くその通りでございます。
  41. 秋山長造

    ○秋山長造君 ではそういう前提に立ちまして、この法案についてのただいまの御公述について一、二点お伺いします。ただいまの御説明を聞いておりまして全般的な感じとして私が受け取ったことは、結局教育委員の直接選挙というものは廃止するし、それからいわゆる原案送付権というようなものもない方がいい、そして従来合議制の執行機関という性格を持っておった教育委員会を、今度は執行機関でなしに審議機関にすぎないものにしたい。そうしてしかもそれを知事の所轄の下に置きたい。所轄という意味もいろいろあると思うのですけれども、要するに知事の下に置きたいということだと思うのです、俗にいえば。知事の下に置くところの単なる審議機関にしたい、そして実質的に教育行政の事務を担当する教育長というものも、これは教育委員会任命するのでなしに、知事任命することにしたい。教育委員会の議を経てとはありますけれども、要するに知事任命権を持つという制度にしたい。そしてまた、問題になっている文部大臣指導、助言、援助というようなものも、これは知事の手を通じてやることにしたい、だから中央対地方の関係では、これは文部大臣知事関係ですね、それから中央の子を離れて地方だけで考えますと、これはもっぱら知事教育行政に対する、あるいはその他一般教育に対する指導、助言、援助をやる権限を持つわけですね。それから五大市の特例も認めない、こういうことでございますから、中央対地方の関係は論外として、地方だけについて見た場合には、もう知事の一身に一切の権限を集中しようという私は考え方だと思います、一切の権限を。教育行政についてすらも、教育委員会というものは、これは知事の所轄のもとに立つ単なる審議機関にすぎないのですから、実質的にはもう教育行政責任者もこれは知事です。知事会の考え方からいきますと、そうすると、これは従来の教育行政はもっぱら基本的な態度と原則としては、教育行政の地方分権化あるいは教育行政の民主化、あるいは中立性、自主性、こういうことを原則にして組み立てられてきたものです。ところが今の知事会の考え方からいきますと、もうそういう従来の教育行政のよってもって立った基本的な原則というものは、全部姿を消して、もっぱら知事の一身に教育行政を集中していく、つまり言葉をかえて言えば、能率化といいますか、地方での中央集権ですね、中央集権化あるいは地方行政一体性といいますか、あるいはバランスとか何かそういうようなことだけが、基本的な考え方になって打ち出された御意見ではないかというように思うので、これは教育がもっぱら地方住民というものと直接連繋をし、地方住民の意思に直接接触を保ちながら行われなきゃいかんという、これは教育委員会制度なり、教育基本法なりの基本的な本質的な原則というものとは非常にこれは離れたものだと思う。なるほどそれによって能率化はされるかもしらぬけれども教育基本法や教育委員会法のよって立つところの基本的な原則というものとは非常に離れた、地方住民からいいますと、一般の子を持つ親から言いますと、何か教育をやる権力というものが、今まではほんの身近な、手の届くところにあったのが、これはもう非常に雲の上のような遠方の、手の届かないところへ行ってしまったような形に、住民の側から考えた場合に、なるのではないかというように私は痛切に考えるのです。その点はどのようにお考え並んですか。
  42. 友末洋治

    ○参考人(友末洋治君) 私どもといたしましては、地方自治というものは、一体として考えていきたいというふうに常々思っておることであります。その中で基礎的に最も重視されなければならぬものは、教育行政であるというふうに考えております。その上に土木、民生、衛生、いろいろな行政というものが行われていく、その他の行政も、やはり教育的な観点から一般行政というものも行わるべきである、さような意味において教育というものを重要視し、基礎的なものと実は考えておるのでございます。実際取り扱って参ってみまするというと、個々ばらばらに考えて参りますることは、これはいろんな面において支障が出て参るのであります。住民の立場に立って考えますれば、やはり教育もしっかりやってもらいたい、あるいはまた道もよくしてもらいたい。また、健康の問題も十分考えてもらいたい。いろいろこの要求が出て参るのであります。で、それを総合的に考えて、また事の重要性に応じまして、組み立てて参ることが地方自治の本体でなければならぬ、かように実は考えておるわけでございまして、そこでこれらの仕事は、やはり民主化の線に沿うて行われなければならぬのでありまするが、現在御承知のように、知事も公選、また議会も公選でございまするから、地方自治の根幹的な民主化は、この執行機関である知事、また審議機関である議会、これ旭もって十分ではなかろうかと、かように実は考えます次第でございます。そこで、できますれば、他の独立いたしましたところの行政機関は、これはむしろ将来だんだんに廃止する方向に向っていくのが適当じゃないか。かように考えるのでありますが、これは漸を追うて考えるほかあるまい。ただ仕事の性質によりましては、政治的なこの中立性を特に考えていかなければならんというものがまたございます。それは申すまでもなく警察、教育行政でございます。そこでこれらの警察、教育行政について知事がすべての権限というものを持とうという考え方は、これは私は思っておりません。重要な事項につきましてはやはり他の機関で、行政機関あるいは審議機関としてその議を経て行うことが、これが政治的な中立性を保持する上においで必要である。かように考えるのでありまするが、ただ知事として所轄的な考え方を持っておりますることは、全体を調整する総合性と均衡性というものが地方自治におきましては一番大事である。現在それが終戦後の制度におきまして権力分散方式によってばらばらになっておりまするところに、全体的に見て非常に非能率な点があるわけであります。その現実的な非能率をできるだけ是正して、安上りで、最も住民にはね返りの大きい行政をやっていく、これが住民が常に考えておりますところの一般的な要求である、かように考えておりまする次第でございます。
  43. 秋山長造

    ○秋山長造君 もう一回だけお伺いいたします。で、まあ今のようなお考え方も、地方自治の責任者としての知事というお立場からのお考えとしては一応わかります。でわかりますけれども、しかし中央対地方という関係の場合には、極力権力の地方分権といいますか、中央集権的な傾向に対しては、反対の態度をし、反対考え方をとっておられる知事会が、今度は地方自体の内部の問題になると、とにかくまあいろいろ理屈はつけますけれども、要するに民主化とか、あるいは分権化、あるいは自主性というようなことよりもですね、もっぱら安上りの政治を作るのだという考え方でですね、行政の能率化だとか、一体化だとか、あるいは集権化だとかいう考え方で終始されるということは、私はちょっとどうも、ものの地方自治の考え方としておのずからそれは限度はあります。それは権力分散といっても限度はありますけれども、少し得手勝手なような感じを受けるのです。とにかく知事の自身の権限はできるだけ一身に集中してふやしていこう、それから他からの制肘は一つできるだけ排除していこう、こういう非常に戦国的な考え方になるんで、特にその教育長というようなものを、これは公安委員会の話も出ましたけれども、公安委員会教育長に当るのは、警察本部長だと思うのですが、警察本部長は御承知の通り、これは知事なんか全然指を触れることもできない、中央任命ですから問題にならぬですが、この教育行政を事実上やる教育長というものは、これは知事任命権を持つということになりますと、これはやはり教育委員会が単なる審議機関にすぎないものになるとうらはらの関係において、教育行政あるいは教育行政事務というものは、もう実質的にはやはり知事が握る、握るという言葉は語弊がありますけれども、俗な言葉で言えば握るという結果になるわけです。予算という権限を握っておられ、そしてその上に教育長の任免権を握れば、これは当然人事権なんかも事実上はやはり知事のところへなびいていくということになると思う。そうすると教育委員会というものは全く民主的な紛飾、お飾りということにすぎなくなって、実質的には昔の知事任命する教育部長、学務部長という形と同じになると思うのです。それからまた、知事がただいまおっしゃるように、どうせ知事も公選されたのだし、そして知事の相談を受ける府県会も公選されておるのだから、任命制にしてもかえって安上りでいいという考え方を徹底していけば、もうついでに公選された知事任命するのだから、知事任命教育部長にしたらなおさら安上りでいいじゃないか、能率的でいいじゃないか、こういう考え方に私は通ずると思う。そこに非常に私は知事の善意は信じますけれども、しかしおっしゃる善意、必ずしも実際行政の上で保証されないということを申し上げて、もう一度その点の御解明を願いたい。  それからもう一点は、地方公共団体というものは一体なものだ、だから地方行政も、教育行政だとか何行政だとかいうようにばらばらでなしに、やはり一体性を保っていかなければならない、こういうお話しなんです。これはもう私も全く賛成ですけれども、ただしかし、抽象的に一体性といっても、それでは具体的に何かといったら、結局理論的にいえば、地方行政一体性ということは、つまりその他方団体団体意思というものが一本に出る、団体意思をきめるものが一本である、こういうことだと思うのです。その団体意思があっちこっちから出てくるということでなしに、一つのものから団体意思が出てくるということが一体性ということの理論的な説明だと思う。その地方団体一体としての団体意思を決定する機関というものは、これは知事でもなければ教育委員会でもない。これは地方議会だと思う。これはもう自治法によって、はっきりきめられておるのです。だからかりに原案送付権というものを教育委員会に認めておるとしても、教育委員会知事に対して原案送付権を持っておるがゆえに、地方の一体性がそこなわれるということにはならぬと思うのです。それはまだ一本の団体意思を決定する前の準備段階での話しですから、原案送付権というのは、だからもし教育委員会知事との意見が対立した場合は、対立した二つ意見を議会に提出をして、議会で一本にしぼってもらうわけですから、そしてその議会で議決を経たものが、茨城県なら茨城県という地方公共団体団体意思ということになって、最終決定で一本になって出てくるのですから、何ら地方行政一体性とか、地方団体意思の一体性をそこなうということには、私は法理論上ならぬというふうに思うのですけれども、その点一つもう少し御説明を願いたいと思います。
  44. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 中央と地方の関係について、中央集権を排撃しているということでございますが、すべてを実は排撃しているのではないのであります。教育委員会制度につきましても、やはり国家全体の教育目的というものがはっきりあるわけであり、また国全体といたしましては教育の機会均等を保持していく、あるいは全国的なでこぼこを調整いたしまして、一定の水準を保っていく、日本国民でありまする以上、場所のいかんを問わず、同じような教育が行われ得るという必要があるのであります。そういう意味において必要な中央の介入というものは、これは当然されなければならない、かように思うのでありまするが、任命というような問題になりますと、ちょっと行き過ぎであり、また、地方自治の本旨の実現という意味からも、これは相当検討を要さなければならぬ、かように実は考えておるのであります。そこで地方自治全体として考えた場合におきましては、できるだけ一つ能率的な方向に今後向けるべきであると、かように私は思っておるわけでございます。民主化の線から申しますると、やはり地方議会、あるいは公選された知事というものを根幹として進むことが正しい行き方であろう、かように考えまするので、個々の独立した機関までも設けることは、これはこの際、反省、再検討を要するのではないか、必ずしも今までできておりまするところの行政委員会が実際の面において、非常に大きな能率的な効果を上げておるようには、私は感じておりません。議会そのものが、教育につきましても、やはり全面的に大きな関心と責任をもって考えていくという行き方がすっきりした行き方じゃないか、現にやはり議会などで常に問題になりますのは、何をおいても教育振興ということが常に討論、論議せられるのであります。むしろ教育委員会内部の論議よりも、県議会などで教育の問題が論議され、審議されることの方が真剣だというくらいに、言い過ぎかもしれませんが、私は実はかように考えております。今日の地方議会、あるいは今日の各県の知事はもう一日たりとも教育に関心を持たないで済ませるものではないのであります。全責任を持って知事も、また、議会もこの教育の問題と取り組む方が能率的で、効果が上るというふうに固く私は信じておるものであります。  そこで原案送付権についての御質問があったわけでございますが、これは直ちに地方自治の一体性と矛盾するものとは私は考えません。お説の通り、議会でもって知事が出した原案と、また教育委員会がお出しになりました原案というものを相互検討いたしまして、一本にまとめるという筋合いだろう、かように考えまするが、この原案送付権は従来の実際の経験から考えまするというと、何ら意味をなしていないというところに実は問題がある。かように考えておるのであります。意味がないばかりでなく、実際に無用の摩擦、無用の弊害を生ぜしめておるのが実情じゃないか、かように考えておるのであります。
  45. 湯山勇

    ○湯山勇君 ちょっと関連して、今秋山委員の最後にお尋ねになった第一の点の教育長任命の問題につきまして、先ほどの御公述の中に、こういう意味の御発言がございました。それは教育長文部大臣承認を経て教育委員会任命する。こういうことは過去の経験によっても、非常に弊害を生じた例があるというような意味のことがありまして、言葉はその通りでないかも存じませんが、そういう意味の御発言があったと思います。私はまあいろいろ調べてみたのですけれども、現在こういうケースは他にはないように見受けます。そこで公述人は非常に御経験をお持ちになっておりますから、現在はないにしても、過去においてこういう例があったことを御存じだと思いますし、あるいはぴったりこれに当てはまらなくても、そういうケースと考えられるような例をお持ちになって、そしてこういうことは過去の経験によっても非常に弊害を生むというようにおっしゃったと思います。そこで、私どもは今他に例を持っていないものですから、いろいろ起り得る弊害をああもあろうかこうもあろうかと、ケースとして考えてはおるのですけれども、残念ながら具体的なものを持っておりません。そこで公述人先ほど公述になったように、こういうこれに近いそういう事例が過去にあったならば、その事例と、そしてその事例がいろいろ大きな弊害を生んだ、長年の間には非常に弊害を生んだということをおっしゃいました。そういう事実を一つぜひお教え下さいますならば、これは非常に私ども法案審議に役立つと思いますので、その点を一つ具体的にお教えいただきたいと思います。
  46. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 先年に教育の人事権が相当国に留保されておったことは御承知の通りであります。その当時、私どもは非常に憂えましたことは、教育人事というものが派閥人事になりやすい、その当時は東京の高等師範、広島の高等師範というものが実はあったわけでございます。東京閥あるいは広島閥というものの派閥人事というものが行われたことは御承知の通りであります。同時に、文部省内におられます方々を特に地方に押しつけられる——押しつけ人事といいますか、そういうものも行われたのが事実でございます。かような押しつけ人事あるいは派閥人事の再現を目ざしておられるのではないと思います、今回の文部大臣承認は。おそらくこの文部大臣承認は、そういういやらしいところではなく、ほんとうにこの日本全体の教育の水準を上げていきたい、またでこぼこのないようにしていきたい、それには全国的な人事交流をやっぱり考えていかなければならぬ、この気持はわかるのであります。しかしながら、だんだんとこうやって参りまする上におきましては、人事には常に弊害が伴いまするので、おそらく過去のような弊害にはならぬと思いまするが、やはり中央に一手に握られておりまする以上は、長所よりも弊害の方がだんだんに現われてくるのじゃなかろうか、これを私は憂えるのであります。
  47. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 若干お尋ねいたしたいと思いますが、地方自治を考える場合に、一体性ということを強く考える、非常に重く考える、こういう考えを推し進めて参りますると、先ほど友末さんがおっしゃったように、教育行政についても知事の手元に一本化する、私はこういう結論が出てくると思うのです。けれども、地方自治を考える場合に、一体性ということだけで判断していくということは、私は十分でないというふうに考えるのです。特に教育行政の問題につきましては、これは戦前のわれわれの経験が示しますように、相当政治勢力が教育界を支配した、こういう歴史を持っておるわけであります。そういう経験から考えて、教育行政は一般行政と分離すべきである、こういうのが大体の今日の教育委員会制度が生まれた精神であります。従って地方自治の一体性といいますか、調整といいますか、そういう面を考えるとともに、やはり教育政治的中立性、こういう問題も相当重い比重で考えなければならないと思うのです。どうも先ほどからお話を伺っておりますと、一体性ということだけに重点が置かれておるように思いますが、政治的中立性の問題については、どういうふうに考えておられるか、その点をお伺いしたいと思います。それが第一点です。  時間の関係がございますから続けて申し上げます。第二点にお伺いしたい点は、友末さんは公選制廃止する方がよかろう、こういう御意見でございます。その論拠といたしましては、このまま公選制を続けてゆけば、近い将来には教員出身者をもって大部分が占められる、職業教育委員の感を呈するに至るであろうというのがその論拠になっておるわけであります。そこで私はここで文部省から私どもに提出された資料がございます。その資料を見ますと、昭和二十七年の選挙の結果が出されておるわけでございますが、都道府県の教育委員会におきましてその出身が教員である、前歴が教員であるというものは、全体の三五%になっております。それから地方教育委員の方を見ますと、五大市におきましては、二〇%になっております。それから市町村の市におきましては、九・三九%、町村におきましては、わずかに一・六五%、もちろん友末さんの資料は、都道府県委員会のみについておっしゃっておるわけなんですが、教育委員会は、都道府県教育委員会だけではなしに、地方教育委員会も入るわけでございます。それらを通覧して見ますときに、一番多い都道府県の教育委員会においても三五%、町村に至りましては、わずかに一・六五%、二%に足らないというのが二十七年の選挙の結果でございます。こういう点を考えますると、あなたがおっしゃったように、果して近い将来には教員出身をもって大部分が占められるのじゃないか、ここにもそういうふうに書いてありますが、私はそういう憂いはないというふうに考える。だいぶんこれには誇張があるのじゃないか。どうも私が今申し上げた資料等から考えて、そういう考えがいたしますので、この点一つ御所見を伺いたいと思います。  それからもう一つの問題は、義務教育諸学校の教職員の任免権と給与の支給責任者を都道府県に統一した。この問題について私は次に考える問題は、義務教育諸学校の教職員の身分、この身分はやはり依然として市町村にあるわけであります。そうして任免権と給与支給の責任が都道府県に移るわけなんです。その結果義務学校の教職員の何といいますか、身分といいますかね、地位といいますか、非常に複雑なものに私はなってきておると思う。こういう点について身分は市町村にある、ここから起ってくるところの服務あるいは懲戒とか、いろいろの事項は、市町村において処理される、なお重要な任免権及び給与等については、都道府県にあるというふうなことから非常に明確を欠いてくるというふうに考えるのです。これは友末さん、地方自治について非常に経験がお深い方でありますので、もし御所見がございましたら、ここに私は非常に複雑であり、実際上矛盾した問題がいろいろ起ってくると私は思うのですが、ここでは詳しくお尋ねを申し上げるわけにはいきませんが、そういう点について御所見がございましたらお伺いしたいと思うのです。と申しますのは、義務教育諸学校における教職員のいろいろの問題についてだれが責任を持つかということは、もう長い間の問題になっている。国にもあるようでもあり、ないようでもある。それでは都道府県が持てるのかといえば持てるようでもあり、持てないようでもある。それでは市町村に身分があるのだから、市町村は持てるかといえば、そうでもない。非常にあいまいな立場に置かれている。これは終戦以来の問題なんです。ですからこういう機会に、もし御所見があれば、私は御指導をいただきたい、そういう意味でお伺いをしているわけであります。
  48. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) まず第一点の地方自治の一体性と、政治的な中立性の問題でございますが、ともにきわめて重要な事項に属するというふうに考えておりまして、両者の間におきましては、やはり調整をとって参る必要があるだろう。特に教育及び警察というものにつきましては、あくまでも政治的な中立性を固持いたしまして、不当の支配を排除していくという方向をとらなければならない。さような意味におきまして教育につきましては、特に審議機関を設置いたしまして、その審議機関によって重要な事項は政治的な中立性を侵されないように保障していきたい、かような観点に立っておるものであります。  次に、今後の都道府県教育委員の趨勢についてでございますが、お手元に差し上げてございまする表にもありまするように、三十年十一月現在におきまする調査の結果によりまするというと、全国の教育委員、都道府県教育委員約二百五十四名の方々について調査いたしました結果五七・八%が教員の前歴を持っておられまする方々でございます。そこで、この趨勢がどうなるかということでございまするが、なかなか簡単に結論を出すことはむずかしいかと思いまするが、今までの都道府県教育委員選挙の結果を見まするというと、立候補者がきわめて少いのであります。その表は第一表にも実は出ておるので、詳しく説明申し上げません。教員の前歴のある方々は進んでどんどん立候補なさいますけれども、そうでない民間のほんとうにこちらが出ていただきたい、また県民全体としても望みたいという人材の方々は容易に立候補されない。従って立候補者の数もきわめて少い。少い結果だんだんに無投票の趨勢になってくるんじゃないか、かように考えられますので、まず、私の予想といたしましては、選挙を重ねるたびに、教員の前歴者の者がだんだんふえまして、これでもって大部分が占められるということは明らかに想像できるのじゃないかへかように実は考えておりまする次第であります。  それから第三番目の、国と県と市町村、この三つの間におきまするところの義務教育職員についての身分関係をどう考えていくか、きわめて重要な問題であり、また従来からむずかしい問題とされておりまするところであります。そこでこの法案の作成に当っても、よほど文部省は慎重に検討されたと思うのでありまするが、まずこの法案の方法が現段階におきましては適当であり、またそれ以外によい方法はなかろうというように、最終的な実は判断を私はいたしておるのであります。県の段階におきまして給与の支給権を持つ、また任免権を持つ、これで教育行政の中立的な固持、また人事の交流というものは従来よりもよほど円滑に参ると思います。ただ、市町村にもこの義務教育につきましては重大なる関係がございます。施設の設置、その他身近に教育が行われるのでありまするから、市町村もこれに重大な関心を持つ必要があると思うのです。それにつきましては、やはり教員任命につきましては、これにタッチせしめる意味におきまして、内申権はやはり認めていく。また日女の勤務状況、これにつきましては、県が目を届かせるよりも、市町村におきましてやはり十分に目が届くのでありまするから、さような意味におきまして、日々の勤務の状況につきましてのことは、市町村におきまして関与されるというのが適当ではなかろうか。すなわちこの原案が最も現段階におきましては適当な方法であり、これ以上によい方法はなかろう、かように実は考えておるのであります。
  49. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 知事会は教育について御努力なさっている点には、一応敬意を表します。それを前提にして伺いますが、公選制任命制かという問題について、その一つの理由として今も述べられましたが、候補者が少い、人材が乏しい、こういうことを言われておりますが、都道府県会議員には非常に候補者が多いわけでございますが、都道府県教育委員になると候補者が少いということですが、これを知事会の方ではどういうふうに原因を把握されておりますか、お伺いいたしたいと思います。
  50. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 最初の公述にも申し上げたのでありまするが、人材は実はないことはないのであります。しかしながら、選挙に実は金がかかる。都道府県教育委員会選挙は全県下でございます。従って全県下を飛び回りますためには、相当の費用がかかることは御承知の通りであります。また、選挙は御承知のようになかなかそう簡単なものではありません。実際骨の折れる苦しいものでございます。そこで、一面に自分仕事を持っている人が積極的に進んで立候補するということは、言うべくしてなかなか困難でございます。そこで組合組織内にありまする方々は、組合というバックがあり、いろいろ形式的にも実質的にも応援されるということが可能でありまするがゆえに、立候補しやすい。それ以外の人はなかなか立候補が現実問題としてできにくいという関係から、勢いこの結果におきましては教職員の経験を持った方々が多くの部分を占められる、これは自然の勢いであろう、かように実は考えておるわけでございまして、そこに今日の教育委員会としては、重大に現実を反省しなければならない問題がある、かように考えておるわけであります。
  51. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 私のお伺いいたしたい点については、その一部しかお答え願えないのですが、どなたも口をあければ、教育は重要だと言われるのですね、ところが教育行政の地方における最高責任者の選挙をやってみると、人材がたくさんいるけれども、候補者が少い、これは何か考えなければならぬ点があるのじゃないでしょうか、私はそこをどういうふうにお考えになっているかということを承わりたいのです。それは全県下が選挙区云々というならば、選挙区を小さくする方法もございましょうし、あるいは選挙法等の改正によって、適正なる方法によって公選制を堅持するということもあると思う。現実ということも考えなくちゃなりませんが、私はその候補者が少いから、あるいは前歴が教師の人が多いからというようなことが、教育委員の選任方法として公選がよろしいか、任命制がよろしいかという大きね私は判断を下す要素に私はならないと思うのですが、きわめて危険だと思うのですが率直に言って、教育委員は金にならんから立候補しないのじゃないでしょうか、国会議員とか県会議員の方が金になるから、選挙運動費用があとで回収できるから、たくさん立候補なさるのじゃないでしょうか、もしそういう考え方国民の一部にあるとすれば、お互いに文化国家の建設を志向しておりながら、お互いに口をあければ、教育は重要だと言う以上は、何かそこに反省するところがあり、次善の策というものを考えなくちゃならぬ……。
  52. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 矢嶋委員、討論じゃないのですが……。
  53. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 いや、お伺いします。
  54. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 公選制というものを理論的に反対するのではございません。しかしながら現実の実際の問題といたしましては、公選制をとっておりまするがゆえに、制度のねらいと逆の方向に参っておる、これは反省しなければならない、お説の通り選挙区の問題もこれは確かにあると思います。また、もう少し小選挙区にいたしまして公選制をやってみてどうなるかという問題もあると思いまするが、やはりこれは大同小異で、県の教育委員選挙の場合に幾ら小選挙制度採用するといたしましても、市町村別にできるわけではございませんし、相当広範囲において選挙区を定めなければならぬということになりますれば、現在の県一円の選挙区とほとんどまあ大同小異でありまして、結果はやってみなくても、私は大体想像がつくのであります。そこでそういう大体見当のつくことをおやりになるよりも、現実に弊が出ておるのでありまするから、これはまた一刻も放置できない教育上のきわめて重要な事項に属しまするので、そのかわりの方法といたしましては任命以外にない。任命制をとっておりまするところの公安委員、あるいは人事委員というものについてさえごらんを願いましても、何一つ民主化に反するとか、あるいは政治的な中立性を害するというようなことは何ら起っておりません、問題になっておらない、地方では。さようなことをお考えいただきますれば、今日の段階といたしまては、地方の自治の実情あるいは国全体の状況から考えまして、任命制が最も有効適切な方法である、かように考えまする次第であります。
  55. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 矢嶋君、大へん時間が過ぎておりますが……。
  56. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 もう二、三点お伺いしたいのでございますが、知事さん簡単にお答え願いたいと思います。二、三伺わさしていただきます。それは全国でこの教職員の退職を勧告する場合に、教職員の場合は五十歳とか、五十二歳で勧告して、そして知事さんの直接支配下にある県庁の公務員については五十八歳、六十歳の公務員がたくさんおられるというように、同じ都道府県の公務員でありながら、ずいぶん差がついている例がたくさんあるのでございますが、あとまた質問が出るのでございますが、これはどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  57. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 各府県で人員整理その他のために勧告退職をいたします場合におきましては、大体教育委員会の職員の方と均衡のとれる方法で勧告をしているのが大体の状況でございます。しかしながら、御承知のように一般職員の方には年寄りが非常に多いというのも事実でございます。これは一般職員の中には教職員とは違いまして技術者等の余人をもってかえがたいというものが実はあるわけでございます。勧告退職をさせましても、翌日から困りますので、補充をしなければならないというものが実は数多いのであります。さような関係から、一般職員の中には相当の年令になっている者がある、この点は確かに教職員と現実には差異がございまするが、これは仕事の性質上当然生ずる結果だ、かように考えております。
  58. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 討論になるといけませんから申し上げませんが、この一般公務員がやめるとあすから困るというようなふうの方でなくて、年輩の人がたくさんいらっしゃる、また教育界においても非常に優秀な人は県の教育界においてはこの人は大切だという人もあるわけですが、そういう数職員は五十二才とか五十三才で一率にやめられてとにかく差がついている、それについての御見解を承わったわけですが、今御答弁をいただきました。もう一つ伺いたい点は、そして次の質問が出るわけですが、それは地方公務員法の一部改正案が参議院を通過いたしまして、今衆議院送付して衆議院審議中でございます。御承知のようにこの地方公務員法の一部改正法律案が成立いたしますというと、都道府県条例によって停年制がしかれることに相なるわけでございます。そうすると知事さんはこの条例の提案権を持つことになるわけでございますが、知事会としては、この教育公務員並びに一般公務員の停年制の条例を議会に提案する場合に、何才くらいに線を引くお考えか。差等をつけるおつもりかどうか。もし知事会の態度がきまっておらなかったならば、友末知事さんは今どういうお考えを持っていらっしゃいますか。これを承わって、次の質問を許さしていただきたいと思います。
  59. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 停年制につきましては、知事会として何才にするかということをきめてもおりませんし、また各府県の若干の特殊事情がございましょうからきめるべきではなかろう、かように実は考えておるわけでございます。私自身といたしましては、これは世間の常識といたしまして、まず五十五才を基準にすべきである、かように考えております。
  60. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 以上二点について承わりましたが、私先ほどから、あなたが予算並びに条例の原案送付権についての件について、地方自治行政一体化ということから諸論を進められました。傾聴すべき意見があったと私は拝聴したのですが、しかし、その中に他の委員も指摘したと思うのですが、地方自治行政一体化という名のもとに、その地方公共団体教育が財政的考慮からのみ扱われるという傾向が、最近非常に顕著になってきたと思うのです。これは地方財政の赤字解消という問題もからんできているわけですが、しかし、その際に教育予算の、教育面の犠牲において、この赤字解消をやろう、財政的考慮からのみこの教育考えていくという傾向は、非常に強く出て参ったと思います。それがあるいはこの停年制をしく場合、一般公務員の方はぜひともこれは残しておかなければ困るからというので、差等をつけるような場合が予想されたり、あるいは現に行われておるところの退職勧告等について非常な大きな差をつけているのは、私は一つの表われだと思うのです。さらにまた、一つ私は申し上げますが、それは教育基本法の第三条に「教育の機会均等」という書き出しで、地方公共団体は、教育の機会均等を実現するために、貧困なるがゆえに教育の機会均等に浴せないところの者に対しては、適当な措置を講じなくちゃならないということは明記されているわけですが、知事さん御承知の通りですね、最近地方財政のこの赤字等によって定時制教育とか、あるいは通信教育というようなものは、軒並みに後退しつつあるわけですね。それに最も抵抗しておるのは教育委員会でございましょう。いかなる形で抵抗するかというと、それは予算の原案送付権、これにおいて、それを出すまでにいかなくとも、その対立予算を出す事前において、伝家の宝刀をもって知事側と交渉して、そうして何とか守っているというのが実情ですね。私は、その際に地方教育委員会教育的考慮から考えましよう、そうすると知事さん側は財政的な考慮から教育考える、そういう傾向が強いと思う。で、両者が話し合ったところで、初めて私は今のわが国地方教育行政というものは適当に行われるのではないか。今ここで原案送付権というものを除いた場合、私は現実の姿から非常に懸念いたすわけでございますが、いかようにお考えになっておられるか。  それから、委員長さんが大へんあせっているようでありますから、もう一点お伺いしておきますが、(発言する者多し)それは公選制になった場合、政治的に中立性が保てるかということなんです。その点については……、向うの方でヤジを飛ばしておるようでありますから、簡単に申しますが、それは従来、戦前からそうですが、知事は非常に、この学校教育以上に社会教育に熱心だ。特に公選知事になって、あなた方は、都道府県は公選知事を堅持すべきだというのですが、公選知事社会教育に熱心だ。特に選挙前になると社会教育に熱心になる。これは事実です。そうして、教育委員会にも社会教育課というのがありますが、県庁内においても、その機構内に社会教育課というのが置いてある。そうして大がいの知事さんは、私は統計的に大体持っておるのですが、選挙前になると、その社会教育課長に最も自分の信頼する腹心を置くのです。そうして……、
  61. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 質問を……。
  62. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 これが質問の前提ですよ。これがなければ質問できませんからね。そうして、あるいは青年団教育、あるいは婦人会、こういう方面に対する働きかけというのは、予算の編成権とその執行権を持つておるだけに、非常に活発になる。この立場から私は非常に懸念しておる点は、学校教育においてもそうですが、この法案が成立した後に、また地方における社会教育は、これはりっぱな知事さんもいらっしゃいますが、ずいぶんと私は自主性と中立性を侵されるのではないかと非常に懸念をいたしております。その点と合わせて、二点についてお答えを願いたいと思います。格別な御答弁がない限り再質問いたしません。
  63. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 現在の各府県の予算の姿がどうなっているかという問題が一つあると思います。教育費と一般行政費とが果して均衡が得ているのかどうか、これは各県の予算を分析してみなければ結論は実は出ないのでありますが、私の大体の大きな筋として考えますることは、この両者の間におきましては、教育費の方がむしろまさっておるというふうに大体判断を下しております。すなわち、地方自治庁におきまして作られておりまするところの地方財政計画、これには教育についての基準財政需要というものがちゃんとあるのです。その他の行政につきましても基準がございます。その基準に照らして、現実の各府県の予算を分析いたしてみまするというと、自治庁で考えておる基準を、各府県とも教育費は上回っておるというのが現実の実情であります。そこで、教育費というものが一般行政費から非常な圧迫を受け、犠牲になっておるという事実は、これはない。そこで地方財政の赤字に非常に苦しみます県といたしましては、何としてもこれは全般的に引き締めていかなければならない。その場合に、やはり教育費とその他の一般行政費と均衡を得つつ緊縮していくというねらいでやっておると思います。で、それが教育費が各府県の予算の地位を非常に多く占めておりまする関係から、同じ均衡を得た緊縮にいたしましても、重圧が非常に教育にかけられたような感じを持たれることは、これはあり得ると思います。特に各府県知事として教育費にしわ寄せし、これを犠牲にいたしまして、地方財政の再建をはかっていくというふうな考え方は、毛頭持っておらない。なるべく一つ教育重要性にかんがみまして、教育費の圧縮というものを少くしていきたいという気持でもって、各府県知事とも非常な苦労をしているのが事実でございます。この点は一つ、今後ともさような方向で進むことは間違いないのでありまするから、御了解をいただきたいと思います。  それから中立性の問題でございますが、知事といたしましては、県民すべての方々に、そ党派を問わず重大なる責仕を持っておるわけであります。そこで教育のことにつきましては、やはり重大なる関心を持ち、できるだけの協力を日々しなければならぬ、また、教育以外の一般行政というものがやはりこの教育的な観点から各府県知事はこれを取り扱っていくというのが実情でございます。さような関係から、特別な組織を持っているところも確かにあるかと思いまするが、選挙が近くなって、そういうことを極端にやるというふうに、あまりこう悪くおとりをいただきませんで、日々教育のことについては一生懸命やっておりますので、選挙が近くなると、ただ目立つだけのことでございます。(笑声)さような意味に御了解をいただきまして、教育については一生懸命やっておるということだけで、一つ御了解を願い、決してこれによって中立性というものは侵害されるものでない、かように実は考えているのであります。
  64. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 第二の答弁はそれで開きおきます。第一のお答えなんですが、これは知事会長さんのお耳に入れておきたいと思う。時間がないから長く申し上げませんが、われわれは国会で予算を審議するとき、たとえば本年度の文教関係では、定時制、通信教育とか、理科教育、産業教育、公立文教施設、学校図書館、これらの関係の予算が全部減ったわけですね。減になった。その理由を説明するときに政府は何と説明するかというと、これらは結局一部国庫負担、それから一部は自治体の自己財源でまかなうわけですから、だから自治体において受け入れ態勢が整わないからこの予算を減額したのだ、こういうふうに言って、予算の審議を求めている。この事実と、それから、かりにこの予算が成立いたして、たとえば定時制教育等の予算が成立して、そうして文部省が各県に、どうだ、受け入れないかと、こういうふうに交渉しますと、その県は受け入れができないというので返上しておるわけですね。こういう事情なんですから、果してそこに私はさっきあえて教育基本法第三条をあげたのですが、文部省から割り当てられたのを、それの受け入れ態勢だけを作るか作らぬかということは、これは果して地方において首長が教育にどの程度の熱を持っているかいないかということにきまると思うのです。こういう国会答弁が政府側でなされているということと、それから文部省行政面にこういう事実があるということだけ全国の知事会の会長さんの友末知事のお耳に入れておきます。どうぞよろしくお願いいたします。
  65. 友末洋治

    公述人(友末洋治君) 十分拝承いたしておきますが、なるべく知事といたしましては、教育に関する文部省の補助は返上しないという方向でいっておるわけでありまするが、しかし全般的に財政が苦しくて負担できないという場合においては、お返ししなければならぬものが出て参るのであります。その場合におきましては、ただ教育予算ばかりじゃございません、建設省、農林省方面の補助、あるいはその公共事業というものまでも涙をのんで返さなければならぬという県がありまする次第でございまして、ただ教育予算だけ先に返すということでなくて、全体的ににらみ合せまして均衡のとれた返上をする。その際でも、教育費だけは何とか苦しくてもやるというのが、各府県のほんとうの気持でありまするから、御了承願います。
  66. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 以上をもちまして友末洋治君に対する質疑は終了することといたします。  今朝来小林武君、友末洋治君にお忙しいところお差し繰り願いまして、本委員会のために貴重なる御意見を拝聴させていただきましたことを厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。  午前中の公聴会はこれをもって休憩をいたします。    午後一時二十二分休憩    ————・————    午後二時十二分開会
  67. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより文教委員会公聴会を再開いたします。  最初に高木裕君から公述をいただくことにいたします。
  68. 高木裕

    公述人(高木裕君) 私は熊本県PTA連合会の会長を勤めております高木裕であります。  昨日来、学識経験のおありになります先生方の賛否両論にわたっての御意見を拝聴いたしまして、理路整然、まことに論旨の徹底しておることに感銘いたして聞いたものでございまするけれども、私自体非常に口下手であります上に、最近少し強度な中耳炎をやっておりまするために、お聞き取りにくい点もあるかと思いますが、しばらく私の意見をお聞きいただければけっこうだと、かように考えます。  私はPTAという立場から、父兄という立場で今回の法案について申し述べてみたいと思うのでございます。私たちPTAも発足いたしましてから、すでに八年の年月を経て参りましたが、その間きびしい批判を受けましたけれども、とにもかくにも今日ほど父兄一般が教育に関心を持つようになり、お母さんたちが足しげく学校の校門をくぐるようになったということは、これは一つのPTAの功績であると申してよろしいと思うのでございます。その間におきまして、教育の民主化、教育中立性教育の地方性の確立というようなことが戦前教育に比較していかに重大であるかということを学び取りまして、新教育にひたすら協力を続けて参ったわけであります。従いまして、今回の法案にいたしましても、毎日の新聞やラジオによって、地方にいれば地方におりながらそれを承知いたしまして、それについては重大な関心を持っているわけでございます。私たちは今回提案されております法案の中に、いろいろ親の立場としてどうも納得のいかない点があるのでございます。  その第一といたしまして、現行の教育委員会法の公選制がどうして任命制改正されなければならぬのかということでございますが、これについては、すでに昨日来学識のある先生方によって十分申し述べられたとは思いますけれども、私たちは私たちなりに教育委員会法を繰り広げてみますと、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行わるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行う」云々とありまするが、これは教育基本法の中の不当な支配を受けることなく、国民全般に対して直接責めを負うて行わるべきであるという条文と全く同じでありまして、教育の主体、主人公は国民自身であり、地方の教育は地方の住民が主人公であるということを教えられておると思うのでございます。私たち父兄も教育自分たちのものだということに気がついたわけでございます。そこで自分たちのものだと気がつきましただけに、この教育が不当の支配から守られなければならぬということを常に心配をいたしておるのでございますが、今回の法案のように、もし教育委員任命制に改められるといたしまするならば、その心配が沸いてくるわけなのでございます。と申しますのは、任命者が首長となっておりますので、その首長が、すなわち県においては知事さん、町村においては町村長さん、ほとんどと申していいと思われるのでございますが、政党に所属するか、あるいはそれを背景にして立っておられると思うのでございます。その政党を背景にし、あるいは所属していらっしゃる首長さんが委員任命するという場合には、おそらく常識から考えまして、反対立場にある人を任命するとは考えられないと思うのでございます。自然所属の政党の色彩が濃くなり、やがてはその支配下に置かれる危険性がないとは申されないと思うのでございます。そういたしまするならば、私たちが心配いたしておりまするところの教育が不当の支配を受ける危険性が多くなり、教育中立性が失われることをおそれるものでございます。公正なる民意によってという明文にうたってありまする通りに、自分たちのかわいい子供教育行政をゆだねる人は、自分たちの手によって、すなわち公正なる民意による公選によってこそ初めて得られると思うのであります。つまり政党を背景として立候補しておる首長の任命に支配をゆだねるよりも、公選により数名の委員の合議制の委員会による方が民主的であり、教育の真の中立制が保てると思うのでございます。しかも前に申し上げましたように、私どもは当初教育委員会が発足いたしました当時から考えてみますると、われわれを初めといたしまして、一般の方々もそうと思いまするが、非常に教育に関する勉強をいたしで参りました。正しい教育を確立するためには、正しい適切な人を選ぶという眼識もできて参ったと思うのでございます。教育に対する関心も非常に高まっておりまするので、今もしこれを公選にいたすといたしまするならば、その発足当時に比べますならば、よりよい委員の生まれるということは確かだと申していいと思うのでございます。さらに先に申しましたように、任命制委員会が、しかも原案送付権を持った委員会ができるといたしまするならば、地方団体の赤字を克服するという理由から、教育費に不当のしわ寄せが寄せられることがありましても、原案の送付権を認めない改正案といたしましては、どうにもならないことになるわけだと、こう思うのでございます。さなきだに現状はどうかと申しますると、すでに今日までしわ寄せが参りまして、その予算のいわゆるしわ寄せの非常に緊迫した教育費のしわ寄せに対しまして、引きずられつつも見るに見かねてその埋め合せをいたしてきたのがPTAでございます。先ほど知事さんのお話にもございましたけれども教育費はほかの何よりもずいぶん上回っているということをおっしゃられたのでございますけれども、私ども承知いたしております中には、その中の大部分を私たちPTAが負担しておるということには一言もお触れにならなかったことは、まことに遺憾と思うのでございます。本質的には援助的役割はすべきでないと言いつつも、かわいい子供のためという悲願に引きずられまして、負担しておるのであります。義務教育無償の原則などというものは絵に書いたもちにひとしいものでございまして、現在もしPTAが翻然本質に立ち戻りまして、援助的の手を差し控えるとしまするならば、おそらく全国の教育は立ちどころに窒息してしまうだろうと思うのであります。これを熊本市の例にとって見ましても、各学校の人件費、建築費を除いての経常費といたしましては、年額わずかに十万円か十五万円くらいしか一方で組まれておりません。あとの百万円内外のものは、みな父兄が負担しております実情でございます。なお県立の高等学校におきましても、父兄はそれよりもさらに多額の負担をいたしておるのでありまして、PTA立高等学校と言われておりまするのも笑えない事実でございます。さっき産業教育、理科教育振興の補助金についてのお話がございましたが、これとてさっきのお話によりますると、県に予算がないから政府の方に返すということがございましたけれども、その返す前にまだ一つ問題があるのでございます。と申しますのは、これこれの産業教育はお前の方に割当が来ている。県には予算がないからお前の方の学校のPTAでそれを持つならばとってやる、そういう申し渡しを受けて、校長先生はしょう然として各学校に帰ってこられた。せっかく理科振興とか、あるいは産業振興のために割り当られた金が県からもらえずに、すぐPTAに御相談になるわけでございます。もしPTAでやりくり算段ができましたところは、その半額の補助にあずかりますれども、そのやりくり算段の輝きなかったPTAは遺憾ながら半額のものがきておりましても、それを目の前に、返すのを見送らなければならぬという状態でございます。先日私の所属しておりまする高等学校の図書館を必要に迫られて建てたのでございます。そのとき県下から約七校ばかりの申請がございました中に、幸いにして私の方の一校が取り上げられたのでございます。全予算二百万円、その中で県の補助がようやく私たちがもうあの手この手で運動いたしました結果が四十万円をいただきました。あとの百六十万円は父兄の手でととのえまして、ようやく図書館を建てたような実情でございます。さっきの知事さんのお話を伺っておりますると、非常に教育費は上回っておる、上回っておるとおっしゃいますけれども、その陰に全国二百億に近いようなPTAの負担しておることを一言もお触れにならなかったということは、私はまことに残念であったのでございます。もはや私たちのPTAの負担も限界に達しておりまするが、かような状態にありますとき、さらに今度の改正案から予想されるようなしわ寄せが参るといたしまするならば、これは大きな問題だと言わなければならぬと思います。  さきに、熊本県におきまして、さっきもお話ございましたが、再建整備法の適用を受けることが議決されまして、その準備としてまず教育に与えられましたワクによりまして、非常な大きなセンセーションを巻き起したわけでございます。それは条例といたしまして、四月初日に、新学期初めに発令さるべき人事異動が再建整備法の適用を受ける準備がおくれましたために、五月初日までに持ち越されまして、現場に非常な混乱を起しましたが、そのワクと申しますのは、当初県が教育ワクとして与えられたもの、いわゆるその県の赤字を教育費として埋めなければならん額を、先生方は一律に四十八才でやめてもらう、そうして一斉に二号俸のベース・ダウン、それをがまんしていただかなければ、再建の赤字財政を埋める申請はできないという申し入れだったのであります。ところが教育委員会ではこれは非常な大問題として、再三再四県と折衝いたされました結果が、ようやく五十二才という退職の年限、共かせぎの場合は、一方どちらかが年収三十万円の場合はいずれかにやめてもらいたいというこの線が出たわけでございます。従いまして、勧奨を受けた教員が六百三十三名、それによって退職いたしました者が四百五十五名、うち校長が百十七名、昨年はやめた校長が三十三名でございましたが、今年は百十七名という多数に上っております。もしこの県教育委員会の必死の努力が払われなかったといたしますならば、あるいは当初の四十八才退職、二号俸ベース・ダウンという全国に類例を見ないケースができたかもわかりません。今五十二才という退職勧告には、五十二才という年令の位置からいたしまして、社会的に大きい問題を残しているのでございます。教育委員会がなぜそういう線をのまなければならなかったかと申しまするならば、再建法、それを知事というものを通してその適用を受けます条件といたしますのには、これにはなかなか抗じきれなかったということでございます。しかしまだ原案送付権というものもございますので、それをうしろだてとして、極力知事と折衝いたしました結果、ただいまのような線に落ちついたのでございます。しかも、それによって定員定額の線も非常に縮められて参りまして、小学校における学級編成の数が六十二名、中学校においては五十九名、これもおそらく日本では全国においても最高の数だとこう考えております。  かような事例から考えましても、それに抗じ得る公選による委員会、しかもそれが原案の送付権を持った委員会が存在しなければならないと私は痛切に感じるのでございます。さような姿におきまして、もしこれが任命制になります場合には、委員その人が唯々諾々の姿でそうしてこれが通されるといたしますならば、今後かように似たいわゆるもっと酷なものがいろいろ参りましても、それがうのみに通る危険性があるのではねいかということを心配いたすのでございます。しかし、私は現行の委員会法が決して完全でよいとは申さないのでございます。たとえて言いますと、設置範囲が町村という狭隘な区画の中に置かれたことなどは、一日も早くこれは改めらるべきではないかと思うのです。今度の改案の中にこれが取り上げられなかったというのも、私は一つは不思議だと思っております。熊本県におきましても、ある僻陬な村におきましては、一村一校という村がございます。その学校には六、七人の先生がおられますが、その六、七人の先生のおられる学校に対して、五人の教育委員と一人の教育長と、別に事務を担当する人がおった。すなわち学校の先生の人数と教育委員会及び職員の数とが相同じいというような形は、どうも私はこれはおかしいと思うのです。こういう場合において町村の負担が大きいということは、私はうなずけると思うのでございますけれども、この姿は現在においては町村も合併の域にありますので、やや解消はいたしたと思いまするけれども、この狭隘な地区に設置されるということは、相当考えなければならぬ問題だと、こう思うのでございます。  これを要しまするのに、教育の民主化、中立性を確立するという基本として、教育委員会は公選により、原案送付権を持ったことがどうしても望ましいということを私たちの立場から考えるのでございます。  次に教科書以外の教材を使用する場合、教育委員会に届けさせて、あるいは教育委員会承認を受けさせることとする定めを作るという個条でございますが、私どもは現在の教育の形で最も教育効果の上っておりまするのは、教育書以外のワークブック、視聴覚、実地見学等によるところが多いと思うのでございますが、私たちが子供の学習、勉強ぶりを見ましても、スライドやラジオや、新聞雑誌を通して、またそれを生かして教科書にマッチして教えられておりますために、子供たちの知能が広く開けていることに気がつくのでございます。そのためその教材、たとえば幻灯機械、スライド、校内放送設備、あるいは諸雑誌の購入などについても、私どもPTAとしては、全国どの学校においても相当な犠牲を払っておられると思うのでございます。これが利用に当りまして、もし一一承認許可を得るということになりまするならば、事実上私はその機能を害するばかりでなく、場合によっては用をなさないようなことさえ考えられるのでございます。たとえば毎日の新聞にいたしましても、ラジオの放送にいたしましても、実際問題として一つ一つ承認許可を得るということが実際にできるものだろうかと、こう思うわけです。かりにできるといたしましても、それを教材として取り扱うのが良識ある先生であることを信用すべきだと思います。もしそれに信が置けないといたしまするならば、土台から全国の先生に教育をゆだねることができないわけでありますし、教材を取り扱うのに心配が要るような先生がもしあるといたしまするならば、これを御心配になる文部大臣よりも、じかじかに毎日顔を合わしております私たちPTA会員の方がもっとよく知っておるはずでございます。御本人に対して忠告もいたさせましょうし、場合によっては校長にも、教育委員にも、そっと耳うちをして善処してもらうほどのPTAとしては成長いたしておると確信いたしておるのでございます。いつかPTAは常に教育に対して番犬、忠犬の役割を務めなければならぬということを聞かされまして、なるほどと思ったのでございまするが、外に対しては不当な支配権力に番犬の役目を務め、内には場合によっては会員の仲間、先生たちにも白刄を向ける忠犬となれという意味だと存じます、今日のPTAもそれくらいの役割を務めるまでには成育いたしておると私は思うのでございます。そこでこの教材の個条にいたしましても、私たち父兄も決して無関心ではございませんので、あくまで教育者としての先生方の良識に信を置くことによって解決する問題ではないか、こう思うのでございます。先日も新聞で見たわけでございますが、薄給の中から金を割いて貧困な児童に教材を買って与えて、他の子供たちにおくれさせまいと、陰徳を積んでいた先生の記事が載っておりましたが、かような事例は全国にずいぶんたくさんあると思うのでございます。今いろいろと指摘されておりまする、たとえばかりに偏向の教育をするというような教員がもしあるといたしましても、一方にかような陰徳をする善良なる先生もたくさんあることを思いますとき、私たちはそれほど、心配するにも当りませんし、こんな先生がたくさんおられる限り、かような懸念はないものと思っておるのでございます。この条項では特に今の先生方に御勘孝を一ついただきたいと思うのでございます。  私は、なおいろいろと申したいと思うのでございますけれども、想多くして言葉にまとまりにくいのでございますので、何か質問がございましたら、それに答えさせていただくことにいたしまして、一応私の公述を終りたいと思います。
  69. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ただいまの公述に対しまして、質疑のある方は順次御発言を願います。
  70. 中川幸平

    ○中川幸平君 学校教育について、非常な関心と熱意をもっていらっしゃるPTAの連合会長の公述人からいろいろ意見を聞かせていただきまして、感謝いたしております。ただいま私どもの手元へ全国のPTAの皆さん、あるいは婦人会の会長、小学校の先生方、いろいろこの法案の措置についでの陳情がたくさん参っておるのでございます。われわれはどこにさように子供のために心配になる点があるであろうか、どこに国家権力の支配に流れでゆくおそれがあるという個条があるであろうか、いろいろ不思議に思っておるのでございまして、これは法案の内容を一々検討を願っておらん点にあるのではなかろうか、公述人の方も御承知の通り、大学の学長たちが非常に強硬に反対の理由をあげておられ、昨日の公述人の方からもさような点を指摘された方もあったのでありますが、今公述人の方から公選制をやめて任命制にしたならば、教育の民主化が阻害されるというところに非常な御意見の発表があったのであります。現在の教育委員会運営を全国全般とは申しませんが、なるほど教育委員会それ自体は教育行政をつかさどっておることは間違いはないのであります。しかしながら個人々々は、私見を申し上げておそれ入りまするが、私は個人々々はあくまでもその首長の協力者でなくてはならないということを、常に申しておるのであります。申すまでもなく、各都道府県の知事あるいは市町村長は、住民の直接選挙であり、またそれぞれ議会を持って、議員はそれぞれ住民の直接選挙である。また今日の憲法によって、知事市町村長といえども、決して県の権力者でもありません、また市町村権力者でもないのであります。あくまでも住民の市政であり、市政でなければならぬ。新憲法下その人たち任命し(「質問々々」と呼ぶ者あり)選考したことについで、さような心配はないように考えるのでありますが、従来の旧憲法下における政党政治のようなお考えで、やはり今日の新憲法下においてもさような心配があるかどうか、今一度御意見をお伺いいたしたいと思う次第であります。
  71. 高木裕

    公述人(高木裕君) 私はその点につきましては、公選という性質から考えまして、人を選ぶ手段としては、これが一番理想的なものだと考えております。ことに教育委員という性質から考えまして、その教育の中立をはかり、しかもその教育が私たち父兄、いわゆる一般の自分たちのものだという観点に立っておりまする場合、その人たちのいわゆる民意によって公選に付されるということは、私はこれはただいま先生のおっしゃった意味よりも、その方がよほどまさっておると自分たちはこう考えておるのでございます。
  72. 中川幸平

    ○中川幸平君 熊本県はどうか知りませんが、教育委員選挙はこれで三回、一々の選挙を検討いたしますると、先ほど茨城県知事公述されましたごとく、非常にわずらわしいというところから、適当な人が立候補してくれません。あるいは無競争になる、無投票に触る、また多額の経費を使って教育委員になったいわゆる政治家というか、そういう人たちは、おのずからその後の運営について、好ましからざることがわれわれの耳に入っておる。この際にあるいは公安委員のごとく、人事委員のごとく、あらゆる点から選考して、議会の同意を得て任命するということで、心配がないではないか、熊本県の現状から今一度お考えを願って、御意見を承わりたいと存ずる次第でございます。
  73. 高木裕

    公述人(高木裕君) これはひとり熊本県でなく、教育重要性考えましたときに、どうしてもその中立を、教育の中立、いわゆる不当の権力に支配されることがないという一つの観点に立ちました場合に、私はその教育の中立を守るという一つ委員制度、いかなる観点から考えましても、私は公選制任命制にまさると、こう考えるのでございます。と申しますのは、ある首長及び町村長がいろいろ民意の選挙によってでき上ったものだ、それが選ぶのには間違いはない、心配はない、こういう御意見のようでございますけれども、さっき申し上げましたように、私どもは首長とかほとんどの町村長さんは、政党の背景におかれて立候補なすった方が多いと思うのであります。勢いそれが、その支配が、その任命に対してそういう色彩を帯びることは、これは私は明白であると、こう思うのであります。そういたしますと、その政党の色彩を帯びました、その政党の一つの色彩を帯びた事自体によって、教育がその都合によって左右されるというような危険性があると、こう思うわけでございます。従いまして、直接私たち自体、父兄が選挙いたしました委員によって、教育がゆだねられるということが、私は最も優秀な手段である、こう考えるわけであります。
  74. 中川幸平

    ○中川幸平君 繰り返してお尋ねいたします。ただいまも申しました通り、現在の教育委員会運営が、委員会の同意を教育長が執行するのが当然である、それがこの委員会があたかも教育長のごとくいろいろ活動しているから、さような御意見も出るのじゃなかろうか、個々の委員はなるほど任命制、これは公選とは多少どうかと考えることはごもっともでありますけれども委員会自体は決して知事任命ではないのであります。さような点に区別をしてもらって、今一つ意見を承わりたいと思います(「ちょっと前提が違う」と呼ぶ者あり)
  75. 高木裕

    公述人(高木裕君) 委員会委員の個人との違いは私もよく存じておりまして、委員会をどの委員でも代表するものじゃないということも存じておりますけれども委員会委員とは、その委員会は選ばれた委員によって構成されるのでありまして、その構成する委員を選ぶ手段として行われる選挙が、私はどういたしましても、ただいま申し上げた公選制をとりたいと、かような意味であります。
  76. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 私は今高木さんがきわめて真摯な態度で、また純心な気持でもってそうしてお述べになったことは、御陳情という点から考えますならば当然なことであり、またその御趣旨に対し、敬意を表します。ただ私は一点だけ承わっておきたいというのは、ただいま三十三条の教材の問題に言及しておいでになりますが、あなたは旭丘事件であるとか、あるいは山口日記であるとかいうものをごらんになりましたかどうか、またごらんになりましたら、それに対する御感想が承わりたいと存じます。
  77. 高木裕

    公述人(高木裕君) 直接私はそれを見ておりませんけれども、私の耳にいたしたことによりますると、私はあの事件自体も、PTAが相当私の希望いたしますような機能を持っており、そうして賢明なるPTAがあそこにありましたならば、ああいう事件は私は起らなかったのじゃないかと、こう考えております。しかも、私たちは特殊な、あの少数の事例をもって全部の先生方を同じような意味に律せられることにはどうも賛成しがたい、こう考えておるのであります。
  78. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 それだけ伺ってもうよろしいです。
  79. 笹森順造

    ○笹森順造君 PTAが教育費の負担についで貢献のありますことは、私どもも、十分の体験上認めでおるところであります。ところでそれが、しかし国の負担あるいは都道府県の負担というものが、むろんその足らないところをPTAが補っておりますが、根本的の大きなものはそこにある、これは言うまでもないことだと思います。従いまして、PTAのそうした配慮についてはむろん敬意を表するところでありますけれども、国としての責任、また地方自治体、都道府県としての責任、この点について、また私どもはこの法案を審議するに当って、あるいは予算を審議するに当って重大な責任を感じておる次第であります。ゆえにそれについてお尋ねをしたいのでありますが、結局私どもが現在の委員会法にしても、あるいはさらに提案されておりまするこの法案にしても、教育費の充実ということにどうにかして結果づけたい、こういうようなことが考えられておる次第であります。そこでPTAとして、つまり父兄としてあるいは教育委員会に接触を持ち、あるいはまた国なり都道府県の首長に対して関係を持ちました場合の御体験一つ伺っておきたいことがあります。  それは申し上げるまでもなく、従来首長にありましたところの教育、学術、文化の事務が委員会に移行いたしまして、委員会は予算を編成して歳入歳出の見積りを首長に出す、首長は財源措置をしなければならない。歳出の見積りを首長が、もしも他の行政費の必要上特に措置をしていこうとしましても、これは独断専行は許されないことになっておるのは御承知の通りであります。従いまして、委員会意見を守らなければならない、その上明細の合法的な付記が要求せられておる。従って首長というものは財政的措置の苦しみを十分に負わされている、そしてまたこれはしなければならない立場になっておる。しかるにそうした苦しみを負いながら、一たんその予算が決定されましたのちにおいては、現在の委員会法によりますると、その委員会に一切のことをゆだねてしまわなければならない。しかも首長は発言権さえも持たない。ゆえに首長は金の心配だけをして、つまり跡始末だけをさせられているというようなことからして、何かしらんけれども、二元化にあることから起ってくるというような弊を私どもは随所にこれを仄聞しているわけでございますが、こういうようねところに今までPTAとして御体験があるかないか、伺っておきたいと思います。
  80. 高木裕

    公述人(高木裕君) 私は不幸にいたしまして、原案送付権というものがありますために、それを行使して委員会と役場、町村の場合は役場、それから県教育委員会の場合は県といがみ合ったという事例はあまり見かけないのです。と申しますことは、原案送付権というものを使うんでなくて、それをうしろだてにして、私はその前に町村町村なりに話し合いができておると思います。その場合に私は原案送付権というようなおそろしい名前でなくて、そういう場合は私は一つの潤滑油になっておるのではないかとさえ考えておる次第であります。で今御意見のございましたように、首長もいろいろ御心配になっておるということはわかっておりまするけれども、その間は十分に話し合う機会が与えられておりましたので、現行の委員会においてまだ私の知っております限り、いがみ合って非常な教育に混乱を来たすような、支障を来たすような事態は耳にいたしておりません。
  81. 笹森順造

    ○笹森順造君 私はそういう事例を知っておるから申し上げたのでありますが、お聞きになっておらなければそれでけっこうでございます。  そこで、なお進んで教育財政の関係でありますが、私ども運営上この二元化ということに対しで非常に困難を体験しておりますことの一つは、敷地、建築の問題であります。市町村におけるこの敷地、建築の問題の大部分は、これは学校問題と言っても最近は差しつかえないと思いますが、その敷地の設定、変更、校舎の営繕、保全の計画を実施しますにつきましては、委員会がその要、不要、適否を決定するという立場にございます。ところがこれは非常な幅のあることであって、弾力性のあるところでございます。従って理想的に大きく言うことは、これはどなたも望むことでありますが、この考え方が首長と議会は財政的な権限を持っておりますので、従って両者の間にいろいろと調整の困難がある、こういうようなことを私どもは随所に見ておりますが、そういうことに関する考え方は、今までの御体験上ございませんか。
  82. 高木裕

    公述人(高木裕君) そういう何は持ちませんけれども、私はそれと全く反対の事例を一つ持っております。と申しますのは、これは熊本県のM町で——M町としてお許しいただきたい。M町で昨年の十月でございましたか、小学校を新築するに当って、旧校舎を首長が委員会に無断でぶっ倒してしまいまして、そしてそれを随時教育委員会の許しもなしに売ってしまったという事実がございます。で教育委員会からそれに対して抗議を申し込みましたところが、もうお前たちはやがて寿命がなくなるのではないかということで、抗しきれなかったという笑えない事実もあります。私はそういうことも目の前に見ておりますために、さっきのような杞憂も考えんでもないのでございます。
  83. 笹森順造

    ○笹森順造君 いろいろ今の公述人の御体験と、私の見聞との間には間隔もあるようでございます。これは議論になったりしてはいけませんから、そのことは説として拝聴いたしまして、そこで次に私どもはこの法案において考えますことは、何と申しましても、今度は委員会の性格が公選制から任命制になるということにつきまして、やはり一つの修正がある、その根本的な意味においては、私どもは別の観点を持っておりますが、従いまして、この新しい法案において考えられますことは、どうしても首長というものは、端的に申しますると、知事権限相当大きくなってくるということになります。この点について私どもいろいろ研究を進めて参ったわけでありますが、御案内の通りに、この教職員の免許状というものの授与、これがどうなっておるか、さらに給与支給の支弁者はどうなっておるかということを考えてみました場合と、さらにまた進んで、先ほどちょっと私聞き漏らしたので、あるいはあなたのおっしゃったことを誤解しているのが知りませんけれども、この任命権者は、この市町村の設立の責任にありまする……学校の職員であっても、結局任命権者は都道府県の委員会である。ただそれは市町村委員会意見を聞かなければならない、こういうことになるのでありますが、私とあなたの陳述とは反対のような印象を受けましたので、ちょっと誤解しているかもしれませんが、いずれにいたしましても、県という、都道府県という一つの単位がそこにあって、一切の運営が円滑にいくということではなかろうか、それがそうでないことになった場合に、いろいろな支障を、撞着矛盾がくるということを、心配するのです。結局するところ、都道府県知事にある一つ権限と申しまするか、運用の責任を持たせるということが円滑に行くことになりはせんか、これが父兄として今まで得られました御体験から一体どう考えられるか、この法案に盛ってありまするこれのいい点ではなかろうかと思うので、お尋ねするわけであります。
  84. 高木裕

    公述人(高木裕君) お説ごもっともと思いますが、私はそれが理想的に運営されれば、それはそれでもいいと思います。どうもさっきから申しますように、政党を背景として選ばれた知事が、いわゆる下からの盛り上った全部のものをお用いになるという場合、どうも私はそこに何か一つの政党色を帯びるとか、あるいは知事の支配下に置かれるというようなことが、いわゆる教育の中立が保てないという危惧を持つのであります。
  85. 笹森順造

    ○笹森順造君 これはしばしば他の公述人とそれから私ども委員との間に質疑応答がかわされましたので、あまり重複することは避けたいと思いますけれども、やはり公述人のあなたの御発言は、公選制任命制になったことには反対であるという御意思のように伺います。それはこの中立性が侵される危険がある、こういうような御趣旨のようでありますが、それについてこの法案は非常な配慮をしておる。これはしばしば言われたことでありますが、第四条の三の条項はすなわちこれである。すなわち公選制によると、この新しい法案の第四条の三項のような配慮が行われないような結果が事実起るのじゃないか、これが立案者の趣旨であったように思いますが、この点に対するところの御理解はどう思っておられるか。さらにまた第八条というものが一そう、今あなたがお話になりましたが、その中立性を侵すということのもし危惧があるならば、これを補って余りある配慮が十分なされておるのじゃないか、こういうことに対しての御理解がどうあるか。野放しの——野放しと言っては語弊がありますが、現在のような公選制をむしろこうすることによって、中立性が保たれるということに対するあなたの御理解、御見解を承わりたいと思います。
  86. 高木裕

    公述人(高木裕君) ただいまの三条……
  87. 笹森順造

    ○笹森順造君 四条の三項であります。それから第八条でございます。
  88. 高木裕

    公述人(高木裕君) 第四条の三項は、今私覚えておらないのでありますが、急な御要請でありますので、不幸にして全文について目を通しておりませんが。
  89. 笹森順造

    ○笹森順造君 これは「委員任命については、そのうち三人以上(前条ただし書の規定により委員の数を三人とする町村にあっては、二人以上)が同一の政党に所属することとなってはならない。」と、こういうことが前段のことでございます。さらに第八条は「地方公共団体の長の選挙権を有する者は、政令で定めるところにより、その総数の三分の一以上の者の連署をもって、その代表者から、当該地方公共団体の長に対し、委員の解職を請求することができる。」、これを私は民主主義の原則によって、リコールの問題は非常に大事な問題、ここまでの配慮があって中立性を保とうというこの根本が民主主義のルールであると、これが世界各国の、最も発達しておると考えられます英米における考え方で、これがここに浸透しておるということに対して、こう配慮までなされているということの御理解がなくてお話しなすっておるのかどうか、法案をごらんなすっていないとすれば、これ以上お尋ねすることはむだだと思いますので……。
  90. 高木裕

    公述人(高木裕君) 第何条ということの記憶がなかったのでありまして、そういう配慮をしたことは存じでおりました。私はこの三人以上、配慮してあるということは、十分にこの中にお考えになって配慮してあると思うのでございますけれども、その前に、任命制ということの前の問題を非常に私は心配するわけであります。民主的なルールということを今おっしゃいましたけれども、私どもが戦後学びとりました戦後のルールということに対しては、公選というものが一番理想的なルールであるということは、私ども考えております。あくまでもそれによって行動することが理想であると、こう考えておるわけであります。
  91. 笹森順造

    ○笹森順造君 この公選制のことにつきましては、それは今お話しになったことを私は否定はいたしておりません。その点はやはり私も同意をしております。ただこの法案の中に盛られておりまする考え方は、結果的に見て、それがいろいろとこうした方がよかろうということについての議論が先ほどから再々戦わされておりまするので、これは事実の問題と比較しての話で、これ以上これは議論になりますので申し上げませんが、私のとにかくいろいろお尋ねしていることは、その前にある任命制ということに対しましても、やはりその背後には公選制ということが土台になっているのだ、つまり間接選挙か直接選挙かということになりますので、選挙の方法にはいろいろあるということでありますので、私は公選そのものを根本から否定するのじゃなくて、任命制ということも、その背後には公選制が土台になって生まれてきているのだ、昔のような天降り的なこれは国家主権の上から来ているのじゃないという考え方があるのでありまするが、それに対する御理解がありさえすれば私はあえて問わず、あなたのお考え方はそう私と懸隔がないのじゃないかというふうに考えますが、これは任命制の陰に公選制があるということの御理解があるかどうかということをお伺いしたいと思います。
  92. 高木裕

    公述人(高木裕君) 私は公選制という制度は、さっきからくどくど申しまするように、先生方がやはり公選でお出になって、この場で非常に教育に熱心に御討議、御研究なさいますように、私も、同じく教育委員も同じ方によって、教育委員会に理解のある方によって選ばれた人たちによって教育がいろいろとそういうふうに討議、研究せられ、そうして審議せられるということが一番理想的な形だということを考えておりまするが、間接の選挙よりも、やはりその意味におきまして先生方が同じ公選でお出になってみて熱心に御討議なさると同じような意味において、公選制が望ましいと私考えております。
  93. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 非常に貴重な御意見を伺いましてありがとうございました。特に私は今度の法案を検討するに当りましては、どうしても子供を学校に預けておられるPTAの立場からの御意見を伺いたい、かように考えておったのでございます。聞きますと、高木さんは公募による公述人としておいでをいただいたようでございます。まことにこの点感謝にたえない次第でございます。先ほどはPTAの役員として、いろいろ学校教育に協力をせられたその実情から御意見を伺ったのでございますが、私もこの間郷里へ帰っておりまして、PTAの方からこういう質問を受けました。それは今度の法律が通ったら、PTAの会費が安くなるのですか、高くなるのですか、私はこの質問を聞きまして、非常にこの法案がPTAの方々にどんなふうに映っているかということを知りまして、がく然と一面はいたしましたが、またほんとうにこの真実な点をつかんでいらっしゃるのじゃないか、むずかしいその法律内容は何もわからぬでも、この法律が通ったらPATの会費が安くなるのですか、高くなるのですか、こういうその何というのですか、核心をついたような質問を受けたわけでございます。先ほどからお話を伺いますと学校運営費、運営のためにPTAが多大の物質的な御援助をなさっておる、この御援助は並み大ていではないと私も考えておるわけでございます。また私がPTAの方から受けた質問とも思い合して、今日PTAの皆さんがいかに重い負担をしておられるかということは、ひとり私は、熊本県だけでなしに、全国のどこの村へ行ってもどこの町へ行っても同じような苦労をしておられるのではないか、かように感ずるわけでございます。  そこでお尋ねをいたしたいのでございますが、こういう学校教育に協力をしてPTAの相当な寄付をしておられる、こういうことについてPTAの皆さんはどんなふうな感じを持っておられるか。政治に対しても、いろいろな問題に対してもどういう感じを持っておられるか。私は非常に教育に熱心である父兄の方々が苦しい中からPTAの寄付をして、そして学校のいろいろな図書をそろえる、あるいは備品をそろえる、並み大ていでないと思うのであります。そういうふうな努力を払ってでも子供教育のためには協力しなければならぬ、こういう尊い気持でやっておられると思うのですが、しかしその間にも限度があると思うのです。いろいろPTAの皆さんに悩みがあると思うのです。そういう点をもしここでお聞かせ願えればけっこうかと思うのですが。
  94. 高木裕

    公述人(高木裕君) この問題は日本全国のPTAが持っておる一番大きな悩みの問題だと思うのです。と申しますのは、PTA始まって以来、義務教育の無償の原則を打ち立てるために予算の獲得にこれ努めて叫び続けて参りました。しかるに現実はそれと反対にだんだん負担が過重になって参っております。従いましてそのよってくるところに対しましては、父兄は非常な不安と、それを知りたがっておるというのが現在の姿だと、こう思うわけです。さっきも申し上げましたように、私たちは理科の振興、産業教育振興というような必要性をもって再三文部省あたりにも運動を続けて参りまして、やっとそれが国家の予算化されてわれわれはやれやれいよいよこれが実現したと、こう思って喜んでおります。国家から参ります。お金は地方公共団体が半額それを負担しまする性質から、さっきも申し上げましたように、知事からどうも県には金がない、だからお前の方で何とか心配するならば、それは文部省へ返さずにお前の方に渡してもいいという御相談があるわけです。その場合、校長がしょう然と帰って参りましたときに、私たちPTA役員会を開きまして、これはどうしたものかその場合でき得るならば学校の意に沿いたいというので、無理算段をしてもいわゆる理科振興の機械を買うとか、産業教育の施設をどうするとかいうことにしたいということに努めて今日まで来ておりますけれども、今お話しございましたように、すでにPTAの負担も私は限界に来ていると思います。さような意味から考えますと、私はさっきから知事さんもお話しございましたように、教育が一番上回っておって教育には十分な考慮をしておるとおっしゃるけれども、私たちは、人件費はなるほど非常に多いと思いますけれども、その他の施設、その他学校に対しての配慮のお金に対しては、私は今のようなことで実際高等学校でも、あるいは地方におきましても、町村もPTAがなくして実際運営が果していくのかという現実の姿を悲しみたいのであります。従いまして各PTAの会員、下層の方にはさようなことを心配して、ただわけもわからずに出せということで出しておるだけでございますけれども相当そういう負担に耐えない家庭も今日できておりますことを考えますときに、役員をいたしております私たちにとりましては、常に心を痛めておるわけでございます。今の現状といたしましては、もう私は限界点に達しておると、こう思っておるわけであります。
  95. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 高木公述人に対する質疑は、もう時間が過ぎておりますので簡単にお願いいたします。
  96. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 私は高木さんが公募による公述人であるということを知りませんでしたから、補足的の質問を簡単にさせていただきます。  それは先ほど私が質問しました旭丘であるとか、あるいは山口日記であるとかいうものについて、どういうお考えになるかと言いましたときに、あなたはそれはわずかな例である、よって心配はないというようにお考えになりましたが、それは熊本県の熊本市などを中心にして局部的のことからそうおっしゃったのであり、あなたのような人格の高い、またあなたのような方であったならば、りっぱな方であったならば、さように取り計らっていただけるということを重々了承いたします。しかしながら今日の状態、あの結果を見ますると、あなたは、単にその問題がそのままによって解決したというわけではないのでありまして、遺憾ながらあの問題は、この処置というものに対する帰着するところの方法がなかったがために、山口日誌にいたしましても、旭丘事件にいたしましても、何ら結論を見ずして、なすことをなさずにそうしてうやむやのうちにあれが葬り去られた感があります。ああいう問題に対して、どういうふうにあなたは解決したらいいかというお考えを持っているか。そこに初めて私は今度のこの監督というようなふうのことが必要だと考えます。
  97. 高木裕

    公述人(高木裕君) 私はその内容をよく……御満足のいく御返事を申し上げるほど内容をよく存じませんので遺憾に存ずるわけでございますが、私は、あの場合、もっとPTAが積極的に私は働くべきでなかったか、それを非常に遺憾に思っておるのであります。もしそれが、そういう事例が過大に、外に出すといたしましても、それが及ぼす影響を考えましたときに、もし誤まって伝えられるならなおさらのこと、もし事実であるといたしましてもさような場合にはPTAあたりが相当に私は、あの場合には働くべきではなかったかということを私は感じた次第であります。
  98. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 その問題については、あなたはどう処理したらいいかということについてお伺いしておるのでございます。
  99. 高木裕

    公述人(高木裕君) 処理の問題についでは、私さっきから申し上げますように、それ自体をあまり深く存じませんので何とも申し上げられないのでございます。
  100. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 それならもうそれ以上聞く必要はありません。
  101. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) さっき申し上げましたように、時間が過ぎておりますから……。
  102. 安部キミ子

    安部キミ子君 簡単に一点だけ。高木さんにお尋ねいたします。私は婦人の立場から、この子供教育ということについてはお母さん方が大へん心配しております。過日の母親大会にいたしましても、自分子供自分たちの地域社会の子供をどういうふうにりっぱに教育したらいいかということに熱心に討議がされました。その討議の最中にいろいろな問題が出ましたが、まず、先ほどから問題になっておりますPTAの会費が大へん重いということ、そうしてその負担に耐えられる家庭の方はよろしいのですけれども、そうでないお母さんたちの苦しみというものは、ほんとうにもう想像に余りあるものがございます。そこで私今度の法案が通りましたら、このお母さん方の苦しみが少しでもなくなるというふうなはっきりした見通しのある法案であれば、皆さん方PTAの方は賛成して下さると思うのでありますけれども先ほどあなたがおっしゃいましたように、なかなかそう安心のできない法案であると私も思います。そこであなたの知っておられる立場でよろしいのでございますが、そういうふうなPTAの会費も払えないような家庭はどうしておられるか、その点だけお尋ねいたしたいと存じます。
  103. 高木裕

    公述人(高木裕君) どこのPTAにもそういう家庭があると思います。しかしどのPTAにおきましても、それを置いてきぼりにすることは許されないのでございまして、互助の精神において何とか救いの手をかけておると思います。あるいは会費を免除するとか、あるいはその子弟に対しては教材、教具あるいは教科書その他までをPTAの会費の中から、しかもそれには細心の注意を払って贈られておると思います。細心注意と申しまするのは、子供に劣等感を持たせないために、先生と役員が十分相談いたしまして細心の注意を払って、そうしてその親に渡して親から教材なりあるいは教科書なりあるいはその他一切のものの救いの手を伸べるように、子供には劣等感を持たさないように配慮いたしてやっております。これはおそらく全国のPTA、いずれのPTAでも私は救いの手を伸べられておると思います。
  104. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 以上をもちまして、高木裕君に対する質疑は終了することといたします。どうもありがとうございました。   —————————————
  105. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 次に、林知義君から公述を求めることにいたします。
  106. 林知義

    公述人(林知義君) 私はただいま御紹介をいただきました横浜市教育委員の林でございます。本日は過去七年間余の経験をもととしまして、私の偽らざる体験をただいまから申し述べたいと存じます。  昭和二十三年十月に教育委員会が全国都道府県及び五大市に義務設置されました当時は、教育知事教育市長などと宣伝されました。また日本の再起は教育にあり、教育優先などという言葉が盛んに叫ばれました。従って私は責任が非常に重いことを感じまして、六三制の整備、戦災校舎の復旧、諸規則の制定などで毎月十数回の協議会をやりました。最も深く感じましたことは、独立した教育税のない委員会は完全に責任がとれないと感じましたので、財源の確立の声を上げ、運動もいたしました。しかしいろいろ調査研究しました結果、日本の現状では教育財源の独立というようなことの実現はほとんど不可能であることがわかり、これを思い切りました。また教育財政の確立ということは、財源の調達に責任権限を持っておりまする市長及び議会の積極的な協力なしには実現できないことを痛感いたしまして、市や議会の立場を尊重しながら、心から相提携し、諸施設の整備充実に精進して参ったのでございます。また昭和二十三年の後両三年の間、任意設置の時代に自発的にできました地方教育委員会は六十余ありましたが、そのおのおのの自治体は議会がありましたので、その業績は非常に良好であったことを認めます。昭和二十七年の秋、法に従いまして全国に地教委が義務設置されましてからは、改廃の議論がやかましくなり、知事会、市町会議長会、町村長会などは改革廃止の決議を行なっております。特に町村会は財政の膨張であるとか、権限などの問題を掲げまして、廃止に対しまして猛運動を展開せられましたことは、御承知の通りでございます。私は昨年一月に推されまして全国地方教育委員会の連絡協議会会長となりました。その前後を通じまして四囲の情勢を見まするに、政党及び関係団体方々が、この地教委に対しましてはこれを廃止すべしとの声がすこぶる高かったように私はその事実を認めております。私は地教委の育成のためには常に微力を尽して参ったのでありまするが、その存廃が危機にありと痛感いたしましたので、昨年十二月十三日日比谷公会堂で地教委総決起大会を開催し、現行法維持を声明したのであります。四面楚歌のうちに、同僚各位の涙ぐましい非常な努力によりまして廃止の運命を免れまして、新法案に合議制の執行機関として存続し得ましたことは、中正な教育維持のため慶賀すべきことと信じ心から喜び、また同僚各位に衷心敬意を表しておる次第でございます。私は二月任期満了と同時に地教委の会長を辞任いたしました。  最も議論のやかましい公選制について申し述べます。この教育制度は米国の制度を見本としてできましたことは申すまでもありませんが、承わりますと、米国では州と大都市の大部分は任命制で、一般の学区の教育委員会の大部分は公選であると聞いております。しかしこの学区というのは教育のための特別の自治体で、そこに置かれまする教育委員会は独立した教育税を賦課するというような権限をも持っておりまして、むしろ議会に近い性格を持っておると聞いております。このような学区の教育委員会委員の選任方法をそのままわが国教育委員会に当てはめていいかどうかということは事実疑問だと思います。さらにわが国の実情を考えまするに、選挙ということになりますと、人格識見の高い、この人こそと思うようなりっぱな人物が、選挙費もかかることであり、容易に立候補いたしません。特に大都市におきましては地域も広く、人口も多いので選挙費用も多くかかり、また立候補しました人の人柄をよく知ることは困難であります。たとえば最高裁判事の信任投票のごときはその例であります。市民は教育にはもちろん関心を持っておりまするけれども、大都市に至るほど投票率の低いのは、この一端の現われであるかと存じます。勢い金力のある人であるとか、または組織の力のある者が立候補することになります。このようにして出てこられた人のすべてが悪いとは言いませんが、ときに圧力がかかって一方に偏することは少くないのでございます。かれこれあわせまして、この際、間接選挙精神によりまする任命制は、市長の良識によりまして教育の中立によい結果を生むと考え、この点新法案による方がよいと考えておるのでございます。  人事権の問題につきましては、地方委員会に内申権が与えられることになっており、また必要に応じて府県教育委員会が一部の人事権を地教委に委任する道も開かれてありますので、その実質的の運営は大体現状と変らないものと考えられます。従ってこれ以上形式的の権限を争うことはあまり意味のないことと存じます。実際の運営におきまして、相当の都市には人事権の一部を委任するということになるであろうと期待いたしまして賛意を表する次第でございます。  次に、中央との関係でありまするが、教育の最高責任者であります文相が指導助言をいたしますことは、従来も行われており、人事の交流を円滑にし、義務教育の水準を維持してこれを高めることは当然のことであり、また違法等のあった場合には是正指導することも必要なことと存じます。学者グループが新法案は思想言論の自由を失うものであると憂えておられますが、これは性質が違うと思います。この法案によりますと、教育委員会が行いますところの管理は、教育教育基本法、学校教育法などに基いて公正妥当に行われるように、また地方々々の実情に即して行われるように指導監督することでありまして、教育者の自主的な教育活動を不当に抑圧したりすることを許すものでは決してないと考えるのであります。これを要しまするのに、日本の現状よりして、新法案は現行法に比べまして適当次善の策なりとして考え、賛意を表する次第でございます。なお将来とも教育の中立のために誤りなきよう充実したいと常に念願するものであります。  私の公述を終ります。
  107. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより林君の公述に対する質疑をお願いいたします。
  108. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はただいま林さんの公述を聞きまして非常に不可解な感じがいたしたのでございます。その一番の理由は、林さんはついこの間まで政府提案をいたしましたこの法案に対しまして非常に強い反対意見を持っておられ、またわれわれに対してもそういう意見の開陳がございました。しかるに本日御所見を伺いますと、この法案に全面的に賛成するような御意見のように聞いたのでございます。これは一体どういうことがあったのか、私には容易に了解できないのでございます。私も林さんとは知り合いの間柄であります。私は平素から非常な尊敬の念を持っておったのでございますが、何か事情があったのじゃないか、そうしなければとうてい理解できないのです。あなたも非常に熱心に公選制を守っていこうと、そういうことで非常な努力をせられた方で、私も深く敬意を表しておったのです。しかし今日こういう御意見を述べられるのにはいろいろお考えがあると思うのですが、しかしそれ以外に何か非常に苦しい立場があるのじゃないか。私は率直におっしゃっていただきたい。決してあなたを責めるというふうな気持はございません。
  109. 林知義

    公述人(林知義君) お答え申し上げます。これは二つの観点から御返答申し上げます。私は常に教育は一方に偏してはならない、中立でなければいけない、このことは常に自分の信念でございます。そこでこの会長時代に、御承知の通りに、地教委の連絡協議会と申しまするが、大は二百五十万の大阪市から、二千足らずの村に至るまでの教育委員方々がお集まりの連絡会議でございまして、常に各自各様のいろいろの議論が出て参ります。公選もいいだろうし、どれもいいだろうとか、あるいはこれは悪いとかいうようなことが出て参ります。そこで会長としましては、このことを処理いたしまするのに、大多数の意見をまとめたところがどこにあるかということをまとめまして、それが一たんまとまりましたならば、私心を捨ててそれに猛進する。これが連絡会長の義務であると信じまして常に猛進いたしました。  それから第二点の、教育が中立を守られるかどうかということにつきまして、常に静かに考えてみまするが、現状におきまして公選制の悪い面がここに現われているのじゃなかろうかと、こう私考えます。それは現実にまあ一つの例をもってあげますならば、たとえば日教組が全国に十八日の午後には課業を休んでこの意見反対の決議をするという指令が飛んでおります。こういうようなことは、子供を犠牲にしてまでやるということは、いわゆる教育二法の問題からかなり私は考えさせられました。そこでこういうようなことをしてまでゆくというようなことは、これはやはり教育の中立を曲げるものじゃなかろうかというようなことと、もう一つ、私は率直に申し上げまするが、地教委は地教委自体のピュアーな考えで、常に先生各位のところへ、純粋なる気持においてこの地教委というものに対して陳情もいたし運動もいたしました。それを一方の子供を犠牲にしてまでやるというようなことと、もう一つ、地教委に対して私が特に感じますることは、はなはだ失礼でありまするが、おぼれる者はわらをもつかむというような態度で、これらの方々の助力を得て参らなければならないというところに、私の良心的なピュアーな今までの運動と違いますところがございますので、私はこれらの点を勘案いたしまして、どうしても教育中立性を曲げてはいけないという観点から、私はこの二月、疑義もありましたし、とても自分は勤まらない、任期も終りましたからここでもってやめまして、常に教育というものは中立的にいかなければならぬという信念から今日ここに参ったわけでございます。
  110. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育政治的中立を守ろうというかたい決意をもっておられることに対しまして深い敬意を表します。私どももまたそのように考えておるのでございます。まあそういう観点から、この法案が果して中立性が守れるかどうかというふうな点を重大な問題として検討をいたしておるわけでございますが、私どものいただきました書類の中には、全国地方教育委員会委員連絡協議会名をもって、今度政府提案されている法案に対しまして、非常に憂慮にたえない、こういう言葉をもって強い反対をしておられるわけなんです。それから、林さんは会長をおやめになったそうですが、おやめになってから後も、なおやはり地教委の皆さんと一緒になって、反対運動をしてこられた。私、今日文書箱を見ますと、あなたが出られるということについては、全国地方教育委員会委員連絡協議会より声明書を出しております。私は、これをけさ見まして、実は驚いたのでございますが、公聴会に出られる林さんは、本会の代表でもないし、本会とは何の関係もないと、こういうことまで書いてある。(「そんなこと大事じゃはい」「大事だよ」と呼ぶ者あり)私は、代表として出られたのではないということを知っておりますが、あなたの御心境がこのように大きな変化を来たしたということについて、私は何か政治的な意味があるのじゃないか、言うに言われない苦衷があるのじゃないかというふうな感じを持っているわけなんです。と申しますのは、私どもの手元には、(「そんなこと必要ない」と呼ぶ者あり)知事等から、五大市の特例をはずしてもらいたいという、かなり強い要請がございます。林さんは、五大市の一つである横浜市の教育委員をしておられます。これに対しまして、五大市側も、今日国会に対しまして、特例を設けるべきであると、こういうふうな強い意見を開陳せられております。そういううちにあって、この五大市の特例を設けよという、そういう気持から、本日この公述に出られたのじゃないか、これは私の想像でございますが、非常に苦しい立場があるのじゃないか(「想像だ」と呼ぶ者あり)というふうに感じているのでございますが、そういう点御心境をお聞かせ願えれば非常にけっこうでございます。
  111. 林知義

    公述人(林知義君) ただいま私の心境を特に御推察いただきましたことに、心から感謝を申し上げます。ただ、二つの点から申し上げます。地教委の問題で、私が就任した当時には、率直に申し上げまするならば、民主党、社会党、学者の方々、日教組の方々から地教委反対の声が四面楚歌であったことを記憶しております。昨年の九月ころから、社会党の方々、日教組の方々は百八十度転回されて、地教委存続という方向に向われたことを私は記憶しております。自民党になられましてからは、改廃の両論が常に往来しておりまして、どちらかと申しますると、廃止の方に強かった。そこで、私は教育というものをどうしても中立に持ってゆくのには、この教育委員会制度を存続してゆかなければならないということが心からの私の信念として、あらゆる活動をしたのでございます。最後まで、はなはだ失礼ですが、同僚各位と戦い抜いて、そうして先生方、国会及び政府各位の御理解を得まして、そうしてこの地教委が残り得ましたということは、教育のために、私はこの一点で非常に満足とあれを覚えている次第でございます。これがもしつぶれてしまったならば、ネコもしゃくしもなくなるような状態になったならば、日本教育のためにまことに悲しむべきであるというところに重点を置きまして、何でもこの地教育は存続しなければならないというところに主眼点を置いて私はやったのでございます。これが一つの私の信念でございます。それからただいまちょっとお触れ下さいましたが、五大市の問題で、教育費の問題を申しますると、県の方から参りまするお金は二割二分くらいにしかなっておりません。あと約八割というのは五大市自体が自分教育にかけておる、こういうことを勘案いたしまして、そうして、この運動に私はその一翼をになってやったわけで、衷情御推察いただ巻まして、この点は一つ実体のあるところを御勘案を願いたい、こう考えるわけであります。
  112. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育委員会制度を守っていこう、そういうかたい決意を持って従来やってきた、私は深く敬意を表します。しかし、率直に林さん考えてごらんなさい。今度の政府提案が果して当の教育委員会を守るものであるかどうか、私は……
  113. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 討論にわたらないように御質疑を願います。(「質問だよ」「一々言うなよ」と呼ぶ者あり。)
  114. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この法案の(「当然の注意だ」と呼ぶ者あり)黙っておれ、この法案の内容を見ると、公選制廃止する、あるいは教育長任命についても、教育委員会の独自の権限だけではできない。教育委員会権限というものが非常に縮小されておる。また教育委員会は、公選制と違って、直接国民責任を持てないような立場に立たされる。これでは形は残ったけれども、中身はくずれしてまう、そういうように感ずるのです。林さんも公選された委員として、長い間教育のために尽瘁されてこられた。このことは私は身をもって体験されておるというふうに感ずるのですが、公選制よりも任命制がよい、あるいは教育委員会権限がだんだん減ってきて、原案送付権もない、教育長すら勝手にきめることができない、こういうことでほんとう教育委員会というものがりっぱに働いていけるかどうか、私は率直に御意見を伺いたいと思います。これ以上伺いません。
  115. 林知義

    公述人(林知義君) ただいま衷情あふるるところの御指摘に対しまして、私も常々考えております。そこで最後の結びとして、先ほど申し上げましたように、つぶれるものがとにかくここに残ったということの一つの喜びと、も一つ、いろいろ意見がありまするが、最初に申し上げました通りアメリカあたりの公選の問題を見ましても、その住民と直結するというときには、その住民から教育税、目的税を取りまして、それを施設及び行政内部に運用するというところにほんとうの公選の意味があるんじゃなかろうか。これを私お願いいたしまするが、ほんとう教育及び教育行政が完全に行われるというようになりまするのには、教育目的税というものを教育委員会一つお授け下さるように、政府御当局に特に私はお願いしたいと思います。これは私の最善の策でありまするが、まあつぶれないところのものをやったときに、次善の策として、この辺で落ちつくことがよかろう、こう考えたわけであります。  それから中立という問題について申し上げまするが、大体考えてみましても、地教委が純粋な立場になくして、日教組系と組んでこれを守ろうというときには、これができ上りましたときには、公選制といえどもそこに一つの偏向がある、これはどうしても是正していかなければならないという観点から、私、今自分の信念をそこに持っているわけであります。教育委員会を守るということについては、先生のお考えと私と一致しております。
  116. 湯山勇

    ○湯山勇君 私は、かねがね尊敬しまた感謝しておった林さんから本日のような公述を承わることを、私自身のためにも、また全国の地教委、全国の子供たちのためにも、はなはだ遺憾に存じます。私どもが今日こういうふうにこの法案を全く日夜審議しておるのは、あなたが私に下さったあの要望書、あの声明書、そういうものがあずかって力のあることを十分御認識いただきたいと思うのでございます。そこで私はお尋ねいたしたいのでございますが、その一つは、あなたが私あるいは全文教委員、それから文部大臣にも要望されました文書の中に、「漸く現行教育委員会法の下で安定ずけられようとする我が国の教育は極度に混乱し、更に民主国家建設の前途に暗影を投ずるものであって、国民の不幸これに過ぐるものがないからであります。」、こういうふうに、現在の教育委員会法の改廃の意見に対してあなたは申しておられます。このお考えは今日もお変りないかどうか、第一点でございます。
  117. 林知義

    公述人(林知義君) 先ほど申し上げましたごとくに、公けの立場の地教委の会長としては、全体の意見をまとめまして、それを先頭に立ちまして常にやるということは、私の務めだと思います。今日は私個人の過去七カ年間の体験をもちまして、率直に自分意見を吐露して、今日は個人の立場で申し上げております。私はその点は変っておりません。
  118. 湯山勇

    ○湯山勇君 それではこういう要望書を私ども文部大臣にお出しになったときも、個人としてはこういう考えではなかった、こういうことでございますか。
  119. 林知義

    公述人(林知義君) それは公人として出まするときには、個人の意見は滅却して参ります。それから教育が曲げられるというようなことの心境の変化というものを一番感じましたことは、地教委が日教組と組んでいくというところに、私のどうしてもマッチしないところの感じがあるということを一言申し上げます。
  120. 湯山勇

    ○湯山勇君 さらに同じ文書に、最後のところにこういう文字がございます。いろいろありますけれども、「低迷する改廃論者の蒙を啓き、現行教育委員会制度の育成強化に対し、格別の御高配を賜わりますよう全国市町村教育委員の」——よろしゅうございますか、「全国市町村教育委員の総意をもって要望申入れをいたします。」、こうなっております。これは間違いございませんか。
  121. 林知義

    公述人(林知義君) それはその通りであります。総意をやりますときには、全体の賛否を、その中にいろいろな議論もありましょうけれども、全体の意向として総意をもっていく、これが当然の結論かと考えます。
  122. 湯山勇

    ○湯山勇君 ただいま荒木委員の質問に対して、あなたは地教委がなくなりそうな状態であったのが存続することに決定した、これは何よりも大きな喜びであって、これでもって私は満足したのだ、という御答弁がございましたが、間違いございませんか。
  123. 林知義

    公述人(林知義君) 満足したということは、まず地教委が存続したということに対しては満足しておりまするが、このあとこの地教委を盛り立てるためには、今後においていろいろとまたこれを御審議願って改廃しなきゃならぬところがあるだろうと思いますけれども、順を追うてやるにしても、地教委が残ったということにまず第一の喜びを持った、こういう考えでおります。
  124. 湯山勇

    ○湯山勇君 そこで地教委が存続することが決定した喜びを述べられた直後、次のような声明を全国に発表しておられます。   我等は教育委員会法の精神にかんがみ、日本教育のために、なお総力を結集し、重大決意のもとに、少くとも制度の中核をなす左記主張の実現達成にまい進せんとするものである。   右声明する     記  一、委員公選制の堅持   理由   教育委員会は同法第一条に明示する如く、教育基本法に則り不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って教育行政の執行にあたるものである。   現行制度委員会公選制廃止して任命制に改めることは、民主主議の精神に反することは勿論、地域住民が教育に対する自主性を喪失するばかりでなく、教育が却って不当な支配に左右される可能性を増大し、教育政治的中立性を確保するに困難を来すおれれが多分にある。   この故に我等はあくまでも委員公選制を主張するものである。  次は、人事権の絶対確保でございますが、この公選制に対するこの見解は、見解としては今日も同じでございますか。
  125. 林知義

    公述人(林知義君) そのときに出しました見解はその通りでございまするが、そのあとで教育が中立を侵されるという事象が出て参りましたときに、私はこれはまずい、こう考えました。
  126. 湯山勇

    ○湯山勇君 林さんがこの声明を出されたのは、これはこの法律に対しての見解をお述べになっておられるので、だれかそう言っておるとか、彼がそう言っておるとか、そういうことに対してお出しになったのではないはずです。制度に対するこれは声明でございますから、従ってだれがそう言っておる、日教組がそう言っておる、全教委がそう言っておる、自民党がどう言っている、社会党がどう言っているというのではなくて、この政府から出された法案を客観的にごらんになって、地教委の立場からごらんになってこの声明はお出しになったものと思います。まわりの条件をのけて、地教委の立場から純粋にこの法案をおながめになったときに、ただいまの公選に対する御見解は今日もなお変りはないか、こういうことをお尋ねしております。
  127. 林知義

    公述人(林知義君) これが教育が全くの中立の状態に置かれるということの信念においては、きのうもきょよも少しも変っておりません。ただ再三申し上げるようでありますけれども、一方の圧力が加わるということは、やはりその精神にもとるというところに、私は一つ考え方を持っておるのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)そのことを申し上げます。終り。
  128. 湯山勇

    ○湯山勇君 それではなおしばらくお尋ねしたいのですが、一月の十八日に緊急臨時総会をあなたの名前で御招集になって、そこで総会をお開きになったはずでございます。その総会においてこういう声明をあなたはお出しになっておられます。「本日、我等全国地方教育委員会連絡協議会は緊急臨時総会において、現行法の根本精神を喪失するような」——このときには、私がさっき申しましたように、存続することをあなたは認めておられたときです。「根本精神を喪失するような改正案には絶対反対であり、少くとも左記事項の確保が達成できないときは、総辞職をもあえて辞さない決意を固めたことをここに声明する。」、そこで、少くとも左記事項の確保という左記は、一、地方教育委員会を存続し、委員公選制の堅持一、人事検の絶対確保、こういうことになっております。この事実に間違いはございませんか。
  129. 林知義

    公述人(林知義君) その当時の決議は、総意をもってそのことを決定いたしました。これは事実その通りでございます。
  130. 湯山勇

    ○湯山勇君 総意をもって御決定になったのであれば、総意という中には林さんも含まれていると解釈してよろしゅございますか。
  131. 林知義

    公述人(林知義君) その当時におきましてはですね、自分の私見としてはありましたことはありまするけれども、それを申し述べる時じゃない、私はどうしても皆さんの御意見通りに従うべきものだと、私は今でもそのときはそうだったと考えております。
  132. 湯山勇

    ○湯山勇君 それでは、なおお尋ねいたしますが、あなたは現在、全国地方教育委員会連絡協議会の一員であることはお認めになられますか。なお、もう一つは、現在もこの全国地方教育委員会連絡協議会の顧問をしておられるということでございますが、これも間違いございませんか。
  133. 林知義

    公述人(林知義君) その通りでございます。しかし、今日陳述いたしますることは、劈頭申し上げました通りに、私の偽わらざる個人の考えとして申し上げておることを御了承願います。(「その通り」と呼ぶ者あり)
  134. 湯山勇

    ○湯山勇君 そこで、個人としてはあるいはそういうこともおっしゃられるかもしれませんけれども、しかし顧問であり、そして現在もこの協議会の一員でございますから、この法案の中で、左記事項、すなわち地方教育委員会を存続し、委員公選制を堅持するということが守られなければ、総辞職する、こういうことに連絡協議会として決定すれば、あなたは役員であり、こういう決議をし、声明をした責任者であり、なお今日も、その一員でございますから、公けの立場においてはこれにお従いになるのかどうか、その点をお伺いいたします。
  135. 林知義

    公述人(林知義君) その点についてお答えします。比喩をもって失礼でございますが、西郷南洲が城山の露と消えるときには、自分考えを捨ててやっておりますから、(笑声、「それと違う」と呼ぶ者あり)全体がやったときには、これはすべておのれをむなしゅうしてやらねければならない。意見が違っても、これは全体にそういかなければならない。私は西郷南洲の精神考えます。(笑声、「その通り」と呼ぶ者あり)
  136. 湯山勇

    ○湯山勇君 よくわかりました。私は、これは皆さんお笑いになりますけれども、あなたの長くやってこられた会長として、あるいは現在役員にあるあなたとしては、これはりっぱな御意見だと敬意を表します。ただ、私が大へん失礼なお尋ねをしたかもしれませんけれども、私とあなたとの関係においてでしたら、私はただいまのような質問はいたしません。けれども、あなたがこのようにして主宰して打ち出したこの声明は、全国の地教委の一人々々を拘束しております。このことはお認めになると思います。そしてまた、その一人々々が拘束されるばかりでなく、この声明は、その一人々々を選んだ人、その一人々々を選挙した人を拘束しております。おわかりでございましょう。そうすると、あなたのとっている態度は、今日のあなたの態度は、ただに林個人がここで何を言ったというだけではありません。あなたの言われたことは、記録になって全国に出ます。おそらく明日の新聞には、あなたがこう言ったということが出て参ります。そういうときにあなたは、そのあなたにつながる全国の地教委の人たち、そしてまたあなたの名前で招集されて、こういう決議をしたその教育委員を選んだ全国の国民に対して、どういうふうな責任をお持ちになりますか。あなたがきょうここでおっしゃったことは、それには全然影響はないとお考えになるのでしょうか。私はそういう全国の国民のことを考え、そしてまた連日、あなたの決定したことに従って、われわれのところへ陳情に来る地教委の人の心境を考えるときに、あなたを私個人が責める気持はありませんけれども国民の名において、全国の地教委の名において、私はあなたに対して非常な憤りを覚えることを禁ずることができません。そこであなたの心境を伺いたいと思います。
  137. 林知義

    公述人(林知義君) 申し上げます。連絡協議会長の役目は、自分意図を指令して、この通りにやれという役目じゃございません。各県、地方に分れました方々の理事諸君が、その地方地方においておのずから出てくるところのこの心持をまとめたものが、連絡協議会長に出て参りますので、私はこういう場合にこうしなさいという、各委員さんに命令する権利もありません。ただ、その方々から出てくる、いろいろの意見がありました。それらをまとめまして、最大多数ではこういうふうな意見になったというところで、この問題が陳情にも現われたのでありまして、私がこれを命令したのでは絶対にない。これは連絡協議会長にはそういう権能はないことを申し上げます。
  138. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 一つ……。われわれはこの国会で、重要法案を審議するに際して、審議の重要な参考にするために、国費をもって公聴会を開いておるわけでございます。そこで私は委員長にお伺いいたします。ということは、本日の現在の公述が、傍聴者の失笑の中に行われていることを、非常に遺憾とするものでございます。この公聴会において公述人を何人にするか、またその人選はどうするかということは、私の調べた速記録によると、委員長一任になっている次第でございます。そこで私は、今林公述人にとやかくお尋ねしようとはいたしません。公述人公述せんとするところは、ともかく私にはわかりました。そこで私は委員長に伺いますが、委員長は、先ほどから失笑の中にこの公聴会が開かれていることを、どうお考えになるかどうかということと、それから先ほど荒木並びに湯山委員から指摘されたところの、これは林公述人の名においてわが国会に請願陳情が出ております。それと全く違うような公述をされるような公述人を選ばれた委員長は、どういう御見解に立たれておられるのか。国会におけるところの公述人を選定するときに、そういう基準でよろしいのかどうか、どういうふうにお考えになっておられるか、これが第一点。  それから第二点としてお伺いいたしたい点は、この重要法案については、提案者である文部大臣は、ずいぶんと賛成者が国民の中にあるということを言われております。これは今の鳩山内閣の母体であるところの与党自由民主党さんも、よく口にするところでございます。そうなりますれば、賛成意見を述べるところの公述人というのは、相当に私は撰択される範囲はあると思うのです。しかるに、あえてこの公述と全く反対の請願陳情を国会になされました林公述人をあえて選ばれた理由は、委員会からその人選を御一任されたところの委員長はどういう御見解でなされたのか。私は今公聴会は失笑のうちに行われておることを、国権の最高機関の権威の立場から、非常に私は遺憾に思います。従って、この際委員長は何らかの釈明なりあるいは所見をここに、国民の前に明確にされなければならないと思いますので、あえてお尋ね申し上げた次第でございます。
  139. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) お答えいたします。委員会は、特に公聴会は、非常にお忙しい方をお呼びしておりますので、委員の方におかれても時間を切りつめて要領よく質疑をされ、そして多岐にわたる不規則な発言等のないことを委員長は望んでおりますが、傍聴人におかれましても、失笑あるいは発声というようなことのないことを委員長としては望むものであります。  で、公述人の選定でございますが、これは矢嶋委員のお考え違いだと思いますので、委員長に一任を受けたわけではございません。(矢嶋三義君「速記に載っていますよ。」と述ぶ)理事会においてきめたわけでございまして、これは賛否両論公平にこれを振り分けなければならないという参議院規則のもとに、両方から候補者の御提出を願って、そして理事会において同数の賛成者と反対者をきめたわけであります。従いまして、委員長は独断でこの公述人をお選びしたわけではございません。
  140. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 こういうことですから、長く申し上げませんが、一つこの際に私は、国民が傍聴しているのですから、はっきりしておかないと、不思議に思って帰られると思うのです。それでお伺いいたしますが、ある案件があるときに、これに甲なる趣旨の請願陳情をされている方、ところが、その甲なる意見と全く反対意見公述される、そういう公述人に国費によって公述を要請するということは、こういうあり方は、今後の公聴会のあり方とも関連するんですが、適当と委員長考えられますかどうですか、お伺いいたしたいと思います。
  141. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) お答えいたします。林公述人公述を別に私は不当のものと考えません。これは個人の意見として、ピュアな気持で経験を語られるということの前提のもとにお話しになっているので、委員長といたしましては、ここに公述人の適否について申し上げるわけには参りません。
  142. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 了解できないですが、もう申しません。了解できないです。おかしい。
  143. 秋山長造

    ○秋山長造君 ただいまの公述人の連絡協議会長としての声明なり、その他の問題については、もう私触れません。で、法案の内容について二、三点お伺いしたいと思います。林さんは、なるほど連絡協議会長はおやめになったわけですけれども、しかし依然として横浜市の現職の有力な教育委員として残られて、そして今後も教育行政の衝に当っていられるわけでございますから、もう少しお尋ねをしておかなければならないと思います。  まず第一点は、先ほどの御説明の中で、この法案は次善の策として適当のものと認める、こういうような御発言がありました。そこでお尋ねしたいのは、次善の策として、やむを得ないものとして認める、全然なくなってしまうよりはまあ残っただけでもましだというような御発言でございますが、しからば、やはり御信念においては現行法の存続が一そう望ましい、こうお考えになっておるのかどうか。さらに財政権云々のお話がございましたが、現行法が存続され、さらにそれに財政権というものがプラスされれば、それが地教委の形としては一番望ましい、こういうようにお考えになっておるのかどうか、その点がまず第一点。  それから第二点は、先ほどのお話の中で、どうも日教組と組まねば仕事ができぬよう旭は中立が守れぬから、今度の案に賛成だ、こういうようなお話があったんです。で、横浜市の教育委員会が日教組とどの程度に組んでこられたのか、あるいはどの程度に組まなければ仕事ができなかったんか、そういうことはまあ私は知りません。知りませんけれども、ただそういう御発言を聞きまして私感じますことは、やはり横浜市の教育委員会は横浜市の教員諸君とよく話し合い、そうして協力し合って、ともどもに、教育委員会教員とが一体になって、ともども一つ力を合せて横浜市の教育を守り、そして横浜市の教育進歩向上さしていく、こういう態度が望ましいと思うんですけれども、今の御発言を聞くと、そういう教員と相談し合い、そうして力を合せ合って、教育をともどもにやっていこうという態度よりも、むしろ教育委員会というものは教員とは一段上におって、そうして市長なり、あるいは市議会なりという、これは一つの地方における強い政治権力です、その市長なり市議会なりという強い権力をうしろだてにして、そうして教員に対しては上下の関係、命令服従の関係で厳然たる態度をもって臨むというやり方でなければ、どうもこの教育がうまくいかぬ、そうした方が中立も守れるし、また教育の効果も上るというようにお考えになっておるのかどうか、その点をもう少し詳しく御説明を願いたい。  それから第三点は、今のような理由によって、任命制の方がより教育の中立が守れるというお話だったんですけれども、私不幸にして横浜市における政治情勢というものを知りませんけれども、しかし、われわれの常識からいたしますならば、やはり今日府県会にしても、あるいは市町村会、特に横浜市のような大きな市なんかの議会というものは、それぞれ中央における政党、中央における党派の系列に従って非常に政党化しておるという事実は、否定できない。また今していないとしても、近い将来に早急に政党化されるものだということも、これは文部大臣提案説明においてしばしば言っておられることだと。またわれわれもその通りだろうと思う。そういうような、自治体の首長も政党化し、また議会も政党化するような状態が予想されるんですね。そういう首長やそして議会から選ばれた、任命された教育委員というものが、一体政治的中立というものがですね、完全に確保され得るものかどうか。むしろその方が、また別な面からの政治的偏向を犯すおそれが非常に強いんではないか。いわんや、御存じの通り、今までの法律の建前と違いまして、今度の法律はこれはもうほとんど教育委員会の存在というものは実質的にはこれは骨抜きになっている。骨抜きになっておる。そういう状態に切りかえた方が政治的な中立が守れる、その保障は一体あるのかどうか。  この三点について一つ御説明をお願いしたい。
  144. 林知義

    公述人(林知義君) 第一点の、次善の策であるから、最善の方法はいかんというお問いのようでありまするが、先ほども申し上げました通りに、ほんとうにこの住民と直結していくというときには、やはりアメリカでやっておられるような、中都市でやっておられるような、自分教育税を増減をはかり、自分教育施設行政をやっていけるような姿に持っていくことがほんとう教育の道じゃなかろうかと。そういうことができるときには、公選はまことにけっこうだと考えます。それからなお、現行法に対してのお問いでありまするが、私常々考えておりますが、民主主義というのは、時間と金が非常にかかるものなりと、こう考えております。そこで、民主主義を実行するのに一番必要な要素は、第一がエフィシェンシー、効率がよくなること、第二がエコノミーでなければならぬ、経済的でなければならない。ことに日本のような状態では、この点は民主主義に最も必要なものではなかろうかと、私、考えます。そこが現行法よりもこれがその点において幾らかいいのじゃないかと考えますことは、この点、エフィシェンシーとエコノミーという問題からいって、もっとこれを有機的に、オーガニゼーションに行ったならば、この点もこの民主主義をこわさない点において、もう少しうまく行くじゃないかということを考えまして、まずこの際には、次善の策として、今日の改正案をやらにゃならぬのじゃないかと、こう考えておる次第でございます。  それから日教組との関係でありまするが、私どうも、横浜におきまして常に連絡をとっておりまして、その間には、少しも溝がないことを申し上げます。現にこの前の日曜も、その前の日曜も、私のところへ組合の幹部諸君が見えまして、甲論乙駁やりました。ただ、そのときに、率直に申し上げますれば、中央の指令であるから十八日の午後には学業をやめてわれわれは研究大会を開いてやるのだと。私は、意見意見でよろしいが、学業をやめるということは、子供教育上、PTAあるいは市民の感情が許さない。この点をよく了解せよと。これらの点についてお互いに意見がありまするが、そういうところに教育のゆがめられがありはせぬかというようなことを考えておるので、日教組と決して——教育の中立ということについては、私は常に相一致しておると考えておりまして、そこには何らの溝がないことを申し上げます。  大体第一点で第三点の理由も申し上げたと思いますが、もし、足りなければ補足いたします。
  145. 秋山長造

    ○秋山長造君 第三点のお答えがないのですが、もう一度お伺いしますけれども、その前に、今の第二点の日教組の問題についての御発言なんですが、これは先ほどあなたが公述されたことは、とにかくもう大体日教組と組まなければ仕事ができぬようなことでは、もう中立は守れぬ、だめだと、だから、制度を変えにゃいかぬと、こういうように非常に大上段に断定的におっしゃったんですけれども、今お聞きしますというと、自分のところは日教組となかなかうまくやっていると、こういうお話なんで、そこ、ちょっとちぐはぐな感じを受けるのですけれども、まあそれはそれ以上追及しません。  ただ、この日教組、教員組合の人と話し合ったときにどうこうというお話が今ありましたが、今おっしゃるような話ならば、これは無理に、それだから制度を変えなければいかぬ、根本的に法律まで変えなければいかぬということにいきなり行くのは、ちょっと飛躍し過ぎるし、極端な行き方じゃないかと思うのですね。その程度の問題ならば、従来あなたの方でも十分話し合って、運用の上でしかるべく解決をつけて、そうして大過なくやってこられたというように私は想像するけれども、その程度のことで、どうしてもこうしてもこれは公選制をやめて任命制にしなければいかぬというように、やはりあくまでお考えなのかどうか。これはまあしつこいようですけれども、重ねてお尋ねいたします。  それから第三点の、さっき御答弁のなかった、任命制にすればとにかく中立が絶対守れるというお話だったんですが、この点について、もう少し地方の実情と政治情勢、自治体の首長、あるいは議会、横浜市でいえば市議会、こういうふうなものの政治的な動き、今後の見通しというようなことに立ってお考えいただいた場合に、一体、たとえば同じ党の首長が、同じ党の議員が絶体多数を占めておる、あるいはほとんど議席を独占しておるような議会に対して相談をして、そうして任命する教育委員の顔ぶれというものは、これは理屈でどう説明しようとも、これはもう互いの経験からして、おのずからもう想像がつくのですよ。そういう形になりますと、これはまた非常に、あなたが今おっしゃるように、任命制にしたら政治的な偏向がなくなって政治的中立が確保されるという御希望は、これはもう足もとからくずれ去って、むしろ極端な逆の場合が出てくるおそれの方が大きいのじゃないか、こういうように私は考えるのですけれども、そういう心配は絶対にない、任命制にしさえすれば、首長がどういう党派の人であっても、また議会の政党政派の勢力分野がどういうことであっても、いつも厳正中正なりっぱな人が選ばれて、そうして政治的血中立というものがあくまでも確保されるものだというようなこの見通しを持っておられるか、その点重ねてお伺いしたい。
  146. 林知義

    公述人(林知義君) お答えいたします。日教組との関係で、私の発言が矛盾しているじゃないかと、こう申されますが、私は、横浜市から教員諸君を眺めまして、一般の教員諸君はまじめであると考えております。ただ、これが組織立ちましたときに、ただいまのような指令が出たときにその指令を守らにゃならないと、それがどうも私の心持ちと合わない。これはどこに欠点があるかと申しますと、はなはだ失礼な申し分かもしれませんけれども、世間でよく丹頂の鶴と申しますが、こういうような組織運営を自粛自戒されたならば、私は喜んでいきたいと、こういう心持ちを常に持っております。これは私の主観であります。  それから第二点の、任命制はどうかと。これはむろんその法のところに、一党一派は一人しか出さないというような制限もございまするが、公平なる人格識見の高い推薦母体でも、その主張が分れましても、そうしてやるならば、その市民の方々はそれで納得されやせぬかと。一方に制限もあり、また公平なる推薦母体でも作ったならば、まだいいじゃないか。御指摘のように、必ずしも私はこれが万全だとは考えていませんが、アメリカ状態を見ましても、中都市を見ましても、任命制の所もあり、州あるいは大都市になるというと、みな任命制になっておる。それでもデモクラシーが行われているというようなところがありまするから、むろん運用の妙でありまして、すべてがこれは完全無欠なものであるとは私は考えておりません。ただこの任命制は、いまだいわゆるバージン・フィールドでありまして、これから後の状態でおのずから、これが弊害が必ず出るという断定のもとでなくして、公平なる推薦母体でやってみて、そうしてそれが害があったならば、これを一つまた是正しようというようなことも、またこの教育委員会制度の本家でありまするアメリカ状態と照らし合せまして、行く時期もあるのじゃなかろうか。今差しあたりのところでは、この辺でまあがまんしようじやないかという考えであります。
  147. 田中啓一

    ○田中啓一君 現行法とここに提案されております新法との関係等につきましての御見解、ことにまた公選制の問題につきまして、これを進めていけば、アメリカ教育でやっておるような徴税権を持った、つまり収入支出ともに持った委員会までいくべきものだと、まあそれが一番自分としては理想とするのだと、こういうふうにお話しになっておりまして、よく御見解のあるところはわかりましてございますが、お話のうち、これは公述の際にも質疑応答の際にもちらちらとこれが出て参りました、県教職員組合、まあその上にいわゆる日教組というものを、二つ見ておられることは、私申すまでもございませんが……
  148. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 田中議員に申し上げますが、時間がだいぶ過ぎておりますので、できるだけ簡単に。
  149. 田中啓一

    ○田中啓一君 はあ。それで何かこう、言いたいことを十分におっしゃらないで、御遠慮をなさっておるような印象を受けるものでありますから、ここはもう申すまでもなく、信念に基いて発言をする限り、全く自由な所でありますから、(「何の質問だ、それは質問じゃないじゃないか」と呼ぶ者あり)そこで私のお尋ね申し上げたいのは、そこのところをもう一段とこう、はっきりおっしゃっていただいたらどうであろうかと、その点を実はお聞きしたいのです。何かと奥歯に物のはさまったような実は感じを受けますので、まあたとえば……
  150. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 具体的に、質疑をお願いいたします。
  151. 田中啓一

    ○田中啓一君 これまでの運用がどういうふうにしてなされてきたものであるか、それがだんだん盛んになりまして、どんな関心にお立ちになっておりましたか、まあそういうような点を一つ、できることならばおっしゃっていただけぬかと、(「何聞いてるかわからぬですよ」と呼ぶ者あり)お聞きしたいと、かように実は考えまして、お尋ねしておるわけでございます。
  152. 林知義

    公述人(林知義君) ただいまは、何か奥歯にはさまっておるというようなお問いでありまするけれども、私はこの公述のまっ先に申し上げた通りの心境で、個人の信念として申し上げた通りでございます。  なお、御質問のございました点について一々お答えしたつもりでございますが、なお何が具体的に御質問があれば、お答えしたいと思います。
  153. 田中啓一

    ○田中啓一君 私のお答えいただきたかったのは、県教組あるいは日教組との関係の点でございます。
  154. 林知義

    公述人(林知義君) はなはだ失礼ですが、もう一ぺん。
  155. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 田中君、もう一度今のを……。(「大きい声で言えよ、いつものように」と呼ぶ者あり)
  156. 田中啓一

    ○田中啓一君 私の申し上げたかったのは、県教職員組合あるいは日本教職員組合と、この皆様の方の法案に関する御見解とかあるいは御運動とかというものとの関係でございます。
  157. 林知義

    公述人(林知義君) お答えします。横浜の——お問いのように考えておりまするが、むろん先生方は、先生方のやはり自分の信念に基かれたるところの御意見を持っておられます。ただ、私が教職員組合委員各位とお話しするときには、とにかく今日、法があるんだからして、子供を迷惑さしてまでもやらないで、日曜なり土曜の午後なり、十分に言論を戦わせることについて僕は決してとがめない、ただ、職を放擲するということは僕はとらざるところだと。しかし向うの支部の方ではいや、中央の指令があるからそうはいかないと。まあこういうことで、私どもの方では絶対にそれはまかりならぬということで、意見の相違がある。そこでどうも教育が曲げられやせぬかという今心持がありますので、これは私の信念としていつも持っておるところでございます。
  158. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 以上をもって林知義君に対する質疑を終了することといたします。どうも……。   —————————————
  159. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 次に、山口末一君から公述を伺うことにいたします。
  160. 山口末一

    公述人(山口末一君) 私はこの四月まで札幌南高等学校の校長をいたしておった者でございます。ずっと新教育が行われてから続けておりますが、一部中学校の、新制度の中学校の教員もやはり、大部分は高等、学校の教壇、校長として従事いたして、今回退職いたした者であります。私はさような経歴から、法理論とか哲学的な深いことはよくわかりませんので、私の北海道の実際のありさまを申し上げて、この法案御審議の御参考に供したいという念願でございます。で、全く個人であり、一国民の声としてお聞き願えれば、まことにけっこうだと存ずる次第でございます。  現教育委員会法が制定されてその実施を見ましてから今日に至るまでの教育委員会の足跡、その多大な効果というものについては、非常によく認識をしておるものでございますが、また一面、その理想がなかなか実現しにくいところ、あるいは一面弊害でないかと思われるようなところもやはり現われてきておるように私は感じで参りました。で現実に即して理想になるべく近づけようというわけで、いろいろと国家の御当局においても研究調査等いたされまして、現行の教育委員会制度の一部行き過ぎておるではないかというようなことを是正していこうという案が、今日拝見しておりますところの改正法案であろうと考えるのであります。  で、やはりそうしますというと、今の日本の民主的な発展の現状におきましては、大体において、現段階においては、今日のこの改正法案というものが改善の一歩をたどるものとして適切なものと私は考えておるのでございます。やはり根本から変えるというようなものではなくして、私の考えでは、やはり民主主義の教育を促進、伸展せしめるのが根本にありまして、決してこれが、この法案そのものが実施されたとて、戦前教育への逆コース傾向をたどるものであるとは、私としては考えることはできないのでございます。やはり地方分権のことも、民意の反映も自主性も相当に、相当と申しましては相済まぬのでありますが、促進されていく。で、国として相対的に一体性をもって教育の水準維持、発展を期する、こういうことがやはり非常に大切なものでございますから、そういう点にも考慮を払われた案であると私としては考えております。  この法案をずうっと拝見し、また昨日来傍聴をさせていただきまして、この法案の問題点とするものは何であるかというと、教育委員公選制でなくして、任命制にしようということと、必要措置の要求、こういう点が一番大切な問題点としてよく論議され、公述されたところであろうと考えているのは同じことでございます。で、この教育委員任命制は、いろいろ論ぜられたように、やはり私としては間接選挙の本質を持っているものだと、こういうふうに思っているのでありまして、この改正法案によりまして、よりよい人材を選出するにいいのじゃないか。特に、私は自分の郷里であるところのことを申し上げるということは、はなはだ遺憾ではありますけれども、北海道においては確かに、任命制が、今日の状態からすればよりよくなる、こういうふうに考えられますものですから、北海道の実情を御参考に申し上げたいと存ずるのであります。現在の公選によって構成された北海道教育委員会は、私の見るところによりますというと、一つの大きな組織活動によって、どうも一方に偏した委員が選出されてきていると考えるのであります。すなわち現在は、六人の公選委員のうち、五人はその組織の推薦によるものであります。それから一人は、中立の関係に立っていられるところの方であります。それで五対一という状況でありますが、この六人の方々すべてが教員の前歴の方々ばかりであります。それから道議会からお出になっているところの委員の方は、社会党の所属の方であります。で、この北海道の状況、その組織の状況を見まするというと、公選委員先ほど申しますように職域が同じであるのであります。こういう組織でありますからして、その運営されるところがどうも私たちとして見ておるところによりますというと、政治的とばかりいうわけでありませんが、中立といいますか、中立性というようなものの維持がどうしても困難な状況にあるのだ、こういうふうに思われます。そうして今後この公選制をなお持続していくならば、さらにこの傾向が強化されるような趣きが見られるのであります。すなわちほとんどすべてが、一方の組合の推す候補によるところの委員が選出される、こういうような状況になることは、今までの状況から推し、現在の状況から察知して、将来を卜することができるのであります。こういうふうに実際のところからして、どうしても私の郷里においては、一方に偏したところの委員の構成を是正するには、任命制がよろしいと考えるのであります。任命制といっても、先ほど申しまするように間接選挙の実体のものでありまして、そうしてそこには、法案によりますというと、いろいろの規制するところの方途を講じてあります。それでありますから知事の党派のいかんを問わず、いろいろの党派の党籍がある人にしても、党籍を異にしておる方が出られるでありましょうし、職域においても同じ職域からばかり出るということがないようになると思いまして、北海道の現状から見まするというと、任命制によって、この欠陥を是正していくことができると考えております。この北海道の状況に似た所が、やはり全国にもありはしないか、私研究が足りませんのでよく存じませんのですが、そういうふうに察せられるので、一つの地方の例ではありますが、北海道としては、任命制をこういうことから必要であると考えております。  なお、これを具体的に、それではどんなふうに、この構成委員が一方に偏しておったために、その決定が偏したのではないかと思われる例を、二つだけ具体的なものを申し上げて御参考に供したいと存じます。さきに給与二本建の問題というものがありました。そうして国会において法案が成立し、そうして国法となったのであります。この場合に地方においては、国の法に準じて実施するように要望もされ、またそれが当然であろうと考えられておるのでありましたが、北海道の教育委員会においては、これを否決いたしました。すなわち北海道においては、これを実施せず、こういうふうに決定を見ました。ところが道の議会においては、教育委員会実施せずという決定にもかかわらず、道議会はこれを実施することに決定いたしました。その教育委員会実施せずとするところに、ずいぶん裏に考えられるようなものがあったというふうに、私たちはその当時まことに遺憾に考えておりました。もう一つの問題は、北海道においては非常に大きな問題となり、新聞、ラジオ等によく報ぜられた問題でありますが、高等学校における入学者選抜の件であります。この問題は非常に長い間の問題でございまして、私は高等学校長協会の理事長といたしまして最後のところを務めましたし、その以前にも副理事長その他で札幌におります関係から、この問題について非常に苦心をして参りましたが、この高等学校の選抜問題ということは、この委員の公選云々のところへ話がいくのでございますが、ちょうど毎年のことでございましたが、ほんの三カ年の工合がどんなふうに推移したかをほんとうに簡単に申し上げてみます。二十九年度に実施したのは、このことについて、その前に協議会ができていろいろと検討に検討を加えまして、そして二十八年の十月十四日に教育長は校長その他関係者、代表を招集いたしまして、そして説明会を開くということ旭ありました。その席において教育長はこの案は今の事務局の総力をあげて、言葉が少し違うかもしれませんが、意味はそういう意味です。総力をあげて長い間練りに練って、諸般の状況を勘案して現段階においては最良の案と思って提出するのである。作った。そのときの、よくあとから言われた言葉でありますが、全知全能をしぼった案である、こういうことでありました。ところがこの全知全能をしぼった案というのは、文部省の方からも通達になっておるところの二本建の案というのであります。すなわち中学校長報告書と、高等学校における選抜のためのテストと、両方総合判定するという原案でありました。ところがこれからというものは非常なこの原案に対して圧力が加わりまして、その当時私たちも驚いたのでありますが、ほとんど全道にわたって保護者の方々が同意されました。そうして毎日毎日非常にたくさんの人たちがこの二本建の案の実施反対する陳情等をなされたようであります。私もその状況によくぶつかりましたのでありますが、そういうわけでありまして、その発表になりましてからも、わずか二週間ばかりの間にこれは完全に反対立場になりました。すなわちわれわれは百八十度の転換と申しておるのでありますが、報告書一本による選抜ということになったのであります。これが二十九年度に実施されるに至ったものの状況です。それから三十年度のは、これはやはり審議会を開き、中学長から五人、高等学校長から五カ月地方教委から一名、市の教委から一名、それから学識経験者として大学の先生が加わりまして協議会を開いて、慎重協議をいたしました。私もその委員でありました。そうして答申といたしまして、その答申に基いて教育委員会の事務局は慎重にその答申を骨子として作った案がこれが提示されました。それはやはり二本建ての原案でありました。ここに原案も持っておりますが、二本建ての案であって答申に基いたものでありました。ところがこの案がまた事務局としてはもう最後までこれを守り抜くということをわれわれにも明言しておき、なお地教委との関係において経費負担のこともありますので、地教委の代表者に対しても必ずこれを変えないということ、今そのことが雑誌の中に印刷になってもおります。絶対に変えないというのでありましたが、それがまた一本建に変化してしまいました。この三十年度ができる際には、まことに困難ないきさつを経過いたしたのであります。しかしながら、とにかく事務局の案というものは、また反対立場になってしまいました。それから今度は三十一年度、今年のであります。今年のは、去年から今年の春までかかって推移しておりますが、非常に慎重にいたしまして、審議会というものが組織されて参りまして、正味九日間、非常に長い時間かかって、九日と思いますが、九月の二日から十月の何日かまでの間、非常な真剣な審議をいたしました。しかしながら、ここに結論をとうてい得ることができなかった。それには学識経験者も、地教委も、それから高等学校側も、中学校側も、それからPTAの方も中学校側、高等学校側と加わりまして、そうして慎重審議をいたしたのでありますが、その結果高等学校側の主張に賛成する者が十三、それから中学校側の主張に賛成する者七という状況に明らかになりましたけれども、それでも満場一致でなければならないということがありましたので、ついに答申をし得ずして解散になりました。しかしながら大勢はよく道教委の事務局において見まして、それから前からの状況を十分に勘案し、すでに文部省からの通達もありますので、それらを勘案いたしまして、原案を教育長が作成したのであります。そして十一月の二十四日には公開審議によって決定するということでありました。ところがその決定は延期になりまして、その直前に延期になって二十五日に延ばし、二十五日がまた延びて、そして二十六日午後の八時十分ごろから、いわゆる新聞等で非難しておりました五分間会議とか十分間会議とかいうようなものによって決議されましたが、それは全くまた原案とは、教育委員会の事務局の教育長原案とは違った方向の、報告書のみによって選抜するというのでありました。でこの教育長原案なるものはないということを議会においても証言されておりましたが、この問題が非常にこんがらかりまして、ついに地方裁判所に法的の見解をただすことになって提訴したときに、法廷において原案のあったことが明らかになったのでありますから、教育長原案というものはあったのであります。すなわち教育長原案というものが没却され、それから全国において報告書一本による選抜というものはどこにもないのであります。そういう全国の情勢、それから高等学校側が、あるいは父兄とともに多年の要望も入られず、文部省指導、助言という通達にもよらず、それから審議会の十七対三という多数の意見にも、また、新聞等の論評、世論にも反して、そうして報告書のみによって選抜をするということがきまったのであります。こういうようなところを察しましても、その委員の構成を御賢察願うというとわかるのでございます。もちろん、この委員のうちには、終始道民の代表という立場から、厳正なる教育問題として、私たちから見ると厳正なる立場をおとりになった方もあるのでありますが、この構成の状況からしてどうしても最後のところに至ると、ほかにはないところの例が実施されるような状況になります。なおまた、このことがきまりましてから、私たちもそれでは公正妥当な選抜ができないから、何とかしてこの修正方をしていただきたいということを陳情に陳情を努めたのでありましたけれども、それはできなかった。できないところのうしろには、非常に大きな力が存在しておった。その力の一例をあげますと、私たち傍聴いたしたのでありますが、教育委員会の席に団体交渉と称するのでありましょうが、こういう言葉があります。一たんきまったこの通達を一字一句ですか、一字一句でも修正してはならない。修正をしたならば混乱が起きる。混乱が起きなければ、混乱を起してみせる。こういう言葉があったと私は記憶しております。それほどでありまして、そのとき父兄の代表たちもそれを心配して傍聴いたしましたが、それから解散後にもう非常に悲しみました。というのは、教育委員会がこのような力を及ぼされて、そうして所信を断行できないというようなことでは、北海道の教育をどうしようかということで非常に憂い、前途に暗い影を持ったように感じております。これは以上申しました給与二本建の反対の決議になり、入学問題が非常にむずかしい問題でありますが、本年に至っても、なお全国に一つも例のない報告書一本による選抜というようなふうに、年々事務局の原案の趣旨が通らずして、教育委員会によって全く変った方向に向いていくということを申し上げるのは、その構成員の一方に偏することがいけない。それよりも任命制によってこれを是正することが、北海道においては特に大切であるということを、強調したいがために申し上げた次第であります。以上は任命制のことでございます。  それから文部大臣権限のことでございますが、この入学問題について、高等学校の保護者も私たちも非常に痛切に感じたのは、今文部省からは通達というものが出て参りますが、これを問い合わせたり、いろいろしましたが指導、助言である、こういうことであります。指導、助言であるから、聞いても聞かなくてもいい、結局私の郷里の北海道においては、聞かないことになって、ずっと通ってしまいまして、まことに遺憾に存じます。何とかして文部大臣に今この法律にあります措置要求、われわれは今度の入学者選抜の問題なんかは、確かに妥当性を欠くものである。ほんとうに妥当性を欠くものであったならば、措置要求というものができればいいなあと、措置要求というのは、その当時は知らない言葉でありましたが、今度知ってみるというと、ほんとうに適切な文部大臣の力であるということが大事であるというふうに痛切に感じて参りました。それで今文部大臣権限強化という言葉で申されておりますが、これは決して法全体から見まして、また民主的な今日の状態から見まして、不当な干渉をしようという意図とは私は思われないのであります。  それから都道府県、特別市の教育長承認、との教育長承認ということについていろいろと論議されましたが、私この承認ということを私だけの気持ではそれほど重く、国家統制に向うところの大事な問題というようなふうに私は感じておらないのであります。大学では大学の自治権が認められておるが、その学長の選挙は大学においてするがやはり文部大臣承認というのでしょうか、承認と言うのでありましょうし、あるいは学位授与についても大学においてきまるけれども、やはり文部大臣承認といいますか、そういうものを必要としておるのだが、それがために何にも大学の自治が阻害されたというようなことはないと思っております。そのようであります。少し違うかもしれませんが、私はあまり強く干渉を受けるところのそれが道になるとは考えておりません。なおまた、今日民主的に徐々に、徐々にといいますか、急速に発展していっているところの日本状態において、これをもって国家権力を導入するところの不当干渉の文部大臣権限とされるなんということは世間も許さず。いわんや国会においてもお許しにならないところだろうと考えております。  それから調査報告等のことは、これは国の文教の最高機関として全国民責任を負っておるところの文部大臣としては、必要に応じてしなければならぬのはこれは当然じゃないかと、こういうふうに考えております。  それから各首長との権限の調整ということも、法案を拝見し、また皆さま方からの御意見も拝聴して私もよく了解いたしました。それでこれはやはりすなおに私としては考えて、円満に調和的に一体的に相協力していく態勢のもとにいくのには、やはりこれでいいのでないかというふうに思っておるのであります。  予算とか条例の提案権といいますか、それも今度の法案にはなくなっておるのでございますが、これもいろいろ論ぜられたように、私はやはり無用の摩擦を省き得る、それでそれぞれの首長が、自分のことのように重大な協力をしなければならないという責任観念から、ますます熱意を持って教育のことを思ってくれるであろう。今までの実情を、私の狭い範囲におきましては、教育委員会教育委員会のことであるというようなふうに、何かよそごとのようにとられておったのじゃないかというようなふうに考えるところがあります。それが今度は首長そのものが一生懸命やらなければならない。また、その府県の住民がよくその首長の教育に対する熱意というものを監視しておるというような状況下にあっては、回そう責任をもってよくやってくれるのじゃないか。教育委員になられた方々は、その原案送付権限がなくなっても、自分たちは使命を帯びて教育委員という重責に立っている。ことに国家再建の大切な時期に青少年の教育に当っておるのであるからという使命観からして、熱心に熱意をもってその首長と折衝をし、りっぱな教育予算なり、りっぱな条例が作成され、公布されるように努力をしていかれるようになったならばいい。要は人の問題、運営の問題にあると考えるのであります。  それから第三十三条の教科書以外の教材取扱い、これは論議の的になった一つのものでございます。で、このことについて、校長を長らくやってきた、教員を長らくやってきた私の考えからして、これにめんどうな、すなわち、詳細な制限を加えるということは、これはもう最もよくないことであります。しかしながら大きな副読本にするとか、あるいは視聴覚の問題ですか、というような、まあいろいろありましょうが、そういうごく大きなものです。良識をもって教師が判断をし、また友人や校長あたりと話をしてみて、まことに穏当なものであり、これがほんとう子供を愛するがゆえに、子供の能力を進展させるがためにこれがよいと判断されるものがあったならば、どしどしこれを活用していく、そういう自由の裁量の範囲は、当然教材扱い、届出認可という点においても考慮されて、地方の教育委員会が規則を作る際にしなければならぬと考えます。  まことに原稿を書くいとまもなく参りましたので、非常に粗雑な言葉で申し上げました。なお、また、私はほとんど教壇を離れず、一学校に終止したような者でございまして、見解も識見も足りませんが、北海道の実情を御参考に申し上げまして、この国会における本法案の御審議の幾らか参考になりましたらと存じまして申し上げた次第であります。
  161. 秋山長造

    ○秋山長造君 簡単に三点だけお尋ねいたします。その前に、ちょっとこれははなはだ失礼ですけれども、お尋ねしておきたいことは、札幌外国語学校というのは、これは北海道の道立の高等学校でございますか。
  162. 山口末一

    公述人(山口末一君) これは私立の各種学校でございまして、昨年開いたばかりで、ほんとうに貧弱なものでございます。私、公職を退職いたしましたものですから、ここに籍を置いたことになっております。
  163. 秋山長造

    ○秋山長造君 では、ただいま御陳述になったことは、道立の高等学校の校長時代の御体験に基いての御説明だったわけですか。
  164. 山口末一

    公述人(山口末一君) さようでございます。
  165. 秋山長造

    ○秋山長造君 失礼いたしました。よくわかりました。三点お伺いいたしますが、まず御公述の順序に従ってお尋ねします。第一点は、北海道は、教育委員の大半が日教組系の委員であるので非常に困る。しかもこのままでいったならば、この傾向がますます強くなって、もう全員独占というような事態になるおそれがある、こういう御意見だったんですけれども、これはむしろ逆に、現在の教育委員選挙されたのは数年前なんです。数年前の当時は御記憶の通り教員政治活動というものはかなり認められておったんです。ところがその後非常に教員政治活動は、いろいろな立法をもって制限されてきました。ですからこの面からも、むしろ御心配になるようなことよりも、将来の見通しは逆になるんではないかということについてどうお考えになるかということと、それから文部大臣がわれわれに、この公選を廃止されたことについていろいろ御説明になるときに、いつもおっしゃることは、今日は二大政党主義になったんだ、従って今後は自民党も徹底的に地方組織を拡充していく、もう町にも村にも、みな自民党の支部の看板をおろして、そうしてもう地方の末端まで自民党の組織の網を張るんだ、こういうようなお話があった。そういたしますと、北海道にいたしましても、まあ、今日の状態はいざ知らず、今後の見通しとしては、町村の末端、津々浦々まで自民党というものの支部もできてくるわけです。そうすると、今教員組合が非常な力を持っておって困るというお話しなんですけれども、そのよしあしは別問題として、将来の見通しとしては、まあいわばこれに対抗する自民党の支部組織というものが徹底的にできるわけです。そうすると、今後行われる選挙においては、一方では教員政治活動は極度に制限される、他方では教員をたたこうとする自民党のその組織が津々浦々まで網を張ってくるということになれば、そう悲観なさらぬでも、今後はまた日教組系の委員がだんだん減って、今度は自民党系の委員がだんだん進出されて、おのずからそこに均衡を保ってくるということは、これはもう確信をもって想像できると思うんですけれども、その点はどのような見通しをお持ちになっておるか。  それから第二点は、給与の二本建ての問題について、北海道の教育委員会は非常にけしからぬ偏向を侵したとおっしゃるんですけれども、これはあなたも御存じの通り、あの法律国家公務員についての、国立学校の教職員についての給与規定なんです。ただ理屈を言えば、地方公務員の関係も、それに準じてやるという慣例になっておる。法律上からすれば、慣例にすぎない。だから守らぬでもいいというんじゃない。法律論からいえば慣例にすぎないんですから、かりに北海道の教育委員会が、その法律と少々違ったことをきめたからといって、直ちにそれが法律違反で、政治的偏向だと即断することは、ちょっと私は酷だと思います。しかも教育委員会の決定ということは、これも申すまでもないんですが、予算にしても条例にしても、あるいはその他のいろいろな財政的な行為、すべてこれは教育委員会が決議して、すぐそれを執行するんじゃないわけです。これは必ず北海道の道議会というものの議決を経た上で執行するんですから、道議会に提出する前に原案を教育委員会で作るにすぎないわけです。ですから教育委員会が議決をし、そうして議決をしたことをすぐ執行に移すというならば、あるいはあなたのおっしゃるような、非常に政治的な偏向という結果が現われるかもしれぬけれども、現に北海道でも、教育委員会がそういう原案を作ったけれども、議会においてはやはり二本建が通ったとおっしゃるのですから、そして議会で通ったことを、教育委員会はそのまま忠実に執行するわけですから、結果においては何ら政治的な偏向でも何でもなかったわけです。その点をどのようにお考えになるかということです。  それから第三点は、教育長任命について文部大臣承認ということは、ちょうど大学の学長の任命について文部大臣承認ということがあっても、別に大学の自治は侵していないと同じことだと思うとおっしゃったけれども、私は多少誤解をなさっておるのじゃないかというように思ってもう一度お伺いするのですが、この大学の自治というのは、これは一朝一夕にできたものではないと思います。これはもう世界各国長い、この大学とそしてときの権力者との間にいろいろな、これはまあ極端な言葉で言えば、血みどろの争いがあって、その長い歴史と伝統の結果に基いて初めて確立された一つの慣習法なんです。慣例なんです。しかも大学というものは国立であって、大学の学長というものはこれは国家公務員です。だからその任命について文部大臣承認ということは、これは当然の話しなんです。ところがこの教育長は、これは国家公務員ではないのです。これは地方公務員なんです。地方の自治体の職員なんです。その地方の自治体の職員、地方公務員にすぎない者の任命文部大臣承認が要るということは、これは法理論からいっても、いまだかつてないことなんです。他に例はありません、そういう例は。そういう論理法からいって矛盾しておる、間違っておるというようにお考えにならないかどうかということと、それからもう一つは、大学の自治は今申し上げましたように、非常に長い歴史と伝統の上に築かれた一つの慣習なんです。ところがこういう教育とか何とかいうようにこれは行政官的な仕事をしておる。しかもそれには非常に行政権という一つ権力が伴っておる。しかもそういう行政系統についての大学の自治にひとしいような慣習、慣例というものはまだ日本の国では確立しておらないのです。ややともすれば中央の承認とか、任命とかいうことになると、すぐそれが国家統制なり、中央集権なりというものにつながりやいす措置が強く残っておるわけです。そういう状態の中でこういういまだかつて他に類例のないような、この地方自治体の職員でありながら、文部大臣承認がなければ任命できないというような制度にした場合に、これはおっしゃるほど楽観はできないのじゃないか。弊害が出てくるのじゃないか。けさもお聞きになったと思いますが、友末全国知事会の代表も同じようなことを、私が申し上げたと同じようなことをおっしゃったのですけれども、あえてそれでかまわぬ、こうおっしゃれるかどうかその三点をお伺いいたします。
  166. 山口末一

    公述人(山口末一君) 私さっき一つ組合の方の組織的な力が非常に強い影響をなして、そしてこの公選の場合には、その方面に属した方でないというと、容易に当選もできないし、またあえて立候補する人も少いというような状況で、この前の選挙のときもこの系統の支持を受けてない者が立候補しましたけれども、当選できなかった。私たちは外から見ておって、当選してほしかった人でありました。そういう、これは主観の問題でありますが、ところが今、今後自民党がずっと地方に拡大していったならば、やはりそのような、今度は教員の活動が縮小され、政党の活動が活発化していくというと、今度は出てくるところの教育委員というものは、その政党の色彩のものに独占されるようなきらいがあるのではないか、こういうことについての私の考えをお尋ね下さいましたのでありますが、これは先ほど申しましたように、今度の新法案に……。
  167. 秋山長造

    ○秋山長造君 ちょっとその点は違うのです。自民党に独占されるといったのではない。現在は教組だけが全般的な組織を持っておって、他にそれに対抗する組織がないから、だから教組ばかりの代表が出るとおっしゃったでしょう。ところが自民党の方でも津々浦々まで組織の網を張っていかれるのです。これは大いにそう言って意気込んでおられる。そうなりますと、おのずからそこに自民党の系統の教育委員も出てくる可能性が非常に強くなってくる。そうすると、おのずからどっちか一方に片寄るということでなしに、バランスがとれてくるのではないか。そうすれば何も日教組がいよいよ独占するということばかりをおそれて、そのために公選制をここで廃止するということをしなくても、もう少し長い目で見たら、おのずからそこにバランスがとれてきて、あなた方の気に入るような教育委員会の姿というものが実現できるのではないか、こういうお尋ねだったのです。
  168. 山口末一

    公述人(山口末一君) 御説ごもっともだと思いますけれども、今の状況しばらく何年かというものは、私は容易に、そういう好ましい、両方からうまく調和のとれたものが公選によって出てくるような時代が来ないのではないか、教育のことはそうずっと長く待っていられないのであって、青少年はその日その日を最後として発展していくのであるから、今日の現実に即して是正されるような方法を講ぜられた方がいいのではないかと考えます。考えの違いになるかもしれませんが。  それから給与二本建の法的なことは御説の通りでございます。  それから文部大臣教育長承認の問題について、法的に筋が通らないということはお説の通りと、私もさように思いますが、これを筋の通る方法によってここら辺を国会において御審議、適当にここをあんばいされまして、法文を適当にされまして、この趣旨が通るようにされることを私としては念願しております。
  169. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 山口公述人から北海道の実情に即してという立場から公述されたわけですが、私は現実というものを注視しなければならぬということは、もちろんでありますが、しかし、一方で理想としてはどうあるべきかということを考えて、それに努力するということが、私はさらに非常に大切だと思うのです。そういう立場から、あなたの御意見をあらためて伺うわけですが、北海道においてある条例を望んでおった。その条例が北海道の教育委員会の構成によってできなかった。だから自分と同じ考え方を持った文部省が何か力をもって、そうして自分の希望しているような条例ができるようになることが望ましい。そういう意味においてこの大臣の措置要求というものがよろしい、こういうように公述なさったわけですが、この点と、それからまた、その教育長文部大臣承認することによって任命する、このことはおそらくあなたは高等学校に勤務されておったと言われますから、終戦前教育においては、当時の中等教育界においては、よく全国的に人事交流があった。それが当時の日本の中等教育界の高き水準を維持できた一つの要素になっている。ところが終戦後においてそういうものができなくなったから、何か文部省というものがあって、それから文部省と連絡のついた教育長でやればそういうものができる、こういうようなことをお考えになって、私は教育長承認権がよろしいというような御意見を述べられているのじゃないかと思うのですが、私は今の日本高等学校の人事交流等がある程度必要とは考えます。しかしそれならば都道府県に教育委員会があれば、他に幾らも、教育長連絡協議会というように幾らでも方法があると思うのです。ただそういう一つのあなたが希望していることを具現するために、文部大臣に何らかの権限を与えて、地方公務員である教育長任命権を与えようと、こうすることは、あなたの志はいいとしても、非常に立法する場合には私は問題があるのじゃないかと、そういう点をどういうようにお考えになっているか。これは昨日来公述人からずいぶん意見を聞きましたが、教育長文部大臣承認権とか、あるいは文部大臣の措置要求というのは、衆議院公述人の速記録を見ましても、参議院におきましても、この法案に賛成している有識者でも、相当にこれは批判をし、警戒をしているわけなんですが、かつて中等学校あるいは高等学校に奉職されて、戦前並びに戦時中の画一教育、命令教育をあなたやられて、いろいろと経験されている。私自身かつて中等学校、高等学校に勤めたので経験がありますが、その経験のある先生からあるいは文部大臣教育長承認権、さらに文部大臣の措置要求が適当だというのは、まあ間近にある自分の希望するような条例ができなかったから、何かこの法にある大きい力で解決してくれればいいというような、こういうような気持から、私はすなおにと申しますか、述べられているんじゃないかと思うのですが、そういう点どういうようにお考えになりますか、もう一回承わりたいと思います。
  170. 山口末一

    公述人(山口末一君) 私もおそらく意を尽して申し上げることができないと思うのでございますが、現実に、教育ばかりでありませんが、特に教育行政においては、現実に即さなきゃならないけれども、理想を高く掲げて、そうしてその理想の実現に向って邁進していかなければならない、重視しなければならないということは、全く同感でございます。しかしながら、今までの教育委員会のその長所の、功績の方を別として、うまくいかなかったという点を考えてみるというと、やはり現実に合わないというようなところが見られる。そこでこれを是正していく、理想に近づけていくために、実績から検討されて立案されたものが今度の改正案でないかと、こう考えておるわけなんであります。それから文部大臣の措置要求ということについては、これは単に私自分の郷里の問題がうまくいかないから、国家の最高機関によってだけ解決しようというような、そういうばかりではありませんで、それを一つの実例として全国を見渡して、幾らもやはり顕著な妥当性を欠くと一般に認められるようなものあるときに、国全体としての教育責任を負うておられる文部大臣に何らの措置を要求する、もちろん教育委員会を経てでありますが、要求することもできないというようなことではいけないから、やはり措置を要求することができるということを法に明記された方がいいのじゃないか、こういうふうに思って原案をやはり支持したいのであります。  それから教育長承認によって任命するということについては、なるほど教育委員会教育長会、研究会というようなものによって人事交流等によって、地域の教育差であるとか、学校差というものをなくしようという努力がされ、水準をともに向上していく方に努力されており、そういう組織がなっておるということも承知いたしてその効果も知っておりますが、これがこの教育長……先ほどのお尋ねに対してお答えしたときも法理的には筋が通らぬと私申し上げたので、今もやはり同じことを申し上げるわけでありますが、筋は通りませんが、教育長というものを文部大臣承認されるという、こういう形式をとっても実質的に国家統制を強くやるというようなものにはならずして、そこは運営であり、また国の最高の立法機関たる国会がよく見ておられるのでありますから、さような民主主義に反した行動に、法を曲解していかれるというようなことがなくして、非常に文部大臣教育長との間にも一種の精神的の血のつながりといいましょうか、そういうあたたかい気持がただようて、全国を通じての教育の向上、人事の交流その他のことが気持よく進んでいける。すなわち地方教育委員会文部大臣というものがかけ離れておるのではなくして、教育長一つの橋渡しとするか、一つのよい意味における血のつながり、動脈でもできて、国家権力を強要するものでなくして、そういうよい意味におけるつながりのきずなとなるような意味において私はけっこうなことであろうと思います。しかし法理的には筋が通りませんが、地方公務員と国家の最高機関の方とは違いますから、そこを私のようなしろうとはわかりませんので、先ほどの方にお答えしたように、筋は通っておりませんから、筋を通すように法の言葉を適当に国会において御検討下されて、この気持がやはり表現されるようにしていただきたい、こういうやはり希望を申し述べます。
  171. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 山口さんのきょうの公述根拠は、ことしの三月まで道立の高等学校の校長をしておったその経験に基いてというところに立脚されておりますので、私は次の質問を発するのですが、御承知のようにわが国高等学校の職員の団体は、大きく分けて二つございます。若干の意見の違う問題もありますが、しかし、私が次に述べる点については、いずれの団体も完全に一致し、ほとんど全国の高等学校教員は私が今述べるような意見を、感想を持っているわけですが、このことについてあなたはどういう御見解を持っているか、私は承わりたい。それはともかくも、今わが国に再軍備政策がとられて、これによって非常に教育予算にしわ寄せができてきて、そしてとっくに高等学校の充実のために定員等は甲号基準になっているはずであるのにかかわらず、いまだその乙号基準にも達しない。男女共学はしかれたけれども、その施設、設備も十分でない。さらに終戦後自主的な教育を特に高等学校においては気持よく展開しておったが、最近命令、通牒というようなものが非常に多くなってきて、戦前戦時中のかつての中等教育を思い出すようになってきた。この傾向が進んでいくならば、これは再びこの戦前戦時中の画一教育になるのではないか。さように決してしてはならない。こういう現在並びに将来に対する懸念を抱きながら今教壇において働かれているというのが、これは全国の、あなたがこの三月まで勤められておりました高等学校職員の大体間違いない御意見だと私は把握をしているわけですが、あなたはどういう御見解を持っておられるのかということと、それと関連して高等学校等についてずいぶん予算が不十分ですが、この確保は予算の原案送付権というところによって、そうして各都道府県で最小限のもそれ以下の高等学校教育予算を確保しているようです。それにしてもなおかつ今の高等学校教育は陥没している、こういうような判断がなされているわけですね。こういうところに、あなたは先ほどいざこざの起るようなものはやめた方がいいというような立場で、この予算の原案送付権は削除することに賛成だと御発言になったわけですが、この三月まで高等学校校長をされておったならば、何か私は感じられるところがあるのじゃないかと思って、私が接する限りの高等学校の先生方の御発言の内容、今まで承わったところは相当に私は先生の公述内容はかけ離れているような感じがいたしますので、最後にこれを承わりたいと思います。
  172. 山口末一

    公述人(山口末一君) 一つは再軍備の方向に向いておるがためにその国家予算というものが、国の財政がその方に流れて、教育の方はしわ寄せされている、こういうことはよく言われることでありまして、教育に従事しておる者、その関係者としてはそうであるとするならば、まことに遺憾なことであります。しかしながら、私は私なりで考えておるのは、再軍備、これは憲法改正を待たねばならぬと存じますが、自衛の程度で今日いっておるのでありましょうが、いずれにしても独立の国としては相当の防衛の力を持たなければならない。今後の日本が独立国として世界に伍し、また日本の困った状況を外交によって展開していくためには相応したところの、今軍備という言葉を使っていいかどうかわかりませんが、防衛の力を持たなければならぬという考えは私持っております。これは今のことに関係なかったのでありますが、教育費が削減……、
  173. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 あなたの学校は甲号基準でしたか、定員なんか。そういうところちょっと説明して下さい。
  174. 山口末一

    公述人(山口末一君) 乙号ちょっと下回る程度でございます。  そこへもって参りまして、自主的の教育が強調され、男女共学が実施されても、しかしながらその教育予算というものが少いがために、先ほどPTAの方のおっしゃったように、PTAの経費に負うところがなかなか多かった。そして思うように共学の実も上げ得なかったというようなことは、今日の状態でたくさんありましたが、さりとて原案送付権があったから、今日までとにかくもやってきたんだが、これがなくなったならば、直ちにかえって削減されるじゃないかというような心配は、私はそう思わないのであって、先ほど申しましたように、この首長の熱意、それからその首長のところの議会、こういうものの熱意、誠意、またそれを動かすだけの力を教育委員会が持ち、また関係の教職員が持ち、父兄が持って、そしてできる範囲の最大の教育費を持ってもらうように努力をしなければならぬ。熱意を持っていかなければならぬ。国は乏しい国になり、復興の途上にあるのでありますから、困難なところはあくまでもがまんをして、そして施設、設備は最大限度に利用、活用するところの考えをみんなが持たなければならぬ。そして行政一般の見地からして、知事さんがおっしゃったように、ちょうちん持ちするわけではありませんけれども、やはりそこの住民といたしますというと、教育ばかりが仕事でなくしていろいろなものがありますから、その取捨あんばいをして、主として教育のところに力を注いでいただくように各方面が協力一致していくということで、その原案送付権がなくなっても、あながち削減されないように進めていけると考えます。  それから高等学校教員が、お会いになるところの者が多く、自主的であったのに、このごろは命令、通達が多くなって、戦前にも戻るような気がするというようなことをお聞きになるそうでありますが、私、今まで北海道にちょうど八年続けてやっておりましたが、北海道の方はそういうことはなくて、私たち非常に伸び伸びとして教育に従事して参りました。  それからもう一つちょっと、先生のお尋ねでないのでありますが……
  175. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 お尋ねしないことはいいです。
  176. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ほかに御質疑の方はございませんか。……以上をもちまして山口末一君に対する質疑は終了いたしました。  以上をもちまして二日間にわたる文教委員会公聴会を終了いたしました。なお、公報所載の通りこれから理事会を開催いたしますので、理事の方はお残りを願います。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十九分散会