○矢嶋三義君 そういうことを言うと、また大きい声を出さなければならぬ。ここにも
教育軽視の、
教育を冒涜する私は
考え方があると思う。一体今まで助役を
教育長として認めてきた、こういうことは
教育軽視の
考え方ですよ。大体一国の文教政策というものを政略的な立場からのみ
考えるからこういうことが出てくる。
考えてごらんなさい。ある町ある村において、相当の学問をし、
教育職員としての経歴を持ち、りっぱな識見を持っている、そういう
学校長以下の
教育職員を……、なかにはりっぱな助役さんもおりましょう。そういう助役に
教育長を兼ねさした、こういうのは
現行教育委員会法の立法精神をじゅうりんしているものですよ。それがさらに今度は経過規定である程度いくわけですが、
教育長の資格要件を落したということは、これはやはり
教育軽視の
考え方から出てきておる。さらにどうしてこういうものを落さなければならなかったかということは、
質問してゆけば理由がはっきりしてくると思います。
教育委員というものは政治的手腕も必要でしょう。しかし、
教育長の一番重要な要件というものは、何といっても
教育全体の専門的識見を持っているということですよ。これが一番重要なんです。従って現行ではなんでしょう、
教育長の資格は「学士の称号を有し、且つ、文部省令で定めるところにより、大学において所定の単位を修得し、五年以上
教育に関する職にあったこと。」とか、あるいは「二年以上、校長、指導主事、社会
教育主事その他の文部省令で定める
職員の職にあったこと。」とか、「教諭一級普通免許状を有し、」
云々という、要するに専門職としての資格が規定されている。これは全部落した。この落したのもこのままでいいかどうかは私は若干
意見を持っていますが、それは今日触れません。しかしこれに近いところの私は
教育長にはやはり要件が必要だと思う。そうしなければ実際に現場において働いている先生方に適正なる指導と助言はなし得ないと私は
考えておる。政府がこういう条件を全部落したのは、やはり町村において
教育委員と
教育長とを兼ねさせるというところから出てきているのですよ。それを町村で
教育委員と
教育長を兼ねさせる、だからこういうふうな条件を大幅に取らなければならなくなってきた。だから場合によったら、えらい
教育委員、
教育長が私は出てくると思います。
そこで私は少し具体的に伺いますが、あなた方はせめて人格が高潔で
云々ということで埋め合せようとしていると思いますが、非常に抽象的なものになっておると思うのですが、首長の選挙とか、
地方公共団体の議員の選挙のような場合は、よくこういう人が出ております。選挙違反なんかかかったのは何とも思っていない、名誉ぐらいに思っている。選挙違反で罰金を受けたり、投獄されたような人が平気で首長に当選したり、議員に当選したりしている、あるいは詐欺をやったような人がなっている人もおります。あるいは二号、三号、めかけを持っておるような者、正妻以外の女性に子を産ましたような男性なんかも、都道府県の首長やら議員にたくさんなっている。ところが最近の市町村の
教育委員の選挙を見ていると、かつて詐欺で引っかかったとか、あるいは選挙違反をやったとか、あるいは二号、三号とかを持っているような人物が立候補すると、あの人が
教育委員になっては困るからといって、りっぱな人を対立候補として、青年団とか婦人会が立候補さして、当選さしているような選挙が最近行われておる。一体
教育専門職としての要件も落している、
教育公務員特例法で落している、何もなくなってしまう、そうして
あとはさっき言ったように、他の町村からも連れて来れるわけなんです。
あとは「人格が高潔で、
教育、学術及び文化に関し識見を有する」
云々とあるのですが、
大臣に具体的に伺いましょう。これは将来、首長が議会に
教育委員を推薦する場合に大事になってくるわけですが、もう具体的に伺いますよ、ゼロ号とか二号、三号とか持っておるような男、それからちょっとした詐欺に引っかかったような男、あるいは選挙違反なんかで有罪となったような人、そういう人を首長は
教育委員、その中のある一人は
教育長になるわけですが、そういう人を首長が推薦することは望ましいとお
考えになっておるのか、それともそういうことについて別に何もお
考えになっておられないのか、どの程度のお
考えを持って「人格が高潔で、
教育、学術及び文化」
云々と表現されたか、本
法案成立後において、運用上非常に関係が深いと思いますので明確に伺っておきたいと思います。立案者の所見を伺います。