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1956-05-22 第24回国会 参議院 文教委員会 第32号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月二十二日(火曜日)    午前十時二十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加賀山之雄君    理事            有馬 英二君            吉田 萬次君            湯山  勇君    委員            雨森 常夫君            川口爲之助君            剱木 亨弘君            白井  勇君            田中 啓一君            中川 幸平君            三浦 義男君            三木與吉郎君            秋山 長造君            安部キミ子君            荒木正三郎君            成瀬 幡治君            矢嶋 三義君            高橋 道男君            竹下 豐次君   国務大臣    文 部 大 臣 清瀬 一郎君   政府委員    自治庁財政部長 後藤  博君    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   説明員    文部省初等中等    教育局地方課長 木田  宏君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○本委員会運営に関する件 ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律施行に伴う関係法律整理  に関する法律案内閣提出衆議院  送付)   —————————————
  2. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより文教委員会を開会いたします。  まず、昨晩開かれました理事会経過について報告いたします。  御承知通り昨日の衆議院文教委員会は、教科書法案に対する質疑を終了したまま散会いたしました。従って昨日の委員会報告いたしました通り理事会においては逐条審議については決定を行わず、本日の委員会は昨日来の質疑を継続し、逐条審議については委員会散会理事会を開き、協議決定することにいたしました。  また、昨日の理事会懇談会において先日来の当委員会における文部大臣発言に関連して、松澤一鶴君からその間の実情について説明を聴取いたしたのでありますが、その内容については、出席委員も多数でございましたので省略いたします。本件については、本日の委員会劈頭文部大臣に対し質疑を行うことといたしました。その質疑はできるだけ簡単に短時間をもって終ることに了解を得ております。  以上報告通り取り運ぶことに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 御異議ないと認めます。
  4. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 地方教育行政組織及び運営に関する法律案及び同法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案を議題といたします。質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 湯山勇

    湯山勇君 ただいま委員長から御報告がありました、清瀬文部大臣の去る十五日本委員会においての矢嶋委員並びに私の質問に対する答弁に関連してお尋ねいたします。文部大臣は、十五日私並びに矢嶋委員質問に対して、そういうことはないというふうにはっきり言い切っておられますが、そのことについては、今日もなおその通りであるということを断言なさるかどうか、まずお伺いいたしたいと思います。
  6. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あのときの全体の様子は私は第一に、私は参議院公聴会の問題を頭に置いておりました。それからもう一つは、公述内容のことを頭に置いておりましたので、松沢君に衆議院で私語したことは忘れておりましたです。そのことはきのうの公聴会のことを私伝え聞きましたが、大体松沢君の言う通りでございます。
  7. 湯山勇

    湯山勇君 それでは、大臣の口からそのことを一つはっきり経過を追ってお述べいただきたいと思います。
  8. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あれは、こういうことなんです。たしか、時は三月の八日と思います。今御審議願っておる教育委員会法衆議院に提出した日であるのです。松沢君は私に夜会見をお申し出になったことを私家へ帰って聞いたんです。しかし、夜のことでもあり、会見は、私の私宅ですからね、適当ならずと思って断わりましたです。あすでも国会で会うたらどうだと断わりましたが、しかし、電話で話をすることになりまして、それじゃ電話で聞こうというんで、聞きましたです。私は宴会から帰ったときでありますから、私は実は幾らか酒気を帯びておりました。(「自分が帯びていた」「相手は」と呼ぶ者あり)相手のことはわからない、電話ですから。しかしながら、私と同じように早口で大きな声で同じことを繰り返しておっしゃるのです。ね、そういう情勢であったんです。私の言うことに対して適切なるお答えもなく、また、私も向うの言うことに対して適切な答えをせず、同じようなことを言い合っておったのです。それは趣意は——そういう場合ですから、幾らか違うかわかりませんよ。趣意は、われわれは一体選挙を受けた委員だ、内閣が提案するのに僕らに黙って、諮問せずに提案するのはけしからぬ、こういうふうの私に対する叱責です。古いなじみでもありませんけれども、近時懇意に願って、君、僕の言葉づかいですから、そこで私は幾らか冗談のつもりで、あるたとえをしたのでございます。たとえの内容は今日あなた方御承知でありまするけれども、まあ言わない方がいいんです。それでその晩は寝て、約束通り翌日会いましたんです。会うた場所は、参議院の自由党の第八控室と思いまするが、会うていきなり、松沢君、きのうは失敬した、あれは君取り消しだよ、私いきなり言ったんです。軽く言いました。それで松沢君ともう二人ほど同行者がありましたが、そこで今度は丁寧な言葉教育委員会のことをおっしゃって、ずっと私は聞きましたです。だがしかし、だんだん自分言葉自分で興奮されて、私にちょっと無礼なことをおっしゃったんです。それで私は、聞き捨てならぬ、おれは政治で意見が間違っておるということは非難されるが、道徳的のことをおっしゃるという非常に残念だ、といったようなことを私言って反撃したんです。そうすると、松沢君は、それに対して断わりのような、まあ謝罪のような言葉をお使いになったから、それは君必要ない、友だち同士だ、そんな君言葉をあやまる必要はない、そのかわりに、君の今言うた言葉も、僕の昨晩言うた言葉も、どっちもなかったことにしようと言って握手をして、そうしてなお話を続けて別れたんです。そういうことなんです。だから、一ぺん取り消して、またなかったことにしようという約束をしておるのです。ところが、どういうわけか、そのことが文書に載りましたから、そこで予算委員会で、たしか矢嶋さんじゃなかったですかね、そのことの有無をただされましたから、これは単に取り消しじゃなく、お互いになかったことにしよと約束しておるから、松沢君も人に聞かれたら、おそらくなかったと言われるだろう。そうすれば、私の方から言い出すのも悪いということで、それはなかったことですという答え一本で私通しておるんです。大へんその時分には質問者は御不満でありましたけれども、男子男子の間でなかったことにしようということを、あったように表現できませんから、ございませんと、衆議院でも委員会で同じようなことがあったから、それはないんです、こう言って通してきておるんです。今の場面は、その後四月の七日、九日に公聴会がありまして、衆議院の席のやり方は、公述人が話す横にいすをずっといつもの大臣席と同じように置いておいて、そうして私は一番左の方、松沢君は右の方でありましたが、ともかく同じ列でありましたから、松沢君が公述する前に、二つ三つ椅子向こうへ寄って、松沢君、この間のことはないことにしたのだぞということを注意したのです。そうしたら、向こうも人に聞こえんように頭でうなずいて、そうして公述に立ったわけなんです。むろん衆議院公聴会はこの案のメリットによることで、そんな友人同士言葉のかけ合いなどは質問は万されまいと思いますけれども、私がなかったことと言って、たびたび拒絶しておるのに、片一方があったことと言うと、そこからもつれるから、省略したがよかろう、といったような軽い心持であって、果して松沢君はその公述のうちで、たしか文部大臣と何か話をしなかったかといったようなことの質問もあったと思います。松沢君は果して、いや、そんなことはございませんと私と同じ答弁をしておるんです。それで松沢君を、まあ男の約束として約束を守られたなと思って、私の心じゃ、これはりっぱな態度だと思って、ありがとうということは言っておるのです。あなたのお問いがそれを含んでの問いでありましたら、そのことはむろんあったと言うのでありまするけれども、あのときの場面で、あなたがそういうことまでも含んでお問いになったということが気がつきませんでしたから、総凡的に公述人圧迫を加えたなんということはないと答えたんです。松沢君に、圧迫を加えたのじゃありませんが、それだけの私語したことはございます。
  9. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今経過お話しになりましたが、短時間に事態をはっきりと究明いたしたいと思います。私どもは大臣速記録で議論しておるのです。五月十五日の文教委員会速記録、これによると、林公述人に関して政府委員のとった態度について応答がなされた段階においては、あなたは、部下がいつ電話をかけたとか、そういうことは知らないと、ずうっと通しておるのです。そうして十二ページに参りまして、根拠速記録でございますよ。湯山委員がこう言われているのです。「今度は大臣です。あなたは大臣就任以来、公述人に対してああいうことを言ってくれとか、ああいうことを言ってくれるなといったようなことを依頼した事実は絶対ございませんか。責任ある答弁を願います。」文部大臣答えていわく、「私自身のことでありますから、お答えいたします。絶対にございません。」それから私はしいて加賀山委員長のお許しを得て、「文部大臣絶対にないということを言明されました。もし、あったときはどうしますか。はっきりお答えになって下さい。」あなたは、「絶対にないのでございます。」、で私は「あったときは」と言ったところが、「絶対にないのでございます。」、「ないから、あった場合のことは考えておりません。そんなことがあったことはありません。私はそんなことは絶対にしません。御信用願いたいと思います。」とですね、語気強く逆襲的な態度をもって答弁された。この速記録を見れば、明瞭に大臣就任以来公述人に対してああいうことを言ってくれとか、ああいうことを言ってくれるなということをあなたは言われたことはないかということについて、あなたはそれまでは政府委員がいつ電話をかけてどうしたか自分は知らぬが、これは自分のことだから、はっきり責任ある答弁ができるといって答弁をされておるんです。問題は速記録で議論しておるのです。先ほどのあなたのお言葉は全然認められません。いかがでございますか。(「重大だ」と呼ぶ者あり)
  10. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 湯山さんのお問いが非常に抽象的であってですね、ああいうことを言ってくれとか、くれるなとかいうことは、やはり公述の私は内容に関することだと思っておったので、今のようなことは実は念頭になかったんです、そのときは。それでこれがその通りのことだとすれば、私は失念いたしておったと言うよりいたし方ございません。
  11. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それであなたは失念ということになると、さらに追及しなくちゃならぬ。四月二十七日の参議院文教委員会でですね、あなたは荒木委員並びに私の質疑に対してこういうことを言われているんですよ。長くなるから要点だけ申します。それは「私の友人も、国会公聴会等で呼び出されて質問を受けましたが、答弁はいたしておりません。事実的にその問答はないのです。」、こういうように断定され、さらに逆襲されて、「しいて言えとおっしゃれば、ございません。」、語気強く言明されておる。この衆議院公聴会が行われたのは、四月七日です。その前はあなたはこういうことを言われていなかった。四月七日の衆議院公聴会でですね、その事実が辻原委員との間で応答がなされております。私は全部読みました。辻原委員追及も、最後の明確な追及をしていないので、松沢公述人はそれをちょっとはずして答弁しておりません。しかし、その事実があったということは、この活字に残っていないんです。それをあなたは根拠にしてですね、それ以後ないんだ、その証拠には当事者である松沢氏が公述に出たけれども、述べていないじゃないか、こういう答弁をわれわれにしておられるわけです。これを失念するわけありません。そこで問題だから、参議院公聴会で長野県から来た池上公述人に事実があったかないかといったところが、責任をもってあったことを断言しますと、公述をしたわけです。それに基いて湯山委員が十五日に尋ねられた。特に湯山委員は念を押して、大臣、あなたのことですよ、しかも就任以来大臣としてとまで、はっきり明確に念を押して尋ねられております。そうしたところが、あなたはこれは私に関することだから、責任ある答弁ができますと言って、今読み上げたように私の問答を繰り返しておる。そのときはむしろ逆襲的な態度において答弁されておるんです。どういうあなたは責任を感じておられますか。あなたの答弁次第では事は、これは重大に発展いたしますよ。それを私は今ここに持ってきているのは、参議院予算委員会から内閣委員会文教委員会内閣との連合委員会速記録を全部持ってきているんです。それらのずっとこの陳述というものは変ってきている。一番変ったのは、四月七日衆議院において公聴会が開かれたあと、やや不十分な問答辻原委員松沢公述人がやっておりますが、それ以来あなたの答弁は急角度に転換して、むしろ逆襲的な態度において本委員会において答弁されている。
  12. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これは私は二色によく分けて考えなければならぬと思っているんです。あのたとえの話は、私もなかったことという約束で、ないと答えたんです。松沢君がどう答えるかと見ているというと、松沢君もないと答えているんです。ですからこれはないんです。私の気がつかなかったのはですね。結局湯山君のお問いについて私が気がつかなかったのは、その事実のあるなしじゃなくして、衆議院公聴会であれは君ないことにしたんじゃぞと、私の言ったようなことが、それがあなたのおっしゃる圧迫を加えて供述を変更せしめたということに当るか、当らぬか、そこの問題なんです。ああいうことを言うた、これは私が自分で言うとおかしいけれども、ユーモアやジョークという種類のもので、大したことはないんですけれども、しかしそれはないことにしている、向うの人もないことにして言っている。ただ、あれはないことにしたぞ、席を横に行って耳打ちしたのが、それが湯山さんのお問い大臣就任以来公述人に対してああいうことを言ってくれ、ああいうことを言ってくれるなというようなことを依頼したかというので、この依頼にもし当るならば、私の失策でありまするが、私の答えはですね。主として供述内容のことを頭に置いておりましたから、湯山さんの抽象的なお答えについて失念をして、はなはだ不正確であった、このときにも松沢に対して耳打ちしたとおっしゃるならば、私はイエスと答えざるを得ない。今でも、耳打ちしたことはあったんですよ。あれはないことにしたぞということを言っているわけです。
  13. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今、松沢公述人衆議院でないと公述している、私もないといっておると言っているが、松沢公述人はどこでないと言っておられますか。
  14. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そこをちょっと読んでみて下さい。否定している。
  15. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 いや、否定していません。ただ、辻原委員質疑に対して、酒を飲んでおった云々ということがあるがどうかという質疑に対して、そんな酒を飲んで、酒気をおびておったとか、料理屋から電話をかけたというようなことは絶対にないとはっきり言い切っている。あとでそういうようなことはないということを、これは松沢公述人はずいぶん長く答弁していますので、これを読めば時間がかかるから読み上げませんが、否定したものはどこにもありません。そこで大臣松沢公述人衆議院においてそういうことはないと言っているということを言われるのでございますか。ありません。速記録にないんです。どこのところがあるのでございましょうか。ちょっとこれ、あれば指摘していただきたい。(「それは大臣、幾ら読んでもないですよ。」「何も言っていないのだから書いてないだけのことで。」「まあ読んで下さい。」「大した問題ではないのだから審議を始めようや」「虚偽の答弁しているのですよ。これは自民党とか社会党という問題ではないのですよ」と呼ぶ者あり)
  16. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これで言うたということはあるのですよ。これで、ないことを彼が言ったのです。この辻原君の問いの終りの方は、文相とのその晩の話を明確に言えという問いがあるのですね。それに対してその晩の話を、酒を飲んでおらん以後、ちょっとこれを読んでみます。「お互い選挙であるが、それぞれ任務が違っておるので、」私は代議士、向う教育委員です。「違っておるので、法律を作るについてはそれぞれの担当者には聞くことはないというようなお話で、なおもわれわれは、この協議ができるかできないかということについてお話伺いたかったのでありますが、その日はそのまま大臣電話を切られたので、私どもお伝えすることができず、また翌日その点について御返事伺い国会に行きまして、」と言うてこの晩のこの私が電話を切ったまでのことを言うておりまするけれども、今の問答のことは避けて、言っておらんのです。(「否定していないじゃないですか」と呼ぶ者あり)言っていないというのが私の主張なんです。私はなかったという、(「私はなかりしことと言っている、松沢君もなかりしことと言っているじゃないですか」と呼ぶ者あり)なかりしことにしたけれども、皆ざっくばらんなことは言わないで、そのことを飛ばして言うているのです。「法律を作るについてはそれぞれの担当者には聞くことはないというようなお話で、」これは少し不正確ですけれども、そういう話はしておるのです。ここへ入るのです。「それぞれの」これは「担当者」でなくして私は利害関係者と言っているのです。法律を作るには、直接の利害関係者というのはあまり強いじゃないか、ここへいくのです。ここへ松沢君がそのことを言うなら入るのです。それを言わないで「なおもわれわれは、この協議ができるかできないかということについてお話伺いたかったのでありますが、その日はそのまま大臣電話を切られたので、」これはどっちが受話器をおいたか知りませんけれども、電話が切れた、ちょっとまずい切れ方ですけれども。「私どもお伝えすることができず、また翌日その点について御返事伺い国会に行きまして、」参議院の第八控室へ行ったのです。そこでこの話を問う人の方は、そのことを言わさんがための問いをしておりますけれども、これは飛ばして証言をしておるのです。だからこれが言わなかったということなんです。今こういうふうな御審議でありますから、私はこういうことがあったけれども、これは言わないことにしてあるといういきさつを御審議のために言っておるけれども、それさえも言わないでそれを飛ばして証言しておるということが松沢君の義理がたいところで、それであとで私はありがとうと言っているのです。
  17. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 もう一回だけ。そのあと湯山委員荒木委員質疑して、さらにあと質疑しますが、大臣、今そういうことを言われたら、ここで切るわけいかんと思うのですよ。あなたはさっき自分の、なかったと言っているが、松沢君もなかったと言っている、そういう言ったとか言わんとかという活字は出ていないなんということは言っていない。そういうことはなかったと言っているのです、はっきり。それは大臣常識で考えてわかるじゃないですか。松沢君に耳打もしたから、松沢君が遠慮して、質疑があったにもかかわらず酒を飲んではいなかった、心外だということだけ言って、その点は松沢さんは遠慮して肯定も否定もしないように触れていないのですよ。松沢さんそれだけの態度をとっているのです。あなたが頼んだからそうしているのです。それをあなたは松沢さんはなかったと言っている、そういうことは言っていない。触れなかったというなら、それでわかりましょう。しかし、あなた自分で頼んでおいて松沢さんに。だから松沢さん遠慮して言わなかったのを文部大臣から云々される、そういうことを大臣ここで言っちゃいけませんよ、いかがですか、反省いたしませんか。
  18. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) どうか一つ私の申すことは、意味一つおとり願いたいのです、意味でね。松沢君はその話はすっかり言わないで、翌日のことへ移っておるのです。
  19. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私もこの際一点だけお尋ねをいたしておきます。先ほど文部大臣は昨日の拡大理事会において、松沢君がお話しになったことは、大体その通りであると思いますと、こういうお話がございました。これは加賀山委員長から拡大理事会松沢君の話されたことをお聞きになったのですか、あるいはまたどなたかからお聞きになったか、はっきりしておきたいと思いますので、お尋ねをいたします。
  20. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) けさほど、ここにおられますか、田中君よりきのうの状況はこうだったという話は聞きました。
  21. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは田中委員報告を聞いて松沢君の述べられたことが事実であるというふうに大臣もお考えになっておるということでありますが、そこで私は従来当委員会大臣との質疑応答との間における、われわれと大臣との質疑に非常な食い違いがあった。こういう食い違いを今後どういうふうに処理するかということは、当然残ってくる問題であると私は考えております。しかし、その前に一点お伺いしたいということを申したのは、この点であります。この四月七日に衆議院で開かれました公聴会において、公聴会の席上に出席をいたしました松沢君に対しまして、文部大臣はわざわざ自席を立って、松沢君の席の横に行って、そして囚人云々の件は話をしないように頼まれたということです。このことは先ほどの文部大臣答弁でもその通りおっしゃっております。そこで私はその問題を非常に重視しておるのであります。その結果松沢君の公述が曲げられたのではないかという点が問題の中心であります。そこで私は四月二十七日の私の質問に対して文部大臣答弁されておる点を、非常に短い文章ですから読みます。それによりますと「私の友人も、」これは松沢君をさしておることは疑いもありません。「私の友人も、国会公聴会等で呼び出されて質問を受けましたが、答弁はいたしておりません。事実的にその問答はないのです。」と、こういう答弁を四月二十七日の本委員会において、私の質問に対して答えておられるのであります。これは今矢嶋委員からもお話がありましたが、速記録にはこの囚人云々の件は出ておらないのであります。松沢公述人衆議院公聴会において質問があったけれども、この問題については触れておらないのであります。そうすると、この公聴会において文部大臣松沢公述人に対してその話はしないようにしてくれと、前もって大臣から依頼があった。それから質問があったに対して、松沢公述人はこの問題に触れておらないという事実、これは二つとも事実の問題でございますから、見解の相違というものはないわけであります。そこで私はきのうの拡大理事会松沢君に尋ねました。質問に対して囚人云々の問題をなぜ答えなかったのかと、こういう質問に対して、その理由の中の一つには、大臣が前もってこのことについては依頼があった、そのことが頭にあったので言わなかったのだと、こういうふうに松沢君は言っておるわけなんです。そういたしますと、文部大臣答弁あるいは公述の席上における文部大臣松沢君に対する依頼、それからまた、松沢君が公聴会で述べなかった、こういう事実、三者を総合して考えると、ここに出てくる結論ははっきりしておると思うのです。それは公述人に真相を述べさせなかった、これは大臣にあるということがはっきりしてくると思うのであります。そこで私は大臣お尋ねいたしますことは、こういう事実関係はお認めになると思うのですが、この席上ではっきり言ってもらいたいと思うのであります。
  22. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) だいぶむずかしいお問いですが、松沢君とあのことをなかりしことにすることは、三月の九日でしたか、八日の翌朝でしたか、約束してあるのです。その約束を私も守っておるのです。また向うも守っておるのです。ですから主たる動機は、なかりしことの約束に基くものであります。もし、松沢君がこれをあるということを言ったら、また松沢君の私に対した言葉もこれは自然言わなければならないようなことになるので、お互いにまずいから、これは相殺でないのですよ。事実自身はないのです。私の手落ちは、それを松沢君に思い起させるために、荒木君に僕はないように答えておるぞということを言ったのですね。それが湯山さんのおっしゃる圧力を加えたことに当るかどうかということだけが、問題であるのです、問題の焦点は。そういうふうに御解釈を願いたいと思います。
  23. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はもう少し簡単にお尋ねをいたします。それでは公述会の当日、大臣はなぜわざわざ松沢公述人に対して、あのことは言わないでおいてくれと……。
  24. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いや、そうは言わぬですよ。
  25. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 先ほどそういうお話がございました。これは松沢君もそういうふうに言っております。否定されるということになれば、これはまた問題は別です。これはまずいから言わないでおいてくれと大臣が言われたわけです。
  26. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いや、そうじゃないのです。きょう言わないようにしてくれじゃないのです。言わないことになっておるぞ、君も僕もあのときなかりしことになっておるぞという記憶を喚起しただけのことです。(「意味は同じだ」と呼ぶ者あり)意味は同じようになるかもしれませんが、それであのことはどちらもの名誉に関することだから、言わないことになっておるぞという記憶を喚起したつもりであります。松沢君もその意味だろうと思います、けれども問題はしかしそこにあるので、あのことはないのですよ。ないことをないというのは当りまえです。(「おかしい」と呼ぶ者あり)
  27. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これはやはり問題の中心になると思いますので、はっきり確かめたいと私は思います。それは文部大臣の今の言葉をかりれば、あれは言わないことになっておるのだぞと、こういうことを松沢君に言った、しかしあの問題については、公述会の席上でも大臣も御承知通り質問が出ておるわけなんです。そうすれば、言わないことになっておるぞということによって、松沢君は述べられないという立場に置かれているじゃないですか。それは認めますか。
  28. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私のそのときに言わないことになっておるぞという記憶喚起よりも、三月九日の朝、二人で約束をして手を握った、その約束が効力を持っておるのです。松沢君も私にちょっと無礼なことを言っておって自分であやまり出したので、何、君はあやまる必要はない。僕も失敗しておるのだから、どっちもなかりしことにしようと手を握って別れておる。その約束が効力を生じて、そうして言わなかったものと私は思っておるのです。しかしながら、そこのところを私は忘れて、あっさりと湯山君のお問い答えたことは、これは私の答えが当時それを失念して、あなたの抽象的なお問いに対して否定したのは、これは私の否定の仕方が悪いのです。私が頭が悪かったのです。あの席で言いましたか、帰りぎわでしたか、それだったらあるが、(「私の質問答えて下さい」と呼ぶ者あり)そういうことなのです。今ここで御審議願うのは、湯山君の質問に対して私が抽象的に絶対ないと言うのは、この問答のことを私忘れておったのです。そのほかに、あれ自身は二人約束して手を握って、なかったことにする。私もそれを守って参議院委員会でもございませんと言っておるのです。だから松沢君も人に問われても、そのことは言っておらぬのです。男と男と約束して、あれはどっちもなかりしことにしたので、生涯、昔の言葉でいえば舌が切れても言わぬということで、これは当りまえですよ。(「質問答えて下さい」と呼ぶ者あり)
  29. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 文部大臣答弁を聞いておりますと、質問答えないで、だらだら自分の勝手なことばかりしゃべっておる。私の質問答えてもらいたいと思います。公述会の当日、大臣松沢君に対してあのことを言わないことになっておるぞと念を押したのでしょう。
  30. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは認めます。
  31. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そのために質問があったけれども、松沢君はそのことを答弁しておらないのですよ。これは明らかに公述人の意思というものを曲げておる。これははっきりしております。なぜ、そういうことを文部大臣は言うのですか、松沢君に対してあれは言わないことになっておると、なぜそういうことを言うのですか。公述会の席上でなぜ言うのですか、その理由を明確にしていただきたい。
  32. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は男子約束をして、しかも男の名誉に関することを約束したときに、その約束自分も守りますし、人にも守ってもらいたい、かように思っておるのです。
  33. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 議事進行について、きのうの理事会で、大体文相に対する質問は二十分ないし三十分というふうにきめております。今の御質問を聞きますと、際限のないように感じますので、適当な時間において質疑を打ち切りたいということについてのお取り計らいをお願いいたします。
  34. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私も理事会に出た一人でございますが、私あのときに繰り返し申し上げておいた点は、大臣答弁内容によって早くも済むし、時間もかかるであろう。しかし、法案の審議もあるのだから、委員長初めお互いの良識によって適当に質疑いたしたい、こううい話しであったわけです。ところが先ほどの大臣答弁では、もう少し質疑さしていただかなければ、これで終りということは、これは良識を持っている人が、どなたが考えても認められない点と思いまするので、もうしばらく質疑を継総することを主張いたします。
  35. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 委員長も昨日の理事会の決定に基きまして、できるだけ短時間に終ることを希望いたします。
  36. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は簡単に伺いますから、大臣答弁のポイントだけお願いいたします。松沢公述人公述内容に、文部大臣は賛成でございますか、反対でございますか。
  37. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 公述衆議院公述ですか。
  38. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その通りです。
  39. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それば反対です。
  40. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ここをずいぶん高い調子で、法律案の提出経過並びに法案そのものの内容について反対意見をずいぶん積極的に述べております。大臣が反対だといわれるのはごもっともだと思います。  それでは伺いますが、非常に高い調子で提案者であるあなたと、反対の公述をされた松沢公述人のわざわざあなたはそばに行ってありがとうとお礼を言ったのは、どういう意味でございますか。
  41. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは名誉に関することで、男と男の約束をした以上は、私も言いませんでしたが、向う約束をかたく守ったからでございます。ちょっとこれは言いますが、さっきから言わないことになっておると言ったのは、ないことになっておると約束をしている、初めに……八日の日は……。それじゃあれはないことにしよう、君が僕に侮辱の言葉を言ったこともないと、僕があの話をしたこともないこととなっておるのです。男と男が、こういうことは今の道徳ではどうか知りませんけれども、ないことにしよう、こういうことで、私もないことにして、たびたび私も答えておらず、あの人もないことにして答えておらぬので、今の世の中で、このくらい義理がたい男はないので、ありがとうとそういうふうに言った。
  42. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 笑い事じゃない。では伺いますが、あなたは衆議院公聴会の部屋に松沢氏を見つけたときに、あの松沢公述人がないことにしておこうと言った、あの事をしゃべってくれたらいいなあという考えでおられたか、しゃベってもらったら困るなあという心境におられましたか、その点をお答え願いたい。
  43. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 松沢君もあれだけの人物でありまするから、これは言わないに相違ないと思っておりました。
  44. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 しかし、念を押したわけですね。
  45. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようです。
  46. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ということは、そういうことを松沢氏は言うべきでない、言ってもらいたくない、そういう意思を持っておられたわけですね。
  47. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうです。
  48. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そのことは松沢氏に言ってくれるな、あのことは言わないことになっておるのだぞという積極的な行動並びに発言として現われたわけですね。わざわざ席へ近寄って行って言ったわけですね。
  49. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうです。
  50. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そこでその意思があったのは、その意思に即応して果せるかな、それは辻原委員質問の仕方も、私はちょっとまずかったと思うのですが、公述人は遠慮して、そういうことがあったということは言わない、もちろん否定をして言ったわけです。それであなたはほっとして、ありがとうという言葉が出たわけでしょう。
  51. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうです。
  52. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ということは、あなたは明らかに公述人公述をあなたの期待する方向に持っていこうという意思をもって、それを行動に移し、それが成功したことを喜び、お礼を言っておるわけですから。行政府の、しかも法案提出者としてとられたその行動は、これが事実である以上、きわめて遺憾なことであるということは、明々白々だと思うのです。私が今議論していることは、そういうことはなかったことにしようとお互いに話し合いをしたとか何とか、そういうことは問題ではない。つまりあなたと松沢さんの男と男の話しの間でどんな話し合いがあったとか、そんなことが悪いとかいいとかいう問題じゃない。そういう話があったということは事実だということを認定された、それに基いて、三権分立のときに、行政府、しかもこの法案を責任を持って国会に提出したところの責任者であるあなたが、このあなたの立場を守るために、その法案の通過を容易にするために、その公述人に、かような公述をしてほしいという期待と念願をもって、それをあなたが行動に移し、それが成功してお礼を述べたに至っては、これは、あなたは法律家であるが、行政府のしかも長として、相当に私は反省するところがあってしかるべきだと思うのですが、どういうお考えにおられますか。
  53. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この日本の一番政治を守るべき裁判でも、個人の秘密に関することは、証言拒絶の権利があるのであります。公述は裁判の証言ほど厳格なものではありませんけれども、それでも男子の名誉に関することとして、お互いに極秘を約束したことを公述しなければならないという義務はないと思います。その条理をわきまえて、それから日本社会の伝統に従ってあれはないことという相盟約したことを言わなかったということは、私は責むべきことじゃない、かように思っておるのであります。
  54. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういうことを言っていない。最後に湯山理事からちょっと、暫時休憩のあれが出ているようですから、ここで休憩前に一つだけ聞いておきますが、あなたはそういう働きかけをしたということを遺憾なことと考えませんか、不適当であったとお考えになりませんか。しかも、そういうことは事実あったので、その後法案の審議をわれわれに要請しながら、その文教委員会に来て、荒木委員質問に、あるいは私の質問にああいう答弁をされて、あなたは法案を審議していただいている立法府の文教委員会の諸君に対しては、軽卒であり、申しわけなかったというような、そういう気持はあなたはないのですか。
  55. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これは二つ事柄を分けてよくお考え願いたい。あのことはなかったのです。それゆえに私も答えず、それからして先方も答えなかった。私はそれはそれでいいと思う。私の遺憾と思うのは、ただ湯山委員が、絶対にありませんかというのに、私は絶対にありませんと言うたのは、あのことが、君なかったのだぞという記憶を喚起したことがそれに当るとすれば、不正確な疎漏な答えをいたしておることになりまする。その意味の疎漏は認めます。しかしながら、あまり湯山さんはずっと広いお問いをなすっているのです。もし、このことをお問いになったら、私はイエスと言ったろうと思うのです。この前もそうだったんです。あまりあなたのお問いが一般的だからもう少し具体的に言うて下さいという註文をしたことは、私あると思います。これも同じカテゴリーのことであります。松沢君に向ってあれは君なかったことになっているぞと彼の記憶を喚起した、その記憶の喚起などは実はせんでもよかったんです、ほんとうは。しかしながらそれを忘れて絶対にありませんと言ったのは、私の答えの疎漏でございます。
  56. 湯山勇

    湯山勇君 大臣は私の聞き方が悪かったような御発言がございましたし……。
  57. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 悪くないけれども、あまり抽象的なんです。
  58. 湯山勇

    湯山勇君 それは大臣はいろいろあちらこちら上手に答弁をされますから、私はぎりぎりのところから固めていこうと思ってお尋ねしたところが、ああいう御答弁があったわけです。従ってこの大臣の御答弁については、ただいまそれはあのとき答え通りでないという御言明がありましたから、それはそれとして、松沢氏に対する問題も男と男と約束したと言いながら、大臣松沢氏を信頼しないで、今矢嶋委員荒木委員が御指摘の通りそのときに重ねてそれを喚起しておる、酒気を帯びておる云々も、あなた自身が酒気を帯びておりながら、この委員会の会議録にも二度にわたって相手酒気を帯びておった、しかもよく知っておる人だから、電話の声でもよくわかるとまでおっしゃっております。この問題は重要であると思いますので、われわれとしては二、三分間それについての協議をいたしたいと思いますから、委員長にお願いしたいのです。このままで二、三分休憩をお許し願いたいと思います。
  59. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ただいま湯山委員からお話がございましたが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  60. 中川幸平

    ○中川幸平君 先刻からの質疑を聞いておると、何を究明せんとするのであるかわれわれ了解に苦しむ。というのは、昨日松沢参考人も呼ばれていろいろな話も聞かれた通り、また立法府で大臣なり政務次官なりが、法案の内容について虚偽の説明をしたというなら、これは相当問題もあるでありましょうけれども、かようなことで何を究明されるのかわれわれも実際(「中川さん理事会で決定して質問されているんだから」と呼ぶ者あり)いつまでもそれをやられるから……。それでは委員長において一つ御判断を願って法案の審議に入られることをお願いいたします。
  61. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) それでは、このまま五分間休憩いたします。速記をとめて。    午前十一時二十四分速記中止    ————・————    午前十一時五十三分速記開始
  62. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 速記を始めて。  文教委員会を再開いたします。
  63. 秋山長造

    ○秋山長造君 私は今朝来の文部大臣の御答弁を聞いておりまして、全く承服できません。まことに私はもう遺憾のきわみだという感じを持っているのです。事実を認められたのやら、認められぬのやら、また、それに対して悪かったというお感じを持っておられるのやら、持っておられぬのやら、全く文部大臣の御心境をはかりかねているのです。こういうもうはっきりした事実に対して、文部大臣が常に口にされるごとく、男と男ということを口にされておりますが、こういう明々白々たる事実に対してこそ、ほんとうにお言葉通り男らしく私は事実は事実、悪かったら悪かった、こうおっしゃるが私は当然だと思う。これが日本の道徳です。これが男の道徳だと思う。にもかかわらず言を左右にして、はなはだ無誠意な答弁を改められない、依然として。で、去る十五日の理事会におきまして、この問題の扱いについて協議をされましたときに、私どもはこういう問題はもう双方を呼んで、そして対決してもらって、そうして事実をただせば、それでもう一度で事実は明白になる、こういう主張を理事会においていたしました。委員長に対しても強くそういう手続きをとっていただくようにお願いをしたわけなんです。ところがそのときに、委員長はまあいきなり双方を呼んで公開の席で対決というようなところまでいくことは、どうも一方は一国の文部大臣、一方はまた全国の都道府県教育委員会協議会の会長、こういう世間に対しても非常に大きな影響力を持った方々を、いきなり公開の席において対決させるというようなことは、どうもちょっと慎重を期さねばならぬじゃないか、まあそういうことをやる前に、まず第一段として拡大理事会ともいうべき秘密会を開いて、そうして速記をつけないで双方に出席を願って、ざっくばらんに話し合おうじゃないか、でその様子を見た上で事後の処置を考えてもいいじゃないか、決してこれをそういう方法によってうやむやにするつもりはない、こういうようなお話しであった。で、私どもも委員長のおっしゃることは、これはむげに否定はできない、一理あるということで、委員長のおっしゃる通りに私どもは拡大理事会を開いて双方を呼んで、そしてお尋ねするということを承服したわけなんです。ところが昨日の拡大理事会におきましては、なるほど問題の一方の人である松沢一鶴氏は見えました。しかしながら文部大臣はお見えになりません。で、松沢さんのおっしゃることだけをお互いは聞いたわけなんです。そうしてそのときの空気は、これは口に出して言うと言わざるとにかかわらず、委員長以下与野党を問わず、全員がこれは松沢氏の言うことがほんとうであろう、こういう感じを持ったことは、これは否定できないと思う。にもかかわらず本日のこの委員会において、今朝来の清瀬文部大臣の御態度、また、御答弁内容を聞いておりまして、全く私どもは失望したのです。予期に反したのです。こういうことでは、私どもはこのまま引き下がる、承服するというわけにはいきません。これはもう断じていきません。そこで委員長として十五日の理事会におけるお約束を思い起していただいて、この事態を今後どのようにお運び下さるのか、どのようにうやむやにしないと言われた、そのうやむやにしない方法をどのようにお考えになるのか、その点をはなはだ失礼ですけれども、委員長にお伺いをいたします。
  64. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) お答えいたします。理事会では、確かにそういうお約束をしております。今朝来文部大臣に聞かれたことによって、事実の内容について、私は一向食い違っていない、文部大臣もきのうの松沢一鶴氏の言われたことと同じことを言っておられたと私は聞いておる。それから湯山委員に対する、質問の事項につきましては、湯山君の質問が本院の公聴会公述に対する質疑でずっと続いてきている段階で、大臣はたれにも会ったことないか、たれにも言わないとか、あるいはこれを言ってくれとか言ったことはないかという質問が続いてきておったので、その継続から見れば、大臣としては先ほどからそれは十分な答弁ではなかったというように釈明をしておられる。私はそれで事情が比較的はっきりしたんじゃないかと考えております。しかし、まだなおこの上にこの問題を追及されるという御意思であるならば、さらに理事会でこの問題を御相談する以外にないと私は考えでいる。で、私はいつも申し上げますように、本法律案審議はきわめて重要なことであるから、これは確かに今の問題は、秋山君の言われる通り、この問題をうやむやにしていいとは思いませんけれども、いわば私は大事の前の小事と申しますか、大事を控えているのであるから、ぜひとも本法律案自体についての質疑をお始め願いたい。これが委員長の気持でございます。
  65. 秋山長造

    ○秋山長造君 私は、ただいまの委員長のお言葉によりますと、委員長は依然として、この問題はうやむやにするつもりはない、はっきり伝える、こういうお考えであるやに承わるのでありますが、その点は私の承わった通りでございましょうか。
  66. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) うやむやにしたくはないが、私自体といたしましては、今朝来文部大臣お話しによって、事実ははっきりしたと思いますし、ただ、答弁食い違いと申しますか、こういう問題が多少残っているかと思いますけれども、いまだばく然模糊として、つかみどころがないというふうには、委員長は考えておりません。
  67. 秋山長造

    ○秋山長造君 うやむやにするつもりはない、それから今朝来の大臣の御答弁の中から大体わかったような気がする、こういうお言葉ですけれども、この点は私は委員長と根本的に見解を異にします。私は何をおっしゃったのかさっぱりわからん。まるでだぼらの吹き散らしのような、きわめて不謹慎な感じを私は強く受けました。しかし、その点は委員長と私とのあるいは受け取り方の違いかもしれませんが、しかしそれにいたしましても、委員長のただいまのお言葉によりますれば、まだ双方の答弁食い違いが多少は残っておるかもしれないということでございます。だからその点は委員長においても十分に徹底して御了解になったということじゃないと思います。依然として問題点は、多少の相違はあるにいたしましても、残っておるということだけは確かなんであります。もう私は、委員長がただいまおっしゃるように、この委員会を早く軌道に乗せて、そうして一般質問を続けたい、こういうお言葉でございます。また、その点は昨日の理事会でも、各派の理事の懇談で了承されておることでございますから、今の場合重ねて文部大臣に対しても質問はいたしません。また、委員長に対しても、これ以上この問題についてこの機会に繰り返すことは遠慮いたします。しかしながら、この問題は、委員長のお約束通り、必ずきょうの理事会において今後の扱い方について十分に御検討をいただきまして、必ずや、うやむやにならないように、約束通りはっきりしていただくように、特に強く委員長にお願いをしておきます。
  68. 湯山勇

    湯山勇君 ただいま秋山委員から発言がありまして、この問題の結末をつけることについては、委員長に対して強い要望もあり、委員長もこれを了承されたわけでございます。私はこの問題の処理というのは、簡単にこうであった、ああであったということがわかっただけではいけないと思います。事実は大体昨日の松沢参考人並びに今朝の文部大臣の御発言によって明白になったと思います。明白になっただけに、問題は重大であって、いやしくも国会において文部大臣がいいかげんな御答弁をなさった事実は、大臣みずから肯定されております。そのことは本法案全体に対する文部大臣答弁の信憑性にもつながる問題があるのではないかということも考えられます。また、大臣は十五日の答弁におかれて、あった場合はどうするかという矢嶋委員質問に対して、あった場合のことは考えていない、こういう御答弁がございました。事実があった以上、あった場合の大臣責任も考えていただかなければならない。  第三点は、林参考人の発言に対しては、三者三様の食い違いをいたしております。その食い違いに当って、文部省がどういうことをしたかということについても、その最高責任者である文部大臣がただいまのような御態度であれば、緒方局長なり、竹尾政務次官の御発言についても、再検討の必要を生じてくると思います。さらに矢嶋委員から指摘されましたように、行政府と立法府の関係、これが衆議院であろうが、参議院であろうが、少くとも公聴会公述人に対して、文部大臣がある種の依頼をし、それが公述人に影響したという事実は、これはきわめて重大なことであって、大きく言えば国会を冒涜するものというような言い方もできると思います。さらに、文部大臣松沢氏に対して酒気云々ということを再度にわたって本院において記録に残るような発言をしておられます。けれども本日文部大臣自身のお言葉によれば、酒気を帯びておったのは文部大臣御自身であって、相手は全然酒気を帯びていない。このことは速記録をよくお読み願って、これに対する文部大臣態度の御表明も必要だと思います。でなければ大臣言葉を借りて言えば、男と男の約束した相手を、向う約束を守っておるのに、あなたがお守りになっていない、こういうことになるわけでございまして、これも道義上の問題があると思います。そういうことを考えますと、今直ちに私どもとしてこれを結論ずけることは困難であって、会議録その他については大臣自身もよくお調べになって、これに対処する大臣態度を御表明になる必要があると思います。そこでそれらの問題を含めて理事会において検討されるという委員長の御発言に対しては、この際一応これを了解いたしまして、法案審議の方に移っていただきたい、こう思うわけであります。
  69. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) それでは直ちに本法律案に対する質疑に入ります。
  70. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 きのうの質問が若干残っておりますので、それを続けることにいたします。昨日の私の質問文部大臣が学校の教職員の研修に対しまして、指導、助言する問題について質問をいたしたのでございます。その際文部大臣教育委員会の主催するこれらの研修について指導、助言をするのであって、実質的な研究集会には何ら関与する考えはないのであるというふうにお話しになりました。しかし、その点についてもなお若干の疑義が残っておるのでございますが、きょうはこの法案において特に教育委員会が主催する教員の研修集会について、文部大臣が指導及び助言を与える、こういうことについて私は相当な疑義を持っておるわけでございます。で、教育委員会の主催するこの研修集会にです、なぜ文部大臣が助言を与える必要があるのかという点が、私にはその理由がはっきりわからないのでありますので、御説明を願いたいと思います。
  71. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 文部省におきましては、御承知通り教科書検定の基準を作り、教育に関して指導要領等も作成し、その他教育一般についてわが国の教育が一定の水準を維持することを希望しておるのであります。しこうして今回はやはりこの日本の教育が連繋して都道府県も、市町村も、また市町村相互間も、府県相互間も日本の教育としていいことが行なわれるようにいたしたい、そうしますればやはり教育委員会委員諸君も、また教育関係の方にも文部省で研究したことを伝えて誤りなきようにする、こういうことが本旨でございます。
  72. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういたしますと、文部大臣はです、教育委員会に対しましていろいろこういう講習会をやってもらいたい、こういう研究集会をやってもらいたい、そういうことについても助言をなさる考えでございますか。
  73. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それはその通りでございます。
  74. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は文部大臣がそういう点にまで、いろいろ関与せられるということについては、非常な疑義をはさむものであります。きのうも申し上げましたように、こういう研修集会は自主的な教職員の発意によって行われるところにです、この研修の成果というものがあると思うのであります。私は現在の実情を見てみましても、教育委員会が主催をして、そうして研修会をやっておる、そういうことは実際上ほとんどないのじゃないかと思うのです。ただ、先般来認定講習というのが行われました。これは相当文部省が国家予算を組んで、そうして教育委員会にやらした事実があります。これは非常に特殊な場合であります。一般の研修集会において、教育委員会が主催をして研修をやるということは、実際上あまり効果も上っておらないし、むしろ今日では教職員の自主的な活動に期待をしておる、またこの自主的な活動による研究集会というのは相当行われており、その成果も上っておるのであります。そういう現状において、なぜ文部大臣が地方教育委員会に対しましてそういう講習の計画等について助言をしなければならないかということに疑問を持つわけであります。これは私は一面から裏を返して申せば、文部大臣がある一定の計画を持って、そうして教職員の研修を統制しよう、こういうことも考えているんじゃないか、こういうふうな感じを私は持つのであります。これは教育委員会が主催をするにしても、教育委員会にまかしておけばいいじゃないですか。特に文部大臣が指導、助言をする、こういう必要はないと私は思うんですが。
  75. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) お話のごとく、教員自身の自発的な研究意欲と申しますか、これが盛んになりまして、研修等のことが行われますことは、これはまことにけっこうでございまするし、それは尊重いたしていきたいと存じます。しかしながら、きのうもお話し申し上げましたように、教育のことを責任といたしまする、つかさどりまする教育委員会が教職員の研修に十分な関心を持ち、熱意を示し、その責任を持つことは、これまた当然のことだろうと存じます。それに対しまして文部省といたしまして一般的に指導、助言を与えていくこと、これもまた当然なすべき職務であろうと思うわけでございます。これは一般論でございますけれども、ただいま荒木さんのお話しのうちにございましたが、これは従来も教育委員会が相当力を入れてやっております。特にこれは御承知であろうと存じますけれども、文部省におきましても、年々予算を取りまして、初等、中等あるいは高等学校の職業教育とかあるいは定時制とか、各部門ごとに、あるいは盲ろうとか特殊教育の部面もございますが、各部門ごとに全国を幾つかの地区に分けまして、そうしてそこの地区の中心となりまして、教育委員会が中心となり、文部省もそれに参加、両方で計画をいたしまして研究集会等を毎年行なっております。これは私相当成果を上げていると存じます。かような努力を今後も私は努めていかなければならぬと思うのでございます。そういう意味合いにおきまして、これはもちろん教育委員会がやりまする研修の仕事に対しまして、何も一々文部省がおせっかいをする必要はございませんけれども、しかしながら、一面文部省の責任といたしまして、これらに対しましてそのよういくための努力をしていく、そのために指導、助言をしていく、あるいは予算等も取りましてそれを援助していくということは、私は必要なことであろうと存ずるわけでございます。三十一年度の予算におきましても特に試みたいと思っておりますことは、生活指導の面につきまして、これは特に新しく、先般御審議願いましたけれども、予算の計上を認めていただきまして、これに基きまして、先ほど申し上げましたように、同じような方式で全国を幾つかに分けまして、教育委員会が中心になってもらって文部省も加わりまして、文部省も費用の一端を持ちまして、そうしてこの研究集会を特に生活指導の面につきまして三十一年度は努力していきたい、かように考えているようなわけでございまして、そういう意味におきましてこの四十八条の二項の第四号というふうなものは十分意味があり、文部省として努めていかなければならぬ事柄であろうと存ずるわけでございます。
  76. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、この「指導及び助言を与え、又はこれらを主催すること。」ということがございます。この項は文部大臣教育委員会に対してですね。助言をする、あるいは指導をするということになっているわけです。これを文部省みずからが主催するということはどういうことなんですか。
  77. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 文部省みずからが主催することによりまして、教育委員会の研修に対しまする仕事を援助していく、こういうことに相なると存じます。昨日も事例を申し上げましたけれども、たとえば水泳の講習会であるとか、こういうことを計画いたしておりますけれども、それによりまして教育委員会の担当の職員あるいは府県の教育委員会が選びました各府県からの代表の教職員を集めまして、それを文部省の主催で講習会等をやりまして、そうしてさらにそれらの人たちが帰っていって伝達講習をやるというようなことが、主催していくことに当ると存じます。
  78. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは戦前はずいぶん文部省の教学官といいますか、そういうものが中心になって全国的な講習会をやったわけなんです。その際内容は思想のある統制が加えられたということは、これはもう否定することのできない事実であります。そのことを今想起するのであります。もちろん私は僻地教育の問題にしても、職業教育の問題にしても、文部省が関与してはならないというふうには考えておりません。いろいろこういう問題について文部省が協力していくということは私は必要なことであり、それを否定する気持はございませんけれども、特段にこの法律に文部省がこういう研修集会を主催するのだということを規定されるということは、これは私はやはり相当な検討を要する問題である。それは特に戦前のことを考えてそのことを思い起すのであります。こういうことはことさらに法律に書く必要はないじゃございませんか、なぜこういうことを特別にこういうふうに書いたのか、従来ともいろいろの研究集会に文部省が協力しておるということはございます。そうであれば、ことさらにこういうことを明文化する必要は私はないと思うのです。それが一点。  それからこの法律は都道府県並びに市町村の教育委員会の事務の適正な処理をはかるために助言をするということになっている。それを主催するというような項目まで、これに追加するという意味はどういうことなんですか。
  79. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは昨日から申し上げておりますが、特にここに研修のことを取り上げましたのは、教員の研修というものが、つまり現職教員の再教育、こういうことが非常に大事である、教育の振興の上に非常に大事でありますので、特に掲げることが必要であると存じた次第でございます。  それから主催をするということでございますが、これもただいま申し上げましたけれども、主体はあくまでもこの法律におきましては、教育委員会が地方で行いますことに対しまして文部省が指導、助言、あるいは援助をしていくということであります。それで先ほど申し上げましたように、文部省自身で主催をいたしまして、そうして教育委員会の研修活動に対しまして援助をしていくことに相なるわけでございまして、先ほども事例を申し上げましたように、地方でやります場合に共催の形にするか、文部省自身が主催をいたしまして、それによって教育委員会の研修活動が活発にいきますように、あるいは適正に参りますように、効果を上げますように、指導をしたり、助言をしたり、あるいは援助をしているわけであります。その形をそのままここに書いておるわけであります。
  80. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは非常に私は細部に入るということになるわけですが、これは都道府県の主催する研究集会に文部省が助言をするということなんでしょう。ところが文部省が主催するということになれば、助言の範囲を越えて、みずからやることじゃありませんか。もし、文部省がほんとうに主催するということであれば、別個にやるべきじゃありませんか。この中になぜ入れるか。
  81. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これもこの間からお答え申し上げておると思うのであります。「指導、助言または援助を行うものとする」その援助の態様の一つとして、文部省が主催をしていく、先ほど事例も御説明して申し上げました。そういう意味でございますから……。
  82. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは援助をするということと私は主催をするということとは範疇が違うと思うのです。援助するということは、教育委員会がいろいろやっておる仕事に対して援助するわけなんですよ。文部省自身が主催することを文部省が援助するというようなことは考えられないじゃありませんか。
  83. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 四号をちょっとお読み願いたいのでありますが、「教育関係職員の研究集会、講習会その他研修に関し、指導及び助言を与え、又はこれらを主催すること」、研究集会や講習会を主催する、ここでは具体的に出ているわけであります。今申し上げましたように、文部省自身が研究集会や講習会を主催しまして、それによって教育委員会の行いまする研修に対して援助をしていくわけであります。中央におきまして文部省自身が主催をして、その講習会に教育委員会の職員、指導主事、その他の職員等を集めることもございまするし、そういう人を集めて講習をして、そうしてその結果伝達講習を教育委員会がやっている、これは文部省が講習会を主催をして、それを通じて教育委員会の研修を援助していく、こういうことに相なります。
  84. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういたしますと、文部省が主催をするという意味は、対象は校長とか、教職員という意味ではなしに、教育委員会の事務局の人を対象にしていると、こういうことですか。
  85. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) それは両者の場合がございます。教育委員会の事務局の指導職員等もございます。それから教育委員会の考えで、また文部省からそれは希望をいたしますけれども、都道府県等におきまする代表的の職員等を集めていただいて、これを教育委員会の判断に基きまして選んでいただきましてそうして講習会をやって、その人たちが指導的な立場で地方で講習をすることはございます。従来も実態としてもやっております。
  86. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はこの問題は範疇が違うと思うのです。指導及び助言を与えるということと、文部省みずからが主催するということとは範疇が違うと思う、こういうふうに感じております。しかし、これはなお逐条審議の時間もありますから、それでお尋ねをいたしますが、きのうの問題でも一点だけ具体的にお尋ねをさらにいたしておきたいのですが、たとえば日教組が主催をして行う研究集会ですね、これは全く自発的な研究集会でございます。こういう研究集会には助言をしたり、あるいは指導をしたりしないということはきのうの答弁ではっきりしていると思います。ただですね、そういう研究集会で、この間の例を見ましても大体七千人から八千人、私ははっきり知りませんが、相当多数の人が全国から集まってきているわけなんです。そうして真剣に研究が行われているわけなんです。こういう場合に教育委員会を通じて、そういう研究集会に出席した者を調べてもらいたいとか、あるいはどういう研究がなされたのか、そういう調査をしてもらいたい、そういうことについては全然文部省は関与しない、そういうことについても、自発的なそういう研究集会には全然関与しないということがはっきりしているかどうか、こういう問題です。
  87. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 関与いたしません。それからちょっとまた蒸し返すようで、はなはだ恐縮でございますが、この四十八条の二項の各号をごらんいただきますと、たとえば八号、九号でございますね、「指導主事、社会教育主事その他の職員を派遣すること」、これは別でございますが、九号「教育及び教育行政に関する資料、手引書等を作成し、利用に供すること」、こういう具体的な事実を通じて、指導、助言し、あるいは援助をしていく、そういう具体的な態様をここには、二項には書いてある、でございますから四号の主催というものを、そういう意味にお受け取り願いたいと思います。
  88. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ただいまの質疑の段階では、文部省の地方教育行政並びに運営に関する指導権、命令権、監督権の強化の傾向が出ているところに質疑のポイントがあると思うのです。その立場から私伺うのですが、確かにこの法案をずっとながめて、文部省の命令権、それから指導権、監督権というものは異常と言っていいほど強化されています。これがかっての日本の中央集権的な教育行政に逆行するのではないかという立場において、私ども懸念しているわけでありまして、若干具体的に伺いますが、ただいま指導のことが問題になっておりますが、現行法においては指導主事というものは「命令及び監督をしてはならない」ということを現行法では五十二条の四に明記してあります。そうして指導主事というものは、あくまで現場における教育者の相談相手と申しますかね、そういうきわめて、命令とか監督とかあるいは服従とか、そういうものを離れた教育問題についての相談相手というような、こういう性格において今まで指導主事というものは働かれておったと思うのです。従って現行法に命令及び監督をしてはならないということを明記して、指導主事のあり方というものを示しているわけです。これはかっての日本の教育における教学官等のあり方からこういうものが出てきていると私は考えるわけですが、このたびの新法にはこういう命令及び監督をしてはならないというような字句を削除したのはどういうわけでございますか。
  89. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ただいまお話しのように、指導主事の職分というものは、これは学校の教育活動に対しまして、その教育、主として内容の面につきまして指導していくことが指導主事の職務でございます。従いまして、その職務の性質といたしまして、命令をしたり監督をしたりというニュアンスのものは、これは出てこないのが普通であります。しかしながら、ただいまお尋ねは、この新法案につきましては、それがないのはどういうわけかということでございますけれども、これはその状態としてそういうことが常であるということは十分私どもも認めるわけでございますけれども、指導主事は何と申しましても、教育委員会の職員でございます。教育委員会の職務権限を補助執行する職員でございます。従いまして、教育委員会の権限としましては、これは学校に対しまして、教育委員会と学校との関係は、あるいは命令し、監督し、指導し、助言し、そういう機能が全部含まれているわけでございます。でございますから、教育委員会の職務権限を執行する立場におりまする指導主事に、特に命令し監督してはならないということをつけ加える必要はないだろう、かように考えまして、それは現行法にはございますけれども、この新法にはつけてございません。しかし、実態はさょうなものであることは、お話し通りだと存じます。
  90. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ということは、あなたの答弁では、現行法下における指導主事は、命令、監督は不十分である、もう少しそれを適正に強化しなければ、こういう立場から立法された、かように考えられますね、そうですか。
  91. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) さように申し上げておりません。実態としては命令、監督という、そういうふうなやり方はおそらく指導主事の職務の中には普通には出てこないであろうということを申し上げております。しかしながら、教育委員会と学校との関係におきましては、その命令、監督の関係は出て参りますので、たとえば学校が教育委員会の設定いたしまする教育課程の基準に違う指導計画等を行います場合には、これを十分に指導して参るわけでございますけれども、しかし、やはり命令、監督という面はそこに出て参るわけであります、教育委員会の職務権限としまして。教育委員会の職務権限を補助執行する指導主事でございますから、命令、監督が全然権能としてないということはございません。そういう意味で、この法案は特に命令し監督をしてはならないという字句はつけなかった、かようなわけであります。
  92. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そのあなたの説明ならば、指導主事というこの職種からいって、特に行政的な命令及び監督というようなものは好ましくない、必要がないのだということであれば、指導主事のあり方として、その職務を規制する意味で現在の通り書いておけばいいじゃないですか。なぜ落したのですか。落した上に今度の新法案によると、「指導主事は、上司の命を受け」ということまで書いてある。落しただけじゃなくて、「上司の命を受け」……、一体公務員だったら、あなたのさっきの言葉を引用しますと、公務員だったら上司の命を受けるのはきまっているじゃないですか。何がゆえに上司の命を受けなんて……、書く必要がないじゃないですか。教育委員会の身分だったら、教育長の指揮下にあることは明瞭なんです。何がゆえに、「上司の命を受け、」なんてわざわざ書くのですか。せめて「上司の命を受け」、は落したらどうですか。どういうわけですか。
  93. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 命令、監督してはならないと書くのはおかしいということを先ほど申し上げたのであります。命令、監督してはならないということは、それを法律に書くのはおかしいのです。だから、従来の現行法の規定が不合理であるから、これは訂正したわけです。「上司の命を受け」ということは、これは当然のことでございますから、書いたわけであります。
  94. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 書かぬでもわかっていることでしょう。
  95. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは現行法にもちゃんと規定しでございます。ほかのところに書いてございます。ほかの場所で、……服務については、地方公務員法に引いてございます。地方公務員法におきましては、明らかに職務上の上司の命令を受けて忠実に職務を執行するということは書いてございますから、これは当然のことであります。これは地方自治法等の書き方、立法例等もならいまして、なるべく平仄に合せて書いたわけです。
  96. 秋山長造

    ○秋山長造君 今の点ちょっと関連してお尋ねしますが、現行法に命令、監督してはならぬと書いてあるのがおかしい、それが間違いだから、間違いを正しただけだ、こういう御答弁なんですけれども、これはちょっと違うと思う。現行法にそういうことを書いたのは、過去長年の経験にかんがみて指導主事というものが、その性質上命令及び監督というようなことをすべきものじゃない。だから過去のやり方が間違っておったから、過去のやり方を正すために特に指導主事というものは、指導、助言はするけれども、命令監督してはならぬ、こう書いてある。だからそれが正しいのです。ところがそれをまた、それは間違っておったのだということで、それを消されるということは、私は文部省自体の態度として矛盾していると思う。それからまた事柄の性質から考えても、局長がおっしゃるように、これは県の教育委員会が町村の教育委員会あるいは学校というものを指揮監督するという権限を持っておることは、これはもう当りまえの話です。ただ問題は、その指揮監督ということを、指導主事を通じてやらせるというところに私は問題があると思う。今まではそういう勝手なやり方は間違っておるから、指導主事にはそういう役目はやらせないのだということで現行法の規定ができたのですよ。その通りでしょう。それをまた、あなた方の方で手前勝手に、じゃ過去の誤まりを正すという意味で現行法ができた。そうして現行法は間違いということで今度の規定ができたなら、また再び昔の県視学とか何とかというようなそういう視学制度にこれを戻すのじゃないかということになる。三転して再び前に戻す。昔に非常なあやまちを犯してきたあの間違った制度へまた戻ることになる。何も指揮監督ということは、この指導主事というものを通じてやらねばやれぬというものじゃない。指導主事というものは、その性質からいっても、専門家で、教育の学課の専門家で、そうして教員の中に入っていって、そうして教員と肩を並べて切瑳琢磨して、教育効果を上げてゆくというのが指導主事の私は本質だと思うのです。それを今度はそういう役割は薄くなって、そうして命令、監督というような縦の関係ばっかりが強くなってくる。そこに今、矢嶋さんがおっしゃる昔の県視学なんという視学制の制度に再び逆転するのじゃないかという非常な危険があるということを矢嶋さんは質問しておるのです。私は局長にいたしましても、これをすなおにお考えになったら、私の意見に同感していただけると思うのですがね、いかがですか。
  97. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 私が先ほどから申し上げておりますことは、その指導主事の普通の仕事のやり方の中には、おそらく命令したり指揮をしたりするというようなやり方は、常に出てくるものじゃない。しかし、法律の制度としましては、それは秋山さんのおっしゃいますように、専門的な事項について事務をつかさどるわけでございますけれども、それはあくまで教育委員会の権限に淵源するものでございます。教育委員会の職務権限を補助執行するのが指導主事でございます、それは専門的な事項でございましても。教育委員会が学校に対しまして命令し指揮し、監督をしてゆく立場は、これはあくまでございますから、その指導主事に命令し、監督しちゃいけないということをことさらつけるのは、これは不合理である、かように考えます。これは先ほど事例も申し上げましたけれども、いろいろなやはり間違いがございますから、それを十分指導してゆくことは、指導主事の役目でございますし、しかし命令をしていけないということは出でこないはずであります。やはり先ほど申し上げましたように、間違った教育課程を実施しております場合には、それを直すことを命令することは、指導主事にできなければならぬと思います。でございますので、やり方はいろいろございましょう。何も現場で指導主事が命令したりすることがなくても、することはあり得ると思いますが、命令し、監督してはいけないという、そういう規定を特に入れるのは不合理である、かように思います。
  98. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたが何とおっしゃろうが、この法が成立した後における指導主事の職務を執行するに当るときの心がけ、態度、それから命令あるいは監督、この実際の現われ方というものは違って強化されてくるということはお認めになるでしょう。
  99. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 私は従来と実態としては変ってこないと思います、やり方は……。
  100. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 変るのです。変らなければ今までの通りにしておけばいい。まさか変った答弁をすることはできないから、そう言っているのでしょう。これは変りますよ。この法にはっきり命令及び監督してはならない、相談相手になりなさい、こういうのと、上司の命によってしっかりやるのだぞ、その指導主事の上司は、文部大臣の承認を要する教育長になっているのだから、これは違ってきます。それはあなたの考え方が日本の津々浦々の学校の教育に浸透してきます。これは今と違います。文部大臣伺いますが、文部大臣どうしてこうなんですか、文部大臣の中央の監督権、命令権、指導権というのを強化しないと工合が悪いのですか、これほどやらなければならぬほど現状に差しさわりがあるのでございますか、その点の現状把握を一つ承わりたい。そうして次の質問をします。
  101. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 文部省設置法の第五条第二項に「文部省は、その権限の行使に当って、法律に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。」これは生きておるのであります。なるほど今回の案でも、また別の教科書法の案でも、文部省のする仕事を相当規定しておりますけれども、これはわが国の教育を教育本来の目的に従うように、また、教育水準の保持をするためには、やはりこれだけのことをいたすことが国のためによいと考えたのであります。世間でいう官僚主義の復活とか、国家統制をやろうとか、そういうことじゃありません。穏やかにわが国の教育をあるべき姿にするのには、いろいろなことはいいことじゃと考えておるのであります。
  102. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 時間が来ましたからもう一つ伺って、私は午前の質問を終りたいと思いますが、中央の命令権、指導権、監督権を強化したという立場からもう一つ伺うのですが、現行法では専門的、技術的な指導というものは、地方の市町村教育委員会、地方教育委員会に対して文部大臣から直接はやれないようになっておりますがね、そうでしょう。やれるようになっておりますか。都道府県委員会を通じてやるようになっているでしょう。今度の法によれば町村の教育委員会に対し専門的、技術的な指導、助言を文部省から直接やれるようになっておりますね。
  103. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) その点は従来と変っておりません。
  104. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それではちょっとそれを説明していただきましょう。現行法の五十条で、地方委員会に対して、技術的専門的な助言、指導をすることは都導府県教育委員会のみがこれを行うとなっていますね。従って直接文部大臣はこの地方委員会に対して技術的、専門的な助言、指導をすることはできぬと思うのです。五十条はそう書いてあるでしょう。都道府県教育委員会のみがこれを行うとなっています。そうでしょう。
  105. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 教育委員会法第五十条の規定から、これは四十九条が教育委員会一般の規定を書いております。市町村教育委員会も、都道府県教育委員会も両方の事務をここに並べてあります。五十条の方は、都道府県教育委員会のみが行う事務をこう並べてあるわけです。ですから都道府県教育委員会、市町村教育委員会二つのうち、都道府県教育委員会だけを……ほかの者が五十条によりまして市町村教育委員会に対して指導、助言をするのは、都道府県教育委員会のみである、こういうことでございます。一般的に申しますと、現行の自治法におきましても、二百四十五条三の四項でございます、が、「主務大臣又は都道府県知事若しくは都道府県の委員会」これが都道府県教育委員会であります。それから文部大臣も含めてこの中に入っております。これは「普通地方公共団体に対し、その担任する事務の運営その他の事項について適切と認める技術的な助言若しくは勧告をし、又は当該事務の運営その他の事項の合理化について情報を提供するため必要な資料の提出を求めることができる。」つまり主務大臣、都道府県知事または都道府県の教育委員会は普通地方公共団体に対し、と広く書いてあります。主務大臣は都道府県に対し、あるいは市町村に対しその機関に対し長も委員会もこれは両方含みます。指導、助言もしくは勧告をすることができる、これが一つ根拠でございます。それから文部省設置法第五条の一項十九号、文部省の権限といたしまして規定しておりますが、「地方公共団体及び教育委員会、都道府県知事その他の地方公共団体の機関に対し、教育、学術、文化及び宗教に関する行政の組織及び運営について指導、助言及び勧告を与えること。」これは全部現在の地方自治制度の建前が、都道府県と市町村と並立した形で建てられておりますので、主務大臣は都道府県に対しても、市町村に対しても指導、助言、勧告をすることができる、文部大臣は都道府県教育委員会に対しましても、市町村の教育委員会に対しましても、いろいろ指導助言、勧告をすることができる、かような建前であります。この建前と今度の新しい四十八条とは変っておりません。
  106. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それでは現行法下において、主務大臣である文部大臣が地方委員会に対して技術的、専門的な助言と指導を直接やった例をあげて下さい。
  107. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 先般京都市の旭丘の学校の事件がありまして、あのときに文部省から直接京都市の教育委員会に対しまして勧告でございましたか……。
  108. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そうするとこの現行法の五十条の第三項はどういうふうに解釈したらよろしいのですか。
  109. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは先ほど申し上げましたように四十九条、五十条と両方一つあわせてお読み願いたいのでございますが、教育委員会の権限として四十九条は一般的規定をしているわけでございます。五十条の方には、その中から都道府県の教育委員会のみが行う事務をここにずっと並べてあるというだけにすぎません。でございますので、ほかの号をごらん願いますとよくおわかりでございますが、たとえば四号でございます。「高等学校の通学区域の設定又は変更に関すること。」これは都道府県の教育委員会だけが行う、各号とも都道府県教育委員会だけが行う事務としてここに四十九条と区別して書いたわけでございます。そこに意味があるわけでございまして、決してこれは文部大臣が市町村の教育委員会に対して指導、助言をすることをここで排除しているわけじゃございません。
  110. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 地方自治法で大きな綱をぶっかけるようなところから論をすれば、そういうあなたのような論は成り立つかもしれんのだけれども、あなたの発言の中に一部は了解できる点があるが、僕は完全に了解まだできません。それは今度の法によりますと、都道府県教育委員会が市町村教育委員会を場合によれば指導を越えて監督をできるような主従関係のような規定があると思うのですがね。今までは大体対等で、大体地方委員会の指導に対しては都道府県教育委員会を通じてそれをやるのを私は本体にして、この教育委員会法が出たときには解明しておったと思うのですが、それが今度先ほど荒木委員質問ときに出たように、第四十八条にああいう表現をいたしますと、現行法よりは文部省から市町村教育委員会に至るパイプというものは非常に太くなって、パイプがすっかり通ったという感じが、この法案を通じて、どうしても私はそういうふうに感じてしようがないのですがね、そういうパイプを通すというような努力をしたのじゃないですか。
  111. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 矢嶋さんのおっしゃいます運用の実態は、確かにおっしゃる通りでございまして、今後ともそういうふうな運用になると思います。市町村教育委員会に対してものを言う場合には、都道府県を通じて言う、大体の状態においてそうなると思います。しかし、法律の建前はこれは現行法と少しも変っていないのです。それは従来から文部大臣が市町村の教育委員会に対して指導、助言をすることができることは明らかでございます。ただ、助言の関係と申しますと、これは大体並列でございますけれども、先ほど御引用になりました教育委員会法、現行の教育委員会法第五十条を見ますと、都道府県の教育委員会は市町村教育委員会に指導、助言ができますから、その関係は同列じゃない、それはやはり上、下の、上、下と申しては悪いのですが、そういう関係の一応指導的な立場というものは現行法も認めてはおります。ただ、先ほど申し上げましたように、たとえば旭丘の学校のことで特に京都市の教育委員会に、これは勧告でございます、いたしたことがあるのを私が思い起して申し上げましたけれども、普通の場合やはりたとえばこの都道府県の教育委員会を通じて書類等を流すことは普通でございますけれども、しかし都道府県の教育委員会に言ったその同じことを市町村の教育委員会に伝えて下さいということを言う場合には、やはり文部大臣が直接に市町村教育委員会に対して指導、助言をしていることになる。これはいつもそういうふうにやっております。都道府県に対しまして何か通達を出しました場合には、たとえばこの間の修学旅行の問題等につきまして通達を出しました場合は、同じことを市町村の教育委員会に伝えて下さい、こういうふうな書面にいたします。これは何も都道府県教育委員会がそこでずっと判断してやるというんではなくて、同じことを市町村の教育委員会にもやってもらうわけでございまして、これは市町村の教育委員会に対しまして指導助言をやっておる実態でございます。ただ運用としましては、今のようなことになりますので、直接書面を出します相手は都道府県の教育委員会に対して出すのが普通でございます。
  112. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それではもう一回伺いますが、あなたの御答弁によると、現行法においても、新法案によっても都道府県教育委員会は市町村教育委員会を指導ができる、いわば上下の関係にある、それで旭丘の場合に文部大臣から直接京都市の教育委員会に勧告を発した、そこで私伺うんですが、京都市の教育委員会と京都府の教育委員会は、あなたが先ほど述べられたような関係にある。そのときになぜその当時文部大臣は京都府の教育委員会を通じて、指導、助言権を持っている京都府の教育委員会を通じて京都市の教育委員会に勧告しないで、直接文部大臣から京都市の教育委員会に勧告したんですか。
  113. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) それはそのケース・ケースの、そのときの事態によって判断することでございます。あの場合は緊急にあの事態を収拾する必要があると存じましたので、直接いたしました。また、事柄の性質から申しましても、ああいうことは直接やるべきものであると存じます、ああいう重大な事態に対しましては。ただあのときも京都市の教育委員会にそういう書面を発すると同時に、京都府の教育委員会に対しましても書面を出しまして、京都市に対してこういう勧告をしたので、京都府の教育委員会におきましても、その事態の収拾について十分指導、助言をしてくれということは同様に出しております。そういうふうに運用としましては、その事態々々に応じまして、最も適当な方法をとるのが私どもの役目だろうと思います。
  114. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これで終ります。それで腹を割って言えば、ああいうふうに直接京都市の教育委員会に勧告することは違法ではないけれども、現行法の建前からいったら、決して私は好ましい行き方じゃないと思うのです。ところがやってみると非常に便利だから、今後ああいう形をちょっちょっとやるのに都合がいいように表現の仕方を変えられたと、かようにとれるんですがね。そういう気持もあるんでしょう、幾らか。
  115. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 絶対にそういうことはございません。先ほどから繰り返して申し上げております通りに、法律の建前は新法も現行法も全然変りございません、その関係につきましては……。
  116. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 一応終ります。
  117. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 時間も参りましたので、ここらで休憩したいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  118. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ではさよう決定いたします。一時四十分まで休憩いたします。   午後零時五十八分休憩    ————・————   午後二時二十一分開会
  119. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 午前中に引き続きまして、文教委員会を再開いたします。
  120. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 きょう午前中の質疑の継続を若干秋山委員がやられて、そのあとで私質疑することになっておるのですが、秋山委員が来るまでに、若干質疑をいたします。委員長理事打合会によって、一般質問が本日終了することになっておりますので、その立場から今まで資料を要求し、出された、それに基いて若干伺いたいと思います。それは、この法案を出すには至った理由を説明しなさいという質疑に対して、五つあげました。そのうちの第一、第二番の質問が終了して、三、四、五が残っておるわけですが、その過程に、この法案について世論はずいぶん批判的である。それに対して政府側は、誤解に基くものである。ラジオあるいは新聞の論調というものは、この法案の内容を十分研究しないで、誤解に基くところの批判論調を掲げておる、こういうことを答弁されました。従って、誤解に基く記事を資料として出しなさいと言いましたところが、朝日新聞の社説が出て、さらにこの法案を積極的に支持しておる日刊新聞の社説を資料として出してほしいと申しましたところが、先日資料として出ております。その点についてまず伺いたいと思うのです。文部大臣伺いますが、あなたは、公選制を任命制に切りかえる一つの理由として、現行法下においては、教育委員に適切な人が出ていないという、こういう御見解に立たれておるのかどうか伺います。
  121. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうは考えておりません。現在においてはいい人が出ておられると思います。
  122. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 このあなた方が出された法案を積極的に支持しておる新聞記事を資料として出すよう要求しましたところが、四月二十六日付の京都新聞、「教育二法案について」というものを出して参りました。これは何もそんなに積極的に支持しておるところはないと思います。この記事の中で一番重要なものは、「教育委員に適切な人が出ていないということ、」これが否定されない事実であるというこの点と、「日教組代表が出たりするのは避けられない。」ここにこの論説は重点があります。ところがここに出された資料によりますと、ことに市町村教育委員会のごときは、教組という団体に加入しておる人というものはきわめて少い。たとえば数字をあげますと、地方委員会においては教組関係の人は三十六名、それに対して、いずれにも所属していない人は、五千四百九十四人、大部分の教育委員は、いずれの団体にも所属していないという資料があなたの方からは出ておるわけです。だからこの京都新聞の社説の骨格をなすところの、日教組の代表が多くを占めるということは、根拠にはらないと思うのです。また、私は現在の教育委員には適切な人が出ていないというあなたは前提に立っておるのかと思っておったところが、そうは考えていないといえば、この京都新聞四月二十六日付は、あなた方を支持しておる典型的なものとして、資料として出されたのですが、どういう点をあなた方の御見解を積極的に支持しておるというふうにお考えになって、本委員会に資料として出されたのか、伺います。
  123. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 見るところはわれわれと同一じゃありませんが、一番結論に、「要するに教育行政のためにより適切な人を、」今の人も適切であろうが、「より適切な人を、という見地からすれば、任命制への切替えないし少くとも今の公選制の根本的改革は当然の筋道である。」こういうことを言っておられます。私も先刻、今の委員会は適切なる人だとは申しましたが、しかしこのままにすれば、あるいは委員会が政党化するおそれもあるので、「より適切な人を、という見地からすれば、任命制への切替え」は、「ないし」といっておりますけれども、「公選制の根本的改革は当然の筋道である。」という結論を出しておらるる以上、やはり本案支持の論と見たのでございます。
  124. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 要するところ、この京都新聞の四月二十六日の社説というものは、その点について条件付きに部分的に支持しておるだけであって、全般的に積極的に支持した論説にはなっておりません。特に、「教育委員に適切な人が出ていない」と断定しておる点とか、あるいは日教組代表が非常に多く出るというふうに断定しておる点は、あなた方が出された資料に基いて立証されないわけで、積極的にあなた方の御見解を支持する資料としては、私はそれほど価値あるものとは考えない。  さらに、これに関連して承わりますが、公選制は住民一人々々が秘密投票によって選ぶ、従って選んでくれた住民に対しても責任を感ずるでございましょうし、さらにその子供の父兄であるところの住民と、教育行政に携わる教育委員との親しみというものは、きわめて密接でございます。そういうところに公選制のよさというものがあったわけです。ところが、このたび任命制にされるというのですが、この点大臣どう考えられますか、甲なる村の教育委員を甲なる村の人を選ばなくてもいいわけですからね。私はこういう考え方はおかしいと思う。今まで甲なる村の教育委員に甲なる村において被選挙権を持った人が立候補されて、それを甲なる村の住民が選挙して、そうして教育行政の責任者として選任されておったわけです。ところが、今度の改正案によると、甲なる村の教育委員を任命するに当っては、甲なる村の人でなくてもいいわけですからね。首長の選挙権を持っておる人ならいいわけです。その首長の選挙権というものは、居住権というものはないわけですから、乙なる村、あるいは丙なる町の人を持ってきて教育委員に任命してもいいわけです。そういうことで果して公選制と同じような教育に対する住民の監視、関与というものが維持できるかどうかという点に、私は多大の疑問を持ちます。どうして立法する場合に、その地方公共団体に居住し、その地方公共団体内において公職選挙法に基く被選挙権があるような、そういう方、要するに市町村の住民の中から教育委員を選ぶというようなお考えを持たれなかったのが、現行公選制とはずいぶん私は違ったものが出てくると思うのですが、それはどういうふうにお考えになっておられますか。
  125. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 当該町村、当該府県とのつながりは、その町村、府県が選んだ長が、町村、府県から選ばれた議員によって選定されるということで、ここに民主主義的のつながりを求めたのであります。そうして人格高潔で、教育、文化に識見を有する人、こういうことになっております。それからしてもう一つは、この委員が不適当ならば、リコールの道も開いております。この二つの柱で、連絡で、町村との、または府県との民主的つながりはあるものと、かように考えたのでございます。
  126. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 市町村教育委員会において教育委員のどなたかが教育長と兼職するという問題については、この段階では私は触れません。あとでさらに触れる時期がありますから、そのときにいたしますが、私はここで文部大臣にはっきり伺っておくことは、こういう場合が出てくるわけなんですね、ある村において教育委員会を構成する場合に、どうもその教育委員と教育長を兼ねてやれるような人がいない。ところが隣りの町には元小学校の校長さんをした人で、あの人なら教育長がつとまるだろう、また教育委員に適当だろうというような人がいるときに、こちらの村の首長は、その隣りの町のかって小学校の校長をした人なら校長をした人を、この村の教育委員に任命して、そして、その人をこの村の教育委員会の教育長にする、こういうことは十分あり得ることですね、この法案では。
  127. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それはあり得ることです。
  128. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そこでね、私はこれはずいぶんと、あなた方は根本的には変らないと言いますけれども、教育委員と住民との関連という立場から、ずいぶん私は質的に変ってくると思うのですがね。従来は、その町村に居住して、そして被選挙権を持たねばならぬ、これが立候補して住民が、一人々々が投票して選んでおったわけですけれども、今度はどの町からでも、どの村からでも、教育委員を連れてくることができるわけであって、この教育委員会法発足以来、住民と教育委員とは直線で結びついて、そして親しみがあり、お互いに子供の教育について責任を持っていくという、この現行教育委員会法の根本的な精神というものは、ずいぶんと私は変ったものになると思うのですが、文部大臣はどうお考えになられますか。と同時に、そういう形の方がいいのでしょうかね、あまり好ましくないのじゃないですか、どうお考えになっていますか。
  129. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今までも数回お答えいたしました通り、その土地の住民から直接選挙で選ばれた長が、また直接選挙で選ばれた議会議員の同意を得て任命するということで、教育委員会の各委員は、各町村なり各府県とつながりを持っておりました。なおまた、そのつながりが悪いということなれば、そのリコールもできるのであって、一たんその町村の教育委員になった以上は、町村のことを十分に考えて、教育行政に従うものと思っております。しこうして、この方法が直接選挙よりも中立性を維持するにはふさわしいと考えたことは、これまたたびたびお答えした通りでございます。要するに、私は現在のあり方よりも、今度のやり方の方が、教育のためによろしいとかように考えております。
  130. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この点私は了承できません。最近ずいぶん陳情も参っておりますが、公選制は、ぜひとも民主教育を守るために堅持してほしいという強い要請が国民からなされております。私はその気持よくわかると思う。この気持が文部大臣は、全く通じていないわけであって了承できません。で、さらに教育長と教育委員が兼職するという問題のときに、さらに伺うことにします。  秋山委員が来ておりますから、あとかわりたいと思いますが、この項だけ終らせていただきます。  それはただいま京都新聞の点をちょっと触れたわけですが、四月二十一日の毎日新聞の土曜評論、教委制度の改正、阿部真之助、これが出されています。これがあなた方の法案を積極的に支持している論調の典型的なものとして出されているのですが、あなた方は朝日の社説を、これを誤解に基く社説だと言いますが、果して誤解かどうかという点をあとで私はあなたと論戦したいと思うのですが、この朝日の社説が誤解しているというあなた方は、この阿部真之助さんの土曜評論を誤解がなくて書いたものとして、どうしてこの資料として出せるのですか。この中にこういうことが書いてあるでしょう。「いやしくも一国の文部大臣が、国の教育に対し、指導助言すらもなしえないとする如きは、常識では考えられないのである。」今の現行法で指導、助言ができないのですか。今の現行法ではっきりと文部省設置法の中に指導と助言ができることになっているでしょう。ただ指揮監督してはならないとなっているだけです。それを阿部真之助さんは知らないのです。私はこの人を尊敬していますけれども、しかし、この中には文部大臣の指導と助言がない、そういうことは常識では考えられない。何もこの新らしい法案ができなくても、現行法で十分指導と助言ができるのです。こういうことを論拠にしているじゃないですか。さらに問題なのは、こういうことが書いてある。「文部大臣が教育に関し一切口出し相成らぬというのは、極端論で取るに足らない。しかも無政府主義にも等しい常識はずれの極端論が、国会の証言で大学学長の口から述べられたことは、記憶しておくに値するであろう。」こういうふうに結んである。これはおそらく東大の矢内原総長の証言あたりを言っているのだろうと思うのですが、ほかには大学の学長は来られなかったのですから、矢内原さんのことを言われているのだろうと思うのですが、広島の森戸さんもおいでになりました。しかし、この記事は森戸さんが参議院に来る前の記事ですね。まあ、森戸さんにしても、矢内原さんにしても、「無政府主義にも等しい常識はずれの極端論」を国会で証言していますか、あの速記録を読んで。そういう方を私は平素尊敬しているのですが、阿部さんは、そういうふうなことで土曜評論を書かれた。これはあなた方のこの法案を積極的に支持している典型的な論調だというふうに申しましたならば、あなた方の常識を私は疑わざるを得ないので、大きな何じゃないですか、誤解のもとに、認識不十分のもとに、阿部さんは筆陣を張っておられるのじゃないですか。こんなものを出さなければ何ですか、数多い日本の新聞雑誌の中で、この法案を積極的に支持している論説、論調というものは見つからなかったのですか。その点をこの阿部真之助さんは、文部大臣には指導と助言の権限がないということを前提として書かれておる、そういう点について資料として出された以上は、どういうあなた方は責任をとられるのか、お答え願いたい。いいかげんな資料を出しては困ります。
  131. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この言論もまた、特に理由が全く同一ではございませんけれども、まん中のところに「冷静に本法案全部を見渡して、国家の権力が不当に教育を圧迫するような条項は、どこにも見当らない」と、こういう理由でこれを是認しておられるのでございます。それゆえにこれは賛成の議論として、例証としてあげたのでございまして、あるいは「指導、助言」を指揮監督という文字に置きかえれば、私はよく合うと思うのであります。
  132. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 「指導、助言」と指揮監督とは全く違いますよ。阿部さんは指導と助言ができないということを前提にして書かれている、それから矢内原さんと森戸さんは、無政府主義にもひとしい常識はずれの極端論を国会で証言したというようなことを書かれている。これはこの評論の中の骨子になっておる。ただ、あなたが今読んだのはごく部分的な点なんです。こんなものはこの法案を積極的に支持している典型的な論説などといわれたものじゃないですよ。結局世論はあなた方の法案を支持していないという立証になると思う。  ついでですから三月十四日付の朝日の社説と、二月二十六日付の朝日の社説が、これが誤解に基く論説だということを資料として出されました。そうしてこういうことが書いてあるのです。あなた方から出した書面です、「次のような趣旨の記事があるが、これは、法案に対する誤解によるものと思われる。」と書いてある、「自治体首長の任命になると、当然、教育委員会に政党色が濃厚となり、教育を政党が支配するおそれがでてくる。」と、こういうことが幾つか並べてある。この三月十四日と二月二十六日の朝日の社説の片々区々をとらえてはだめですよ、社説というものは、論説というものはその骨子が問題です。どこのところが一体これなんですか、誤解に基くものだ、法案に対する勉強が不十分だと断定されたのですか、この社説の中のどこか、それを指摘していただきたい。
  133. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 全体はこれは反対ですから、これは議論です。誤解に基くというのは、この議論を立てた資料に誤解の個所があるということであります。それゆえに今のお問いはその個所を指摘せよとの仰せと考えます。で、二月二十六日の社説では自治体首長の任命になると当然……この文字が必要なんです、当然教育委員会に政党色が濃厚になり、教育を政党が支配するおそれが出てくる、これは私は誤解と思つております。当然そうはなりませんです。任命しましても、同じ党派のうちには二人しか政党員は入れません、また、二人も積極的の政治運動はできません、党の役員にはつけませんです。こういう制限があることを注意されたら、今回の案で当然教育委員会に政党色が濃厚になるというのは、案の各条件をいまだ検討されておらぬものと私は認めたのでございます。まだ次にありますよ……。
  134. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 一つ一ついきましょう大臣。私はなぜあえてこういうものを取り上げるかというと、この前も荒木委員等から指摘されたように七百三十万からの反対署名簿が国会に届けられ、先般請願を審査しましたけれども、この法案を通してほしいという請願は一件もなかった、一人もなかった。ただ一件だけ慎重審議してほしいというのがあっただけ、あとは全部反対の請願であったんです。正式に請願権に基いて出された請願であった。ところがあなた方は誤解だ誤解だ、法案の勉強が足りない足りないと言うて、日本の言論界はあげてといっていいほど反対して、政府に反省を促しているのに耳を傾けようとしない。学者が声明を発すると、それをあざけり笑っている。そういう態度を私は問題とし、非常に遺憾に思いますので、これを伺っているわけなんですがね。あなたは今二月二十六日の朝日の社説に、自治体首長の任命になると、当然、教育委員会に政党色が濃厚になる、当然云云と読まれた、それはどこのところにかかるのですか。
  135. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは新聞記事ですから……。
  136. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういう記事があるのですか。
  137. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 一番上の段の終りから二行目です。
  138. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それは確かにここにある、それはある。(笑声「参りました」と呼ぶ者あり)参りゃせんよそんなもの。  そんな片々区々の点をとって、世界に有名な朝日の社説を誤解に基くなんか言うのは、これは私は穏やかでないと思うんですよ。この社説の論調の主軸というものは、これは決してその法案を勉強していない、誤解に基くものだというような断定はどこからも出てきません。政党色が濃厚になるのは当然です。また、知事や市町村長がかわるたびに、教育委員の色彩がかわるおそれがあることも当然です、ありましょう。「公認の教科書以外は、教材としてなかなか使えない。」なかなか使えないこと事実です。自由じゃございません。「教師の教育研究会などについても、教育委員会の干渉がましいことが書かれている。」これはきのう来われわれが指摘したところです。「干渉がましいことが書かれている。」これは間違いですか、誤解ですか、明らかでしょう。「干渉がましいことが書かれている。」これは堂々たる社説ですよ、三月十四日の社説は。これを、誤解に基く記事を出しなさいと言ったら、第一番にこれを出してきた、朝日のこの二つを。確かに朝日の教育関係のこの記者は私は、他社もそうですが、特に私は充実していると思うのです。常に朝日は日本の文教政策について鋭い筆陣を張っている。従って今の鳩山内閣の文教政策について、ずいぶんあなた方にしてはつらいことがときどき書かれていることがあるでしょう。この教育委員会法あるいは教科書法案についても、他の社もそうですが、朝日はずいぶん何回も取り上げている。与党さんで推薦したこの前の産経時事の公述人の方ですね、あれの方はずいぶんと賛成の公述をされておったが、私が新聞を調べたところが、あのときも申しましたように、社説に一回しか書いてない。しかもその一回の社説の中に、教科書法案教育委員会法案を一回にして、一日分の半分で新教育委員会法案に対するところの論説はそれで終っている。そういう新聞は日本広しといえども探してもございません。地方の新聞社でも、新教育委員会法案についても、論説は二、三回は必ず掲げている。一ぺん、しかも一回に教科書と教育法を合せて論説をただ一回掲げた、それが産経時事です。むしろあの論説の方が、よほど法案の内容を知らないで、ピントをはずれた論説を張っている。私はこれは対決してもいい、責任持って言いましょう。これはその人が与党側の推薦で公述人として出て来た。あれこれ合せ考えるときに、世論の動向というものは明白だと思うのです。積極的に支持しているところの論説を見つけようといってもない。また堂々たる賛成の公述をするところの公述人を見つけようといってもない。まあこの前の林公述人みたいな人しかない。それから誤解に基くといってあざけり笑っているが、さてこれはずいぶんでたらめな論調だなと、法案を読んでいないなと思うようなものは見つからない。あなた方が見つけて出したのは、この朝日の二回にわたる論説です。これは良識ある者が読んだ場合、これが法案を読んでいないで書いた誤解に基くものであるとは、だれもとれないです。これは私は勝負はきまっていると思う、どうですか。
  139. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その次のことを説明しましょう。あなたはここで議論をしておるから、間違ったところを言いましょう。その次に二十六日の朝日新聞の論説で事実を間違っていると指摘したのは、第二段目の「知事や市町村長が代るたびに、教育委員の色彩が変り、教育の方針も動くというのでは、教育界の混乱を招く。」と書いてある。ところが附則第八項によりますれば、一年ずつになっておるのです。でありまするから、知事や市町村長がかわりましても、教育委員会の全部の色彩が変ることはございませんです。(「四年間任期があるのだよ」「漸次かわるのですよ、それぞれ」と呼ぶ者あり)それはその記事を読んでおらぬものと私は認めておるのであります。
  140. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 他にあるから適当なときに聞きますけれども、大臣、そんなことを言ったら、人から笑われますよ。私が市長になれば四年間任期があるのですよ。そうしたら、教育委員を議会に推薦して承認を求める場合に、矢嶋に徹底的に反対している者を矢嶋が推薦したりするはずはないですよ。政府でもそうじゃないですか。政府は——内閣の方は、国会に推薦承認を求めるあの人事にしてもですよ、Aなる内閣からBなる内閣になると、そのBなる内閣が続いている間に任期が切れて、そうして国会に承認を求めてくる場合には、変ってくるじゃないですか。吉田さんのときには吉田さんのにおいのする人が出てきた。鳩山内閣になったら、鳩山系の人事がどんどん承認を求めて国会にきているじゃありませんか。これは限度の問題でね、必ずそういうにおいはするのです。公選に比べて必ずその傾向が出てくるのです。これは朝日新聞が書いているのは当然じゃないですか。間違ってないですよ。これを間違っていると言うあなたの方が間違っている。それであんた、こんな法案を出されてはたまらぬですよ。
  141. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は今回の委員の交代を一年ごとにいたしてありまするから、知事や市町村長がかわるたびに、そのつど教育委員の色彩が変り、教育の方針が動くというのでは、教育界が混乱を招くこと火を見るよりも明らかであると書いてあるのは、これは徹底的の誤解と、私は考えたのでございます。選挙でやりますると、一ぺんにみんなかわるのです。(「違いますよ」と呼ぶ者あり)この方は選挙のたびごとにかわるので、任命だったら四年、五年……しかも四年目にかわった時分には、町長もかわるのです。これが段階的にいきまするから、一ぺんにはかわりません。たびごとにかわります。選挙でやったら、五人一ぺんにすぽっとかわるのですから……(「半数、改選だよ」と呼ぶ者あり)
  142. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 選挙なら五人一ぺんにすぽっとかわるかね。(「すぽっとかわるものか」と呼ぶ者あり)
  143. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今半数改選でございません。
  144. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 半数改選じゃないか。そうして任期は二年ごとだよ。それできているのだよ、現行は……。  秋山委員がおいでになりましたから、さっきのあるそうですから、この資料に関する質疑は一応ここで終りますが、大臣、もう少し厳粛に国民の声に耳を傾けなくてはいけませんよ。私は何も朝日の宣伝をしようとは思わない。しかし、朝日の文教記者というものは充実しているのです、私の見ているところでは。決して法案を勉強しないで、不勉強で、誤解に基いてこんな社説を、天下に有名な朝日がやっているとは断じて思わない。ところがこの法案を審議する冒頭において、ラジオとか新聞のああいうこの法案に対する論調というものは、誤解だ誤解だ……、そんなら誤解に基く典型的なものを出しなさいと言ったところが、この朝日の論説を出してきた。これは不用意ですよ。極端に言えば不謹慎ですよ。もう少し七百三十万の署名とか、それから現にあの二日前請願をここで審議したのです。この法案を通してくれという請願を癒した国民は一人もいなかったですよ。反対ばかりなんですよ、請願は。そういう厳粛なる国民世論というものに、あなたは謙虚に耳を傾けられなくちゃならぬと思うのですよ。そういう点について法の提案者であるあなたは非常に私は不十分なものがある。従ってですね、私はそれらのあなたの態度については御反省を促したいと思います。
  145. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この案には、半数改選とは書いておりませんけれども、もし朝日の記者がそう考えられたら、誤解です。(「ノー」と呼ぶ者あり)今の教育委員会は全部改選いたします。(「半数改選じゃないか」「制度の問題ですよ大臣。」と呼ぶ者あり)それは間違いです。もしそうであるとすれば。それからもう一つ、今のお言葉のうちに、朝日の記者がいかにも充実しているがごとく言っていられるが、そんなことを言っているのじゃないですよ。朝日の記者諸君は、ここにもおられると思うのですが、これは尊敬しているのです。けれどもこの議論には根底において誤まったる事実の認識があるということを指摘しているのです。
  146. 秋山長造

    ○秋山長造君 私は午前中の局長の御答弁の点を御質問したいのですが、その前に今の矢嶋さんと大臣との最初の問答で、阿部真之助氏の土曜評論の内容についてのやりとりがあったんですが、その中で文部大臣は今日まで言ってこられたことと、全く別な新しいことを御答弁になったので、その点をちょっと確かめておきたいと思います。その点は、阿部真之助氏のこの評論の中にですね、まん中辺を見て下さい。「いやしくも一国の文部大臣が、国の教育に対し、指導助言すらもなしえないとする如きは、常識では考えられないのである。」で、この「指導助言」という点を矢嶋委員が取り上げて、これは誤解じゃないか、今の制度では文部大臣が指導、助言をすでにできることになっているじゃないか、これが誤解じゃないと言えるかという矢嶋委員の御質問に対して、文部大臣は、その「指導助言」というのは、多少言葉の使い方が不適当かもしれぬ。しいて申せばです、しいて申せば指揮監督とでもすれば私どもの気持と一致すると、こういう御答弁があった。一体従来文部大臣は、今度の制度になっても、文部大臣は、指揮監督をするのじゃない。そんな大それたことを考えているのじゃない。地方の教育機関との連絡を密にするだけだということをおっしゃってきたんですが、文部大臣は、先ほどのこの指揮監督とでもすれば、私どもの気持にぴったりするという御発言があったんですが、これはその通りと了承してよろしゅうございますか。
  147. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私どもの気持とぴったりすると言ったように今記憶しておりませんけれども、先刻のことですが……。しかし「指導助言」という文字をここに使ったのは、法規から見れば適切でなく、指揮監督とでも阿部君が書いておられたら、なおよかったろうと私の方はリマークはいたしました。しかしそれは言わぬでもいいことであって、この論文の全体は「冷静に法案全部を見渡して、国家の権力が不当に教育を圧迫するような条項は、どこにも見当らないのだ。」こういう判断をしておられますから、この法案を支持する議論と私は思っておるのであります。
  148. 秋山長造

    ○秋山長造君 いや、その冷静にどうこうということでなしに、私は文部大臣が使われた言葉が今まで聞いた言葉と違うから、もしその通りならこれは問題だし、それから誤まって言い違えられたのだったら、これはただしておいでいただきたいと思うが、今おっしゃるように、阿部さんがもし指揮監督とでもすればよかっただろうとこういうことであったにしても、じゃ文部大臣は、やっぱり文部大臣が日本の教育を指揮監督するべきだ、そこまで持っていきたいというお気持を持っておられるのですか。
  149. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは言葉の逆じゃございませんか。今の法律では、文部省設置法にも、また教育委員会法、有名な五十五条にも、教育行政について指揮し監督してはならないということがあるのです。それを頭に置いてこれは書かれたのでありましょう、それを指導、助言という文字を使われたから、文字上の争いが起るのじゃないかと感じたのでございます。それ逆なんです。指導助言はいいのだが、今の法規では指揮監督はこれはいけないのです。それを頭に置いてお読み下さり、私の言ったことをお聞き下されば、これはちっともその間に論理の貫通せぬところはありません。私は指揮監督しようなどということを思ったことはございません。
  150. 秋山長造

    ○秋山長造君 じゃ、よろしい。文部大臣は指揮監督ということは全然考えられておらない、これは将来においても同じことだ、また今問題にしている教育法案においても、指揮監督というようなことはない、こう了解してよろしゅうございますね。
  151. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) よろしゅうございます。
  152. 秋山長造

    ○秋山長造君 そういたしますと、これは文部大臣のお気持はわかります。ところが文部大臣は、今おっしゃるように、現在の法律をもとにしての議論であるにしろ、新しい法律をもとにしての議論であるにしろ、指導、助言という言葉をここで使うのは、これはちょっと実態に即しない言葉だ、だからそれを指揮監督とでも直したらいいだろうとこうおっしゃるのです。しかし指揮監督と直しても、それはやっぱりまだ誤解になりゃしませんか。そういうことは実際にないのですから、誤解になりゃしませんか。その点どうですか。
  153. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今度の新法案でも、文部省設置法なりは、少しも変っておりませんので、指揮監督はいたさない、しかし指導、助言、援助はするのです。そういうことでございます。その他、人の思いは顔の違うようにみんな一々違いまするから、阿部君の考え方を全部肯定するわけでもなく、全部否定するわけでもないが、ただ結論において、冷静に法案全部を見渡して、国家権力が不当に教育を圧迫するような条項はどこにも見当らない、その通りで、これは本案支持の論文でございます。そのほかに阿部さんがどうお書きになったということをここで非難することも必要はない、弁明することも必要はないと私は考えております。
  154. 秋山長造

    ○秋山長造君 それはそうですよ。だからその点は間違っていると言っているのじゃないのですよ。文部大臣が指揮監督とでも書けばよかっただろうにとおっしゃったことが間違いである、それが文部大臣の誤解であり、そうしてそういう書き直しをしたとすれば、阿部さんの誤解でもあるのです。だからこの指揮監督という言葉を、文部大臣がおっしゃったことが私は文部大臣自身がちょっと感違いをされたのじゃないか、それこそ誤解されたのじゃないかということをお尋ねしておるのです。別にこの問題を言葉尻をつかまえて、どうこうとしつこくお尋ねしようという気持はないのですけれども、ただ、法案の審議が重要な段階に、感違いをされたにしても、不用意にそういう言葉をお使いになるということは私はおもしろくないと思うから、まあつつしんで御注意申し上げたつもりなんです。だから指揮監督という言葉は、やはりお取り消しになって、そして指導、助言という言葉はちょっと適当でない点があるように思われるなら思われると、何かそういうふうにお考えになれば、私はそれでいいのじゃないかと思うのですね。
  155. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) どうも私は合点がいかないのです。(「いかないのはこっちだ」と呼ぶ者あり)どうも合点がいかないのであります。この論は全体として「冷静に法案全部を見渡して、国家権力が不当に教育を圧迫するような条項は、どこにも見当らない」私はその通りに思っておるのです。これには指揮監督をしようなどという規定はないのです。ですから見当らない、こう取るのです。ただ、現在のこの状態を見て、現在も指揮監督権はないのです。(「指導助言権は」と呼ぶ者あり)指導助言権はあるのです。(「じゃ阿部さんが間違っているのですね」と呼ぶ者あり)だからここの文字を指揮監督とでも書けばぴったりしやせんかということで、それは私のリマークで、本来はこの論文の趣旨を私と同じように考えておられるか、また違うか、そこらのことを非難するのじゃなくして、われわれの案には国家の権力が不当に教育を圧迫する条項はないとおっしゃっているのですから、すなわちわれわれの主張を全体としてよくお考えになり、よく把握されて、そしてサポートしているものと私は考えるのです。この案全部の考え方を私は非難し、またはこれに賛成する立場にはないのであります。同じことを繰返すようでありますが、ちょっと合点がいきません。
  156. 秋山長造

    ○秋山長造君 私はこの点についてあまり繰返すつもりはございませんけれども、これは文部大臣、あなたは非常に誤解しておられるのじゃないかと思うのです。私が申し上げる意味は、この論文全体のニュアンスということを問題にしているのじゃないのです。そういうことはおっしゃる通りで、もうわかっている。ただしかし、阿部さんが指導助言と書いているところを、しいて申せば指揮監督とでも書けばよかったろうにと、こうおっしゃったでしょう。だから文部大臣、冷静に指導助言と阿部さんが書いているところを消して、指揮監督と書き直してみられて、そして読んでいただけば、それはなおさら指導助言よりも指揮監督と書いた方がもっと誤解であるということにお気づきになると思うのですが、いかがでしょう。
  157. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) しまいまでの、全体の字句の、(「いや、全体のことを言っているのじゃないですよ」と呼ぶ者あり)字句のことは別ですが、文部大臣の指導助言の規定がないというが、実は指導助言の規定はあるのです。ないのは指揮監督権がないのです。それゆえに規定がないということに合わすのだったら、指揮監督の規定がないとお書きにならぬというと工合が悪い、指導、助言の権利はあるのですから、それがないと書いてあるから、やはりこれはちょっと工合が悪いと言ったのです。それから……。(「だから指揮監督という言葉をお使いにならなければいいのです。その点はいいのです。」「指揮監督におきかえられたら大事なんだ。ところが文部大臣は指揮監督だったらいい、ぴったりくると言われたのだからそこを取り消せばいいというのですよ。いいですか。落し穴も何もないのですよ。そのままですよ。」と呼ぶ者あり)……話が長くなりますけれども、もうお許し願いたいと思います。これも阿部真之助君の御議論を弁護するのでも何でもありません。(「あなたが直したのだから、直した責任がある」と呼ぶ者あり)あまり一つのことで時間を取るのは、いかがかと思いますけれども、衆議院公聴会で……(「それは議題外だ」と呼ぶ者あり)いやちょっと待って下さい。この論が出たもとを言うのです。稲葉委員が矢内原さんに「この法案のどこが教育内容それ自体に政治権力の入っていくおそれがあるのですか、御指摘を願いたい」、こういうことを稲葉君が言ったのです。それに対して矢内原さんは、「たとえば四十八条でございまするが、文部大臣はこれこれに必要な指導、助言または援助を行うことができる。」、これをもって答えておらるるのです。指導、助言、援助ということが四十八条に書いてあるのを、それを政治権力の導入だというふうに矢内原さんが答えられたのです。このことがあるいは私は阿部君の耳に入り、目に触れて、そこで指導、助言といったようなことをここに使われたかと思います。だけれども、ないという動詞がその次にある以上は、ないもの、すなわち監督権の方にいく方が文字は合うと言ったのでありまして、そこで、これ全体はわれわれの案を支持しておる証拠には、「冷静に法案全部を見渡して、国家の権力が不当に教育を圧迫するような条項は、どこにも見当らない」、矢内原さんのおっしゃったのはそうじゃないと、こういうことを言っておるんです。
  158. 秋山長造

    ○秋山長造君 文部大臣そういうように議論をふっかけてこられるが、矢内原さんのことなんかちっとも言いおりゃしませんよ。それからまた阿部さんの評論が政府案を支持してないということも言いおりゃしないのですよ。全体のニュアンスとしては政府案を支持しているということをわが意を得たりというように文部大臣は悦に入っておられることもよくわかっているのです。それは認めておるのですよ。ただ、まん中のところで「文部大臣の指導、助言の規定」ということが二度使ってありますね。二度。その二度使ってある指導、助言という言葉文部大臣は指揮、監督とでも書きかえれば一そうよかったろうにと、こうおっしゃったんです。ところが、指揮、監督と書きかえてそこで読んでごらんなさい。それは一そう文部大臣の意思に反した結果が出ますよ。だから、その点は指導、助言という言葉が実態に即しないということは、これはお認めになる通りです。われわれもそう思うけれども、しかし指揮、監督と書きかえたら、文部大臣のおっしゃることは一そうとんでもない間違いになる。それは局長とよく相談して、はっきりしたことを答えて下さい。別にこの問題で議論しようとはちっとも思ってないのですから。
  159. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今局長と相談せいということで、相談いたしましたところ、私一つあやまちを発見しております。それは、「文部大臣の指導、助言の規定が、無い」と読んだのは、くさいの臭の字なんです。謄写版を間違って、(「くさいというのはあるということですよ」と呼ぶ者あり)今の法律に方々に指導、助言という規定がある、これが「臭いといえばいえそうだが、」、これを私は「無い」と読んだのです。読み違いで、それで秋山さんと数分間の時間を空したことははなはだ遺憾であります。私はガリ版を見そこのうて、これを私は「無い」と読んだのです。臭の字らしい。それは間違いで、御注意によって政府委員と相談しまして、「臭い」と「無い」とのあやまちを発見しました。これは謝します。
  160. 秋山長造

    ○秋山長造君 ではそれでよろしゅうございます。そういうように一つ議論にすぐお入りにならずに、すなおにやっぱり見ていただけば、すぐわかることですからね。要らぬことで時間をだいぶ空費しました。  そこで質問に入りますが、緒方さんはけさほどの指導主事の職務という問題について、現行法の「命令及び監督をしてはならない。」という規定は、これは間違いだ、間違いだから今度の法案でそれを直したんだ、こういうようにおっしゃったのです。それに対して私は、それは間違いじゃない、現行法の規定が正しいんだ、こう言うて反論したわけですね。現行法の規定は間違いなんですか。この点をます。
  161. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 私申し上げましたのは、指導主事というものの法律上におきまする地位でございます。これは教育委員会の事務局の職員でございまして、教育委員会の職務権限を補助執行するものでございます。でありますので、指導主事の職務といたしまして「命令及び監督をしてはならない。」というのはこれは不合理じゃなかろうかと、こういうことを申し上げまして、午前中も話がありましたように、指導主事の職務柄、これはやり方としましては、そこで命令がましいあるいは監督がましいことはなるべく避けていくことが適当であろうとは思います。これはしかし、何と申しますか、職務執行の心得でございまして、権限、職務としましては法律上こういうふうに規定するのはおかしいじゃあるまいかと、こういうふうなことから、これは今度の新しい法律にはわざわざこういうことを規定していない、こういう説明をいたしたつもりでございます。
  162. 秋山長造

    ○秋山長造君 では、重ねでお伺いしますが、とにかく現行法は誤りじゃなかろうかというのは、要するに誤りだということなんですね。一体この教育委員会法は簡単な条文なんです。だから、そんな法律上明々白々たる問題について立法者がそんなあやまちを犯すということは私は考えられない。それからかりに百歩を譲って、よく文部大臣の口ぐせのように言われる占領下早早の間に書き上げたものだからと、こういうようなことで解釈するにしても、この条文は最初から入っておったのじゃないでしょう。あとから特にこの条文は付け加えたものでしょう。だから、たくさんな条文をずうっと並べてたくさんな条文を一度に書き上げたのだからたまたまあやまちがあった、というようなことならこれは別問題。しかし、この条文は、これはあとから書き加えた条文なんですから、書き加えるときこの一カ条が問題になった。だから、この一ヵ条を書き加えるについでは文部省でも十分検討され、また法制局でも十分検討された。たくさんな条文を一度に書き上げたときよりは、この一カ条にかかっておる比重というものは非常に重いのです。非常に重いのです。その点は私が申し上げるのは間違いかどうか。この点が第一点。それから……まあその点だけ先に答えて下さい。
  163. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 今御指摘にありましたただし書きがあとから入ったということでございますが、これははなはだ遺憾でございますが、私その事情をつまびらかにいたしません。調べてお答え申し上げますが、聞きましたところでは、ほかの条文にあったのをここに移しかえたのじゃないか、こういうことでございますが、これはさらに調べましてお答え申し上げます。ただ、私が先ほどから申し上げておりますのは、立法論といたしまして、今度新しい法律を立てる場合に、先ほどから申しましたような理由からいたしまして、このただし書きを新しい法律に入れることは不合理、不適当と考えましてこれは落しました、かように御説明いたしておりますから、さように御了承いただきたいと思います。現行法に入っておりますということはこれは事実でございますが、ちょっと経緯につきましては、さらに調べてお答え申し上げます。
  164. 秋山長造

    ○秋山長造君 ほかの条文にあったのをここに移しかえたのじゃないかと言われるが、一体どこからも移しかえるというようなことができるのですか。法案を初めからしまいまで読んでみて、ほかの条文にこういうことを付け加えるようなところはないのですね。あれば教えていただきたい。  それから第五十二条の四という(指導主事の職務)という条文ができた理由、それからその趣旨、精神、こういうような点について一つ説明願いたい。
  165. 木田宏

    説明員(木田宏君) ちょっと御説明申し上げます。今私の記憶がもし間違っているといけませんので、確かめに材料を点検しておりますけれども、ただいま御指摘になりました指導主事の職務を規定いたしました五十二条の四という規定は、以前は四十六条削除となっておりますが、そこの位置にあったものでございます。これは指導主事につきましては教育委員会法制定当初、まあアメリカ筋の指導がありまして、私どもでは内容のはっきりしていない職員であったのでありますけれども、当時の占領当局の指導によりまして、それを指導主事という言葉で表現し、その職務内容もそういった指導を受けてこれをこちらの法文でそれに近い内容のものに表現した、こういうふうに私は了承しております。でこの四十六条を削りましたのは、昭和二十五年の法律百六十八号の改正によるものでありまして、この改正でただいまのところへ持って参りました。このときに同じく四十二条に削除となっておりますが、そこのところに教育長のことが同じように書いてございました。その教育長の職務もちょうど同じ改正規定でただいまの五十二条の三のところへ移しかえだのでございます。で、教育長の規定につきましては、当時多少表現を変えたように私記憶しておりますけれども、指導主事につきましては、そのまま移しかえたのじゃなかったかと思っております。今確めておりますから、後刻またあらためてその点は御説明申し上げられると思います。
  166. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうすると、現行法の五十二条四の条文がそのまま四十六条のところへすっぽりはまっておったわけなんですね。
  167. 木田宏

    説明員(木田宏君) その通りでございます。
  168. 秋山長造

    ○秋山長造君 ただいまの御説明によりますと、この四十六条から五十二条の四へ移しかえたのは、このGHQの何かアドバイスか何かで移しかえたというように聞き取れたのですが、そうなんですか。
  169. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ただいま地方課長が御説明いたしましたのは、制定当初の事情を御説明いたしたのでございまして、条文の整理、これはほかの事情でその次の改正で条文の移しかえをいたした、かような工合に私も了承いたしております。ただ課長が申し上げましたように調べておりますので、さらにお答え申し上げます。
  170. 秋山長造

    ○秋山長造君 それでこの四十六条から五十二条の四へ移しかえるときは教育長の問題もあるけれども、教育長の条文とそれから指導主事の条文と……、だからそのとき新しくこういう条文を作ったのじゃない、今まであったのをただ条文の体裁上移しかえた、こういうことにすぎないけれども、それにしても教育委員会法の改正案として国会  へ出されたわけですね、そうでしょう。で、国会でそういう内容を持った改正案を提案される以上は、この条文そのものについても機械的に移しかえるということでなしに、その条文そのものについてもそのときにやはり問題になったろうと思うのです。それからまた今局長がおっしゃるように、これは間違いだ、あるいは間違いという言葉は使わないまでも、適当でないという考え方があったならば、そのとき当然こういう問題は検討されたと思うのですよ。しかもその検討された上で、やはりこれはそのまま別に間違いでも何でもない、これでいいのだということで移しかえられて、そうしてそれが国会においても妥当なりとして通過成立したものだろうと私は思うのです。それはその国会審議も議決もみなこれは占領下だから、国会では不適当と考えたのだけれども、進駐軍から圧迫されて仕方なしにそのまま残したのだというような説明があれば、これは別ですけれども、まさかそんなことはない、二十五年ですからね、そんなことはない。だからこれはもう立案者によってもあるいは立法機関においてもこれが正しいのだ、これでいいのだという確認のもとにこの規定が五十二条の四として残ったのだ、こう私は確信せざるを得ない。その点はいかがですか。
  171. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ただいまお話しの二十五年でございますが、この点私どもはつまびらかでございませんから確かめますけれども、条文を変えるときにはそれは国会に提出しまして、国会で御審議願った上でございますから、それはおっしゃる通りだと存じます。ただそのときにも政府当局として、私の考えからいたしますと、検討をしてこれはやはり除いておいた方が適切であったと私は考えます。このたび新しい法律案を作成するに当りましては、先ほど来申し上げますような理由によりまして、これを削除して案を作ったのでございます。  なおちょっとつけ加えて申し上げますと、国会ではそれはもちろん慎重御審議を願ったに違いございませんけれども、当時もやはりGHQだけの関係を申し上げますと、この案につきましてもアブルーバルを必要としたことでございますから、これは想像でございますけれども、一番初めに指導を受けておったならば、同じような指導があったのじゃないかと思います。
  172. 秋山長造

    ○秋山長造君 これは局長は当時局におられなかったわけでございますから、その間の事情は局長からこの席で承わっても、これはただ今の状態での局長の御推察にすぎないわけですから、その点はその程度にとどめておきますが、しかし私どもが過去の経験にかんがみ、また今日の実情にかんがみ、またそれがGHQのアドバイスであったにしても、やはり日本側の立法者の意思というものは私はここへ現われてきておると思うのです。それでやはりあえて命令、監督してはならないという規定を置いたところに非常に意味がある。これはただ外国から押しつけられたというような簡単なことで、簡単な論法で片づけられる問題じゃないのですよ。GHQの示唆があろうがなかろうが、日本の過去の明治、大正、昭和とやってきた教育行政の実態というものを考えた場合に、当然新しい民主主義の教育、民主主義的な教育制度ということを考える場合にはこの規定は入って何らおかしくない、おかしくないばかりでなしに、ぜひこういう規定は必要なんですよ。にもかかわらず今度の新法でこれが削除されておるということは、なかなか深いあなた方のおもんばかりもあるのだろうと思う。私どもに言わせれば、これは非常に危険性をはらんだ改正だと思うのですよ。それで私けさほども申し上げましたように、この現行法での教育主事というものはこれは文字通りの教育主事です。つまり、かみしもを着ないでまる腰で専門家が教員の中に入って、そうして命令とか服従とかいう感情は全然持たないで、ごく自然な形で教員の中にまる腰で入って、そうして自分の持っておる専門的な知識を教員に吹き込む、あるいはそこでディスカッションをやる、そうして切磋琢磨という過程において現場の教育効果を上げていく、こういう建前だと思う。ところがそれが今度のようになりまして、けさほどの局長のお言葉にも出ておりましたが、指導を行う、命令、監督もできるんだということになりますとですね、これはあなた方の方は立法者として善意でしょう。それはおっしゃるように善意でですね、いや大体はこれは今まで通り、実際は今まで通りだ、しかし命令、監督もしようと思えばできるんだ、しかしそういうことは望ましくない、こうおっしゃるんですね。それがあなた方の善意の内容なんです。しかし、それが実際に教育行政の第一線で現場においてどういう形になって現われてくるかということが私は問題だと思うんです。これはね、今まではまあ命令、監督というようなことをしてはならないということが特に法文でうたってあるだけに、これは徹底しているはずなんです。ところが指導主事というものは現場の教員からいえばこれは親しみ深いものなんです。身近に近寄れるものだったんです。ところが今度は事と場合によったら命令、監督、命令権、監督権というものを持っておるんだぞということになりますと、まあせいぜい敬遠しておこう、敬して遠ざけよう、こういう感情になってくることはこれはもう疑問の余地ありません。そうなると、これは指導、助言——専門の科目についての指導、助言というようなことはだんだん、だんだんとわきに押しやられて、もっぱら命令権、監督権、こういうようないかめしい肩書で上と下との関係、言葉をかえていえば上意下達というような役割をですね、指導主事が事実上果すようなおそれが多分にある。でそういうことになるとね、今までの教育現場というものはできるだけ教員の創意を生かして、教員自身の相互の切磋琢磨によって教育の効果を上げていこうということであったのがですよ、今度はそういうことでもなければまず横を見る、もちろん上を見る、上の顔色をうかがってせいぜいもうお上のおっしゃる通りにと、こういうことにどうしてもなってくる。私自身も教員の経験がありますからそれはわかっている。もうそうなるんですよ。そういうことになれば、結局ですね、あなた方は善意でもってただ法文の体裁ということだけで改正したんだというように軽くおっしゃるけれども、実際にはこの条文の改正というものは非常に重大な意味と影響を持つ。一歩誤まればすぐ危険だ。昔のあの視学制度、県視学、郡視学、ああいう視学制度に逆転する可能性が大いにあるということを私は申し上げておるんです。でそういう点についてのこの心配がないかどうかですね、危険性がないかどうかということ、それからまたかりにそういう私が申し上げるようなことをあるいはあるかもしれぬとお認めになるならば、そういうことのないようにするための保証を何によって求められるのか。この二点についてお伺いします。
  173. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 私もただいま仰せになりました、その指導主事の活動の実態というものが、ただいまおっしゃいましたように行われることが望ましいことは、これはもう御同感でございます。別にそれについて異論を唱えているわけじゃございません。ただしかし、それは指導主事の職務のやり方の問題でございまして、この職務として法律に規定するのは不適当であるということを繰り返して申し上げているわけでございます。これは指導主事にいたしましても、そのほかの事務職員にいたしましても、技術職員にいたしましても、教育委員会の事務局の職員であることは同列でございます。教育委員会に属しまする職務権限をこれは執行する者、補助執行する者でございます。従いまして、そこにその指導主事に対しまして、独立に命令しちゃいかぬ、監督しちゃいかぬということを法律で書くのは不適当である、これは制定の経過はいろいろございましょうけれども、今日新しく立法するに当りましては、これはやはり削除した方が適当であると、こう考えたわけでございます。指導主事が指導いたしますにつきまして、それが指導のときにはお互いに切磋琢磨するような態度で教員の中に入っていってやることは、これは好ましいことだと存じますので、それらにつきましては、十分またこの法律の趣旨としましても、やり方につきましては、教育委員会に対しまして私どもも指導していきたいと思いますが、これは法律に書くことじゃないだろう、かように思っております。それからまた教育委員会の権限といたしましては、これは指導部面におきましても命令し、監督するという関係は教育委員会と学校との間には当然起って参ります。その権限を執行する指導主事がそれをやっちゃいかぬということは、ちょっと不適当でございます。これはあくまでそうだと存じます。さようなことを申し上げているわけでございますから御了承をいただきたいと思います。御意見のほどは私よく承わって御同感でございます。  それから、なお先ほど申し上げました改正のときの改正の事情でございますけれども、先ほど申し上げました通りでございます。確かめてみましたら、前の条文を条文の整理のために二十五年の法律百六十八号で改めた、こういうことでございます。
  174. 湯山勇

    湯山勇君 委員長、ちょっと関連。緒方局長にお尋ねいたしますがですね。指導主事というのは県教委、地教委、大体何名ずつになっておりますか。
  175. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは一概には申し上げられません。都道府県の教育委員会では相当数ございますけれども、小さい委員会ではそうない、市の段階で予算措置といたしましては四名でございますが、それくらいの……。
  176. 湯山勇

    湯山勇君 県ではどれくらい。
  177. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 県で申しますと、ちょっとはっきりした数字を申し上げかねますけれども、もう少し多いように思います。
  178. 湯山勇

    湯山勇君 そこで、この指導主事に指揮命令権がないというのには非常に深い理由があるわけです。今局長の御答弁にありましたように、町村は別として、市においても、県においても数名の指導主事がおります。これは指導とか助言とかいう範囲ならばいいんですけれども、命令するとか、指揮監督ということになれば、その四名、五名の指導主事がてんでんばらばらになるわけです。出先においでああしろ、こうしろ、間違ったことを認めてそれに措置を命ずるということになれば、その指揮命令というものは人によって違って参ります。同じような誤まりに対しもAの指導主事はこういう命令をする、Bの指導主事はこういう命令をする、現場の監督ですから、そういうことに触ったのでは工合が悪いから、指揮命令というものはすべて教育長を通してやる、指導主事は現場の事実を確認して、これは是正しなくちゃならないという事実を認めたときには教育長を通じでやる、一本でやる、これが私どもが当時説明を聞いた指導主事は命令、指揮監督してはならないという趣旨である、こう聞いております。だとすればですね、私はこの精神は大切だと思う。場合によっては六人、七人の指導主事がそれぞれ大臣がいつもおっしゃるように顔が違えば心も違うことから見て、その重大さの判断も違います。そうなったときにてんでんばらの指揮監督をしては困る。その指揮監督、命令というものは一途に出なければかえって現場を混乱します。そこで事実を認めることはいいけれども、それに対する指揮、命令というものは指導主事が直接やらないで、一度一人の責任者である教育長を通してやるのだというのが現行教育委員会法の精神であり、前回にあなたは削除しなかったのは間違いだとおっしゃるけれども、そうではなくて、その精神を生かしたのが現行法なんです。これは私は直接説明者から聞いておりますから、間違いないと思うのですが、そういうことはあなたはお考えになりませんか。
  179. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ただいまおっしゃいましたのは、これは私はやはり仕事のやり方の問題だと存じます。職務の執行の態様の問題だと思います。それでそのことについては先ほどから申します通りに、特に指導部門におきまして慎重にやらなければならないということは申し上げておる通りでございます。しかし職務の権限として命令、監督をしてははらないということはないじゃないかということも先ほどから申し上げているわけであります。たとえば出先におきましてもすでに方針がきまっているもの、教育委員会におきましてきまっておる問題、これはいろいろ御論議はありますけれども、新法におきましては、第三十三条第二項によりまして承認を受けなければならぬ教材を使っているときに、それを使っちゃいかんということは言えないということはおかしいと思うのです。指導主事はそれぞれ統一がなければならぬ、指導には統一がなければならぬ。今あげた指揮、命令だけが統一がなければならぬというのではなく、指導だっててんでんばらばらに指導してはならないのでありまして、そういう指導方針のきまったもの、基準のちゃんときまったもの、これにつきましては指導主事が出先でやり得ると思います。しかしやることが常態だと言っているのではありません。
  180. 湯山勇

    湯山勇君 関連ですから簡単にお尋ねいたしますが、局長は現行法のそういう精神をお認めであるのかどうかということが一点です。  それから第二点は、たまたま例にお引きになりましたけれども、使ってならない教材を使っておったときに、その教材を使ってはならないととめる、その教材をその場で使わせないようにするために指揮、命令もできます。その授業はやめよという指揮、命令もできるのです。使ってならないということはきまっておりますけれども、その出先の操作を、その授業はやめよ、こういう命令をするか、その教材を使っちゃならないという命令をするかはそのときの主観です。それがある指導主事はお前はこの授業をしてはいかん、この授業でお前はこの教材を使っちゃいかん、こうなったのではいかんから、こういう場合にはこういう措置をするのだということは一途に出なければ、ばらばらになります。もっと極端なんで言えば、お前はきょうは学校に来ちゃいかん、こういうことを言うかもしれせまん。そうならないように、やっている事実はこれははっきりしている、やってならぬことをやっておるのだけれども、これに対する監督、命令というものは一途に出なければ、非常にその扱いに差ができる。そこで教育長というのは一人ですから、その一人を通じて、電話で連絡して、ここでこうしておるがどうしようかという指図を受けてやるならこれは別です。出先の判断でやらないのが現行法の趣旨で、この趣旨は私はやはり生かしておかなければいけない、指導主事というものは一人じゃないのですから。こう思うので、秋山委員質問に関連して、本法の精神はここにあるのだということをあなたがお認めになれば、これはやはり生かしておかなくちゃならない条文になってくるということを申し上げておるわけです。
  181. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) その指導主事の仕事をやりますにつきまして、それは教育の問題でございますから、これは慎重でなければならないということは先ほどから私は繰り返して申し上げております。しかし、その職務権限として命令をしてはいかん、監督をしてはいかんということはないじゃないかということを申し上げているのであります。ただ例にいろいろお引きになりました、私も引きましたけれども、命令をすると一概に申しましても、それはいろいろやり方がありましょう。たとえば授業をやっちゃいかんというまでやるか、ただ届けなさいよという命令もこれはあると思う。届け出ないものを届け出なさいよという命令はこれはやはりあるだろうと思います。それはやはり慎重にやりますけれども、やらなければなりませんけれども、しかし命令をしてはいかんということをわざわざこの法律に書くのは、これはやはり法律としてはおかしいと思います。でございますから、この法律には規定しておりません。一途に出なければならないことは当然でございますけれども、一途に方針のまとまった事項につきまして、絶対にやっちゃいかんということはないと思います。
  182. 湯山勇

    湯山勇君 局長は私の発言をお認めになっておって、まあ法の建前上変だとおっしゃるのですけれども、それはそうじゃなくて、建前上その通りとしておれば今のような問題が起るから、そこで規定するのであって、その規定がなければ、局長自身がお認めになったように、今のように届けなさいよと言う人もあるでしょうけれども、それは今使っちゃいかんというのもあるだろうしということになれば、これはやはり問題だと思うのです。そういうことに関する規制を、命令権、指揮権があるのだということになればどこでするか。これはやはり法律でやらなければできないのです。そこで現行法があるわけだから、局長もその事実はお認めになっているのだから、その事実に対しての規制の方法をどこかでお示しにならなければ、ただあるだけだというのではこれは納得できないので、あなたが今言われたような、私が例に引いたような、そういうことに対する是正の処置がどこにあるか、なければやむを得ずなるほど多少公務員の体系としては変かもしれませんけれども、これはやはり入れておかなければそういう事実が起る。また指導主事というものの仕事が、従来一般の教育委員会の事務職員と違って、教育長と指導主事というものははっきりと置かなくちゃならんと規定された職員です。あとの者はいてもいなくてもいいのです。特別なそういう任務を持った職員なるがゆえにそういう特別な規定もまた意味があるわけなんで、大臣、私の言うことが間違いでしょうか、どうお考えですか。
  183. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 局長が言いました通り、指導主事の職務をこうこうしてはならぬと言って法規で制限するよりも、実際において指導主事の職務のあり方から、やはり指導、援助するということが主であるということはわかっているのでありますから、無理に監督してはならぬ、命令してはならぬというて手足をくくらない方がいいんだと、こういうふうに考えます。
  184. 湯山勇

    湯山勇君 そこで今のような事態が起ることは直ちに予想されるわけです。今の教材なら教材の問題についても、そういう場合は一途に出るということについてはどういう方法をおとりにはりますか。とらなければ困るのです、とってもらわなくちゃ困る。
  185. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) これは各個の教育委員会の問題でございます。教育委員会で十分方針をきめて、そうして指導主事が指導に出るときにはそういう一途の方針をもって臨むことが必要であると存じます。これは先ほどから何べんも繰り返して申しましてはなはだ恐縮でございますけれども、やはり教育委員会に所属します職員でございますので、公務員として仕事をするのに、監督、命令してはいかんということはどうしても不合理だと私は考えます。しいて申しますならば、教育長というものは教育委員会のすべての事務につきまして、その事務を執行するわけでございます。教育長が学校に出ていきまして、それじゃ指揮監督、命令ができないか、それはやはりできると思います。指導主事といえどもそれを理論上いけないということはないと思います。やはりやり得る場合もある、そいつが一本でなければならぬということは、いろいろ問題にもよりますけれども、そういうものは教育委員会の問題といたしまして、平素から十分指導部面につきましては特に慎重に研究して、そうして指導に出て行きます場合には、態度等もよくそれはきめておく必要があるだろうと思います。
  186. 湯山勇

    湯山勇君 あなたがおっしゃるように、指導主事の態度については委員会等で十分教育する、それは全国でやらなければなりません。全国の指導主事に対してやらなければなりません。そういうことを簡単にこの条文で規定してそういう手数を省く、そういうあやまちをなくするということだから、私はこれは議論になりますけれども、どうしても必要だと思うのです。それをあえて委員会で教育するとか、心得として話すとか、そういうことで万全が期せられるかどうかについては大きい疑義があります。ただそれだけ指摘します。
  187. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ただいまのお言葉を返してはなはだ恐縮でございますけれども、全国で統一しなければならぬということは私はないと思います。それはやはり各教育委員会責任におきまして、教育委員会におきまして教育課程につきまして、その他学習指導につきまして、権限がございますから、教育委員会責任としてそれはきめることだと存じます。ただ問題は、文部大臣がきめる教育課程の基準、学習指導要領の形で出しておりますから、これにつきましては、この基準は守らなければなりません。しかしこの範囲内におきまして、都道府県あるいは市町村の教育委員会が教育計画、指導計画、こういうものを立てるわけでございますから、それは個々の教育委員会の方針に従ってやることが、この地方分権の建前から申しまして当然だと存じます。
  188. 安部キミ子

    安部キミ子君 関連質問。私は県の教育委員をしておりますときに、相当に指導主事の方と現場に立っておられる——私も昔は女学校の先生をしておりましたので、昔の教育がどんなものであったかということも知っております。この終戦後の日本の新教育がいろいろな面でいいところがあったのですが、一番いいところと私が心から思ったのは、この指導主事という方が、昔のような権力でいばったような指導をしなくなったところに、私は今度の教育のよさがあると心から喜んだものです。今こういう法律ができまして、今のなごやかな指導主事とそれから先生との間のあの雰囲気がまた一歩離れて命令、監督するということが許されるということになりますと、講習会開きましても、研修会開きましても、その指導主事に対する先生方の態度、それから指導主事その方の心の持ち方が変ってくるのじゃないか、私はそういうことを考えまして非常に心配し、憂えているものであります。そういう点からいいまして、やはり緒方局長の話でいけば、もうそういうことは納得の上で十分理解できていることだ、そういうことは決してないというふうな、心配はなさそうなというふうな御意見でありますけれども、私はやはりこの現行法を生かした文章が、この指導主事の何といいますか、権限の中にやはり入らなければ、これがそこなわれていくのじゃないだろうか、そうしないとやはり先生方もその気で私は指導主事に対して遠慮なさる向きが多いのじゃないかと思いますが、緒方さんは長いこと文部省におられますから、現場の実情をよく存じておられると思いますけれども、私も実際そういう面にしばしば直面しておりますので、あの空気がこわれることを非常に心配しておりますが、どうでございましょうか。お考えを伺いたい。
  189. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) この法律を立てました趣旨につきましては、先ほど来御説明申し上げた通りでございますので、繰り返して申し上げませんが、ただお話のような指導主事が権柄ずくに変っていく、やり方が権柄ずくに変っていく、こういうことは好ましいことではございませんので、私ども法律を制定いたしました暁におきまして、十分そういう点につきましても、地方に対しまして指導いたしたいと存じております。(「あなたがいつまでも局長しておらんでしょう」と呼ぶ者あり)
  190. 安部キミ子

    安部キミ子君 もう一点。あなたが、今矢嶋さんがちょっとそばからお話になりましたけれども、そういうふうないきさつがそのままいつまでも行われるということにはいかないのです。ですからやはり法律として国が責任を持ってお出しになるからには、その法律がほんとうにりっぱな法律である、指導主事の方も先生もこういう立場でお互いが教育に当らねければならぬということの尺度になると思うので、私は、そういうあなたが何といいますか、楽観しておられることは、いわゆる希望図といいますか、そういうことは永久に描かれるものではないと思いますので、この点ははっきり現行法がこのようにあるのですから、これをちょっとこちらへ移されたらもっといい法案ができると思いますが、その点を私は、それはあなたの今までの説明を聞いておりますから、あなたはこれで要らないんだという見解に立っておられる。私は入れた方がいいという見解に立っておる。これは見解の相違だといって一擲してしまわれればそれまでですけれども、やはり私ども現場まの空気を見まして、教育を見ましてやはりここの一項をどこかに入れておかないと、また昔のようなあの悪い雰囲気が生まれてくるのではないか、こういうふうに考えるのです。
  191. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) まあ繰り返して申し上げますけれども、指導主事の、これは指導主事のみではございません。ほかの職員にいたしましても、自分の恣意で、自分だけの考えで命令をしたり監督をしたりすることは、これは厳に避けなければならぬと存じます。しかしこれはやはり職務執行の心得の問題でございまして、その職務といたしましては、やはり新しい法律の建前が私は適当であると存ずる次第でございます。いろいろ御注意がありました点は、今後私ども実際に法律を運用していきます上に十分注意をいたしたいと存じます。
  192. 秋山長造

    ○秋山長造君 まず、重ねてお伺いしたい点は、大臣も局長も教育の現場での指導主事というもののあり方についての実態ですね、実態というものはわれわれの方からるる申し上げましたのでほぼおつかみになったと思う。権柄ずくで指導主事という、どちらかといえば現場の教員にとって身近な存在、親しみを持てる存在から、今度は権柄ずくな存在に変っていくというようなことは絶対にないようにしたい、あくまで今まで通りなあり方にしておきたい、こういうことをおっしゃる。おっしゃるのですけれども、これはもうこの場で一分や二分かかって理屈で、口で説明してもこれはとうてい現場の実態というもののすべてをつかんでいただくことは無理だと思うのです。やはりこれは現場における、実地にその指導主事というものに接触している現場の教員のやはり経験を持った者でなければ、これはなかなかわからぬ。これはもうあなた方も相当な程度までは認めて下さったけれども、しかしなかなかこの程度ではとどまらぬのですよ。これはもう県視学が来たといったら、これは教員は皆顔色がさっと変るくらい力を持ったものなんです。これはまさかこの新しい法律ができたからといって、急にそういうことにはならぬでしょうけれども、漸次そうなっていくのです。初めはうねくねいってもだんだんなれっこになりますから、いばる方もなれっこになるし、いばられる方もなれっこになる、それでだんだんせりあげて、そうして戦争中のようなことにこれはもうなるのです。これはもう否定できません。そういうことに絶対にならないように運用するということを今局長からおっしゃったのですけれども、ただ私どもは局長がここでそう言って言明なさっても、それが現地の末端までその通り行われるということは信用できません。そこでどうしてもこれは何らかの、そういうことにならぬようにされるというならされるという保証が私は必要だと思う。その保証について、どういうことを具体的にこの法律施行に当ってお考えになっておるのか、これが第一点です。  それからその次の第二点は、今おっしゃることを聞いておりますと、結局現行法のままと、法律の条文は違いますよ、法律のこの字づらは違いますけれども、しかし現地の実情というものは今まで通りで何ら変りはないということですね、あなた方の御答弁から想像すれば……。そういうことであるならば、何も特にこの条文を削らなくても、こういうものはそのまま残して置かれていいじゃないかということが第二点。  それから第三点は、であるにもかかわらず、あえて削ろうとおっしゃるのは、先ほど来おっしゃるように、ただ立法技術の上からどうも穏当でないというお考えだけなのか、それともどうしても現実の地方教育行政の実情に照らして、これを削らなければならぬという何か具体的な事情が他にあるのかどうか、それが第三点です。  それから第四点は、先ほど湯山委員からも質問が出ておりましたが、指導主事というものは、要するに教育委員会の補助機関だ、教育委員会が命令、監督権者だ、その補助機関である。補助機関なるがゆえに、教育委員会と同じように命令、監督権を持たなければならぬということは、私は法律論としてはおかしいと思うのです。補助機関だから、やはり補助機関自体が命令、監督権を持たなければいかぬということは、私はおかしいと思う。命令、監督権はあくまで最高の責任を持っておる教育委員会が持つべきものであって、その補助機関までが同じように命令、監督権を独自の権限として持たなければ法律の筋が通らないという御議論は、私はその御議論自身が法律の筋が通っておらないように思う。  その四点について御解明を願います。
  193. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 先ほどからお話に出ております指導主事の仕事をいたします態度につきましては、これは私大体先ほどから申し上げておる通りでございます。しかしながら指導主事といえども、これは第三点の御質問お答えをすることになりますけれども、命令、監督をしてはいけないということを規定することは不適当だと存じます。やはり指導主事が、先ほど例にも出しましたような、非常に不適当な、あるいは法律に反したようなことを行われておるのに対しまして、それは方法は十分慎重にしなければなりませんでしょうけれども、命令、監督はやはりしてもよろしい、し得るということは規定しなければならぬと考えます。そういう前提でございます。これは指導主事の仕事をしていく心がまえとか、態度とか、権柄ずくであってはいかぬというような点は、これは一般公務員全体についても当るかもしれませんけれども、特に教育の内容の指導の関係の職員でございますから、特別に注意しなければならぬということは私も認めておるわけでございます。で、その保証につきましては、やはり先ほど申しましたように、私はこういう新法が出ましてもその点が変ると思いません。態度ががらっと変ってそういうものになってしまうとは私は考えませんけれども、もし心配ありとすれば、そういう点は十分文部省としても法の運用といたしまして地方指導していきたい、かように申し上げたいわけでございます。  それから変える必要があるかということは、ただいま最初にお答えしましたところで御答弁になっておると思います。  それから職務権限として、これを教育委員会の職務権限にあるから、指導主事も同じ職務権限でなければならぬというふうに私が申しておる、これはおかしいじゃないかというお話でございますけれども、これも私が最初に申し上げました通り教育委員会の学校に対します職務権限として、これは命令、監督していく機能がそこにありますので、それに対しまして指導主事に特別にそこを省いていくことは適当じゃないと、かように考えております。
  194. 秋山長造

    ○秋山長造君 この問題は、私はあらためて今度角度を変えて御質問するつもりですから、矢嶋委員の方へ一応質問をお返しします。
  195. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 一般質問の終りの日ですから、提出された資料に基いて若干お尋ねいたしたいと思います。私が質問をいたしました初日に、教育の制度は朝令暮改であってはならない。しかるに、かような発足以来歴史の浅い教育委員会制度を、かくも根本的に改正するのには、よほどの理由があったであろう、その根拠、理由を述べていただきたいと申しましたところが、五つをあげられました。その第一番にですね、一般行政との調和が十分とれないから、調和をはかるようにいたしたい。で、どういうふうに調和がとれなかったか、という質疑に対して、予算案、条例案の原案送付権において混乱が起ったというので、その資料を出していただきました。で、当初この二本建問題の事例としては五つあげられたわけですが、その後道府県十六、市三、町四、これだけの事例があげられております。で、その内容はどんなものか、果して教育委員会が無理押しをしたのか、それとも知事側の方に教育に関しての理解に乏しいという点があったのか、その概要の資料を出してもらいたい、なおその結末はどうなっておるのかということに基く資料がここに出ております。これを見ますとね、ほとんどがこの教育を正常に維持するために、適正なる教員定数を確保するという点が両者の意見の相違点になっているようです。そうして結末を見ますと、結論的には、いずれもこの知事側の案が最終決定して、教育委員会の案というものは否決をされております。で、ここで推察されることはですね、これは公聴会公述人も述べたわけですが、予算案の原案送付権があるがゆえに、これはまあ伝家の宝刀ともなって、教育予算がベストとは言わないが、次善の程度に確保されているのだということを公述人述べておりましたが、私は、この資料からですね、この原案送付権というものがなくなりまするというと、教育委員会としては、最小限度必要な教育予算、特にこの争いの焦点になっている教員定数を確保するということは困難になり、財政的考慮からのみ知事の案というものが押し切られていく傾向になるのではないかということが、この資料によって判断されるわけですが、そういう立場から、私ども教育を守るという立場から、原案送付権を削除することには賛成いたしかねるという意見を述べて参った次第です。で、この資料を拝見する限り、別に混乱も起っているようではございません。かつては、若干説明があったわけですけれども、昭和二十三年発足以来今日に至るまで、この程度の件数で内容がこの程度であったならば、特にこの一般行政との調和の混乱を防ぐために、この原案、条例の送付権を削除しなければならぬということは、この資料からどうしても納得ができないわけですが、この削除後において、この資料からわかりますように、果して教育に必要な最低限の教員定数は確保できるという見通しを持っておられるかどうか、その点について御所見を承わりたいと思います。大臣……。
  196. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 新たなる制度で平穏に運営し、適切なる教員定数は確保せられるものと考えております。
  197. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 局長答弁
  198. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 今の点は大臣お答えになりましたから、それ以上補足することはございません。
  199. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなた方の分析は甘過ぎると思うんですがね。そこで話を進めて、今地方財政再建団体としての承認を受くべく地方公共団体が、法に基いて自治庁に申請中でございますが、あの地方財政再建促進措置法を審議するときに、一体この教育予算というのは確保されるのかどうか、それについての中央における文部大臣発言権並びに地方におけるところの知事と教育委員会との関連について、ずいぶん質疑がなされたわけでありますが、今着々とこれは進んでおりますが、文部大臣はどの程度自治庁当局と交渉されて参りましたか。また今どの程度の再建計画が自治庁に提出され、いかように話が進められているか、その状況をどういうふうに把握されておるか、お答え願いたいと思います。文部大臣お答え願います。自治庁長官とどういう話をしたか、それを承わります。そして内容的には局長から承わります。一ぺんも大臣は相談しておらぬのでしょう。しておったら答弁して下さい。
  200. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) ちょっと私からお答えいたしましょう。再建計画につきましては、まだ自治庁におきましても十分に出そろったという段階じゃないのじゃないかと考えております。具体的に今まで文部省と自治庁と打ち合せをしたことはございません。大体非常に総括的な範囲につきまして再建計画ができておりますので、具体的な教育問題につきましての事項につきまして特に打ち合せた事実はございません。
  201. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 自治庁がそういう計画を承認、確定する前に、文部大臣は十分この自治庁当局と交渉する必要があると思うのです。私が要求したことに基いて自治庁から出されたこの資料に基くと、すでに申出団体数は府県で十四、市で九十二、町村で二百三十一、合計三百三十七と出ております。このうちで、今予算の二本建制等によって問題になりました教員定数の問題を取り上げてみますと、このあるいは六年、あるいは長くいって九年、その程度の再建計画の中で、教員に対する退職勧告というのはずいぶん強く出ております。それで大体五十二、三才で退職勧告をして、そして給与の安い大学の新卒と入れかえよう、こういう再建計画をいずれの団体も立てているようです。これは私が申さなくても、大臣承知でありますが、昔の義務制学校の先生というものは、旧制の師範学校、それは当初においては、高等小学校を出て四年間学修すれば師範を出ておったわけですが、その後この四年制が五年制になり、さらに専門学校へと昇格する過程をたどったわけですけれども、要するに、若くて就職ができた。従って結婚年令というものも若かったわけですが、新学制になって、いわゆる六・三・三・四で、いずれもこの義務制小学校の先生方というものは大学を卒業するということになりました。従って、結婚年令というものも高くなってくる、そうなって参りますと、五十二、三才という年令では、これはまだ子供さんが高等学校に入っているくらいな年令で、これから非常に学費その他家庭の出費が多いという時期です。また教育者としても最も円熟した時期でございます。しかもその後恩給法の改正で恩給を百パーセント支給を受けるのは五十五才になっているわけです。こういうものをあわせ考えるときに、いかにこの重要な地方財政再建計画を立てるにいたしましても、この教育の人件費にその計画案の中で非常に重点がかかってきて、そういう方面にしわ寄せされるということは、私は教育者を安んじて教育の場に精進していただく意味においても、また日本の教育的水準を維持向上させる上からいっても、これは私は文部大臣としては重大関心を払わなくちゃならぬ問題だと思う。だから私は、これは原案送付権とも関連があるわけですが、簡単に率直に伺いたい点は、これらの再建計画を自治庁が調べて承認を与えるわけですが、先般地方公務員法の一部改正法律案がわが国会審議された場合の質疑応答並びにあの付帯決議の精神を生かすために、文部大臣としては、私は自治庁長官に対して再建計画に基くこれからの年次計画による教職員の退職勧告をやるに当っても、五十五歳以上の線でぜひとも計画をするよう指導してほしい。五十才とか五十一、二才で持ってくるようなそういう計画に対しては、教育を守るという立場から承認を与えることを文部大臣としては賛成いたしかねる、こういう私は積極的な意思表示を文部大臣としては、自治庁長官になされてしかるべきだ。すでに僕はなされておられるかと思っておったのですが、先ほどの答弁を承わりますと、まだ一度も協議してないということですが、そういうことを私はなさるべきであり、またそういうことを強く要請したいと思うのですが、いかがでございましょうか、御所見を承わっておきます。
  202. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) けさほども、私の郷里から再建計画のことについて太田大臣に話してくれということで、けさも話したところでございます。全体から見て教員の退職につきましては、あなたのおっしゃることもよく拝聴いたしまして適当な交渉はいたしたいと思っております。
  203. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これはかって大臣が何回も答弁されたことですが、最低限五十五才という線は確保するように閣内において努力していただきたい。これは原案送付権がなくなった後においては、都道府県教育委員会というのは非力になるのですからね、解決できません。その程度が守られなければ、有為なる学生諸君が私は教育者を志望しなくなってくると思う。ひいては教育界に人を得ない、それが日本の教育の質的低下をもたらしてくると思う。簡単なようでなかなか簡単な問題じゃないと思う。相当関心を払わなくちゃならぬと思うのですが、五十五才の最低限は守れるようにぜひ私は大臣は善処されてしかるべきだと思いますが、それはどういう御見解を持っておられますか。
  204. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そのことは、かって太田大臣もこの委員会で陳述されたととがあると存じます。適切な連絡はとりたいと思っております。
  205. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この予算の二本建の問題で最近よく問題になったのは、高等学校の授業料を値上げするかしないかというようなことでも、ずいぶん教育委員会と議会側とが争った事例があるわけですが、私の郷里熊本県においても、再建計画をまさに議会で議決いたそうとしておりますが、本年授業料を上げたにかかわらず、さらに高等学校の授業料を上げようと計画の中に盛り込んでおります。しかも定時制の高等学校まで授業料を上げるというような計画があるようですが、これは本委員会においてかって議論をされ、質疑もされたことですけれども、本年高等学校の授業料を上げ、さらにまた上げる。特に、ややもすれば低調になりがちな勤労青年教育の定時制高等学校の授業料をさらに上げるということは、私は教育の機会均等の線を推進するという立場から何としても食いとめなくちゃならぬ問題だと思うのですが、これらも再建計画の中に各都道府県から盛られてきつつあるわけなんです。これらの問題というものは、予算の原案送付権というものが都道府県教育委員会になくなれば、それはもう知事側から赤子の手をねじ上げられるようにやめてしまうわけです。そういう点では、私はあの再建整備法を審議したときの経過からいって、文部大臣は自治庁長官と十分交渉をされ、閣内においても強力なる発言文部大臣としてさるべきだと思うのですが、いかがでございますか。
  206. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 知事側が委員会協議して適切になさると思います。国全体の傾向については、自治庁長官とよく話をしたいと思います。
  207. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたの発言並びに今までとられた態度というものは非常に消極的でございます、失礼ですけれども、私はさように感じております。それにもってきて、さらに一般行政との調和をはかる意味においてという形で予算、条例の原案送付権というものを取りやめているわけですが、私ども本日質疑をいたしまして、この資料からでも、あなた方が言われるような一般行政との調和による混乱が起ったというものは認められません。またこういう原案送付権がなくなることによって、現在でも懸念されるところの教育予算というものが、最小限の教育を守るために必要な予算というものが確保されなくなるものではないか、こういう懸念はますます強くなるばかりでございます。従ってあなたがあげられました第一の理由というものは、これは私どもとしては否定せざるを得ない。これはこの程度にして……。  第二の理由ですが、直接選挙では政治的中立性が保てない、だから公選制にしたのだ、これはずいぶん議論されました。これに対する資料を要求しました。その資料がここに出ておりますが、この資料を見ますと、教育委員の大部分は無所属ですね。特定団体に加入している人とか、あるいは政党所属の教育委員というものはきわめてまれであって、その大部分、七〇%から七五、六%の人々は全部特定の団体に入っていない、無所属ということの資料がここに出ております。だから今公選制で出た教育委員の色分けがこういう状況ならば、私は公選制だから政党色が出て、中立性が保てないということは論拠にはならぬと思うのです。りっぱにこれは中立性が保てるじゃないですか。この資料をどういうふうにごらんになりますか。
  208. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私の今まで申し上げたことは、今日の日本の政界の情勢によって、将来においては市町村に至るまで政党の支部ができる。私の方においても同様にいたします。そうなるというとやはり将来においては、教育委員会選挙も政党の党派別でもって進むということになる傾向がきわめて濃厚だ、こういうことを申し上げておるのであります。この新聞の調べ、その他ここに書いておることが、将来は過去の延長ではございまするけれども、日本の激変期でございます。日本が二大政党になったのは、ようやく昨年の十一月のことであります。この現在の情勢においての話であります。
  209. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それらの点については、かって議論されましたから、同じことを繰り返しません。これだけ画期的な改正をする根拠としては不十分ですよ。ということは、要求しました市町村教育委員諸君はどういう推薦母体をもって選挙を戦い、教育委員になっておられるか、その資料を出していただきたいといったら、資料は出ない。あなたの推測のところを資料のかわりに書いて出しなさいといったところが、七七・二六%は不明で、大部分の人というものは特定政党あるいは特定な団体の推薦による選挙なんかやっていない。現状はこうなのです。それから、この現状の今後の推移状況に対する推測は、これはかってもここで他の委員諸君から発言があったわけですが、教育委員会が発足した当初、公選制をとったときに、町村長の選挙で争った人がまた教育委員になるというようないざこざがあったけれども、その後そういうものがなくなって、だんだんと住民の目が肥えてきて、PTAとか婦人会、あるいは教員組合、青年団、こういう方々があの人に出てもらいたいという人を推薦することによって、あまり見苦しい代議士の選挙戦のような形ではなくて、適当な人が教育委員に選ばれるようになってきたというのが測近の、現在の傾向です。従って過去と現在から将来を推した場合に、将来二大政党になって、あなたがよく言う血で血を洗うような教育委員選挙が行われるだろうから、それでは中立性が保てないから、今の公選制を任命制に切りかえる、私はこれはきわめて誤まれる情勢分析に立っていると思うのです。この公選制を任命制に改めるその理由が、政治的中立性が保てないからというのであれば、もう少し明確な根拠がなければ、これは理由にならない。この柱もまた倒れたわけです。第三番ですね、あなたがあげられたのは、それは公選制では選挙ごとに新たな公選になり、安定が得られない、こういうことをあげられております。これが公選制を任命制に切りかえる理由になるでしょうか。先ほどもちょっとこれに関連した言葉が出てきたわけですが、それを懸念して、意を配って都道府県教育委員会、市町村教育委員会は半数交代の選挙制度をとっているわけです。何も公選制では安定が得られないから、だからこの任命制に改めたのだということは、私は理由にならないと思うのです。たとえば教育委員が三人だと、一人の人は四年に、もう一人は三年に、残り一人は二年に、こういう規定が新法案にあります。市長がかわればそのときに市長のおめがねにかなった人を、毎年一人ずつ任期満了になってくるわけですが、逐次かえっていくわけなのですね。それと四人の教育委員を公選するその場合に、二人を二年ごとに半数改選するというのはどれだけの差があるのですか。公選の選挙では安定が得られないから、だから改めるのだというのは、きわめて私は根拠不十分だと思うのです。何人もそういう説明で納得する人はないと私は思うのです。これが、あげられた五つの理由の第三番目になっておりますが、あらためて御所見を承わっておきましょう。
  210. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育委員選挙は私は全員選挙と心得ております。しかるにわれわれのこの案では、付則第八条によって、逐次任期がきまっております。それゆえに教育行政は安定する、それからしてこの委員も身分の保障がありまして、自由自在に罷免はいたすのじゃございません。合議制で任命いたしまするから、必ずしも一党一派に偏するものでもなく、また、たびたび言いまする通り、同じ党派からは二人しか出られない。教育委員というものは永続的の一つの体制として一つのエンティティーとして継続し、委員会の安定は従って教育方針の安定でありまして、今回の案はこの目的を達成するにふさわしいと、かように考えております。
  211. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 教育委員選挙は同時選挙ではございますまい。今まで半数改選でずっと来ているでしょう。委員会法の立法精神はそうなっているでしょう。
  212. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 二十九年の改正で一斉選挙になっております。
  213. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今度だけで……、それはあなた安定しないというなら、半数改選に改めたらいい、当初発足したようにそうすればいい。
  214. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 現在の教育委員選挙制度のことを今申し上げております。公職選挙法によりまして四年ごとに一斉改選の制度でございます。
  215. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それが公選制が安定が得られないという理由にはならぬでしょう。それは公選制がいいということになれば、安定を得ようと思ったら、二年ごとにやるように改めたらいいじゃないですか。理由にはならないと思う。
  216. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) われわれは今の制度と今回の制度とを比較しておるのです。あなたのおっしゃる通り選挙でも半数じゃなしに、そのうちの一年ずつ順次選挙するということはできんことはないのです。しかしながら現在の制度は一ぺんに全部改選するのです。この点朝日新聞も間違っております。今まで一斉選挙です。そこで一斉選挙と私どものだんだんの任期でやっていくのとはこちらの方が安定する。理屈から言えば、選挙にしてもう一ぺん公職選挙法の改正をやって、それは半数改選にもまた三分の一ずつ改選もしようと思えばできぬことはないのですよ。しかし、われわれは今の法律を改正するこの法案ですから、今の状態と改正した法案とだけを比べて言っておるのであります。
  217. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 教育委員会法の改正等の議論があって、そうしてこの一部委員の任期を延長した、延長する必要が生じた、そういうところから一斉選挙に相なっているわけであって、現行教育委員会法の発足当時からの立法精神というものは、教育行政には安定が必要であり、激変があってはならないという立場から半数交代制をとっているわけですから、今の教育委員会法による公選制というものが教育行政の安定が得られない、こういう私は断定にはならないと思う。半数の人の任期を延長じたから、そういう結果になったのです。それはもとに戻すべきものでしょう、そうでしょう。
  218. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私が五つあげまして、その第三に、教育行政の安定をはかると、現在のようでは選挙ごとにどかりと違う者が出てくるおそれがある。しかるにこういうふうにだんだんとすれば安定する、こういう考え方です。それについてあなたは批判かたがたの質問をしておられるわけですが、私が先日説明したことの前提において、何らのあやまちもありません。結果においていまだ私の説をひるがえすに至っておらぬのでございます。
  219. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それは確かにこの法案が成立しなかったならば、この秋に全員交代の選挙があることはその通りです。それは教育委員会法を再検討するからというので、都道府県教育委員、市町村教育委員選挙を、法によって半数の人の任期を延長して本日に至っているから、この十月選挙をすればそうなるわけですけれども、そのときを過ぎれば教育委員会法の制定当時の本然の姿にかえって半数改選にすれば、何らこの安定が得られないという理由にはならない、理由が薄弱であることは明らかでございます。  そこで第四の理由としてあげられたその点についてお伺いします。それは市町村教委と府県教委等に文部大臣が指揮監督ができない、だから連係がとれるようにいたしたい、こういうことを理由としてあげられました。今度の新法によって文部大臣は全国の教育委員会に対して指揮監督権を強化すると、その必要があると、かようにお考えになって、この法案を出されたということを当初答弁されているんですが、さようでございますか。
  220. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現在の教育行政は文部大臣、それからして県の教育委員会、地方の教育委員会、この三段階に割っておることは御承知通りであります。しこうして県の教育委員会と地方の教育委員会とは大体並立の形であります。これでは日本の教育全体のあり方がいかにも疎遠でありまして、連絡が少いのです。たびたび私申す通り、教育は国民全体に対してやるのだ、それからして日本のこういう一民族の国家でありまするからして、均斉を得た水準ある教育をやりたい、一方地方分権は教育においてもむろんいいことでありますから、地方において分権して別々の委員会が教育をやりつつ、しかも全体として調和を得た、均斉を得たものをやろう、こういうのが教育の理想でございます。そのためには五十一条等において文部大臣と各委員会とは、まあ縦の連係もよく保てるようにしておりまするし、教育委員会同士横の相談もできるようにいたす、ここにこの苦心の一端があるのであります。この案はそれだけを目的としたものじゃございませんが、そういうことによって教育の目的を達しようと考えでおる、それを申し上げたんでございます。
  221. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 具体的に逐条的なことは今伺いませんが、この新法案が成立した暁においては、文部大臣発言権というものは従来よりは強化されるということを否定されますかどうですか。
  222. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 忙しくはなると思います。しかしながら、教育はたびたび申す通り、命令、服従の関係でいたすんでありまするから、権力が強化されたというのは、言葉がちょっと強過ぎるかと思います。文部省は忙しくなると思います。
  223. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 忙しくなるということは何ですか。やはり指導権や発言権というものは、私はそれは不当だということを言っているのではない。指導権、発言権というものは従来よりも強化されるわけですね。
  224. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 指導をしなければならぬケースは多くなろうと思います。しかしながら、その指導が強くなるというふうな意味じゃございません。同じ程度の指導をたくさんの場合にしなければならぬことになりゃせぬかと私どもは思っておるのでございます。
  225. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣、どうしてそう何ですか、日本人らしくない言葉を使うのですか。この法が成立すれば、教育に関して——そのことが私はいいとか悪いとかを言っているのじゃないのですよ。地方の教育行政並びにその運営についての文部大臣発言力というものは、これは今よりは強くなりますね、これは否定されますか。そうしたら今までの質問をみなやり直さなければならぬですよ。
  226. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その発言力といって、私の声の力が強くなるというのじゃ少し語弊がありますけれども、現にたびたび御質問のあったように、五十二条では教育本来の目的を達成しないような場合、または違法であるような場合、その時分にはまあ措置の要求等もいたすようになっておりますからして、その意味において、文部省のすることは多いのでありますが、しかし指揮監督、命令といったようなことの力が別段強くなったのじゃございませんから、そこのところを私の言う意味を御了解下さるようにお願いいたします。
  227. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この法案審議に入った当初、あなたは、この法案は現行教育委員会法のごく一部の改正であると、われわれの相当現在の教育委員会の性格というものは、かなり変る根本的な改正ではないかという例をあげての質疑に対して、これは一部の改正だ、かように答弁されて参っております。また、中央集権的なこの傾向が強まってくるのじゃないか、言いかえれば政府の発言権が強くなって、政府の意向が地方の教育に影響を及ぼす度合いというものは現行法よりは強まってくるのではないか、これはだれが考えてもわかることだと思うのです。そういうことが一つ問題になって質疑が行われましたが、今もあなたはなかなかその言い回しをややこしくして、あっさりと認めておりません。そこで私は、この法律案審議の山は、一番その大事なのは、現行法とこの委員会法とを比較対照していって、比較対照していって果して一部改正であるのかどうなのか、現行教育委員会法の立法精神というものは多く生きているのか、そして枝葉だけが、末梢的なところがちょっちょっと変った一部改正であるか、それとも現行の教育委員会法の立法精神というものは相当変ったのであるかどうかという点とか、あるいは国の責任という立場から、これはまだ議論があると思いますが、国の責任という立場から、中央政府、文部省の関与権、関与する度合いというものがどの程度現行法より強まるのかどうか、それは現行法とこの法案と比較対照して審議していけばよくわかると思う。そこに私はこの法律案審議の一番重点があると思っております。そのうちのたとえば一つ、研究集会等については、きのう、きょうちょっと出たわけでありますが、ああいう形でやれば、これに対する答えははっきり出てくると私は考えます。  ところがここで、これに関連したことで承わるのですが、私が要求した資料に「左の諸新聞の記事のなかには、次のような趣旨のものがあったが、これは法案に対する誤解によるものと思われる」として、新潟日報社説の三月二十二日をあげております。この新潟日報の社説には、「政府の発言を強めるという方式をとろうとしている。」と書いてある。「政府の発言を強めるという方式をとろうとしている。」と書いてあるが、これは誤解だというふうに書いて出してあるのですが、こんなものを誤解だとして書く私は事務当局の気持がわからぬのですがね。明らかにこのあとを、私言ったようにとにかく対照していけばわかりますが、政府の発言を強めるという方式をとろうとしているでしょう。発言強まるでしょうが。なぜこういうものをわざわざプリントにするのですか。今度の法案で政府の発言が今までよりは弱まるなんて思う人は、私はおらぬと思うのだ、正常な能力を持つ者は。どうですか。どういうわけでこんなものをプリントにするのですか、そうして資料として出して……、伺います。
  228. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお尋ねの前段のことが少し私の言ったのと違うのですから、これを指摘してから後に、新潟日報のことをお答えいたします。  私はこの委員会の初めにおいて、あなた方のお問いに対して、教育委員会の本質は変っておらぬということを申し上げたのです。で、私は一部改正、全部改正という数量的のことよりは、わが日本において今まで経験しなかった合議制の執行機関としてこの教育委員会を置く。しかも、教育委員会の仕事は何かと言えば、列挙すれば十個条、十五個条にもなりまするが、要するに地方における学校の管理、教員の執務、それをレーマン・コントロールでやると、こういう教育委員会の本質はちっとも変っておらぬ。規定の数は非常に変えました。ほとんど全部書きかえておりますが、そこを言うたのでございます。あの当時の問答を想起されんことをお願いいたすのでございます。  それから新潟日報の社説を私が誤まりといたしましたことは、このうちに、市町村長のそれぞれの教育委員会に対する権限を強めて、さらにその権限を強められたその首長の上に、政府の発言を強めておると、(「その通りじゃないですか、どこが違う」と呼ぶ者あり)そうはいたしておらないのです。首長の上に対する政府の発言は同じであります。それからもう一つ、その次を見て下さい。この法案は、地方分権と教育の民主化を中央集権にすりかえたと、そうじゃございません。地方分権もございます。教育の民主化もあるのであります。それを中央集権にすりかえたというと、すっかり地方分権もなし、民主化もなくなってしもうて、それを中央集権にすりかえた、集権といっても権利はありやせぬ。指導、助言をするのです。中央集権じゃありやしません。この案をよく見ますると、地方分権と民主化を全部やめて、それにかえるのに中央集権を持っていったというのは、あまりにも誇張が過ぎております。そうじゃございません。民主主義も残っているのです。(「少しは残っている」と呼ぶ者あり)民主主義も残っている。やはり地方の教育委員は議会で選定するのです。これ民主主義です。これ民主主義です。中央集権じゃございません。政府からだれを教育委員にしろなんということは、一言も言うんじゃないのです地方でおきめになるんです。地方分権の趣旨は残っております。中央集権といったところが、指揮も監督もしやしませんです。指揮も監督もせないという文部省設置法はそのまま残っております。だから、中央集権じゃございません。すりかえたなんというのは言い過ぎですよ。そのことを言っておるのです。
  229. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 文部大臣、極端なことを言うものじゃございませんよ。
  230. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 極端なこと書いておるのです、これは。
  231. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 たとえば、今までは都道府県の委員会は全く自主的に、何人の制約を受けることなく、この事務局の長である教育長、自分らが一番信頼のできる教育長を選ぶということが全く自由にでき、自主的にでき、それが一番大事な仕事だったわけでしょう。それを今度は、都道府県教育委員諸君だけの考えでは任命ができないで、ともかく文部大臣の承認を得なければならぬというその一つだけでも、中央集権的な傾向に幾らか動いたことは否定できないでしょう。  それからまた公選制、任命制については、ずいぶん議論されたから今この段階では言いませんが、今度新法案に盛られている任命制よりは、住民と親しみのある、また住民が責任が持てる現行公選制の方が、より教育の民主化を目ざす方向だということは、これは反論できないと思います。地方分権も教育の民主化もぜろになって、中央集権オールになったということを、新潟日報は書いていません。
  232. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたが今おっしゃる通りに書いておれば、私はそれまで指摘せぬです。それはなるほど直接公選のことを、間接といいましょうか、間接の選挙にはしておるのです。それからまた県の教育委員長を承認するという規定もございます。そういうことを読者によくわからせて書いてくれれば、そうは言わぬが、地方分権と教育の民主化を中央集権にすりかえたというのは、どういうわけです。すりかえたというのは、前のものはなく、置きかえることです。(「詭弁言いなさるな」と呼ぶ者あり)そうです、すりかえるというのは。そんなことを言えば、地方の人はすりかえられたかなと思うのです。一般の人はこの案を持っておりませんからして、すりかえたなんて——すりかえていませんよ。それをすりかえたかのごとく信用ある新潟新聞がおっしゃると、新潟の読者は、それは大へんだ、民主主義がなくなって中央集権になる、そんなすりかえた案だったら反対だという気持が起きるのです。新聞は社会の木鐸です。行き過ぎてもいけませんし、行き足りぬでもいかぬ。ちょうどいいかげんなことを、ちょうどふろであったら入りかげん、ぬるかったらかぜひくし、熱かったらけがします。そういうところを押えて木鐸がやってくれるといいけれども、すりかえたなんて、どろぼうみたいなことをおっしゃられては困る。
  233. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その今の銭湯論、おかしいと思うのです。しかし、まあこんなことで水かけ論してもしょうがないでしょうが、私は新潟日報の社説は、これは誤解しているものじゃないと思う。賢明なる新潟県民がこれを見て、あなたの言われるように、こういうふうにすりかえてオール・ナッシングになったとか、賢明なる新潟県民思っちゃおりませんよ。私の要求に基いてこんな資料出すのはどうかと思うんですね。ともかくないんだな。この法案を百パーセント堂々と支持している論説とか、それからも徹底的に法案を無意識にあるいは意識的に誤解して、とんでもない論説だというようなものが、見つからないわけですね、あなた方に。だから、こういうものが出てきたわけで、国民の声はこの法案に反対しているということは、ここではっきり私はしていると思うのです。従って、大臣に私は再考を促しておきます。  そこで約束の時間が来つつありますが、さっき大臣は、教育委員会を合議体の執行委員会云々と言われておりましたが、何ですか、あれで合議体の執行委員会になっているのでしょうかね。市町村教育委員三人でしょう。そうしてこの中の一人が教育長になるわけですね。だから、こういう場合が考えられるわけですよ。この人は教育長、それから教育委員、そしてこの人は教育委員長にもなる場合がある。そうすると、これは教育長で原案を作る。そして教育委員会に助言をする。そして教育委員会から指揮監督を受ける。何のことかわからないですよ。こんなもので何ですか、合議体の執行委員会と言えるのですか。緒方局長は当初から、こういう構想をもってこれを推進したのですか、あなたの御見解はどうですか。これは合議体の執行機関になっておりますか。監督する人が監督されたり、おかしいじゃないですか。これは大野伴睦か三木武吉案でしょう。加えて二で割るというのでしょう。緒方初中教育局長の考えじゃないと思う。これは教育を冒涜するものですよ。どうですか。
  234. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 新潟新聞その他新聞を選んでくれた政府委員の方から、選定のことについて補充して陳述いたします。合議体のことはそのあとで私が申し上げます。
  235. 緒方信一

    政府委員(緒方信一君) 先ほど事務当局はどうして出したかというお話でございましたが、新潟日報の第一点でございますが「財政権をもつ府県首長や市町村長のそれぞれの教委に対する権限を強めて、さらにこの権限を強められた首長の上に、政府の発言を強めるという方式をとろうとしている。」、これは政府、府県知事、府県教育委員会、こういう三段階の方式をとろうとしているとこれには書いてございますので、その点は誤解である、かような意味でございます。
  236. 湯山勇

    湯山勇君 文部大臣、あなたは、これはちょっと私は言葉じりのようですけれども重要な問題ですから申し上げたいのですが、先般私が新聞論調で支持しておるもの、あるいはそうでないものをお出し願いたいと申し上げたときに、そんなことはなかなか手間がかかって出せない——それはあなたのところにはたくさん部下がいらっしゃるのだから、あなたが一々目をお通しにならなくても、そういうふうなところで選んだものをあなたからお出し願えればいいのだということを申し上げたときには、いやそういうわけにはいかぬ、出す以上は私は責任をもって出すから私が見るということを、大へん明確におっしゃって、その御態度には私ども敬服しました。今は、今度はそうじゃなくて、政府委員が見つけたんで、それは説明させる。これは私首尾一貫しないので、ちょっと大臣にその点、前の私どもに対する御答弁と、ただいの御態度とは非常に違っておるので、これは一つ御釈明を願いたい。そのときそのときじゃ困るのですから……。
  237. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私はそのときも、選ぶのを私自身がみんな選ぶと言ったのじゃないのです。百もの新聞が毎日発行するものを、どうして私が選べますか。けれども、政府委員が選んでも、私が目を通さぬというと、ここへお出しすることはできぬと言ったのです。それでこの新聞は目を通して出したので、私より一応の答えをいたしました。ところが、矢嶋さんより、どうして政府委員はこんなものを選んだかというおしかりがありましたから、選んだ経過を述べたのです。私も新潟新聞についてお答えをしております。私が検閲してここへ出したのですから、お答えしております。しかし、いやしくも政府委員はなぜこういうものを選んだのか、ほかにないのかというようなさっきお問いがありまして、それはまだ答えが済んでおりませんから、それで今補充して答えをしてもらったのであります。で、初めから私が言うたように、全国百二十の日刊新聞を全部私が目で見て選ぶというんじゃないんです。選ぶのは補助者が選びますけれども、また出すのには読んでから出さなきやなりませんから、ただ国会において今晩出せとおっしゃっておる——あのときたしか今晩までということでしたが、それを見ていくわけにいかぬと、こう言うたのであって、あなたは大へん御記憶がよくて、前の私の答えと今の答えと対照されますけれども、答えだけではいけません。問い答えとを対照してのことでなければ、正確じゃありません。
  238. 湯山勇

    湯山勇君 正確に言いますから……。大臣は非常に、こちらの言うたことを大臣が言うたような格好にしてしまっておるんです。あなたは非常にそういう点はおわかりのいい方ですから、間違いはないと思いますけれども、大臣が出せないとおっしゃるから、私どもの方で、政府委員の方にお選ばしになって、一応の下調べは政府委員にさして、最終的には大臣がそれを目を通してお出しになったらいいじゃありませんかと……。
  239. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りしたんです。
  240. 湯山勇

    湯山勇君 ですから、それはこちらが言ったことなんです。大臣がそう言ったことじゃないので、大臣はそれでも、いや私はどうしても責任をもって出すので、私が選んで出さなきゃならぬと、こういうことでしたから、それはそうしていただいてけっこうだと言うたわけで、大臣の方からそうおっしゃったんじゃなくて、われわれの方からそう申し上げて、で、大臣がそういうふうにされたんだろうと思うんですが、今の御答弁では大臣がそう言ってそうしたようですから、これは間違いだと思いますから、一つ御確認願いたいと思います。
  241. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) こんなことで固執しょうとも何とも思いません。じゃけれども、やはり選んでもらったけれども、私が読んでこれを出したらよかろうというので、決裁して出しておるんです。それもちょっと手間は要ることですよ。(笑声)
  242. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 まあ、この新潟日報の社説は深くはやりますまい。しかし、私が要求した資料に答えるものとしては、不十分ですね。これは局長は今そう言われますけれども、何でしょう、財政権を持つ府県知事や市町村長のそれぞれの教委に対する権限を強める、これは間違いないです。権限は強まります。さらにこの権限を強められた首長、権限は強まるが、しかし再建整備法一つ見ても、中央政府の都道府県知事に対する発言権は非常に強くなっていって——強くならなければ、何で県民の税金を使って各都道府県知事はしょっちゅう東京に来るんですか。何ら中央政府のそういう影響がなかったならば、住民の税金だけで自分の考えで都道府県政はやれるんなら、来る必要はないです。最近のどの法律を見たって、政府の都道府県に対するところの発言権というものは強まりつつあるじゃないですか。明白なことじゃないですか。この新潟日報の何は一つも違っていやしませんよ。
  243. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そのすりかえがちょっと……。
  244. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 すりかえって、そんな電車の中のすりみたいのと違いますよ。そうしてこれは、こんなことで時間を費やしますのは何ですから、賢明な国民の判断にまかせます。ともかくこの法案を積極的に支持する堂々たる論説は見つからぬという一語に尽きると思うんです。ずいぶん資料を出していただきましたが、さぞかし探すのに苦労されただろうと、その点はその労を多としておきます。  ところで文部大臣、さっき合議体の執行委員会の性格たり得るかどうかということを大臣答弁がなかったわけで、していただきます。かつてあなたは株主総会をあげられましたが、これはもう言う必要はありません。そんなものは問題になりません。  それから人事委員会のことを言われるかもしれませんが、かつて言われましたが、これは言う必要ありません。人事委員会は、事務局長と人事委員は兼ねることができるというようなことになっているんですが、原則としては兼ねないことになっている。まあその地方公共団体が予算的に困るとか人物難に陥った場合には異例的に兼ねることができるように、兼ねることができるとなっている。ところが、今度の法案ではそうじゃないんですよ。教育委員三人任命して、その中の一人を教育長にしなければならぬということになっておる。現行教育委員会法は、私は今までどなたか言われたから言いませんが、教育委員というものはりっぱな識見を持ったしろうとがよいのだと、教育長は専門職でなくちゃならぬと、そうして教育委員諸君は最も信頼できるところの教育専門家である教育長を選任することが一番大事な仕事であると、かように教育委員会法ができたときには解説していただいた。そうして、私も第一回の教育委員に立候補した。ところが、駐留軍から、矢嶋けしからぬ、選挙辞退せいと言われて、途中で私は辞退させられた苦い思い出を持っておるものですが、そういう指導を教育委員会法については受けてきたのです。それを今度は教育委員、その中の一人を必ず教育長にしなければならぬ。あなたよく人事委員会をあげますが、これは違います。言う必要はない、それから公安委員会をよくあげられますが、警察は一部の方々は国家公務員であり、一部の人は地方公務員であって、警察法を見ればわかるように、あの公安委員会教育委員会とは、仕事の内容からいっても、法の組み立て方が全然違います。だから、人事委員会とか公安委員会というものは全然例になりません。ましてや、株主総会などは論外です。(笑声)  果して……。今言ったように、三人の教育委員を出して、一人は教育長になる。極端な場合は、これが教育委員で教育長で、そうして教育委員長で、もう一人が副委員長で、これが平です。そうしてあなた、原案を出しで説明をして、助言をして、指揮して、指揮されて、そんなことで合議体の執行機関と言えるかどうかですね。おかしいじゃありませんか。
  245. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私の答えを先へ言ってしまっておられるのでありますが、今回の案の教育委員会は、やはり合議体の執行機関であります。都道府県の教育委員会は五人でありまして、どこの合議体でも、座長はこれは作らなければ会議が進みませんから、一人は議長になります。町村においても、五人を原則といたしております。
  246. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 三人の場合があるでしょう。
  247. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それからして、今町村合併の進行最中でありまするから、たいていこの九月までには済むと思いますけれども、やはり昔の古い、戸数三千くらいの町村があるので、三人にする場合も予見いたしております。しかしながら、三人であっても、三人の人が相談すれば合議体でございます。現に人間の一番大切な命さえも裁判する裁判所は、五人です。これを合議裁判所と申しておるのです。一人は裁判長。五人だからして合議じゃないという御論は、これも少し形容が過ぎたのではございますまいか。三人でも合議をすれば合議体でございます。そのうちのまた一人が座長になることも、これも合議体たるを妨げません。三人のうち一人が、三人できまったことをその一人が執行するという任に当ることも、合議体たるの本質を傷つけるものではございません。それゆえに、今回の案で教育委員会全体の本質いかんといえば、独任制ではない、合議制の執行機関だと。これは日本では珍しいことで、この特徴を維持しておるということを私は申し上げたのでございます。
  248. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今あなたが合議制の執行機関と言ったから、それに関連して伺っただけであって、その点はさらに比較対照して議論する場合にいたします。  後藤財政部長がおいでになっておりますから、一言だけ承わっておきます。それは御承知のように、この法案には現行で保障された予算の原案送付権がなくなったわけですが、過去の二本建予算等から見ましても、要するに教員の定数、これを中心に、教育委員会側と知事側が対立を過去において来たしたようです。確かに二本建予算によって最小限の教員の定数というものが守られて参ったわけですが、最近地方財政の再建計画等が議題になってくると同時に、この原案送付権というものがなくなった場合に、果して必要な最小限の教員定数は確保できるかということは、ずいぶんと懸念されております。あなたから出していただいた資料をここで申し上げませんが、公共団体から逐次申請がなされておるようで、その再建計画をあなた方は検討されておると思うのですが、先ほど文部大臣からもちょっと御見解を承わりましたが、長くなりますから申しませずに、結論を伺いますが、教職員が六・三・三・四の大学を卒業して教員免許状をもらって就職する、その一つの要素、それから五十二、三才、まさに教育者として円熟してきた年令、それから恩給は五十五才になって一〇〇%支給される、それからわが国の社会保障政策はどの程度に行われておるかということは、あなたは御承知通りである。これらの問題を勘案するときに、将来の日本の教育界を背負って立つ教育者に、優秀なる適格者を確保するためには、やはり私は若い青年に希望というものを持たせなくちゃならぬ、そういう立場から、各県の再建計画に盛られている、五年あるいは九年の再建年次計画において、教職員を五十二、三才で整理する、こういう計画というものは文部大臣としては遺憾だと、少くとも五十五才の線に文部大臣としては持っていくように自治庁長官に要望したいし、また努力する考えだと、こういうことを申されておりますが、再建計画を申請し、承認を与える場合に、自治庁当局としてはどういう態度をとられておるのか、私は承わりたいと思うのです。  なお、あわせて承わりますが、三十一年五月二十一日付の昭和三十年度末における勤務年数別退職者数調べという、この提出されました資料ですね、この資料を見ますと、退職した人の動続年数は、男性に比べて女性ははるかに低い。これは結婚というようなことによって共稼ぎをやめるというような要素もありましょう。しかし私たちが今まで入手している情報によりますと、やはり財政の再建計画の一環として、男性に比して女性の教師を、年若くして退職勧告の対象にするということは事実あるわけですね。そういうことは好ましくないことだということは、かつて文部大臣も本委員会答弁し、努力されることを言明されておるのですが、本日に至るまで文部大臣は自治庁から一回も協議にあずからない、文部大臣も積極的に自治庁長官に会って要望するなり、話し合いをしたこともないということを、先ほどから話されておるわけですが、それだけに私は、本法案において予算の二本建制が削除されるということと合せ考えるときに、非常に心配になる面があるわけです。そこであなたにお答え願いたい点は、一般行政との調和をはかるという立場から、予算の原案送付権というものは削除になるわけですが、その後における教育予算の確保にいかように御協力なさるお考えであるか。さらに当面この再建団体の再建計画を、これに承認を与えるために、これを調査されているわけですが、たとえば先ほど私が申し上げました教職員の退職勧告の年次計画についての年令の問題等については、どういう方針でこれを扱われておるのか、お答え願いたいと思います。
  249. 後藤博

    政府委員(後藤博君) お答えいたします。教育委員会の二重予算の規定がありました当時は、この財政の、一体財政の責任者はだれかという、つまり財政権をめぐっていろいろな問題が起ったわけであります。そのためにいろいろな事件が起ったのでありまして、まあこの辺で一つ、われわれとしてはこの財政の責任を明確にしていただきたいという意味から、かねがねこの問題を問題にしておったのでございます。従って、私どもから考えますと、財政の責任がこれで一応明確になったということになるのでありますが、おっしゃいます通り、それでは教育委員会とそれから地方団体当局との間の問題はどうなるのだということでありますが、私どもといたしましては、教育という問題は重要な問題でありまするし、地方行政の根幹をなす問題であると考えておりますので、将来といたしましては、やはり従来以上に密接な関係を持って、それを予算の上に反映するような格好において指導していきたい、かように考えておるのであります。再建計画の場合には、この問題が必ず問題になってくるのであります。  で、われわれの考え方といたしましては、義務教育と、それから一般の、義務教育以外の、主として高等学校の問題でありますが、この教育費の問題は区分をして考えております。義務教育は、御存じの通り、昭和三十三年ないし四年が、小学校は大体ピークであります。それから中学は来年がピークで、それから三十六、七年ごろにもう一ぺんピークが現われて参ります。で、このピーク時、それ以後の問題を、ピーク以前の状態とあわせて再建計画をどのようにするか、この問題が全体の問題としてあるわけであります。私どもの考え方といたしますれば、現状における人員の数はそう減らし得ない、ピーク時までは大体減らし得ないのではないか、こういう考え方で、ピーク時前後において一応ふやしておいて、あと減らすというような、すぐ首ということが起きるようなそういう措置をとらないように、できるだけなだらかな線で持っていくような格好に、再建計画を指導いたしておるのであります。で、昭和三十六年までは大体小学校の場合は推定がつきますが、それ以後の場合は、今度は生まれておりませんので、推定がつきません、小学校の場合は。中学校の場合は大体三十七、八年くらいまで推定がつきます。中学の場合の問題が一番問題でありまして、ピーク時が三十七年といたしますると、三十三年くらいから横ばいにしたらどうかというような意見と、それから横ばいにしないで、一度ふやしておいて、そして翌年から落ちるに従って、この教員の数を減らしていくという計画のものと、二つございます。非常に再建計画のむずかしい団体におきましては、この三十三、四年ごろから横ばいにする団体もございます。これも私はやむを得ない。これは再建債との関係がございますし、もう一つは起債の償還費とのかみ合いの問題がございます。従って、その点を考え、できるだけ再建計画がスムーズにいくような格好で指導しておるわけであります。人数は大体そう変えないで、新陳代謝をどの程度するか、新陳代謝によって昇給財源を出していこう、こういう考え方であるわけでございます。その昇給財源を出します場合に、出す量が小中の場合は三%であるか二%であるかによって、新陳代謝の量が変ってくるわけであります。そういう考え方で指導をいたしております。  大体給与費の総額は、これは委員費ばかりではございません、一般職員もありますが、職員費の中で給与費の総額は大体スロー・ダウンしていく、やむを得なければ並行、横ばいでいく、こういうふうに大きくつかんでおるわけであります。退職者が落ちるに従って、減員する計画の場合にはスロー・ダウンという格好をとるわけであります。そうでない新陳代謝の計画の場合では、もちろんスロー・ダウンするわけでありますが、教育費について幾らに見るかということによって、ダウンの仕方が違うわけであります。考え方とすれば、横ばいないしスロー・ダウンという方式でもって作ったらどうか、こういう指導をいたしております。  その中で、今度一般職員と義務教育職員と、その他の職員と区分をする、それぞれの職員の性格に合った整理の仕方を考えてよろしい、こういう仕組みをいたしております。教育職員の場合の給与費の場合に、一定の、何といいますか、たとえば一学級編成四十五人にするとか六人にするとかというような画一的なことはやっておりません。県によりまして、それは従来の事情がございますし、分校が多いところとそうでないところとございますので、県によりまして、四十六人のところあり、四十五人のところあり、四十三人のところがある、いろいろな格好になっております。その辺のところは別に私どもやかましく申しておりません。総額でもって大体横ばいないしスロー・ダウンのものであれば、その内訳はどのようにしようと、それはかまわぬ、勝手だという考え方であります。  義務教育の関係はそうでありますが、その他の教育職員の場合、高等学校の場合には、これは全日制の場合と定時制の場合と二つございます。全日制は大体乙号基準の九〇くらい、それから八五というところも県によりましてはございます。その辺大体九〇の線くらいが多いと思います。その辺もそうやかましく言っておりませんが、大体考え方は、やはり全日制を中心に考えてゆくという考え方にしております。定時制は県によりまして、非常に発達しておるところとそうでないところとございます。従って、定時制の職員の給与費などの切り方は県によりましてまちまちでございます。六〇%くらいまで落しておるところ、従来の六〇くらいまで計画で落しておるところと、そうでなくて七〇%にしておるところと、八〇%にしておるところと、県によりましてこれは非常に異なっております。これはどちらに重点を置くかという方針を県が立てて、その落し方を立てたらよろしい、こういうふうにいたしておるのであります。  その他の教育費につきましては、各費目別に入っておりまして、教育費全体としてどうのこうのということは考えておりません。消費的経費の中で、人件費、それから物件費等、その他とございます。そういう大きなワクで考えておりまして、その中で融通ができるような方式は、一応は再建計画そのものはやっております。もちろん最初に作ります場合には、それのこまかいデータはついておりますけれども、その変更は客観情勢に応じて変えられるものだ、計画の変更ではない、かように私どもは考えておるわけでございます。  それからもう一つ、新陳代謝の問題に関連し、また整理、停年制等に関連して、年令の問題でありますが、これは私どもは先ほど申しましたように、新陳代謝をやりまして、それは昇給財源を出してゆくということであります。従って、給与費を横ばいにしてその中で昇給をやりますと、どうしても新陳代謝をやらなければならぬ。その新陳代謝の場合に、年令を幾らに切るかということは、別に私どもは申しておりません。指導はいたしておりません。幾らにしろということは、絶対にこれは言っておりません。人数によってどこから切るか、どの辺をやるかということをきめるべきであって、その辺の問題も教育委員会と県との話し合いできめるべきではないか、かようにいたしておるわけであります。五十二才とか五十一才を基準にしておるということをよくいわれますし、矢嶋先生から御質問があったのでありますが、われわれはあとから聞く話でありまして、絶対にわれわれは年令を言っておりません。これは県によりまして年令構成が非常に異なっております。矢嶋先生の御郷里の県だとか、隣の鹿児島県でありますとかいうような、年令構成の非常に高いところと、そうでない、東北のような年令構成の低いところで、非常に異なっておるのであります。そういうところに一律に何才という基準を設けるということは不可能ではないかと思っております。また非常に無理を押しつけることになりますので、私どもではそういう指導はいたしておりません。新陳代謝を何人やるかによってきまる問題ではないか、かように私どもは考えておるのであります。従って、新陳代謝を多くやればやるほど年令が低くなってゆくということは、当然でございまするが、従って、それはもう今度は昇給を二%やるか三%やるか四%やるかというふうに、まあそこに関係してくるわけであります。その辺は県の自由にやったらよろしい、こういう考え方をいたしておるのでございます。
  250. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 後藤さん、そこのところがなかなか……。あなたのところが頭脳明晰で、要領がいいのですね。地方公務員法の改正をやるときに、自治庁長官は停年制をしく場合、あるいは勧奨退職は五十五才以上が適当だ、こういう発言をされておるわけです。それからまた、本院で地方公務員法の一部改正法律案が通過する場合には、教育職員の特殊性に基き云々という付帯決議もなされておるわけなんですね。従って、自治庁長官の、あるいは文部大臣の本院における答弁を生かせば、そういう再建計画を立てる場合には、五十五近くの線が出てくるようにならなければならぬわけなんです。ところが、あなた方の方は何才とかそういうことはきめない、干渉しません、言いませんという。ところが、都道府県で実際再建計画を立てると、五十一、二にならざるを得ないのです。私の関知しておる限りにおいては、佐賀にしても、熊本にしても、鹿児島にしても、これはそうならざるを得ない。せいぜい福岡のあの県で五十四くらいの数字しか出ないわけです。あなた方の、自治庁長官が国会答弁したような、再建計画を立てるときには、参議院の付帯決議も関連があるから、五十五歳程度で計画を立てよう、こういうふうに指示すれば、指導すれば、あの自治庁長官の答弁、それから文部大臣答弁と、それとが一致するわけなんですが、その年令をあなた方は言わないで、そうして実際はそれが五十一あるいは五十二、比較的に条件のいい福岡あたりで五十四という数字が出てこざるを得ないように、実際はそうなっておるわけなんですね。そこのところ、なかなかあなたのところは要領いいと思います。  実際指導されるときに、自治庁長官が国会答弁されたように、五十五歳以上という線で指導されてはいかがですか、それが私は筋が通るのだと思いますがね。
  251. 後藤博

    政府委員(後藤博君) 私どもの太田大臣お話は確かに、私も聞いておったのでありますが、停年制をされる場合には、大体五十五歳がいいのではないか、こういうことをおっしゃったのじゃないかと思います。これは停年制をやるかやらないか、やる前提に立てば、五十五歳という停年が妥当ではないかというお話であったと私ども思っております。停年制を果して各府県がやるかどうか、こういう問題がございます。私どもは財政の観点だけから見ておりますと、やる県はごく少数じゃないか、大府県は停年制を県の場合にはやるかもしれませんが、小さい府県は年令構成から申しましてちょっと無理じゃないか、こういうふうに財政の観点だけから申し上げることができると思います。市町村になりますると、これは全体的に停年制というものが必要ではないかと思いますけれども、県だけ取り上げて申しますと、今申し上げたようなことになります。従って、おっしゃいますように、県はおそらく停年制を私はやらぬのじゃないか、やれないのじゃないか。そういう職員があまりいないのであります。従って、停年制をやるのは少し先の問題ではないか、かように私どもは考えておるのであります。従って……。
  252. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 若くして首切られるということになるのです。それで文部大臣、いいですか。最後に文部大臣答弁を求めましょう。ともかく結論的には、五十一、二歳で先生方は無理やりに退職させられるという事態が起ってくるわけですよ。どういうふうにお考えになられますか。
  253. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今財政部長の答弁は、自治庁の方針として私も聞きましたが、それはそれでいいと思います。
  254. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 全国の教師は泣きますよ、そういう大臣答弁を聞いたら。
  255. 湯山勇

    湯山勇君 それじゃ、今日はこの程度で……。
  256. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 一般質疑はもうございませんですか。(「あるけれども、しようがない」と呼ぶ者あり)  それでは、本日はこの程度で委員会を散会いたします。    午後五時三十一分散会