○秋山長造君 その点から私は出発すると思うんで、
文部大臣は珍しくすなおに長の方の権限を強める、
教育委員会の権限を弱めるという形において調和をとる、こうおっしゃる。しかしその狭める、強めるというのは、ほんのちょっぴりというのでおっしゃっているんですけれ
ども、これはほんのちょっぴりどころじゃないんで、一々例はあげなくっても、十分御
承知の
通りですが、これは相当
教育委員会の権限を狭め、そして長の権限を大いに強めた形において調和をはかっておられるということはこれは明らかです。この選任方法にいたしましても、また
委員会を
構成する
委員の数からいたしましても、また、
教育長の
任命方法からいたしましても、また財政権の問題からいたしましても、これは非常に
教育委員会の権限を狭める形において調和が保たれておるということは明らかであります。その点はお
認めになると思う。そこでただいま
矢嶋委員がお尋ねした自主性の問題ですが、この自主性ということは、
文部大臣がおっしゃるようにですね、宙に浮いたこれは抽象的な概念じゃない。やはり地方の行政の具体的な問題について自主性ということは
考えられなければ
意味はないと思うんですが、その場合の自主性といえばやはり率直に言えばですね、これはその自主性の裏づけをしておるところの
教育委員会の独自の権限ということだと思うんです。つまり今日までの
教育委員会はですね、
人事権はもとよりですが、この一番
教育行政をやっていく場合の大
前提になるところの予算の
送付権なり、あるいは条例の発案権というようなものを、
教育委員会が独自の権限として持っておる。これが
教育委員会のいわゆる自主性なるもののこれは実質的な内容だと思います。ところがよってもって
教育委員会が立っているところの自主性のその最大の内容たる予算の
送付権や、条例の発案権というようなものが、ごっそり長の側に移っている。だからこれは何といいましても、これはもう自主性が失われたということを、これはもう言わざるを得ないのです。
先ほどの
矢嶋さんの御
意見に対して
文部大臣は、いや、それはその点はなくなったけれ
ども、しかしそのほかにもですね。この新法の二十三条を見てもらえば、たくさん独自の権限が並べてあるということをおっしゃっておったのですけれ
ども、しかしですね。これは二十三条に並べてあるものは、これは別に新しくつけ加えられたものは何もない。問題はやはりこの財政権だと思います。この財政上の権限が、もうごっそり長の方へ移されている。だから二十三条に列挙されているような権限を持っているというその限度においては、なるほど
文部大臣がおっしゃるような自主性と言えるものがあるかもしれぬけれ
ども、しかし、それは今日までの
教育委員会が持っておった財政権その他を含むところの自主性とは似ても似つかないほど、非常に狭められた自主性なんです。むしろ自主性と言えるかどうかわからない程度の、きわめてこれは薄弱な自主性だと思う。第一今度は何でしょう。
教育委員会はあてがわれた予算を
自分で使うことすら、
自分の権限ではできないんでしょう。収入及び支出の命令ということは、これはもう命令権というのは、
教育委員会にはないんですからね。あてがわれた金の払いをしたり、あるいは予算できめられた収入をはかるんですら、
教育委員会自身でできない。一々これは長の命令を受けなければできない。こんな自主性というものは、これは天下にない。親から金をもらってですよ。月謝をもらって、そうしてもらった月謝の中から本を買う、あるいは電車に乗る、それを一々
自分でやれないんです。今度の
教育委員会は、一々それを全部親の指図を受けなければ、その金が使えないんです。こんな自主性はないですよ。自主性と言えない程度の自主性だと思う。その点はいかがにお
考えになりますか。