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1956-05-18 第24回国会 参議院 文教委員会 第29号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月十八日(金曜日)    一時十二分開会     —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加賀山之雄君    理事            有馬 英二君            吉田 萬次君            湯山  勇君    委員            雨森 常夫君            川口爲之助君            剱木 亨弘君            白井  勇君            田中 啓一君            中川 幸平君            三浦 義男君            三木與吉郎君            秋山 長造君            安部キミ子君            荒木正三郎君            村尾 重雄君            矢嶋 三義君            高橋 道男君            竹下 豐次君   国務大臣    文 部 大 臣 清瀬 一郎君   政府委員    内閣官房副長官 田中 榮一君    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○本委員会運営に関する件 ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律施行に伴う関係法律整理  に関する法律案内閣提出衆議院  送付)     —————————————
  2. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより文教委員会を開会いたします。  先刻の理事会の経過について報告いたします。まず昨日の参考人よりの意見聴取の問題について、今後の取扱い協議いたしました結果、参考人公述には不一致点があるのでこれをさらに追及しなければならないという意見、この点はこれ以上解明することは困難であるという意見、問題は公聴会適法性公述人公述信憑性の認定にあるのであるから、これ以上追及する必要はないという意見などが強く述べられました。結局、この取扱いについては、保留いたすことと相なりました。  次に、二法案の取扱いについて協議を行いましたが、一般質疑最小限度火曜日まで継続したいという意見、本日にも一般質疑を終ったらどうかという意見、おそくとも二十二日には討論採決を行うべきであるという意見等が述べられました。御承知のごとく、今日まで公聴会をも含めて相当長時間の審議を行なって参り、すでに多くの点が解明されて参っておると存じますが、この点についてはなお最後的に意見の一致を見るに至っておりませんので、本日委員会散会後さらに協議を行うことといたしました。  以上報告の通り取り扱うことに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君)御異議ないものと認めます。
  4. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 地方教育行政組織及び運営に関する法律案及び同法の施行に伴う関係法律整理に関する法律案を議題といたします。質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 湯山勇

    湯山勇君 ただいま私ども公選任命それから教育安定性の問題、そういう大臣本案提案に至った基本的な理由についてお尋ねしておるわけでございますが、ずいぶんこの問題については御質問もございましたので、残っておる幾つかの問題をこの際お尋ねしたいと思います。それは現在の公選による委員、これは住民意思によって選ばれたわけでございますから、この選ぶことに対する意思というものは、それぞれの選んだ人の意思がここに働いておる、こういう関係にあると言うことができると思います。ところが任命制になって首長がこれを任命するということになれば、いろいろ政党的な配慮がなされるとしても、ともかくも首長意思が中心に働くことだけは事実でございます。そういう段階においては首長の、平凡な言葉でいえば、嫌いな人、気に入らない人、そういう人は選ばないのであって、たとえば政党に属しておる人であっても、属していない人であっても、ともかくもまず何らかの意味において気に入る人を選ぶということになるのではないかということを懸念いたしますが、この点いかが大臣はお考えでしょうか。
  6. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 首長はそれ自身選挙されて職についておるのであります。そうして国民全体のためを考えて職務をとるのでありますから、必ずしも自分一個の個人的の愛憎好悪で職をとらないと私は信じております。
  7. 湯山勇

    湯山勇君 具体的な例を申し上げますと、たとえば労働委員でございます。労働委員使用者側労働者側中立、こういう三者構成になっておりまして、労働者側委員労働団体推薦によりますし、使用者側委員使用者側団体推薦によります。で、中立委員はその両者の協議によってきめるわけでございますけれども、その労働者側使用者側、さらに中立側から選んで推薦した委員知事が拒否した、それは、どうもあれは困るというような理由で拒否した実例を私は私の県においても二、三以上知っておるわけでございますが、そういう場合が教育委員の場合もあり得るのではないか。特に今の例で申し上げますならば、労働者側委員使用者側委員、こういうのでなくて中立委員について、知事がそれは困るというので拒否されまして、ずいぶん紛糾した事例もございます。そういう場合が教育委員会の場合も起らないという保証は私はできないように思うのでございますけれども大臣は絶対に起らないという確信をお持ちでございましょうか。
  8. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 人間界のことでありますから、人間それ自身の弱点を考慮に入れなければなりませんけれども、しかしながら教育の場合は、教育中立性を保ち、次の時代の青少年を育成する教育委員を選ぶのでありますから、長もこれに同意を与える、議員も良心的に最善の者を選んで下さると、かように私は信じております。
  9. 湯山勇

    湯山勇君 その場合にやはり今大臣がおっしゃったように、人間ですからそれぞれ好みがありますし、あるいはまた判断の誤まりもなきにしもあらずということも言えると思います。特に私が例にあげましたのは、労働委員の中でも特に公平を保たなければならない中立委員についてそういう事例があるということを申し上げたわけでございまして、そうだとすれば、あるいはこれは他の委員から御質問があったかもしれませんけれども最初の選ぶ段階において、労働委員においてなされておるように、それを推薦する母体とか推薦する機関、そういうものを考える必要はないだろうかどうだろうか、この点について大臣はどういうふうにお考えでしょうか。
  10. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 法律では御承知の第四条で、人格が高潔で、教育学術文化に対して識見を持っておる人、こういうことを条件として長が提案し、それに対して同意議会が与えるのであります。これは法律規定です。しかしながら運用に際しては、おのずから適当な推薦母体が現われるところもありましょうし、あるいはまたあらかじめ町会、議会懇談をするようなことも行われようと思います。そこは住民ないし議員善意に信頼するほかはなかろうと考えます。
  11. 湯山勇

    湯山勇君 私がお尋ねしておるのは、自然発生的に推薦母体ができる、推薦母体のような性格を持ったものができるということだと、それぞれの首長が、ある人は政党背景を持っておる、あるいはある人はある団体の、たとえば農民団体とか農協とかそういうバックを持っている、あるいはある人は労働組合背景を持っているというようなことになれば、自然発生的なそういう推薦母体になるようなものは、その推薦母体自体が偏向する、片寄ってくるという懸念があると思います。そこでそういうことにならないためには、大臣も自然発生的な母体というようなものについては、今のようにお認めになっておられるわけですから、それならばいっそそういうものを法的に規定する、そうして推薦母体自体が片寄らないようにするといういうことをお考えになる必要はございませんでしょうか。
  12. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これも私の言ったことを少し伸ばし過ぎてお問いであります。推薦母体認めたとおっしゃるけれども、そうは私は言わなかったつもりであります。法律においては、長が人格高潔で、教育学術文化識見を持っておるものを選んで提案し、議会がこれに同意を与えることが法律だけれども、実際においてやってみれば、町村内にあるいは母体ができたり、あるいはまた町村協議会懇談会といったようなものが行われることもあるであろうということを言っておるので、直ちにそういうことが全国に行われるということを保証したのじゃございませんから、それは御了解をお願いいたします。そこでもしそういう傾向が実際は濃厚になって、それには日本のほとんど慣習ともなるといったようなときになりましたら、今湯山さんのおっしゃるようなことも考えなければなりませんけれども、今これは海のものとも山のものともわからぬことで、せっかくこの案のねらいは、選挙された長が選挙された議会によって選ぶ、これでもって民主主義を貫くのだ、こういうことでやっておる最中に、それを制約する母体を公認するなんということは、今はちょっと問題にいたしかねると思います。
  13. 湯山勇

    湯山勇君 その問題に対する大臣の御所見は一応わかりました。そこで大臣は常々選挙された長が選挙された議会に諮ってきめることが、これはきわめて民意に沿うものであるという意味の御発言をなさっておられますけれども、そこには私は非常に大きい問題があると思います。そうしてそのことは公選の場合と非常に違った要素が出てくる可能性があると思います。たとえて申しますならば、公選によって選ばれた首長であっても、それはある立場をとっております。そしてしかもその首長は一人ですから、たとえば政党関係を持っている人であれば、自由民主党首長ということになれば、これは百パーセント自由民主党首長です。これには一パーセントの他からの介在も許しません。それから議会も同様でございまして、多数の原則に従うわけでございますから、そうなってくれば多数できめられた意思というものは、これもまた百パーセントそういう性格を持っております。従って個々の住民が勝手に選んで出てきた者と、そういう二つのフィルターを通して出てきたものとの間には非常に大きな違いがありまして、それを同じようにどちらも民意を代表するものという規定の仕方には若干の相違があると思いますけれども、その点については大臣はどういうふうにお考えでしょうか。
  14. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) むろんこの直接選挙は投票という直接の民意によって出てくる。私どもの方の案は、民意によって出てきた人がさらに選ぶ。しかしながらそれには一定の条件をつけて、一党派に偏しないようにこの工夫でやる方がいいんだろう、こういう案であります。前のお尋ねのこととも牽連しまするが、実際問題として私はその方がいいんじゃあるまいか。話は違いまするが、今国会各種人事の御承認を受けておりまするがね、あれが自由民主党から推薦はしまするけれども、非常にえこひいきな推薦をしたといって国会非難され、あとから世間に問題になるようなこともないのですね。きのう、きょうもあったと思いますが、金融の委員会とか、あれと同じように衆人噴出の中で首長議会同意を得て、教育委員はこれがよかろうというて提案するのに、まるきり私は見当違い政党ガリガリの者が出てくるというまでには私は思っておりませんです。法律では、それに当選すれば積極的の政治運動はできぬ、政治の役員にはなれぬ、しかも人数は同党派では二人しかいけぬ、こういうことで法律の真意はよくわかり、住民もまたそれを知っておりますから、そこで教育委員というのはみなが納得するようなものを市長さん、町長さんもお選びになると、こういう善意をもってこの案は書いておるのであります。
  15. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 関連して伺いますが、ただいま文部大臣国会承認を得て任命する各種委員については、不都合だったというような例をほとんど知らない、従って教育委員首長が提案し、その案を議会承認するようになるこの形で非常に民主的であり、けっこうだと、こういう御発言ですが、私はこの国会に参って六カ年間議院運営委員をやりましたが、あの国会承認人事というものは、これは議院運営委員会に出て、それから本会議に出ていくわけですが、政党によってそれぞれの見解は異なるにせよ、吉田内閣時代から鳩山内閣を通じて、一貫してわれわれが常に指摘して参ったことは、あの各種委員政府側推薦提案して、国会承認を得る場合には、その人物は固定されます。時間が長くなりますから具体例を申し上げるのは控えますが、たとえば小林さんなんかというのはどんな場合でも出てくるのです。一人で十幾つ委員任命されているような形で、要するに政府側から提案してくるものは、すべて政府の政策を支持する、いわばその時の政府ひもつきと申しますか、そういう人物推薦されてくるんです。そういう形態と、それから委員を各政党、会派の勢力に比例配分して、各党から推薦を請う、それを形式的に議会承認するという形がありますが、その場合は、それぞれ各政党の方から推薦して参りますから、これはその政党色がつくことはいいか悪いかは別問題として、問題ないわけですが、要するにこの内閣責任においてある種の、委員人物を提案してくる場合には、確かに色がついております。私はこの形が今度の教育委員任命制の場合に出てくるのではないかということを非常に心配しております。そこで一言伺うわけですが、先ほどから、湯山委員からも質問がされているようですが、あなたの案をかりにやるとしてでもですね、一歩進むと申しますか、下ると申しますか、その立場によって進むともあるいは下るとも言えると思うのですが、先般公聴会において森戸公述人が申されました、あの刷新委員会の建議に基いての推薦母体を作って、そこから推薦母体が選んだ人物を、今のあなたの案にある、議会がその中からいずれかの人を選定承認すると、こういう形は、要するに森戸公述人公述要旨ですね、これは文部大臣はいかようにお聞きになられたか、関連してお伺いいたしたいと思います。
  16. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いかように聞いたとおっしゃるのは……。
  17. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 というのは、賛成か反対か、傾聴に値したかどうか。
  18. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 森戸公述人公述も伺いましたし、それより前に刷新委員会のあの決議はよく何べんも読んでみました。しかしそれよりもですね、やはりあれは一つは複雑であるのと、その推薦母体というものの構成がなかなかむずかしい、しかしながら今日昔のような官選の知事があるわけでもありませんから、やはり選挙に信頼いたしまして、選挙された長が、選挙された議員同意を得るということに結果はなると、こういうので、森戸君の言うことは知らないんじゃないんです。よく知っておりましたけれども、これよりはこの案の方がいいという考えであります。(「それなら公選制やったらいいじゃないか」と呼ぶ者あり)
  19. 湯山勇

    湯山勇君 今大臣の言われたことは、私はわかったつもりでおったのですけれども、またお聞きしなければならなくなりました。理由とするところは、本案の方が森戸公述人の案よりもいいというのは、推薦母体を作るのがめんどうくさいと、複雑だと、こういう理由でならば、私はこれは大へん重大だと思います。そこでこの、それだけの理由なのか、もっと根本的な理由がおありになるのか、この点はぜひ伺いたいと思います。
  20. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あれは複雑であるのと、それから町村民に直接責任を持っておる町村長が直接責任を持っておる町村議会、または県議会同意を得ればそれで民主主義趣旨は達すると、この二つであります。
  21. 湯山勇

    湯山勇君 趣旨を達するとか達しないとかということは、これはまた議論を蒸し返せば長くなります。それはなぜかと申しますと、大臣フォア・ザ・ピープルバイ・ザ・ピープルと、公選による方がより民主的だということは、最初からお認めになっておるわけですが、ただ単に民主主義という点からいえば、確かに公選の方が民主主義だけれども、その以外に、今日の実情に立っていろいろな問題があるから、こういう形をとったんだとおっしゃっておる。だから民主主義ということだけを唯一の基準にすれば、これは公選制を廃止する論拠は出て参りません。さらにもっと申し上げるならば、民主主義ということが、今日国家の最も重要な理想であるとするならば、たとえどのような便利な点が出てきたとしても、あるいは民主主義を実施するための不便な要素があったとしても、民主主義を第一義に考えていくならば、公選制任命制に変えるというそういう結論は出てこないのですね。ただいまの大臣の御説明には納得ができませんし、大臣の以前のお話とも矛盾して参りますから、そういう抽象的な、民主主義はこれでも変らないんだというようなことではなくて、手続あるいは操作が面倒だということ以外に、実際の問題としてどういうことが問題なのか。選ばれた首長が選ぶということについては、必ずしも推薦母体定員だけを推薦しなくても、定員の二倍なり一倍半なり、労働委員なんかではやはりそういうやり方をとっております。そういうふうに推薦母体から推薦した人の中から首長が選ぶという形にすれば、それはやはり首長が選ぶという原則は変らないし、そのもの議会承認するということも変らないわけですから、この点は私は本案考えていく上においてやはり一つの重要な点だと思いますので、重ねてお尋ねするわけでございます。
  22. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 湯山さんの御質問説明のうちにありました通り民主主義国民によって、すなわちバイ・ザ・ピープルということだけではなく、国民のためになること、すなわち目的主義も入っておるんであります。英語でいえばフォア・ザ・ピープルであります。で、目的が入っておるということは、操作が簡明だということもやはり目的一つであります。出てくるのが中立性を保つということも一つであります。そこで私どもの案は操作は比較的に簡単で、出てきたのがやはり直接選挙選挙闘争延長とならないように、落ちついて中立を保ち得る、この目的を達しまするから、一方において、なるほど直接選挙はいたしませんけれども、直接選挙された人がきめるんだから、これくらいなことはやはり民主主義にそむかないものとしてこれを受け取って、目的すなわち教育中立、能率というふうなことは、これがいいんだから、この案は教育刷新委員会、すなわち森戸案よりも、これは現在の直接選挙案よりも、今のところこれが現在としては一番日本に適しておると、かように考えておるんであります。
  23. 湯山勇

    湯山勇君 大臣の御答弁からは私は積極的にこの案の方がいいという理由を受け取ることができないので、これは非常に遺憾に思います。しかしこれ以上は見解相違になると思いますから、次に移りますが、今大臣はこの方法によって選挙闘争延長になることを防ぐということをおっしゃいましたが、私が次にお伺いしたいと思っておった点はその点でございます。最初私の考えを申し上げますならば、選挙闘争延長になる可能性公選の場合よりもはるかに任命の方が大きいということを指摘してお尋ねいたしたいわけでございます。それはこの人格高潔とか識見を持っておるとかいう抽象的な言葉規定されておりますけれども、これはいろいろ見方、考え方があると思います。たとえば私なら私に対しても、同じ私の県民で、あれはどうもけしからんやつだという人もたくさんあるけれども、中にはまたあれはなかなかいいやつだというので、一票入れて下さった方もあるわけでございます。そこで、選挙というものはそういった要素を含んでおりますから、しかもその選挙が、大臣が今おっしゃったように首長選挙となりますと、ただ一人をその地域から選ぶ、従って極端な場合には、その地域住民の約半数がその首長に対してはよくないという考えを持っている、地域住民半数よりやや多い程度がその人はいい人だとこう思っている、こういう性格を持った知事自分考えで選ぶとすれば、選ぶ段階知事なり首長考えですから、そのものが選ぶとすれば、決して自分に敵対したもの、あるいは反対派運動をやった人、そういう色彩を持っておる人は避けると思います。これは現在の公安委員にしても、人事委員にしても、県の会計監査にしても、議会から選ばれるもの以外については、同じことがどの点でも見られます。そうすると知事の選任にまかせておけば論功的な人事あるいは自分のよく知った人、気に入った人、そういう人を選ぶ可能性ができてくるのは人情の自然だと思いますけれども、選ばれた人のよしあしではなくて、そういうふうになる傾向を持つことは、事実問題として大臣もお認めにならなければならないと思います。なお例をあげますならば、ある人ですけれども知事選挙に敗れた人が、やはり先ほどお話のあったように、国会承認を経て某委員任命されておる実例も私は存じております。そういうことを考えますと、公選の場合にはそういう政党色、片寄りはなくなりますけれども首長任命ということになれば、そういう傾向も一そう強くなる、こう考えられるのではないかと実情から考えるわけでございますが、いかがでしょうか。
  24. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 公選の場合には、選挙が勝つのが目的でありますから、教育委員会選挙に限って半勝ちなどということは言えぬのです。全部勝ちたい、全部勝つというのは、目的は五人とも自分党派にしたい、できないでもマジョリティはとりたい、こういうことで選挙が行われるのです。(「そんなことはないでしょう」と呼ぶ者あり)ところが今回はこの前提の場合においてはそうじゃなくして、同じ党派からは二人しか選ばれない、五人の場合のことをいうのですが、三人以上はとってはいけないという第一制限があります。これが一つで、もう一つは、この案では、かくのごとくして出てきた政党所属委員であっても、政党の幹部にはなれない、積極的政治運動をしてはならない、こういう制限を置いておるのであります。しこうして、この人格高潔云々の文字も全く無用ではございません。これを規定しておるのに人格高潔ならず、教育学術文化には全く知らぬようなものが選ばれるというとどうなるでしょう。一番先に非難を受けるのはこれを推挙した町村長であります。その次に非難を受けるのはこれに同意した町村会議員でございます。ここにも一つのチェックがあります。これらのことを総合して実際やってみますというと、この案でやる方が、穏健で着実で教育委員たるの使命を果すのに適切な委員構成されるであろうと、こういう信念でこれを書いておるのでございます。
  25. 湯山勇

    湯山勇君 私はそういう誤解された答弁をいただかないようにと思って具体的な例もあげたわけでございます。ただいまのような御答弁は繰り返し大臣から伺っておりますから、よくわかっております。しかしここで申し上げなければならないことは、大臣の御答弁には前提二つあります。その二つ前提自体に問題があるわけで、教育委員を独占しようというので、その定員一ぱい候補者を立ててやった政党があれば御指摘願いたい。また、教育委員定員一ぱい候補者を立てて推薦して選挙した団体があれば、これも具体的にお示し願いたい。私の知っておる限りにおきましては、教育委員だから全部をとらない方がいいという考えで、七人の場合には三人、あるいは四人を推薦する、そういう配慮推薦するもの自体がやっております。私も実はそういう経験をいたして参っております。私は最初教育委員選挙のときには三名の人を推薦いたしました。そうしてこの三名の人を推薦すれば、全部を推薦するというようなことをするよりも、よりその趣旨に沿うものだという観点に立ってやって参りました。しかしその次には二名にいたしました。私はむしろ国民の良識は大臣がお考えになっておるようなものとは違って、そういう方向に進んでおると思います。すべての教育委員を独占しなければならない、独占するために努力するというような考えの人は、それこそむしろ委員会制度を誤まっておる人であり、誤解しておる人であって、大臣がもしそういうことをお考えであれば、大臣自身が教育委員会制度に対する御理解がなくて誤解されたところからこの法案が出てきた、こう断定しなければなりません。  第二の前提は、大臣政党人とか、党派に属するということに主眼を置いておられますけれども政党色というものは、政党に入っておるから絶対的に政党活動をやるのだ、入ってないから政党活動をやらないのだ、そういう性格のものではありません。たとえ政党の所属なくても、あるいは社会党に所属していなくても、社会主義のために社会党の人以上に働いておる人をたくさん、これは大臣も御存じだと思います。あるいは自由民主党に所属しておられない方でも、党員以上に自由民主党のために尽しておる人のあることも御存じだと思います。今日の段階では、政党に入っておるということが、その人の行動、生活を規定する根本的な要素ではありません。だから同じ政党に入っておるものの数を制限するといいましても、その期間だけ脱党する。そういうことも可能でございます。そういうことを考えますと、党に入っておる人の数というものだけを基準にして、中立あるいは片寄る、そういうことを判断するその考え方にも問題がございます。そこでそういう問題を離れて、私は実際問題をお尋ねしておるわけであります。今日選挙によって、相手方と激しい選挙を戦ってきた人が、相手方陣営の人を人格高潔だからといって任命する、そういう場合があり得るかどうか。そういうことは当然あるだろうというように考えられるかどうか、実際問題として大臣のお考えを承わりたい。
  26. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 一番初めのあなたの説明の初めの部分の、ある党派教育委員の全部をわがものにしようと考え実例があればということでございまするが、先日以来たびたび申し上げておる通り、この案は過去にそれがあったからというのじゃないのです。昨年以来の日本政治情勢から見れば、そういうことになり得るというのでございます。あなたの党派も地方にだんだんと力をお伸ばしになる、私の方も及ばずながらやっておるので、この情勢は忌むべきことじゃございません。二大政党組織が発達すれば当然のことでありますが、それがここ三年、五年続いていくというと、村内においてやはり社会党勢力のお強い村ができ、また私どもの方の友人の多い村ができる、こういうこともあり得るということを申し上げておるのであります。ないでしょうか。私はきっとあると思います。  それから、これも言葉をとがめられちゃいけませんから用心して言いまするが、今はなくなりましたけれども日本のある政党では、裁判官も教育もその政党の主義化するということを綱領に掲げた政党があるのでございます。(湯山勇君「できますか、そんなこと」と述ぶ)あなた御承知でしょう。もうその政党はありませんから私は言いませんけれども、(「変なこと言いなさんな」と呼ぶ者あり)裁判官も教育もある主義化するということが書いてあるのですよ。そうであってみるというと、教育もある主義化するという一番手近なことは、教育委員会をその主義をもっておおうということなんですよ。(「危ないことです」と呼ぶ者あり)でありまするから、全く架空のことじゃなく、まあ現在の状態をもって明日を推せば、そのおそれはあるものと私は見てこの案を立てております。  それから表向きの政党員じゃなくて、党に近い者がある。またみすみす政党に属しておっても脱党しておる、こういう者もあるとおっしゃった。それはそうです。そうでありまするが、しかしながら、個人を見る場合には、やはり党籍の有無を標準とすることは一つであります。なぜならば、党籍がある者は党の規約決定に従わなければならぬ、しかし党籍がなくして、その党のシンパたる者は党の決定に服しませんから、そこで一つ線を引くのほかはないのでございます。しかし党員として登録はせぬけれども、みすみすそうだといったようなものを選ぶことはよろしくありません。この人格高潔云々の全体の条件にも反することで、それは避けなければなりません。そのことは申し上げております。いろいろ湯山さんから御質問かたがた私に向って忠告、訓告がありましたけれども、私はやはり今に至るまでこの案を国のためには一番いい案、かように考えておるのであります。
  27. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 清瀬文部大臣は、公選制を続けていったら政党人によって独占される、そういう心配があるので、むしろ任命制にした方がかえって政治中立性を守ることができる、こういう意見をしばしば述べられておるのでありますが、これは私どもが指摘いたしましたように、また、ただいまも湯山委員からいろいろ指摘されましたように、任命制の方がかえって政治的偏向、政治中立性を失う、そういうことを口をすっぱくするほど述べてきたのでありますが、私はこの際任命制の問題と教育の自主性の問題について少し大臣にお伺いしたいと思うのです。  この間から教育の自由ということが言われておりまして、この委員会でも教育の自由とは何ぞやというふうな論議がかわされました。しかし今日必要なことは、私は教育というものが自主性を持って行われるということは、何人もこれは認める点であると思うのです。不当な支配に屈することなく自主性を保つということは、非常に大事な問題と思うのです。ところがこの自主性を保持するという観点から任命制の問題を考えて参りますと、そこに非常な疑義が起ってくるのであります。今、提案されている原案によりますと、知事議会承認を得て任命する、こういうことになります。それは事実どういうふうにして行われるかということを考えてみますと、やはり議会における各会派の推薦、それらを勘案して知事任命する、こういうふうな格好が実際においてはとられる場合が多いと思うのであります。そういうふうにして選ばれてきた教育委員会が果して十分に自主性を持って教育行政ができるかどうか、これはもちろん比較の問題でございますが、公選制によって選ばれた教育委員会と、それからこのようにして任命制によって選ばれた教育委員会とどちらが自主性を持つことができるかという問題であります。私は結論を申し上げますと、任命制によるよりは、はるかに公選制の方が自主性を持つことができる、こういうふうに考えておるわけでありますが、文部大臣はこの点についてどういう考えを持っておられるか、御意見を伺いたいと思います。
  28. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたのおっしゃる自主性というのは、教育が不当な支配に屈することなくして行われることをおっしゃると思います。この案のごとくにして委員会ができましても、できるのは推薦でありまするが、一たんできた以上はやはり新法の第二十三条の権限を持っておりまするので、この権限の行使については、町村長意思は受けないでいいのであります。完全に独自でやるのであります。最高裁判所の裁判官は、やはり政府任命しまするけれども任命いたしましたら独自の裁判をしておるのであります。任命の手続がこれによるからといって決して自主性、不当の支配に届出するなんということはございません。その点については、何ら後退をするものじゃないと思います。
  29. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 裁判官の例をお引きになりましたけれども教育委員会の場合と裁判官の場合とは、身分の保障の上から考えても著しい相違をいたしておると思うのであります。従って裁判官の例をもって、直ちに教育委員会は何らの自主性を侵される心配はないのだ、こういうふうに判断することは私は軽率であると思います。  それから公選制に比べて任命制をとっても教育の自主性は何らそこなわれる心配はない、こういう御意見でございました。しかし教育委員任命権は知事が持っておるわけです。それからまたこれを解任する権限も知事が持っておるわけであります。これは明らかに一般国民によって選挙された場合に比べて、委員会の自主性、そういうものは非常に狭められてくるということは常識であると私は思うのです。そういう点、公選制の場合と何にも変るところはないということは、これは詭弁だと私は思うのですが、重ねてお尋ねをいたします。
  30. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 公選制の場合でも、これが自主性、不当の支配に屈しないというのは、やはり独自の、独立の権限を持っておるからであります。今回のごとき方法によって選定された委員会でも、やはり独自の権限が与えられておるのでありますから、不当の支配に屈することはないのであります。その間ちっとも相違はありません。
  31. 安部キミ子

    安部キミ子君 関連して。大臣にお尋ねしますが、ただいま事務局から配付されました政党所属知事、市長数というのがありまして、これは朝日新聞社の調べというふうに書いてあります。昭和三十年の地方選挙の各政党の実態、それから無所属というふうな表が出ております。これを全部申しますと、大へん時間がかかりますので、私、無所属というところから下の保守、革新、その他というところだけをちょっと大臣に見ていただきたいのであります。知事の方を見まして、ずっと数字を拾って見ますと、最後の改選後の四十六という数に対して、保守、革新その他といってカッコしてある中で、保守が二十七、革新が六、その他が七と、こういう数字が出ております。この保守というのはもちろん言葉通りでありまして、大体政党の所属か、あるいはそういう政党的な保守的な考え方をしている人たちだと思うのであります。そうして数を見ましても、現状では実に保守が多いのです。文部大臣がおっしゃっておられますように、保守が多いのです。こういうことで知事さんたちが教育委員任命されて一体中立性が保てるかどうか。それから下の方を見ましても、同じように四百八十六というこの数字の中で保守の市長さんの数が三百六十三という多数に上っておる。こういうことで、あなたは先ほどから知事さんや市長さんがお選びになる方は、りっぱな教育委員を御推薦になるとおっしゃいますが、こういう実情から見て、果して中立的な教育委員推薦できるかどうか、そういう教育行政が保てるかどうか、その点御答弁いただきます。
  32. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 日本全体の知事が保守系の多いことは事実でございます。しかしながら教育中立を要するものでありまするから、保守系の知事さんも、二名の、当然政党に属してもいいというものの、ほかの者もやはり自分党派で独占しようなんという悪い考えは起されないと思います。また、数は少くても社会、革新系の知事もおられます。この知事教育委員会を革新系で独占しようとお考えになることはなかろうと思います。それがすなわち民主主義のありがたさで、国民が見ておる前でやることでありまするので、この法案の趣旨に沿うてりっぱな委員を御選定下さることと期待いたしております。
  33. 安部キミ子

    安部キミ子君 もう一つ大臣は保守が現状では強いとお認めになりました。しかし今仰せの実例についても、二十七対六という力関係、それと下に書いてあるその他というところは七という、その七の性格というものそのものにも多分に保守的なにおいが実際はあるのです。そういう現状から見て、あなたがいかように詭弁を弄して合理化なさろうとしても、こうした数字がその実例を示しております以上は、これは意味ないことだと思う。架空の相手の人の心を頼むとか、良心を頼むとかおっしゃいましても、実際に日本実情はこういう実情なのですよ。下の市長さんの数を見てみましても、こういう実情にある。こういう実情の中で教育委員を選ばれまして、そうしてこの人たちに国の教育責任を持たすということは、私は文部大臣のこうした法律を出されることについての責任を私は追及しなければならぬと思う。これでどうして中立が保てますか、はっきり出ているのだから……。数がはっきり出ていて、どうして中立が保てますか。この責任をあなたが持たれるならば別ですけれども国民に持たそうというのは、これは酷な話じゃありませんか。答弁を願います。
  34. 清瀬一郎

    ○国務大原(清瀬一郎君) 五人の教育委員のうちで、同じ党派の者は二人しか選定できないのです。三人はできないのです。しかるに、選挙でする場合には、三人以上が一つ党派から当選することもございます。選挙で当選した者を退けるわけにはいきません。それゆえにこの案で、一つ党派がマジョリティをとらぬということは、大きなこれは事実として世の中の人たちも知ってもらわなければならぬ。  もう一つは、この案では、教育委員会委員は、たとえ政党に属しておっても、積極的政治運動はできないという制限をつけておる。もう一つは、党の幹部にはなれぬという制限をつけておるのです。選挙でやった場合に、出てきた教育委員が積極的な政治運動をし、はなはだしきはその地方の幹事長にでもなるといったような場合と比べまして、この案でできた方が中立を保ち得るということは、過日以来たびたび述べておるところでございます。御了解をお願いいたしたいと思います。
  35. 安部キミ子

    安部キミ子君 私は、政治の、政治的な中立を保つという意味じゃないのです。この法案が教育中立的に保つかという意味なのです。でありますから、教育委員のなさる仕事は、いかに教育中立的に保つかということなのです。ところがその教育委員がこういう保守党の、あるいは保守的な考えを持った人たちの実際数が多くなる、それは当然ですよ、はっきりしているのだから、この表を見ても。これはいかように二人とか三人とかおっしゃいましても、そういうことは架空なことで、あなたが夢に描いておられるようなことなのです。実際あなた自身だってそういうことをなさらないと私は思う。今度臨教審に、いろいろな委員任命なさるにいたしましても、保守党の人をたくさん出される、そうして自分の都合のいいような人を推薦なさるのですね、これはいかようにおっしゃいましても、もうそんなことを弁解するだけむだなことだと思うのです。そこで今あなたは政治運動政治運動とおっしゃいます。政治運動を禁止するからこの委員さんたちは中立を保つのだとおっしゃいますけれでも、政治運動をするための教育委員じゃないのです。教育行政の責任を持つところの教育委員でありますから、その教育行政にしましても、この教育というものに対するものの考え方が私は問題になると思うのです。そういう保守的なものの考え方をしておるところの教育委員さんが大事な教育行政に当られるということは、私はこれは大へんなことだと思う。しかも、いいにしろ悪いにしろ、その責任国民が負わなきゃならぬ、結果的には国民が負わなければならぬ。しかしそういうふうな悪い結果を生ませるようなことをこの法律であなたは作っておられるというところに、非常に問題がある。あなたは先ほどからいろいろ、委員会中立性は保てる、保てるといろいろなことをおっしゃいますけれども、こういう日本実情ははっきりしているのですから、このことは素直に認めていただかなければならないと思いますが、これはお認めになりませんですか。
  36. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 前の御質問と今の質問を通じて、要点は教育委員会構成政党支持に片よることはないか、こういうことと私は解しておるのであります。それでようございますか。
  37. 安部キミ子

    安部キミ子君 ようございます。
  38. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そういたしますれば、もし直接選挙で、無記名単記のアウト・エンド・アウトの直接選挙によると、今日の政治の情勢からすれば、やはり教育委員会選挙政党背景で争われるということは、これは考えなきゃならぬです。教育委員会だから、政党は手を出さぬということには参らぬと思います。そういたしまするというと、政党としては各種の公職に自己の党員を配するがいいとおそらく考えるでありましょうから、教育委員会には二人よりは三人、三人よりは四人、しまいには全部自分党派から当選したというと、その政党はよかった、成功だといって喜ぶに相違ないのであります。直接選挙を許した場合に、半分だけだといったようなことは、これはちょっとできないのです。ところが、今度は選定主義によりましたからして、五人のうち二人だけは政党員は入れてもいいけれども、三人以上は入れてはならぬという制限をこさえておりまするから。組織がですよ、これは今組織の問題ですから……。地方教育委員会組織政党に傾かぬようにするということは、この方が安全であります。なお政治運動教育とは違う。一方で政治運動をどしどしやって、教育中立意見を持つということも、これは理想的でございます。けれども人間の頭は一つの頭の中ですからね、午前中政党のことでメートル上げておいて、昼からからっと違った方に行くということは、望ましいけれども、むずかしいのです。人間は自己催眠で、自分の言うことにかっとなるものですよ。それでありまするから、今回の制度は積極的の選挙運動をしてはならぬぞというのです。直接選挙政党員が当選しているのに、その政党員に直接積極的運動するななどといっても、できやしません。選挙政党から出ている委員は、積極的運動するのが当然です。こういう制限任命制ならばこそできるのです。ですから、任命制にもいいところはありますよ。両方とも欠陥がありますけれども、これを決算いたしまするというと、中立ということだけを考えれば、やはりこの案がいいんです。あなたや矢嶋さんの先刻の通り……(矢嶋三義君「私のは違う」と述ぶ)民意が直接反映するんだったら、それはなるほど直接選挙が直接反映するというのは私は認めておるんです。その点は間接にはなりますけれども、しかし中立公平な教育委員会を作るのはこの方がよかろう、こういうことを繰り返し申し上げておるのであります。
  39. 安部キミ子

    安部キミ子君 私は責任を問うておるんです。それではもう一ぺん。直接選挙ならどういう教育委員が出られても、もしかりに保守党の教育委員がたくさん出られても、それは自分が直接責任を負われるだけの理由があるわけですね。ところが、市長さんとか知事さんとかいう方は、このような保守党の方が多いという立場で、それで教育委員さんを選ばれて教育行政をなさるということに、私は問題があると思う。それで被害をこうむるのは選挙をしない、選挙を直接しないところのその地域社会の住民なんですよ。だから、やっぱり私は、あくまでもこの教育責任国民にあるという建前から、直接選挙でなければ、いいにしろ悪いにしろ、教育に対する関心も薄いし、そうして教育のいわゆる教育委員会法という建前からもそれでなければならないと、こういうふうに私は考えている。そこであなたは責任とおっしゃいますけれども、直接市民が選挙しないでいて、それで国民責任を負わすということは、私はあまりに酷な話だ、こういうふうに言っている。
  40. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 直接に選ばれた委員ではなくても、教育行政はすべて直接国民全体に対して責任を負えということが、教育基本法の十条一項にも書いてあるんです。憲法十五条にも書いてあるんです。選定された委員であるからして責任を負わぬなんていうことは、断じてございません。責任を負うことは、選挙によった場合でも任命によった場合でも、現行憲法がある限り、憲法第十五条第二項によって責任を負い、教育基本法第十条第一項において責任を負うんで、責任に軽重はちっともございません。
  41. 安部キミ子

    安部キミ子君 ちょっと待って下さい。またおかしなことを言われました。
  42. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 安部君、質疑ははっきり言って下さい。
  43. 安部キミ子

    安部キミ子君 はっきり言っているんですよ。教育委員会法には、直接選挙によって、そうして責任国民が負うというふうに書いてある。
  44. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そんなことはありません。
  45. 安部キミ子

    安部キミ子君 そんなことはないことはないですよ。第一条に書いてあるじゃないですか。(「それは違う」と呼ぶ者あり)
  46. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君)教育委員会法の一条はやはり国民に対して責任を負うというので、選挙によるから負うとはございませんです。ちょっとごらん願いたいんです。
  47. 安部キミ子

    安部キミ子君 それが常識ですよ、慣例ですよ。ちゃんと前からわかっている。
  48. 湯山勇

    湯山勇君 それでは中断いたしましたが、質問を続けます。今私がお尋ねしておったときにはお答えいただかなかったことを、大臣は他の委員に対してのお答えのうちではっきりいたしましたので、確認いたしたいと思います。それは、午前中何かを一生懸命やっておった者が午後になってからっと変ることはできないということを、大臣ただいまおっしゃいました。これはたとえですけれども、とにかく一つのことを午前中やっておった人が、直ちに状況が変ったからといって変り得るものではないという意味だと思いますし、それは意味のとり方が間違っておったとしても、とにかく午前中と午後とたちまち変るというようなことは不可能だ。そこで私がさっきからお尋ねしておったのはその点なんで、午前中と午後と簡単に人間というものは変れるものじゃないということをお認めになっておられるのならば、こういうことになると思うんです。政府の方へ要求していただいた資料の中に、都道府県知事だけで申しまして、再選のときに落選した知事が十二名ございます。三選で落選した人が八人ございます。つまりこの前の選挙におきましては二十人の知事が再選あるいは三選に立候補して、相手方によって落とされております。知事選挙ですから、まず敵と味方、こういうことになって戦って参ったわけです。そうすると、この法律によれば教育委員の任期は大体四年ですけれども最初の調整によって全部を一度にかえることはできません。しかし、その知事の任期の四年の間には、全部の知事が、今おっしゃったように、敵であったものを自分の味方のようにして委員任命するような気持になかなかなりにくいですから、なれないとは断定しませんが、なりにくいですから、そうすると、大体その知事の目で見ていい人だと思う人を選んでおります。四年間にはそういう色に塗りつぶされております。ところが、二選で落ち、三選で落ちた人たちは、今度は相手が知事になるわけですから、前の知事が好意を持っておった人を、今度出た知事が同じように好意を持つということは考えられません。そうすると、初めの一年目に一人かえ、二年目に二人かえると、大体両方の勢力のつり合いがとれて、はなばなしいけんかが行われます。三年、四年とたてば、またあとの知事の色に塗られて参ります。その知事が今度二選目に落ちてまた相手が出るというようなことになれば、教育委員もそうだし、それにつながる教育全体あるいは住民全体が、頭に立つ知事がそういうふうになっているわけですから、自然これに巻き込まれる、こういう心配を至るところでしておるのでございまして、大臣のお認めになったことから考えても、こういう形の任命制というものはかえって政治的な色彩を帯びてくる、安定性を欠くということになるのではないでしょうか。
  49. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ここにも少し言葉のゆとりをとって、お互いに話をしなきゃならぬかと思います。午前中に政党活動をした者が、午後に至って中立の行政は絶対にできないということじゃございませんですよ。できる方が望ましいんだけれども、悲しいかな人間でありますから、やはり困難だという意味で、あなたの議論も私の議論も、ゆとりあるところで一つ考えを願いたい。  そこで、知事がこの通り保守系が多いといっても、保守系なんというものは保守党員じゃないんですから。しかしながら、保守系として保守派の知事が多いといたしましても、教育委員会は二人しか同じ党派の者はとれないんですから、そこでもってその党派を全部保守系に塗りつぶすということはございませんです。あれば必ず世の中の非難を受けるのであります。その委員会の継続性ということはきょう初めてお出し下ったのでありまするが、これは私の方の案がいいと思います。附則の第八条で、一年ごとにこうしてあるんです。現行では二年でばっさりかわるのでありますが、それをよくないとして、一年段階にかえておりますから、新任の知事が来ましても、一年に一人しかかわりません。こういうことになって、継続性の方はこの案の方が現在の案よりまさっていると、私はかように思っております。
  50. 湯山勇

    湯山勇君 委員長にお尋ねしたいんですが、大臣は私の質問に答えていただいておると、委員長御判断になられますかどうでしょう。
  51. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私の答えが不足でありましたら、なお補充いたしまするが、知事の任期がたとえ四年でありましても、私は同じ党派の色に塗りつぶされることはないと思います。
  52. 湯山勇

    湯山勇君 私は党派にこだわってはおりません。党派の人の中にも好ききらいがあると思います、人間ですから。この人はいいと思う人と、同じ党派の中でも、この人は工合悪いという人もあると思います。ですから、党派の数に限定するのでなくて、さらにまた党派以外の人にしても、知事が選ぶとすれば、これはやはりその知事のめがねにかなった人を選ぶわけです。ところが、その知事は四年間たてば、相手の候補者が出て、これは血みどろのけんかをして、かりにその知事が落ちます。そうすると、新しい知事が一人ずつかえていく。前の知事の選んだ人をそっくりそのまま選ぶというのじゃなくて、選び得ますけれども、やはりか、えると思います。かえるときには、今度は前の人とかたき、1言葉は悪いですけれども選挙ですからかたきということにすれば、かたきであった人の目で選んでいるわけですから、そうすると、今度は政党から出る人にしても、それ以外から出る人にしても、あとの知事の目で選ぶことになってくる。そうすると、ある段階では両者の勢力が、前の知事のめがねにかなった人と、新知事のめがねにかなった人との間に勢力の争いができる可能性もありますし、さらに全部が新しい知事の選ぶ人にかわった場合には、そのときには前の委員と全く性格の違ったものになる。これは法的にではありません。そういうことになれば、その安定性という点からいえば、むしろ任命制の方が安定度を欠くのではないか。政党人の数という意味ではなくて、そういう一人々々の人ですから、その人についての見方、考え方、そういうものの相違が現われて、かえって不安定な要素を増すのではないか。一年ずつかえることがいいか悪いかの議論をしてはおりません。
  53. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現在の案でも、二年目に半数はかわるのです。しかし、まあ今回の案にいたしましたら、附則の第八条をごらん下さい。年に一人ずつしかかわっていけないのです。それゆえに今回の方が安定性があると考えておるのです。  で、任命といいましても、知事一人が独裁じゃないのですよ。これがやっぱり今回のみそです。一人じゃないのです。県の段階でいえば、県会の同意を得る、これが一つのチェックでございます。それから知事それ自身も選挙された知事でありまするから、選挙をした人の目の前でやるので、そう不公平なこともできない。これが第二のチェックでございます。しこうして、かえるのは一年に一人しかかえていけない。附則第八条——こういうことによりまするからして、今回の案では委員会安定性は持てるのじゃないか、こう考えておるのであります。
  54. 湯山勇

    湯山勇君 どうも質問の要点をおつかみ願えないのは残念ですが、私は経過のことを申しておるのではなくて、経過のことは不安定な要素一つとして申し上げただけです。で、おしまいと初めだけ申せば、Aの知事が選んだ委員が、四年間で全部Aの知事の選んだ委員になってしまいます。今度Aの知事選挙で負けたときは、Bの知事の選んだ委員に全部なってしまう。任期の間にですね、全部その知事によって委員が選ばれてしまうと、そうすると敵同士で戦った知事がかわって選んだ委員ですから、その委員傾向もまた違ってしまう。そういうところから、不安定性中立性、そういうものの要素が出てくるんではないかということをお尋ねしておるのですけれども、どうもおわかりになっていただけないようでしたら、次の質問に移ります。おわかりになっていただけないでしょうか、言う意味……。
  55. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この安定、不安定とおっしゃるのは、構成知事のかわるたびごとに、よかれあしかれかわると、こういうことをおっしゃっておると思います。現在の法律では四年ごとの選挙ですから、じゃからしてあとにできました知事の中途でまあ選挙が行われる。そうしますと、知事の所属とは別でありまするけれども、四年にすぽっとかわってくるんです。どっちが勝とうが、負けようが知らぬけれども、四年ごとに全部かわる。もっとも再選される人もありましょうけれども、この方がかわるといったら、よけいかわるのであって、今度の案では附則第八条において一年ごとですから、ずぼりと一ぺんにかわることはないんです。ですから、今度の案の方が安定性——連続性と言ってもいいですね、連続性は保つものだと、こういうことを言っております。議論を言っておるのじゃございませんので、この案の説明をしておるのです。
  56. 湯山勇

    湯山勇君 どうしても大臣はそのところをはずれられないので、私のお尋ねして一おることとお答えとは並行線のようですから、次の質問に移ります。大臣は、この委員任命に当って、政党所属者の数を制限すると、これはやはりある程度の制限だと思います。この制限は、たとえこの制度を認めたとしても、本来そういう制限をすべきものではないと思います、私は……。するならば、いっそ政党所属者でなくする、ここまで徹底すべきじゃないか。それは、政党に所属しているとかしていないとかによって、必ずしもその人の政治活動が拘束されるものではありません。政党所属でなくでも、相当強烈な政治活動をやっておる人もあります。だから極端な場合言えば、政党所属者が、同じ政党が二人以上になると都合悪いから、君と君とは脱党すれば教育委員にしようと、これも違法にはなりません。そこでそういうことをこういう規定によってするのならば、そしてまた、政治活動の制限をするのであれば、むしろ政治活動の制限をするために、そして本人が委員会というものは教育中立でなくちゃならないという自覚を強めるために、全部党籍を離れるということの方が、大臣のお考えに近いんじゃないかと思います。それはこの前の衆議院におきましても、堤議長、原副議長ともに中立立場をとられました。しかし、そうかといって、堤議長が全く母体である改進党の意見を無視するか、そういうものでもなく、原副議長が社会党から離れて副議長になったからといって、これまた社会党の活動を全然しないというものでもありません。問題は、委員がいかに教育考え、いかに教育行政というも  のは政党支配を受けてはならないという自覚を持って事に当るかということでございますから、党籍を持ってはならない、党籍を持った者は、委員になったときに脱党する、そういう形式的な手続を通すことによって政治活動を慎むし、この政治活動制限規定も生きてくる。本人も自戒し、他の人もその目をもって見る、こういうふうに考えていったならば、二人だけ云々というようなことでなくて、むしろ全部党籍を持たない、少くとも教育委員である間は党籍を離れる、こういうことは衆議院の議長、副議長、今日はそうではありませんけれども、そういう例から考えても、必ずしも不適当な措置とは考えないわけですが、そういう点についての御検討はございましたでしょうか、なぜそれよりも、この御提案になった方がよいとお考えになりますか。
  57. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 終戦後のわが国の政治、憲法は変ってきたのです。党籍の有無をもって公務員になる資格を剥奪することはできないようになっておる。民事、刑事の裁判官も党籍を持ってよいのです。おそらくは憲法十四条の観念からきたものと思います。ただ制限し得るのは、積極的の政治運動は裁判官はできません。会計検査院の……、私は初め不思議でしてね、会計検査院長が党籍があったのです。これはいいだろうか、私は旧式ですから、だんだん調べてみたら、会計検査院長も党籍を持ってよいのです。これは政党主義、民主主義というか、戦後の日本では、党籍の所属があるからといって、ある種の公務員になることを禁ずる規則はできないことになっております。私もこの教育委員などは、政党人はならぬ方がよいのだろうと、あなたと同じような考えをしたのでありまするが、戦後のわが国の憲法の規定と一般行政措置からして、政党人は教育委員になるべからずという規則はできないのです。ただしかしながら、積極的の政治運動をすることをやめることは前例がございまして、裁判法にも、それから警察法にもありまして、その最大限度を使うたわけでございます。なるべくは私は政党人をお入れにならぬ方がよいのだろうと思いますけれども、それを禁ずることはできないから、二人まではよいということにして、そうして政党の幹部にはなれぬと、役員にはなれぬと、積極的な運動はできぬと、ここでまあチェックをやっておるので、頭の動き方はあなたと同じでありまするけれども、現実に即してこういう規定ができたのでございます。
  58. 湯山勇

    湯山勇君 私も大臣とその点は意見は一致します。そこで最初申し上げたように、私はこういう政党に入っておる入っていないによって制限することに対しては反対だと、けれどもこの規定では、政党所属者が三人になった場合には、一人はやめなくちゃならない、大臣が今言われたように、政党に所属するという理由によって、この職を離れなければならないわけで、大臣のおっしゃった意味から言えば、これは憲法違反です。また、同じ政党に所属する者が四人になった場合には、二人は議会承認を得てやめなければならない、こういう規定があるわけです。会計検査院でもかまわぬというのを、教育委員に限って、これは全体のワクから言えば別ですけれども、一人一人にとっては、やめさせられる人にとっては、政党に属しておるゆえをもって、教育委員をやめさせられるわけです。そうしてみると、これは明らかに憲法違反で、この問題はきわめて重大でございますので、私は反対だと申し上げたのですが、しかし、そういう制限をあえてなさるのならば、五十歩百歩です。そこで全部党籍を離れるということにしても、不都合ないじゃないかとこう申し上げたわけで、問題は、今のように教育委員の中で、二人以上同一政党に入ったときに何人かはその職を失うという規定は、確かに大臣のおっしゃったように憲法違反です、その人にとっては……。その点について……。
  59. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 憲法という法律は、宣言的の法律でございまして、民法や刑法のようには解釈はできないのであります。新憲法以後のできました法律でやはり裁判法もあの通りできておりまするし、警察法もこれと同じ流儀でやっておるのでありまして、党籍があるからして、幾分そこに差別がつきましょうけれども、絶対に教育委員になれんという場合とは違って、この限度のことは、すでに国会認めた立法慣例にもなっておることでありまするから、これは私はいいと、さように思っておるのであります。
  60. 湯山勇

    湯山勇君 はなはだ前後不ぞろいのことを、御答弁をいただくことは遺憾に存じます。それは大臣は、今私に対しておっしゃったのは、会計検査院長なんかは、政党に所属してはいかんじゃないかと思ってもこれもかまわないと、いろいろ実例をあげて、政党に所属しておる者が、政党に所属しているゆえんをもって、公務員となることを制限するということは、憲法違反だと、だから裁判官だって政党に入っていい、会計検査院長も入っていい、そこで政党に籍を置くこと、そういう前提に立たれて、全部が政党を離れろという規定にはこれは反対だ、こういう御意見をお述べになられた。そこで前提に立つ理由を肯定すれば、それなら二人という数に制限して、三人目の人、四人目の人は政党に所属するゆえんをもって、この委員の職につけない、こういうことになるのではないか。これは大臣が私に対してこの前にお答えになった、その憲法に抵触するということに抵触する、こう申し上げた。ところが今度は憲法というものは民法とか、そのほかの法律のようにきちっとしたものでないから、まあそんなにやかましく言わなくてもいいじゃないか、こういうお話しなので、これでは大臣が党籍を離れる、全部が離れるということに対しての御答弁にもなっていないし、また、憲法違反だからこういうふうに何人かをのけるということの御説明にもなっていない、こういう御答弁では、私はこの問題を引き下るわけには参りませんので、重ねて一つ説明を願いたい。
  61. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 先刻も答弁の前に、あなたのお考えもゆとりのあるお考えとして拝聴いたしまするが、私の答えもまた絶対的なものではない、政治家同士の論議であるのでありまするから、それにゆとりをもってお聞き願いたいということを先刻もお願いいたしました。それも同じことであって、私は教育委員に全部政党人を除外するということが、きちっと日本の憲法に違反しておると言い切ったのではございません。どうも区別するようになるからいけないであろう。現にまた、警察法の公安委員会にもこれと同じようにやっておるのでありまするから、政党人が全部公安委員になれんというのも、どうも都合が悪かろうというお考えであったでありましょう。そこで二人まではいいが、三人以上はいかんとか、そういう人数で、そこでしんしゃくをいたしております。それからまた、政党員になった以上は、行動の自由はある、基本人権だとも言えるけれども、やはり委員になっておる間は、積極的に政治運動はしないということで、これは緩和いたしておるのであります。それゆえにクリアー・カットで、はさみで紙を切ったように、すっとものをうかうか白か黒かと言ってしまわないで、戦後わが国の国体、民主政治政党尊重というようなことからして、この限度でいいと、今までの国会がお認めになったと見えまして、立法の例がある、公安委員の例がある、人事委員の例があるのだから、これに頼ると、こういうことでございますが、こいつがほんとうに憲法論として画一的に議論すれば、またいろいろ議論が出ることでございましょうけれども、私の答えはその程度にお聞きを願いたいのであります。
  62. 湯山勇

    湯山勇君 お答えになられた趣旨はわかりましたけれども、それを私は了解するわけには参りません。それは中立ということが守れるという最大の要素として、大臣は本日はもっぱら政党人を二人と制限したことによって中立を守れるのだという論拠を展開してこられました。従って二人ということは、そういう慣例とか、そういうことじゃなくて、それには教育中立を守っていく最大の要素がかかっておるというような意味の御説明を、重ねてこられたわけです。ところが今おっしゃるのでは、そう紙を断ち切ったようなわけにはいかない。それから先ほどはこの私とその点は同じ考えで、できればそういうふうに五人とも党籍を離れるということにしたいとも考えたけれども、それではどうも憲法の規定等からおもしろくない、そこでこういう措置をとったのだ、こういうお話しなんです。そこで、もし憲法の規定を今のように、まあ弾力性をもって、ゆとりをもって考えるのならば、これは教育中立ということは大事ですから、公安委員がどうであるとか、あるいは人事委員がどうであるとかという、そういうこととまた別個の問題です、教育の問題は。従って教育教育の自主性において考えていって、大臣も五人とも党籍を持たない方がいいと、こういうことなら、そしてまた憲法の規定をそれだけ幅を持って解釈されるのならば、私はたとえこういう規定を作るにしても、そこまで徹底して、やらなければ意味をなさない、こう考えるわけです。それについての御所見があれば伺いますし、おありにならなければ、次へ、移りたいと思います。
  63. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私はこの数の制限が、憲法の規定からきておると言い切っておるのじゃございませんので、新憲法以後出発した日本各種の法制は、おそらくは憲法の趣旨からもきておるのであろうとつけ加えておるのであります。それからしてもう一つは、この数の制限中立を守る唯一の方法とは私は言っておるのじゃないのです。しかしながら、(「大きい要素だと言ったでしょう」と呼ぶ者あり)ええ、マジョリティを、半数以上を一つ政党から取るというよりも、そのうち半数にならない数で制限した方がいい、それが中立を守るゆえんの一つのことだ。もう一つのことは、入ってきた人も積極的の政治運動はこれはしないのだ、こういうこと。もう一つのことは、長自身が独裁しないで、議会同意を得るのだ、こういうふうなこと、それからさらに言えば、抽象的の規定でありまするが、人格高潔で、教育学術文化識見のある者、こういうふうな各種のものを総合して、教育中立性が守れるように苦慮をいたしておるのでございます。これをまるっきり裸の直接選挙でやれ、こういう場合とは……、ほかの民主主義とか何かは別ですよ、中立という観点から言えば、この方がよほどエラブレィトした方法だということは、湯山さんもおそらくはお認め下さることを私は楽しんでおるのであります。
  64. 湯山勇

    湯山勇君 私は残念ながら認めるわけにいかないので、大へん申しわけなく存じます。それは非常に大臣の御答弁は、私も大臣答弁が、石で手を詰めたように、一つ一つきめておるものだとは思いません。けれどもそういうふうに、中立はこれだと言ったとは言わないとか、憲法はこうだとは言わないとか、そういうふうな御答弁をいただいておったならば、これは結局質問にもなりませんし、また御答弁をいただいても、次の質問もできないわけです。やはりそういうところは誠意をもってお答え願わないと、ただのらりくらりとやられるだけであって、質問をする熱意を喪失するおそれが多分にありますから、どうか一つそういうふうにお願いいたしたいと思います。  そこで、その問題に対しての大臣の御所見はわからないままに過ごします。残念ながら、全部が党籍を離れたらどうか、そうして政治活動の規定はこのまま残して離れたらどうかということについて、大臣が持っておられる御見解というものは私にはわかりません。わからないままで移らなければならないのは残念ですけれども。そこで別な問題ですけれども、関連を持っている問題は、今大臣がおっしゃっておられたように、首長責任を持って委員任命する、もちろん議会同意は得ますけれども。ところが、その委員の、つまり首長には大体半数近い政治的には敵があるということが考えられますから、首長委員の選び方が悪いということが理由になって、その首長のリコール運動が行われる、こういうこともあり得ると思うのですが、大臣はどうお考えでしょう。
  65. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りだと思います。首長が非常に惑いことをすれば、リコール運動が起ることは当然であります。
  66. 湯山勇

    湯山勇君 そうすると、五人の委員の中の一人の委員の選び方が非常にへんぱで論功人事になっているというようなところを見て、首長のリコール運動を起す、そのためにその首長はついにリコールされて失脚するという場合もあり得ますね。
  67. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) むろんあると思います。
  68. 湯山勇

    湯山勇君 ところが現在のような制度であれば、一人の委員が悪ければ、リコールはその委員だけにとどまります。そうすると、教育全体にも、市町村政にも、県政にもさして影響を与えないで、悪い委員を排除することも可能でございます。ところが今回の場合は、その委員をそのようにして排除する道もありますけれども、しかし、一人の委員をリコールするというときには、当然それを選んだ人の責任ということも追及されることになりますから、そうなって参りますと、任命制に伴って市町村政あるいは県政がそのために混乱する、無用の摩擦を起す、そういうこともあり得ると大臣は御判断になるでしょうか。
  69. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 非常に珍しいことですが、リコール制を置いた以上は、それが動くことは、これは予想しておかなければならぬと思います。
  70. 湯山勇

    湯山勇君 そういう混乱というものは、現行制度では起らないものがこの制度によって起る、こういうことになりますね。
  71. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) リコールは現行制度でもあるのです。同じことでございます。
  72. 湯山勇

    湯山勇君 そういうことを申し上げているのではなくて、現行制度でももちろんリコールはございます。けれども、現行制度では教育委員のリコールと首長のりコールとは全然無関係でございます。ところがこの法律が成立して、施行された暁には、教育委員のリコールに伴って首長のリコール、こういう事態も起り得ると、こういうことを申し上げているわけでございます。
  73. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 法律のロジックは、それはそうです。しかしながら、首長がある教育委員を選んだ、選んだときはよかったが、あとから頭が狂うて悪うなったという場合には、教育委員だけでよろしいわね。
  74. 湯山勇

    湯山勇君 それはそうです。それは大臣のおっしゃる通りです。この点では見解は一致いたしております。そこで、当初大臣が二本建予算を廃止される理由として、そういう混乱が起るということを重大な理由にされ、混乱が起るのは、すべて二本建という制度があるからだ、こういうお話しでございました。今度この場合は、こういう制度になったためにそういう混乱が起ると、こういうことになりまして、二本建予算のときの御説明と今回の場合とは全く逆な関係になるわけですが、そういうことは一体前の論法からすればいかがなものでしょうか。もし、今回あえてこういう混乱が起ることも法的には認めながら、あえて混乱という理由をもって二木建を削るということであれば、首尾一貫しないと思います。その点を一つ明確にしていただきたいと思います。
  75. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 二本建予算の場合は、事実に基いておるのであります。それからまた、将来に向っての可能性を見ておるのであります。今あなたがおっしゃる委員の一人がリコールを受けて、またリコールが済んでからもう一ぺん首長にリコールが及ぶといったようなことは、現実でなく、法律のロジックだけなんです。その間に相違があろうと思います。もしも二重リコールということが日本に三つも四つも起ってきたということであったら、私は不明を謝さなければなりません。責任を負わなければならぬが、新たな立法もしなければならぬ。あなたの二重リコールのことは、理詰めであなたがおっしゃるだけで、そういうことが現実に私は起ろうとは思っておりませんのです。
  76. 湯山勇

    湯山勇君 また議論になりますけれども、この二木建の方は、現実に即してやったのだと、それからこの法律は、今の私の言ったことは現実に即しない、こういうことでございますけれども、これは実施しなければ、現実に起るか起らないかわからない問題で、実施していない問題を現実に即さないという理由で否定されるということは、これは私としては困ります。  そこで、このことが首長選挙とつながって参ります。最初申し上げましたように、首長選挙というのは、一つのいすを争います。現在の教育委員公選制というのは、四人なり六人を争うわけですから、一対一というような全町村民二つに割る、全県民を二つに割る、こういう激しさは教育委員選挙にはありません。ところが首長選挙にはそういう激しさがあります。そこでそういう激しさは、これは感情として何かちょっとでも失敗があれば、一つ取り上げようというような空気を生むことも、またこれ人情の自然だと思います。そうなって参りますと、理論の上からは起り得るということだけではなくて、実際問題としてそういう運動が起るということも、やはり考えなくちゃならない、こう思うのでお尋ねしておるのですが、そういう点については、やはり大臣はまあ絶対起らないという確信をお持ちでしょうか。
  77. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) リコールの制度を認めておるのですから、やろうと思えばやれるのです。しかしながら、首長教育委員の選任を誤まったと、果してその教育委員が非常に悪かったという牽連でリコールをやるのであったら、あなたのおっしゃるように二重にしないで同時に行うのじゃないかと思うのです、リコールを。それですから、二本建予算のようなふうに、実際にあったものについて政治家が見る場合と、こういう場合には、リコールを一人々々二度でも三度でもやると、あるいはあなたは幸い一人だけの委員の選定をおっしゃったが、三人悪い委員を選定したら三べんリコールができるのです。しかしそういうふうなことじゃなく、実際問題としてはそんなことは万あるまい、こういうふうに私のまあ政治常識で見ておるのです。ところが、二本建の方は、まあ数についてはこの間うち議論がありましたが、ともかくも起って、いるのですね、工合の悪いことが、そこで違うのです。
  78. 湯山勇

    湯山勇君 起った、起らないということは、この場合議論の根底にはならないと思います。府県には幾つかありましたけれども、市町村が非常に少い、ごくまれといっていい状態です。これは現行法の建前からいっても、市町村に起り得る可能性というのはあまりありません。そこで、この場合革、現実に起るか起らないかは、現実にやってみなければわからない問題ですから、で、現在私どもが審議しているのは、やはり法律ですから、法律がそういうふうになれば、そういう場合もあり得るという前提に立たなければ、法律の審議としては、意味をなさないと思いますので、お尋ねしておるわけでございます。
  79. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) リコール制を認めた以上は、論理上そういうことがあることは認めなきゃなりませんが、しかしながら、それが常に起ることとは思っておりません。また、その不便あるがために、教育中立性を護持するための、この機構をやめるというほどの必要もないと、かように思っておるのであります。
  80. 湯山勇

    湯山勇君 それで大臣のお考えはわかりましたけれども、これもなかなか納得できないので因りますが、私はもうちょっと今の問題と関連のある問題で、すこしあとへ返るかもしれませんけれども大臣は今日の都道府県、市町村首長の行なっておる人事で、論功人事とよくいわれておるもの、首長ですね、知事とか市町村長、あるいはその他のものの論功人事という言葉がよく使われております。これは昔からよく使われます。そういう現実を大臣はお認めになっておられますか、そういうものは、言うだけでないのだと、こうお考えになられますか。あるいは、そういうものは相当顕著にあるというように御判断になられますか。
  81. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 論功人事という言葉は、私今初めて聞いたので知りませんが、アメリカで言うスポイル・システムというのでありましょう。山できじを取った人は、たくさん打ち殺した人がたくさん持って帰る、そういうので、向うではスポイル・システム人事といっております。人間界のことでありますから、そういうこともあり得ようと思いますけれども、わが国ではそれが非常な弊害というほどには私はなっていないのではないか、こういう私の政治感覚です。
  82. 湯山勇

    湯山勇君 私は大臣とその点非常に違うわけですが、新聞その他でよく論功人事という字が使ってございます。首長選挙によって選ばれて、選挙には相当それを支持した人と、あまり支持しない人、こういう例があります。そこで県の知事が変ったために、総務部長、民生部長、農林水産部長、それから会計課長、これらが一変に変った、そういう実例も知っておりますし、それから知事が変ると、たとえばAの知事がBの知事に変ると、今度はB人事とか、そういう名前をつけて県の大幅な人事異動をやる。こういう事例は現実の問題として認めなければならないと思うのですが、大臣はそういうことはどうでしょうか、お認めになりませんでしょうか。
  83. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これも先刻の通り、程度の問題とお聞きを願いたいのですが、公務員法によって公務員の地位は戦後ちゃんとされております。昔の二大政党時代ですね、原敬さんや加藤さんの時代の二大政党時代は、知事とか警察関係の者は全部変えたといったようなことがありまするが、戦後に至って公務員法ができて適当の保障がありますが、自分の庁内で、役所の中で熱心な、有能な人は、これは論功的に抜擢することは当然でありまするが、その選挙のために事務長をやった、あるいは選挙委員であったという者を、いきなり何ら資格がないのに、人事だとして持ってくるといったような例は、近年はこれは少くなっているだろう、絶対にないという保証はいたしません、昔と比べては、あなたのおっしゃる論功人事は減っているのじゃあるまいか、こう考えております。
  84. 湯山勇

    湯山勇君 二大政党対立という政党間の感情によるものを申し上げるよりも、これは大臣選挙はずいぶんおやりになったからおわかりでしょうけれども、同じ政党の中でも、選挙を争った者の対立感情というものは、実に激しいものがあるように見受けます。これは人間だから仕方がないと思います。かえって他の政党の人よりも同じ選挙区の中のライバルの方に対する感情的な対立の方が激しい場合、こういう例もございます。そこで大臣は、若干そういうことはあるだろうというお話しでございますが、その若干にもせよ、教育委員の選任に当って、そういうことがなされるとすれば、これはまた非常に重大な問題であって、それでは教育中立は守れない。たとえば特に現在の委員会が四十六都道府県の中の一つでも二つでもそういうことになれば、その結果全体の教育がそういう観点に立って曲げられる、こういうことになって、他の公安委員の一人がそうなったとか、あるいは人事委員の一人がどうだということとは性格が違うと思います。そういう論功人事というようなものは、今度の任命制によって新らたに考えなければならない問題だというように考えますが、そういう点については大臣は全然御心配はない、こういうお考えでしょうか。
  85. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようなことはあるべきものじゃございませんで、ほかの場合でも、私は近年あなたのおっしゃる論功人事なるものは、激しくなっているとは思いません。しかしながら今回の教育委員会中立を要するということは世間の常識になっておりまするし、これには人格が高潔で、教育学術文化識見ある者といったことを、法律の明文にまでいたしておるのでありまするから、知事または町村長自分選挙のときに働いたから、それを唯一の基準にして教育委員会委員を選任するなんということはあるべきものじゃありません。かりにそんなことをすれば、非常に国内から指弾を受けて、それこそあなたのおっしゃる直ちにリコールでも起るということになるので、そういうことはないと私は思います。
  86. 湯山勇

    湯山勇君 官房副長官もみえましたから、私は公選の問題を一応このあたりで終りたいと思いますが、やはり論功人事というものは存在することは事実でございます。これは一つ大臣もよく実情について御調査願いたい。それから今おっしゃいましたうち、もう今日では教育委員会中立を守らなくちゃならないということは、世間の常識になっているということをおっしゃいましたが、私が先ほどから申し上げているのはそれであって、公選制にしたからといって、一党独占にはならない。これは大臣と同じように、今日世間の常識がそれを許しません。こういうふうに考えて参りますと、大臣のお考えになっているこの任命制というものの根底には、同じ任命制であっても、知事の単独の考えでもって任命する、議会同意はあとですから、その問題も非常に危険な要素を持っているし、それから政党所属を二人にするということにも非常に不安定な、さらにまた不明確な要素を持っており、不徹底である、こういった点、これらを要するに世間の常識によって防いでいこう、こういうことであれば、もっと世間の常識に信頼して公選制を続けてもいいのじゃないか、こういう論拠が生まれて参ると思うのですけれども、一応私はこの公選に関連した質問は、これで終ることにいたします。
  87. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は質問を続ける前に、他の件について一、二伺いたいと思います。実は私本日四谷の外壕公園で教育関係の、現在国会にかかっておりまするこれもその一つでありますが、国民の世論を大きく巻き起しているこれらの法案についての全国民の中央集会があると御案内状をいただいておりましたので、ちょっとお父さん、お母さん方はどういう状況にあるのか視察に行って参りました。こっそり行って見て参りました。私はああいう会合には、政府側にしろ自民党、緑風会にしろ、社会党にしろ、おそらく案内状が正式に来ていることと思います。他の政党会派についてはここではお伺いいたしません。ただ政府側に伺いたい点は、これらの法案は誤解に基くものであるということを、よく大臣は本委員会答弁されておるわけですが、ああいう国民集会に積極的に出て行かれて、そうして法案の解明をし、誤解しているのかどうか、それらについて努力されるというような、そういうお考えはないのかどうか。本日のこの法案に対する批判と、それから提案者である政府に反省を促すその声というものは、全く天をつくものがあり、集まっておる国民大衆は実に約七万を算しておりました。従って私は非常に今感激しておるわけでありますが、その立場において質問に入る前にその点文部大臣に御所見を承わりたいと思います。
  88. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお言葉のうちで、この法案は誤解に基くということをおっしゃったが、この法案に対する反対の声の一部分は誤解に基くものもあるということでございまするから、さように御了解を願っておきたいと思います。で、私は今国会においてこの通りの御審議を受けておるので、私の任務としては、あなた方の集会でこの案を説明して御審議を願うということを第一の使命といたしております。この委員会を欠席にして外壕公園へ行って誤解を解こうということも、適当な方法じゃないと思っております。私の時間があいておる時間で、国会なり、文部省の第一の任務に差しつかえない時間で、私の言うことを聞いて下さるならば、労はちっとも惜しむものじゃありません。それだけ申し上げておきます。
  89. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私があなたに質問する時間に欠席して出かけて云々ということを伺っているわけじゃない、そういう努力をする考えはないか、あなたが出かけることができなければ、あるいな政務次官を代行させるという手もありましょうし、あるいは他に代行させる私は方法もあると思う。私の伺いたい点は、私はあれだけの人がすべて法案を誤解して反対しているものとはどうしても思えません。ああいう国民大衆に、政府は私は身近に接触するという心がけというものが、私は新しい時代政治家並びに行政官には必要である、そういう点について若干私はこの御努力が足りないのじゃないか、これはかって議論尽されたことですが、中央教育議会に提案するに先だって御諮問なさらなかったという考え方にも、通ずるわけでありまして、その基本的な私は心がけというものを承わっておきたいと思います。のっぴきならぬ用件があるときに、それをうっちゃっておいていいというわけじゃなくして、その基本的な心がけを承わっているわけで、もう一ぺんお答え願いたいと思います。
  90. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のわが国の制度では、国会の審議を公開いたしております。私の一番の任務は、この公開さるる会場で政府考えておることを正確に申し上げて、あまり熱情に走らず、冷静、正確に、ここでもって皆様と質問に対し応答をするという方法が、これが第一の国民に法案の内容を周知せしめる方法と思っております。これを私は第一の任務と思っております。この任務を遂行して、なお時間の余裕もあり、向うの方も聞いて下さる心持ちを持っておらるるならば、労は一つもいといません。喜んでどこへでも行きます。
  91. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 もう一点伺わさしていただきます。それは兵庫県の方々は、わが郷土から選出した清瀬代議士が国務大臣文部大臣になられたと非常に喜んで誇りにされていると思うのですが、ちょうど私こっそり横から大会を見ておりましたところが、兵庫県の全教育関係団体の名において、清瀬文部大臣の退陣を要求する決議をなしたということをあの大会で発表、朗読をされておりました。こういうことがあなたの郷里の有権者諸君においてなされているということを、大臣は御承知になっておられるかどうか、また、御承知になっておられるとすれば、いかなる御心境のもとに今あられるか、それを一つ参考に承わっておきたいと思います。
  92. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そのことを過日荒木さんの御紹介で、兵庫県の有権者を交えた人が参りまして、荒木さん立ち会いの上で私面会しました。清瀬文部大臣の退陣を求めているその中に、清瀬二郎といって私のうちの分家の者がおるのです。大義親を滅するというのでやってくれたのかと思って、そこでは言葉を交えませなんだ。晩にうちへ帰りましたら、私のうちへ来ているのです二郎が。そうしてみやげ物をくれまして、今晩は泊めてくれと言うので泊めました。しかし君、おれに  ついて退陣の決議をしたがどうなんだ、いやそれは知りませんので、ほんとうを申しましたら、教育二法案なんというものは知らないのです。読んだこともないんだけれども、PTAの方で旅費を持つから東京へ行けとおっしゃったというので東京へ来ました。ちっともかけ引きないところです。そういう退陣決議もあるのです。しかしながら私ははなはだ不敏なものでありまするから、私のことをやはり思うて、日本教育に害ありとして退陣を求めた人も多々あろうと思います。忠言耳に逆らうで、良薬は口に苦しで、何と申しましても私は決して腹も立てず、気を悪くせずに皆さんの質問を聞いていると同じ心境で、それらの人の忠告は私聞いております。私の一身上について政治上の手腕について及ばざることは多々感じておるのであります。しかし、この案はこれは一番いいと思うのです。
  93. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 こういうことで時間をつぶしては何ですから、質問に入りますが、ただ大臣、あなたは一郎ですが、あなたの御親戚になられるとか、二郎さんという人が旅費をもらったので云々とかいうことですね、そういうふうに甘く見られてはならぬと思うのです……。
  94. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 言うたのですよ。
  95. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その人はどうか知らない、二郎さんだけは、あなたの御親戚の人はそうかもしれぬが、ともかく全県下四カ所に決議して、わが郷土から出した大臣の退陣要求決議をこの東京のどまん中でやる以上は、それは相当に私は問題点があるのじゃないかと思いますが、大臣は御承知の上なら、本論に入るために、この程度にしておきますが、決して私は今大臣がお答えになりました二郎さんみたいな人ばかりじゃないと思いますので、これははっきりと申し上げておきたいと思います。  本日私お伺いいたしたい点は、この前私は文部大臣に、教育制度は朝令暮改であってはならない。それをあえて、早急にこの全国民的な世論を喚起して今こういう画期的な法案を出す以上は、のっぴきならぬ根拠、理由があったであろう。どんなものですかとお伺いしましたところが五つをあけられました。その第二番目が直接選挙では政治中立性が保てない。これが第二の理由でございました。ここを今質疑をいたしておるわけでございます。で、本日はこの問題を社会教育立場から伺って参りたいと思うのでございます。その前に、先ほどちょうど私関連質問が取れませんでしたが、私ちょっと中座した間に、一応の結論らしいものが討議の段階に出たのかと思いますけれども、荒木委員教育と自主性という問題について質疑をいたしました。この自主性の問題は、私がこれからお伺いします社会教育の面においてもきわめて重要な問題で、私の質疑段階に触れるつもりでございましたが、ちょうど先刻荒木委員からそれが出、さらに安部委員から関連質問がなされておりましたので、大臣のさっきの答弁に基いてお伺いいたしまするから簡明に御答弁いただきたいと思います。それは先ほど荒木委員がですね、公選されたところの委員によって構成する教育委員会と、本法案による任命制によって構成された教育委員会の自主性という立場においては相違が出てくるのではないか、こういう質問に対して、あなたは教育委員会に権限が同じように附与されている以上、同じことだと、かように答弁されたと思いますが、さようでございますか。
  96. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りでございます。
  97. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それでは伺いますが、この答弁は私は非常に矛盾していると思うのです。裏から伺いますがね、この法律案を出した一つ理由は、現行教育委員会法における教育委員会教育という立場に立った自主性が強過ぎる。それを他の言葉で言うならば、地方行政の調和がとれない。そういう立場からその強過ぎる自主性を緩和する。それを言いかえれば地方行政の調和、円滑化をはかる、こういう立場において立案されたのが、私は一つの大きな理由、根拠になっていると思う。さような答弁はこの第一の一般行政との調和を保つというところで答弁されているわけなんですが、そのこととただいまの答弁とは私は矛盾すると思うのですが、どういうふうにお考えになりますか。
  98. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育行政の自主というのは、不当な勢力に教育行政に当る者が屈しないで、教育の正しき目的に向って進むということであります。しこうして、かくのごとき自主の見地を正しく守る以上は、やはりもとの、今の法律でも調和は保てるはずのものでございます。ところが実際面におきましては二本建予算と、あるいは独立の条例発案権といったようなことで、不幸にして十分に調和がいけないのでありまするから、その面において調和を保つための規定は作りましたけれども教育の自主性、不当な外力に屈すべからずといったようなこの第二の命題は、少しも後退するものじゃございませんので、教育委員会は法に従った自分の権限を、独立の力でやっていくのであります。それからまた、町村長の罷免は心神耗弱その他の場合を除いては、これは罷免などはできぬことになっております。すなわち自主性は十分に維持されることになっておるのです。調和性を保つという他の命題があるがために自主性がなくなる、または損傷するということはございません。
  99. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 教育は不当な力に支配されないで、   〔委員長退席、理事吉田萬次君着席〕 正しき目的に向って進むために、自主性というものが必要で云々と言われていますが、その自主性の中には、教育は正しき目的に向って進んで行くためには、これは予算というものも伴うわけです。よく今まで本委員会において二本建予算、条例案が出たのが云々ということを答弁されて、われわれの要求に基いてここに資料が出ておりますが、県側も、教育委員側も、その地方公共団体における教育の正しき成長を念願しているわけですね。で、予算案、条例案の二本建が出るということは、教育委員会が自主性をはっきりと持っているから、予算案、条例案の二本建が出てくるのでしょう。自主性を持っていなかったら、こんなものは私は出てこないと思う、どうですか。
  100. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現行法のもとにおいては、やはり現行法がある限りは、二本建予算は自主性を確保する  一つの手段となろうかと思います。しかしながら、教育行政の調和ということを考えまして、それをやめまして、あらかじめ意見を聞いて一本の予算を出すことにいたしました。
  101. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 さらにそれではわかりやすく平俗に承わりましょう。この教育委員会がですね、知事に対して隷属している、この言葉が悪ければ、知事議会側にはいはいと言うて非常に頭が上らない、世の中で言う平らな言葉で言えば。そういう状況下にかりにあったとした場合にです。法で条例案、予算案の二本建制が認められておるにいたしましても、二本建の予算案、条例案が出ると考えられますか考えられませんか。そういう場合には出てこないでしょう。
  102. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この予算では、教育予算は提案以前に知事の方から教育委員会意見を聞くことになっておるのです。
  103. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 いや、そこを言っているのじゃないよ。
  104. 吉田萬次

    理事吉田萬次君) 矢嶋さんちょっと。ただいま副長官は内閣委員会に御出席中席をはずして来られたそうでございまするから、副長官に対する御質疑がありましたら、してもらうようにしたいと思いますが、矢嶋さんどうですか。
  105. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 副長官にも質問がありますけれども、やっぱり質問というものは順序がありますからね。ぽかっと副長官に伺うわけにはいかないのです。で、のっぴきならぬ用があったら、ちょっとそれを済ましていただいてそのあとで来られてもけっこうだと思うのですがね。大臣がああいう答弁をしていると、この問題はだいぶ時間がかかりますよ。まあ答弁次第では簡単に済ますつもりだったのですが、これはちょっとかかりますよ。究明せざるを得ませんから。よろしゅうございますか。
  106. 吉田萬次

    理事吉田萬次君) よろしいです。
  107. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣、私ですね、新法で予算案出す前に、教育委員会理事者側が相談するとか何とかということを伺っているのじゃないのですよ。重点は、まあ質問のポイントは自主性にあるわけなんですね。かりに教育委員会の諸君がね、世の中で——平つたい言葉で言いますよ、知事議会に頭が上らないような教育委員さんが教育委員会構成している場合に、現行法ですよ、そういう場合に、予算について県側と委員会側が意見が対立している場合に、二本建予算とか、二本建条例というものは、そういうような教育委員会議会関係にあるときには、いわば隷属関係、いわば自主性喪失、そういう状況下においては、二本建予算案とか、二本建条例案というものは、そんなものは出てこないですね。出てきませんね、こういう場合は常識上。落し穴は何にもないのですよ、先は。簡単なことを伺っているのですよ。
  108. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現在の法律では出てくるんです。出てきておるじゃありませんか。この案では出てこないのです。現在の法律では出てくるのです。出てきている例もあるのです。
  109. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣、何にもあとに続きはありゃしないのですから、はっきりしたことを聞いているのですよ。それは、教育委員会に自主性があるからこそ、二本建の条例とか、あるいは予算が出てくるわけでしょう。知事側とか議会側に隷属関係にあって自主性がない、何でも、はいはい、ああそうですがと、こういうような立場教育委員会であったらば、自主性がないそういう教育委員会であったらば、二本建の予算案とか条例案が出てくるわけはないのです。教育委員会が現行法における自主性というものをしっかり握っておればこそ、伝家の宝刀である二本建、原案送付権というものを発動して、この条例案あるいは予算案というものが二本建で出てきているのでしょう。そうでしょう。
  110. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうすると、あなたのお問いは、現在の法律でもなく、また私どもの出した案でもないので……。
  111. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 現在の法律で言っているのですよ。
  112. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 隷属的教育委員会がある場合には、二本建予算は出てこないかと、こういうことですか。
  113. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そうじゃない、現行法です。
  114. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現行法なら出てくるのです。
  115. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 だからそれが自主性でしょう、自主性があるから出てくるでしょう。
  116. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 現行法では出てくるのです。現行法は自主性があるのです。だから自主性のない隷属的の教育委員会であったらば、二本建予算は出ないかというお問いなら了解できるのです。現在の法律で、自主性のある現在の法律のもとに二本建予算が出ないかというと、それは出ますと答えるより仕方がない。私が無理な答えをしておりましょうか。
  117. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 悪いことはない。国民の人に聞いてごらんなさい。私の言うことはみんなわかりますよ。(「わかりませんな」と呼ぶ者あり)わかる……。(「よくわからないよ」と呼ぶ者あり)それじゃ質問を続けます。わかるように言いましょう。わからないのはあなた方だけですよ。こういうことに時間がかかったら、審議が進まんと思うのですがね、大臣はっきりお答え下さい。現行法でですよ、二本建の予算案とか条例案が出てくるということは、現行法における教育委員会ががっちりとした自主性を持っているから、出てくるわけなんでしょう。
  118. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようです。
  119. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そこで、こういう二本建の予算案、条例案があなたの資料によってかつて道府県で十六出た、こういうのがたくさん出てくれば、地方行政の調和を乱すから、これがあまり出てこれないように今度の改正をするわけですね。
  120. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今回の改正は、二本建予算はやめましたけれども委員会の自主性を少くするという意味はちっとも含んでおりません。
  121. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 いや、私の伺っていることは、これはこんなに二本建で出てくるのは好ましくないから、出てこれないような改正をしたわけでしょう。
  122. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この案で出てこないというよりも、二本建予算をやめたんであります。出てくる、こないの問題は、新法じゃありません。
  123. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 出てくることは好ましいのですか、好ましくないのですか。どう考えているのですか。好ましいのなら、今までのでいったらいいじゃないですか。好ましくなくと考えるから、それが出てこれないように改正したわけでしょう。
  124. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りです。
  125. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 だから私は二つの方面から今追求しているのですが、一方側をやっているのです。ということは、結論的に言えば教育委員会が今まで自主性があったから、これは知事側の言うのは無理だ、これでは教育が守れないというような場合には、その自主性を発揮して、予算案、条例案二本建で出したわけです。ところがあなた方の考え方から言うと、それは好ましくない。だからこの二本建の予算案とか条例案というものは出せないように、ということは、その立場からすれば、教育委員会というものは予算の編成に関するあるいは条例の制定に関する限りは、従来の教育委員会よりは、自主性が薄くなってきているのですね、他の一般行政との関連において。そういうことが出てくるでしょう。
  126. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それを自主性とあなたが自分で定義しておっしゃればそれは少くなっているのです。二本建予算はこれは自主性なりと、二本建予算をやめれば自主性にあらず、あなたの定義に従えばそうですけれども、私の方の定義では、自主性は教育行政が不当な外界の支配に屈しないのだ、こういうことなんです。それで私は知事町村長が、いつも不当なものとは考えておりません。不当な行政に服することなく教育中立を守ろう、こういうふうに私は考えているのです。あなたと私と用語の定義が違うものだからよく合わぬのです。あなたは二本建予算は自主性なり、二本建予算をやめたら自主性がなくなると、そういう論理です。しかしながら、私は二本建予算がそれ自身自主性全部ではないと思っているのです。教育行政を不当な支配から免れしめるということ全体が、自主性と思っております。
  127. 秋山長造

    ○秋山長造君 今文部大臣のおっしゃっていることはこれは全く抽象的な理屈のための理屈であって、これは具体的に地方行政において教育委員会中立性という、この自主性ということが問題になることは、文部省自身が教育委員会法についての解説書なんかを書いておられるのをごらんになっても、はっきり書いてあるのですよ。その教育委員会の自主性、自主性というのは抽象的な概念です。そこでその内容としてもういかなる場合にも、まず第一にあげられているのはこの予算の送付権、この予算の送付権というものが、もうこれはいの一番の教育委員会の自主性の具体的な内容としてあげられているのです。その他にあるいは条例の原案送付権というものもあるでしょう。それからさらにその他教育財産を取得し、処分するとか、契約を結ぶとか、そういうこともあります。あるいはまた、人事権というようなこともありますけれども、しかし教育委員会法ができる前の制度から教育委員会法ができた後の制度になった場合、一番変っている点が、やり教育委員会の自主性としても一番浮ぼりにされているのですよ。その内容はやはり一方においては公選制という、他面においてはこの教育委員会の予算送付権、こういうことがこれは一番大きい内容なんです。そういう一番大きい、いの一番にあげられていた内容が全部なくなったのですから、それは文部大臣が何とおっしゃっても、教育委員会の自主性というものは相当せばめられたということは、これはお認めになってしかるべきだと思うし、その方がよほどすなおだと思うのですが、いかがですか。
  128. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私の見解は、二本建予算即自主性とは考えておらないのです。教育行政を一体として考えて、不当なる力の介入を防ぐということがあるならば、それで自主性は足りるとこういうふうに思っております。
  129. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣答弁の態度について、大臣は弁護士の関係かどうかしらんですが、わかっておって故意に質問を違う角度から見て、つぼをはずした答弁をされる、こういう答弁態度であったら、この法案は幾らたったって審議終りませんよ。湯山理事に伺うと、私が中座している間に、湯山理事との間にもそういう問題について論議されたそうですが、裁判所だったら、そういう論議は通るかもしれませんが、ここにおいてこの法案を審議するに当って、今まであなたはずいぶんそういう態度で答弁されたのですが、答弁の態度を改めていただくことを強く要請しておきます。それを変えられないというと、この法案の審議が進みませんよ。(「質問も変えてもらわにゃ」「要らぬことを言うな」「黙っておれ」と呼ぶ者あり)今発言の許可を受けているのは私だけです。大臣、この点私は答弁を求めませんが、聞いていただきたいと思うのです。でないと質問が進まないですよ。今この地方行政でやはり秋山委員が言われたことだって非常に明白じゃないか。他の角度から承わりますよ。さっき荒木委員は関連質問だから途中で切られたわけなんですが、私はそれを聞き流したままで、社会教育のことを伺うことができない。何ゆえ私は社会教育のことを伺うかというと、これはやはり任命制教育委員によってこの地方教育行政が行われる、そのもとにおける社会教育というものの将来が懸念されまするので、現在の社会教育の現状把握と、将来に対するこの法案との関係を承わろうとするわけなんです。そういう意味においてもう私の質問の本論に入ったようなものですが、これは関連があるから伺っているのです。やさしく伺いましょう。実際教育委員を今度任命する場合には知事は、この中に知事をやられた方もおられるわけですが、知事はこの議会自分の与党あるいは他の党に、だれを教育委員にしようかなと相談するでしょう。だれも相談せずにぽかっと議会に提案するようなそんな知事なんかおらぬですよ。これはだれが考えてもわかる、相談するでしょう。議会はそれはいかぬ、まあここらあたりならいいだろうという話がまとまって、そして議会に対して手続をとって、この承認をされるという形をとるわけですね。そういうふうにして任命された教育委員知事あるいは議会との関係と、知事とか議会とは全く無関係住民の一人々々が投票で選ばれた教育委員知事議会との関係を想像して下さい。考えて下さい。一体いずれが委員会として自主性を保てるのか、あるいは教育の方針についてあるいはその裏づけになる教育予算について、その教育委員会は対県の理事者、対議会という立場においていずれの場合が自主性が保てるか、これは小学校の一年生でもわかることですよ。それを同じだなんという答弁をして通ろうなんて、大臣はわれわれをいいかげん馬鹿にしていると思うのですよ。小学校の一年生でもわかる理論ですよ。それをあなたはそういうふうに教育委員会が強くては、私はそういう言葉をのめませんが、地方行政の調和という立場から工合が悪いから、教育委員会の自主性をちょっとやわらげて、そうして知事とあるいは議会と調和がとれるようにするために、この改正案を出したというのならば、その事のよしあしは別として提案理由からその答弁はよくわかるけれども、同じことなんというのは絶対耳に入らぬですよ。しかも現行の教育委員会より今度の教育委員会というものは、権限は弱くなっておる、権限は法的に弱くなり、その上知事議会承認を得なければ教育委員になれないという形になった場合、住民の一人一人が投票した場合と、その自主性が違うことは明々白々じゃないですか。それを一つも変らぬというような答弁をして通ろうというふうな態度は、ずうずうしいですよ。
  130. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 明々白々じゃないかとおっしゃいますが、疑義があればこそ、あなた御質問になっておるのです。それゆえに私は答えておるのであります。任命知事なり町村長なりの方からされましても、教育委員会は独自の権限を持っております。心身不適当の場合のほかは罷免はされません。この保護を持っております。独自の執行権を持っておる以上は、これは自主権があるのです。他人と調和して仲よくするということは、自主権を損壊するものではありません。他の方において調和ということを考える調和的人間は、自主権のない人間でありましょうか。調和、協調ということはとるけれども、最後の職務というものは独立の職務を持っておって、ほかの人は侵すことができない、免職もできない、これかある母上は、自主権があるのです。ほかの方と調和の道を開くということは、自主を損壊するものではありませんです。かようなことでございます。
  131. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 はっきりしていませんよ。あなたがそこまで言うなら私はさらに申しましょう。今の内閣国会の中のどなたか首班として指名を受けた人が内閣を組閣される、そうして閣員については任命権と罷免権を持っております。鳩山さんもそうなんです。だから鳩山さんは国会で指名されると総理大臣になられます。そうしてだれを文部大臣にしようか、だれを外務大臣にしようか、こういうことに自分で選択権を持ちます。そうしてあの文部大臣はけしからぬということになれば罷免権を持っておる、そうなっておる。そういう組織下における文部大臣、外務大臣あるいは通産大臣、そういう文部大臣と、国民から一票々々によって公選される、鳩山さんから任命されるのじゃない、鳩山さんが罷免権を持っておるのじゃない、すべては国民が一票々々を行使して選ぶ大臣、それからそれらの行動が気に食わぬ場合には、国民の一票々々によってこれをリコールする、そういう立場に置かれた場合の国務大臣の鳩山さんに対する態度というものは、はっきり違うのですよ。言いたくないけれども言いますよ。鳩山さんがそういう権限を持っておるから、内閣改造をするとか何とかいうことがあるときには、鳩山御殿への行き来が激しくなるのです。閣内においても自分の信念に基いたことが言えない、あなたがそうだと言っておるのじゃないですよ、そういうことはいかなる内閣においてもあるのです。こういう話のわからない人は、同僚議員には一人もおらないと思う。これと何ら違わんじゃないですか、何ら違わんでしょう、どうですか。
  132. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 例というものは一部適切でよく了解できますが、ほかの方においてはやはり食い違いを生ずるのです。地方公共団体の長と長が選んだ委員会との関係と、総理大臣と閣僚との間の関係は大へん相違しております。総理大臣は何ら理由がなくても私どもを罷免ができるのです。地方公共団体の長は、理由なくしては罷免をすることはできません。また理由があっても、議会同意が要るのであります。しかしながら、それはこの問題とは少し離れたことで、教育委員会の本質は当りまえの平生の地方公共団体の行政とは独立して、地方の長からまたは地方の議会から関与を受けず、新法で言えば第二十三条、また、そのほかにも法律で委託した仕事がありますが、これを独自でやれるということがこれが自主性でございます。この自主性は同じことなんです、現行法も改正案も……。ただしかし、ほかの方面と、上と下との調和の規則ができております。すなわち地方の長と横には調和を保つ。また上というとおかしいんでありまするが、県の教育委員会町村教育委員会とは、今は連絡を断っておりまするが、今度はできておるんです。調和連絡の規則はできております。調和連絡は違う命題なんです。調和連絡は違う面で調和協調をするということからして、自主独立の精神が省けるということはこれはないんです。今の教育の法規にも自主的精神をもって調和ある行動をするようにちゃんと書いてある。自主と調和は私は決して矛盾するものじゃないと、かように思っておるんであります。
  133. 秋山長造

    ○秋山長造君 ちょっと関連して。今の御答弁についてお伺いしますがね、なるほど文部大臣は現在の制度では、長と教育委員との間に調和がとりにくいから、そこで今度は調和をとるような方法を講じたと、こういうわけですね。
  134. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) はあ。
  135. 秋山長造

    ○秋山長造君 そこでお尋ねしますが、その今度文部大臣が講じられた調和の方法というのは、長と教育委員会との関係において、一体長の方の権限を狭める形において調和をとられたんですか、それとも教育委員会の方の権限を狭める形において調和をとられたんですか、その点をお伺いしたい。
  136. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは幾分長の方の権限がふえております。それは率直に認めます。
  137. 秋山長造

    ○秋山長造君 その点から私は出発すると思うんで、文部大臣は珍しくすなおに長の方の権限を強める、教育委員会の権限を弱めるという形において調和をとる、こうおっしゃる。しかしその狭める、強めるというのは、ほんのちょっぴりというのでおっしゃっているんですけれども、これはほんのちょっぴりどころじゃないんで、一々例はあげなくっても、十分御承知通りですが、これは相当教育委員会の権限を狭め、そして長の権限を大いに強めた形において調和をはかっておられるということはこれは明らかです。この選任方法にいたしましても、また委員会構成する委員の数からいたしましても、また、教育長の任命方法からいたしましても、また財政権の問題からいたしましても、これは非常に教育委員会の権限を狭める形において調和が保たれておるということは明らかであります。その点はお認めになると思う。そこでただいま矢嶋委員がお尋ねした自主性の問題ですが、この自主性ということは、文部大臣がおっしゃるようにですね、宙に浮いたこれは抽象的な概念じゃない。やはり地方の行政の具体的な問題について自主性ということは考えられなければ意味はないと思うんですが、その場合の自主性といえばやはり率直に言えばですね、これはその自主性の裏づけをしておるところの教育委員会の独自の権限ということだと思うんです。つまり今日までの教育委員会はですね、人事権はもとよりですが、この一番教育行政をやっていく場合の大前提になるところの予算の送付権なり、あるいは条例の発案権というようなものを、教育委員会が独自の権限として持っておる。これが教育委員会のいわゆる自主性なるもののこれは実質的な内容だと思います。ところがよってもって教育委員会が立っているところの自主性のその最大の内容たる予算の送付権や、条例の発案権というようなものが、ごっそり長の側に移っている。だからこれは何といいましても、これはもう自主性が失われたということを、これはもう言わざるを得ないのです。先ほど矢嶋さんの御意見に対して文部大臣は、いや、それはその点はなくなったけれども、しかしそのほかにもですね。この新法の二十三条を見てもらえば、たくさん独自の権限が並べてあるということをおっしゃっておったのですけれども、しかしですね。これは二十三条に並べてあるものは、これは別に新しくつけ加えられたものは何もない。問題はやはりこの財政権だと思います。この財政上の権限が、もうごっそり長の方へ移されている。だから二十三条に列挙されているような権限を持っているというその限度においては、なるほど文部大臣がおっしゃるような自主性と言えるものがあるかもしれぬけれども、しかし、それは今日までの教育委員会が持っておった財政権その他を含むところの自主性とは似ても似つかないほど、非常に狭められた自主性なんです。むしろ自主性と言えるかどうかわからない程度の、きわめてこれは薄弱な自主性だと思う。第一今度は何でしょう。教育委員会はあてがわれた予算を自分で使うことすら、自分の権限ではできないんでしょう。収入及び支出の命令ということは、これはもう命令権というのは、教育委員会にはないんですからね。あてがわれた金の払いをしたり、あるいは予算できめられた収入をはかるんですら、教育委員会自身でできない。一々これは長の命令を受けなければできない。こんな自主性というものは、これは天下にない。親から金をもらってですよ。月謝をもらって、そうしてもらった月謝の中から本を買う、あるいは電車に乗る、それを一々自分でやれないんです。今度の教育委員会は、一々それを全部親の指図を受けなければ、その金が使えないんです。こんな自主性はないですよ。自主性と言えない程度の自主性だと思う。その点はいかがにお考えになりますか。
  138. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたの今のお言葉のうちで、初めに自主性は失われたとおっしゃいました。こんな自主性はないとおっしゃる、私はそうは考えないんです。自主性のおもなところは、一般の行政とは別に教育委員会の行政があって、この行政には長の方の支配を受けない、こういう建前が自主性とおっしゃるものと考えているのであります。この全体の建前は少しもくずしておりませんです。今度の新しい教育委員会も、一般町村と独立した教育行政の機関でありまして、しかも執行機関でありまして、この執行については長の指図は受けません。教育委員会の自主性はここにあるのであります。なるほど教育予算は一般予算と一本になっております。一本になるについてもまたです、予算のうちに教育関係あるものがあったならば必ず意見を徴する、こういうことなんです。昔は意見がまとまらなかった時分には、別に出すぞといったようなことがありましたが、これは町村と一般行政と調和を保つゆえんではない、そしてそれは削ってあります。そのことを自主性喪失とおっしゃるのは、私はちっと言葉が過ぎると思うんです。自主性の本体はそのままであって、一般行政との間に調和をはかるための機構を考えた、こう説明しても誤りじゃないと思っているんです。片一方なくなったから、自主性は全部失われたなんというようなことは、それは私は正当なこの案の説明とは思いませんです。
  139. 秋山長造

    ○秋山長造君 私はどうも清瀬理論はよくわからぬというのは、これはいわゆる、失礼ですけれども、へ理屈だと思う。これは全くのへ理屈ですよ。法廷技術においてのみ私は通用するテクニックだと思う。これは私さっき具体的に例をあげて申し上げたのですがね。教育委員会へあてがわれた予算をですね。そのときそのときの必要によって使うことすら、教育委員会自身にはその権限が与えられてないのですよ、今度の法律案では。それはあまりひどいじゃないか。そこまでやって、なおかつ教育委員会の自主性は寸分もそこなわれておらないとおっしゃるのは、私は理論家清瀬さんの抽象的な理論ならば、あるいはそういうこともあるかもしらんけれども、実際家の清瀬文部大臣の御答弁としては、私はまことにこれは取ってつけたへ理屈、理屈のための理屈にすぎないというように思うのです。それからかりに百歩譲って大臣のおっしゃるように、とにかく広い狭いは別として、独自の権限がある以上は、自主性が絶対ないとは言えないのだとこうおっしゃる。百歩譲ってそれは一応その点はそうかもしらん、こうしておきましょう。しかしそれにしても今日までの制度、この教育委員会が持っておった自主性の幅と、新しい法律において教育委員会が持っておる自主性の幅というものは、非常に差があるということはお認めになりませんか、その点はいかがです。
  140. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これはだいぶん言葉の争いになりかけていると思います。自主性というものは、私一つのものじゃと思っております。自主性で一つのものじゃと思っております。ここに自主性、ほかのことを言うのでも、その本質、本体と、それにくっついている属性ということがあるのであります。しこうして教育における自主性、教育委員会の自主性というのは教育行政を、よろしいか……、教育行政を町村長の支配の外に置く、これがその自主性の本体です。本体は失われているのじゃございません。そこで、もしもあなた方のおっしゃる通り二本建予算を、予算権を持つことがこの自主性の中に含むと言えば、そのことは変っておりますけれども、私は二本建予算だけがこれが教育の自主性の本体とは見ておらんです。教育委員会の自主性の一本体は教育行政、わけても学校の管理、教員の服務、これらをすることが町村長と分ってやるのだ、これがアメリカの考えた、珍しいすぐれた教育委員会のアイデアです。よろしいか、それがです、予算をきめる時分に、だれが判を押すくらいなことは、本体とはあまり関係のないことなんです。よろしいか、教育委員会が自主性ありという本体は、町村長の支配を離れて別の観念で学校の管理をする、教育財産を管理する、教科内容についてみる、認定をする、教員の執務状態をつかさどる、いわゆるレーマン・コントロールをやる、これが自主性の本体であります。本体はちっとも失われておりません。しかしながら、定義の仕方で二重予算をやることもそのうちだとおっしゃれば、それはなくなっておることは御質問に及びません、この法案に書いてあるのです。しかし、それがなくなったからといって、新しい教育委員会は自主性を失ったものだということにはならないのです。このところをよく御了解願いたいと思います。
  141. 秋山長造

    ○秋山長造君 それは二重予算をやることが自主性の内容だとすればというような、まあ文部大臣としては二重予算をやるというような、予算送付権というようなものは自主性と別なものだというようなお答えなんですけれども、これはもうあまりにもむちゃくちゃな議論ですよ、実際。これはもうこの教育委員会法ができたときの国会の速記録を見ましても、政府答弁を見ましても、あるいはまた、その後文部省の人によって書かれた教育委員会法の解説、あるいは文部省と関連を持って書かれた教育委員会の解説、あらゆるこの法律の解説に、この教育委員会の自主性なるもののこれは重大な内容として特筆されてあるのです。教育委員会が長に対して予算送付権を持っているということは、これは重大な内容になっているのです。これはもう天下の常識ですよ。われわれはむしろ教育委員会の実際上の自主性のこれは一番大きな内容だと言っても過言じゃないぐらいに思っている。そういうことはこれはもう全然別に、故意に別なもののような前提に立って、そうしてこの自主性という問題についての議論をされるということは、私はちょっと、いささか議論の次元が食い違ってしまっているように思うんです。
  142. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ものの本体と属性とよく区別してお考え願いたいと思います。教育委員会はイギリスにもありまするし、アメリカにも各州に置いてあります。その世界の教育委員会で、二本建ではないのです。教育委員会自身で自分の予算を持っておるところもあるのです。しかしながら二本建じゃなくして町村の本体の予算の中に入っておるところもあるのです。ニューヨークでもどこでもです。よろしいか、教育委員会の中で日本のような二本建のところもあれば、一本のところもあるし、さらに一本じゃなくして別に教育委員会だけの予算を持っているところさえあるのです。予算の組み方をどうするということは、世界いろいろであります。しかし、教育行政の本体、学校の管理、教科内容、教員の勤務、それなどを教育委員会がやらぬ教育委員会はありません。それゆえにそれらのところを教育委員会の本質と押えて、国により所により違ういろいろのものはアッテンダント、属性と見るということが、これが正しい見方じゃございませんか。しかしながら、今の現在の日本では二本建予算があるのであります。だから二本建予算のこともひっくるめて自主性とおっしゃる定義によれば、二本建予算がなくなったことは、私にお聞きにならんでも、これはさまっているのですから、これは御質問に及ばないのです、こういうことが今われわれ論じていることの実体でありまして、これ以上はだいぶん言葉の、教育委員会とは何ぞや、自主性とは何ぞやということによっているのですよ。世界の教育委員会を調べてごらんなさい。日本の予算二本建よりもっと進んだ、教育委員会が予算を持っているのがあるのです。また、日本のようなところもあります。また、独立の予算なくして一本でやっているところが非常に多いのです。それでもみなこれをもって教育委員会と言っているのだから、教育委員会の本体というものはそこだ。人間のうちには片手のない人もあります。それでも人間です。片足を切った人もあるのです。それでも人間ですよ。しかし人間の本体は霊知霊能である生物にあるのです。その本体のところはちっとも違いませんから、(笑声)笑っちゃいけません。それが私の考えなんです。あなた方のおっしゃるところとあまり違っているのじゃなくして、言葉が違うがために、いろいろと議論があるように思うのです。二本建予算をやめたということは認めている。しかしながらこれを私は教育委員会の本質的のものじゃと思っておりません。本質的には胸と頭です。足ぐらい切られても人は同じことです。
  143. 秋山長造

    ○秋山長造君 私はそういう新興宗教みたいなことを聞いているのじゃない。そういう議論をしていては、これはもう限りはないです。これは宗教の世界ですよ。しかも、きわめて低級な宗教の理屈です、それは。私が聞いているのは、地方行政の実際面について、実地について私は意見を言い、そうして質問をしているのです。これはもう実際の議論をしているのです。文部大臣はしきりと抽象的に教育行政、教育行政ということをおっしゃるけれども、この教育行政にしても、教育行政とは何ぞやというようなまた議論をしおれば、ただいまのようなとんでもない方へ発展しますから、「何ぞや」ということは私はしません。しかし実際に地方の教育行政が動いていく、教育行政を動かしていく力というのは何です。これはいろいろ力はあるのですけれども、一番大きな力は私はやはり予算だと思うのです。国の政治を動かしていくのでもそうでしょうが。国会を動かしていくのでもそうだと思うのです。いろいろあるけれども、すべての法案、いろいろな法案があるけれども、一番根本的にそういうものを動かしていくところの一番大きな力というのは、やはり私は国の予算だと思うのです。だからその予算審議については、特に政府においても、あるいは国会においても、力を注いでいるわけなんです。法案の一つ二つがつぶれたからといって、政府は別に責任を問われる必要はないのです、けれども予算がつぶれたら政府は総辞職というところへ追い込まれるでしょうが。それだけ国の予算というものは政治面、実際の行政面においては強い力を持っているのですよ。だから地方行政といえども、これは抽象的な雲の上に浮いた概念ではないと思うのです。われわれがお互いに政治家として地方教育行政を論ずる限り、これはもうその前提教育予算というものがあることは、これはもう当りまえの話なんです。それは当然過ぎるほど当然な前提です。重要な教育行政を動かしていくこの教育予算、その予算に対する権限があるかないか、大きいか小さいかということは、これは地方教育行政の問題については、これはもう中心的な問題だと思うのです。教育委員会の自主性があるかないか、教育委員会の権限が大きくなるか小さくなるかということを、ものさしではかる場合にも、これは一番大きなものさしなんです。そういう角度から今度の新しい法案を見ますと、これは地方……、だとか何だとか手前のいいことをおっしゃるけれども、その具体的な内容を考えてみると、長の権限をうんと強化して、教育委員会の権限をいろいろな面からうんと縮小しておる、その程度において教育委員会の具体的な自主性、具体的な内容なるものは、うんと狭められているということを言うておるのです。私は文部大臣がそのくらいの理屈がわからないはずはないと思うのです。何も高遠な哲学論とか、宗教論を持ち出さなくても、これはもうごく実際的、事務的にお考えになって、私の申し上げることは十分御了解がつくと思うのですが、いかがですか。
  144. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今度の案で今まで俗に言った二本立予算の制度をやめたということは、率直に認めておるのです。それからこれが重要なこともあなたのおっしゃる通りであります。しかしながら、それがために自主性を失ったかというと失ってはおらんと、教育委員会の自主性というのは教育行政を管理する、そこが問題なんだ。世の中には二本建予算じゃない教育委員会も世界には非常にたくさんある、けれども日本よりもまだ進んで、教育委員会だけで税金を取って自分の予算を作るところさえもあるのです。それも教育委員会、それから二本建予算を少しもとらないで、一般の予算と同じように組んでいく予算もあるのです。それでも教育委員会。すなわち教育委員会の自主性がなくなってきたと声を励ましておっしゃいまするから、やはり教育委員会の自主性というものは、独自の見解で学校その他の教育を管理する点にあるので、それは同じことでございますと、こう言っております。それがために予算のことは重要じゃないとは言っておりませんよ。けれどもこの案では教育委員会の自主性は否定されてしまったとおっしゃる御論に対しては、文部大臣としてはとこどこまでもそれを抗争しなければならんので、それを欠いてお答えすることは、私の任務ではございません。
  145. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はだいぶ前ですが、ここへ入る前ですが、教育の自主性の問題について少しお尋ねをして、その後質問がとぎれたわけですが、若干問題が発展をしておるように思います。そこで今発展しておる問題について私も若干疑義がありますので、なおお尋ねをいたしたいと思います。それは今政府が提案されておる教育委員会は、現行法に比べて非常に自主性が乏しくなっておるという質問をしたのに対して、文部大臣は決して自主性は薄くなっていない、何ら変っていない、こういう答弁をせられましたので、非常に問題になっておるわけであります。自主性が非常に薄くなっておるという一つの例として、教育予算の送付権、あるいは条例等の発案権、こういうものがなくなっておるじゃないか、これはもう十分理を尽して質疑が行われたけれども、十分な答弁がないわけであります。私はもう一つの例をあげますが、今度の新法によりますと、教育長の選任について教育委員会がこれを任命することができない、文部大臣承認を得なければこれを任命することができない。私はこういうことは非常に不可解に思っておるわけなんですが、この問題についてはこの該当する条項で十分質疑をいたしたいと思いますが、教育委員会の自主性、あるいは教育委員会の権限というものを考える場合に、教育長すら教育委員会が独自の判断できめることができない、こういうふうになっておるわけであります。これで果して教育委員全力政争法と同じような自主性を持っているのだと、こういうことは説明できますか。
  146. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これは現行法を改正する法律でありまするから、現行法とは違うております。違っておることは、教育はきわめて大切のことであって、一本調子ばかりにはいかないいろいろな要請があります。わけてもわが日本民族は同じ人種であり、同じ言葉を使い、同一の文化を持った日本国でありまするから、教育目的教育の水準はこれを一定のところに保ち、地方によって区々となってはいけないと、こういう要請が一つあるのであります。自主性、独自性も非常に尊いことではありまするが、これを尊重しつつ、やはりだれかがかじをとって、日本国民の水準を維持しなければならん、あなた方の方の社会党の御案も拝見いたしました。これも注意されてその目的のために教科委員会というものをお作りになっておる、これも一つ考えであります。だれかが各地方地方で自分の家のみそを自分で作って一つ一つにやっては、これはその日本教育の本来の目的に合わんから、教科委員会で横からながめていこう、こういう考え、これも一つです。しかしながら、われわれは今日日本の議院内閣制の運行に顧みまして、横からながめていってこの調子をとる、音頭とりは結局は内閣責任を持つ者でないというといけないというので、従前通り文部大臣をその責任者にしたのであります。従って文部大臣に一縷の、一筋の連絡がないというと、この目的を達しないのです。ちょうど日本と同じように議院内閣制をとりましたイギリスの一九四四年のいわゆるバトラー法を見ましても、やはり同様の考えをいたしております。それゆえにもう各村々で、各県々で独自でそこだけでやるのだ、そこが教育王国だといったような考えからすれば、上下の連絡は手足まといで自治権を喪失しておるように見えますけれども、その要請一木が教育の原理ではございません。ことに日本、イギリスも同じことですが、一民族一国語で、わけてもわが国のような歴史文化を持っておる国においては、その水準を保っために、これだけの連絡は私は持たしてもらいたい、かようなことであります。私のところへ権力を集中する、権力欲でやった考えじゃございませんから、どうぞ御了解を願いたいと存じます。
  147. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私が今お尋ねをしておるのは、教育委員会の権限が非常に狭められてきておると、言葉をかえて言えば、教育委員会の自主性というものが非常に薄くなってきておる、そういうことを大臣としては意識しておられるのかどうかという質問から出発しておるわけであります。大臣は現行法に比べて、今政府が提案している法案についても、教育の自主性というものは何にも薄くなっていないんだと、同じことなんだと、こういう答弁をせられるから、問題が起ってきているわけなんです。自主性とは、いろいろこれは解釈もあるでしょうが、しかし、教育委員会が自主性を持っておるかどうかということは、教育委員会がどういう権限を持っておるかどうか、これは大臣もさっきおっしゃっておりました。どういう権限を持っておるかどうかということにかかってくると思うのであります。そうするとですね、言葉をかえて言えば、政府から出された新しい教育委員会法案は、非常に、現行法に比べて、非常にというと何ですが、相当にです。(「大幅に」と呼ぶ者あり)ええ、大幅に権限が狭められておるということを、大臣はお認めになりませんか。
  148. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 秋山さんのお問いに対して、   〔理事吉田萬次君退席、委員長着席〕 認めたんでございます。しかしそれが大いにとか、相当とか、形容詞がつくと困りまするけれども、今よりは狭まっております。
  149. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすれば、一番最初大臣答弁が間違ってくるということになるわけです。
  150. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうじゃございません。
  151. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育委員会の権限が狭められているということは事実です。これは今大臣もお認めになった通りであります。そういうことによって、教育委員会の自主性というものが非常に薄くなってきておる、こういうふうに私どもはこの法案を見て感じておるわけなんであります。なるほど形だけは教育委員会という家は建っております。しかしその中身が変ってきているんです。私はそういうことを尋ねておるわけなんです。教育委員会は非常に権限が狭められてきて、その自主性というものが非常に薄くなってきておる、現行法に比べて非常に薄くなってきている。これに対して大臣は、いや同じなんだと、ですからさっきの答弁を私はこの際修正をしておいていただきたいと思うのです。
  152. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育委員会の自主性、すなわち一般行政を離れた独自の教育委員会ということは同じでございます。しかしながら、この法律をごらんになって下さってわかりまする通り、第二十四条の二号ないし五号のごときは、あの権利は町村の方に移りましたから、その限度において狭まっておることは、これは事実でございますけれども、それがために教育委員会の自主性がなくなったという、(「なくなったとは言わない、狭まってきた」と呼ぶ者あり)まあ狭まったでありましょう。その権限が幾分この点においちゃ少くなっております。またしかし、県教育委員会においちゃ、任命権というものができておりまして、これはまたふくれてきておるところもあります。(「何の任命だ」と呼ぶ者あり)そういうことでありますから、一番初めの湯山さんのお問いで、私がぎょっとしたのは、教育委員会の自主権が失われた、失の字、言葉ですから失われた、こういうことで、大喝せられまするからして、私は失われておらんと、自主性というものは、学校教育を一般行政と離れて別にやることだと、さらに言えば、教員の服務を、また学校の教科の内容、そういうふうな大切な教育それ自身を町村長と別にやるのが、これが自主性だから、それは失われておらん、喪失しておらん。しかしながら、あえて個々のことをおっしゃって、これは減っとるかといえば、お聞きにならんかって案を見たら減っておるんです。それは何も答弁を要しないことなんです。(「それは答弁を不当に利用しておる」と呼ぶ者あり)問題のあるところは、今のところであります。私は自分言葉を糊塗して争っておるような気がするのです。
  153. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この問題については、湯山委員もだいぶん質疑があるようですし、荒木委員もあるようですが、先ほど私の質疑の途中において、私は文部大臣答弁の態度について要請をしたわけですが、改まっていないようです。そのまま。私らに対する態度はどうということはどうでもいいと思うのですが、しかしですね、内容が実に支離滅裂ではっきりしていない。大体この法律案はですね、与党の総務会を通ってそうして次官会議を経、閣議を経て文部大臣責任者としてまあ提案されてきているわけです。でよくまあ大臣は、政党政治家において、政党意見を十分聞いて云々ということを言われておるんですが、ここで五分か十分くらい休憩してですね、与党の方々と大臣一応お話し合いになって、これをわれわれがはっきり納得できるような、われわれというよりも、率直に言って傍聴者がなるほどわかるような答弁をされた方が、私はこの審議の都合がよろしいじゃないか。そうでないとまあさらに質疑が出される。(「どこが悪いんだ」と呼ぶ者あり)あなた途中から来たからわからんが、(「今来たばかりだ」と呼ぶ者あり)途中から来たんじゃわからんのだ。さっきからずっと続いてきたのだ。経過を見ておれば。とてもこれでは納得できないし、大臣答弁態度が変らないと、審議も私進まんと思うのですが、従って私は政府あるいは与党の立場をおもんぱかって、こういう議事進行を発言しておるわけです。
  154. 田中啓一

    田中啓一君 私どもはそのような必要はさらに認めません。大体お伺いしておりますと、御質問なさる点もほぼわかりまするし、大臣の方の御答弁もそれに対して御答弁になっております。別段新たに大臣と政務調査会と相談をするというような必要はないと思っております。どうぞこのままお願いいたします。
  155. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は私の考えておることを率直に申し上げておるのでありまして、他の人と協議をしてこの答弁を改める必要は認めておりません。これで必ずおわかり下さることと思います。
  156. 湯山勇

    湯山勇君 先ほど大臣は私が自主性が失われたという質問をしたということでございまするけれども、これは私ではありませんから、念のために申し上げておきます。で大臣はですね。事実はよくご存じなんです。で、われわれの質問しておる意図もよくおわかりになっておるわけです。にもかかわらずその内容を、自主性が失われたという表現をとった。自主性が薄められたという表現をとった。その表現を反駁する御答弁しかなさっておらない。それからまた、荒木委員教育長の任命ということは自主性の薄められた一つの例ではないかという質問に対して、教育長を任命文部大臣承認する、その理由だけ御説明になって、それが自主性とどうつながると、それによって自主性が薄められた、薄められないという質問の焦点には、お答えにならないのです。でお尋ねしておるのは、予算原案の送付権がなくなった。あるいは財産の管理権がなくなった。あるいは教育長の文部大臣承認ということがつけ加わった。そこで大臣がおっしゃるような、教育行政をやるという自主的にやっていくという法文上の規定は存在しております。そのことは認めますけれども、しかしその認められた教育行政を自主的にやっていく、あるいは委員の身分を確保していく。ことに、その中の教育行政を自主的にやっていくということは、それに対する予算的な権限が弱められておるわけですから、その完全な自主性の行使はできにくくなっておる。ことにこの間公述人の述べられた例で、熊本県はこういう法案が出たので、町長さんだったと思います、とにかく現在子供の入っておる学校の建物だけを町長の権限で売り払ってしまった。これは財産管理権が町長に移ればそういうことは起ります。あるいはあるかもしれません。栃木県でも当委員会から調査に行った黒羽中学校では同じような例があります。そうすると、かりに教育行政の自主的な権限を持っておっても、そういったような権限がなくなっていくことによって、持っておる自主性のその意味通りの行使ができなくなる。そうすれば、これは自主性の喪失とたとえても、決して言葉の上での言い過ぎではないという解釈もできるので、大臣はそういう実態は御存じでありながら、自主性が失われたということを、法文の上でそうじゃないんだというようにおっしゃるから、この議論はいつまでたっても果てないと思います。そこで、大臣にお願いしたいことは、今申しましたような意味合いにおいて、教育委員会教育をやっていくためには、どうしてもこれだけの教員が要るんだというときにも、原案送付権がないために、それも守り切れないというような事態も起ってくる。施設もこれだけほしいと思っても、それだけどうしても得られない事態が起ってくる。そういうことになれば、かりに名目上の自主性はあったにしても、形式的な自主性はあったにしても、実質的にその自主性というものの裏づけがなされない。それならば、その自主性というものはあってなきがごとくではないかと、こういう意味にもとれる質問を秋山委員、荒木委員矢嶋委員も繰り返したわけです。そういう意味合いですから、そのことは大臣もよくおわかりになっておられるわけですから、それを自主性が薄まったという表現をしょうが、なくなったという表現をしょうが、その実体を御把握になって御答弁になれば、今申したような矢嶋委員の言われたようなことにもならないと思いますので、そういう意味で、たとえば自主性が失われたというのは、そういう意味なんだし、それから自主性がないというのもそういう意味なんですから、そうすると実際に教育行政をやっていく上の裏をなすところの予算の提案に対する権限がなくなったということは、それは相談はできるにしても、やはり自主性の行使には大きな支障となる場合があるわけです。それなればこそ、それをなくして円満な運営をはかるということになったわけですから、どうかその実体をつかんで、表現の問題で議論しないで、実体をつかんだ一つ答弁をいただければ、この問題は私はこんなに一時間もかかる問題じゃなくて、五分もたてば片づく問題だと思いますので、今まで私どもがお尋ねした意味はそういう意味なんですから、それを一つお含みの上で、重ねて御答弁願いたいと思います。
  157. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 湯山さんの物の実体に即した、また達観的の御質問には敬意を表するのであります。
  158. 湯山勇

    湯山勇君 どうもおそれ入ります。(「ほかの者には敬意を表さないのですか」「いいかげんなという意味ですか」「どういう意味か、それをはっきりしていただきたい」と呼ぶ者あり)
  159. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君)まあちょっと待って下さい。落ちついてお聞き下さらないというと、かえって意味は誤解されるのです。しかし湯山さんは、落ちついてよく条理を説いて御質問下さったから、それで申しておるのです。
  160. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 注意。湯山さんは落ちついて質問した、矢嶋と秋山さんは落ちついていない……。
  161. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 答弁は私がするのです。湯山さんは落ちついて御質問して下さったといって私は喜んでおるのです。どこが悪いのです。私の方も二本建予算をやめた事実は認めておるのです。やめております。それからまた教育委員会の権限で二十四条の三、四、五項のごときものも、これは町村長または知事の方に移っております。これは認めておるのです。私は同じことを言っておるのじゃと思います。ただ、それがために教育委員会の自主性ということになりまするというと、やはり自主性は保っておる。教育委員会の自主性の本体はどこにあるかといえば、学校の管理、運営であります。教員の服務の監督であります。こういうことは認めておるのだからして、それにくっついておった不動産の取得がどうの、それからまた予算の編成方法が変ったということがありましても、やはり新法における教育委員会は、独自の自主性ある教育委員会たることは失わないということを申し上げておるのであります。
  162. 湯山勇

    湯山勇君 大臣答弁を一応認めて、教育委員会の自主性は、それは法文の上ではあるといたします。しかしながらその自主性というものは、抽象的な自主性ではないわけですから、その学校の現場で教師が教える活動をし、子供たちが学び、そういう事実を見なければ、自主性があるかないかということは、抽象的には論じられない問題です。そうすると六十人、七十人の子供を一つの教室に詰め込んで、果して教師が適切な授業を行なっておるかどうか。今極端な例ですけれども、校舎だけ町村長が売り払ってしまって、校舎のないところで教育をしなくちゃならない。そこで大問題を起して、当委員会からも専門員が調査に行き、こういうことになって、果して自主性があっても、守られておるかどうか。守られない自主性ならば、それは自主性が完全にあるとは言い切れない、こういうことをいろいろな方面からお尋ねしておったわけですから、それを一つそういう観点からお答え願いたい。
  163. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今の教育財産を、町長が売ってしまったというような具体的な事例、私知りませんけれども、それは現行法のときに行われたことなんですね、今の法律で。しかしながら現行法の悪用と思います。今度は財産取得の代表等は町村長に移りましたけれども、しかし、第二十八条をごらん下さるというと、「教育財産は、地方公共団体の長の総括の下に、教育委員会が管理するものとする。」と言いまするから、この管理権を十分に使えば、現に使うておる教室を売ってしまうなんといったような極端なことは防げるものじゃと私は思っておるのです。いかがでしょう。
  164. 湯山勇

    湯山勇君 どうも私はあげた例をとやかく言われるためにあげたのではなくて、申し上げておる実態を直ちにお把握願いたいのは、先般熊本の公述人が言ったのは、今度こういうふうになって、今おっしゃったように長の総括で管理だけで、売ったり買ったりは町長がするのだということで、この法律が出るということから、すでにそういうことをやる者が出たという実例として話されたわけです。そこで今の総括のもとにやるというようなことから、そういうことがわかってくれば、今のようなことも起り得るわけです。そこでそういうような状態の法律、つまり権限が移行したわけですから、そういう状態になっては、自主性はあっても、それの完全な遂行ということはできないのじゃないか、また、教員定数の問題にしても、施設の問題にしても、その他万般、ことに予算というような重大な問題ですから、その予算に対する権限が縮小されれば、完全な自主性の遂行ということは、困難になるのではないかというような表現にしてもいいと思います。表現はともかくとして、実体はそこにあるのじゃないかということをお尋ねしているわけで、たとえの適切、不適切はまた別個にお考え願いたい。
  165. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ごもっともなお問いですが、ここにはまた、もう一つほかの要請があるのです。地方公共団体一つの法人ですから、一つの法人に財産取得の権利、取得の権限者が二つあるということは妙なことになるのです。しかし、教育委員会は独自で教育をやるのでありまするから、教育委員会の権限もこれは尊重しなければなりません。そこでこの法律のとりましたところは、やはり財産の取得、喪失は民法の法人理論によって、代表者が、すなわち町長がこれを総括する。しかしながらその管理、占用、利用、管理処理それは教育委員会がやる、こういうことをやっておるのであって、これはややデリケートなことでありまするが、実際の法律の運用に対しては、教育委員会意見が尊重されることはきまっておると私は考えております。これで日本教育行政が行き詰まってしまうとは、私考えておりません。さようなことであります。
  166. 秋山長造

    ○秋山長造君 自主性の問題についての疑問が依然として解けないのですが、私は先ほど予算のことばかり申し上げましたけれども、これはまあ予算が教育委員会の自主性なるもののこれは重大な実質的内容だと思ったから申し上げたのですが、さらに、先ほど荒木委員から教育長の問題が出ました。それでこの教育長の問題については、文部大臣の御答弁はきわめてあいまいだと思うのです。地方団体一つのものだという御議論は、一応認めるといたしましても、かりに認めるといたしましても、一体地方団体教育長という者は地方団体の職員なんでしょう。これは地方公務員なんでしょう、法律上からいえば。一体地方公共団体、自治団体の職員、地方公務員である教育長の任命について、文部大臣承認がなければそれが任命できないというのは、これは法律上どういう御説明がつくのでしょうか。私はその点がまず一点として疑問なんです。  それから第二は、教育委員会の権限は、なるほど二十三条に十九項目にわたって列挙されておりますけれども、しかし、こういう列挙されているような事務を、教育委員会の旨を受けて実際に運んでいく責任者というのは教育長だと思うのです。だから教育委員会がこれだけの権限があるから自主性があるということならば、当然教育委員会の旨を受けてこれらの権限を事務的に運んでいくところの責任者でしょう、教育長というのは。その権限を持った教育委員会が自主的に任命できるということは、これは当りまえの話じゃないかと思うのです。市町村の助役と教育長の性質とは違いますけれども、たとえばいかに地方自治、地方自治といっても、助役の任命に一々政府承認がなければできないというようなことで、一体これが地方自治だというふうなことが言えるかどうか、私はその点非常に疑問を持つのです。いわんや、この教育委員会教育行政について人事権を持つという、その人事権の一番根本ですからね、教育長の任命権というものは、それについて文部大臣承認というような重大な制約がついておって、  一体教育委員会の自主性というものは、これはあり得るのかどうか。形式的にはここに列挙されているじゃないかとおっしゃるけれども、その根本のところがこれは重大な制約を受けている、首根っこを握られているわけです、教育長というところに。それでなおかつ自主性は変っていない、十分あるということが言えるかどうか、私もう一度一つ丁寧懇切に御答弁願いたい。
  167. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 前段のことは、まあ法律観念のことでございましたが、すなわち地方の教育長という、地方に属すべきものを、ほかの方の承認にかからしめることはどうだろうかということでございます。これはたとえば今回の法律では、教職員は、義務教育の教職員は、これは町村の公務員ということにしております。ところが承認じゃなくして、その任命自体を県の委員会でやるのです。(「問題があるのです」と呼ぶ者あり)ええ、問題もございますけれども、そういうことをやっているのです。そこで地方の教育長の選任について、やはり文部省で承認をするということは、法律にそう立てれば、それもできることと思っております。しからば、なぜそういう必要があるかといえば、まあ日本は大体市町村という段階と、道府県、それから文部省と、三つに教育組織がなっておりまするが、現在ではこれを貫いたものがないか、またははなはだ弱いですね。日本のような国では教育一体というとおかしいけれども、この言語を同じくし、伝統を同じくする民族の教育水準を保つためには、この三段階に何か通じるひもがある方がいいだろう、これが考えでございます。それをどうするか。あなたの方では教科委員会という合議体にしておられますが、やはりこれは今の議院内閣制度では文部大臣に結びつけて、悪ければ文部大臣国会非難を受ける。こういう連絡をとった方がいいという考えで、この承認制度を文部、県、町村とこういうことにいたしておるのでございます。各町村教育界または府県の教育界全くインデペンデントの存在ということも考えられまするけれども、それよりもやはり連絡をつけた方が国のためになるだろう。教育の根本を大事にし、教育の水準をそろえる、こういうことにはこの方がよかろうということであれば、法律の方で説明がつく以上は、やはり承認制がよかろうとかように考えておるのであります。
  168. 秋山長造

    ○秋山長造君 今の御答弁は私の質問に対する御答弁になっていない。そうした方が、とにかくそうした方が便利なんだからそうしたという御議論なんですね。これは結局煮つめていえば、それは見解相違だということになると思う。私はそうではなしに、一体この法律の建前として、あるいは国家公務員法、地方公務員法、こういうような人事に関する法律の建前として、地方公務員である教育長の任命に国の承認が一々なければそれができないというようなことは、これは公務員法上私は矛盾ではないか、一体今までそういう例が他にあるか。私は不幸にして見当らない。なるほど教員のこの身分は、これは町村の職員であるけれども、それを県が任命することにしているではないか。それは今度の法律、今問題になっている法律でそういうことをやっておられる。だからこれは先例にはならない。また、それにはわれわれは大いに疑問があると思う。だからそれはそのときにお尋ねします。しかし町村の教員というものは、これは町村の教員全部に対して任命権を持つんじゃないのですよ。県費支弁の教員に対してのみですよ。だからそこらに教育長の場合とは違うところがあります。教育長の俸給は別に一銭一厘もあなたがお支払いになるわけじゃない。これは全部自治体でお支払いになる。そればかりではありませんけれども、たとえばそういうこともあるじゃありませんか。だから今おっしゃるように、この教員の任命権だって県が持っているじゃないかということで、だから教育長の承認権を文部大臣が持っても当りまえだという議論には、私はならんと思う。  それから後段の私の質問にはお答えがなかったのです。一体教育委員会がここに列挙されておるような権限を執行していくについて、その事務を担当する最高の責任者が教育長なんです。いわばこれは、この教育委員会が頭とすれば教育長というものは首にも当る。これは重大なポストなんですね。そこのところを教育委員会が独自で選ぶことができなくて、一々よその方の文部大臣承認がなければ選べない。結局これは根っこを押えられている、首を押えられていると同じ格好になる。それで果して教育委員会の自主性ということが一体問題になり得るのかどうかということを疑わざるを得ない。市や町村の助役の任命に、一々政府承認が要るというようなことで、一体地方自治というものがあり得るかどうか。多少性質が違うけれども、例としてはそういうことも言えると思う。その点についての御解明がなかったので、あらためてお伺いいたします。
  169. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育長の任命教育委員会だけでしてしまうということもできます。現在その通りなんです。けれどもそれでは国全体の筋が切れてしまうということが今日の憂いであります。外国の例を引いてはなはだ失礼ですが、イギリスでは教育長の任命文部大臣協議してやっておるのです。わが国では協議といったような強いことにはしませんでしたが、地方で任命する際に、こちらの方で承認を与える。おそらくはこの承認はみな与えるものと思います。けれどもこういうことで中央と連絡をとるということが、日本のような国ではいいだろう、国のためになるだろう、そういうことで教育の水準の維持ということができるのだろう、こう考えておるのであります。
  170. 秋山長造

    ○秋山長造君 イギリスの例をあげられたんですが、私は文部大臣ほどに博識でございませんから、どこの国がどういうことをやっているか私は知りません。私はただ日本実情に基いて御質問をしているだけなんです。で、この教育長、国と全然無関係教育というものは考えられない。これはもうおっしゃる通りです。しかし、だから今までの教育はそうだったということになると、私はそうではないと思う。この間も長野の県の教育委員会の副委員長が見えて、その点について詳しい体験に基く御説明がありました。で文部大臣は従来しばしば、今のようなことでは、もう国と全然関係なしに、地方がてんでんばらばらなことをやっているんだ、そうして九州と北海道とでは、てんで似ても似つかないようなことすらもあり得るのだというようなことで、何ら文部省は、国は教育に対してはもう関係も何もない、発言権も何もない、だから改めなければならぬというような極端な説明をいつもしておられますけれども、これは今度の法案をがむしゃらに通されるために、そういうように極端な御説明をされているんだと思うんで、現に全国の実情を見ました場合に、そう文部大臣がおっしゃるようなてんでんばらばらなことをやっておるわけじゃない。大体文部省から指揮、監督こそ、権限はないかもしれんけれども、指導、助言という形において指揮、監督に近いようなことまでやっておられるのです。それからあるいは通達もその一つでしょう。あるいはまた、いろいろな基準というようなものを設定して、そうしてそれを地方の教育委員会へ流しておられる。また、教科課程というようなものも同様です。だからそういうあらゆる方法によって十分連絡はとれておるのです。それからまた、教育委員会同士にしても、お互いに連絡協議会なり、あるいはブロック会議なりいろいろ持たれて、そして大体自主的にバランスをとっていくような運営になっておるのですからね。だからそれがですよ、今までですらそうやって、大体日本全国水準をそろえた、ほぼ平均のとれた、バランスのとれた教育をやってきておるのです。ところがそれでいかんということで、さらに今度強くされたんです。いろいろな面で。いろいろな面で強くされておる。だからかりに国と地方教育行政との連携をもっと密接にしなければいかぬという、文部大臣のおっしゃることを一応認めるにしても、だからといって、この教育長を地方に独自で任命さしては、国との連絡がとれぬのだということはないと思うのです。それはあまり取ってつけた理屈だと思うのです。いろいろな今後逐条審議の場合に、次から次へ問題が出てくるのですが、いろいろな点で国、具体的には文部大臣、文部省の地方の教育行政に対する発言権というものは強められておるのです。何もこの教育長まで文部省が一々承認をしなければ、地方との連絡がとれぬのだというところへ持っていかれることは、あまりにも私は飛躍だと思うのですね。教育長は、地方の教育委員会の独自の任命に、自主性におまかせになることの方が地方行政のためにも、また教育委員会の自主性を尊重する意味においても、私はよりいいんじゃないか、その方が当然なんじゃないかというように考えるのですが、もう一度文部大臣の御見解をお伺いしてみたいと思います。
  171. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これはですね、論理ばかりの問題ではなく、実際問題なんです。それでわが国のような国では、やはり教育目的達成のために、また教育水準維持のために、このくらいなことがちょうどいいだろう。これより過ぎてもまたいけませんが、今、現在においても各方面に指導をし、通達をするということをあげられております。それはやっております。やっておりまするけれども、今のこの制度では実に隔靴掻痒で、靴の上からかゆみをかくような感があるのでございます。もうちょっと権限をちょうだいした方が、国のためになろうと思います。この見込みいかんの問題です。私どもはちょうどこのくらいがいいだろう、こういうことであります。地方から任命するのじゃなく、地方でこれでよかろうとおっしゃった時分に、拝見をしてけっこうでありましょうといって承認をするのですから、このくらいがいいと思っておるのです。
  172. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 議事進行について。委員長はちょっと中座されたので、今の質疑応答がどういう段階か、御把握に苦しんでおられるのではないかと思います。この質疑は大へん非能率に進んでおりますが、この一番大きな原因は、私は先ほどから再三申しましたが、文部大臣答弁の態度にあると思うのです。今質疑段階はどういう段階かというと、教育長の承認がいいのか悪いのか、この意見相違の問題でなくて、今度の教育委員会法はあるいは教育長の承認の問題とか、あるいは予算原案の送付権の削除、こういうようなその権限面から改められている。そういう立場から現行法下におけるところの教育委員会と、新法成立後におけるところの教育委員会の自主性というものは、それは対中央政府あるいは対議会、都道府県議会です、対都道府県首長、こういうものに対して自主性が薄らぐのではないかというこの立場と、それから新しい法によっては教育委員任命制になる。そうなると、今まで住民一人々々が公選して構成された教育委員会と、首長任命にかかわるところの教育委員会とでは、その自主性という立場において、それは対議会、対首長、この立場において薄らぐのではないか、この一点にかかっておるわけです。それを先刻来何時間も前から文部大臣は、変らないのだ、そして自主性とは云々という、こちらが伺ってもいないことを、世界がどうのこうのと言って、無関係とは言いませんが、ことさらに広めて言っている。こういう答弁態度だったら、審議はとても進まないと思う。しかもわれわれ四人で伺っている事態というものは、これは私は良識ある国民が聞いておったならば、はっきりしていることだと思うのです。それをこういうようにして、言葉は適当でないかもしれないけれども、三百代言的な答弁をされていると次の質問に入っていけない。そして私はここで言いたくないことですが、そのうちに松沢全教委の委員長を呼ぶことになっているのですが、そのときに明白になるでしょうが、あの全教委の代表者と文部大臣との問答問題にいたしましても、衆議院から参議院段階、ずっと文部大臣委員会における答弁、特に二、三日前の本委員会における答弁については私は大臣としては相当考え直してもらわなくちゃならない問題があると思うのです。それを何らの反省がなくて、あなたの独得な雄弁術、説話術をもってわれわれの質問に対処されるにおいては、私は非常に質疑というものはかかるし、混迷してくると思うのです。私は質疑するに当っても、いかなる態度でわれわれは臨んでいくかということを同僚諸君と相談しなければ、質疑されないとまで考えているわけです。そういう段階だということを委員長さん御承知の上で、本委員会運営していただきたいと思います。まああと問題は……、今五時五分ですが、委員長さんどういうふうにお考えになっておりますか、それを私はあえて申しません。
  173. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 矢嶋君から議事進行に関し御発言がございましたが、具体的にこうせいということでもございませんでした。委員長といたしましては疑念がおありならば、どうぞ各委員から御質疑をお願いいたしたいと思います。
  174. 秋山長造

    ○秋山長造君 私も今矢嶋委員からおっしゃったと同じような感じを持っておるのです。それでその点についても一つ文部大臣の方で率直にお考え直しを願いたいとお願いして一おきます。そこで、前の質、問を続けますが、結局清瀬文部大臣の御答弁を聞いておりますと、なぜ、一体文部大臣教育長の任命にまで立ち入らなければならないかという理由が、どうもきわめて薄弱なのです。要するにわが国のような国ではそうした方がいいのだという、こういう議論なのですね。それではもう話しにならぬと思う。私はそういう大上段に振りかざされた、しかも内容のない御答弁は、もうこれ以上いただかなくてもけっこうでありますから、一つ私のお尋ねする点について、実地に即して一つ行き届いた御答弁がいただきたいと思うのです。それでまず第一点としてお伺いすることは、文部大臣公選制をやめて任命制にしたことが、教育のために非常にいいということを繰り返しおっしゃっておる。知事やあるいは議会の良識というものを非常に信頼しておられる。そうしてそういう知事議会が良識をもって選んだ教育委員というものは、従来の直接公選による教育委員よりもはるかにいいのだ、非常にりっぱな教育行政が期待できるのだということを繰り返しおっしゃった。そこまで信頼されておる手続によって選ばれた教育委員というものが、今度は自分の補助機関たる教育長を任命するに当って、なぜ教育委員におまかせにならないのか。教育委員の良識を御信頼なさらぬのか、どうも教育委員に勝手に教育長を選ばしておいたら、とんでもないことをやるんじゃないかというように、非常に今までの議論とは打って変って教育委員、1新しい法律によって選ばれた教育委員というものを、あまり信頼をしておられないような感じがしておるのです。これは自分の手足になって動く教育長の任命すら、教育委員が勝手にできないというのは、この教育委員というものに対して不安を持っておられるのではないかと思う。でその点がどうも教育委員任命制というものを大いに讃美されて参られた文部大臣の論理としては、私は非常に矛盾しておるように思うのです。その点はどうかということ、これが第一点。  それから第二点は、なるほど今度の任命制によって選ばれた教育委員教育委員をもって構成される教育委員会というものが、文部大臣のおっしゃる通り政治的に中立を維持していく最良の方法だとかりにいたしたといたしましても、その手足となって実地に教育行政の事務をやっていくこの教育長というものの任命に、一々文部大臣が関与されるということになると、その面から教育委員政治中立性というものがゆがめらるおそれが出てこな一いかどうか。と申しますのは、申すまでもなく政党内閣政党大臣、特に清瀬文部大臣は、就任以来自分は自民党の小使だ、文部大臣は党の小使だということを言ってこられたその政党の小使たる文部大臣が、任命に当って関与するところの教育長の選任というものは、やはり党の小使的な線によって支配される。それによってゆがめられるおそれがあるのじょないか。だからむしろそういう弊害が起ってくることを防ぐためにも、教育長の任命ぐらいは、これは教育委員会の自主性におまかせになった方が、政治中立ということを、声を大にして言われる文部大臣の論法としても私は一貫していくのではないか。まずこの二点についてお伺いしたい。
  175. 清瀬一郎

    ○秋山長造君 私も今矢嶋委員からおっしゃったと同じような感じを持っておるのです。それでその点についても一つ文部大臣の方で率直にお考え直しを願いたいとお願いして一おきます。そこで、前の質、問を続けますが、結局清瀬文部大臣の御答弁を聞いておりますと、なぜ、一体文部大臣教育長の任命にまで立ち入らなければならないかという理由が、どうもきわめて薄弱なのです。要するにわが国のような国ではそうした方がいいのだという、こういう議論なのですね。それではもう話しにならぬと思う。私はそういう大上段に振りかざされた、しかも内容のない御答弁は、もうこれ以上いただかなくてもけっこうでありますから、一つ私のお尋ねする点について、実地に即して一つ行き届いた御答弁がいただきたいと思うのです。それでまず第一点としてお伺いすることは、文部大臣公選制をやめて任命制にしたことが、教育のために非常にいいということを繰り返しおっしゃっておる。知事やあるいは議会の良識というものを非常に信頼しておられる。そうしてそういう知事議会が良識をもって選んだ教育委員というものは、従来の直接公選による教育委員よりもはるかにいいのだ、非常にりっぱな教育行政が期待できるのだということを繰り返しおっしゃった。そこまで信頼されておる手続によって選ばれた教育委員というものが、今度は自分の補助機関たる教育長を任命するに当って、なぜ教育委員におまかせにならないのか。教育委員の良識を御信頼なさらぬのか、どうも教育委員に勝手に教育長を選ばしておいたら、とんでもないことをやるんじゃないかというように、非常に今までの議論とは打って変って教育委員、1新しい法律によって選ばれた教育委員というものを、あまり信頼をしておられないような感じがしておるのです。これは自分の手足になって動く教育長の任命すら、教育委員が勝手にできないというのは、この教育委員というものに対して不安を持っておられるのではないかと思う。でその点がどうも教育委員任命制というものを大いに讃美されて参られた文部大臣の論理としては、私は非常に矛盾しておるように思うのです。その点はどうかということ、これが第一点。  それから第二点は、なるほど今度の任命制によって選ばれた教育委員教育委員をもって構成される教育委員会というものが、文部大臣のおっしゃる通り政治的に中立を維持していく最良の方法だとかりにいたしたといたしましても、その手足となって実地に教育行政の事務をやっていくこの教育長というものの任命に、一々文部大臣が関与されるということになると、その面から教育委員政治中立性というものがゆがめらるおそれが出てこないかどうか。と申しますのは、申すまでもなく政党内閣政党大臣、特に清瀬文部大臣は、就任以来自分は自民党の小使だ、文部大臣は党の小使だということを言ってこられたその政党の小使たる文部大臣が、任命に当って関与するところの教育長の選任というものは、やはり党の小使的な線によって支配される。それによってゆがめられるおそれがあるのじょないか。だからむしろそういう弊害が起ってくることを防ぐためにも、教育長の任命ぐらいは、これは教育委員会の自主性におまかせになった方が、政治中立ということを、声を大にして言われる文部大臣の論法としても私は一貫していくのではないか。まずこの二点についてお伺いしたい。
  176. 秋山長造

    ○秋山長造君 党からの影響については十分考えたいというようなことは、これはもうここだけの文部大臣の所感に過ぎないのですね、これは。あなたは党の小使だと、独自のものは何にもないのだ、おれは党の小使だと、こういうことを始終言ってきておられるのでしょう。だからそれからいけば、清瀬さんのおやりになることは、これは一切がっさい党の小使としておやりになる。党の小使として終始するという腹をきめておる人が、党からの影響を排除するということは、私は矛盾しておると思う。そういうことは無生だと思うのですが、いかがですか。
  177. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 党それ自身が教育中立を守れという主張の党なんです。ですから、その小使といたしましても、中立を害さぬようにするのでございます。
  178. 秋山長造

    ○秋山長造君 それはとんでもないへ理屈ですよ。党自体教育中立を守れという主張の党だから、間違いを侵さぬというのなら、最初に返って、公選制度をおやりなさい。公選制でやってもいいでしょうが。あなたの党は、もう党自体教育中立を守るという党なんだから、だからあなたの党が教育委員を全部独占してそうして教育中立を守れると思う……、そんな人をこばかにしたような、子供だましのような議論で私は片づけられることは不愉快ですよ。委員長どう思われますか。今のようなことは、私の言うておることが無理がないと思うのですがね。そんな人をこばかにしたような、議論をなさるのは、私は文部大臣としてはなはだおもしろくないと思うんですが……。
  179. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今言う通り、わが党は教育中立を尊重せよということを終始言っているのでありまして、私は教育中立は守りたいと思います。しかしながら、国の制度でございますから、他の委員からも御質問のうちに御意見も出て、先日来拝聴しております。十分にこのことは研究いたしたいと思います。
  180. 秋山長造

    ○秋山長造君 私は不愉快ですからね、今の点はもうこれ以上申しませんけれどもね、私の党は教育中立を本体とした党だから、そんな心配がないというような議論は、これはもうこの法律を論議する場合の議論ではないと思うんですよ。これはその議論だったら、何も公選制をやめる必要も何もありはしない。公選制をやめる理由として、あなたは自民党なら自民党が教育委員を独占するというような事態となった場合には、政治中立が大いにゆがめられるから、だから公選制を廃止しなければいかぬというような議論をしてこられたんです。それが教育長の議論になったら、今度は、私の党は常に政治中立を本体とする党だから、そんな心配はありません。そんなあなたばかばかしい。人をこばかにした議論はないですよ。しかしまあ、そういう議論をなさるのならなさるでけっこうです。私はその点をこれ以上お伺いいたしません。  それから教育長の任命について文部大臣が関与しなければ、どうしても国との連係がとれないとおっしゃるのは、これはあまりにも、それこそもう問題の事柄の一点だけにこだわられて、そうして全体の姿というものを見失われている議論ではないかと思います。あなたは教育委員会の予算送付権の問題について、和をもって尊しとなすということをしきりに言われたようですね。和をもって尊しとなす、それならば、こういう面にこそ和をもって尊しとなされたらどうですか、そんな信頼して選ばれた教育委員に、その使用人の任命権すら完全に与えられぬというような、そういう疑惑といいますか、不信といいますか、そういう感じを持って、何か一つ権限を持ってやらなければいかぬ、首根っこのところを握っておらなければ、何をするかわからぬというような、そういう気持でなしに、もうこれだけのいい方法で教育委員を選ぶんだから、あの教育委員人事の点はまかして、あとの点はいろいろな面で、あるいは指導、助言、あるいは援助を与える、またあまりに行き過ぎた場合には、措置要求もするというような項目をうたっておられるのです。それでけっこうじゃありませんか。何も権限をもってやらなければ言うことをきかぬのだというような、それじゃ和をもって尊しとなすという御議論と全く正反対な私は御議論だと思います。その点もう一度お伺いしたいと思います。
  181. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この承認を与えることについても、これはもう和をもって尊しとなすで、穏健な考えで、地方の自治を尊重してやるべきものと思っております。決して地方のことを信用しないから、どんどんと不許可をやっていく、こんな考えでいくものではございません。
  182. 秋山長造

    ○秋山長造君 もう一点お伺いしますがね、それならば私は実際問題としてお伺いしたい。この間公聴会公述の中で、長野の県の教育委員会の副委員長お話し私聞いておりまして、なるほどその通りだと思って、私非常に感銘したのですが、なるほど法律の形の上では、選ぶ主体はあくまで地方教育委員会文部大臣はただ承認を与えるという形になっております。しかし、これが実際に運用されていく場合には、結局は文部省から予算をもらったり、いろいろな面での補助金をもらったり、またその他連絡なんかもうまくいった方がいい、俗な言葉で言えば、文部省につながりのある人の方がいい、文部省に顔のきく人の方がいいという実利主義の立場から、結局文部省に何か関係があるか、つながりのある人を教育長にもう優先的に迎えるという形にこれはもう実際の運用上なるだろう。そうなると、勢いのおもむくところ、法律の条文の上ではどう書いてあろうとも、実際に運営される場合には、これは教育委員会文部大臣承認を得て任命されるという形でなしに、実際には文部省が教育委員会協議するなり教育委員会同意を求めるなりして教育長を任命するというような形に、実質的にはなっていくおそれが大いにある。特に今日のように地方財政が非常に逼迫しておる、何一つとして地方独自の権限ではやれない、地方の自力ではやれない、どうしても少しばかりの補助金でも、頭下げて三拝九拝してもらわなければ教育行政というものはなかなかやれない、これは老朽校舎の建て直しでも何でもそうです。学校給食でも何でもそうです。だからどうしても実際には文部省の方がむしろ教育長を選ぶ主体になっていくだろう、そういうおそれが多分にある、こういうことをおっしゃった。私は全く今の地方の実情からいえばそうなるおそれが大いにあると思う。しかもそういうようになった場合に、あなたのように政党の小使いだという人がその掌に当られるということになれば、おれの党は政治中立をスローガンに掲げておる党だからそういう心配はないというようなことは、これはまあこの場だけの子供だましの理屈であって、実際にはこれはもうきわめて党派的な色彩を帯びた教育長の人選が行われる、少くともそれを絶対にやらないという保証はこの法律のどこにもない。で、そういう心配があるということは、文部大臣もお考えになるだろうと思うのです。その点いかがですか。
  183. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は地方の教育委員会は、独自の考えで、教育長は法律にきめた教育長の任務をとるのに最も適切な人をお選びになると思います。文部省の鼻息をうかがって選任されるなんということは万ないことと思います。
  184. 湯山勇

    湯山勇君 今の点、教育長の問題にふれて参っておりますので、私もお尋ねいたしたいと思います。大臣は今おっしゃったところでは、どうしても承認が必要だということでございますけれども、一体この承認する基準はどこにあるのでございましょうか。各府県の教育委員が選んだ教育長、その教育長について文部大臣が府県の教育委員会以上に何か知っておると、知っておらなければ承認、不承認はできませんから、それ以上にその人を知っておる、こういうことでなくちゃならない
  185. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君)承認でありまするから、積極的にだれを選べというのじゃございません。何か持ってきた教育長に、非常な顕著な欠陥でもあれば、それは再考を求めるかもわかりませんが、多くの場合は地方でもってお選びになった人をとることになると思います。
  186. 湯山勇

    湯山勇君 非常に大きな欠陥というのも、大臣が一人々々の人に会って知っているわけではないと思います。結局間接に知る以外に方法はないと思います。承認に当っては、教育長は文部省に出頭せよというような規定でもあれば別でございますけれども。そうすると、非常に大きな欠陥があるということが、よく知っている教育委員でもわからない、しかも五人もかかってわからないのが、文部大臣にだけわかるというのは私には解せない。そこで大臣がしばしば言われる形式的なことだけであれば、何もそんなに、認可じゃなくても、届出でもいいのじゃないでしょうか。
  187. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) やはり承認ということにして、文部大臣がこのことについて責任を負う、ここが一番の急所でございます。
  188. 湯山勇

    湯山勇君 知らない人が責任を負うというのはおかしいですね。大臣がよく知っておってこれだということならですけれども委員以上には知らない大臣が、それを責任を持つとか何とかいうことは、ちょっと何といいますか、オーバーしていると思います。一体、どうして大臣はその適不適を判定されるか。書面でされるのか、面接でされるのか、試験されるのか。もし書類だけでやられるのだとすれば、教育長の資格規定なら資格規定というものを作っておけばそれでけっこうです。これだけの条項にあてはまるものだけを教育委員において選べということだけでけっこうで、何もそこに大臣の主観の入る認可ということを入れなくてもいいと思います。
  189. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) どの文部大臣でも、日本中の教育長に選ばれそうな人をあらかじめ全部知っておくということは、これは不可能なことは言うまでもありません。しかしながら、教育長に選挙した、認可を請うといって申出があったものについては、文部省は調べはします。しかしながら、積極的にかれこれ言う考えはございませんけれども、調べの結果、非常に例外に都合の悪いことがあったならば、これは再考をわずらわさなければならない。そうでなければ、地方分権でありますから、地方からお持ちになったものはこれは認めるようになると思います。しかしながら、そういう消極的な態度であっても、一旦認めた以上は、承認については文部大臣責任を負わなければならん。責任はだれに負うかといえば、皆さんに対して負うわけでございます。それだけの締めくくりがないというと、行政はうまくいかないのじゃないか、こう思っております。
  190. 湯山勇

    湯山勇君 非常に重大な発言をなさいましたので、重ねてお尋ねいたします。大臣は、認可申請があった教育長については、調査をするということをおっしゃいました。そうすると、この調査は、私どもの常識からいえば教育委員会を通じてしかできないと思います。少くともその調査は、文部大臣である以上は、教育委員会からいろいろこの点はどうか、あの点はどうか、こういうことしか聞けないと思うのですけれども、それ以外に、たとえば警察を使うとか、あるいはその他の機関を通じて別途に調査されるのでしょうか。そうでなければ、教育委員会を通じて調査される限りにおいては、五人の教育委員が見て、これは適任なりと判定したものをくつがえすだけの調査の結果は出てこないと思うのです。大臣が言われるように、それ以外の調査をされるということになれば、これは私は別個の角度から重大な問題として取り上げざるを得ない、どうでしょう。
  191. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 調査の方法、限度は、各そのときに担当している文部大臣考えることであって、ここで一律にあらかじめお答えはできません。しかしながら、承認の判を押した以上は、責任はあります。自分責任を尽すために、しかるべき方法でやるのでございます。それを具体的にここでこういう場合はこうする、おれはこうするのだといったようなことを申し上げることは益がないと思います。
  192. 湯山勇

    湯山勇君 そうすると、大臣によっては警察を通じて調べる場合もあるのでございますか。
  193. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 調査の方法については、今ここで申し上げることはできませんです。
  194. 湯山勇

    湯山勇君 それを言ってくれなければ、これは審議できません。重大な問題ですよ、大臣、これは。それをぜひ明らかにしてもらいたい。そういうことがあるんじゃないかということを私ども懸念しておりました。ところが、大臣は簡単に今までは、特に先般竹下委員かが御質問になったときには、任命してから承認したのでもいいようなことを言って、局長から注意されて、取り消した御記憶があるはずです。きょうもまた秋山委員質問に対しては、重い意味はないのだ、ごく軽い意味だ、ほとんど全部承認しますと、何げなく言っておられて、ようやく今になって、それはやはり文部省として独自の調査をするのだ。調査というのは教育委員会を通じてするのでしょう、常識です、これは。ところがそれはそうばかりじゃないのだ、大臣によってはもっと調査をするのだ。じゃどんな調査をするのか。それは言えない。これではこの任命の問題は軽い問題じゃありません。承認の問題を、大臣が今日まで衆議院、参議院を通じて答弁されたように、軽い意味にはとれません。調査の方法をぜひ明らかにしてもらいたい。
  195. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ひとりこれのみならず、行政で、あるいは承認し、あるいは命令し、許可し、行政行為はすべて調査の結果なるものです。思いつきですぐやるものじゃございません。ここで手続法も何もない場合に、調査の方法を言えとおっしゃっても、それは御推察にまかすというより一ほかありません。一々の事物に当ってやればいいんです。
  196. 湯山勇

    湯山勇君 いや不満です、そういう答弁は、私は。はなはだ不満ですから、一つ……。
  197. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 委員長、きょうはこの程度でやめたらどうですか。
  198. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) もう少し……。
  199. 湯山勇

    湯山勇君 私はあくまでも調査の方法を明確にしていただきたい。考えられるケースを明らかにしてもらいたい。
  200. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) このことは先刻お答えしておる通り、事案によってきまることであります。私どもはスパイを使うたり、高等警察を使うたり、根掘り葉掘りやるような心持はございません。けれども認可する以上は、これはもう適当な調べをしなければ、調べないでやるなんていう答えはできやしません。しかし、どういう調べをするかというと、そのケース、ケースによることでございます。
  201. 湯山勇

    湯山勇君 今ので特高警察を使うのじゃない、スパイを使うのじゃないということだけははっきりしました。けれどもその他のことは少しも明らかになりません。また特高警察なんていうものは、使おうたって今ないでしょう。
  202. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ありません。
  203. 湯山勇

    湯山勇君 ありませんね。そうすると、私はそこが非常におそろしいのです。簡単に大臣は今までこの問題は答弁してこられておりましたけれども、今とっさにそういうことになったので、大臣も案がおつきにならないのだと思いますから、私はやはり教育委員会を通してやる以外にないと思うのです。それ以外に方法があるようでしたら、大臣はさっきはそのほかの方法も使うと、こういうことをはっきりおっしゃいましたから、ケースによっては。これだけは一つはっきりしてもらいたい、この点だけは。これは私は絶対に下れませんです、その点に関する限りは。そうでなければ、大臣は今まで衆参両院を通じてこの問題については、委員をごまかしてきたわけです。最初のとき、ここで問題になったときなんかは、任命してから承認してもいい。これは局長御記憶でしょう。局長が大臣に注意されて、そうしてそれはそうでなかったという言い直しをされた、そういうことがあったのです、ここでは。いかにも軽いように言われて、何げなく、何でもないような、そんなことなら大して問題じゃないじゃないかというように感じさせておいて、実は今責任を持つ以上は十分調査をしなければならぬ。しかも委員会だけではなくて、ほかの機関も使う。実際にその人物委員会以上に知っておる人ならばまた別です。一般的には委員会よりもよく知らない大臣が、責任を持つために、委員会以上にその人間をよく知ろうとするためにどんな方法をとるか。これは非常に問題ですから、これはぜひ一つ明らかにしてもらいたい。そこでその御答弁があるまでは、この点に関する私の質問は留保いたします。
  204. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今の任命のことを私と緒方君との問に私語したことは、それはありまするが……。
  205. 湯山勇

    湯山勇君 ありますでしょう。
  206. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は任命をしてから、就任してから後に承認するなんということは考えておりません。しかしながら案を立ててきてから後の承認であります。私は正直にいえば、同意承認とどう違うだろうということを一ぺん考えたことがあるのです。承認というのはともかくも立案してから後に同意を与えること、こういう考えで、来た後に承認するというので、本来私は就任してから後の、あとから追認するなんということを考えたことはない。そこの表現があまりよくなかったと言って緒方君がそう言いましたから、すぐ承認するのに相違ありませんけれども、地方から案を立ててきたものに向って承認を与える。おそらくは町村同意同じような一一とを書いておるのです、町村同意は。やはり町村の議案としてその同意を求める。こちらの方は……。
  207. 湯山勇

    湯山勇君 言い間違いを責めたのではないのです。
  208. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ちょっと待って下さい。一たんできた後に承認を与える。この区別はそういうことをもってしておるのでして、その後に案が来てから承認するということで、その方が、議事録にはっきりなるように申し上げたのでして、それを私は取り違えておりません、今のことですね。これはひとり私はこの承認だけではございませんよ。およそ行政庁で承認を与える、同意を与えるのに、めくら判ではいけないのです。やはり一応の調べをして承認を与えることは当然のことで、これはあなたが非常に深くお考え過ぎかと思います。しかしながら、私が調べるということをすぐ気を回して、また公安調査庁でも使い、警察を使う、根掘り葉掘り思想傾向はどうのこうのとけちをつける、そういうことをお考えであったら、そうではないと、こういうことでございます。責任をもって承認する以上は、承認以前にこれはどうだという調べはこれはしなければならぬ、こういう意味でございますから、そういう意味に御了解願います。ここでもって承認の手続いかんなんということをきめてしまうということなどは適当でないと思います。これだけではないのです。そのほかの承認も、毎日々々やっておる決裁もすべて一応調べて後にやる、その意味承認であります。
  209. 湯山勇

    湯山勇君 納得できませんが……。
  210. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育長の承認問題が出ておりますから、私もこの機会にお伺いしておきます。なぜ文部大臣承認が必要であるのか、その積極的な理由がわれわれにはわからないわけであります。先ほども問題にしておりますように、教育委員会教育長を任命するということは、これはしごく当然のことであります。そのしごく当然なことを文部大臣承認を得なければ決定できない、こういうことがはなはだ了解できない。これには何か教育長というものを通じて、文部大臣教育行政に介入するその道筋を作っておるのではないか、こういうことを考えざるを得ないわけです。そういう点で私は非常にこれは疑問を持っております。一体積極的な理由はどこにあるのですか。教育長を任命するのに文部大臣承認が必要だという積極的な理由ですね、それはどういうところにあるか私はお聞きしたい。
  211. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 日本教育の実際を法律できめた、国家目的に沿うようにする、また教育の水準を維持する、このためにはだれかが連絡を持たなきゃならぬ、その連絡を持つ場所は、この案では文部大臣承認するという方法で連絡をとり得るとこういう考えでございます。
  212. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私にはよくわからないのですが、この教育の水準を維持するために教育長の承認が必要なのだ、それでは全く解釈できないのですがね。たとえば教育委員会教育長の任命をまかしておけば、適当な人材を得ることができない、どうしても文部大臣がここへ一本入らぬと、適正な教育長を得ることはできないとこういうことであれば、まだ話はわかりますけれども、全国の水準を維持するために教育長の承認が必要なのだと言ったって、てんで問題が違うじゃないですか。どういう意味教育長というものを文部大臣承認しなければならぬのですか。
  213. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 文部大臣は文部省設置法及び内閣法によって、教育に関する広範な責任を持っております。そのうちの責任日本の定つた教育目的を達することと、それからして日本中にある水準の教育を維持するという責任は、大きな責任でございます。現在の通り段階教育機関が、何らこれ連絡なくして別々にやっておっては、ややもするとその目的が達せられぬおそれがあるのであります。そこで教育長の任命については地方自治の精神により、教育の地方分権の精神により地方々々で御任命になるけれども、それを拝見してこれに承認を与えるというところで、全国的の連絡をとる役を務めたいとこういうことでございます。
  214. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると教育長を承認することによって、文部大臣承認をすることによって、全国的な教育の連絡調整ですか、そういうものをとろうとそういう考えで、この承認という語を入れられたのですか。
  215. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようでございます。
  216. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 連絡調整すると……、そうするとこういうことになりますね、承認するということによって、文部大臣が、教育長を使って連絡する、あるいは文部大臣考えを全国的に連絡するとか、あるいは調整するとか、そういう役目に教育長を使うということになりますね。
  217. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その役目に使うというふうな表現をされますると、いかにも不穏当でございますが、しかしながら文部省の承認を得た教育長が、各地で熱心に教育事務をされ、文部省との連携がとれるようにいたしたいとは思っております。
  218. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは教育委員会の事務局の、まあ教育長というのは教育委員会の事務局の長ですね、そうして府県の教育行政をやるこの人に承認を与えたからといって、文部大臣が直接これを使うということになると、これは非常なことになるのじゃないかと思うのですね。私ども承認ということだけでも重大な問題だと考えているのです。この承認をした教育長を、全国の教育水準を維持するために連絡調整のために使う、そういうことになれば、この教育長を承認をした意味というものは、ますます重大になってくると思うのですが、そういうことをやっていいのでしょうか、この法案は。
  219. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 使うという言葉は、あなたがお使いになった言葉なのです。そういうお言葉をお使いになると妙に響くが、といって私がそれを否定して後に文部大臣がかって承認した教育長が各地におられて、熱心に教育をやって下さることは、連携をとるのに都合がいい、この目的だとこう言ったので、使うという言葉は私が言ったのじゃありませんよ。あなたがおっしゃったのを、それは強過ぎるといって否定して、私が連携をとるに、その方がよろしいとこう言い直したのです。
  220. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育長が自己に与えられておる任務を遂行するということは当然のことです。しかし一生懸命に熱心に仕事をして連携をとってやっていくというなら、教育長が自発的に他府県の全国の教育長と連携をとってやっていくというのですか、どうですか。連携というのはだれがとるのですか。簡単に答えてもらったらよい。
  221. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これは私の言葉でおわかりになる通り、文部省が国の教育水準を維持するためにいろいろ考えることもあり、またそのためには教育長から承わることもあり、この間の連絡をとって、国のためにいい教育の水準を保とう、教育目的の達成をいたそう、こういう考えであります。
  222. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうなると、私がさっき解釈したと一緒じゃないですか。文部省が、言いかえれば文部大臣が全国の教育の水準を維持するために、文部省の考え教育長に伝える、あるいは教育長の方からいろいろの意見を求めてそうして調整するというのでしょう。
  223. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そうです。
  224. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういうことがこの法案に与えられているのですか。文部大臣にそういう権限が教育長にじかに文部省の意見を述べる……。私はそういうことまでも私はこの法案では考えなかったのですよ。文部大臣教育長を集めて文部大臣意見を述べて、そうしてそういうことを実施してもらいたい、こういうことになると私は思うのです。あるいは教育長を集めていろいろの意見を聞く、そういうことを文部省がこの法的根拠を持っているかどうか、私は非常に疑問に思うのですがね。そこまでの権限をこの法案は持っているのですか、文部大臣は……。
  225. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育長はただ教育委員会に属することを行うということは今の法律にもあり、新たな法律にもあります。でありますからして、教育の水準を維持したり、あるいは日本の国の教育目的を達するということには、文部省から教育長に連絡し、教育長に連絡するということは、教育委員会に連絡するという意味も含みますが、また、教育長さんの方で教育委員会意思として、この地方ではこうだといったようなことを申し出になることもありましょうし、その間の連携を巧みにとることはいいと私は思っております。
  226. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 かりに一歩を譲って、そういうことが必要であるといたしましても、そこからなぜ承認の問題が生まれてくるのですか。承認権というものがなければそういうことはできないのですか。
  227. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 承認をいたして、どういう教育長を各地方でお持ちになり、それはよかろうとこちらが御賛成する、そういうような人的関係を持つことが、やはり今の私には役に立つと思っております。
  228. 秋山長造

    ○秋山長造君 ほかの点を見ますと、地方の教育委員会は独自でやるのではなしに、教育委員会相互に連絡協調していかなければならぬという義務があるし、それからまた、文部大臣に対して協力していかなければならぬということもうたわれているのですね。それからまた、別な点では文部大臣が地方の教育行政に対して積極的に指導、助言、さらに援助というようなこともやれる。このことをきめられておりますね。で、そういうことでこれはもう十分じゃないですか。文部大臣が今おっしゃるような文部省と地方との連絡調整というようなことは、なぜこういう問題の非常にいろんな面から問題になるようなことをあえておやりになるのか。しかもその教育長の政治的偏向のおそれはないかという私の質問に対しては、わが党は政治中立を本体としておる政党だから、そういう心配はないというような、まるで人を小ばかにしたようなとってつけたへ理屈をつけなければ説明がつかぬような、そういう根拠薄弱なことをあえておやりになる必要はないんじゃないかと思うのです。その点一つ荒木さんの御質問とあわせて私御質問しますから、一つ納得のいくまで御答弁をお願いしたいと思います。
  229. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この日本教育は、まず全体として連携をもってよく水準を保つことが必要であります。それについては、この二段階教育機関、地方教育機関、府県レベルの教育機関、文部省、それがまるきり関係なくして存在するよりも、その間にせめては承認という関係で、機関的に連絡を持つということが、目的を達成するにふさわしいと私は考えておるのであります。
  230. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 話はずっとある部分的なところへ進んでいってるわけですが、従って時間もありませんから、話を元に戻すんですが、教育長を現行教育委員会法によって選任する場合と新法が成立後に教育長を選任する場合とにおいては、新法案の方が都道府県教育委員会においては、自主性は薄らぎますね。
  231. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今あなたのおっしゃるのは、承認ということがあるから、ひとりで一ぺんこっきりにやってしまうということに比べれば、まあ薄らぐという言葉を使えば、そういう傾向はありましょう。
  232. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういうことをただすためにさっきからやっているのでね。それからもう一つ、現行法下における教育長と文部省との関係よりは、新法案によって教育長の職についた教育長と文部省との関係は、連携その他について従来よりは密接になりますね。
  233. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようです。
  234. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その意味において、新法によって任命された教育長は、現行法における教育長よりは文部省の影響性をよけい受けるようになりますね。
  235. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そこはそう簡単にお答えはできないと思います。
  236. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 影響性は全く同じでしょうか。悪い影響じゃないんですよ。
  237. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) ちょっと待って下さいよ。その影響性という言葉も、これはむずかしい言葉なんです。影響性といいますと、日本の官庁がその行政執行について影響力を及ぼすと、こういう意味にとれるんです。わが国の教育法の全体は、地方分権でありまして、われわれの力でその影響、インフルエンスを地方に与えようと、こういう考えではないんであります。しかしながら、連絡はこれで密接にできるということまでには、私は承認しておるのであります。これをやったがために、政府のインフルエンスを、影響を府県に持っていく、もう一ついえば、圧迫をもっていく、そういうふうな意味はちっともありません。各委員会の独自性は現行法と同じように認めまして、しこうして連絡は一そう容易かつ緊密になると、こういうことなんです。
  238. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 もう一、二点きわめて簡単に伺いますが、文部省からいろいろと御調査していただいて、承認をされて任命された教育長は、現行法によって任命された教育長よりは、少くとも文部省は文部省なり、文部大臣に対して親しみを感ずるようになりましょうね。
  239. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それは御承認申し上げたのでありますから、そういうお気持があるかもわかりません。これは当然の結果とは申し上げませんけれども承認はこちらから申し上げたものでございます。
  240. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 従ってこの新法下で任命された教育長は文部省に来た場合に、文部省の石段を上る場合並びに局長の部屋とか文部大臣、次官の部屋に行った場合の気持は、現行法で任命された教育長が感ずる気持とはずいぶん違って親しみがあり、それだけにあなた方の言葉がよく耳に入り、より以上の影響を受け、そういう意味において対文部省という立場からは、教育長はやや自主性が薄らぎますね。そう思いませんか、文部大臣
  241. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 親しみがあるからといって、自主性がなくなるとは思いませんです。そこへなると、また、私が独得の論をするようでいけませんが、そこは親しい間でも、公事と私事は別でありますから、私とあなたがここで大へん親しいおつきあいを願っておりますけれども、一たんこういう議論になるというと……。
  242. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 よけいなことを言いなさんな。
  243. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 親しみがあると私が……、承認したところから心理的影響を及ぼすというところへ論じられるというと、非常に私も困る立場になるので……。
  244. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 まあ大体わかってきた。突っ込めば。最近あなたと松澤さんとの間にいろいろ問題がありましたけれども、なかりしことがあったわけですが、この問題にしても、承認された教育長と現行法における教育長の場合とは違ってくると私は思う。要するところ約六時間ほどかかって明らかになってきたことは、権限が現行法よりは弱まったところの教育委員会の自主性とそれから教育長を文部大臣承認を与えて都道府県知事任命するというこの人事の問題、こういう両面から、現行法下における教育委員会よりは、新法成立後に発足するであろうところの教育委員会教育という立場に立った自主性というものは、人によって見方は違うであろうが、ともかく薄らいでくると、一体これはいかようにこの学校教育の現実面に影響してゆくであろうという点が、これからの論議の焦点になるわけでございまして、ここらあたりでちょうど一段落ついたかに、この問題に関する限りついたかに思います。別に、明確になりましたので大臣答弁はよろしゅうございます。
  245. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 何かほかに御質疑はございませんか……。  今日午前中少しロスしましたから、委員長はできればもう少し御勉強願うといいように思いますけれども、しかしこれは各委員の御意見で、委員長といたしましては……。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  246. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 速記をつけて。各委員の御意見も出ておりますので、本日の委員会はこの程度で終了いたします。  明日は午前十時きっかりから委員会を開きます。    午後六時十一分散会