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1956-05-08 第24回国会 参議院 文教委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月八日(火曜日)    午前十一時四十一分開会   —————————————   委員異動 五月八日委員小幡治和君、岡三郎君及 び飯島連次郎君辞任につき、その補欠 として三木與吉郎君、村尾重雄君及び 河井彌八君を議長において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     加賀山之雄君    理事            有馬 英二君            吉田 萬次君            湯山  勇君    委員            雨森 常夫君            川口爲之助君            剱木 亨弘君            白井  勇君            田中 啓一君            中川 幸平君            三浦 義男君            三木與吉郎君            秋山 長造君            安部キミ子君            荒木正三郎君            矢嶋 三義君            高橋 道男君            竹下 豐次君   国務大臣    文 部 大 臣 清瀬 一郎君   政府委員    文部省初等中等    教育局長    緒方 信一君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○本委員会運営に関する件 ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○地方教育行政組織及び運営に関す  る法律施行に伴う関係法律整理  に関する法律案内閣提出衆議院  送付)   —————————————
  2. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより文教委員会開会いたします。  委員異動について報告いたします。本日岡三郎君、小幡治和君が辞任され、村尾重雄君、三木與吉郎君が選任されました。   —————————————
  3. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 理事会経過について報告いたします。  地方教育行政組織及び運営に関する法律案についての請願の取扱いに関し、昨日委員会で御要望がありましたが、本件については、関係請願が一応十二日に付託されますので、その後の適当な機会において議題とすることになりました。  秋吉台の爆撃演習地としての接収問題に関する緊急質問につきましては、本会議での緊急質問という方法も考えられますので、その間の事情を見て理事会協議することにいたしました。  明九日の委員会開会については、理事会協議を行いましたが、いまだ決定に至らないでおります。本日、委員会散会後再び理事会協議を行うことにいたしたいと思います。以上でございます。   —————————————
  4. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 地方教育行政組織及び運営に関する法律案、同法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案を一括して議題といたします。質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 質疑に入る前に、ただいまの委員長理事打合会決定について、お尋ねと御要望を申し上げたいと思います。  明水曜日の委員会開会については、委員長理事打合会でまだまとまっていないで、本委員会終了後御協議なさるということでございますが、これは委員長承知通り国会末期になりまして、各党の間でいろいろと打ち合せ、議員総会等が必要でございます。それのみならず、最近、まあ委員長非常に精励恪勤で、早期から夕刻衣で連日委員会を司会されている御熱意には敬意を表するわけでございますが、われわれも議員としてのいろいろの他に仕事もありますし、また質疑するとなりますというと、前日、あるいは前々日政府側答弁を検討して、そして質疑をするということにならなければ、実のある質疑ができません状況であって、要するところ、全く忙殺されている形でございます。従って、委員長理事打合会では、私は水曜日の委員会開会というのは、これは前例のないことですし、ぜひその点だけは一つお取りやめ願いたいと思います。さらに、審議日数の点についても、われわれきめられた日にはできるだけ確実に出席して実質的に十分審議を尽したい、こういう気持でおりますので、あれこれ勘案されて適当なる審議日数を出していただきたい。こういう点、質問に先だって特に御要望申し上げておく次第でございます。これは答弁要りません。  次に伺いたい点は、昨日、私質問するに当って必要でございますので、誤解に基く論陣を張った新聞資料を出していただくようにお願い申し上げておきましたが、今この時まで私の手元に届いていないのですが、いかようになっておりましょうか。その点お答え願いたいと思います。
  6. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) ただいまよく調べておるところでございまして、まだ本日まで提出いたしておりません。研究中でございます。
  7. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その調べているということは、なかなか見つからぬということなんですか。
  8. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 調べた上で提出いたします。
  9. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 先般の総理に対する総括質問の際における一番大きな質問内容は、この法案に対する世論の動向というのが、私は一つの大きな重点的な質問だったと思う。それに対して、文部大臣及び総理大臣も、今の世論を形成している要素というものは、法律案誤解に基くものだと、そういう新聞論調が非常に多いということを、答弁の最も大きな軸とされたことは各委員の御承知通りです。従って、その点私は究明するために、誤解に基く論陣を張ったのはどういうものがあるか、資料として出していただきたいということを要望したのですが、総理大臣総括質問のときに、あれだけの答弁をされる以上は、右から左に私は資料がなければおかしいと思うのでrがね。先般要求したのに、昨日も申し上げたように、朝日新聞のが一つ出てきただけで、追加要求をした、ところが、今朝は、今調査中だというのでは、どうもおかしいと思うのですがね。いつ出せるんですか。
  10. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) この前の御要求がございましたので、直ちに朝日新聞論説二つを代表的なものとして提出したわけでございまして、これはそう時間をかけずに出したわけでございます。さらに補充的に御要求がございましたので、さらに調べて御提出申し上げます、かように申し上げておる次第でございまして、その点御了承願います。
  11. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今日夕刻まではいただけますね。念のため承わっておきます。
  12. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 夕刻までというわけにはこれは参りません。よく調べまして、重要なことですから。提出はいたします。
  13. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 先般来答弁されたところによりますと、私はたくさん資料を持っておられると思って御要求申し上げたんですがね。質問関連して参りますので、私はそれに関しては、今日はそれでは避けます。今朝出せるものと思って私は参ったわけなんですが、その質問は、そろってからの方がいいですから、その点に関する限りはあとへ回しますが、いつまでも研究々々で出していただけぬでは、質問するのに困るのですが、今日夕刻出せぬといえば、明後日の委員会開会までは間違いなく出していただけますね。
  14. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いやしくも出す以上は、私が責任を負わなければならぬ。夕刻までは皆さんの御質問に対して答弁をしておるので、寸刻も時間がございません。夕刻まで出せとおっしゃるのは、日本じゅう日刊新聞が百二、三十ありますので、それは御無理の要求と思います。しかしながら、朝日新聞日本においての最大新聞であります。代表的にその二つの論文を出して、どこが間違っておるかを指摘いたしております。これと類似のことがたくさんあるのです。民主主義中立主義地方分権主義は一掃しておるというのです。一掃はいたしておりませんよ。これは間違いです。同様な論がたくさんあるのであります。ただ新聞の数が多いだけが能じゃございませんで、この御審議の進行に御参考になるものを精選しようと思うのです。晩までここにおるのに、きょうじゅうに出せとおっしゃるのは、これはあまりに性急なことだと思います。
  15. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣がやるのではないし、幸いにあすは委員会はないということでしょう。次の委員会までに御提出をぜひお願いいたしておきます。  そこで質問に入りますが、私は先般総理総括質問の場合若干お尋ねをいたす機会をお与えいただきました。本法律案については、文部大臣質問申し上げるのはきょうが初めてでございます。今までのは関連質問であったわけでございますが、これをまあ検討してみますというと、関連法律が、提案理由を見ますと、二十ばかりあるようです。ずいぶん広範な影響性を持っている法律案でございます。立法技術の面からいいましても、また日本教育国民に及ぼす深さ、幅というものは、私は教育立法としては、その内容からまれにみる重大内容を持っているものと思います。今までのこの委員会審議経過を見てみますというと、大体においてこの法律案提案しなければならなかった、提案に至った理由、その経過というものを大体一通り当ったという程度で、まだ内容面にはほとんど入っておりません。いずれ内容的には、先ほど私が申し上げましたように、他の二十に余る法律関連があるだけに、逐条審議の場合に逐次掘り下げてたださなければならないと思っているわけですが、本日、私は総括質問文部大臣にするに当って、内容的な総括質問に入る前に、もう少し、私はこの法律案提案するに至った前提条件について、もう少しただしたいのでございます。率直に言って、私はこのときにこういう内容法律案を、すなわち日本地方教育行政制度市町村まで確立したのは三年前だ、そのきわめて短期間の経験、実施しかかったのに、今早急にこれほどの法律案を出さなければならない現実必要性というものを、いかようにつかまれたかという点を、もう少し私はこの委員会を通じて国民に明確にしないというと、世論がいろいろ起っているだけに、国民も納得しかねると思うのです。従って私はその立場から伺いたいと思うわけです。それを伺って、私に与えられた範囲において、内容に若干触れたいと思います。  さらにそれに入る前に、先般の関連質問一つ締めくくりとして私は伺いたい点は、先ほどもお話が出ておりましたように、今までの質疑で、あるいは東京あるいは関西の総長学長のこの法案に対する見解とか、あるいは三十になんなんとする教育関係諸団体のこの法案に対する批判的な意見に基く請願、陳情とか、あるいは全国の二千近くになんなんとしておりますが、教育学者、まあ学者方々のこの法案に対する御意見、そういう世論大臣はどういうふうに考えているかということが、繰り返し質疑されたわけでありますが、その段階において、私は一つ締めくくりをしたいというのは、先般私が文部大臣質疑をした場合に、文部大臣は、まあ東京大学矢内原総長の声明なるものも賛成ではあるが、現実に即していないようだし、まあ教育に携わっている人があまり政治の問題にとやかく介入しない方が望ましいという意味発言をされましたので、私は文部大臣に、大学総長あるいは学長、これはまあ研究学徒でございますが、こういう方々日本の国の政治を批判し、さらに具体的に文教政策に相当鋭い批判を学内の教授会において、あるいは教え子を対象になすことを大臣はどう考えられるかということを私は伺いました。そのときに一つの例として出たことは、たとえば東京大学卒業式において矢内原総長がかくかくの内容告辞を述べておる、こういう点をどう考えるのかという具体例をあげての追及に対しまして、文部大臣は、抽象的なことではわからぬ、はっきりその矢内原総長がどういう話をしたか聞いていないので、見ていないので何とも言えない、そういう文部大臣発言に対して、それではその告辞を取れという他の委員発言があって、そこで昨日卒業式告辞というのが資料として出た。そこで私は、先刻政府委員を通じて文部大臣にこれを読んでおいで願いたいということを御要請申し上げました。おそらく読んでおられると思いまするので、先般の質問とも関連するわけでございまして、この際文部大臣のこの卒業式告辞に対する御所見を承わりたいと思います。
  16. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 東京大学学長が本年の三月二十八日に卒業式告辞としてされたものは、りっぱな告辞と思います。
  17. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 文部大臣はりっぱな告辞という表現をもってお答え願いました。で、私もさすがは日本の首都にある歴史ある伝統ある東京大学総長だと、実はこの文章には全く感銘をいたした次第でございます。読めば読むほど味が出てくるりっぱ告辞だと思うのですが、もうちょっと掘り下げて文部大臣所見を伺いたいのです。それはこの二枚目の裏の終りから二行目に「第二に、言論教育に対する国家的統制動きがある。」というところからちょっと読んでみます。「動きがある。放送法改正は、言論・宣伝の自由の原則を害うものではあるまいか。教育委員会制度改正法案並びに教科書法案のごときは、教育に対する国家的統制思想を含む立法ではあるまいか。言論の自由・思想の自由・教育の自由を尊重することは、自由主義国基本的原則であって、その点において共産主義国家もしくはファッショ国家の行き方と全く異なるのである。終戦までの日本の状態は、国家権力による言論思想統制教育画一化が甚だ顕著であって、それがどれほど民主義思想発達を害したかわからない。終戦後の改革は政治教育を分離し、国家権力統制・干渉から教育を守る体制を作り上げたのであるが」と述べて、そして一行飛ばして、この項に関する結びとして、「過去の国家主義日本への復帰の傾向を示すものではあるまいか」と、きわめておだやかに含蓄ある表現をもって警告を発しておられます。これは実に私はりっぱだと思うのですが、大臣の御所見を重ねて伺います。
  18. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 学長は非常に慎重な用語で、過去の国家統制に帰るのじゃあるまいかと心配なすっておるのであります。私どももよく注意をしなければならぬと思っております。しかし私は意見は異なっています。私は過去の国家統制には戻そうとは思っておりません。けれども学長が御心配下さることを非難するわけにはいきません。
  19. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は、この内容についてこの委員会のこの場においてずっと掘り下げてあなたと質疑応答する考えはございません。ただ私が重ねてはっきりと伺っておきたい点は、この告辞は非常にりっぱだと大臣認められました。私は、いやしくも一国の総長あるいは学長というものは、これは政治、外交、経済、すべてに相当突っ込んだ意見を開陳しているわけですが、こういうことは望ましいことだと認められてしかるべきことであって、国家権力によってこういう傾向を抑制するがごときことは断じてあってはならない。その点については、私は文部大臣はお認めいただくと思いますので、それを伺うことと、それから私があえて冒頭にこれを出したことは、今、日本言論の自由というようなことが言われておりますが、総理もそれを保障すると言われておりますが、これだけの発言を生徒に対してなし得る日本学長が何人あるかということです。国立大学七十二ありますが、文部省の抑圧におびえて、いわゆる新制大学学長などはこういうことを学生を相手に言い得ない状況にあります。ことに学芸大学学長等に至っては、非常に自分の思うことを言えない状況になっている。私は果してこれで学問の自由とか、あるいは言論の自由というものが保障されていると言えるかどうか。また一国の将来の盛衰に影響を及ぼすところの一国の大学学長がそういうことでいいのかどうか。それであったならば再び私はかつてのあやまちを犯すのではないかと若干私は懸念をいたしております。そのときに、先般文部大臣が、教育関係の人があまり政治関連あることについて発言するようなのは慎しんでもらいたいという意味発言がありましたから、私はそれをまあとらえたわけでありますが、こういうことは、はっきり伺いますが、けっこうですね、こういう批判的な演説を総長学長学園内でされるということを好ましくないものとして、文部省的な一つ圧迫感をもって総長学長に対処するというようなことは、絶対に私はあってはならないと思うのですが、その点はっきりお答えおき願いたいと思います。
  20. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この第二という文は、私は意見を異にしております。しかしながらこれに対して圧迫がましい発言もいたしたことはございません。私が先般言うたこととして、あなたが政治介入を戒めたかのごときことをおっしゃいますが、この委員会でそんなことを言った覚えはございませんが、何かお聞き違いであるまいかと思います。(矢嶋三義君「よろしいですかな」と述ぶ)これと私は意見を異にしております。非常に異にしておるのです。非常に異にしておるけれども、私と意見を異にするということで、これを批評したり、圧迫はいたしません。ほかの新制大学についてもその通りであります。過去の国家統制に帰るというようなことはありはしません。日本の国体が変っております。過去は上に主権があってやったのです。今度は下に主権があるのですから、過去の国家統制に帰りゃしませんよ。これは間違いです。
  21. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は内容的なことを、さっきから繰り返しておるように、ここで言う考えはないのですよ。やるのだったら、あなたと矢内原さんと対決してやっていただかなければ欠席裁判になりますし、それからまた人の言ったことを中心にこの委員会であなたと私と質疑するよりは法律案中心にやりたいので、そうでなくて私がお伺いしておる重点というものは、大臣お認めいただいたからそれでけっこうです。七十二国立大学があるわけですが、各国立大学学長は、学園内においてそうした自分の信念に基いて所見を披瀝するということは、言論の自由、学問の自由とという立場から何ら差しつかえない、こういう見解文部大臣が持っておられるということが私ははっきりなった、それだけでこの質疑はけっこうでございますので終ります。  次に質疑をいたしますが、それは先ほど申し上げましたように、この法律案前提をもうちょっと伺うわけです。大臣は、市町村まで教育委員会が設置されたのは御承知通り二十七年の秋でございます。で、三年有余しか経過していないわけです。事、教育のこと、その制度というものは朝令暮改であってはいけないということは言うまでもないと思います。そこで私詳しく承わりたい点は、にもかかわらず、今日このときにこれほどの内容を持った教育制度の変革、この法律案を必要としたおもなる理由項目をあげて、おもなる理由ですから、項目をあげてお答えを願いたいと思います。
  22. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 昨日川口さんのお問いに対して申し上げたところをまず引用いたします。それからなおその細目に入りましては、大よそ次五つくらいなことを眼中においております。一つは、今日の地方教育行政は、一般行政との間の調和が十分じゃございません。各府県においても市町村段階においても、町長及び町議会の一般行政教育行政との間の調和が、全部じゃありませんけれども、とかく十分でないから、これを一つ考えようということが第一でございます。それからしてもう一つは、このままの直接選挙では、ややともすると、教育委員会政治的中立がよく維持されるかどうか。ことに二大政党組織がだんだん進んでいって、私ども党派町村にまで支部を持ちたいと思っております。あなた方の御所属の党派はむろんのことであって、行き届いた発達をしておられます。この情勢からすれば、地方教育委員会五人とも一党に属するといったようなことがあって、直接公選では中立が脅かされるおそれがありはせぬか、これが第二でございます。今の制度でやれば、教育委員会選挙ごとに新たな構成になりまして、教育行政の安定を害するおそれがなきにしもあらず、かように考えまして、任命にしても、段階的に一番初めのときに任期をきめてやっております。すなわち教育行政の安定を一つ保つことを考えなきゃならない。それから今の法律では市町村の……
  23. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 第三番ですか、二番の説明ですか、今言っているのは。
  24. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いや、三番……。一番初めが調和のことを言ったのです。第二が中立性のことを言ったのです。第三番目が安定のことを言ったのです。
  25. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 はい。
  26. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それからして今の地方行政組織では、市町村委員会も県の委員会も同じレベルにあるんですね。それから文部大臣はこれらを指揮監督する権限はないのです。三つの段階はありまするが、これが全く横に切ったようなものであって、日本のような一つの言葉を使い、一つの民族である日本教育行政としては連携がない、全体を一つのエンティティとしての連携を保とうという考えを持ちました。これは四番目になりまするか。そういうもののすべての行政は、簡素で、簡単にしたいという考え五つであります。県の教育委員会委員の数を減したり、あるいはまた町村においては教育長委員のうちから選定するといったような考えは、この簡素ということであります。今回のような改正を思い立ちましたのは、きのう川口さんのお問いに対して私が答えましたように、昭和二十七年地方にまで教育委員会が行き届いたその瞬間から、教育委員会というものは世論の的で、各方面からの研究も出、また特殊の委員会の答申もあり、われわれ党内においてもいろいろ議論がありましたから、これを研究して立てたのでありまするが、最小限度……まだほかに付け加えますが、外国の経験も利用いたしまして、最小限度この五つぐらいのことをやる方がよかろうというので、この法案を組み立てておるのでございます。
  27. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 質問を続けていくに当りまして伺いたい点は、昭和二十三年四月、教育刷新委員会が、教育委員会制度について建議をなされております。そうして今度廃止されんとする教育委員会法は二十三年の七月十五日に成立をいたしております。この教育委員会法立法精神というものは堅持しながら、今言った五つ要求を満たすために、今度新たにこういう法律案提案された、こういうことですか。
  28. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようでございます。
  29. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そこで一つの大きな問題としては、現行教育委員会法立法精神の中核は何か、それが今度の教育委員会法において、大臣が認められますように、守られているかどうかというこの議論一つあると思います。それはあとに残しておきまして、私はただいまの大臣の御答弁のありました五つの点について、もう少し質疑さしていただきたいと思うのですが、大臣の私の質問に対する答弁から、この五本の柱が倒れたならば、この法律案は撤回するなり大修正をされなければならない、そういうお気持で私はこの法律案を出され、今そういう気持でおられるものと当然推察するわけですが、あえてお答えを求めます。
  30. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 大へんむずかしいお問いをこうむりましたが、この五つのことは相互やや違った方面であります。そのうちの一つができなくても、やはり改善の目的は達しまするが、私どもとしては、良心的にいいことと思っておりまするから、すべてについて御賛成をいただきたいと切に願っておる次第であります。
  31. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 われわれに審議権を与えられ、ここで審議するゆえんというものは、あるいは教府提出案の形で案件を出しましょう、あるいは議員提出の形で法律案が出ることもございましょう。どなたもオールマイティでないわけですから、その立案に至る前提の分析並びに判断に若干のあやまちを犯す場合もあると思う。それがあるかないかということを私は提案者に対してただす。そして審議権を持ったわれわれが結論を出すというのが、本委員会並びに参議院本会議がある私はゆえんだと思うのです。そこで私は先ほどから、この制度が発足して四年にもならないのに、事、教育のことに関する朝令暮改を避けなければならぬ。こういう制度の変革をはかる必要がぜひともあったというおもなる理由をおあげいただきたいと言ったところが、その理由をおあげいただいたわけです。これあるがゆえに、あなたは私どもに対して、この法律案審議してほしいと要請してきたわけです。だから理論的にいって、これはこれから審議して参りますが、このあなたの分析、判断が誤まっておったということになるというと、これから出てきた法律案件については、あなたは再考されるのが私は当然だと思うのですが、これはもう答弁の必要ないと思うのです。そうでございましょう。自信があるわけでしょう。
  32. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 答弁の必要なしということでございまするが、(矢嶋三義君「それほど明白だというわけですよ」と述ぶ)これは必要なことであって、現在やっておることには五つくらいの欠陥があるから、やはりこれを改めるということはいいことだと思っております。
  33. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この点に関してさらに突っ込んで伺って参ります。第一番に大臣があげられた点は、一般行政教育行政との調和がうまく行っていない。これはどういうことなんでしょうか。具体例をあげてお答え願いたいと思うのです。
  34. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) これは各府県の行政においてもえてしてかの二本立予算をめぐって争いが起りがちでございます。町村においてもその通りでございます。  もう一つ法律的に申しますれば、こういうことがある。昨日私が説明しかけたら簡単にやれとおっしゃって、簡単に言いましたが、町村でも府県でも一つの公法人であります。その代表は一つであるべきもの。ところが今の法制では学校の敷地、建物です、この取得を教育財産といって、町村長によらずに教育委員会というもので取得して登記しておるのです。それらもどうしたって、使うのは学校で使ってよろしいが、町村の財産というのを別の委員会が取得して登記するというようなことも、はなはだ明治以来の考えとしては不調和に思うのであります。これらはやはり訂正しなければなりませんので、一般行政教育行政との間の調和をはかるという必要は現実にあると、私はかように思っております。
  35. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 質問を続けるのに当って、もう一つ前に返って、大臣、この戦後の教育になる前、戦時中並びに戦前の日本教育というものが、あるいは軍閥官僚、さらには政治権力等によって、好ましくない程度の支配を我が国の教育が受けたということを大臣はお認めになるでしょう。まさかこれは否定されないでしょうね。念のために伺いましょう。
  36. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 戦前のわが国の教育は、あのときの国体は、主権が天皇または国家にあるということで、上からの教育というふうなものであったのです。明治五年に学制ができてから戦争までその通りであります。今日は国民主権を持っておりまするから、戦前の通りじゃございません。それが私と矢内原先生との意見の相違であります。今日は文部省はありまするけれども国民自身から託された文部省でそこに従事しておるものは官吏じゃないのです。公務員です。憲法によって国民に対して責任を負っておる。まあこういう相違であります。そこで戦前の上からの教育行政並びに教育内容は功罪ともにあります。明治五年にこの制度を作ってから泰西の文物等を輸入し、急速に日本が発展いたしました。スエズ以東に日本くらい泰西の文物を吸収してこれだけの進歩をした国はないのであります。一方においては、非常なこの民族発展に手柄を立てておりまするけれども、上からの教育でありましたがゆえに、そのときの情勢で、ある場合には政党、ある場合には軍部、これの支配を受けることは免れませんでした。最後の段階に至ってわが国がついにこの大戦を巻き起すことを阻止し得なかったということは、日本国民の素質、すなわち明治以来の日本の素質が、十分にこれに抵抗するだけの批判力を養い得なかった。これは私は戦前の教育の間違いと思います。軍部がどうあろうと、なすべき戦争でないということをぶつぶつ言った者はありまするけれども、面と向って軍部に反抗をするというだけの気力を養い得ておりません。これは戦前のやはり服従を本位とした教育の欠陥と思います。しかしながら急速に文物を吸収し得たというのは、一九七二年、これは世界では二番目の義務教育でありまするが、その効能はあったのであります。悪いところだけを責めることも酷、またいいところだけを自慢するのもいけませんが、功罪ともにあったと申し上げなければならぬと思います。
  37. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は罪ばかりあって功がなかったとかいうようなことを伺っているわけじゃないのです。私が伺った点については、文部大臣答弁がございました。しかし少くとも私が伺っておる重点は、かつての日本教育が、政党あるいは官僚あるいは軍閥によって、望ましくない程度に支配をされたというこの事実を認めるかどうかということを伺ったわけです。それに対して、文部大臣はそれをお認め願ったわけですから、私の質問はそれでよろしいのです。  私は参考に申し上げておきますがね、私の父はちょうど私が小学校一、二年ごろは村の村長をやっておったんです。そうしてこれも私は聞いていただきたいのですが、子供とちょっと争いごとをすると、そうすると、先生が何かきついことを言うと、他の子供がお父さんに言って首切ってもらうというようなことを言っていました。私のおやじはそういうことをやらなかったのですが、村会議長とか何とかいう者の子供が先生からちょっといじめられると、お父さんに言って首切ってやるぞと言うと、ほんとうにやったのです。私はおそろしいものだと思った。これは大分県というところは政争の激しい伝統のある県だから、日本全国津々浦々に至るまではそうでなかったのですが、少くとも村長とか村会議長とか、それに準ずる村の勢力者は当時の小学校の先生の首を自由自在に動かしておった。これは私は小さいときこの目で見ておる。これはささやかな例をあげたわけですが、政治影響を受けておったわけです。そこでこの教育委員会法が出てきたのは、私は政治権力からの独立ということが一つの大きなねらいになっていると思うのですが、いかがでしょう。
  38. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 一般の行政とは別に教育委員会なる合議体で執行しようということはその通りでございます。それからまたあなたの御郷里の熊本のこともやはり承知しております。(「大分だ」と呼ぶ者あり)政争の激しい県でございまして、あなたのおっしゃるようなこともあったのは事実と私も考えます。
  39. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そこでさらに伺いますが、政治権力からの独立と、それから教育文化というものが、文化国家建設を指図しているところの憲法を抱いているわが国において、これが不当に軽視されないように、特に財政的立場から日本の民主教育を育てなければならないという立場において、先ほど大臣が触れましたような原案送付権、いわゆる二本立案の提出というような形が私はこの法に残されておったと思うのです。これはもう伺う必要はないと思います。ところが大臣は第一の理由として、一般行政教育行政との調和が保てないから、こういうことを言われておりますが、そこで私が伺わなくちゃならぬ点は、全国の都道府県教育委員会において、保てないからこの二本立案を議会に出して非常に支障を来たしたような例というのはどのくらいあるのか、あるいは全国市町村教育委員会においてこの二本の予算を議会において問題にした場合がどの程度あるのか、これの正確な数字を伺わなくちゃならぬと思います。私は、若干意見が入りますが、私が見あるいは聞いている範囲内においては、それは若干の県においては、確かに二本立の予算において文教予算を守るべく議会と若干議論をした場合もございます。しかし破局に導いた例というのは承知いたしておりません。大部分の教育委員会、特に市町村教育委員会というものは、これは伝家の宝刀として持っているだけであって、これを抜いたところの市町村教育委員会はきわめて少い。ただ発足当時、たとえば町村長の選挙をする、そうすると町村長の選挙に負けた人が、今度教育委員になった、そのときの選挙の感情から教育委員会教育委員あたりになられて、そして首長選挙のときのしこりが残っておって、そして個人的に若干摩擦をしたような場合を私は聞いております。これは制度が悪いのじゃなくて、人間の弱点でございます。ところが二年も三年も経過するに当ってそういう人間的な弱点から来るところの摩擦というもののが漸次なくなりつつあることは、絶対に間違いない。絶対に間違いない。これは私は責任をもって申し上げます。そこで私は先ほど大臣の御答弁をいただきたい。一体どのくらいあるのか、責任ある数字をもってお答え願いたいと思います。
  40. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今まで調べたところでは五県に事件が起っております。
  41. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 どこどこですか。
  42. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 福岡県、滋賀県、島根県、またもう一度滋賀県、奈良県、事件として二本立予算を出し、また紛糾したのはそれだけであります。
  43. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 市町村は……。
  44. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 非常にたくさんにわたりますので、手が届いておりません。
  45. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それなら調べたらよろしい。非常にたくさんな数字といっても、日本の今の市町村は合併なんぞされておるから、もう一万をずっと割っておるはずです。この法案を出す以上は、市町村の二本立の予算がどのくらい出たかという数字がわからないというのは心外千万ですが、どのくらいある予定ですか、そこを調べていただきたいと思います。今、数字を持っておられないならどのくらいの程度と予想されておるのか、その程度を承わって、正確な数字は後刻承わります。
  46. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 市町村の今の数は五千五、六百でありますが、昔は一万以上あった。一万以上あった時代にはこの法律があったのですから、追って調べられるだけは調べて申し上げますけれども……。
  47. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 責任がないぞ……。
  48. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 何しろ県においてこれだけの問題があるとすれば問題だとわれわれは見ております。
  49. 秋山長造

    ○秋山長造君 市町村の例も問題ですが、その前に、今御答弁で、府県の中で五つそういう例があるというお話ですが、その県側と教育委員会とがそれぞれの予算案をもって対立した場合ですが、その結末がどういうふうについているのか、その点もあわせてちょっとお伺いしたい。
  50. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 今二本立予算並びに条例案等をめぐりまして紛糾をいたしました事例を五県だけ大臣からおあげになったわけでございますが、御要求でございますので簡単に申し上げますと、福岡県の場合は本年、三十一年度の予算に関しまして問題が起っております。これは教員定数並びに教員単価につきまして、教育委員会の案と知事側の案とが対立いたしまして、それが県議会で予算として成立いたしませんで、そうして審議未了に相なっております。従って知事は原案によって専決をいたしておりますが、その後の状況を聞いてみますと、教育委員会と県側とで——県側と申しますか、知事側とで、両者で教員の実態調査をやっております。こういう状況のようでございます。それから滋賀県につきましては、昨年の十月に条例案の提出をめぐって紛糾いたしました。昨年の九月に、知事側では財政再建のために教職員の定数の整理をするというわけで、そのことにつきまして教育委員会に対して協力方の申し入れがございました。その人員につきまして教育委員会側と知事側との意見が対立いたしまして、最初原案送付教育委員会側からございませんでした。従いまして紛糾を重ねたのでございまするが、結論的には、その後教育委員会から原案を送付いたしまして、議会に提案いたしまして、それが可決になったと、かようなことでございます。
  51. 秋山長造

    ○秋山長造君 しまいのところをはっきり……。
  52. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 議会に提案されまして、それが可決された……。
  53. 湯山勇

    ○湯山勇君 どちらの案……。
  54. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これは知事の案が可決されたことは間違いないですね。
  55. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 結局教育委員会から原案を送付いたしまして、それが可決された、こういうことでございます。その間紛糾を重ねて折衝を続けました結果、そういうことになった、こういうことでございます。  それから島根県は三十年の八月でございまして、対立予算が出まして、知事側はこれは教職員の昇給昇格について期間の延伸が主張されました。教育委員会におきましては、その延伸に反対であるということで対立いたしまして県会は紛糾いたしましたけれども、結局教育委員会側の案は否決されたのです。  それから滋賀県につきましては、二十九年三月でござまして、三十出されまして紛糾を重ねました。いわゆる二本立予算として、議会に教育委員会の予算が付記されて出されたわけであります。これは小中学校、高等学校全部にわたりますが、その定数につきまして、知事側と教育委員会側とで開きがございまして、結局教育委員会の案は本会議で否決されました。  それから奈良県におきましては、二十九年二月でございまして、三十年度予算の編成に当りまして、やはり教員定数をめぐっていわゆる二本立予算になったわけであります。これも両者の主張に開きがございましたが、知事側は結局教育委員会の案を付記いたしまして、いわゆる二本立予算として県議会に提出いたしましたが、これは知事案の通りに可決されました。  まあ概況を申し上げますと、以上のごとくであります。
  56. 秋山長造

    ○秋山長造君 今顕著な例の御説明があったのですが、今承わったところでは、これは特に地方行政の不調和を来たしているということには当らないのではないかと思うのです。(「そうだ」と呼ぶ者あり)この程度の問題は、これは地方政治の上においては何も教育の問題に限らなくても、県会をめぐって始終ある問題でして、大よそ行政に携わり、政治をやる限りのものが、自分の仕事をやる過程においてこの程度の問題やもめごとがあるのは、これは当りまえの話だと思うのです。ましてこの教育問題というのは、何といいましても地方行政においては相当なこれは比重を占める部門ですからね。しかも予算額その他においても相当な比重を占めておるのですから、その問題をめぐってこの程度の意見の対立相剋があることは、これはもう当然過ぎるほど当然だと思うので、問題はただそれがもういつまでももめたままで、そのために地方行政というものは機能を停止してしまうというようなことに万一なる例が多いならば、それはその場合に初めて、現在の制度では地方行政調和がとれないからという理屈にはなりますけれども、これはみなそれぞれにしかるべくこれは解決をしているのですね。別に国の手をわずらわさぬでも、地方において県会が中に入ってそれぞれ結論を出して一応落ちつくところに落ちついておるのです。ただ一つ例外は福岡県の場合、福岡県の場合はごく最近の問題ですけれども、これですら結局県側とそうして委員会側が歩み寄って、この問題の起ったそもそもの前提がはっきりしていない、福岡県における教員定数というものの実態がはっきりしていないというところから問題が起っておるのだから、双方で協力して教員の実態調査をやった上で一つ結論を出そう、こういうことに今の局長の御説明ではなっているのですから、これまたおのずからそこに調和というものがとれつつある段階です。だから、これだけのたまたま、しかもとるに足らない例を持ち出して、しかるがゆえに教育委員会というものが予算の提案権を持っておっては、これは地方行政を撹乱する、紛糾させると言うことは、私はちょっと理屈にならぬのじゃないかと思うので、かりに文部大臣のおっしゃることに百歩譲って、そうして文部大臣のおっしゃったような調和という考え方でいきますならば、これはもう昔の大政翼賛会と同じ考え方だと思うので、問題があるのをあえて問題に目をつぶって、そうして制度だけを、もう問題が起らないように、紛糾させないように制度だけきちっときめて、そうしてこれで問題がなくなったのだ、こういう解釈と同じで、実際には問題がたくさんある。ただその問題のはけ口をとめてしまって、そうして問題のないようなルートだけを開いて、そうしてそれに無理やりに乗せていこう、私はこういう考え方は非常に安易な考え方ではないかと思うのですが、その点文部大臣はどういうふうにお考えになりますか。
  57. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今簡単に数字だけ申し上げたのでありまして、福岡県のごときはもう地方で非常な大騒動であります。けれども、つらつら考えるというと、一体府県というものも市町村というものも一つの公共団体なんです。ちょうど国の予算をわれわれが議するのと同じことであります。ここでも教育予算だけを別に切り離しえない教育委員会というものが別におって、そこでがんばるといったようなことは、ちょうど昔の軍部が統帥権独立で無理に予算を取ったのと同じような格好なんです。かりにも一つの公共団体とした以上は、みな公共団体の機関で仲よく一つ予算を出すということが、これは私は当然じゃと思うのです。(「そういう説明じゃだめです」と呼ぶ者あり)収入の方を少しも——またその権利もなし義務もない。外国では教育だけの課税をして収入を取るところがある。けれども日本ではそうは行っておらぬのです。ただ使う方だけを一つ委員会にまかして、まかり間違えばその案を出していくといったようなことは私は正常なやり方でない、こう認めるのであります。
  58. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これは非常に掘り下げておかぬといけない点ですから私一言やって、質問していただきますが、大臣、私は大臣に確かめたい点は、都道府県教育委員会昭和二十三年に発足しているのです、秋に。そうして現在まで四十六都道府県、予算案を作った総数は三百六十八です。その中にこの法律案提案する原因となったこの不調和を来たしたがゆえの事故として五つあげられた。三百六十八の中の五つですよ、パーセンテージでいけば一・三%、これが件数として重大視しなきゃならぬ数的根拠を持つか持たぬかということが一つと、それと市町村教育委員会については、二本立の予算案の提出によっていざこざを起したのがあるかないかという調査をされていないというところの不用意さ、この数的な面からの問題と、それからもう一つは、今度は内容面でもしこういう改正をやったならば、清瀬文部大臣のその名は、日本教育財政を危機に陥れた日本教育史上の一つの大きな山として長く歴史に残るでしょう、日本の。ということはですね、こういう伝家の宝刀がなければ教育は守れないというところから出ているのでしょう。先ほど五つの県の説明からですね、守れないという立場から出ている。ところが三百六十八の予算を組んだわけですが、その大部分は忍ぶべからざる点を忍んで調和を保って予算を成立させて執行してきているのです。非常に私はけっこうなことだと、かように考えているわけです。それで御答弁いただくわけですが、福岡の場合をあげてみますがね、これは私はよく知っているから聞き捨てにならぬと思う。実情の一端だけ申し上げておくのです。これは教育を守るためには、これだけの教員定数が必要だと、またこの程度の予算を福岡の県財政から組めるという立場から教育委員会は案を出したわけです。ところが知事は納得できないというので二本のものが出たわけでしょう。そこで県教育委員会と議長とが話し合いをしてまとめる道もあるわけですが、知事は、県側はどういう態度をとったかというと、議事の引き延ばし作戦で、県会を開けば多数決で教育委員会の方が成立するのです、はっきりと。ところが知事は自分の所属しているその党派方々を動員して、そして議事引き延ばしで県議会を開会させなかった。そして時間切れに持っていった。そこでこれは不成立となった。そうして事もあろうのに、土屋知事は一年間の予算を専決処分にした。これは自治庁の後藤財政部長もびっくりしていますよ。この間もこの委員会でちょっとやったでしょう。後藤財政部長が非常に異例だ。そんな、二、三カ月の専決処分ならわかるが、地方財政を一カ年間専決処分にするということは希有のことで普通でない。従って知事としては、一年間の専決処分はしたけれども、早急に議会を招集して、県議会を招集して、そうして野党側も——野党側は多数ですが、それがのんでいただけるような早く妥協案を作って県議会の承認を得なければならぬ。そうしないで一年間の専決処分をしたままでいったならばいかぬと、こう言っておる。むしろ非はこれは土屋知手側にあるのですよ。そういう事情を知らぬ人は、今のあなた方の説明を聞くと異様な感じがすると思う。要するところ、ぎりぎり一ぱい、これだけの教育は守れないという立場から、三百六十八件のうち、こういう五つの事件が出てきているわけですから、この五つの例をもってその一般行政との調和がとれないので、これだけの根本的改正をしなくちゃならぬというのは納得できないと思うのですが、文部大臣は福岡のそういう事情は御承知になっておられるのかどうか。それからさっき申し上げましたように三百六十八のうちのたった五つなんです。それがそれほどこの数字というものは重視しなければならぬ数字か。それから市町村については、数字を持っておられないということについて不用意とお考えにならないかどうか、それだけ一応承わって、他の委員質疑があるようですから、他の委員質疑を承わってさらに質疑をいたします。
  59. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) およそ行政法規の運用は、ここまで至るのはよくよくでありまして、表に現われないで不都合の生じておるものはたくさんあるのです。  それから数のことをおっしゃいましたが、これはみな近年これが現われたのです。滋賀、奈良は二十九年であります。これは二つ。それからして佐賀、島根は三十年であります。それから福岡は今年でありますので、二十九年からは連年これが現われております。この情勢から行けば、来年もまた一つないし二つこういうことが起る、その次も同様ということでありまするというと、教育は大切なことだけに憂うべき私は現象であろうと思うのです。(「法律で認めているのだ」「答弁でたらめだ」と呼ぶ者あり)それゆえに、こういう原因はどこにあるかということをつまびらかに考えるというと、教育を守るという言葉はいい言葉です。守らなきゃなりませんけれども、しかし一つの公共団体としての行政の一部とすれば、やはり収入も考え、またわが国は戦後独立の初めでございます。このごろは赤字財政というので、日本全国を通じて各府県とも赤字に苦しんでおるのです。ともに教育の方も苦しんで、全面的のもう少し高い目から私は方針を立てるという方がいいのであって、教育委員会教育を守るというモットーの下に、昔の軍部が統帥権の独立を唱えたと同じような行き方をとるということは……(「でたらめを言っちゃいかぬ」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)私はこう思っておるのです。率直に申し上げます。(「違うですよ」「統帥権のことは違う」と呼ぶ者あり)
  60. 田中啓一

    ○田中啓一君 私は矢嶋さんの御質問大臣の御答弁に関しまして二点ばかり御質疑を申し上げたいと存じます。  第一は、教育は、あるいは教育行政であったかと思います、意味は。政治権力から独立をしなければならぬ、いかが思うかという御質問であった、かように私は受け取りました。それに対して大臣は、その通りに思う、かようにおっしゃったように覚えるのでございますが、私は、どうも教育行政政治権力から独立をするとは思いません。教育委員会は明らかに私は政治権力だと存じます。何らかの方法によりまして構成されたものが決定したものに国民が服従をしなければならぬという関係に立ちますものは、私は全部政治権力だと思います。まあ狭い意味であれば、行政権力かも存じません。かるがゆえに、教育基本法も教育委員会法も、教育が「不当な支配に服することなく」と書いてある。私は正当な支配には服しなければならぬものだと思っておる。この点、おそらく大臣は御答弁を簡単になさった意味で意をお尽しになっておらなかったことであろうと存ずるのでございますが、しかし、あるいは、また私の考えていることが間違いであるかわかりませんので、御所見を伺っておきます。
  61. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りでございます。独立と言っても、すっかり切り離したものではいけないということは、今さっき例をもって私が言ったことで御承知を願いたいと思います。国内でも、町村内でも、一般の行政と違うのだというのでは行き過ぎであります。ただ、新教育法では、一般行政と違う機関で別にやっていくということが、この教育委員会を設けたゆえんだということを独立という言葉で簡単に了承したのであります。
  62. 田中啓一

    ○田中啓一君 その次に伺いたいのは、予算編成権の問題でございます。国というものも一つのものであり、また、地方自治体というものも一つのものであるのであります。そこで、それぞれの団体が、政治団体が、国民のためにいろいろな仕事をしていくわけなのです。予算の要ることは当然でございます。国でも非常に予算の編成権というものはやかましいものでありまして、憲法に書いてある。そしてまた、おそらく一つの政府以外にまた別の予算編成権を持っておるものを作ろうと考える者は、私は一人もないと思うのです。これはもう今日、学界も、あるいは各政党でも全く異論のないところであろうと思います。ところが、地方自治体につきまして、従来の教育委員会法というものと、明らかに予算編成権を二つ認めておる。しかも、日本は自治体を教育自治体と一般自治体に分けてはおりません。一つの自治体。そこで、予算編成権を二つ持つというのは、私は本来実に妙な教育委員会法であったと思うのであります。昨日引用いたしました昭和二十七年の全国町村教育委員会が置かれました際に、学者方の出されました意見書の中に、アメリカ育ち、とありましたかな、今ふろしきに包んでおるのでありますから、のものを日本に急いで実行をしたきらいのある教育委員会制度が、と、こういうような言葉が書いてございました。どうも私はよく存じませんのですが、アメリカの教育委員会というものは、あれは教育自治体という、一般自治体とは別の自治体を作っておるのじゃないかと思うのであります。それだから、むろん予算編成権もあれば、議決権も一緒にあったのかもしらぬと思うのであります。当りまえのことだと思う。でありますから、今まあだいぶ事もなげに教育を守るためには、と言うて、大いにそちらの方から擁護論がございましたけれども、どうも私は本来教育委員会法というものは、この制度を作るに当りまして、その点は非常に十分議論を尽さないで早急にでき上ったがために、今のような誤まりを犯しておるのじゃないか。アメリカのことは別の国のことでありますからどうでもよろしいのでありますが、私は、予算の編成権というものは一つにすべしという今度の改正になるのが当然のことだと、かように存ずるのでございます。これに対する文部大臣の御所見をお伺いしたいのであります。
  63. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 全くその通りであります。(笑声)
  64. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 教育予算の二本立が地方行政調和を著しく阻害しているという文部大臣考え方、これは非常に重要な問題でありますので、この機会に私はもう少し掘り下げてお尋ねをしておきたいと思うのです。現行制度では、原案送付権というものが教育委員会に認められておるわけでございまして、この法律の規定に基いて二本立予算を提出するということは、私は当然のことであると思うのです。ただ、問題になるのは、この特権を濫用して、そのために地方行政全般に悪影響を与えておるということであれば、これは相当考えなければならない問題であると思うのです。しかし、私ども承知をしている限りにおきましては、また先ほど文部大臣が説明をされた限りにおいても、この二本立予算の提出というものが地方行政に非常な不調和を来たし、非常に困った事態を起しておるというふうには考えないわけであります。この問題については、この法案提出された文部大臣は相当実情について深い調査がなされておると私は思うのです。先ほど抽象的に、抽象的に歳入のことを考えないで教育予算を一方的に組む、これはかっての軍の横暴に類するものだ、こういう抽象的な言葉で表現されても、それは何ら根拠がないんです。果して教育予算、教育委員会提案したものが不当なものであったかどうか、そういうことが私は検討されて、行き過ぎたものであるかどうかということが検討されて、そうしてこのことが地方行政を非常に困らしておるのだ、こういうことになれば、それは相当考えなければならぬ問題が起ってくると思うのです。しかしそういう検討もなされないで、抽象的に二本立予算があるということは、軍の独立と同じなんだ、こういうことでは合点がいかないわけなんです。そこで先ほど五つの例をあげられましたが、これはほとんど共通している問題は教員定数をどうきめるか、こういう問題に関係をしておるように思うのです。そこでこれらの県において教育委員会要求をした、二本立として提案をした教員定数の中身というものが果して妥当なものでないのかどうか、それがまず第一点検討されていなければならないと私は思うのです。そういう意味で二本立予算を提案された各県の教育委員会要求、こういうものが不当なものであったのかどうか、これは十分な説明を私は要求しなければならぬと思うのです。そういう意味文部大臣答弁を私は求めます。
  65. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私はこれらの事例で教育委員会側の主張がよかったか、あるいは県の主張がよかったか、そのメリットを中央のものがここで批判的に言うべきじゃないと思います。ただしかような二つの対立が起って紛争があるということが望ましくない、こう考えておるのであります。
  66. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は非常におかしいと思うのですが、今度の政府が出しておられる法案の中には、二本立制というものを廃止されている、こういうことから教育予算が一般行政費の従属的な立場に置かれるのじゃ、ないかという声が相当あるわけなんです。ですから地方行政について、中央があれこれ批判するのはよくないとおっしゃっておりますが、私はここで批判を求めているのではないのです。その二本立制を廃止されておりますそういう法案を出しておられるわけなんです。しかも廃止されておる理由は、行政調和をはかるのだというところにあるわけなんです。そうすれば、現在まで行われた二本立の問題について、果して教育委員会考え方あるいは主張というものが不当なものであったかどうかということは、この法案を作るときに十分検討されなければならないと思うのですよ。教育委員会が出したそういう要求教育最小限度を守るぎりぎりのものであったのか、非常にぜいたくなものであったのか、そういうことも検討されないで、私は二本立を廃止するという結論は出てこないと思う。かれこれ批判すべきでないというようなことでお逃げになることは私は許されないと思う。ですからそういう点については、この法案を出された文部大臣の責任として、教育委員会が二本立予算を要求した、その要求が不当であったのかどうか、これが地方行政全般を非常に阻害したというならば、阻害している実例をあげてもらいたいと思うのです。
  67. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお問いのうちに、教育の予算を従属的というお言葉を使いましたが、私はそうは考えていない。一つの公法人、公共団体のうちの予算の一部分であります。一つのエンティティであります。私はそう見ている。そうして一つの公共団体には一つ行政一つの予算あり、こう考えております。われわれがこの改革を考え理由二つです、区別すれば。一つは、過去教年間にわたる悪影響、もう一つは、公法人、世論から見て、一つの公法人には一つの予算にすべきものだ、この二つであります。御了解を願います。
  68. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 世論がどうである、あるいは予算が一つでなければならぬ、それは二本立であっても予算は一つですよ、結論として……。そこで私が尋ねているのは、現行制度において執行されてきた二本立の制度はいけなかったのか、あるいはよかったのか、そういうもう実験を経ておるんですから、どういう判断を文部大臣はせられたかという点です。文部大臣は抽象的には悪いのだということをおっしゃっております。しかし抽象的なことでは困ると言っておるのです。で、現実に二本立予算が出されたのは五つ六つの例があるわけです。ですからこういう二本立予算の教育委員会要求が不当であったかどうか、この判断なくして私は結論は出ないと思うのですよ。そういう意味で十分検討されておるはずであると思うのですよ。ですから何もお考えにならなくても、検討された結果をここで率直に言っていただければ、私はいいと思います。今の答弁にはございませんので、重ねてお伺いしたい。
  69. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたと立場が少し違うのです。この片一方の教育だけを考えれば、教育予算は多々ますます弁ずで、多いほどいいのですよ。
  70. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私はそういうことを言っていない。
  71. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) まあ聞いて下さい。あなたが御質問になったから私は答えておるのです。答えている間は聞いて下さい。教育だけの立場から見れば、教育の予算は多い方がいいのです。しかし県の、責任をもって健全財政をやろうということであったら、また別の尺度があるのです。でありまするから、どの立場に立ってそれを批判すべきかという尺度が二つあるわけなのです。それゆえに今われわれが、あのときは定員をふやす方がよかったのだとか、あるいはあのときは赤字解消がよかったとか、そういうことをここで申し上げることは益がないと思います。一つの尺度でいけるものであったら、簡単に価値判断ができますけれども二つの尺度がここにあるのです。しかしながらこれを概観しまするのに、本来は、その二つの尺度を県の程度で一つにして予算提案をすべきものであったのです。今度の案は、第二十九条にそれを一つにして予算は一本で県会に出すという工夫をしておるんであります。過去における県と教育委員会との争いがどちらがよかったということを、ここで採点することは私は不可能でもあり、益がないことと考えます。これがお答え一つ。  それからもう一つは、道理の上においで、ただい庄田中君からもるる御説明がありましたが、わが国のような地方自治体の発達において、公共団体は一つの主体であります。これに予算提案権が二つあるということは道理においてもよろしくない。この二方面から私は論を立てておるんでありまして、法案を編成しておるのでありまして、今さかのぼって奈良県における争いは、これは教育委員会がよかったのだとか、あるいは福岡県の争いは、知事の方がよかったのだとか、そんなことを私は判断する力を持っておりません。(「内容はどうだっていうことを検討したか」と呼ぶ者あり)
  72. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 ただ、こういうことは考えておく必要があると思うのです。教育委員会がもちろん私も教育費というものは、地方財政から切り離して勝手な要求をしていいという考えは持っておりません。これはだれだって一緒だと思うのです。そういうことは言うまでもないと思うのです。しかしこういう制度を残しておくということが、過去の実例から見ていいか悪いかということが私は問題になると思うのです。二本立の予算を実施した、そういうことが悪用されておるというのであれば、これは私は考えなきゃならぬと思う。そうでなしに最小ぎりぎりのところを守っていっているのだというふうな判断をすれば、こういう制度は残しておこうという考えに私はなっていくと思うのです。そういう意味でやはり教育の二本立予算が提案された実情、そういうものは文部省として十分それは検討されなければならぬと思うのです。たとえば、私は一つの例をあげますが、本年度の予算において子供の数が五十万人ふえた、これに対して教員をふやさなければならぬということで、国の予算でも一万三千人ですか、この数字はちょっと正確でないのですが、それを見ておるわけです。ところが地方財政ではそういう点が全然見られておらない。子供がふえるけれども、予算は、定員は減らされるといりふうなところがあったわけなんで了。そういう場合に、国も考えているような方針で最小限度の定員を要求する、こういう努力がなされるということは私は非常に望ましいことだと思うのです。そういうことまで大臣は否定しておられるのか、そういうことについてまで何らの批判をする考えがないのか、要するに二本立というのは、そうすると非常な害悪を流してきた、こういうふうに考えておられるのですか、その点をお答え願いたいと思います。
  73. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 先刻以来事実をもって答えました通り昭和二十九年以来毎年、たった四十数県しかない日本において、二つの紛糾の種となっておるのでございます。日本人同士でありまするから、また学校があるのでありまするから、学校の経費はしまいには出さなければならぬのです。紛糾のあとも結局妥協で学校は行われたと思います。しかしながら不自然な、一つの公法人に二つの予算提案権を持って紛糾をかもすよりも、今回は第二十九条というものを置きまして、予算を提案するまでに教育当局と県当局との間の話し合いをして(「それは別だ」と呼ぶ者あり)それで一本で出そう、この方が私は日本的だと思っておるのです。(「日本的、えらいところに日本的という言葉を使ったね」と呼ぶ者あり)
  74. 湯山勇

    ○湯山勇君 議事進行。この問題はまだ私もたくさんこれについてお聞きしたいことがありますから、このまま続いてしてもちょっと終らないと思いますから、休憩にしていただきたいと思います。
  75. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり)
  76. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ではこの程度で午前中の審議を終りまして、休憩いたします。    午後零時二十五分休憩    ————・————    午後一時四十三分開会
  77. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) これより委員会を再開いたします。  委員異動について報告いたします。本日飯島連次郎君が辞任、河井彌八君が選任されました。   —————————————
  78. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 午前に引き続き質疑を続行いたします。
  79. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 先ほど申し上げましたように、資料二点だけ要求申し上げておきます。  その一つは、午前中の質疑市町村教育委員会関係で、二本立の予算案が取り上げられた件数はどの程度文部省は把握されておるかという点について、御答弁できないでいるわけですが、それを早急にお調べの上、資料として出していただきたい。それからもう一点は、先ほど来の答弁で五県ほど二本立で紛議を起した県があるといって御答弁になりましたが、これは教育委員会と県側の意見の相違から二本立予算案となったという御説明がございました。で、その内容について、文部省はいかなる検討をし、どういう御見解を持っているかというわれわれの質疑に対、してはお答えにならなかったわけでございますが、そこで資料としてお願いいたしたい点は、この五県のうち、県側の案と教育委員会側の案との相違点がわかるような資料を出していただきたい。その資料に基いてこちらはその内容を検討いたしますから、至急出して下さい。以上二点要求しておきます。
  80. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) ただいま資料要求の第一の資料につきましては、委員会制度創設当初から統計的にとっておりませんので、できるだけ調べまして提出いたしたいということで御了承いただきたいと思います。  それから第二点の御要求につきましても、先ほど五県の事例をあげまして、これも創設当初からのものは十分とっておりませんので、ただいま御要求の点は、後刻概要調べまして御提出いたしたいと思いますので、御了承願いたいと思います。
  81. 湯山勇

    ○湯山勇君 ただいまの点について、なおお尋ねいたしたいと思いますが、市町村で二本立を出したという例が一つでもありますか。
  82. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) これは事例はあります。
  83. 湯山勇

    ○湯山勇君 局長の聞いておるので、どれくらいありますか。
  84. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 私は一件聞いております。
  85. 湯山勇

    ○湯山勇君 それじゃ一件聞いておるということだけで、資料が出てからまたお尋ねすることにします。  大臣が今この法律を出さなければならなかった理由として、五つの県をおあげになって、その第一の理由として、一般行政との間の調和が不十分だ、その調和が不十分だという理由の第一に、二本立予算の問題をおあげになっております。この二本立予算に対して、大臣が、これは戦時中の軍の横暴による臨時軍事費に相当するものだというたとえをされましたが、このことについては、果してそうかどうか、なおあとお尋ねいたしたいと思います。で、それよりも今直接問題になっておる五つの県ですが、これについて、私は文部大臣の見方をある程度承認したい点は、文部大臣がこれらの五つの県に二十九年、三十年、三十一年と最近の三カ年間に二本立を出した事例が発生しておる、このことに大臣が着目されたことは、私は非常に、何といいますか、同感を覚えます。しかしその次の段階において大臣は、二十九、三十、三十一とこういう事例があったのだから、来年はまた出ると、再来年はまた出るというような御発言がございましたが、それはどういう大臣の推測に立って来年、再来年のことをお述べになったのか、これは流行病のようなものじゃないと思いますから、私は来年、再来年というようなことを、最近こういうことが起っておるという事例から推測することは、なかなかできないことではないかと思うのですけれども、それについて大臣の御所見を伺いたいと思います。
  86. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 原因が消えない限りは、同様の結果が生ずるものである、こういう推測でございます。
  87. 湯山勇

    ○湯山勇君 ただいまの点、具体的に御説明願いたいと思います。
  88. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それが来年も再来年も出るおそれがあるといったことの理由でありまするが、それは原因を除いておらぬ以上は、同様の結果が出るという推測でございます。
  89. 湯山勇

    ○湯山勇君 具体的に御説明願いたい。原因とは何か。
  90. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 原因とは二本立予算の制度でございます。
  91. 湯山勇

    ○湯山勇君 それでは二本立予算の制度があれば必ず出るというように大臣はお考えになっておられるか。そうだとすれば、委員会発足以来七年間で、出てきたのは最近の三年間だけでございます。この事実をどうお考えになっておるか。大臣先ほど原則的な、抽象的な問題を理由としてあげておられますけれども、それはただいま出さなければならないということの理由にはならないと思います。今日ただいまこういうふうな無理な情勢の中でお出しになったということの理由をお聞きしておるわけですから、それに合うような御答弁を願いたい。
  92. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は必ず出ると言ったのじゃないのです。この原因がある以上は出るものと推測されるというのです。私は予言を商売としておりませんから、ただ同じ原因があれば出るおそれがあると言うたのであります。
  93. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣答弁は、はなはだ不満ですけれども、それはそれとして最近の三ヵ年間に特にこれが出たという原因を大臣はどう御把握になっておられるか。その責任は、最近の三カ年間に二本立、特に定数の問題で二本立が出たという原因は、この例からいえば、県の教育委員会にあるか、知事にあるか、あるいはもっと別なものに責任があるか、この点についてはどういうふうに解釈しておられるか承わりたいと思います。
  94. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この最近三カ年のものを引用しましたが、その前のものについて調査が困難でありましたがゆえに最近を出したので、以前になかったということじゃございませんから、御了承お願いいたします。そこでその原因はどこにあるかということですが、私はこれはもう制度にあると思っておるのです。
  95. 湯山勇

    ○湯山勇君 今大臣は、最近三ヵ年間のだけを言ったので、その以前にもあったということですか。
  96. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 御必要があれば、あったかなかったか調べてお答えいたします。答えたのは、最近のものだけを答えたのであります。
  97. 湯山勇

    ○湯山勇君 局長にお尋ねしますが、これ以外にも例があるのでございますか。
  98. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 先ほど資料要求のときに私申し上げたかと思いますが、県の段階におきましてもこれ以外にもあると思います。ただ委員会制度創設当初からずっと統計的に出ておりませんので、特に最近の事例について調べまして、先ほど事例として申し上げたわけであります。
  99. 湯山勇

    ○湯山勇君 非常に前後ふぞろいな御答弁で私は心外にたえません。それは全国五千の町村とか、一万の町村でできないという御答弁先ほどありました。今度はわずかに五十に足りない府県で、そうして文部省はこういうことについてはちゃんとよく知っておるはずです。にもかかわらず、これ以前にあったかなかったかわからないというようなことは、答弁にならないと思いますが、ほんとうにあったか、じゃ、一つでもありましたか、これ以前にも。
  100. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) これ以前にもあったと思っております。
  101. 湯山勇

    ○湯山勇君 推定じゃなくて正確に言っていただきたい。
  102. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) これは御必要があればさらに調べて申し上げますが、繰り返して申し上げますが、これは最近のものを特に調べて、事例として先ほど申し上げたわけでございます。その前もおそらくあったろうと思っておりますけれども、今調べないで正確に申し上げることはできませんので、そう申し上げた次第でございます。御了承願います。
  103. 湯山勇

    ○湯山勇君 矢嶋委員質問したのは、二本立を出した例をあげてもらいたいという質問に対して、これだけだというふうにおあげになった。そして大臣も、最近の三カ年間にこうなっておるから来年、再来年というふうに、私ども今までこれ以前にはないというふうな資料と受け取っておりました。ところが今になってそれ以前にもあったように思うというようなことでは、私ども受け取られないのです。あなた方はこれだけ重要な法律案を出すときに、そしてまた今の五県については、これだけ調査になっておられる、そういう段階で発足当初からのものを、しかもそんなにたくさんの例じゃありません。それについても調べないでこの法案をお出しになったのかどうか。その通りならその通りと言って下さい。
  104. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) これは特に最近の事例につきまして、内容につきましても調べて、先ほど事例として申し上げたわけであります。件数につきましては、先ほども私申し上げたつもりでございますけれども制度創設以来、全然統計的に集まっておりませんので、その点につきましては申し上げかねるということを申し上げたのであります。できるだけ調査をいたしますということは、町村につきましても、県につきましても申し上げたつもりでございます。
  105. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これは午前中以来私は質問しておるわけですが、先ほど湯山委員が繰り返されたように、私はこの五つ理由文部大臣があげたときに、この一般行政教育行政調和が十分でないのはどういうことかと、それは二本立の予算案だ、それじゃその過去にあった例を一つあげてもらいたい、これこれがあったから、だからそれでは工合が悪いから、この法の改正をやるのだということをあげてもらいたいと言ったところが、この事件が五つあったとあげられたわけでしょう。そしてさらに文部大臣は、この五つは、昭和二十三年から発足して、本年度は昭和三十一年に入っておるわけですが、四十六都道府県、それは八年間にわたって予算案を作ったのだから、全部できた予算案というのは三百六十八の都道府県の予算案ができてあるのだ。その予算案の中のあなたが指摘したところでは五つしか事件が起っていないのだ。だから事件の起った率というのはきわめて低いのじゃないかと、こうまで伺ったわけでしょう。そしたら文部大臣は何と言ったかというと、その二十三年の発足当時はあまり起らなかったが、お示ししたように二十九年に二件、三十年に二件、三十一年に一件と、最近になって起る傾向が出てきたと、だからもとは起っていなかったが、最近起る傾向にあるから云々と答弁された。そしてここになって、まだほかにもあるかもしれぬという。それから市町村においては、資料を持っているかというと持っていない。まあできるだけ早く調査して資料を出そうと、そういうことでは、こういう大事な点を大改正しておいて、その根拠が乏しいじゃないですか。さらに審議が続けられないじゃないですか。私はこの第一項についての質疑はこの程度にして次に進みたいと思いますが、これではっきりしたことは、この一般行政教育行政調和が十分でないからという理由でこの改正案に手をつけたというが、この調査資料というものはきわめて不十分であるということが明白になったことと、先ほどから各委員からも出されたわけですが、一般行政教育行政調和がとれていないということが納得できる何らの説明がない。従って結論的には、文部大臣が最初あげたこの五つ項目のうちの第一項は、この柱はすでに倒れた、理由は薄弱である、根拠に乏しいという私は結論が出たと思います。
  106. 湯山勇

    ○湯山勇君 私は、文部省がおあげになった五つの県で、こういう事態が発生する原因は、知事の責任でもなければ、教育委員会の責任でもない、あげて政府の責任だということをお尋ねいたしたいと思います。それが二十八年から、二十九年、三十年と、これは局長も御存じのように、各歴代の大臣に対してこういう事態が起るから、政府において善処しなくちゃならないということを私が繰り返し質問してきたことを、あなたは御記憶になっておられると思います。文部大臣お尋ねいたしますが、こういう事態の起った二十九年、三十年、こういうときの国の予算はまともに成立したとお考えになっておられるかどうか、大臣はそういうことを御検討になりませんでしたか。
  107. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) まともにとおっしゃる意味がよく了解できませんが、このころはわが国の経済状態が非常に薄弱な場合であり、また政党も今のような二大党派がなく、暫定予算を組んでいった時代であると私記憶しております。そういうことを御指摘ならば、まとも、理想的ということは言えませんであります。
  108. 湯山勇

    ○湯山勇君 今の御答弁で明かなように、二十九年、三十年の予算は、正常な形において成立はいたしておりません。つまり三月三十一日までにその年度を見通した予算は成立していなかったことは、大臣のお認めになった通りでございます。ところが国の予算がきまらないにもかかわらず、地方の予算はきめなければなりません。大臣地方の予算はいつまでにきめなければならないかということを御存じでしょうか。
  109. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 会計年度から始めますから、それ以前にきめるのが当然であります。
  110. 湯山勇

    ○湯山勇君 そこで国の予算がきまらない段階で、地方の教員定数、そういうものをきめ得るかどうか、これについて大臣どう考えますか。
  111. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 予算でありまするから、相当の数字を予定してきめることは可能と思います。
  112. 湯山勇

    ○湯山勇君 予算と申しましても、教育予算に関する限りは、府県では四月一日から教員の配置をしなければなりません。子供は入ってこなければなりません。そういうときに、道をつけるとか、あるいは橋をかけるとかならば、一カ月おくれましても、二カ月おくれましても、またそれにはそれで道があると思います。あるいは学校建築等におきましても、それはやむを得ず若干おくれることもあり得ると思いますけれども、年度発足当初教員定数がいいかげんで、教員の数がきまっていない。こういうことで果してやれるかどうか。一般論としては大臣の御答弁は納得できないことはありませんけれども、事教育に関して、特に教員定数に関して、そういうことが許されるかどうか、大臣の御所見を伺いたい。
  113. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 戦後、たびたび暫定予算の制度によるのほかはなかった経験がありますが、これらの時代においては、やはり地方は一定の予定で予算を組んで、国の予算ができてから精算の方法によっておるのであります。いい方法じゃございませんけれども、やむを得ざる措置としてさようにやっております。
  114. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣答弁をそういうふうにおはぐらかしになっては困るので、いい方法でないということについてはわかりますけれども、私はそういう状態で四月一日から発足ができるかできないかということを伺っておるわけですから、それじゃ困るということなら困る、それは困らないのなら困らない、そういうことを明確にお答えいただかないと、次の質問ができませんから、一つそういう点を明確にしていただきたい。
  115. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いい方法じゃなくても、さようにして過去においてしのいできたのであります。
  116. 湯山勇

    ○湯山勇君 それでは現実の問題について申し上げたいと思います。過去におきましては、二十八年までは教員算定の方法が、つまり半額負担というのは二十八年からです。従ってそれまでは大臣のおっしゃるような方法もとれないこともありませんです。ところが二十八年に半額負担の制度ができましても、二十八年度の予算は大臣も御承知かと思いますが、十億以上の国庫負担の予算において赤字が出ております。その十億以上の赤字を結局処理されたのは、全額処理されたのは翌年になってからです。それから会計令の手続等によって正確に精算されるのは三十年度だ。二十八年度の決算が終るのが二十九年度になりますから、その赤字が完全に精算されるのは、三十年度予算を待たなければならないと、当時は政府は説明しておられました。これも正しいと思います。そうでしょう。そういう状態の中で一体精算されるのかされないのかわからない。そういうときに地方財政が逼迫しておる。そこで子供の数はふえてくる、自治庁からは前年度を上回らないように定員をきめよ。府県はこの赤字を予算に組まれていないのですから、府県が持ち出したものを、予算措置されていないのですから、二十八年末には。そういう中で一体処理せよといってできるものかできないものか、これは大臣考えいただけば、二十九年、三十年にそういう事件が発生したことには、ちゃんと理由があるんです。これは大臣もお認め小ただけると思うのです。どうでしょう。大臣から聞きたい。
  117. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) ちょっと事務的なことでしょうから……。
  118. 湯山勇

    ○湯山勇君 いや、事務的なことじゃありませんよ。
  119. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 一応政府委員から……。
  120. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 今お話しのように二十八年以前におきましては、この義務教育費国庫負担法が実施されておりませんでしたから、全く地方の財源をもちまして予算が組まれたのでございます。ただ、一般財源に対しまする補てん方法としましては、地方財政平衡交付金によって一般財源の補てんをしていく、それによって地方は予算を組んだ、こういうことに相なると存じます。ところが、それでは教員給与費がどうしても圧迫されるおそれがあるので、半額はこれは直接に国庫負担として地方に交付するということからいたしまして、義務教育費国庫負担法ができまして、そして大づかみに申し上げますと、平衡交付金から半額をこちらに、国庫負担金の方に組み入れた、こういう形であろうと存じます。従いましてその財政措置というものは、国庫負担法ができたあとは、なおより確実にできておるわけでございます。ただ、このことは平衡交付金におきましては、それを地方財政をやりくりしますのは、一応基準財政需要額というものがありますけれども、これを支出します権限は当然地方の長にございますので、かりに財政需要額を下回って給与費を組むといたしましても、それは違法じゃない。これは申し上げるまでもなく御承知通りでございます。ただ、それが国庫負担法になりますと、半額は国が必ず持つ、かようになりましたので、二十九年以降は逆に財源措置としましては十分できるようにむしろなった、かようなことに相なるかと存じます。ただ、精算負担のことにつきましては、お話しの通りでございます。これは足を出しました場合には精算負担でございますが、年度を越えましたあとでこれを補正をして、そうして交付するわけであります。しかしながらそれは県といたしましては、それだけの予算は組んで支出をした、その半額につきまして精算をするわけでございまして、それは全体の財源といたしましては、赤字を出しているかもしれません。しかし、つじつまを合せて予算を組んで、それを支出したものに対しまして精算をするということでございますので、国の予算が確定しないから、その前に組む予算に教員数を盛ることができない、かような関係には事実上はなっていないと存じます。県といたしましては、県の財政が許し、あるいは教育運営の観点から見まして、適当な定数を出しまして、それに対して予算を出しまして運営いたしまして、その財源が赤字が出たという場合には、国がこれに対しまして後年度に補正をして精算をする、かようなことでございますので、国庫負担法ができましたあとにおきましては、むしろ地方は予算が組みやすくなっているはずだと思います。
  121. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣いかかですか。
  122. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りと思います。
  123. 湯山勇

    ○湯山勇君 私は今局長の言われたことは、その通りです。またそうでなければならないと思います。しかし、私のお尋ねしておる答弁にはなっていない。それは私がお尋ねしているのは、二十九年度にこういう事態が発生したのは、二件も発生しております。その原因はどこにあったかというと、それはこの御説明にもある通り二十九年二月、三月です。で、初めてこの国庫半額負担の制度ができたけれども、発足の年には国の見積りが間違っておりまして、あるいは過小評価しておったために、十億に余る赤字が出ておった、十億に余る赤字は府県にしわ寄せになっておったのです、この段階におきましては。その穴埋めができるのかできないのかということについては、予算措置ができるまでは何とも言えないと、私もこれはたびたびお聞きしましたけれども答弁しておるし、これの清算は三十年度においてしますというような答弁しか得られなかった、当時としては。そういう段階で赤字をかかえたままの府県が、そういうことを明確にしないで、次の予算を組むということは不可能です。さらにまた、二十九年に文部大臣、大蔵大臣、自治庁長官が前年度を上回らないように教員定数は組めということを、すでに十二月に通知を出しております。こういう状態では解釈はいろいろできると思いますけれども、前年度を上回らないようにということは、あとでいろいろ聞きますと、それは率だというふうに文部省はおっしゃいましたけれども、当時各府県で起ったトラブルは、県の理事者の方は昨年度通りの定員において一応組んでおけ、こういうことだ、こういう説明をしております。そこで県によっては、それに対して予算の上では昨年通りとして、知事の含みで正式に予算ができるまで五十人なり、六十人なりの教員を予算外に置いてそれを五月なり六月なりの県会で正式に承認する、そういったような便法をとっておったこともこれは局長よく御存じの通りです。で、そういうことさえもやられないというところでは、これはもう二本建を出さなければ、学校が運営できない、教育ができない、こういうことになります。で、松村文部大臣が、昨年私がお尋ねしたときに、本年はこういう次第で予算がおくれて、まことに相済まない、来年はそういうことのないようにしたいということを答弁したことも、局長は御存じだと思うのですが、そう考えて参りますと、二十九年、三十年、あるいは本年そういう事態が起ったことは、ただに偶然のことでもなければ、また過去ずっと続いておったものをここだけ三つだけ切って提示したというのじゃなくて、この二十九年、三十年に特にこういう事態が起る要素は、私はあったと判断しなければならないと思いますが、どうお考えでしょうか。
  124. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 国の予算が暫定予算で、年度当初にきまらなかったことが、地方におきまして予算を組む上に非常に不便だということは、これは言えると思います。しかしながら、私どもも予算の原案がきまりました場合には、これはたびたび御説明をいたしております通りに、地方教育委員会の担当者を集めまして、その予算原案の内容につきましては十分、これは予算のまだ国会の審議が済みませんうちでございますけれども、一応内示という形で徹底するように努めて参っております。従いまして国の予算がどう組まれておるかということは、大体これは今までも示して年度当初から、それによってもらっておるように私ども考えておる次第でございます。先ほどお示しになりましたようないろいろないきさつがございまして、しかし現に生徒児童の増に対しまして、一応国の考えておりますような率によります増は、これは府県の財政によりまして不服ではございますけれども、一応の増員が行われてきておるような状態です。そこでこの二本建予算の事件が起りましたその原因でございますが、私は今お示しのように国の予算のきめ方がそういうふうな原因になって  いるとは考えないのでございまして、最近ここに示しておりますような事例が出たのは、これは遺憾でございますけれども、これは一半に地方財政の逼迫ということがおもな原因であろうと存じます。現在の状態におきましては県と、この県の知事部局の財政運営の面と、それから教育委員会側の定数の算定とが食い違いをきたした、そうしてこういうふうな問題が起っておると、かように考えます。
  125. 湯山勇

    ○湯山勇君 今の御説明で、私はまあ半分はお認めになっておられると思います。最近こういう傾向が出てき出したのには、地方財政の逼迫という要素がある、だから過失ずっと初めからこういう事態があったのじゃなくて、最近こういう傾向が出てきたのだろうということをお認めになったのだろうと思います、抽象的にはですね。そう解釈してよろしゅうございますか。
  126. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) これは先ほどから申し上げますように、当初からもこれはございました。私は今ここではっきり正確に申し上げられませんから申し上げませんけれども、あったのでございますが、この事例としましては最近のものをあげたわけでございます。こういう事例につきましては、なおお話しのように地方の財政逼迫ということもその一半の原因だろうと存じております。
  127. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣お尋ねしますが、大体のラインはおわかりになったと思いますし、私は国の基本的な問題が地方へ波及しておってこういう事態を招いたということをお尋ねするのが趣旨ですから、それについてお答えいただきたいと思います。それは一昨年におきましては、文部省は内示の段階におきましては、生徒児童増に伴って二万名の教職員増を国庫負担においては認めておりました。それに対して実際に地方で増加された者は、その七割弱にしか過ぎなかった、こういう事実があったのを局長御記憶になっておられますか。
  128. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) その内示をいたしましたのは、これは予算が政府予算案としまして決定しました後に出すわけでございますので、その前の文部省だけの計算と申しますか、大蔵省に要求いたします原案につきましては、これは内示はいたすべきでもございませんし、いたしておりません。政府原案としましてきまりました場合に、国会の御審議中でございますけれども、特にこれを地方に内示したわけでございます。ただ……。
  129. 湯山勇

    ○湯山勇君 九十一万増に対して二万見込んだでしょう。
  130. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) ちょっと正確な計数を失念いたしましたけれども、国の予算と地方の予算、これは必ずしも一致いたしませんが、昨年度のごときも、国の予算よりも若干違っております。その点は私も認めます。これは国の予算と地方の予算とは、予算でございますので、国の見積りよりも下回るということは、これはあり得るわけでございます。
  131. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣から御答弁いただきたいのですけれども大臣はこういう点よく御理解ないようで、非常に遺憾ですが、大体今局長から御答弁いただいたことによって、大臣はこれらの三カ年間にこういう事態が起った原因は、必ずしも教育委員会の責任でもなく、知事の責任でもなく、政府が予算を成立させるべき時期に予算の成立をさせなかった、そういうところに一つの原因がある。それから昨年のごときは、暫定予算におきましては、なるほど国庫負担金その他においては、二ヵ月間に三カ月分を計上はしておりましたけれども、その単価においては昨年通りということを指示しております。また、暫定予算編成の方針も昨年通りという基本に立って編成しておられたことは、これは明確な事実です。そうすると三十年の当初においては、その予算は正式にきまったものは昨年通りという基礎に立つでおりますから、生徒児童増に対するものは、正しく措置されていない、国においても措置されていない、こういう状態にあった。一昨年はやはり予算成立がおくれておりますし、さらにその前は半額負担が発足した当初で、果して実質負担したものの赤字が埋められるものか、埋められないものかどうか明確でなかった。この十億をこえる赤字をどう埋めるかについては、二十九年度予算成立の段階においては、政府は何ら明確な指示をしていなかった。こういうことから考えますと、この出てきた二本建の例の、百パーセント私は政府が責任を持つべきだとは申しません。けれども、その責任の一部、あるいは大部分が政府にあったということは、だれでも認めてしかるべきだ、こう思いますが、大臣はそうお考えにはなりませんか。
  132. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお問いは二十九年、三十年に県の数は少いでありまするが、二本建予算の方法が用いられ、紛糾をした、その責任がどこにあるか。前段にあなたのおっしゃることは、私の見方と同じことです。知事に責任があるというべきでなく、また、教育委員会に責任があるというべきでもない。知事の側から見れば、主として県の財政を頭に置いておるでありましょう。それも県のためであります。委員会の側からいえば、教育第一と考えたでありましょう。委員会としちゃ任務を尽しておるのであります。でありまするから、私はどちらが悪いという判断はしませんと朝から申し上げておるので、あなたの見方とやや似ておるのであります。ただ、しからばそれが中央政府の暫定予算、暫定予算でいった、それだけが責任だということになるというと、私は少し見解を異にするので、暫定予算の場合でも、局長が申しました通り、見込みで地方の予算は組めて、あとで精算するという方法もあり、大部分の日本の県はそれで紛糾なしにいっているのであります。ここにあげた滋賀、奈良の県でかようなことが起りましたのは、やはり私は制度影響しておると思うのです。私どもが今ここで立てておるような一本の予算を、一本の県予算を提出する前に、委員会と知事とが協力して一本の予算を組むという組織をとったならば、こうもなっておらぬ。ところが幸か不幸か、そのときには教育委員会委員会で出せるというあれがあるものでありますから、その協定が十分ならずして、知事はそれじゃおれの予算でいくと、そうなれば、その教育委員会はおれの方はこうだ、これに理由をつけて二つ出してくる、こういう紛糾が起ったのであります。わが国は敗戦の後でありまして、中央政府もはなはだ強くはなく、また政党の間の争いもあなた御存じの通りであり、一般の経済も悪い、これらもすべて間接の影響にはなっております。どんな事件でも、たった一つの原因で起るのじゃありませんで、あなたのおっしゃることもそれは原因になっておりまするけれども、しかし二本建予算で紛糾したということになると、わけても法律がそうであったということに、相当の重点を置くのが公平な見方であると、私はこういうように思っておるのであります。
  133. 湯山勇

    ○湯山勇君 二本建予算を出すことが望ましいことではないことは、私もよく知っております。そういう事態がないように努力しておればこそ、これだけ各府県が苦しい中にありましても、事例がきわめて少数にとどまっております。で、大臣は今だれが悪い彼が悪いということは言わないと、これはそうだろうと思います。けれども、その責任がどこにあったかということについては、私はやはり明確にする必要があると思います。大臣の御見解によれば、知事の責任でもなければ教育委員会の責任でもない、また、そうかといって政府の責任でもない。こういうことですが、そうだとすれば、一体一つの教室にたくさん詰め込まれて先生がなくて、あるいは新学年早々受持の先生がきまらないという子供たちは、あるいは子供たちの父兄は、どこへ言っていったらいいのでしょう。どこへいっても、おれの責任じゃない、犬各員会へいっても、知事にいっても、大臣にいっても、それはおれの責任じゃない。一体子供たちや親たちは泣寝入りしなくちゃならないということになるのじゃないのでしょうか。これは大臣、どういうふうにお考えになりますか。
  134. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は当時の政府当局でもなし、また、その当時は、むしろ政府と反対の立場にありましたから、政府を擁護するんじゃございませんけれども、あれをしかし中央政府……ほかのことじゃございませんよ、今言っておるのは、二本建予算で苦しんだのに局限して言えば、それは政府だけを責めるのじゃない、この二本建予算の法律が根本に悪かった。今私どもの出しておるように、一本の予算を出すまでに、教育当局と県当局と十分に意見をまじえて、一つの予算を出すという制度であったなら、こういうことは起っておるまい。しかしながら、つけ加えていうのは、物事はたった一つの原因から起るのじゃなくていろいろな原因がありまして、そのうちにはわが国が戦争に負けて地方といわず中央といわず、経済が苦しかったことも一つでありましょうし、また、そのときの政治状態が必ずしも整然としていっておらぬ。はなはだしくは、国会でもばかやろうという一つの言葉で解散になってしまっている。そういう状態でありまするから、いろいろなことが原因でございまするけれども、しかし知事さんが悪かった、教育委員長が悪かったという、これで裁判するのは適当でない。そこで後段に言われました、教育が、あるいは子供の教育が十分にいけなかった、この苦しみをどこに訴えるかということでありまするというと、政治の終局の責任はそのときの内閣にある、こう思っております。
  135. 湯山勇

    ○湯山勇君 それじゃそういう事態を起した責任は、内閣にあるということに結論づけてよろしゅうございますか。
  136. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) それが責任という程度なんです。大きな原因は敗戦でございます。経済の不況でございます。それからまた政治状態の不整備でございます。及びこの法律とその当時の教育委員会法が適当でなかったと、多くの責任がありまするから、その唯一の責任をその当時の内閣だといって、内閣ばかりを責めるのじゃありませんけれども、今日の日本の戦後の日本政治のような民主政治であるならば、国民は最後に訴えるところは、政府だと、こういうことでございます。
  137. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣の御答弁は非常に抽象的で私はそういう抽象的な議論をなるべく避けたいと思います。具体的にそういうことから教育の場は救われて参りません。なお、この際申し上げなければならないことは、先ほど来局長も大臣も前年の実績もあることだし、地方地方で予算が組めるはずだとおっしゃいますけれども、そういうことができないように文部省はしております。あるいは政府はしております。なぜかと申しますと、過去三カ年間にわたって児童生徒増に対する教員定数の率を毎年落しております。これは局長もお認めになるし、大臣もおわかりだと思います。前年度を踏襲して、前年度これだけ子供がふえたのだから、これだけふやさなければならないとやっておる、政府から出て来たものは、それを切り下げておる。また、今年切り下げておる、こういうことではとても来年のことを予想して、政府の予算がきまらないうちに地方の予算がきまらない。過去三ヵ年間というのは、そういう特殊な事情にあったことも、お認めにならなければならないと思いますが、大臣いかがでしょうか。
  138. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 客観的にそういう事情があったことは了承いたしております。
  139. 湯山勇

    ○湯山勇君 そういたしますと、こういうことが、この問題については、私は前からこの問題については別にでも、一日くらいやってもらいたい。つまり教員定数の問題、これは過去三年間、どうなったか。これに対してどうしなければならないか。それは先般予算委員会でも言いましたように、とにかく三十年度においても、四千人以上の教員がいつの間にか雲隠れしております。これも大臣はよく調べてみようということで留保されておりますけれども、計算の上からは明らかにそうなっております。こういった問題を、大臣がおあげになった二本建予算の問題とからめてお聞きしていけば、何日あっても日は足りません。これはほんとうにそう申します。そう思っております。しかしながら、そのことをあまり深く掘り下げることは、一応私はこの際手控えたいと思いますけれども、それはもし二十九年以前に、こういう事例があって、それについての御説明がなされたならば、また蒸し返すかもしれませんが、一応きょうはこの段階ですから、その問題を深く追及いたしませんけれども、ともかくも、今の過去三年間において教員を切り下げてきた問題、また過去三ヵ年間において予算が正常に成立しなかったにもかかわらず、地方は三月中に予算を組まなければならない実情にあった。それから自治庁から予算編成に対する方針として、前年通りやっておけというような通牒が出たこと、これらを考え合せますと、他の、要素ではなくて、他の理由ではなくて、教員定数をめぐって、こういう事態が起った。それからまた、今日ただいまにおいても、こういう定数ではやれないから、市町村市町村の予算で市町村の職員として教員を配置している実情等から考えますときに、いろいろの問題で、これは教育委員があろうがなかろうが、県内に大きな混乱が起るということは、当然予想できたと思います。こういう段階において、もし知事がそういう不合理な予算をやむを得ず出したとすれば、場合によっては知事のリコール、そういうことも、今日あるよりももっとたくさん起ったであろうことも予想されます。私は先日秋田県に参りまして、秋田県の知事に有馬先生と一緒にお会いしましたが、そのときに、秋田県知事はどう言っておったかと申しますと、基本的には一般行政との間の調和という点からいえば、教育委員会はない方がいいように思うけれども、今日のように地方財政が逼迫しているときには、むしろ教育委員会があるために、どうにか教育の崩壊を防いでいる。だから地方財政が逼迫しているから、逆に公選による教育委員会はあった方がいい、こういうことを申し述べております。このことは調査の報告にもちゃんとあげてありますから、よくごらんをいただきたい。こう考えて参りますと、大臣先ほど来お述べになったように、この福岡、佐賀、島根、滋賀、奈良の五つの県の例をいろいろ政府としても反省しなければならない。原理原則の問題ではなくて、出せるようになっているから出したのだというような問題ではなくて、こういう、ふうになっていなければ、もっと大きな問題が起っている。起る要素を持っていたということは、率直に認めなければならないと思いますが、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  140. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたのおっしゃる通りの事実がありましても、今問題としてある二十九年、三十年における二本建予算をめぐって紛糾したということの唯一の原因が、これであるとは私は考えておりません。むしろ物事は一般的にゼネライズして考えられるのではありませんで、たとえば奈良県の事件がどうであったということは、実地に奈良県に起った事実の証拠調べをしてから後でないと言えないのです。しかしほかのことは別といたしましても、二本建予算をめぐって紛糾したのだから、二本建予算制度というものが、大きな原因の一つということだけは、調べるまでもなくこれだけはわかっておる。そのほかにどういう原因があったかは、これは一つ冷静に事実をとらえて見なきゃわかりません。
  141. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣の御答弁の要点は、ただとにかく二本建の制度があったために、二本建による混乱が起ったということに終始しておられまして、事実については耳をおおい、目をおおって、そういうことについての答弁を避けておられます。そこでやむを得ませんから、私はもう一つ伺います。二本建予算を出すことによって起った混乱以上の混乱が、出さないことによって起る。二本建予算を出さなければならないように追い込んだ客観情勢は、各府県において起った客観情勢は、二本建を出して起った混乱よりもより大きいものがある事態を、私はこれらの県のあるものについては存じておりますが、そういうことがあったとしても、二本建を出すよりもより大きい混乱があったとしても、なおかつ二本建はいけない。もっと言えば、二本建を出すことによって、より大きな混乱を防止し得たとしても、大臣はなおかつ今のお考えを固執されますか。
  142. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお問いはまことに御無理なお問いで、二本建予算制度がなかったら、なお大きな混乱を生じたであろうということは、私は認めておるのじゃないのです。それゆえになお大きな混乱が起っても、二本建予算は悪いかというお問いは、私にはお答えできませんです。私は二本建予算制度がなければ、やはりほかの県でもやっておるのでありまするから、二本建予算制度をめぐっての紛糾はなかろうと思うのです。二本建予算をめぐっての紛糾をわれわれは言っておる。だから二本建予算制度がなかったら、この紛糾ではないほかにどういう紛糾が起り得たかというと、私は知りません。
  143. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣の御答弁はたとえて言えばですね、たとえて申しますから……、盲腸がなければ盲腸炎が起らないということなんです。よろしゅうございますか、あるいはもっと端的に言えば、耳がなければ中耳炎は起らない、そこで耳を取ってしまおう、こういうことなんです。耳を取ってつんぼになってしまう、かたわになってしまうということは、それは問題外だと、こういう御答弁ですが、よろしゅうございますか、そう解釈して……。
  144. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) おたとえでございまするから、ほかのところにおいては適用せん場合がありまするけれども、しかし盲腸炎のたとえは、まことに巧妙なたとえでありまして、それでですね、二本建予算がなければ二本建予算をめぐっての紛糾は起りません。しかしながら、これなくして一本の予算にした場合に、どんな大きな弊害が起るかは私は知らないのです。盲腸の場合にはとってしまう。もうそれでいいのですが、中耳炎の場合のような大きな騒動が起るでしょうか。今回の案は教育委員会の意思を無視するのじゃないのです。教育委員会の人にも聞いてもらいたい。町長も、町会の有力者も寄って、そこで一本の予算を作る。こういうことをなすことによって、非常に大きな紛糾が起るだろうとは思っておりません。もし起るのであったら、この案は悪い案です。しかしながら二十九条にありますね。教育に関する予算を出す理由は、あらかじめ教育委員会に通知して、これと意見を交換する機会をたっぷり与えて、そうして一本の予算にして出すんでありまするから、ここに大きな弊害が起ろうとは思いません。そう私は考えているのです。
  145. 湯山勇

    ○湯山勇君 堂々めぐりになったようですから、私は一応これでこの問題は留保いたします。ただ、文部大臣大臣の御答弁は、過去三ヵ年の実態把握が不十分です。率直に申します。従って局長がかわってお答えになりましたが、局長のお答えも、必ずしも私は事実をそのまま言っているとは思いません。それは二万名が、一万四千名しか消化されなかった過去の事例も局長は計数を明確にしないというようなことで、お逃げになっており、ます。知らないはずはありません。それから府県の予算というものが、大臣は簡単に、知事の出したのを気に入らなかったら委員会にぽんと出すというような、そういう性質のものではありません。そこへ至るまでは、ずいぶんたくさんの折衝過程を経ております。これも私は事実について申し述べることができます。  それからまた、そういう大きいトラブルが府県に起ったときには、文部省から係官が現地へ出て実情調査をしている事実も私は知っておりますし、また、私が直接お目にかかった中でも、文部省地方課から直接課長なり、あるいは担当官が見えて、こういう二本建を出すような問題ではありませんでしたけれども、実情調査をした事実も私はよく知っておりますし、現にその人は文部省におられます。だからそういう人もここへ来てもらって、その事実をまあ確めてもらいたいということであれば、私はそういう用意もあります。ともかくも、大臣は過去三カ年における国の予算の編成の仕方、そうしてそれが地方財政にどういう影響をしたか。あるいはまた、自治庁が各府県にどういう指示をしたか。一昨年の十月には二十数県に対して、お前の県は他の県に比べて教員が多いようだとか、あるいは給与が高いようだとか、あるいはその他のいろいろな問題を取り上げまして、そうして法律に基く勧告でもない、あるいは指導でもない。ただ感想文を送っております。けれども、そのことが非常に大きなショックを各県に与えまして、高等学校の授業料値上げの問題もそれから起っておりますし、その他各種の問題がそれから起っている。  で、大臣は当時は政府にもいなかったし、与党でもなかったから、弁護する立場ではないというお話しですけれども、しかし事実は事実として十分御調査にならないと、こういう、大臣がお考えになるほど、こういう二本建を出して起った混乱が重要な問題であればあるほど、その原因を究明しなければ私は結論が出てこないと思う。そうしてまた、こういう方法をしなければ父兄や、子供がどういうことになるか、一斉休校が起るかもしれない。教育委員の総辞職による教育の空白ができるかもしれない。教育委員が総辞職し、教育長がやめた場合には、形式的にはともかくも、実質的には教育の責任者がその期間だけは欠けます。そうなってくれば、学校教育というものは、その間行われない。子供を集めて、勝手にだれかが教育をしても、だれもこれをとがめることはできない。こういう事態が予想されるような段階を、二本建を出して、県議会の審判を受けるということが私はやはり大事だと思う。こちらが悪い、こちらがこうだ、あるいはその間にあって調停をする、こういう手続を経て、この問題を解決しようというやり方ですから、これが私は文部大臣がお考えになっているほど大きな混乱であり、大きなトラブルであるとは考えなくてもいいと思います。私の申し上げておる意味がおわかりになるかならないかしりませんけれども、もしよく御理解願えませんようでしたら、今申しましたように、過去三ヵ年の実情をもう少し文部大臣はお聞きになっていただきたい。これは私から聞かなくても、文部省の中の人からお聞き願ってけっこうです。それでなお御納得がいかないようであれば、私は次の機会に、きょうのあとででも、あるいはあさってでも、なおこのことについてお聞きいたしたいと思いますので、きょうは幾らお聞きしても、大臣の御認識の不足と申しては失礼ですけれども、不足のためにこれ以上質問できませんから、一応これで打ち切ります。
  146. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 伺いますが、大臣最近中央、特に地方においては財政的考慮から……、(「関連質問か」「審議権はお互いにあるはずだ」「しばらく休みますか」その他発言する者多し)委員長、議長整理大臣今までのわかっていますか。
  147. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) わかっておりますけれども、初めからやり直して下さい。
  148. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 迷惑ですね。(「そっちがうるさいのだから仕方がない」と呼ぶ者あり)
  149. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 御静粛に願います。どうぞ質疑を続けて下さい。
  150. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 文部大臣に伺いますが、最近中央、特に地方において財政的考慮からという立場を非常に重く見た角度から教育が扱われる傾向になり  つつあるという、これをお認めになられますか。どういうように情勢を把握しておられますか、伺います。
  151. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 必ずしもそうとは思っておりません。
  152. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 必ずしもそうだとは思わないということですが、私は本論を進めるために、そう数字をあげて掘り下げては追及しませんが、国家予算の中における国立学校関係の予算の全予算に対するパーセンテージ、それから地方の自治体における先ほど議論になっている教職員の定員、さらには地方教育伸展のために国庫補助として出される学校図書館法に基くもの、あるいは理科学教育振興法に基くものとか、時間がかかるから全部申し上げませんが、それらは減額傾向にあり、実質的には、今のわが国の大きな政策から予算面でしわ寄せをされつつあるということは事実です。私は今の地方自治体における教職員の人件費並びに教育の物件費の予算の編成状況については、他日この逐条審議のときに、詳しく私は承わりたいと思っておりますから、今そこに掘り下げては私は伺いませんが、少くとも地方自治体が財政が窮迫している。これは先ほどあなた方がお認めになった。この再建問題というのは重大な問題です。これは今憲法には、地方自治というものは一章設けて重視しておるのですから、重大問題です。私も関心を持っております。しかしこの地方財政の窮迫というものを招来した原因というものは、実に広範多岐である。何も教職員の人件費とか、あるいは教育の物件費、そういうものだけが原因ではないわけです。ところが最近一つの鳩山内閣の大きな方針として、内政として、地方自治の財政の再建という立場から、再建整備法も通ったわけですが、これともからんで、非常に地方教育というものが、教育的見地と、財政的見地と、両々相待って処理されるなら、それは非常に妥当です。しかし、財政的考慮からその立場を非常に重く見て扱われつつあるということは、明々白々ですよ大臣。このことを大臣知っていらっしゃらんということについては、私は非常に遺憾に思います。いかがですか大臣
  153. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) わが国の国家の財政を増加してインフレをきたさないように健全に導くために、できるだけの節約をいたしております。従って文部予算も私としては要求しただけはいただきたいのだけれども、必ずしもそうは参りませんでした。地方の財政は国の財政よりも、まだひどいのでございます。今さら一々申す必要もございませんけれども地方の財政、いわゆる赤字解消ということも国の政治の大きな要求であります。このままに赤字をもう三年、五年継続すれば、ほんとうに地方自治体は崩壊するのであります。これをせきとめるということも、大きなこれは要請でございます。従って教育についても影響をこうむることは当然でございまするが、教育だけにしわ寄せしたということじゃございませんので、先刻のお問いに対して、必ずしもという言葉を使った。必ずしも教育が財政によって、不当な扱いを受けておるということのみとは、私は考えておらないと、こう言ったのであります。私も日本の国力が回復し、教育にたくさん金が使えることを希望しておることはあなたと同じであります。
  154. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 現行教育委員会法の、ただいま予算の二本建制というのが焦点になって、質疑応答がかわされているわけですが、これは非常に私は妙を得ていると思うのです。ということは長くは申し上げません。公選された教育委員諸君が主権者に、住民に対して、直接に責任をもって教育立場から一つ教育予算というものを考える。しかし、それだけではならないから、自治体の議会を構成している議員のうちのどなたか一人が、その議会を代表してその委員に加わられ、そして両々相待って、一つの予算案を県側と協議して作成する。大部分は、先ほどから言ったように三百六十八のうちの三百六十三はあなたの説明によれば、それでまとまったんです。けれどもそのうちの五つの場合がどうしてもまとまらないで、両方が議会に出て、そうしていずれが甲か乙かということを、その都道府県自治体の住民の代表である議会の方が協議するのです。これは非常に私はうまくできていると思うのです。それを今ここで改めるに当っては、どのくらい一般行政教育行政調和がとれなかったのか例をあげよと言ったら、三百六十八のうちに五つしかおあげにならなかったわけですね。それじゃ五つで県側と教育委員側とが教育予算を中心に対決した。それはその内容が違うから対決したわけであるが、それは教育委員側が非常に無理なことを言ったのか、それとも教育委員側としては、その自治体の教育を守るためのぎりぎり一ぱいのものであったのかどうか。どういうような内容のものであったかということについては、文部省としてはそういう点は検討はしていない、だから今まで聞いてみますと、調和がとれなかったというその三百六十八分の五というその量の面においても、また五つの点は紛争を起して対決したというが、その内容の質の面においても、きわめて明確を欠いているわけです。これだけの資料で今この制度を改めなければならぬ大きな第一の理由として、皆さんが取り上げたということは、何といっても、これは根拠薄弱です。ましてや、あるときには一万二千、最近では五千五、六百の市町村があるわけですが、そういう委員会において、その二本立は幾つあったかは調査していない、一つだけ覚えているというようなことでは、これは何にも根拠にならない。裏返して聞きましょうか。大臣、聞いておって下さいよ。ほら、ここに地方財政の再建という問題が起ってきた。私は長くかかるからあまり他のことは申し上げませんが、鳩山内閣としては大きな政策を持っている。一つの大きな筋を持っている。いわば、再軍備政策という大きな政策を持っている。予算はたくさん要る。それはあちこちに影響を及ぼしていくでしょう。今までのさっき湯山委員から指摘したように、それは若干は地方自治体にも非はあったでしょうが、国の政策のよろしきを得なかったということも大きな部分です。そのために地方財政は赤字を重ねてきた。ところが今の段階になって、急激に国家予算が必要になってきた。それからこの影響というものが現われてきた。プラス、プラス、あらゆる条件がそろった。それを一気に再建整備でやろうとする場合に、一番弱いところの教育文化の面に重点が押しかぶってきている。こういうわが国の政治経済の情勢下にあればこそ、この二本建制の妙味を発揮して教育行政運営することによって日本教育は守られるし、また地方自治行政も、文化国家を志向している憲法をいただいている日本の自治体らしく成長していくと、かように私は確信をいたします。この分析は、私は絶対狂っていないと思う。むしろあなた方はその自治体の再建整備に、教育の犠牲においてそれをなしとげようという、これは少し言葉は強過ぎるかもしれませんが……、いや、そうではない、強過ぎるなどと遠慮しません。その犠牲において整備をやろう、そのためにはこういう二本建があると、大臣みずから心配しているように、二十九年に二つ、三十年に二つ、三十一年に一つあったから、今あの政策を推進していけば、次々にこの二本立があると、めんどうくさくなるから、これをここで断ち切ろう、こういうことなんです。はっきり出てきた。それはもうすでにある県には出てきた。私の知っている県では、知事が自分の県の最も信頼する、腹心として自分が大事にかかえておった財政課長を、県の教育委員会教育次長に任命した。どうも教育委員会がよけいな予算を要求して困るからというので、教育委員会教育次長に任命した。そうして自分の腹心である財政課長を使って、教育委員会の予算を全部抑えていく。こういうこともすでに行われている。これで一体教育は財政面から守られ得るのか、また、教育費の父兄負担の軽減というものをはかり得るのか。まあ、あなたではないけれども、戦争に負けたのですから、父兄の方々も、それは現状には歯を食いしばって、何とかともどもに歩いていただけると思うのです。しかし、今の地方教育行政状況を財政的立場から見れば、父兄の負担というものはだんだん重くなってきますよ。そういうことを防ぎ得るあなたは自信をもってこういう法律案を出されたのか、その点を伺います。いずれにしましても、あなたが理由としてあげられた、この一般行政教育行政調和がとれていないから、それが調和をとられるがために、この法律案を出したのだという第一の理由というのは、根拠きわめて薄弱である、かように私は断定せざるを得ません。これは良識を持った人なら、なるほどごもっともだと思う。これが聞こえない人というのは、どうかしていると思うのです。(「見解の相違だ」と呼ぶ者あり)見解の相違じゃない、このことははっきりしている。
  155. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお問い中心点を少しつかみがねましたが、私は前提として地方町村長でも、知事でも、総体からいうて、非常に教育には熱心な人ばかりだと思うのです。戦争に敗けたのに、戦争前よりもなお大きな学校を作ったのです。まだあのときは焼土も何も東京あたりはそのままです。しかるにこの間に建って、どこの村に行っても、汽車の窓から外を見れば、もう酒屋さんの蔵と学校だけですよ、大きなのは。(「これにその例を出すのはおかしいよ。」「大きいのは料理屋と映画館だ」「静かに聞けよと」呼ぶ者あり)
  156. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 静かに聞いて下さい。
  157. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は静かに言っておるのだから……、小さい村でも、新たに小学校や中学校を作っておるのです。この間の苦労というものは実に大したものですよ。ある村長はそれがために命を落したということも聞いております。それゆえに、この日本の全体、日本学問を尊ぶ国なのです、ほかの国と違います。ほかの中流国家と違って学問学問という国ですから、町村長諸君はやはり教育には熱心な人なのです。それは認めていただかなければならない。二本建予算をなくして、町村長が教育委員会と相談して  一本の予算をお作りになりましても、それがために日本教育が悪くなるとは私は考えておりません。けれどもたまたま二本立制度があるものでありますから、その間気まずいことが非常に多いのです。一番しまいになると、二本建で紛糾ということも起るのでありまするから、外国はどうか知りませんけれども日本町村長のお気分、知事さんのやり方等、これを考えてみますると、わが国で教育予算と一般予算と二つに分けて組もうといったようなことは、これは時宜に適しない、やはり提出前に町村長と委員さんとが御相談の上、一本建予算にすることが、日本には非常に適当なことだと私はこう思うておるのであります。お問い中心に合ったかどうかしりませんけれども、私の信念はそれでございます。
  158. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣、私たちが午前中から伺っている一番大事なところは、この教育制度というのは朝令暮改であってはならない、今のこの制度というものは発足して三年ちょっとしかたっていないのだ、だんだんと地につきつつあるのだ。それを、これほど大改革をされる以上は、どうしても今早急にやらなくちゃならぬという大きな原因、理由があったであろう。それを一つわれわれも国民も納得できるように御説明願いたい、こういう質疑から始まったのです。そうしたところが、あなたが一般行政教育行政調和がとれていないから、とれるようにしなくちゃならぬのは、五つ理由の中の一つだと、こう答弁された。ところが調和がとれているかとれていないかということについて、具体的な例をあげ出して何すると、ぜひとも今早急に変えなくちゃならんというその理由にならない、根拠薄弱だと言っておる。何も町村長とか知事が、教育に無関心で不熱心だとかなんとか言っておるのじゃないのです。そこにポイントがあるのじゃないのです。一つ制度というものを変える、甲から乙に変える以上は、甲よりは乙の方が断然いい、そう絶対になくちゃならんという理由がない限りは、甲なる制度が乙なる制度に変るはずはないのです。それが納得できるような理由があるだろうからといって尋ねているのが、今の段階です。ところがそのうちには、さき言ったように、三百六十八の予算の中に、五つそういう問題が起った、その内容はどうかというとわからん。起った理由については、何も地方だけが悪いのじゃなくて、国の予算の編成内容、編成の時期、そういう点が関連してこの五つというのは起っているのじゃないかという点を、先ほどから追及してはっきりしていったわけなんですね。そうなると、甲なるものがいいか、乙なるものがいいか、どっちがいいかという、町村長、知事が熱心か、熱心でないかということは問題じゃない。この制度を今早急に朝令暮改式に変えなくちゃならんその強力なる理由、根拠はつかめない、ないということになる。あなたは持ってないということになる。そこで第一の理由というものは柱が倒れたと、まあ私は申し上げた、その通りでしょう。
  159. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) その通りじゃございません。第一の柱は倒れておりません。(「そんなことじゃない」「そんなかたくなことを言わずに」「見解の相違だ」「見解の相違というのはこういうときに使う言葉じゃない」「あなたは午前中来ておらんのだから」「同じことだから言うのだ」と呼ぶ者あり)
  160. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) お静かに願います。
  161. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 二本建予算とそれから教育予算の確保、こういう立場で少し大臣所見をただしたいと考えております。  二本建予算が実際に行使された、こういう事例は非常に少いわけであります。先ほどからの御説明によりましても、わずかに五件か六件に過ぎない、こういうふうな実情であります。しかし二本建の予算を出すことができる、こうい、り制度がいかに今日まで教育予算を確保するに働きをしてきたかということを考えますと、私は相当大きな効果を上げてきておる。実際に行使されなくても、こういう原案送付権があるということが、教育予算を確保する上に非常に効果がある、効果があったというふうに私は考えておるのでありますが、こういう点に対して文部大臣はどういう判断をしておられますか。
  162. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 一つ制度でありますから、功罪両面があろうと思いますが、あなたのおっしゃるような効果もあったでありましょうけれども、他方これがために、町村長、町村会議員が非常に困った事件があるのです。ことに、二本建予算と同時に独立の支出命令をいたしましたがために、これは町村じゃ実につらい思いをしたことがたくさんございます。両面あると思います。
  163. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私の今お伺いしているのは、二本建の制度教育予算を確保するのに相当な働きをしてきたと思うがどうか、こういう質問であったわけであります。これだけをもって私はすぐに二本建予算というものが、必ず置かなければならんというふうに質問をしているわけでないのですから、質問にだけ私は答えてもらいたいと思うのです。こういう点はお認めになりますか、ならないか。
  164. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今答えた通りであります。確保というのは、適当な限度で町村の財政状態、経済状態に適合した程度で、教育予算を取ることが確保であります。しかし、これがために非常に町村が困っているときに、ほかの方とプロポーションをいたして要求を受けたこともあるのです。(「ありますか、事例」と呼ぶ者あり)あなたのおっしゃることは、私は全面的に否定しているのではありません。これがために学校の経費が取られたということも事実ですが、正しい意味での確保の限度を越えた場合もあるのです。ですから一方的に礼讃するわけには参りません。
  165. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 正しい意味での限度を越えた例もある、こういうお話しでありますから、その例をあげてもらいたいと思います。これはしかしあと回しにします、少しずれていますから。そこで私はこういうふうに考えているのです。今日地方財政は相当赤字で苦しんでおります。この地方財政の建て直しということは、今日地方公共団体の一番重要な問題であります。これは私が申し上げるまでもございません。しかし、この赤字のために、教育予算が、赤字克服のために教育予算が犠牲になるということも、これは忍び得ないところであって、この赤字財政の確保、赤字財政の克服ということは、いろいろの面から私は検討をしなければならないと思うのです。しかし、今日の実情から考えまして、このしわ寄せが教育予算に現われている。しかも、教育予算に非常に大きく現われているということは、私は実情であると思うのです。今日の地方の実態であると思うのです。こういう中において教育予算というものは、相当縮められてきております。こういう状態の中にあって、最小限度教育予算を確保するということは、今日教育を守るという点からいって、非常に大事な問題であるというふうに、私は判断をしているわけなんです。もしここで一歩誤まると、これは教育に非常に混乱をきたすような教育費の削減が行われる心配がある、こういうふうに私は感じているわけなんであります。そういう情勢の中にあって、教育費の予算を、教育予算を確保するということは、非常に大事な事情のもとにあるのじゃないか、こういうふうに判断をしているのであります。私はこういう判断をしている。実例を幾つもあげることができます。今年の三月から四月にかけての公共団体の予算編成期に当りまして、多くの府県においてこの教育予算を確保する大会が開かれました。そうして子供を学校に送っている父兄の人たちが、こぞってこの教育予算の最低のぎりぎりの線は守ろう、そういう運動が非常に熾烈に行われたということを知っております。これはなぜかというと、この赤字財政のしわ寄せが教育の面に押し寄せてきている、こういうことであります。そのためにもう教育が十分にやっていけないというふうなところまで追い詰められている。当委員会においても、この教育予算の確保の問題について、しばしば論議された点であります。先ほどから定員の問題が出ました、そのほかに教育の昇給昇格の問題もあります。この教員の昇給昇格の問題にいたしましても、定期の昇給昇格が実施されておらないという府県が半数以上にも達しておるという事実ですね、事実。それから教員の定数の問題にいたしましても、和歌山県のような例は、子供が、ふえるのに教員を八十人も減らした。これは本ぎまりになったのです。そのために、一学級の生徒数は、県平均して五十七人ということであります。多い所では、都市においては六十人というふうな、狭い教室にたくさんの子供をすし詰めに詰め込んで教育しなければ、先生の数が足らない。それくらいにまで教員の定数というものが切り詰められておるのです。これでは十分な教育ができないというので、父兄の人たちが教育予算を確保しなければならないということで大会を開いたりあるいは県にいろいろの交渉をしたりしておられる。そういう実情は一、二の府県にとどまらないのです、非常にたくさんな府県にある。言いかえれば、この赤字財政の犠牲に、何としても教育予算が供されておる。この中において、今日必要なことは、教育予算を確保する、こういうことが私は大事な問題であるというふうに考えるのですが、そういう点について、いわゆる第二段の質問ですね、第二段の質問について一つお答えを願いたいと思います。
  166. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたのお考えとほぼ同様であります。赤字財政の回復、財政再建が教育費のみにしわ寄せになることは私は反対です。しかしながら、政治一つのものでありまするから、そうかといって、教育の方でがん張り通して、財政の再建を妨げるというようなことがあっては相済みません。私も、日本の文教を預かっておる以上は、少しでも国の経費なり、地方の経費なりが教育に向けられることを熱望しておるのであります。しかしながら、教育費確保だといって、何にも聞かぬといってがん張り通すこともいかがか、やはりものは全体的に見るということをお許しになるならば、あなたと全く同感であります。
  167. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすればですね、ここで考えなければならない問題は、やはり教育予算というものが相当削られる傾向が強い。そういう中にあって、最小限度教育予算は確保していかなきゃならない。こういうことについては文部大臣も私ども考えが一致しているわけなのです。そうすれば、今後私はやはり教育予算が削られるという傾向は強くなっていくというふうに見ておるのです。そういう事情のもとにおいては、できるだけ教育予算を確保するという、そういうことにいささかでも貢献したという、こういう二本建の制度ですね、これを廃止するというのには、私は地方行政を非常に混乱に陥れたとか、もうやりにくくなったとか、そういう事例があれば、これは私もやむを得ないと思います。しかし、そういう事例がない限り、こういう制度はみだりに変えるべきでないと私は考えておるわけなんです。そこで問題は、二本建制度が果して地方一般行政教育行政との調和を著しく害したかどうか、こういう問題になってくるわけでありまするが、この問題はしばらくおいても、地方行政に非常な、非常なという言葉を使わなくてもいいと思うのです。地方行政の円満な遂行を妨げる、そういうことがなければ、この制度は別に廃止すべき理由というものは私はないように思うのですが、大臣所見を伺いたいと思います。
  168. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のあなたのお話しの中で、やはり全般的な御賛成はできないことが二つほどあるのです。一つは、将来はますます教育費が削られるであろう、私はそう見ておらぬです。日本の中央の財政も、過去二年ないし三年の経済方針でだいぶよくなっております。貿易も輸出の超過になっております。またわが国の産業も、戦争に負けましたが、戦争以前よりも倍の今生産があるのです。国力はやはり発展をいたしておるのでありまするから、地方の財政再建が、この国会でお願いしたように、ここ数年間にできましたら、中央も地方もよほどよくなって、喜んでみな学校の建築なり先生の月給の増加なり、いろいろいいことができる事態がきつつある。将来に向って私は悲観はいたしておりません。さすがの日本人で、戦後あなた十年でこれだけ回復した国はないです。戦勝国でももっと困っておる国があります。これから数年すればもっとよくなるので、教育財政がこれから大いに削られるというふうな見方はいたしておりません。もう一つはです。やはり教育財政を確保しようと思えば、やはり二本建でなければ確保できぬとは考えておりません。前にも少しくどかったけれど申し上げましたが、町村長も町村会議員も、みんなこれ教育に熱心な人であります。それはもう村長さんなんか教育のことを言ったら目の色を変えてやってくれるのです。でありますから、日本教育予算で、それを出す前にあなた教育委員会と相談するのでありまするから、私は二つに割らぬというと、教育費が圧迫されて、教育の目的を達せぬようになる。そういう悲観もいたしておりませんので、この二つ前提を除いてはあなたと同じ気持で、日本教育はよくしなければならぬと、かように思っております。
  169. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 将来の教育予算については心配がないと、非常にこう楽観的な御意見がございました。その根拠として、輸出もどんどんふえておる、それから鉱工業の生産も非常にふえているのだ、だから国力が充実してきているんだから、教育予算についても今後はだんだんふえていくんだ、こういうお話しでございました。しかし、これは私はせっかくですが、直ちに信頼することはできないと思うのです。その一つの問題として、清瀬文部大臣がこの国会に提案されて、遺憾ながらこの国会を通った国の予算を見ましても、文教予算について見ましても、これは従来たびたび指摘された点でございますが、十幾つの項目について清瀬文部大臣の所管の文教予算というものは減らされているのです。私はここで一々読み上げるということはいたしませんが、教育内容の改善充実費にいたしましても、それから今日非常に要望の高い産業教育の振興費、あるいは理科教育の振興費、学校図書館の振興費、それから公立文教施設の整備費、あとは読み上げませんけれども、十幾つかの項目について予算が減っているわけなんです。輸出はふえております、確かに。それから鉱工業の生産も確かにふえております。しかし、それがすぐに文教予算の増加になって現われてきておらない。ただ、ふえているのは自衛隊の費用だけではありませんか、大幅にふえているのは。これは再軍備政策をとっておる鳩山内閣にとって、教育予算が犠牲になっておるということは、国民のだれもがそういうふうに感じておるわけなんです。現にこの予算がこういうふうに相当多くの種類にわたって減額されている。この事実が私は何よりも証拠立てておると思うのです。それから地方教育費についても、年を追うてよくなるような今お話しでございましたが、そういう実情でないということです。最低ぎりぎりの教育予算を取るのでも、ことしあたりはどれだけ父兄が苦労したかということを、文部大臣は御存じないのじゃないかと私は思うのです。そういう意味において、今後教育予算がそう心配要らないと、こういう解釈は、これは非常に甘い考え方であり、あるいは根拠のない考え方であると私は思います。しかし、その問題については、これは押し問答になると思いますが、そこで、果して教育の予算の二本建が地方自治に非常な支障をきしたかどうか。これは二本建予算が出されたのが五つあるということだけでは、私ども納得できないのです。これは出されても何にも差しつかえないのです。出したということによって、非常に地方自治に支障があったと、そんなことは考えられません、法律によって認められておるのですから。しかし、事実において非常な支障をきして、悪影響があったというなら、それはまた問題は別です。しかし、私はそういう事例はないというふうに考えるのです。先ほども福岡県の例を引かれました。福岡県の例を引いて内容を言われませんでしたが、大問題になっていると、こういうことなんです。どういうふうに大問題になっているのか知りませんが、先ほどの話しで出ておりましたように、この教育予算がきまらなかった、それは議会にかけなかったから。そうして、知事の専決事項でやっておる。教育委員会の言っておる教育定数と知事側の言っている教員定数に食い違いがあったと、それで、今、実情調査をやっているというのでしょう。決して大混乱をきたしているということはないじゃないですか。どこがこの二本建予算が地方自治に大混乱をきたしておるのか、これは明白に言ってもらいたいと思う。私はその他の府県においてもそういうことはなかったと考えております。福岡県の例について、一つ詳しく言ってもらわないと、具体的に言ってもらわないとわからないじゃないですか。それは文部大臣だって大蔵省に予算の要求折衝をするときに、大蔵省の言う通り、はい、はい、そうですかと言っておってはどうして務まりますか。かなりがんばって奮闘しなければ取れないでしょう。そういうことは私は何にも差しつかえないことだ。二本建の予算を提出することはこれを提出しても何ら差しつかえないと思うのです。このことによって、重大な支障がくるかどうかということによって、この制度を再建されるという理由が発見されると思うのです。そうでなければ、この制度を廃止する根拠というものはないと私は考えますが。
  170. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のお話しの前段のことですね。それは私は今年という意味じゃないですよ。おととし、去年、ことしは、いわゆる緊縮的の政策を大蔵大臣は取られたのです。伸びんと欲すれば、まず縮んでおくのであります。(笑声)あなたのは、ことしのことじゃなくして、ことしは二本建予算があるのですよ。その二本建予算をなくする、来年、再来年において、予算が非常に窮屈になるだろう、こういうお話しでありましたから、私は将来のことをいえば、必ずしもそうではないと、地方財政の再建もでき、それからまた日本全体の経済もよくなるのだから、将来はそれほど心配にも及ばないと申し上げたので、ことしの予算は十分であったとは考えておりません。私も取ろうと思ったのでありますが、経済のもっと高い見地から、初めは一億予算といったのでありまするが、これは破れましたけれども、(「一兆」と呼ぶ者あり)一兆。一兆、これは思うほど取れませなんだです。これは遺憾に思っております。しかしながら、日本の経済が進むに従って、将来は二本建予算をしなかったから、教育費が非常に少くなった、そういうふうな事態は起らんだろうと申したので、誤解なきだめだ申し上げます。  それから最後のお問いでありますが、私は、繰り返すようでございますけれども、やはり二本建予算として紛糾して現われたのは外に出た現象で、までの間にもやはり町村理事者は、この制度のためにずいぶん困ったこともたくさん多かろうと思います。これは理事者の腹のうちでありますから、資料要求と言われちゃ困るのでありますが、(笑声)衆議院でも町村長などをやった議員、私ども友だちがたくさんおります。知事をおやりになった人も当選しております。それらの人の打ちあけ話を私聞いておりまするが、やはり二本建予算をこさえて、県会で争って、予算不成立になってあとからこいつをどうか収拾するというよりも、やはりそれを出す前に町村長または知事と、教育委員会との間に、研究し、研究し、研究して一つの県予算、一つ町村予算を出す方が行政上よかろう、そういう考えなんです。
  171. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は、この二本建の制度があっても、教育予算が取りにくいという現状にあるというふうに判断をしておるわけなんです。このことはかっての文部委員会でも相当問題になって、昇給昇格がストップされるとか、あるいは定員が児童生徒の増加に伴わないとか、いろいろの問題について、このままでいくと非常にぎりぎりの線を割るのじゃないかと、そういう点から教育予算を確保するということは、国においても真剣に考える必要があるのじゃないかということを、私は文部大臣質問をした記憶があります。ところがこの記憶は、清瀬文部大臣であったか、松村文部大臣であったか、よく知らないんですが、当時文部大臣はその点を全面的に否定されなかった。確かに十分検討しなければならぬというふうな意見があったはずであります。これは文部委員が一致して、一致してということは言い過ぎであるかもしれませんが、大体やっぱし心配しているところであります。で、将来そういうもう心配はないのだ。私は十年とか八年とか先のことを言っているのじゃないのです。来年、再来年、その次と、だんだん窮屈になってくるというふうに判断をしておるわけです。それはやっぱし赤字を克服しなければいかぬという問題は、ここ一年二年で解決しません。やはり十年近くかかるわけです。そういう事情がある中において、やはりこの教育予算の問題に大きな影響があるということは、これは十分考えられる問題じゃないでしょうか。それを単に国力が増加していくのだから心配ない、こういう考えは、私は強い言葉で言えばあまりにも無責任な言い方だと思うんですよ。それからこの二本建予算が、さっきもお尋ねしましたように、そんなに地方自治に支障をきたしているか。大臣は形には現われないけれども、胸の中では非常に起っているんだ、だから資料が出されない。まあ資料を出してくれと言うておりませんが、しかしそれでは私少しおかしいと思うのです。この市町村で二本建予算を出したということは、ほとんど問題になっていないんですよ。私どもはほとんど聞いていない。それは緒方局長が一件あると言っておりますが、それは一件ぐらいあったかもしれません。二本建予算で問題になっているのは都道府県です。市町村ではとてもそういうことは行われないのです。しかし都道府県において五つ、六つの例があるようですが、これが地方自治に支障をきたしたというほどまでに判断できないというのが私ども考え方です。それについて福岡県の例をあげて大混乱だとおっしゃったんです、今。何が混乱しているのですか。具体的に言ってもらいたいという質問をしているのですが、答弁がないわけです。
  172. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 福岡県の事例につきましては、先ほどもちょっと御説明いたしましたが、結局当初予算の成立を見ませんで、それが議会にかかったのであります。かかりましたけれども審議未了になりまして、その結果知事が原案を専決処分をした、こういうことになっております。これは大臣からもお話がございましたように、ここに至りますまでには、教育委員会側と知事部局とが対立した関係になりまして、相当紛糾したことは、これはもう事実でございます。先ほど矢嶋さんもお話しになりましたように、年間の予算を知事が専決するというようなことは、非常な異例なことでございますし、これに対しまして、いかに対処するかということでなおいろいろと対策を続けられているわけでございます。ここに現われましたのは、一口に御説明すれば、かようなことでございますけれども、やはり権限が対立しておりますので、その間に知事部局側と教育委員会側と、予算をめぐりまして非常なしこりが残りまして、この行政、財政の運営に阻害をきたrということは、やはりこの制度の結果現われてくる問題だと思います。
  173. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それは事態をはっきりしなければいかぬと思うのです。これを議題にしで、そうして予算を決定することを拒んだのは、知事及び知事与党側じゃないですか。そうすれば、この予算がきまらなかったという責任を、教育委員会の二本立制度に押しつけるということは、私は非常に不可解な考え方だと思うんですがね。これは判断ですから、文部大臣答弁してもらいたいと思うんです。事務的な答弁でなく、三十一年度の予算がきまらなかったということは、知事及び知事側の議員の引き延し作戦できまらなかった。それを教育委員会の二本立のせいにしてしまう、そうしてこれがあるから悪いんだというふうに結びつけるということは、これはひどいと私は思うんです。大臣どうお考えになりますか。
  174. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 先刻からこの文教のすべての問題について、責任は、すなわち悪い方は知事であったか委員であったか委員会であったかということは、私は判断はいたしませんと言っておるんです。教育の方から、教育が大事だという寸法から考えれば、委員会ががんばられてもようがしょ。また、地方財政の再建をしようという熱意からすれば、知事もよかったでありましょう。二つの尺度があるのに、どっちがいい悪いと、子供のけんかを親がさばくようなふうには私はできませんです。ただしかし、もし予算提出以前に、教育関係者も、ちょうど国の予算を文部大臣要求すると同じように、あらかじめ事前に研究して一本建てにしておったら、この問題は起らないんです。ですから起った原因は、やはり二本建制度というものが、これがよくなかったということにはなるというまではいっております。それから先、知事さんがよかったか、教育委員長さんがよかったかの判断は、私はいたしません。
  175. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 大臣、今のはちょっと聞き捨てていくわけにはいかないと思う。それはさっき私が言ったように、福岡の場合は、私はもう実際調べて詳細に知っているんだから、それは教育委員会の予算案を支持する県会議員の方は数が多い、県側の案を支持する議員の数は少い。そこで県側と与党の議員とがタイアップして、そうして県議会の会期内に本会議が開かれないようにやったわけです。そのために成立しなかった。そうして専決処分にいったわけです。成立しないで専決処分にいったから、あなたの言葉をもっていえば、混乱ということになっているわけですね。そこでお伺いしている点は、大臣、そういう事情になっているのは間違いないんだから、そうだとすると、専決処分になって、あなた方の言葉では混乱になっているというんだが、それは一体教育委員会の二本建の制度で出したからいけないのか、あるいは知事並びにその与党の議会に対する態度が好ましくないのか、どちらかというのは、答えが出るはずでr。というのは、私はこの前の委員会で、衆議院の文教委員長に特にたださなければならぬと思っておりますが、この法案衆議院からきたときに、その経過をただしたら、あなたは、衆議院の文教委員長委員会を開かなかったからああいう事態になったので、あげて衆議院の文教委員長の責任だということを、あなたはきわめて明確にここで答弁された。この点については、衆議院の文教委員長が、あらためて衆議院であなたの所見をただすと言っておりますが、それを明確に答弁されておる。今の問題は、どちらがどうだったかと  いうような、なまくら答弁では、これは大臣、非常に筋が通りません。はっきりお答え願いたい。
  176. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) はっきり答えますが、矢嶋さん、おこらぬようにして下さいよ。議事規則によって運行する場合に、引き延し作戦をとったということそれ自身で、私は人を責めないのです。国会でもそういう事例はないとは申されませんですから知事さんが引き延ばし作戦をとったからといって、それで知事を責めるというのは、私は一方的であって、問題の価値はやはり考えなければなりませんから、そこで私は裁判はできないのです。
  177. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今の質疑段階で、私の立場を確認しておかないというと、話がぼけてくるわけですが、けさからお互い質疑を続けてきて、今立っている立場は、教育のことは朝令暮改であってはならないのに、実施後三年ちょっと経過したくらいで、これほどの大改革の法律案を出すには、何かぜひやらなくちゃならん理由があったであろうという、この提案の根拠となった理由お尋ねしたところが、文部大臣五つあげられたわけです。その一つを今ただしたわけです。この法律の条文解釈とか、この法の運用、内容そのものについては、今は触れている段階でございませんので、そういう立場であるということを私明確にして、そして伺いますから、大臣もきわめて能率的にお答えを願いたいと思うのです。そこで第二点を伺いますが、これは非常に重要な内容を含んでいるようです。大臣はどういうことを申されたかというと、この法案を思いたった理由に、直接選挙では政治的中立が保てないから、直接選挙では政治的中立が保てないからとか、かように答弁されました。そこで私は質問するに当って、昨日湯山委員質問されたのを受けて少し伺いますが、現行教育委員会法の第七条の二項、これは現行教育委員会法の第一条を受けて立法されていると、かように考えますが、大臣いかがでございますか。現行教育委員会法の第七条の二項は、現行教育委員会法の第一条を受けて立法、条文化されている。
  178. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は必ずしも第一条を受けてきておるものとは考えておりません。
  179. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 必ずしもというと、他にどこか受けているものがあると思うのです。私は法律専門家ではないのですが、しかし常識的に考えて、日本のあらゆる法律というものは、憲法を基礎にして、それから根を出しているわけですね。ある法律には一つの目的というものがある。その目的に沿うように、憲法の精神に沿うように、さらに分れているわけなんですね。従ってその法律の重要な部分というものは、他の法律の骨となるところのどこかにつながっているのじゃなければならない。私は第七条の二項というのは、第一条から必ずしもというのではなくて、私は百パーセント、そこからそのつながりにおいて条文化されたものと考えるのですが、必ずしもというのは、ほかにどこからきているのでしょうか。
  180. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 百パーセントにつながりがあるというお言葉をそのままに解釈すれば、第一条に「教育本来の目的を達成することを目的とする。」ということであったら、直接公選でなければならん、こういうことになるのです。百パーセントといえば。直接公選も教育本来の目的を達することでありましょう。また「不当支配に服する」ことがないということにもなりましょうけれども、必ずしも第二項の方法によらないだって、第一条の目的は達し得られる余地が神々あるわけでありますからして、この連絡を否定するのではありませんけれども、これが百パーセントというふうには私は考えておらん。
  181. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私が伺っているのは、大臣よく落ちついてお聞き願いたいと思うのですがね、私は第七条の二項の「日本国民たる地方公共団体の住民が、公職選挙法の定めるところにより、これを選挙する。」とそのことから一条の「この法律の目的」が全部出てくるとそういうことを言っているんじゃないのですよ。
  182. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなた百パーセントとおっしゃったから。
  183. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたがそれを言っているんだ。私はそれを言っているのじゃない。私が言っているのは第一条の「法律の目的」の「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、」ここからこれを受けて、かかるがゆえに七条の二項にこういう条文が規定された。こういうふうに私はお伺いしているわけで、そうでございましょう。その逆の場合、七条の二項から一条が全部出てくるか、私はそういうことを言っているわけじゃない。一条から七条の二項が出てきている。一条即七条の二項、こういうことを私は言っているのじゃない。七条の二項というのは一条から出てきているということを言っているのです。そうでしょうが。そうでなかったらどこにつながりがあるかというのです。
  184. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そういう御趣意ならば、この法律、今の教育委員会法全体は、一条の目的を達するために、いろいろ書いたものでありますから、この起案者は一条の目的を達するために二条から百何条までみなやっております。その意味においてはむろん連絡があります。それでお言葉の上に百パーセントとおっしゃったから、私は気を回して、このほかには第一条の目的を達する選定方法はないんだという議論をされると思って先回りしたので、はなはだ失礼でした。
  185. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 どうもね。失礼でしたと言って、それはいんぎん無礼というやつでね、いまだにやはり失礼ななにがあるのですよ。昨日湯山委員質問されたときから、あなたは非常に気を回してね。あっさり答えられることをことさらに曲げて答えられている。そうなると時間がかかりますので、あっさり一つ答弁して下さい。そこで承わりますよ、これはまた質問を構成する立場から伺わなくちゃならないのですが、この現行教育委員会法の一条というのは、教育基本法の十条を受けていることには間違いないですね。
  186. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 教育基本法の十条をここへ入れております。そのほかのことも書いておりますけれども
  187. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 だから受けているわけですね。
  188. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 受けておるという言葉が少し含蓄が多すぎまするから、それでこの法律は「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであるという自覚」ここまでは受けておるんです。しかしながらその次に「地方の実情に即し」とか、あるいは「教育委員会を設け」云々とかということは、第十条には教育委員会ありませんから、そこで全部を肯定すると、その次に混乱をきたしますから、これを受けておることは事実なんです。けれどもそのほかのことも書いてあります。こういうことを言っているんです。
  189. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その通り、それでよろしいのです。そこで次に伺いますが、文部大臣の御意見によると、先ほどすでにもう予防線で出されておりますが、主権者に直接責任を負うのは公選制に限ったことでなく、任命制でも果せるんだ。こういう立場を言われているわけです。そこで直接選挙では政治的中立性が保てないから、だから今度は任命制にしたのだ、こういうふうに御説明になっているわけです。  そこで私は伺いたい点は、住民の意思表示の最も正確なる方法としては無記名、一人々々の投票という形態が最も住民の意思が正確に表われるということは議論の余地がないでしょうがね。それはお認めになりましょうね。
  190. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いいと思います。
  191. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そうなりますと、基本法の十条の精神を受けて、現行教育委員会法の第一条が条文化されているわけですが、この教育基本法の第十条の教育行政のところに書いてある「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」というこの条文は、より住民の正確なる意思表示の手段としての秘密無記名投票から間接的な任命に移っただけ、それだけこの基本法十条の精神は後退した、弱くなったということは議論の余地はありませんね。
  192. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 違います。そうは考えておりません。
  193. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 どういうふうに考えておりますか。
  194. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 委員会の第一条も教育基本法の第十条も、国民全体に対し直接責任を負う。九千万国民に対して責任を負う。そうすると、ここに三千人か四千人の村の直接投票という方法が、北海道も九州も寄せて全体に対して責任を負う最良の方法であるかどうかは議論の余地があります。
  195. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 子供には親があるわけなんですね。私は親が憲法にも書いてあるように子供を育成する最も手近な最高の私は責任者と思っております。その人々が自分の意思表示をして、皆さんがするわけですよ、その地域の住民がね、そうして教育委員会を構成して、そういう方々がその責任においてかわいい子供の教育というものを責任を持ってやっていく場合と、間接的に選ばれた教育委員がそれをやる場合においては、その教育行政に子供の直接の親である、責任者であるところのその主権者が関与する度合いというのは大臣、違うでしょう。そこのところを一つ……。
  196. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今の問題は国民全体に対して責任を負う、こういうことなんです。全体という文字に注意して下さい。これは憲法第十五条の  一般公務員にもある規定でございます。公務員はいい政治で……、昔の言葉で言えば国家の公僕です、これは公務員にも適用される規定であります。親切ないい政治をして、国民全体に責任を負う。そこで教育委員会が、何かよりよき方法でいい教育委員会ができて、いい教育行政をやれば、それはいなかのすみで一ヵ所であっても国民全体に対していい教育をしたということになるのであります。そういう意味で私は国民全体に対して責任を負うこいうことは、その町村の直接選挙にこだわらず、直接選挙をされた町村長が、直接選挙をされた町村会議員の同意を得て、良心的に最も人格が高潔で、教育、学術、文化に対して見識ある人ということで、良心的にこれをこさえて、いい教育委員会を作れば、その委員会の仕事は、国民全体に対して責任を負うたいい委員会ができるであろう、必ずしもその村だけで直接選挙をする者だけが国民全体に対して責任を負うのでない、こういう私は思想でおるのです。
  197. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ちょっとね大臣、この点は、こんなところで時間をとるのはもったいないのだけれども大臣がそういうこと言うからいたし方ないのですが、あなた憲法の十五条の公務員を取り上げられました。具体的に言いましょう。Aなる村の公務員、それは住民によって公選された公務員もございましょうし、またその首長によって任命された公務員もありましょう。この公務員の国家の主権者に対する責任の度合い、その村の住民に対する責任と、それから北海道の村の住民に対する責任とは同じですか。どうですか。あなたは同じように論を立てておられるが、いかがですか。
  198. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 公務員は国民全体的に考えて奉仕しなければなりませんので、Aの村の公務員だからといってAの村のためだ、他の村を犠牲にするという奉仕の仕方は、国民全体のためじゃないと思います。
  199. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういう変なことをおっしゃいますが……。(「変なことじゃない」と呼ぶ者あり、その他発言する者多く、騒然)
  200. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) お静かに願います。
  201. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は九州の村の公務員が、北海道の村はどうなってもいいと考えて言っているのじゃないですよ。それでは聞きましょう。地方公務員法の中に、一つの村の、ある村の公務員は住民の、国民の奉仕者であるから、その行政区面内では選挙運動はしてはならない。しかし他村に行けば選挙運動はやってもいいということがちゃんとあるじゃないですか。それならどこから出て来ているのですか。あなたが言うようにある村の公務員は公務員なるがゆえに日本全国の全国民に対して責任をとる度合いというのが全く同じだというふうなら、そんな法律が成り立つ理由がない。国家公務員の場合はそうです。だが地方公務員の場合は違いますよ。ある村の教育委員が公選された、その教育委員会はその村における住民に対する直接責任を持っている度合いと、隣りの村の教育に対して持っている責任の度合いとは違いますよ、はっきりしておると思う。どうですか、それは。
  202. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今の選挙運動のことは、弊害があるからそうしておるのです。それと今の場合とは違います。今の戦後の日本の政体は、あなたの御承知通り主権者は国民であります。天皇じゃございません。国民全体というものが私どもの御主人であります。その国民全体に向って責任を負うということは、昔は上に向って忠義をせいと言ったのが国民全体に向って忠義をしつつあるということなんです。おわかり願いたいと思います。それゆえにこの村の収入役じゃといって向うの村を害してこの村のために尽すという尽し方はいけないのです。やはり主権者たる国民全体に向って働くお心持ちでお勤めをしなくちゃなりません。
  203. 湯山勇

    ○湯山勇君 私は新しい説を承わったので一つ重ねて承わりたいと思います。国民全体に対して責任を持つというのは、法律の建前が全国の教育委員会を対象にして立てられておる、こういうことから全国の国民という表現があると思います。けれども大臣がおっしゃるように、たとえば兵庫県のある村の教育委員会が北海道の教育の責任を持つ、こういうことを常識的にも考えられない。またある村の村長が、たとえば九州のある村の村長が北海道のある村の住民に対しても責任を持つ、直接責任を持つ、あるいは鹿児島県の県議会が北海道の道民に対して直接責任を持つ、こういう大臣の説はこれは正しいのか、大臣は今まであらゆる法律地方自治法なりその他の法律をそういうふうに解釈しておられたのかどうか。
  204. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 国民全体というのは一人心々じゃないのですよ。今日の憲法の解釈としては国民という一つの集合体なのです。これが主権者です。北海道のだれそれというのじゃないのです。でありまするから、その村のために公平ないい委員会としてサービスをすることは、やはり国民全体、主権者に対して義務を尽しておることでございます。
  205. 湯山勇

    ○湯山勇君 私は今のような精神を聞いておるのじゃなくて、具体的に鹿児島県の県知事は北海道の住民に対しても直接、責任を持つと、こういうことになるのかどうか、そういう解釈ができるのかどうか。(「そんな粗雑なこと言っちゃだめだ、どっちだ」と呼ぶ者あり)
  206. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いや大切なことですから、あやまちなきために私申し上げます。国民全体というのは国民全体の集合体なのです。実際は生れたり死んだり毎日しておりますけれども日本国民全体なのです。それに対して主権が与えられておるのです。人一人が持っておるわけじゃありません。日本国民全体が、全体というものがあってそれに主権が与えられておる。その主権者たる国民全体に向って義務を尽すのであります。なお参考に教育委員会法は「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、」ということをいっておる。その目覚がなければいけませんです。自覚はおれは何々村の委員じゃけれども自分の職務は実に尊い職務だ、国民全体のためにこの委員会にお勤めしなければならぬ、こういう意味と私は解しておる。それは一方で憲法に国民全体が主権者だという思想と相裏表しておることでございます。戦後の日本国家の構造の中心でございます。昔だったら寝食寤寐天皇陛下に忠義ということで職務をとれと言ったけれども、今日は国民全体のために仕事をせんならぬという自覚のもとにやれと、こう書いてある。私の言う方が私は正しいと思っておるのです。
  207. 湯山勇

    ○湯山勇君 大臣の今おっしゃったことはその通りです。私はそのことは大臣のおっしゃること百パーセント支持します。ただそういう自覚のもとにそれじゃ責任を持つのはどこへ持つか。それは自分の村の教育をよくしていく、村をよくしていく、こういうことに対して直接責任を持つ、そういうことが積み重ねられて大臣のおっしゃるような事態ができてくるのであって、自覚と、事実法的な根拠に基、いて直接責任を持つというのはやはり区別しなくちゃならない。もし大臣がそれも同じだとおっしゃるのならば、法律の上で、現行教育委員会法で一体鹿児島県の教育委員会が北海道の住民に責任を持つということがどこに示されてあるか、これをお示し願いたい。
  208. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 北海道の道民にというか、北海道の住民をも含めた国民全体と御了解願いたい。北海道も青森県も全部含めた国民全体というものが今の憲法にはあるのです。それに対して責任を持つのです。しかしながら、仕事はどこでするかといえばAという村でするのであり、Aの村の教育委員として職務を完全に尽すので、Bの村も害せず、Aの村の職務を尽すことは、それで国民全体に義務を尽しつつあるのであります。
  209. 安部キミ子

    安部キミ子君 文部大臣のお説で半分くらいは了解得ましたけれども、せっかくお読みになりましたただいまの委員会法の第一条の条項でありますが、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。」これで一つの条文になっているわけです。今まであなた方が国民心々とおっしゃいますけれどもそのことはまだ半分しか説明がなされていない。そこで地方の実情に即した教育行政を行うためにその地方教育行政の直接責任を持つことは、やはり地方の直接選挙によって責任を持つことが国民の(「そんなことどこにも書いてない」と呼ぶ者あり)責任が果せるのだ、こういうふうに解釈すべきですよ。(「そうじゃない」と呼ぶ者あり)あなた方は半分しか文章をお読みになっていない。第一条の半分しか解釈しておられないから、そこにいろいろ疑問があるわけです。ですから、新しい教育委員会法ができて、従来の教育は誤まっていた、国家統制のような——今あなたが従来のようにぼうとした国民全体の責任だ、国民全体の責任だといって、文部省が上から綱を引っ張るような行き方ではなくして、その地域心々の社会に適応した、地域社会の国民気持に合った教育をしようというのがこの教育委員会ができた建前なんですね。この教育委員会法ができた建前なんですよ。でありますから、やはり地方の実情に即した教育行政を行うには、どうしてもその地方の人が直接一人々々——国民というのは今集団だとおっしゃいましたけれども、その集団という観念は、一人心々の集まりが集団なんですね。ですからその地域の人の集団ですよ。地域社会における教育行政は、その地域社会の人全体が責任を持つのだ、そういう地域社会が幾つもあって国民全体の責任にもつながるので、私は両方兼ねていると思う。でありますから、私はこの教育委員会法の第一条なるものは、この第一条の条文の初めから終りの文句、この一条全体の内容を把握して、そしてこの根拠に立ってやはりその地方国民に即応した教育をなされなければならない、そういう意味でやはり直接選挙によって一人々々の国民の意思をそういう直接選挙によって反映し、またそういう反映された教育委員によって国民の意思にこたえる、こういう建前になっておると思うのでありますが、先ほど大臣の説明ですと、何か北海道の端の方の責任まで鹿児島の知事さんなり、あるいは市長さんなり、教育委員なりが持たなければならぬという話をなさいますと、保守党の方でも笑わなければならないようなことになるのです。(「とんでもない」と呼ぶ者あり)先ほどから笑っていらっしゃるけれども、やはり文部大臣はこの文章の全文を十分理解して、一つの文章として解釈なされなければ、しりきれトンボのように途中からあとはお読みにならないで、そして解釈の中に入れないで議論なさっても正しい答えにはならないと思う。私のこうした考えにおそらく文部大臣は同調なさるだろうと思いますが、御所見お尋ねいたします。
  210. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 遺憾ながら少し違うのです。繰り返すようですが、国民全体のためというのは、北海道におるおじさんとかおばさんとかいう一人心々じゃないのです。北海道も九州も含めた日本国民全部というものを一つ頭において、これが日本主権者であります。(「先ほどとは大分違ってきた」と呼ぶ者あり)それに対して責任を負うということであります。それからして、この話を短かくするために、全部は読みませんでしたが、教育委員会法の一条はここに書いてございまして、この中には「公正な民意」ということがあります。この「民意」も日本国民全体の民意であります。地方の実情に即し、それに地域社会の状態をも参酌せいということであります。そういう意味教育行政を行うために教育委員会を置く、この規定が、しからば直接選挙でないというと、この三つのことが行なえんかというのも、私はそうのみ考えておらない。直接選挙によらないでも、委員選任の方法によっては国民に直接の責任を負い、公正なる民意を反映し、地方の実情に即して委員会は成立し得るものと、かように思っております。さようなところが、あなたの今繰り返しおっしゃることと少し違っております。
  211. 安部キミ子

    安部キミ子君 私、まだ今の大臣答弁に疑義がありますから、再質問いたします。私は大臣がそういうふうに御解釈なさるのなら、もっとさかのぼって質問しなければなりませんが、教育基本法の精神というものは一体どういうところにあるのでしょう。教育基本法の精神です。
  212. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今のは基本法全体のことですか。
  213. 安部キミ子

    安部キミ子君 そうです、この教育基本法が出された精神です。
  214. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 基本法全体のことは、長い講釈になりますから、一口で申し上げられませんけれども、一口、二口じゃ言われませんですが、(笑声)ここに前文は書いてありまする通り、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献するようなことを決意して、この理想の実現は根本において教育の力によらなければならない、これが第一であります。すなわち民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献する、こういうことを、大きなことを言っております。そのためにはどうするかといえば、教育の目的は、平和的な国家及び社会の形成者を作る、こういうことであります。そのためにどうするかといえばまず「人格の完成をめざし、」ということ、「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、」という精神を鼓吹する、また心身ともに健康な自主的精神に満ちた国民を育成する、これが教育基本法の大眼目でございます、第一条が。しまいまでこれを申してよろしゅうございますか。
  215. 安部キミ子

    安部キミ子君 どうぞ。(「まあいいじゃないか」と呼ぶ者あり)
  216. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ちょっと安部委員にお諮りいたしますが、この教育基本法というものは、矢嶋委員が今質問中の案件でもありますので、いかがですか。   〔矢嶋三義君「いいですよ」と呼ぶ者あり〕
  217. 安部キミ子

    安部キミ子君 よろしいとおっしゃいますから……。
  218. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) こういう意味において、私は非常にいいことを書いてあり大きな法律と思っております。文化国家の理想を達成するための根本法でございます。
  219. 安部キミ子

    安部キミ子君 私は教育基、本法が生れた動機とか何かについては、今度公聴会もありますことで、いろいろそういう過去の立場におられた方たちの意見を聞いてみたいと思いますが、この間文部省から出された資料によりますと、教育刷新委員会というものができて、そうして終戦直後の日本教育の混乱をどういうふうに立て直していったらいいか、わけても一番焦点とされていることは、今大臣がおっしゃいました民主的な政治をし、民主的な教育をすると、そうして平和国家、文化国家を作るのだ、まだそのほかいろいろ目的は広範にありますけれども、要するに戦前の教育の反省のもとに、私はこの教育基本法というものが、憲法第二十三条のもとに発展してなされて、さらにそれが教育委員会法に発展して制度ができたと、こういうふうに解釈しております。要するに問題は民主的な国家を作るということは、一人々々の気持が、戦前のような政治教育やらだと、みんな抹殺されていた、個人の人格の尊厳というものは無視されていた、それではいけないというので、一人々々この人格を尊厳した立場教育を立て直していこうということの高遠なる精神のもとに教育基本法がなされている、こういうふうに、まあこういうことは今文部大臣がおっしゃった通りだと思うのです。そういう立場に立って今の教育委員会法の第一条を見てみますと、やはり従来のように、もちろん国の責任というものが、この国全体というような漠然としたものが個人個人の責任というものより上に立つものじゃなくて、個人心々の責任というものを結集したものが積み重ねられて、それが国の責任ということになる、こういうふうに解釈していくべきであって、これが民主主義の行き方の根本問題だと思うのです。そういうことになりますと、あなたが今おっしゃいましたこの国の責任ということは、国に対して責任を持つと、こういうことはやはり一人々々の人の集結であるその地域社会の集団から始めなければいけない。もっと掘り下げて言えば、一人々々の人格を尊重するその基礎の上に立って始めなければならないと思う。そういうものの考え方がなされなければ、ほんとうの民主的な教育にはならないと思うのです。ただ先ほどもいろいろと国家財政、文教予算のことについて質問がございましたけれども、ただ国が予算が少くなって困るから、あるいは地方財政が窮迫しているから委員会法を改訂をし、そして、とにかくこういうふうな制度にしろ、選挙費用も少くて済む。あるいは先ほど調和々々ということをおっしゃいました。政治調和とか、教育調和とか、予算の調和とか、盛んに調和という、言葉を使っておられますけれども、私は大臣のこの調和という言葉自身にも疑一義があるのです。このことについてはまた次の機会質問いたしますが、私はほんとうにこの教育基本法の精神というものがよくわかっていれば、当然直接選挙、一人々々の意思をそのまま尊重して、そうして選挙された人が責任をもって教育行政に当るということの方が、間接選挙の任命よりもっとこの教育基本法の趣旨にも沿うことであり、また基本憲法にも沿うことであると、こういうふうに考えておるのです。ところが先ほどから大臣答弁を聞きますと、何か答弁がぼやっとして、そして何でもかんでも何かこの法律ができておって、この法律にどうしても答弁を合せて行かなければならぬ、こういうふうな考えの下に、この法律を通すために答弁を一生懸命合わそうとされておる。私はそういう印象を受けるのです。そういう考え方で審議をされたのでは、私はほんとうの審議にはならないと思うのです。やはり何といいますか、気持のままを、任意のない、曇りのない、きれいな気持でこの法案に当ってもらわなければ、幾ら審議をしていても、先ほど答弁を聞いておりますと、まことになまくらな答弁で、何か一つも重要な答えが出ていない。われわれが満足するような答えが出てないからこんなに長引くのですよ。満足するような答えがびしっぴしっと出れば、それは見解の相違はありますよ、見解の相違はありますけれども、そういう審議をする、答弁をするという態度の根本が、もう私は大臣のは間違った態度だと、私はこういうふうに断定するわけです。でありますから、これも見解の相違と向うさんはおっしゃるでしょうけれども……。
  220. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 御質疑はないですか、御質疑を願います。
  221. 安部キミ子

    安部キミ子君 それで、これはもう少し大臣に、教育委員会法の第一条の解釈についての率直な、そしてもう何か野心のない、作意のない、きれいな答弁をいただきたいと思います。お願いします。
  222. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) あなたは、おこっちゃいけませんよ。失礼だけれども、第一条の国民全体に対して責任を負うということが、選挙された村に対して責任を負うのだ、そうすれば第七条の第二項で選挙が一番適切じゃないか、こういうことをおっしゃっているのだと思うのです。ところが私は責任を負うのはその村も含むけれども、それは国民全体に対して負うのだといって、あなた方の的をはずしてしまったのです。そこで恥、題がこうなっておると思います。しかしながら、全体に対して責任を負うという言葉は日本の戦後の国体に合わした言葉で、主権者たる国民全体に対して負うので、その村も含んでおるけれども、村だけに対する責任ではない、こう解釈する方がこの法文の解釈としては正しいと私は思っております。(「委員長」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)ちょっと待って下さい。今説明中です。そして今あなたが長くおっしゃったことで、個人の尊厳とおっしゃったこの命題と、それから公務員及び委員会国民全体に対して責任を負うという命題とは、これは違った二つのことであります。新憲法は個人の尊厳も認めておるのです。個人の尊厳も認めておるが、公務員とか教育委員会委員になりまするというと、国民全体に対して奉仕しなければならぬ、これは二つ違った命題でありますから、私が国民全体に対し、主権者に対して責任を負うということは個人の尊厳を冒涜したものではございません。  それからもう一つ民主主義ということについてあなたと少し私は見解を異にする。民主主義国民によって国民のためにする、バイ・ザ・ピープル、フォア・ザ・ピープルです。国民によってということになりますと、選挙がまあ通俗にいって一番近いと思います。けれども国民のためということになるというと、間接に選挙しても、今回の案のようなふうにしましても、一番いい委員会ができて国民のためになるならば、やはりこれは民主主義にかなうのであります。バイ・ザ・ピープルだけがこれは民主主義の真体ではございません。アメリカ人はなかなかよく考えておるので、バイ・ザ・ピープル、ファア・ザ・ピープルでできたんです。それはよくわかっておりますよ、ご趣旨は、直接にその人をすぐ選挙にするのと、選挙した村長さんが任命するのではパイ・ザ・ピープルという観念には少し間接になることは私も知っているのです、頼んだ人がまた頼むのですから……。けれどもそうしたらよりよき委員が選ばれて、国民のために、子供のためによき委員会ができるということであったら、そこで元の値打を相殺してなおあまりがあると、これが私どもの心境でございます。
  223. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今の話はこういう段階に来ているわけです。文部大臣先ほど以来明確にした点は、国民の正確なる意思表示というものは秘密無記名投票が最良のものである、これは認められた。それから住民がだれにかわいいわが子の教育を託するかというその意思表示が最も正確に表われるのは秘密住民投票である。しかしそればかりがすべてでなくて任命制でもよろしい、こういう立場でこの法案を出した、それでは国民に責任という立場でどうかというこになると、これは堂々めぐりをしております。従って私はこの点についてはここで了解できないまま私は通ろうと思うのですが、ということは、先ほど湯山委員が指摘したわけですが、国民主権者に対して責任云々といっても、われわれが言っておる点は、たとえば鹿児島の村長を選挙した場合に、その村長の責任の度合はその村の住民に対する責任の度合と、日本国民という立場における北海道のある村の国民に対する責任の度合とはおのずから違うということを言っておるわけなんですが、大臣はその国民というのは日本全体なんだからと言うから、あなたの所論を少し敷衍して言いますと、こういうことも成り立つのですよ。だから水掛論になるからやめるのですが、あなたの非常に三百代言的な……、それであなたの所論を敷衍すると、鹿児島のある村の住民が選挙して一人の人を選んで、そうして北海道のBなる村の村長にしてもいいということが成り立っていくのですよ、あなたのおっしゃることだと……。だからその点は私はもう繰り返して伺いません。  それで問題になっている点は今どこのところに行っているかというと、あなたはその直接選挙でなくても任命制でもいいのだが、それでは直接選挙を任命制でもいいと考えて任命制に直したその理由というのは、直接選挙では政治的中立性が保てないからだと言ったわけですね。だからこれから追及して行く焦点は、直接選挙であれば、任命制よりは政治的中立性が保てないかどうか、こいつを掘り下げていかなくちゃならぬわけです。今そこまできて  いるわけですから、それで、さっき安部委員質問があるので、それをまたやってからにしましょう。
  224. 安部キミ子

    安部キミ子君 私は、私の発言を他に転じられたことに非常に不満を持ちます。私はこの問題を、もう少し大臣所見を聞かないと、この改正委員会法を出された、この根本の精神というものが私ははっきりしないのです。今の大臣答弁ですと、国民のためになるとの判定が立てばと、こういう言葉を使われました。それではですよ、直接選挙より間接選挙で選んだ委員の方が国民のためになるという判定は、(「それは違う」と呼ぶ者あり)一体だれがするのですか。違いはせんですよ。書いてある。そういう判定はだれがするのですか。
  225. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 皆さんがなさるんであります。立法機関たる国民がするんであります。
  226. 安部キミ子

    安部キミ子君 そうしますと、大臣の御趣旨は、直接選挙より間接選挙の一方がよりいいという、こういう断定に立っておられるのですか。
  227. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) そこで矢嶋さんが話を元へ戻されたところにはまるのです。この案は、 (安部キミ子君  「いや、私の聞いたことだけ」と述ぶ)ちょっと待って下さい。しまいまで聞いてからおっしゃって下さい。ゆっくりやりましょう。(笑声、「賛成」と呼ぶ者あり)この案は、やはり現在の日本状況を多分に考えての案であります。で、直接選挙でやりまするというと、教育委員会選挙だから、本来所属政党などは考えないで投票してもらうのが理想であります、法律には書いてありませんけれども。しかし今の情勢からすれば、それは一種のお説教であって、だんだんと、これ去年の秋から二大政党組織が完成いたしました。私の党派もこの間各県ごとに支部連合会を作りました。この次は村ごとにやるのです。承われば、社会党の方の方も党組織の徹底には、私ども以上に御尽力あそばしております。この情勢でいきまするというと、教育委員選挙というものが、やはり政党が中心になる情勢にあるのであります。この情勢判断が誤まっておれば、私ども政治家として責任をとらなければならぬ。どうもそういうことになりはせぬか。そうしますれば、五人の教育委員が甲の村では全部これは社会党の教育委員になる。乙の村では私の方が全部とるということもあり得るんです。それは極端な場合で、あるいは五人のうち四ったりとか三人とかいうことになりましょう。そういうことでやっていきまするというと、教育中立性ということが、これは危なくなる、それが一つと、もう一つは、選挙ということになりますると、実際の適任者がありましても、立候補して運動するということには控え目になる方もございますのです。ことに日本の御婦人などにおいては、それが相当あろうと思います。安部さんのようなりっぱな方は別でありますけれども、家事等に忙殺されて、子供の世話をしたくてもできないという人もございます。そういう現在の情勢をそのままにわれわれはみて、公平を要する人事委員会とか、あるいは公安委員会とかでやって成功しているのです。すなわち団体の長が、これは選ばれた人です。選ばれた議員と相談をして、識見の高い人から選ぶと。そこでまたもう一つ、こう考えたのです。同じ党派が二人以上は、二人はいいけれども、五人のうちですよ、三人以上になるというと、一つ党派がマジョリティをとるからこれはいけない。その制限は私ども発明したのじゃなくして、人事委員会、公平委員会、公安委員会でやっておるのです。それでうまくいっておる。ですからして、一つ党派が全委員を独占しないように、そこに一つの制限を設けて、五人までのうち二人だけはよろしいが、三人以上になるとそれはちょっとやめてもらう、こういう制限を設けまして、村内に相当ひまもお持ちであり人格も高潔な人、これらの、たとえば東京でもこんな広いところでありまするから、東京に五人の大家を選ぶというと、相当偉い人が出てこられると思うのです。それを、じゃ君選挙するかと言うと、これはなさいません。現実の俗論とおっしゃれば俗論でございましょう。しゅんとした一本の議論じゃありませんけれども、それやこれやを考え合せますというと、委員会を政党本位で選挙して、選挙すれば勝つが一番いいのだ、勝つのだったら、全員みなとるのが一番いいのです。そういうふうな政争のちまたにこれをおくよりも、やはり落ちついて長が議会の同意を得て五人を選ぶ、これはそのうちにはきっと御婦人は少くとも一人ぐらいは選ぶ慣例ができる方がいいと思うのです。そういうふうなことになる方が、実質的に学校のため、子供のためになろうから、それでこの案をとったのでございます。あなた方のように、選挙が一番民主的だとおっしゃれば、それは直接選挙が、バイ・ザ・ピープルの法則にあるということも、私どもも知っておるのです。けれども昭和三十一年まで日本をずっと調べて衆議院におります、また参議院におられまする党の同志といろいろ徹夜して考え、これが一、番よかろう、世間ではどう批判されるかしらんけれども、しかし実際的の案としてはこれがよかろうという結論に達したのでございます。お聞き下さってありがとうございました。(笑声)
  228. 安部キミ子

    安部キミ子君 大へんほめられたのだか、そしられたのだか、けなされたのだか、侮辱されたのだかお言葉をいただいて恐縮しております。そういう大臣の所論を展開していきますと、今度はその地方町村長さん、ひいては知事さん、この人たちの政党の所属ですね、これは大臣がおっしゃいました立場で解釈いたしますと、どっちかの政党になりますが、社会党か自由民主党かになりますが、このなりました選挙は一体どうなさいますか。中立性が保たれますか。
  229. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) この自治体の選挙は、私はやはり政党本位にこれからいくと思います。今私ども選挙区では、ほんとは村長が政党に所属しておられる方は比較的少いのです。無所属の人が多いのでありますけれども、これからはやはり政党に属することになると私はにらんでおります。しかしながら村長が自由民主党であっても、自分党派の人は二人しか選べない、三人は党外の人を選ばなければなりません。また社会党の村長さんがおられても、社会党の議員は二人しかとることはできないのです。あと三人はほかからとれというのが、この案のみそでございます。
  230. 安部キミ子

    安部キミ子君 そうしますと、大臣は任命制の方が中立性が保てる……
  231. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) さようです。
  232. 安部キミ子

    安部キミ子君 中立性というものの解釈の基本になるものが、たとえばある村ではあるいは民主党ばかりになるかしれない、あるいは社会党ばかりになるかもしれない、この心配が、そういうふうに任命制になったということになれば、心配のあまりですよ。心配のあまり、そういう、ふうな任命制になったということであれば、大臣はこういうことを考えておられるのじゃないでしょうか。知事選挙市町村のいわゆる町長さん、村長さんという、そういう方々も行く行くは任命制にしたいのだと、こういうふうに考えておられるのじゃないかと思うのですが、どうでしょうか、その点は。と申しますのは、三年前ですか、自由党もあれは何ですかね、地方改革か何かでそういうふうに地方の任命制の線をお出しになっておられた。それから民主党もそういうふうな党の方針が望ましいというふうな政策を出されておられたことを私はぼっと頭に浮べたのでありますが、そういうふうに、昔のように任命制の方がより民意を、いわゆる中立性を保つことができるというふうに考えておられるのじゃないかと思うのですが、この点はどうなんです。
  233. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ちょっと安部委員に。この点は過日の総理大臣に対する御質疑中にもあって、あらためて文部大臣からお聞きになる御趣意ですか。
  234. 安部キミ子

    安部キミ子君 そうです。
  235. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は知事、町村長の任命ということは考えておりません。
  236. 安部キミ子

    安部キミ子君 直接選挙民主主義でないと、こういう民主主義に反する場合もあるので、任命制に今度の法案を作りかえたと、わけても女が、非常に出たいと思うような人でも出ないだろう、これはおとといの、二、三日前の委員会でそう言われました。いい人がおられるのだけれども、ああいう人を教育委員に出せばいいと思っておるけれども、そういう人は立候補なさらないので、そういう人を今度任命したいと、こういう意味もあって任命制がいいということを言われました。実は大臣は御承知でございましょうが、私も県の教育委員をしておりましたが、選挙というものはなみなみのものじゃないですし、ずいぶん苦労したもんなんです、もちろん、私よりもっと立派な一人が山口県にも女性の方であるいはおられたかもしれない。私はばかであったものですから ばかな者が教育委員になりましたけれども、先日の話によると、そういうふうなお答えにもなろうかと思うのです。(「ならぬ」と呼ぶ者あり)そこで、私はそういうふうにたとえば教育委員になって、県なら県の教育行政を立派にしていきたいと、少くとも自分の自主的な気持が動かなければ、こんな選挙というような大きな仕事に立候補する人はいないのです。まして、女性というふうな立場の人はもうよっぽど気違いか何かばかでなければおそらく立候補の決意をしないと思うのです。私はその類に属するものでありますので、そういう過程を経てきましたが、しかし、また一面から考えますと、任命されて意欲のない人が教育委員になって、果してほんとうに責任のある教育行政をやり得られるかどうか、私はこういう点にも疑問を持ちます。私の体験から通して疑問を持ちます。それから地方民が選挙したと、地方民は選挙するからには非常に関心を持っておるわけですね。この教育委員会というものに非常に関心を持っているのです。それで教育委員が何をするか、教育委員という仕事はどういう仕事かと、こういうことは年々年を経るに従って地方の人たちも関心が強くなってきている。一例を申し上げますと、私の町で一昨年小学校に火事がありました。その火事で焼けます前までは地方教育委員会制度ができるということにいろいろ議論がありまして、むしろ、その空気は、地方教委は作らない方がいいと、こういう考え方があったんです。ところが、火事があって、さあ再び学校を建築しなければならないというこの子供の幸福についての直接の問題が起ってきますときに、一番私の町、市でございますけれども、市民の気持をくんでよく学校の再建に努力して下さったのは、やはり教育委員会の方だったのです。そうして、やっぱり教育委員会制度はいいものだと、地教委はよくないといって初めは反対したけれども、私の市でこの学校がりっぱに再建できたのも、やっぱり委員会制度があるからよかったし、また私ども選挙した委員が働いて下さったことに非常に私の市でも市民が喜んでいるわけです。それが今度任命になりまして、まあ任命といいますと、半分はお役人みたいな気持でありまして、まあこの任命ということが果して先ほどの二本建の問題、予算の獲得の問題にも私はつながって、もっとゆっくり大臣意見も聞きたいのですけれども、やはり直接選挙すれば、それだけ関心が深まるわけです。そうして、また責任も感ずるわけなんです。その市の教育委員がおかしいことをやったりなんかすると、なんだあんなのに投票してということになる。早い話が、国会議員のわれわれでも、おかしいことをしたり、あるいは乱闘国会なんかしますと、選挙した県民の人たちは、何だ自分選挙した代議士はあんな行為をやっているじゃないかというふうに非常に関心が強い。でありますので、私は大臣先ほどからるると任命制の方がりっぱな教育行政ができると言われますけれども、私が実際に通っで来た道を振り返ってみましても、決してそういう答がそのまま真実とはならないと思うのです。  それからもう一つ先ほど申しましたように、中立という問題なんですけれども、私はこの中立という問題でも、この言葉自身を、この中立という内容大臣がどういうふうに考えておられるか、教育中立政治中立というふうなことをどういうふうに考えておられるかということも疑問があるわけなんです。そこで私は結論的に、大臣国民のためにと言われますけれども、その制定をする人が、先ほど申しましたように自由党の市町村長であったり、あるいは知事であったりすれば、どうしても自分の党に属するような人、自分政治に都合のいいような人、あるいは二本建なんかで、もちやもちややってくれないような人、いわば調和という言葉の意味についても、私はそのままそういうことになれば、調和という言葉は使われないと思う。これは一つの権力ですよ。圧力ですよ。調和にはならないと思う。自分の思ったようにしようと思えば、どうしてもそこに圧力的な色彩が出てくる。でありますので、大臣の方の提案説明に、調和という言葉がしばしば使われたし、またあなたにも今までの委員会で言っておられますけれども、必ずしも調和ではなくしてそれは圧力だ、権力だと、私はこういうふうに解釈する。なぜなら、どうしてもその一党一派の知事さんなり、市長さんなり、町長さんなり、村長さんなり、自分のめがねにかのうた議員を任命するという形になるまいと思ったって、なるのが常識なんですよ。そういう建前から、あなたが中立と言われますけれども、こういう言葉が一体成り立つかどうか、これも国のためになる、国民のためになる判定という、その判定そのものにも問題が出てくる。それでそれの責任を、国民自身が、地域社会の国民自身が真接の責任を持てば、もし間違っても国民自身に責任があるわけです。たとえば乱闘国会をするようなあるいは小選挙区法のような案を出すような国会議員を国民が出していろいろな批判があったとしても、それを突き詰めて考えれば結局国民自身に責任があるわけです。そういう国会議員を出したということに。こういうことで国民自身が責任を持つという建前からいけば、あくまでも直接選挙よりほかにないということの前提に立たなければ、私は教育委員会法の第一条にも、教育基本法にも沿わないと、こういうふうに考えますが、大臣はどうなんですか。
  237. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 長いお話でありましたが、その根底に民主主義政治的に選挙をされておるものだから、それに依存してやればいいんじゃないか、こういう思想のもとにいろいろお話があったことと思います。国の一番大切な国会も政党的にやっておるのです。また県会も将来は町村会もそうなりましょう。それも一つ見解です。ただしかしただいまは各種の活動のうちで教育だけはそれに例外を求めて中立と申しまして、教育基本法の八条に、学校は、特定の政党を支持し、または特定の政党に反対するような政治教育をするな、また教育中立に関する法律というものがございまして、特定の政党その他の政治団体を支持しまたは伸長する目的でやるなというので、徹底した民主主義とおっしゃれば、学校も政党でありますけれども、これも人類の経験でやはり学校だけは政争の、政治の争いのほかに置こうということが第二次の日本の国の法律の目標でございます。だからそう言うてしもうて真の中立はないじゃないかといったようなことであきらめてしまわないで、できるだけの中立組織はすればいい、こういうことであります。そうすれば直接選挙をするよりも、先刻申しました通り、同じ党派には委員は三人はいけないというような制限で選ぶ。選挙じゃそういう制限はできません。選挙は数が目的で、全部とるのが一番いい。しかのみならず、もう一つ考え願いたいのは、法律では第十一条の五項でありますが、教育委員になった人は積極的に政治運動はできないのです。そういう規則を設けております。これも中立を保つためであります。それでもなおいけないということであったらリコール制で第八条を設けております。こういうことで人間の力でできるだけはやはり幼い子供に政治的の偏見を与えないように政治的の中立を保とうというのでございます。私もあなたのおっしゃる通り、一時は民主主義になった以上は中立というとおかしいと考えたこともあるのです。しかしそれは理論で、理論のための理論である。今日日本の実際としてはだれも学校だけは中立をどういう理屈かしらぬけれども政治的中立を保つことをみな望んでおります。この現実に即応して立ったのがこの法案でございます。
  238. 安部キミ子

    安部キミ子君 大臣が今、教育政治のほかに置くべきである、こういうふうに言われたお答えには私は賛成なのです。そうあってほしいと思って私は今こういうふうに質問しているわけです。そういうことをかつて先日から問題になりましたように、十大学学長さんの声明にも、教育は時の政党の支配に置くべきじゃない、政党がかわるごとに教育の方針が変っては困るのだ、そういう外に置いてくれ、といって、教育中立性を心配してあのような声明が出された。ところがあの十大学長の声明は、この法案が出されたことに対して反対の意思表示をしておられるのですがね。そうしますと、今の大臣答弁とははなはだ食い違う、全くうらはらになる。大臣は現在の教育委員会法や何かでは教育中立性が保てぬからこの法案を出した、ところが大学長初め国民の大多数はこの法案教育中立性を侵すものであるという心配から、こういうふうに委員会でもやかましく大臣質問するわけなのですが、一体こういう食い違った大臣考え方はどこからくるのですか。大臣の御答弁を願います。
  239. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私は草案者でありまするから、この法律の性質は私の方がよく知っておると思います。しかしながらあの十大学学長の声明にも、政治から離れろ、今の言葉で言えば、中立性を保てということでありまするから、りっぱな声明だと申し上げたのです。この案の目的と同じことです、その点は。
  240. 安部キミ子

    ○安部キミ君 私はそれから、今大臣か、政治中立性をこの法案は保つためだとおっしゃるけれども先ほど申し上げましたように、委員を任命する市町村長とか、あるいは県会あるいは知事というものは政党に属しておる、れっきとした政党人なんですよ。そうでしょう。こういう政党人が任命されるということで、ほんとうに中立的な人が社会党からも二名あるいは自民党からも二名になるけれども、定数が五人とか七人とか三人とかいう奇数になっているわけですね。それで奇数になっていると、どっちを三にしてどっちを二にするか。五人の場合、あるいは七人の場合どっちを二にしてどっちを三にするかということがあって問題になる。もうそのこと自体で中立性が保てぬわけなのですよ。奇数でしょう、みな奇数なのです、委員の数は。だからこういうことはあなたが幾ら教育中立性を保つためだとか、あるいは女性を任命するためだとかおっしゃいましても、あなたの言われるほど地方教育行政は任命によって私は円満にはいかない、それはやはり何といっても地方民の直接選挙において、責任を地方民の一人々々に持たすことの方がほんとうの民主主義にかなう、こういう原則だけは、大臣、認めてもらいたいのです。(「それは社会党内閣だって……」と呼ぶ者あり)知事の選挙だって、市町村選挙だってみな選挙ではないでしょうか。あなただって選挙で出ているのでしょう。というのは、参議院、昔の貴族院は任命だったが……。
  241. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 私に言っていることだったらこっちに言って下さい。
  242. 安部キミ子

    安部キミ子君 そういうことできょうは五時の時間も過ぎていて、まことに時間違反でございまして恐縮でございますからやめますけれども、この問題はまた改めてじっくり、直接選挙民主主義か、間接選挙民主主義かというこの基本的な考え方は、もうちょっと時間をかけてゆっくり大臣のお気持を聞きたいと思いますので、きょうはこれで終りまして、次回に譲りたいと思いますが、今申しましたこの直接選挙の方が民主主義と思われるかどうか、あるいは関接選挙の方が民主主義と思われるかどうか、この点を答えてもらいたい、以上であります。
  243. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 話の前段は中立性のことから始ったのです。中立性を維持するということと民主主義を貫くということは二つ違ったことなんです。そこで直接選挙がそれは民主主義の、バイ・ザ・ピープルという理想に近いということは私は申し上げた、けれども教育委員会に関しては中立性を持たなくちゃならんということがあるものですからして、間接選挙というとちょっと語弊がありますけれども、直接に選ばれた町村長が直接に選ばれた町村議員に相談をして委員を作る、この要求民主主義要求じゃないのです、中立性からの要求なんです。そこでこの案に中立性を保持するためにどういう規定があるかは最後の総ざらいとして局長から一つ説明しますから、これをお聞き下さってお聞きとり願いたいと思います。
  244. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 法律の技術的の解釈の問題にお触れになったようでございますので、その点に触れまして御説明申し上げます。第四条は任命を規定した条文でございますが、第三項に「委員の任命については、そのうち三人以上が同一の政党に所属することとなってはならない。」かようにございますのは、委員が政党に所属する場合は二人まではよろしいけれども、三人までは同じ政党であってはいけない、こういうことでございます。従いまして、もしかりに五人の委員会におきましては、二人、二人、これは同じ政党でよろしいのでございます。あとの一人は政党に所属しないかあるいはまたほかの政党に所属しておる、こういうことならばこの条件にかなうわけでございます。従いまして過半数は同じ政党で制するということにはならないはずでございます。この点が一つ政治的な中立を保つ条項として書いたわけでございます。  先ほど大臣お触れになりました十一条の第五項でございますが、「委員は、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない。」こういう規定がございます。これも現行の公安委員会あるいは人事委員会等でも同じ規定を採用しておりまして、政治的中立を保たしめる作用を現在でもほかの委員会において選んでおるわけでございまして、この法律におきましてもこの条文を入れまして、政治的中立を保つ一つの条項といたしたわけでございます。なおまた長の勢力が不当に委員に及ぶということはいけませんので、第七条に罷免の規定がございますけれども、その第五項におきまして一定の事由を掲げましたその以外のことにつきましては、その意に反して罷免されないという規定を作ったのです。これは身分保障の規定でございます。
  245. 安部キミ子

    安部キミ子君 逐条審議はまたゆっくりその段階になって聞きますからよろしいです。
  246. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) いやまだ……。
  247. 緒方信一

    政府委員緒方信一君) 第八条にリコールの規定がございまするし、これは住民の意思によりましてその委員が適当でないと認める場合には、これは自治法のリコールの規定をここに準用いたしまして、リコールができることにいたしております。これは住民の意思を千分ここに反映せしめる一つの方法としてこの規定を入れた次第でございます。(「それもおかしい」と呼ぶ者あり)  なおまた委員の任期を一年交代にいたすことにいたしております。これは付則の八条できめておりますが、最初に任命される委員につきましては、一年交代で任期を切っております。これは一つ教育委員会の一貫性と申しますか、ということにも関係いたしますけれども、やはりこれもその中立性を保つ上におきまして任命いたしました長が必ずしも全部自分で任命しかねるということは、これはないようなことにいたしております。以上のような点が中立性とその安定性をはかりますために規定いたしました条項でございます。
  248. 田中啓一

    ○田中啓一君 矢嶋さんの御質疑も非常な重大な段階にきておりまして、要するに教育委員会は直接の選挙でなければならぬか、あるいはいわゆる間接選挙でもよろしいか、こういうことで非常に広範多岐にわたった質問が行われたわけでございます。私はまぁ伺っておりましてほぼ明らかになったと存ずるのでございますけれども、しかし私どものところへ洪水のごとく殺到をしております電報それから手紙、はがきも、全く私のうちは通常の手紙は用をなしません、この中へまぎれ込みまして。さような実は状態でございます。それから議会へは七十二万名か、署名された……、(「七百二十万」と呼ぶ者あり)七百二十万名ですか、請願書が到着をしておるというお話も伺うのでございます。で、まだ請願書の方は拝見をいたしませんが、参りますもの、それからまたずいぶん団体等で意見書というようなものを送ってこられております。そういうようなものを拝見をする、あるいはまた新聞等でも見受けられるのでございますが、どうも教育基、本法第十条並びにそれを受けた教育委員会法第一条、これに本日御論議の中心になっておりました「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」あるいは「この自覚のもとに、」こういうのが両方の法律の条文にございます。それをほとんど引用しておられる。だから教育基本法第十条というものを変更しない限り、当然そこから直接選挙というものは生まれてくるので、これを変更することは相ならんのだ、論理の当然として出てくる。こういう御論議が非常に多いように私は感じておるのであります。ところが私はこの教育基本法第十条あるいは教育委員会法第一条というものは、憲法の前文、「そもそも国政は、」云々、「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」ここらあたりと関連がございまして、ことに教育基本法は教育憲法とも言われたのであります。で、国民全体とか国民とかいう言葉が国家公務員法にも使われております。あるいはその他の公務員法等にもあるかもしれません。私は実は見ておらんのでありますが、これはまあ私ども教育基本法にいたしましてもこれは教育行政機関のことを規定しておる条文であります。また教育委員会法教育行政機関を直接に規定するそのための法律であることは言うまでもない。そこで早い話が、いわゆる役人あるいは公務員というものは、一体何のためにこの教育をつかさどるのか。従来ならば、もう官吏の第一は天皇陛下に忠誠であった、これが第一なんです。それに対して、今文部大臣も繰り返し御説明ございましたように、そうではない、国民全体に対する行政だという自覚のもとに万事やるんだと、こういうまあ私はことが念入りに書いてあるものだと思うのであります。ところが、たまたま直接選挙と直接責任を負うというのは、何やら似ているように感じられますから、これはその機関の構成方法、すなわち選挙とか任命とかいうような構成方法についての規定なりと、こう読まれる方が非常に多いのじゃないか。で、私は今度の教育委員会法改正に対する最大の誤解のあるところはここでないか、こういうように存じますので、文部大臣に明快に御答弁を願いたいことは、教育基本法あるいはそれを引きました第一条からは、ゆえに論理の当然の帰結として、教育委員の構成には直接選挙を用いなければならぬということに出てこないと私に考えるのであります。が、いかが御所見でございますか。明快に、一つ十分にまた御答弁を願えれば仕合せだと存ずる次第であります。
  249. 清瀬一郎

    国務大臣清瀬一郎君) 今田中委員のおっしゃいましたことで尽きております。全くその通りでございます。教育基本法第十条にしたところが、これがやはり憲法と関係して主権在民であります。国民全体というものに主権がありまするから、国民全体に対して責任を持つべきです。選挙をせざる一般の公務員も憲法第十五条第二項で国民全体に対して責任を負うべきです。昔天皇に対して官吏が責任を負うたと同じように、今は公務員が国民に対して責任を負うのであります。これは非常な転換でありましたから、日本の国体の転換でありましたから、教育基本法にはこれを掲げておるのであります。また教育委員会法には、さらにこれを一つの自覚として、国民全体に対して責任を負うという自覚でやれと、こういうことを書いております。かくのごとく、自覚は新憲法下の公務員、委員の持つべき最高の自覚であります。このことからして、直接選挙でないというと委員会は構成すべきものでないという結論は、決して出てきません。これと牽連を持つということを考えておるのは迷信であります。間違っております。
  250. 湯山勇

    ○湯山勇君 委員長、きょうは一つこれで、済みませんが……。
  251. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) ただいま社会党の方から、総会の都合でこの程度でやめてもらいたいというお申し出がございましたが、あと理事会も実はやることになっておりますので、本日はこの程度で散会いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  252. 加賀山之雄

    委員長加賀山之雄君) 本日はこの程度で散会いたします。   午後五時二十五分散会