○
参考人(鈴木義男君) 私にどういう
意見を徴されるのでありまするか、ただいまこの
憲法調査会法案が本
委員会で審議されておりまするので、
憲法調査会を設けるのがよいかどうかということについて
意見を求められるのであろうと思うのであります。しかし
憲法調査会をなぜ設けるかといえば、現行
憲法を再検討して改正すべき点があれば改正したいということにあるのでありまするから、結局
調査会を設置する必要があるかどうかということは
憲法を改正する必要があるかどうかということにかかると思うのであります。
そこで結論から先に申しますると、私は現行
憲法にも技術的に改正、または修正した方がよいと思われる個条も二、三ないし四、五ないわけではないのであります、と思っているのであります。しかしこれは一刻を争うような問題ではない。今のままでもやっていける。改正論者のほんとうの目的とするところは、天皇制のある
意味の復活、第九条の大改正、家族制度のある
意味の復活、こういうふうなところにあると思うのでありまして、これらだけを持ち出すと抵抗があまりに強いので、カモフラージュするために項目をたくさん並べて、焦点を多岐にわたらせて、なるほどと思わせて、主たるねらいを完遂してしまおうというのでありまするから、最も警戒を要し、全面的に反対せざるを得ないのであります。いわゆる抱き合せ改正でありまするから反対をするわけであります。
大体法律の解釈、あるいは立法も同様でありまするが、幾らでも議論はできるのでありまするし、どうにでも解釈はできるのであります。それを法律学者の言うことを一々聞いて、これはこうした方がいいというのならば、毎日修正をしておっても切りがないくらいなのであります。御
承知のように人の権利能力は出生に始まると民法第一条に書いてありまするが、出生とは何だというだけでもローマ法以来四つも学説があるのでありまして、一部露出説とか全部露出説であるとか、臍帯分離説だとか独立呼吸説だとか……。だから
憲法なんかも一条をとっても学者が異なるがごとくまた異なった解釈をし、こうした方がいいという議論は幾らでも立つのであります。問題は根本的な点にあると思うのでありまして、この根本的な点と抱き合せる方は確かに警戒を要する。こういうやり方は選挙制度
調査会の例を見るとよくわかるのでありまして、なぜ
政府が選挙制度
調査会を設けたかと申しますと、小選挙区制度というのはよいものだという結論だけを、あの
調査会に出させるので、あそこに集まった学者
諸君はまじめな人々ですから理論的に見て小選挙区がよいと答えた。そして公正な区割りをするということが大切であるとも答えた。ところが
政府は、これこの
通り公正な
学識経験者が皆小選挙区に賛成だ、こう言ってこれを利用して
調査会で夢にも
考えない、
自分たちに都合のよい区割り案をこれにくっつけて国会に提案したのです。抱き合せ提案の最もよき例であります。私は
憲法でもこういうことが行われることを一番警戒しなければならぬと思うのでありまして、しからば私が何ゆえに現
憲法でよいと言うのか。これを説明いたしまするのには、まずこの
憲法が作られた当時の
国民の気持、制定の事情などを回顧しなければならないと思うのであります。そしてそれとあわせて、この
憲法の
内容を批判しなければならないと信ずるのであります。私の
意見を求められますのは主としてこの点にあろうかと存じます。
私は終戦後いち早く民間の
憲法研究団体でありまする
憲法研究会、高野岩三郎
先生を会長にしてわれわれが参加して、
日本にどういう
憲法を作ったらよかろうかということで研究に従事いたしたのであります。そして
憲法は根本的に改正しなければならないということを提唱し、
草案も作りました。またこれなら民主革命ができそうだと希望を持って国会にも出る気になったのであります。第九十議会の議員の一人となりまして、
憲法改正特別
委員にもなり、さらに修正を議しまするために十四人の特別小
委員というものをこしらえましたが、その一人ともなりまして、この現行
憲法の制定修正等に参加したものでありまするから、これを語る資格があろうかと存ずるのであります。
そこでいろいろのこの改正論者の御議論を承わってみますると、大体二つの根拠から出ているように思うのであります。
一つは占領中に押しつけられた
憲法であり、
一つは
内容がどうもおもしろくない。結局この二つの
考えは、せんじ詰めれば
一つに帰するのでありますが、占領下にできたものはいけない。本来占領下において独立の法律や
憲法ができるものではないのだという説があります。またそれではいけないから暫定的に作っておいて、留保条件を付して、
あとで正式なものを作るということにしよう、こういう説もあります。ドイツなんかではその説にのっとってやったようでありまするが、それはまた
一つの行き方であります。しかし占領下において作ったからいけないというのならば、これは
憲法無効論でなければならぬと私は思うのでありまして、
憲法は一応認めるけれ
ども、根本的には直したいのだというのは少しロジックが合わないのではないかと思うのであります。しかしそこまで言う人はあまりない。やはり現行
憲法のよいところは、どんな改正論者でも認めておられるようであります。
わが国は終戦とともに
一つの民主革命をなし遂げたのでありまして、これは田上教授も言われた
通りであります。だれも
一つの革命と
考えておるのでありまして、決して部分的な修正とか、改正とかいうようなものではありません。そこで本来このポツダム宣言を受諾した以上は、従来の封建制度を打破し、従来の
日本を誤まった軍国主義を破砕して新しい民主的
日本を作るということがわれわれに課せられた義務であると同時に、われわれが条件を受諾したときの気持であったわけでありまして、当然最先に
憲法を自主的に作るべきであったのであります。ところがどうも
日本人にまかせておいたのでは、ことに当時の
政府にまかせておいたのでは、とても約束したような民主的
憲法が作られそうもないという見通しから、見本を示されることになったのであります。その経緯はあらゆる文献によって立証することができます。
日本においても決してただおったわけではない。近衛公がみずから委託されたと信じて、佐々木博士をわずらわして
草案を作った。それから
幣原内閣では松本黒治
国務大臣が主任
大臣となって、御
承知のように
憲法問題
調査会というものを作って、美濃部博士、野村博士、清水博士、河村氏、宮沢氏、清宮氏、いろいろな人を
委員に委嘱して、そうして
草案を作ったことも御
承知の
通りであります。また
自由党も当時
草案を発表しておる。進歩党も発表しておる。社会党も発表いたしております。共産党も
草案を作って発表いたしたのであります。また民間団体としては先ほど申し上げた
憲法研究会、これは高野氏を会長として馬場恒吾氏でありますとか、森戸辰男氏でありまするとか、鈴木安蔵氏でありますとか蝋山政道氏でありますとか、いろいろな人が、私もその一人として参加して一緒にやったのであります。現に高野博士はまず第一に天皇をやめなければいけない、わが国を共和国にしなければ、わが国は救われないということを強く御主張になったのであります。われわれの間で天皇制を存置すべきかいなかということは、ずいぶんたびたび議論され、討議されたことでありまするが、当時
司令部における天皇を温存しようという意向と相待って、今の
日本で直ちに天皇をやめることは少しラディカル過ぎるであろう、こういうのでわれわれの間では、やはり天皇というのは、権力に携わらず、実際政治に携わらないものとして残そうじゃないかということがきまったが、高野博士一人は断固として
承知しない。
自分の少年時代は、天皇というものはもう少し当りまえの人であったのである。
自分の長い生涯を通じてだんだん天皇は神様となり、ついにこの救うべからざるディストラクションに
日本の国を導いてきた万悪のもとである。これをやめて大統領を上に置いて共和国にしなければ、
日本は救われないし、また帯び不幸を見るぞ。どうか
一つこの研究会案として
一つにまとめたいから御譲歩願いたい。断じてこの点は譲ることはできぬ。それでは高野の
意見として付記しておいてもらいたい。こう言うので、われわれがあの
草案を発表するときに、高野は共和制を主張したというふうに付記して発表をいたした次第であります。それから尾崎氏を先頭とする
憲法懇談会、これも
草案を発表いたしました。あるいは大
日本弁護士会連合会な
ども草案を発表いたしました。どれを見ても、あまり大したものはなかった、遺憾ながら。で、後に発表される
司令部案というものに比して一番近いものは、手前みそのようでありますが、この
憲法研究会の案であったわけであります。これは
一つここに資料として配付になっているようでありますから、比較してごらん願えればわかっていただけると思うのであります。その他は松本案のごときは明治
憲法にちょっと手を入れた程度のものであります。その他
自由党の案も進歩党の案も同様であります。社会党の案も、私
ども関与したのでありますが、はなはだ微温的であったことを恥かしく思う次第でありまして、当時
日本を占領したものがソビエトであったり共産主義的な国であれば、どんなラディカルな
憲法でも許されると思いましたけれ
ども、アメリカだからして、あまりラディカルなものをやったところで、それは認められないだろうというような、多少思い過しもありまして、微温的な
草案になったわけであります。
司令部の方でも一々それらはみな英訳して読んでおったようであります。
あとでわかったことでありますが、
司令部の方でも一夜作りにやったということをよく申す人がありますが、私の知っているところでは、コルグローヴ教授その他の公法学者が顧問として参っておりまして、占領の当初から、
日本はいかなる
憲法を持つべきであるか、どういう民主政治をやらせるべきであるかということは、調査研究をしておったのでありまするから、その基本線においては決して一夜作りのものでなかったことは明らかなのでありま。これらをみな見たけれ
ども、どうもこれではだめだ。これでは真に
日本を民主化するゆえんでないし、近代的民主主義を行うゆえんでもないと、
司令部では見たようでありまして、それでついに、あの
通り極東
委員会の空気も緊迫してきておるソビエトはもちろんとして、オーストラリア、ニュージーランド等は、天皇制をやめてしまえ、共和国にせよという指令が来そうである。天皇制をもし保存するならば、
日本が先手を打って自主的に
憲法草案を出してしまったということにしなければならぬというので、御
承知のように非常に急いだわけであります。そういう
意味において、待っておっても
日本自身からいい案が出てこないから、やむを得ず、こういう見本を
一つ出すから、これにのっとってやってみたらどうかということになったわけであります。私は押しつけられたとは思わないのでありますが、よりよい案があったのにそれを蹴って悪い案を与えたなら、これは押しつけであります。確かに押しつけでありますが、われわれの出したものよりもはるかによい案を持ってきたのでありますから、これは押しつけというべきでなくして、やはりむしろ与えられた
憲法、
日本に示して作らせられた
憲法であるというならば当っておる
言葉であると思うのであります。そういう
意味において、大体私は、その後、これじゃ
一つ日本の民主化もやれるかな。
——そのときまでは明治
憲法のもとに
国民大衆は非常な抑圧を受けており、私はその圧迫されて凌辱された
人たちを弁護することに生涯を費しておったのでありますから、これはとてもたまらない。しかし幸いにこれから
日本は
一つ明朗な民主国になるかもしれぬ。ただ見ているだけではいけない。
自分も参加して
一つこれを完成しなければならないという気持を起して、柄にもなく国会に出てくる気になったのであります。そうして第九十議会から私も出て参りまして、そうして親しく今度はこの
憲法の制定に参加したわけであります。そのときこの
憲法は、あちらから原案が示されておって、一カ条といえ
ども、一字一句といえ
どもみだりに修正することは許さないんだというデマが飛んでおった。どうも金森さんなどは、御修正は自由でありますということはときどき言われたが、どうも別な方で伝わってくる
言葉あるいは別なところで答えるというと、どうも手をつけてはいけないように擬えるようなことを言われる。そこで私は、いやしくも小
委員となつて、これからほんとうにこれに手をつけるかっけないかという大事なせとぎわでありますから、私は
司令部に行って、僣越であるけれ
ども聞いた。それは、国会の
憲法改正に従事しておる一人として、ぜひほんとうのことを聞いておきたい。そうでなければ私の仕事はできぬというので、行ってケーディスに幸いに会うことができました。これはむやみに修正しちゃいけないといううわさがあるが、ほんとうか。いや、そんなことはない。
日本国民が、そして国会の代表者がほんとうに
日本のためによいと思うところがあるならば、反動的に、封建的に直すのはどうも賛成できないが、直すことはけっこうなことなんである。少しも拒むつもりはない。ただ天皇の性格を象徴でないものに変えるということ、及び軍隊を再び持つということは、これは極東
委員会及び
司令部の方針として賛成ができないんだ、こういう話があって、大いに修正してよろしいと、こういうことでありまするから、私はさもありなん、安心して引き下ってきて、それから修正するつもりでよく読んだのであります。そうすると、まあ私の見地からいうと、いろいろありましたが、まだこれは改正論者が、神川博士などがよく言われる十八世紀から十九世紀の
憲法じゃないか。基本的人権などは、たしかに私は、フランス人権宣言、アメリカの独立宣言及びフランスの今の
憲法の流れを汲む個人主義的十九世紀的な基本的人権が多く網羅されておって、二十世紀的な社会主義的な、経済的、社会的権利の保障というものは乏しい。これは直さなければならぬと思ったのでありまするが、まあその他の点では、そんなにどうしても直さなければならぬ、というような点はあまり見つからないほどよくできておる
憲法であったのであります。これはよく、当時、
一つ総選挙でもこれを題目として戦ったのでありまして、私の知っておるところでは、当時よい
憲法である。古い頭の人が、天皇を象徴にするということはどうか、どうもよくわからぬ、変だということを言った人はありまするが、軍隊を持たないなんということは、もう当時当然のこととしてだれ一人疑う者はなかった。どうか十年前のお気持に返って、
一つよくお
考えを願いたい。それから、その他の点もまことによい
憲法である。これならば、われわれも少し息がつけるか、あの息詰まるような明治
憲法の人民抑圧から脱却して、少しは自由の空気が吸えるかという声が野に山に満ちておったと申しても過言ではないのであります、あの当時の
国民の空気から。でありますから、あの
憲法が悪い
憲法だというようなことを言って頭ごなしにしたような者はないのであります。寡聞にして、私の聞くところ、ないしその当時の文献を探してみても、あまり見当らない。しかし私は、やはり技術的にいろいろな点から不完全な点は直しておかなければならないと
考えて、それで小
委員になって、十四人の小
委員会に臨みました。芦田さんが
委員長でありました。いろいろな点を修正を希望し、ほとんど容れられたと申してよろしいのであります。
まず
衆議院で修正した個所を申し上げますならば、前文並びに第一条に、主権という、英語の方ではソヴランティと書いてあるけれ
ども、
日本語で読むと
国民至高の総意と書いてあった。主権という
言葉はどこにも出ていない。だから私は一番先に本会議でまず
質問をし、ここにごまかしがあるんじゃないか、なぜ主権ということをはっきりいわないのか。これが
司令部の方に聞えたようでありますが、この
司令部から、ごまかしておるじゃないか、はっきりソヴランディということを
憲法の中にうたわなければならないという注意が出て、小
委員会の途中で、主権の存する
国民、「主権が
国民に存することを宣言し、」というふうに、はっきりうたうことに変ったのであります。
それから文字だけの修正のごときは略しまするが、第六条に、原案では
内閣総理大臣だけが天皇によって任命されることになっておったのであります。
マッカーサー草案というのをごらん下さればわかるのでありまするが、
この
マッカーサー草案では、
内閣総理大臣だけが天草に任命されるのであって、品高裁判所の長官も判事もすべて司法
大臣の推薦によって
内閣総理大臣によって任命されることになっておった。私は、これは三権分立の建前からいってよろしくない、おもしろくない、どうしても
総理大臣と最高裁判所の長官というものは対等の地位におらなければならない、それでこそ初めて司法権の独立尊厳というものが維持されるのであるから、これは
一つ直してもらいたいと言って提案をして、
総理大臣とともに最高裁判所長官が天皇によって任命されるように直ったのであります。
それから第九条は、これは最も議論の多かった条文であります。しかし今日なされるような
意味において当時議論は行われなかった。
質問をいたしましても、御
承知のように、共産党の野坂君が、
自衛のために
戦争ができないなんてべらぼうなことがあるかと言って、吉田茂
総理大臣に詰め寄った。それが間違いのもとだ、
戦争は
自衛のためといわずしてやった
戦争はいまだかってないんだ、日支
戦争しかり、大束亜
戦争しかり、みな
自衛の名においてやった
戦争だ、だからこれからは
自衛の名においても絶対に
戦争は許されないと、こう然と答えた。私は今でも記憶しておるが、吉田氏は偉いなと思っておる。(笑声)それが何だか変になってきた。当時とにかくそのことに関連して、芦田
委員長も答えていわく、今後は小国が軍隊などを持つ時代は去りつつあるんだ、集団安全保障に頼るべきであって、国家連合が国際警察機関として、侵略をする国があれば経済断交で制裁を加える。経済断交をやっても一カ月もてる国はアメリカとソビエトくらいしかない。
あとはみんな参ってしまうから戦力を持つ必要はない。それできかなければ国際警察軍が陸海空から出て侵略国を制裁する。だんだんこういうふうに、国際警察が発達すれば小国が軍隊を持つ必要はなくなる。これに頼って、
一つわれわれは
軍備というものは持たない、丸腰でいこうということを説明をしておったのであります。そして本会議の
委員長報告でもそれを述べておる。今忘れたようなことになっておりますが、(笑声)それは
一つ御記憶を喚起していただきたいのである。ただ小
委員会で、どうもこれは、いかにもいやいやながら
軍備を撤廃するように見えるから、
一つ高き理想を掲げて撤廃することに文章の上でもうたおうじゃないかと、われわれ及び芦田さんも仰せられまして、そこで、あそこに原案になかった「
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」こういう
言葉を入れたのです。これだと、理想を掲げて
戦争をやらん、軍隊を持たない、こういうことになるからいいじゃないか。そうだ。われわれも全く共鳴して、大賛成でこれを入れた。そうすると、第一項と第二項を読んでみるというと、
戦争は「永久にこれを
放棄する。」と書いて、「陸海空軍その他の戦力はこれを一持たないというと、何だかうまくつながらないような感じがしたので、コンジャンクション、接続詞を芦田さんが、言い出されて、「前項の目的を達するため、」という
言葉を入れようじゃないか、そうすると初めて
一つのつながる文章になる。全くそうだ。コンジャンクションが必要であるというので、私
ども賛成して、あれは入れたのでありまして、確かに芦田さんが提案されたことは覚えております。実はこの小
委員会の速記録は、まだ非公開で、発表になっておりませんので、残念でありまするが、いずれ遠からざる将来に公開されると存じまするから、私がただいまここで申すようなことは皆明らかになるわけであります。とにかくここも私
どもがもっともだというので入れたのであるが、
あとで聞くと、これは芦田さんは深謀遠慮があって入れておいたのだ。この
言葉を入れるというと、
自衛のためには軍隊が持てることになるのだ。
——こんなことは夢にも仰せられなかった。仰せられたらわれわれは反対した。ただ文章がつながらないから入れようじゃないかというお
言葉であったのであります。
それから第十条は、われわれが入れた条文でありまして、
日本国民の要件は法律の、定めるところによる。これはドイツの
憲法にもありまするが、だんだん国際的に交流が激しくなりますると、
日本国民たる要件ということが問題になります。私が現に扱っているのに、イギリス人であるか、
日本人であるかという争いがありまして、まだ三年、四年かかっておるが解決しない。
日本人だと思えば
日本人と思われるし、イギリス人だと思えばイギリス人にも思われるという人がある。そういう人がふえるのです。それですから、私はやはり入れた方がいいというので、提案して入れたのであります。
それから第十七条も原案にはなかった。「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」これは私が長い間の訴訟上の経験から、官尊民卑のわが国においては、役所がやったことは、役人がやったことは、みな損害賠償も何もとれない。大体、知事とか内務
大臣を相手にして訴訟を起すなんて不届き千万なやつだというようなことで、おどかされて、泣き寝入りになっておったことが多いのでありまするから、こういうことは
憲法に入れておかなければだめだ。アメリカでは要らない規定だけれ
ども、
日本では必要なんだということで、私が入れることを希望し、入れていただいた条文であります。
それから第二十五条第一項、これが原案になかったのでありますが、これは当時の社会党の森戸辰男さんと私とで相談をいたしまして、ぜひ
一つこれも入れてもらいたい。これはドイツ
憲法では、人間に値いする生活、メンシェンヴュルデイゲス・ダアザインという
憲法の規定があって、実にわれわれをして感奮興起せしめたものでありますが、
日本でも
一つ、ああいう規定がなくちゃおもしろくないというので、人間に値いする生存を保障するというような
言葉にしたいと思って、それじゃあまり直訳外国語を開いているような気がしますから、そこで
考えた結果、「すべて
国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こういう
言葉に直したわけでありまするが、とにかくこれはわれわれが希望して入れていただいたわけであります。だから第一項はなかったのであります。そして節二項、これも議論がいろいろ出ましたけれ
ども、第二項は、「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」これは立法の大指針をうたったのであります。政治の大指針をここで立法の大指針とともにうたっておくことが、
日本憲法をして光あらしめるゆえんではないか。それはあまり空想に近い理想をうたっても仕方がないじゃないかという御議論もありました。確かにありましたが、そうすると、この
憲法はあっちもこっちも理想をうたっているところがありすぎるのでありますので、理想をうたうついでにうたっておこうじゃないかということで、われわれが熱心に主張したところが、幸いに、
自由党さん、進歩党さんの御賛成を得て入れていただくことができたのであります。
それから第二十七条、これは勤労の権利だけを原案ではきめておったのであります。「勤労の権利を有する。」それでどうも
日本国民は、権利だけを規定しておくと、これはたしか芦田さんの御主張もあり、われわれも賛成したのでありまするが、働く義務というものを怠る、軽視するという傾向があるから、これは権利とともに義務も
一つ規定しておかなければいけない。こういうことで、働かざる者は食ろうべからず、これがわれわれのモットーでもありまするし、ソビエト
憲法のごとき、それをそっくりそのまま
憲法に入れた例もあるのでありまするから、そういう
意味で
一つ勤労の義務を負うという
言葉を入れよう、こういうことで入れた次第であります。それから就業時間とともに休息ということが、これは大切な労働者の労働条件であり権利でもありまするから、これも原案になかったが入れておかなければ、
あとで労働法を作るときにいろいろ問題になるからというので、「休息」という
言葉を入れていただいたわけであります。
それから第三十条の納税の義務、これもなかったのです。一体納税の義務だの教育の義務なんというものは、GHQの人にいわせると当りまえのことで、アメリカなんかにはないのだ。それをちゃんと
国民は納税もしておるし、教育もしておる。そんなことを書かなければならんというのはどうかしているというような口ぶりであったのでありまするが、
日本国民は、
憲法に書いてないと、どうも軽視していいように
考えるくせがあるから、入れておいたほうがいい、こういうことになって、やはり納税の義務を有す。
——体、
憲法は御
承知のように人民の権利を国家に向って保障する規定であって、国家が人民に向って義務を命じたり強制する規定ではないのでありまするから、本来義務を規定することはこれは邪道であると私は思うのでありまするが、今度の改正案にだいぶ義務を御規定になりたがっている人がありますから、念のために申し上げておるのでありますが、義務は法律できめればいいことで、
憲法で何もきめなくても、権利だけ
憲法で保障しておけばいいのであります。とにかくそういうことで納税の義務ということも入れたのであります。
それから第四十条、これも私が入れていただいた。「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を、受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」これなどは刑事訴訟法にあるのでありますから、それでたくさんなのでありますけれ
ども、それこそこういう規定がないと裁判官も検事もなかなかやらない。また
憲法に規定があってこそ初めて刑事訴訟法が生きてくるのであって、どうしてもこれは
憲法にこういうものを入れておいてもらわないと困るという法曹界からの強き要望もありまして、私がお願いをして、幸いに入れていただいたのであります。
それから第四章、第五章、第六章、第七章等には字句の修正が多少ありますけれ
ども、省略をいたしまするが、第八十八条皇室財産の問題、これはずいぶん小
委員会でもめたところであります。いわゆる皇室に世襲財産として相当のものを残そうという運動がありまして、小
委員会を無視してGHQにかけ込んで行って訴えた
衆議院議長その他の人があった。ほかの人がかけ込んで訴えるのはかまいませんが、
衆議院議長が、今小
委員会でしきりに修正を練っておるのに、小
委員会の方へそれを持ってこず、
司令部へ行って直接訴えるということは、あまりにも
委員会の権能を無視したものであるというのがわれわれの不満であったわけでありまして、ついに樋貝
議長不信任ということに発展して、樋貝
議長が辞職したことは、御
承知の
通りであります。それで
司令部においても
最初は皇室に世襲財産を残してもいいという気持であったようでありまして、
マッカーサー原案にあるのでありまするけれ
ども、これがまた問題の種になる。木曾の御料林、北海道の御料林、いろいろ広いところの財産を、みな天皇の、皇室の財産として残すということは、ますます将来混迷を来たすとともに、問題になるからというので、思いきって天皇もやはり国会で議決した歳費を差し上げる、それで
一つ生活を立てていくようにお願いをするということにいたしたのが、八十八条の規定に落ちついた理由であります。
それから第九十八条、これも修正を加えたことは御
承知の
通りであります。また公侯伯子男爵は、一代だけは華族として認めるということであったのでありまするが、これも無用なことである、やめるならば、さっそくやめる方が、
あとくされがなくてよろしいというので、これも小
委員会において決定をしてやめることにいたしたのであります。
まあそういうふうな点が、私
どもこれは修正したのでありまして、こういう
あとをごらん下すっても、一字一句といえ
ども変えることを許されなかった。泣きの涙でいやいやながら作った。
——ほかの人はどうか存じませんが、私はきわめて自由な気分で、朗らかな気分でこの
憲法制定に従事し、修正にも従事いたすつもりでおるのであります。当時の気持に
一つ返って御了解を願いたいのであります。これは幸いに
自由党及び進歩党さんが当時賛成して下すって修正ができた。しかしわれわれは出したけれ
ども、それはどうも賛成できないといって、
自由党さんも進歩党さんも小会派さんも賛成して下さらなかったために、修正ができないでしまったものが相当あるのであります。そのうち私
どもは後に残したいと思って特別
委員会に提案をいたしました。そうして私がその提案理由の説明をした条文が若干ありまするから、この
機会にお耳に入れておきたいと思うのであります。
前文のうちに、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」という一節の中の「専制を隷従、圧迫と偏狭」という
言葉の次に、搾取と窮乏とい丘、
言葉を入れてほしいということを提案したが受け入れられなかったのであります。それは決してGHQに受け入れられなかったのでなくしては、
自由党と進歩党に受け入れられなかったという
意味であります。あそこさえ通れば、GHQは必ずこれは許したに相違ないと私は思っておる。
そこから第一章天皇の前に国権という一章を設けて、第一条として、国権は
国民から発するという条文を入れろということを主張いたしたのであります。これは、主権在民の民主
憲法であります以上は、第一章は天皇であるのはふさわしくない、第一章天皇で始まるのは。第一章
国民から始まらなければならぬ、こういう
考えから、私
どもは国権という章を設けて、国権は
国民から発する。ドイツ
憲法にうたっているように、ああやるべきであるということを主張いたしたのでありますが、それもよろしくないということで退けられたわけであります、
委員会でです。
それから天皇の行う国務のうち、原案は、第七条の第一号、「
憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。」とあるのを、「認証すること」と直して、第二号以下の国会の召集、
衆議院の解散、国会議員総選挙の施行の告示というのは、天皇の国事行為の中にありまするが、これを削除しろ、これらは内閣の事務に移すべきである、天皇は象徴であり、政治には関与しない建前をとる以上は、これらを天皇の行為とすべきでないとわれわれは
考えたから、その主張をいたしたのであります。今度のこの改正論者の
意見には、もっともっと天皇の行為をふやせということになっておる。なお栄典の授与も天皇がするということになると、これは実権を伴わないようなものであるが、非常に封建的な遺制を伴う
一つの特権を与える行為になるのであるから、国家のためによろしくないということの議論があったのでありまするが、まあ天皇の行為に栄典の授与ぐらい残しておかなければ、何もないじゃないかというようなことで、これは天皇の行為ということになったのであります。今度問題になっている特赦とか大赦というようなものを天皇の行為にするのは、もってのほかであります。これは政治上最も重大な政治行為でありまして、これは
内閣総理大臣、法務
大臣の責任においてやるべきことであるとわれわれは
考えておる次第であります。
それから教育に関する原案第二十四条第三項に持っていって、才能あって資力なき青年の高等教育は国費でするという規定を加えろということを主張したのでありますが、これも退けられた。
それから財産権を定めた原案第二十七条、経済生活の秩序と公共の福祉を増進することを目的とする、これは今の社会的権利の保障であります。あまり個人主義的な権利の保障ばかりであるから、もっとこれを社会的な意義を持たせなければならないというので、われわれが主張したのがこれであります。「経済生活の秩序と公共の福祉を増進することを目的とする。この目的に反しない限りにおいて、財産権と経済的自由とは保障される。財産権の
内容は法律で定める。私有財産は正当なる補償のもとにこれを公共のために用いることができる。ただし、やむを得ない場合には、国会の議決によって補償を給しないで用いることができる。」これを規定しておかなければ、社会主義政策は実行できない。それで
司令部から来た
マッカーサー草案には、土地及び天然資源の究極的所有権は国に属するというようになっておったのであります。これは
松本国務大臣が、これだけは
一つやめてもらいたい、あまりにもラジカルであるといって、一院制度とともに願い下げたそうでありますが、われわれが渡されたときには、こういう案にはなっていなかった。これは、このごろになって、
最初の
マッカーサー草案なるものが歴史的資料としてわれわれに渡るようになったのでありますが、審議のときには、そういうものが削られておったものを渡されたのでありますから、そこでわれわれは、
一つぜひこれを入れておいてもらわぬと、もろもろの重要産業の国家管理あるいは国有ということは実行できなくなるからして、
自由党、進歩党が御賛成にはならない。これも退けられたわけであります。
それから
憲法改正は、
国民の承認を得たときは、内閣が
国民の名においてこれを
憲法と一体を成すものとして直ちに公布する。天皇が公布するという必要も理由もないではないか。天皇は象徴であるのであって、天皇が
憲法改正を公布するということは一貫しておらない、こういう見地でわれわれは主張をいたした次第でありまして、これも遺憾ながら退けられた。
これらは当時、
自由党と進歩党とが小
委員会において御賛成にならないから、やむを得ず通らなかっただけの話で、これを御賛成下すってGHQに持っていったとすれば、私は百パーセントGHQはこれを容認したと信ずるのでありまして、持っていったもので
一つも蹴られたものはないということで証明されるのであります。それは、
日本のある部分の人々の頭よりは、GHQの
諸君の頭の方が進歩的であり、民主的であったのでありまして、私はその後、交渉に当った結果、よくわかったのでありますが、ゆえに、
マッカーサーが、
自分は
日本によかれと思ってあらゆる施策をやったのである、もし誤まりがあったならば、ブレーン、頭脳の誤まりであって、ハートの誤まりでないことを了とされたいと、ある政治家に語ったそうでありますが、アメリカで。それはそうだろうと思うのであります。とにかくそういう
意味においては、私は
憲法を相当自由なる立場において作った、どうもハッタリをかける人は、銃剣を突きつけられて、やむを得ずこしらえた
憲法であるなどということを、民衆を扇動するために言うのは御自由でありますけれ
ども、少しうそが強過ぎると私は思っておる。それにもかかわらず、それは見本を示されて作らされたということならば、それは私も納得いたしますが、悪いものを作ったという意識がなかったということを御了解を願いたい。
そこでこの
内容についても、最も問題となるのが、何といっても天皇の象徴を元首に直すかどうかというような問題、それから第九条を改正して、軍隊を正式に持つことにするかどうかという問題、それから個人、人格の尊重という問題でありまするが、これらは、今でこそ、そんなことをしきりに議論しますけれ
ども、あのころはこれが実に一番いいところであった。
司令部がわれわれに示したところでは、これが一番いいところで、これによって
日本国民は救われる。少数の特権階級は非常な失望を感ずるけれ
ども、これはやむを得ないことで、大部分の
国民大衆は歓呼かっさいして、天皇を権力から離し、
戦争を
放棄し、軍隊をやめるということは、当時非常な歓呼かっさいをもってこれを迎えたものだということを、よく御記憶を願いたいのであります。ですから、改正論のやはり底を流れるものは、どうも当時圏外にあって、これに関与しなかった人が、昔恋しい郷愁の念にかられて、再び逆戻しをしたいというのか、あるいはしぶしぶ受け入れたものがどうもそういう
考え方をするように、私
どもから見受けられるのでありまして、ことに東条内閣などで大いにお働きになった方がこの改正論の先頭を切っておられるのじゃないか。今、会長でないが、前の会長はそうです。そういうのはどうもこれは、元の特権の回復、復活、失地回復を願っておるものじゃないかと、こう言われてもやむを得ないじゃないかというふうに思うわけであります。
で、私は時間がありませんから簡単に結論づけまするが、改正論の
内容を見ますると、世界観の相違からきておるものがあります。国策あるいは政治観の相違からくるといってもよろしいでありましょう。つまり
憲法第九条をどうするかという問題は、これは軍隊などは要らない、
戦争は絶対にやめるべきである、こういう
考え方は、これは世界観の相違からくる。いや、軍隊を持たなければ、あすにも
日本はやられそうだ、あすやられるか、やられないかということは、これは、われわれけ少くとも
日本を今領土的に侵略しようという国がどこかにあるとは思えない。だから、そんなに
軍備というようなことをふぐ必要はないと
考えておるわけであります。
軍備に使う金があったら
一つ社会保障にでも使って、十年やったら相当よい国ができると思う。あまり早く再
軍備に乗り出して惜しいことなしたと思っております。
世界の動き方がだんだん平和に向って動いておる。あのイスラエル、アラブの争いを見たって、
戦争に持っていかすに何とか解決しようという形勢が見えておる。ソビエトとの四巨頭会談でも、平和の方に持っていこう、
軍備縮小の方に持っていこうとしておる。ですから、急いでわが国がこの世界情勢のもとに軍隊を作る必要があろうかという、これは問題として論じなければならぬと思いますが、これは非常に長い時間論じなければならぬ問題でありまするから、私はこれに触れることは略しておきまするが、とにかくもう少し形勢を見て、今十年もゆっくり世界の形勢を見て、どうしても小国といえ
ども軍隊を持たなければ安全が保てないという見通しがついたときに
考えてもおそくないと、こう思っておるのであります。その前に内乱等の心配があるというなら、これは警察予備隊程度のものは置くことは、必要にして十分だということは、前からわれわれが主張しておるところであります。
それから第二の類型に属するものは、古い制度に郷愁を持っておるところからくるものである。これは人生観の相違とでも申すほかはない。天皇を今一度元首にしたい、これは
言葉だけの取りかえだけだというのですけれ
ども、私
どもは
言葉だけの取りかえとは思わない。次に来たるべきものをおそれておるのであります。今はなるほど
言葉だけの違いである。
言葉だけの違いならば、なぜ象徴で不十分なのか。
日本国を代表するものは象徴ということで何ら差しつかえない。イギリスのキングもクイーンも大英帝国のシンボルであるという
憲法上のことわざがある。だれか成文がないと言った。神川博士ですか、そんな成文はイギリスにはない。イギリスの
憲法は成文
憲法でないのですから、ないことは当り前である。クラウンがシンボルであるということは、立派にイギリスのキングの地位を示しておるのであります。
日本でもそうなっておる。ゆえに、もし外国の大公使が来たら一番先に天皇にお目にかかるのであります。大公使を接受するのであります。また大公使を認証をして辞令を渡して外国につかわすのであります。何が足りないのか。私は、元首にして天皇がみなそういうものを任命することにしないとおもしろくない、これは単に庁の制度に対する郷愁に過ぎないと思っておるのであります。
それから家族制度、これも決して封建的家族制度などを
考えておるのでないと仰せられるが、家族の保護とか家族制度というものを守るということを
憲法の上に規定することは、私はあまり反対はしないのですけれ
ども、しかし必要はないことだ。個人の尊厳と男女の平等、そうして夫婦は真に自由意思の合致によって構成すべし。小さい家庭というものは、今の
憲法でも守られておるのですから、それ以上、家族制度の保護を規定するというのは、どうも戸主の制度を持ってこよう、あるいは相続についての均分相続をやめようという下心が、法衣の陰によろいがほの見えておるのをおそれるのであります。基本的人権の制限等についても同様であり、権利の乱用は立派に第十二条で禁止されておるのであります。常に基本的人権は公共の福祉のために使わなければいけないというのが規定されておるのでありますから、これを適用して現実の問題として解決して、裁判所でも立派な方法で判決されておるのでありますから、もう少し立派にこの慣行が成長するのを待てばよろしいと、こう
考えておるのであります。
それから第三は政治、行政の技術に関する問題であります。議会の運営、内閣制度、参議院の制度、裁判、財政とか地方自治、こういうものは、やり方をどうしたらいいかというので、先ほ
ども一人……、学説は学者の顔ほど違っておるのであります。私もいろいろな説を持っております。こうやった方がもっといいというのをたくさん持っておりますけれ
ども、抱き合せ改正をおそれることと、それから、今急いでやらなければ
日本の政治がうまく運営できないというほど逼迫した問題でない。ベターであるというだけでありますから、もっと待ってもよろしい。私はどうも、今は
憲法改正のときでない、わずかまだ九年しかたっていない。現にこれは制定されたときに、一年過ぎて二年の終りになる前に、極東
委員会から、あまり急に
日本の戦後の
国民生活の混乱をルールに乗せるために急いで作らしたというきらいはあるから、もし不適当なところ、
国民生活に合わないところがあったら遠慮なく申し出なさい、修正をしなさい、こういう指令をいただいたのであります。ちょうど私が法務総裁のときであります。それで吉田茂氏にもそのことは作るときに言っておいたのであるが、引き継ぎがなかったので、私は初めて聞いたのであります。帰って来て、
衆議院議長、参議院
議長等に
お話をし、それから法制局でも、改正すべき点、どうしてもこの点は直しておかなければ困るという点があったら、
一つ調査して出すようにといって命じましたが、そういうものは当時見当らなかった。そればこまかい技術的な点で直した方がいいという点はありましたけれ
ども、
憲法改正をしてまでも直しておかなければならぬというのは、その当時はどちらにもなかった。ゆえにこの
憲法で満足でありますという答えをしておる。それで今になって、これは押しつけられたのであって、泣き泣き作ったのであるから、どうしても根本的にやり直さなければならない
——なぜそのときそういう議論をしなかったかということを私は遺憾に思うのでありますが、何と言っても私を初め古い時代の観念が頭にこびりついております。私
自身もかなり進歩的なつもりで
自分ではおるが、ほかのもっと若いジェネレーションからいくと、反動だ、保守だと言ってひやかされるのであります。ですから、よほど注意をしないと、もとのところに促っていくおそれがあるから、今のお互いに相当の年配の人は、これに手をつけるべきでない。今の子供が小学校で新
憲法で育てられて、中学、大学を出て、一人前になったときに、その独立の新しい頭で批判したところで改正しようというならやらせていいと思っておりますが、今古い時代に権力をふるったような人が中心になって、また昔恋しということで
憲法改正などとは、もってのほかである、こう
考えておる次第であります。