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1956-05-02 第24回国会 参議院 内閣委員会 第36号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月二日(水曜日)    午前十時四十四分開会     ―――――――――――――   委員の異動 四月三十日委員宇垣一成君死去され た。 五月一日議長において豊田雅孝君を委 員に指名した。     ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     青木 一男君    理事            野本 品吉君            宮田 重文君            千葉  信君            島村 軍次君    委員            青柳 秀夫君            井上 知治君            井上 清一君            西郷吉之助君            佐藤清一郎君            田畑 金光君            永岡 光治君            吉田 法晴君            高瀬荘太郎君            廣瀬 久忠君            堀  眞琴君   衆議院議員            山崎  巖君            古井 喜實君   国務大臣    国 務 大 臣 吉野 信次君   政府委員    法制局次長   高辻 正巳君   事務局側    常任委員会専門    員       杉山正三郎君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○憲法調査会法案衆議院提出)     ―――――――――――――
  2. 青木一男

    委員長青木一男君) これより委員会を開きます。  委員の変更についてお知らせいたします。  五月一日、宇垣一成君の補欠に豊田雅孝君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 青木一男

    委員長青木一男君) 憲法調査会法案を議題といたしまして質疑を行います。  質疑のある方は御発言を願います。
  4. 吉田法晴

    吉田法晴君 議事進行について、前回質問に入ります前に、資料要求をいたしたのでありますが、その資料要求に、昨年秋のライフに乗りましたホイットニー氏の、当時に関連をいたします記事、それからマッカーサーの一昨々年の誕生日の演説を御提出願うことをつけ加えます。  それは先ほど了承を御たところでありますが、この際、委員長及び委員諸氏お願いをしたい点であります。詳細は理事会等で御協議を願いたいと思うのでありますが、問題は日本憲法関連をいたします。憲法改正すべしとして調査会を設けられようという御提案が私ども審議をしております憲法調査会法案、しかも憲法の一カ条二カ条ということでなくて、相当広範囲にわたって検討をしよう。言いかえますならば、新しい憲法を作ろうという動きとさえいわれるのでありますが、従ってこの憲法について検討を加えますということは、これは何よりも重大な問題だと思うのであります。あるいは国防会議であるとか、あるいは自衛隊関係の二法であるとか、あるいは衆議院において小選挙区制にからまります選挙法等審議をされておりますけれども、問題の重要性から考えますならば、私はいずれの法案にもまさる、日本国民にとって重大なこれは法案だと考えます。従って委員会慎重審議せられるべきだと思うのでありますし、前回総括質問の際に、総理は、これは憲法調査はゆっくりやりたい、慎重にやりたい、こういうお話でしたが、それは調査会でゆっくりやりたい慎重にやりたいということではなかろうと思うのであります。本委員会においても慎重審議をしなければならぬと思いますが、特に提案理由には、これは自主的な状態で作られたものではない、こういうまあ御説明がございます。果して押しつけであるのかないのか、私ども当時の関係者に伺わなければ、私どもが拝見いたし得るところでは十分でないと思いますし、私どもが見ます書類では、あるいは記録あるいは当時の関係人たちの話を聞きますならば、押しつけではない、国民は少くとも押しつけとは受け取っておらない、あるいは松本案政府案等に比べてはるかに民主的なものとして受け取っているように思うのであります。そこでその点について提案者なりあるいは鳩山総理その他政府と争いましても議論の分れるところであろうと考えますので、当時の内閣総理大臣幣原喜重郎氏においでを願うべきだと思いますけれども、すでに幽冥境を異にしていらっしゃいますので、岸蔵松という秘書をしておられ、その間の事情をよく御存じの方が、閣議にも閣僚にもお話しにならなかったいきさつ事情等御存じだそうであります。岸蔵松氏をここに呼んでいただきたい。あるいは生きておられる人で、法制局関係責任者としては、今の最高裁におられる入江俊郎氏だと思うのであります。この方も呼んでいただきたい。あるいは吉田茂氏を呼ぶべきだと思いますけれども、それもどうかと思いますので、これは衆議院議員でございますけれども法務総裁もされました鈴木義男氏等も呼んでいただきたいと思うのでありますが、日本国憲法制定当時の事情御存じの方を今二、三あげましたけれども、これは証人として本委員会に呼んでいただいて、事情の真相を本委員会で明らかにせられたい、これを希望申しているわけであります。それからあるいは当時審議せられました人を証人に呼ぶということであるならば、それも別の機会に御相談を願いたいと思いますが、公聴会のごときは当然私は本式に開かれて、憲法国会法参議院規則に従って行わるべきだと思います。  重ねて申し上げますけれども調査会でゆっくり慎重にやるということではこれは憲法精神に反すると思うのであります。国民の前で国民代表する国会において、いきさつにいたしましても、あるいは憲法の真精神にいたしましても、十分明らかにしたのちに、審議をしあるいは質疑を続けるということが絶対に必要であろうと思いますので、国民の前で委員会に対して経緯について証人を呼んでいただく、それから公聴会を開いてもらうということを要望をいたしたいと思います。取扱いは理事会におまかせいたしますが、率直な希望だけを申し上げます。参議院の良識に従って、私はこれだけの重要法案でございますから、以上の手続きをふんでもらうことを信頼をいたします。委員長初め委員諸氏お願いをいたします。
  5. 青木一男

    委員長青木一男君) 吉田君に委員長として申し上げます。ただいまのお話の点は、本日委員会終了後の理事会で御相談いたします。
  6. 田畑金光

    田畑金光君 質問に入る前に、ただいま吉田君からも強く希望が述べられましたが、本日の理事会等公聴会等の開催をすみやかに準備せられて、広く憲法調査の問題に関し学識経験者等意見を聴取せられるように理事会において取り計らわれるよう強く希望申し上げておきます。  それでは提案者にお尋ねいたしたいのでありますが、先般資料として自由民主党憲法調査特別委員会が取り上げておる問題についての資料がわれわれの手元に配付になったわけであります。この資料をもとにしまして若干お尋ねいたしたいと思いますが、まず最初にこの自由民主党の中に持たれております憲法調査会、これはどういう構成、性格あるいは任務をもって作られているのか、この点をまず最初に伺いたいと思います。
  7. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 昨年の十一月に自由民主党発足しました際に、立党の新政策としまして憲法改正の問題を取り上げておりますことは田畑君も御承知通りであります。そこでこの新政策に基きまして、昨年の暮に、党内憲法調査会設置いたしました。その人数は、現在の議員五十名をもって構成をいたしております。なお、この調査会は、従来自由党時代あるいは改進党時代調査の一応の結論は出ておりますけれども、この結論参考にはいたしますが、この結論にこだわらず、新らたな観点から憲法問題の全面的の再検討をしたいというのが、この調査会使命でございます。
  8. 田畑金光

    田畑金光君 五十名で構成されておられ、また従来の自由党民主党における憲法調査会結論等とはあくまでも独自の立場で全面的に現行憲法調査検討をなされる、こういう御説明でありますが、すでに先日配布になりましたこの資料を拝見いたしましても、従来の自由党あるいは民主党それぞれの調査会が出しました改正案の最大公約数が、自民党憲法改正に対する基る憲法調査会を見ましても、委員はちょうど五十名である。ことにこの調査会委員構成の中に国会代表が三十名置かれまするが、その代表選出等についても、国会勢力分布に応じて選出を予定されている。こうなって参りますると、自民党党内に置かれている憲法調査会というものと、今後内閣に置かれる憲法調査会というものは、形式は異なっているにいたしましても、あるいは任命の手続は異なっているにいたしましても、その実質はなんら違ったものを期待することはできない、こう私は考えますが、この点について、提案者はどのように考えておられるか。
  9. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 先日委員各位に配布申し上げました自由民主党憲法調査会調査資料でございますが、これは、もとより問題点の項目につきましては、大体現行憲法条章を追ってここに掲げているわけであまりす。しかし、この内容をお読み下さいますと、今まで自由党あるいは改進党時代考え方相当修正を加えた点もあるように思うわけであります。もとよりこれは問題点でございまして、今後調査会におきましてこの問題点を慎重に検討いたしまして、漸次結論を出して参りたいと考えております。なお、憲法の問題は申すまでもなく非常に重大な問題でございますので、ただ一党一派結論を出すだけで国民の納得を得ることは適当でないと思うわけでありまして、そこで今回内閣に特に憲法調査会設置していただきまして、そこで各方面の世論を十分憲法の再検討の上に反映せしめまして、適当な結論を得ていただきたい、こういう趣旨であります。従いまして、自由民主党がかりに憲法条章に従いましていろいろの結論を出すといたしましても、内閣調査会は、これを参考意見として取り上げていただくことは当然であろうと思いますけれども、しかし私どもの方といたしましては、わが党の方で出しましたこの結論に決して拘泥するつもりはございません。内閣に置きまする憲法調査会におきまして、また新たな観点でさらに十分な慎重な御検討を願いたい、こういう考えを持っておるわけであります。
  10. 田畑金光

    田畑金光君 自民党の中に置かれておるこの憲法調査会構成員国会議員のみによって構成されているわけですか、それともまた学識経験者等意見等を聴取する別個の準備というか、あるいは手続等をとっておられるのかどうか。
  11. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 構成員の正式のメンバーは現在の衆議院議員のみであります、五十名は。ただ学者参考意見を聞くために時々この調査会おいでをいただきまして、いろいろ学者意見を聞いておりますのもまた事実でございます。それから参議院議員と両方で五十名でございますので、その点ちょっと先ほど申し上げましたのは訂正させていただきます。
  12. 田畑金光

    田畑金光君 学者というと、どういう人方の御意見をおもに聴取されておるわけですか。
  13. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 別に限定しておるわけでございませんで、そのときどき、時々問題によりましていろいろ意見をいただいております。
  14. 田畑金光

    田畑金光君 提案者の当初のお言葉の中にもありましたように、昨年暮自民党発足とともに現行憲法に根本的な検討を加える、これは自民党政策として掲げられておることは国民周知の事実であります。従いましてこれは党是として、あるいは党の国民に対する公約として憲法の全面的な改正を主張されておることはわれわれとしても承知をしておるわけであります。そういう経緯、また政党内閣という立場から考えましても、自民党の中に置かれた憲法調査会が今後さらに具体的な結論を出すであろうその内容というものは、党の大きな政策として、当然政党使命からいってもこれが実現を期待する、あるいは努力を払われる当然の措置だと、こう考えるわけであります。まあそのように見て参りますと、今回内閣に置かれるであろう憲法調査会に対しては、あくまでも新しい角度において憲法の再検討を要請さるるといたしましても、少くとも自民党代表される委員を通じ自民党考え方というものが強く内閣に置かれる憲法調査会の中に持ち込まれると私は考えますが、この点はそのようにすなおに受け取ってよろしいと思うのだが、提案者はどのように考えられるか。
  15. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) ただいま御指摘のように、わが党としましては重要な政策としても憲法改正の問題を取り上げておるわけでありまして、従いまして党として改正案につきましては慎重に検討を加えて結論を出すということは党の重大な使命だと考えております。ただ内閣に今回設置されるでありましょう憲法調査会は、学識経験者はもとより相当参加を願い、新たな観点から憲法の全面的の検討を加えていただくのがこの調査会設置の目的であることは御承知通りであります。従いましてこの調査会にわが党が出しました結論を持ち出しまして、われわれとしてはこういう考えであるということはむろん強く申し述べる機会を得たいと思っておりまするが、決して党としましてはわが党の考えに是正すべき点があるならば、この新たな内閣に置きまする調査会におきまして是正を願うことは、これを受け入れるに一向やぶさかでないつもりであります。
  16. 田畑金光

    田畑金光君 憲法調査会ほんとうに客観的な立場に立って現行憲法に批判、検討を加える、そういう公正中立態度を期待いたされるといたしますならば、私といたしましては、憲法調査会構成国会議員が三十名であり、学識経験者が二十名、この比率についても検討すべき問題があると思うのです。かりにこの比率を認めるにいたしましても、学識経験者についてそれぞれ憲法改正立場に立つものと、あるいは現行憲法を守るべしという立場人方がそれぞれ公平に選出されるということは、あるいはまた国会議員委員にいたしましても、明らかに今日の国会の与、野党立場から見まするならば、憲法改正憲法擁護という立場というものは明確になっておるわけであります。従いまして国会代表をされる委員選出についても、憲法改正の側とあるいは憲法改正反対の側とが同数に選出されるというこの比率が守られることが、今提案者お話のように、憲法調査会の活動に公正な第三者的機能を期待されるならば当然の措置だとこう考えますが、この点はどういうふうにお考えでありますか。
  17. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 内閣設置されるでありましょう憲法調査会は非常に、重要な使命を持っておるものと思いますので、委員選出につきましても慎重な態度をもって臨まなければならぬことは私は当然であろうと思います。ただ国会議員の割り振りにつきましては、これは従来の慣例もございまするし、また民主主義の原則から考えましても、現在の勢力分野に比例して選出されることが適当ではなかろうかと考えております。なお、憲法の問題につきまして国論の分裂をしますことは非常に厳に避けなければならぬこれは重大な問題だと思っておりますので、私といたしましては、内閣調査会にも、従来反対立場をとっておられる政党方面におきましては社会党各位にも、ぜひ御参加を願いたいということを心から実は私どもは感じておるわけであります。なお、そういうことになりますれば、社会党方面から御推薦を願う学者につきましても、その選考の場合には十分慎重に考慮を払わなければならぬ、こういうふうに考えておるわけであります。
  18. 田畑金光

    田畑金光君 提案者は、内閣に置かれまする憲法調査会というものが現行憲法に全面的な検討を加えて、その結果を内閣、あるいは内閣を通じ国会に報告するにどれっくらいの年数を予定しておられるのか、並びに現在自民党の中に置かれておる憲法調査会相当調査審議が進みまして、ここにわれわれといたしましては自民党憲法調査会審議経過について相当具体的な内容承知することができたわけであります。さらになお具体的な結論を全般についてつけるまでには相当の日数がかかるように書かれておりますが、党内に置かれておる調査会結論はいつごろまでに出される御予定であるのか、この点もあわせてこの際伺っておきたいと思います。
  19. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) わが党の内部に置きまする憲法調査会は、今着々と調査を進めておるわけでありまして、数回の総会を開きました後、四分科に分けまして、実はそれぞれ検討を進めております。ところで実際やって参りますると、国会開会中は一週間一度分科会を開きますことがなかなか容易でないぐらいの程度でございまして、思うように実は進行いたしておりません。それが事実であります。従いまして今の調査進行の模様から考えましても、結論を得ますことには、党内調査会相当のまた時日を要すると考えております。内閣調査会もおそらく私は設置になりましても、相当結論を得ますまでには年月がかかるのではないかと考えております。調査会ができてみませんと、どのくらいの見当でやるかというようなことも、実はちょっと申し上げることは非常に困難ではないか、こういうふうに考えおります。
  20. 田畑金光

    田畑金光君 内閣に置かれる調査会、まだできておりませんから、あるいはどの程度時間がかかるかということは提案者も答弁困難かもしれぬが、しかし少くとも自民党内部に置かれておる特別調査会については、すでに発足をしておりまするし、昨年の年末出発して、すでに大綱についてはこのように問題点を集約されておるわけなんです。あとはこれを文章化する、あるいはさらに肉をつける、これが残されておる問題点だと思います。そうなって参りますると、政府与党の中に置かれておる憲法調査会結論はそう長い時間は必要としないと私は見るわけでありますが、もう少し一つ率直な御意見を承わっておきたいと思うのです。
  21. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) ただいま申し上げましたように、党内で現在憲法調査会を設けて着々と調査は進めておりまするが、お手元に差し出しましたのは調査問題点を、やっと実はここまでまとめ上げた程度でございまして、これは問題点に過ぎないのであります。従いましてどういう結論を出すかということにつきましては、私は相当時日を要すると思う、従いましてかりに内閣調査会設置せられまして、党内調査会はこれを併行して漸次調査を進めていくと、こういうことになると思いますので、党内結論が近々に出るというようなことは、なかなかそう簡単には参らない、こういうふうに考えております。
  22. 田畑金光

    田畑金光君 私が今まで質問した諸点について、憲法担当吉野国務大臣の御意見を承わりたいと思います。
  23. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 別段私から取り立てて意見を述べるほどのこともないと思いますが、ただこの憲法調査会は、いわゆる憲法の各条章にわたって改正する必要があるかどうか、必要ありとすればどういう点にあるかということを慎重にここで考究するのでありますが、与党の方でやったのは、ただ問題点を明らかにしただけのものでございまして、その問題点を明らかにする経過においては、それはいろいろ委員の間には、これはこうしたらいい、ああしたらいいという個人的な意見もあれば、それを別にまとめているわけじゃごいません。そのことを憲法調査会で慎重にやる、そのためにこの委員構成ということについてはお話にありました通り、何と申しますか、与党と申しますか政府というものの自由になるようにあらかじめきまったものを押しつけるような格好のこの構成は、これは避けなきゃならぬ、やはり学識経験者というものを入れたのもその意味でありまして、学識経験者の公正な意見というものが反映するようなこの委員構成というものを政府としてはやるべきものじゃないか、こういうふうに考えております。
  24. 田畑金光

    田畑金光君 吉野国務大臣にお尋ねいたしますが、かりにこの法律案が成立して通って憲法調査会設置すると、その場合にまた憲法改正反対立場に立つ野党憲法調査会に加わることを拒否するとなれば、当然にそうなって参りますと、三十名が三十名とも改正賛成立場に立つ議員のみが出てくる、こういうことも想像されるわけです。また選挙制度調査会経緯を見ましても、あの調査会委員政府が依嘱をされたその顔触れを見ても、小選挙制度そのもの賛成の人のみを多数委嘱されており、任命されておる。こういう事実を見ましたときに、小選挙制度法案と今回の憲法改正調査会法案との関係はうらはらの関係と見るわけです。必然政府といたしましては憲法改正の側に立つ委員学識経験者の場合においても予定されることは、これは必至とこう考えるわけです。そういうことになって参りましたときに、果してこれは公正な結論というものが、あるいは公正な審議というものが、その中から期待できるかどうか、われわれは深く疑問に思うわけです。ことにこの間も論議されましたが、調査会設置というものは、現行憲法九十六条あるいは内閣法の第五条の建前から申しましても、これは議会に、国会に置くと、こういうことが当然とらるべき手続きであり、形式であり、また憲法改正の順序であると、私たち考えるわけでございますが、こういうことすらも、何ら政府としては、一方的にじゅうりんして、尊重することなく、内閣設置された、こういうような点を見ましたときに、一体憲法調査会から公正な結論というもの期待できるとお考えになるのか。もう一度吉野さんの御意見を承わりたいと思います。
  25. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 公正なる各方面の方の意見を反映させるという希望でありますから、私どもとしては社会党の方もこれを全然参加を拒否するということは期待していないのです。ぜひ参加していただきたいと、こう思っております。また学識経験者にしても、学識経験者ですから、それが政府御用を努めるようなものでは学識経験者ではないのですね。学識経験者というものはやはり独自の見解をもってやるような人が、これがいわゆる学識経験者で、よく世間には御用学者とかあるいは曲学阿世とかよく申しますが、ほんとう学識経験者というものの範疇に属さないものである。それですから、学識経験者というものはいわゆる学識経験者であって、そういう公正な意見を、やる人に反映してもらうと、こういうことでありますので、私は各方面の公正な意見をこの調査会によって反映するということを期待して差しつかえない、こう思っております。
  26. 田畑金光

    田畑金光君 憲法調査会提案理由を見ましても、現行憲法国民自由意思によって制定されたものでない、こういうことが明確にうたわれておりますし、また今回自民党憲法調査会資料によりましても、明治憲法というものも現行憲法というものも、いずれも国民の手になるものではなかったと明確に断定されておるわけであります。明治憲法欽定憲法であり、従って国民の手によって成立した憲法でないということは、これは周知の事実でありますが、提案者明治憲法現行憲法とは同じ程度国民意思によって成立したものではない、こういう評価をなされておるのかどうか、この点一つ伺いたいと思います。
  27. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 明治憲法欽定憲法であることは今御指摘通りでありまして、この点につきましては説明を要しないと思います。現行憲法につきましても、制定経緯を私どもがしさいに検討いたしますると、(「国民に問うているぞ」と呼ぶ者あり)あの占領の直後、国民のまあ何と言いますか、虚脱状態にありました時代に、当時の最高司令官の強力な示唆によってできましたことは事実であると思います。従いまして真に国民自由意思が反映しておるものとは私ども考えません。従いましてこういう表現をここに現わしておるようなわけであります。
  28. 田畑金光

    田畑金光君 私のお問いしておることは明治憲法欽定憲法である、これは明らかでありますが、現行憲法は一体どんな憲法なのか、これは民定憲法と呼んで妥当でないのかどうか、さらに明治憲法現行憲法とは同一の程度において国民の手によって成立したものではない。こういうように断定できる憲法であるのかどうか、その形式手続等内容形式手続考えましたとき、同一の評価で差しつかえないのかどうか、この点をお尋ねしておるわけです。
  29. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 形式におきましては全然違うと思います。現在の憲法につきましては、政府提案をいたしまして、国会意思によって決定いたしております。従いまして明治憲法とは本質において違うと思います。ただ現在の憲法経緯は先ほど申し上げましたように、国民の自由な意思によって制定されたということは断定できない。その点が私どもはこういう表現をとった次第であります。
  30. 田畑金光

    田畑金光君 そうしますと、現行憲法は民定憲法ではないと、こうおっしゃるわけですか。
  31. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 民定憲法ということはどういう民定かはっきりいたしませんけれども、私どもが今申し上げるように、この制定経過を見ますと、国民自由意思が十分にこれに反映してないと、こういうことを申し上げておるわけであります。
  32. 田畑金光

    田畑金光君 国民自由意思が反映してないと、こうおっしゃいましても、それはそういうことになって参りますと、むしろ現行憲法の効力自体を認めるかどうか、ここまで発展する問題だと、こう考えるわけです。少くとも百余日の日子を費して当時の貴族院、衆議院において、この憲法が論議をされ審議をされ、さらに修正を加えられた、この事実をお認めになると思うのです。そうなって参りますると、当然国民代表である議会において、議会の論議を通じ制定をされたと、こうなって参りますならば、明治憲法とはそこに本質的に異なるものがあるとわれわれは見るわけであります。この点どうですか。
  33. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 先ほども繰り返し申し上げましたように、明治憲法と現在の現行憲法とはその形式におきましては全然違うと思います。その点は田畑さん御指摘通りだと思うわけであります。ただ繰り返して申し上げまして恐縮でございますが、あの当時国民ほんとう自由意思が反映しておるかどうかという点につきましては、私どもは疑問を持つわけであります。国会審議相当の期間を費されまして、慎重な御審議があったことも、これまた御指摘通りだと思います。ただその当時の国会審議におきましても、一々司令部の許可を受けて修正をするというような、ああいう時代でございますから、従いましてほんとう国民自由意思がこれに反映しておるという断定をすることは私どもは非常に困難ではないか、こういう意味をここに現わしておるわけであります。
  34. 田畑金光

    田畑金光君 当時のたとえば自由党あるいは進歩党あるいは社会党の終戦直後の憲法改正についてのこの資料が出ておりますが、たとえば自由党憲法改正要綱を見ましても、天皇について申しますと、統治権の主体は日本国家である、あるいは天皇は統治権の総攬者である、天皇は万世一系である、明治憲法とほとんど変っていないわけです。またこの間からいろいろ取り上げられております憲法改正の要綱の松本草案の乙案を見ましても同様に天皇が統治権の総攬者である、天皇主権説をとっていることはこれは明らかであります。ところがあの終戦直後の国内の情勢を考えましたとき、すでに政府においても、憲法改正についていろいろ調査会を持つとか、準備手続がとられている。すでにそのころ民間においては、民間の学者を中心として、新しい日本には新しい憲法を持ってこなくちゃならん、こういう動きがほうはいとして巻き起ってきたことは、提案者もよく御了承と思うのです。われわれのいただいているこの資料を拝見いたしましても、たとえば高野岩三郎氏の改正憲法私案によりますと、天皇制というものを全く廃止して、大統領を元首とする共和制を取り入れろという意見もありまするし、あるいはまた高野岩三郎、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩渕辰雄、鈴木安蔵、室伏高信氏、こういう人方憲法研究会の憲法草案を拝見しますと、「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」「天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国次的儀礼ヲ司ル」「天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス」、こういうようにすでにこれは当時の民間の学者憲法研究会等においては、現行憲法の主権在民あるいはより以上の民主的憲法を意図されていることも明らかであります。これは単に一研究会の当時の出された資料でありますが、こういう思想というものは、当時の民間を全般的に風靡した傾向である。敗戦の虚脱の中から、国民は新しい憲法のもとに新しい国を建設しよう。その国はあくまでも平和主義の国であり、あるいは文化国家でなければならない。民主主義の国家でなければならない。国際協調主義の国家でなければならない。こういう世論というものは全国を風靡たとわれわれは見ているわけであります。従いましてそのような情勢の中において、なおかつ、天皇制を護持するとか、国体を守るとかいうようなことを、ときの政府がいかに強調しようとも、それは時の流れに抗することはできなかった。たといそこに占領政策の力が加わらなかったといたしましても、当時の国民、世論がこれを許さなかったと、われわれは考えるわけであります。まさに松本私案というものは、その当時のなおかつその段階においても封建勢力、旧来の勢力を温存しようとする一部の支配階級を代表した声である。民間学者のこのような声というものは、当時の国民のほとんど全体を代表した声であると、こう考えるわけであります。  そういう点から申し上げますならば、マッカーサーの指令があったということは、なるほど形は国民の自主的な意思にあるいは沿わないような形をとっているかもしらんが、また別の角度から見るならば、国民意思代表したと申しても過言でないと思うのであります。われわれはそういう実態の中に立って考えましたときに、政府の言うがごとく現行憲法というものは自主憲法でない、こういうようなことが断じて許さるべき言葉でないと私は考えますが、提案者にお尋ねしたいことは、私が今申し上げました当時の情勢というものから判断いたしましたときに、現行憲法は単なる形式を云々すべきではない、内容について論議すべきである。内容をわれわれが論議した場合に、それは当然国民の盛り上る自主的な意思に即応した憲法であると見るのが妥当だと考えるのでありまするが、この点はどう提案者はお考えになりまするか、あわせて吉野国務大臣のお考え方も承わっておきたいと思います。
  35. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 現行憲法制定の直前におきまして、各政党、学界その他からいろいろの意見が出ておりますることは、ただい庄田畑さん御指摘通りであります。この資料もお手元に差し上げてあると存じておるわけであります。まだ私どもが今日現行憲法の再検討をいたしまする場合に、現行憲法の長所につきましてはますますこれを尊重していくと、こういう立場をとっておるわけであります。ただ繰り返して申し上げまするけれども、あの終戦の直後、国民虚脱状態にありましたときに、ほんとうに現在の憲法の上に自由な意思が反映しておるかどうかという点については疑問に思っておるわけであります。
  36. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 憲法制定手続について、今民定ということをおっしゃられましたが、別に法治国として違った手続はとっておらないのであります。また現在の憲法内容についても幾多の尊重すべき条項があるということも、尊重といいますか、りっぱな条項があるということも、これは認めますが、ただ私ども制定したその当時の環境がいわゆる占領治下で、いかにも重苦しい空気のもとにあったということだけはこれは事実だと思う。それですから重苦しい事実の空気のもとにおいても、それでも心からこれがもう千載不磨の憲法だと、こう考える人もありましょうし、いろいろな意見があるでありましょう。とにかく重苦しい空気の間にこれが制定されたということは、これは事実でございますから、独立を回復いたしましてから、もう一ぺんこれに対しての再検討をするということは私は差しつかえないと、こういうふうに私も考えております。
  37. 田畑金光

    田畑金光君 重苦しい空気を持っておられたのは、おそらく失礼だが山崎さんにしても、吉野さんにしても当時パージにかかられて、それは重苦しい空気を持っておられたかもしれんけれども国民の大半はやはり新しい自由の空気の中に、重苦しいどころか解放された気分を味わったと思うのですけれども、それは吉野さんや山崎さんのように旧時代人たちにとっては、便乗されあるいはのっとっておられた方は重苦しい空気だったかしれんが、あの占領政策によって解放された労働者階級やあるいは農村における小作人階級、こういうような勤労大衆というものは、むしろ自由な解放された零囲気を心から私は味わったと思うのです。これは多くの国民の気持だったと私は思う。この国民大多数の気持が先ほど申し上げたように、民間の憲法学者等の憲法研究会あるいは新しい憲法制定に対する意慾になってきたと思うのです。ところがあなた方は追放されたときの重苦しい空気をもってあの憲法を判断する、現行憲法を批判するということは、私はこれは行き過ぎだと、こう考えてるのです。これこそ私は行き過ぎた態度だと思うのです。それは立場の違いですからね、どうですかこの点について一つ。まあ提案者は先ほど私の質問に対しほとんど触れるところがなかったようでありまするが、私は繰り返してお尋ねしますが、あの当時の国民の気分がたまたま――マッカッサーの草案とよく言われますが、マッカーサーの草案のような新しい平和憲法制定しようとする国民の気持に投じた、これは断じて押しつけられたものではない。国民盛り上る意思はむしろ私はあの当時占領治下というものがなければ、私はさらに進んで行って、一体天皇制が適当かどうか、日本はもう一歩進んだあるいは共和制、こういういうなところまで行かなかったとも私は保証し得ないと思うのです。私はそういうようなところに占領政治のうめきがあったと、こう考えておる、この点はどうお考えになっておりますか。
  38. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) ちょっと私に対するお話がございましたが、私は別に、お話通り私もパージを受けておりましたけれども、それだからこの憲法をその見地で批判するという気持は毛頭ないのでありまして、私は少数かもしれぬが国民の一員であることは事実でありますから、そういう者は国定の一員じゃないからこれに対して批評する何がないというようなお言葉はちょっとどうかと思います。
  39. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 繰り返えして申し上げて恐縮でございますけれども、この憲法制定経緯を私どもがよく考えてみますると、とにかく何と申しましても、アメリカの最高の政治家の強力な示唆によってできたことは事実であります。これがそういう形をとっておりまする以上は、私はほんとう国民の自由な意思によってできたものと論ずることはできないと思います。結局自主憲法と申しますのは、要は国民が自分の手で憲法を作る、これが自主憲法でなければならぬ。そういう意味合いにおきまして、今日の憲法を真の自主憲法だというわけには私は参らないと考えるわけであります。
  40. 永岡光治

    ○永岡光治君 そういうことであるならば、それは内容でなくてあなた方はそういう感じがするからいけないということであれば、この憲法国民賛成するかしないか投票した方が一番早いと思いますが、その点はどうなんですか。
  41. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) われわれが提案理由にも申し上げておりますように、私どもがこの憲法調査会設置せんとしますゆえんは、一つは今申し上げましたように、制定経過であります。それからもう一つは過去九カ年の実施の状況にかんがみまして、現在の内容についても検討を加える必要がある、この二つの点から調査会を作っていただいてそうして慎重なる御検討を願いたい、こういう趣旨でございます。
  42. 永岡光治

    ○永岡光治君 ですから私は一番早いことは、この憲法に園児が賛成するかしないかを投票して、これはいかんということであれば、それはあなたが言うようにこれから調査会を作ろうということも一つの方法かもしれんが、まず前提が非常に疑問をもっているようでありますから、私たち国民はこれに賛成しているものと思っているのですから、まず国民に問うべきだと思うのですが、その点はいかがですか。
  43. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 先ほども申し上げましたように、過去九カ年の実績にかんがみまして、相当ども検討を要する点が出てきていると思いますから、その点について結論が出てきますれば、同時に国民の総意を問う必要が起ってくると思います。
  44. 永岡光治

    ○永岡光治君 ですから一番早い道は改正するしないの国定の結論が出れば、この調査会案を作る必要がないわけですから、一番早いのです。それをやる必要がまず前提だと思いますが、一番手っとり早いと思いますが、どうですか。非常に私たちはこれでいいと思うし、あなたたちは非常にだめだと思っていうようですから、そういうような異論のあるものだから国民に問うのが一番早いと思う。
  45. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 私どもといたしましては、改正する方向に向って検討を今加えておく必要があると思っているわけであります。従いましてその結論を得ました上で、国民に問うのが当然の道でありまして、現行憲法がいいか悪いかということを国民の投票に問うということは私は適当でないと思う。
  46. 吉田法晴

    吉田法晴君 私からちょっと、その点はこれは総理調査会を作って世論を指導して行くということで、世論については亀田君が質問をし指摘をしましたように、今の憲法がいいという者と、それから改正をすべきだというあなたたち意見の者とあり、前の方はおととしなり何なりは守るべきだという議論が多かった。多少変って参りましたけれども政府の動向は変って参りましたけれども、しかし今日憲法改正すべきだという議論が、今の憲法がいいという守るべきだという者よりも多くなっているという世論はございません。これは認められると思う。従ってその民主憲法なり民主主義を守ろうというならば、憲法改正すべきという議論も、それを政府の方に、すべて行政府憲法改正すべきという調査会を設けるのは、これは民意に反するじゃないか、世論に反するじゃないかと、こういうことを申しました。ところがそのとき総理はいや調査会でも世論をこれから指導していくいわば案も考えておるけれども、行政府で、政府でもって憲法改正の方にだんだん持っていこうと、こういう意図を総理は明らかにされた。これは民主的ではございません。そういう議論を総理はされたこと、よくあなたは聞いておられたと思うのです。そこで永岡君は今の民意をよく率直に反省して改正すべきという議論が半分以上でなければやめるべきじゃないかと、こういう議論でございます。それについてあなたたちは案がないから先にするんだ、案を作っていくのだと、こういうことですが、単に案を作るというだけじゃなくて、調査会でもって世論を指導していこうと、こういうことなんです。そうなりますと、今の世論に従って、憲法改正すべきという議論をやめるのじゃなくて、調査会を作るというのは、民意に沿わないからやめるというのじゃなくて、少数のとにかく憲法改正すべきというあなたたちの議論を国民にだんだん、押しつけるとは言いませんけれども、指導していこうと、こういうことであろうと思います。それは憲法改正すべからざる……民主主義の原則じゃないと思うのですが、その辺はどうですか。
  47. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 総理調査会を設けて調査会を通じて世論を喚起するという御答弁があったような今お話でありましたが、総理の御答弁の真意は、調査会はもとより憲法改正の要否、改正するの必要があるとすれば、その改正点についての結論を出して、これを内閣並びに内閣を通じて国会に報告する、これが調査会使命だと思います。ただわが党としましても、また現在の第三次鳩山内閣におきましても、憲法改正はともに政策として掲げております。従いましてこの政策政府なりあるいは党が独自の考えにおきまして世論の喚起にはかるということは、これは別個の問題だと思います。調査会調査をしまして結論を出すのが使命でありまして、調査会自体が世論の喚起をするということは私はなかろうと思います。(「総理はそう言ったよ」と呼ぶ者あり)
  48. 田畑金光

    田畑金光君 提案者並びに吉野国務相に続いてお尋ねいたしますが、皆さん方の御答弁を承わりますと、自主的な立場で、占領も解かれ独立国になったのであるから、憲法改正を当然やらなければならない、こういう議論の組み立て方であります。しかし私はそうおっしゃるあなた方の今とられつつある憲法改正の意図、あるいは憲法改正を決意されるまでの経過、こういうものを振り返ってみたとき、一体皆さん方は自主的な判断でなされておるのかどうか、これをまず私は伺いたいわけであります。と申しますのは、言うまでもなく、日本に対するアメリカの政策転換というものが、一九四七年のマーシャル・プランの援助計画、あるいはその後のこういう情勢に対処してコミンフォルムの復活、こういう新しい情勢に発しまして、アメリカの日本に対する占領政策あるいはアメリカの極東政策が変ってきたことは、これは歴史的な事実であります。たとえば一九四八年にアメリカのロイヤル長官が、新しい極東における全体主義の脅威に対処して、日本の完全非武装化というものに再検討を加えて陸軍兵力を建設しなくちゃならぬ、こういう動きから、そもそも憲法の問題についても検討を加えるきざしが出てきたことは、これは明らかであります。その後たとえて申しますと、一九五〇年に警察予備隊ができた、要するに朝鮮事変を境として警察予備隊ができたわけです。あるいはまた一九五二年の四月、サンフランシスコ平和条約が効力を発生した後、その年の十月に警察予備隊が保安隊に発展的に成長していった。あるいは一九五三年の十一月にはアメリカのニクソン副大統領が来て、日本に軍隊否定の憲法を作らしたのは、大きなミステークであった。こうして国内に対する旧保守勢力に対して、要するに皆さん方の陣営に対して憲法改正すべしとたきつけられたのはだれかというと、アメリカではありませんか。占領下において、なるほどマッカーサーの草案というものが形の上においては憲法改正を促した大きな力であったにしろ、しかし今度は一九四七年、四十八年以降の新しい情勢の変化というものは、アメリカの極東政策の転換によって、また同じ保守陣営のあなた方に対して憲法改正をやるべしという強い力が加わってきたことは、これは否定できないじゃありませんか。たとえてみると、つい三月十八日にダレス国務長官が日本にやってきた。あのときの新聞記平等をわれわれ拝見いたしますると、一体日本政府のだれがダレス国務長官に対し、対等の立場において政治、外交問題あるいは日本の政治全体について話し合いをつける人があったのか、ほとんど全部が、鳩山総理以下小学生のようにうやうやしくダレス国務長官の講義を聞いておる、どこに自主独立国家の立場があるかということです。たとえば当時船田防衛庁長官が、日本憲法日本の相互防衛体制を整えるのに妨げとなっておると思うがどうか、こう質問したということでありますが、それに対しましてダレス国務長官は、日米の関係が片務的なのは現行憲法のもとでは当然であろう、しかし私の考えとして、子供がおとなになれば、これに合わして洋服を大きくしなければならない、こういうふうなことを承わって喜んでおる。あるいはまた日本は現憲法のため海外派兵はできないであろう、あるいはまた日本にそういう防衛力は期待しない、こういう言葉を漏れ承わったというので非常な喜び方をしておる。ところがアメリカに帰りましてダレス国務長官は、日本滞在二十六時間ほど気持のいい旅行はなかった、こう喜んでおる。こういうようないききつを見たとき、提案者やあるいは吉野さんがどのように自主的な憲法を主張されましょうとも、皆さん方がアメリカの強い要請に基いて、もうここまで、二十一万五千名の自衛隊をふやしてきた、もはやこれ以上何ともしようがなくなってきた、この辺で憲法改正しなければ、もうこれ以上ごまかすわけには参らぬ、こういう実情の中から、実態の中から、皆さん方は今憲法改正を取り上げられておるのです。これは歴史的な事実ですよ。国民はだれでも承知しておるのです。あなただけです、自主憲法云々なんと言っているのは。(「そんなことはないよ」と呼ぶ者あり)こういうようなことはあなた方は、自主憲法だなんておかしい話だと思うのだが、この点についてどう提案者並びに吉野国務相はお考えになるのか。
  49. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 終戦後、国際情勢の非常に変化いたしましたことは、ただいま田畑さんの御指摘通りだと思います。ただ今回のわれわれが調査会を設けて憲法検討を加えるというのは、何ら外国あるいはアメリカ、その方面からの要請に基くものじゃございません。われわれ独自の見解におきまして、従来のこの現行憲法制定経緯並びに過去九カ年の実施の状況にかんがみまして、今日こそよきに現在の憲法に再検討を加える時期に来ているこういうような課題の下にやっているのであります。
  50. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) お話しのように外国の勢力に左右されるというようなことは絶対ございません。幾ら微力であってもそういうことはございません。
  51. 廣瀬久忠

    ○廣瀬久忠君 ただいま、自由憲法などと言っているのは政府及び提案者のみだという話しがありましたが、私はやはり一生憲法の主張者でありまして、私が自主憲法ということを主張するのは、もちろん私はアメリカには少しも関係ありません。現在の憲法自体を見て、どうしても独立国としては自分で憲法は作るべきものだ、憲法をよその示唆によって、占領時代によその司令官の示唆によって作ったというままに放っておけないのみならず、実際今までの憲法の施行の実績から見ても、わが国の実情に合わないものがある。であるから私は自主的に判断をして憲法改正すべきだ、こう私は思っている。それで私は自主憲法を主張しておるのであって、決して自主憲法を主張する者がアメリカに追随する者だというようなお考えがあるならば、私はこれに対して強き反対をするものでありますからその意味を申し上げる。(千葉信君「委員長々々々」と述ぶ。「あわてるな」と呼ぶ者あり。千葉信君「これがあわてずにいられるか」と述ぶ。笑声)
  52. 千葉信

    ○千葉信君 委員長は今質疑の時間としてこの憲法調査会法案に対する質疑を続行されているのですか。今の御発言は討論にわたっていると思うのですが、委員長はこういう発言に対してはやはり委員会の運営上十分留意して取り締ってもらいたい。だれに質疑をやっているのですか。
  53. 青木一男

    委員長青木一男君) 私は関連の問題と思って発言を許しました。
  54. 千葉信

    ○千葉信君 委員長、何を言うのですか。関連しての質問ですか。何の質問です。だれに対する質問です。
  55. 青木一男

    委員長青木一男君) 私は提案者に対する質問だと思っております。
  56. 千葉信

    ○千葉信君 質問じゃありませんよ。あれを質問だと思って聞いているのですか。そんな判断では委員会は運営できませんよ。(「あんまり人の言うことを一々取り上げて言っては困るよ」と呼ぶ者あり。)質疑の最中だというのに委員長気をつけて運営して下さい。
  57. 田畑金光

    田畑金光君 自主憲法期成同盟会の廣瀬会長から貴重な御意見がありましたが、そのような御意見を承わりましても、なおかつ私の疑問は解けないし、私の疑問であるよりも、これは厳然たる事実でありますから、これはいかに提案者政府当局が弁明せられようとも国民はこれはそういうような釈明は聞きません。それで……(吉田法晴君「委員長々々々」と述ぶ。)
  58. 青木一男

    委員長青木一男君) 今質問を続けておりますから……。(笑声)
  59. 田畑金光

    田畑金光君 まあ私は委員長にこの際一言だけ希望申し上げておきますが、それは関連質問としてお受け取りになったかもしれませんけれども。先ほど千葉委員の御質問のように、関連質問ではなくむしろ討論と申しますか、一つの立場意見の表明でありますから、こういうようなことは今後の議事進行においては十分注意されることを強く要望申し上げておきます。
  60. 吉田法晴

    吉田法晴君 議事進行について。委員長は今あれは質問だと、こういうお話しでしたが、質問ですか。これは常識的に考えてみて自主憲法云々という話しだけれども、自主的ではないでしょう。アメリカ側からこういうことがあったじゃないか、こういう質問提案者並びに政府にされた。政府及び提案者からそれぞれ回答があった。ところが勘違いをして自主憲法調査会ですか、ということで廣瀬氏からこれが釈明があった。釈明ですよ、あれは何と言ったって。それは廣瀬さんの発言も自由。しかし委員長が、提案者なり政府質疑をしている際に勘違いをしたときだけ釈明をお許しになるということは、これは当を失しているじゃないか、こういう意見を申し上げているのです。いやあれは質疑でございます――これをそのまま私ども見逃すわけにいかない。ですからその点は質問だと思って発言を許しましたけれども、必ずしもそうでもなかったようだ、今後注意いたしますというならわかります。(笑声)
  61. 青木一男

    委員長青木一男君) 吉田君に申し上げますが、私は関連質問と心得て発言を許したのです。ただ私は発議者に対する質問と思っておりました。ただそこのところが明瞭を欠いたと見えてただ答弁がなかったから……。(笑声)
  62. 吉田法晴

    吉田法晴君 そういう強弁をしないでやりましょうや。だれが考えてもこれは釈明をされたのですよ。廣瀬さんが釈明をされるのは自由ですけれども委員会としてはその発議者なりあるいは政府に対する質問の途中、勘違いをされて釈明をされる、そういう点は強弁をしないで、質問だと思っておったけれども、どうも答弁がなかった――そんなばかな話があるものですか。(笑声、「進行々々」と呼ぶ者あり)そういう点は今後注意いたしましょう、こういうことで一つお進めを願いたい。委員長どうですか……。
  63. 田畑金光

    田畑金光君 委員長に一つ十分に御留意を願うことにいたしまして、一つ今後審議の過程においてはいろいろ問題も出てきましょうから、この点は十分に委員長は公正な立場で議事の運営をはかっていただきたい、こう私も強い希望を申し上げます。  そこで一つ提案者吉野国務大臣にお尋ねいたしますが、あなた方のお話を聞いておりますと、さっぱり私の質問する実態に対する答は出ていないのです。すぐ自主的な手続きをとっているとか、過去九年間の経験に照らしてと、こうおっしゃるのです。過去九年間の実績に照らしてとは何のことでしょうか。過去九年間の実績、それを一つ具体的に二、三の例をもって示していただきたいと思うのです。
  64. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) お手元に差上げておりまするわが党の憲法調査会資料をごらんになりますると、そこに問題点が各条章にわたって掲げてあります。こういう点をこそ私どもは過去の経験にかんがみまして検討を加えたいという問題点であります。これを一々御説明申し上げますることは貴重な時間をあまり空費しますので差しひかえますけれども、これをごらんになりますと私は明瞭になると思います。
  65. 田畑金光

    田畑金光君 この点についてはまた後日さらに具体的にお尋ねいたしまするが、たとえば天皇の問題について一言だけお尋ねしておきますと、現行憲法の象徴という表現はいかにも翻訳的であり、意味がはっきりとしていない。独立国である以上は、君主国と共和国たるとを問わず、何人が国の代表者であるかを確認するのが常則であるにかかわらず、この点について現行憲法の規定ははなはだ不明確である。でありまするから、この点は要するに象徴という、このシンボルという言葉について、これはもう少し実体あるいは表現ともに一致するようなものに変えていきたい、これが提案者並びに今日の政府与党考え方と思いますが、この点に関しまして一体これは象徴という言葉がまずいとおっしゃいますが、まずければどんな言葉が、じゃ一審実体にふさわしいのか、こういうことになってきようと思うのであります。今世間では元首、こういうものに政府与党は変えて行こう、こう言われているわけであります。すでに昭和二十九年の十一月五日、当時の自由党憲法調査会の出されました「日本憲法改正要綱」を見ますならば、天皇について「一、天皇は日本国の元首であって、国民の総意により国を代表するものとする。」、こうなっているわけであります。「国民の総意により」、こういうところで主権在民、国民主権説をからくも維持されてあると思いますが、皆さん方はこの象徴という言葉を変えようとおっしゃるのだが、それははっきり申しますと、天皇は日本国の元首、こういうものになさろうというお考えだと思いますが、どうでしょうか。
  66. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) この調査表にも出しておりまするように、天皇の章につきましては、調査会の基本方針は、国民主権の原則をいささかも変更するものではございません。一部の人が憶測するような、明治憲法下の天皇の地位を復元するような考えは毛頭ございません。天皇を実権者とするとか、あるいは天皇の地位を強化するというような議論は一つも出ていないのであります。ただ御指摘のように、自由党時代に、憲法調査会におきまして、天皇を元首として日本国を代表するというような結論を一応出しております。ところがこの元首という言葉につきましては、いかにも天皇を実権者とするとか、あるいは明治憲法下の天皇の地位を復元するとかいうような誤解が非常に多いのであります。従いまして私どもといたしましては、現在元首という言葉があまり適当じゃないじゃないか、何かいい言葉を発見したいということで、今調査会としては慎重に検討しておる段階でありますが、まだ結論は出ておりません。
  67. 田畑金光

    田畑金光君 元首というものにするかどうか、あるいは元首という言葉がいろいろな解釈を生むので、調査会としては検討をさらに進めておられるというお話ですが、何か非常に調査会としては世界各国の憲法等も調査なされておるようでありまするし、広く憲法学者等の意見等もお聞きになっておるようでありますが、シンボル、象徴という言葉のほかに、適当な名称等が浮んできましたか、一つ教えてもらいたいのです。
  68. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 各国の憲法につきましても比較検討を今いたしておりまするけれども、元首という言葉を使っておる国も数カ国ございます。しかし、ただいま申し上げまするように、元首という言葉が非常に誤解を生みやすいのでありまするから、この元首という言葉は避け得るならば避けたい。しかしそれにかわる名称につきましてはまだ検討中でありまして、結論は出ておりません。
  69. 田畑金光

    田畑金光君 いや、検討中の段階であっても相当真剣に研究なされておられる皆さん方でありまするから、この象徴という言葉はもう不明確でまずいということは断定を下されておるわけでありまするから、元首というものは、それよりはまあましだという程度だとするならば、何かもう少し妥当な言葉等が出ておるのかどうか、検討の爼上にのせられておるのかどうか、この点一つすなおに、いずれ憲法調査会ができるとするならば、皆さんの意見はさらに出てきましょうから、まあ一つ現在の検討の段階において爼上にのせた言葉があるならば聞かしてもらいたいと、こう思うのです。
  70. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) きわめてすなおに申し上げておるつもりでありまするが、まだ実際のところこれにかわるべき適当な言葉を発見いたしておりません。一部の議論には、象徴という言葉でいいじゃないかという議論もあるくらいでありまして、そういう段階でございます。ただ国の代表者をはっきりするという点につきましては、相当意見が進んでおるように私は考えております。
  71. 田畑金光

    田畑金光君 自民党調査資料を拝見しますと、この天皇についての小さな第二項目に、「国事行為の調整」として、そのうちには「天皇が対外的に国を代表することを明らかにする」、こういうようなことが載せられておるわけであります。そういたしますと、代表となって参りますならば、今の憲法の用語といたしましては元首というようなことが通例のように見受けるわけであります。そういうことになって参りますと、天皇が対外的に国を代表する、その明確になされる点については、国事行為の中にも相当調整をされるようでありまするが、当然これは憲法用語として元首というようなことになってくるのじゃなかろうか、落ちつくのじゃなかろうか、こういう工合に見ておりまするが、どうでしょうか。
  72. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 各国の憲法を見ましても、必ずしも元首という言葉によって、その地位の者が国を代表するということになってない憲法もたくさんございます。また元首という言葉が、先ほども申し上げましたように非常に誤解を生みやすい点がございますので、避け得るならば避けて、他の言葉を用いたいということで検討を続けておりまする段階でございまして、元首ということを必ず使うということは今考えておりません。
  73. 田畑金光

    田畑金光君 今の御答弁にあります通り、各国の憲法でも必ず国を代表するから元首という表現を使っていない、そういうような事例が多々あるというわけであります。今の日本憲法のもとにおいてだれが国を代表するか、これは確かにいろいろ学説もあるかと思うわけであります。しかし、現行憲法のもとにおいて内閣総理大臣が諸般の政務を統括をすると、こういうような現行憲法の仕組みがどこにまずい点があるのか。さらに私たちの危惧することは、これも旧自由党のときの憲法改正要綱を見ますと、天皇の権限というか、あるいは国事行為というか、これを非常に強めておると、そうして政府の権限をそれだけ弱める、あるいは行政府の権力を強めて議会の権限を弱める、こういう一貫した思想によって貫かれておるわけであります。そういうようなことをわれわれが見てとったとき、今皆さん方の憲法改正の意図される方向というものは大体推察つくわけでありまするが、こういうような点から見ましたとき、今何を好んで、象徴という言葉についてももうすでに十年の日子が経過いたしまして、憲法学説上いろいろな御意見もあるようでありまするが、象徴という言葉についても一つの定説ができようと、こういう時期になって、何を好んで今新しく天皇の問題について再検討しなくちゃならぬか、こういうようなことを私は疑うわけであります。  関連してお尋ねいたしますが、昭和二十一年の一月元旦、正月元旦でありますが、天皇は人間宣言をなされた。神格をみずから否定をされた。この点について、これは現行の憲法の建前からいっても当然のことだと、こう考えておりまするが、この人間宣言、天皇がみずから神格を否定されたと、この点について提案者やあるいは吉野国務相はどういうようにお考えになっておるか、これをお尋ねいたします。
  74. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 天皇の章につきまして私ども検討を加えております点は、お手元に差し上げました資料によって明瞭だと思うわけであります。元首という言葉については慎重な検討を要するということも、ここに掲げた通りでございまして、私どもはこの天皇の章について特に検討を加える必要があると思いますのは、一国の代表者が現在の憲法では天皇であるのか、内閣総理大臣であるのか、その点でも明瞭を欠いておるわけであります。従いまして、今、田畑さんの御指摘通りに、学説としては、日本国は元首なき民主国であるとか、あるいは共和国であるとかいろいろな説すら出てきたわけであります。こういう点につきましては、私どもは一国の代表者をはっきりすることは必要ではないか、その点に実は主眼を置いて現在検討を加えておるわけであります。国事行為の調整につきましても、先ほども申し上げましたように、天皇に行政上の実権を強化するという趣旨では毛頭ないのでございまして、現在の第七条の規定をごらんになりますると、非常に規定がまちまちに相なっております。こういう点を調整を加える必要があるのじゃないか、こういう点を検討を加えまして、そういう点は、私は憲法改正の場合には相当慎重な検討を要する一つの大きな問題点ではなかろうかと思うわけであります。
  75. 田畑金光

    田畑金光君 天皇神格化との問題……。
  76. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 天皇の神格化につきましては、昭和二十一年の元旦でございますか、発布されましたお言葉によりまして、私どもはこれが適当であると思っております。
  77. 田畑金光

    田畑金光君 ただいま提案者も天皇の人間宣言、神格の否定については適当であるというお認めであるとするなら、これは私重大な問題だと思うのですが、去る四月の二十九日に、これは天長節の日ですか、学校によっては皇居遙拝あるいは天皇陛下万歳、こうして天長節を祝ったようであります。祝った学校もあるのです。ちょうど昔の天長節の式典と同様な雰囲気と同様な気持において皇居遙拝をやりあるいは天皇万歳を叫んでおるようであります。これに対しまして、清瀬文相は一日の記者会見で、祭日の皇居遙拝は差しつかえない、こういうような考え方を明かにされておるそうです。これに対しまして提案者は人間宣言を肯定されるといたしますならば、こういう皇居遙拝とか天皇陛下万歳、旧戦時体制あるいけ軍国主義日本のもとにおいて見られたような雰囲気というものを今日なお、民主憲法のもとにおいて天皇が象徴にすぎない、象徴であるという現行憲法のもとにおいて、こういう行事を肯定されるかどうか、あわせて私はこの点は吉野大臣も明確に一つ、政府の閣僚でありまするからお答え願いたいと思うのです。
  78. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 現行憲法下におきまする天皇の地位は国民統合の象徴であります。従いまして、国民統合の象徴たる人間天皇の誕生日に当りまして国民が祝意を表する、その祝意の形が、今御指摘通りの形だと思いますが、この祝意を表することにつきましては、私は何ら差しつかえないと思っております。ただこれをぜひやれとか、あるいはやっちゃいかんとかいうようなことは行き過ぎだと思いますけれども、独自の見解におきまして、祝意を国民が表するということにつきましては、何ら私は差しつかえないものと思っております。
  79. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私も神格化とか何とかいうことはわからないのです、実は……。法律的にどういう意味を持っておるのか、神格とおっしゃるのは……。ただ私も今お話のことは新聞で見ているだけでございます。これは別に政府としてそれに対して何も、きめたことも何もございませんので、ただ、今の憲法において国民の象徴として、お祝いの意を述べるということは一向差しつかえないことだ、ただその形式がいいか悪いかということは、これは私にはわかりません。
  80. 田畑金光

    田畑金光君 あなたは神格という言葉がどういう意味かわからぬというのは、あなたほどの人がわからぬはずがないじゃありませんか、明治憲法のもとにおける天皇というものは、皇位というものは皇祖皇宗からこれを受くという要するにこういう考え方の天皇というものを私は神格と、あるいは明治憲法のもとにおける天皇、こういう考え方質問しておるわけで、それをあなたがわからぬというようなことを申されるのは、とぼけておられると思っておるので、明治憲法のもとにおける天皇、こういうことを私は申し上げておるわけであります。  そこで提案者にさらにお尋ねしますが、象徴であるからして、国民が祭日に遙拝をするというようなことは、これはあえて差しつかえないのじゃないか、これはなるほど、清瀬文相も教育委員会の許可があれば、こういうようなことを言っておりますが、こういうようなことがだんだんとこれは風潮になっていくのですね、これは教育委員会が認めればという一つの限定的な解釈をとりながら、だんだんこれが幅が広げられていく。これが一つの既成事実としてだんだん広げられていって、やがて皇居遙拝、これが憲法改正、こういう考えと一つに軌をなして、国民は、形は強制でなくても、実質的には強制、こういうことになってくるわけです。一体なぜ天長節の場合遠く皇居遙拝をしなければならぬか、これが天皇神格化のそのときの何じゃありませんか、遺風じゃありませんか。これは要するに国民に土下座を要求するこの根性の表われじゃありませんか。今どき民主憲法のもとにおいて、それは象徴というものは確かに国民統合のよりどころである、あるいは精神的なあこがれである、まあそういう親しみを表現するのが象徴であると思うのです。それに対して土下座を要求する、最敬礼を要求する、そういう人格を、人間の人格というものを私はやがては否定する傾向に連なるこういう傾向というものは、国民統合の象徴である天皇のためにも、あるいは今後の日本民主主義のためにも芳ばしくない行き方だと思うのです。こういうようなことがもしこのままの形で放任されるならば、行く行くは形は強制をとらなくても、実質は強制をする、こういう道に通ずると私は考えるわけです。どうですか。
  81. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 天皇が国民統合の象徴であります以上は、その誕生日に当りまして国民が祝意を表するいうことは、私は決して差しつかえないことであると思います。これを私は禁止すべきものではないと思います。教育委員会が独自の見解におきまして、どういう形か知りませんが、祝意を表しますることを許しますることは、これは教育委員会として適当な措置であると私は考えておるわけであります。
  82. 田畑金光

    田畑金光君 祝意を表するといっても、祝意の表わし方に問題があると思うのです。あなた方は事実を御承知でしょう。天長節であるならば、総理大臣以下あるいは国会代表等が皇居に行って祝意を表しているではありませんか。あれで十分天皇の天長節を祝う国民的祝典の、園児の気持というものは、国民代表する政府を通じて明らかに示されておると思うのです。こういうことが一つ一つ重なっていくならば、これは昔の日本の姿というものを再び再現するという危険が伴うと私たちは見ておるわけです。天皇や皇后が地力に行幸あるいは旅行される。国民が集まってきて旗を振る、万歳を三唱する、これはいいでしょう、国民のおのずから湧き起る気持ですから、これはいいと思うのです。また天皇の誕生日総理あるいは国会代表が皇居の招きに応じて皇居に行って祝意を表する。これで私は国民の気持というものは十分表われていると思うのです。これこそ憲法のもとにおける象徴天皇に対する国民の儀礼としては妥当な行き方だと、こう思うのです。それをさらに全国の学校に、あるいは特殊の団体にこういう祝典の日に当ってだんだんそういうようなことを、たとえ教育委員会の許可があればという限定されたものであるといたしましても、これが普遍的な行事になっていく危険を十分はらんでいるのです。まあそういうことを考えたときに、あなた方の天皇の問題に対する今後の規定というものは、これは当然元首とか、あるいはさらに天皇の国事行為をふやしていく、こういうことによって天皇の主権、いや天皇の元首、こういう規定によっておのずからそれを強調なさるのが、当然これは国民主権というものに、あるいは国民の基本的人権に対する制限に発展することは明らかになってくるのです。これは今の憲法のもとにおいて、今の天皇の規定のもとにおいて、全国で皇居遙拝をするようなことは行き過ぎだと思うし、これは人間宣言をされた天皇の気持にも反すると私は考えまするが、この点について提案者は、先ほどの考え方についてもう少し反省する気持はないかどうか。
  83. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 天皇の章につきまして、国民主権の原則をいささかもゆるがすものではないということは、たびたび繰り返して申し上げた通りであります。従いまして、天皇の地位の強化をはかるということは、私ども毛頭考えておりません。元首の言葉につきましてすら、今慎重に検討を加えておる段階でございます。従いまして、ただいま御質問のございました天皇の誕生日に当りまして国民が祝意を表する、国民統合の象徴たる天皇に対しまして祝意を表する、国会議員も宮中へ行って祝意を表し、また国民個々の人々が祝意を表するということは一向差しつかえないことであると思います。その形式の問題でありますが、これは地方の教育委員会等できめるということでございまして、こいつを政府でこういうふうにしろというようなことは、私は行き過ぎだと思いますけれども、教育委員会のやり方について、これはまかせてよろしいものではないか、こういうふうに私は考えておるわけです。
  84. 吉田法晴

    吉田法晴君 ちょっと関連して。この天皇誕生日国民がどういう祝意を表しようとも、これはまあ問題ではない、それはその通りだと思うのです。ところが、学校でですよ、学校で全生徒を集め、そしてあるいは皇居遙拝をきせる、これは先生である校長がやらせるわけです。それから前の天長節の歌を歌い、それから天皇陛下万歳とやらせる。そういう学校行政のあり力、しかも、それについて教育の責任者である、政府責任者である清瀬文相が、天皇誕生日に皇居遙拝が行われたと聞くが云々、教育委員会の許可があればと書いてありますけれども、行なっても差しつかえがない。従って新聞の見出しは、皇居遙拝かまわぬ、こういうことに出てくる。ですから憲法調査会法の提案者である山崎さん以下自民党の皆さんにお尋ねすることではなくて、政府に尋ねる、先ほどから田畑君も政府に伺っておったと思うのです。政府としてこういう文相の談話、あるいは校長がそういう皇居遙拝なり、あるいは天皇誕生日に、人間になられた天皇誕生日の祝い方について画一的な、あるいは前の憲法時代のような祝意の表し方をやっておるのをかまわぬ、こういうことを文相が言うことがいいかどうか、これは私は問題になると思うのです。問題になると思います。前の憲法を持ち出すまでもございませんけれども、前の憲法第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いてある。これは、憲法義解でありますから、有権的な解釈だと思うのですが、この法律上の無答責という点もございますが、そのほかにこういう言葉があります。「恭て按ずるに、天地剖判して神聖位を正す。蓋天皇は天縦惟神至聖にして臣民群類の表に在り。欽仰すべくして干犯すべからず。」云々と書いてあります。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という前の憲法の意味の中には、条文の中には、法律上の無答責というのもありますけれども、しかしそれは普通の人間と違うのだ、国民と違うのだ、こういう意味も書いてある。その普通の人間と違って、欽仰すべく云々という点で、全国の子供に皇居遙拝をやらせる、画一的にやらせる。そこに私は問題があると思うのです。そしてそれについて一つの学校、あるいは二つの学校、あるいは町村でそういうものをやらせた。それについて、これは例外であります。この場合は例外でありましょうけれども、それについてかまわぬと清瀬文相が語るにおいては、これは教育行政として、政府の責任に関連をいたします。そういう点について、これは政府代表して出てきておられるのだから、先ほど天皇誕生日の祝意の表し方については問題はあろうと言われましたが、それに関連して吉野国務大臣の所見を一つ明確に御表明を願いたい。
  85. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) これは私が申し上げるのがいいのかどうか、あれですが、田畑さんのおっしゃったように、神格として、天皇を神格として、もとへ戻すような意味で遙拝をするということであったら、これは行き過ぎだと思うのです。また、そういうことを学校なりあるいは団体に対して奨励、指示をするということなら、これは問題になろうと思います。ただその地方の学校で、そこの教育委員会が判断して、お話通り教育行政の問題として判断して、どういう形で祝意を表するかということのこれは問題だろうと思いますが、それはその判断でやって、私はそれをいけないとかいいとかいうことを言うには、もう少し具体的な資料がないと意見は述べにくいです。つまりこれは神様としてやれとか、あるいは皇祖皇宗の何としてやれということならば、これは問題でありましょうけれども、ただ、国民の象徴としてお祝いをするというだけのことでございましたら、具体的のやり力というものについての何がございませんというと、私もどうもそれに対していいとか悪いとかいうことを述べることはできない。しかし、お話の御心配になっておるような意味で、全国の学校なりあるいは団体なりにそういう神格としての天皇というものに祝意を表するという旧時代の慣習を指示、あるいは助長せしめるというようなことであれば、これは私はよろしくないと思います。
  86. 吉田法晴

    吉田法晴君 明らかな点は、学校で校長なり何なりが画一的なやり方、皇居遙拝なり、あるいは前の天長節の歌を歌わせる、これは明らかです。もう一つ、それについて教育委員会の許可があればということですけれども、文相は差しつかえないと言われた。そこを問題にしておる。どういう意味でそこでやるかということは、これは新聞記事にございませんから、そこは明らかでありません。しかし、私は民主主義のもとにおいては、とにかく画一的に皇居遙拝をやらせる、あるいは前の天長節の歌……前の神格時代の天皇の地位をたたえたものです。あるいは誕生日を祝ったものです。それが天長節の歌です。それを画一的にやらせたということは、やっぱり前の憲法時代考え押しつけたということになりませんか。子供にですよ。何もわからぬ子供に押しつけたということになる。それも問題だけれども、それを一国の文部大臣がそういうやり方を差しつかえないと言うことについては私は問題があると思う。重ねて明らかな点だけについて政府代表してあたなたにもう少しはっきりしてもらいたい。私は問題だと思う。
  87. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私の答弁はさっきのことで尽きておりますので、それ以上のことは、これは具体的のことがわかりませんと私は述べる限りでない。文相はまた文相でどういう御見解で、どういう事実に基いて言ったか、私は承知しておりません。
  88. 田畑金光

    田畑金光君 この点は吉野さん、文相が直接文部行政の責任者であるから、これは別の機会に譲りますが、ただわれわれとして考えられることは、今日までそんな事例はなかったんです。ほとんど天長節で皇居遙拝、こういうふうな行事等は、儀式の内容等は見受けられなかったですね。ところが、ぽつぽつ今年あたりから出てくるということ、ここに私は問題があると思う。そうしてぼつぼつ今年から出てきた。これは自民党の皆様が強引に憲法改正だの、あるいは小選挙区の断行だの、こういう古い方へ古い方へと時代を逆転させる、そういう波に乗って方々の学校にこういうことが出てきたところに問題があると思う。これは巧みに時の権力は、決してこういうようなものは強制はいたしませんよ。しかし、しないけれども、その実体は徐徐にそのようにしむけていくんです。そこに私は問題があると思う。この点についてはまあ別の機会に清瀬文部大臣にお伺いすることにしてまあ一つこの点は、なお後刻の質問に問題を残して、保留しておきます。
  89. 青木一男

    委員長青木一男君) 暫時休憩して、午後一時三十分より再開いたします。    午後零時三十一分休憩      ―――――・―――――    午後一時五十四分開会
  90. 青木一男

    委員長青木一男君) これより委員会を再開いたします。  午前中に引き続いて憲法調査会法案に対して質疑を行います。
  91. 永岡光治

    ○永岡光治君 まず私は、少し基本的な問題に若干触れて質問をしてみたいと思うのですが、憲法改正のための調査会を作ると、こういう考え方のようですが、もともとこれは、当初は政府提案で、内閣提出で調査会というものを作ったらどうかという意向がありまして、それはしかし憲法の第九十九条の建前からいって、政府及びこの公務員というものはこれを守らなければならないという義務を負わされている立場ではないか、そういう関係鳩山総理は当初考えておりました内閣に作っても差しつかえないのだというこの意見について、強く私たち反対をいたした結果、今日のように議員立法という形で出てきたのではないか、こういうようにまあ解釈をするわけです。そうしてみますと、憲法改正というものは、主権在民という、こういう観点から考えましても、当然これは、もし今提出されておるような趣旨でこれがかりに設置されるといたしましても、政府の機関ではなしに、国会の機関として作るべきが当然ではないか、こう考えますが、この点はどういうように考えておりますか。
  92. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 今回の提案は、政府提案でなくして、議員提案に相なっておりまするのは、二十二国会の先例もございまするし、その先例を踏襲したにすぎんのであります。また自由民主党といたしましては、先ほども申し上げましたように、憲法改正についての再検討をすることが政策の中に重要な部分として掲げておるのであります。従いまして、自民党提案ということは、何ら差しつかえはないことであると思うわけであります。今御質問の中に、九十九条があるから政府がこういう調査会設置提案をするのは適当じゃないじゃないか、こういう御見解がございましたけれども、私どもとしましては、政府憲法改正につきまして検討いたしますることは、何ら九十九条に違反するものとは考えません。現行憲法を順守することは、むろん政府の責任でございまするけれども、その改正についての検討政府考えまするのは、一向差しつかえないと思います。また国会におきましても、これを内閣に置きました理由につきましても、先ほど申し上げたと思いまするが、これは民間人を同列に委員として加えまする調査会でございまするし、国会にはそういう先例もないことでございまするし、むしろ内閣に置く方が適当であろうと、こういう観点から内閣設置することにいたした次第でございます。
  93. 永岡光治

    ○永岡光治君 これは今までの質問でもしばしば触れられたことでありますが、やはりこの内閣の付属機関ということになりますれば、今回のようなその小選挙区制の法案に見る通り、これは明らかに調査会の答申がどうあろうと、しかもその調査会に対する運営についてもしばしば論議されておりますように政府の意向が非常に強く出ておる。そういう関係から見ましても再び轍を踏んでは私はならないと、そういう意味から、政府の附属機関ということは、これは極力避けなければならない。やはり国民代表である国会意思としてきめるということが、特にこの基本法をきめる使命を負うておる調査会ですから、そういうふうに私は政府の付属機関ということはきわめて適当でないと思う。そういう意味で、これはもしかりにあなた方が作るということを主張されましても、政府の付属機関でなく、国会として設けるのが非常な至当な立場ではないかと私は思う。それでなくして政府でいいんだということが、私にはまだどうも納得できないのですが。
  94. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 今回の憲法調査会法案内容といたしましては、今御指摘通り政府調査会を持っておることに相なっております。これは先ほどの御質問にもお答えしましたように、民間人も相当構成のメンバーに重要視いたしておるわけであります。こういう民間人と国会議員と同列な調査会を設けますることは、国会においては適当を欠くものではないか、また前例もそういう前例はございません。そういう関係政府に置くことにいたしたのでありますが、しかしこの調査会は、申すまでもなくその運営は民主的のルールに従いまして、自主的に調査をするということに相なっております。むろん政府から諮問等を出すわけではございません。憲法の問題につきましてまず改正の要否から検討を加えて、そうして改正を必要とするという結論になりますれば、具体的に改正案内容について検討を加える、こういう次第に相なると思うわけでありまして、そういう点から考えても、政府に置いたために決して行政府意見が強力に反映するということには、私ども絶対にならないと思いまするし、またそういう運営をさしてはいけない、こういうふうに考えておるわけであります。
  95. 永岡光治

    ○永岡光治君 だから、今も山崎さんの方から御答弁がありましたように、政府の意向がこれに反映されては困るのだと、こういうお考えがあればあるだけに、その前提に立つならば、私はやはり政府の付属機関として作るべきことは至当でないと思う。これはあらゆる調査会というものの過去の経験で、そういうおそれがあることは実績として物語られておるわけです。とりわけ憲法の第九十六条の各院の議員の三分の二以上の賛成国会がこれを発議すると、こういう建前をとっておるところから見ましても、当然これは国会の中に置くべきだ、国会の付属機関というならば、これは諮問ですから――この調査会というのは諮問機関であるわけです。これが最終決定になるわけじゃないのですから、とりわけそういう意味では民間人を入れているではないかというけれども、これは数の構成についても私、相当意見を持っておりますので、後ほど触れたいと思いますけれども、そういう意味からいたしまして、これは国会の付属機関として、そういう政府の付属機関から離れてやるべき筋合いのものだと、私はこう考えます。その点についてどうもやはり山崎さんの答弁では、あなたがそういう政府意思が反映しないように、自主的にやるのだから、政府からいろいろ干渉を受けては困る、厳にそういうことは慎しまなければならないいう前提に立つならば、なおさらのこと私は、政府の付属機関でいいという理論は成り立たないと思う。極力そういうおそれのあることは避けなければならない。国の基本法でありありますから。私はそういうふうにに考える。その点についてどうももあなたの答弁では非常に私は納得がいかないと思うのです。
  96. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 永岡さんの重ねての御質問でございまするが、この調査会はただいまも申し上げましたように、調査会自体で自主的にまた民主的に運営をいたしまして、適当な結論を出すということに相なっておることは繰り返して申し上げる通りであります。  内閣のこの調査会におきまする立場は、簡単に平易に申し上げますれば、一種の調査会の世話役という程度にすぎないと思います。従いまして政府意見がこれに強く反映するということは、私どもは決して御心配は要らないのじゃないかと思います。なおこの調査会の結果は、ただいま御指摘通りに何もこれが結論ではございません。これがそのまま国会だ出るわけでもございません。ただその結果につきましては、むろん内閣も報告いたしまするし、国会にもそのありのままを報告するわけであります。なお憲法改正というような場合におきましては、むろんこれは憲法九十六条によりまして、国会の各院の議員の三分の二の同意がなければ発議できぬわけであります。従ってその場合には、両院におきまして慎重なまた相当期間をかける機会が必ずあらなければならぬはずでありまするし、そういう機会もあるわけでありまして、そういう場合の一種の何といいますか、参考資料というようなことになる、こういうふうに考えておるわけであります。
  97. 青木一男

    委員長青木一男君) 今の永岡さんの御質問の中の重要な質問の御答弁が漏れておるようですが、政府から諮問案が出るのかどうか、その点のお答えがないのですが。
  98. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) これは先ほどの御質問にもお答えいたしましたと思いましたので、省略をいたしたのでありますが、別に政府から憲法改正の要否あるいは改正点いかんという諮問を出すものではございません。調査会自体が憲法改正の要否並びに改正を要するとすればどういう点を改正するか、調査会自体の結果に待つのであります。
  99. 永岡光治

    ○永岡光治君 この法律案を見ましても、これは国会に直接報告するわけではないでしょう。内閣を通じて国会に報告するという建前をとっておると思う。そういうことから考えても非常に疑念のある形式をこれはとっておるわけです。だから、国の基本法ですから、とにかく無理して通しても、国民が従わなければ、これはほんとう憲法の権威というものは保てないですよ。そのことを私たちは非常に心配するわけです。従って、もしあなた方が強行されましても、そういう形式をとるべき筋合いのものじゃないか。何も政府はこれに一つもタッチする必要がないじゃないか。その調査会が何か研究するということならば、直接これは国会に報告し、国会がそれをどう処理するかということをきめるべきでありまして、この間において政府は、何らの干渉がましいこと、あるいはそれのおそれのあるような印象を受けるような方法をとるべきではない、こう私は考えます。ですから、これは他のものとはちょっと違いますから、特に私はその点があなたの説明ではおかしいじゃないか、これでは政府の付属機関として調査会を作るということは従来政府にそういう実績がなければいいが、そういう実績がある。またそのおそれが非常に強いのです。とりわけ絶対多数を持っておれば――そういう横暴なやり方を今日まで私どもは、いやというほど見せつけられておる。小選挙区法しかり。国民の世論をごらんなさい。党利党略の法案を数の力で通そうとしておるといって、大きな反撃を受けておる今日の段階じゃありませんか。こういう考え方からするならば、私はやはりこれに政府はタッチすべきでない、こう思う。
  100. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 永岡さんの御心配でございますけれども、この内閣を通じて国会に報告するというこの条文の考え方は、要するに内閣を経由して国会にありのまま、なまのままの報告をする、こういうふうに私ども考えておるわけでありまして、その間、内閣がそれに手を加えて適当に調査会意見を修正をして国会に報告する、こういうことは絶対に考えてないのであります。従いまして、ただいまの御心配のようなことはせられなくてよろしいのじゃないかというふうに考えております。
  101. 永岡光治

    ○永岡光治君 それはもちろん手を加えるということはおそらくできないだろと思う。だから、政府はそういうことにすらタッチしないのがいいじゃないかというのが私の主張です。とするならば、それは政府の付属機関であるから政府を通じて国会に報告するという形式をとるのだと思う。そういうものであるならば、国会に報告するということが主なのですから、政府なんかは国会に報告されたものから写しでももらって、こうきまりましたということを承わっておけばいい筋合いのものなのですから、何もそういうおそれのあることをする必要はないじゃないか。むしろ内閣を通ったりするというようなことをすると、自然、政府の付属機関ということがやはり気になりますから、政府の付属機関からはずすべきであると思います。
  102. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 内閣を通じてと申しますのは、事務手続の問題でございますから、決してこれを重くお考え願う必要はないと、私は考えるわけであります。調査会から直接に国会に報告するというのも、行政機関の構成の上から問題があると思いますので、ただ内閣を通じて、それを経由してということは、きわめて軽い意味で、ありのままを国会に報告する、こういうのが趣旨じゃないかと思います。
  103. 永岡光治

    ○永岡光治君 ですから、これは国会に置けば何もそういうことはないわけです。だから国会に置きなさいというのが私の主張です。政府の付属機関として置くから、そういうややっこしいことができるのだから、そういうおそれのあることは極力避くべきじゃないかというのが私の主張です。しかしこれはあなたと大分見解の相違があるようですが――続いて私はその内容に触れてみたいと思います。この五十名の構成の中で、三十名は国会議員で、二十名は学識経験者といいますか、いろいろ民間人も入れることになっておるわけでありますが、五十名というのはどういうところに根拠があるのですか。
  104. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 別に、五十名にきめましたのは、はっきりした根拠はあるわけではございません。重大な問題についての調査会の先例等もありまして、五十名というのは二十二国会に出ましたのも同様の案になっておるので、それを踏襲した次第であります。
  105. 永岡光治

    ○永岡光治君 それでは、今あなたは五十名というのはどういうふうに割り振りをするのですか。具体案は全然ないのですか。
  106. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 法文でごらんになりますように、三十名は国会議員を両院から選ぶ、それからあとは学識経験者でございますが、これは各界の憲法についての権威者といいますか、あるいはまた憲法に直接学識がなくても、全体の問題についていろいろ学識経験を持っておられるような方、そういう方面から選考せられるものと私は思うわけであります。今、具体的に、それでは学界では何人、財界から何人、労働関係から何人というような割り振りは、まだ考えておりません。
  107. 永岡光治

    ○永岡光治君 全然割り振りは考えておらずに五十名置くとしても、これは内閣が指名されることになっておりますね。政府が選ぶのでしょう、五十名を。それごらんなさい、政府の意向が非常に強く反映しますよ。
  108. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 形は今御指摘のように内閣でこれを任命する――内閣でこれを任命するというのは、慎重な手続を経まして、内閣総理大臣独自でやらないという建前で、特に内閣に任命権を持ってきたわけであります。しかし実質的には、この調査会が、先ほど申しましたように、自主的に民主的に運営せられるような方法で人選がなされるものと期待いたしまするし、そういうように私どもといたしましても外部から協力をいたしたいと考えておる次第であります。
  109. 永岡光治

    ○永岡光治君 たとえ自主的に運営するにしても、政府の意向が反映するように人員の構成ができたら、ほんとうの意味での国民意思というものは通じないわけですよ。そうでしょう、政府が自分に都合のいいような人を選ぶことができるのだから。それは極端なことはあるいは遠慮するかもしれません。が、しかし、大よそ政府の方の考えに近いそういう改正案を答申するであろう人々を選ばれるおそれは、明らかにこれは出てきておる。これはあなたが先ほどから自主的に自主的にと言うが、それは形式的だけじゃないですか。自主的に政府意思の……、自主的というのは名前であって、内容は、政府与党といいますか、政府考えておるような、そういう意見を出すような人で構成されて、自主的にきめたんだからいいんじゃないかというような、非常に一方的な答申案が出てくるということはこれで明らかになるのですよ。その点については、あなたは抗弁の余地はないと思う。
  110. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 委員の人選につきましては、今お示しのように、非常に慎重を要する問題だと思います。ことに、先ほども田畑さんの御質問にお答えしたと思いますが、この憲法の問題につきまして、初めから国論が分裂するようなことになることは、厳にこれは避けたいと思います。従いまして、私は心から、実は従来反対立場にあられる方方、政党方面におきまてしは、皆さんの御所属の社会党方面におきましても、あるいはまた学界におきましても、従来憲法改正反対立場の方方もございます。そういう方方まで御参加を願いまして、ほんとうにこの憲法が今後どうあるべきかということを真剣に御検討いただきたい、これが私どもの構想であり、希望であります。
  111. 永岡光治

    ○永岡光治君 それは希望であっても、政府として任命する限りは……過去に実績がなければいいですよ。私は直接今、目の前に出て国民から非常に大きな非難を買っている小選挙区制調査会構成を見てごらんなさい。それは今日あのようなむちゃなことにさした一つの大きな原因になっているのです。どう抗弁してみても、政府が任命するということになれば……人それぞれ色がつくのは、これは当然ですよ。非常にこの点は大きな問題点です。これはどうですか。委員長から答弁を求めて下さい。
  112. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 今の、内閣の方の任命の方法についてのお尋ねでございますから、差し出がましいのでありますが、私から申し上げます。  先ほど申しました通り、そういうふうにこちらの現在の政府が自由自在に思うままになるような人選では、せっかくこういうものを作っても意味がないから、そういうことはいたしません。先ほど申しました通り、各方面の、つまり公正な意見が反映するような任命の仕方をとらなければならない。そういう御心配はないと思います。
  113. 永岡光治

    ○永岡光治君 その心配はないと言っても、心配があるのですよ。それは言うだけであって、現実はそうならぬのだから、その点でで国民は非常におそれているわけです。ですから、むしろそういう構成政府がかりにやる場合でも……それじゃ私は直接吉野さんにお尋ねしますが、改正賛成者と改正反対者と半々に入れるという用意がありますか。それでなければほんとう意見が出てきませんよ。そこで協議して一体どうするかということをしなければ、これはほんとうのゆき方ではないですよ。学識経験というけれども……、
  114. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それは数学的に半分か三分の一かということは私は考えておりません。ただ公正な意見というものが現われるように委員会というものを構成しなければならない、こう考えております。そうしてこれは鳩山首相も言われました通り、この内閣で自分のときにこれをやるのだという考えはない。これは慎重にやりますから、もしこの内閣があなたの御心配になるようなでたらめな構成をやって、そうして内閣が代れば、これは通らぬことは当然です、信を天下に失うことは。そういうやり方はいたさない。
  115. 永岡光治

    ○永岡光治君 いや、あなたは内閣が代れば、そういう答申を受け付けないからいいじゃないか、こうおっしゃるけれども、いやしくもこういう国家の法律に基いて調査会が作られる、これは一つの権威のある機関になってくるわけです。その出した結論というのはどうあろうとも、国民に非常にこれは大きな影響を及ぼすことは事実です。これはおそらく吉野さんも否定されないだろうと思う。今の内閣はどうですか、鳩山さんは、憲法改正する、第九条の改正もしたいということを言っているのですよ。そういう内閣が……、それは鳩山さんは改正の時期は先にあるいは延ばすと言ったかもしれませんけれども、おそらく私は先に延ばさないだろうと思うけれども、それは第二、第三の問題といたしましても、そういうこの憲法の一番基本的な問題をなすところの、精神をなすところの第九条を改正する意向を持つ鳩山さんが任命するのですから、内閣が任命するのですから、それはその人に都合のいいように人選されるおそれがあるということは否定できないのです。チェックする方法がないじゃないですか、政府が任命する限りは。そこを私たちは非常におそれる、国民もまたこれをおそれているわけです。だから、賛成反対するということで、国会における公聴会のごとく半々の国民の意向を反映する者が出て、そうして国民から賛成反対の方々が論議する、これもまた一つの方法かもわからぬと思うのです。あなた方が非常に慎重な考慮を払って、鳩山さんの意向が反映するように答申してくれるであろう人々が慎重に審議するということになるかもわからぬわけです。それは政府が任命する限りは、そのおそれは絶対に否定できない。だからこれは政府任命じゃいかぬ。これは非常におかしいじゃないですか。あなたがどう抗弁しても、これに対しては、私の質問に対しては国民全体に納得させる答弁にならぬと思う。鳩山さん自体がともかく改正しようと言うのですから、その人が選ぶのですから。
  116. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それ以上にお話もなんですが、総理改正問題点として九条のことをお引きになったのだろうと思う。それを何でもかんでも自分のときにやるために、この調査会をやるのだという考えは、これはないと思います。ともかくこれは国家の組織法ですから慎重にやるのであって、自分の人気とか自分がやってゆくということでなくて、超越してやるのだ、こういうことをしばしばこの委員会でも述べられておりますから、それですから、チェックする方法がないと、こう申しますけれども、これは世論というものがございますし、そういうでたらめな人選というものは、こういう重大な国家の組織法を検討する委員会を作るときに私はやるというおそれはない。
  117. 永岡光治

    ○永岡光治君 あなたはそう抗弁されますけれども、小選挙区法がいい例じゃないですか。あれだけの世論の反対を押し切って出したじゃないですか。どういう抗弁をしてもだめじゃないですか。国民の世論があってもだめじゃないですか、出したじゃないですか、国会に。これをどう考えますか。
  118. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私は別に抗弁じゃないのです。ただ、どういうふうにやるかという仰せだったから、こういうふうにやるということを申し上げたのです。だから、それ以上に、お前のやり方は悪い、どうだということは、御批評なんでありまして、私から答弁の限りではないと思います。
  119. 永岡光治

    ○永岡光治君 これはやっぱり原因は、内閣が一つの意思を持ち、一つの政策を持つ限り、これはあなたが今御答弁の中では、九条の問題はこれは問題点として検討してくれという軽い意味だと言うけれども、鳩山さんはとにかく、自衛のためなら陸海空の三軍を持ってよろしい、もし日本に先制攻撃のおそれがあるならば、敵の基地まで爆撃してよろしいと発言した鳩山さんなんです。そういう鳩山さんなんです。その鳩山さんが任命するのだから、それは国民は安心しておれませんよ。それは安心しちゃいられませんね。小選挙法案という明らかにいい例があるのだから、世論がどうあろうと何だろうとかまわないのだ、党利党略、自分の意思を強行するためにはどんなことでもやる現在の内閣なんですから、これはだめです。絶対だめですよ。だからそのおそれは全然ないとあなたが言い切ってもだめなんです。どう考えますか、この点。
  120. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) そこまでのお話になれば、私も実は答弁しようがない。これも調査会がとにかく案ができまして、それをさらに国会に提出するかしないかということは、そのときの問題なんで、まだきまっていないのです。ただこれを再検討するというだけの話なんであります。その答案が出ましても、その答案が出たものをどう扱うか、理論的に言えば、これは、かりに改正する案を出すのがよかろうというなにをいたしましても、そのときのまた時期がどうかという問題もございましょう。いろいろな政治的の考慮というものもございますから、そのときを、今のように、何といいますか、せんじつめてどうもお話になるということですと、それ以上のことは私ではちょっと答弁いたしかねると思います。
  121. 永岡光治

    ○永岡光治君 それはあらためてまた鳩山さんに御出席を求めまして聞きますが、とにかく問題にしているのは、そういう世論がどうあろうと何だろうと強行するような鳩山内閣なんですから、その人が人選するということになれば大へんな構成になる。またその無理じいをしてくるような答申をするような人を選んでくる。これをチェックすると言うけれども、チェックする実績がないじゃないか、過去において。世論の前に非常に反省して、これはいかんということで反省するなら別ですが、そういうことをやっていない現在の内閣が任命する。この法律が通ればこれは今すぐにでもできる、任命するのですから。そういう答申を出されたら、国民は、とにかく権威あるのだから、調査会という権威を一つ持たせるのですから大へんなことになるわけです。ですから私は、内閣に置くことはそういう点から言っても穏当ではない、慎重を期し得ざる措置である、こう思うわけです。しかし、これについては、あなたは答弁しても、おそらく私の質問に対しては答弁のしようがないと言うのですから、まあ別にまたあらためてやりますが、そこで改正の範囲の問題になってくるわけですが、一体この自民党で今出されておるこの案を見ると、いろいろ出されておりますが、私は基本的に考えて、この現在ある現行憲法ですが、この基本を流れておる基本の精神を改めるという場合、これはその場合には憲法の改めじゃなくて廃止ですよ、廃止して新しく憲法を作るというような、こういう形式を踏まなければならんのじゃないかと考えておりますが、その点はどう考えておりますか。流れている精神を根本的に破壊するものは改正じゃないというのですよ。私は廃止、新設という形をとると思います。
  122. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 現行憲法改正の限界の問題につきましては、たびたび当院でも御議論があったわけでございます。私どもが今回再検討いたしまする基本的の考え方といたしましては、この現在の憲法に流れておりまする基本的の根本原則、すなわち民主主義並びに平和主義、基本的人権の尊重、この三大原則につきましては、ごうもこれを変更する意図は持っておりません。ますますこの精神を伸ばしていきたい、こういう考え方でございます。従いまして憲法改正のいわゆる限界点の問題に私どもは触れることはないと考えておる次第でございます。
  123. 永岡光治

    ○永岡光治君 基本的人権の尊重、これはもう明らかに主権在民というこれに通ずる問題だと思うのですが、これを破壊するものは――これを改正するということは、この憲法精神に反するから、改正の範囲外といいますか。そこまでは触れられない、こういうように解釈をしていいんですね。念のためその点をまず一応確認をしておきたいと思う。
  124. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 基本的人権の尊重の原則はあくまで堅持したいと考えております。
  125. 永岡光治

    ○永岡光治君 そういうことでありますれば、私は次にお尋ねいたしたいんですが、先ほど来、わが党の同僚議員である田畑君からいろいろ質問されておりまして、その中で、山崎さん、吉野さんの方からいろいろ答弁がありました。この憲法国民の自由なる意思に基いたものでないからというようなことも触れられておりましたが、一体この憲法が何でできたか、どういうねらいを置いてできたかということまで私たちは当時を振り返って反省してみなければならぬと思う。時日がたてば、当時の空気といいますか切実感というものは、これはなかなか人間の常として忘れがちです。しかしこの憲法精神は、再び日本の悲劇を生んだあのような事態を起してはならぬというところに流れておる精神が私はあると思う。これのみですよ、基本は。そこから、一体どうしたらいいかというところから、平和が出て来、民主主義が出て来、基本本的人権というものがやっぱり出て来るわけです。あの雰囲気、あのときの実情というものを私たちは十分ここで考えなければならぬ。従って、そう考えますと、憲法の第九条はこれを明確にうたっておると思う。事のいかんを問わず戦争というものを一切否定する、こういう精神だと思う。そういう精神だと思う。自衛そのものの権利というものは認めますよ、自衛権というその権利というものは認めるでありましょう。しかしその自衛権の発動としての戦争、これは認めていないというのが、私たち憲法第九条の精神だと思う。従って、そういうことでありますなら、これは当然第九条に触れてはいけないということにならなければならぬと思う。この点について山崎さんはどういうようなお考えでありますか。
  126. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 憲法第九条につきまして、いろいろ数年にわたりまして国会におきましても論議のありますことは、永岡さん御承知通りであります。私どもといたしましては、憲法第九条は、この第一項の精神はあくまで堅持していかなければならぬ点は、永岡さんと全然同感であります。ただ第二項につきましては、私どもの解釈といたしましては、自衛権に基く自衛力は当然この憲法第九条の否定するものではないと思いますけれども、ただこの解釈につきましても従来いろいろ議論がございました。その点を憲法改正の場合にはっきりさせたい、これがわれわれの考えであります。従いまして、平和主義の原則にどうも私は違反するものではないと確信をいたす次第であります。
  127. 永岡光治

    ○永岡光治君 これは、前項の目的を達成するために、とにかく陸海空軍その他の戦力は一切放棄すると書いてある。だから陸海空は、事のいかんを問わず、とにかく国際紛争解決の手段としては永久にこれを放棄する、こういうことになっているんですから……。しかもその第九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」こういう前提があるわけです。前項の目的を達成するためには陸海空軍その他の戦力は保持しない、国の交戦権は一切認めない、こういうことが精神。これは一体、こういう条文をうたわざるを得なかった、よって来たところのゆえんのものは何かということです。それは自衛のためであろうとも、たとえ自衛という名を冠せようとも、戦争による悲劇というものは非常に甚大である。ことに今日の原水爆あるいはそういう非常に莫大なる人命を一瞬にして奪うような兵器の生れた今日、とにかく戦争を起したらもうおしまいだという前提があるんですね、前提があるわけです。従って、そういう意味から考えましたならば、これは自衛あっても全滅してはおしまいです。だからそういう戦争に至らないようにあらゆる手段を尽して、平和的に物事を解決しなければならないぞという、こういうのが第九条の精神だと解釈するわけです。その私の解釈に間違いがあるかどうか、間違いがあれば御指摘お願いしたい。
  128. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) もとより、憲法九条の精神は、侵略戦争を否定し、平和を希求する点におきましては、これは御指摘通りだと思います。ただ国に自衛権があり、その自衛権に伴う自衛力の行使ということは、私ども憲法九条第二項の否定するものではないと考えておりますし、これが現在の政府の解釈であり、またわが党のとっております解釈であると考えておるわけであります。
  129. 永岡光治

    ○永岡光治君 端的に、私の考えは間違いであるかないか、間違っておるなら間違っておると明確に言ってもらいたい。正しい考えであるならば正しい考えであると……。
  130. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) ただいま御説明しましたところによりまして御判断を願えば私は当然わかると思います。なお、憲法条章の解釈の問題でありますから、念のために法制局の高辻次長も見えておりますから、高辻次長から政府の見解を説明願うのが適当じゃないかと思います。
  131. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) ただいま山崎先生からお話がありました点につけ加えることもないと思いますが、山崎先生の仰せられました点につきまして、なお敷衍いたしますれば、ただいま問題になっておりますのは、現行憲法の解釈がどうだということもございましょうが、それよりも、今後の憲法調査会調査、研究した結果、その憲法をいかなる方向に改正をするというか、その必要があるとすればどういうように持っていくかということの御論議について出た問題だと思います。その際、平和主義と、そういう何かある種の実力を保持することが相矛盾することになりゃしないかというのが、お尋ねの根本ではなかったかというふうに思います。それは私ども必ずしもそうは思いませんで、平和主義ということがございましても、同時に不正な侵害がかりにありました場合に、それに対して正当防衛の挙に出るということは、必ずしも平和主義ということと相いれないことではなかろうというふうに考えるわけでございます。これはしかし、私が申していいことかどうかとは思いますが、そういう趣旨に立ちますれば、平和主義と、かりに正当防衛をするための何らかの措置をとる必要があるという判断のもとにおいて憲法改正考えるということは、必ずしも平和主義と矛盾することではなかろうというように考えていいのじゃないかというふうに思います。
  132. 永岡光治

    ○永岡光治君 そうすると、私は率直に具体的に例をあげて申し上げますが、平和主義というのは、戦争が起きることは、自衛であれ何であれ、それが起きることは平和でないと思うのですが、その点はそれはやっぱり平和ですか、戦争が起きても。戦争の状態は平和であるかどうかということです。
  133. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) 世の中に戦闘の状態が発生するということは、これは平和でないということだと思います。しかし国の基本の政策といたしまして、平和を尊重していくということと、それから一国に対して侵害がありました場合、それを必要の最小限度において防衛する、それを守ると、侵害を除去させるということとは矛盾するものではないというふうに考えるわけです。
  134. 永岡光治

    ○永岡光治君 ですから、その自衛ということに名をかりて、自衛をするために、不正の侵略、急迫の事態ということをしばしば鳩山さんは言っておられますが、そういう理由のもとに――むしろそういう事態といえども、平和的に別な方法をもって解決した方が日本の何ですね、全国民の生命を一瞬にして奪うような戦争にならなかったであろう、こういうことが当然今日の社会では予想されるわけですが、防衛のためならいいということで始めた結果、全国民の生命を奪って全国民に至らぬでも相当の、多数の国民の人命を殺傷してしまうということになれば、これはこの精神にはその意味では反するのじゃないかと思うのです。
  135. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) 仰せの点は私もそうだと思います。そうだと思いますと申し上げるのは、世の中からその戦闘というか、平和に反する現象が生じないようにするということが根本的な、国、一国の政策として考えなければならないことは当然だと私は思います。従って何らかの紛争が生じました場合には、平和的にそれを処理するというために全力をあげるということはこれは当然と思います。しかしそれにもかかわらず、何らかの侵害があるということがありました場合に、そういう場合にその侵害を除去するということは、平和主義と矛盾することじゃないだろう、こう申しておるわけです。
  136. 永岡光治

    ○永岡光治君 その侵害を除去するために予想し得ざる――何といいますか、大殺戮が起った、その可能性が非常に強いのですね、最近の近代兵器から考えますならば。そういうことになれば、これは当然それは平和ではないじゃないか。そのあれですよ、善意ですね、善意でもって、そう考えているのかもしらぬけれども、結果は平和にならないのだから、そういうようなあり方というものは、それは平和主義でないじゃないか、これはもう明らかにこの憲法精神と矛盾した精神じゃないかということを私は主張しているのですが、その点は認めませんか。どうですか。
  137. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) でございますので、ただいままでもお話がございましたように、自衛に名をかりてとか、それからまあ自衛をやったつもりがとうとう侵略になるというようなことがありますことは、これはもう絶対に避けるべきだと思います。いますが、しかしそれにも――それはそれといたしましても、この平和主義を一国の政策として掲げておっても、そこに侵害が生ずるいうことは、これは絶無だとは言えない。まあ非常に言葉を極言して申し上げますが、そういう場合に、その侵害を防除するということが平和主義とは矛盾するということは、少くも言えないのではないか。その点に限ってはどうも確信を持って、そう繰り返し申し上げざるを得ないと思います。
  138. 永岡光治

    ○永岡光治君 そこがやはり問題なんです。いかに善意であっても、いかに善意であろうとも、そういう結果大殺戮を起し得る事態がわかったらどうします。この前の戦争で明確になったわけですよ。おそらく私はあの当時の軍閥といえども、あるいは政府の要人といえども、今日の敗戦に導びこうということで戦争を始めたものじゃないと思うのです。おそらく自衛ということに名をかりて――事実そういうことでやったのですから、また私たちの同僚もそういうところで皆戦争に行ったのですから、日本の国のためにということで、善意で行ったのです。これは結果はあの敗戦を導いて大へんなことになったのです。だから善意であろうとなかろうとにかかわらず、これは戦争を起す事態は一切やめなければならぬ。従ってそれは自衛であろうと何であろうとも、とにもかくにも武器を持つということはそういう予想を生むものであるからして、絶対にこれは反対すべきであるということがあの精神で、私はあの憲法の第九条に規定されたと思うのです。ですから、そういう意味では、あなたがどう言われても、それは善意であろうと何であろうと、そんなことは問題じゃないのですよ。幾ら善意であってもだめなんですよ。腹切って死んだって、その死んだ国民は生き返えらないのですからね。敗戦という事態は元に返らないのですからね。ここなんです、問題は。こういう問題になれば、善意でないのです。だから、いかに善意であっても、こういう事態を起すからして、これは第九条としては――主権在民、こういう精神に基いて、平和主義、自然主義、人権の尊重というところであの憲法ができたのですから、私はこの第九条に手を触れるということは、もうもはやこの基本的この精神を、憲法を抹殺する改正である、これは、だからもう廃止をして、新しくそういう憲法を作るという手続をとらなければならない、こう私は考えざるを得ないと思うのです。だから九条には触れられないのじゃないかというのが私の主張なんです。これはどうなんですか。
  139. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) ただいまの点は、憲法改正の限界の問題にからんでのお話のようでございます。要するに平和主義というものにのっとっての憲法の規定を絶対にいじることがもう限界に達するかどうか、いやそうではなくて、その基本精神といいますか、そういうものは残しておいて、先ほど来申し上げたような点だけに手をつけるのは、限界にはならないのじゃないかという、こういう論のいかんの問題だろうと思います。ところでその憲法改正の限界の問題でございますが、これはまあ御承知のように、学者の間にはいろいろな議論がございまして、その限界と申しましても、それは国民主権ということの一点こそがまさにそうであろうという論もございます。そうでなくて、平和主義というようなこともそこに入るんだという論もございます。しかしその論を今申し上げる必要はないと思うのでありますが、問題はこの九条の一項と二項に分れておる一項についてはこれは先ほど山崎先生も仰せに、なりました通りに、これに触れる意思はないということがお話に出ておりました。ところで二項に関連しての問題でございます。  そこで二項の問題に関連しまして、ただいま先生が仰せになりましたように、およそ侵害があった場合でも、それに対して侵害を排除するというような措置をとること自身が、人類に対する非常な悲劇であるから、その場合にはそういうことをすべきでない。むしろそれを徹して言えば、そういう場合には無抵抗で向うのなすがままにすればいいんだということも一つの考えかと思わないわけではございません。むかしそうではなくて、やはり平和を念とするけれども、そういう場合には必要の最小限度において防衛をするということが必要であろうという考えも、これはりっぱに成り立つのじゃないかと思います。それはまさにそういうことに対する認識の問題だと思いますが、問題は改正についての段階の話でございますので、それがどちらがいいかということは私ここで申し上げるのは差し控えることといたしますけれども、その点は私はこの自衛に――自衛というか、正当防衛的な意味における自衛いうことに徹する限りは、決して平和主義というものに矛盾するのではないだろう。ところでただいまもお話がありますように、太平洋戦争等の例をお引き出しになりますけれども、ただいま申しておりますのは、まさに不正な侵害があった、その侵害を除去するに必要な限度の防衛でございまして、あの過去の悲惨なる例と対照して直ちに同じようにお考えになるのは、ただいま私が申し上げているその防衛の問題とは通う問題であろうと私は思うのであります。
  140. 永岡光治

    ○永岡光治君 まあどう考えてみましても、この憲法の生れた一体この基本はどこにあったか。あの敗戦を反省して、この憲法は再びあのことを繰り返さないというところ――自衛であれ、何であろうと戦争というものは悲惨を生むものであるから、戦争になるおそれのある一切をこれは避けなければならぬということでこの精神がうたわれている。それが九条に表われておるわけです。今法制局次長さんのお話によると、向うからやってきて、無抵抗主義でなすがままにさせるということはそれはけしからぬじゃないか、そういうことをあなたおっしゃっていたんです。
  141. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) それも一つの考えだろうと思います。
  142. 永岡光治

    ○永岡光治君 私たちは何もその無抵抗というものを――武力をもって防ぐのか、他の方法によって防ぐのか、これが見解の分れですから、ノーズロでそうしてもうなすがままにまかせる、こういう必ずしもそういうことにならぬと思う。だがしかし、この憲法精神というものは、自衛のためであっても、あのような悲惨を生むのが今日の実態なんですから、特に科学の発達した今日においては、戦争というものは事のいかんを問わず、大へんなことになるんだ、あるいは見方によっては、なすがままにまかして若干の者が犠牲をこうむるよりは、国民全体を救った方がいいという考え方に立つ人があるかもしれません。それは別といたしまして、生れた精神というものは事のいかんを問わず戦争というものはとにかく防いで、その戦争に至らないその前段において全国力をあげて国民の力を結集して、あらゆる手段を尽そうじゃないかというのが、この精神であるはずです。ですからもしこの九条を一項、二項に分けても、九条には間違いないわけです。この九条の精神を変えるというのは、とりもなおさず憲法精神を根本的にくつがえすのであるから、これは改正でなくして、憲法を廃し、そうして新らしく憲法制定するという手続をとらなければこれはだめなんだ。従って私の言うのはこの憲法改正の範囲内ではない、こう解釈せざるを得ない。しかも自民党調査会資料として出されております憲法改正についての国民投票制の再検討の問題についても、その通り、これは明らかに基本的人権の抹殺です。手続がめんどうとかめんどうでないとか、そんなもんじゃないんです。国民全部の意思を問うというのは、これは基本精神です、主権在民の基本精神です。それを否定するような、この点は明らかに憲法改正の外です、これも、これも。そういうように考えて参りますから、もう範囲を逸脱して、これは非常に、憲法調査会に諮問すると言いますか、参考意見として出そうという山崎さんあたりの考え方、これは私は非常に逸脱した改正の意図を持っている、こういうように解釈せざるを得ない。この点はどういうようにお考えでございますか。山崎さん一つ。
  143. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 憲法九条の問題につきまして、侵略戦争の放棄という平和主義の原則につきましては、たびたび申し上げましたように、私どもはあくまでもこれを堅持して行くつもりであります。ただ、高辻次長からもお話ございましたように、急迫不正の侵略がかりにあった場合に、この侵略に対して国民は座して待った方がいいかということは、私どもは問題があろうかと思います。従いまして憲法九条第二項の解釈にいたしましても、私どもとしましては、自衛権は当然独立国家にあり、また自衛権に伴う自衛力というものは、この憲法九条第二項を否定したものじゃないと考えておるわけであります。しかしこの解釈につきましては、従来から非常な議論がございます。その点は憲法改正の場合にははっきりさせる。それは何ら私は平和主義に反するものとは考えておりません。  なおまた、憲法改正の点につきましての御意見がございましたが、私どもは各国の憲法をいろいろ検討いたしてみますると、今日のわが国の憲法改正手続ほど非常に厳格なものはきわめてまれのようであります。そういう点から検討いたしましても、この改正の条文について検討を加える余地があるのではないか。どういう結論を出すということは、これは憲法調査会において御検討願った結果でなければならぬのでありまするが、そのことが憲法改正の限界に何ら――かりに限界というものが認められるとしましても、私は何らそれに反するものとは考えておりません。
  144. 永岡光治

    ○永岡光治君 第九条の改正は、私はこの憲法の基本をなすものと考えております。基本をなすものと考えておりませんか。憲法を流れておる精神の基本は平和主義の基本です。第九条は基本ですか、どうですか。
  145. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 平和主義、民主主義並びに基本的人権の尊重ということは、この憲法の非常な長所であり、その長所につきましては、私どもは堅持していくということはたびたび申し上げておる通りであります。
  146. 永岡光治

    ○永岡光治君 それで私は端的にお尋ねするのですが、平和主義、民主主義、基本的人権の尊重というような精神だということは、今認められておりますが、その条文を個々に総合してということにあるいはなるかもしれませんが、少くとも平和主義の基本を貰いておる、基本というものはですね、これはもう第九条というものにその基本をなしておると考えなければならぬと思うのです。その点は御異存はないと思うのですが、どうでしょうか。
  147. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 平和主義の原則も現在の憲法の一つの大きな原則だと思っております。
  148. 永岡光治

    ○永岡光治君 第九条はそれに該当するのじゃないですか。
  149. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 平和主義の精神をうたったものは憲法九条であると思います。
  150. 永岡光治

    ○永岡光治君 そうすれば第九条をやっぱりこれは改正するということになれば、これは範囲外じゃないかということになるわけです。
  151. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 平和主義の原則に反せざる改正をすることは一向差しつかえないと思っております。
  152. 永岡光治

    ○永岡光治君 どうもおかしいじゃないですか。あなたはこれは平和主義の基本を貫くものだ、条文だということを肯定して、しかもそれに反せざるものは……。これが基本なら、これを改正すれば明らかにそれは範囲を逸脱するものですよ。どう考えているのすか。
  153. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) たびたび申し上げますように、独立国といたしましては自衛権がある。この自衛権に伴う自衛力というものを憲法の上ではっきり認めるということは、何ら平和主義の原則に反するものと私ども考えておりません。その点は私ども改正の場合に検討したいということを申し上げておるわけであります。
  154. 永岡光治

    ○永岡光治君 この点が大いに見解の相違がある基本の問題です。この九条の精神というのはとにかく戦争放棄という、これはもう前の前文を見ればよくわかるのですが、前文でも特にこのことは強調しておるわけです。私は多くを言いません。多くを言いませんが、私たち憲法調査会で論議される際においては、この第九条に手をつけるということは、明らかにこれは逸脱行為であって、もしこれを改正する、この条文の変更ということは、明らかにこれは憲法の否定の上に立つのであるから、現憲法廃止、新憲法制定という手続をとるのが至当であると、こういうように考えますので、当然この憲法調査会がかりに設けられましても、その検討さるべき対象というのは……、それは論議はしてもいいけれども、これに触れらるべき筋のものではないと、こう私は解釈をするものです。しかし、これは見解の相違です。私はここであえて……、また機会を改めて申し上げたいと思うんですが、ただこの中で、一つ明確にしておきたいと思うのは、国際紛争という解釈です。日本とある一国との間の関係でも、これは国際紛争と見なければならぬと思うんですが、それは国際紛争であるのかないのか。
  155. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 国際紛争という言葉の定義の問題ですが、これは、一国と他国との間に主張の違った場合には、それが国際紛争だと思っております。
  156. 永岡光治

    ○永岡光治君 その主張の違うというのが紛争ですか。それとも何か向うの方で、どうもあいつは言うことを聞かぬから、一つ何かやかましく言って軍艦でも出そうか、たとえば日本とある一国との間に――私はそういうことはないことを信じ、またそういうことのなからんことのためにこの憲法ができて、そのためにあらゆる全力をあげよという精神だと解釈するのですから、まあそういう事態は起らぬようになることを私どもは念願し、またそれに努力するわけですが、今、具体的につきつめて考えてということをよくあなた方言われますから、そういう意味で私言うのですが、ある一国がたとえば日本に――どうもこういう例をとるのは適当でないが、ある問題が起きて、これはどうも向うが言うことを聞かぬと、日本もそれは困るという、ある問題についての日本の主張が通らぬ、通らぬ場合に向うは、けしからぬから、日本に一つ軍艦でも派遣しようかといったときには、それは国債紛争なのですか、そうでないのですか。
  157. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) ちょっと、憲法九条の条項上の文言の解釈になりますので、私が答弁するのをお許し願いたいのですが、国際紛争と申しますのは、ただいま山崎先生からお話がありましたように、一国と他国――それは他国は複数でもけっこうでございますが――との間に主張の対立がありまして、その間に解決すべき紛議といいますか、そういうものがある状態を言うものだと思っております。従って、そういう状態があります場合に、先ほど山崎先生からお話がありましたように、そういうものは戦争の手段に訴えないで、もう平和的に処理をするというのは、まさに平和主義にのっとった法則であろうと思います。しかし、ただいま途中までのお話のように承わるわけでありますが、向うから何かしかけてきた。武力をもって、実力をもって侵害を加えてきた。その侵害を除去することそのことは国際紛争を解決することそのことではないというふうに考えております。
  158. 永岡光治

    ○永岡光治君 その国際紛争のそれは、解決のために向うはやってきたんですよ。それは国際紛争じゃないんですか。
  159. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) でありますから、この両国の間に主張の対立がある。その主張の対立がありました場合に、それを戦争の手段に訴えて解決をはかるというのは、これは旧来の、古来の国際法上は実はそういうことが認められて――と言うと語弊がございますが、そのために戦時国際法なんかが発達しておるわけでございます。しかし、なるほどそういう紛争があります場合に、相手国がその紛争を解決するために、戦争の手段に訴えてきた、こちらから言えば侵害を加えられた。その侵害を――特にこちらが息の根をとめられるかもしれない、そういう場合に、その侵害自身をとめる限度において防除するということは、国際紛争を解決するということではない、こういうふうに考えます。
  160. 永岡光治

    ○永岡光治君 それはどうもおかしいのだな。とにかくだまっていて、何もしないのに攻めてくる、そんなばかな国はないと思うんですね。何となしに気にくわぬから、何月いつかに一つ大軍押し立てて攻め上ろうかなんということはないんですよ。よりどころはみな国際紛争なんですよ。ところが、この第九条の国際紛争を解決する手段としては、戦争と武力の行使を放棄すると書いてあるじゃありませんか。二項がただしということであれば別ですよ。
  161. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) 今、その一項の問題だけに関連してお答えを申し上げますが、確かに国際紛争が両国の間にあると、その場合に、憲法九条はむろん国内法でありますので、先方の国を拘束するわけにいきませぬから、先方の国が、ふらちにもその国際紛争を解決するために、武力をもってわが国に臨んできたという場合に、なるほどそれは国際紛争を解決するために向うがやったに違いありませんけれども、こちらとしては、その紛争を解決するのではなくて、実は目前に迫っておる危険を除こうというのであります。従って、さらに申し上げれば、それをやっておれば、だんだんその戦争状態といいますか、そういうものが非常に広がってきて、さらにまあ向うが攻めてきたのだから、一つやっつけてやろうというので、向うを徹底的にたたいていくことになりますと、これは問題でございますが、その危険、侵害を排除する限りにおいて、その限度にとどまることは、その限度は問題でありますけれども、その限度にとどまるという限りにおいては、それは国際紛争を解決するのではなくして、その侵害を防除することそのことであると考えて一向かまわないと思います。かまわないというのは、どうも何か内心にちょっと疑懼たるところがあって申し上げるのではなくて、国際紛争というのは、先ほど申し上げたようなことそのことであると、これはもう疑いのないところであると、こう思うわけであります。
  162. 永岡光治

    ○永岡光治君 だから、それはやはり学者としての非常な論弁といいますか、国際紛争というのは、一連のコース全体が国際紛争なんで、ここまでは話し合いの段階なんで、まとまらなかったら来るから、これはもう国際紛争ではないのだと、こういう解釈をしておるわけですが、そういうことになるから戦争は放棄しなければいけないのだと、もう戦争というのは、事のいかんを問わず起ったら大へんだというのがこの精神です、何回も私は申し上げるけれども……。そういう意味がこの第九条にうたわれておるのであるからして、この第九条の二項というものは、前項の目的を達成するためのただし書ではないのですから、ただしこれこれだということなら、あなた方の主張もあるいは通るかとも思うけれども、それを解決するのは国債紛争の解決なんですから、国際紛争の解決のために武力を用いてはいかぬ、国際紛争の解決のために戦力を使ってはいかぬと……。ここまでは国際紛争だと、あとは侵略だと、そんなことはないですよ。それは一連の国際紛争の全体の概念ですよ。だから、そういうものを解決するために戦力を使ってはいけない、従ってそれを達成するために陸海空の三軍を持ってはいけないというふうに、第九条の精神を解釈しなければいけない。あなた方どんなに詭弁を弄してもだめですよ。やはりそれは国際統一的であって、ここまでは国際紛争で、ここから先は侵略だというようなことはないですよ。
  163. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) どうも詭弁というと、もう少し詳しく申し上げざるを得なくなるわけですが、私は詭弁を申しておるつもりはほんとうにないのでございまして、この九条の一項と二項との関連においておっしゃっておるようでございますが、二項の解釈論につきましては、これは確かに世上いろいろ論議がございます。そういうことがございますので、先ほど山崎先生も仰せになりましたように、憲法の変更という場合には、それが一つの大きな問題であろうというふうに仰せられておりますわけで、この九条の解釈論た今申すよりも、実は国際紛争を解決するという言葉でどこまででできるかということについて、限界の問題を明らかにされようというのが御趣旨のようでございますので、九条二項の解釈論にはあえて私言及しようとは思いません。思いませんが、国際紛争と申しますのは、これは、どう見ても一国と他国との間の主張の対立があって、その主張の対立したやつを、平和的な手段によらずして、武力によってそれを解決するのがいけないのだというのが第一項の現われであるのは、これは明瞭であると思います。  それからなお、平和主義一般についての問題でございますが、先ほど山崎先生が仰せられましたように、九条はまさしく憲法の根底にひそむ理念の現われであろうと思いますが、第九条にとどまらず、平和主義というものは、これはどうも変な話を持ち出して恐縮でございますが、カントの永久平和論というような本を見てもわかりますように、一国の平和というものは、根本は民主主義の組織を作ることであるというふうに言っておりますように、それからまた、現行憲法を見ましても、前文から眺めて参りますと、やはり、主権が国民に存在する、そうして民主的な統治形態を作り上げるということも平和主義と無関係ではございません。むしろ極めてその有力な現われであるということも言えると思います。従って、九条だけに限定をしてやる必要もないと思いますが、しかし、九条に端的に現われておることは間違いございません。しこうしてその九条の一項に最もその精神が現われておると思いますが、そこにおける「国際紛争を解決する手段としては」という意味では、先ほど申し上げた通りで、他国からの現実の侵害、その侵害があった場合にも、なおそれを是認して、場合によればくたばってもやむを得ないという趣旨ではないというふうに思うわけであります。
  164. 永岡光治

    ○永岡光治君 この論争は、またいずれは次の機会に明確にいたしたいと思うのですが、ただ、今明確にわかったことは、平和主義、民主主義、基本的人権の尊重、こういうものの改正に触れるということは範囲外であるということだけは明確になったようであります。従って、今後はもし憲法調査会がかりに設置されて、それが論議されるという場合であります。これについては触れられないということは、これも是認されておる。従って、その一体平和主義、基本的人権の尊重というものは何かということに――条文の何かということにこれから論点が、今後論議が進められるに従って私は発展して参ると思う。そういう意味で、次に譲りたいと思うのでありますが、そこで一つこの際、自民党考えられております構想といいますか、ここにも出ておりますことについて、これはあれですか、自民党の方では、この全部を改正したいと、こういう考えなのか、それともこの点は特に重要だから、この点は特に改正しなければならぬと考えておるのか、その辺の考え方最初聞いておきたいと思うのです。
  165. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) お手元に差し上げてあります資料は申すまでもなく、これは憲法検討いたします場合の問題点を書いたものに過ぎないのであります。従いましてこの問題点についてどういう結論を出しますかは、今後の問題であります。その結論憲法の全面的な改正になりますのか、あるいは一部分の改正になりますのか、その点は、結論を得た上でないと、ここではっきり申し上げることは困難ではないかと思っております。
  166. 永岡光治

    ○永岡光治君 そこでこれからの……、つきつめて考えるということになりますが、万万一これがかりに設置されて、答申がなされれば、どういうふうに手続は進められるのでしょうか。
  167. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 先ほど申し上げましたように、この憲法の問題は、極めて重要な問題でございますので、私は相当の日子を要するものと考えております。相当の日子を経て、慎重に検討をした上で、結論が出れば、その結論につきまして、内閣並びに国会にこれを報告することは、前に申し上げた通りであります。その報告をどう取扱うかということは、政府がいろいろ考えましょうし、また国会においてお考えを願うべき問題であろうと考えます。それを今から、こういうふうになるであろうという予想を申し上げることはむずかしいと思います。
  168. 永岡光治

    ○永岡光治君 そこで、もちろん憲法改正というものについては、国会の三分の二で発議するということになるわけですが、何か承わるところによれば、政府の方で一応その改正案国会提案する、こういう考えがあるやに聞いておるのですが、その考えはあるのですか。
  169. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) そういう考えはございません。まだまだ調査会自体が発足しないのですから、調査会発足も何もないのに、政府が修正案を持っておるということはあり得ないのです。
  170. 永岡光治

    ○永岡光治君 いやいや私の言うのは、調査会ができて答申をした、その案を政府がくんで、そして国会に、こういう改正をしたいという提案をするというように聞いておるが、そんなことはないかというのです。
  171. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それは、調査会の方から報告が参りましたときに、どうするかということたきめるだろうと思います。今は何もきめておりません。ただ、もしお話の趣旨が、もしかりにそのときに――これは提案するとしたならば、そのときに何でしょうか、政府提案してもいいかどうかというお話ですか。
  172. 永岡光治

    ○永岡光治君 そうそう。
  173. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) そのお話でございますか。それならば、この憲法の何条かにありましたね。七十二条ですか、この解釈でございますか、お尋ねの点は。はなはだ失礼ですけれども
  174. 永岡光治

    ○永岡光治君 七十二条と九十六条の関係です。
  175. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) つまりこの憲法のこの改正手続には、憲法が規定しておりますのは、その国民の総意で発案する、そのことだけ書いてありますですね。すなわちその場合には、国会の両院の三分の二を何したものでなければ発案はできない。これだけの規定しかないのです。
  176. 永岡光治

    ○永岡光治君 そうです。
  177. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) その場合に、この規定の精神を拡張してですね。私から言わすれば、それは拡張し、あるいは精神をくんで、こういう規定があるから、その国会できめる原案の原案を発議するということは、これはやはり議員でなければならんのだと、こういう説もあり得ると思います。しかしまた、何も書いてないのですから、その場合には、一般の原則によって、議案というものを国会に提出するという一般の原則に帰って、政府もまた、その原案の原案を提起してもよろしいというお説も成り立つわけでありまして、政府は後者の見解をとっております。
  178. 永岡光治

    ○永岡光治君 ああ、そうですか。そうすると、その原案の原案は政府が出し得るという見解をとっていると、こういうわけでございますね。
  179. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) はい、さようでございます。
  180. 永岡光治

    ○永岡光治君 それは非常に問題があるという意見もあるということも、あなたは今承知していると、こう言うておるのです。疑義があるわけですね。言うてみれば疑義があるわけですね。
  181. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私の方の見解については疑いはないのです。ただ、世間にはそうでないという説もある。これはしかしながら、明文には出ないのですから、その精神を拡張してやれば、そういう解釈も世間にはあるということは承知しております。
  182. 永岡光治

    ○永岡光治君 その疑義を明確にするというお考えはないのですか。
  183. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 政府としては、それは考えて、疑義はないのです。そういう解釈でよろしいと思いますが、これがあるいは憲法調査会で、これはどうもそうでないという説もあるから、変えた方がいいという論が出るかもしれません。それは今、私は予想する限りではございません。
  184. 永岡光治

    ○永岡光治君 そこで私は、今は選挙法の改正がいろいろ問題になっておりますから、この際自民党考え方を明らかにしておきたいと思うのですが、提案者の意向は、国会参議院の組織の点に触れられておりますが、これを具体的にもうちょっと見解を明確にしてもらいたい。
  185. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 参議院構成につきましては、自由党時代憲法調査会におきましても、いろいろ論議があったのであります。その場合に出ましたのは、一部推薦によるというような形を必要としないかというような議論もあったことも事実であります。しかし今、どういう構成にするかという点につきましては、まだこれからの検討でございまして、私どもの党としましても、結論は今持っておりません。
  186. 永岡光治

    ○永岡光治君 結論は持っていないけれども考えてみると、こういうことなんですか。
  187. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) わが党におきましても、今申し上げますように、今後慎重な検討を加えて参りたいと思っておりまするし、また内閣にできますでありましょう憲法調査会におきましても、この点は慎重な御検討を願いまして、適当な御結論をいただきたいと思っております。
  188. 永岡光治

    ○永岡光治君 結論が出れば、それはどういう取扱いをしますか。
  189. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) わが党の憲法調査会におきまする結論につきましては、内閣にできまする憲法調査会にもぜひこの意見を持ち出したいと思っております。
  190. 永岡光治

    ○永岡光治君 それは、自民党はこういう考えであるから検討してくれ、こういう意味で持ち出すわけですか。
  191. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 国会議員三十名の構成の中には、当然自民党からもある程度委員が出ると思います。そういう場合に、委員を通じまして、私どもの方で研究しました点を、内閣にできます憲法調査会へ持ち出しまして、御検討資料に供したい、こういうふうに考えております。
  192. 永岡光治

    ○永岡光治君 おそらく私もそういうような形式をとりはしないかと思って、ちょっと聞いてみたわけです。三十名の構成の問題について、自由的にやはり審議されるという点は、やはり党代表について、いろいろと自民党を、たとえば三十名の国会議員人選に当って選ばれますね、政府が任命するのですね。その人は、自分の自由意思でやれと、自主的に物事を検討しろといいながら、自足党の代表で出ておるということになれば、今あなたがはしなくも漏らされましたように、自民党はこういうふうに考えておるのだから検討しろ、こういうことになると、自民党考え方が自然その中に入ってきますよ。これを私はやはりおそれるわけです、しかも三十名の構成について、吉野大臣に一つお伺いするが、これは三十名の構成になっておりますが、国会議員はどういう比率で分けるのですか。何か勝手にぽんぽん、ぽんぽん選んでいくのですか。自民党は何人、衆議院は何名、参議院は何名、こういう分け方をするのですか。これは非常に関連があると思うのです。
  193. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私まだ具体的にどうだということは承知しておりませんが、こういう場合に、前例がございますから、こういったような各種の委員会で選ぶときの、国会議員をやるときの……。そういう前例を私は踏襲して、内閣の方で公平にやるだろうと思います。
  194. 永岡光治

    ○永岡光治君 前例を踏襲することは公平なのでしょうか。その理由を言って下さい。
  195. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 特別に理由がなければ、これは変えない方が公平だろうと思います。変えるには変えるだけの特別な理由がなければ、やはり従来やってきた慣例というものを尊重することそれ自体が公平だろうと思います。
  196. 永岡光治

    ○永岡光治君 それが、従来が公平じゃないという結論がやはり出ておるわけですね。あなた方の考えでは公平なのだと思う。自党に有利であればこれは公平である、こういう認定をしておるおそれが濃厚であると思う。だから、私はこの構成を与野党に分けて与党がやはり過半数を占めるということは、これは困ると思うのですよ。これはほんとうのあり方としては、ちょっと問題ではないかと思うのですが、これは自主的に判断きせるという意味から考えますならば、これこそ半々くらいで考えさせた方がいいのじゃないですか。
  197. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) ですから私が申し上げましたのは、ただ従来の慣例がそうなっておって、別にそれに不都合も認めない、こう思うのでございます。それですから、従来の慣例通り多分内閣の方で現実の問題のときにやるだろう、こういうことだけは申し上げておきます。
  198. 永岡光治

    ○永岡光治君 山崎さんの案はどうなんですか。
  199. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 私も吉野国務大臣と同様の考えを持っております。
  200. 永岡光治

    ○永岡光治君 同様ということは、前例を踏襲するという意味ですか。
  201. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) さようでございます。
  202. 永岡光治

    ○永岡光治君 それはどういう理由のもとに。
  203. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 別に特別な理由はございません。従来の慣例に従うことが適当であると考えます。
  204. 永岡光治

    ○永岡光治君 そういうやはり不用意なことでは私は困ると思うのです。基本法を改正するという建前に立つのですから、慎重に考えて、どうしたならば国民全部の意向が反映するような組織にするかということを考えなければいかぬと思うのですがね、それは考えていますか。
  205. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 今日の国会の分野によりまして、従来の慣例に従いまして委員を選考するのが、国会を反映せしめる一番いい方法だと思っております。
  206. 永岡光治

    ○永岡光治君 現在の構成というのはどういう意味ですか、国会の反映というのはどういう意味ですか、具体的に聞いておきたいと思います。
  207. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 各会派の数といいますか、現有勢力といいますか、その勢力に従いまして委員の割り振りをすることが従来の慣例でもありまするし、また適当であると、こういうに考えております。
  208. 永岡光治

    ○永岡光治君 そういうところになると、やはりこれは非常に問題が起きてくると思います。  そうすると、今度はもう一回念のためにお聞きしておきますが、国会構成分野が変ったら委員は変りますか。
  209. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) かりに憲法調査会設置せられまして、その期間内に総選挙でもございまして、その場合に分野が変って参りますれば、当然に私はその分野の数に従って、現有勢力に従って変えることが当然の筋であろうと思っております。
  210. 永岡光治

    ○永岡光治君 そうすると、委員会は絶えず不安定なものになるということが一応予想されますね。
  211. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 総選挙というようなことがそうたびたび行われるものでもございませんし、その間に一度か二度か総選挙がありました場合には、ただいま申し上げたような方法をとる以外にないと私は思っております。
  212. 永岡光治

    ○永岡光治君 それは総選挙はそうたびたびないというけれども、基本法を考えるのですから、簡単に私結論はおそらく出ないと思うのです。慎重審議を遂げなければならぬと思います。そうなると、国会の分野も変りましょうし、そういうことは当然あり得る。絶えずそのときの国会の分野に応じてその調査会委員が変るということになれば……。ここを私はやはり問題にしておるわけです。やはり国民全体の意向を考えるという場合には、そう私は変るべき筋合いのものではない。そういうものに左右されずに、これはやはり慎重な構成をもって考えなければならぬじゃないかというところに、私の方の主張があるわけですが、そういう国会構成において考えるというと、今何党と何党とを考えているのですか。国会に出ておる全分野を含めるのですか。
  213. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 委員構成のうちで、国会議員と申しますのは、現に議席を持った者を指しておるわけであります。従いまして、選挙の結果その分野が変る、あるいは中には不幸にして落選する方もあるかもしれません。そういう方は当然に私は失格するべきものだと考えております。従いまして、総選挙等がこの調査会の継続期間中にかりにあるといたしますならば、それは総選挙の結果によって考えるのが私は当然の筋であろうと考えております。
  214. 永岡光治

    ○永岡光治君 それでは一応確かめておきたいと思いますが、今の山崎さんのお考えは、各党に按分比例するというお考えなんですか。
  215. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 大体各種の委員会につきましては、慣例があると思っております。その慣例を踏襲するということを申し上げておるわけであります。
  216. 永岡光治

    ○永岡光治君 各種委員会というものはどんなものですか。
  217. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) それは政府部内に設置せられまして、しかもその構成の中に国会議員を加えました調査会というものは、たくさんあると思います、そういう調査会の慣例に従いたい、こういう趣旨であります。
  218. 田畑金光

    田畑金光君 一つ提案者にお尋ねいたしますが、提案理由の中に、「この際、新たなる国民立場に立って現行日本憲法に全面的検討を加えますことは、わが国独立の完成のためにも、はたまた再建日本将来の繁栄と国民福祉の向上のためにも、きわめて緊要なこと」とあります。この「新たなる国民立場」というのは、どういう立場を意味するものですか。
  219. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) ただいままで、あるいは政党におきましては、すでに自由党あるいは改進党時代に、党としての検討をいたしております。また学界におきましては、それぞれ研究会等を設けまして、憲法の再検討の問題について調査研究を進めておられますことも事実であります。しかし、今回の調査会におきましては、国会議員並びに常識経験者を加えまして、従来の研究にこだわらず、新たな観点で十分の再検討をいただきたい。こういう趣旨でございます。
  220. 田畑金光

    田畑金光君 新たな観点に立ってということならよくわかりますが、新たな国民立場に立ってという、この国民的な立場というところに私は問題があると、こう思うのです。これもあなたのお話のように、単に従来、あるいは自由党、改進党において憲法調査審議議を進めてきた、そういうことにかかわりなく、この際新たな観点に立ってやるということになれば国民的な立場という表現を加えるということは妥当でないと、こう考えるのです。「国民立場に立って現行日本憲法に全面的検討を加え」る、こうなって参りますると、当然これは現行憲法の中における、あるいは現行憲法との関係において、新たな国民立場というものが当然ここに想定をされるとこう考えるわけです。さらに具体的に申しますと、要するに今の憲法国民主権の立場に立っておる。国民主権の立場に立っておるということは、言葉をかえて言いますと、基本的な人権を尊重し、保障している、この基本的な人権を尊重あるいは保障しておるというのが今の憲法の基本的な精神である。ところが、それを新たな国民立場に立って検討するということになって参りますると、当然これはいわゆる基本的人権等についても新たなる国民的な立場に立って検討を加える、こういうようなことに当然これは発展すると考えるのです。そういうようなこれは前提の上に立って憲法審議を進められる、こう解釈するのがこの提案理由説明の私は内容であるとみなすべきだと思うのだが、そういうような深い考えでなくて、あなたの答弁のように、単に新たな観点から、こういうようなことであるといたしますならば、こういう誤解の起るような表現は取り消されたらどうですか。
  221. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) たびたび申し上げまするように、現行憲法の三大原則につきましては、私どもこれを変更する意思は毛頭ございませんのみならず、ますますこれを伸張すべきであるという意見であります。新たな国民立場に立ってと申しまするのは、先ほども申し上げたように、従来のいろいろの、あるいは政党なり、あるいは学界なり、あるいは民間におきまする憲法に関しまする調査研究の結果にこだわることなく、また国民全体の世論の動向等も十分にこの調査会に反映させまして、そしてりっぱな憲法の、何といいますか、結論を得たい、こういう趣旨で国民立場という言葉を便った次第でございます。
  222. 田畑金光

    田畑金光君 今提案者お話の、近く世論に耳を傾ける、それはどういう具体的な手続と方法によって世論というものをお聞きなさろうとされるのか、少くともその憲法調査会法案の中には、そういうような手続あるいは慎重な心がまえというものは何も現われておりませんが、あなたの今お話の中に、広く世論に耳を傾けられる、よく総理にいたしましても、提案者にいたしましても、あるいは吉野担当国務大臣にいたしましても、そういう表現を使われているのです、皆さんの世論に慎重に耳を傾けるというのは、具体的にどういうことを考えておられるのか。
  223. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 委員構成につきましても国会議員のみならず各界の代表者も入って参るわけであります。従いまして、こういう方々が、国会議員はもとより、学識経験者も、世論の動向につきましては、常に慎重な態度をもって臨まれることと思います。なお、この調査会発足いたしますれば、この調査会のそのときどきの審議の模様等は、新聞紙を通じて私はおそらく発表せられることと思います。また、これはおそらく隠すべき性質のものではないと思います。そういうことになりますると、この調査会のいろいろの論議を通じまして、国民の世論というものは自然この調査会に反映してくるものと私は信じておるわけであります。
  224. 田畑金光

    田畑金光君 それじゃ伺いますが、私は今の御答弁の中で非常に参考になり、また私はそうあってほしいというそういう態度が表明されたと思うのです。それは、私は先ほど申し上げましたように、この憲法調査法に関する限りは、総理やあなた方が従来述べておられるように、世論に耳を傾けるという窓口は開かれていないのです。唯一の世論を聞くというものは、調査会のメンバーの中にどのように公正な人物を皆さん方は吸収し得るか、ただそれだけにかかっているわけなんです。ところが、この調査会構成というものは、先ほどから論議されているように、明らかにこれは政府の意図する人方が多数を占めるということは明らかであって、そうなって参りますると、世論といっても、この公正の面が欠けることは明らかです。ところが今の提案者の御説明によりますると、今後調査会が活動するに応じて、いろいろ新聞あるいはその他言論機関等が批判をし、監視し、いろいろ意見を述べるであろう、そういうものに広く耳を傾けて参りたい、こういう表現であったわけです。私はそのあとの方の、新聞やその他の言論機関等のこの国民の声というものを皆さんは十分に取り入れる、ほんとうにそれができるかどうか、これに私たちは非常に不安を持っております。そこで、具体的にお尋ねいたしますが、これは政府代表吉野さんにも答弁願いたいと思うのですが、今回の小選挙法案というものが一番これはいい例だと思うのです。どの新聞を見ても社説を見ても、あるいは日々の論説を見ましても、これは明らかに党利党略である。ね、この小選挙法案内容とする公職選挙法の一部改正案、これは廃棄すべし、あるいは継続審議に持ち込むべし、これは圧倒的な世論です。これは今の提案者の御説明になったように、いわゆる広くわれわれが世論に耳を傾けるという場合のその世論は、明らかにこの小選挙法案というものは廃案にすべし、新たな角度に立って、しかも議会政治を守るからには、両党が納得いくような選挙制度を講ずべし、もしそれができ上らぬとするならば継続審議に待ち込むべし、政府与党も、もう少しすなおに国民の世論に耳を傾けるべし、これが圧倒的な世論であると思います。そういう関係も手伝ってか知らぬが、幸いに衆議院においては強引に本会議において決しようというその態度を一応議長のあっせんで引っ込めて、特別委員会審議を戻した。これは一つ具体的にこの際承りますが、政府は世論に敗れた、世論の前に謙虚な態度になったのだ、従って、この問題についても、小選挙区の問題についても、今お話のように、政府は世論に耳を傾けて、世論のおもむくがままに寛容な態度で対処する、そういう一つの現れであると解していいかどうかこの点一つ吉野国務大臣並びに先の答弁に関連して山崎さん、一つ与党の重要な幹部の一人だから、この際態度を承っておきたいと思う。どうですか。
  225. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) お話の点はあまりなまなましい(「なまなましいから大事だ」と呼ぶ者あり)現実の問題でございまして、これはただ憲法調査会法案なんでございまして、これは憲法改正する場合とかどうとかいうこととはちょっと縁が遠い(「えらい縁があるのです」と呼ぶ者あり)のでございまして、私が今そういう問題についてどうもお答えするのは適当でないと思います。
  226. 田畑金光

    田畑金光君 それではあなたは先ほど、答弁したのだから、その答弁に関連してお尋ねしたのだから、一つ隠さんでお話下さい。
  227. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 私は党の幹部ではございませんけれども、小選挙区の取扱い等につきましての御批判は、私これについてお答えすることは差し控えたいと思います。ただ憲法に関する限りにおきましては、先ほども申し上げましたように、十分憲法調査会を通じまして世論が反映するように、ぜひ私は進めて参りたいと考えます。そういう意味合いにおいて心から私はお願いしたいと思いますることは、従来憲法改正反対立場にある方もぜひこの調査会に御参加を願って、そうして広く世論をこの調査会を通じて憲法問題について反映せしむる、こういうことでなければ私は憲法調査会設置しました意味が非常に薄くなってくる、こういうふうにすら考えておるわけでございます。
  228. 田畑金光

    田畑金光君 そう逃げられては困るのです。その点はもう何度も聞きあきているほど御答弁を承わっておりますから、それを承わっておるのじゃないのです、その点については私が先ほど申し上げた通りであって、あなたの先ほどの答弁の中に、単に憲法調査会という窓口を通しての世論だけでなく、この調査会が活動すると当然憲法の具体的な内容に触れてきましょう。それは憲法九条の問題にも触れましょうし、基本的人権の問題にも触れましょうし、あるいは天皇の地位についての問題にも触れましょう。そうなってきますと、そういう問題についてあるいは言論機関、新聞等からいろいろな意見が出てきようと思うのですが、あなたはその場合、そういう広い世論の動向というものに十分耳を傾けたい、こう言われたのです。これは大事な点だと思います。  そこで私は身近な例、あるいは吉野さんはなまなましいとおっしゃるがまさになまなましいから私はお尋ねしておるのであって、この小選挙法案の問題等なんかを見た場合に、政府自民党というものは、きめたらもう何が何でもこれを通そうという、世論がどうあっても馬耳東風、こういう態度で今まで来た。ところがすでにあらゆる言論機関があなた方の行き過ぎに批判攻撃を加えてきた。そうしたところが、あなた方の内部にも分裂が起きてきたのかどうかしらぬが相当動揺してきて、結局衆議院を見ますと特別委員会に差し戻しになった。これは私は大きな世論の勝利だと思います。いやおうなしに世論というものに政府与党であっても耳を傾けなければならなくなってしまった。こういうようなことは今後の憲法審議等においても、当然私は政府与党としては謙虚にあなた方の態度として持すべき態度であると、こう考えまするが、そういうような点についてどう考えますか。これを私はお尋ねしておるので、問題をはぐらかさないで私の質問することに答えて下さい。
  229. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 憲法検討の問題につきましては、先ほど申し上げましたように、私はこの調査会を通じまして、またはこの調査会審議の過程におきまして、いろいろの御意見もあると存じます。こういうことはおそらく新聞その他報道機関にも発表されたことと思います、そういう調査会審議を通じまして、世論もおのずからこの問題点につきましていろいろの方向に向ってくると思います。そういう世論につきましては、謙虚にこれに従うということが適当である、私どもとしてはそういう方向で考えていきたい、こういうふうに考えます。
  230. 田畑金光

    田畑金光君 吉野さん一つ答弁を。
  231. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 先ほど申し上げた点で尽きると思いますが、とにかくこの憲法改正の問題は今のお引きになりました小選挙区法と違いまして、議会がこれを最終的に決定するんじゃないんですね、国民投票というもので国民全般がこれをきめるということは言うまでもないことでございます。それでございますから、世論を無視して一体案が立ちようがないのです、これは国民全般がやるのでございますから。それですからそういう御心配は私はないと思います。
  232. 田畑金光

    田畑金光君 先ほど永岡君の質問に対して、いろいろ憲法第九条についてお答えになっておりましたが、どうも私は御答弁を聞いて納得がいかないわけなんです。自民党のこの調査資料を拝見いたしましても、「第一項は『国際紛争を解決する手段として』の戦争及び武力の行使等を禁ずるものであり、自衛のためにする戦争及び武力の行使等を否定するものでないことは一般の通説であるのみならず、規定の文面上も明らかである。」こう断定されておりまするが、一般の通説と言われておりまするが、一つどういう通説、どういう憲法学者の説がそのように通説というところまで達しているのか教えていただきたいと思うのです。提案者一つ。
  233. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) この憲法九条の解釈につきまして、一々の学行の世論を私ここに記憶いたしておりませんけれども、たとえば制定当時にこの問題についていろいろ御研究になりました、京都の佐々木惣一博士のごときは全くこの説と同じ説をとっております。他の学者の一々の説はここに覚えておりませんので、改めてまた申し上げる機会を得たいと思います。
  234. 田畑金光

    田畑金光君 吉野先生に教えていただきたい。
  235. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私もはなはだ何ですけれども憲法調査会法案の担当をお手伝いをいたしておりますので、憲法そのものについての学者でも何でもございませんが、ただせっかく御指名でお話でございますから私の法律的常識に基いた見解を申し上げますれば、自衛権があるかないかということはこれは憲法九条からきているんじゃないんです。私の見解は、これは独立国家としてこれは当然の権利なんですから。ただ問題はその当然の自衛権の行使といううちに武力行使が入るか入らぬかということが、これは問題であろうと思います、さっきからの問題は。しかるに九条に書いてあるのは、どんな場合でも、自衛権の行使の場合でも戦力を動かしてはいけないとは書いてない。国際紛争を処理するという場合だけに限る。だから立法論としては、いかなる場合にも自衛権でも何でもその戦闘行為は当然いかぬという立法論はあり得ると思います。それをもし憲法に規定するならば、そのときには不正急迫なる侵害を受けたときにはどうするかという、これは国際連合で、集団保障でその点の制裁があればこれはできると思います。そのときにはそういう不法なことをした場合には、たれか責める手があれば、これは今のような立法論も私は成り立つと思います。それですから、そういうことがありますから、そういういわゆる無抵抗主義というものも一つの理論としてあるのです、それですからこの憲法調査会において、そういう意味の苦情というものを明白にするという論も私は出ていいと思うのです。それからまた自衛権というものの行使としてある程度の戦力を、最小限度のいわゆる兵力というものを使ってもいい、それが不明瞭だから明らかにした方がよろしい、こういう論も憲法調査会に出ていいと思うのです。それだから憲法調査会においては、いわゆる虚心たんかいにこの規定がいいかどうか、今のような無抵抗主義でどんな場合でもどんなに不法な侵害を受けても、手をこまねいて自滅を待つ方がよろしいのだという説をとるなら、今の国際連合なり何なりにおいてそれだけの保障がついているか、ついていないか、これは御承知通り、あまり口はばったいことを申しては何ですが、私の承知している限りでは、ドイツのあの組織法を作るときにも問題になった、ところがドイツの立法者は、国際連合に独立国としてそういう場合にどうしてくれるかという規定がない限りは、その戦争放棄はできませんと、こう言うてあれはけった。こういうふうに私は当時外国の何かで、これはそうオーソリティックなものではございません、雑誌か新聞かどうか知りませんが、私の読んだ中にある。はなはだ口はばったいことを申し上げておそれ入りますけれども、ただ重ねて申しますと、私は憲法の別に専門家でも何でもございませんですから、憲法、法律担当の専門の政府委員がここにおられますから、私の申し上げたことで間違いがあるか、あるいは補足する必要があればまた別に御訂正願いたいと思います。
  236. 田畑金光

    田畑金光君 法律あるいは憲法専門の先ほどの次長の説はよくお聞きいたしまして、ようよう混迷に入ってきたわけです。(笑声)それで吉野担当大臣は憲法担当にきまったというので、大いに憲法学書等も数冊買い込んで御勉強なされたということを新聞でも聞きましたので、私は相当これは権威のある御答弁を承われるものだと思ってお尋ねしたわけですが、先ほどのそれはそれとして、山崎さんの御答弁を承わりますと、これはそうしますと、憲法第九条第一項をそのように解釈するというのは、佐々木博士の論だけを引いておられますが、承わりますと、私たちの読んだ限りにおいては、佐々木惣一博士は少数説だと思っているのです。こういう佐々木博士の考え方をさらに徹底されたのが清瀬現理論だと承わっているのです。そう少数説の代表的なものを一般通説と、こう書かれたのでは、これは国民を惑わすもはなはだしいものではなかろうか。それで承わりますが、あなた方の第九条の解釈を聞いておりますと、単に何ですよ、第九条について「国際紛争を解決する手段としては、」この言葉にあなた方は重点を置かれて、国際紛争を解決する手段としての戦争と、国際紛争を解決する手段としての戦争以外の戦争があり得る、こういうあなた方は二様の立場に立って御答弁をしておられるのですよ、あなたの先ほどの御答弁を承わっておりますと。そんなばかげたことは、これは少数説の憲法学税にわれわれはすぎないと見ておるのです。さらに私はあなた方のお説を聞いておりますと、日本憲法の前文というものを全然見ておらぬじゃありませんか。この前文の中には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」と明確にうたわれておるのです。これは「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」というのは、侵略戦争であろうと自衛戦争であろうと、とにかく政府の行為によって、あなたがたがさっき言う、一国と一国の話し合いがつかなかった、それはどちらの側に責任があるかということは、これは別個の判断に待たなければならぬ、とにかくそういう事実関係から戦争が起きてきた、これは今までの歴史です。今までのあらゆる戦争の経験です。そういうことを見たとき、「戦争の惨禍が起ることのないやうに」、明確にこれはわれわれは決意しておるのです。  さらにまたその次に参りますと、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと意した。」ここに決意がありますよ、決意が。そうしてさらにここにわれわれは、国民は恒久な平和を一つ戦い取ろうじゃないかという、新しい理想を持ってわれわれはそれに努力しようじゃないかという決意を表明せられております。この前文をあなた方はどう見ておるのか。  さらにまたこの前文の最後に、はっきりうたっておるじゃありませんか。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇尚な理想と目的を達成することを誓ふ。」私たちのこの平和主義というものは、従来のあるいは憲法概念や従来の平和と戦争とのそういうような概念からは、割り出し得るものではない、新しい立場に立って憲法を定めた。新しい決意を持って平和主義を戦い取ろうという決意を明確にうたっているのがこの前文です。そういうようなことを考えて、さらにもう一つ私は提案者にもよく考えもらいたいのだが、この第二章をよく見て下さい。第二章は戦争の放葉ということをはっきりとうたっているじゃありませんか、戦争放棄ということを。さらに第九条の第一項をあなた方のような解釈をとるといたしましても、第二項に明確に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」こうして戦争を放棄する、戦力を持たない。さらに前文、これを読んでみた場合ですよ、読んでみた場合、この第九条の内容をどう解釈するかということは、大きな、これは重質な問題だと、こう思うのです。その場合に第一項の解釈にいたしましても、私たちは「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希望し、」この国際平和をいかに達成するかというところに第二項の内容の重点はあると、こう思うのです。その立場に立って考えたときに、あなた方の先ほどからの解釈を聞いておりますと、国際紛争を解決する手段としての戦争、また自衛のための戦争、こういう二つの戦争というものがあり得る。こういう前提の上に立って、そうして後者の場合は、すなわち自衛のための戦争、これは第九条は前提として考えていないのだ、こういうような憲法解釈をとっておられるのですよ、ここに根本的な食い違いが出ておるのです。それを改めようといっても、あなた方は少数学説を取って、いやこうだ、政府の解釈はこうだと、こういわれておるので、これはおそらく食い違いが出てくるでしょう。そういうように私は第九条を解釈するのに、憲法の前文、あるいはこの憲法を守っていこうとする国民の決意、こういう点をあなた方はまるっきり無視をされておる、どうでしょうか、提案者に私は伺いたい。(「威儀を正して答弁」と呼ぶ者あり)
  237. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 憲法前文並びに憲法第二軍九条の精神が平和主義に徹する、というただいまの御意見につきましては、私どもは全然同感であります。ただ独立国家として自衛権があるということは、これは何人も異論のないところであろうと思います。ただ自衛権に伴う自衛力を持ち得るかどうか、その自衛力は憲法九条第二項の戦力の禁止の規定に違反しやしないか、ここが議論の分れるところであろうと思います。私どもとしましては、たびたび申し上げますように、自衛権がある以上は自衛力の行使ができるという建前をとっておるものでありまして、それが何ら憲法九条第二項にも反しないし、また前文の精神にも反するものでない、こういう解釈をとっておるわけであります。  なお学者の諸説につきましては、今高辻次長から御説明があると思いますからお聞き取りを願いたいと思います。
  238. 田畑金光

    田畑金光君 もうわかりました。あなたの御説明よくわかりました、お聞きしなくても。ところが今お聞きしましても、どうも山崎さんの御説明は、もう少し素直にこの文章を読んでいただければ、おのずから氷解すると思うのです。あなた方のおっしゃることは詭弁だし、無理に現実の事態というものをいかに憲法を曲げて解釈することによってつじつまを合わすか、こういう立場に立っておられるから、そういう解釈になってくるのです。(「その通り、その通り」と呼ぶ者あり)これを幾ら追及してもあなた方は曲げないでしょう。だから私は具体的にお尋ねいたしますが、自衛隊がすでに二十一万五千名になるわけですね、今度の自衛隊法あるいは防衛庁設置法の一部改正によって二十一万五千名になるわけです。さらに御承知のように昭和三十五年には陸上兵力十八万、あるいは海上兵力十二万四千トン、海上航空部隊が百八十機、あるいは航空兵力が千三百機、こういうまあ一つの計画を立てて年度々々でだんだん、だんだんふやしていっておられるのです。すでにことしで、十六万の陸上制服自衛官ができた、昭和三十二年には十七万、昭和三十三年には十八万、こういう自衛力ができることはもう明らかです。これはいわゆる皆さん方がこれを防衛六カ年計画と、こう呼ばれておる。それでこの防衛六カ年計画は、現行憲法の第九条のもとにおいて無理なくできると解釈をとっておられるかどうか、これを一つ皆さん方の、政府の見解もあわせて吉野さんに承わっておきたいと思います。吉野さんからまず一つ。
  239. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) よけいなことですけれども私は自衛戦争ということはないと思うのです。
  240. 田畑金光

    田畑金光君 いや、私は自衛戦争を聞いているのじゃない。私の今聞いたことについてお答え下さればいいのですよ。その問題を何もあなたの方で……、
  241. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それで、これは戦争じゃないので、戦争といえば国際法上に一定の概念があるので、そうじゃないのです。九条のは戦争じゃない。独立国家たるものは自衛権というものがあって、自衛権は行使する。そこで自衛権というものを行使するためにどれだけの兵力が要るか、こういうことです。その兵力が要るということは、これは自衛権というものの性質からいって、抽象的にいえば、最小限度の必要にとどめるのですから、そこで最小限度の必要というもののうちにおいて、私は今政府考えておる計画は入ると思うのです。しかしながら、最小限度というのはだれがそれなり最後にきめるかといえば、これはいろいろの手続きもございましょう。国防会議ができればそれもありましょう。これは結局国民代表である国会できめるのですから、最終の見解というものは。それがきまるまでの現在においては、私は九条の自衛権の行使のために必要最小限度のものが、すなわち今日防衛庁で持っておる防衛計画だと、こう考えております。これは私の見解でございます。
  242. 田畑金光

    田畑金光君 そうしますと、吉野さんは、いわゆる防衛六カ年計画というものは、これは現行憲法のもとにおいても、最小限に必要な自衛力の裏付として現行憲法のもとにおいて許されるものだという解釈に立っておられるわけですね。
  243. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) さようでございます。そうでなければ、国際紛争のためにはこれは戦力は持てないのですから、規定上許されるものは自衛戦争じゃないのです、自衛権の行使だ。それに必要な最小限度のものの範囲外に出ることは、これは理論上あり得ないとこういう私の見解でございます。
  244. 田畑金光

    田畑金光君 そうですか。それでは提案者の方はどうお考えになっておられますか。
  245. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) ただいま吉野国務大臣の御答弁の通りでございます。
  246. 田畑金光

    田畑金光君 そういう工合になって参りますと、これは初めて政府の方からはっきりした見解を承わりましたが、今まで総理大臣に承わってもなかなか要領を得ない答弁ではっきりしなかったわけですが、防衛六カ年計画の達成も現行憲法第九条のもとにおいて許される。こうなって参りますと、ではかりにあなた方の考え方を前提として論議を進めた場合に、今度は第九条を改めて、そうして、最小限度の自衛軍隊が持てるこう規定をした場合、その場合この最小限度の軍備というようなものはどういうような程度のものを考慮しておられるわけですか。
  247. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それですから、先ほども申し上げました通り、結局は、終局的にはこれは国会がきめるべきものだと思います。兵力量も、これは私はよく存じませんけれども、多分法律できまっているだろうと思います。その他の予算の関係もございますし、政府は自衛権の行使に必要な最小の兵力はこれこれだという見解を持って、それに法案を立ててこれを国会に出しましても、国会がそれは最小限度以上じゃないか言えば、これは削るわけですね。ですから最終の決定は、これは国会がきめる、そういう建て前だと私は承知しております。
  248. 永岡光治

    ○永岡光治君 関連質問吉野大臣ちょっとお伺いしたいのですが、戦争というのは国際紛争だけが戦争であって、自衛のは戦争じゃない。というのは、戦争というのは武力を打ち合わすのが、戦争じゃないのですか。これは重光外務大臣が海外派兵というのは海の外に兵を派するのが海外派兵だと、そういうえらい珍答弁をしたことがあったわけですが、あなた、一体戦争というのは二国間が打ち合うことが戦争ではないのですか。
  249. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私はさっき申し上げました通り法律の専門家でもございませんし、違っておれば何ですけれども、ただ私の法律的常識から申せば、戦争というものは、これは国際法上の一つの概念があるのですから、お話のように自衛権の行使は、これは別な観念であります。ただお話の点は戦闘行為が両方に共通にあるのじゃないかということであれば、これはあります。しかしこれは戦闘行為であって、互いに殺傷し合うということであって、それが直ちに国際法上の戦争というものじゃないと私は思います。
  250. 永岡光治

    ○永岡光治君 自衛のために戦っても、これは国際法上の戦争の法規は受けないのですか。
  251. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私は国際法上の戦争というものじゃないと思います。それであるから、この二項にも交戦権というようなものは、これはない、こう規定している。
  252. 永岡光治

    ○永岡光治君 戦争は一国の間で打ち合うことはないですか。一国の国民同士が打ち合う、鉄砲の弾や刀で切り合うのは、これは戦争じゃないのですか。
  253. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私の申し上げるのは、戦争と言えば、国際法上の一定の概念がこれはあるのです。そこで戦争というものは、どういう場合には、たとえば交戦権の内容にいたしましても、つまり敵の戦力を粉砕する、敵をして城下の誓いをなさしめる、あるいは中立国の船舶を掌補する、いろいろそういう意味の国際法上の交戦権というものはございますけれども、それがことごとく全部自衛権の行使のうちにいくかいかんかということは、これは私は問題だろうと思います。
  254. 永岡光治

    ○永岡光治君 それじゃ私は具体的に聞きますが、大東亜戦争は戦争と呼んでいるのですね。あれは国際法上の何を受けますよ。あれはアメリカとしてもあるいは中国にしても、これは自衛のためでしょうね。中国は自衛ですよ、日本が攻めて行ったんだから……。あれは戦争じゃないのですか。
  255. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それは戦争は当然でしょう。宣戦を布告しているのですから……。これと自衛権の行使とは別問題です。
  256. 千葉信

    ○千葉信君 吉野さんにお尋ねしますが、今あなたは宣戦の布告の答弁をされましたが、その国際法に基く侵略の定義、何を侵略というか、何を戦争というか、その問題について侵略の定義に関する条約の中で第二条ですね。「開戦の宣言がなくても、右の国の陸軍、海軍又は空軍による他の一国の領域、船舶又は航空機の攻撃」これは侵略であり、開戦である、こうなっているのですよ、おかしいじゃないですか、あなたの答弁は。いくらあなた法律を知らなくたって、大臣としてそんな答弁はない。
  257. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 私も詳しいことは何ですが、それは侵略に関することの条約でありますから、解釈でありまして、それが直ちに戦争かどうかということとは私は別問題だろうと思う。
  258. 千葉信

    ○千葉信君 これはここに明白なる条文があるから私は引用した。それが侵略であり、その侵略に対抗する措置というのは、これは戦争じゃないのですか、開戦の立言がなくても……。
  259. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) これは用語の使い方が非常にむずかしいのですけれども、戦闘行為であることは事実です。しかしそれが直ちに国際法上のちゃんと、国際法には戦争というものは実はいろいろ定義がありましょう。それが直ちに沿うものであるかどうかということは、私はにわかに言えないと思います。
  260. 千葉信

    ○千葉信君 今私は関連質問だから、あまり深追いはしません。しかし、深追いはしませんけれども、国際法の建前からいっても、宣戦の布告がなくとも、一国が他の一国の船に対して、それから領空に対して、それから領土に対して侵入した場合には、これは侵略だ。いいですか、ちょっと待って下さい。相手が侵略した場合に、国際連合憲章は、集団的な自衛、もしくは個別的な自衛、そういう自衛権は各国とも持っている。そこで日本の場合には、憲法にはあういうふうになっているけれども、平和条約なり安全保障条約なりに基いて、実際上はいつの間にか日本は自衛権を持ち、軍隊を持ち、そうしてそのあげくの果てには最小限の武力を行使して、国際連合憲章にいうところの集団安全保障、その措置がとられるまでの間自衛権を行使して、侵略されたから戦ってもいい、これを平和条約が認めている。平和条約の第五条をごらんなさい。それはまたその解釈によって、日本に交戦権があるかないかという問題は、これは別の機会に私はあなたに聞きます。交戦権があるかないかは別の機会に聞きます。しかし、あるかないかということは別にしても、そういう侵略を受けた場合に、宣言はなくともこれは開戦だという国際法の通念からいって、開戦とは戦争状態というのはおかしいじゃないですか。これは戦闘行為なんで、そんなことでごまかせますか。
  261. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) これは大へん私の言葉が足りませんでしたが、私の申し上げたのは、永岡さんから大東亜戦争というものはどうかというお話ですから、大東亜戦争の場合にはちゃんと宣戦の布告もいたしましたからということを申し上げたのであって、宣戦の布告をしたかしないかということが、すなわち国際法上の戦争の定義の要件になるかどうかという一般的のことを私は申し上げた趣旨では少しもないのです。それは国際法上の問題ですから、私よりもそれこそ法律担当のむしろ政府委員の方から、国際法上の問題でしたら御答弁を申し上げた方がいいと思います。私はそういう概括的なことを申し上げたのじゃない。ただ、大東亜戦争ということを例に引かれましたから、大東亜戦争はこうであるからという意味で申し上げたのであります。
  262. 千葉信

    ○千葉信君 あなたの言われる通り、大東亜戦争をなるほど例に引かれた。その中であなたが、これが戦闘行為かということの限界として、あのときは開戦の宣言がなかったじゃないか、もしくは開戦の宣言があったじゃないか、こういうことを言われるから、宣戦の布告そのものは、直接それが戦争であるか戦闘行為であるかということを規制する根拠にはならない、これをあなたに聞いている。
  263. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) その通りでございます。私はそういう意味で申し上げたのじゃございませんから、もし私の申し上げたのが、開戦があるから戦争だ、宣戦の布告がないから戦闘行為だというふうに私が申したというふうに御了解でございましたならば、私はそういう趣旨で申し上げませんということを申し上げておきます。
  264. 千葉信

    ○千葉信君 あなたは一つの例として宣戦の布告云々を言われたから、だからそれだけではこれは戦争であるか、これは戦闘行為であるかという区別にならぬ、いいですか。そこで私は今、国際条約なんかも引きましたが、あなたのさっきから答弁されている一般的な概念としての、これが戦闘行為だ、これが戦争だというものの考え方ですね、この点について私は疑義があるから質問したので、これは一般的な問題として質問したのです。どうぞその点は一般的な問題として……。
  265. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) お話通りです。私は一般的の問題で申し上げたのじゃございませんから、それは一般的に戦闘行為なりや、あるいは戦争なりやということの区別をする標準として宣戦布告ということがあるかないか、こういう国際法上の問題は、これは法律担当の政府委員の方からお答えした方が適当だと思います。
  266. 千葉信

    ○千葉信君 この問題、僕の質問でやるから、留保しておく。
  267. 吉田法晴

    吉田法晴君 関連して。それじゃ法制局の高辻次長そこにおられるのでありますから、吉野大臣逃げられましたから、一応担当者から明らかにしておいていただきたい。宣戦を布告しなければ戦争はない、それから国際法上の戦争があるかないか、あるいはこれは陸戦法規に関する規則等からいっても、何と申しますか、これを自衛のための戦争とその国が認めるか認めぬかによって判断せられるのであるかどうかというその点は、一つ法制の方から一応明かにしておいていただきたい。
  268. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) 国際法上の戦争とそうでない戦闘との区別に関連する問題でございますが、非常にむずしかい問題であるわけですが、いずれにいたしましても、先ほど来吉野大臣が仰せになておられますように、宣戦布告がなければ戦争とは言えないということにはならないと思います。これは吉野大臣からお答えの通りでございます。  それから他の一問につきましては、ちょっとお答えする要点をどこに向けたらいいか、まことにおそれ入りますが、その点もう一度お問いを願いたいと思います。
  269. 吉田法晴

    吉田法晴君 その点は自衛権というものは、あるいは自衛権の行使ということは憲法の外だ、従って自衛権はどこまでも持ち得る、限度内に持ち得る、それから行使も憲法関係なしにできる、こういう大体趣旨で説明されたですね。それからそのあとで、宣戦布告がなければ戦争でないかどうかという議論が出た。従って自衛権……自衛権という言葉は抜きましょう。自衛力というものを国が、日本なら日本で、これは自衛力であるということによって国際的にそれが自衛力であるか、あるいは軍隊であるか、戦時国際公法で軍隊と認められるか、これは違うのであります。先ほど戦闘、戦争の話がございましたから、その点をお尋ねをするわけです。というのは、これは日本で宣戦を布告しなければ戦争ではない、こういう意味のことを言われた。それからこれは日本で自衛力であって軍隊ではない、こういうことを言えばそれが国際的に通るのだ、こういう意味の発言がございました。従ってその自衛力というものが行使される場合、吉野さんの言われる戦闘という場合に、それじゃ日本が戦闘だといっても、それは国際法上は戦争として取り扱うというようなふうに今お話しになった。それからその場合の自衛力というものが、それじゃそれは自衛力であって軍隊でないと考えられる。これは林統合参謀本部長ですか、去年かおととしかアメリカに行って、国際法上は軍隊と認められる、こういうことをお話しになった。これはそれに関連する条約等を引き合いに出すまでもないと思うのでありますが、そこで自衛力として取り扱われるか、あるいは軍隊として取り扱われるか、こういうことは、それは単にそれだけの解釈で、政府なら政府国会でのごまかしの答弁では国際法上には通らんじゃないか、その辺を法制局としてはどういう具合に説明をされるかということを、関連ですから、その点だけ御答弁願いたい。
  270. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) ちょっと一言、誤解があっちゃいけませんから。今のお言葉のうちに、私が宣戦布告がなければ戦争じゃないというふうに言うたというふうにちょっと聞き取れましたけれども、そういうことは申しておりません。先ほど申しました通り、大東亜戦争はどうかということだから、大東亜戦争というものはということの説明を言ったのであって、一般的に国際法上の観念として宣戦布告がなきゃならんというようなことは私は申しておりません。また、現在におきましても、過去の事実におきまして、ずいぶん宣戦布告がなしにいわゆる国際法上の戦争というのは起っておった、これは私も承知しておりますから、(「あとから訂正された」と呼ぶ者あり)その点だけ誤解があっちゃ困りますから、誤解のないようにお願いしたいと思います。
  271. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) この自衛力は国際法上の軍隊であるかというような趣旨のお言葉がございましたが、国際法の観点から物事を見るのと、それから国内法としての憲法観点からものを見るのと、国内法の解釈をする場合に、国際法がどうであるかということもむろん意味があることではございますが、主としてその国内法である憲法の解釈として先ほど来のお話があるわけでございますが、かりに自衛力というのは国際法上の軍隊であるかという御質問であるといたしますならば、(吉田法晴君「抽象的な自衛力じゃありませんよ」と述ぶ)国際法上軍隊というのは一体何を基準としてものを言うかということからまず論じていかないとならないわけであります。それには国際法上軍隊というのには、一応公然武器を携帯するとか、何か証票を携帯しているとか、四つか五つかの要件がきまっております。従ってその要件から見まして、果して国際法上の軍隊と見るべきかどうかということを考えていかなければならぬと思いますが、わが憲法上、自衛のための実力といいますか、そういうものを持てるかどうかということに、法律論としては、国内法上の憲法論としてはそこに帰着することになろうと思いますので、先ほど来御質問もございました点から考えまして、まずわれわれと申しますか、私が日本憲法の前文を無視しているというふうなお話がございましたことでもありますので、それにも触れて一つお答えしたいと思います。日本憲法はむろん仰せの通り前文で先ほどお話がありましたようなことがございますが、そのところで実は重要なことは、われわれの安全と生存を保持するということがまさに根底に、憲法の最も重要視していることであることは間違いないことでございます。それからまたそれは前文にもございますし、それから憲法の十三条を見ましても国民の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、」というふうな表現もございます。従って九条の解釈といたしまして、むろん国際紛争を武力で解決するようなことをするべきではない、してはならないという平和主義の根本原則というものはここに歴然と表われておるわけであります。しかしそれにもかかわらず、他方から何か現実の侵害があった場合にそれをどうするかということは憲法がこれを否認しておらない、その場合の自衛というものは、これはきわめて厳密に解すべきであって、いわゆる個人の関係にそれを引き直して見れば、まさに正当防衛の見地に立つべき範囲に限定されるべきである、正当防衛をどこまでやってもよろしいというわけではなくて、それには過剰防衛というような論もあります。そういうものはむろん違法であると解されるわけでありますが、国の自衛というものもむろんそのような意味において厳密に解すべきである、そういうような自衛を行う権利、これは憲法九条は別に否認をしておらない、そのために必要な行動の限界あるいは力の限界、そういうものを厳守する必要はあるけれども、それを厳正に厳守できるものであれば、それは現行憲法上差しつかえないではないか。昔のように、何といいますか、議会がこの軍統帥権のいわゆる独立というようなものに対して何らの発言ができなかった時代であればいざ知らず、国権の最高機関としての国会が、先ほど吉野大臣からお話がありましたように、その武力の規模についてはこれが国会がいかようにでもそれを制御でき、しかもその行動についての経費の面からする予算等も、国権の最高機関である国会が十分にコントロールできるというこの憲法の建前のもとでございますから、むろん先ほど来申し上げておる自衛の限界ということもきわめて重要な問題ではありますが、その限界であれば実力を保持する、自衛力を持つ、こういうわけであります。
  272. 吉田法晴

    吉田法晴君 これは関連ですから、私はあまり発言をしたくないのです。ところが、そういう法制局から政治的答弁をするものじゃないですよ。(田畑金光君「政治的な答弁だよ、答弁になっていないよ」と述ぶ)その憲法の前文とそれから九条との質疑は、先ほど田畑君がやっていた。それから今の最後のところのは、国会でこれはチェックをするから、そこでとにかく過剰防衛だとか、それから憲法に違反するような戦争というものはなかろう、あるいは戦闘行為はなかろう、こういうふうなお話ですけれども、それはそういう議論をするものじゃない。今しておるのは、吉野大臣の答弁から起って質問をしてきた。前の方の、今の最後のあなたの答弁の点からいうと、憲法の解釈についても国会に解釈権はあるけれども政府考えはこうだ、政府についても一応行政府として憲法の解釈をすべきあれはございますからというので今までやってきた。今度は政府がどう考えるかということは言わないで、国会の判断があるだろうと、逃げられる。それを私は今ここで言おうとは思わない。これは人の質問ですから……。しかしそういう答弁の仕方は不謹慎ですよ、あるいは政治的だ。そこで先ほど来吉野大臣に田畑君が質問してきて、九条なりあるいは前文との関係、そこがあるいは食い違いになりながら、あと日本の国で宣戦布告をしなければ戦争とは言わぬ、これは大東亜戦争に関連してでありますけれども、そういう話があり、そうして自衛権であるかどうかという問題も、それは日本で法律できめた、そういう解釈を日本政府がきめた。そういうこと、で自衛権の限界というものがある、自衛力の限界というものがある、こういうお話だったから、戦闘、戦争、あるいは軍隊であるかどうか、こういう問題が、それでは実際にそういうものが国際的な活動をする場合に、国際的には国際法ではそれじゃどう考えられるか、こういうことを御質問申し上げた。それだけの答弁願えばいいのですが、今あなたは、公然兵器を携帯すること云々、その他四、五項目あるようだ、こういうお話だが、それは私が読み上げるまでもないが、「戦争ノ法規及権利義務ハ単ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス左ノ条件ヲ具備スル民兵及義勇兵団ニモ亦之ヲ適用ス 一 部下ノ為ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト  二 遠方ヨリ認識シ得ヘシ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト 三 公然兵器ヲ携帯スルコト 四 其ノ動作ニ付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト 民兵又ハ義勇団ヲ以テ軍ノ全部又ハ一部ヲ組織スル国ニ在りテハ之ヲ軍ノ名称中ニ包含ス」と書いてありますが、その辺の知識というか、あるいは技術的な解釈だけをあなたに問うておる。政治的な答弁です。しかもとにかくこう言えは、その辺はいいかげんにして、政治的な、吉野さんなり山崎さんが言われるような逃げ答弁をされることは、これはあなたの任務じゃない。私は失礼だけれども、そんなふうに思う。ですからそういうふうにはっきり御答弁願いたいと思うが、日本の法律ではどうなっておる、日本政府がこれは軍隊ではないこれは自衛力だ、こう考えて、そうして自衛権の行使として今の自衛隊なら自衛権をとったら、それならばこういう国際法規は適用なくて、これは自衛力でございます、あるいはこれは自衛権の行使であって戦闘ではない、国際法上の戦争ではない、あるいは交戦者でない、こういう工合に言われるか、そうじゃなくて国内法上にはとにかくとして、国際法上にはそれが戦闘なりあるいは「陸戦ノ法規慣例に関スル規則」が適用されるか、その点だけを答弁願いたい。
  273. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) 先ほどといいますか、前からの私の答弁に対してその後いろいろな御意見が出ておりますために、たまったものを一ぺんに申し上げて、不謹慎のそしりを受けましたことをはなはだ申しわけないと思っております。今の点だけについて申し上げれば、先ほど少し触れたところでありますけれども、国際法によりますと、先ほどお読み上げになりましたように軍隊のビル、証票とも申すべきものを掲げられております。それから見ますれば日本の自衛隊と申しますか、そういう自衛力というものが、果して国際法の舞台に立った場合に何と見るかという場合には、これは義勇兵と見るのもどうもぴったりいきませんでしょうし、民兵と見るのもぴったりといきませんでしょう。とすればこれは国際法上は軍隊として取り扱われるということは、これはそうなるかと思います。(「それでいい」と呼ぶ者あり)なおついでに申し上げますが、この軍隊の国内法上の定義と申しますか、軍隊とは何をいうかという国内法上の定義はございません。従って自衛隊というものを国内法上軍隊と見るかどうかということは、また別個の問題でございますが、国際法上の舞台から申せば、先ほど申し上げた通りで差しつかえないと思います。
  274. 田畑金光

    田畑金光君 まあ今の政府委員の最後の答弁で、国際法上軍隊として認むべきものである、これでいいんでしょう。あなたの先ほどの答弁を聞いていると、まことにどうも憲法論じゃないのです。自衛力を、自衛権をだれも否定しているわけじゃない。われわれもまた自衛権には当然自衛力というものがあることも否定していない。ただ憲法九条にいう自衛力は、具体的にしからばどうかという点をわれわれは追及しているのです。もう少し私は良心的に、特に憲法や法律の解釈を公正に客観的に解釈するのがあなた方の任務であるとするなら、もう少し私は良心的な立場でやっていただきたいと、こう思うんです。まあこれだけの要望を申し上げまして、吉野さんにお尋ねしますが、あなたの先ほどの答弁によりますと、第九条のもとにおいて防衛六カ年計画も達成できる。それは要するに最小限度の自衛力というものは憲法第九条が否定してない、国会がその具体的最小限度については決定するからして、国会意思いかんによってきまるのだ、こういうような御答弁がありましたが、それじゃさらにそれを発展しますと、国会意思決定をするなら、このいわゆる最小限度の自衛力あるいは最小限度の部隊、戦力の保持、これは常にこう弾力性があるものとなってくるわけです。じゃ最小限度の兵力とは何か、こうなってくると、あるいは国際情勢もありましょうし、経済の情勢もありましょうし、さらにはまた今日の科学兵器というものが一つの基準になって参りましょう。まあそういうようないろんな最小限度の兵力というものの決定には要素がありまするが、そういう最小限度のものは何かということは国会意思のみによってきめ得るのか、現行憲法のもとには何らのそれじゃ一つの制約というものがないのか、ワクはないのかどうか、この点はどうでしょうか。
  275. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) これは自衛権、自衛のためというこれは大きいワクが憲法にあるのです。国際紛争を解決する手段としてはいけないのですから、だからそれは政府が責任をもってきめるでしょう。きめるが、最終的にはこれは兵力量の問題は法律できめるのでありますし、予算の問題は予算の形でいきますから、これは最終的には国民代表たる国会がこれをきめる、こういうことを申し上げたのであります。
  276. 田畑金光

    田畑金光君 そうしますと、あなたの説を承わっておりますと、要するにこういうわけですね。警察予備隊から保安隊、あるいは自衛隊に発展してきたこの間、いろいろ憲法との関係で問題になってきたわけなんです。鳩山総理自身すらあの警察予備隊当時においてこれは憲法違反だ、こういうような解釈をとっていた。ところが国会について法律ができたじゃないか、予算が通ったじゃないか、国民の多数意思の表現である国会の議決があった以上は、自分は今までの憲法解釈を改めざるを得なくなった。すなわち自衛隊法なりあるいは防衛庁設置法、こういうものができたから憲法解釈を改めたのだ。すなわち国会意思がそこに意思決定があったから自分の考え方も変ったんだ、こういうようなお話をなさいましたが、ちょうど同じことなんです。あなたの今のお考え方は……。
  277. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 総理はどういう工合にどういうことをおっしゃったか、私はつまびらかにいたしません。私の見解は先ほど申し上げた通りです。
  278. 田畑金光

    田畑金光君 だから言葉をかえて申しますと、国会が決定するならですよ。国会が決定するならば、それは憲法の第九条の兵力問題に関し、戦力問題に関する限り、国会が最小限度の必要兵力だ、こう決定する限り、憲法第九条との何ら矛盾を感じないのだ、こういうように解釈してよろしいですね。
  279. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 国会といえども憲法に違った決定はできないと思うんです。憲法で認めているのは、自衛のためのことしか認めていない。それですからこの大きい憲法の制約のもとにおいてのみ国会はこれは議決する。それをこえていかに国会といえどもこの憲法に違反して膨大な軍隊を置くなどということは私は想像はできない。
  280. 田畑金光

    田畑金光君 私の言うのは、あなた方の先ほど来の御論議の通り、これは最小限度自衛のために必要だ、こう国会が認定するなら、それは憲法第九条に反しないのかどうか、これをお尋ねしているんですよ。すなおにお答えになったらいいでしょう。
  281. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) 先ほどから申し上げている通り、私の申し上げたのは、現在の自衛力は、現在の自衛隊ですか、自衛力はここに書いてある最小限度のものと認めるかどうかというから、その通りでございますと、こう申し上げたんです。しかもそのことは究極においては国会というものにおいてこれは制約するということを申し上げたんです。その後半のことに私は別に大した意味はない。
  282. 田畑金光

    田畑金光君 だからね。言葉を返せば、国会が今の日本の現状においてはこれは最小限度自衛のために必要だ、こういう認定をした場合には、憲法第九条の建前からいって矛盾はない、こういうような解釈でよろしいか、あなたと同じことを言っているだけにすぎないんです。
  283. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それならそれでよろしい。それなら、私聞き方が悪かったかもしれませんが、国会がきめれば、自衛権というものの、憲法の規定を無視してどんなに自衛権だというても、国会がオムニポテントで、万能でやられると、こう聞いたものですから、これは誤解でしたらそれでよろしいのでございます。
  284. 田畑金光

    田畑金光君 そうしますと、そういう考え方に立つなら国会できめるというのは、予算の議決か、あるいは法律の審議を通じ、法律の決定だと、こう思うんです。そうなって参りますと、私は法律というものによって、法律の制定によって憲法第九条の解釈というものは左右される。ね、法律がきまり、法律が決定されると、憲法第九条に違反せぬ、こういうことになってきますと、そこに出てくる問題は、法律というものが憲法の上に立つ、こういうことになってきようと思うんです。この点はどう調整されるか。
  285. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) それはそうは言っていない。憲法の規定の方がこれは大事なんだ、憲法に制約があるんですから、この制約の範囲内において国会がきめるのだということを申し上げたのです。憲法の規定を無視して、国会といえども自衛隊をこえた程度のものをやるということは、これは絶対にできない。
  286. 田畑金光

    田畑金光君 かりにこういうことが出てきょうと思うんです。あなたのお話のような考え方でいきますと、最小限の自衛力は何かという問題になってきようと思うんです。そうでしょう、最小限度の自衛力は何か、最小限度の自衛隊はどの程度かという問題になってきようと思うんです。それは当然皆様方のお答えは、経済力とかあるいは国際情勢とか、あるいは兵器の発達、いろいろな要素が出てきようと思うんです。いろいろな要素が出てきようと思うのです。そこでこの要素というものが変ることによって、当然この自衛力の最小限度の線というものも変っていくことになるわけですね。そういうようなことが出てくるわけですね。そうでしょう。そうなって参りますると、こういうようなことが想像されるのです。今はなるほど自衛隊というものは募集でできるかもしらん。募集でたくさんの自衛隊が集まってくる。集まってくる原因は何かというと、これはまた別の論議ですが、ところがもし三十万の軍隊を作りたい、募集しても集まってきない、こうなってきますと、最小限度の兵隊を集めるために何らかの方法を講じなくちゃならん。それは今の志願兵制度でいけない、義勇兵によっても満されない、こうなって参りますと、どういう方法をとるかということになってきようと思うのです。結局そこに徴兵という問題が出てくるわけです。それは徴兵法というものになってきましょう。法律を制定するとうことになってきましょう。こういうようなことが出てきた場合ですよ、これはどういうことになるのですか現在の憲法のもとにおいて、あなた方は今後憲法改正するならば、国防に協力する義務、これをうたおおというのです。この国防に協力する義務というものは何かというと、あるいは今あなた方志願兵制度だと、こう言うかもしれないけれども、しかし、いやしくも憲法にうたった以上、国民は当然その祖国を防衛する義務があるのだ、その祖国を防衛するというのは憲法以前の問題だ、民族が独立をする、民族が自立をする場合には、国防に協力する義務は憲法以前の問題である、こうなって参りますが、ちょうどあなた方が憲法第九条がありながら自衛隊、自衛権、こういうようなことは憲法以前の問題であるという考え方からして、九条をどんどん拡張解釈すると同じように、国防に協力する義務というものを憲法にうたってくると、当然そのとき予想されることは、憲法以前の問題じゃないか、こういう考え方から徴兵という問題等が起きてきよう、これは必要のコースだと、こう思うのです。でその以前においてもし現在の志願兵制度によって最小限の兵力が募集できん、たとえば二十万も集まらない。現に吉田内閣のときの木村防衛庁長官の国会での答弁を見ますると、たとえば二十万までは志願兵制度でいけるけれども、あの当時十八万でしたか、とにかくそれ以上志願によってはむずかしい、こういう答弁をなされていたわけなんです。あの当時の国民の気持においては、あるいはあの当時の客観的な情勢においてはそのような見通しが妥当だったと思う。ところが最近は意外に兵隊に応ずる青年がふえてきた。これは結局貧乏政策のゆえにです、食えないで集まってくるのです。再び戦争というようなことがあってごらんなさい。これは私はほんとうにあの人方がどれだけ郷土や祖国を守る最後の関頭まで決意し得るかということは、私は非常な疑問だと思う。これは要するに長い間のデフレ政策による失業問題や貧乏政策の結果だと、こう思うのです。そういうふうに考えてみたときに、これは法律によっても徴兵というような問題等はできるのだという解釈にあなた方は立っておられると思うのですが、この点はどうですか。
  287. 吉野信次

    国務大臣吉野信次君) これは私が申し上げるのもどうかと思いますが、私はそういうことは考えておりません。今お話のように自衛力というものが、無限でないでしょうけれども、何百万もなければ自衛力の範囲が保てないのだというようになった場合には、これは国際平和というものの現在の仕組みが前提としてこわれてしまうのです。私はそういうことは考えたくない。日一日と私は国際平和というものにだんだんに向って進んでいるのだ、こういうふうに考えておって、むしろ兵力の量も、国際平和というものの前進によって減りこそすれ、それが無限に、無限と言っては言葉が悪いけれどもお話のようなふうにやるというようなことは、私は考えておりませんから、だから今の御仮定での御質疑に対しては私はとやかく申し上げたくないと思います。
  288. 田畑金光

    田畑金光君 あなた非常に重要な御答弁をなさったと思うのだが、そのように国際的な情勢の認識をされているのなら、何を好んで兵力の増大というものを意図し、結果において必然的に招く憲法改正考えておられるのか。あなたの言うように今の国際的な動きが平和の方向に推進して、むしろ兵力の縮小に進むべし、これはわれわれの考え方、われわれの国際情勢の判断なんだ。そういう見通しに立つならば、現行憲法第九条というものを、先ほど来質問がありましたようになぜ改正する企てを持たれるのか、こういう問題にめぐってくると、こう思うのです。ことにこれは第九条の成立の歴史を考えたときに、永岡君も強く言われているのだが、とにかく第一次世界大戦後再び戦争するまいと国債連盟ができた。あるいは一九二八年の不戦条約ができた。もう戦争はやめよう、ところがそういうような不戦条約ができたにもかかわらず、第二次世界大戦が起きたじゃないか、そこで国際連合というものができた。ことに第二次世界大戦の一番大きな指導的な役割を演じて、完全な無条件降伏を日本がやった。そういう反省の中からこの憲法ができ、第九条ができた。こういう歴史的な経緯をたどってきたときに、この経緯をたどってきたときにですよ。憲法第九条の解釈というものにあなた方のような勝手な解釈をとるということは、歴史的な事実、あるいは憲法の成立、これを見ても私は許されないと考えるわけです。第九条が平和主義といわれる憲法の骨髄であり、基本であるといたしますならですね、しかもまた吉野さんのようなそういう国債情勢の認識というものを持たれるならば、それこそ私は先ほど申し上げたように、憲法の前文にはっきりうたっているように、あるいは第九条が予定しているように、そういう国際的な情勢を作り上げる決意を国民に示したものが憲法の前文であり、憲法第九条の内容だと、こう考えるのです。この点は山崎さんはどうお考えになりましょうか。
  289. 山崎巖

    衆議院議員山崎巖君) 憲法の前文なりあるいは九条の精神につきましては、ただいまの田畑さんのお説は大いに傾聴すべき点があると思います。ただ、たびたび繰り返すようなことになりまするけれども憲法第九条は自衛権並びに自衛権に伴う自衛力の強化を禁止していないというのが私どもの解釈であり、またこの解釈につきましては相当賛成もあるわけであります。また憲法改正を私どもがこの九条について考えておりまするのは、今の自衛隊の前身、すなわち警察予備隊の設置以来、保安隊の設置の場合にも、また自衛隊の増強のたびごとに憲法九条違反じゃないかという講論が国会内におきましても、また学界においてもあるわけであります。こういう点もこの改正の場合には十分検討の価値ある問題じゃないかという点で、問題点として掲げているわけであります。なお、国土防衛の義務というようなことも、われわれの憲法研究の段階でいろいろ研究いたしております。むろんまだ結論は得ておりません。しかし国土防衛の義務は徴兵義務を意味するものではないのでありまして、徴兵制度をとらないということは、わが自由民主党におきましてはすでに立党の政策にも明らかにしている点でありまするから、その点は御了承を願いたいと思います。
  290. 千葉信

    ○千葉信君 動議。きょうはこのくらいで、委員会は散会したいと思います。
  291. 青木一男

    委員長青木一男君) この程度で散会することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  292. 青木一男

    委員長青木一男君) 本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十分散会      ―――――・―――――