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1956-04-30 第24回国会 参議院 内閣委員会 第35号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月三十日(月曜日)午 前十一時十四分開会     —————————————   委員の異動 四月二十八日委員佐藤清一郎君、西郷 吉之助君、井上清一君、吉田法晴君及 び豊田雅孝辞任につき、その補欠と して小野義夫君、加藤武徳君、高橋進 太郎君、藤原道子君及び宇垣一成君を 議長において指名した。 四月三十日委員加藤武徳君、高橋進太 郎君、小野義夫君、江田三郎君及び藤 原道子辞任につき、その補欠として 西郷吉之助君、井上清一君、佐藤清一 郎君、吉田法晴君及び田畑金光君を議 長において指名した。     ————————————— 出席者は左の通り。    委員長     青木 一男君    理事            野本 品吉君            宮田 重文君            千葉  信君            島村 軍次君    委員            青柳 秀夫君            井上 清一君            西郷吉之助君            亀田 得治君            田畑 金光君            吉田 法晴君            高瀬荘太郎君            廣瀬 久忠岩            堀  眞琴君   委員外議員            湯山  勇君            戸叶  武君   衆議院議員    山崎  巖君   国務大臣    内閣総理大臣  鳩山 一郎君    文部大臣    清瀬 一郎君    国務大臣    吉野 信次君   政府委員    法制局長官   林  修三君    法制局次長   高辻 正巳君    文部省調査局長 福田  繁君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○憲法調査会法案衆議院提出) ○臨時教育制度審議会設置法案内閣  提出衆議院送付)     —————————————
  2. 青木一男

    委員長青木一男君) これより委員会を開きます。  委員変更についてお知らせいたします。  四月二十八日、佐藤清一郎君、吉田法晴君、豊田雅孝君、西郷吉之助君、井上清一君が辞任せられまして、その補欠小野義夫君、藤原道子君、宇垣一成君、加藤武徳君、高橋進太郎君が選任せられました。  四月三十日、加藤武徳君、高橋進太郎君、小野義夫君、江田三郎君、藤原道子君が辞任せられまして、その補欠西郷吉之助君、井上清一君、佐藤清一郎君、吉田法晴君、田畑金光君が選任せられました。     —————————————
  3. 青木一男

    委員長青木一男君) 憲法調査会法案を議題といたしまして質疑を行います。
  4. 亀田得治

    亀田得治君 私は本法案に関する基本的な問題を若干総理に直接お聞きしたいと思います。  その一つとして、まず世論という問題ですね、デモクラシー憲法政治の基本は、やはり一番大事なのは私は世論という問題だと思うんです。で、これに関して現在の政府態度、一体どういうふうに考えているのか、こういう点が私どもはなはだ納得のいかない現象がたくさん起きてきているわけです。そういう意味世論というものの尊重、これを鳩山総理はどういうふうに考えているか、率直な心境を一つ、お聞きしたいと思うのです。
  5. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は世論尊重したいと思っております。
  6. 亀田得治

    亀田得治君 思っているだけではだめなんで、絶対にこれは尊重しなければいけないわけです。そこで私は具体的にお聞きしますが、国会内部における多数党の意見と、世論というものが食い違ってきた、こういう場合にはどのような態度をとるべきか、民主政治根本精神からいってどうお考えになりますか。
  7. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 一応は国会の多数が国民の多数の意見と認定するよりしようがないと思います。
  8. 亀田得治

    亀田得治君 そこが問題なんです。ただいまの答弁にも、一応はというようなあいまいな言葉がありましたが、そういうことであまりひっかかっておると、質問事項が少くなりますので、私の意見を言ってみましょう。私はまあ多少の食い違いが普通できてくる、そういう場合には、一応国民から信託された多数党として、その多数の意見でやっていくという場合も、常識的に私は是認されてよかろうかと思うのです。ただし国政上非常に重要な事項ですね、重大な問題、それからもう一つは、世論が圧倒的にこの重大な問題について、多数党の意見方向と違っておる、こういう二つ条件が明確に出てきた場合には、どういう態度をとるべきか。それでも先ほどあなたがお答えになったような、多数党の意見国民意見だということで、その意見を突っぱっていいものかどうか。そういうふうに私は、具体的に二つ条件が出てきた場合、こういうことをお尋ねするわけです。どうですか。
  9. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) まあ世論の多数、少数ということは、見方によってなかなか判明はしないと思うのです。まあ自分の方の説の方が多数のように考える人が多い。それですから結局正確に現われるものは議会の多数、少数だと思いますから、それに重きを置くのが当然だと考えております。
  10. 亀田得治

    亀田得治君 どちらが世論かわからないようなこともありますが、しかし明確に世論というものがはっきりしておる場合もあります。これはそういう場合のことをお尋ねしておるのです。どうです。
  11. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) あなたのおっしゃる通りに、世論が左だ、右だというように確定したということの明確な場合においては、世論尊重すべきものと私は思います。
  12. 亀田得治

    亀田得治君 しからばですね、ただいま問題になっておるこの小選挙区制法案ですね、衆議院で問題になっておる。これに対しては私はもう世論方向というものは一定しておると思うのです。現在の政府与党がこの国会で突っぱっておるその案ですね、これは出直すべきものだ。原則的に小選挙区制賛成の人までがその意見なんです、これは。私はまずこの問題については、そういう世論が圧倒的に明確であるということは、あなたお認めになるかならぬか。それに従うか従わぬかは第二の段階の問題ですが、その点をまずお聞きしたいと思う。衆議院で問題になっておる小選挙法案についての世論ですね、これは再検討すべきだと思う。これはもう圧倒的です、この世論は、この点どうでしょう。
  13. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は小選挙区制について世論が必ずしも反対だと思っておりません。ただ世論反対なのは区制の問題だと思うのです。この点につきましてはよく検討した方がいいと思う。
  14. 亀田得治

    亀田得治君 もちろん私も若干その立場を了解して質問しているつもりなんです。小選挙制そのもの賛成な人であってもですね、現在法案として出されておるものですね、これは再検討すべきだ、この点はもう明確です、この世論は。それについては鳩山総理も若干今お認めになったように私聞いたわけですが、しからばこれが非常にまあ重大な段階にきているわけですが、そういう感じを総理が持っておられるとしたら、一体どういうふうにこの際対処すべきであるか、重大な問題だと思うのですが、世論にこたえる意味においてその点をお聞きしたい。
  15. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は慎重に考慮すべき問題だと思っております。
  16. 亀田得治

    亀田得治君 こういう事態になっておることは今突然に現われた現象ではありません。もちろん重大な問題ですから慎重ということはけっこうでありますが、今の審議状況から見るならば、慎重に名をかりて遷延すべき時期では私はなかろうと思う。ほんとうに総理みずからも考え方をきめて打つ手があるならば打つ。世論にこたえる。こういう態度に具体的に出るべき私は時期だと思うのですが、そうはお考えになりませんか。
  17. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) わが党は党議としては決定しておるのでありまして、ただいまその方針で進んでおります。けれども社会党からも区制案が出まして、この機会に社会党区制案とわが党の区制案とを並べて検討するという必要がありはしないかというようなことをただいま考えております。
  18. 亀田得治

    亀田得治君 もう一点それではお聞きします。この圧倒的な世論に対しては必らずこたえる。まあ具体的には今どうこうということは言いにくいかもしれませんが、この圧倒的な世論に対しては必らずこたえると、こういうことだけははっきりお答え願えるでしょうか。
  19. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 世論がはっきりしている場合にそれを尊重するということは当然なことと思っております。
  20. 亀田得治

    亀田得治君 まあこの世論と小選挙区制の問題は時間の都合でこの程度にいたしておきます。  そこで次に、憲法に関する世論の問題に移ります。私も今まで日本で行われたこの憲法改正是か否かという問題に関する世論調査を詳細に集めておりますが、たとえば内閣総理府、あるいは朝日新聞なりあるいは民間世論調査研究所など、そういう所なりいろいろあるわけなんですが、大体総合して考えますと、憲法改正賛成というのは三〇%台であります。まあものによっていろいろ凹凸はありますが、あと反対かあるいは不明だ。こういう状態になっているわけです。その比率も大体まあ一・一・一ぐらいの割合ですが、こういう三派鼎立のような状況です、実情は。私はあなたが先ほど世論尊重するということを言われておるのですが、こういう状態では憲法改正に具体的に手をつけるべきではない。政治家の主観的な希望は別ですよ、あるいは党なりそういうものの立場は別として、世論尊重する立場から言ったら、こういう状態では、憲法改正に具体的に着手をすべきものではないと、こう私は考えるのですが、いかがでしょう。
  21. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 憲法改正が必要であるゆえん及びその改正の内容が妥当であることをよく説明すれば、世間は、世論はおのずから帰一してくるものと私は思っておるのであります。今日においても憲法改正に関する世論賛成論も次第にふえておるというような観測をしております。
  22. 亀田得治

    亀田得治君 政府が説明すれば改正論もふえるだろう、そういうことをお尋ねしておるのじゃない。世論の実際の数字というものは出ておるわけです。それからあなたが先ほど最近ふえておるとおっしゃったのですが、これは政府がこの内閣審議会と特殊な関係にある中央調査社、こういうところを通じてやっておるものがふえておるだけなんです。民間機関が純粋な立場からやっておるものは決してふえておりません。ことにそれが再軍備という問題にからんでの憲法改正という質問なんかになれば、非常に反対者がふえてくる、あるいはさらにふえておる、民間調査によれば。そういうわけで今つけ加えてあなたがおっしゃった最近は改正論がふえておるというのは、これは全くごまかしなんです。中央調査社のこういう世論調査のやり方については、これは一つ一般質問等でもう少し私は詳しく追及するつもりなんですが、それは別として、今までに出ておる数字というのは大体賛成反対、不明、これが一・一・一と三つが鼎立しておるような状態なんです、これは。将来のことを私は言っておるのではない。現に出ている数字、そういう数字のもとにおいては、軽々しく憲法改正に具体的に着手する、こういったようなことは断じて世論尊重するという気持があるならばしてはならない。していいかどうか、こういう数字状態で。そのことをお尋ねしておるのです。
  23. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) まだ憲法改正具体案というものはできていないのです。この具体案ができて、これを世間に示して、その後に、正確な世論調査というものが必要であり、そのときの世論調査というものが有力なものと私は思います。
  24. 亀田得治

    亀田得治君 憲法改正に具体的に着手していいかどうか、こういう世論数字状態のもとにおいて、それを聞いている、端的に答えて下さい。
  25. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は改正の必要ありと感じますから、その具体案を作ってそうして世論に問うべきものと思います。
  26. 亀田得治

    亀田得治君 具体案を作るのはいいのです。よろしいが、具体体的にそれを制度として作り上げる、そういう仕事着手していいかどうかということなんです。着手すれば約一・一・一ですから、大体三分の二程度の人の意見というものは無視されるわけですね。そのことを聞いているのです。そういうことをやっていいかどうか。
  27. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はそういう考えは、三分の一以上の人の意見を無視するとは考えられません。具体案をこしらえてそうして世論に問うのが当然の道だと思います。とにかく具体案をこしらえるということは、これは政府としては責任がありるのです。政府という語源を、などというのはおかしな話だけれども、政府という言葉語源国民スティアするという意味なんですからして、導く責任政府にあると思うのです。ガバーンということはスティア、それですから政府がいいと思ったことは、やはり案をこしらえて、そうして国民に問うという責任政府は持っておる、こういうように私は考えます。それですから政府としては憲法の案を作って、そうして国民世論——国民にこういう希望をもって、こういう意思をもって憲法改正したいのだということを徹底せしめて、そうして国民意思を問うて、そうして憲法改正着手すべきものだ。案を作るということは、その前に政府としては責任があると思うのです、具体案を作ることは。
  28. 亀田得治

    亀田得治君 これは非常に総理大臣は大事な問題に触れておるわけなんです。政府は導くという言葉をお使いになっておるのですが、この国の基本的な問題については、たれが一体最も大きな発言力を持っているのですか。私は国民だと思うのです。こまかい行政上の問題等については、これは政府責任をもっておやりになったらいいでしょう。基本的な国のあり方というような問題については、私は政府は導いちゃいかぬと思う。だから私は重大な問題に関する世論というものについて、どういうふうにお考えになるかということを、まず最初聞いておるのです。そこでは世論尊重するとおっしゃるのでしょう。それであれば、この憲法改正の問題についても、その態度が出てこなければいけない。ところが憲法改正の問題については、世論はまだ熟しておらないことは、これはもうだれが見たって事実なんです。一・一・一の三派鼎立状態で、どうしてこれが世論と言えますか。そういう状態で一体政府が導くというような態度をとっていいかどうか、私はいかぬと思う。(「いいことは導いたっていいじゃないか、何が悪いか」と呼ぶ者あり)いいか悪いか国民が判断するのですよ。国民の中で今の憲法が悪い、圧倒的にそういう世論というものが数字の上に出てきた、そういう状態で、初めて政府が動いてこそ、民主的な改正ということが言えるのです。その点鳩山総理、何かこう勘違いしておられるのかと思うのですが、いかがでしょう。
  29. 鳩山一郎

    鳩山一郎君 このたびの案は調査会を作って憲法改正すべきかどうか、憲法改正すべしとするならば、どの点をどういうように改正すべきかということを調査しようというのですから、そういうことは、政府は私はそういう責任がある。これを政府はそういうことに全く着手をしてはならないとか、そういうようには考えられません。
  30. 亀田得治

    亀田得治君 それじゃもう少し極端に私言いますと、世論調査の結果が憲法改正賛成一〇%、そんな程度においても、政府がこの憲法はおもしろくないと考えれば、その憲法の問題の研究くらいには着手するのは差しつかえない、そういうふうにあなたはお考えになりますか、そうでしょうか、理論的にはそうなりますよ。
  31. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) ただいまの質問私よく聞き取れませんでしたけれども、憲法改正する必要ありということを政府考えた場合に……。
  32. 亀田得治

    亀田得治君 世論が一〇%ぐらいしかないという場合においても、おやりになるかどうかというのです。
  33. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 研究することはかまわないと思います。調査をして原案を国民に示して、そうして国民意思を問うことはかまわないと思います。
  34. 亀田得治

    亀田得治君 これはもう全くデモクラシーというものを解しておりませんよ。これはわずか一〇%ぐらいの世論しかない。国民希望に従って政府は動くものでしょう、その精神を忘れている。相変らず鳩山内閣国民から一たん選挙によって信託されれば、あと自分が今度は主人公なんだという考え方が抜け切らない。せんだって、たとえば自衛隊合憲説というものを予算委員会であなたが説明さた中に、その一つ理由として、自衛隊法国会を通ったから合憲考えるということも一つ理由と、こういうふうに説明された。これなんかも同じことですよ、お考えが。多数で通れば、多数の人はそういう憲法に違反することをやるはずがないのだという考えがある。そんなことはないですよ。これはそういう考え方であれば、結局は主権者である国民あるいは憲法というものが、多数の独裁によってじゅうりんされていくのです。(「多数の独裁じゃなく少数独裁だ」と呼ぶ者あり)一〇%ぐらいの世論支持でどうしてあなた政府が……、それは鳩山さん自身個人ですよ、たとえ世論一〇%であっても。自分はこの憲法は変えなければならないと思うからということで、あなたが個人で家の書斎で研究されるのはそれは勝手でしょう。しかし政府がやる仕事としては私は不適当じゃないかということを言っているのですが、それは差しつかえないでしょうと言うのですが、それでは私は最初にあなたがお答えになった世論尊重するということにならぬじゃないでしょうか。それでも世論尊重になりますか。
  35. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) これは政党として研究することは自由でして、そうしてその研究したものを作って、それが国民意思を問わなければ憲法にはならないのですから、多数を無視して憲法を作られるということは、絶対にそういう危険はないと思います。(「政党じゃなく政府だ」と呼ぶ者あり)
  36. 亀田得治

    亀田得治君 個人とか政党のことを言っているのじゃない。政党が独自の案を作られるのはけっこう、個人が独自の案を作られるのはけっこうでしょう。しかし世論支持がそこまでいっておらぬ段階において、国費を使ってそういうものに関係ある機関を作ったり、そのために国費を使われることが、たとえわずかであっても、これはいけないじゃありませんかと、これを聞いている。政党じゃない。
  37. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういう憲法改正する必要ありということを政府が感じましたときに、それに着手しないということは政府の無責任だと思うのです。政府がいいことだと考えた場合においては、それに着手する義務があると思います。そうしてそれを民意に問うということは憲法に明示するところであって、決して、民意に問わないで憲法が一〇%とかあるいは五〇%ではなかなかできないのですから、議会においては三分の二に達し、レフェレンダムにおいては多数をとらなくては憲法にはできないのですから、世論を無視して憲法のできるということは絶対にそういう危険はございません。
  38. 亀田得治

    亀田得治君 まあとにかくデモクラシー根本というものが間違っていますよ。これは反省を促しておきます。これ以上やっても仕方がないと思います。
  39. 吉田法晴

    吉田法晴君 ちょっと関連して。それでは総理に伺いますが、総理政府がいいと思うことは案を作って国民を指導する責任がある、こういうお話であったのですが、ガバーン、それからスティアという言葉が出ておりましたが、そうすると、亀田君の聞いているのは、現在においては憲法改正すべしという議論は少数だ。しかるに政府憲法改正すべきだという少数国民意見を反映をして憲法改正について着手するということは、これは民主主義に反するんじゃないか。こういうことをお尋ねをしているわけなんです。言うまでもございませんけれども、今の憲法の建前は、前文を待つまでもなく、政府国政担当の権限というものは国民から発しておる、国民の委託を受けて政治をやっておる。国民のかわりにやっておることは私は申すまでもないと思う。その国民自身の中に大多数の憲法改正すべしという意見が出ないのに、政府憲法改正着手する、こういうことは民主主義精神に反するではないか。これが質問の要点であります。もし鳩山総理のように、国の中に少数意見であろうとも、それは政府はいいと思うならば改正すべきだ、こういうことになるならば、これは今は多数党の上に組織されている内閣でございますけれども、しかし、あるいは少党分立といたしますならば、少数党を代表しまして、少数意見を代表して内閣ができることもございましょう、前の民主党内閣のように。そうすると少数国民意思を代表する政府自分憲法改正すべきだということになるならば、憲法改正はどんどん進んで参る。民主主義の原則がじゅうりんされて、これは民主主義が滅ぼされる、あるいは憲法がじゅうりんされていく。こういうことが起って参る危険性がございます。これはヒットラーあるいはムッソリーニの例を待つまでもなく……。こういう点をどういうふうに考えるか。  それから政府政権をとったら、常に憲法改正のことを考える。鳩山内閣国民少数意見を代表して憲法改正着手されたけれども、それに反対する国民の相当多数の意見がある。かりにこれがどういうことになるかわかりませんけれども、そういう前例をこしらえるならば、あるいは社会党が天下をとったときに憲法改正考える。政権交替ごと憲法改正という事態がこれは起らんとも限りません。鳩山総理の、政府考えることに何が悪いか、いいと考えることはこれは着手するのが当然だと考えるならば、そういう事態考えられるでしょう。民主政治家として鳩山総理それはどういう工合にお考えになりますか。
  40. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 政府政党内閣でありますし、政党国民多数の意見を反映しているものであります。ですから憲法改正必要性を検討することは、その意見の、その多数党の政策として考えられるものと思います。そしてその少数意見をもって憲法改正するのは当然だというような考え方を言っているわけではございません。
  41. 青木一男

    委員長青木一男君) ちょっと今は亀田君の質疑時間ですから、吉田君の御質問のときに、これ以上は質問をいただくことをお願いいたします。
  42. 堀眞琴

    堀眞琴君 関連して。鳩山総理が今亀田君並びに吉田君の質問に対して答弁された点で、多数党の上に政府が組織されている。多数党は国民によって多数の支持を得ている。そこに根拠があるようにお話になった。もちろん現在の自民党衆議院においては圧倒的な多数を持っていることは私どももこれを否定するわけではないのです。しかし今の自民党は、それは自民党全体として国民から信頼されてできているかというと、私はそうとは限らないと思うのです。御承知のように昨年の秋の自由、民主合同が今日の自民党になったわけです。ところがその自民党合同そのもの国民によって必ずしも信頼されて、多数党がそこに成立したのではなくて、自由党、民主党のそれぞれの首脳者の話し合いでできたのが今日の自民党であります。総選挙によって今日の三百名近い自民党ができたのならば、あなたのお話は一応通ると思うのです。ところがそうではない多数党をあなたは与党として持っておられる。従って多数党だからと言って、必ずしも国民によってその多数が承認されたとは言うことができないということと、それからもう一つ、多数党のあり方について、これも亀田君が質問されたのですが、あなたからはお答えがなかった。多数党は何でもやれるのだという考え方があなたの根本にはあると思うのです。外国にも多数党は男を女にすることができないだけだという有名な言葉があります。多数党になれば、何でもやれるのだ。このことが実は議会主義なりあるいは民主主義の危機として一番強く叫ばれたのは、もうすでに前世紀の末からのことだと思うのです。そういう点も亀田君の質問の中には含まれておったのですが、お答えがなかったのですから、私からあらためて御答弁を願いたいと思います。
  43. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は今のあなたのお話を聞いてみますと、大体私も同じような考え方をしております。今日の多数党は選挙によってできたものではないということは、あなたのおっしゃる通りです。だけれども両方とも保守党でありまして、両方とも憲法改正を必要と考えていた党が一緒になったのでありますから、憲法改正については両党の間に最初から意見は一致していると思います。  それからあなたが多数を持っているから、多数の思うことならば何でもできるというような考え方をするのは不都合だというお話がありましたが、全くそう思います。多数を持っているからと言って、世論を無視して無理をしてはならないと思います。やはり国民の多数が賛成するような形をとっていかなくてはならない。賛成するということが明らかであるというような場合に着手するというような形をとっていかなくてはならん。政治をやる上にそういうこともあなたと同じような考え方をしております。
  44. 亀田得治

    亀田得治君 ともかく小選挙区制の問題についてははなはだ世論を無視している。事実そうして一方では憲法改正等の問題になりますと、まだ熟しておらん世論というものを大いに何と言いますか、活用すると言うのか、そういう態度に出ている。これははなはだ私はけしからんと思う。  そこであと五、六分らしいから、もう一つ問題をお聞きします。これは憲法制定当時の世論の問題についてお聞きしたいのです。この調査会法案の提案理由等を見ても、国民の自由意思によるものでない云々というふうな表現を使って、何かこれが正論を無視して作られたような説明をされておる。私はこれははなはだ間違っておると思うんですね、そういう解釈は。おそらく政府がそういうことを言われるのは、たとえば連合軍司令部から憲法草案に関する、この草案の案ですね、そういうものが日本政府に示された。そうしてホイットニー少将でしたか、もし日本政府がその草案を尊重しないなら、自分の方でみずから国民に発表してみたいと思うというふうなことを言ったというようなことをつかまえて、盛んに日本国民意思ではないといったようなことをおっしゃっておるわけですが、しかし問題はそういろ区々たる経過ではない。その当時、日本政府は松本私案というものを甲、乙二つ持っていて、それを司令部にも出しておるんですね。ところがこれははなはだ非民主的な草案なんです。これでは日本が民主化の方向をとれぬじゃないかということで出てきた一つの示唆なんですね。出てきたものについては、発表後国民は、ああ、なるほど、これの方が日本を明るくするにはいいんだ。これは圧倒的に支持しましたよ、まあその辺のこまかいことは、これはもう少し一般質問の過程で山崎さん等に質問したいと思うんですが、大まかに言ってそういうことなんです、実情は。政府が持っていたその案というものは、あまりにもこれはもう非民主的なんです。それでやむを得ず出てきたものなんです。しかしそれについては国民が喜んだんです。それを苦々しく思ったのは、そういう状態になっても、なおかつ、頭の切りかえのきかなかった保守的な政治家なんです、はっきり言って。その点は鳩山さん、どういうふうにお考えになっておるかね。私が今申したようなことだとすれば、何も世論を無視しておることにならぬじゃないですか。この現在の日本国憲法成立の過程というものは、どういうふうにお考えですか。
  45. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はたびたび申しましたように、今日の憲法ができます当時は占領中でありました。占領中でありまして、やはりそのほんとうの意味の言論の自由というものがなかったと考えております。従ってただいまは独立を回復したのでありますから、現在これを再検討するというのが必要のように思います。
  46. 亀田得治

    亀田得治君 そういう抽象的に言論の自由があった、なかった、そういうふうなことは、また別の機会に議論しましょう。この新憲法を、当時の国民が、これはいいという感じで受け取ったことは、これは私は間違いないと思う。そのことをあなたは否定されるのかどうか。その点を聞きたい。
  47. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は占領中の賛否というものは、あまり信憑できないものと思います。
  48. 亀田得治

    亀田得治君 そんなことはありませんよ。それはものによりますよ。幾ら占領中であっても、これはほんとうにこれがいいという感じを持っておれば、それは世論ですよ、明確な。その当時賛成されて、そうして現在反対されておる政治家の言説等を一々ここで引きませんが、そういう何と言いますかね、ただ占領中々々々ということだけで、もう少し実態に入った検討をわざわざ見のがしておる。こういうことは私ははなはだ世論を無視しておると思います、そういうことは。国民の真意に沿いませんよ、そういうことは。で、最後に一点それに関連する点でお聞きしますが、あなたは、あの当時日本政府が司令部に出した松本草案ですね、甲、乙二つありますが、あの草案に賛成ですか。ああいう草案がいいと思いますか。
  49. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 松本蒸治君の草案ですか。
  50. 亀田得治

    亀田得治君 ええ、そうです。
  51. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) あの当時は今日とは事情が違いまするから、現在はやはり再検討すべきものだと思います。
  52. 亀田得治

    亀田得治君 現在は賛成でないようなことなんですが、しかしあの当時ならいいという意味にもとれるんですが、そうですか。
  53. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 当時は私は全く関与いたしませんでした。
  54. 亀田得治

    亀田得治君 いや、その当時は関与しなかったかもしれませんが、こういう重大問題をあなたが投げかけておるわけですから、おそらく松本草案というものをその後において検討されておると思う。そこであの当時の状態において、松本草案適当であったかどうかということの価値判断はされておると思う。それを聞いておる。
  55. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 現在は松本君の案を参考として私は考えませんでした。離れて考えました。
  56. 亀田得治

    亀田得治君 ともかく松本草案なるものは、天皇主権説、軍の統帥の規定、基本的人権に対する法律による制限、たとえば言論、集会、そういうものに対する法律の制限、こういうものを規定しておる。で、私が今お尋ねしても、ほんとうならば若干それをほめたい個人的な関係があるんでしょうが、あなた自身はそういうことが言えないくらいにこの日本の民主化にふさわしくない案なんです。政府がそういうことを固執しておったから、やむを得ず司令部から出てきた示唆なんです。そこが大事なんですよ、問題は。それを何かこう政府がスムースにやっておるのに押しつけてきたとか、そういうことをおっしゃるのは、はなはだこれはもう事態の真相を曲げておる。実際に世論というものを曲げておる、わざわざ。政府がその当時ああいう松本草案のようなものを持っておったことは、はなはだ不適当と、今はあなたがあとから考えて、お考えでしょうか。
  57. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は現在の憲法で、主権在民説、つまり民主主義、それから平和主義、それから基本的人権というような諸制度については、現在の憲法をそのままに置いておきたいと思っております。
  58. 亀田得治

    亀田得治君 それじゃ最後に一点。そういうことになれば、この松本草案というものは、もう全くこれは問題にならぬ草案なんです。従って私は日本民主化のためには、司令部の方がそれに対して注意した。問題点ですね、注意した。これは私は当然じゃないかと思うんですが、その点どうです。
  59. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 司令部の案のうちにも、私は今日採用して残していきたいという点は多々あると思っております。
  60. 亀田得治

    亀田得治君 つまり注意をした、松本草案のようなものはだめですよと注意があったのです。強い注意があったのです。そのことは私は当然じゃないかということを言うのです。国民が幸福になればいいのですからね。それをどうお考えになるか。松本草案はよろしくないともうはっきり大体おっしゃっているのですから、当りまえじゃないですか。
  61. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) とにかく占領軍は、占領の見地から憲法改正をしてきたわけでありまするから、今日独立国となった以上は、自主的に再検討をすべきものであると私は思います。
  62. 亀田得治

    亀田得治君 大臣は具体的な質問を、絶えず大事なところへ行くと、一般的な抽象論に変えられてしまうので、はなはだ不満ですが、時間がちょっと超過しておるということでありますので、一応この程度にしておいて、また別な機会に譲りたいと思います。
  63. 千葉信

    ○千葉信君 私は三つばかり御質問申し上げたいのですが、第一問は簡単にお答えをいただきたいと思うのです。それは首相はこの憲法調査会を臨時のものとお考えになっているか、それとも恒久的なものとお考えになっておられるか、その点を一つ
  64. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) これは恒久的なものとは考えておりません。
  65. 千葉信

    ○千葉信君 そうすると、問題が出てくるのですがね。今首相はこの憲法調査会は、恒久的なものとは考えておらない。つまり御答弁としては、これは臨時のものだということになります。そうすると、首相も御承知のように第二十二国会では憲法調査会設置法案が流産、国防会議の法案と一緒に。ところが今度は、政府はこの法案提出過程、しかも国会審議の最中に、国家行政組織法の一部改正法律案を出してこられた。それによると、第八条の審議会もしくは協議会等臨時のものは、政令の定めるところにより置くことができるという法律案をただいま御提案になっておる。そうすると政府としては、この憲法調査会法案に関する限りは、二またかけて、この設置法を用意してこられたということになると思うのですが、その点はいかがですか。
  66. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういう考え方は持っておりません。
  67. 千葉信

    ○千葉信君 そういう考えを持っておられたにしろ、持っておられないにしろ、もしもこの国家行政組織法の一部を改正する法律案が成立すれば、この憲法調査会法案審議については、国会はむだな努力をすることになる。この法律案が成立してもしなくても、政府の方では今度は憲法調査会を政令でもって設けることができるというその事実が起ってくるわけです。これはどうですか。
  68. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういうことは考えていません。
  69. 千葉信

    ○千葉信君 法律案を提出するのは総理大臣ですよ。一方の法律は、どういう考えでお出しになっておるのですか。こういう改正案を……。
  70. 林修三

    政府委員(林修三君) この点は実は行政管理庁当局からお答えするのが筋だと思いますが、私の方で、法案の審査に従事いたしましたから、私から一応その点についてお答えいたします。これは従来御承知のように、総理府及び各省に諮問的ないろいろの機関を置きますることは、すべて法律に基いて置くということになっております。これは御承知の通りに、実は国会閉会中にいろいろ臨時のそういう諮問的な機関を作る必要があることは、実はよく起ったわけであります。そういうときに、従来はあるいは懇談会的なものを閣議決定のような形で置いた例がままございます。こういうものをやはり制度化するということが必要だということで、この規定を置いたものと考えました。そういう重要なものについて……。
  71. 千葉信

    ○千葉信君 次に重要な問題があるから、これはこれからにして、次の質問に入ります。  首相に、それでは次の問題をお尋ねいたしますが、この憲法改正の最も具体的な問題、中心的な問題、これは憲法第九条がクローズ・アップされておると思うのです。この九条の関係については、九条を順守して自衛隊を置くべきでないという意見がある。九条を改正したりして、そうして自衛隊を増強したい。しかしこれはいかぬ、むしろ自衛隊認めない、こういう意見がある。それから今の状態では自衛隊は増強しなければならない。しかしこの自衛隊そのものが憲法に違反するものであるからという立場から、第九条は改正しなければならぬという意見がある。もう一つは、鳩山さんが第二点の意見をかつて唱えておられて、今度は第三点の、憲法改正しなくても自衛隊は持てるのだ。自衛隊法が通ったことは、すなわち憲法がこれを認めておるということの結論じゃないか。これは国会の多数決ということの問題があります。鳩山さんはそういう主張をしておられる。この間の田畑君の質問鳩山さんはお答えになって、自分としては憲法改正しなくても、第九条を改正しなくても、自衛隊は持てるという解釈をとっているが、しかしいろいろな意見があるから、そういう異論の余地なからしめるために、第九条をやはり改正すべきだという鳩山さんの御意見、つまりその鳩山さんのこの間の答弁は、今鳩山さんが言っておられる憲法改正しなくても自衛隊は持てるという今の立場、しかしまた同時に、憲法改正しなければ自衛隊なんか持つことは憲法違反だという意見の存在を肯定しておられる。それからこの問題は、憲法なんか改正してはいかぬ。自衛隊も持ってはいかぬという、こういう意見もある中で、鳩山さんはとにかく憲法改正して、そうして自衛隊を持つことに何らの疑義が憲法にないように改正すべきだということを言って答弁されたわけですが、一体そういう鳩山さんの答弁は、そういう異論の起る余地が第九条にあるということを認め、そうして鳩山さんもかってはその意見であった。そういう一国の首相が憲法の解釈において二度も変られたことは、これはあり得るとしても、そういう第九条に対する解釈に対して異論があることについて、首相はそういう異論は間違いだという立場をとるなら別ですが、すっきりしたものにするためには、憲法改正しなければならぬということを鳩山首相が言われることは、鳩山首相自身が、自分の今とっておられる憲法の解釈について、自信もなければ責任もとっておられないという結論になると思うのですが、この点はどうですか。
  72. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 自分といたしましては、憲法第九条は自衛隊を持つことを禁じていないと思っています。いないと思っておりますから、現在自衛隊を持つことを憲法違反とは思っておりません。思っておりませんけれども、ただいまあなたのお読みになった通りに、私の答弁は、とにかくに国民の間に疑いがあるのですから、議論のあることは事実なんですから、そういう議論の生じないようにしたいという希望を持っております。
  73. 千葉信

    ○千葉信君 鳩山さんの今、持っておられる解釈がもしも正しいのだとすれば、何も憲法改正をしなくとも、そういう自分の正しい意見が、この通り憲法の正当な解釈だということを主張される、そのことによって私は解決できると思うのです。その点についてはどうですか。
  74. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 憲法改正理由は、憲法第九条ばかりにとどまっておりませんから、とにかく憲法を再検討する時期だと考えております。そういうような再検討する場合においては、憲法九条をやはり考え直しておいた方が明瞭だろう、こういうふうに考えます。
  75. 千葉信

    ○千葉信君 私はその点はそれぐらいにしておきますが、そこで次に出てくる問題は、今の鳩山さんが第九条に対してとっておられる解釈からいけば、最小限度の自衛隊は、防衛力は持てる、自衛力は持てる、海外派兵もやるとは言っておられない。
  76. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 言っておりません。
  77. 千葉信

    ○千葉信君 徴兵制度もしくとは言っておらない。そういう点からも私はどうしても、何とあなた方がほかのどういう問題についても必要に迫られているとか、考えているとか言っていても、やはり一番大きな問題としては、この第九条の問題がやはりわれわれとしては究明を要する問題なんです。そうすると、そういう、これ以上の最小限度という自衛力をもっと限度を広めるとか、海外派兵を行う必要があるとかいうことがなければ、徴兵制度をしくなどとということがなければ、現在の憲法でも、今の状態の中では、私は十分第九条でその解釈によって今の状態に適合できると、こういうことになると思うのですが、そこでそういう考え方から言いますと、一体今度の憲法改正の問題、しかも憲法改正の問題の最も中心的な戦力をどうするか、第九条をどうするか、この問題が私は日本の締結している国際条約の関係から出てきているのではないかという疑念を持たざるを得ない。そこで具体的な質問に入る前に、この際、鳩山首相にお尋ねしておきたいことは、たとえば私が心配しているように、今まで日本はアメリカ等と国際条約を結んできた。その結んできた国際条約の中に、もしも日本の憲法そのものに抵触し、もしくは違反するような内容がかりに含まれているとして、それが含まれている場合には、その含まれている日本が履行しなければならない義務について、おれの方の憲法はこういう憲法になっておるから、それはできないのだということは、私は日本としては言えない立場にならざるを得ないと思う。つまり憲法は海外派兵は認めない、徴兵制はしかない、交戦権は行使しない、国権の発動としての戦争はやらない、これは交戦権は日本は放棄するという具体的な内容です。ところがそれはそういかないような海外派兵の問題であるとか、あるいはまた徴兵制度をしかなければならないような事態に追い込まれるとか、そういうふうな、憲法上は認めていない問題であるけれども、今までの国際条約の中にかりにその憲法に抵触するような取りきめなり、もしくは必然的にその行動を起さなければならないような義務がもし今までの条約の中にかりにあるとしたら、そうしたら、その義務条項は日本としては当然憲法のいかんにかかわらず起さなければならないということになる。この点は常設国際司法裁判所等でも、「国家の現行の国際法または条約によって課せられた義務を回避する目的をもって他国に対してその憲法を援用し得ない」こうなっております。同時にまたその司法裁判所の発行している常設裁判所出版第十七号等によりましても、「条約の締結国たる国家相互の間においては、国内法の規定は条約規定に優先し得ないというのが、一般に承認された国際法の原則である」、こうなっております。それからまた条約法に関するハーバート草案も「条約の中で別段の定めがある場合を除き、国家は国内法の欠除を理由として条約上の義務の不履行を正当づけることはできない」、これは国際法の通念としてこの点は鳩山さんも肯定されるでしょうね。
  78. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 現在の国際条約には憲法違反の事実を含んでいる規定は私はないと思っております。
  79. 千葉信

    ○千葉信君 私はそれをお尋ねしているのじゃない。それはこれからです。それはこれから御質問申し上げるのですが、今私が読み上げた国際法の通念ですね、つまり日本に存在している憲法に抵触するような条約をかりに結んでいても、おれの方の憲法ではそれは認めないからといって、その義務を履行しないわけにはいかない。この国際法の通念をお認めになりますかということです。
  80. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういうような条約を結ぶ意思はございません。
  81. 千葉信

    ○千葉信君 そんなことを聞いているのじゃないのです。そんなことを聞いているのではなくて、国際法の通念をお認めになるかならないか。条約のことはあとから聞きます。
  82. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 憲法と条約とどっちが優先するかということについてはいろいろの議論がありまして、(「重大問題ですよ」と呼ぶ者あり)憲法違反の条約を結ぶ意思政府としてはございません。
  83. 千葉信

    ○千葉信君 そんな条約のことを聞いているのじゃない。条約と憲法とはいずれが一体優先するか、国際社会において、まさかあなたもいや憲法が優先しますとは一国の総理大臣として言いきれないと思う。はっきり答弁しなさい。それを聞いているのです。
  84. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私の言っているのは、日本の憲法に違反するような条約を結んで、そういう問題を引き起すことを避けたいというのです。
  85. 千葉信

    ○千葉信君 そんなことを聞いているのじゃないのです。どういう条約を結ぶか、結んだかということを私は聞いているのではない。日本の憲法に抵触するような条約をかりに結んだ場合は、日本はその条約に従って行動しなければならない。憲法に抵触していても、日本にはそういう義務があるのだ。それが私が今読み上げた国際法の通念だ。それをあなたはお認めになるのか、ならないのか、それを聞いている。
  86. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はその仮定の議論に対してはお答えができません。
  87. 千葉信

    ○千葉信君 仮定とは何です、仮定とは。あなたは条約を結んだりして、日本には憲法がある。私はそれをあなたがこれから結ぶとか、今まで結んだとか、そのことを聞いているのではないのです。あなたが一国の総理大臣として、国際社会の一員として、国際法と憲法といずれが優先するかということについては、あなたは明確な意見を持っていなければならない。だからそのあなたの立場からいって、憲法と食い違うような国際法が存在するような場合に、その国は憲法をたてにとって国際法もしくは国際条約を認めないという態度をとることができるのか。そんなことは答えられるでしょう。常識ですよ、こんなことは。
  88. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 学者の間に議論がある。私にそれをどっちがいいかを言えと、こうあなたはおっしゃるのですが、政府としてはそういうような議論に触れないような態度をとっていきます。
  89. 千葉信

    ○千葉信君 そうじゃない。学者の意見じゃないのですよ。国際司法裁判所ではっきりとそういう見解をとっているのですよ。それを日本の総理大臣認めないのかどうかということなんだ。
  90. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 幾度も申します通りに、日本政府としてはそういうような問題を生じないように行動をとります。(「そんなことを聞いているのじゃない」と呼ぶ者あり)
  91. 千葉信

    ○千葉信君 鳩山さん、あなたも冷静に考えて下さい。
  92. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういうような場合を作らないというのですから、それで答弁になっておると思います。
  93. 千葉信

    ○千葉信君 作らないということについては私もこの際聞いておきますが、私の聞いているのはそういうことじゃなくて、日本も国際条約を結んでいる。その条約がもしも日本の憲法に違反するというようなことがかりに内容としてあっても、もしくはまたそういう義務がその条約の結果として生じていても、それを憲法違反だといって日本は排除できるのかできないのか。社会通念からいっても、国際司法裁判所のこの見解からいっても、そういう場合には憲法を振り回すわけにいかんのじゃないか。鳩山さんはそれに対してどういう見解か——これにあなたは答えなければならない義務があると思うのですが、どうしてあなたは結ぶ意思があるとかないとかいって逃げようとなさるのですか。
  94. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういう意見もありますけれども、そういうような場合を作らないことにいたします。これは政府としての答弁になると思います。
  95. 千葉信

    ○千葉信君 そうしますと、ただいまの御答弁では、こう了解していいのですね。そういう見解は認める。しかし政府としてはそういうことにならないようにこれからやるのだ、条約の締結に当っては。そういうふうに了解していいですね。
  96. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そういう議論のあることは認めておるのであります。そういう議論のあることは認めますが、政府としてはそういう議論の生ずるような場合の生じないように心がけております。こういうわけです。
  97. 千葉信

    ○千葉信君 はい、はい。だいぶはっきりしてきました。まあいいでしょう。  その次に入ります。行政協定の二十四条によりますと、この間問題になりましたいわゆる急迫した脅威が生じた場合とか、敵対行為が起った場合、こういう場合には日本区域の防衛のため必要な共同措置を日米両国でとることになる。この共同措置そのものの実際の状態、どうなるかは、この際は時間がありませんから別として、その次の「且つ、安全保障条約第一条の目的を遂行するため、直ちに協議しなければならない」、こういうことなんです。その直ちに協議しなければならない安全保障条約第一条の目的というのは、日本に駐留しているアメリカの軍隊というのは、日本区域の防衛に関して日本の求める援助を含めて行動に入る、これが一つなんです。もう一つ目的があるのです。このアメリカの駐留軍は、この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与する。つまりあとから述べた条約では、前の方にあるこの任務は、これは日本区域だけの防衛とか平和や安全の保障のために働くというのじゃなくて、極東の平和のために行動するというそれを目的としている。それから行政協定の前文におきましても日本国及びアメリカ合衆国は、安全保障条約に基く各自の義務を具体化し、且つ、両国民間の相互の利益」云々、この行政協定の前文におきましても、日米両国の二十四条によってとられる共同措置、それから協議しなければならないその協議の対象というのは、日本区域だけの平和と安全ばかりではなくて、当然この条文によって極東の安全と保障という問題についてまで駐留軍は仕事をするということ、任務を遂行するということになっているんです。そうなりますと、鳩山さんも御承知の通り、たとえば平和条約を結ぶに当りましても——日本の憲法は日本の自衛権の行使としての国権を発動する戦争は排除するという建前なんです。ところが平和条約では、日本は自衛権を持っているのだということを第五条の(c)項で認めている。その自衛権の発動としての戦争については、当時は日本に軍隊がないからという理由、戦力がないからという理由で、日本のその自衛権の発動の形態をアメリカの駐留軍にまかせることにした。もうすでにここに憲法違反の事実が出てきている。憲法第九条の性質と違った協定を結んだ。さらに安全保障条約の前文において、第一条において、その任務とするところは今度は日本の区域の防衛だけじゃなくて、極東の防衛に対してまで、極東の安全に対してまで、アメリカの駐留軍は行動するという条約を結んだ。そうしてそういう広範囲の行動をするという条約上の出てくる義務を今度は行政協定の第二十四条で受けて、そういう任務を達成するために協議をするのだ、その協議の中から日本の憲法の第九条に抵触する自衛権の発動、日本の学界の一部には、日本は第九条によって放棄したはずのその戦力を行使して、交戦権を行使するという交戦権まで、ここで日本は確保しつつあるという議論さえ現在あるのです。そこで私は鳩山さんにお伺いしたいのは、今回の憲法改正という問題は、こういう国際条約の中から出てきておる第九条が実質上もうじゅうりんされてきておる、それ自体に適合するために憲法改正をしなければならぬという必要が国際条約の中から出てきておるという、その立場に私はあなた方が追い込められておると思う、その点鳩山さんどうですか。
  98. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はあなたのように考えません。極東における事件に対して日本は義務はもってない、日本の国土において起きる防衛地域だけの約束だったと思っております。
  99. 千葉信

    ○千葉信君 憲法だけによればそういうことになります。しかし、さっき申し上げたように、すでにもう結んでしまった平和条約それから安全保障条約それから行政協定、この中にもしも日本の憲法に抵触するような内容があっても、あなたもさっき言われたように、そういう事実に対しては日本は義務は履行しなければならないという国際法の、国際司法裁判所の決定、こういう点があるのです。
  100. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は条約とか行政協定の中で、そういう義務は日本は負担していないと思っております。
  101. 青木一男

    委員長青木一男君) 千葉君その程度にとどめて。
  102. 千葉信

    ○千葉信君 時間がありませんから、またあとでやります。
  103. 吉田法晴

    吉田法晴君 時間があまり与えられておりませんので、重複を避けて質問をいたして参りたいと思います。この民主主義憲法の原則について違いがございますから、憲法改正の提案権についても、私どもと総理政府あるいは提案者の意見が違うと思う。これはあるいは技術的のことですから、これはほかからもお答えがあると思いますけれども、この提案理由の説明によりますと、「内閣を通じて国会に報告する」と、こういう工合になっておる。で、内閣憲法改正の提案権がない、あるいは発案権がない、これが憲法精神だと思うのでありますが、政府考え、あるいは提案者の考えによると、調査会でできました案を内閣に出されることは、これはわかります。国会に報告するということがどうしてできるのか。政府の権限も国民から縁由していることは、これはお認めになると思う。そうすると、内閣がその意見を聞かれるのはいい、国会に報告せられ云云というところは、これは提案権の問題に関連して相当大事だと思いますので、国会に報告する云々ということはないはずじゃないか、こう考えるのですが、そのところはどういうふうにお考えになりますか。
  104. 山崎巖

    衆議院議員(山崎巖君) 提案権の問題につきましては、いろいろ議論がございますけれども、私どもは内閣にも国会にもあるという解釈をとっております。憲法の問題はきわめて重要な問題でありまするし、内閣に設置せられました憲法調査会審議の結論が出ました場合に、内閣に報告しますことはもとよりでありますが、国会に参考の資料として出しますことも、これは当然のことであると考えておるわけであります。もとより、それは国会に対する参考資料でありまして、この参考資料をどういうふうに国会で取扱われるかは、これは国会自体の問題であると思っております。
  105. 吉田法晴

    吉田法晴君 それじゃ首相にお伺いしますが、首相は改正論者でありますが、政府が、内閣調査会意見を徴して聞く、そうしてそれを政府においてさらに検討をして国会に出すのではなくして、国会にも報告をさせて、それを国会ならば国会憲法改正の何と申しますか論議を対象にされるということ、まあ原案にするかどうかという問題は別ですが、その辺は政府の提案権の問題と関連をいたしますが、総理はどういう工合にお考えになっておりますか。
  106. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) ただいま山崎君の答弁された通り考えます。
  107. 山崎巖

    衆議院議員(山崎巖君) ただいまの吉田さんの重ねての御質問でございまするが、この調査会内閣にできました場合には、調査会自体が自主的に検討を加えまして、内閣の諮問を待って憲法改正の問題を検討するわけじゃございません。調査会自体が検討をいたしまして、その結論を調査会として出すわけであります。その結論を内閣並びに国会に報告する。こういうのがこの法案の趣旨でございます。
  108. 吉田法晴

    吉田法晴君 その辺はもう少し問題が残ります。「内閣を通じて国会に報告する」と書いてありますから、内閣及び国会に、ではないと思うのですが、それはあと一つお尋ねをいたします。  鳩山総理にお尋ねをするのでありますが、総理は占領中に憲法改正を論議されたと、こう言われますが、なるほど占領中ではございました。しかし先ほど同僚亀田君からも申し上げましたように、日本政府では従来の憲法の部分的な修正、これはあるいは天皇の問題についても、あるいは統帥権の問題、軍の問題についても、そこでGHQのサゼストが行われたということは、これは明らかでありますが、その際に政府としては、じんぜん日を送るならば、極東委員会を通じて天皇制の廃止という傾向が強く出てくる。そこであるいは当時の政府としては、松本案のような従来の憲法の部分的な修正を考えられておられたけれども、しかしこのサゼストを全面的に受け入れなければならぬ、こういう工合に考えられたのかもしれません。それについてはどうもそうのようであります。その間の事情は過去の事実を検討すればわかることですが、ところが今憲法改正問題が起って参っておりますのは、日本の再軍備、自衛隊の増強、これ以上の増強は徴兵制を布くにいたしましても、あるいは今の純然たる志願兵制度から出るにいたしましても、あるいは海外派兵というものを、要望を実現するにも、憲法改正ということは必要になってくる。こういうことで、明らかにいろんな人たちがアメリカ側で言っておられますけれども、憲法改正の要請が向うからあったということは、これはいろんな人の話、あるいは昨年の日米折衝を通じても明らかでありますが、なお、たとえば従来の憲法問題からしますならば、非常に重大であった日本の領土の問題、これはあるいは沖繩、小笠原等について日本の主権が完全に回復されておらぬということも、これも事実であります。それから日本の中に数百個所の基地があるということも事実です。あるいは予算を組むにしても、防衛分担金から始ってどれだけ自衛力をふやすかということが、アメリカ側と話をしなければ予算が組めない。こういう実態は、これは完全に独立した日本でないということは言えると思う。過去において鳩山首相は独立を達成しなければならぬと言われました。これはその通りであります。従って言われるような理由改正一つ理由であるとするならば、私どもはその当時はその当時の日本人の判断に従って、憲法をきめたと思うのですけれども、しかし今、憲法改正せよと言われる理由一つに言われるような点があるとしても、日本の現状はなお完全に独立をしておりませんで、そしてアメリカ側から要請をされて、憲法改正する、こういう事態ではないかと思うのであります。従って憲法改正問題を論議すべき時期としては不適当であると私ども考えるし、多くの者は言うのですが、総理はその点についてどういう工合にお考えになるか。
  109. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は今日は自主的に憲法を再検討することができると考えております。
  110. 吉田法晴

    吉田法晴君 それじゃ先ほどちょっと伺いましたけれども、前にほんとうの独立をしておらぬということを言っておられましたが、そういう状態の中でも、自主的に、ほんとうに自主的に改正し得るような状態だとお考えなんでしょうか。
  111. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 現在におきましては、現在の状態において憲法改正について、アメリカから示唆や強要を受けるおそれは全然ないと考えております。
  112. 吉田法晴

    吉田法晴君 その点は論争になりますから、時間もございませんし、またの機会に譲ります。  今の憲法をおきめになるときに、これはまあ自由党も民主党も、今の自民党の前身は、憲法賛成をされたわけでありますが、そのときに今の憲法論議の際に、国体が変ったのかどうかということが非常に問題になりました。まあ今の憲法論議の半分くらいはそれに費されたということができましょう。それから日本の憲法を解釈するときに、日本の憲法の中に含まれておる原理、民主主義、あるいは基本的人権の尊重、平和主義、こういうものからでなくて、憲法外からの自衛論争、自衛論、これはその自衛論もダレスから持ってこられた自衛論でありますが、あるいは教育勅語、あるいは古い道義というようなもので、日本の憲法、日本国憲法を解釈せられようと、まあいたしておりますが、自民党の中にも天皇について、象徴ということじゃなく、元首にしたい、こういう案文があります。これは共通的な案文。この点について総理はどのように考えておられますか。
  113. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 天皇の性格は、憲法改正によって変えようとする意思を私は持っておりません。
  114. 吉田法晴

    吉田法晴君 よく言われますような、前の憲法とそれから今の憲法と、これは何と申しますか、従来の国体が変化したかどうか。天皇の地位の保全ということが——ポツダム宣言もですが——、今の憲法の中で一番大きな当時の指導諸君の問題であったわけでありますが、そうすると総理としては前の憲法と、今の憲法との間に基本的な変化があった、あるいは天皇制というものはこれはなくなった、そのなくなった天皇の日本の憲法上の地位を変えるつもりはない。こういうことなんでしょうか。
  115. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 君主国が民主国になったわけであります。またそれを再び君主国家にするという意思はただいま持っておりません。
  116. 吉田法晴

    吉田法晴君 ただいまという話ですが、ただいまというのをあれしていると、ただいまでもない、先々についてそう思っている、少くとも鳩山総理としてはそう考えている、こういうことなんでしょうか。
  117. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私の意見を申したのでありまして、しかしながら憲法調査会は、憲法全体にわたって調査をする権限を持っていると考えております。
  118. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは具体的に自民党、前の自由党、民主党それからまあ自主憲法制定議員連盟というのですか、そういうところでも、天皇を象徴ということでなしに元首という言葉で現わしたい、こういう意見がございますが、それについてはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  119. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) これは憲法調査会の私は権限だと思います。(亀田得治君「あなたの見解を聞いている。」と述ぶ)私はさっき申しました通りであります。
  120. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは元首という言葉に直すよりも、今の「日本国の象徴であり」あるいは「日本国民統合の象徴であって」、こういう工合でよろしい、こういう御意見なんでしょうか。
  121. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 元首ということは、広い意味においては日本国の象徴ということと、性質においては私は変りないと思うのです。
  122. 吉田法晴

    吉田法晴君 そうすると象徴という考えには反対ではないが、しかし元首にした方がよろしいという意見もあるし、象徴という意味で元首という言葉に直した方がよろしい、こういうことなんでしょうか。
  123. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) その点は、憲法調査会において審査できると思います。
  124. 吉田法晴

    吉田法晴君 調査会でそれは論議せられることでしょうが、総理の御意見を承わりたい、こういうわけであります。というのは、言葉だけでなしに、あとの点について、たとえば六条、七条等の点について相当変更をしよう、こういう意見がございます。それからきのうの天皇誕生日の祝い方と申しますか、やり方についても、これは新聞でごらんになりましたでしょうけれども、あるいは分列行進をやって祝っておる。あるいは軍服姿も現われて国歌斉唱、まあ万歳、それからもとの天長節の歌を歌ってやったということもあります、その新聞記事の中に、「まわれ右ッ」と書いてありますが、それは「まわれ右ッ」という号令がそのときかけられたということだけでなくて、制度についてあるいは天皇という問題について回れ右ということが一部には相当言われておる、あるいはそういう空気がある、こういうことでありますから、これは単に言葉の問題ではないと思う。そこで鳩山総理にそれらの点についてもっと具体的に御意見を承わりたい、こういうわけです。
  125. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は幾度も申しますように、統治権の主体に天皇を再びするという意思がないということを申しているだけです。
  126. 吉田法晴

    吉田法晴君 統治権にする意思はない。
  127. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 統治権の主体に……。
  128. 吉田法晴

    吉田法晴君 統治権の主体にするという意思はない。これは国民主権という立場は貫いて参りたいということですが、それでは言葉の点について、象徴がいいか、あるいは元首がいいか。それから七条等について、さらにつけ加えて天皇の国事行為をふやす、そのふやす内容についても、あるいは昔の緊急勅令を出すことができると、こういうようなことさえもあるわけであります。ここで詳しく述べませんけれども、しかしそうなって参りますと、これは単に言葉の問題だけでなくて、今鳩山総理が言われるような、象徴として、政治について責任がない立場から、憲法上の行為について、行政行為について天皇が権限を持ってあられるということになって、あなたの今の志とは違う事態が起って参るのです。その辺について、それではどういう工合にお考えになりますか。
  129. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 天皇について、章について、やはり憲法の中にありますから、これは形式的に憲法調査会審議の内容になると思います。私としては、君主主義にするということを考えていないということを言うだけです。詳細の点は憲法調査会で決定すべきものと思います。
  130. 吉田法晴

    吉田法晴君 具体的にこれは党の方で意見が出ておりますが、君主制度あるいは統治権が天皇にあるということにしたくない、こういうことであるならば、象徴を元首にするということについては、総理としては反対だ。あるいは国事行為なら国事行為をふやして、あるいは緊急勅令のようなものが公布できるというようなことにするのは、これは反対だ、こう私はおっしゃるのがほんとうだろうと思うのですけれども、出ております、また私があげましたそういう議論についてどう考えられるか。こういうことをお尋ねしておるのであります。
  131. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は性格については先ほど申した通りでありまして、他の行為の範囲をどうするかとか、元首がいいとか、名前をどうするかというような点については、憲法調査会にまかして、その通りに決定されて別に異存はありません。
  132. 吉田法晴

    吉田法晴君 それでは最後にお尋ねいたしますが、国民主権主義は守りたい云々というお話でありますが、公共の福祉と基本的人権ということが一つの問題になっております。前の憲法等において、公共の福祉、国の利益のためには人権を制限することができる、こういうことが相当強く貫かれておる。法律の定めるところにより云々ということで、いかようにも基本的人権が制限し得たのであります。今度のこの憲法調査会を作られるに当って、自民党なり、あるいは前の自由党、民主党等で国民の権利義務の規定の仕方が詳細に過ぎる。あるいは義務の規定がほとんどない、こういうことで、公共の福祉あるいは法律により基本的人権を制限し得るようにしよう、こういう考えを持っておられる。それから共通して言われておりますことは、防衛の義務を掲げたい。防衛の義務というものがもし憲法の中に織り込まれるということになりますと、これはそういうことはやらぬという御否定ですけれども、徴兵という問題と、あるいはその徴兵の姿はわかりませんけれども、そういうことと関連して参ります。そこで基本的人権というものについて、そういう制限、この広範に制限し得るような規定は設けないと言われるのか。あるいはそれらの点についてもまかせるというのか。あるいは防衛の義務等を国民の権利義務の中に入れることについて賛成であるのか。それらの点について総理から、これはこの基本的人権に関する重大な問題でありますから、所見を伺っておきたいと思います。
  133. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はたびたび申しましたように、平和主義とかあるいは民主主義、基本的人権というようなことは尊重いたしたいと思っております。基本的人権も公共の福祉に従うというのは建前でありましょうが、その乱用を防止するという意味で、その基準をもっと明確にすることが検討されてもいい、こういうような気持です。
  134. 吉田法晴

    吉田法晴君 先ほど申しました防衛の義務等については規定をすべきだという議論がございますが、それらの点について鳩山総理はどういう工合にお考えになっておりますか。
  135. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は徴兵制度というものは再現する意思はないのでありますけれども、個々のその義務についてどういうふうにするかという点については、憲法調査会が慎重に検討されるべきものと思っております。
  136. 吉田法晴

    吉田法晴君 意見が出ているから、それについてはどうなんです。防衛の義務というものはそれでは規定するつもりはない。自分としては徴兵制度を実施するつもりはないから、防衛の義務というものを憲法の中に盛ることについては反対だと言われるのですか。
  137. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私は徴兵制度というものについては実行する意思は持っておりません。
  138. 吉田法晴

    吉田法晴君 それではそれの基礎となるような条文を憲法の中に盛ることについては反対だ、こういう御意見ですね。
  139. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) そうです。
  140. 青木一男

    委員長青木一男君) 堀君、一時に休憩しますから、それまでにお願いいたします。
  141. 堀眞琴

    堀眞琴君 ではただ一点だけ総理にお伺いいたします。  それは憲法改正の限界の問題です。各委員質問に対して、首相は国民主権、平和主義あるいは基本的人権等については、これを尊重する意思である。こういうお話しでありますが、しかしながら御承知のように、自民党の方では、私どもに配付されております文書によりますというと、四月二十七日に自民党憲法調査会資料というものが出ております。それから自由党時代には、あなたが自由党に帰られる条件一つの中に、憲法調査会を設けるということがありました。自由党の中に憲法調査会が設けられて、そこでまた改正に関する検討が行われたのです。民主党においても同様であります。このように党としての立場において憲法改正に関するそれぞれの検討を加えられ、そうして発表されたものを見まするというと、あなたのおっしゃる、たとえば国民主権の問題にいたしましても、あるいはまた基本的人権の問題にしましても、平和主義にしましても、現在の憲法から一歩退却する、一歩どころか数歩退却するような結果を、それぞれの党において発表されているわけです。吉田君の質問もその点に関連しておったと思いますが、憲法改正する場合、これらの諸案がいずれさらに大きな発言権を持つのではないかと想像されるのですが、もしそのような方向において改正されるということになれば、これは憲法改正の限界の問題になってくる問題だと思うのです。少くとも憲法改正される場合には、その基本的精神がゆがめられたりあるいは否定されたりして憲法改正が行われることができないということは、大体において今日世界において認められている原則だと思うのです。戦争前でも、ブラジルの何条でしたか忘れましたが、ブラジルの憲法やあるいは今度の戦争後の第四共和制のフランスの憲法や、イタリア憲法においては、そのことを明記しているわけです。つまり憲法の基本的な精神を否定し、あるいはそれを歪曲するような改正は、これを行うことができないということになっていると思うわけです。ところが現実に各党において発表して参りました憲法改正の資料あるいはそれについての見解等を見まするというと、国民主権から数歩退却する。基本的人権は従来よりもさらにこれを抑制しようという方向をとって参っておる。もし憲法の基本的な精神をそのようにして歪がめ、あるいは否定するということになれば、憲法改正ではなくして、それは新らしい憲法を設けることになるだろうと思う。現在の憲法が明治憲法改正手続によって制定されたにもかかわらず、その内容は明治憲法と基本的な点において全く違っておるわけなんです。そのために国民は正しくも新憲法と呼んでいる。そういう点に関しまして鳩山首相としてはどういう見解を持っておられるか、この一点だけをお尋ねしたい。
  142. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 憲法改正の限界についての御質問でありますが、現行憲法をどの程度改正できるかという点については、学問上いろいろの議論があることでございましょう。現行憲法の掲げる平和主義、国民主権主義及び基本的人権の尊重、これらの三原則に対しましては、私は変更を加えるべきものではないと考えております。ここに憲法改正の限界があると思います。
  143. 堀眞琴

    堀眞琴君 先ほど吉田君の質問、特に天皇の問題、天皇の地位の問題、象徴を元首に変えるかどうかという問題、あるいは公共の福祉に関連する基本的人権の問題等吉田君から質問されたわけです。あなたは国民主権を尊重する、基本的人権の原則は変えない、こういうお話でありますが、現実に自民党から出されているこの調査会資料というものが、決してそうじゃないのです。言葉の上では国民主権の立場に立つ、あるいは基本的人権はあくまで尊重するという態度をとっているということをうたってはおりますが、それは単にうたい文句にすぎないのでありまして、たとえば吉田君の言うように象徴が元首に変えられる、元首という言葉はあなたのおっしゃる通り、大統領の場合にも使われる場合もあります。決して元首という言葉が統治権の主体として考えられているということを私は考えておらない。ただ元首という言葉がこれまで日本の憲法の、たえば明治憲法の制定当時にも使われている。明治憲法の成文の中にはそういう言葉は出ておりません。しかし伊藤博文の憲法資料の中には元首という言葉が使われている。その元首という言葉が大統領が元首という場合のその言葉意味とは全く違ったものとして解釈されておったわけです。それから、それと第七条の国事行為に関する天皇の行為、こういうものと関連して参りますというと、国民主権の原則から数歩退却したところのものになるだろうということは、これはだれが見てもはっきりするだろうと思うのです。そういう点からいって、言葉では国民主権を尊重する、あるいはその原則をあくまで守りますとおっしゃっても、事実はそうでない、こういうことにならざるを得ない。平和主義についても同様、あるいは基本的人権の原則についても同様だと思う。その点はいかがなんですか。
  144. 鳩山一郎

    国務大臣鳩山一郎君) 私はあなたのように考えませんが、元首という名前を使ってもやはり民主主義は維持せられるものと思います。
  145. 青木一男

    委員長青木一男君) 暫時休憩いたします。二時より再会いたします。    午後一時四分休憩      —————・—————    午後二時十八分開会
  146. 青木一男

    委員長青木一男君) 休憩前に引き続き委員会を開きます。  臨時教育制度審議会設置法案を議題として質疑を行います。  文教委員湯山勇君より発言の許可を求められております。これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  147. 青木一男

    委員長青木一男君) 御異議ないと認め、さよう決定いたしました。
  148. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 臨時教育制度審議会設置法案につきましては、前に総理に対する質問並びに文部大臣にも若干の質問を他の委員からしたわけでございますけれども、本日お許しをいただきましたので、重ねて残された点についてお尋ね申し上げたいと思います。  まず最初は、非常に事務的なことでございますけれども、本案施行に要する経費、それからそれと対照するために、従来存在している中央教育審議会の本年度の経費、そういうものを一応御説明願いたいと思います。事務当局からでけっこうです。
  149. 福田繁

    政府委員(福田繁君) ただいまお尋ねの経費の点でございますが、臨時教育制度審議会の運営に必要な経費は約八十三万円でございます。これは内閣の方に計上されております。それから中央教育審議会に必要な経費は三十一年度は約百五十九万でございます。これは文部省の方に計上されております。
  150. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) もう少し詳しく、総額だけではなく、その内訳も比較して御説明を願いたいと思いますが……。
  151. 福田繁

    政府委員(福田繁君) ただいま申し上げました臨時教育制度審議会運営に必要な経費でございますが、この内訳は、委員手当、委員旅費、その他庁費となっております。委員手当といたしましては十八万二千円、それから委員旅費といたしましては五十万、それから庁費といたしまして十五万四千円、合計いたしまして八十三万六千円という計算になっております。  それから中央教育審議会運営に必要な経費でございますが、百五十九万の内訳は、委員手当が三十万二千円、それから職員旅費が十万八千円、それから委員等旅費が百万円、その他庁費が十八万八千円、合計いたしまして百五十九万八千円になっております。
  152. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ちょっと済みませんが、今の中教審の方、もう一度……。
  153. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 委員手当が三十万二千円、職員旅費が十万八千円、委員等旅費が百万円ちょうどでございます。それから庁費が十八万八千円、こういう内訳になっております。
  154. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それで中教審は委員の数は二十名でしたですね。
  155. 福田繁

    政府委員(福田繁君) その通りでございます。
  156. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 現存中教審はどれくらいな割合で開かれておりますか、たとえば月何回とか、何カ月何回とか……。
  157. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 中教審の開催でございますが、これは最近総会は割合に……、新年度に入ってからまだ総会は開かれておりません。しかしながら、これは事柄に、そのときの諮問に応じて調査する事柄にもよるわけなんでございますが、大体平均いたしまして月に一回、あるいはもう少し、月一回というか、もう少し多いかもしれませんが、そういった程度に総会は行われておりますが、そのほかに幾つも特別委員会がございますので、この特別委員会は相当活発に、月にあるいは三回も開くようなことがございます。そういう程度に実際には運営されております。
  158. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そこで重ねて今の点についてお尋ねいたしますが、臨教審の方は人数は中教審の二倍の約四十名で、そして費用の方は中教審に比べて半額になっておりますが、これで参りますと、大体政府としてはどれくらいな開催日を予定しておられますか、これについて御説明を願いたいと思います。
  159. 福田繁

    政府委員(福田繁君) これは開催日でございますが、要するに今の経費を比較いたしましておわかりと思いますけれども、大体中教審の経費の中で多くを占めるものは委員等旅費でございます。これが百万円、百五十九万円の中で百万円でございます。これが非常に多いのですが、従って委員の任命の仕方なり、そういうものによって経費の支出の工合が非常に変ってくると思いますので、旅費を必要とする委員を任命いたしますと、当然この旅費がたくさん必要なわけでございまして、この臨時教育制度審議会の一応の予算上の予定としましては、総会としては大体六回程度のものを予定されております。
  160. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると政府としては六回の総会で、現在行なっておる諮問事項に対しては結論が出るというお考えでしょうか。この六回というのは二カ年間に六回でしょうか、一年間に六回でしょうか、その点もよくわかりませんから……。
  161. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 今申し上げましたのは、もちろん三十一年度の予算でございますので、今年度予定しておる回数でございます。これは総会でございますけれども、総会以外に専門委員会の打ち合せ等はこれは随時行えるはずでございます。
  162. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ただいまの御説明ではちょっと納得いたしかねるのですが、中教審は二十名で、しかも旅費その他が約二倍あって、それでいて月一回程度しか開かれない。臨教審の方は人数は倍になって、予算は半分ですから、それで参りますと、大体中教審の四分の一程度しか開かれない、こういうことになると思います。そうすれば総会を六回開くということにはならないと思うのですが、その点をもう少しよくわかるように御説明願いたいと思います。
  163. 福田繁

    政府委員(福田繁君) これはもちろん予算の積算の基礎でございますので、一応、たとえば委員二十名の中でこれを適当な分科会にかりに分けたといたしますと、分科会の中でかりに旅費を支給しなければならない委員がおりましても、数が非常に少なければ、これは回数としては六回と予定いたしておりましても、大体六回以上となるかも存じません。それで今、湯山委員のおっしゃいました六回で諮問事項が十分審議できるかというお尋ねでございますが、これは一応予算としては本年度の予算の範囲内で支障ないと、こういうように考えておるわけでございます。
  164. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) その六回で審議できるかできないかということをお尋ねする前に、質問の途中で問題点ができましたので、その点をまず明確にしていただきたいのですが、先ほどの御説明によれば、年に六回総会を開く、こういう御説明であった。ところが予算とこの審議会の構成から見ますと、どうしても年三回ぐらいしか開かれないという結論になります。それをどうして六回というふうにおっしゃったのか、これでいけば六回は開けないという結論にしかならないので、その点をまず明確にしていただいて、それから今のできるかできないかの問題をお尋ねしたいと思います。
  165. 福田繁

    政府委員(福田繁君) これはもちろん予算の積算の基礎を申し上げたのでございまして、年三回しか開けないということはないと思います。これはやり方によりまして、実際の運営では、予算の積算にかかわらずやれる。たとえば今申し上げたような分科会等はやれるということは、これは申し上げて差しつかえないと思います。
  166. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そういう御説明では納得できませんから、もう一つお尋ねいたします。中教審の方は一回開くのに幾ら要りますか、臨教審は一回開くのに幾ら要りますか、これを御説明願いたい。
  167. 福田繁

    政府委員(福田繁君) お尋ねでございますが、当初に申し上げました通りに、旅費を必要とする委員を任命するかしないかによって非常に変ってくるわけでございます。もし、臨教審の方で旅費を必要とする委員を多く任命したという場合に、当然会議を開けば旅費は支給されなければなりませんので、経費はたくさんかかります。中教審の方は、大体今までの実績から申しまして、かなり旅費を使っておりますので、この点は臨教審よりも、過去の実績から申しまして、かなり余裕を持っていると申し上げて差しつかえないだろうと思います。
  168. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) まだどうも納得できません。そういう御説明では、今のようにおっしゃるのでしたら、臨教審の方はなるべく旅費の要らない人を任命する、こういうことでございますか。
  169. 福田繁

    政府委員(福田繁君) これは、旅費の要らない人を任命するということを申し上げるわけじゃございませんが、そういう点も、予算の点も任命の際に十分考慮されることと考えております。
  170. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 重大なことを聞いたので私驚いております。委員を任命するときに予算の点も考慮する、旅費の点も考慮すると、今局長おっしゃいましたが、大臣、その通りでございますか。
  171. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 今の問題にお答えいたします。適当な人があるならば、経費に関係なくそれは任命されまするけれども、同じ条件であるならば、国のためには、なるべくは経費がかからぬ人がいいと思います。(笑声)
  172. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ちょっと私あぜんとして、次の質問ができかねるのですが……。
  173. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) もう一つ、私、数字的に当てはめてみたことはありませんが、臨教審の方は四十名でありまするけれども、うち十名は国会議員なんです。そのことも御考慮の上御研究願いたいと思います。
  174. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 十名国会議員でもそろばんは合いません。大臣、いかがでしょう。大臣のように御説明になりましても、この予算とこの人員から申しますと、年六回は開けません。四回くらいになります。そこで大臣にお尋ねいたしますが、予算なんかのことは考えないで適材を選ぶということでなければ、私はこの法案意味はないと思うのですが、大臣はそういうふうにはお考えになりませんか。
  175. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 原則としてその通りでございます。
  176. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうでございましょう。それじゃ局長が、予算をにらみ合せて委員を選ぶと言ったのは誤りですね。
  177. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 私申し上げたのを、申し上げ過ぎたかもしれませんが……。
  178. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 過ぎたくらいじゃないですよ。
  179. 福田繁

    政府委員(福田繁君) そういうことも考慮せられるでありましょうということを申し上げたのでございまして、当然大臣の御説明申し上げた通りでございます。
  180. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それでは、その点はよくわかりました。今の点はよくわかりましたが、そういうふうに人柄を中心にして選べば……。言われたように旅費を考慮して人を選ぶのではありませんから。そうすると、年六回という数字はどうしても出てきません。年六回という数字が出る根拠をお示し願いたい。
  181. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 私、先ほど御質問に対しまして年六回と申しましたのは、委員等の出席旅費などは、これは予算は平均いたしまして、平均単価をとりますので、一万四千四百六十円というような単価にになっております。それを六回という計算でいたしておりますので、予算上の積算基礎は一広年六回、こういうように申し上げたわけでございます。
  182. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 中教審の方はどうなっておりますか。
  183. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 中教審の方は、この臨教審とその辺は少し予算の積算の基礎の立て方が違うのでありまして、大体三十一年度の予算につきましては、すでに委員を任命いたしておりまして、その委員が具体的に必要とする旅費を掲げる、こういうような建前になっております。旅費の必要な委員は、遠方の委員は四人中教審の委員の中に含まれております。その委員の旅費をその実績に従って大体計算するというようなことで、必ずしも今申し上げました臨教審の年六回というような計算ではいっていないわけであります。
  184. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 今の臨教審のように単価を一万四千四百六十円というような計算に適応するような計算をすると、中教審の方は幾らになりますか。
  185. 福田繁

    政府委員(福田繁君) こまかい計算をいたしておりませんけれども、七八回程度にはなると思います。
  186. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 七、八回というのではなくて、一万四千四百六十円に対する金額は大体幾らかということをお尋ねしておるのです。なぜそういうことをお聞きするかというと、総理並びに文部大臣がおっしゃったように、この臨時教育制度審議会というのは、教育基本法の改正審議する、さらに政府の権限、特に文部大臣の権限、そういう重要な問題も審議する、さらに従来しばしば中教審でも取り上げてずいぶん会合をしておりながら結論の出ない大学制度も検討するという、そういう重要な委員会だから、文部大臣は、構成もうんと中教審よりも大きくして、広く各界の人を集めていこう、こういう構想であるにもかかわらず、ただいまの予算を承わりますと、人数は倍になったにもかかわらず、経費は半分にしか過ぎない。かりに国会議員の十名を除いたとしても、人数は一倍半になっております。一倍半に対して経費が半分しかないというようなことでは、この法案をお出しになった政府の意図するような審議ができるかできないか、はなはだ疑問です。特に先ほど局長おっしゃったように、予算面から人選も考慮するのだというようなことになれば、一体何かわからない。そこで、はたしてこの委員会政府が御期待になっておるような審議ができるかできないかは、一応予算面から検討するのが順序だと思いますので、お聞きしておるわけですから、どうかそういう疑問に的確な御説明を願いたいと思います。
  187. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 正確な数字を申し上げられませんことを遺憾といたしますが、と申しますのは、百万円の委員等旅費の中には、これは委員の旅費のみならず、その他の旅費も、専門調査員等の旅費も入っております。従ってこれを、その百万円の中が、委員の旅費が幾ら、専門調査員の旅費が幾ら、こういうふうに分けてないのであります。しかしながら、今までの実績から申し上げますと、大体六、七十万程度がこの委員の旅費ということを申し上げて差しつかえなかろうと思います。
  188. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それじゃちょっと聞いておいていただきたいのですが、旅費は、今の御説明で聞きますと、臨教審が、事務局もみんな合して結局三十万二千円でございましょう。臨教審の方は三十万二千円、よろしゅうございますね。それから中教審の方は百万ですから、この旅費だけからいえば、中教審は半分の人数で三倍の旅費を使っております。旅費だけからいうと、六分の一しか開会できないわけですね、こういうことになりましょう。
  189. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 臨教審の方は、委員旅費は五十万でございます。
  190. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ああそうですか。
  191. 福田繁

    政府委員(福田繁君) 五十万、それから中教審の方は、先ほど申しましたように六十万ないし多くて七十万という程度の旅費でございます。
  192. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) この問題は、私はまだたくさん疑問がございますけれども、留保します。あとで、またその内容をお聞きしたあとで、それではまたこの問題に帰らなければならないという場合も出てくると思います。  そこで次にお尋ねいたしたいのは、委員会の構成でございます。今まず問題になりました国会議員でございますが、国会議員の任命についてはどういう方法で任命されるおつもりなのか、それをまずお伺いいたしたいと思います。
  193. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 大体従前の慣例の通りに、各派のきちっと比例的じゃありませんけれども、議員の数に匹敵するようなふうに御同意を願いたいと思うのです。
  194. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) じゃ大体各派の勢力に比例して出す、それからその人数を、今度は具体的にだれを選ぶかという場合には、政府の方でだれだれと御指名になりますか。党の方で推薦するというような形をおとりになられますか。
  195. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 党または団体と御協議申し上げていきたいと思うのであります。こちらからゴボウ抜きをするという考えはいたしておりません。
  196. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると、出ていく人はその党の意向を、あるいは会派の意向を持ってこの委員会に出るということになると解釈してよろしゅうございますか。
  197. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) これは会の性質上、そういうような方が党議に拘束されてお出まし願うとは考えておらないのであります。この問題についての独自の御意見を承わりたい、こう思っております。
  198. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣のおっしゃることは、若干矛盾があるように感じます。大臣の方で、政府の方でこの人ならばという人を、党の方で了承してもらってお選びになるというのであれば別ですけれども、大臣は今、党の方から推薦してもらう、こういうことでございますから……。
  199. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 少し違うのです。あなたの書記長になんぼ出してくれということじゃなくして、お目にかかって、協定の上、教育の専門の方方がどなたがよかろうかという協定の上で、適当な最適任の人をお願いしよう、こう思っておるのです。
  200. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それじゃどなたがよかろうかということは政府の方でお出しになるのでしょうか、原案を。
  201. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 協議したいと思っております。
  202. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) その辺が非常に重要なポイントになると思いますから、この委員会国会議員を入れるということについては、その点がはっきりしなければ、あと非常に大きな問題を起すと思いますので、協議するとかあるいは相談するとかいうことの手続をもう少し明確にしていただきたいと思います。
  203. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 近時の国会の運営はやはり協議、妥協で進めておるのであります。同じ意味で、こちらから天下りにどなたを願うといったようなことは不穏当です。そうかといって何に願いますといって、ひょっと持ってこられることも適当ならざる場合もありまするから、参議院には三つ以上の団体もございまするが、その適当な担当者と、私または政務次官等がお目にかかって、どなたを出して下さいというような協議、妥協できめた方が、一番適当な人を得られるのじゃないか、こう考えております。もっともこれは法律にも、また政令にも書くことじゃございませんので、私の心組みですが、あなた方にぜひお知恵を拝借して適当な委員を得たいと、こう思っております。
  204. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると大体、政府の方からだれだれを出してくれということは言わないということはよくわかりました。そこでそれについてはいろいろ政府の方で条件をお付けになることもわかりました。教育問題なら問題、その他こういう条件によって出してもらいたいということを言われることもわかりました。そこでその場合に各会派が、まあ自民党からは二名出してもらいたい、社会党からは一名出してくれ、緑風会からは一名出してもらいたいという場合に、今、大臣が言われたように、書記長なり会の責任者にその人数をお示しになって、そして各会派、政党から、これこれという推薦がございますね。それを政府の方で拒否なさる場合もあり得るんでございますか。
  205. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それはいわゆる妥協でですね、双方ともそれがよかろうという人にしたいと思っております。法律的にいえば、それがきまってしもうてから、任命で、これは政府が任命したことになる、表向きはそうなりますけれども、それまでの間にはよく話ずくで適任者を、どちらもこれは異存がなかろうということをきめて、そして任命手続をとろう、こういう心組みでございます。前に申し上げましたが、こちらからゴボウ抜きに、だれといって指定をしないし、それからまた、何人という人だけを割り当てて、人にかかわらず、それを受け入れるといったような冷淡なことはしないで、やはりお目にかかって、妥協をしてお頼みしようと、こういうことを言っているのです。今、委員の手続でも、よほどむずかしいものでも、しんぼう強く交渉すれば、大てい妥協がつきますから、それでいこうと思っております。(笑声)
  206. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) わかったようなわからないような御説明なんで、しつこいようですけれども、もう一度お尋ねいたしますが、そうすると、もしある会派から推薦してきた人の中に、大臣の方でこれはどうかと思うような人があった場合には、これはもう一ぺん考え直してくれぬかというような場合もあり得ますか。
  207. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 絶対にないとは言えません。やはりお目にかかって、そうごきげんをそこねるようなことを言うつもりじゃございませんが、どうだろう、もっといい人が君の方にはあるんじゃないかぐらいのことは言うかもしれません。きっと言うつもりじゃありませんよ。妥協ですから、それは円満にいきたいと思いますけれども、こっちから当てつけて言うのもいけませんし、そうかといって、党なり会の方からだれといわれることも、ウのみにすることもちょっと不親切だし、そこはお目にかかってお話し合いをする余地を置きたいと思うのです。
  208. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) その点もまだ明確になりませんけれども、一応、くどくなりますから、それだけで留保いたしまして、そういう場合、まあ大臣の言われる妥協なら妥協ということで出された人、その人が会派の意見を無視してこの委員会でいろいろ発言する、会派の方針を離れて意見を述べる、そういうことが大臣は可能だとお考えになられますか。
  209. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それは委員の方方の腹のうちでございますから、実際は会派の意見を代表しておられましても、委員としては、やはりその個人の御意見として会自体は扱うと思います。これは会派代表の会じゃございませんから……。しかしながら、そういう意見をお持ちになる大きな理由として、党なら党議と、会派なら会のお約束ということが内部にありましても、それはやはりこの会としては個人の、お一人の意見として扱うのが妥当と思っております。
  210. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣の方の立場からいえばそういうふうなお考えになることは、これはけっこうだと思いますけれども、現実の問題として、会派の責任者から一応推薦の形をとってもらうということを大臣はおっしゃったわけですから、たとえば書記長なり幹事長なり、そういう人がこれこれというので推薦する、そうすると会派の推薦を受けて出ていった者が、その会派の方針を無視して、そこで勝手な行動をとり、勝手な意見を吐く、あるいは勝手な決議をする、そういうことは私はあり得ないと思うのですが、大臣はそういう点についてはどうお考えでしょうか。
  211. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) まあ会なり党に属さるる方は、党または会の意見尊重さるるでありましょう。また政治家としてはそれが当然でありますけれども、尊重することも自由意思ならば、これにそむくことも自由意思で、(笑声)会としてはその人個人の御意見として取り上げるのが当然だと思います。
  212. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 非常に大臣は奇妙なことをおっしゃいましたが、尊重することも自由、それからそれを無視して勝手な行動をとることも自由だと、こういうことですけれども、各会派の代表が推薦して、そうして出た者がどういう行動をとろうが勝手だというようなことを、政党内閣の大臣がおっしゃろうとは私には考えられません。大臣は、ただ抽象的な考え方でいえば、こういうこともあり得るというだけで、具体的にそういう場合がないということはよくおわかりだと思いますが、重ねてお尋ねいたしたい。
  213. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それがですね、党なり会の規則によることなんです。ある会派は会の議の拘束をしない会もあろうかと存じます。それから他の方では、会の意見はきめているけれども、個人として発言することの自由までも拘束せぬというふうな会もあろうと思います。また他の方は、絶対拘束の党派もおありになると思うのであります。それゆえに、ここで委員の言ったことはその党の、またその会の意見とみなすといったようなことは、この会の方針としてはよろしくないと思うのです。参議院にも、ある会は私は拘束はなさっておらぬじゃないかと思います。
  214. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そこで端的にお尋ねいたしますが、大臣の御所属になっている自民党は、どういう態度をおとりになっていらっしゃいますか。
  215. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) この会は開いたことはございませんけれども、今まで党員が会に出席したことがあります。それは党議で絶対にきめたことは、それは従いますけれども、党議で方針をきめておらぬことは、委員の自由を尊重しておるのであります。
  216. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 今度の小選挙区にいたしましても、あるいはその他の問題にいたしましても、党は政策でもって国民に訴えなければならないということを言われております。大臣も政調会長しておられましたから、その点はよくおわかりだと思います。今日お互い議員として出ております者は、それぞれの党の政策、それを国民に訴えて、そうしてその公約のもとに出ているわけでございまして、そうすれば、文教の問題にいたしましてもそれぞれそういう政策を各人が持っている、それは各人勝手気ままなものではなくて、党に所属し、会に所属して議員として出た以上は、そういう政策をそれぞれ持っている(「その通り」と呼ぶ者あり)ということになるわけであるし、またこうでなければならないと思います。にもかかわらず、今大臣がおっしゃるように、きめていることもあり、きめてないこともあるとおっしゃいますけれども、こういう基本的な問題について、大臣がこれこそ大事だから特別に委員会を作って諮問しようというような重大な問題について、会派が方針をきめてない、そういうことはあり得ないと思います。枝葉末節の問題ならばそれはまた別ですけれども、そうすると結局出ていった人は党が党議をもって、党の規則で縛るとか縛らないにかかわらず、出ていった議員自体が良心と責任においてその党の方針を主張することは、会派の方針を主張することは当然だと思うのですが、大臣はそうはお考えになりませんか。
  217. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) この会ができまして、諮問事項がきまりましたら、各会派はそれについて党議をきめようといっておきめになるかもわからぬ、そういうふうにきまった時分には党所属の委員はそれに従って御発言になるのは当然と思います。しかしながら、諮問事項がきまりましても、党の方でこれを自由にさそう、まだ党議をきめておらぬという場合には、その党員は一々党の意見を聞いて出てくるというのじゃなく、自分で自由な意見を吐き得る場合はあるものと思います。
  218. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それは大臣の勝手な御解釈ですから、勝手な御解釈として私は承わっておきます。
  219. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それも党の党風による、党のしきたりによるのですね。結束を固める、また厳重な党もございましょうし、あるいはいわゆる自由主義の党派で、まあ党がきめたらこれに従え、それから党議をきめておきましても、自由問題というものを私どもの属しておった党派はこさえておった、党議は一たんこうするけれども、個人の御発言は自由という自由問題をとる党もあるのであります。すなわち、党と委員との関係は、各党派の党風によることでありまするから、私が社会一般的にゼネラライズしてこうだということを言うのは適当ではなかろうと思います。
  220. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣がそういうふうにおっしゃるのであれば、私は重ねて具体的にお尋ねいたします。この審議会内閣の諮問に応じ教育に関する現行制度に検討を加えることでございます。そこで教育の現行制度に対して何らかの態度をきめてない党がございますのでしょうか。
  221. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そういう理詰めのお問だと、日本のいやしくも政党として、教育制度に未定のものがあるかとおっしゃいまするけれども、やはり現状維持をいう党派でも、よくよくのところはやっぱり改正をしようというお考えもお持ちでありましょうし、また進歩主義といって、何でも改正するといったような党派であっても、ごく根本的のものまで改正するつもりじゃないという党派もありましょうから、どいつもあまり抽象的にありなしということでは窮屈だと思いまするが、問題によりまして、日本の教育制度は、上は大学から幼稚園まで、社会教育もあれば、あるいは婦人教育、労働、成人教育、いろいろなものがありまするから、それを全部にわたって党がきめておるというように私は考えておりませんです。
  222. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) じゃあもう少し具体的に申し上げたいと思います。教育に関する現行制度ということになれば、当然現在六三三四制というようなものも検討の対象になると思います。そこでこの六三三四制についてはこれを堅持してゆく、あるいはこれは改変すべきだというようなことのきまってない党派なり会派なりはないと思います。そうすると、教育に関する基本的な問題の諮問とおっしゃいますけれども、そういう問題についてフランクに検討せよと言われても、私どもであれば、六三三四の基本方針を変えようというようなことであれば、それはどうしても反対しなければなりません。これはどの人を委員に御指名になっても同じことだと思うんです。そうなると、大臣が今おっしゃいましたように、そういう問題についても、その場へ出て勝手に発言をしてもいいというようなことにはならないと思うのですが、いかがなものでしょうか。
  223. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そうはおっしゃいますが、六三三四とおっしゃいまするけれども、そのアメリカ式のような一本の六三三四は変えないでも、昔のたとえば工業学校、高等工業学校といったような傍系のものを置くという問題もまた一つ起っているのです。今のは大学までいかぬというと専門のことはちっとも覚えられぬけれども、昔の制度のように、工業学校、それから高等工業、その時分にはや技術が覚えられるという傍系のもう一本のものが必要じゃないかというような話もあるのです。私それが賛成というわけじゃありませんよ。それですから、六三制はもうきまっているのだというふうに固くおっしゃられるのにも及ばないと思う。
  224. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣若干誤解しておられるので、六三制を堅持するというのはわれわれの会派の決定事項です。そこであるいは六三制を変えていこうという会派もあるかもしれません。いずれにしても、出ていった議員である委員がフリーに意見を述べ、討論できるというのは、それじゃ会派で決定していない事項のみについてしかできないということに、実質上なってくると思いますが、それでよろしうございますか。
  225. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それは各党派の党議の問題であって、私から申し上げるものではなかろう。あなたが、まあ失礼ですけれども、社会党は非常に党議が厳重でおありになろうと思います。それからある会派はそういうことはきわめておらぬ。名前を言っちゃ失礼だけれども、緑風会などはそうではあるまいと思う。私の方は一応は党議は認めまするけれども、本人が求めるならば例外を認めるということは多多あるのです。ですから、それは各党派でおきめになることであって、私がどの党派にも通ずる原則をここで申し上げてもお役に立たぬかと思うのです。
  226. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣は今非常に幅のある御発言をなさいましたけれども、私どもが文教委員会でいろいろなことをお尋ね申し上げましたときには、大臣は党派できまらないことは絶対言えないということは再三再四おっしゃいましたことを大臣御記憶だと思います。いやしくも文教の最高責任者である大臣さえも、党できまらないうちは絶対に言えない、新聞に出てからでもまだ言えないということをおっしゃり続けた。これはこの間文教でもそのことが指摘されました。その大臣が今のようにおっしゃるのであれば、従来の大臣の御主張とただいまの発言とは非常にまあ含みが違うように思いますけれども、いかがでしょうか。
  227. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それは事柄が違うのです。私の属している党派は、昨年十一月十五日に結党する際に、重要なる条項として、日本の文教の改革ということをあげておるのです。そのうちに教科書法を変えること、それから教育委員制度を改廃すること及びこの臨教審という、名前はあとでついたのですが、教育の基本について検討することとを、これを党議できめておるのです。内容はまだそのときはこまかにやっておりません。で、ほかのことは自由はありましても、教育のこの三本のことは実は党議できまっておることなのです。それゆえに、私は教育のこの三つのことについては党議で検討ついちゃおらぬ、今申し上げたらかえって誤解を生ずるというので、最後の党議決定まではということで拒否したんであります。けれども、ほかのことはまだまだ幅のあることはたくさんあります。たとえば、米価の問題でも表の値段の問題でも、これはまだきめておりはしませんから、あなたのあのときのお問はこの問題に関してのことだから、当時まだ党議未熟と申し上げたんであります。何もかもみんな党議ということではないのです。非常に幅のある党派なんです、私の方は……。
  228. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣がおっしゃったことは、私がお尋ねした通りのことをおっしゃったんで、検討中だから言えないと、そうすると、そういうことはやはりほかの会派にもあり得ることだと、そこで出ていった人も党議を検討中なのだと言う、まだきまっていないと、そういうことについては言えない場合があるということを大臣はお認めになりますね。
  229. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それはあり得ると思います。それは党とその方との御関係ですから、それを無理に言えとはだれも言えないと思います。
  230. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それでよくわかりました。従ってこの国会から出ていった臨教審の委員は、自由にすべての討議に参加するということが拘束されるということが一点、大臣もお認めになられたことと思います。
  231. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) あり得るということをつけて下さい。あり得るということを認めて下さい。
  232. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) あり得るということをお認めになったと、こういうふうに私は把握いたします。そういたしますと、他の委員の人はフリーな立場で論議するし、それからこういう重要な問題について国会議員の方は百パーセントフリーには参加できないという場合があり得るのであって、その出ていった委員審議の範囲に差が出てくる、こういうこともあり得ますね。
  233. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 意見の発表を、その人が党の関係で拒むということも、実はその人の自由の範囲内ですから、拒む自由を持っておるということでありまして、それは不公平ではないと思うのです。自分が党に入っておる関係上、私は言えませんとおっしゃることは、やはり自分の発言の自由を持っておられるのです。
  234. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 不公平、不公平でないというのじゃなくて、そういうことがあり得るということだけお認め願えればけっこうです。
  235. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) あり得ます。
  236. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 次にお尋ねいたしたいのは、今日の国会状態で、わずか十名の国会議員ではございますけれども、その国会議員はその審議会できめられたことについて、もう一度国会審議する機会が与えられる、このことも大臣はお認めになられますか。
  237. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) お問は、審議会であることをきめたと、それがその意味法案にして政府提出する。その時分に前に表示した意見、それをもう一度国会議員として発言、表決すると、そういうことがあるかと……。
  238. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ええ。
  239. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) ございます。
  240. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 他の委員にはそういうことがなくて、国会議員だけそういう特権と申しますか、機会を持っておる。さらに申し上げたいことは、その場合に、今度は現在の国会の勢力分野から考えまして、十名の国会議員の中にかりに自民党の方が五名おられるとします。この五名の方の意見は、たとえば臨教審の中では少数意見であっても、国会へ持って帰れば、それは国会では絶対多数の力に変るわけでございます。そうすると他の三十五名の意見がどのように強くて、かりに三十五名一致しておっても、その党から推薦されて出ていった五名の意見国会では優先して通る、多数でもって通る、そういう場合もあると考えますが、いかがなものでしょう。
  241. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 憲法による国会議員の権能でございまするから、そういうことはあり得ると思います。
  242. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それならばわずかに五名の主張が、結局臨教審全体の、つまり大多数の意見をくつがえす場合もあり得るというようなことであれば、臨教審の権威というものはどこにあるのでございましょうか。
  243. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) その五名がくつがえすのじゃなくて、五名にプラス衆議院でいえば二百九十幾人ということでくつがえすのですから、五名でくつがえすのじゃないのです。
  244. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣は非常にとぼけた御答弁をなさっておりますが、大臣が先ほどおっしゃったのは、自民党から出られる方にしても、自民党の推薦を受けるわけでございます。そうすると、たとえ一名出ても二名出ても、その人の背後にその会派があるということは、大臣お認めになっておられる。だから五名が一人ずつでくつがえすというようなことでないことはよくわかっておるわけです。また五名の方の臨教審における発言もそういう立場でなさっておるわけです。で、そういうことがあり得るとすれば、この臨教審というものの権威が一体どこにあるかと、こういうことをお尋ねしておるわけですから、的確に一つお答えいただきたいと思います。
  245. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) あなたがどこを不審としておられるか、お問のことは私よくのみ込めませんけれども、背後に党があるとおっしゃられても、党と出てくる委員との関係は、その党の性格によって違うことでありまして、どなたが臨教審の議長になられるか知りませんけれども、その議長としては、これは委員個人の御意見だろうか、党に拘束を受けて言っておるのだろうかということは、判断も何もできるものじゃないのです。それゆえに背後に党があるということは、そう正確な意味じゃでございませんです。そこで臨教審は諮問機関でありますから、政府へは答申しますけれども、答申というものは、政府に対してはバィンディングなものじゃないのですね、答申は尊重するけれども、必ずしも政府は答申通り法案を立てるとも限らない。法案は今度政府提出法律案となってそれで議会で議せられる時分には、参議院議員の方であっても、衆議院の議員の方であっても、立法機関の一員として、再びこれに新たな目で賛否の意見及び表決をするということが、今日の日本の組織であって、その場合に、二度その問題についてある者は発言しておると、ほかの者は一ぺんだ、不公平だというのは、私は少し当らんと思う。審議会制度を作った以上は皆そうなります。
  246. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 私は、不公平だということは一度も申したことはございません。大臣が先ほど不公平だとおっしゃったから……。そういうことを言っておるのじゃなくて、事実そういうことがあるかどうかだけお伺いしたい。
  247. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) それはございます。
  248. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そこで、もう長くなりますから、この辺でこの問題は打ち切りますが、大臣自身がお認めになりましたように、議員が出るということについては、その選任の方法についてもいろいろ問題がありますし、審議も、他の委員と同様に全くフリーでできないという点もあり得るということでございますし、また、その党から出ていった人たちの少数意見が将来臨教審の多数の意見をくつがえす場合もあり得るということで、そういった問題を含むのは、わずかに十名の国会議員が入るか入らないかという点にかかっておるわけです。そういった点をすっきりするためには、私は国会議員をこれに入れるということをやめるべきだということを考えますが、大臣のお考えを伺いたいと思います。
  249. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 今回のこの臨教審には、やはり広く国の政治を高い見地から年じゅう研究をせられておる国会議員の方がお入りになる方が私は大へんいいと思いました。この案の、ほかの文部省関係の委員会と違っておるのは、国会議員を入ってもらうということに大いに意義があるんでございます。私は、あなたの今おっしゃたような場合があるからといって、国会議員をのけていいということにはならんと考えております。
  250. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) これは見解の相違でございますから、あと討論になりますから、その問題はそれで打ち切りまして、次へ移ることにいたします。  大臣が今おっしゃいましたように、臨教審と中教審とでは性格が違うから、そこで臨教審の方がもっと広い視野、もっと広い観点に立つ、そのためにも国会議員を入れるということでございますから、その点について、臨教審には国会議員以外にまあ教育関係はもちろん、学識経験者、財界、実業界、そういう人も入れたいということをかねがねおっしゃっております。で、現在の中教審の中にも、やはり財界の人も実業界の人も、教育界の人も入っております。そこで同じ財界、同じ実業界、そういうところから選ぶ人の人選の観点も、また中教審と臨教審とでは違うのでございましょうか。
  251. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 会議の目標が少し違いまするから、中教審はまあ重点は、現在の日本の教育制度の運用ということにあるのです。重要施策という文字もありまするが、大体は常設的の文部大臣機関であって、運用面を実は重きに置いておるのです。これは制度の改革を必要とする点がありはせぬかという点を重きに置いておりますから、りっぱな人をお願いするいうことは事実でありまするけれども、多少観点が違うと思います。
  252. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 多少観点が違うという、その観点の相違が私は非常に重要だと思いますから、その観点の相違点を具体的におっしゃっていただきたいと思います。
  253. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) これはこの前の連合審査のときに、臨教審と中教審の性格の相違いかんという大きな問題が出まして、私がそこでお答えしたこともありまするし、それを書面として出せとおっしゃって出したものもございます。書面として出したものには、これを三つに分けて言っておりまするが、これは書面が残っておるからそれをごらん願いたいのですが、一言で言えば、第一項はまあ教育の根本たる問題ですね。わけても道徳、風教に関するような問題、これはもう国の最高の問題です。それからその次は、やや行政的になりまするが、教育に対する国の責任、権限、第三には学校制度、わけても大学制度についての再検討と、こう三つに分けております。大きな議題がこの三つである以上は、これに対して広く、かつまた高き見識を持っておる人、こういう人を集めたいという考えであります。中教審の方は、今申しました通り文部大臣の教育運営の常設機関でありまするから、むろん高いりっぱな人ということは同じでありまするけれども、教育、学術、文化についての広い識見を持っておられる、こういうふうになりまするから、ほぼ似た観念でありまするけれども、まあ角度は少し違うのです。
  254. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そういうことは前お聞きいたしましたから、もっとその点を明確にしていただきたいのは、それはまあ教育界からどういう人を選びたいということについては、私も若干わからないことはありません。けれども、広い視野からそれぞれの立場から委員を選ぶということになって、財界、実業界あるいは言論界、そういうところからお選びになるときに、中教審にも同じようなワクでお選びになった委員が出ております。そのたとえば財界から出る中教審の委員と臨教審の委員とはどういう点が違うか、どういう視野でもってそれを御選定願うか、今のような抽象的なことではやはり区別つきません。
  255. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 今財界のお話ですから申し上げましょう。財界へ身を置かれる方は、まあいわば常識人という人が多いと思います。しかしながら、このうち、わけても第三の大学制度といううちの説明に、この節の卒業生は一カ年に十三万です。これが就職が片寄っておるのです。多くは文科系統が多い。財界の方は、あるいはどういう大学の方がよかろうといった意見を持ち、または意見を発表され、パンフレットなどまでもお作りになったような、これについて見解を持っておられる方もあります。また今日の社員あるいは職員等のやり方について、そもそもの根本は、戦前と思想が違ってきたのではないか。学校で一体どう教えておるのであろうかといったようなことについて、見識を持っておられる方もありましょう。で、問題が大よそ、これは三つに限っておりませんけれども、三つに区画された以上は、これについて高き識見を持っておられ、または持っておられそうな人を物色する方が早道ではないかと思うのです。ただ財界代表だと商工会議所から一人とれといったような私は考えは持っておらぬので、この問題について高き識見を持っておらるるような人をお願いしたい、こう思っておるのです。
  256. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうしますと、大臣がおっしゃったような観点からいけば、教育の中での道徳、風教に関する問題について関心を持っている人と、それから大学の問題について、大学教育、大学を出た者の問題について識見を持っている人ということになれば、先般おっしゃったのと若干矛盾してくると思います。それは先般おっしゃったのは、中教審ではとにかく教育問題中心に、教育に関心のある人、教育の場から見てこの人この人というのを選ぶ。けれども今度の臨教審というのはそうじゃなくて、内閣の諮問機関とした建前も、そういう単に教育の問題にこだわらないのだ、実業界の人は実業界の立場からこれに対して意見を述べてもらう。それから財界の人は財界の立場から言ってもらう。地方行政の立場の人は、地方行政から見た教育の問題というよりも、純地方行政の立場からこれについていろいろ意見を述べてもらう。そうするために、中教審と別個に内閣の諮問機関としての臨教審を設けたんだということでございますが、ただいまのだと、これは何も臨教審じゃなくて、中教審でけっこうやれることだと思いますから、先般の御説明と本日の御説明とのそういう若干の違いはどういうところから出てきたのか、これをお伺いいたしたいと思います。
  257. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 答えの違うのは問が違うからなんです。私の考えは同一です。各界から出ましても、各界代表という意味じゃ私はちっともないのです。教育界から来られたから教育代表だ、実業界から来られたから実業代表だ、そういうふうな意味では私答えたことはございません。しかしながら、各界に身を置かるる方から適当な人を委託する。ところがきょうあなたは、中教審と臨教審との人の選び方の相違はどうだとおっしゃいまするから、この問題はきょう初めてです。その問題に対しては、二つの会の本来の性格と目的が違うから、その目的に合うようなふうに選択します。けれども、これも実は私はそう言うんです。実際問題に至ってはその区別は非常にむずかしいのでありますけれども、お問に応じて、この会の目的はこうなんだ、特定の三つの目的がある。ところが中教審の方は常設的な諮問機関でありますから、どんな問題が現われるかわからぬのです。教育界の問題でも、幼稚園のことが出るか、修学旅行の問題が出るか、何かわかりませんから、もっと広い常識家がいいのでありますけれども、これは問題がわかっているから、その問題に適した人を御依頼する、こう答えたので、あなたのお問の種類が違いましたから、答えの種類が違うようになったのです。
  258. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それでは今の問題は確認いたしたいと思います。中教審に選ぶ人と臨教審に選ぶ人とは、その選び方に観点の差があるということを確認してよろしゅうございますか。
  259. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) その通りでございます。
  260. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると、現在の中教審の人は臨教審には一人も入らない、こういうことでございますね。
  261. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そうじゃございません。(「湯山勇君「おかしい」と述ぶ)この間もお答えしました。中教審に入っておらるる方でも、教育全般について常識的にお願いするという方のうちにでも、また一方世道、風教、大学問題ということに高い識見を持っておられる。人間の性質は一つじゃありませんです。だから中教審へ入ったから臨教審の性格はない人だといったようなことは言えません。国会議員でも、衆議院議員であった人がまた参議院議員に御当選になることもあるのです。どっちも適任者でありまするから、そんな答えをしたこともなし、今もするつもりはありません。今の二十人の中教審の方には、りっぱな意見を持っておらるる方は現におられます。さればといって、しからばそれを全部お願いするという約束もこれはできません。
  262. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) どうもわけがわからなくなりました。(笑声)今の質問は、私どもの記憶する限り、参議院においてはそういう質問は出ておりません。それは中教審の代表の方が……、中教審はこのまま置くのかということを大臣にお尋ねしたときに大臣は置くのだと、それじゃ中教審の人を臨教審に入れるかということをお尋ねしたときに、大臣のお答えはなかったと、こう言っております。そこで私はこの問題はやはり大切だと思いますから、それで本日あらためてお聞きしておるわけでございまして、私が先ほどからお尋ねしたことによって、臨教審と中教審では、同じ実業界から入ってもらう人にしても、財界から入ってもらう人にしても、その人を選ぶ観点は違うということを大臣ははっきり御確認になりました。そうして中教審はそういう観点から、大臣が、この人が一番いいという最高の人をお選びになっておるはずです。で、観点の違った臨教審で、また大臣は、これは内閣ですから総理ですが、総理が最適の人をお選びになる。観点が違うのですから、その最適の人がなければ別ですけれども、それぞれの最適の人があるはずでございますから、それがダブるというようなことは、先ほどの御答弁と非常に食い違って参ります。私はわけがわからなくなったのですが、もう一ぺん今のところを順序を立てて、選ぶ観点が違うという前提に立って、両方、ダブることがあるという点について、どういうふうな御説明をいただけるか。
  263. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) ある一個の人が甲の資格で非常にいい人であっても、同時に乙の資格においてもまたいい人だということはあり得ることなんです。これは教育家として非常にいい人だ、ところが参議院議員になってみたら、参議院議員としても一番いい議員だったということはあるのです。(笑声、「ナンセンスだ」と呼ぶ者あり)私は法律家で弁護士ですが、私のことじゃありませんよ。いい弁護士であっても、(「いい文部大臣」と呼ぶ者あり)また衆議院議員としていい議員もあり得るのです。だからどっちへも、現に今の中教審の方は学界の耆宿、元老であられます。ああいう両資格を持っておられる人はたくさんおられます。
  264. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) どうも大臣の理論は納得できませんけれども、しかしまあ文部大臣のように、確かに文部大臣としても弁護士としても優秀な方がおられますから……、(笑声、「ノーノー」「違う違う」「言葉は裏があるんだから」と呼ぶ者あり)特殊なケースとしてはあるいはそういうこともあり得ると思います。そうすると中教審の人も入り得るということでございますか。
  265. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) さようでございます。
  266. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) じゃあその点は了解いたしました。そこでこの臨教審は、法律にあります通り二カ年間の臨時的なものでございますし、中教審はしばしばおっしゃいましたように、これは恒久的なものである。そうすると臨教審にお諮りになることは中教審にはお諮りにならない、こういうことは了解してよろしゅうございますか。
  267. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 大体目的が違いまするから同じものを両方に諮問する考えはございません。
  268. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 中教審は広く教育文化そういうものの一般の諮問に応じる、重要な根本的なことについて。ですからもし臨教審ができなければ、臨教審ができない場合には当然中教審に今大臣のおっしゃったようなこの臨教審に諮る問題も諮られる性質のものであるということは、そう解釈してよろしゅうございましょうか。
  269. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 同じく教育に関することでありますから、ボーダー・ラインのところは幾分オーバー・ラップすることがありますけれども、根本のことは私は重複はしないと思っております。
  270. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そういう御答弁をいただくような質問ではなくて、現在まだ臨教審はできておりませんから、で、中教審が恒久的な機関として存在しておる。今回臨教審に御諮問になろうとしておることも、観点とかとらえ方の差はあるにしても、やはり教育の問題でございます。そうすると、臨教審ができなければ当然中教審にお諮りになってしかるべき問題であるというふうに私は解釈するのでございますが、間違いでございましょうか。
  271. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 間違いとは申しませんけれども、しかしながら今日のこれが、制度という文字はむずかしい文字ですが、現在の教育制度ですね、教育制度についての改革ということは、私はその目的のための別の機関にやるのが適当と思っております。
  272. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 私はその適不適をお尋ねしておるのではなくて、今臨教審にお諮りになろうとしておることを、臨教審がない段階においては中教審に諮ってもいいのじゃないか。また当然中教審に諮るべき事柄ではないか。臨教審がなければですね。そう解釈しておるのですが、それはいかがなものでしょうか。またもっとわかりやすく申し上げますならば、中教審に諮るべき問題であるけれども、特に重要だから臨教審を設けたまでのことであって、中教審に諮るということが間違いであったりあるいは不適当であるということではないと思うのでございますが、その点はどうお考えでございますか。
  273. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 私は間違いであるといったような強い否定はいたしたくないのです。しかしながらやはりこれは別の委員会にかける方が適当だと思います。しゃべり過ぎるか知りませんが、この制度としての日本の教育制度ですね、教育制度はやはり内閣にあった教育刷新委員会でこの制度をきめたのであります、六・三・三の制度と大学の制度を。それが目的を達した時分に今度は内閣でない、文部省に常設機関を置けということを言い残して解散した、あなた御承知の通り刷新委員会が。ところが刷新委員会がきめました制度それ自身についてもう一ぺん変えなければならぬかという問題が起りましたから、名前は違いましたけれども、刷新委員会とは別に臨教審としましたけれども、きめるときに刷新委員会のきめたレベルで一つ制度は変えるのが当り前だ。すなわち内閣における、前には内閣といわず総理大臣の諮問機関といいましたけれども、内閣の諮問機関と同じレベルのものとして、初め常設しました刷新委員会のものについて世間は疑惑を抱いてきた。その制度を変えるのだから制度のときに諮問しましたところの刷新委員会と同じようなレベルのものを一つ作ってやるのが適当であるというので、常設機関たる中教審にはかけないで、もう一つ高い、高いというと片方が低いように聞えてあれだけれども、もう一つ上に内閣諮問機関というものをこしらえて、もとの制度の改革をやろう、こういう考えでありますから。しかし教育のことですから、ここで中教審へかけて非常な間違いだということではないのです。けれども別に置いた方が私は適切とこう考えておるのであります。
  274. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ただいまの点に対する大臣のお考えはよくわかりました。そこで私はちょっと方角を変えまして、今特に臨教審に御諮問になろうとしておる三つの点は、この中教審の法律の中にあります「教育・学術または文化に関する基本的な重要施策」、こういう概念の中に入るとお考えになっておられるか、入らないとお考えになっておられるか。
  275. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 概念的に、文学的に言えば入ると思います。現に大学制度においても短期大学をどうするかということを今審議しておるけれども、これを制度として扱って教育刷新委員会と同じレベルのものでもう一ぺんやり直すということが必要とは考えられません。新たな委員会を作っていただこうとしたのであります。
  276. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 新たな委員会でおやりになろうという、そういう積極的な御施策については私は問題にしようとしておりません。問題は大臣が最初ただいまの御答弁の劈頭におっしゃったように、このたび臨時教育制度審議会にお諮りになろうとしておる三つの問題は、「教育・学術または文化に関する基本的な重要施策」という中教審に対する諮問事項の中に含まれるということを御確認願えればいいわけです。この点については御確認をいただきましたから、そこでその点についてさらにお尋ねいたしたいのは、臨教審ができたために、今のような三つの問題等についてはもう中教審にお諮りにならないわけでありますから、おのずから中教審の何と申しますか、権限と申しますか、調査審議の対象というものは、臨教審に取り上げただけ縮小された、こういうふうになると思いますが、そうでございましょうか。
  277. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 法制的に縮小されたのじゃございませんが、臨教審のある間は、制度改革というようなことは臨教審の方でやっていただく考えであります。
  278. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると一応まあ縮小されたということになるわけでありますが、その縮小されたものが今度は二年たてば臨教審の廃止になります。廃止になったときには、そういう制度等に関するものもまた中教審にかけるのでございますか、あるいは今後、制度の問題が出ればまた新たな臨教審をお設けになるのでございますか。
  279. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) あなた縮小されたと私が言うたとおっしゃっておられるのですが、縮小されたとは言わないのです。制度的に同じことであるけれども、臨教審のある間は教育制度、いわゆる三つの問題とかりにまあ限りますか、それはその間は中教審には事実上御相談しないということを言ったので、法律的にはやはり同じことであります。もし私が諮問しないということで、この問題について、中教審がかりに二年の間、それらの問題について審議しないといっても、権限が停止したのじゃなくて、諮問しないからそうなっておるので、臨教審がなくなったら、もとの通りにいくのです。よく睡眠状態といいますか、権限がなくなったのじゃないのですけれども、しかし事実上そのために、英語で言えばアド・ホックの委員会ができますから、そこへもっていくというだけのことです。
  280. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それじゃ臨教審のある間はこれらの三つの問題のような問題については中教審はその部分だけ眠っておる、冬眠しておる。
  281. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そういうことです。
  282. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 臨教審がなくなれば冬眠から覚める、こういうことでございますか。
  283. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そういうたとえで言えば、たとえというのはいつもほかのものを連想すると、適用されませんけれども、その限りにおいてはあなたのおっしゃる通りです。
  284. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それじゃ今後重要な——やはり大学だけではなくて高校の制度なども非常に重要だと思います。それから中学と高校との結びつき、これも高校へ入るための浪人や予備校ができかかった今日の段階においては、現在の大学の問題と同じように取り上げなければならない段階が来るのじゃないかと思いますが、もしそれらの問題がはやり政府として検討しなければならないという段階になったときには、大臣がもしやはり大臣をお続けになっておられれば、あるいは現在の政府が続いておれば、臨教審を設ける、現在のいきさつから見て臨教審をお設けになるということでございましようか。
  285. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 正面からそれにお答えする前に申し上げたいのは、先ほどから大学と言いましたけれども、学校制度特に大学制度というので、大学制度自体にも学校制度についてやはり臨教審は御検討願うのです。しかしながらあなたのお問いはそうじゃなくて、やはり教育制度についてもっと大きな問題が将来起る、また世間もその必要を認めるといったようなことが起ったらどうするかということと了解してお答えしますが、その場合にはやはり恒常的の中教審のほかに高次元の臨教審類似のものができる方が私はよかろうかと思っております。戦前においても文部省に教育評議会があるのに、内閣でまた臨時教育行政調査会を作ってやったこともあります。とりわけのそときに作ったのはやはり経済関係に牽達するということで作っておりましたが、全国に高等専門学校を拡充し、原敬さんがみずから委員長となられて、そうして多数の学校ができて、それからすぐやめたああいうふうな流儀で、これはたとえですから、そのつもりで聞いて下さい。六三制がいけないというふうな世論が起ったら、それについてやる場合には、中教審じゃなくて臨教審類似のものを立ててやるのが私は当然だと思います。
  286. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣のお考えは非常に明瞭によくわかりました。ところが中教審を作るときにはそういう考えは毛頭なかったのでございます。この中教審を作るときの提案理由にいたしましても、それから当時の説明にいたしましても、そういう考えは全然なくて、教育に関する、つまり教育、学術、文化に関する基本的な重要施策、これについて諮問する、こういうことになっておりまして、中教審ができるときには、今の大臣のような構想は全然ございませんでした。ところがたまたま今回臨教審が設けられ、今後においてもそういう重要な制定の問題については臨教審あるいはそれに類似したものを設けたいというお考えからいけば中教審の性格は今日変ったと、中教審設置当時とは変ってきたということになるわけでございますが、そう解釈してよろしゅうございますか。
  287. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 私は少しあなたと了解が違うのです。やはり今の中教審ができる時分にも大体私のような考えでできておると思うのです。それは中教審ができたのは、前の内閣にありました教育刷新審議会の第三十五回でありましたが、その内閣に置かれた刷新審議会は日本の教育制度を作ったからもうわれわれはこれでやめると、じゃけれども恒常的の諮問機関を文部省に置いてくれいという決議をして起ったものです。ここにそういう関係決議がありますが、くどくなりますから皆は読みませんが、こういうことを言っております。教育刷新審議会は、創設以来教育改革の根本的政策の樹立に多大な貢献をなし、今日一応その使命を達したので、これらの教育改革の基礎の上に、民主的教育の完全な実施とちょっと省略いたしますが、文部省に恒常的な諮問機関として中央教育審議会を置くことが必要だ、こういう決議がありまして、おれらは内閣委員会においてこの通り日本の教育制度を作った、もう内閣には要らぬが、恒常的な諮問機関として文部省に諮問機関を置けと言い残しまして、これは解散しているのであります。それを受けて文部省設置法にこさえまして、そうしてここに中教審というものを作ったのであります。中教審を作る時分の文部大臣の説明演説には少し強い言葉が書いてありますけれども、やはりこの決議を引用しておるのであります。しかし今日におきましては、一応その使命を終了したものと考えられますが、またいわゆる云々と言ってやはりこの決議を文部大臣は引用して説明しておるのです。で、初めて中教審を作ることでありますから、中教審の使命が非常に重大なということはずっと言っておりますけれども、重大というのはやはり私が今言うたようなことなんで、これもあなたのお問いに対して明確に答えようと思って私は少し言葉をはっきり言い過ぎておりまするけれども、やはり心持ちはこういうふうになっておるということは連絡上よくわかるのです。
  288. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣は今私に答えていただくために、特に言葉づかいを明確にしたという前提をおかれましたが、それじゃそのことをさらにお尋ねいたしますと、当時の文部大臣は少し誇大に宣伝し過ぎたということでございますか。
  289. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そういうふうな当時の文部大臣を批判し非難するつもりじゃないのであります。これはりっぱに言うておられます。何も誇大に言い過ぎたという考えじゃございません。当時の説明としてこれでいいのです。けれども、あなたのお問いに対しては、当時の文部大臣が今おられましても私のようなお答えをなさるだろうと思う。
  290. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 私はすなおに当時の文部大臣の説明を受け取れば、私が解釈しているように取れると思うのでございますけれども、大臣はそうはお思いにならないのでございましょうか。
  291. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 私はこの内閣に置かれた教育刷新委員会が、内閣委員会としてはもう任務は終った、これから恒常的の諮問機関として中教審——名前はのちに中教審になったのですが、恒常的諮問機関を置けといったような意味を解しますというと、日本の言葉はあるいは重要とか緊要とかいうふうなもろい言葉をいつでも使いますけれども、大体は二つ審議機関の間にそれだけの差異はあるものだと了承しております。しかしながら中教審だけを、今から開会する時分には、この会は非常に重要だ、緊急政策をやってくれというふうにそのときは説明するのが日本語の用法ですから、どちらもほんとうです。(笑声)
  292. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) それじゃ当時の文部大臣も現在の清瀬文部大臣と同じような意識をもってやられたと、こういう大臣の御答弁をそのまま受け取りますと、現在の中教審に選ばれておる方々は先ほどのお説のような根本的な問題ということではなくてそういう重要とか緊急とかいう表現は日本語だからあるにしても、とにかく若干軽い意味で選んでおる、こういうことになるのでございますね。
  293. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 重い軽いと、高い低いは違うのです。やはり日本の教育を恒常的にやるということはこれは非常に重いことなんです。だけれども平生運行することと制度自身を切りかえるということを、高い低いという言葉は悪い、けれども高次元的なことを言えば高い低いの差はあるけれども、重い軽いといったらどっちも重いのです。重さに軽重はありません。むしろ私は恒常的に日本の教育をなめらかに運行するということが非常に重いことだと思います。ちょっと誤ったら子供の生涯を誤まる。これも重いことであります。また委員の方もどっちも、このどっちの上の委員、こっちの重い委員、軽い委員という区別は一切ないと思います。このことは私文教委員会でも申し上げました。
  294. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると大臣のお言葉で言えば、重い軽いじゃなくて、次元の相違だと、そういうことでございますね。
  295. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そうです。
  296. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると、現在の中教審のたとえば早大の学長とか、それから矢内原学長とか、そういう人たちをお選びになるときはそういう低い次元においてお選びになった、こういうことでございます。
  297. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 低い高いじゃない。私が選んだのじゃありませんけれども、前の、前任者がお選びになったのですが、教育の経常的運営をやるのにはああいうえらい人が一番いいことでありましょう。将来しかし私の言う臨教審といったようなものが必要であるかないかはわからんうちにお選びになったのですから、何もこれらの人を軽んじるとかいう意味ではございませんけれども、あの仕事には最適任であったのです。また先刻も申す通りこの仕事にも最適任であるかもわかりません。
  298. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) ちょっと言葉を返すようですけれども、大臣は中教審、臨教審に重い軽いはない、次元にははやり差異があるということをはっきりおっしゃいました。そうすると、現在の中教審の人たちはその低いという言葉がいいかどうかは別として、そういう次元において、つまり差のある次元において選んだ人たちだ、こういうことでございますか。
  299. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) また次元ということも、言葉はマッチするか——誤解を生じまするけれども、あのときは片方の委員会はなかったのです。また今でもこさえて下さいといって頼んでいるだけで、ありはしません。経常的の教育の運行を、国家の重要施策をやるのには必要な人材なりと当時の担当者はお考えになったのでありましょう。しかしながらそれがために今日のもう一つ委員会の資格はない人だというふうには考えるべきでないということは、先刻失礼なたとえをして済みませんでしたけれども、申し上げた通りであります。
  300. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 私は今の大臣のおっしゃった意味を高い低いとか、あるいは今お選びになったことが失礼だということは絶対に思いません。その点は大臣の気持よくわかります。そこで大臣が今おっしゃいましたように、あの当時は中教審が恒久的な機関として、そして臨教審のない段階で最適なものを選ばれた。そのときには今大臣のおっしゃるような次元の差はないわけでございます。ところが今回はそういうふうに臨教審というものができ、さらに将来もそういう問題のときには臨教審のようなものを設ける、こういう御方針に立てば、そこに次元差が生じて参ります。二つの間にはこれは大臣が先ほどおっしゃった通りです。従来一次元といいますか、単次元であったそのものが、今度は二次元になりますから、そうすると、中教審というものの性格が変る、こういうことになると思いますが、大臣のただいままでの御説明から、どうしても中教審というものの性格は変ってくるというようにしか把握できないのでございますが、この点はいかがでございましょうか。
  301. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 私の説明が下手で同じことを繰り返しますが教育刷新委員会がなくなった刷新委員会の置くべしといった、中教審を置いた時分には、日本の教育制度制度それ自身をいらおうというようなことのないときです。しかるに制度それ自身をいらおうかという社会の要求が起って、その目的、それをかりに次元なりという言葉を、こなまいきな言葉を使ったのがよくありませんが、そういう新要求が起って、今の中教審が起った時分にない要求が世の中に起りまして、そのために臨教審を作るでしょう。それゆえに臨教委を作るということは原則として中教審の性質、性格に加えるものでもなく、減ずるものでもございませんです。新要求が起って新委員会ができるのです。しかしながら事は同じく教育に関しまするからオーバー・ラップすることがないとは保証できんから先刻あの通り申し上げているのです。それがために中教審の権限が一たん日食のように欠けて、それからまた今度はふえてくると、そういうふうな関係じゃありませんです。
  302. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) たとえですからちょっと妙なことになりますけれども、日食のように欠けて、またもとのようになってくるというたとえか、あるいは眠っておって起きるというたとえか、これは私はそんなにそのたとえの間には差はないと思います。大臣が初めおっしゃったのは、当初は臨時教育制度調査会、それがあって、これが内閣の諮問機関のような性格を持っていた。もう内閣にはそれは要らなくなって、そのかわり恒常的な、常設的な文部大臣の諮問機関になった。だからその間には内閣の諮問機関としてのものと、文部大臣の諮問機関としてのものとの間には、次元という言葉は別としても、何らかの差がある、こういうことをおっしゃいまして、そこでそれでは現在の委員の選任はそういう差を認めて選んだものかどうか、こういうお尋ねをしたときに、それはまた若干違う。選ぶとぎにはもう高次元か、別次元か、そういうものがないのだから、もうそれをやはり唯一のものとして選んでいる、こういうお話でございました。ところが今度はその中教審を置いたときにはあらためて内閣の諮問機関を置くというような前提ではないわけでございますから、そういう観点から選んだ人が、今度はまた再び内閣の諮問機関ができる、こういうことになるわけでございますから、そうすると当然その選び方にはないと思って選んだものが、今度はあることになったわけですから、選び方も違ってくるし、仕事の内容についても法制的に変わるとかどうとかいう問題ではなくして、たちまち今度臨教審にお諮りになるような問題は、中教審に諮ってもいいように法律はできておるにもかかわらず、諮らないということになるのございますから、実質的には差ができてくる、こういうことになると思いますが、そういう考えはやはり間違いでございましょうか。
  303. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 間違いだと断定的にお答えするわけにもいきませんけれども、あなたのお問いのうちに、始終これがあるのです。今の臨教審がなかったら中教審にこれをかけてもいい問題じゃないか、こういうことがあるんですね。ところが私の見ておるところでは中教審ができたじぶんには、制度として一たんこれが確定した。これの運用について経常的に考えてくれ、もっとも運用をするうちにどっか適当ならざることがあったから修正をしてもいいといって、そこは少し幅をとって書いております。しかし今度の臨教審は、元の刷新審議会と似たような性格を持っておるわけです。刷新審議会を家の新築にたとえれば、臨教審は改築みたいなことになるのです。その制度それ自身については、改革するところなきやいなやというんだから、だから初め制度を立てるじぶんの刷新審議会と似たような性格を持っております。で、しかしながら中教審は、実はその性格がなかったんです。その必要がなかったんです。家を建てた早々ですもの。家を建てたそのときに改築のことは問題になっておりません。やはり修繕のことは問題になっております。
  304. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣のお考えはわかりました。従って大臣のお考えでは、臨教審ができたからといって中教審の性格が変るものではない。
  305. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) そうです。
  306. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) よくわかりました。  次にお尋ねいたしたいのは、中教審には諮問だけではなくて、建議ということができることになっております。ところが今回の臨教審には、建議ということはできないことになっております、法の建前からは。今、大臣がおっしゃったように、重要な諮問機関であれば、私は当然建議があってしかるべきだと思いますが、建議ということを、ことさら法文の上から落された理由を承わりたいと思います。
  307. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 臨教審に諮問することは、あらかじめ法律を作るときに考えておることなんですね、それでこれは三つじゃありません。割ってみたら七つ、八つになりますが、私は三つにまとめましたが、この三種類のことを、これを答えて下さいということを諮問するつもりで、幅の広い建議ということを書きませなんだんです。先刻政府委員にお聞きの通り、会議の数も比較的少くしております。過日文教委員会お答えしました通り、建議は書いておりませんけれども、しかしいずれこれは国内の大家が集まられることでありますから、そこで建議とか上申とか、適当なる御意見があったら、諮問事項以外のことでも喜んでお受け取りをし、これには敬意を表するつもりでありますけれども、広く建議はここで書かなかったわけはそこにあります。
  308. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そうすると、建前としては建議はしないというふうに解釈してよろしうございますか。
  309. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) その通りであります。
  310. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そこで非常に私は大きな問題があると思います。教育の問題などで建議を認めないというようなことになりますと、諮問の仕方いかんによっては、いかようにもこれを利用することができると思います。たとえて申しますならば、大臣がしばしばおっしゃるように、極端に申しますから、一つそのおつものでお聞き願いたいんですが、親に孝行しないというような教育はいいかどうかとか、あるいは今日のように愛国心ということを強調しない教育は、あるいは愛国心を養わない教育はいいかどうかとか、あるいは文部大臣責任、権限が明確でない教育制度はいいかとか、あるいは大学の入学試験地獄はこれでよいかどうかというような形で諮問されれば、これは全部、それは親に孝行しないような教育はいけない、国を愛する心を養わないような教育はいけない、文部大臣責任の明確でない教育制度はいけない、あるいは今日の入学試験地獄というものは悪い、こういう答えが出ることは、もう必至でございます。そこで、ただ諮問したことだけということではなくて、積極的に意見を述べられるような制度にしておかなければ、これはたくさんの人が心配しておるように、ただ臨教審というものに諮問したということだけのために設けたもので、まあこれを政治的に利用して、政府あるいは文部省に対する風よけにする、こういううわさ通りの結果になると思います。そういう点からも、当然私は建議ということを入れなければ、それだけ重要な使命を持った委員会が、役目を果せないと思うんですが、大臣はどうお考えでございましょうか。
  311. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) これは前にもお答えした通り、諮問事項を書いて、しかもこの会の存在は臨時で、期間の短い委員会であります。それゆえに、特に建議をするという権能は入れませんでした。しかしながらこれらの重要政策を総合的に調査審議するということがありまするから、幅の広い、しかしながらこれがいい悪いといったような、あなたのお示しのような答えでは満足しないので、もっと積極的な答えを得るような諮問の仕方をいたしたいと思います。しかのみならず、文教委員会でもお答えいたしました通り、建議は書いておりませんけれども、建議に類する御意見があれば、喜んでこれはお受け取りするわけであります。建議権がないから、こういうことはいやだといって返すなんということは決していたしません。拝授いたします。
  312. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) そういう政府並びに文部大臣のお考えならば、当然建議という言葉を入れてしかるべきだと思いますが、これは大臣も御賛成になると思いますが、いかがでしょう。
  313. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) その建議をするために時間、労力をとって、こちらの諮問がおくれるということも希望するところじゃございませんので、全力をあげて比較的短い時間に政府の出した諮問について御答申を願いたい。二年と書いてありまするけれども、諮問さえ出てくれば、二年前にも解散するつもりです。しかしこの三つのことを御調査のときに、よくあることです。だんだん考えてみると、政府はこう諮問するけれども、元のこれがなかったらいいことはできないんだということをお気づきになって建議のようなものをお出し下されば、喜んでこれはお受けするのであります。
  314. 湯山勇

    委員外議員(湯山勇君) 大臣の御態度はよくわかりました。わかりましたが、そういう御態度であればあるほど、諮問ということは政府の方でいかようにもできるわけですから、当然この建議ということを私は入れるべきだと思います。これについては御答弁はいただかないことにします。  以上で私は中教審と臨教審との関係についてだけ質問を終ったことにいたしまして、あと大臣の御説明になっておるこの教育の内容に関する問題、これも文教委員としては決してゆるがせにできない問題でございますし、それから大臣の責任、権限の問題、これも今日ただいまにおける大臣の責任、権限もおありになるわけだし、それを明確化するということならば、どこか不明確なところがあるかどうかというような点、それから大学の制度に関する問題、これらもお尋ねしたいのですけれども、それは別な機会にさしていただきまして、あと委員の方もおられることですから、それらの質問を別な機会に譲らしていただいて、中教審、臨教審の関係に関する分だけの質問を一応これで終ることにいたします。
  315. 青木一男

    委員長青木一男君) 文教委員戸叶武君から発言の許可を求められております。これを許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  316. 青木一男

    委員長青木一男君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
  317. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) この臨時教育制度審議会は、内閣の諮問に応じ、教育に関する現行制度に検討を加え、教育制度及びこれに関連する制度に関する緊急な重要政策を総合的に調査審議するということになっておりますが、その調査審議の対象となる政策は、清瀬文部大臣は、自局党の政策に掲げられた、多分御自分が書かれたのでありましょうが、国民道徳の確立と教育の改革の項に、教育制度を国情に即応せしめるよう、教育に関する責任と監督の明確化、二に学制、特に大学制度の再検討、三に教育行政組織の改革をはかるというふうに主張されておりますが、その目的の根幹をなすところの国民道徳の確立並びに教育制度を国情に即応せしめる、このことはそういうふうにだけ表現しておったのでははっきりわからないので、非常に清瀬さんはこの文教政策に対しても一見識を持っておる人で、特に弁護士として論理的にその概念規定に対しては、必ずその具体的な内容を私は準備されておるのだと思いますが、抽象的で非常にわかりにくいから、具体的な内容をあげて御説明願いたいと思います。
  318. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) この前に資料として「臨時教育制度審議会設置法案第二条の「緊急な重要政策」について」というものがお手元に行っておるでしょう。資料七という番号を打っております。そのうちの(一)に当ることのお問だろうと今拝聴したのでありまするが、そこには「わが国の教育の目標は、教育基本法に規定されている。この目標は、民主主義教育の基本であるが、新教育実施後の経過にかんがみ、これだけでは不十分であり、なおこれに附加すべき点があるのではないかという各方面の要望もあるので、教育の目標について再検討を行う必要があると考えられる。」、この点だろうと思います。これは私が言うだけではなく、世間でそう言っておるものであります。今日、たとえば大阪の大鉄高等学校では、卒業証書を握った卒業生が、門前から引き返してきて先生を気絶せしめて、顔をなぐって鼻血が出たら、それを先生の顔に塗ったというような驚くべき事件が起りました。岐阜県の公立高等学校では、学校内に五十人万引した子供がおる。あるいは少し古くなったが、京都の旭丘事件ではあの通りの大騒動を起しておる。実に私ども文教に携わっておる者は身を切らるる思いをいたしました。これは世の中の風潮にもよるのです。それからまた、敗戦後の日本という虚脱状態からもきておるのです。いろいろな原因がありまするけれども、この現実に当面して、国民道徳のもとに何か欠陥があるのではないかという議論が、院外においても院内においても、ここ数年来強く叫ばれているのです。この声を無視するわけにはいきません。ここに教育基本法のことを書きましたが、これだけに拘泥する必要はないのですけれども、教育基本法を読んでみると、第一条に八つの徳目が掲げられてあるのです。人格の完成とか、平和とか、真理、正義を愛する、個人の価値をとうとぶ、勤労、責任、自主的精神、これはいずれもいいことで、これはちっとも非難がない。よく考えるというと、これで足りぬのじゃないか。この法案審議するときにはや言われているのです。あのときまだ貴族院でしたが、貴族院議員が、これだけでは国家に対する忠誠ということがないという質問がはやそのとき出ております。あるいはまた家庭内の恩愛ということもちっともない。善悪ということのほかに、心持が、シナの言葉を使えば温良、恭謙、譲、そういう人間の生活態度ということもないといったようなことで、世間の議論をここで紹介すればとても尽きないことでありますが、ここに一つ考え直そうという必要がありはせぬか、どうすればいいかということは、それが審議会でおきめになることです。あるいは審議会委員が、これは文部当局は心配し過ぎている、改正の必要なしという御答申があったら、それでも審議会はそれでいいのですけれども、教育界、財界、言論界の方々が集まって下さるならば、何か案が立つのではないかということを楽しみにして、これを一条にいたしておるのでございます。きめました当時は素朴な文字を使いまして、正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道徳を確立するため、現行教育制度を改革するとともに云々という字を使っておりますが、これなどもだれが作ったか知れませんけれども、これはわが党代議士も、参議院の方もたくさんおられまして、いろいろと去年の夏、暑い間に研究した結晶がこうなったのでございます。決して反動政策、昔に戻ろう、教育勅語を復活しよう、忠君愛国でいこうなんていう、そういう考えではございませんから、どうぞ一つ善意にこの文字をおとり願いたいと思います。
  319. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) どうするかは審議会がきめればいいので、何ら案も持ってないという文部大臣の御見解ですが、さようでございますか。
  320. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 今、審議会に付議しようというのでありますから、先走って私の考えを今申すことは適当でないと思います。
  321. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) 清瀬文部大臣は知恵を持ち過ぎているくらいで、ときどき失言なんかやるくらいですから、失言はあいきょうで、やはり私は一見識を持った方だと思います。日本の政治家には見識を生命とすることが必要だと思うのですが、その文部大臣が何も持っていないとは思えないのですが、あなたは教育というものをどういうふうに考えているか。特にジャン・ジャック・ルッソーのエミール等を引用せられて、衆議院等においても答えられているが、それだけではわかりませんが、教育の用い方をどういうふうに一体考えておられますか。
  322. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) これもむずかしいお問でありまして、およそ教育の目的は、その時代、民族が理想としておることに達成する。ほうっておけば人間は本能に支配されまするが、理想形に人の行動がいくように人間の力をつけることだと思っております。ある人は一つの人間像——今日の日本の持っておる理想的の人間像を描いて、これに近づかしめるよう被教育者を薫陶し、または成形し、これに必要なる教化を与えるということでありまして、私の説明は下手でありまするけれども、教育はいわゆるビルディングで、人間を作る作用を持っておる、かように思っておるのであります。
  323. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) 先ほど文部大臣が大阪の高校や、岐阜の高校や、いろんな事件をあげて述べられておりますが、これらは教育だけに責件を転嫁すべきでなくって、むしろ日本の政治の貧困と社会的環境の低さというものが、そういう日常の生活からくる影響というものが非常に強いので、ルッソーのエミールなり、その他彼の従前の懺悔録の中にも貫かれている思想というものは、この社会環境というものがどういうふうに人間に大きな影響を与えるかという問題と取っ組んで、自然の愛情とそれから自由というものがどういうふうに発展し育っていくか、またその自由を他からの干渉に対して守るためにはどうするかということが、その思想の根幹に流れているのだと私たちは思うのですが、素朴な形でルッソーが表わしたこの非常に矛盾する点はいろいろあるが、しかしながら、これを近代教育の方へペスタロッチなり何なりが形づけていったというのは、そういう深い私は思いやりがあっての上なんで、どうも清瀬さんが考えているようなぎごちない、何か権力的なにおいを非常に強くするような考え方というものは、近代教育にそぐわない一つの行き方じゃないかと思いますが、清瀬さんはどうお思いですか。
  324. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) あなたのおっしゃる通りです。あなたがあの例をあげるときも、必ずしも教育ばかりではないかもわからぬ、戦後のわが国の国情というものがしからしめるところがあるかもしれないということも、私もつけ加えて申しております。全くあなたと同感であります。学校の教室内だけが教育でありません。世の中の感化は非常に重大なものであります。
  325. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) この戦後十年というものは、どこの国でも、敗戦国においては荒廃するもので、アブノーマルな形においていろいろ虚脱状態というものは起きるのだと思います。それをほんとうに立て直していくというのは、やはり自主的に、すぐれた民族ならば大体十年後には起きてくると言われているんですが、どうも今の政府の行き方だと、憲法改正にしろ、この教育に関する問題でも、あなた自身憲法改正調査会と臨時教育制度調査会というものには相通ずるものがあるのだと言っているように、何か政府権力に依存して、そして何か一定方向にこのネジを巻きかえるということによって目的を達成しようというところに、あまり力こぶが入り過ぎておるように思われているんですが、その点はどうですか。
  326. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 私どもの及ばぬことも多々あると思います。今あなたのおっしゃる通り、大きな戦争に負けたあとですから、十年ぐらいは虚脱状態になり、自暴自棄になるということもとがむべきことじゃないのでありまするが、さればといって、これは戦後の影響だからといってそのままにしておくわけには参らないので、ことに教育のことはそう簡単なことには参りませんけれども、十年目にようやく世間がそれを口にするようになった機会に、やはりたって改革の要に当るということも私は即刻考えて参りたいと思っております。やり方に悪いところがあればどうぞ十分に御批判を賜わりたいと思います。
  327. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) 清瀬文部大臣は、現行憲法の人権尊重とか、人格の尊重とか、個人の価値の尊重というのは尊重すると言われておられますが、インディヴィデュアリズムが日本には非常に欠けていた。それだから特に新憲法においてそれが強調されているところに歴史的に非常に意義がある点をあなたは軽視しておられるのじゃないかと思いますが、明治の初年においても、あれほど五箇条の御誓文に表われたような維新精神、こういうものが躍動しながらも、あとではプロシヤ的な国家権力に依存してすべてのものを持ち運ぼうというビスマルク的な、ユンカー的な基盤に立った官僚や軍閥の養成、この明治政府の二大支柱の作り上げ方というものが、非常に日本の底の浅い一つの悲劇を作り上げた原因を作り上げたので、あの当時においては私は日本の教育、学問の先頭に立った福澤諭吉先生が独立自尊なり、あるいは小野梓先生が学問の独立ということを特に強調しておられた点を、どういうふうに清瀬さんは御理解になりますか。
  328. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) ちょうどあなたの……、ほんとうに私は知己を得た感を持つのですが、私も始終それを唱えているのです。日本は頼朝以来非常に長い封建生活をした日本の国民です。ことに町人なりあるいは農民はそうであります、それを解放するルネッサンスの運動ですね、個人主義の運動が起りかけてやめてしまったのです。福澤先生のような先覚者が独立自尊というのは、偉くなれというのではない。セルフ・リスペリトですね、個人尊重するという運動がなくして、文芸復興なくして、すぐに社会思想ということに移ってしまって、その間に個人思想がなかったということは、大きな資本主義制度がなかったということでありますけれども、そのことは別として、日本人に個人尊重の自由主義がフランス、イギリスのように徹底しないままにその次の段階に移ってしまったのです。憲法にこの通り個人尊重ということが書いてありますけれども、今に至るまで私は非常にこれは不十分だと思っております。その点はほかの言葉であなたが今御説明になりましたが、私は始終そう思っているのです。たとえばわれわれがやっている弁護のことでも、悪い者を弁護するなんということは日本人にはわからないのですね。けれどもどんな悪人でも個人の権利は検察官、警察の圧迫に向ってはこれは対抗していかなければならない、ところがそこが十分にわかってくれぬということが、私は非常に遺憾と思っておるのであります。はなはだ不肖でありますけれども、どうかしてまず自由尊重ということを十分に知らして、道徳なんといっても、個人尊重がなければ道徳はないのです。たとえいいことをしても、強制されたり、人のまねをやる善は善でない。自分個人から発生した善で初めて賞賛すべきことであります。この個人主義が十分に徹底せざりしことがわが国の憂いの一つであります。あなたの御意見と同じことを繰り返す必要はないと思いますから、全く同感と申し上げるよりほかありません。
  329. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) どうも清瀬さんと私は実際は近いようで非常に距離があるのですが、それは多少ゼネレーションの相違かと思いますが、このインディヴィデュアリズムとルネッサンスの問題について、清瀬さんは一つの理解を示していながらも、ルネッサンス神精の偉大というものは、国家権力による、誘導によるところの偉大ではなかったと思います。時としては国家権力が間違っているならば、個人の人間が国家全体に向っても必死となって抵抗するだけの抵抗の精神というものがなければ、近代のインディヴィデュアリズムというのは生まれ出なかったのです。どうも私は進歩的な思想家としての清瀬さんの論理の中に、常に矛盾というものが胚胎するのは、やはり明治憲法と四つに組んで、長い間弁護士という御商売でありながら、しかもその弁護士としての御商売の中においては、自由民権的な一つ精神からよってきたるところの一つの抵抗の精神というものが、かなり清瀬さんの前半生というものを輝かしいものにしてきたと思うのです。この尊敬の的だったと思うのです。ただそこに不足したのは哲学とイデオロギーの不足だったと思います。私はやはりそういう抵抗の精神というものが、論理展開だけに空転しておって、そのインディヴィデュアリズムの精神がルネッサンスの中にどういうふうに苦悩し、もがきながら、人間的努力によって作り上げられたか、その精神をくみ取って近代教育の中に注ぎ込んでいくのが、学問の独立や研究の自由に対するところの考え方で、今の各大学の総長なり学長たちの意見発表というものは、あなたは言葉を慎しんでおられるが、吉田さん的表現をすると、あなたから見れば、不逗の徒くらいにしか見えないかもしれないが、私はそうではないと思う。やはり非常に心配されているので、福沢論告さんでも小野先生でも、明治十四年の政変にからむ悲劇を見ればわかるように、プロシャ的憲法をもってする明治政府を権力的に奪取した薩長の陰謀のもとに、このイギリス的な憲法方向へ持っていこうとするもの、大隈一党並びに福沢との連合軍がたたきつけらられている、あの悲劇と同じような悲劇が今の憲法改正の問題、改悪の問題をぬぐって明治憲法への逆戻り、プロシャ憲法的なものの考え方に対する逆戻りの危機に立って、それと並行してこの教育制度の改悪というものが作り上げられている。その試みられようとする頂点にあなたが立っているということをあなたは御自覚にならないでしょうか、どうでしょうか。清瀬さんこの問題きわめて大きい問題だと思うのです。
  330. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 御質問が非常に広大な御質問に発展しましたが、私に対する御非難は、まあここであまり弁明の時間をとるのもいかがかと思いますが、私のふつつかはこれは認めます。しかしながら、私は今日に至るまで国家主義じゃないのです。ことに昔のような国家権力に対しては反抗の態度をとりきたったことは、あなた御承知下さる通りです。ただ大学教授諸君との少しの考えの違いは、新憲法以来国家観が違ってきたのです。国家観が、昔は上に国とか天皇に権力があって、それで個人を押える、ただわずかばかりそのうちに法律的に見た自由は与えるというのだったが、新憲法では自然法学説と同じように個人に自由があるのだ、初めから主権があるのだ、主権の一部分を供出したのが国家である、こういう建前になっておるのです。多分にアメリカの憲法なり独立の宣言にある思想で憲法の前文なりこの憲法が書かれております。そこで国家の権力というのは何かというと、上から押えるものじゃなく、お互いに供出したところの権力を集めて国家がやっておるのであるから、その国家に、新憲法以後の国家にむやみに反抗するということは、自分が約束で供出したものにおいて取り消すというような意味になる。で、国民が最高の権力者で、その権限の一部分を委託したのが政府ですから、むやみに今の政府はけしからぬといってこれに朝から晩まで反抗すべきじゃないのです。よく官僚主義という言葉が使われますけれども官僚はないのです。公務員です。公務員は国民に対して奉仕するのです。文部省には官吏は一人もおりません。公務員ばかりです、この公務員はすべて国民の公僕です。だからこの公務員の世話をするということを、昔の官吏のように官僚主義だからいかぬと、建物は同じ建物でも、入っておるものはみんな違うのです。大学の先生が官僚主義いかぬとおっしゃるのは、あの人たちは明治、大正時代に御勉強なさったから、昔の官僚があるように思っておられるのです。これは私古いと思っておりますが、(「ノー、ノー」と呼ぶ者あり)私は新しいと思っております。
  331. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) まあ清瀬さんは抽象的な概念においてはなかなかいいところがあるけれども、問題は、明治時代、やはり出世主義の中から生まれてきた変り種としての抵抗の精神を持っているだけであって、やはりその本質が、だんだん悪い地金が出ちゃって、教養でかち得たところの、また理想主義的なものからかち得たものが、だんだんそれがメッキがはげてしまったような形を僕は憂えるのですが、そういう個人的なことはどうでもいいとして、いずれにしても、たとえば高い見識とか教養とか、あるいは正しい人とかいろいろそういう言葉を使っておりますが、もっと私は苦しみながら、たとえば今のアメリカの中における新しいデモクラシーに対する懐疑、それから教育に対する防衛の問題でも、コロンビア大学の総長のカーク博士が見えたときにも、あの人は学問と研究の自由を強調せられて、国家権力からの干渉をやはりできるだけ避けなければならぬ、国家のために協力すことはあるが、それによって国家に利用されるような形になれば、もう学問教育というものの意味がないということを早稲田大学においても強調してお話しておられます。ところが最近の清瀬文相のいろいろな政策の中には、何か国家目的に合致するように教育を曲げてこなければならぬ。若いときはあなたはある思想を持って戦ったか、大臣になったり、政府の方に立ってみると、権力で物事を料理して、自分のやっていることが一番正しいというような錯覚と、思い上りと言っては失礼ですが、そういう年寄りになって、少しかたくなになって、若いときの若々しい思想家としての清瀬さんから見ると、老いては何とかになると言うとはなはだ失礼になりますが、(笑声)ややそういう窮屈さが出てきたんじゃないか。私はやはり学問というもののたっといのは、偉大な学者なり歴史に残る人を見ると、晩年まで子供のように、実にやわらかい若々しさというもので、あなたが持っておるような力む、力こぶを入れる入れ方ではなくて、謙虚な形でもってその時代の足音あるいはカレントに触れようとする態度があるんじゃないか。そういう点においてカーク博士のごときも、今こそインテリジェンスを持って、そして見識を持って、そしてデモクラシーを名として、国家を名として、そしてのし上ってくるものに抵抗をしなければならぬということをある意味において強くしておるのです。それがアメリカにおける最近のマッカーシーに対する非難、あるいはノーランド議員等のデマゴーグの動きというものを牽制する力として、たとえばマッキーバーのデモクラシーに対する批判、ウォルター・リップマンの評論、こういうものが、ああいうきわめて常識の深い常識人というものは、これではいかぬということを言って、アメリカの内部すら正しい抵抗の精神が出てきておる。ところが往年犬養さん以上に期待されるであろうといわれた清瀬さんが、とにかく何か私はうらさびしいことはなはだしいのです。実は私自身が早稲田大学で軍事教育反対闘争のときに、あなたにずいぶん厄介になった。その時分にいたあなたの友人の蓬田弁護士が左翼弁護士として弾圧を受けたときは、あなたは衆議院の副議長であったけれども、私が頼みに行ったときは、ほんとうに立上ってくれて、自由法曹団の蓬田弁護士のために弁護してくれた感激は、私は今になっても忘れない。その時分の清瀬さんは実にさっそうとして、烈々として光を帯び、これから新しい時代を生むのだ——その人がどんどん逆戻りの方向に行くというのは実際うなずけない。  それで、さらに、最後になお、時間がないそうですから、時間をやはり守らなければならないから、最後に一言、清瀬さんにお願いを申し上げますが、たとえば吉田内閣の末期のときに、ロンドン・タイムズよりは穏健だといわれるマンチェスター・ガーディアンが、日本の今日の情勢というものは、ドイツのワイマール体制の崩壊する時期を思わせるものがあると警告しているのです。これは外国のあらゆる識者が引用して日本の危機を言っております。あなたはファシズムに対してもナチズムに対しても反対である。しかしファシズム、ナチズムが台頭したときというものは、この日本のようにやはり合法的という形において、数の圧力、力の圧力によって、やはり国家権力を握って制度を改革して、多数の力、国家の力というもののおごそかな威力をもって民衆の意思というものをじゅうりんしたのです。そのときは、国家は体制的には輝かしく、荘厳に見えたのです。だけれど、あのファシズムやナチズムというもののみじめな姿というものは何から起きたか。私は、やはりこの特に大切な憲法を悪い意味において曲げたこと、それから教育制度をゆがめたこと、そういうところから端を発したのだと思う。私はやはり、孔子様の春秋の論法をもってするなら、これが騒乱の始まりであって、日本の国は非常な転落の危機というものを今日かもしている。しかもその先頭に清瀬さんが立っておられるということは、ほんとうに私は、かって長い間、清瀬さんを尊敬してきた人間として悲しみにたえない。これはほんとうにあなたの不徳とか何とかじゃない。もっと私は時代の声を聞いてもらいたい。しかも文部大臣の地位にあったときに、水戸黄門のような謙虚さを持って、自分の地位とか権力を捨てて、私はこの学者なり青年なり、明日に光を求める人たちに話しを聞かんで、文部官僚を集めたり、政府与党の有力者を集めたり、あるいは実業界の成功者を集めて聞いて、明日の何が希望が出てくるかと私は思うのです。ほんとうに時間があるなら、もっと具体的な問題で私は論議したいと思うのですが、清瀬さんは、普選運動が行われたときにでも、この民主主義の危機というものをほんとうにわかって、形式的なデモクラシーでなく、もっと内容的なデモクラシー、掘り下げて発展しなければならんということを、私どもの前で講義をされたのを、私は聞いておる。今がほんとうに私は、現実において民主主義の危機というものが、あらゆるこの政治悪というものが、教育に影響し、社会悪いというものが子供たちの生活に影響してくるので、ただ教育の権力を握ったからといのでやられちゃ困る。これは時間が五時までだそうですから、この五時という時間を守るために私は多くのことをあなたに聞きたいのだけれども、時間を守ることから始まらなくちゃならないと思って、これで質問をやめることにします。どうぞ清瀬さん、ほんとうに一政党のことじゃない、国家の安危に関することで、今大切なポストにあなたあるのです。とにかく大臣なんというのは死ねば忘れられてしまうが、死んでも清瀬さんがあのときにあの言葉を残し、あの仕事を残したということを、歴史を作ることを忘れてもらっちゃ困る。悪い方に逆転されるようにされちゃ困るということを私は一言申し上げて、もし清瀬さんから御心境の披瀝でもあったら、お聞きしたいと思います。
  332. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) 今のは大部分、私に対する御忠告でございましたから、ありがたく善意をもって拝聴いたします。それからして、ちょっとつけ加えれば、アメリカのカーク教授その他でもいいことをおっしゃっております。ただ英米人の思想には、やはり国家観、国家の干渉が少いほどいいのだといったような観念が今に残ってときどき現われるのです。その当時であったら、何もしない政府が一番いい政府であった、昔の国家はそうでありまするが、ところがまた時代は進みまして、今日の国家は国民より委託されたいろいろなことがあるのです。委託された範囲においては、委託した国民のために尽すべき義務があるのであります。この案の内容については御意見はございましょう。けれども、われわれは、国民を圧迫するためビクトリア王朝時代のようなイギリスではなくして、今は国民からの委託を受けたものがすなわち政府だという新国家論です。やりそこないはお許し願いたいのです。けれども、国民が委託したことを忠実にするのがわれわれの任務だから、国のため、あるいは教育のために、あるいは指導、助言、援助することは、悪いとは思っておりませんです。やはりどうしても学校におられるということは本を読まれる。本というものは、新しい本でも、二年前に書いた本です。いわんや古い本ばかり読まれて、ビクトリア朝前後の政治学を読んで、日本をいなかだと思って、それをどんどん日本に来て演説する。あの演説を聞いてみるというと、何にもしないという政府が一番いい政府というのです。それでは私はいけないと思う。国が国民から委託されたことは忠実に尽さなければならない。私ども不手ぎわは認めますよ。けれども、教科書においても教育委員会法においても、せっかく国民から委託された仕事を十分にやろうという善意の仕事にほかならんので、不手ぎわは御宥恕願って、われわれの心においては、圧迫して官僚政治をやろう、そんなことはちっとも考えておりません。
  333. 戸叶武

    委員外議員戸叶武君) 私の言った点を非常に誤解していますが、残念ながらあなた、カークさんは私と同じ年です。しかもあの人はああいう立派な人で、すぐれた政治学者だから、コロンビア大学に招かれたので、アメリカでもああいう人材抜擢は行われているのですが、近代国家観を掘り下げて持っていないところに、結局、日本が戦争に負けた後も、日本の憲法学者というのは憲法解釈学者であって、国家の成立なり発展というものを追究する能力を持たなかったので、結局新憲法すらもできなかった。あなたはマッカーサー憲法と攻撃するけれども、その世界の方向に対するところの方向づけすらできなかった学問というものが、明治における学者の悲劇なんです。しかもその弁護士といっちゃはなはだ失礼ですが、やはり法律解釈の人たちというものは、既存の法律を解釈するだけであって、それに対する批判精神を持たない。批判は、その法律に当てはめて、事件に対するところの論理の展開にすぎない。そういう社会科学上における方法論の規則、しかも近代国家に対する考え方が、私たちは、清瀬さん、あなたたちより少し新しい時代の国家観を学び取っておると思うのです。また作り上げなければならないと思う。ほんとうに国家に対して忠実であるということは、国家に隷属することではないんです。われわれは国家に対してやはり人民として奉仕することである。国家も人民に対して奉仕することなんです。そういう権力的関係に置くのじゃなくして、国家というものがもっとファンクショナリーに動いていかなくちゃならない。このわれわれの与えられた国家のナショナル・ガバメントをどうわれわれがコントロールするかということにおいては、権力的関係のコントロールじゃなく、そこにインテリジェンスが必要であり、輿論を聞くことが必要だ。あなたたちは、教育をゆがめ、自分たちの目的に合うような教育、自分たちに合うような輿論、自分たちの選挙投票に求めるような投票、そういうものを求めて、それをしようとするところに、全体主義的な国家観と何ら違わない権力主義的な国家観への逆戻り——あなたは西洋と東洋という区別を非常によくやる、それはある意味においてはよいところもある。パール博士とともに東京裁判に立った一面は、あなたの抵抗精神で、立派な面もある。惜しいかな、世界全体が国と社会的環境は違うから、全部が新しい方向に前進しようというときに、そういうあなたの封建的なえこじな考え方というものは、日本が取り残されていくばかりだ。やはり世界の大きな潮の上に立って、われわれは日本自体を責任を持って創造していくということが、教育の先頭に立つ者の責任だと思う、ある意味においては危険なる考え方が清瀬さんの中には私はあるのじゃないかと思う。どうぞ昔のお写真でもお眺めになって、二十代、三十代の若若しいころに返って再出発されんことをお願いします。
  334. 清瀬一郎

    国務大臣(清瀬一郎君) ありがとう。
  335. 青木一男

    委員長青木一男君) 本日の質疑は、この程度にとどめます。  これにて散会いたします。    午後五時一分散会