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委員外議員(
戸叶武君) まあ清瀬さんは抽象的な概念においてはなかなかいいところがあるけれども、問題は、明治時代、やはり出世主義の中から生まれてきた変り種としての抵抗の
精神を持っているだけであって、やはりその本質が、だんだん悪い地金が出ちゃって、教養でかち得たところの、また理想主義的なものからかち得たものが、だんだんそれがメッキがはげてしまったような形を僕は憂えるのですが、そういう
個人的なことはどうでもいいとして、いずれにしても、たとえば高い見識とか教養とか、あるいは正しい人とかいろいろそういう
言葉を使っておりますが、もっと私は苦しみながら、たとえば今のアメリカの中における新しい
デモクラシーに対する懐疑、それから教育に対する防衛の問題でも、コロンビア大学の総長のカーク博士が見えたときにも、あの人は学問と研究の自由を強調せられて、国家権力からの干渉をやはりできるだけ避けなければならぬ、国家のために協力すことはあるが、それによって国家に利用されるような形になれば、もう学問教育というものの
意味がないということを早稲田大学においても強調して
お話しておられます。ところが最近の清瀬文相のいろいろな政策の中には、何か国家目的に合致するように教育を曲げてこなければならぬ。若いときはあなたはある思想を持って戦ったか、大臣になったり、
政府の方に立ってみると、権力で物事を料理して、
自分のやっていることが一番正しいというような錯覚と、思い上りと言っては失礼ですが、そういう年寄りになって、少しかたくなになって、若いときの若々しい思想家としての清瀬さんから見ると、老いては何とかになると言うとはなはだ失礼になりますが、(笑声)ややそういう窮屈さが出てきたんじゃないか。私はやはり学問というもののたっといのは、偉大な学者なり歴史に残る人を見ると、晩年まで子供のように、実にやわらかい若々しさというもので、あなたが持っておるような力む、力こぶを入れる入れ方ではなくて、謙虚な形でもってその時代の足音あるいはカレントに触れようとする
態度があるんじゃないか。そういう点においてカーク博士のごときも、今こそインテリジェンスを持って、そして見識を持って、そして
デモクラシーを名として、国家を名として、そしてのし上ってくるものに抵抗をしなければならぬということをある
意味において強くしておるのです。それがアメリカにおける最近のマッカーシーに対する非難、あるいはノーランド議員等のデマゴーグの動きというものを牽制する力として、たとえばマッキーバーの
デモクラシーに対する批判、ウォルター・リップマンの評論、こういうものが、ああいうきわめて常識の深い常識人というものは、これではいかぬということを言って、アメリカの内部すら正しい抵抗の
精神が出てきておる。ところが往年犬養さん以上に期待されるであろうといわれた清瀬さんが、とにかく何か私はうらさびしいことはなはだしいのです。実は私
自身が早稲田大学で軍事教育
反対闘争のときに、あなたにずいぶん厄介になった。その時分にいたあなたの友人の蓬田弁護士が左翼弁護士として弾圧を受けたときは、あなたは
衆議院の副議長であったけれども、私が頼みに行ったときは、ほんとうに立上ってくれて、自由法曹団の蓬田弁護士のために弁護してくれた感激は、私は今になっても忘れない。その時分の清瀬さんは実にさっそうとして、烈々として光を帯び、これから新しい時代を生むのだ——その人がどんどん逆戻りの
方向に行くというのは実際うなずけない。
それで、さらに、最後になお、時間がないそうですから、時間をやはり守らなければならないから、最後に一言、清瀬さんにお願いを申し上げますが、たとえば
吉田内閣の末期のときに、ロンドン・タイムズよりは穏健だといわれるマンチェスター・ガーディアンが、日本の今日の情勢というものは、ドイツのワイマール体制の崩壊する時期を思わせるものがあると警告しているのです。これは外国のあらゆる識者が引用して日本の危機を言っております。あなたはファシズムに対してもナチズムに対しても
反対である。しかしファシズム、ナチズムが台頭したときというものは、この日本のようにやはり合法的という形において、数の圧力、力の圧力によって、やはり国家権力を握って
制度を改革して、多数の力、国家の力というもののおごそかな威力をもって民衆の
意思というものをじゅうりんしたのです。そのときは、国家は体制的には輝かしく、荘厳に見えたのです。だけれど、あのファシズムやナチズムというもののみじめな姿というものは何から起きたか。私は、やはりこの特に大切な
憲法を悪い
意味において曲げたこと、それから教育
制度をゆがめたこと、そういうところから端を発したのだと思う。私はやはり、孔子様の春秋の論法をもってするなら、これが騒乱の始まりであって、日本の国は非常な転落の危機というものを今日かもしている。しかもその先頭に清瀬さんが立っておられるということは、ほんとうに私は、かって長い間、清瀬さんを尊敬してきた人間として悲しみにたえない。これはほんとうにあなたの不徳とか何とかじゃない。もっと私は時代の声を聞いてもらいたい。しかも
文部大臣の地位にあったときに、水戸黄門のような謙虚さを持って、
自分の地位とか権力を捨てて、私はこの学者なり青年なり、明日に光を求める人たちに話しを聞かんで、文部官僚を集めたり、
政府の
与党の有力者を集めたり、あるいは実業界の成功者を集めて聞いて、明日の何が
希望が出てくるかと私は思うのです。ほんとうに時間があるなら、もっと具体的な問題で私は論議したいと思うのですが、清瀬さんは、普選運動が行われたときにでも、この
民主主義の危機というものをほんとうにわかって、形式的な
デモクラシーでなく、もっと内容的な
デモクラシー、掘り下げて発展しなければならんということを、私どもの前で講義をされたのを、私は聞いておる。今がほんとうに私は、現実において
民主主義の危機というものが、あらゆるこの
政治悪というものが、教育に影響し、社会悪いというものが子供たちの生活に影響してくるので、ただ教育の権力を握ったからといのでやられちゃ困る。これは時間が五時までだそうですから、この五時という時間を守るために私は多くのことをあなたに聞きたいのだけれども、時間を守ることから始まらなくちゃならないと思って、これで
質問をやめることにします。どうぞ清瀬さん、ほんとうに一
政党のことじゃない、国家の安危に関することで、今大切なポストにあなたあるのです。とにかく大臣なんというのは死ねば忘れられてしまうが、死んでも清瀬さんがあのときにあの
言葉を残し、あの
仕事を残したということを、歴史を作ることを忘れてもらっちゃ困る。悪い方に逆転されるようにされちゃ困るということを私は一言申し上げて、もし清瀬さんから御心境の披瀝でもあったら、お聞きしたいと思います。