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参考人(
向井鹿松君) 私、
向井でございます。本日ここに
百貨店法案の
審議に対して一言述べる
機会を与えて下さいましたことを厚く
お礼を申し上げます。
しかし、私の本日申し上げたいことは、ほんの書斉に引きこもっておりまして、純学問的な
立場から、一学究の放言としてお聞きとりを願いたいと思います。従ってあるいは
百貨店の方々、あるいは
小売商の方々、あるいはまた先ほど来
お話のありました
通産省の
委員会の
関係の人にも、あちらこちらに差しさわりがあるかとも存じますが、その点はこれは
学者の放言だとしてお聞き流しを願いたいと思います。ただ私はほんとうに自分の信念だけをここに申し上げておきたいと存じます。
非常にむずかいし問題でありまして、この問題について何人も納得いくような
結論を出すということは、まあ現在の世界の学界でもまだ与えられていないと
考えております。そうしてこの問題はまことにわれわれ日常生活に
関係があり喫緊の問題であります。はなやかな問題ではないかと存じますが、私は事は日本民族の将来に
影響のある非常な深刻な問題が内在しておると思いますので、きわめて迂遠な説になると存じますが、お許しを願いたいと思います。
百貨店に対しましてはいろいろ非難がありますけれ
ども、私は
百貨店が社会
経済的に大きな効果を持っておるという事実はこれは何人も否定しないだろうと存じます。と申しまして、この
百貨店が全
小売配給をつかさどるということも夢にも
考えられないのであります。
百貨店がどういう点で社会的な利益を持っておるか、まあ講義めいたことを申し上げてはなはだ恐縮でありますが、われわれが日常生活をし、また忙しい者が物を買わなければならぬというときに、
百貨店へ行ってとにかくわずかの間にたくさんの品物がまとめられる、まあ何万人はいりますか、何千人はいりますか、この労力の節約と申しますか、時間の節約、この時間の節約というものはこれは非常な大きな社会的な節約だと、エコノミイだと存じております。前
参考人の
お話の繰り返しになる点が多々出て参りますが、あしからず。
第三はわれわれがわれわれの所得を——三巻
参考人から話が出ましたが、効率的に利用する、われわれはまことに貧弱な所得をなるべく有効に使う以外にわれわれの生活を改善する道はないのであります。しかし
百貨店に行ってみますというと、同じ物でも形が違う、あるいは色合いも違う、あるいは新製品がある、あるいは代用品がある、いろいろなものを比較して、結局これがいいと思って選んで、自分に最も適当な、あるいはその社会において最も新しいと申しますか、安いと申しますか、とにかく選んでいい物を買い取るということは、同じ百円を使いましても百円の値打が非常に大きいものがあると思います。私はこれも社会的な
一つの利益だと
考えております。
第三には
消費者として私は特に思うのでありますが、
百貨店で買えば安いとは私は思いません。が、まずわれわれのような
商品鑑定力のない
消費者にとっては高いかもしれないが大した間違いはない、言いかえれば、悪い言葉でありますが、まずつかまされるというようなことがない、この安心感、そしてそれがまた大体において私は事実だろうと思いますが、そういう点において買いそこなうという危険が少いということも私
一つの社会的な効来だと思っております。
第四には、われわれ貧乏な国で労力、
資本というものはなるべく有効に利用しなければ今日の社会的貧困は絶滅できません。しかし
百貨店というものはそういう点におきまして非常に優秀なものを集めておる、非常に
資本というものを効率的に使っておる、私はこれも同じ一千万円の
資本を社会
経済の上に必要欠くべからざる配給事業に使うという意味からいえば、あの少い
資本、また労力は少くありませんけれ
ども、これを効果的に利用する上において、むやみな事業を始めて一、二年あとにはその投じた
資本が何にもならなくなるようなことはまず
百貨店がやればない。そういう意味におきまして
資本、労力を効率的に利用するというふうな社会
経済的な利益もこれも何人も否定できない。
百貨店において有利である。私はこういうふうに
考えて、
百貨店というものが今日の社会
経済的な
立場からみて非常に
経済的能率の、あるいは利益のあるものであるという事実は私は疑うことができない点であろうと存じております。でありますからして、一部の、私は特に一部と申しますが、一部の
中小商業者の自分の非常な苦しい
立場、またこれにわれわれ同情するのあまり、この今申し上げましたような
百貨店の利益に目をおおって事を判断するということは、これは誤まりである。われわれはいいところはあくまでいいとして見なければならぬ、こういうふうに
考えております。
しかしながら、翻って
考えてみなければならぬことは、私
どもは日常生活の上において
小売商というものはなくてばならない、これなくしては一日も生活できないのが
小売業界で、その
小売業界といった中には
百貨店も含めております。この
小売業界というものは社会的な配給機関として欠くべからざるものでありますが、その中におきまして、ただいま申しました
百貨店というものは、そのきわめて一小部分にしかすぎないのであります。先ほど
能勢参考人から全国の七%と申しました。これは全国でありますが、都会をとってみますというと、まだ
相当に高い率になると思いますが、それにしても一小部分であります。このわれわれになくてはならぬのは社会
機構全般でありまして、その一部にいかに優秀なものがありましても、それだけでわれわれは満足しておれないのでありまして、あらゆる全体としての
小売配給機関を
考えてみなければならないのであります。いかにプロペラが優秀でも飛行機の体が、翼がいけなくては何もなりません。また、いかに船のスクリューがよくても船体がまずければこれも優秀な目的は達せられません。たとえば私
どもが、まあつまらんことを申し上げますけれ
ども、急にお客様があった、肉が要る、菓子が要るといったときに、
百貨店に走れといったひにはこれはまことに時間の不
経済この上もないことである。いわんや日常のそうざいを一々
百貨店でまかなえるものでもありません。こういう欲しいものがあるが、
一つたずねてみてくれないか、取り寄せてくれないか、こういうようなこまかいことを一生言ったところで、
百貨店は相手にしてくれるものでもありません。こういう意味から言いますれば、われわれに必要なのはむしろ
百貨店よりも全般としての
小売業でありまして、われわれは全般としての
小売業をよくすることがわれわれの
経済生活の上にまことに必要欠くべからざるものであります。ただ
小売業——いわゆる普通
小売商といいますが、普通
小売商はあまりに数が多いためにわれわれは恩恵を感じない。空気はあまりに多いためにわれわれは空気のありがたさを知らない。空気がなくなってはじめてわかる。全
百貨店がストライキをやりましたところでわれわれはそう痛痒を感じません。しかし全国の、あるいは
東京の
小売商がゼネラル・ストライキをやった場合にはわれわれは二日と生活はできないと思います。そういう意味合いにおきまして、私は普通
小売業者を全体として維持育成するということはまことに必要なことではないかと存じますが、一方
百貨店の
立場から申しまして、百貨底が利益でありますけれ
ども、
一つの地域に
百貨店が今まで
一つあったものが二つになったからといって、先ほど申しました
経済的利益は二倍になりません。三つになりましたからといってこの
経済的利益は三倍にはなりません。その結果は、結局
百貨店みずからも非常に能率が落ちるばかりでなく、先ほど三巻
参考人から言われましたように、今日のように、ああいう
小売業者もありましょうが、不当競争のような
状態では、
消費者というものはこれは利益を受けるよりもむしろ弊害を受ける方の
立場があるのであります。ついつられて買わなくていいものを買う、なけなしの財布をはたく、あるいはそういうことはないでありましょうが、一部の今おとり類似のことをやられてついでに買う、こういうような
状態にまでなる、そうして結局はその競争は普通の
小売業者の
立場にまで食い入ってくる。ある種の競争は非常に積極的な効果を上げますけれ
ども、競争過度に至りますというと、結局これは先ほど
高橋参考人から出たと思いますが、他人の利益からやってきたところの競争は何もなりません。社会的な利益は何も生じません。ある会社の名の通ったミルクキャラメルを
百貨店で買おうが、
小売商で買おうがちっとも違いはないのであります。名の通った品物があるならば、どこで買ったって今日では規格がきまっておればちっとも差しつかえない。それが過度競争になれば、
百貨店の目についたところで買うというような結果が生じますからして、
百貨店は非常に効果的でありますけれ
ども、あまり過度に至るというと、私はその利益はその割に生じてこないばかりでなく、かえって弊害を生ずる面がある、ことに
商業がもし工業のごとく大
経営になるに従って利益を生ずるものとしたならば、
小売業というものは、普通
小売商というものはとうの昔になくなってしまうと、あたかもあの手車で糸を紡いでいたあの方法が、紡績業の発達によってなくなってしまったと同じようになくなってしまうのであります。けれ
ども、今日なお中小
小売業者は
増加こそすれちっとも減少はしない、そうしてわれわれもこれから利便を受けておるということは、大きければ大きいほど節約が生ずるというところのいわゆる
経済学の教える大
経営の利益は、
商業におきましては起ってくることが非常に鈍いのであります。お客一人に売るために、
百貨店、だから十人売れるというわけに参りません。一人のお客にサービスしているときには、
百貨店は店員が一人ついていなければならない、
小売店でも一人ついております。
百貨店におって、百人のお客を一人でやるというような利益は生じて参りません。ことに、私は特に
小売配給
機構の本体であるところの中小企業を育成しなければならぬということを
考えておりますのは、まことに釈迦に説法を申し上げまして恐縮でありますが、これは私の信念でありますから
一つお許しを願いたいと思います。
世の中が進みますと、月給取りが非常にふえて参ります。月給取りというのは、悪い話ですが、ある意味において非常に無責任なんでありまして、間違ったことをいたしましても大して首になることはなし、生活には困りません。責任が非常に軽い。真剣にならない。彼らは他と競争しても木剣試合である、これに比べると独立の中小企業というものはほんとうに火の出るような仕事をしております。まことに非常に苦しい。勤勉家であり、責任感があり、努力家であるこの国民の素質というものは、私は中小企業において育成されるので、月給取り社会においては私は育成できない、まことにその日暮しの消極的な人種がこの月給取りの多い社会にはできてしまう。私はそういう意味合いにおきまして、ほんとうに日本の国が今後とも今までのように非常に発達したる優秀なる国民として残るためには、なるべく多くの者がほんとうにおれたちは毎日真剣勝負をしているのだ、ちょっと用心をしないと血が出るのだ、命を失うのだという気持の人たちが多数できるということが、私はやまと民族の発展にとりまして、まことに必要なことだと思います。またこういう方々はよくすれば他日いい階級に、あるいは富豪までいかなくとも、りっぱな財産ができる
一つの中核
段階におるのでありまして、非常に穏健な社会脚であろうと存じます。こういう社会層を維持育成するということが、私はまた社会全体としても非常にいいことであろうと存じます。
百貨店はいいということはこれはほんとうなんであります。しかし銀座へ行ってお茶が飲みたい、これもいいことなんです。しかし銀座へ行ってお茶を飲むから晩飯はいいということになりますというと、これはもう元を枯らしてしまうもので、私はそういう意味合いにおきまして、この全体としての
中小商業者の地位というものは、全体としては非常に育成していかなければならぬ
立場ではないかと
考えております。おこがましい話ですが、最近アメリカの雑誌にあった
一つの
批評を御紹介申し上げます。アメリカのようなところは非常に金持の国だろうと思いますけれ
ども、
商業者の所得というものは非常に少くて、かつかつの生活しかしていけない、そのために物の値は
相当安くならぬが、とにかくそれで生活は苦しい、しかし彼らは朝から晩まで生活しておるのだけれ
ども、まことに苦しい生活しておるけれ
ども、働いてしかも所得は少いけれ
ども、とにかく一国一城のあるじだ、自由の者だ、俸給生活者には
考えもできないような
一つの自由な人間だ。もしこれが大企業家によって彼らが職を失うとするならば、これらの小さい業者というものは、必ずや社会保障の対象になる、そうするとこれは税金で養わなければならない。ところが今
中小商業者が苦しいけれ
ども維持できていくとすれば、これはなるほど自分の
経営上の必要からどうしても物は安くなりませんが——これは高くなると
消費者の負担になる、そうすると結局現在のようであったところでこれは
消費者の負担になるかもしれない、しかし職を失えばまたこれは納税者全体の負担になる、どっちでも社会の負担だとしたならば、これは一体どっちがいいとするならば、それは、今のような自由な社会にほんとうに一生懸命働いておる中小業者を維持した方が、社会にとっても、また業者にとってもいいのではないかという、これは私の
意見ではありません、本を読みましたのですが、まあわれわれとしては
一つの
考えさせられる問題ではないかと存じます。
なおこの際にそれにつけて一言いたしたいのは、先ほど来も話が出ましたが、
人口が非常にふえる、そうして多くの人がその職を
小売業界に求めることができる、日本のような
人口過剰なところでは、
小売業界を維持していくということは、
増加する
人口に職を与えるという意味において、いいことではないかという
考え方ですが、まあ完全雇用というようなことが今日では非常に流行語になっておりますが、しかし私自身これに対してきょう自分の
意見は申し上げませんが、しかしあまり収容し過ぎて、いいかもしれませんが、今度
小売業者みずからは困るという
小売業の過剰という問題が起って参りますけれ
ども、この点はまことに非常にむずかしい問題になろうかと存じます。私は一律にこの議論のどちらにもきょうここで自分の
意見を、賛成的
意見、あるいは反対的
意見を申し上げないことにいたします。私のこういう基本的な
考え方から今日の
百貨店法を見ましたときに、私はやむを得ないのではないかと、こういうふうに
考えております。
能勢参考人から一本の
法律で
規制するということはどうか、まことにその
通りであります。しかしこの一本の
法律で
規制するということはスローガンとしては非常にけっこうな言葉で、強い印象を与えますけれ
ども、
規制の方法なんでありまして、
百貨店の数は全国百にすべし、あるいは
東京では十にすべしというならば、これは非常に融通のきかないものだろうと思います。が、しかしどなたかからも話がありましたように、今度の
法案はそういうところまでは行っておらない。必要な場所には、必要なときには認めるのでありますから、その点は私は心配はしておりませんが、ただこれもどなたかのお説にありましたが、一体これをだれが運用するのだ、こういう問題なんであります。私はこの点において非常に今日の
百貨店法案なり、あるいは
百貨店法案が通らなくても、国家の政策として非常にむずかしい問題だと思います。この談論ももう時間もありませんから私申し上げませんが、私は投票で動いてもいかん、金で動いてもいかんと思います。といって、
委員会ができましてもイデオロギーで動いても、これも困ると思います。私は何か
一つの、何人も異議を言わない客観的な
一つの基準が設けられるものではないか、まあ設けられないでも、そういうような気持で運用しなければ、これは
法律がありましても
小売業者は安心ができない。
百貨店もまたこのやり方によってはそう心配することもない。いかようにもなるものと思いますから、問題は一体この基準をどこに置くかという問題に私は帰落してしまうのではないか、こういうように
考えるのでございます。
それから
勧告に関する条文、私はあの点も非常にけっこうであると思うのです。またそうしなければなりませんが、それも一体どういう基準であの
勧告を逆用しようとしておるか、これもまたあの問題も運用に関してくることであります。きょうここで三巻
参考人から非常に私が言おうと
考えておりましたことを
お話しになりましたから私申し上げませんが、私はもし三巻
参考人の言われたように、
消費者が教育されたならば、私は今日のような問題は著しく軽減されるのではないか、
消費者がほんとうに自覚して、むだな宣伝に乗らず、仮装的なといいますか、表面的な宣伝に乗らず、こういうようなことになれば私は非常にいいのじゃないか。特に
政府が、これも先ほど話がありましたが、規格を統一する、あるいは品質の保証をする、それから品物の、何といいますか、銘を打った品物がたくさん出てくる、先ほどの何々キャラメルと言えばどこで買っても同じだということになりますと、私は
小売業界が、今日のような混乱
状態が
百貨店のためには起らないのじゃないかということを
考えております。同じ基本的な
考え方なんですが、不正、公正でない競争、私が公正でない競争と申しましたのは、
商品の代価、品質の競争でなくして、これに
関係のない他の方法によって
消費者を獲得しよう、あるいは仕入先を獲得しようという方法なのであります。ほんとうにいい品物を安い代価で供するのはちっともかまいません。けれ
ども、これは
百貨店と
関係ないのですが、因縁情実で悪い品物を買わなければならぬということがありますが、そういう式の
百貨店には、
百貨店でそういう方法が私はあると思っております。またやっていると思います。そういうような事柄を目標に運用し、そうして日本の政策をもって行くならば私は日本の
小売業界全体として行くべき道があるのじゃないか、言いかえれば
一つの方針をもってやるならば今日ほどこの問題は深刻でなく、また将来緩和される余地があるのではないか、
百貨店も決して先ほど申したように社会
小売業態としては一部の職能しか果すことができませんので、全体的には大きくなり、これに取ってかわるということはできないのです、おのずからその限界がありまして。ただ今のところでは限界を、守っておりません。また私の言ったような政策がすぐに行われるものでもなく、
消費者の教育がすぐに効果の……、そういう
消費者がたくさん出て来るものでもありません。これはかすに
相当の時間をかけなければならぬ。言いかえればかりにアメリカならばアメリカに例をとってみればそういう程度まで達しなければならぬ、それにはいかにすればいいか、それをわれわれは待っているわけには参りませんから、この際この程度の
規制はやむを得ないのではないか。ただ運用の点において私は
一つの方針をもって逆用してもらいたいそうして動かない、ある特殊の勢力あるいは
事情によって動かないようにしていただきたい、これが私の
考え方でございます。
法案に関しまする詳しいことは私本日は控えておきたいと思いますので、この程度で……。