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参考人(
伏見康治君) 御
指名にあずかりました
伏見でございます。しばらくお時間を拝借いたしまして、
原子力研究所に関しまして
考えておりますことを申し上げたいと思います。ほかの方のことは私にはよくわかりませんですが、
研究という面では発言する資格があると思いますので、申し上げてみたいと思います。
日本学術会議におきまして、
日本における
原子力開発研究、
開発の問題をどう始末したらよろしいかということをだいぶ前から論じて参りまして、一昨年の秋に
原子力の
一つの
体制というものを
考えてみたことがございます。それは
原子力委員会、それから
原子力研究所といったようなものを
要素といたします
一つの
体制を
考えてみたのでございまして、それがまあだいぶ
内容——こまかい点は違いますですが、昨年末にこの
国会を
通りました
原子力委員会法とか、あるいは今日の
研究所法案といったようなものが出て、形が整いつつありますのは、私
たちとして大
へん喜びにたえないところなんでありますが、しかし、そのこまかい点につきましては、またいろいろと現実に出て参りましたものと私
たちが当初
考えておりましたものとは
相当変ってきておるわけでございます。
研究所の
構想を
考えておりますとき、私
たちいわゆる
研究者、学者といたしまして
考えておりましたときに、一番大事な点は何であるかと申しますと、それは
研究の自由の問題と、それから
研究の
目的性と申しますか、そういうものとの
折り合いの問題でございます。
原子力研究所といったようなものはある程度しぼられた一定の目標を持っているものでございまして、全く自由な
研究をするというわけにはいかないことは、これはもう当然な話でございます。
一つの
目的があるという
意味においては、必ずその
研究が
制約を受けておるわけでございますが、しかし同時に
開発的な、
ほんとうの
意味での独創を盛り込んでいくような
研究という面におきましては、あらかじめ何もかも
計画性の下にしぼってしまうということも、これもできないわけでございまして、いつどういう新しい
要素が現われてくるかということを勘定の中に入れた大まかな
意味での
計画性があって、その中に
研究の
自由性というものを十分に包含させたようなものでなければ
研究所としての使命を全うすることができない。こういう
考え方でありますが、要するにどこまで
研究の自由ということを尊び、どこまで
研究の
計画性というものを盛り込むかという、その二つの点の
折り合いを形の上では一体どうしたらよろしいか、これが一番大きね問題であったと思うのであります。ことに
原子力の問題と崩しますのは、非常に率直な
言葉で申し上げて失礼であるかもしれないのでございますが、
原子力というのはある
意味におきましては
原子力研究に直接携われる
方々よりも、それ以外の
方々の間の方がむしろ
関心が強い、非常に乱暴な
言葉で申しますれば、
原子力問題というのは、ある
意味において
ヤジウマで動いているといったような
感じがするわけでございまして、中核におられる
方々の
意見というもので必ずしも問題が動いておるわけではございません。
原子力というのは非常に宣伝が行き届いておりまして大
へんはなやかな問題とされておりますために普通の
学問のもっとじみな領域でございますというと、その
研究の
当事者以外にはほとんど
関心が払われていないというのが普通でございますが
原子力の問題に限ってだけは非常に
関心を持っておられる方がたくさんおられます。そのために
研究当事者の意思というものが、
研究所のいろいろな
段階あるいは方向といったようなものを
研究者自身が決定していくというよりは周囲の状況がもっぱら決定していって、
研究者というものはその大きな流れの中に単に巻かれてしまうという、そういう
形態が非常にほかの
学問の場合と違いまして予想されるわけでございます。そういうものを防ぐということが一方においてまた絶えず必要になっておるわけでございます。私
たちが初めて
考えておりました
原子力委員会というものと
原子力研究所というものとの
関係というものが、そこで一番大きな問題になってくるわけでございますが、つまりある
意味におきましては
原子力委員会といったようなものは非常に広い
立場、
大所高所から
原子力というものが国全体の中でどういう位地を与えらるべきものであるか、そういうことをお
考えになるところであると思うのでありますが、そういう非常に広い
立場でものをお
考えになる方と同時に、
原子力そのものの実体というものを深く握っておられる方というものが絶えず深い
関係を持っていなければならないと思うのであります。私
たちが
学術会議で
考えました初めの
構想では、
研究所の所長さんと申しますか、そういう方が
原子力委員会の中に直接入っておられまして、いわば技術的な課題を十分に持っておられる方が
委員会の中に入って、
大所高所から議論をなさるときに地についた
意見が出てくるように
考えるのが適当であろうと
考えていたわけでありますが、現在できておりますこの
法案では、そういう形になっておりませんでして、
委員会というものと
研究所というものがいわば少し遊離した形になっている。間に
原子力局というお
役所がございまして、そのお
役所がいわば仲介になっておりましてその
関係が直接的でないといううらみがあるように
考えられるわけであります。それが申し上げてみたい
一つの点でございました。
そのほかに
研究所の
内部の問題でございますが、
研究所の
内部におきまして
研究の、先ほど申し上げました自由な
研究の
立場というものと、それから
目的ある
計画性ある
研究というものとの
折り合いの問題をどう解決したらよろしいかという問題でございますが、これはこういう
研究所法案といったような形でこれを盛り込むということは、なかなかその表現と申しますかどういう形でそれを
法律的なものとして表現するかということが大
へんむずかしいことではあろうと思うのでありますが、しかし何とかそれをしていただきたいという
感じをとどめ得ないのでございます。それはまた
学術会議で
考えておりましたときのことを申し上げることになるのでありますが、
学術会議で
考えておりましたときには、
研究所といったようなものは一応国立の
研究所、普通
考えて、私
たちがいつも念頭に思い浮べますようなごく常識的な
研究所であるということを
考えておりました。今日
考えられておりますような
特殊法人というような、大
へん特殊なものであるということは期待しておりませんでしたのですが、そうしてそういう
研究所は今までの私
たち大
学閥係の
研究者から
考えますというと、
大学付置のたとえば
原子核研究所といったようなものがございますが、そういう
研究所でございますというと、
大学のいわば長い
伝統というものがございまして、その中で
大学の中の
研究の自治を守る、
研究の自由を守るという
一つの強い
雰囲気がございます。これは何も
法律の上に明文化されているものではさらさらないと思うのでございますが、とにかく
大学の中に長い
伝統というものがございまして、その中で
研究の自由というものをお互いに尊ぶという
気分が完全にでき上っているわけでございますが、そういうところでは、そういうところの中で
研究所が新しく作られたといたしましても、その
研究所の中に今までの
大学の
研究の自由を尊ぶという
気分がそのまま伝わって参りまして、大してそのことを懸念するに及ばないと思ったのでありますが、しかし今日
考えられておりますような
特殊法人というような形でございますというと、それはそういう
大学的な
気分、
雰囲気というものから大分離れたものになっておりますので、果してその
研究の自由という面が十分に守られるかどうかということが非常に懸念を起さざるを得ないわけであります。で、そうなりますというと、この
法律の上にそれをどう表現するかということは、これは実際むずかしい問題であろうと
考えますけれども、何らかの
意味において、過去においていろいろな
大学の
伝統の中ではぐくまれて参りました
研究の自由を尊ぶという
気分をこの中に植えていただきたいということが
一つの念願でございます。
それからもう少し細かいことに話がなって参りますのですが、先ほど申しました
研究の
自由性というものと
計画性というものとの
折り合いという点につきましては、これは
研究所内部の
運営と申しますか、そういうものに非常にかかわってくるわけでございます。それで普通の
大学でございますと、いわゆる
講座制というものがありましてまあ
大学というものは大体においてその
講座という
単位を寄せ集めて作られたものであり、その
講座というものが
一つの
相当固い
単位を作っておりまして、その
一つの
講座から他の
講座に対していろいろな影響を与えるということはなかほか容易なことではございません。その
講座というものが
一つの何というのですか、独立的な位置を持っている主体であるというような
感じがいたします。そういう
一つ一つの独立した
単位というものが寄り集まりまして、それが
教授会というものを開いて、そうしてその中で民主的にいろいろな協議が議せられて行くという形をとっております。そうしてその
教授会がきめましたことは、これも
法律的には何らその十分な基礎づけは与えられていないと思うのでありますが、その
教授会のきめましたことは大体において
世の中にアクセプトされるようなものになるというのが普通の
大学の
行き方でございます。その
行き方が
学問研究にとりましては非常にいい
一つの
形態であると思うのであります。それ以外のいろいろの
形態ももちろん
考えられるでありましょうけれども、今まで私
たちが非常になれ親しんで来た
制度であるという
意味におきまして、守るべき
制度ではなかろうかと思うのでありますが、この新しくできました
研究所の中で、必ずしもそういうような
講座といったような
相当独立した
一つのユニットが中にあってそれ全体が
一つの民主的な
運営機構を持っているといったような形、そういう形が必ずしもできるかどうかということがわからないわけでございます。この
研究所の
内部の
運営に関しまして、この
法律、ただいま提出されております
法案にはほとんど何も規定されていないのでございますが、何かそういう
教授会といったようなもの、それに類するようなものが何か
研究所の規定の中に、これはあるいは内規的なものになるかもしれませんですが、そういうようなものが作られまして、それによって
研究の
運営が円滑に進むということを希望してやまない次第でございます。
それから最後に、大
へん大まかな話になるのでございますが、
原子力の問題というものは現在
研究の
段階であるということをこの際特に強調しておきたいと思うのでございます。
原子力の
お話をいたしますときに、よく一キログラムの
ウラニウムが三千トンの
石炭に匹敵するということを申しまして、大
へん夢のような
お話を申し上げることになるわけでありますが、非常にわずかの分量の
物質の中に非常にたくさんの
エネルギーがひそんでいるという、そのこと
自身は
ほんとうでございますけれども、しかしそれを実際平和的に
利用をいたしますときにそういう
意味での
原子力の特徴といったようなものがどの程度実際問題として現われるかということを
考えてみますというと、そういう夢のようなありがたい話では必ずしもないわけであります。と申しますのは、
石炭というものは大体において
純粋無垢の形で山から掘り出されるわけでございましょうが、
ウラニウムの方は、
純粋の
分裂物資からできているものが山からそのまま掘り出されるわけではございませんで、いわば非常に濃度の低い鉱石の中から
ウラニウム分を取り出し、しかもその
ウラニウム金属の中から百四十分の一だけしか
分裂物質でないわけでありますから、山から掘り出した
物質の上から比較いたしますと、
原子力というものと
石炭火力発電というものとはそれほど変るわけではございません。
エネルギーの
集中度と申しますか少量の
物質の中にたくさんの
エネルギーが入っている、そういう
エネルギーの
集中の度合から申しますれば、必ずしもそれほどけた違いに違うものではないということ、それから御
承知のように
原子力に関しましては、それを使う上でのいろいろな
制約がございまして、たとえば放射線が非常に強いために、それを防ぐために非常に費用がたくさん要るといったようないろいろな欠点もございますために結局において
原子力といったようなものの
平和的利用という建前から申しますれば、ほとんど
石炭火力というものとそう大して違わないという
結論になるのであります。将来
原子力の方が非常に安くなるとかいうようなことを申しまするが現在少くとも
原子力発電の方が非常に高くつくという
段階であるということも明らかでありまして、当初
科学者が夢の中に描いて知りましたほど
原子力というものはありがたいものではございませんでして、非常にきわどいものである、いわば
石炭火力発電と比較いたしましたときに、どっちが高くなるか、安くなるかということは非常にきわどいものである。きわどいものであるがゆえに、実は
原子力というものを将来経済的に成立させますためには、非常に精細な
研究ということを必要とするわけであります。これが全くけた違いに
原子力の方が有効でございますれば、むしろ多少ぞんざいな
研究を土台にいたしましても、それが
十分人類の
生活水準を向上させるということに役立つでございましょうけれども、現在の私
たちの
考えのみるところでは、非常に精細な詳しい
条件を、最も最良の
条件というものを探し出して、その上でもって
原子力を使わなければならないほど非常に精細なる
研究を必要とする
段階になっているわけであります。そういう点から
考えましても、
原子力というものは、ここ当分の
間研究という点において、まだいきなり役に立つものというふうにお
考えになるよりは、近い将来役に立つものであろうけれども、現在のところはもっぱら
研究というところに力を
集中すべき
段階である。そこで
原子力研究所といったような問題が、
あとにございます
原子燃料公社というものと比較いたしまして、はるかに比重の大きい問題であるというふうに、そういうふうに
考えるわけであります。この辺で終ります。
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