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参考人(上田豊造君) 井上さんも申し上げましたように、被
保険者代表でありながら、御
承知のようにこまかい点につきましては全然しろうとなことで、詳細につきましては医学的なことは全然ゼロでございますので、その点あらかじめお含みおきを願いたいと思っております。
今回の新
医療費体系につきまして、私どもはいわゆる労働者なりにいろいろと検討を加えたり、
当局の
説明等も聞いて参りましたが、原則的にわれわれが受け取りましたのは、従来の物に依存をしてきた
医療を、物と
技術とに分けるというこの原則は、われわれとしては大きな進歩ではないか、かように
考えまして、原則的に
賛成をしております。ただし
内容的に見ました場合に、今申しましたようにわれわれはしろうとで、いわゆる処置にいたしましても、あるいはその他の
技術にいたしましても、十分われわれ自身の認識がその点では足りませんので、何とも申し上げられない。ただ原則的にわれわれが
当局の
説明を聞いておりましたが、今回の新
医療費体系なるものが昨年の三月を基準にしているということに、これは大きな問題点があるのじゃないか。一年の中にはそれぞれ大きな起伏がある。あるいは二年、三年の場合にはそれぞれまた違った私は平均値が出てくるものではないかと、かように
考えておりますが、それを昨年の三月に限ったものをば当てはめていこうという出発点には、どうもわれわれとしてははなはだそこに不十分なものを十分に見のがすことができない。なぜ
厚生省はしからばもっと年間の平均値を持っていったり、あるいは三年、四年の平均値を中心にした資料に基いて、こういうものに立案着手をせなかったかということが、われわれとしては一面言えるのではないか。そうすれば
頻度においてももっともっと
ほんとうに合理的な
数字が私どもは得られると、かようにまず
考えられるのであります。
それともう
一つは、いろいろと言えば言われますが、大体大事な人の生命を預かるお医者さんの
技術を、いわゆる金銭的に割り切らなければならぬという今日の
状態は、私どもとしてはまことに苦しいという思いが実はするのでありまして、そういう点からこういう
手術、こういう処置がこういう
点数、言いかえると、こういう金額に評価されることが正しいかどうかということになりますと、今申し上げましたように、われわれとしては正しいとも正しくないとも言うのには、非常な困難をきたしておると、こういう私は原則をまず一応申し上げておきたいと思います。
個々にわたりましては物と
技術に分けられて参ります
関係から、いわゆる今までのように薬物に依存をしておった面が、精神的に今度は指導という
関係が大きく取り上げられてきたということにつきましては、まあそういう点からいけば新
医療費体系というものにつきましては、一応私はある
程度の
点数を与えていいのではないか、かように
考えまして、従いまして、ある
程度大きな進歩をもたらすことにはなるんじゃないか、かように見解を表明したいと
考えます。
内容に至りましては先ほど申し上げましたような
考えでございますが、まあそれにいたしましても大体それぞれに要する労働時間をお取りになったり、あるいは必要な人員等も検討されて、そういう
原価計算を基にしたそれぞれの療養に対する
点数を割り出したと、こういうことでございまするが、まあこれを
一つの金額に直していくとするなれば、おそらくそういう方法でしかわれわれとしても
考えられようがないじゃないかとも思います。
それからこれを
厚生省が立てるに当りまして遺憾なことは、もっと学界やあるいはその当事者である
医師会に協力を求めまして、今日のごとき各方面における総辞退運動の起らぬような、なぜそういう処置をとらなかったか、いわゆる官僚が独善でこの案を作り上げたというところに、われわれ被
保険者としても非常に不明朗な点が見受けられますし、同時にもしもこういう事態になれば迷惑をこうむるのはわれわれ被
保険者でありますから、その点に対する配慮が不十分でおったということにつきましてはわれわれはまことに遺憾である、かように
考えるのであります。そういう見解からこういう見解を持っておりまして、従いまして
個人差だとか、あるいは
難易度というようなことにつきましても、なかなかこれは、学界、あるいは
医師会自体においても、おそらくこれはこうだという確たるものをなかなか表明しにくい問題でありますから、一応やはり今回出されておる
厚生省の案なるものを中心にして、それを
一つの基本にしていく場合に、やはり出発点におきましてはある
程度の凹凸があったり、あるいは不十分な点はあろうけれども、まあ何といいますか、新しい出発の点といたしましては、これはある
程度やむを得ないような状況ではないかと、かようにわれわれは
考えております。
輝度の問題につきましても先ほど他の
参考人が申し上げましたように、われわれが
考えられるのは、一部
負担の問題と
関連して私どもがいつも
考えておるいわゆる
医療費が、一体新
医療費体系がなかった場合に、われわれ自身がどういう財布との相談が成り立つかと、こういう点から私どもは見た場合に、もしも今言われている
健康保険法が改悪されて初診料が八十円になり、
入院料がとられるということになれば、勢いこれは大きな
頻度に
関係が起ってくるということを私どもは予想しております。ただこれ自身から出てくる
頻度の問題といたしましては、あるお医者さんは先ほども
参考人が申しましたように、高貴な薬を使っても同じだ、悪い薬を使っても同じだということになると、そういう点から意欲が減退する点もありまするが、同時に他面
技術がそのままに生かされていく、こういうことになってくればまた
頻度が、いわゆる再診がふえまして、それだけまた
患者に対する
医療の徹底がはかれると、こういう大体二面が
考えられてくるのではないかと、こういう見解を表明申し上げるしかやむを得ないんじゃないかと思います。
それから
所得や
医療費の
負担の軽減の問題でございますが、
所得がどうなるかということよりも、これによって大体
技術に基いたお医者さんの
収入というものはかくかくであるということは私はつかめると思います。しかしそれが世にいわれておりますいわゆるお医者さんの
生活それ自身を確保するといいますか、あるいは安定するということになるかということになりますと、これは門外漢の私どもではとうてい判断のできにくい問題でありますし、同時に
負担の軽減という問題も、先ほど申しましたように、一部
負担の問題と
関連して
考えていかなければならぬ。その点から軽減が期待できるとも言えるし、できぬとも言えて、この点は私どもとしては明白に実はお答えできないのをはなはだ遺憾に存じておる次第でございます。
五番の
経済と事務の問題は、
保険経済につきましては、大体三%
程度のものしか
考えていないという
当局の
説明でありまするが、これはやはり
頻度の問題と
関連してそれぞれ判断をせざるを得ないと、かように
考えます。従いまして事務的にはこれはどういうことになりますか、私どもは当然今まで
支払いの場合にいわゆるお医者さん
関係だけの
支払いであったものが、今度は調剤
関係にも及ぼすので、当然事務的にはある
程度増加を来たすということは、これはだれが
考えましても私は当然のことではないか、これ自身としてはあるいは全体から見ればわずかなものではあろうけれども、やはり相当事務量が私は増加する、こういうような見解々持っております。
第六番目のお答えの
内容でございますが、今の初診料から見ました場合に、いわゆる今回の初診料は金額でいいますとあまりに飛躍したといいますか、あまりに高く上り過ぎているきらいが私はあろうとこういうお答えを申し上げたいと思います。従いまして応診料にいたしましてもたとえば距離だとかあるいは難路だとか、風雨だとか、そういう判定の場合に、まさかお医者さんがこの道は楽な道であるから
点数はこれだけだ、あるいはこれだけしか払えないというようなことはおそらく言わぬとも思いますが、しかしその判断というものが私は相当これは問題点になっていくから、これは何かもう
一つ別な方法をやはり
考えて、しろうとにもなるほどとうなずけるというような、こういう大衆的に使われるような方法等をもう少しわれわれ
患者代表といたしましてはとってもらわないと困る、
国民から遊離したような方法では困ると、かように大体申し上げたいと存じます。
それから
調剤料の問題と
関連して処方せんの問題ですが、これは社会保険
審議会でもいろいろ議論をいたしましたし、われわれ被
保険者自身がよりましていろいろ討論をしてみたのですが、処方せんというのは大体初診料あるいは再診料の中に含まれるような性質のものではないか、お前の病気はかくかくであるというのを口で言うのをば紙で現わす、見て見っぱなしで何も感想を述べないということはあり得ないのですから、その感想を述べる処方せんというものにこれだけのわずかな
点数ではあろうけれども出すということは、われわれ被
保険者としてはどうしてもこれは納得のできない問題、だと、かように
考えております。
処置料、
手術料等は先ほど申しましたように、いろいろ労働時間や必要人員を考慮されてそれぞれ
点数を修正されたという結果でありまするから、まあ専門的に見ればいろいろな不満といいますか、修正すべき点がありましょうけれども、大体現在から見れば大きくその点が考慮されたということは前進ではないかとかように
考えております。それから
入院料の問題でございますが、この点は先ほども
参考人の他の方が言われましたように、国立病院の大きな病院であろうとあるいは東京都内の飯田橋にあるようなりっぱな病院であろうとも、あるいはいなかのいわゆる九尺二間の裏長尾の診療室であろうとも、これが同じ
点数で二十八点や三十点で割り切られるというところはわれわれとしてははなはだ納得ができない。しかもそのような病院の内部の、たとえば一人一室の場合、二人一室の場合、あるいは二十人、三十人というような大部屋というようなそういう点を見てみましてもなおさらこれが同じ
点数、同じ金額でまかなわれるということにははなはだわれわれは納得ができない。同じところで同じものでやるならいいですが、それぞれ環境から部屋の
設備からおのおの違うところに持ってきてやはり同じものだと、こういう評価の仕方は決して合理的でない、私はかように
考えております。
それから主として一番あとの七項の問題について
意見を述べさせていただきたいと思うのでございます。たとえば今日の総
医療費の
ワクというものが、先ほどもどなたかおっしゃいましたが、それぞれ医者並びに被
保険者の不正なるものが含まれておるということはわれわれも原則的に認める。しかしながらそれをそのままに放任しておいて、それを是なりという
ワクのもとに逆に今次は
点数の引き直しをしていった。いわゆる金で今度はかく新
医療費体系を割っていったという大づかみな今回の割り方というものははなはだ非科学的であろうと、かように
考えます。総
医療費の
ワクというものはわれわれ
関係者といたしましてはもちろんふえることは、すなわち被
保険者の
負担をそれだけ増大するわけでありますから、もちろん歓迎しません。絶対にこれは現状以下でとめたいということはわれわれの念願でありまするが、しかしながらそのために角をためて牛を殺すようなことになって、社会保険の意義というものが
内容的に低下をしたり、退歩するというようなことは、これは厳に避けてもらわなければならぬと存じます。従いまして新
医療費体系の
実施に当っても十分にこの点が、いわゆるお医者さんはもちろんでございますけれども、同時に被
保険者に対しましても十分徹底をして、被
保険者の了解といいますか、十分に認識の上に立っての
実施を私どもは願わなければならぬ。何が何だかわからないうちに
医療費が上り、あるいは一部
負担が重なってくる。こういうようなことでははなはだわれわれ被
保険者としても迷惑至極である。今日の社会保険の
赤字問題にいたしましても、早い話が、何が何だかわからないうちに、要するに診療が非常にふえたこういうことで六十億、九十億の
赤字になったから従って標準
報酬を直し、昨年は保険料率を五%上げて、なおかつ本年はそれで足らずに一部
負担を行わなければならぬ。こういうようないわゆる不見識な状況ではなはだわれわれ被
保険者としては遺憾でありまして、
赤字問題の対策といたしましては、
健康保険は少なくともいわゆる被用者の労働者が病気や傷病になったときにそれを治療して再び職場に帰って労働に、生産に励ます。こういう原則から私どもは
考えまして、いわゆる長期に二年も三年も、私どもが聞きますと、はなはだしい人は二十年も二十五年も長期にわたりまして結核で入院しておる人もあるそうでございますが、こういうように長期に療養を要するような
医療の給付は、これは
健康保険から別なものにするのが私は当然ではないかと思う。従いましてこれは国家全体としての立場から、
医療をそういう面から、もっと大きな見地から私どもはこういう結核とか精神、神経
関係等のいわゆる長期療養を要するものは社会保険から除外をした別の対策を立ててもらわなければ困る、かように
考えます。同時に社会保険がそれぞれ
事業主、被
保険者の
負担によってはおりますけれども、原則といたしまして社会保険は政府自身が監督、経営をしておる。従いましてわれわれは
赤字が出ようと黒字になろうとそのことに関しましては、直接に私どもは今まで
関係がなかった。従いまして、各企業、会社になれば
赤字では立ちいかぬから、いわゆる企業
合理化という面が行われますが、こういう公企業の場合には、
赤字は
赤字でそのままで労働者に
負担させればいいのだ、あるいは
国民に
負担させればいいのだという、そういう安易な私は経営が過去三十年間社会保険においてもとられておった。特に
健康保険におきましては、そういう点が十分に
考えられなかったという点につきましては、もっと経営の私は
合理化をば
一つ当局にお願いをしたい、かように
考えます。
それから新
医療費体系の
実施と
関連いたしまして、いわゆる
患者の一部
負担の問題が昨今大きく取り上げられて参りましたが、私どもは御
承知のように、世界最高の保険料を出しておる。しかも、なお今日
当局の言う大きな
赤字を来たしておるが、同時に先ほど申しましたように、この経営というものを政府がひとり握っておって、
赤字か黒字か、どうなっておるかということは、全然監査が——われわれ
国民自身の監査というものがない。こういう点からいたしまして、はなはだ私どもとしては疑問を持っておる。もっともっと先ほど申しました方法によって、もっと保険の
合理化をはかることによってこの
赤字がなくなるのではないかという希望を持っておりますけれども、その点は一切政府まかせでございますから、従いまして、政府はそういう経営と監督権を持っておりまする点からも、これは当然政府がやはり一端の費用は
負担すべきだと、かように
考えます。しかも今回のごとき、
患者負担が行われるということになれば、大きな
頻度におきまして、あるいは診療に制限を来たすということは自明の理ではないかと、かように
考えて非常に悲しい思いをしております。たとえばよし初診料が五十円が八十円になって、わずか三十円の値上げではありましょうけれども、その他薬にしても、あるいは
注射にしても、入院のたびごとに三十円を支払うということになれば、たとえば外来で行く場合にも、おそらく給料の一週間や十日ほど前にはほとんどどこの労働者も金がございません。そういう場合に、病気になったときには結局売薬で済ますとか、あるいは医者にかからずにそのまま無理をして済まさなくちゃならぬという、こういう現状はおそらく今後こういう問題を契機にして大きく出てくる。このことは社会保険の私は一大大きな退歩を来たして、同時に
国民に保険というものは無用の長物であるというような忍は印象を与えるということにつきましては、まことに私は遺憾でありまして、この
機会に
一つ委員会におきまして十分この点に遺憾のないような御処置を私はお願いをしたい、かように
考えます。