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政府委員(町田稔君) それでは、その点を御
説明申し上げます。東北興業の既往の
事業実績表で御
説明申し上げますのが一番おわかりがいいかと思いますので、申し上げます。
これに書いてございますように、会社は直営の仕事と投資の仕事をいたしておるのでございまして、直営の仕事といたしましては、従来二十五種類にわたる仕事をいたして参ったのでございまして、その
事業をいたしますために、五億一千九百六十万円に達する資本金の投下をいたしたのでございます。その
事業種日別、その県別の
事業数等はここに書いてございますが、大体化学工業、機械工業、鉱産業等の種別に分けまして、二十五種類に達しております。この
事業は、ロ、の県別
事業数及び投下額のところに書いてございますように、東北六県各県にわたっておるのでございまして、大体その分布の状況は、各県に平均的に
事業が行われるようにやって参っておるのでございます。この県別
事業数のところに「その他」とございますが、これは二県にまたがって
事業をやっているものを特に記載いたしたのでございます。こういう直営
事業のうち、主要な
事業といたしまして、
事業実績の次のところに書いてございますように、大貫鉱山及び金製練所、アルコール工場と、ずっと書いてございますが、このうち現在なお
実施いたしております
事業は、〇のついております木友鉱山、これは先刻ちょっと御
説明いたしましたような亜炭採掘をいたしております。現在、別に最近五
年度貸借対照表といたしましてきょうお配りいたしました中に書いてございますように、かなりの実績を上げておるのでございます。それから次に福島工場、これは先刻御
説明いたしましたように、石灰窒素とカーバイトを
実施いたしておるのでございまして、これの実績表も最近五
年度貸借対照表の方に書いてございますので、それで
あとから御
説明申し上げたいと思います。それから次に、秋田県の方で
土地の造成をやっておりまして、これは現在も造成をいたしました
土地がかなりあります。それでこういうような直営
事業といたしましては、おもなものを掲げましても、これにたくさんあるのでございますが、そのうちで現在やっておりますのは木友鉱山と福島工場、この
二つがございます。それから造成した
土地が秋田にある、こういうのが直営
事業の
実情でございます。これは先刻御
説明しました
通りでございます。
それから次が投資
事業でございまして、投資
事業は、創立以来投資いたしました会社が九十九ございまして、その投資額は累計一億九千二百万円余に達しておるのでございます。その
事業種目及び県別の会社数は次に書いてございますが、これらの会社に投資をいたしまして東北興業株式会社が育てて参ったのでございますが、東北興業株式会社は、会社を育てまして、その会社が一人立ちできるようになりますれば、その会社から年を引きまして、そしてそこの会社に投資いたしておりました金を、また別個な、新たな会社に投資をするというようにいたしてゆきますのがその使命でございます。そこでいい会社ができますというと、今度は別個の新しい会社を興すということになるわけでございまして、だんだんいい会社から自分は離れてゆくという形になります。
それで東北興業株式会社が今までに生みました会社のうちで、特に現在活動をいたしておりますのは、ここに書いてございますように、東北
振興電力というのがあります。これは東北電力の前身でございます。現在の東北電力は、東北興業株式会社が育てた会社ということでございます。それから次に東北パルプ、東北肥料、同和鉱業、合同酒精等の会社が、すべて東北興業が投資をいたしまして育ててきた会社でございまして、御
承知のように、これらの会社は非常に現在大きな活動をして、東北地方の
振興に役立っておるわけでございます。先刻申しましたように、九十九社に及んで投資をいたしておったのでございますが、終戦後、
昭和二十一年の八月に会社経理応急
措置法に基く特別経理会社に東北興業が
指定されまして、そのために投資
事業の大整理を行なったのでございます。それで現在においては投資会社数は二十九になりまして、投資額も六千万円に縮小いたしたのでございます。
それで、非常に多くの会社に投資しながら、現在二十九しか
事業が残っておらないのはどうしたわけかという御疑問が、常にこの会社に対しまして持たれるのでございますが、今申しましたように、育てた会社は一人立ちができれば離していく。それからことにこの数が少くなった理由としましては、終戦後の特別経理会社に
指定されたために、投資会社数を極端に減らしたということに基くわけでございまして、直営の
事業におき幸しても、それから投資会社におきましても、非常に東北地方の役に立つような仕事を従来も非常にやってきたということなのでございます。
ところが、終戦後こういうように、投資会社の数もかなり減しましたし、しかも投資先が経済事情の変化によりまして非常に経営が困難になったというような
関係で、数年前には東北興業株式会社の経理状況が非常に悪くなったのでございます。そこで直営
事業も木友と福島だけに整理をいたしまして、大へん縮小をいたしました。その後
関係者の非常な
努力によりまして、幸いに直営の
事業も大へん現在では堅実に進みつつございます。東北興業株式会社という特殊の会社で、しかも東北地方の
振興のためにできておる会社といたしましては、直営が
二つであるということはきわめて貧弱な
状態でございますけれども、現在この
二つの工場は幸いに堅実な経営ができつつあるということを申し上げてよろしいと思うのでございます。
そこで、本日差し上げました最近五
年度貸借対照表でございますが、これは会社がこの五年間に投資いたしましたり、それから直営をいたしましたりしました
事業の大体の推移が、これによって御判断いただけると思うのでございますが、特にこのうちで、最後から二枚目の直営
事業の方につきましてごらんいただきますと、おわかりいただけますように、福島工場におきましては、これはカーバイドと石灰窒素をやっておりますが、この損益計算書の一番最後の欄に当期損益金がずっと書いてございます。それでごらんいただきますとおわかりになりますように、二十五
年度、二十六
年度におきましては、当期損益金の欄がマイナスで赤字になっております。二十七
年度以降、
関係者の非常な
努力によりまして、幸いに毎年相当の益金を出すようになって参っております。それから次の木友の鉱業所でございますが、この木友の鉱業所も、二十五
年度等におきましては非常に、当期損益金の欄にありますように、利益金が少かったのでございますが、大体年とともに利益金の額も多くなってきたという状況でございます。
こういうような実績をおさめて参っておるのでございますが、それにいたしましても、なお利益金総額は、本社の従来の社債等の返還に大部分が充てられてしまいます
関係で、実際
事業拡張のために使い得る金は、本社といたしましてはごくわずかになってしまう。そこで今回セメント
事業を起しまして、その
事業を経営することによって東北興業株式会社自体を強めていきたい、株式会社の強化を通してだんだん投資能力等もつけて参りたい、こういうように
考えて、特にこのセメント
事業を
計画いたしましたような事情でございます。