○
津島壽一君 私は主として
大蔵大臣に御
質問申し上げたいのです。ただいまの
羽生さんの
質疑応答を拝聴しながら、もう一ぺん念を押しておきたいと思います。
この
協定の
利益は端的にいえば、必要とする
食糧の輸入に対する資金を
アメリカからまかなってもらう、長期で低利でこれが償還できる、こういったような為替
関係も
一つある。第二には、この
取引によって生ずる積み立てた円をもって、国内の産業開発の資金に利用できる、こういう対内的の
利益もある。もう
一つは、それは前回の
委員会であったと思いますが、学校給食等に関しての贈与を受けるという
利益を行なっておる。大体この三点にしぼるべきだと思う。
そこでまず国際収支の
関係の御
質問がありましたから、それに関連して
大蔵大臣に御答弁を願いたい。私のこれから
質問することは多少私の
意見めいたことを交えるかもしれません。しかしそれは私の最終的な
意見ではないのでありまして、
質問の
趣旨をなるべく明確に理解を願い、また御答弁が要点に触れるようにという期待で、
意見にわたるようなことを申し述べますが、これは最終的な
意見でないということをあらかじめ御了解を願っておきたいと思います。
私は基本的に外資導入がいいか悪いかといえば、
日本の
経済事情は外資導入ということはまだ必要な
段階である。この基本的な
考え方は捨てておりません。が
アメリカ政府と
日本政府との
借款契約ということになると、これは通常の
経済取引じゃないわけです。
政府間の
借款契約で、これはよほど慎重にやるべきことであるということが言ってあるわけであります。この問題についてはあまり深くこの場合申し上げませんが、国際収支の
関係がただいま高
碕長官、
大蔵大臣も御同様でありますが、今日の
状態はよほど改善されておるが、また将来長き見通しを考えるとそう楽観はできないから、
食糧の輸入等についてもできるならば
外貨を使わないでやろう、まあそれの
方法としてこの制度を
一つ考えられる、こういうお話、これはごもっともだと思います。ただ
食糧品というものはその年にみな国民が食ってしまうもので、これが建設資材であるとかそれによって生産が直接増加するというようなものでない。産業
経済の発展という直接の仕事、もちろん
食糧は絶対なものでありますが、
借款の内容としては建設資材の輸入であるとか、そういったような
意味における海外の
借款は、これは私は非常に条件いかんによって希望すべきものだと思う。とにかくその年々の国民の食べる
食糧品を、四十年の間にわたっての借金で逐次後代の負担において、現在の国民がこれを食べていくという、この
政府間の
借款というものには非常な考慮を要するのじゃないかということがある。もっともそれは現在の人が食べてこの
食糧の対価というものを円で積み立てるから、この金は現在の人が払ったということが言い得るでしょうが、しかしまあできることならばこういった
借款は、なるべく避けるべき性質のものじゃないかという感じがするわけです。しかし現在の国際収支の状況からいって、これだけの
外貨節約、約六千何百万
ドルの
外貨節約ということは
相当大きなものでありましょうが、ただいま
大蔵大臣が言われたように、この話が出た当時には
外貨事情、国際収支の状況はよくなかったのだから、まあ背に腹はかえなくてもこういうもので
外貨を補充する、為替の
状態を良化するという
考え方は、これは先ほど言ったような
考え方があったとしても了承できる点だと思うのであります。ところがこれはもう御
承知のように、今日の国際収支は私は
戦前にもなかったと思うのです。海外にあった
外貨というものは三億
ドル強が大きかったわけです、一次戦争直後は別でございますが。その後一億
ドルになり六千万
ドルにもなった時代があったのです。しかし通常の
輸出をもって、また
貿易外の収入をもって、あくまでこの難局を切り抜けるのだという基本方針に国民が沿うてきたわけです。で、今日のような
外貨事情、国際収支の状況において、将来長期で払える
借款は借りておけということは、国際収支の実相を国民に知らすのに非常に私はまずいと思うのです。でありますから、最近の各
経済界におけるいろいろな議論、また
経済記事等に現われるものは、
日本は非常によくなったというような感じが出ている。インフレ的の
考え方もその中から芽を出すということにもなるので、どうしても絶対必要な
食糧品というものは、今なけなしの金でも出して、国民に国際収支の実相を示して反省を促して、
輸出の増加、
貿易外の収支というものを改善するように、
政府は国民を指導していくのが、政策としてはいいんじゃないかということを考えておるのです。わずか五千万
ドルか六千万
ドルの
外貨を長期に借りて、四十年かに払うということで、今の食物を補給してやっていって、そして
外貨収支は幾らになったかというと、これは
外貨を払わんでこれだけのものが得られるのでありますから、それだけ数字的にはまあ当面はよくなっておるが、これは全部借金として
あとで払うわけであって、国際収支が実態的にはよくなっていないということなんです。借金でそれだけの
外貨を補充したと同じことでありまするから。でありまするから私は今日の
政府の方針としては、あくまでも国際収支というものは改善していない、という実相を示す方に
努力をしていくべきであって、個々の措置もそれに沿うたように考えていくべきが、私は政策の本来じゃないかと思うのです。で、今日まで
戦前においてたびたびこういう外資の導入をやったわけです。それはよかったかというと、国民がそれをよく受け入れて正当に理解しないで、真相が通じないで安易な
考え方になりがちなんです。でありますら為替管理法の適用なんかというのはずっと長年おくれて、
昭和の初めに初めて一部の外資導入に対する制限というような法律ができたくらいで、十年あまりというものは国際収支の真相というものが国民に納得いかなかったわけです。そういった
意味において今また、
戦前のような安易な考えになってはこれは将来がどうかということを私は憂慮するという点からいって、年々の
食糧品くらいはなけなしの金を使っても買って、そして
輸出の促進という方面にもっと拍車をかけるという、国民に反省を起すのが大きな政策じゃなかろうか。これは大局的の方面から言っておるわけです。ことにこの話が出た当時の状況は、二十九年であったと思いますが、国際収支は非常に悪い、赤字を予想したものである。でありまするから、
外貨予算というものについては非常な圧迫を加えてあれだけの犠牲を一般に負わしたわけですが、今日は非常に
外貨予算がゆとりが出てきている。そういう上にこういうものを節約していこうということであるから、どうしても国民の精神的の反省というか、緊張味というものが欠けるおそれがあるということは、ある
意味において大きなマイナスである。でありますから、この
協定というものはこれだけの
利益がある、低利で長期の
借款が得られるということは
利益には違いないのですが、これは当面の
経済的の
利益であって、国民思想なり精神的な面においては、私は
政府としては考えなくちゃならぬのじゃないかというような一応の
見解を持つのです。
それが第一点で、それに関連しての話でありまするが、
政府の公債政策の関連がどうなるかという問題も考慮の
余地があると思う。大体この
借款協定は円に積み立てた金をもって、ここに書いてありますように、電源開発会社であるとか、生産性本部の必要な資金であるとか、あるいは愛知用水の資金であるとかいうような産業的の資金に供給する、その資金をこれによって間接に得ようという建前になっておる。しかし端的にいえば
食糧そのものを食べた者はみな円資金を払うわけですから、だから
外貨を払ったような格好になっておる。
食糧消費者に対してこれだけの金を貸すという制度ではないわけですね。でありますから、この
借款協定というものは、産業資金を獲得する
一つの方便であると見ていいだろう。もしこの
借款ができなければ愛知用水の資金はないわけですから。が、
日本国民の
食糧品の代価を払う消費力というか、資金はあるわけです。でありますから、回り回って見ますれば、これは産業資金を
アメリカの資力、物にかえた金によって供給する方便としてやったということははっきりしているわけです。そこで産業資金についても、今日は、
政府の財政政策は公債の発行はいかん、国家資金に関する限りは。そういう建前で予算が編成されているわけです。ところが、これは
アメリカから借りて、将来
ドルで払う六千五百万
ドル、このうちの七割五分というものがほんとうの
借款でありましょう、その約五千万
ドルという金を借りて愛知用水その他の資金供給を国家の手でやる。これはおそらく融資特別会計の中に入る金ですから、国家の会計に入るわけです。それを出そう、こういうわけです。ここにおいて、内債においては産業資金は
政府は発行しない、公債不公募主義です。外債においては公債を発行してもいいということが基本になって、こういう
協定ができたのであろうかという問題なんです。外債に関する限りはこれは非募債主義じゃない、借金して産業資金に当てる。内債を起して国民の貯蓄によった資金によるやつは、これは通貨
関係に大きな
影響があるから、非募債主義であるからやれんというふうな考えがここにあって、つまりもう一度言えば、借金政策はいいのだ、外債は発行してもいいのだ、従ってこれを四十年で払う国家の負債というものは、外債です、債務ですね、これはやっていいのだ。そういう基本的の
観念がこの中にあってやっているのであるかという問題があるわけです。その点を
一つ、そうじゃないという御
説明があれば承りたい。もしこれがいいとなれば、内地において産業資金を、
政府がいわゆる産業国債というか、公債というか、それでやることがなぜ悪いかというところにどういつたけじめを作るか。今日はいわゆる拡大均衡という、拡大
経済という名前において
政府はもっと公債を発行したらいい。それが産業の目的のためなら何にも通貨の面に
影響はないじゃないか。生産が増加するならば物価も上ることはないじゃないか。こういう議論も
相当あるわけです。それを
政府がいけない、
政府のみならず与党もそういう
観念で押し通してきているわけですが、それが外債に関する限りは例外であるということになるのであるかということが私の第二の疑問です。
これに関連してもう
一つ。それならば外債によって産業資金を獲得して、産業資金を
日本銀行から放出するということの
日本の通貨に及ぼす
影響と、内債を発行し、あるいは
日本銀行が引き受けたところの国債によって通貨を出して、そうして産業資金を供給する、いわゆる信用の創造、クリエーション、それとどういう違いがあるかということになってくる。この場合を見ますと、本来は
食糧を輸入すれば、内地としては
食糧代価として輸入資金が要るから、これは
輸出入銀行を通じて
日本銀行へ吸収し、それが落ちるという恰好になって資金吸収になる、通貨の吸収になる、輸入すれば。
輸出があれば
外国が買い取った資金を
日本内地で放出するから国内資金の増加になる。これが普通の経路であるわけです。ところが今回の場合は、別途大麦その他の物を売ってこの資金というものを円資金として積み立てるから、信用になるから、資金吸収の目的は達している。そこで、そのままならばいい、これは産業資金として、これを
日本銀行の勘定にある円積立資金から放出するわけでありますから、輸入で吸収さるべき資金が産業資金のためにここに出る。どうして出るかというと、外債が発行されて、
日本銀行に信用が創造されるということにあるわけであります。そこで通貨
関係からいえば、外債によって通貨の収縮というものが起るものを、起らないように産業資金を放出するということになるわけでありますね。それで外債でなく内地の場合、かりに
日本銀行が公債を引き受けて信用を創造する、これは外債にかわるものとして
日本政府の国債を利用して、それだけの資金が出るのであるが、
食糧輸入によって資金が日銀に入るが、同時に産業資金として
日本銀行から放出されるから、とんとんになる。であるから通貨に及ぼす
影響の点からいえば、本
協定による産業資金の供給も、内債発行による資金の放出も変らない。国民の負担からいえば外債においては低利であるという
利益はある。内債発行であるならばもっと高い利子になるであろうというところにおいて財政上の負担は違うだろうけれども、通貨問題としては同様のオペレーションとなる。もしそれが例となり、通貨
関係に及ぼす
影響は同じであるとするならば、内債を発行し、
日本銀行が引き受けてやってもいいのじゃないか、産業資金の
借款が大事じゃないかという議論が出てくる。その主な
理由が産業資金の供給を潤沢にすると言うことであり、低利ということは別、長期ということは別にして、ここに産業資金に関する限りにおいても同様のオペレーションをすれば利率は高くなるかわからぬが、通貨に及ぼす
影響、物価に及ぼす
影響も変りがないというように一見思われるわけであります。そういった点において通貨問題に及ぼす
影響はどうであるかということについて考慮をめぐらされておるか。その
考え方いかんによって内債発行可なりという議論を生ずる可能性があるとも考えられるので、
大蔵大臣のこの点に関する御所見なり、また御答弁を伺っておきたいと思います。
で、基本的の問題はそういう問題でありまするが、この
協定の内容についていささか疑問の点をお伺いしたい。それは主として第五条の
関係、これが
借款契約になっておる。第五条にその償還その他の条件を書いておる。まず第一にこの支払い
方法に基本的な問題はありまするが、それは
あとにしまして、まず簡単なことからお伺いしたい。この
借款は
ドル借款にしようという規定になっておるのじゃないかと思います。なぜ
ドル借款にする必要があるかということが疑問であります。
アメリカの
余剰農産物の処理援助法には、これを買いとる当該国の通貨によって支払うと、こう書いてあるのです、この代価は。端的に言えば円で払えばいいということになっておる。また
大統領も実際においては円で払う、というような
協定を結ぶ権限を与えられておると百一条に書いてある。であるから円
借款をすればいいわけだ、支払い
方法としてこれを
ドルで払うか、ポンドで払うか、ペソで払うかということは償還の条件である。元の債務は円建の債務であるべきだ、これは
アメリカの法律に書いてある。であるからすなおにそう書いていいわけである。しかるに第五条の第一項においては、どうも持って回って、
日本銀行を通じて
アメリカの
ドルに交換し、その
ドルをまた
日本にもらって、
ドル借款に変形しようとするわけです。そうするとこの
借款協定は、
大統領の
農産物処理法に基く円建
借款と別途の
借款をここに規定しようということになるわけであります。これが誤まったらこの
解釈をお伺いしたい。
なぜそういう
ドル借款にする必要があるかというと、やっぱりこれは、
ドル貨で払うようにしておかぬと、
ドルクローズをつけるということになってうるさい。これは内地のブロック円というものがまた
ドル払いになるといかぬから、これは
ドル借款で、
ドルで払うようにしようという
一つの方式を考えられたと思うが、私は読んでも非常にわからぬ規定である。そこで端的にこれは円債務であるけれども、
ドルでお払いいたします。また
日本の選択によっていつでも円でも払います。その円の価格というものについての
協定は、これと同様な
意味を持つ規定があればいいので特殊のものでなくていい。円の下落した場合には元の値で支払うという一定のフォーミュラがあるわけです。であるから、なぜ
ドル借款を特に結ぶか、不必要なる、煩瑣なる、理解のしにくいものであり、また
アメリカ側から言えばこれは援助法の規定違反だとなぜ言わないかということが非常に疑問となるのです。
日本の外債、過去においてたくさんあります。原契約において
ドルと書きポンドと書きあるいはフランと書いても、支払い通貨、償還に使用する通貨というものは円でこの場合もある、スイス・フランで払う場合もある。ポンド発行の外債が
ドルで払ってもいいと書いたものもあるのです。この
協定においてもただ支払い、償還の通貨は何にするかということを書けばこれは
ドル借款にする必要はない、円
借款、ただしこれは、
ドルで払いますといって書けば、円
借款でも償還は
ドルということになる。しかるにこういうふうに持って回わった条項を書くことは、これはかえってわれわれにはっきりわからぬものができてくる。国民の負担には何ら
関係ないことですから円建ての
借款を、
ドルで払い、また
日本は自由に円でも払います、どちらでもいい、そのオプションをとるということを書けばいいのであります。
日本の
輸出入銀行に渡すべき約束手形の文面というものははっきりしている。これは
ドルでも払います、しかしまた円でも払いますと、
日本の単独のオプションでやると端的に書いてある。
日本銀行をこの手続の中に入れて
ドルに交換させるとか何とかいうことは、これは何のためにやるのかどうも読んでわかりかねる。この点はもっと言えば理解ができるかと思うのですが、私の
質問の
趣旨が。どうしてこういうような
協定をお作りになったか。原
借款の表示通貨は何でもいい、たとえば
フィリピンのペソを何ぼ借りた、払うのは
ドルでやりますと言っても
借款契約としては成り立つことは、過去の
日本の外債にたくさんの例がある。
ドル借款にしないと、
ドルで払われないということを考えるのはとんでもないことでありますが、一体どうなんでございましょうか、支払う通貨は、
ドルで払う場合は三分の利子が当てはまるから
ドルで払うようにした方がいい、それだからと言って円
借款を
ドル建てにするということは何らの必要ないことと思いますが、これは絶対必要なことでありますかどうか、お聞きしたい。
第二はこの五条に関して、この
借款協定といいますか、これは
借款協定とわれわれは思うのでありますが、この
協定は四十年の長期契約です。そうして第一回の元金償還は千九百六十年、四年後に始まるわけです。それで三十六年間に払おうと、こういうことになっております。が、そのうちに
一つ重大な
借款の基本的条件として欠けておるものは、四十年間のうち
日本は資金に多くの余裕があったときには、三分の利子を払わないで早く全額の、繰り上げ償還できる、もし来年の景気が非常によくて、
ドルがたくさん余ればこういう金利を払わなくてすぐ返してもいいとすべきです。今日の
日本の保有、
ドルというものが何分の利率でもって運用されておるか、十何億
ドル、よくなれば二十億
ドルにもなる。これがかりに無利子のものもあり、三分のものもあり二分になるものもありましょう。一方、この
借款というものは四十年間に支払い、三分の利子をどうしても払わなければならないというふうに
解釈できるとすれば、
日本の権利をここで拘束されることになる。もともと
借款には一定の年賦償還の期限、たとえば三十年、四十年とございますが、その
借款契約にはたいてい、いつでも債務者の選択によって全部または一部の繰り上げ償還、満期前の繰り上げ償還ということがある。これで利払いの免除が行われるのですから、そういう、これは特に
借款の基本的条件です。これがどうしてここに書いてないかということが非常に私はおかしいと思う。ただこういう規定がないものは一九二八年の東拓外債である、この外債はノン・コーラブルとなっておる。期限前償還ができないことになっておる。
先方は期限前償還の規定をどうしても認めてくれなかった、
日本は金の余裕があったらすぐ返します。五分半の利子は負担が重いからと言ったが、相手方の銀行国は、いやこれは三十年間この利子をとって償還を受ける最後までとっておる、確実有利な投資とするのであるからというのでノン・コーラブル・ポンドになっておる、これはいかにも残念だった、実は私がやったからよく知っている。
先方はたとえば十年後にぱっと全部払われたら保険会社等は利回り採算ができないから、繰り上げ償還ができないようにしてくれというので議論したのです。この
借款の場合あるいは別の契約によって繰り上げ償還のことを定めてありますか、この繰り上げ償還の規定はどうしてもつけておきたいのです、あるいは話合いによってそういうことをやってもいいのだというのでしょうか。しかし、いやしくもこの基本条件をこの
協定の中に書かぬということは、これは非常に大きな
協定の欠陥であるという考えを持つわけなんですが、一体どうなっておるのですか、これも事実を私はお伺いいたしたいと思うのです。これは今の第五条の一の
関係であります。
第三は、その一の(6)というところがある問題です。これは「
借款のその他の細目及び手続並びに
借款の変更は、
日本国政府と
アメリカ合衆国政府又はその機関たるワシントン
輸出入銀行との間で相互に合意する」とある。そこで
借款の細目を
協定に入れるということは困難であるから、細目及び手続といったものを双方の合意できあろうとする規定は、当然のことだと思うのですが、どうも翻訳が悪いのか、
借款の変更を双方の合意でできるという、この
借款の変更というのはどういう
意味であるか。
借款の基本的要件を変更することを、手続と同様に
国会の
承認を経ないで
両国政府間で随意に合意できめたのでは、この
委員会で幾ら
協議しても、
承認しても、
あとで期限を三十年に変更するとか、利子は幾分に変更するのだということになりますと、これは基本的の条件が変るわけです。この翻訳が悪いのか、英文を読みましたが、
借款モディフィケーションと書いてあって、そういうことを一般に細目をきめるということと相待って変更してもいいのだ、というところまで規定をするということは、これは
国会の
承認というものは、
承認しても、あした条件が変更したのだと言われたら、どうも困ることになる。であるから基本的の条項に関しては、もし変更が生じたならば、さらに
国会の
承認を得るべき手続をとるのであるか、それともこれは翻訳が聞違いであって、微細な点であって、細目の変更手続の変更ということと同様と考えるということであるか、これは翻訳の誤りであるか。または実態について将来の変更は
国会の
承認を経ないでやられるという
解釈をおとりになるのか、この点を
一つはっきりと……。どうも読みまして重大なことじゃないかという感じがいたすわけであります。
だいぶたくさん言いましたから一応ここらで区切って、要は国際収支に対する国民の何というか、
協力を得るため実相をここに赤裸々に出して、そして一そうの奮発をやるという基本的な方針というものが、こういうものであいまいにされるおそれがありはせぬかということが非常に懸念される。
それからもう
一つは、この
借款は産業資金の調達の
一つのやり方であり、悪いとは申しませんが、この外債は
政府公債である。それの理論からいえば内債を起してもいいんじゃないか。通貨
関係で両者がどこが違うかという
質問に対してどうお考えになりますか。また第五条の規定においては、なぜこういう
ドル借款を作ったか、それは必要ないじゃないか、
輸出入銀行に渡す約束手形そのものの文句をここに書いておけばそれで足りたものじゃなかろうか。もしあの書いた文句がこれと違うならば、こういった約束手形というものは出せないものであるということになるから、この五条の第一項というものはどう考えるか。またこの五条第一項に関連して繰り上げ償還の規定をどうして盛り込まなかったか。またこの(6)による
借款の変更というのはどういう
意味であるか、これが主な点ですから、どうぞ教えを請いたいと思います。