○淺沼小
委員 質問があるのです。しかし、たまたま淺沼という名前をあげられましたから、一身上の弁明もいたしたいと思うのであります。これは高瀬君も言われましたことでありますから、申し上げておきたいと思います。
そこで、この問題は、
日本は独立したことになっております。すなわち、昭和二十七年四月二十八日に対日平和
条約の効力が発生して独立したことになっているのであります。独立した
日本の姿を一
日本人として静かに
考えてみまするならば、
日本の安全は
アメリカ軍隊によって保障されているわけであります。さらに加えて、
日本には
アメリカの
軍事基地が七百三十、最近は少し減ったようでありますが、まだ七百近くのものがあろうと思います。およそ一国が他国の軍隊によって安全を保障される、それが長くなって参りますと、その国の独立というものは非常な危機を感ずるようになりはしないかということを
社会党では憂えておるのであります。さらに、第二番目には、
軍事基地というが、これは
アメリカの飛び地のようなものでありまして、
日本の
裁判権は及ばないのであります。およそ
日本の
裁判権の及ばない場所が七百有余もあって、それで完全なる独立と言えるか。これを
考えてみまするならば、
日本の独立は、形式的には独立をしておりまするけれ
ども、完全なものではございません。従いまして、
日本国民の中に、これら不完全なものを完全な独立にしようとする意欲が生まれてくることは当然だと思うのであります。
砂川における農民のこの運動にいたしましても、初めは農民が
土地に対する愛着からいたしまして、
土地を守ろう、こういうような意欲から立ち上っておることは事実であります。しかし、一年間の闘争の中で彼らが知ったことは、自分の
土地を守ろうとする者に対して
日本の官憲がこれを弾圧する。この独立は
日本人同士が争わなければならない、
日本人同士が血を流さなければならぬという矛盾を含んだ独立であり、だからこれを完全な独立にしなければならぬという、
日本人的な自覚が現われてきておるということを見失ってはならぬと思うのであります。もちろん、形式的に申しますならば、日米
安全保障条約があり、
行政協定があり、それに伴いまするところの
法律があるのでありまするから、
法律の執行者あるいは行
政府に政権を握っている人々はどうしなければならぬかということはよくわかります。わかるけれ
ども、その矛盾を
一体どうやって克服するかということは、単に
法律に忠実であるという形式的のことではなくて、
日本国民の中から盛り上ってくる、真の独立の体制になろうとする意欲を、私は総理大臣以下閣僚全部
考えてしかるべきではなかろうかと思うのであります。そういう観点に立って私
どもはこの問題を扱っておるのでありまして、この点だけはとくと御了承を願いたいと思うのであります。しかも、
社会党の現在の立場は、この立ち上っておる民衆と、それから
政府との間に、
一つのクッション的役割をしておるということを知ってもらいたいのであります。話し合いだといって
社会党が先頭に立ってやっていると言いますけれ
ども、これは
社会党が話し合いの過程を作っておるから衝突はしない。きのう
社会党の議員がおらないところへ
調達庁の役人が出てきてどういう事態が起きたかということは、
調達庁長官よく知っておるはずだと私は思うのであります。従って、私
どもの立場というものは、クッション的役割をやって、なるべく犠牲を少くしていかなければならぬ、問題を穏便に済まそうという意欲からやっておるということだけは、誤解のないように願いたいと思うのであります。さらに、もう一点申し上げたいのでありますが、しかし、これ以上の
政治上のことは大臣が参った際に私から申し上げることにして、これ以上申し上げません。でありますから、われわれのやっておりますることは、他党の方も誤解のないように願わなければならぬ、こう思うのであります。
そこで、先ほど
猪俣さんも
質問をされたそうでありますが、私が一番不思議に思うことは、
——アメリカの
基地というところは
日本の
裁判権は及ばない。それから外は及ぶのです。その中から
調達庁の役人が出てくるのです。これは、この前福島君がやっておったときにも、私は、現実に一ぺんあったやつを、あくる日行って、当時の西田
担当大臣に対して、どうも
日本の官吏が
アメリカの
基地から出てくることになっておるじゃないかと言った。
日本の官吏はやはり官吏として、
日本の正々堂々たる道路があるのでありますから、そこから出てくるのが私は当りまえだと思う。
日本人同士で話し合いするなら、何も
アメリカの
基地と
日本の本土との間に間隔を置く必要はないと思うのでありまして、何かおやめになったという話でありますが、この間もやっておりました。そのときに、ちっとも
日本人的な感覚というものがあなたの部下にはなくなったのではなかろうかと私は思ったのであります。あなたはそういう感じを持ちませんか。それは
測量の技術上やるのである、技術上門から出てきて早くやった方がよいと言うならば、それはその
通りでありましょう。しかし、
日本人として
アメリカの
基地から
日本の
裁判権の及ぶところへ出てきて行動するということは、私はその現実を見ていればどうしても血がわくようになってくる。そのこと自体があの集まっておる人たちに対して
一つの憤激を感ぜしめることも事実でありまして、間違っておったからやめましたということでは私は済まぬと思う。やめた方がよいと思いますが、しかし、
一体今までそうやらしてきたあなたは
日本人としての感覚はどう持ちますか、これをお伺いしたい。