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1956-06-01 第24回国会 衆議院 法務委員会 第40号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年六月一日(金曜日)    午前十一時三十分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 高瀬  傳君 理事 福井 盛太君    理事 三田村武夫君 理事 猪俣 浩三君    理事 菊地養之輔君       犬養  健君    小島 徹三君       世耕 弘一君    林   博君       古島 義英君    横井 太郎君       横川 重次君  出席国務大臣         法 務 大 臣 牧野 良三君  出席政府委員         警  視  長         (警察庁刑事部         長)      中川 董治君         検     事         (刑事局長事務         代理)     長戸 寛美君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君  委員外出席者         文部事務官         (調査局宗務課         長)      近藤 春文君         参  考  人         (東京大学助教         授)      小口 偉一君         参  考  人         (獣医)    岡庭徳次郎君         参  考  人         (評論家)   大宅 壮一君         参  考  人         (警部補)  菅井久右工門君         参  考  人         (立正交成会理         事長)     長沼 基之君         参  考  人         (立正交正会会         長)      庭野 鹿蔵君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  閉会審査に関する件  委員派遣承認申請に関する件  閉会審査小委員会設置に関する件  京都地検における犯人誤認事件に関する件  法務行政及び人権擁護に関する件(立正交成会  問題等)     —————————————
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  本日は、まず、京都地検における犯人誤認事件に関しまして、法務大臣より発言を求められておりますので、これを許します。牧野法務大臣
  3. 牧野良三

    牧野国務大臣 法務委員会に御報告を申したいと存じます。  本委員会において特に重大にお取り上げになりました京都五番事件に対しましては、当局も、委員会の御意見を体しまして、鋭意調査を進め、その処分を急ぎまして、ようやく昨夜六時半を過ぎまして手続を了しました。その内容を御報告いたします。  京都地方検察庁検事正熊沢孝平戒告、同じく次席検事泉政憲戒告、同じく検事森島忠三戒告、以上懲戒処分を命じました。なお、検事森島忠三のかねてから提出の辞職は、昨夜をもって承認いたしました。なお、同時に、京都地方検察庁検事正熊沢孝平名古屋地方検察庁検事正に転任し、京都地方検察庁検事正には、名古屋地方検察庁検事正米原容次郎をこれに充てました。  右御報告を申します。  なお、委員会にまず御報告をいたしたいと存じましたが、懲戒処分でありますので、各本人にこの内容が伝達を了しませんと発表ができません手続上のめんどうがありますので、特に昨日は本省の係官を飛行機で京都へ派遣いたしまして、ようやく森島検事手続を了しましたのが六時を過ぎたために、衆議院の法務委員会はむろんのこと、参議院法務委員会からも要求があったのでございまするけれども、時間に間に合いませんでおくれましたことを、ここにおわびを申し上げます。
  4. 高橋禎一

    高橋委員長 以上で法務大臣の御発言は終りました。これに対して何か御質疑はありませんか。815C池田清志君。
  5. 池田清志

    池田(清)委員 法務委員会国政調査をいたしまする対象の中で、法務行政に関するものは最も重い事柄であると思います。本国会におきましても、当委員会におきましては、法務行政についていろいろと調査をいたして参り、具体的な事件等についてまでみなが心を砕いて慎重審議を重ねて参ったのであります。その中におきまして、京都検察庁に関しまするところの問題が、はからずも重大なる問題となりまして、これにつきましては、数回にわたり当局の御出席を求めまして慎重審議調査をいたしたのであります。事件内容のことはもとよりといたしまして、法務大臣責任下にありまする人事の問題についても、当委員会といたしましては心配をいたしまして、これに対しまする法務大臣のお考えいかんというようなことまで追及して参っておったのであります。幸いにいたしまして、法務大臣は当委員会意向をくまれまして、法務大臣においてしかるべき処置をとるという御返答をいただいておったのであります。その実現といたしまして、ただいま法務大臣が御報告になりました事柄を実行せられましたことは、私どもといたしまして満足に存じております。しかしながら、私ども法務委員会においてこれだけ心配をして参っておった問題でありまするだけに、法務委員会に最初のお示しがなくして、新聞紙等において早く発表を見ましたことは、私どもといたしまして遺憾の意を表しておる次第であります。これにつきまして、ただいまお話があったのでありまするけれども、いま少し私どもの納得のいきまするような経過を御発表いただきたいと思います。
  6. 牧野良三

    牧野国務大臣 まことにごもっともでございます。実は、私は五月中にどうしてもこの責任を明らかにいたしたいと思いましたが、突然二十九日の晩から、私の決心表白に故障が起きるような状態になり、非常に苦慮いたしました。もこうれは時間を争うて決定しなくちゃならぬと思いまして、できる限りの最短時間にということで、ようやく三十一日の晩までに手続を進め、委員会へ何らかのことを申し上げなければ済まないと思いましたので、非公式であって不謹慎な点があったかもしれませんが、内容に関しましては、非公式に委員長まで御耳打ちをいたしておきました。ところが、どうしても夕方までに手続が済みませんで、手続の済みましたのが六時過ぎで、接受したのが六時半でございます。この点、委員会に対して済まないと思いますが、全く、できるだけ早く、そして六月一日になってはいかぬ、五月のうちにしなければ委員会に申しわけない、ことに法務省に誠意がないと言われてもしようがないと思って、最善を尽したのであります。手続の上ばかりではなく、内容についても皆様には御遺憾の点があろうかと存じまするが、私として最大の苦心を払ってここにいたしたことを、どうか御賢察下さいまして、お許しを賜わりたいと存じます。
  7. 池田清志

    池田(清)委員 ただいまの法務大臣お話によりまして、法務大臣におかれましては、当委員会意向をくまれまして、その意向に沿うべく最善の努力をせられましたことを了といたします。問題は今後にもあろうことでありまするから、今後におきましては、今回のように、委員会にお示しをいただくことのない前にそういうような重大なる事柄が漏洩すると申しますか、あるいは自発的に発表されると申しますか、そういうことがないように、格段の御配慮をお願い申し上げておきます。
  8. 古島義英

    古島委員 京都五番町問題は御報告でわかりましたが、埼玉県の本庄における二重犯人の逮捕問題については、その後何ら御調査がないようであります。埼玉弁護士会は、これを取り上げまして、どうしても人権じゅうりんの事実があるというので、その手続をいたしました。ところが、検事局では、どういう観点からこれを調べたのかわかりませんが、すべてこれを不起訴にいたしたのであります。ところが、不起訴にすべき事案ではない。証拠も十分にあがっております。しかも、毛をつかんで壁にぶちつけたということもあり、あるいは、全然知らない丸太棒犯罪に使用されたと言っておるのであります。そこまで進んでおるのであるから、りっぱに人権じゅうりんの事実はあったにかかわらず、浦和検察庁ではこれを不起訴処分にいたしました。そこで、弁護士会は不起訴処分にすべき問題ではないというので準起訴手続をとったのであります。しかも、準起訴手続をとられたにかかわらず検事局はてんとして恥じない。その理由は、人権じゅうりんの事実がないというような強弁をいたしまして、また、準起訴に対しても理由なしという答弁を出しておるようであります。この件について法務省ではどういうふうなお調べをなさって、法務省への報告はどうなっておりますか、そこを承わりたい。
  9. 長戸寛美

    長戸政府委員 お尋ねの件につきましては、浦和地検におきまして捜査をいたしまして、暴行の事実ありという断定をして、不起訴にいたしておるのでございます。それに対しまして準起訴手続が現在行われておる、かような報告を受けておる次第でございます。なお、この点につきまして、検察庁の方の処理の問題につきましても、われわれとしてなお検討中でございます。
  10. 古島義英

    古島委員 いやしくも人権じゅうりんの事実があり、しかも実際の犯人でない者が六カ月も刑務所につながれておったのであります。半年以上も実際の犯人でない者がそのまま刑の執行を受けておるという事実があり、実際においてそれが犯人でなかったという証拠があがったのであります。しかも、なぜお前が自白をしたかと言ったならば、自白するつもりはなかったけれども、夜一切寝せずにおいて調査をいたす、もしくは板の間に二時間も三時間もすわらせられて、それで、身動きをすると、けしからぬとけ飛ばす、こういうことになりますと、これくらい人権じゅうりんの典型的なものはなかろうと私は思うのであります。しかも、この事件人権じゅうりんはしておったのであるが起訴すべきほどの事実でないというので起訴しなかったと今御答弁になったのでありますが、ほんとうにそれがどの程度人権じゅうりんであるか調べたのですか。いま一応その点を承わりたい。
  11. 長戸寛美

    長戸政府委員 記録がございませんので、個々のこまかいことは申し上げられないのでございますが、私どもの方に参りました報告によりますれば、ある程度暴行の事実は認められる、ただ、当該警察官がすでにやめておる、あるいは行政上の措置がとられておるというふうなことを勘案して、不起訴にした模様でございます。それらの件につきましては、今後とも検討をして参りたいと思っております。
  12. 古島義英

    古島委員 人権じゅうりんをいたした当該官吏がやめたから、これは一切かまわないというようなことは、まことに聞えない話であります。京都五番事件についても担当の検事はやめております。ところが、この本庄人権じゅうりん問題は、署長が一人やめたにすぎない。ほかの刑事警部補というものは全部そのまま残った。しかも、これが証拠がないのなら別であるが、人権じゅうりんの事実ありという証拠はりっぱにあり、片方においては柴崎のごときはすでに六ヵ月の懲役をやっておるのです。こうなれば、一段と進めて、人権じゅうりんをいたした官吏に向っては相当な処罰をするのが当然だと思う。どこで情状酌量いたしたから不起訴にしたというのか。そのくらいなことは当然だというので不起訴にしたのか。聞くところによれば、毛をつかんで壁にぶちつけるくらいなことはあり得ることで当然だと豪語しておるということである。こんな官吏が逮捕の責を負うというようなことでは、今後のことが思われるから、さらに一そう進んで御調査を願いたいと思うのでありますが、その点について決心のほどを承わりたい。
  13. 長戸寛美

    長戸政府委員 ただいまのお説、ごもっともでございまして、この点に関しましては、さらに徹底して調査を進めます。なお、検察庁措置自体につきましても検討を続けて参りたい、かように思っております。
  14. 古島義英

    古島委員 在野法曹が、かくのごとき人権じゅうりんのはなはだしいものがあるにかかわらずなおこれを起訴しないということは今後の人権が保障できないということから、初めて準起訴ということを考えたのです。法務省においては、検事がさような準起訴在野弁護士から出されるということはきわめて不名誉なことだと思う。この不名誉を回復するめたには、この事件をさらに進んで起訴しなくんば、名誉を回復することはできないと私は思っております。しかも、その準起訴に対して、理由がないということで突っぱねておる。検察庁は、人権じゅうりんの事実があるにかかわらずこれは起訴しないという。しかも、このくらいなことは起訴するに足らないというのでやったのなら、どの程度起訴するつもりであるか。六カ月も無辜の民がほうり込まれておったということは実に大きなことであります。これをこのくらいなことというのでそのまま見のがすということもどうかと思うのです。一方においては、人権じゅうりんをした人たちは、壁に頭をぶつけたくらいなこと、夜調べてけ飛ばしたくらいなことは何でもないのだと豪語しておる。これで許されるのでしょうか。ほんとうに保障される人権というものはそういうものではない。さらに一そう進んで何とか善後措置をとられねばならぬと思うのでありますが、名誉回復のためにも法務省は一段とお骨折りを願いたいと思う。
  15. 高橋禎一

  16. 猪俣浩三

    猪俣委員 法務大臣にお尋ねいたします。  今回の京都事件につきまして、それぞれ係官を御処分なされました。処分内容につきましては、われわれがかれこれ言うべき筋合いでありませんので、内閣あるいは大臣責任においてなされてしかるべきことでありますから、それについてはかれこれ申しません。実は、明日この京都五番事件についていま少しく当委員会調査を進める予定でありましたが、法務大臣お話もあり、御処分なされたということで、私たちもこれ以上追及することもいかがであろうかということで、せっかく理事会で決定いたしたものをとりやめにしたのであります。ただ、どうしてもこの際大臣の口から明らかにしていただきませんと、さような事情で、まだ実は各委員におきましても事実がはっきりしないような点もあったわけなんであります。そこで、なお念のためにお聞きいたしますが、あなた方の調査の結果は、——かようなことが新聞に報道せられておったのでありますが、この事実があったのであるか、ないのであるか。それは、森島検事がこの村松泰子なる証人を偽証で逮捕することについて逡巡をいたしておりましたときに、上司の方が、女一人くらい逮捕できないでどうするか、検察の威信にかかわるじゃないか、君ができなければ他にやらせるぞと言ったと、これは森島検事自身が自白しておる。こういうことは、法務省調査で、さような事実があったのであるか、ないのであるか。あったといたしますならば、この戒告せられました人の中にあったのであるか、ないのであるか。私は、たれという名前を言えとは申しません。その人間戒告せられておるのかいないのか、それをまずお尋ねいたします。
  17. 牧野良三

    牧野国務大臣 実は、その点まことにつらいところであります。森島検事が非常に感情的になったらしいんです。そこで、私は、部内では感情的になってなしたる行為に対して大へんな批判があるのですが、人間というものは、かっとなったときにはどんなことでもやる、常軌を逸することがあるから、そういうことはあまり取り上げないようにしようじゃないか、そうして、人間として尊重しようじゃないか、気の毒な立場に立ったときのことを考えようじゃないかと言って、私はそこを私の立場から明らかにしようとしたのでございます。従って、森島検事はこの点を詳細にどう答弁したらいいかということにただいま大へん困っているのだろうと思います。そこまで突き詰めると問題がむずかしい結論になると思いましたので、実は、こちらの委員会も、参議院委員会も、これは一つまかして下さらぬか、そうして人間として助けられるまでは助けていきたい、更生させたい、関係者を反省させたい、これによって部内全般の深い自粛に資したいということを申し上げたわけであります。猪俣さん、あいまいにしちゃいかぬぞという御意見はごもっともでありますが、そこに人間味を加味したところを御理解下すって、この点でお許しを請いたいと存じます。
  18. 猪俣浩三

    猪俣委員 大臣の御苦心のあるところはよく了察できます。それでありますから、たれがこんなことを育ったか言わぬか、そんなことまで私は聞くつもりはありませんが、ただ、森島検事が職を賭して告白をいたしました中に、かように言われたと言っておるのでありまして、これは非常に大きな問題であって、もしこういうことを言うた検事があるといたしますならば、これは検事なるものの思想的背景、それに関連を持ちましたわが国の検察行政における重大問題だと思うのです。女一人くらい逮捕できないでどうするかと言われた、これがまだ外部発表せられておらないうちならいいけれども森島検事の言なりとして外部発表されておる。これが、今大臣がおっしゃったように、森島検事が何か激情のあまりかようなことを口ばしったというならば、まあそれでも、人間にあり得ることですから、私どもはかえってこんなことを言うた上司はないのだというので安心するのでありますが、ただ、しからば森島検事は何がゆえにそんな激情を発するように相なったかということをまた尋ねていくと、結局上司から無理にやらせられて、責任自分だけとらせられたということから発するんじゃなかろうか。そうすると、上司に相当森島に対する強圧があったんじゃなかろうかということもまた考えられるので、私どもは実はすっきりいたさぬのです。どうも、私ども調査するところによれば、この言葉を吐いたのも事実であり、しかも吐いた人はこの戒告の中に入っておらぬと思われるのであります。そこで実は多少割り切れないところがあるのであります。私は、職務熱心のあまり多少の違法があるということはある程度同情をもって見ていかねばならぬ、あまりそれをやかましく言い出しますと、これまた、検察陣が萎縮してしまって、真に処罰すべき者に対して手がゆるむということにも相なるのでありまして、非常にめんどうなところでありますが、いやしくも同僚検事がどうも逮捕することに疑問であるという意思表示するのに対して、女一人逮捕できないでどうするか、君ができなければ他にやらせるというような暴言を吐いた者があったといたしまするならば、これは実に許すべからざる検事だと思うのであります。さような検事上司として存在している限り、われわれは安心できない。実に不運なる思想を持っているものだと申さなければならぬ。男女平等の憲法の理念をじゅうりんするのみならず、人権尊重ということは皆無であると思わなければならぬ。その人間が免れて恥じないということに相なりまするならば、検察陣の綱紀の粛正などというものはできやせぬと思う。人権じゅうりんの根源を断ち、一罰百戒のことにならぬと思うのです。それですから、かような言葉を吐いたのは、実は森島の妄想であって、そんなことじゃなかったのだ、彼が感情のほとばしるままにかようなことを言ったのだということならば、それでよろしゅうござんすが、しからば、森島が何がゆえにそんなに激怒したのであるか、辞表まで出したのであるかという、そこが疑問として残ります。そこで、その点、私ども割り切れない点が残っております。むろん大臣立場もいろいろありましょうから、ただ遺憾の意を表するだけであります。  次にお尋ねいたしますことは、森島検事戒告せられております。その戒告理由新聞の報道するところであって、今大臣はここで明言をされておりませんが、この森島検事戒告なさいました理由はどういうところにありますか。
  19. 牧野良三

    牧野国務大臣 やはり、猪俣さん、あんたのおっしゃる通りに、検事としてちょっと行き過ぎがあった、そこが大事なところだと思います。そういう心持があると、不法なことをしたり、人権じゅりんをしたりいたします。本人もただいま非常に恐縮の意を表しておられるようでございます。どうか御追及下さらぬで、この点はどうか私にすべての責任を帰して、お許しいただきたい。ことに、京都検事正がみずから京都の地を去って他に転勤をする、これは処罰ということではないが、全部の責任を負いたいと言われる上司熊沢検事正ほんとう心持も察していただきたい。そうして、どうか委員の皆さん、この程度でこの事件お許し下されんことを、ひたすら私はお願い申し上げます。
  20. 猪俣浩三

    猪俣委員 今の大臣説明で了解いたしました。やはり森島検事自身が取調べ行き過ぎがあった。そこで戒告になったというなら了解できます。ただ、新聞の報ずるところによると、公務員として内部の機密を漏らしたということで戒告するのだということになりますと、私ども遺憾だと思います。森島検事真相発表したから、この上司の問題が起ってきた。そしてここに検察陣の反省を促す当委員会活動が出てきたのであります。これがそうじやないと、いつまでたっても検察陣の刷新ができません。その人権じゅうりんをややもすれば自分の権力にまかせてやろうとするような態度に対しまして、頂門の一針としてここに警告を発するということが事実行われないことになりまして、将来またこういうことがたびたび再発することになったかもしれぬ。ただ、この森島検事が一切の真相を暴露しましたために、検察関係の方々は御迷惑であったかしれませんが、法務行政検察行政全般から見るとこれはプラスである。どうも、今まで役所関係はくさいものにふたをするようなことで、公務員秘密保持ということを、自分たち内部のくさいものを他に出さぬ方向にばかり利用いたしまして、そして国家全体から見るとプラスにならぬ方面にこの公務員秘密厳守を利用しておる、そういうふうに私どもには思われる。そこで、その意味森島検事戒告したとするならば異論があったのでありますが、今あなたの御説明で、そうじゃない、事実森島検事自身行き過ぎ調べをしておると言われております。その意味戒告したというなら了解できるのであります。どうも割り切れざるものがまだ残りますけれども法務大臣が真心からの御説明でありますので、私どもこれ以上申し上げません。  どうぞ、一般の検察行政に携わる者たちに、再びかような不明朗な、世の指弾を受けるようなことを引き起さぬように、十二分なる御指導、御監督をお願いいたしまして、私は質問を終ります。
  21. 高橋禎一

    高橋委員長 他に御質疑がないようでございますから、私からこの機会に御報告を申し上げておきます。先ほど法務大臣の御発言中にもありましたが、昨日当委員会及び本会議散会後に、先ほど法務大臣から発表されましたと同じような趣旨の処分をした、こういうことの御連絡がございました。このことを御報告申し上げておきます。     —————————————
  22. 高橋禎一

    高橋委員長 この際閉会審査の件についてお諮りいたします。  当委員会といたしましては、一、裁判所司法行政に関する件、二、法務行政及び検察行政に関する件、三、国内治安及び人権擁護に関する件、四、上訴制度最高裁判所機構改革を含む)に関する件、五、外国人の出入国に関する件、六、交通輸送犯罪に関する件、七、売春防止法の施行に関する件、八、戦犯服役者に関する件、以上八件について閉会中も委員会調査の必要があると存じますので、その活動の円滑を期するため、閉会審査申入書議長に提出いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  23. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なしと認め、そのように決します。  なお、ただいま議長に申し入れることに決しました閉会審査事項が本委員会に付許されましたならば、その審査のため閉会審査小委員会を設置いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  24. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  なお、小委員の数、その小委員及び小委員長の人選につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  なお、閉会中の小委員の辞任及び選任並びに小委員会の参考人の招致等については委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  26. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議がなければ、さよう決定いたします。     —————————————
  27. 高橋禎一

    高橋委員長 次に、委員派遣承認申請の件についてお諮りいたします。  ただいまの閉会審査事項が当委員会に付託になりました後、調査の必要上現地に委員を派遣しその実情を調査する必要を生じました場合には、その承認申請に関しましてはすべて委員長に御一任願っておきたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  28. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なしと認め、さよう決します。     —————————————
  29. 高橋禎一

    高橋委員長 次に、法務行政及び人権擁護関係事件中、立正変成会問題について調査を進めます。  本日御出席の参考人は、獣医岡庭徳次郎君、警部補菅井久右工門君、立正交成会理事長長沼基之君、東京大学教授小口偉一君、評論家大宅壮一君でありますが、長沼妙佼君は診断書を添えて出頭できない旨連絡がありましたので、御了承願います。なお、庭野日敬君を参考人に追加決定いたします。  この際委員会を代表いたしまして参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中にもかかわらず当委員会に御出席下さいまして、まことにありがとうございました。何とぞ本問題の関係者として率直に実情をお述べ願います。  なお、参考人の方々に念のために申し上げますが、参考人より委員への質問は衆議院規則によりできないことになっておりますし、また、御発言の際にはその都度委員長の許可を得ることになっておりますので、さよう御承知願います。参考人の方々には最初の発言の際に姓名、職業、住所をお述べ願います。  それでは質疑を許します。猪俣浩三君。
  30. 猪俣浩三

    猪俣委員 岡庭徳次郎さんからお尋ねいたしたいと思います。
  31. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 東京都板橋区板橋四丁目千四百八十五でございます。岡庭徳次郎。獣医師でございます。
  32. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと皆さんにお願いしますが、もし御病気等の関係がなくてお立ち願えれば、発言していらっしゃる方がはっきりいたしますから、立って御発言願いたいと思います。
  33. 猪俣浩三

    猪俣委員 岡庭さんは立正交成会に入会したことがあるか、あったとすれば何年ごろまで入会しておったか、それをお尋ねいたします。
  34. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 私は昭和二十六年一月入会したと思います。そして約一年半信者としてお世話になりました。
  35. 猪俣浩三

    猪俣委員 昭和二十六年一月入会して、一年半ぐらい信者として活動しておった。それは現在おやめになっておるが、そのおやめになった理由はどういうところにあるか。
  36. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 私は現在は退会しております。別に退会届は出さなかったんですが、自然退会ということになりますか、どうしても交成会の宗旨に自分の意思が反するので、私はやめました。
  37. 猪俣浩三

    猪俣委員 やめる理由について、いま少しく具体的にお話しを願いたいと思います。
  38. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 やめる理由といたしましては、初め入会いたしますときの状況とはなはだしく状況が違うために、非常に私は戦々きょうきょうとするような、要するに自信力を失いまして、非常に生活に不安を感じてしまったのでございます。そうして、変成会の教えは、私といたしますれば、向うの教えをほんとうに正しく信奉をしたつもりでありますが、前に出れば、引っ込みなさい、うしろにいれば、前に出なさい、手をあげれば、下げなさい、下げれば、上げなさいということで、どうしていいか私にはとうてい判断ができないのであります。それで、私は、こういう教えはとうてい私にはやることはできないというのでやめました。
  39. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは獣医をやられておったそうでありますが、信仰なさっている時分は、あなたの生活はどういう調子でありましたか。
  40. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 入信いたしますときには、毎月会費は十円でございます。そうして、その十円の会費以外は何もいらない、ともかくありがたい教えだから入りなさい、こういうようなわけで私はお得意様のお導きによって入信したのでございますが、入ってみますと、それとは全く異なりまして、やることは一から十まで、因縁が悪いから妙佼先生に身の布施、物の布施を最大限の誠意をもってやりなさい、こういうようなことで私はやってきたのでありますが、やればやるほど家庭の状況はますます窮乏いたします。それがために、私はどうにもならない。のみならず、生活は困難になる。毎日お参りには来なさい、お布施はしなさい、——私の顔を見ると、ここにおいでになります幹部の人たちは、因縁が悪い、お前は欲が深いとか、お前は獣医であるから、犬や猫を扱っているために、心根性まで犬畜生であるというようなことを言われて、ずいぶん恥かしい思いをしたのであります。それで、こちらも、この宗教というものに対してほんとうによくわからなかったのでありますが、だんだん冷静に考えてみますと、変成会のやり方は、一から十まで、仏様の教えに名をかりまして、そうして搾取するのが目的であるということを悟ったのであります。それがために、どうにもならないというので、敢然と立って私はやめました。
  41. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、入会するときには、十円納めればいいというので入ったが、入ってみると、いろいろな幹部と称せられるような者が、真心尽してみな捧げてしまえというようなことを言われて、それをしぶると、お前は獣医であって、犬や畜生ばかり取り扱っているから心までもそうなっておるのだ、そうしてお前は因縁が悪いからもっと上げなければだめだというふうに責められた。そういうふうに聞くのでありますが、あなたは、その一年半入会しておる間は、大体毎日本部とやらいうところへお参りに行ったのですか。
  42. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 私は宗教というものが何ものであるかということがよくわからなかったのですが、私は復員軍人でぬかを食い、ふすまを食いして、復員後開業獣医師としてやっておる関係上、非常に財政も貧困しております。妙佼先生の教えを守れば非常に豊かにもなると幹部のおっしゃいます通り、確かに私は欲が深かったのであります。それは毎日御飯を食べなければなりませんので、どうしてもその御飯を食べる欲が深い。その深いという欲を捨てることができないために、私は幹部の言うことに引きずられまして一年半行ったわけであります。
  43. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、あなたは一年半毎日お参りに行ったのですか。その結果あなたの家業はどうなったのですか。
  44. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 私は、一年半の初めのうちは、幹部の話に聞きますと、妙佼先生という人は生き神様である、虚空蔵菩薩様である、この世の中の一切、生活するところの物資、衣食住に関するもは、全部妙佼先生がお恵み下さるものである、国王であろうと大臣であろうと、一般衆生に虚空蔵菩薩すなわち妙佼先生がお恵み下さるのであるというようなことを聞かされまして、そんなばかなことがあるかと思ったのでありますが、やはり毎日来なさい——生活もやはり豊かではない。もともと復員の軍人ではだか一貫でありますから、いろいろ教えを受ければいいのだというので、毎日行っておったわけであります。そのうちに、だんだん交成会の幹部のおっしゃることは妙佼先生のおっしゃることだというような教えに従いまして、今考えてみると全くその魔術にひっかかりまして、もうどうにもこうにも、にっちもさっちもいかなくなってしまったのであります。そうして、私も一生懸命やりまして、大体月のうちに十日くらいは行ったと思います。
  45. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは交成会へ行っていろいろの教えを聞いたはずですが、交成会では御命日というものがあって、五日と十五日と二十八日これを御命日と言っている。そうして、その御命日という日にはどういうことをするのですか、あなたが経験したことをおっしゃて下さい。
  46. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 御命日というのは、今はどうか知りませんが、私の行っているときには、毎月五日は虚空蔵菩薩の御命日、これは妙佼先生の御命日ということになっております。十五日は本部の命日、釈迦牟尼仏の命日ということになっております。二十八日は会長日敬の御命日、八幡大菩薩の御命日、こういうことになっております。そうして、そのほかに支部長の御命日があります。その次に導きの親に関係あるところの幹部の御命日がございます。そうして、普通の会員というは、本部の方には五日と十五日と二十八日、そのほか、支部長の御命日と、導きに関係あるところの親の御命日というのを入れて、五日間ございますが、その日にはお布施というものをお祝い袋に入れまして、そうして、これは強制はしないのでありますが、やはりこれに支部名と自分の名前の岡庭徳次郎と書きまして、本部前にあるところの三宝にうやうやしく献ずるのであります。これは、初め申し上げます通り、この宇宙のすべての物資は、日々われわれが生活しておるところのこのお恵みは、妙佼先生の限りない御慈悲によるところのお恵みである、であるから、お布施というのは、一カ月かりに一万円収入があるとするならば、その百分の一なり千分の一なり上げたのではだめなんだ、最大限、誠意をもって上げなければ、妙佼先生あるいは虚空蔵菩薩様はお受け取りにならないんだ、こういうような仕組みになっているものですから、この五日の御命日は、とにかくお布施を持って御参拝を強要されることになっております。
  47. 猪俣浩三

    猪俣委員 この五日の日は虚空蔵菩薩の日であるが、これを長沼家の御命日として、長沼家の祖先を祭る、こういう説明を聞いたことはありませんか。一体、教祖の妙佼というのは虚空蔵菩薩の御化身である、そこで虚空蔵菩薩の命日が長沼妙佼家の命日になるんだ、それから庭野日敬は八幡大菩薩の生まれかわりである、そこで二十八日は八幡大菩薩の御命日であるとともに庭野家の御命日なんだ、こういう説明をされた人がありますが、あなたはそれを聞いたことがありますか。
  48. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 今お話のありました通り、私も、入信の当時は御命日という意味すらわからなかったのでありますが、その点、非常に疑惑を持ったのであります。もともと、長沼家の御先祖だか、あるいは虚空蔵菩薩の御命日だか何だか知らないけれども、とにかく御命日であるということで、そうして長沼家の先祖をわれわれがお布施を持ってお参りするというのは、非常に疑惑を持ったのでありますが、事実、五日と十五日と二十八日にはお布施を持っていって参拝を強要されたのでございます。
  49. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたが一年半ばかり通っているうちに、自分の家業がすたれてしまって、非常に困窮してきたので、こんな仏に仕えておっても生きることができないというのでやめたというのですが、やめて行かなくなってから、何か導き親とか支部長その他交成会の幹部の連中があなたに対して脅迫とか圧迫とかあるいはののしりとか、そんな行動をとられたことがありますか。
  50. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 私は別に退会届は出さなかったのでございますが、やめる年の九月十二日は、江の島の日蓮御上人が法難にあった寺に参拝するということを私は交成会に申し込んだのでございます。交成会に申し込みましたけれども、これは実は日蓮御上人に申し込んだのでございます。そして、それの参拝を済ませて、その翌日から養成会にいくことをやめたのであります。そうして自来行かなかったのですが、幹部の方が何回か参りました。約一年ほど過ぎましたときに、夜幹部の方が参りましたが、その当時は、内容も変りまして、前に副支部長であられた方は支部長になり、そのときに一緒においでになった男の方は、会計をつかさどっておったのですが、そのときは何をしておったか知りませんが、その二人で来まして、そうして、非常に仏様が心配している、どうして岡庭さんは出てこないんだ、あれほど仏様に心配させて申しわけないと思わないか、こういうことをその幹部の方が言われたのでございます。仏様と言いますが、私の仏様という観念は釈尊以外にないのです、仏様というのはどなたですかと言ったところが、それは妙佼先生だ、——妙佼先生は何だ、あの顔は何だときめつけたのでございます。そうしたところが、とんでもないことを言う、あなたは妙佼先生の悪口を言うんですか、そういうことを言うと、とんでもないばちが当る、商売はあしたからばったりなくなる、あなたは必ず災難にあって死ぬ、気をつけなさい、明日までには口が曲る、だから口をすすいで妙佼先生によく謝罪しなさい、こういうことを言われたのでございます。私はやめることを決意したのでありますから、そういうようなことは、交成会に私は一年ばかりいて、もう日常茶飯事のごとく聞いていることでございますから、どういうことがあろうと、私は二度は死なない、どんなにかわいい子供が死のうと家長の責任なんだという決心がございますから815C。そうして、そのとき幹部さんいわく、こういう魔の家にいては大へんだから帰りましょうと言って、男の人を促して帰ったわけでございます。私は、交成会の幹部め方あるいは交成会そのものに恨みもなければ、また何も言い争ってけんかしたわけでもございません。久しぶりで来たのでございますから、まあ上ってお茶でも飲んで下さいという気でおったのでございますが、そういうように、口が曲るとか、申しわけがないからあやまりなさいとか、魔の家だから帰りましょうと言って、そこそこに帰るものでありますから、仕方ないから、それじゃお帰りなさいということで、帰られたわけです。私は決心をもってやめたのでございますが、気の弱い者は、それだけの決心がなかなかできないために、発狂あるいは自殺、夫婦離別、一家離散というようなことが、新聞にあるように、できるのではないか、よけいなことでございますが、私はそう察するのでございます。
  51. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたのところへ来て、あなたを脅迫したその人たちの名前を御存じですか、また、住所はおわかりですか。
  52. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 別に住所はどこであるか私は知りません。名前もよくわかりません。もう過去のことであって、何のだれがしということは記憶にございませんが、ただ、今歴然と交成会の幹部として指導的地位にある方と私は思います。
  53. 猪俣浩三

    猪俣委員 仏様というのは妙佼のことだ、妙佼の悪口を言うた、だから、あした口が曲るから、よく口をすすいでおわびをしろ、お前のところは商売はなくなるぞ、お前は死ぬんだ、こう言った。そこで、あなたは死ななかったことは、そこにいるから、はっきりしている。口が曲ったか曲らないか、商売はその後非常に衰微したか、どうなんです。
  54. 岡庭徳次郎

    ○岡庭参考人 もともと交成会の事業というものは、私は退会してつくづくそう思うのでございますが、仏様の名をかりるところの搾取以外の何ものでもない。それがためには、私が交成会に入ったのは昭和二十六年四月でございますが、自乗何年もたたない間にあれほどりっぱな建物を持ち、聞くところによれば、乗用車を二十何台も持っているそうでございます。そうして、妙佼先生というお方は、とにかく私不思議に思うのは、人の顔を見れば、因縁が深いとか、因果が悪いからと言われる。お布施も少しぐらい上げたのでは仏様はお受け取りにならない、最大限の誠意をもって上げなさいとか、かわいい子が死ぬとか、家が焼けるとか、いろいろ脅迫される。それから、人の前で袋にちゃんと名前を書いて上げるのでありますから、岡庭のお布施だろうということがわかっておるのですから、岡庭にはどのくらいの財産がある、——もちろん私は復員軍人ですから財産はなかったのでございますが、ともかく、そういうように、所属ははっきりしております。ですから、新聞で見ます通り、入会するときに幹部が来て、家の中の弱点はよくわかっておりますから、この者はどのくらい仏様に上げることができるだろうかということがわかっておるはずでございます。それにいろいろ脅迫と人権じゅうりんというようなものを加味しまして、そうして、私も、一年半、欲が深いために、何とか妙佼先生の教えに従って幸福になりたいという切ない考えのために引きずられてきて、ほんとうに私はやめてよかったと思っております。やめての後は、おかげさまで、どうやら生活ができるようになったのでございます。全く人間として解放されたような気が私はいたします。
  55. 猪俣浩三

    猪俣委員 次に菅井久右衛門さんにお尋ねしたいと思います。
  56. 高橋禎一

    高橋委員長 菅井参考人、先ほど申し上げましたように、姓名、住所、職業をまずお述べ下さいまして、委員からの質問にお答え願います。
  57. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 住所、杉並区阿佐ヶ谷六ノ二〇四。勤務先、警視庁武蔵野警察署。警視庁警部補菅井久右衛門であります。
  58. 猪俣浩三

    猪俣委員 菅井さんは元杉並警察署にお勤めになったことがありますか。それはいつごろでございますか。
  59. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 杉並署に勤務しておったのは、昭和二十三年十一月より昭和三十年一月まで勤務しておりました。
  60. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたが杉並警察署に勤務なさっておりました際の、あなたのお取扱いになりました事件があるのであります。それは、昭和二十九年三月か四月ごろのことでありますが、この立正交成会の幹部あるいは信者がこれは、立正交成会は宗教法人でありますから、みずからそういう経営はできないので、別組織にしておるのでありますが、大和ムシブロというものを経営しているのでありますが、この大和ムシブロが公衆浴場法に違反している行為をやったということで、あなたがお取調べになったことがございませんか。あったら、その取調べの模様についてお話しいただきたいと思います。
  61. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 ただいまの御質問は、ちょっと私もわかりかねますが、公衆浴場営業法に違反している事実について自分が扱ったことがないかということのように聞き取れますが……。
  62. 猪俣浩三

    猪俣委員 それじゃ、言葉をかえて申します。立正交成会の大和ムシブロ管理責任者であったマッサージ業の浅井茂樹及びその従業員北野美恵子、なお、接待係上野春江、なお、従業員船橋和子、こういう者をお調べになったことはありませんか。
  63. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 その事件ならば取り調べたことがございます。
  64. 猪俣浩三

    猪俣委員 しからば、その事件はどういう内容事件で、それをどういうふうに処理なされたか、御説明願いたい。
  65. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 この取調べというのは、大和ムシブロ内で起きた変死事件の取扱いで調べたことでございます。日時は昭和二十九年三月六日でございます。蒸しぶろ内で入浴客が変死した。それで、先ほどお名前のありました浅井茂樹、北野美恵子、上野春江、船橋和子、この四名を一応過失傷害致死罪として一件書類を検察庁に送っております。
  66. 猪俣浩三

    猪俣委員 その模様について、もうちょっと詳しくお話しいただけませんか。どういう人間がどういうふうな状態で死んだのであるかどうか、そうして、過失致死罪として検挙なされた以上は、そういうものに相当するような行為があったという一応の嫌疑をかけられたと思いますが、そういう模様について詳しくお話しをいただきたいと思います。
  67. 菅井久右工門

    ○菅井参考人 当時、自分が捜査主任をしておりました時分で、この事件は最初中野で取り扱った事件でございます。同日、三月六日の午後四時ごろ、中野警察の方からこの事件自分が引き継ぎました。蒸しぶろ内でなくなった入浴客というのは、豊島区池袋三丁目千五百七十一番地、無職、清水とみ、当時七十才、これが当時なくなった方の氏名です。それで、引き継ぎ場所は立正交成会の病院の診察室ですが、そこで中野署員から引き継ぎを受けたのでございます。当時、清水とみは、なくなった方ですが、この人のからだを見ましたときに、もちろんこの人は入浴客でございますから一糸もまとっておりません。裸でございます。裸で、全身に非常に強い熱傷あとがあります。一部は水泡、一部は、茶褐色といいますか赤黄色といいますか、そういう点がありまして、全身に点々とした熱傷あとがありました。これは、当時、ここにあげました四人の関係者その他の者を調べたところでわかったのですが、この清水とめというのがその蒸しぶろに入浴に来たお客さんでございますが、これが蒸しぶろの中に入って入浴したわけです。その後、接待係の三名の女子、これがふたをあけてみたときに、すでにこときれていた。それで、全身にひどい熱傷のあとがあった。それで、さっそく、これは大へんだというわけで、そこの蒸しぶろの関係者が、自動車で一応急遽交成会の病院に運び込んだわけでございます。運び込んだので、病院から中野署に通報があり、中野署からこちらに通報があって、こちらがその当時受けたという状態でありますが、過失として送った理由とするのは、全身に熱傷あとがあった。これが非常に重い熱傷あとでございまして、専門の医者の診断では、第二度という熱傷の診断でございます。御承知の通り、蒸しぶろは、蒸気ぶろでございまして、時間がたてば相当蒸気の温度が高度に上る。最初入浴するときは、大体は人体に適合する温度で入浴せしめるのですが、長時間これを放置すると相当温度が上る。それが早期発見に至らずして相当時間放置してあった。それで清水さんの人体に対して第二度の熱傷を負わせた。そこに過失があったのじゃないか、もっと早く発見すれば、ある程度の熱傷を未然に防止できたのじゃないかという点に過失ありと認めて、過失傷害致死として私が送りました。以上です。
  68. 猪俣浩三

    猪俣委員 次に長沼基之君にお尋ねしたい。
  69. 高橋禎一

    高橋委員長 長沼参考人、住所、氏名、職業をお述べ下さいまして、それから委員の質問にお答え願います。
  70. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 東京都杉並区和田本町二十七番地、長沼基乏、立正交成会理事長
  71. 猪俣浩三

    猪俣委員 長沼さんは立正交成会理事長をやっておられ、立正交成会を今専門にやっていられると思いますが、この立正交成会の専門になる前は、どういう商売をやっておられましたか。
  72. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 昭和十一年、十四才のときに東京に出て参りまして、現在の副会長長沼妙佼のうちの店員として参りました。その店は、夏は氷、——店で扱うのと、それから卸氷ですね。魚屋さんとか、飲食店に配達をする氷屋で、冬は店では焼きイモをやっておる。それから、付近の焼きイモ店に卸すサツマイモの問屋をやっておりました。そこで昭和十六年ころまでずっとやっておりました。その後に、戦争が始まってから、企業整備になりまして店をしまいまして、企業組合というものを結成をしました関係上、サツマイモの方は食糧統制でやめになってしまって、氷の方はその組合でやることになりまして、その組合の方に昭和十八年まで勤めておりました。その後、昭和十八年に、当時徴用令というのがありまして、徴用で中島飛行機の多摩製作所に勤務いたしました。そこに約一年勤務をいたしまして、それから徴兵検査で軍隊に参りまして、北支の方に派遣されておりました。その後に昭和二十一年の春ごろに復員して参りまして、また長沼妙佼の家に戻って参りました。その後ずっと、交成会もだんだん大きくなっておりまして、交成会の事務のお手伝い、あるいは雑役のお手伝いというふうなことで現在に至っております。
  73. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたと教祖といわれる長沼妙佼とはどういう血縁関係であって、現在あなたと戸籍上の関係はどういう関係になっておりますか。
  74. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 長沼妙佼とは、おば、おいの間になっております。現在の戸籍上は全然別個になっております。
  75. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは長沼妙佼の養子ということじゃないわけかね。
  76. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 養子にはなっておりません。
  77. 猪俣浩三

    猪俣委員 交成会理事で、先般この法務委員会へ出てきた長沼広志というのと、あなたはどういう関係ですか。
  78. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 弟になっております。
  79. 猪俣浩三

    猪俣委員 立正交成会では近く大聖堂なるものを建てる計画がある、銭高組に五億円の予算で請け負わしたという情報がありますが、あなたは、理事長として、そういう計画があるのか、あるとすれば、どういう計画なのであるか、それが今どの程度進捗しておるのであるか、それをご説明願いたいと思います。
  80. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 立正交成会では年年会員が増加しておりまして、現在本部の施設も修養道場が第一道場、第二道場、第三道場というふうにございます。それから、地方にも各地に修養道場がございまして、そこに信者は集まっておるわけでありますが、現在の本部施設だけでは信者をとうてい収容でききれないというのが現状であります。そこで、五、六年前より、会の役員の有志によりまして、立正交成会においては三万名くらい入れるような大聖堂を作りたい、しかし現在は予算の関係でできない、これを二十周年記念くらいまでに何とか実現したいというような声がありまして、たまたま明年が会の創立二十周年記念になりますので、この大聖堂を作るべく前々より資金を準備いたしておきまして、本年一月ごろからこの工事に着工してはどうかというような理事会の決議を得まして、とりあえず大聖堂を作る前に土地の選定ということになりまして、ちょっと番地を忘れましたが、現在の和田本町に場所を選定したわけでございます。設計については、綜合建築研究所の所長さんの坂本先生という方が、会の円形校舎を作るときに設計をなさいまして、日本の円形建築については最高の権威者だということも伺っておりますし、また、会の円形校舎を作った経験を生かしまして、まるい建物ですと経費も安く上る、宗教団体の施設であるからぜいたくなものは必要ない、大勢の人が一カ所に集まれるような施設ということで、円形建物を建てることに決定したわけでございます。そこで、とりあえず、その地所を、非常に高台になっておりますが、建築制限などの関係で、上に高くするということは都内のようにはできないのでございまして、その土地を、土を取りまして、正面から見た場合には地上六階、地下一階というふうになるのですが、うしろから見た場合には地上四階、地下三階となるように建てようということに決定したわけでございます。そこで、とりあえず、今までの会の施設の請負をしていただき、非常に誠意をもってやっていただいたということから、銭高組に請負をさせようということになりまして、とりあえずその土取り工事だけをお願いしたというふうな状態になっております。本部の大聖堂の建築も、ただいま伺いますと、五億円で請け負わしたかということをちょっと聞きましたが、まだそういう事実はございませんでした。ただ計画だけは立っております。それから、土取りの工事の請負だけはやりまして、現在八分通り土を取っておるような状態でございます。
  81. 猪俣浩三

    猪俣委員 そういうものを建てるには予算というものがなければならぬが、一体幾らの予算なんです。幾らの予算の建物なんです。
  82. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 土取りの整地工事が一千七百万円かかります。建築についてはまだこまかい予算を立っておりません。一応会の教団予算の方には組み入れてございます。
  83. 猪俣浩三

    猪俣委員 だから、その教団予算に組み入れてあるのが幾らぐらいになっておるのだ。
  84. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 建築予算は、昭和三十一年度の予算は一億五千万円組んでございます。
  85. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは全額かね。それは昭和三十一年度。二年度はどうなる。全額が一億五千万の建物なのかどうなんだ。
  86. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 一応建設費としては一億五千万円組んでございます。この建物は、最初の目的は二十周年記念に建てるということでございましたが、現在の状態ではとうてい一年間でそれを完成するということができないので、一応建設費にはそれだけの一億五千万円を組み入れまして、その範囲内で少しずつやっていく予定でございます。
  87. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、お尋ねしたいのですが、とにかく、一億にしろ二億にしろ、そういう建物を建てる。一体その金はどこから、どういう方法で隻まるのです。
  88. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 会の収入といたしましては、会費の入金、それから寄付金、喜捨金、そのほか雑収入、それから、会で扱っております布教物品の利益金をこの建設資金に充てておるわけでございます。
  89. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、あなたは理事長というのだから、普通の会社の専務取締役みたいなものだ。この交成会というのは大体企業会社みたいなものだが、そうすると、ますますあなたは専務なんだ。そこで、あなたの手元で予算なんかも組んでおるのだろうが、一体会費というものは一年にどのくらい入るのです。寄付金というのは一年にどのくらい入るのです。寄付金と喜捨とどう違うのです。喜捨がどのくらい入るのです。それから、利益金というのは、何と何とどんなものを売った利益金が出るのです。あなたは専務取締役で予算編成の中心人物だと思うのだが、こういうことに対して、やはり宗教法人として事を明らかにする必要がある。そういう状態はどうです。
  90. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 ただいま喜捨金と寄付金の内訳はどうかという御質問のようでございますが、もちろん、会費は、先ほど岡庭参考人の説明された通り、一カ月一世帯十円でございます。それから、寄付金というのは、本人の自由意思によりまして、これを建設費なり教団の運営資金に使っていただきたいと教団の方に納めて、本部の方から領収書を差し上げましたものが教団の寄付金となっております。それから、喜捨金と申しますのは、領収書は差し上げませんで、本人の任意で御宝前の喜捨箱にお供えするものが喜捨金でございます。神社あるいはお寺で言うおさい銭のようなものでございます。それから、そのほかに布教物品、これは、教典、霊鑑、これはお寺にある過去帳と同じようなものでございます。それから、じゅず、おたすき、一部経、会員記章、線香、ろうそく、そういうものが布教物品となっております。その物品の値段につきましては、教典が五十円、霊鑑、過去帳、これが五十円、じゅずは大と小とありまして、大きいものが百八十円、小が百三十円、おたすきが八十円、一部経、これは法華経と言っておりますが、これが特別製で二百円ということになっております。それから、線香二十円、会員記章二十円、ろうそく十五円、以上になっております。
  91. 猪俣浩三

    猪俣委員 その利益金の一年の収入は大体総額どのくらいになります。
  92. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 ただいまの布教物品の収入の総額を申し上げますと、昭和二十九年四月から三十年三月までの分、これが一億四百三万九千四百二十円ということになっております。このうちの利益金が二千五百三十万九千七百六十二円、以上となっております。必要でありましたら、昭和二十五年度から御説明申し上げてもけっこうでございます。
  93. 猪俣浩三

    猪俣委員 こういう宗教法人の収支というものは、どこかへ届けることになっておるかどうか。
  94. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 これは税務署の方には届けてございます。それから文部省の方にもこの届出は出してございます。
  95. 猪俣浩三

    猪俣委員 立正交成会は、税務署から、昭和何十年度の査定かわからぬが、税金が査定せられたに対して、異議の申し立てをした、ところが、その異議の申し立てを最近また取り下げた、こういうことを聞いているが、そのいきさつについて説明して下さい。
  96. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 異議の申し立てば取り下げてございません。  それから、税金につきましては、昭和二十五年から現在まで全部完納してございます。これは、当時、昭和二十五年ごろは、地区の税務署で取り扱っておったのでございますが、杉並の税務署の方には年々資料を出しております。しかし、宗教団体で扱う収益事業に対しまして、布教物品であるものに税金をかけるのは不当ではないかというふうなことは言っておきましたが、国税庁なり国税局あるいは税務署で決定をいたしますれば、当然税金は納めますということを申し出ておりました。税務署の方からは年々調査に参っておったわけでございますが、しかし、税務署自体としては、宗教団体の布教物品に税金をかけるべきか、かけなくてもいいのかということが決定しなかったわけでございます。そこで、杉並税務署といたしましては、税務署だけで決定ができないというので、国税局の方に年々お伺いを立てておったわけでございます。しかし、立正交成会が一つのモデル・ケースとなって、これが全宗教界に及ぼす影響は大きいというふうなことだろうと思うのですが、国税局としても年々決定をしかねてきたわけでございます。たまたま、昭和二十九年に宗教団体でこういうものを扱っておるものには税金をかけるということが、国税局の会議で決定をしたということを伺っております。そこで、今度は国税局の方に移管になりまして、国税局の係の方が会の方に調査に参りまして、交成会の税金は、今度局の方の会議にかけた結果かけることに決定をいたしました、そこで、昭和二十五年からさかのぼってちょうだいをすることになりましたということで、昭和二十九年の何月ですか、ちょっと日にちを忘れましたが、昭和二十九年に決定をいたしまして、かかってきたわけでございます。そこで、立正交成会は、国税庁長官の通達にあります例をとりまして、宗教法人のこういうものに税金をかけるのは不当ではないかということで異議の申し立てを出したわけでございます。もちろん、宗教団体には、新興宗教も既成宗教も、税をかけるということになりましたならば、これは平等にかけるのではないかと思います。そこで、既成宗教であるから税金をかけない、新興宗教であるから……
  97. 猪俣浩三

    猪俣委員 よしわかった、それはよろしい。説明さえ聞けばいい。  それから、昭和三十年度というか、この収入の実高、会費が幾らくらい入って、寄附金が幾らくらい入って、喜捨が幾らくらい入って、雑収入が幾らくらいあったか、それを数字だけざっといって下さい。
  98. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 昭和二十九年の四月一日から三十年三月三十一日までの入金のものを申し上げます。会費入金二千九百三十五万七千四百二十円、喜捨金二億一千五百九万三千七百六十九円、寄付金五千五百四十五万百二十二円、雑収入百十七万六千七百五十四円、団体参拝収入金二千六百三十万三千三百四十円、布教物品一億四百三万九千四百二十円、育児園百八十九万三百九十三円、病院三千五百七十一万七千六百九十七円、霊園四百七十二万四千二十円、以上でございます。
  99. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、受け取りも出さぬところの、全然任意に箱の中に入れるという喜捨が一番多い。これは二億何ぼになっておる。受け取りをちゃんと出す寄附金というものは、五千五百万円、しかし喜捨というのは二億円からになっておる。これは受け取りも何も出さない。まことに証拠も何もない。それはあるいは三億くらいあるのか四億くらいあるのか、わけがわからぬことになる。どうも妙な会計だと思うが、それはそれで承わっておきます。  そこで、立正交成会では、相当信仰の進んだ人におまんだらというものを渡すそうだが、そのおまんだらをもらうときには相当の金が要るということを聞いておる。このおまんだらの収入はこの中の一体どこに入っておるか。
  100. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 それは喜捨の中に入っております。
  101. 猪俣浩三

    猪俣委員 そのおまんだらの金というのは、教祖のところへすっと行く金だと聞いておるが、そんなことはないのですか。
  102. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 そういう事実はございません。
  103. 猪俣浩三

    猪俣委員 喜捨の中なんていうものは、受け取りを出さぬのだから、わけがわからぬ。わけのわからぬ喜捨の中へ入れておけば、諸君は便利だろうと思う。それはそれでよろしい。  それから、立正交成会は、新宗教協会か、いわゆる新宗教新聞というものを出しておる協会に加盟していますかどうか。
  104. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 加盟しております。
  105. 猪俣浩三

    猪俣委員 この新宗教協会とか何とかいう団体は、一体は幾つの団体が加盟しておって、そのうちの一等大きいものはどこなんです。
  106. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 昭和二十五年に新興宗教だけの連合会がないために、各有名教団の幹部が集まりまして、日本には宗教連盟というものがあるけれども、新興宗教はその宗教連盟にも加盟する資格がない、——宗教連盟は各連合会を主体として加盟しておるのであります。そこで、新興宗教も、戦後信教が自由になり、宗教活動を現在堂々とやっておるりっぱな団体である。そこで、各宗旨が集まりまして、新興宗教団体の連合会、略称新宗連と言っておりますが、正式の名前は新日本宗教団体連合会と申しております。これに加盟しておる団体は百三十くらいございます。
  107. 猪俣浩三

    猪俣委員 そのうちのおもなるものは四つだと聞いておるのだが、どうなんだ。
  108. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 大きな団体といたしましては、生長の家教団、PL教団、世界メシヤ教教団、清水にあります三五教団、仏所護念会教団、妙智会教団、思親会教団、大体そういうものが大きな教団であります。
  109. 猪俣浩三

    猪俣委員 ほんとうは、PL教団というのと、生長の家、メシヤ教、それから交成会、この四つだ。あとの何とかいうのは、そんなものはみなまるでごみみたいなものだ。そのうちの最も大きなものは交成会なんだ。新興宗教のうちでは、この本にも書いてあるが、交成会が今日本一だ。君のところが大株主に違いない。そこから新宗教新聞というものが発行されていることを知っていますか。
  110. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 知っております。
  111. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、この新宗教新聞に、今あなたが、建つのか建たぬのか、あてどもないことを言われた大聖堂の堂々たる写真が出ておるのだが、これは交成会から材料を出したのじゃないか。あなた、見て知っているだろう。
  112. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 先ほど交成会を抜かしましたが、もちろん交成会もこの連合会に入っております。(猪俣委員「大へんなことを抜かしている。僕の方はちゃんと調べてあるんだ。」と呼ぶ)大聖堂の写真は、これは、新宗教新聞の方が会の方に参りまして、模型を写真に写していったものでございます。
  113. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、この宗教新聞の中に当法務委員会の記事を書いてある。支離滅裂な猪俣議員、(笑声)こういう記事が書いてある。これは君らが教えたのじゃないのか。
  114. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 これは宗教新聞の方が書いたのでございまして、私の方は関係ございません。
  115. 猪俣浩三

    猪俣委員 金をやらなかったら、こんな記事を新聞は書きはせぬよ。幾ら金を出したのだ。しかも何の意味で遠く新潟県の私の選挙区までこれを郵送しておるのだ。交成会とどういう相談の上にやったのか、それを説明して下さい。
  116. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 最近、どういう因縁でこういうことになったかわかりませんですが、読売新聞で大々的に、交成会の暴露記事といいますか、事実無根のことを堂々と、大新聞ともあろうものが書いております。こういうものに対しまして、報道機関を持たない宗教団体というものは、非常にたたかれ通しで何も発言する機会がないということから、何かしら交成会としてもこちらから事実を発表したいということから、さきに交成会調査いたしました結果の調査報告書というものを発表いたしました。そういたしますると、宗教新聞の方から、私の方で引き受けるから、交成会の言い方を堂々と発表したらどうですかというようなことで、信者も非常に全国的におりますので、一方的に読売新聞の宣伝によってたたかれるということでは、信者を迷わせるということになる。私たち幹部といたしまして非常に責任を感じておる次第でございます。そこへ交成会の言い分を出していただきたいということで新宗教新聞の方が参りましたので、それではというので記事を提供したわけでございます。それで、日本の全国各地にある信者のところ、あるいは信者に特に関係の深い方たちに発送したのではないかと思います。
  117. 猪俣浩三

    猪俣委員 交成会の何にもしないことを読売新聞が書き立てた、君は今そういう意見であるが、読売新聞が何か交成会に恨みを持つようなことが、諸君の交成会と読売新聞の間にあるのか。何にもそういう理由がないのに読売新聞交成会を攻撃するわけはない。何かうそ八百のことを並べ立てて交成会を攻撃しなければならぬような恨みを読売新聞交成会に持っている事実があるのかどうか、あったらそれを言ってもらいたい。
  118. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 どういうわけかということになりますと、最初は交成会と区画整理の問題を読売新聞が取り上げたのでございますが、いかにも交成会が区画整理をやっており、区画整理は交成会の区画整理だというような意味のことを読売新聞が堂々と書いたのでございます。そこで、読売のような大新聞ともあろうものがああいうようなでたらめな記事を書くということと、そのほかにもまだまだ読売が書いておる記事もあるのでございますが、そういうことから、信者の中に不買同盟をやろうというふうなことが出て、信者は相当読売新聞をやめたということも聞いております。しかし、これは本部の方から命令をして、読売新聞はあんなことを書くからとるなと言ったのではなくして、むしろ、会長、副会長も、私たち幹部といたしましても、もちろん読売に恨みもありませんし、そのことによって反省をすればいいのであるから、別に対抗意識はなかったのでございますが、大ぜいの信者が不買同盟を結成した、あるいは結会はしなかったけれども新聞をやめたということは事実でございます。そこで、読売新聞の方では、おそらく一つ交成会をつぶすまでたたくというようなことでやっておるのではないかと思います。
  119. 猪俣浩三

    猪俣委員 不買同盟なんというのは、読売がじゃんじゃん書き出してからの話だ。書き出すまでには、何の理由もないのに、あることないこと捏造して読売新聞に出したのだ、君らの言うことをまっすぐにとるとそうなる。そんなばかな話はないと思う。天下の公器である新聞が、その大切な紙面をさいて、恩も恨みもない交成会を攻撃するというようなことはあり得るはずもない。いわんや、そういう盲信者が多数いる信仰団体であることを読売だって知っている。そうすると、不買同盟だ何だといって必ず出てくるから、新聞社としては相当損害を受けることを覚悟の上でこれをやっているのは、社会正義のためにやっていることとしかわれわれにはとれない。人間でも新聞社でも、何にも恩も恨みもないものに損をして立ち向うというのは、そこに正義観念が働く以外に考えられないのですよ。われわれが立正交成会をやっているのもそうなんだ。私も、立正交成会なんというものは、読売新聞が書いてから、その理事長やら理事が警察に引っぱられたなんという記事を見てから、こんなものがあるのだろうか、——君なんかにすれば、こういう厳然たる大宗教があるのを知らぬなんてうかつな男だと思うかもしらぬが、私は知らなかったのであります。何の恩怨もありません。だれにも頼まれたものでもないのにこうやって追及しておる。あるいは妙佼の祈りによってあすは私は病気になるかもしれぬが、それでもやっておる。それは社会正義のためだ。それに対して、諸君は反省がない。みんなでたらめなことを言うているようなことを言い、私をでたらめな議員だなんて新聞に書き立てて私の選挙区に送っているが、選挙区からこれをみんな送り返してきておる。宗教団体として諸君が使嗾しないのに、この宗教新聞が書く道理はないのだ。さような反省のない行動をとっておる。読売新聞がこの記事を書くには、数百通の投書が来ておる。私のところにも大へんな投書が来ております。ところが、卑怯なことには、日本民族の特性であるのか、いよいよそれをちゃんとこういう委員会へ出て証言してくれと言うと、みんな逃げてしまう。私は、岡庭さんから手紙をもらってこの証言を要請する前に、交成会に対する疑惑、不信、こういう宗教は存在せしめちゃならぬという烈々たる手紙のうちから、この人と思われる、文面から想像される岡庭さん以外の人十人に実は照会をしたが、だれも出ない。たたりがこわいのです。けさも私のところに大へんな資料を電話で言うてきた人がありますが、私が出てくれと言ったけれども、それだけはかんべんしてくれ、何だかこわくてしょうがないと言う。そのために、人権擁護局長に聞いてみても、取調べがなかなか困難だという。これは、暴力団のお礼参りをこわがって、暴力行為が行われていても申告する人が少いために取締りの警察官か実に困難を来たしておるのと同じ状況で、事がなかなかはっきり出てこないのです。それを君らはいいことにして、みな捏造である、みなでたらめである、さようなことを言っておる。そして、妙佼が虚空蔵菩薩の生まれかわりで、生き神様がすべて食べるものからあらゆるものを下さるということを盲信しているやからですから、どんなことを言ったって信じません。だから、君らはそういうふうにお考えになっておるけれども、これは反省しなければならぬと思うのであります。  なお一点だけ聞きますが、立正交成会理事長である君に関してはうわさは聞かない。ところが、君の弟である広志君についてはいろいろのことが伝わっておる。君は兄弟であるが、広志君の素行なんかについて知っておることがあったら、反省の材料として明らかにしたらどうですか。
  120. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 ただいま長沼広志が私の弟であるということを言われましたが、私の兄貴でございます。素行につきましては、私ども、兄弟でありまして、毎日顔を接しておりますが、別に人間として恥じるような行動はとっておりません。前回の法務委員会の中野のナーさんで通っておるとかいうことを猪俣委員からも御質問があったようでありますが、そういうことは私ども一度も聞いたことはございません。これはおそらく個人的な恨みを持つ人か何かの作りごとじゃないかと思っておる次第でございます。
  121. 猪俣浩三

    猪俣委員 実は、宗教法人法そのものの改正に資そうとしてこういう調査をやっておるのですから、個人が過去においてどういうことをやっておるかというようなことをあまりに明らかにするということも本旨じゃないから、私ども証拠を出さぬでおる。しかし、今君が言うようなこととは違った証拠があるのです。私どもは、新宗教新聞のおもな発行者が四宗教団体であることも、君が言わぬでも私の方では調べて知っておるのです。猪俣は荒唐無稽なでたらめなことを言う男だと新聞発表しておるけれども、これがでたらめだというなら、全部ここに証人なり証拠を出して国会で明らかにします。しかし、それは本意じゃないから、私はあまり触れないようにしておる。これ以上は言いませんが、反省すべきところは反省することです。君らの親族に当る妙佼というのをあまり神様視しては困る。神様や仏様なんというのは、もう生きた人間ではないのです。今は天皇陛下でさえ神様じゃないということを自分でおっしゃっておるじゃありませんか。ところが、天皇陛下が神様でなくなったとたんに、有象無象の神様ができてしまった。われこそ釈迦牟尼仏、何の神様、天地万物を支配するのは妙佼だというばかげたことを言うて、天地万物、すべてわれわれの衣食住は妙佼さんが下さるというような教えが正しいかどうか、ちょっと感想を承わりたい。
  122. 長沼基之

    ○長沼(基)参考人 ただいま妙佼先生が神様だとかいうふうな御質問のようですが、会では神様だとか教祖だとかいう言葉は使っておりません。そこで、大ぜいの信者の中には、多少盲信的にほんとうに生き神様だと思って信じておる方もあるかと思いますが、会では決して、妙佼先生も、おれは神様だなどと言ったこともありませんし、私たちもそういう指導はしておりません。支部長全体が仏様の化身だとか、虚空蔵菩薩様の化身だとか、そういうことを言っておる人は一人もないと思います。
  123. 猪俣浩三

    猪俣委員 そんなことないじゃないか。「御命日五日長沼家(虚空蔵菩薩)十五日本部(釈迦牟尼仏)二十八日庭野家(八幡大菩薩)」、菩薩がカッコの中に入っておる。こうやっておるじゃないか。この雑誌にもみんな書いてあるじゃないか。それを君らはうそばかり言うからいかぬ。この前の庭野鹿蔵君の証言でも、全然否認しておる。そういうあらたかな宗教は、うそをついてはいかぬ。  私の質問はこれで終ります。
  124. 高橋禎一

    高橋委員長 午前はこの程度にとどめ、午後二時半より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時三十分休憩      ————◇—————    午後二時五十七分開議
  125. 高橋禎一

    高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  午前中の質疑を続行いたします。  午後の参考人は、立正交成会会長庭野鹿蔵君、東京大学教授小口偉一君及び評論家大宅壮一君の三名でございます。  参考人の方々には御多忙中本委員会のために特に御出店下さいまして、ありがとうございました。忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  それでは質疑に入ります。猪俣浩三君。
  126. 猪俣浩三

    猪俣委員 先刻長沼基之君に聞くのを聞き落したのですが、庭野参考人も御存じだと思いますので聞きますが、長沼基之君の兄さん長沼広志、この人の奥さんはなくなられたということを聞いておりますが、それはどうですか。
  127. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 なくなっておりません。健在でございます。
  128. 猪俣浩三

    猪俣委員 その奥さんは、ずっと最初の結婚当時からの奥さんですか、あるいはまた二度目の奥さんですか。
  129. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 一度目の結婚で、今日なおお子さん三人を持ったりっぱな御夫婦でございます。
  130. 猪俣浩三

    猪俣委員 長沼妙佼——長沼マサ、この婦人を今日呼び出しておいたのですが、来れないということであるが、あなたはそのかわりに来たような形ですけれども、長沼マサの病状を親しくあなたは見ておりますか。どんな病状です。
  131. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 現在は温泉におりますので、私は病状を見ないのでございます。お医者さんの診断によりまして、診断書を提出しております。
  132. 猪俣浩三

    猪俣委員 先般当法務委員会であなたにお尋ねした。それは、毎月五の日を長沼家、二十八日を庭野家の命日として供養を信者にさしておるじゃないかという質問をしたときに、あなたはしからざることを答弁した。ところが、この「立正交成会の概観」及び「交成」という雑誌にも明白に印刷になって、五日長沼家御命日(虚空蔵菩薩)、十五日本部(釈迦牟尼仏)、二十八日庭野家(八幡大菩薩)、午前九時より御供養、午前十時より説法会、こういうふうに書いてある。そうして、午前中出た岡庭証人によれば、まさにこの通り、この御命日には長沼家の供養、庭野家の供養をして、お布施を持っていかなければならぬことになっておる、こういうことを証言しております。この印刷物及び岡庭証人の証言と、あなたの言うこととは違っておるんだが、どっちがほんとうなんです。
  133. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 過日も申し上げました通り、御信仰の方の御経験が猪俣委員おありだということを伺っておりますが、守護神というものの御命日ということは、その印刷物にもありますように、一応私どものような体系の信仰をなすった方であれば、どなたでもわかりやすく、その印刷物によってはっきりとわかるものと私は心得ておるのでございますがいかがでございましょう。
  134. 猪俣浩三

    猪俣委員 いや、あなたに聞いていることは、この前あなたの証言に、長沼家、庭野家の御命日というものがあって供養さしておるじゃないかという質問をしたら、さようなことはありませんとあなたは答弁しているんだ。ところが、印刷物には、ちゃんとある。だから、あるのがいいの悪いのという問題ではない。あなたの当委員会に言うていることがほんとか、どっちがほんとなのかという意味なんだ。この前のときには、長沼家、庭野家の命日なんというものはありません、そんなことを信者に御命日なんと言って供養さしたことはありませんという答弁であった。そのとき私はこの印刷物を手にしておらなかったから、どうも自分の記憶と違うと思ったけれども、あなたにそれを突っ込むことができなかった。ところが、本日この「立正交成会の概観」及び「交成」という雑誌によって見れば、明白にそれが書いてあるから、あなたがこの前当委員会で述べたことはうそじゃないか、やはり長沼家、庭野家の命日というものがあるんじゃないかということをあなたに再度質問しているんです。いや、この印刷物が違っているんなら、それでいいのです。私はいいの悪いのという問題じゃないのです。「交成」という雑誌は毎月出ている雑誌でしょうが、この第一ページにちゃんと書いてある。そうすると、この前あなたが委員会で言ったことが間違っているんじゃないか、記憶違いじゃないかと考えるのですが、どうなんです。
  135. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 過日、長沼家、庭野家の御先祖を拝ましておるんじゃないかというような御質問だと思いまして、それは、御守護尊神の御命日を、全信者が一カ月の間御守護いただくことの感謝の誠をもってお経をあげまして、御命日の行事としてやっておりますが、これは、長沼家、庭野家の先祖を拝むのではなくて、御守護尊神に対して感謝の誠を捧げる行事でございます。
  136. 猪俣浩三

    猪俣委員 おかしいじゃないか。五日長沼家(虚空蔵菩薩)、二十八日庭野家(八幡大菩薩)、カッコはつけたりなんで、もちろん、諸君のお説教から言えば、虚空蔵菩薩の身がわりが長沼家であるし、八幡大菩薩の身がわりが庭野家だというんだから、これは同じかもしれぬが、印刷物は長沼家、庭野家となっておる。そうして、証人の証言によれば、長沼家の供養、庭野家の供養というものをさしておるんだと言うから聞くのです。あなたが言うように、虚空蔵菩薩の命日で一それは、その宗教として、命日供養というようなことはあるでしょう。キリスト教にもいろいろの神様の日があります。供養というような言葉、命日というような言葉は使わぬけれども、キリスト教にもありますから、それがいいの悪いのという意味じゃない。なおまた、庭野家の供養をしたのがいいの悪いのという意味じゃない。大体諸君の教えというものは、先祖を供養するというのが中心なんだが、ただ、あなたがこの前の委員会で言うたことが間違っておる。それであなたに再質問しているんだが、同じことをあなたは言っておる。しからば、あなたが言うような、虚空蔵菩薩の命日のために言うているんなら、庭野家というのは何でつけた、長沼家というのはどういうわけでこんなのをつけているのか、その意味が僕にはわからない。虚空蔵菩薩なり八幡大菩薩の供養だけならば、庭野家だの長沼家というものは印刷する必要はない。しかも虚空蔵菩薩や八幡大菩薩というのがカッコの中に入っていて、庭野家と長沼家というのはカッコの中に入っていない。そうすると、ちょっと見たならば、御命日の中心としては、やはり庭野家、長沼家が中心で、たまたまその日を、虚空蔵菩薩の命日を長沼家の命日とし、そうして八幡大菩薩の命日を庭野家の命日として供養をやっておるんだ。やっていることがいいか悪いかは二の次として、こういう事実があるかないかということをあなたに聞いている。もしあなたのおっしゃる通りだとするならば、この印刷物の説明ができないじゃないか。どういう意味なんです。
  137. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 どうも御理解がむずかしいらしゅうございますが……。
  138. 猪俣浩三

    猪俣委員 ちょっと、そんなむずかしいことを言わぬでいいんだ。本部の御命日というところに、庭野家、長沼家というのは何のために出してあるのか、それをどう説明するのですか。
  139. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 それは、長沼家、庭野家というのは、八幡大菩薩は庭野家の御守護神として勧請したものでありますし、長沼家の御守護神として虚空蔵菩薩を勧請してありますので、そういう形に印刷物がなっておるわけであります。
  140. 猪俣浩三

    猪俣委員 そんなことはおかしい。答弁にならぬ。長沼家として虚空蔵菩薩とカッコの中に入れているじゃないか。だから、長沼家の御守護神として虚空蔵菩薩というものがあって、その虚空蔵菩薩の御命日を五日の日にやるんだ、そういうふうにこの印刷ではだれが解釈しますか。これ以上言うたってしょうがないからやめるが、庭野家、長沼家の供養をさしておるということは、証人がりっぱに言っているじゃないか。そんなことをここで否認する必要はないんだ。あなたは、証人として証言すれば、偽証罪として告発されるところだ。明らかなことじゃないか。もちろん僕も立正交成会の宗義なんというものはよく知らぬ。知らぬけれども、それとこれとは別です。印刷に現われたことから聞いているんだ。何がゆえに庭野家、長沼家というものをこの御命日として入れたかということなんです。さっきの証人によっても明らかじゃないか。これのほかに導きの親や支部長、こういう者の先祖の命日も、みなお布施を持っていかなければならぬということをさっき岡庭証人が証言したばかりです。それとこの印刷物というものは一致しておるじゃないか。それであなたに聞いておるのです。  そこで、なぜこれをあなたに聞くかというと、あなたは、教義は日蓮であり、信仰は親鸞であり、その生活は道元であると言う。日蓮宗、禅宗、浄土宗をみなカクテルにしたような教えを説いている。ところが、親鸞の信仰の中心を書いてある歎異抄には、父母の孝養のためにとて念仏一ぺんにても申したることいまだ候わずと書いてある。しかるに、この親鸞を信仰していると称する交成会の教祖は、御命日と称して自分の祖先の供養をさしておる。矛盾しているじゃないか。私はそれをあなたに聞きたかった。ところが、あなたはどこまでもそこをごまかしておる。この前からここをはっきり言わない。そうすれば、信仰は親鸞といったって、やっていることは違っている。親鸞は一生教会もなく各地を遍歴して歩いておった。あなた方は大廈高楼に住んで、ただ大伽藍を建てることばかりを考えて、まるで大きな企業体みたいになってしまい、交成会株式会社みたいになってしまっている。そこにこの宗教の非常にいけないところが存在する。だから、信仰は親鸞なんて言っておっても、さっぱり親鸞のその真精神をくみ入れた行動をしていないじゃないか。たくさんのお布施をとらなければならぬから、精神的暴力が行われる。これは多数の証言によって明らかである。そこをあなた方に反省してもらいたいと思って、当委員会はこれの調査に乗り出したとともに、宗教法人法というようなものははなはだ不備である、そういうことに対する研究のためにこの調査をやっているのです。だから、正直にありのままのことを言えばいいのです。印刷にちゃんと書いていることを私は聞いているにすぎない。何べん聞いてもあなたは答えられないならば、仕方がないが、印刷はそうなっていない。  そこで、なお、今までの調べによって相当あなた方のやり方というものが明らかになってきているんだが、今までの布教方法というものに対して何か反省するところがあるのかないのか。どうも反省するような様子が見えない。きょうも、二つ、今私はここで封を切って見た。みなこの新宗教新聞というのを同封して手紙がついてきておる。みんな私の選挙区の人間です。そうして、その中の文句は、いんぎん不礼というやつで、みんな同じような調子だ。私をほめ上げておいて、この交成会なんて問題をやるということについては実にあなたをすっかり見誤まって、僕を軽べつするようになった、今度の選挙にはきっと落選するだろうなんてのがみな書いてある。所番地もみんな同じなんだ。東京都中央郵便局内衆議院法務委員会猪俣浩三殿として来るから、自宅には来ない。みなここへ来る。文句もほとんど似ている。そしてこの新聞をみな同封してくる。だから、私の選挙区へ全部この新聞が郵送されておる。金がたくさんあるからそういうこともできるでしょうが、しかし、猪俣浩三はそんなことでびくともするもんじゃないから、そんなばかげたことはよしたがよかろう。そんなことをびくびくしてて法務委員なんて勤まりません。だれにも頼まれなくたって、一銭の日当をもらわなくたって、憎まれ口をたたかれてもやっているゆえんのものは、新興宗教というものが実に目に余る状態になってきている。これをこのままにしておっては、人権擁護のためにも、治安のためにもならぬと思って私どもは立ち上っているんです。虫のせいやかんのせいでやっているんじゃない。こんな、人をおどかすことをしたって、そんなことでひつ込めるわけのもんじゃないじゃないか。かようなことを本部の者が一体指図をしているのじないか。それに対して、あんた、知っているか知ってないか、答えて下さい。
  141. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 新聞のことに対しましては、新聞社の方でやったものでございますから、私ども知る由もございません。
  142. 猪俣浩三

    猪俣委員 いや、新聞社のことではないのだ。新聞社といったって、交成会が一等大きな株主で、あと四つばかりの新興宗教が出しているのだから、みんな諸君の金でこういうものは発行されているのだから、諸君と連絡なしにこんな新聞の記事が出る道理がない。まあそんなことはいいが、それを僕の選挙区まで送ってやって、そして同じような文句でおれのところへ送るような、私を牽制するような工作を本部でやったかやらぬか、やらぬならやらぬでいいが、やったらやったと言いなさい。
  143. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 先生の選挙区はちょうど私の生まれた土地と同じところでございまして、新潟県第四区でございますので、相当数信者がございますから、そういう信者から送られるのかもしれませんが、決して本部の方では先生のことについて牽制するとか妨害するとかいうようなことは絶対にいたしておりません。
  144. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたに対しては、前にもお聞きしているから、これ以上しませんが、ぜひお願いしたいことは、私ども、信仰そのものを決して軽べつする意思もなく、私自身がやはりキリスト教の信者でありまして、三十年間、洗礼を受けて今日に至っている。宗教を唯物論者のように私は軽べつする意思は一つもありません。ただし、宗教は神聖でなくてはならぬと考えております。それから、世の中に神や仏というものも存在していると私は思っております。しかし、これはよほど局に当る人が注意してやりませんと、諸君のようないわゆる利益宗教というものはよほど注意をしないと、非常な弊害をもたらす。ほんとう意味の宗教ではありません。これを信ずれば火事が起きないの、おかみさんが死なぬの、あるいは金もうけができる、信じなければ口が曲るの、いやもう日ならずして子供が死ぬの、そういうことを言って信仰をしいるのは宗教じゃありませんよ。先ほども申したように、非常に脅迫せられて困ったという投書が百何通も来ている。そのうちに、私が法務委員会出席して証言をしてくれという手紙を出しても、たった岡野君一人しかやってくれない。あとはみなしり込みする。どういうわけかと聞けば、たたりがおそろしい815C。たたるということが唯一の彼らの恐怖である。このたたりがおそろしいので、抜けることもできず、お参りを欠かすこともできない。ちょっと休んだとすると、その支部長やら導き親というのが朝に晩に押しかけてきて、何とも始末に負えないということを訴えてきている。それは一等雲の上にいるあなたは知らぬかもしれませんが、しかし、その責任はあなたにやっぱりあると思う。布教の行き過ぎがあるのです。信仰は悪いことではないけれども、ただ、今言ったように、親鸞の神髄を失ってしまって、ただ信者をふやし、たださいせんの額をふやして、そうして大きな道場が建てられるのが成功したのだというような、まことにあさはかなやり方を考えておる。そこから、ますます親鸞の精神とは離れてきてしまうと、弊害ができる。また、何千何万の信者になるから、あなたは一々監督できないのです。そうすると、その下っぱのいいかげんのが、まるで生命保険の募集をするように、猛烈にやっておる。そうして、お互いの献金の高を競争したり、信者の数をふやすことを競争したり、そこに非常に弊害ができていく。それをあなたが一から十まで知らぬかもしれぬけれども、いわゆる最高の指導者としてよく自覚していただかなければならぬのです。私どもは宗教そのものを迫害する考えは一つもありませんが、あまりに発狂者ができたり困った人間ができたりするのです。また、朝から晩まで本部とやらにお参りに行っておったら、家業はすたれてしまって、その家産が傾くことは当然です。これは仏の教えにそむいておることだと僕は思うのです。そこで、うしろあたりに来ている盲信者たちに、妙佼といえども、ただの人間にすぎないことを明らかにしてもらいたいのだ。やれ虚空蔵菩薩の、生まれかわりだの、いや八幡大菩薩の生まれかわりだの、妙佼のことを悪口を言えば口が曲るの、さようなとほうもないことを言うておる。先ほど、あなたは聞いておったでしょう。岡庭証人が言うておるが、食べものも着物も住居もみな妙佼さんがお下しになったものだ、妙佼さんは虚空蔵菩薩の生まれかわりだ815C。それだから、そんな、妙佼さんのことをこれっぽっちも言ったら災難が来たるなんということを、このうしろにいるような連中に盛んに説くに違いない。それをあなたから指導して、そういうばかげたことはやめてくれ。天皇陛下でも今は神様ではなくなったのだ。それを、やれ何のマサとか鹿蔵とかいう人たちが神様とか仏様とかいうのは、大それたことじゃないか。そんなことを信者どもに思い込ませて、信者どもがそれをあがめ奉っているのだ。それであなた方はいい気になって、自分ほんとうの仏さんになったような気になっておるんじゃないかと思う。そこから災いが生じておると思う。今交成会は危機に立っておると思うのです。だから、あなたはそこを反省して立て直しをしなければならぬと思う。私どもは何も交成会をどうしようというのではありません。真に正しい宗教というものにしたい。宗教はただ人間を集めればいいというのではありません。ほんとうに宇宙の大生命に触れて、そうして自分の生活をそれに順応させていくという、ほんとうの信仰を広めることが宗教の本旨なんです。ただ、たたりがあるの、災難よけになるの、金がもうかるのというようなことでわんさと押しかけてくる。もちろん、方便というものもあって、これもある程度必要でしょうけれども、度を越してはいかぬと思うのです。私どもは、その意味において、あなたがほんとうに心からどういうように考えているか。今までの布教の方法には相当間違ったことがあったという御認識があるのか。今後どういうふうに当法務委員会の意のあるところを察知してやるか。布教の方法について何か改革する決意があるのか。いや、猪俣の言うことなんぞはでたらめで、あんなものは話にならぬというなら、それでもけっこうです。今うしろにも法務省人権擁護局長が見えておりますが、人権じゅうりん事件が相当今調べの緒についておるというし、あとで私は聞くつもりでありますが、なおまた、山梨の弁護士会、東京の弁護士会、日本弁護士連合会においても立正交成会人権じゅうりん問題については相当の線が今出てきています。読売新聞だけの問題じゃありません。それですから、諸君はここで反省をして立て直しをやらないというと、災いを一般社会人——ことに諸君の宗教の階層というものは中以下のあまりインテリじゃないと思うのだ。そういう中以下の庶民に対しまして利益を与えることをもってこれをいざなって、そうしてただ大きなうちを作るということばかりを計画している。先ほど理事長に聞いてみれば、今まだはっきりした計画じゃないというようなことを言うていますけれども、もう模型までも作って、整地もやってしまっている。五億円くらいの契約で銭高組が工事にかかろうとしている。それを、世の中がやかましくなったから、一時やめているというのが実情らしいのです。そういう土木事業のようなことばかりに頭をつっ込んでいれば、この前の和田嘱の整理組合なんかみたいな、ああいう刑事事件を引き起す。そこで、どういうわけで立正交成会が幾多の新聞社その他においてかように攻撃せられるか。参議院法務委員会においてもきのう決議しているじゃありませんか。これは一般新興宗教に対する抽象的な決議でありますけれども、国会の声は国民の声です。そのような声に諸君は耳を傾けて、この立正交成会の将来の布教方法をどういうふうにする御決意がありますか。あなたの決意を承わりたいと思います。
  145. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 この前のときから申し上げておりましたのですが、そのことが、信仰は親鸞というような問題が少し妙なことに解釈せられておるようでございますが、しかし、いろいろの宗教の問題、その信仰のいろいろの問題に対して本質的な教学のことを論ずる場所でないので、今回の法務委員会並びに各方面からいろいろの御批判をいただいたことに対しましては、私ども責任者といたしまして、不徳のいたすところであると衷心から私どもも遺憾の意を表明するものでございます。顧みますると、会ができましてから十九年の間に、現在では約三十二万世帯という信者になっておりますが、過日も申し上げましたように、いろいろ今日までの言葉を一つ一つ取り上げてみますると、末端の方では確かにいろいろ熱心のあまりに行き過ぎもあったのではないか。常に反省、ざんげということを標榜しまして、人格の完成に私どもは一生懸命に精進をして、おのおのが社会奉仕をモットーとして菩薩道を広めていくのだということで、今日までやってきたのでありますが、そういう皆さんの気持が、——過日世耕委員からも話がありましたように、百万も二百万もの人をそう簡単にだませるものではないと思うのでありますが、いささかでも、私どもも、現在までの国家社会のために、戦後の何といいますか、非常な混乱時代において、幾分でも社会に貢献したのではないか、こう存じておる次第でございます。しかしながら、行き過ぎの点とか、そういう点は、私ども人間でありまするので、相当徹底的に反省をしなくちゃならぬところは反省をしなくちゃならぬと思います。また、会員の改むべきところは大いに改めるべきだと存じております。今回の御批判に対しましては、今後の交成会の発展に対しまして貴重なる仏様の警告である、かように考えまして、仏教の根本でありますところの諸悪莫作諸善奉行自浄其意という、この精神を全ういたしまして、再びこういう御批判をいただくようなことのないように努力をいたしたいと存じております。  以上でございます。
  146. 猪俣浩三

    猪俣委員 あまりにも抽象論で、はっきりわからぬのだが、この支部長制度とか、あるいは姓名判断をむやみにやるとかいうようなことに対して、あなたの耳まではその弊害が入っておらぬかもしれぬが、この姓名判断なんというものは相当脅迫的な道具に使われておる。むやみにこういう姓名判断みたいなものを——絶対にやるなと言うのではないけれども、あまりにくだらぬ末輩までが姓名判断などというようなことまでやって、いいかげんなことを言って、信仰を強要したり、あるいは入退会に対しておどかしの道具に使ったり、そういうようなことがはなはだ僕は不都合なところだと思うのです。大した科学的根拠もない姓名判断というようなものを絶対の真理なるごとく言って布教の道具に使う、こういうことが私どもはふに落ちない。  そこで、あなたに、この姓名判断なんというものをむやみに使わぬようにやるという考えが一体あるのかないのか。それから、各支部長などが、入会させるときには実にしつこいのみならず、退会したいと思う者に対してまでもあらゆる妨害をするのだ。おどかすのだ。それは顕著なる事実です。ちょっとでもお参りに行かなくなると、導き親とか支部長とかいう者が寄ってたかって、仕事が手につかぬくらい毎日毎日責め立てる。信仰というものは心からのものでなければ信仰にならない。何かの妙な因縁をつけたり、姓名判断に結びつけたり、そうして、しつこく、やあ災いがくるの、子供が死ぬのとおどかしつけて教会につないでおくということは邪道です。そういうことを支部の連中はみんなやっておるのだ。それに対して、あなたはそれが正しいと思うのかどうか。正しいことと思わぬならば、どういうふうにしてそれを矯正するか。その具体案をもう少し言ってもらいたい。
  147. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 姓名学の問題はこの間も出たのであります。やはり本日もそういう問題に触れたようでございますが、やたらに使うというようなわけではございませんですが、会が今日までやってきた経路から、やはりその姓命判断をしていただきたいという希望の方にするわけでございます。会を脱会するというような場合に非常にやかましいというように今度批判をされているようでございますが、これは、私どもの会ばかりでなく、特に新しい宗教はどこでもそうだと思うのでございますが、非常に新陳代謝が激しいのでありまして、入るのも自由のかわりに、出ることも非常にお寺さんの檀家が離れるというようなむずかしいものではないのでありまして、自由の立場に出たり入ったりができておる関係上、非常に新陳代謝が多いのであります。そういう面におきましては、しつこくあとを追うようなことのないように、今日まで私どもは考えておったのでありますが、たまたま今度取り上げられました問題を聞きますと、何かそこに高圧的の脱会食いとめ策をやるように伺うのでありますが、これはやはり、皆さんが熱心に、ほんとうに教えの通りの行いをすれば確かに救われるという確信のもとにやっておる信仰の強い方の行動でありますので、そういうふうに、落ちる方にしても強く当るのかもしれませんが、午前中のあの参考人の話を聞きましても、おそらくはんとうの信者として修業した人でないだろう、——けさのあの答弁を聞いておりますと、会の内容はよくわかっておりませんです。一年半入会しておったならば、もっとよくわかっておるはずでございますが、修業の方法も、いろいろの行事のことも、よくわかっておらぬような状態だと思うのであります。そういうようなことで、大体九〇%までは喜んでやっておる。中に一割くらいの方が、その教えの通りになり切れないで会を脱会した方々が、なまじっか、こう言ったああ言ったというふうに言っておるのではないか。しかし、大ぜいのことでありますから、末端の方でそういうことを言っておるような方があるかもしれませんが、私どもが手をとって自分自体が導いてきた経路から言いますと、憲法に信教の自由ということがありますが、私どもはやめる方は自由に大いにやめても、一向そういことには関係ないし、自分たちの経験をしたこと、自分の信仰体験を通しまして——先ほど来神様をやめろというお言葉でございましたが、今日までの交成会の印刷物をごらんになっていただきますと、長沼妙佼にしましても、私にしましても、妙佼は特にそういうことを言っておりますが、私は特に皆さん以上に業の深い人間であるということを、ちゃんと本の中にも印刷したものがございます。私どもは神様だとか仏様だとかいうような考え方ではなく、自分たちがそういうものでないから、勢い虚空蔵菩薩、観世音菩薩、八幡大菩薩という守護神を、たとえば妙佼先生はうし年生まれでございまして、昔から虚空蔵菩薩が守り本尊だというようなことが、ある古い十二支の中にもそんなふうになっておるようでございますが、そういう守護神を勧請するような手配になりまして、その神に対しても私どもは忠実に御命日には行事をいたしておるわけでありまして、私どもは神様だというような大それた考えを決して持ったこともありませんし、特に、人間というものはとかく間違ったことをしがちなものである、お経の中には、心の師となっても心を師としないというふうに、非常に罪悪感から出発しましたところの、私どもほんとうに至らない者であるから、この仏様の御慈悲にすがって、ほんとうのざんげをして、正しい清らかな人間にならなければならない、お互いさまに、因をもってまつわるところの会員は、ことごとく因縁の深い業障の者であるがゆえに、ほんとうに真剣なるところの反省をしなければならない。道場において、あの和の中で、おのおのがいろいろ今日まで行なってきたこと、考えてきたこと、そのことが間違っておるために苦しみであったが、それをさとされてわかってみたら、来るまでは非常に恨んでおったものが、帰りには、むしろそういういろいろな自分に修業を与えたことが感謝に変ってくる。こういうような順序で、たくさんの力、毎日一万くらいの人がくるのですから、そうでたらめにだましたりすかしたりしてもそういう人が喜んで集まってくるものではない、こう考えて今日までおったわけであります。しかし、社会から、またはこの法務委員会からも取り上げられまして、いろいろ御注意をいただきました。考えてみますと、あまりにも戦後急激に伸びたために、多少幹部と称しております者の中にも徹底しない者があったのではないか、かように考えております。こういう点につきましては、今度の御警告は、私どもとしてはまことにありがたいお手配をちょうだいしたということで、もうすでに皆さんにも発表いたしまして、たとえば、具体的の面におきましては、大体今日まで私どもの言って参りましたことは、在家の出家ということでありまして、在家の者ではあるけれども、出家のような気持になって、家を捨てて、ほんとうにこの御法に精進するという建前で、一軒の中でなるべく都合して、一人だけは社会奉任、御法に挺進する、こういう体制をとっておりましたが、今度の問題に対しまして、社会奉仕といっても、また御法に精進といっても、その気持がまだそこまでいってない入会したばかりの人をそういうふうな取扱い方にするということに結局無理があったのではないか、かように考えます。大上人の言葉の中にも、弟子と檀那という言葉を特に強調されておりますが、今まで毎日来られるところの、たとえば多少でもお手当を差し上げておる有給の方々は、弟子として、今日これから入会してくるところの信者に対しては檀那という取扱い方で、毎日出て来いとか、御法のために毎日精進するのだとかいうような指導ではいかぬ、日曜とが祭日とか、月に何回とか道場へ集まって心の洗たくをする、修養をする、こういう体制に用意しなくてはならないときが来た、百万以上という信者になると、皆さんが世帯を持っておるところの在家の方が今の状態でどんどん入会が進んでいったならば、将来は全く社会問題になるようなことにもなりかねない、ここで私どもの一大反省期に到達して、いよいよこれからは弟子と檀那というものの、上人の言葉のごとくそこに一つの限界をつけるべきじゃないか、かように考えまして、三カ月ほど前にそのことを幹部にも言いまして、逐次そういう方向にやっておる次第でございます。  以上のような次第でございまして、今度の御忠告、いろいろな御批判、ことごとくが私どもを幾らかでも仏教徒らしい、または信仰者らしい人間にしようという、これはあらゆる方面から私どもに対する神の慈悲である、かように考えまして、このたびの問題に対しましても、会員一同こぞって、この際にこそほんとうの信仰を生かしていかなくてはならないということを誓い合っている次第でございます。
  148. 猪俣浩三

    猪俣委員 手っとり早いことが、その支部長というのは二万円の月給取りです。副支部長で一万五千円金がもらえるのですが、生命保険の募集員と同じなんだ。一人でも自分の支部から脱落者を出すと月給の手前工合が悪いから、熱心になるのです。それが度を越しているのだ。だから、その支部長にあなたからよく言い聞かしてもらいたい。ことに妙佼という女の人は何か魔術でも用いるのか、——けさも私のところへ電話をかけた婦人があるのだ。非常に重大なことをいろいろ私に教えた。ところが、この妙佼という人を非常におそれている。それは相当の年輩の女の人であるが、証人になって出ることはできない、どういうわけだ、何だかたたりがある、妙佼さんという人が何か魔術を使う、こわくて何かたたりがあるらしくて私はできない、そんなことはない、僕は血圧が高かった、そこでこの妙佼や日敬先生をいじめたらずっと血圧も高くなって倒れるかと思ったら、だんだん血圧が下って、きょうもはかってきたらとてもいい血圧なんだ、何もたたりなんかありはせぬのだ、ちっともおそれるに足らぬから、あなたは断固として出てくれと言うたけれども、どうしても出てくれない。それが何か予言をしたり生命判断をしたり、そうして病気になるの死ぬのというようなことを言われるもので、それが非常にこわいらしい。そこで、妙佼先生に出てもらって、どんな魔術を使うのか一ぺん実験してみたいと思ってきょうお呼びしたのです。ただの人間に違いないのだ。妙な雰囲気に妖気を漂わしている。これは新興宗教の特徴なんだ、ただの人間だということをここで明らかにしたいのだ。どうも、あなたよりも、この妙佼という先生が何か妖気を漂わす。そうして、その信者、支部長というのはほとんど婦人なんだ。だから、ここでは副会長妙佼となっているけれども、実権はこの妙佼が持っておる。そうして女の支部長なるものを駆使しておどかしておる。女というものは非常に迷信が深いのです。私どもの家内でも、何かたたりがないかと心配しておる。だから、気をつけて、電車にひかれないように、かぜを引かぬようにと私は注意をしておる、そういうことになると、諸君の宣伝に使われるのだ。だから、この前私はお断わりしたのです。私は私の信ずる神様の命令で調査しているのだから、こんな交成会の仏様やなにかによって僕は絶対に罰は当らないのだと言っているのだが、とにかく、この支部長階級というものに対して——それは、あなたに言わせれば、非常に信仰に熱意のあまりというかもしらぬが、一つは月給制度のせいなのだ。ここのところがあなた方のやり方のうまいところなのだ。月給をもらわぬで熱心にやっているわけはないのだ。だから、二万円の月給取りですよ。女の二万円の月給といえば相当なものじゃないですか。そこへ、今度退会するなんという者が自分の支部から出たら、それは義理としても勧めに行きます。あなたは知っていて言うのか知らぬでいて言うのか知らぬが、それは相当脅迫的なものです。退会するについても、入れかわり立ちかわり行っておどかす。さっき岡庭君が言ったじゃないか。あなたは岡庭君が信仰が薄いからと言うけれども、信仰の薄い人が大部分なのです。あなたのところに来る八十万、百万の人がみな信仰が厚いのですか。有象無象じゃありませんか。その有象無象に対して姓名判断をやったり、おどかしをやったりしているところに弊害があると思うのです。ほんとうの信仰に入った人はかまいませんよ。岡庭のような、一年半も通ってもまだ信仰に入れない、そういう人間が、妙佼さんの悪口を言うたら口が曲るなんと言われると、あれは男だからいいのだが、女なら困る。だから、山梨に祈祷病という病気で入院する者が交成会の会員だけで五人も出たと院長が来て証言しているじゃないですか。ああいうことはみな荒唐無稽のことだというような反省なき態度では困るのです。この支部長制度というものをどうするるか、月給を払ってやることをどうするか、そういうものを改革するには、お布施をたくさん集めて、あの家を建てる、この家を建てるということをやったら、改革はでしきないのです。ただ金を集めることに狂奔しなければならない。そこが親鸞の教えとますます違うのです。親鸞は教会など持たなかったじゃないか、キリストも荒野に説教しておった人じゃないか。真に宗教家であるならば、何がゆえに大廈高楼を作ることばかり考えるのか。そこに無理があるとさっきから言っている。どうも、あなた方の話を聞いていると、どこまで反省しているのか、まあここで一がいに言えないであろうが、支部長制度、姓名判断の制度、そうして、入り切れないと称してただ大きな建物ばかり作ることを考えること、こういうことは反省しないと、幾多の人権じゅうりん問題を起す、それは、この宗教に入ったために助かる人もあるでしょう。しかし、その泣く人もあるのです。それで、諸君の耳には、この宗教のおかげで助かりましたというおべんちゃらを言うやつばかりが入る。これは、宗教家でも政治家でも、権力がついて高い地位になると、そういうものです。みんな取り巻きがいいことばかり言うておあいそをたれて、悪いことは耳に入れない。だから、一等上の教祖ともなれば、下っ端の非常に困っているような人のことが耳に入らない。取り巻き連中がそういうことを耳に入れない。そこは、あなたがほんとうの宗教家であるならば、それこそ神通力を使って、この下っ端のことをよく洞察しなければならない。相当家庭を破壊しています。私の遠縁に当る人なんかも、主人が実に困っている。毎日々々お参りに行く。そのために、洗たくはせず、料理はせず、子供のめんどうは見ない。ほったらかしている。それを何だのかんだの言うと目を盗むようにして行く。無理にとめると気が変になりそうだから、おやじは見て見ぬふりをしている。そこで、まだおふくろがあるので、おふくろが見るに見かねて、私の親戚に和染をやることの上手な人がある。その人から嫁さんに和染を教えてもらって、うちにもう少し居つかすようにしたいと、七十になるばあさんが心配してたずねてきているじゃないか。家庭が破壊されている。子供が三人もあるのが、毎日々々通うのです。あなたの言うように、在家仏教で、みんがが坊さんになっちゃって、みんな本堂に詰めていたらどうなる。電車は動かぬし、汽車は動かぬし、米はできない、そんなふうに毎日々々熱心に本堂へお参りにきてそうして、ものを納める者が信心が深いのだ、そういうやり方というものに間違いがある。みんな家庭を破壊します。私は、その意味において、もう少し反省してもらいたいと思う。  最後に、あなたがほんとうに心から布教方法を立て直す意思があるかないか、もう一ぺん言って下さい。
  149. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 先ほど来申し上げましたことで、もう何回申し上げても同じことでありますが、いろいろの面で言わず語らずと信者自体もすべてのことで反省をいただいたと思うのであります。同時に、先ほど説明いたしました毎日やれる人と信者という建前を判然と分けましたならば、弊害の起るようなことはないだろうということも自信がありますので、そういう方針をとって今度やらしていただきましたならば、決してかかる問題が何回か繰り返すようなことはないものと私は自信を持っております。
  150. 高橋禎一

    高橋委員長 次に、残ったお二人の参考人の方に申し上げますが、最初姓名、職業、住所をお述べ願いまして、それから委員の質問に対して御意見をお述べ願う、そういうことにいたしたいと思います。
  151. 大宅壮一

    ○大宅参考人 私は大宅壮一です。世田谷区八幡山百九十八におります。文筆業で、主として評論をやっておる者ですが、私は、子供のときから、親戚にいろいろな新興宗教を職業としている者がありまして、それを見ておった関係から、神様というものに特別の興味を持って、三十年来、四十年近いと思いますが、いろいろな神様にお目にかかって、比較研究をしておるのです。  ところが、その中にいろいろな共通の手口、というと神様を侮辱することになるのですが、いろいろな面が出てきた。その宗教だけを信仰すると、この宗教はえらい神秘的な神聖なもので、ほんとうに神様だと思うのですが、ほかの宗教と比較しますと、大がいネタの出どころがはっきりしてきて、ああこれはここからきていると、すぐわかるのであります。さっき庭野会長は、幾らうまくやっても百万人の人間をだますことはできないとおっしゃったのですが、しかし、現に保全経済会なんか何十万人の人間をだましておる。もうけておるのですが、あれが法律にひっかからなくてボロを出さなかったならば、まだまだたくさんな被害者が出ておったかもしれない。この人たちはみな、自分たちは業の深い者だと言われるのですが、これはすべての神様がみな自分たちは業の深いものであると言われるのです。しかし、業の深い、昔は悪党であったというようなことをずいぶん言われるのですが、現在非常に巧妙に大衆の盲点をついて金もうけしているということはおっしゃらないのです。ということは、この人たちのこれらの宗教をずっと見渡してみますと、私は一つや二つの宗教を言うのじゃないのですが、大体非常に金をたくさん巻き上げる宗教は怪しい、保全経済会に近いものだと見てよいと思うのです。ということは、これはさっきもおっしゃったように、こういう宗教はみな、これで病気がなおったとか、これでよくなったということをいろいろ言われます。実際そうなった人もたくさんいると思います。縁日にガマの油を売っている人は、前にたくさん感謝状を並べてやっておるのですが、たくさんある。ガマの油で直って感謝状を出した人もおるかもしれないが、なおらない人は決して感謝状を出さないのでありますから、こういう場合に、それを一体どこで判断をするかと申しますと、やはり、その宗教が、特にその宗教の幹部の人たちの生活という問題であります。この人たちが、最初はまあまじめな気持で始めたかもしれないが、現在は果してどういう生活をしておるか、どのように金が集まっておるか、その金がどんなふうに使われているかということを見れば、その宗教が単なる信仰のものか、あるいは企業会社かということがはっきりすると思うのです。ですから、なるほど、これらの宗教では相当大きな社会的な役目をしておる。たとえば、これらの宗教に入ってくる人はみな家庭的に不幸な人で、大がい女の方が多いのです。中年の未亡人で引揚者であったり、だんなさんが極道者であったり、失業して非常に生活に困ったり、あるいは病気その他で困っている人が多い。この人たちが宗教に入ってくるのですが、入ってくるとともに、精神的にはその宗教に救われたと思うのですが、同時に物質的に救われようとする。ということは、この宗教は彼女たちに職業を与えようとする。つまり、保険の外交になるのと同じように職業が与えられる。そこで、一種のノルマと申しますか、割当額のようなものができてきまして、天理教でもそうでありますが、何人以上信者を獲得しないと一人前になれない。職業ですから、信者は何らかの形でリベートがある。次の信者の方もまた信者からリベートが入ってくる。それで生活が保障される。これで道楽者の亭主がおってもどうにか子供を育てていくことができるというのでもって、一心不乱にやるのであります。そういう点でかなり社会政策的な役割をしておる。今日の社会で恵まれない人、一家心中一歩手前まで行った人が、精神的にでなしに、経済的に救われる。そのことが大事であります。そういう社会保障制度の欠点をこの宗教がついておる。それがまた同時に盲点でもある。この盲点をついてこれらの宗教が非常に繁盛するのであります。ですから、それから見ますと、これは明らかに保全経済会と同じように民衆の盲点をついておるのだ。それでなくてさえ困っている人の新しい信者を獲得して、そこから巻き上げた金がだんだん本部に集まってくる。ですから、その最初入ってくる人は最初の投資なんです。昔万世倶楽部というものがあったのですね。これは、初め百円か何か払い込むと、だんだんそれでもって生活ができるような錯覚を起すわけです。リベートがだんだん入ってくる。これと同じように、最初に入る人の金、初期の信者というものは、これは一種の最初の投資なんです。これをだんだん集めていって、中間にいろいろな搾取が行われて、最後に本部へ納まっていくという形。ですから、中間の人たちはそれで生活するという形になる。ですから、私は何も立正交成会だけを言うわけではないのですが、この人の宗教は、そういう大衆の無知に乗じて、まさにおぼれようとする、まさに一家心中一歩手前まで行こうとするような人たち、最も気の毒な状態にある人たちから金を巻き上げるという最も残酷なやり方をするわけです。ですから、結局、私は、それをそばから見ますと、まるでデンスケ賭博か何かにひっかかった人間のような気持がする。からくりというものを研究してみますと、すべて共通したからくりがある。今はあまりありませんが、道ばたでデンスケ賭博を開業している。いろいろなバットのあき箱のようなもので、ぐるぐるとひっくり返したり、こよりをいろいろ並べて、この中に何か入っていると言って、これを引きますと必ず当るような錯覚を起させる。引いてみるとそうでない。その裏にからくりがある。このからくりを知っておる者から見ると、実におかしい。おかしいが、しかし、次々にひっかかって商売が繁盛している。これと同じような形を、これはいろいろな形でもってやっておる。この宗教はどこからきてどういうような組織になっておるということを説明してもなかなか聞かない、そういうものの届かない層にたくさんな信者が出てくるわけです。  戦前ひとのみちというのがありまして、この教祖は元郵便配達をしておったものだから、郵便局の組織を巧みに利用して、お振替とかなんとか、まるで郵便局のような宗教を作ったのであります。こういうふうで、いろいろな新しい手を次々と見つけ出して大衆をつかんでいきますから、私は、この人々の無知に対して、その発生過程、やり方について、いろいろと他の宗教と比較して、これはこのところから来ておるのだ、デンスケ賭博のからくりはこれだというふうに説明すると、彼らは一斉にやってきて猛烈にいろいろな方法で文書その他で危害を加える。私の場合は、ひとのみちは六人くらいの暴力団が私の家にやってきた。そうして、こんな大きな柔道何段というのがやってきて、六十万信徒に指令を出して私を祈り殺すと言う。ところが、私が死ぬ前にその宗教の方が先にだめになってしまった。それから、戦後立正交成会と並び称せられる新興宗教の横綱に、熱海のメシヤ教というのがある。これは二十年、三十年前から知っておる。裏だなでいろいろおさわりをやっておったときから知っておるのであります。その人が、戦後大もうけして、熱海に土地をたくさん買い込んで、おそらく保全経済会以上の金をもうけた。その人の昔のことを私が書いた。昔の彼らのやり方を分析したところが、非常に憶慨して、名誉棄損で訴えた。約一年半ぐらい裁判で争ったのでありますが、私はそのとき言ったのです。一体神様ともあろうものが人間を訴えるとは何事であるか、神様は神様らしく、それだけの力があれば私を処罰すればいい。ところが、この裁判が終るか終らぬうちに、神様の方が先に死んでしまった。  ですから、私は、民間の者が、口で、筆で、そのでんすけ賭博というものは怪しい、この手口はこうだということを言っても、なかなか通じない場合がある。ですから、こういう形でもって、これはこの宗教だけではないが、この種の宗教に対してはっきりした警告を発していただく。つまり、国民の大多数の人たちがそういう最も乏しい家庭のやりくりの中から妙な投資のような形をとることはいけないのです。本人は信仰のつもりなんですが、実際は投資に近い形をとっている。その点で保全経済会と非常に似ている。ですから、私は、今もう一つ用事があるので、具体的に申し上げられませんが、私が調べた宗教の中では、静岡にあります前科五犯か六犯の男がやっている脱税を目的とした宗教がある。はっきり申します。そして、料理屋とかマージャン屋とか、ダンスホールとか、中には淫売屋までがみな入っておる。そして、この宗教に入れば宗教法人でもって税金がのがれられるということで始めた宗教である。最も悪質な宗教であります。これを筆頭としまして、まずメシヤ教とか交成会というのが最も悪質な五つの中に入るということを私は断言できると思う。  私のお話はこれくらいにいたします。
  152. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは、大宅参考人は他に御用があるようですが、今少し時間を何とか融通をつけていただけるようですから、ただいま御意見をお述べ下さったことに関連して質問があれば、この際これを許します。——質問がなければ次に移ります。  それでは小口参考人にお願いいたします。まず姓名、職業、住所をおっしゃっていただいて、それから御意見を伺います。
  153. 小口偉一

    ○小口参考人 小口偉一であります。職業は東京大学助教授。住所は文京区駒込追分町三十九番地。  私は、宗教学という一つの学問を研究いたしておりますので、この学問の領域内で意見を申し上げたいと思います。従って、先ほどの大宅さんのような非常に端的な割り切ったお答えはできないかと思います。と申しますのは、私どもの研究いたしております態度は、世の中にあるあらゆる宗教現象をきわめて公平に客観的に取り上げて参ります。それは信仰的な立場とは違いまして、この宗教はいい宗教である、この宗教は悪い宗教であるというような価値判断はいたしません。これが学問の限界でございます。そういう点で、それはおもしろくないということになるかもしれませんが、これは、そういう学問である以上、いたし方ないので、それ以上のことになりますと、個人的な意見、それをもとにしての意見ということになると思います。それで、その点につきましては、後に御質問をいただければ、十分個人的な見解を申し上げたいと思います。  最初に、宗教学的な立場からこの新興宗教一般をながめて参りますと、第一に、既成宗教との違いという点で一般に取り上げられています。  どこが違うか。この点は、ジャーナリズムなどによりますと、インチキ宗教が新興宗教だ、逆に申し上げれば、新興宗教というのはすべてインチキだというふうに簡単に割り切ってしまっている。しかし、これは学問的な判断ではないのでありまして、一つの立場から見れば他の立場はすべて淫祠邪教だということが言えるような立場と非常によく似ているのであります。従って、既成宗教は正しくて新興宗教はすべて誤まっておるという結果は学問的には出て参りません。まず、その点では、どこからが新興宗教かということも問題になると思いますが、時間をとりますから省略いたしまして、戦前には、つまり、かつて宗教団体法の時代においては認められていなかったけれども、後に宗教法人法になって認証されたような団体、それを一応新興宗教と考えていいかと思います。そういたしますと、新興宗教の経営の点においても、実は戦前からあったものが多いのであります。戦後雨後のタケノコのように出てきたという表現がよくとられておりますけれども、よく調べてみると、実際はそうではなくて、戦前からあるものであります。立正交成会は霊友会からの分れでありますけれども、この霊友会は在家の日蓮主義でありまして、幕末の本門仏立講、今日本門仏立宗と申しておりますが、この仏立講の一つの流れであります。つまり、在家主義の日蓮主義者の集まりであります。そういう点で、他の新興宗教においても、その流れを追求していくと、戦前に戻るものが多い。その点で、どこからどこまでを新興宗教であり、どれを既成宗教とするかという点については、学者の間でも異論があるかと思います。その点は常識的にとっていただけばよろしいかと思います。  今日の問題としては、立正交成会の布教方式というものがあまりよろしくないのではないかということが取り上げられているようでありますが、実は、宗教における伝道、布教というものには強制力がどうしても伴います。多少の強制をしなければ伝道ができない。なんじら悔い改めよというのは、今改めなければ罪があるぞと言うのと同じことでありまして、これは、たたりとは少し違い、もっと深い一種の罪悪観でありますから、違いますけれども、キリスト教などにもある。そして、ある熱情によって初めて他人を自分の信仰に導くことができます。それで、伝道、布教には多少の精神的な強制がある。しかし、実際の典型的な非常にうまくいった伝道というのは、あるいはそうではなくて、求道と伝道、道を求める者と道を伝える者、つまり求道者と伝道者の気持がぴったりいけばうまくいきますけれども、なかなかそうはいかない。道を求める人と伝えようとする人とぴったりいくかどうかというところに問題があるので、なかなかうまくいきません。それで、伝道者が多く働きかけることになる。たとえば、街道で説法する、あるいは家庭を訪問するというようなことが行われる。その家庭を訪問してやる方法というのは、今日の新興宗教には非常に多いから、それが問題になるのだと思いますけれども、いわばそこに伝道布教の方法としての問題が横たわっているわけでありまして、伝道そのものに強制力がある、多少の強制力を伴うものだということだけはお認め願えるのじゃないかと思います。しかし、その場合に、従来の宗教といいますか、一般に既成宗教といわれるものは、積極的な伝道をあまり行なっていない。キリスト教などは多少違いますけれども、仏教などは、既成の仏教の教団ではあまり積極的に行なっておりません。このごろ行われなければいけないという意見が出ておりますけれども、あまり盛んではない。これは、私どもから見ますと、既成の宗教というのは、商売人でいうと、店を広げてお客さんのくるのを待っておるような形です。あるいは、お得意様があるから何もしなくても商売ができるのとよく似ておる。つまり、檀家制度というものが江戸時代に確立してしまって、それが廃仏毀釈によって多少変化しましたけれども、今日までそれが存続してきている。その点で、特別の布教活動を行わなくても、すでに地盤が確立している。神社などは、神社神道の場合には、それが特定の地域社会と結びついていく。従って、何ら宗教活動というものを行わなくても、ある程度までは持続できるというような形態ができ上っているわけであります。そうして、日本国民の大部分が既成の宗教に何らかの形で所属している。所属はしていなくても、関係を持っているような形になる。つまり、個人では信仰していなくても、家の宗教というような形で、どっかのお寺の檀家になるというような形が一般的であります。新興宗教はその後に出てきたものでありますから、すでに獲得された基盤の中に入っていかなければいけないわけです。そこで、今までの宗教がやっていたような方法で、つまり新しく店を開いて、そしてお客さんの来るのを待っているという形では、どうもうまくいかない。そこで、いわばこれは行商している。私は、そういうような、ちょっとやゆ的な言葉ですけれども、新興宗教の布教方法は行商的であるというふうに考えております。ほかのところに行って、前のよりはいい宗教であるからこちらへお入りなさい、こういう説き方をしている。その中にも、もっと極端なのになりますと、行商が押し売りになってくるのがあります。暴力的な宗教だといわれているような日蓮正宗の創価学会などは、多少そういう傾向がある。そういう点で、新興宗教として、既成の、確定している、固定した地盤の中に入っていくためには、積極性を持たなければいけない。そこでどうしてもそうした行商的な態度が出るのですが、そのときに、前のよりこちらの方がいいからと言うときの説明の仕方、つまり信仰に入らせる方法として、日本人が伝統的に持っている信仰の態度、私どもはこれは呪術的な宗教と言っておりますけれども、一種のおまじない的な宗教の態度にアッピールするように行うわけです。たたりがあるとか、罰が当るとか、何々の因縁でというような表現は、すべて、新しくできたことではなくて、日本人が古来持っている一つの宗教意識なのです。しかし、それはキリスト教などにはあまりない。言わば原始的な意識だということが言えるかもしれません。とにかく、日本人の一般的な宗教意識というものは、かなり原始的なものを持っている。その原始的な態度にアッピールして、適応していったのが、この多くの新興宗教の布教方式ではなかったかと思います。ですから、そういう点で、宗教の伝道というものにおいては多少の強制力が伴う。しかし、その場合に、新興宗教の大部分が利用している布教の方式には、伝統的な宗教、つまり、私どもが学問的な立場から呪術的宗教と呼んでいるものに適応しようとする態度が見られるのではないか。そして、ここに近代社会における宗教としてのあり方という点での問題が横たわっているのではないかというふうに考えております。  そういう点で、そういう基盤がある限り、つまり、非常におくれた社会、あるいはおくれた社会意識を持っている人が大ぜいいる限りにおいては、新興宗教的なもの、つまり、近代知識人の立場から見ると非常につまらない宗教だと思われるようなものが、なお入っていく、伸びていく余地があるのではないか。そういう点では、そういう宗教はいけないというふうに頭から言って弾圧するというような形、つまり、戦前の宗教団体法がとりましたような方法ではなくて、むしろ他の面から民衆を指導していくことが必要ではないかと思います。たとえば、入信の動機という点におきましても、これは新興宗教に限りませんけれども、病気が機会で入る人が非常に多い。キリスト教の場合でもで六〇%くらい病気でという人がいます。これは日本だけではありません。外国でもそうですし、こういう場合なども、医療制度、あるいは社会保障制度というものが確立するならば、そういうようなことはだんだん減ってくるのではないかと思う。そういうふうに考えて参りますと、新興宗教というのは、今日においては他の社会的な施設が行い得なかったものの代用品となっているという感じを受けます。ですから、その点においては、行き過ぎがある場合もありましょうし、また、教団の方針として行おうとしていたものが、末端において行われなかったというようなこともあるのではないか思います。特にこの点はかなり多くの宗教に見られまして、教団幹部が考えていることと、末端でやっているものとの間の教理の説き方の違いというものがかなりあります。天理教の場合を申し上げますと、天理教では、布教師が、肺病になった人をつかまえて、あなたは心がすなおでないから、はいと返事をしないから肺病になっている。返事をしないからへんとう腺炎になったというようなことを言います。私も直接聞いているから、これは確かです。しかし、幹部の人にそういうことを言えば、そんなことを言うはずはない。これははっきりそう言っている。ところが、そういう幹部とか知識人によって固められているところと、末端の農村などでもって布教している人との間における違いというものがかなりあるということは、どこの新興宗教、あるいは幕末から起ってきた新興宗教に近い新しい宗教の中には、まだそういうものが多少あるのではないかというふうに考えております。  もし御質問をいただけましたら、各個に申し上げたいと思います。
  154. 高橋禎一

  155. 猪俣浩三

    猪俣委員 先生にお尋ねしたいことは、実は、新興宗教の繁盛と申しますか、ある人の計算によりますと、いわゆる新興宗教と申すようなものの信者の数というものは、日本の全体の世帯数よりも多いんだ一軒で二つの宗教に入っているものがあるというようなことを言う人もあります。事実その程度であるかどうかにしましても、ことに戦後新興宗教の繁盛というものは実に刮目に値するものがある。これは日本の庶民階級のあり方を研究する上において非常に重要な現象じゃないか。何が彼をそうさせたかということがありますが、何が一体この新興宗教をして繁盛せしめたか、先生の御説明でちょっとヒントを得ているのでありますが、そこで、新興宗教の繁盛についての科学的な研究、こういうようなものをしなければならぬと思うていることが一つあるのであります。そこで、先生の御研究の結果、いわゆる交成会、あるいは霊友会、あるいはメシヤ教、創価学会、こういうふうな新興宗教が実に旧宗教を足げにするくらい大繁盛を来たしている。私は実は聖公会というイギリス流のキリスト教の信者でありまして、私の属しているのは麹町四丁目にありますインマヌエル教会というので、現在私もそこの委員をやっておりますけれども、これは八十年の歴史を持っているのですが、実に貧困そのものです。教会で牧師さんに牧師給を払うことができません。そこで、牧師が他にアルバイトをやっているというような姿であります。それに引きかえて、何億という大金を集めて、大室伽藍を建設する。私は、そこに、何という魔術をやっているんだか、まことに不可解だと思うくらいであります。かように、既成の、仏教にしろキリスト教にしろ同じでありますが、既成の宗教が発展をいたしません。しかるに、かような新興宗教が繁盛をいたします原因はどこにあるのであろうか。幾多の原因があるかもしれませんが、先生の研究の結果、集約すればどういうふうな原因がかような新興宗教の繁盛を来たしたか、その御所見を承わりたいと思います。
  156. 小口偉一

    ○小口参考人 非常に大きな問題でありまして、私どもの研究の現在の段階ではまだお答えできないような問題を含んでいると思いますが、私の個人的な意見を申し上げたいと存じます。  最初に、新興宗教の信者の数が非常に多いということを言われましたが、確かに多いと思います。文部省に届け出られている——文部省で出している宗教年鑑などの宗教統計を見ましても、確かに日本の総人口より上回っております。これは、各教団が少しずつ多く言っているのかもしれないし、また、日本人の今までの信仰というものが、大体、仏教と、神社の氏子、崇敬者というふうにダブっておりますので、両方からの届出数が重なりまして、非常に多くの数になって総人口を上回ったのだろうと思います。しかし、実際の新興宗教なるものの信者の数というものがどの程度のものであるか私は今まで調べておりますけれども、的確にとらえることができない。どうしてもこれは文部省へ届出になったものを一応信用するほかに方法がないかとも思っております。しかし、いずれにしても、社会でもって目を見張るように数がふえてきていることは事実であります。  そこで、これは先ほどもちょっと申し上げましたが、社会的な施設がないために、それの代用として、心理学で言う代償行為というようなことでこれが維持されていると言えると思いますけれども、これをもう少しいろいろな例を申し上げますると、キリスト教の伝道と新興宗教の伝道との比較というようなことを考えれば、比較的よく御了解願えるのじゃないかと思います。キリスト教としましては、なぜあれほど熱心に伝道しているのに信者の数がふえないのであるかということがよく言われます。農村伝道の研究会までできて、私もそれに出席して話をしたことがありますけれども、なかなら信者数がふえない。ということは、一つには教理が非常にむずかしい。一般大衆が理解するような説き方をしていない。最初から神の実在というようなことを説いたり、聖書に基く説教をしたりしますので、なかなかわかりにくい。それから、もう一つは、神の観念、バイブルで出てきている神の観念と日本人が伝統的に抱いている神の観念とが違う。そういうような点から非常にわかりにくい。異質的なものを受け入れるような感じを受けるらしいのです。ところが、日本人が今まで感じ取っている神の意識というのは、人は死ねば神になるというようなことを言っている。仏様になる、死者をそのまま仏と言うことがよくあります。仏というのは仏陀、さとった者という意味ではなくて、死んだ人そのものである。死体そのものであることさえもある。そういうような意識を持っているところへ、非常に超越的な存在であるキリスト教的な説明をしても、容易に受け入れられないわけです。ところが、新興宗教は、そうではなくて民衆が持っているものそのままに適用する。ということは、逆に申せば、民衆が持っているものの中から出てきたものだというふうに考えることができるかと思います。先ほども猪俣さんのお話に、立正交成会の長沼副会長が何か魔術を使うのですか、魔女ですか、何かおそろしい性格を持っているのじゃないかというようなお話がありましたけれども、日本人には、そういうものをおそれる、またそういうものを作り上げていく素質があるのです。ですから、これは地方的な教団でなくても——たとえば、東北地方へ参りますと、津軽のイタコというのがあります。イタコとかイチコとか言って、神がかりをやる。そしていろいろなお告げをする。そして一般的には口寄せと言ったり神おろしと言ったりいたしますけれども人間はそのまま神になるという意識がある。そのときには、つまり、神がかりになっているときには、ほかの人はそれを神と見て崇拝するというような態度をとる。こういうことが行われております。これなどはキリスト教の人などにはわからない一つの宗教的態度です。しかし、日本人には人が神になるという実際の行事があり、そしてまた、これが神がかりとして、いわば日本人の信仰の中枢をなすものとして、ほとんど全国にまたがって存在している。で、ここから出てきたのが新興宗教であるというふうに考えていいのじゃないかと思うのです。ですから、大部分の新興宗教にはそういう神がかり的な要素があります。ただ、それがそのなまの形でもって存在していたのでは、知識人また青年層にはなかなか受け入れられないから、そういうものが形を変えて他の形で現われてくる。たとえば、大本教では、かつては鎮魂帰神法というものを非常に重要視しておりましたけれども、今日では鎮魂帰神法というものは行なっておりません。修座という形に変ってきている。また、大本教の流れで、非常な大本教の直系であるという意識を持っている清水の三五教では、鎮魂はするけれども帰神はしないと言っております。つまり、大本教の鎮魂帰神法を二つに分けまして、鎮魂はするけれども帰神はしない。ということは、もう一つ展開させますと、神がかりにはならないということになります。あるいは生長の家で行なっている神想観というようなものは、これは多少大本教の影響があるのではないかと思います。というのは、教祖の谷口さんはかつて大本教にいた人でありますから、大本教の影響があるのではないかと思いますが、あそこで行なっている神懇親は、非常に鎮魂帰神的なものからは形を変えて、いわば一種の静座的なものに変ってきている。そういう変化があります。なまの形の神がかりというものは、むしろ今日では教派神道に残っている。教派神道と申しますのは、御承知と存じますが、神道を分けて普通神社神道と教派神道としまして、教派神道十三派というような言葉で言われておりまして、その中には、富士山を信仰しているもの、御嶽山を信仰するものなどがあります。扶桑教とか実行教というような、これが富士山を信仰するものであり、それから御嶽教が御嶽山を信仰するものでありますが、そういう山を信仰しているものにことに多く出てくるのが神がかりであります。京都の伏見の稲荷山は有名な神がかりの行場のようになっておりますけれども、ここなどへは教派神道の人たちも行って修行もしますし、その人たちが作っている講員を連れていって、その前で神がかりのようなことを行なっている。そのほか、教団形態をとらないものを含めますと、いわゆる行者というものがそういうものを行なっている。あるいはまた、日蓮宗の中にもそれに近いものが派としては存在しております。そういう点で、日本人の宗教意識には神がかりというものを承認するような態度が非常に強く伝統的に働いている。ですから、そういうものが一つの呪術的な態度である。私どもから言いますと、原始的な——近代的なものではない、前近代的な宗教的な態度なのだということがわかってもらえない限りは、こういうものがどうしても存続していくのではないか、こういうふうに考えます。
  157. 猪俣浩三

    猪俣委員 そして、この新興宗教の共通な形態と申しますか、たとえば、終戦前にありました日本の家族制度、天皇制、そういうものと一連の連関が、封建的な制度ないし思想、そういうものに貫かれておるような気がするのだ。たとえば、立正交成会にいたしましても、家の祖先を敬うというようなことで、結局家並びに家族制度というものを根幹にして、そうしてその上に導き親、——これも親と称する。やはり家族制度の一つの延長であります。その上に大親のような支部長というものがある。そうして、結局、そのまた上の教祖というのは、その宗団における天皇みたいな地位です。だから、絶対に批判は禁じられている。昔の天皇制と同じです。妙佼や日敬さんのことを言うと口が曲る、そう思い込んでいるらしい。こういうふうないわゆる権力的な組み立て、家族制度、最高位にある絶大な権力者、そうしてその権力者の命令に絶対に服従するというファッショ的な、全体主義的な組織、こういうものがこの立正交成会に見られますが、先生なんか広くほかの新興宗教を御研究になっておられますが、そういう共通な組織及び共通なそういう思想的基盤というものがあるのじゃなかろうか。その点、御所見を承わりたい。
  158. 小口偉一

    ○小口参考人 この点につきましては、私が書きました日本宗教の社会的性格という書物の中に相当詳しく取り上げておりますが、新興宗教だけでなく、既成の教団においても、最高の権威者、つまり教祖的存在を親とする、そして信者は子供であるという形で説いている宗教はかなりあると思います。この親の場合にも、学問的には、民族生活というものと関係いたしまして、日本のような農耕文化圏においてはその親が母親であるという形をとるのが一般的であります。ところが、牧畜文化圏においては、その親が父親の形をとる。キリスト教などがその場合に当りまして、天にましますわれらの父よと呼びかける。ところが、アジア大陸の大部分の宗教における神様は母親である。そういう民族的な違いが現われております。もちろん、これは今日の段階においては一つの仮説でありまして、すべての宗教をそれで割り切ることができるかどうかわかりませんけれども、とにかく、そういう長い伝統を持ってきております。その基盤の上に立っておりますので、新興宗教の大部分のものは、教団の上層部が親的な存在になってくる。そして家族主義的な宗教の形をとってくる。それが天皇制というものに結びつきますと、一種の権威主義的な宗教の形をとるというふうに展開しております。ですから、立正交成会の場合に限らず、これは、ほとんど大部分の新興宗教で、まあ新興宗教の先駆と言われる天理教などでもそうですが、あそこでも親様という表現がとられる。親ということでもって説明されている。今猪俣さんが言われましたように、確かに家族主義的なものに結びついている。従って、それが天皇制に結びついている。そして現実形態としては非常に封建的な教えというものを説く結果になるというふうには言えるかと思います。
  159. 猪俣浩三

    猪俣委員 結局、既成宗教と新興宗教、しかも新興宗教が非常に庶民階級に蔓延いたしまする第一の理由は、現世利益宗教、——これを信じておれば金もうけができる、病気にならない、不幸が除かれる、生命の本源に帰依するというような信仰よりも、現実のそういう現世的利益を説く。魂の悩みを大きな宇宙の愛によって清めるというようなことでなしに、何か金もうけが目の前にできるというようなこと、これが最も現世的な利益を追求する階級に歓迎せられるということからこれが広まる。それを既成宗教はあまりやらない。キリスト教なんというものは全く物質的利益というものを説かない。この物質的利益を説くということが非常に魅力がある。先ほど大宅氏が言われたように、一脈保全経済会の組織と似たような点が出てくるのであります。これがキリスト教なんかがあまり伸びないで新興宗教がずんずん伸びていく理由じゃなかろうかという点であります。  それから、先ほど先生のお話で、彼らはしにせを抱えておることができず行商して歩く、それはそうだと思うのであります。行商して自分の品物を買ってもらうように相当売り込み方をやる。これまではまだ了承できるが、今私どもが問題にいたしておりますのは押し売りであります。普通の商売でも押し売りは軽犯罪法によって処罰されるはずです。ところが、どうも立正交成会の支部長以下の階級の連中は押し売りをやっておる。その押し売りの道具に姓名判断、占いや予言を使っておる。それでなくとも近代人の神経が疲れておるところに、こういう姓名判断なんかによって、病気になる、火事になる、子供が死ぬというようにおどかされるために、相当発狂者が出ておる。そういう現況なのです。これはもう、行商して物を買ってくれと言うにとまらず、居すわって押し売りをやるところに行っているのじゃなかろうか、そういうふうに思われる。そういう押し売りをしておるというようなところが当委員会調査の目標になったわけなのですが、これはほかの宗教もみなこんな状態であるかどうか。こういう点について、先生の個人的の御感想になるかもしれませんが、承わりたいと思います。
  160. 小口偉一

    ○小口参考人 最初の、現世利益の問題でありますが、これもすでによく指摘されておるところでありまして、日本人の宗教というものは現世利益的だということであります。確かにその面が見受けられます。宗教というものが精神的なものである限りにおいては、そういう受け取り方はあまりよくないということになるには違いありません。しかし、その場合の現世利益ということが、現在に生活している者に何らか役に立つ、生き方としてプラスになるという意味であるならば、差しつかえないのじゃないかと思う。ところが、問題になりますのは、そうではなくて、金をもうけるとか病気をなおすとかいうことを目的に使われる手段の問題であって、そこに、私ども先ほどから申し上げております、呪術的な行為が行われる。わかりやすく言えば、おまじないが行われる。キリスト教との対比も実はそこにあるのじゃないかと思うのでありまして、日本人がキリスト教の信仰を受け入れる場合にも、あまりいいことではないのですけれども、やはり物質的な受け入れ方をしているのです。これはもうはっきりしております。戦後集団転宗というようなことを行なった京都府何鹿郡佐賀村の例がございますが、全村こぞってカトリックに転宗したのであります。しかし、今日ではそれは非常に形が変っている。なぜ全村がカトリックになったかというと、戦後困っているときでありますので、カトリックで学校も建ててやる、いろいろ物資の供給もしてやるということで、村人たちが全部それではカトリックになろうじゃないかということでなっている。そういうようなことで、宗教の側では、カトリックとしては、そこまでは考えなかったかもしれないけれども、民衆の方はそういうふうに受け取ってしまう。そういうような傾向がかなり強く見受けられます。ただ、その場合に、カトリックを含めてのキリスト教と新興宗教などとの違いは、そこに呪術的行為などというものはないということ、おまじないは行わない。病気をなおすならばこれは医療設備をもってなおすのであって、決しておまじないでなおすのではない。そういう点が非常に大きな違いになるかと思います。この点も先ほどから申し上げておるわけでありますが、呪術的行為というのは、宗教的行動の中では最も原始的なものであって、あまり好ましくない。好ましくないと言いますけれども、これは私たちが学問的に言っているので、実際はそういうことがしばしば行われる。大体これは三つの型があります。自然を崇拝するもの、それから物を崇拝するもの、事物崇拝、それから人間を崇拝するもの、これには天皇崇拝というものも入ってきます。そういう、自然と物と人間と、この三つを崇拝する形をとって、その中の自然崇拝というのは、自然的な環境に非常に左右されますから、日本では、山の崇拝というものは非常に強いけれども、川の崇拝というものはあまりない。ところが、その中で物の崇拝、事物崇拝というものが非常に強い。お守りとか、もう少し広めますと呪符というようなもの、病気をなおすときに使うのもあるし、病気にかからぬようにするというのもありますけれども、そのほかいろいろ人をのろうときに使うというような、そういうおまじないに使う呪符というものがある。これなどは非常に多いのです。そうしてまた、これが近代社会においても相当のインテリの人も使っておる。何かそれをしないと気が済まないというような社会的な基盤がある。自動車に乗りますと、たいてい交通安全というようなお札が張ってある。それは、自動車の運転手が、自分が信仰てしいるお札をぶら下げているならばまだいいが、そうではなくて、都営のバスのような場合にも、どこかの杜か寺院か、そういうところからもらってきたお札を張ってあるというようなことが行われている。つまり、こういう基盤なんです。ですから、近代建築を行う場合にも、屋上にお稲荷さんを建てて、何か守護してもらうという気持を持っている。そこまで突っ込んでいかなければ、なかなか——そういう社会であるということを一応認識して、そういうものから脱却するのには一体どうしたらいいかということを考えていただかなければいけないと思う。そういう基盤の上にあぐらをかいている、そうしてその上で大建築を建てているのが明治以後の新興宗教であるというふうに考えていいのではないかと思います。
  161. 高橋禎一

    高橋委員長 ほかに御質疑はございますか。——椎名君。
  162. 椎名隆

    ○椎名(隆)委員 簡単に庭野さんにお伺いしたいと思います。これは、あなた直接のことではないので、わからなければわからないでけっこうでございますが、長沼妙佼さんのことについてお伺いしたいと思います。どうも、妙佼さん、法務委員会から呼び出しを受けても、来るのを非常にいやがっておるように思われるのですが、ほんとうに病気なんでございますか。今の山梨県の下部温泉に行っていらっしゃるそうですが、いつごろから下部温泉に行っていらっしゃるのですか。
  163. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 下部温泉に参りましたのは先月の十九日に参りました。
  164. 椎名隆

    ○椎名(隆)委員 おとといお帰りになりましたか。
  165. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 帰りません。
  166. 椎名隆

    ○椎名(隆)委員 当法務委員会に長沼妙佼さんの診断書が三十日付で出ておるのです。これはおそらく診察しないで診断書を出すということはないだろうと思うのですが、この診断書を出した場所はどこかというと、東京都千代田区神田駿河台四丁目一番地の日本大学の内科の今本喜一郎さんという人がこれを出したのですが、今本喜一郎さんが三十日に下部温泉まで行ったのでしょうか。
  167. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 行って診察していただきました。
  168. 椎名隆

    ○椎名(隆)委員 行って診察しましたか。
  169. 庭野鹿蔵

    ○庭野参考人 はあ。
  170. 椎名隆

    ○椎名(隆)委員 それではけっこうでございます。
  171. 高橋禎一

    高橋委員長 ほかに御質疑はありませんか。——御質疑がなければ、これにて参考人の御意見の聴取は終りました。  参考人の方には熱心に御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  なお、この際政府委員に対しての御質問がございますか。——猪俣君。
  172. 猪俣浩三

    猪俣委員 人権擁護局長にお尋ねいたします。この立正交成会人権じゅうりん問題が相当人権擁護局に訴えられていると思いますが、今までお調べの概況を、一つ中間報告的に御報告願いたいと思うのです。
  173. 戸田正直

    ○戸田政府委員 過般の委員会におきまして、この事件がかなり各方面にわたっておるということを聞きまして、とりあえず読売新聞に出ておりまする情報記事だけを集めまして、それをお調べいたしますということをこの前お約束いたしました。全部で十数件ございましたが、そのうちすでに調査いたしております分を、中間でございますので、結論を申し上げるまでには参りませんが、とりあえずわかっておりまする分だけについてお答えいたします。  中野区仲町内田トラさんの事件、これは、新聞にございます記事のようなことを、被害者、家族等において言っておられました。これから、申し上げますることは、すべて被害者家族等についていわば被害者側の調査に基いて申し上げるのでありまして、その他の点に対する調査はまだ終っておりませんので、さよう御了承願いたいと思います。それから、平塚市新宿の和田龍男さんの事件であります。これも大体新聞のような事実が述べられております。それから、大田区調布鵜ノ木町の成田一未さんの事件、これは花井さんともいっているそうですが、この人の事件も大体同様であります。それから、杉並区方南町の渡辺——この名前は、私は和雄と申しましたが、これは綱吉の間違いでございます。この事件も大体新聞に報じておるのと大同小異であります。それから、渋谷区新橋の佐藤十太郎さんの事件、これはかような事実は認められません。それから、千葉県四ツ街道の山崎マツ子さん、これはなお未調査であります。なお、千葉県船橋の大塚ふくさん鈴木由蔵、滝口ゆき子さん、これはいずれもまだ千葉の法務局から報告がございません。と申し上げますのは、千葉と茨城におきましては、広く一帯にわたって調査をいたしておりますので、まだ全体の報告が参りませんので、これが含まれておりません。ただ、四ツ街道の山崎マツ子さんの事件につきましては、警視庁の調べでは、大体新聞の報じているのと同様だそうであります。それから、昭島市拝島松原の出本加代さん、これも大体新聞の報じておる通り調査されております。それから、八王子市中野町橋本丑松さんの事件、これも大体認められております。葛飾区新宿の富岡義雄さんの事件、これは未調査でありますが、すでに刑事事件としてこれは起訴猶予にされておるようであります。それから、追加分としまして、甲府の袋田町の山角病院の入院患者につきましては、大体新聞の報じていると同様な事実が認められております。それから、甲府市の上石田町の青柳さとさんの事件、これは、調査いたしましたが、かような事実は認められておりません。  以上が大体私の方の調べた結果でございますが、先ほど申し上げたようにいずれも被害者だけを調べたところでありまして、これに対する裏づけ調査はまだできておりません。従って、なお調査中でございますので、結論を申し上げる段階にまだ立ち至っておりません。
  174. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは、本日はこれにて散会いたします。   午後四時五十一分散会