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白石参考人 この方はお
名前を申し上げても差しつかえないようでありますから申し上げますが、茨城県多賀郡関本村
山小屋関場小野貞雄氏の詳細な
手紙であります。略して読みますが、「私は四十六才になる学問のないただの大工ですが、あなたが立正
交成会を訴えたのは賛成だ。
幹部の一人が、私の
姓名判断をやって、あなたは畳の上で死ねない人だと言う。おどかしたわけなのでしょうが、畳の上で死ねなければベッドの上で死ぬと言って、それきり行きませんでした。こんな悪い暗示を人に与えて無理に
信者にしようとする
交成会のやり方は実に卑劣です。私の隣のやはり土方のかかあは、これはもうすっかり
交成会につかれた気違いだ。小さい
子供が四人もいるのに、
一家の主婦の役目も果さず、
子供にワカメのような着物を着せ、満足に飯も食わせず、甘ったれ盛りの五つ六つの
子供を寒中戸外におっぽり出して道場に日参しているので、人々の笑いものになっています。そればかりか、他人の家をやたらに訪問して人の感情を害して歩いている。他人の不幸を喜ぶとしか思えません。たとえば、炭鉱でけがをしたむすこのいる家へ行って、その親に、御
先祖様の供養が足りないからむすこが死にかかっているのだとか、嫁入り前の娘さんのいる家ヘ行って、あなたの家では因縁が悪いから
信仰しないと娘が嫁に行っても一つところではおさまらないなどと言って親たちの憤りを買っている。どこかの家で災難を食うと、待ってましたとばかり、さもうれしそうに目を輝かして飛んでいきます。」
——中は略しますが、「まるで
妙佼先生が天地を支配しているかのように言うけれども、今は天皇ですら人間宣言されたのに、どこの馬の骨だかわからない妙佼ばあさんが
神様に成り上ったのでは、
日本の民主主義はめちゃくちゃです。私は一度怒って神だなに張ってある戒名とかを破り捨てましたところが、さあ大へんな評判になって、小野さんは必ず遠からずお
悟りがあると、
幹部を初め騒いでいます。そして私の身に何事かあれかしと首を長くして待っております。」
それから、これは新潟県見附市の一
信者としてありますが、女の方のようであります。「私らの町にもずいぶんたくさんの
信者がおりますけれども、中にはひどい迷惑をこうむっている人があります。現在でも、会をやめたいがたたりがこわいとか、また教師におどされていやいやながら
入会しておる人がたくさんあります。
交成会のやり方はひど過ぎる。まるでこの世に金をかき集めに出てきた亡者のようなものです。
名前を言うことができないで、はなはだ残念でありますが」
云々というのであります。これは見附の現在
信者の女の方であります。病人がありますというと、そこをつけ込んで、絶対に安静をしいられておる病人のところに面会を強要してそうして長い関すわり込む、これではとてもたまらぬ、こう言って来ております。
この方はお前は立川市柴崎一丁目の吉川保氏でありますが、最近の
手紙を読み上げます。「(1)立正
交成会(豊田道場)から来た者が、私に対する脅迫がましい言説のあったという事は、
白石様の訴訟の事が読売紙上に発表された前日だったと思いますから、それは三月五日の事でありましょう。一行三名(それは、私の
入会に主として勧誘にきた
幹部二名と、いわゆる「みちびき」親となった私の同僚社員の母親の三名ですけれど、その代表格の一番の
幹部の一人は、私の
入会の勧誘の際に数度来た以外かつて来なかったものです)は、ちょうどその時騒がれていた立正
交成会のいわゆる土地問題について、「あんな事実は無いのだ、それどころか、耕地整理組合から逆にその会ヘ土地を買ってくれと言ってきたと聞いている」との釈明とも打消ともつかないような
説明を約四時間(正午少し前から)にわたって続けた後、
一、中野のバス・ガールは立正
交成会の悪口を平素から言っていたが、こんども土地問題で「それ私が勝った」と言って、また
交成会の悪口を言った後、さてバスに乗って出て行ったが、間もなく、その何と
自分で乗っていたバスの下敷きとなって顔をひかれ、バケツにしぼるほど血を出した。一、柴崎町のある隣組長(吉川の同町内)は、豊田道場に来るように奨めていたのに来なかったから、勤めから帰って三時間で死んでしまった(この隣組長というのは、一面識もない人だが、その急死
——心臓マヒ
——の事は知っていた。しかしこの人が立正
交成会に
入会していたことは初めて知った。そして、う)の隣組長が、ここに来ている代表でない方の
幹部(軍人未亡人)の隣家だということも知った)。以上の表現は少し拙いけれども、こういう二つの説話を持出した事は間違いありません。しかし、それは私が
信者として熱心でなかったということ、ということは、日連様の
教えをもって逆に会の
教えをやり返していたということ、そんなわけで豊田への参詣も昨年初秋ごろからやめてしまっていたということ、また糖尿病患者(五年来)として、手術のようなことは絶対に禁物であることなど申しておったから、私の最もイヤがるこうしたいわば効果的な話題を製作して来て、一もみもんだというところなのでしょう。
信者の弱点を捉えることは立正
交成会か絶えず努力しているところで、道場でのいわゆる御
法座なるものでも、また家庭へ回ってくるお使いでも、常に
信者にざんげをなさしめ、
信者自身はもとより、祖先代々の経歴まで述べさせています。それにしても、以上の二つの説話には、私は、ばからしいにしても、やはり腹が立ったことですから、たまりかねて怒り出し、そんな脅かしを言いに来るのなら、もう会にもみんなにも用はないから、来てもらいたくないと言って、寝床の方に立ち去ってしまったような次第です。つまり、彼らは、正午前から来て、それはすでに四時ごろだったと思いますから、私は午後の安静(一時−三時)を完全にやめさせられてしまったわけです。彼らは、病人
信者には病気がなおるといって
入会させておきながら、一向に病気がなおらないのはともかくとして彼らの来訪は病人の安静時間も何も
考えていないのが通例です。豊田道場にお参りに来いというのもまた同じで、私など、糖尿病患者として五年来の制限食から体力が衰えているところへ、豊田道場の坂道を登っていって、昨年の夏のある暑い目に
法座で正座していて、気持が悪くなり、驚いて以後豊田行きをしばらくやめていたほどで、非科学的というか、会は病人に確かに無理をしいています。私など、豊田へ行かなくなり、それから会から離れたら、かえって元気になってきたように感じられます。それにしても、以上の私に対してなされたような説話が、一般の
信者——特に病者に対してもなされているとすれば、それは恐怖感を与えるに十分以上のものと思います。
こういうケースのものは、まだたくさんほかにもございます。