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1956-04-02 第24回国会 衆議院 法務委員会 第21号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
三十一年四月二日(月曜日) 午前十一時十三分
開議
出席委員
委員長
高橋
禎一君
理事
池田 清志君
理事
福井
盛太
君
理事
三田村武夫
君
理事
佐竹
晴記
君 小島 徹三君
小林かなえ
君
椎名
隆君
世耕
弘一君 林 博君 宮澤
胤勇
君
横井
太郎君
細田
綱吉
君 吉田 賢一君 志賀 義雄君
出席政府委員
警 視 庁 (
警察庁刑事部
長) 中川
董治
君
法務政務次官
松原 一彦君 検 事 (
刑事局長事務
代理)
長戸
寛美君
法務事務官
(
人権擁護局
長) 戸田 正直君
委員外
の
出席者
専 門 員 小木 貞一君 ――
―――――――――――
三月二十八日
委員椎名隆
君
辞任
につき、その
補欠
として
辻政
信君が
議長
の
指名
で
委員
に選任された。 同日
委員辻政信
君
辞任
につき、その
補欠
として
椎名
隆君が
議長
の
指名
で
委員
に選任された。 四月二日
委員風見章
君
辞任
につき、その
補欠
として
細田
綱吉
君が
議長
の
指名
で
委員
に選任された。 ――
―――――――――――
三月三十日
借地借家人組合法制定
に関する
陳情書
(第四三八号)
在日朝鮮人
の保障に関する
陳情書
(第四 四〇号) を本
委員会
に参考送付された。 ――
―――――――――――
本日の会議に付した案件
法務行政
及び
人権擁護
に関する件 ――
―――――――――――
高橋禎一
1
○
高橋委員長
これより
法務委員会
を開会いたします。 本日は
法務行政
及び
人権擁護
に関して
調査
を進めます。 質疑の通告がありますので、これを許します。
佐竹晴記
君。
佐竹晴記
2
○
佐竹
(晴)
委員
堂森一枝
さんの人権問題についてこの間の
委員会
でお尋ねいたしましたが、当時十分のお
調べ
ができていなかったと見えまして、満足のできるような御
答弁
をいただくことができなかったのであります。その際、
横井課長
であったと思いますが、次回までに必ずよく
調べ
ておくからということで、その結果をお待ちいたしておりました次第であります。もう十分御
調査
ができたことと思いまするから、この際詳細の御
答弁
をいただきたいと思います。
長戸寛美
3
○
長戸政府委員
堂森一枝
さんの件につきましては、先般
刑事局
から
山根検事
を
福井地検
、
金沢高検支部
、
名古屋高検
に派遣いたしまして
調査
をいたしたのであります。
さき
に御
質問
の際に
佐竹委員
からすでに述べられたことではございますが、まず順序としまして
堂森一枝
さんの
捜査経過等
を簡単に申し上げます。 昨年二月十九日
福井
県の
丸岡警察署
において
堂森一枝
さんを
戸別訪問
及び
買収
の
容疑
で
逮捕
いたしまして、同月二十一日に
福井地検
において
事件受理
、
勾留
の上
取調べ
を行いまして、四月十二日
保釈
となったわけであります。
同人
に対しましては、三月十二日、五月十三日の二回にわたりまして、七名に対する
買収
及び
戸別訪問
の
容疑
で
福井地裁
に
公判請求
をいたしております。その
事件
は
目下福井地方裁判所
に係属中でございます。
同人
につきましては、昨年二月十九日
逮捕
以来、同月二十四日まで
丸岡
の
警察署
、その日から三月四日まで
福井刑務所
、同日から同月二十九日まで
高志警察署
、同日から四月十二日の
保釈
まで
福井刑務所
に身柄を拘束いたしております。
右拘束
中、二月二十一百、
丸岡
の
警察署
で、また三月二十六日
福井地検
において
取調べ
中に健康に特異な
状況
が認められたほかは、おおむね
同一
の
状態
であると思われます。二月二十三日の
病状
の点でございますが、二十二日
夕刻
、
一枝
さんから、当時
取調べ
に当っておった
丸岡警察署巡査部長山口佐重
に対しまして、
心臓
が弱り頭痛がするという旨の申告があり、二十三日午前にも同様の訴えがありましたので、
取調べ
を中止いたしまして、午前九時過ぎに
同町
の
荒川医師
の
診察
を受けさせ、ついで午後二時半ごろに
福井刑務所
の
高橋医務課長
の
診察
を受けさせ、さらに午後五時ごろに
同町
の
友影医師
の
診察
を受けさせたのであります。 この
荒川医師
は、
警察医
という身分はないのでありますけれども、同署の
留置人
に
病人
が発生いたしましたような場合に常に
診断
を
依頼
しておる
医師
でありまして、
一枝
さんの
依頼
によって呼んだものではなくて、
警察
がみずから呼んだものであります。この三人の
医師
の
診断
の結果は
前回佐竹委員
から詳しく述べられた
通り
でございますが、
荒川医師
は、
本人
は全身がしびれる、
目まい
がする、病歴は数日前からからだ全体が少ししびれてふらふらして
目まい
があり、特にけさからひどくなり、頭が痛く
心悸高進
がある、以前にも
心臓病
をやったことがある、現在の
症状
はやせておって、体質は腺病質である、
脈搏
は微弱で不整脈であり、一分間に七十を数え、顔色は蒼白でやや
苦悶状
を呈し、
体温
は三十六度で
貧血症
がある、
心臓
を打診すると
心臓濁音界
が左右とも一
横指
ほど肥大しておる、心尖搏動が著明に出ていた
云々
とありまして、
精神状態
は
不安状態
で、涙を流し
泣き通し
である、
タイコス型血圧計
で
血圧
を測定すると、最高八十ミリ、最低六十ミリであった、以上によって、
本人
の
病状
は
心臓弁膜障害
で
僧帽弁閉鎖不全症
ではないか、そして
強度
の疲労、
神経衰弱
及び
うっ血肝炎
であった、
治療方法
としまして二十プロセントの
ブドウ糖液
四十CCに
ビタカンファー
一CC二本を加えて
静脈注射
、バンビタン二CC、
ネストン
二CCを皮下
注射
した、そして、同
医師
の
意見
としまして、即時入院させ、肉体的にも精神的にも
安静加療
を要する、でなければ
生命
に対する危険があるというわけであったのであります。 そういうふうな
診断
でありましたので、
警察
としましては、慎重を期して、さらに先ほど申し上げました時間に
福井刑務所
の
高橋医務課長
の
診断
を受けさしたわけであります。
高橋医師
の
診断
は、顔色普通、むしろ紅潮、
体温
三十六度二分、
脈搏
六十六、ただし一分間に一回ないし二回
結滞
があり、
胸部呼吸音
に異常を認めない、心音、第一第二音に移行時ややわずかに雑音を聞き取り、
結滞
を認めた、
血圧
、
エルマ水銀標準血圧計
で再三検査した結果、百十ミリないし六十八ミリ、その他身体的に何一つ異常を認めなかった、
本人
に
心臓病
の
既往症
を尋ねたところ約十年前に
心臓弁膜症
で
入院加療
したことがある、
症状
に対する
意見
としましては、検診の結果多少
心臓弁膜症
はあるけれども、
血圧
その他の
状況
から総合して、
勾留
して
取調べ
をするのに差しつかえないものと認められるというのであったわけであります。
治療
としまして
ビタミンB
1と
ビタカンファー
の
注射
をいたしておるようであります。 こういうふうに、
荒川医師
の
診断
と
高橋医師
の
診断
とが食い違ったものでありますからして、
警察
から
検察庁
にも話があり、さらにやはり同
警察
の
留置人
に
病人
があったようなときに
診断
をしておった付近の
友影女医
に
診断
を頼むことになったわけであります。
友影医師
の
診断
の結果は、精神的なショックはあるけれども、別段悪いとは見えない、
心臓
は少しわずらって寝るとのことであったわけであります。この三人の
医師
の
診断
の結果につきましては、当時
丸岡
の
警察署長
がそれらの
医師
から口頭の
報告
を受けただけでありまして、特に
診断書
を徴していたいのであります。従いまして、先ほど申し上げましたように詳細なものではなかったのでありますが、ほぼ右と同様であったわけであります。ただ、この
診断
の結果につきまして、
友影医師
は、第一審の
公判廷
におきまして
証人
として喚問された際に、
検察官
が
質問
をしておるのでありますが、
診断
の結果この
患者
をこのまま
留置場
に拘置しておくことによって
病状
が悪化するとか
生命
に危険があるというようなことを感じましたか、こういうふうな
質問
に対しまして、
本人
は
憂うつ症
があった、すぐ目から涙を落すので多くを語れなかったのであるが、あの
状態
で期間的に長く拘置しておくとどうかなと不安の念を十分持っていた、また、
心臓
が悪い点は確実であるけれども、
入院加療
を必要とするかどうかは、専門医でないし、一回の
診療
だけでは判定できない、しかし、このまますぐ起して取り
調べ
ることは絶対だめだろうと申しておいた、緊急に尋ねることがあれば、横臥さしたまま、その
まくらもと
に来て尋ねるように言い、将来のことについては何ともはかりかねる、こういう旨の供述があるのでありますが、それにつきまして
丸岡署長
にたがしましたところ、このような
報告
は当時受けておらないというふうに申して、この
友影女医
の証言と食い違っているのであります。この第一審の
公判廷
におきまして、当時の
主任検事
でありました
井村検事
は
検事研究
のために上京しておりまして、これがため
反対尋問
をいたしておらないのであります。その結果といたしましてこのような食い違いがあったのでありますが、
山根検事
が行って
調べ
たところによりましても、
丸岡署長
は、当時そういうことは絶対に聞いておらなかった、こういうふうに申しているのであります。 この三人の
医師
の
診断
はそれぞれ
医師
としての良心に従ってなされたものと信ずるのでありますが、
捜査当局
といたしましては、これらの
診断
のほか、
一枝
さんが、一昨年、
昭和
二十九年十二月末ごろから連日オート三輪車に乗って雪の深い道を運行して、さらにオート三輪の入れない路地には徒歩で広範囲にわたって、判明しただけでも百戸近くの
戸別訪問
をしており、また旧正月に各地で開催された
青年会等
に
出席
の上
応援演説
をするなど、
健康体
でなければなし得ないような激しい運動を続けていた事実があり、このことは、
逮捕
後
取調べ官
に対して、
主人
を当選さしてやろうと思って
着物
の
すそ
も破れてしまったと言って、
着物
の
すそ
を見せた事実からもうかがわれるし、次に、
逮捕
後毎日
取調べ
に当って
一枝
さんの
動向
をしさいに視察していた
取調べ官
として、
本人
の
健康状態
が
逮捕
前のそれに比して精神的にすぐれない点はあったけれども
勾留
にたえ得ない程度に悪化しているとは認められなかった、それからまた、慎重を期して
診断
を求めた
高橋
、
友影
両
医師
の
診断
によれば、
勾留
、
取調べ
は差しつかえないということである、こういうふうな点、また、
本人
が
選挙期日
八日前という大切な時期に
逮捕
せられたことは、御
主人
の当落に影響するところ重大であり、
政治家
の妻としての心情察するにかたくはなく、従って、その受けた精神的な影響は必ずしも小さくはなかったものと認められるけれども、
本人
の
病状自体
については、
心臓弁膜症
は認められるけれども、
勾留
に耐え得ないものとは考えられず、その
精神的打撃
もそれによって特に
病状
が悪化するものとは認められなかったので、諸般の
事情
を慎重に検討の上
勾留
の
継続
に決したわけでございます。この場合、私どもとして、三人の
医師
に見さしているのでございますが、一人の方が、このまま
勾留
を
継続
するとあるいは
生命
的危険があるかもしれないというふうなことを言われておるような場合におきましては、特に慎重を期してその際に正式の
診断書
を徴しておくべきであったというふうに一応考えられるわけでございます。 それから、次に、二月二十四日以降三月二十六日までの
病状
につきましては、二月二十四日
福井刑務所
に移監いたしまして、明るい南面の畳敷きの
病監
に収容し、
検察庁
からの
依頼
で
高橋医師
の
診療
のもとに置いて、連日
ビタミンB
と
ビタカンファー
の
注射
を行なっておったのであります。ただ、慢性的な
心臓弁膜症
でありますので、これがために特段によくなったり特に悪化したりする傾向はなく、
取調べ官
が
刑務所
に出張して取り
調べ
た際は
健康状態
は普通であったようであります。特に
違反
事実に関しないような事実につきましては寄りかかったふとんを離れて快活に応答するというようなところから見まして、おおむね
健康状態
と推察されたというのであります。 三月二十六日の
卒倒事故
について申し上げます。
捜査
が進展いたしまして、
選挙資金
といいますか、
選挙費用
に関する点に及んでいったようでありますが、三月二十六日の午後七時過ぎから
検察庁
におきまして
主任
の
井村検事
が取り
調べ
中に、午後九時ごろこの
選挙費用
の問題に触れまするや、
本人
が腰かけからゆっくりずり落ちるような格好で右側の方に倒れかかった。いわゆる
失心状態
のようになったわけでございましょう。
立会事務官
は直ちに
同人
の肩に手をかけて起そうとすると、
本人
が自分で立ち上ると言うので、これを手伝って起し、
応接セット
のソファーを二つ並べてその上に横臥させ、ストーブの火を消し、窓を開いた。数分後近くの二階の
電信室
の
宿直室
に移しまして休ませておりますと、あらかじめといいますか、
さき
に連絡しておいた
高橋医師
が来て
診察
をした。
本人
は、もう大したことはない、ちょっと
目まい
がしたということであったようであります。
高橋医師
の
診断
の結果は、軽い脳貧血の結果であるというので、
ビタカンファー
と
ビタミンB
を
注射
し、その後しばらく安静にして、
本人
がよくなったと言うので、
高志警察場署
に送ったわけであります。
検察庁
は
高橋医師
に対して
勾留
を
継続
できるかいなかについて
意見
を徴しましたところ、
勾留
は差しつかえない、
取調べ
についてはあすの
模様
を見た上で返答するということであったようであります。そこで、
警察
に対しては別命のあるまでは
取調べ
をせぬように命ずるとともに、翌二十七日朝、
高橋医師
の来診を求めたわけであります。二十七日午前十時ころ
高橋医師
が
高志署
におもむいた際、
川崎警部補
が
本人
を取り
調べ
中でありましたが、これは
検察官
との連絡が不徹底であったためでありましてその際にその
取調べ
はやめさしております。
高橋医師
が
本人
を
診断
いたしましたところ、もう何ともないということであったが、必要な
治療
を行い、
取調べ
については支障がないと認められたわけであります。その日の午後
検察庁
で取り
調べ
る予定でありましたが、
岡田検察事務官
を
警察署
に派遣し、
本人
の
病状
を見させた結果、
本人
の申し出によって
取調べ
を中止、静養させております。その日の
夕刻
、
高橋医師
は再度
治療
を行なっております。この間、これは
佐竹委員
すでに御承知のことでございますが、
高志警察署
の
選挙違反被疑者動向簿
というのがあるのでありますが、その三月二十六日の頃に、午後七時四十分、
福井地検井村検事
より呼び出しがあり、
藤井巡査押送
、
立会事務官
の話によれば、
取調べ
が始まって三、四十分ごろ、からだの
気分
がすぐれなかったのか、
卒倒
、直ちに
応急手当
をして
高橋医師
を迎えて往診を受ける、
検察庁
で午後十時四十五分まで静養したと言っていた、午後十一時署に帰着したが、意識がはっきりせず、そのまま就寝、朝
起床
時までの
間異状
はないが、夜中こんなことなら死にたいと漏らしていた、午前七時四十分
起床
、
異状
なし、
云々
とあるわけであります。 三月二十七日以後の
病状
につきましては、三月二十七日は先ほど申し上げた
通り
でありまして、翌二十八日も静養、二十九日
福井刑務所病監
に移監したのであります。これは
高志
という
警察署
には適当な病室がないために再び
刑務所
の
病監
に移監したわけであります。二十七日、二十八日、やや食欲が不振な
状態
でありましたので、
食事
はするように勧めたという
事情
がございます。
刑務所
に
移監後
は、
病監
におきまして連日
高橋医師
の
診断
を受けたが、その後の
病状
については、数日間やや
衰弱
の様子が見えたけれども、三十一日以後帰宅まで通常の
状態
である、こういうことでございます。
取調べ
の
状況
とかその他も続いて申し上げましょうか。
佐竹晴記
4
○
佐竹
(晴)
委員
一応それでよろしゅうございます。 ただいま御
答弁
をいただきましたが、これは前に
お答え
になったよりは正確な御
答弁
であることがうかがわれます。しかし、なおただしておかなければならぬ数点があると考えます。
前回
、二回だけ
発作
を起してあと
肝健康状態
であった、かように述べらもたが、そういうわけはないではないか、
注射
を
継続
してやっているではないかということを強く主張をいたしますると同時に、すでに
警察
並びに
検察
当日及び
裁判所
に出ておりまする書類の一端を引用いたしまして、その内容を明らかにしてお尋ねをいたしたのでありますが、先ほどの
お答え
には、初めは、二回だけ
異常状態
があって、その他はおおむね
同一
だ、こう
お答え
になってその他は
健康状態
であるとはおっしゃられなかったのであります。ところが、あとの
説明
によると、
本人
は
慢性病
であって、特に悪いとは考えられない、二回の
発作
以外はおおむね
健康状態
と認められる、こういう
お答え
になっております。そういたしますと、結局、結論といたしましては、
前回
の御
答弁
をそのままに繰り返しておるとよりは見ることができません。そうだといたしますと、私が
前回
質問
いたしましたことに対して一向に
お答え
をいただいておらぬと見る以外はございません。すなわち、
ビタカンファー
の
注射
などというものは、これは普通の
状態
の
病人
にはするものではないことは私の
説明
を待つまでもなく御存じと思います。これは特別な非常に危険のある
状態
の
病人
でなければやらない
注射
だそうであります。現に、この
一枝
氏の夫の
堂森代議士
が、みずからの長き経験に徴しましてそんなにこの
注射
は軽はずみにやるものではないということをはっきり述べております。しこうして、その
手当
の詳細については、
前回
私が
質問
をいたす際に引用いたしておりますので、この際は再びは申し上げません。危険な
状態
でなければ、とうていそういったような措置は講ぜられるわけがないと認めるに十分な
治療方法
が行われておるのであります。そういう
状態
であるのにかかわらず、二回の
発作
以外は特に悪いとは思われない、おおむね
健康状態
と認められる、
——
それならば何で非常に危険な
状態
にあると認められる
患者
に行うところの
注射
などを連日繰り返して行われたのであるか、私はそれを解するに苦しむのであります。さらに、
前回
にもお尋ねいたしておきましたが、最初
勾留
されるときは十三貫あったからだであります。帰って参りましたときは何と九貫です。肉を削り骨を削って帰っております。二回ちょっと
発作
があった、あとおおむね健康な
状態
であった者が、どうしてこんなにげっそりやせ衰えて帰ったであろう。これは、病気もよくなかったであろうと同時に、その
取調べ
がいかに深刻であったかということを、想像せざるを得ないのであります。だから、その
病状
についていま少しく御
説明
を承わりますと同時に、その
取調べ
の
状況
において、肉を削り骨を削るような、そんな無理な
取調べ
はなかったということの御
説明
をいただきません限り、人権問題といたしましての私の
質問
に対する御
答弁
をいただいたものとは思われません。いま少しくこの点承わりたいと思います。
長戸寛美
5
○
長戸政府委員
この
心臓弁膜症
ないしその後遺症ということでありますれば、たとい慢性的でございましても、場合によって危険があると思われ得るので、そのようなことから、
高橋医師
は
継続
してそのような
治療
を行なったと思うのであります。
福井地検
におきましては、この
高橋医師
の
——
これはあたりまえのことでございますけれども、
高橋医師
は
勾留
中ある
被疑者
について
勾留継続
が危険だという
意見
を付して
執行停止
の申請をしたこともたびたびある人でございまして、同
医師
の権限でそれができ、決して無理な
勾留
をさせるような
診断
をする
医師
でないというふうに
検察庁
は考えておったわけでございます。従いまして、特に
生命
的な危険というふうなことが
高橋医師
に感ぜられました場合には、もとよりその点の
意見
を付して
検察庁
へ出されたことと思うのであります。 次に、
取調べ
の
状況
を申し上げます。
検察庁
の
取調べ
の時間として、記録中、
留置人出入簿
というものがございますが、その
留置人出入簿
に、午後十時過ぎに及んだ事実の記載があるのでありますが、これは
本人
が
警察
に帰りまして
保護室等
に入房した時刻をしるしたものでありまして、
取調べ
はそれよりも早く終っているのであります。また、
取調べ
に際しましては、
本人
の健康に留意しまして、場所について、あらかじめ、
調べ室
がよいか、
——
これは
いす
にかけるわけでございますが、あるいは日本間がよいかというふうに尋ねまして、
本人
の希望によって
部屋
を選んでおるわけであります。三月二十六日のときは、これは
いす
で、
調べ室
で
調べ
ております。
気分
が悪いときにはいつでも申し出るように勧めておき、
継続
して三時間以上の
取調べ
は行なっていないようであります。日本間で
取調べ
をする際には、三個の火ばちを置きまして、
本人
が黒い炭をきらいますので、まっかにおこった火を入れ、上部の窓をあけ、換気をよくして楽な姿勢で
取調べ
に応ずるように細心の留意をした。
検察庁
から
刑務所
へ帰す場合におきましては、乗用車で人の目につかないように
配慮
をしておるようであります。処遇につきましては
検察庁
としてもできる限りの
配慮
をしておるようでありますが、
丸岡警察署
におきましては、
留置場
に入れず、常時
湯たんぽ
を与え、
福井刑務所
では、日当りのよい
部屋
に一人で寝かせ、
拘置所
におきましても
湯たんぽ
を与え、
押送
中は手錠をせず、
警察
官をして
うしろ
からついていかせる等の
配慮
をしておると認められるのであります。
弁護人
の接見につきましては、
弁護人
と打ち合せの上、
勾留満期
の日か前日に十五分、二十日
満期
の前日に十五分面接さしておるのでありますが、
弁護人
も協力的で、何らこれについて異議を申し立ててきていないようであります。三月三日十五分
大橋弁護人
、三月十二日
井田弁護人
、三月十三日
大橋弁護人
、三月二十九日、これは四十分のようでありますが
加藤弁護人
。 それから、
食事
の摂取の
模様
につきましては、二月二十三日以後数日
食事
をしなかったので、この点は
検事
が何か論告の際に
ハンスト云々
ということを言っておるようでありますが、これは当時の言動から
ハンスト
ではないかと考えたというのであります。三月二十六日以後数日
食事
が進まないため、努めて食べるように勧めておるようであります。 それから、本年二月四日の
診察
につきまして申し上げますが、
本人
の
公職選挙法違反事件
に関連する
村井幸太郎外
十名の同
法違反事件
につきまして
福井地方裁判所
では昨年八月一応審理が終ったのでありますが、
本人
を
証人
として喚問し得ないため進行を停止しておるわけであります。
裁判所
では
検察官
に対しまして
本人
の
病状
を
調べ
るように
依頼
せられましたので、三
国警察署
に内偵せしめましたところ、二月初め三
国署員
が
本人宅
を訪れて
病状
を尋ねた事実があります。その際
本人
が寝ておりましたので、
右署員
は
裁判所
から医者が来ると申して帰っております。二月四日
裁判所
は
本人方
に
医師
を差し向けて
診断
させたのでありますが、
検察官
は同道いたしておりません。この
診断
の結果は後ほど申し上げます。
検察官
が
本人
について
保釈
を取り消すというふうなことを言った事実につきましては、
検察官
は全然さようなことは申した事実はないようであります。ただ、
裁判所
が、
本人
の
保釈
について
住居制限
があるわけでございますが、これが
福井
に帰っておりましたので、
住居制限
の
違反
であるというふうに警告した事実はあるようであります。この
裁判所
の
診断
は、本年二月二十日
福井
市の
安川医師
の
鑑定
というのが出ております。病名は
心臓弁膜症
兼
神経症
ということでございまして、「以上
臨床診断並
に
既往症
を綜合するに本症の如き
心臓並
に
循環器疾患
に於ては最近
佐々廉平博士並
に
勝沼精蔵博士等
の統計に見るも毎年二月を中心として前後三、四カ月の間において悪化する事が断然多きと云われて居りますから、本
患者
の如きも目下厳寒の候に於ては比較的安静と
温包
を要すべきに依り
公判廷
に出頭する事は適当ならずと
鑑定
致します。次に第二の
臨床尋問
に対しては、
神経症
の
強度
の
発作
に留意しつ、審問を行う事は
司能
と認めます」
云々
という
鑑定
になっておる次第でございます。
佐竹晴記
6
○
佐竹
(晴)
委員
三人の
医師
に見せたところ、そのうち
刑務所
の
医務課長
の言うことが相当であると認められて、
本件勾留
が続けられておることが明らかにされました。しかし、この三人の
医師
の見立ては食い違っております。一人は町医であって荒川と申しておりますが、この
荒川医師
の
診断
と、
刑務所
の
高橋医師
と、その
診断
の結果が違っておる。そのときに、
刑務所
のお医者さんの言う
通り
にいたしておりますことが果して相当であるかどうかという点であります。町医の言うことだからこれはどうも間違いであろうと即断をすることはできません。しかも、当
委員会
に出て参った
答弁
によりますれば、
荒川医師
の言うことだけにけちをつけております。これは堂森派の人である、その言葉は堂森のためにうそをついてでもいい方に申立をするおそれのある
医師
であると言わんばかりの言い分をいたしまして、荒川の言うことには信をおけないという趣旨の
答弁
が局長からなされておる。ところが、ただいま局長代理の御
答弁
によりますると、三人の
医師
はいずれも良心に従って
診断
をしたことであろうというまことに公正なお言葉がありました。しかし今日までは荒川の言うことにすべてけちをつけております。そして、荒川の言うことを聞かなかったのは正当であり、
高橋
の言うことは正しいものである、かように見るところに
検察
当局としての考慮の上において欠けるところがありはしなかったか、私はこの点をいかにお
調べ
いただいたかをお尋ねいたしたいのであります。すなわち、
荒川医師
の
診断
によれば、先ほど局長代理より詳しく読み上げられた
通り
、
本人
は、
脈搏
微弱、不整脈で、一分間に七十、顔色蒼白、
苦悶状
を呈し、
心臓
部に収縮期性の雑音が聞かれ、
心臓弁膜障害
、
僧帽弁閉鎖不全症
ではないかと見た、かようにあります。そして、
血圧
は最高八十ミリから最低六十ミリであるとして、これに対して
ビタカンファー
を
注射
しております。ブドウ糖の
注射
等もいたしておる。この見立てとその
手当
とを総合いたしまするならば、よほど危険な
状況
であり、
荒川医師
の勧めておりまするごとく、これはすみやかに入院せしむべきものである。この進言は私は相当ではないかと思います。しこうして、
荒川医師
は、表面は
警察医
ではないかもしれませんが、事実上
警察医
の務めをいたしておりまして、もし秘密が漏れるようなときがあると困るから、お隣の野村病院に入れて、そこへ
警察
官をつけておいて、他との交通を遮断して秘密の漏れないようにして、そこで療養させたらいいじゃないかということまでも進言をいたしております。決して、堂森派の人であって堂森のためならばうそをついてでもかばうといったようなお医者でありませんことは、きわめて明白であります。しこうして、その後の
症状
をごらんいただきますと、
荒川医師
の言う
通り
になっております。にもかかわらず、この
荒川医師
の進言が受け入れられずして、
高橋医師
の進言
通り
にやったというところに、
検察
当局として十分なる注意、判断において欠けるところがあったのではないかと思うのであります。
高橋医師
は、この時、
血圧
最高百十五、大、最低八十、普通であって、危険ではないとあります。しかし、これは、
荒川医師
が応急措置をいたしまして一、二時間たってのことでございます。
荒川医師
が
応急手当
を加えてブドウ糖の
注射
をやり、
ビタカンファー
の
注射
をやって正常にさせておるところへ
高橋医師
がやって来て
血圧
も最高百十五、六、最低八十、この
状態
では危険な
状態
ではない、こう言っておる。もっと危険な
状態
であったもとの
状態
を基礎にすべきか、応急措置を講じたその直後の
状態
を基礎にすべきかといえば、応急措置をしなかった以前の自然の病態を基本にいたしまして、
本人
の病気が危険であるかどうか、入院せしむべきであるかどうかということを判断すべきは、これは私の
説明
を待つまでもないと思います。何でその自然の
病状
を基礎にして判断をしなかったのか。おそらく
検事
は言うでありましょう。それは
高橋
さんが荒川さんの応急措置をした後に見たものということを知らなかったと言うかもしれません。しかし、一体そういうことが許されるかということです。
検事
の承認のもとに身柄を
警察
へたたき込んで
調べ
を進めておる。
検事
の指揮なしには何事もできない
状態
である。しこうして、
荒川医師
に見させたのは
警察
からというのでありますが、これとて
検事
の了解なしに勝手にやったものとは思われません。そこで、
荒川医師
に見させた直後にさらにまた
高橋医師
に見させるということになれば、この
状態
において
検事
が知らぬとは言わせません。
荒川医師
が見て、応急措置を講じた直後にさらに
高橋医師
に見させなければならぬ
状態
であったといたしますならば、この間のことは
検事
が知らぬわけはありません。してみれば、
検事
は、応急措置を加えた直後に行われたところの
高橋医師
の
診断
と、応急措置を加えなかった以前の
荒川医師
の
診断
とを比較いたしまして、それに相違がある場合においては、一応
荒川医師
が当初
診断
をした当時の
状態
がその
本人
の
病状
の本然の姿であると認むべきではないかと思います。こういったようはときに、
高橋医師
の進言のみをとつて、
荒川医師
の言うことを聞かないというがごときは、私どもとうていこれを解するに苦しむのであります。何のゆえに
荒川医師
の
診断
を排除したのか。この
委員会
に出て後にも、
荒川医師
に見せたのは、それは
警察
の知ったところじゃない、
本人
の申し出差、こんなことを言う。ところが、中川警務部長さんがそこへ来ておられまして、いや違います、それは
警察
の方から言い出したので、
本人
から言い出したのじゃございませんと、まことに公正なことをおっしゃっていただきました。ところが、
荒川医師
は堂森派の人間だと言ってこの間これにけちをつけましたが、きょうはそれをおっしゃいません。だんだん公正なものに変りては参っておりますけれども、いざ最後の
診断
の点になりますと、
荒川医師
の
診断
を採用しなかった根拠について私どもを納得せしむることができません。側でもかんでも
荒川医師
の言うことにけちをつけ、
本人
の言うことにけちをつけて、そうして
刑務所
の
高橋医師
の言うことだけが正しいといったようなことに仕向け、
勾留
勾留
という方向へ持っていったではないか、かように見ざるを得ない実情にあります。そのここについて、どのようなお
調べ
があったでございましょうか、お尋ねをいたしたいと思います。
長戸寛美
7
○
長戸政府委員
この
荒川医師
の
診断
がありましてから、
警察
から地検の方にも
報告
があったわけであります。事は重大でございますので、
検察庁
としてもさらに
高橋医師
の
診断
を求めさせたわけであります。ところが、先ほども申しましたように、
高橋医師
と
荒川医師
との
診断
が非常に食い違ったというふうな点から、さらに
友影医師
の
診断
を得て、
勾留
の
継続
差しつかえなしという判断をいたしたのであります。先ほども申し上げましたように、これは三
医師
とも口頭で署長に申しておりますので、詳しい点よりも、むしろ
勾留
に耐え得るかいなかというふうな、最後的な結論のみが強く浮び上ったと私は思うのであります。そこで、先ほども申し上げましたように、こういうふうな事案について結論を出す際には、正式の
診断書
によるのが相当であるというふうに申し上げたわけでございます。事は
心臓
の問題でございますので、御存じのように、昨年五月二十二日の国立東京第一病院鴫谷
医師
の
診断書
というのが出ておりますが、それによりますれば、現症に対する
意見
としまして、心筋肥大あることは確実なるも、いわゆる弁膜症、ことに僧帽弁不全症の存在は確実でない、心尖部に存在する雑音は筋性の雑音で、弁膜症でないかもしれない、心電図解所見でも弁膜症の存在を証明するに足りない
云々
、こういうふうにあるわけでございます。従いまして、判断としてこの証明書等によって正式にやるべきであったと思うのでありますが、いずれにしましても、当時といたしまして、それぞれ信ずべき医者の
診断
を受け、そして二人の方が食い違い、さらにそれについて第三の
医師
の
診断
を受けた結果、
勾留
差しつかえなしという判断がなされたので、
検察官
としては
勾留
の
継続
をした、こういうふうに考えている次第でございます。
佐竹晴記
8
○
佐竹
(晴)
委員
私のお尋ねをいたしたいのは、
荒川医師
の言うことにおいて、ことさらに虚偽の
診断
をして
被疑者
を不当に擁護しようという、そういう関係が明らかになりません限りは、
荒川医師
の
診断
も尊重すべきではないか。すなわち、
荒川医師
の
診断
によれば、
血圧
最高八十ミリ、最低六十ミリ、これは専門医の言うところによりますれば
——
あとでもし必要とあれば一つ
鑑定
を願いたいと思うのでありますが、非常に危険な
状態
だそうです。そうして、先ほどお読み上げになったような、その他に幾多危険な
症状
が現われていて、その
症状
のもとに、
血圧
最高八十ミリ最低六十ミリの危険な
状態
があるために
ビタカンファー
の連続
注射
をいたしております。そうして、
荒川医師
の
診断
があったときに直ちに
報告
のありましたことはただいま
お答え
の
通り
であります。
報告
があったが、事実重大だからというので
高橋医師
に見せたのです。
高橋医師
は
荒川医師
の応急処置を受けた直後に見ておるのです。
荒川医師
の
診断
の結果は
検事
が
報告
を受け、どういう
治療
をしたかということの結果の
報告
は受けておるのです。そこで、さてそれは容易ならぬことだからもう一度
高橋
に見せようということで見せたのでしょう。病気の内容も知っておるし、
手当
の内容も知っておる。そこで、
高橋
さんが今度は
血圧
最高百十五、六、最低八十で危険がないと言っても、それは、今
荒川医師
が
応急手当
をやった直後の、危険な
状態
を脱して回復された
状態
にあるときに見た
高橋
さんの
診断
だから、
高橋
さんの言うことだけをとるわけにはいかぬ、こう
検事
は判断すべきであると私は思います。それが私は最も注意を払った正当な判断ではないかと思います。その荒川さんの
診断
がことさらに被告をかばうために虚偽の
診断
をしておるものと見たのならば、これは何をか言わんやであります。そうではなく、それも大いに参考にしなければならぬという前提にもし立つといたしますならば、
血圧
最高八十ミリ最低六十ミリというときに荒川さんが
注射
をして
応急手当
をした、その
報告
を受けた、そうして
血圧
がもり返しておる、そのもり返しておるところへ持っていって
高橋
さんに見せたので、
高橋
さんがはかったときに最高百十五、六、最低八十あったとしても、それは応急処置を加えた結果の
症状
である、だからその応急処置を加えられた以前の
荒川医師
の言われるところの危険
状態
は根本において存在するのだ、荒川さんの言うところの、
勾留
を続けて
取調べ
を続行するということについてはこれは考うべきであるという、この点を
検事
はまともに受け入れてしかるべきであったと思いますが、何がゆえに、
荒川医師
の
報告
を
検事
が受けながら、その
報告
に従わないで、応急処置を加えた直後に、応急処置の結果が現われた際における
高橋医師
の
診断
を採用しておるか、ここに誤まりがあるのじゃないか、ここに私は判断において欠けるところがありはしないかと言うのであります。この点、間違いはないと言われるのでありましょうか。
長戸寛美
9
○
長戸政府委員
病状
の
診断
はフレッシュなときになされることが必要であると思いますけれども、
荒川医師
の
診断
の結果、
勾留
に耐え得ないというふうな
診断
が出たので、それに対して慎重を期してさらに
高橋医師
の
診断
を受けまして、それに反する
診断
を得た、それで大事をとりまして第三の
友影医師
の
診断
を受けた、これは
検察官
として相当な
配慮
をしたというふうに私は考えております。
佐竹晴記
10
○
佐竹
(晴)
委員
私の聞くのはそこではないのであります。
友影
さんをあとで呼んだこと、これは前に私が詳しく聞きましたから、これは略しましょう。そうして、
友影
さんは言うた言わぬと言っておるけれども、
公判廷
でも、先ほど
報告
のあった
通り
、
友影
さん自身も、疑問である、専門医でないから自分にも判断ができないと言っており、こういう気持であったことがわかります。そうして、ただいま御
報告
になりましたように、あとで今度は他の専門医に判断させておりますが、そういうことをこの際すべきではなかったかと言うのであります。私の言うところは、荒川さんが、
血圧
が最高八十ミリ、最低六十ミリで危険である、このままではいけないと言って
応急手当
をした、その
応急手当
をして
血圧
がもり返したときに
高橋
さんが見て、そのもり返した
状態
を見て、やあ、これはけっこうである、
勾留
をやってもかまわぬと
高橋
さんがかりに言っても、
荒川医師
の
報告
を受けた
検事
としては、もっと掘り下げた検診を乞うべきではなかったか。
友影
さんの
報告
を記録によって見ても、そんなに専門的に
荒川医師
の
診断
いたしましたような精密な検査をした結果ではございません。どうも、
荒川医師
と
高橋医師
との
意見
が対立して、どちらが正しいかということを
診断
させるのに適当な
友影
さんではございません。またそのように掘り下げた詳しい
鑑定
はその際いたしておりません。だから両者の
意見
が食い違っておるとき、
友影
さんの
意見
が一つあったからこちらへ賛成なんていう、そんな関係ではございません。三のうちの二がこうあったから二対一で決定するというような問題ではなしに、事人命にかかわる問題であります。事人命にかかわる問題については、ここに科学的な判断を加えさせて、いよいよ心配ないということにならなければ、そう軽々しく判断をすべきではないと私は思うのであります。 私は、
高橋
さんの
診断
を当局がしきりに御強調なさいますので、さらに一つここに申し上げたいことは、堂森芳夫氏の公判において、この
高橋医師
は
福井
の地方
裁判所
に
証人
として出廷をいたしました。そのとき堂森氏から
高橋
さんに
質問
をいたしております。打診、聴診だけで
心臓
の病気を
診断
することはきわめて危険だと思うがどうか、すると、
高橋
証人
は、その
通り
です、専門的に
診断
する器械設備もありませんので、私の三十年間の経験によってそうした
診断
をしたのでありまして、科学的ではありませんと答えておる。危険千万であります。りつ然とせざるを得ない。その人の言うことだけを信用いたしまして、危険なしとして
勾留
を続ける。しかし
荒川医師
はそこに科学的に詳細なる判断を下しておる。その荒川さんの言うところは聞かないで、そうして、かようにまことに貧弱なる、しかもその
病状
をほんとうに深く検討するに十分な方法でないところの方法によって軽々しい
診断
をいたしておりますことは、法廷における供述の
通り
であります。その軽々しい、しかも器械設備などがないので単なる経験でやった、科学的ではありませんと言っておるその
診断
が採用されて、最も科学的によりよく
診断
をいたしました荒川氏の所見が一切採用されていないというがごときは、私はこれは相当なる注意をもって両
医師
の
診断
の結果に対して適当なる判断が加えられたものと見ることはできないのであります。何がゆえに、荒川氏と
高橋医師
の言うところのどちらに正しい点があるかということをいま一歩掘り下げ、そこに第三者の
診断
を得てその処置をしなかったか、それについていかなるお
調べ
ができておりますか、これを承わりたいのであります。
長戸寛美
11
○
長戸政府委員
診断
の方法は三人の
医師
とも大体同じでございます。
高橋医師
はエルマの標準
血圧
測定を行い、
友影医師
は
血圧
の測定を行なっていないのであります。荒川、
友影
の両
医師
は
心臓弁膜症
、
高橋医師
は
心臓
の
既往症
以外に故障はない、こういうふうに
診断
しておるわけでございます。先ほども申し上げましたように、
検察庁
としては、事急の場合でございましたので、それぞれの
医師
の
診断
の結果の口頭
報告
によって事を処置したのでありますが、お話のように、人の
生命
に関するというふうに一人の
医師
が申したことでもありますから、正式に
診断書
を徴するということになりますれば、さらに精密なる
診断
をしてその結果を出しておられると思うわけであります。それによって決定するということがより妥当であったということは、結果として申せるのでありますが、長年の経験のあられる
医師
として結論を出されたことを信じたということについて、私は、特に不当はなかった、こういうふうに考えるわけでございます。
佐竹晴記
12
○
佐竹
(晴)
委員
人命に危険があると 一人の
医師
が言ったときに、他の
医師
がきわめて非科学的な、そして多年の経験なりと称して軽い
診断
をした程度で、その
生命
危険なりとの前の
医師
の
診断
を排除し、かつ、前のお医者さんのやった
手当
に基いて相当回復いたしておりま
すそ
の
状況
を基本として、これは大丈夫だ、
勾留
を続けていいなどと言ったこと、その前後関係を全部知りながらさような判断をしたということについては、
検事
としても相当私は注意において欠けるところありと見ざるを得ないのであります。 さらに進んで伺いたいのは、三月二十六日の
卒倒
であります。これについても、前に局長が出て参りまして、いかにも
卒倒
を否定するがごとき
答弁
をなさいました。きわめてゆるやかに
いす
からすべり落ちた、いわゆる
卒倒
ではない、また事務官が手伝ってほかに寝かした、意識もはっきりしておるといったような、つまり
卒倒
を否定するがごとき
答弁
をなさっておりました。本日の御
答弁
におきましては、ややそれを緩和されたかのごとき御
答弁
ではありますが、しかし、結論においてはほとんど同様の御
答弁
と見ざるを得ません。しかし、先ほども局長代理においてお読み上げになっております
通り
、
高志警察署
の一件書によれば、三月二十六日午後十一時
証人
帰署したが、意識はなおはっきりせずとあります。そうして、
高橋医師
が法廷に出て証言をしたときに何と言うたかといえば、
検察
当局から
高橋
さんのうちに、
卒倒
したから早く来てくれと言うてきたから、あわてて自転車で行ったとあります。これは
高志警察署
の
被疑者
動向
簿によって明らかであるのであります。
高橋医師
自身に対して
被疑者
が
卒倒
したから早く来てくれ、そうして
手当
てを加えた。
警察
へ連れて帰ったが、午後十一時なお意識が十分でないというのでもこれをもっていたしましても、当日大したことはない、
卒倒
などということはない、意識を欠いたことはない、
本人
から何か苦痛を訴えた程度であって大したことはないと言われるのでありましょうか。いま一度承わっておきたいと考えます。
長戸寛美
13
○
長戸政府委員
ただいまお話のように、
高橋医師
に対する
裁判所
の第十三回
公判廷
における
答弁
によりますと、三月二十六日には
卒倒
したから来てもらいたいという
検察庁
からの電話があったので、私が行って
検察庁
二階の
宿直室
の畳の間に横臥している
堂森一枝
を
診察
したことがあります、それは午後九時半過ぎではなかったかと思います
云々
の記載があり、先ほども読み上げましたように、
動向
簿の記載等から申しまして、この
検察庁
において倒れた際には意識が不明になるというふうな
状態
ではなかったようでありますけれども、その後かなりの失心と申しますか、そういうふうな
状態
が出たことは事実のようでございます。
佐竹晴記
14
○
佐竹
(晴)
委員
検事
が
調べ
ておる際に
失心状態
がにわかに起ったのではないというふうに極力弁解をいたしたいようであります。しかし、それなら、何で
高橋医師
のところに
卒倒
したから至急に来てくれということを言う必要がありましょうか。記録がはっきり現われておるのです。この問題は、
検事
の
調べ
ておるうちに、被告が何か弁解したようです。すると、
検事
が大声を上げてどなったようであります。そこで
失心状態
が起ったことを
本人
が強く訴えております。
被疑者
の涙ながらの手記の中にもそれが入っております。
検察
当局といたしましては、このことからのがれたいのでしょう。
調べ
ておるうちに大声を上げてどなった、それで倒れた、こうなると大へんである、何としてもそれはのがれたい。だから、井本局長が過日答えた際にも、最初別に
卒倒
したんじゃない、すべり落ちるように、じっとゆるやかに何か横になろうとしたとか、あるいは、事務官が来て手伝ったが、自分で起き上ろうとして、決して意識を失っていなかったとか、こういったようなことをしきりに言っておりますが、しかし、
本人
はどこまでも、
——
そのときゆるやかであったかわかりませんけれども、意識を失ったことをはっきり述べております。局長代理もお認めの
通り
、午後十一時に
警察
に帰った当時意識不明であったことも事実である。ところが、いつから意識不明になったかというと、
検事
が
調べ
ておるその際からであるということを極力否認なさるので、私はそういう弁解はとうてい真実なりと受け入れることはできません。
高橋医師
の法廷における証言の、ごとく、
卒倒
したから早く来てくれということは、
検事
の
調べ
中に
卒倒
したものに相違あるまいと思います。もしそうだといたしますならば、実に五十日の長きにわたって
勾留
を続け、先ほど来重ねて申しておりまするが、ごとく、相当危険な
症状
にあってしかもこれに
ビタカンファー
の
注射
その他を連続して行なっております。そのお医者の
手当
それ自体だけでもわかるように、非常に危険なる
病状
にあるところの
被疑者
に対して、
勾留
取調べ
が繰り返されておる。そして、十三貫もあったからだが九貫幾らになって帰るような、その少し前のことです。そういう心身ともに疲れ切っておるときに、どなり上げれば、それは大がい倒れてしまいます。そういう
病人
に対してどなりつけて
調べ
るなんていうことは、それはまさに人権じゅうりんとして容易ならぬ問題でありますから、極力それを逃げたいでしょう。しかし、それではいつから意識不明になったかといえば、これは局長代理も明らかにせられません。しかし、
高橋医師
のところには、
卒倒
したから早く来てくれと言っておる。そうして、午後の十一時に署に帰ったときもなお意識不明であることも事実であって、その点はお認めになる。一体いつから意識不明になったのでしょうか。どういうお
調べ
をされたのでしょうか。
長戸寛美
15
○
長戸政府委員
岡田検察事務官
に対する
公判廷
における
取調べ
でございますが、
検察官
が「
堂森一枝
が
いす
からずり落ちる前に、
同人
を
井村検事
がしかったようなことがありますか」、これに対する答えとして、「矛盾はついていましたが、しかるようなことはありませんでした」と、こういうふうに申しておるわけであります。私はずり落ちる
云々
というようなことを決して弁解として申し上げておるのではないのです。これは、
山根検事
をやりまして
調査
させたところによりましても、やはり静かに崩れ落ちるような格好で
いす
から倒れた、こういうのが真相である、こういうふうに考えておるわけであります。これは余談でございますが、私自身が
検事
の際に、私の目前におきまして
被疑者
が、これはすでに
調べ
を終わりまして、調書を整理しているときでありましたが、書記のすずり箱の中にあったきりを用いまして胸を突いたのであります。その際に、やはり静かに崩れ落ちるような格好で倒れたのであります。これは事重大で、アンダー・シャツ一枚でございましたが、胸一ぱいの血になって倒れた。そういうふうな場合もございまして、決してばたっと倒れるばかりが重症というわけではなし、崩れ落ちるような格好で倒れたといたしましても、これは決して私が弁解として申し上げておるわけでないことを御了解願いたいのであります。その際に、それは倒れたくらいでございますから、非常に苦しんでおられたかとは思いますけれども、意識ははっきりしておって、先ほど申し上げたように事務官等に言われておる、これが真相である、かように私は信じた次第でございます。
佐竹晴記
16
○
佐竹
(晴)
委員
その三月二十六日、
卒倒
という言葉をもって表わしますことはどうかわかりませんが、ともかく意識を失った。そこで、そのとき
高橋医務課長
も、当分
調べ
てはならぬということを言うておる。ところが、その翌日は九時から
川崎警部補
がまた無理にお
調べ
をなさっておる。連絡不十分であったとは先ほど弁解されましたが、しかし、
検事
指揮のもとに
調べ
ておりまするそういったような案件を、しかもそういう重
病人
を、
検事
の了解なしに勝手に
調べ
るとは受け取れません。いま少しくその了解のなかったことに対する実情を私は承わりたいと思います。
長戸寛美
17
○
長戸政府委員
これは、
検察官
の方から
警察
の方に、こちらから別命のあるまで取り
調べ
ないようにというふうに事務官を通じて連絡さしたようで眠りますが、その連絡が確かに不十分でございまして、翌朝
高橋医師
が参りました際に、
川崎警部補
が取り
調べ
中であった。これははなはだ遺憾であります。連絡不十分の点については
検察庁
として相済まないことと思っております。
佐竹晴記
18
○
佐竹
(晴)
委員
私はそれが理解できない。
検事
がみずから
調べ
ておる。そうして、意識を失って、午後の十一時にも意識が不十分であった。
警察署
に送り帰しておる。それを何で
警察
が
調べ
ましょうか。そういうことはありっこありません。
検事
が直接
調べ
て、意識を失って帰しておる。それを今度は
警察
官が横取りして、
検事
の了解なしに
調べ
るなどということは、私は了解できません。一体どうなんでしょう。
検事
が直接
調べ
ており、意識を失って、
検事
自身が
取調べ
不可能になっておる場合に、
警察
が横側から勝手にそういう
調べ
をするなどということが普通にございましょうか。これを承わりたい。
長戸寛美
19
○
長戸政府委員
先ほども申し上げましたように、午後になりまして
検事
が
取調べ
をしようとして、
検察
事務官をあらかじめやりまして
病状
を見させておるわけであります。その際に
本人
の訴えもあり、
取調べ
をやめておるのでありまして、もし
取調べ
をし得ると考えましたならば一もう午前中に取調へさせたということでありますれば、そういうことなしに
検事
は直ちに
取調べ
をしておる、こういうふうに見られるわけでございます。これは私は連絡の不十分であったことはまことに申しわけないと思いますけれども、
検事
が特にそういう
事情
を知りながら
川崎警部補
に
調べ
させたというふうなことはないと信じております。
佐竹晴記
20
○
佐竹
(晴)
委員
そうではなしに、
検事
自身が
調べ
ておるときに、
被疑者
が
卒倒
して
取調べ
不可能になった場合に、
検事
の了解なしに勝手に
警察
官が
取調べ
をするなどということが通常あり得るかと言うのです。
長戸寛美
21
○
長戸政府委員
通常の問題としてはあり得ないと思います。
佐竹晴記
22
○
佐竹
(晴)
委員
そこに了解があったのであろうと思わざるを得ない事態があると思います。本案件を見て実に遺憾に思うことは、
本人
に対して
ビタカンファー
の
注射
その他一生懸命その
治療
の方法は講じております。しかし、その
治療
の方法は、
本人
の病気をなおすためにあらずして、
本人
から証拠をとるためにやった
注射
であるとより見るのほかありません。
注射
をして少しの健康を回復しておいては、これを
調べ
て証拠をとる。悪うなると
注射
をやっておいては証拠をとる。証拠をとるための
注射
というものは、これは許されません。米国においても、相当
衰弱
をしておる人間に
治療
を加えては証拠をとり、
注射
をやっては
取調べ
をする、その結果とったところのその証拠は証拠とならぬという判例があることを聞いておる。私はその詳細な判例を取り寄せることが多忙のために十分できなかったのでありますが、おそらく法務当局においてはそれくらいのお
調べ
はできておると思う。
被疑者
が重
病人
であるときに、それを病院その他適当の所に入れて
治療
をせしむることなしに、
注射
を打ってはその証拠をとり、悪くなるとまた
注射
を打っては証拠をとり、
卒倒
数回に及び、十三貫のがらだが九貫のからだになって、肉はついえ、骨削られて帰ってきた。かくしてしぼり上げられた証拠が形においてできておりましても、一体それがほんとうの証拠と言えるかどうか、私は問題だと思う。真に
生命
危険な
状態
にありますところの
被疑者
に対して、
注射
を打っては証拠
調べ
をし、悪くなればさらに
注射
を打って、これに対してまた証拠
調べ
を進める。そうして二回の
発作
以外は通常であったと言うけれども、その
注射
なくしては生きておられなかったであろうと認められるその被告に、
注射
を打っては
生命
を長らえさして、それから証拠
調べ
によって証拠を搾取する、搾取するという言葉は当りませんでしょうが、証拠をとる。まさに本案件はかくのごとき案件ではないかと私は思う。 全体としてこれを見たときに、相当の地位にあるところの夫人に、入院等適当な療養
手当
の方法を与えることなしに、また、秘密が他に漏れるようなおそれがあれば病院の一室なんかを借りて適当にやれることを
荒川医師
が進言しておるにかかわらず、これを採用することなしに、何で、かくも最後まで長きにわたって
勾留
を続けて、
注射
を打ち
注射
を打ちしてその証拠をとったのか。かくのごときは全体として一体どうお考えになるでありましょう。これは、はなはだしく人権じゅうりんであるし、かくのごとくして作り上げた証拠は全く正当でないと私は考えますが、いかがでございましょう。
長戸寛美
23
○
長戸政府委員
私は、人の
生命
が尊貴であるということは信じておるものでございまして、
検察官
が、人の
生命
を犠牲にして、
事件
を大事にするといいますか、証拠収集のために
注射
を打つ、こういうふうなことは考えられない次第でございます。当時、
捜査当局
といたしましても、
本人
につきまして現われた被疑事実についてあくまで
捜査
を遂行して、その真相を糾明しなければならなかったということはもちろんでございますけれども、他面、事案の態様から見まして、少しでも
勾留
に耐えないという疑いのある者を無理に
勾留
を
継続
して
取調べ
をしなければならないとは考えられなかったわけであります。また、特に御
本人
が名流の夫人で社会的地位を持っておられるわけでございまして、こういうふうな方にあるいは
生命
の危険があると認め得るにおきましては、
勾留継続
をする意図はかりそめにもなかったというふうに考えるのでございます。ただ、こういうふうな事案におきまして、御
病人
を長期にわたって
勾留
をするということは、できるだけこれを避け、お話のような特別な措置によってまかない得るものはまかなうというふうなこともあわせ考えるべきものとは考えております。
佐竹晴記
24
○
佐竹
(晴)
委員
時間が長くなりましたから、私はいま一点お尋ねいたしましておしまいにいたします。 堂森夫人の手記によると、
病人
を欺いて
病監
から
警察
の独房に移されたと、今なおそれを訴えております。
本人
の病気が回復していないのに、
取調べ
の不便を理由に一方的に
高志警察署
の独房に移しております。先ほどの御
答弁
によると、
高志警察署
には
手当
をするに十分なところがないために、
刑務所
の方へ回したと御
答弁
なさいました。ところが、事実は、この長きお
取調べ
の途中において、
本人
の病気が回復しないのに、
取調べ
が不便だといって逆に
警察
の独房に移している。しかも、その間、何とかしてお医者さんに来てもらいたいといって数回訴えたのに、見せておりません。そうして、未決
勾留
場の係の
警察
官は何とうそぶいたか。
警察
は金を払わないから、お医者さんは来てくれないよ、こう言ったということであります。これは驚くべき言葉であります。そういったようた事実を
本人
は極力訴えておるのでありますが、その事実の有無、それから、もしそれに似寄ったことがあるといたしますならば、いかなる事実があるか、これを承わりたいのであります。
長戸寛美
25
○
長戸政府委員
昨年三月四日にお託のように
高志警察署
に移しておるの中あります。これは、
捜査
関係におきまして、
本人
が健康を一応回復し、
取調べ
便宜のために移した、こういうふうになっております。
佐竹晴記
26
○
佐竹
(晴)
委員
それは大へん違うと思うのですが、同僚がなおこの点について
質問
をすることでありましょうから、あまり時間を費したことでもありますし、一応私はこれをもって打ち切ります。
高橋禎一
27
○
高橋委員長
細田
綱吉
君。
細田綱吉
28
○
細田
委員
法務省からは
山根検事
がお
調べ
になったというのですが、どういうふうなお
調べ
をやるのでしょうか。関係
検事
並びに
警察
官に一応聞き取ってくれ、この程度でしょうか。どういうお
調べ
をやっているか、その経過を御
説明
願います。
長戸寛美
29
○
長戸政府委員
先ほども申し上げましたように、
刑事局
の
山根検事
を
福井地検
、
金沢高検支部
、
名古屋高検
に派遣して実情を
調査
せしめたのでありますが、記録によりましてその全貌を把握し、特にその人権問題との関係部分を全部謄写いたしたのであります。そのほかに、
主任検事
である
井村検事
から直接に
説明
を徴し、さらには
高橋医師
、
友影医師
、横山
丸岡警察署
長、
金沢高検支部
の須賀
検事
等のそれぞれ
説明
を徴しておるわけであります。
細田綱吉
30
○
細田
委員
これは、率直に言ってどうです。
長戸
さんに伺うのだが、あなたも一線の
検事
の経験があるのだ。前に人権じゅうりんをやった立役者連中にずっと聞いておる。そうでないところは、しいて言えば
医師
です。これで真相がわかるでしょうか。これは一般論として伺うわけだが、
検察庁
の
取調べ
というものは大体こういう程度のものですか。この点伺いた。
長戸寛美
31
○
長戸政府委員
堂森一枝
さんの
事件
は現在
福井地裁
において裁判中でございますし、堂森氏の
事件
は最高裁において審理中であるというような
状況
下にありますので、
公判廷
における
取調べ
状況
というようなものと、その当時の
模様
を個々に尋ねまして、それによって総合考かくして判断をなす、こういうふうに考える次第であります。ただ、こういうふうに
調べ
た
検事
のみではなしに、たとえば私がある
事件
について特命を受けて
調査
に参りました場合には、その実際
調べ
られた人たちにも、特に
検察庁
にお呼びすることを避けて、人権の方をやっておられる法務局に来ていただきまして実情を聴取した、こういうふうな場合もございます。これは事案事案によって
調査
の方法が異なる、こういうふうに考えております。
細田綱吉
32
○
細田
委員
そうすると、本件はそういうことをやっておられない。法務局なんかの助力を得て
調べ
ていない。本件は大した人権じゅうりんの
事件
ではないというふうなお考えでございますか。
長戸寛美
33
○
長戸政府委員
いやしくも人の
生命
に関する問題でありますから、私どもはこれを重視しております。普通でありますれば、その長あるいはその監督官庁に対して
調査
を命じて、それによって満足する場合があるのでありますが、これは本
刑事局
から特に
検事
を派して
調査
せしめておるという点からも、われわれが重要性を痛感しておるということを御了承願えると思う次第であります。
細田綱吉
34
○
細田
委員
これもまた率直にあなたの御
意見
を伺うのだが、今
佐竹委員
からいろいろ事実を指摘しての
質問
でわかったと思うし、また本件はそういうふうにお
調べ
になっておるのでさらにおわかりだと思うのだが、われわれしろうとでは、
ビタカンファー
の連続
注射
といえば相当の
症状
だと思います。ビタミンの
注射
くらいのものはしろうとでもやりますが、少くとも
ビタカンファー
の連続
注射
です。先ほど、あなたは、
佐竹委員
の
質問
に対してまあこの程度ならば
勾留
に耐え得るというのが
検事
たちの考えではなかったかということですが、これは一般論として伺うのですが、
勾留
に耐え得るならば、出てから死んでもいい、
勾留
に耐えておる限りはこちらの責任ではないから、まあ
ビタカンファー
の連続
注射
でもやったならばここでは死なないのだからというような、一般論として、
勾留
に耐え得るということは、
本人
の健康を損じないということではなくして
勾留
中に死ななければいいというような御趣旨ですか。その点を一つ伺っておきます。
長戸寛美
35
○
長戸政府委員
勾留継続
というのは、その間だけでなしに、もちろんその近い将来にそれが因となって死亡を促進するというような場合でありましたならば、これは
勾留
を
継続
することはもちろんやめなければならぬ。これはもちろんのことであります。
細田綱吉
36
○
細田
委員
佐竹委員
が再三指摘したように、十三貫あった人が九貫になった。これは、出所してから直ちに日赤へ入院しているから、うそも隠しもない。この九貫というと、二十三貫の人が四貫減って十九貫になったのと違って、わずか十三貫の人が九貫になったのですから、それはわかるはずである。これがわからないというのだから、
高橋医師
というのはよほどやぶだと思う。同時に、上司の命を何でもそのまま迎合して
診断書
を書く人だと思う。こういう事実を
検察庁
から行ってどういうふうにお
調べ
になったか。
高橋医師
が最後までぴちぴちした御婦人だと見ておったか、また
取調べ
検事
もそういうふうに見ておったか、だんだんからだが
衰弱
していくのをなおかつ見られなかったか、その点はどういうふうに御
調査
になったのですか。
長戸寛美
37
○
長戸政府委員
先ほども申し上げましたように、
ビタカンファー
等の
治療
によりまして、特によくなりもせず悪くなりもしないという
状態
が続いておった、こういうふうに見ておったようであります。
細田綱吉
38
○
細田
委員
検察庁
の方針として、
勾留
中の人間が専門医の
診断
を必要とするような場合には専門医に見せるのか、あるいは遺憾ながら予算がなくてそういう方法はとらないのか、その点はどうですか。
長戸寛美
39
○
長戸政府委員
普通の
状態
におきましては、いわゆる
警察医
あるいは裁判医と称せられる人たちに見せておりますが、重症の場合には外部の専門医に見せることももちろんでございます。
細田綱吉
40
○
細田
委員
先ほど
長戸
さんは、
検事
の職を執行中の経験を言われた。私も、乏しい経験ですが、われわれの先輩に麻生久という人がいた。支那事変のころで、近衛内閣当時でありましたが、たまたま私は当時東京都制前の市会議員をやっておった。そういう関係で、何だか
心臓
が悪いという話なので、生きたタイを見舞に持って行った。非常に喜んで、すぐそいつを魚屋へ回して刺身にし、なおかつ奥さんがその一部を吸いものにして、一緒に昼飯を食ってきたが、太っておった人で、われわれが見たのには何も異常がなく、元気で、自分でこういう見舞を持ってきたことを何だかおかしいなと思ったのであります。ところが、私が出て五分かたったらぽっくりと死んじゃった。夕方ラジオのニュースで聞いておかしいな、そんなことはない、おれは昼飯を一緒に食って元気なところを見てきたのだと言ったのだけれども、心配して電話をかけたら、いや、あなたが出て三分か五分後に死んでしょったということだった。いかに
心臓弁膜症
が危険な病気かということがわかる。ある口の悪い私の先輩が、お通夜に行って、
細田
君、
心臓弁膜症
というのは悲しましてもいけないし喜ばしてもいけない、お前そんなものを持っていって喜ばせるから死んでしまったのだと冗談に言っていた。この
心臓弁膜症
というのは三氏とも大体
意見
が一致しておる。これを五十何日も入れておいた。これは確かに
ビタカンファー
の連続
注射
でもっておった。これはたまたま堂森君の細君だったからいいですよ。あとの養生がきかなかった人なら、おそらく
刑務所
から出て死んでいる。あなたもずいぶん
刑務所
から出て半年や一年でぽっくり死んだというような例を聞かれると思う。私は環境の相違だと思っておったが、そういう無理もやはり出てくる。こういうような専門医に見させるべき
心臓弁膜症
を、なぜ
高橋
という
刑務所
付のやぶ医だけを信用したか。この点は
調査
の結果どうだったのですか。
長戸寛美
41
○
長戸政府委員
私は、先ほども申し上げましたように、
医師
はそれぞれ良心に従って
診断
しておった、こういうふうに考えておるわけでございます。従いまして、
高橋医師
の
診断
につきましても、
検察庁
がその
意見
も聞いて判断した、こういうふうに思っておるわけでございます。ただ、お話のように、私は医学のことは何も存じませんが、これも余談になりますけれども、私の母も
心臓弁膜症
で死にましたので、
心臓弁膜症
なりその後遺症が非常に危険なものであることはよく承知いたしておるのでありましてこういうふうな場合におきまして、それが非常に危険である
状態
でありました場合には、
拘置所
の
医師
のみでなく、外部の
医師
、専門医にも見させる方がより妥当であるというふうに考えております。
細田綱吉
42
○
細田
委員
三十年三月七日付の
堂森一枝
の尋問、これは実は七日に
調べ
ていないですね。一審で芳夫君の
弁護人
がその事実をついた。ところが、当時担当
検事
は、いや、絶対に間違いないと言い張って、控訴においてその証拠を直してやったところが、それは実は八日の間違いであると言う。その
検事
は名古屋の地方
検察庁
へ転勤されたそうで、何だか栄転のような気がするのですが、係
検事
はこういう悪意に満ちた無理な
調べ
をしている。すんなりと
検察官
として虚心たんかいに事実を
調べ
ているのではない。同僚
佐竹委員
の
質問
にもいろいろあったように、かなり無理をしている。しかも、これはもちろん調書にはないのですが、堂森君に対して、お前と女房と二人一緒に入っているから気持がよいだろう、今度二人出ていくところを一つよく見てみたいから、こういうことを言ったので、さすがに堂森君もたまりかねて
検事
に食ってかかった。ところが、いや、失言で悪かったと言ったという。こういう
調べ
方、特に堂森君は、いやしくも一国の
政治家
です。その地方において病院長で、社会的にも地位のある人に、こういう悪意に満ちた
調べ
方をしている。今のようなカンフル
注射
を連続して八日に調書を取ったというから取ったに違いないが、とにかく全然
調べ
ていない七日付の尋問調書を証拠に出している。率直に言って、あなたの経験からして、これはすなおな
調べ
方であるか、若干行き過ぎがあったとお思いになるか、どうなんですか。
長戸寛美
43
○
長戸政府委員
井村君がそのような発言をしたかどうか、その点までは
調べ
の上では出て参らないのでございます。一般
事件
についてもさようでございますが、選挙
違反
の
調べ
につきまして、その
検事
の片言隻句にも特に留意して、不必要な発言はせぬように注意をしておるわけでございます。もしそういうようなことがありましたならば、それは十分に戒慎すべきものと思っております。 それから、全般を通じまして、こういうふうな
病人
については一日も早く身柄の拘束が解かれることが望ましいということは申せる次第でございます。当時、
検察庁
としては、他に重要なこれに直接関連する
被疑者
の逃亡というふうな問題等もありまして、五十数日の期間にわたったようであります。いずれにしましても、こういうふうな案件においては、なるべく早く身柄の拘束が解かれることが望ましいということは言い得ると思います。
細田綱吉
44
○
細田
委員
ただいまのは考え違いで、
井村検事
だと思っておったところが、高田次席
検事
です。特に夫婦が二人して出ていくところをあとで写真にとってやるという毒舌まではいて、
本人
に精神的な苦しみを一そう強くしている。これは
井村検事
ではなくて高田次席
検事
だということを御記憶願います。 時間の請求がありましたから、私は残余の
質問
を留保しておきます。
高橋禎一
45
○
高橋委員長
吉田賢一君。
吉田賢一
46
○吉田(賢)
委員
なお本件は
継続
して御審議になるようでありまするから、私はこの機会にちょっと伺って、この次の機会に十分に伺うことにしたいと思います。 第一に、一般的な御方針を聞きたいのでありますが、
検察庁
で
勾留
されておる
病人
を尋問するのに、病気のいかんにかかわらず夜尋問するということは一般に許されているのですか。これをちょっと伺っておきたい。
長戸寛美
47
○
長戸政府委員
健康体
の者でございましても、夜間はなるべく早く切り上げるように申しております。
病人
の方につきましても夜間取り
調べ
ることはその
病状
のいかんによってあり得るわけでございますが、これまたなるべく早く切り上げるというのが私どもの指示しておる方針でございます。
吉田賢一
48
○吉田(賢)
委員
なるべく早く切り上げるようにということで、これは常識論としてはわかるのですが、何か、夜間に取り
調べ
るようなときに、特に制限するとか、特に健康の
診断
をするとか、何らか特別の考慮をしなければならぬというふうにはなっておりませんか。これは、
被疑者
の人権を尊重するということは申すまでもなく基本的な態度でございまするので、なるべくということじゃなしに、
検察庁
としまして、内規とか、通牒とか、基準とか、あるいは方法とか、積極的、消極的制限とか、手配とか、そういうものは何もおきめになっておらぬのですか。あるいは何かきめてあるのではないでしょうか。
長戸寛美
49
○
長戸政府委員
そうした訓令書類はございません。ただ、
病人
に対しましては、その
刑務所
医なり、あるいは専門医に見させた場合に、その
取調べ
がいかなる方法によってなさるべきであるかというふうなことまで大体聞かせております。従いまして、それはいわゆる
臨床尋問
、寝たところへ行って聞かねばならぬ、その時間もどのくらいであるというふうな場合もございます。また、昼間のみで夜間の
取調べ
はやめるというふうな医者のあれがありますれば、夜間の
取調べ
はやめる。いずれにしましても、そういうふうな
医師
の
診断
と良識によって行われている、これが実情でございます。
吉田賢一
50
○吉田(賢)
委員
その際、
医師
の
診断
なるものは、
病状
が尋問に耐えるかどうかという消極的な面だけでなく、積極的に
被疑者
は問いに対して正当な陳述をなし得るような
状態
にあるかどうか、こういう点は
診断
をしないのですか。たとえば、今最高裁の通牒等によりまして、
医師
の
診断
の方式は御承知の
通り
に大体要綱もきめてあります。そうして、これは、
裁判所
に出頭をして正当な権利行使ができるかどうか、あるいは旅行ができるかどうかということまで必要事項として書くことになっております。今お説によれば、
医師
が非常に重大なかぎを握っておるようであります。その
医師
は、
被疑者
がみずからの権利を防御し、みずからの陳述、主張を十分になし得る
状態
にあるかどうか、可能かどうか、そういう点まで
診断
するのですか、しないのですか。
長戸寛美
51
○
長戸政府委員
私の経験から申しますれば、普通の場合にはそこまでの
診断
はしないというふうに考えておりますが、特に重症のような場合に、それを特に
検事
廷なら
検事
廷に呼び出してするということは非常に無理だというふうな程度、従って、そういうふうなところに呼び出して取り
調べ
るということになりますと十分の供述は得られない、つまり真実の供述が得られないというふうなことは申す場合もあろうかと思いますが、普通の
状態
においては昼間あるいは夜間、あるいは
刑務所
、あるいは
病監
に来て
調べ
る方がいいとか、そういう程度の話であろうと思っております。
吉田賢一
52
○吉田(賢)
委員
私は常識論を聞くのじゃなしに、あなたのお説によれば、
医師
の
診断
によって取り
調べ
るかいなやを
検事
はきめるらしい。その
医師
の
診断
の内容は、今の私の申した点に触れるのかどうか。触れないとすると、病気が高進するやいなやというようへことにとどまるならば、これは被疑七の正当な権利を行使し、もしくは防御するのに十分な考慮が払われずに
取調べ
をするということになるおそれがあります。でありますから、いやしくも
医師
の
診断
によって取り
調べ
るかいなやをきめる以上は、その
診断
の趣旨、内容、何をどう
診断
するかということは、相当厳密でなければならぬ。ことに、ただいまの私の申しまする点は、自分の権利を防御しもしくは主張するということは
被疑者
の当然の持っておる権利でありますから、この面に対しての考慮が払われなければいけませんので、御
答弁
によりますると、その際は普通には私が申す趣旨の
診断
は行なっていない、こういうふうに聞いていいのでございますか、それとも、今おわかりにならぬということになりますか、どちらでしょう。また、もう一つ、具体的に、
堂森一枝
氏の案件の場合にはそこまで
診断
が及んだのかどうか、その点いかがですか。
長戸寛美
53
○
長戸政府委員
この
堂森一枝
さんの三
医師
の
診断
につきましては、先ほども……。
吉田賢一
54
○吉田(賢)
委員
それだけでいいのです。一般的に私がお尋ねする点だけ……。
長戸寛美
55
○
長戸政府委員
先ほど申し上げた踊りでありまして、任意の供述を任意に供述され得るかどうかの
診断
まではしておりません。
吉田賢一
56
○吉田(賢)
委員
私はやはり任意に供述が可能かどうかが重要な問題点で去ろうと思うのです。任意に供述がなし得ないような
病状
の者を取り
調べ
るということは、ともするとやはり拷問になる危険がある。そのような危険なことは当然避けねばならぬと思うので散ります。これは一つその
医師
について少しはっきりとさせなければならぬと思います。 もう一つ伺いますが、
高志警察署
が
裁判所
か
検察庁
かへ提出した
被疑者
の
動向
簿なるものも、
昭和
三十年三月一十六日付の
堂森一枝
の
動向
についての記載によりますと、
警察
の
取調べ
が午前から午後に向ってあった、夜井村という
検事
の呼び出しがあって
取調べ
があった、それから夜の十一時に
高志署
へ帰着した、こういうことになっております。この点がだんだんと
佐竹委員
の御尋問になった点であります。そこで、私の伺いたいことは、人事不省、意識不明になったような
病状
の者を、たとい一時間といえども、昼といえども夜といえども取り
調べ
るということは、憲法、刑事訴訟法によって許されたる
検察官
の
取調べ
の行為の範囲を逸脱するのではないのであろうか、こう考えるのであります。これは私の考えというよりも、この事実に基く判断でありますが、あなたとしては非常に重要な判断になりますので、軽々にはなし得ない点でありますが、人事不省になった、意識不明になった者が、ともかく相当自由な任意な陳述、判断がなし得る
健康状態
を回復しない限りは、一時間といえども三十分といえども十分といえども、夜といわず昼といわず取り
調べ
るべきではないと私は思います。これに対する御所見はいかがでざいましょうか。
長戸寛美
57
○
長戸政府委員
先ほども申し上げましたように、三月二十六日の晩に
卒倒
されまして二十七日、二十八日の両日は
検察官
は
調べ
ておりません。ただ、遺憾なことは、二十七日の朝
検察庁
の連絡不十分のために
川崎警部補
が
調べ
た。これははなはだ遺憾である、こう思います。
吉田賢一
58
○吉田(賢)
委員
そうしますと、その点は御
答弁
が繰り返しになっております。私の聞いた点は繰り返しでないと思うのでありますが、そうしたら、三月二十何日というのを抜いて一般的に、意識不明になった者をその後取り
調べ
ようといたしますと、
診断書
によりまして、その後任意の供述ができる
健康状態
を回復したという証明、あるいは相当時間尋問に耐えられるというような証明が専門家によって判断せられるということは必要であると思うのでありますが、これは一般的にも、もしくはこの場合にもなさったのでございますか。
長戸寛美
59
○
長戸政府委員
私は医学のことはわかりませんけれども、いわゆる脳
貧血症
状で一時的に
失心状態
になる、こういうふうなことで、その後回復せられてくるというふうなことでありますならば、これは、
医師
の
診断
により、
勾留
に耐え得、または任意の供述の可能性もあるというふうな場合があろうと思うのであります。ただ、病気によりましてその失心なりあるいは意識を欠く
状態
というものが相当
継続
的なものであるというふうな場合におきましては、これはやはり
医師
の精密なる
診断
によって処理すべきものと考えております。
吉田賢一
60
○吉田(賢)
委員
それから、数回にわたり数名の
医師
が
診断
しておるのだから、概してこれは
病人
と見ていいのであります。とにかく、健康障害をしております
病人
に対しまして、その病気の程度のいかんにかかわらず、
病状
のいかんにかかわりませず、大体
取調べ
時間はどのくらいと、何か限度でも
検察庁
においてはきめておるのでありましょうか。
——
こういう尋ね方では適切な御
答弁
が得られないかもわかりませんから、こういうふうに聞きましょう。健康者たると
病人
たるとにかかわらず、
検察庁
の尋問は八時間も十時間も半日も
継続
するということは今日許されておるのでありますか。もしくは、何らかの通牒、訓示、訓令、何かによりましてまあ婦人ならば、子供ならば、
病人
ならば、最長どのくらいの時間というような概括的な時間の線でも引いておるのでありますか。その点いかがです。
長戸寛美
61
○
長戸政府委員
これは、ことに選挙
違反
事件
の
取調べ
におきましては、人権問題につきまして慎重な
配慮
をすべきであるというふうなことは一般に指示してございます。時間等は
検察官
の良識にゆだねまして、特に通牒その他出しておるというふうなことはございません。ただ、
健康体
におきましても夜間はまず十時というふうなくらいで切るべきものと申しておるわけでござ います。
吉田賢一
62
○吉田(賢)
委員
夜間十時に尋問するというようなことは、一体普通許され言ことでありましょうか。ここにも、私は全部通読しておりませんけれども、たとえば三月の十八日は、午前の十一時十五分から午後の九時二十分まで
警察
で
川崎警部補
が取り
調べ
た、十一時十五分から夜の九時二十分まで
調べ
たということを
警察署長
自身が言っておる。一体夜の十時に取り
調べ
るということで普通の正常な任意な供述が得られるのでありましょうか。われわれ
健康体
におきましても、普通に働いておれば、夜の十時といいましたならば心身ともに疲労しております。ましてや
病人
、ましてや拘禁されておる、そんな者が午前十一時から夜の九時半近くまで
調べ
られるということ、こういうことは許していいのでしょうか。良識良識とおっしゃいますけれども、こういうことについては何らかの、
——
主観的な判断だけでまかしておくというようなことは大へんでないかと思うのであります。この
事件
はあなたも直接間接お取り
調べ
の結果は十分に時間関係等は御了承のことと存じまするが、ともかく、こんな長時間、十時間も
調べ
るというようなことは、自体、人間の
生命
を尊重するとはあなたのお述べになるところであるが、これは心身に対する非常に過大な負担を課すことになりはしないでしょうか。
長戸寛美
63
○
長戸政府委員
ちょっと訂正申し上げます。原則的には昼間の
取調べ
をするわけでございます。ただ、
取調べ
をなるべくすみやかに終了するというふうな建前、あるいは、
本人
からの希望によりまして、夜間でも
調べ
てもらいたいというふうなこともございますので、夜間の
取調べ
をする場合もあるわけでございますが、これはおそくとも十時という意味で申し上げたわけでございます。 それから、なお、
病人
の場合に、そう長時間引き続き
調べ
ることは一般的に申して置くべきであるというふうに私は考えております。
吉田賢一
64
○吉田(賢)
委員
それは、そんななまやさしい問題でございません。申し上げるまでもなく、刑法の百九十四条片は、裁判、
検察
、
警察
の職務を行いまたはこれを補助する者はその職権を引用することはできないということになっております。また、あなたは、今市人の承諾によって夜間取り
調べ
ることがあるけれどもとおっしゃいますけれども、
本人
が進んで取り
調べ
てもらいたいと言うことは、おそらく異例で去ります。支障ないかと尋ねたときに、その立場も考えなければいけません。イエスと言ったからといって直ちに取り
調べ
ていいというような考え方は、やはりその際の両者の立場を考えないと、私は危険があると思うのであります。今お述べになったことが法務省もしくは
検事
もしくは
捜査
官のほんとうの考え方であるとするならば、やはり自発的に承諾をしたのかどうか、申し出をしたのかどうかということも取り
調べ
ていただかなければならぬ。また、さっきの三月十八日及び三月十九日、この日も午前午後
川崎警部補
が
調べ
て、午後の九時三十分まで取り
調べ
た午後の九時三十分まで十数時間ぶっ通しであったのか、あるいは休み休みやったのか、それは明らかでありません。いずれにいたしましても、夜の
調べ
は例外である、
本人
の申し出があるならば
調べ
ておる、
病人
ならなおさら、
病人
を
調べ
ることが適当かどうかについては
医師
の
診断
を必要とする、こう言われるのですが、
医師
の
診断
には、体力が耐えられるかどうかということだけではなく、積極的に権利を主張し防御するだけの、ほんとうに心身の働きをなし得るということの証明が必要なんです。何も
取調べ
を援助するために
医師
があるのではないと思うのです。一面において、
被疑者
も国民でありますから、
被疑者
の権利義務を守って公正な
取調べ
をさすということが
医師
の技術的協力だろうと思う。
検事
側に立って、あるいは一つの先入主、一つの僻見を持って見るようなことがもしありとするならば、断じて協力でないことはもちろんのこと、いずれにいたしましても、技術者である
医師
は第三者的な公正な立場を堅持しなければならぬのであります。ところが、それらについても、みずから権利防御ないしは権利主張、心身の健康を保持するということもまた当然われわれの権利でありますから、このような人間の持っておる基本的な人権を守る上におきましても、やはり拘禁されている人の地位を考慮する、その
配慮
があってしかるべきだろうと思うのです。そういう点について、
警察
の書類というものも非常に一方的な感じがするのでありますが、同時に疎漏きわまるものであります。ことに、これは連日ですよ。連日
病人
を夜まで
調べ
て、そうして他に支障がない限りは、これを十時間以上もぶっ通しでやっておる。ことに三月十七日は午後十時三十五分まで取り
調べ
ておる。むちゃくちゃなことをやっておりますね。驚き入ったことであります。一二月十六日は、これはまた午後の十時まで
井村検事
が取り
調べ
たと書いてある。午前の九時五十分から取り
調べ
ておる。これはむちゃくちゃなことですな。一体、こんなことでは、日本に人権が守られておらぬというおそれを国民が持ちますよ。こういう事実を世間、天下に公表しましたならば、りつ然として
検察庁
はほんとにどんなことをやるのだろうというような、そういう危険すら感ずると思うのであります。
検察官
に与えられている権限というものはそんなものではございません。
検察官
は刑事訴訟法以外にはないはずなんです。
警察
はまた刑事訴訟法並びに
警察
官についての特別な法規があるのでありますから、いずれも基本的人権を尊重するという原則は明確に守ってもらわねばならぬのである。ところが、
警察
が堂々と、夜の十時二十五分まで
調べ
ましたということまで書いてある。これに対して不思議に思わぬ。一体、こういうのは、連続十時まで
調べ
たのか、休み休み
調べ
たのか、その間において訴えたのか、承諾したのか、申し出でもしたのか、そういうことについて、そもそもあなたの方ではお
調べ
になったのですか。
長戸寛美
65
○
長戸政府委員
留置人
出入房の時間は房から出し入れしている時間を言うのでありまして、その間じゅう全部調ベたわけではないのであります。途中
食事
をさせ、あるいは休養もさしておるというのが実情であろうと思います。ただ、各日について個々には正確に
調べ
ておりません。
吉田賢一
66
○吉田(賢)
委員
これはまことに重大な御発言でありまして、やはり個々に、人権じゅうりんがあったかどうか、あるいは権限逸脱の行為があったかどうか、
取調べ
が過酷にわたっておったかどうか、
調べ
られた者が
病状
から言って
調べ
に耐え得たかどうか、これはやはり臨床的に当時の
状況
は明にして、正当な
取調べ
があったかいなやを判断すべきだと思う。にもかかわらず、それらの点についてお
調べ
がなかったことは、まことに遺憾でございます。ただし、私は、この種の事実関係がかなり反復して連続しているように思われまするので、その点重大損しまするが、きょうはごく簡単にといっておきましたので、一応この程度で終ることにいたします。 これは御相談というよりも
委員長
にお願いを申し上げたいのでありまするが、どうも直接的な感じがいたしません。人権じゅうりんがなかったら私はけっこうだと思いますし、もし相当権限逸脱の行為があったといたしましたら、こういうものは払拭せなければいかぬと思うのであります。これは
理事
会で御相談願ってけっこうだと思いますが、
調べ
た人に直接当
委員会
へ来ていただきまして、われわれの間に答えていただくようにするならば非常にいいと思いまするのですが、一つ
理事
会で御相談を願うことにして、なお資料につきましても少し資料を取り寄せを願います。さしあたりましては、先ほどからだんだん問題になりました荒川、
高橋
、
友影
の三
医師
の
診断書
、それから
被疑者
の尋問調書、最高裁にあるようでありまするから、最高裁にある堂森君の一、二審の判決書、謄本でけっこうでありますから、お取り寄せ願います。
高橋禎一
67
○
高橋委員長
ただいまの吉田
委員
の申し出に関しましては、一度
理事
会でよく相談して、いろいろ方針を決定いたしたいと思います。さように御了承願います。
吉田賢一
68
○吉田(賢)
委員
ついでに、さっき私が引用いたしましたのは抜粋でありますけれども、
高志警察署
が、
選挙違反被疑者動向簿
と申します見出しで、
堂森一枝
さんが
勾留
せられまして以来の、いつまで続くか存じませんけれども、三十年七月二十日付で作成いたしました文書があります。これにずっと書いてあります。これはぜひ一つ一緒に取り寄せていただきますようにお願いいたします。
細田綱吉
69
○
細田
委員
先ほどの、一般的にそういうことはない、しかし三月二十六日には
卒倒
して、そして二十七日の早朝から
川崎警部補
が、一般的ではないが、このときに
調べ
た、ただ
検事
の方で連絡があったかなかったか知らぬが、不十分であったというような法務省の
調べ
は、さっぱり当てにならない。この点は、なぜ
川崎警部補
が
調べ
たか、これは法務省と連絡がなかったかどうか、また別個な判断で
調べ
たのか、これは一つ中川刑事部長にその点をお
調べ
おき願いたい。 なお、朝の十時半から九時二十分とかあるいはまた十時十五分という深夜にわたり
取調べ
をしている。何か
刑務所
の人たちでも必ずついて行って、今
長戸
局長代理の言われるように、休み休み十分の安静を与えてやったか、あるいはそうでなかったかというようなことを、一つ
人権擁護局
長の方でもお
調べ
あって次の
委員会
までに御
報告
願いたい。
高橋禎一
70
○
高橋委員長
ただいま
細田
委員
の発言された点は、法務省及び
警察
庁の方はお聞き及びの
通り
と思います。従って、戸田
人権擁護局
長と
警察
庁の中川刑事部長におかれては、ただいま御発言の点に関しておのおの関係部門を
調査
して御
報告
なさるように希望いたします。
佐竹晴記
71
○
佐竹
(晴)
委員
私もあわせて述べておきたいことは、
被疑者
が釈放されて今日に至るもなお
公判廷
へ出ることを許されないほど実は
衰弱
が続いております。
病状
が続いております。従ってこういう
病人
になったということは、今回の不当
勾留
の結果であると私は思うのでありますが、いやそうではないという御見解でありますならば、その内容を一つ科学的に御証明をいただきたいと思います。これについては
人権擁護局
長においても十分のお
調べ
おきを願いたいと思います。先ほどの質疑応答の中で出ております、
調べ
て後数日のうちに死亡したとか、あるいは
勾留
が解かれて後数カ月に死亡したといったようなときには、これは重大な問題になりましょう。しかし、そういう死亡の事実がございませんでも、
勾留
の結果容易に立つあたわざる難症がその後続いたというようなごときは、人権じゅうりんの結果ではないかどうかということを、これはとくとお
調べ
を願わなければならぬ事項であると思います。この点について、なお本件はさらに質疑応答が続けられると思いますから、私においてもその点を確かめたいと存じます。十分の御
調査
をお願いいたしておきたいと存じます。
高橋禎一
72
○
高橋委員長
それでは、次回は公報をもってお知らせすることとして、本日はこれにて散会いたします。 午後一時四十七分散会