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1956-04-02 第24回国会 衆議院 法務委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月二日(月曜日)    午前十一時十三分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 福井 盛太君    理事 三田村武夫君 理事 佐竹 晴記君       小島 徹三君    小林かなえ君       椎名  隆君    世耕 弘一君       林   博君    宮澤 胤勇君       横井 太郎君    細田 綱吉君       吉田 賢一君    志賀 義雄君  出席政府委員         警  視  庁         (警察庁刑事部         長)      中川 董治君         法務政務次官  松原 一彦君         検     事         (刑事局長事務         代理)     長戸 寛美君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君  委員外出席者         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 三月二十八日  委員椎名隆辞任につき、その補欠として辻政  信君が議長指名委員に選任された。 同日  委員辻政信辞任につき、その補欠として椎名  隆君が議長指名委員に選任された。 四月二日  委員風見章辞任につき、その補欠として細田  綱吉君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 三月三十日  借地借家人組合法制定に関する陳情書  (第四三八号)  在日朝鮮人の保障に関する陳情書  (第四  四〇号) を本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  法務行政及び人権擁護に関する件     ―――――――――――――
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  本日は法務行政及び人権擁護に関して調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。佐竹晴記君。
  3. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 堂森一枝さんの人権問題についてこの間の委員会でお尋ねいたしましたが、当時十分のお調べができていなかったと見えまして、満足のできるような御答弁をいただくことができなかったのであります。その際、横井課長であったと思いますが、次回までに必ずよく調べておくからということで、その結果をお待ちいたしておりました次第であります。もう十分御調査ができたことと思いまするから、この際詳細の御答弁をいただきたいと思います。
  4. 長戸寛美

    長戸政府委員 堂森一枝さんの件につきましては、先般刑事局から山根検事福井地検金沢高検支部名古屋高検に派遣いたしまして調査をいたしたのであります。さきに御質問の際に佐竹委員からすでに述べられたことではございますが、まず順序としまして堂森一枝さんの捜査経過等を簡単に申し上げます。  昨年二月十九日福井県の丸岡警察署において堂森一枝さんを戸別訪問及び買収容疑逮捕いたしまして、同月二十一日に福井地検において事件受理勾留の上取調べを行いまして、四月十二日保釈となったわけであります。  同人に対しましては、三月十二日、五月十三日の二回にわたりまして、七名に対する買収及び戸別訪問容疑福井地裁公判請求をいたしております。その事件目下福井地方裁判所に係属中でございます。  同人につきましては、昨年二月十九日逮捕以来、同月二十四日まで丸岡警察署、その日から三月四日まで福井刑務所、同日から同月二十九日まで高志警察署、同日から四月十二日の保釈まで福井刑務所に身柄を拘束いたしております。  右拘束中、二月二十一百、丸岡警察署で、また三月二十六日福井地検において取調べ中に健康に特異な状況が認められたほかは、おおむね同一状態であると思われます。二月二十三日の病状の点でございますが、二十二日夕刻一枝さんから、当時取調べに当っておった丸岡警察署巡査部長山口佐重に対しまして、心臓が弱り頭痛がするという旨の申告があり、二十三日午前にも同様の訴えがありましたので、取調べを中止いたしまして、午前九時過ぎに同町荒川医師診察を受けさせ、ついで午後二時半ごろに福井刑務所高橋医務課長診察を受けさせ、さらに午後五時ごろに同町友影医師診察を受けさせたのであります。  この荒川医師は、警察医という身分はないのでありますけれども、同署の留置人病人が発生いたしましたような場合に常に診断依頼しておる医師でありまして、一枝さんの依頼によって呼んだものではなくて、警察がみずから呼んだものであります。この三人の医師診断の結果は前回佐竹委員から詳しく述べられた通りでございますが、荒川医師は、本人は全身がしびれる、目まいがする、病歴は数日前からからだ全体が少ししびれてふらふらして目まいがあり、特にけさからひどくなり、頭が痛く心悸高進がある、以前にも心臓病をやったことがある、現在の症状はやせておって、体質は腺病質である、脈搏は微弱で不整脈であり、一分間に七十を数え、顔色は蒼白でやや苦悶状を呈し、体温は三十六度で貧血症がある、心臓を打診すると心臓濁音界が左右とも一横指ほど肥大しておる、心尖搏動が著明に出ていた云々とありまして、精神状態不安状態で、涙を流し泣き通しである、タイコス型血圧計血圧を測定すると、最高八十ミリ、最低六十ミリであった、以上によって、本人病状心臓弁膜障害僧帽弁閉鎖不全症ではないか、そして強度の疲労、神経衰弱及びうっ血肝炎であった、治療方法としまして二十プロセントのブドウ糖液四十CCにビタカンファー一CC二本を加えて静脈注射、バンビタン二CC、ネストン二CCを皮下注射した、そして、同医師意見としまして、即時入院させ、肉体的にも精神的にも安静加療を要する、でなければ生命に対する危険があるというわけであったのであります。  そういうふうな診断でありましたので、警察としましては、慎重を期して、さらに先ほど申し上げました時間に福井刑務所高橋医務課長診断を受けさしたわけであります。高橋医師診断は、顔色普通、むしろ紅潮、体温三十六度二分、脈搏六十六、ただし一分間に一回ないし二回結滞があり、胸部呼吸音に異常を認めない、心音、第一第二音に移行時ややわずかに雑音を聞き取り、結滞を認めた、血圧エルマ水銀標準血圧計で再三検査した結果、百十ミリないし六十八ミリ、その他身体的に何一つ異常を認めなかった、本人心臓病既往症を尋ねたところ約十年前に心臓弁膜症入院加療したことがある、症状に対する意見としましては、検診の結果多少心臓弁膜症はあるけれども、血圧その他の状況から総合して、勾留して取調べをするのに差しつかえないものと認められるというのであったわけであります。治療としましてビタミンB1とビタカンファー注射をいたしておるようであります。  こういうふうに、荒川医師診断高橋医師診断とが食い違ったものでありますからして、警察から検察庁にも話があり、さらにやはり同警察留置人病人があったようなときに診断をしておった付近の友影女医診断を頼むことになったわけであります。友影医師診断の結果は、精神的なショックはあるけれども、別段悪いとは見えない、心臓は少しわずらって寝るとのことであったわけであります。この三人の医師診断の結果につきましては、当時丸岡警察署長がそれらの医師から口頭の報告を受けただけでありまして、特に診断書を徴していたいのであります。従いまして、先ほど申し上げましたように詳細なものではなかったのでありますが、ほぼ右と同様であったわけであります。ただ、この診断の結果につきまして、友影医師は、第一審の公判廷におきまして証人として喚問された際に、検察官質問をしておるのでありますが、診断の結果この患者をこのまま留置場に拘置しておくことによって病状が悪化するとか生命に危険があるというようなことを感じましたか、こういうふうな質問に対しまして、本人憂うつ症があった、すぐ目から涙を落すので多くを語れなかったのであるが、あの状態で期間的に長く拘置しておくとどうかなと不安の念を十分持っていた、また、心臓が悪い点は確実であるけれども、入院加療を必要とするかどうかは、専門医でないし、一回の診療だけでは判定できない、しかし、このまますぐ起して取り調べることは絶対だめだろうと申しておいた、緊急に尋ねることがあれば、横臥さしたまま、そのまくらもとに来て尋ねるように言い、将来のことについては何ともはかりかねる、こういう旨の供述があるのでありますが、それにつきまして丸岡署長にたがしましたところ、このような報告は当時受けておらないというふうに申して、この友影女医の証言と食い違っているのであります。この第一審の公判廷におきまして、当時の主任検事でありました井村検事検事研究のために上京しておりまして、これがため反対尋問をいたしておらないのであります。その結果といたしましてこのような食い違いがあったのでありますが、山根検事が行って調べたところによりましても、丸岡署長は、当時そういうことは絶対に聞いておらなかった、こういうふうに申しているのであります。  この三人の医師診断はそれぞれ医師としての良心に従ってなされたものと信ずるのでありますが、捜査当局といたしましては、これらの診断のほか、一枝さんが、一昨年、昭和二十九年十二月末ごろから連日オート三輪車に乗って雪の深い道を運行して、さらにオート三輪の入れない路地には徒歩で広範囲にわたって、判明しただけでも百戸近くの戸別訪問をしており、また旧正月に各地で開催された青年会等出席の上応援演説をするなど、健康体でなければなし得ないような激しい運動を続けていた事実があり、このことは、逮捕取調べ官に対して、主人を当選さしてやろうと思って着物すそも破れてしまったと言って、着物すそを見せた事実からもうかがわれるし、次に、逮捕後毎日取調べに当って一枝さんの動向をしさいに視察していた取調べ官として、本人健康状態逮捕前のそれに比して精神的にすぐれない点はあったけれども勾留にたえ得ない程度に悪化しているとは認められなかった、それからまた、慎重を期して診断を求めた高橋友影医師診断によれば、勾留取調べは差しつかえないということである、こういうふうな点、また、本人選挙期日八日前という大切な時期に逮捕せられたことは、御主人の当落に影響するところ重大であり、政治家の妻としての心情察するにかたくはなく、従って、その受けた精神的な影響は必ずしも小さくはなかったものと認められるけれども、本人病状自体については、心臓弁膜症は認められるけれども、勾留に耐え得ないものとは考えられず、その精神的打撃もそれによって特に病状が悪化するものとは認められなかったので、諸般の事情を慎重に検討の上勾留継続に決したわけでございます。この場合、私どもとして、三人の医師に見さしているのでございますが、一人の方が、このまま勾留継続するとあるいは生命的危険があるかもしれないというふうなことを言われておるような場合におきましては、特に慎重を期してその際に正式の診断書を徴しておくべきであったというふうに一応考えられるわけでございます。  それから、次に、二月二十四日以降三月二十六日までの病状につきましては、二月二十四日福井刑務所に移監いたしまして、明るい南面の畳敷きの病監に収容し、検察庁からの依頼高橋医師診療のもとに置いて、連日ビタミンBビタカンファー注射を行なっておったのであります。ただ、慢性的な心臓弁膜症でありますので、これがために特段によくなったり特に悪化したりする傾向はなく、取調べ官刑務所に出張して取り調べた際は健康状態は普通であったようであります。特に違反事実に関しないような事実につきましては寄りかかったふとんを離れて快活に応答するというようなところから見まして、おおむね健康状態と推察されたというのであります。  三月二十六日の卒倒事故について申し上げます。捜査が進展いたしまして、選挙資金といいますか、選挙費用に関する点に及んでいったようでありますが、三月二十六日の午後七時過ぎから検察庁におきまして主任井村検事が取り調べ中に、午後九時ごろこの選挙費用の問題に触れまするや、本人が腰かけからゆっくりずり落ちるような格好で右側の方に倒れかかった。いわゆる失心状態のようになったわけでございましょう。立会事務官は直ちに同人の肩に手をかけて起そうとすると、本人が自分で立ち上ると言うので、これを手伝って起し、応接セットのソファーを二つ並べてその上に横臥させ、ストーブの火を消し、窓を開いた。数分後近くの二階の電信室宿直室に移しまして休ませておりますと、あらかじめといいますか、さきに連絡しておいた高橋医師が来て診察をした。本人は、もう大したことはない、ちょっと目まいがしたということであったようであります。高橋医師診断の結果は、軽い脳貧血の結果であるというので、ビタカンファービタミンB注射し、その後しばらく安静にして、本人がよくなったと言うので、高志警察場署に送ったわけであります。検察庁高橋医師に対して勾留継続できるかいなかについて意見を徴しましたところ、勾留は差しつかえない、取調べについてはあすの模様を見た上で返答するということであったようであります。そこで、警察に対しては別命のあるまでは取調べをせぬように命ずるとともに、翌二十七日朝、高橋医師の来診を求めたわけであります。二十七日午前十時ころ高橋医師高志署におもむいた際、川崎警部補本人を取り調べ中でありましたが、これは検察官との連絡が不徹底であったためでありましてその際にその取調べはやめさしております。高橋医師本人診断いたしましたところ、もう何ともないということであったが、必要な治療を行い、取調べについては支障がないと認められたわけであります。その日の午後検察庁で取り調べる予定でありましたが、岡田検察事務官警察署に派遣し、本人病状を見させた結果、本人の申し出によって取調べを中止、静養させております。その日の夕刻高橋医師は再度治療を行なっております。この間、これは佐竹委員すでに御承知のことでございますが、高志警察署選挙違反被疑者動向簿というのがあるのでありますが、その三月二十六日の頃に、午後七時四十分、福井地検井村検事より呼び出しがあり、藤井巡査押送立会事務官の話によれば、取調べが始まって三、四十分ごろ、からだの気分がすぐれなかったのか、卒倒、直ちに応急手当をして高橋医師を迎えて往診を受ける、検察庁で午後十時四十五分まで静養したと言っていた、午後十一時署に帰着したが、意識がはっきりせず、そのまま就寝、朝起床時までの間異状はないが、夜中こんなことなら死にたいと漏らしていた、午前七時四十分起床異状なし、云々とあるわけであります。  三月二十七日以後の病状につきましては、三月二十七日は先ほど申し上げた通りでありまして、翌二十八日も静養、二十九日福井刑務所病監に移監したのであります。これは高志という警察署には適当な病室がないために再び刑務所病監に移監したわけであります。二十七日、二十八日、やや食欲が不振な状態でありましたので、食事はするように勧めたという事情がございます。刑務所移監後は、病監におきまして連日高橋医師診断を受けたが、その後の病状については、数日間やや衰弱の様子が見えたけれども、三十一日以後帰宅まで通常の状態である、こういうことでございます。  取調べ状況とかその他も続いて申し上げましょうか。
  5. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 一応それでよろしゅうございます。  ただいま御答弁をいただきましたが、これは前にお答えになったよりは正確な御答弁であることがうかがわれます。しかし、なおただしておかなければならぬ数点があると考えます。  前回、二回だけ発作を起してあと肝健康状態であった、かように述べらもたが、そういうわけはないではないか、注射継続してやっているではないかということを強く主張をいたしますると同時に、すでに警察並びに検察当日及び裁判所に出ておりまする書類の一端を引用いたしまして、その内容を明らかにしてお尋ねをいたしたのでありますが、先ほどのお答えには、初めは、二回だけ異常状態があって、その他はおおむね同一だ、こうお答えになってその他は健康状態であるとはおっしゃられなかったのであります。ところが、あとの説明によると、本人慢性病であって、特に悪いとは考えられない、二回の発作以外はおおむね健康状態と認められる、こういうお答えになっております。そういたしますと、結局、結論といたしましては、前回の御答弁をそのままに繰り返しておるとよりは見ることができません。そうだといたしますと、私が前回質問いたしましたことに対して一向にお答えをいただいておらぬと見る以外はございません。すなわち、ビタカンファー注射などというものは、これは普通の状態病人にはするものではないことは私の説明を待つまでもなく御存じと思います。これは特別な非常に危険のある状態病人でなければやらない注射だそうであります。現に、この一枝氏の夫の堂森代議士が、みずからの長き経験に徴しましてそんなにこの注射は軽はずみにやるものではないということをはっきり述べております。しこうして、その手当の詳細については、前回私が質問をいたす際に引用いたしておりますので、この際は再びは申し上げません。危険な状態でなければ、とうていそういったような措置は講ぜられるわけがないと認めるに十分な治療方法が行われておるのであります。そういう状態であるのにかかわらず、二回の発作以外は特に悪いとは思われない、おおむね健康状態と認められる、——それならば何で非常に危険な状態にあると認められる患者に行うところの注射などを連日繰り返して行われたのであるか、私はそれを解するに苦しむのであります。さらに、前回にもお尋ねいたしておきましたが、最初勾留されるときは十三貫あったからだであります。帰って参りましたときは何と九貫です。肉を削り骨を削って帰っております。二回ちょっと発作があった、あとおおむね健康な状態であった者が、どうしてこんなにげっそりやせ衰えて帰ったであろう。これは、病気もよくなかったであろうと同時に、その取調べがいかに深刻であったかということを、想像せざるを得ないのであります。だから、その病状についていま少しく御説明を承わりますと同時に、その取調べ状況において、肉を削り骨を削るような、そんな無理な取調べはなかったということの御説明をいただきません限り、人権問題といたしましての私の質問に対する御答弁をいただいたものとは思われません。いま少しくこの点承わりたいと思います。
  6. 長戸寛美

    長戸政府委員 この心臓弁膜症ないしその後遺症ということでありますれば、たとい慢性的でございましても、場合によって危険があると思われ得るので、そのようなことから、高橋医師継続してそのような治療を行なったと思うのであります。福井地検におきましては、この高橋医師——これはあたりまえのことでございますけれども、高橋医師勾留中ある被疑者について勾留継続が危険だという意見を付して執行停止の申請をしたこともたびたびある人でございまして、同医師の権限でそれができ、決して無理な勾留をさせるような診断をする医師でないというふうに検察庁は考えておったわけでございます。従いまして、特に生命的な危険というふうなことが高橋医師に感ぜられました場合には、もとよりその点の意見を付して検察庁へ出されたことと思うのであります。  次に、取調べ状況を申し上げます。検察庁取調べの時間として、記録中、留置人出入簿というものがございますが、その留置人出入簿に、午後十時過ぎに及んだ事実の記載があるのでありますが、これは本人警察に帰りまして保護室等に入房した時刻をしるしたものでありまして、取調べはそれよりも早く終っているのであります。また、取調べに際しましては、本人の健康に留意しまして、場所について、あらかじめ、調べ室がよいか、——これはいすにかけるわけでございますが、あるいは日本間がよいかというふうに尋ねまして、本人の希望によって部屋を選んでおるわけであります。三月二十六日のときは、これはいすで、調べ室調べております。気分が悪いときにはいつでも申し出るように勧めておき、継続して三時間以上の取調べは行なっていないようであります。日本間で取調べをする際には、三個の火ばちを置きまして、本人が黒い炭をきらいますので、まっかにおこった火を入れ、上部の窓をあけ、換気をよくして楽な姿勢で取調べに応ずるように細心の留意をした。検察庁から刑務所へ帰す場合におきましては、乗用車で人の目につかないように配慮をしておるようであります。処遇につきましては検察庁としてもできる限りの配慮をしておるようでありますが、丸岡警察署におきましては、留置場に入れず、常時湯たんぽを与え、福井刑務所では、日当りのよい部屋に一人で寝かせ、拘置所におきましても湯たんぽを与え、押送中は手錠をせず、警察官をしてうしろからついていかせる等の配慮をしておると認められるのであります。  弁護人の接見につきましては、弁護人と打ち合せの上、勾留満期の日か前日に十五分、二十日満期の前日に十五分面接さしておるのでありますが、弁護人も協力的で、何らこれについて異議を申し立ててきていないようであります。三月三日十五分大橋弁護人、三月十二日井田弁護人、三月十三日大橋弁護人、三月二十九日、これは四十分のようでありますが加藤弁護人。  それから、食事の摂取の模様につきましては、二月二十三日以後数日食事をしなかったので、この点は検事が何か論告の際にハンスト云々ということを言っておるようでありますが、これは当時の言動からハンストではないかと考えたというのであります。三月二十六日以後数日食事が進まないため、努めて食べるように勧めておるようであります。  それから、本年二月四日の診察につきまして申し上げますが、本人公職選挙法違反事件に関連する村井幸太郎外十名の同法違反事件につきまして福井地方裁判所では昨年八月一応審理が終ったのでありますが、本人証人として喚問し得ないため進行を停止しておるわけであります。裁判所では検察官に対しまして本人病状調べるように依頼せられましたので、三国警察署に内偵せしめましたところ、二月初め三国署員本人宅を訪れて病状を尋ねた事実があります。その際本人が寝ておりましたので、右署員裁判所から医者が来ると申して帰っております。二月四日裁判所本人方医師を差し向けて診断させたのでありますが、検察官は同道いたしておりません。この診断の結果は後ほど申し上げます。検察官本人について保釈を取り消すというふうなことを言った事実につきましては、検察官は全然さようなことは申した事実はないようであります。ただ、裁判所が、本人保釈について住居制限があるわけでございますが、これが福井に帰っておりましたので、住居制限違反であるというふうに警告した事実はあるようであります。この裁判所診断は、本年二月二十日福井市の安川医師鑑定というのが出ております。病名は心臓弁膜症神経症ということでございまして、「以上臨床診断並既往症を綜合するに本症の如き心臓並循環器疾患に於ては最近佐々廉平博士並勝沼精蔵博士等の統計に見るも毎年二月を中心として前後三、四カ月の間において悪化する事が断然多きと云われて居りますから、本患者の如きも目下厳寒の候に於ては比較的安静と温包を要すべきに依り公判廷に出頭する事は適当ならずと鑑定致します。次に第二の臨床尋問に対しては、神経症強度発作に留意しつ、審問を行う事は司能と認めます」云々という鑑定になっておる次第でございます。
  7. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 三人の医師に見せたところ、そのうち刑務所医務課長の言うことが相当であると認められて、本件勾留が続けられておることが明らかにされました。しかし、この三人の医師の見立ては食い違っております。一人は町医であって荒川と申しておりますが、この荒川医師診断と、刑務所高橋医師と、その診断の結果が違っておる。そのときに、刑務所のお医者さんの言う通りにいたしておりますことが果して相当であるかどうかという点であります。町医の言うことだからこれはどうも間違いであろうと即断をすることはできません。しかも、当委員会に出て参った答弁によりますれば、荒川医師の言うことだけにけちをつけております。これは堂森派の人である、その言葉は堂森のためにうそをついてでもいい方に申立をするおそれのある医師であると言わんばかりの言い分をいたしまして、荒川の言うことには信をおけないという趣旨の答弁が局長からなされておる。ところが、ただいま局長代理の御答弁によりますると、三人の医師はいずれも良心に従って診断をしたことであろうというまことに公正なお言葉がありました。しかし今日までは荒川の言うことにすべてけちをつけております。そして、荒川の言うことを聞かなかったのは正当であり、高橋の言うことは正しいものである、かように見るところに検察当局としての考慮の上において欠けるところがありはしなかったか、私はこの点をいかにお調べいただいたかをお尋ねいたしたいのであります。すなわち、荒川医師診断によれば、先ほど局長代理より詳しく読み上げられた通り本人は、脈搏微弱、不整脈で、一分間に七十、顔色蒼白、苦悶状を呈し、心臓部に収縮期性の雑音が聞かれ、心臓弁膜障害僧帽弁閉鎖不全症ではないかと見た、かようにあります。そして、血圧は最高八十ミリから最低六十ミリであるとして、これに対してビタカンファー注射しております。ブドウ糖の注射等もいたしておる。この見立てとその手当とを総合いたしまするならば、よほど危険な状況であり、荒川医師の勧めておりまするごとく、これはすみやかに入院せしむべきものである。この進言は私は相当ではないかと思います。しこうして、荒川医師は、表面は警察医ではないかもしれませんが、事実上警察医の務めをいたしておりまして、もし秘密が漏れるようなときがあると困るから、お隣の野村病院に入れて、そこへ警察官をつけておいて、他との交通を遮断して秘密の漏れないようにして、そこで療養させたらいいじゃないかということまでも進言をいたしております。決して、堂森派の人であって堂森のためならばうそをついてでもかばうといったようなお医者でありませんことは、きわめて明白であります。しこうして、その後の症状をごらんいただきますと、荒川医師の言う通りになっております。にもかかわらず、この荒川医師の進言が受け入れられずして、高橋医師の進言通りにやったというところに、検察当局として十分なる注意、判断において欠けるところがあったのではないかと思うのであります。高橋医師は、この時、血圧最高百十五、大、最低八十、普通であって、危険ではないとあります。しかし、これは、荒川医師が応急措置をいたしまして一、二時間たってのことでございます。荒川医師応急手当を加えてブドウ糖の注射をやり、ビタカンファー注射をやって正常にさせておるところへ高橋医師がやって来て血圧も最高百十五、六、最低八十、この状態では危険な状態ではない、こう言っておる。もっと危険な状態であったもとの状態を基礎にすべきか、応急措置を講じたその直後の状態を基礎にすべきかといえば、応急措置をしなかった以前の自然の病態を基本にいたしまして、本人の病気が危険であるかどうか、入院せしむべきであるかどうかということを判断すべきは、これは私の説明を待つまでもないと思います。何でその自然の病状を基礎にして判断をしなかったのか。おそらく検事は言うでありましょう。それは高橋さんが荒川さんの応急措置をした後に見たものということを知らなかったと言うかもしれません。しかし、一体そういうことが許されるかということです。検事の承認のもとに身柄を警察へたたき込んで調べを進めておる。検事の指揮なしには何事もできない状態である。しこうして、荒川医師に見させたのは警察からというのでありますが、これとて検事の了解なしに勝手にやったものとは思われません。そこで、荒川医師に見させた直後にさらにまた高橋医師に見させるということになれば、この状態において検事が知らぬとは言わせません。荒川医師が見て、応急措置を講じた直後にさらに高橋医師に見させなければならぬ状態であったといたしますならば、この間のことは検事が知らぬわけはありません。してみれば、検事は、応急措置を加えた直後に行われたところの高橋医師診断と、応急措置を加えなかった以前の荒川医師診断とを比較いたしまして、それに相違がある場合においては、一応荒川医師が当初診断をした当時の状態がその本人病状の本然の姿であると認むべきではないかと思います。こういったようはときに、高橋医師の進言のみをとつて、荒川医師の言うことを聞かないというがごときは、私どもとうていこれを解するに苦しむのであります。何のゆえに荒川医師診断を排除したのか。この委員会に出て後にも、荒川医師に見せたのは、それは警察の知ったところじゃない、本人の申し出差、こんなことを言う。ところが、中川警務部長さんがそこへ来ておられまして、いや違います、それは警察の方から言い出したので、本人から言い出したのじゃございませんと、まことに公正なことをおっしゃっていただきました。ところが、荒川医師は堂森派の人間だと言ってこの間これにけちをつけましたが、きょうはそれをおっしゃいません。だんだん公正なものに変りては参っておりますけれども、いざ最後の診断の点になりますと、荒川医師診断を採用しなかった根拠について私どもを納得せしむることができません。側でもかんでも荒川医師の言うことにけちをつけ、本人の言うことにけちをつけて、そうして刑務所高橋医師の言うことだけが正しいといったようなことに仕向け、勾留勾留という方向へ持っていったではないか、かように見ざるを得ない実情にあります。そのここについて、どのようなお調べがあったでございましょうか、お尋ねをいたしたいと思います。
  8. 長戸寛美

    長戸政府委員 この荒川医師診断がありましてから、警察から地検の方にも報告があったわけであります。事は重大でございますので、検察庁としてもさらに高橋医師診断を求めさせたわけであります。ところが、先ほども申しましたように、高橋医師荒川医師との診断が非常に食い違ったというふうな点から、さらに友影医師診断を得て、勾留継続差しつかえなしという判断をいたしたのであります。先ほども申し上げましたように、これは三医師とも口頭で署長に申しておりますので、詳しい点よりも、むしろ勾留に耐え得るかいなかというふうな、最後的な結論のみが強く浮び上ったと私は思うのであります。そこで、先ほども申し上げましたように、こういうふうな事案について結論を出す際には、正式の診断書によるのが相当であるというふうに申し上げたわけでございます。事は心臓の問題でございますので、御存じのように、昨年五月二十二日の国立東京第一病院鴫谷医師診断書というのが出ておりますが、それによりますれば、現症に対する意見としまして、心筋肥大あることは確実なるも、いわゆる弁膜症、ことに僧帽弁不全症の存在は確実でない、心尖部に存在する雑音は筋性の雑音で、弁膜症でないかもしれない、心電図解所見でも弁膜症の存在を証明するに足りない云々、こういうふうにあるわけでございます。従いまして、判断としてこの証明書等によって正式にやるべきであったと思うのでありますが、いずれにしましても、当時といたしまして、それぞれ信ずべき医者の診断を受け、そして二人の方が食い違い、さらにそれについて第三の医師診断を受けた結果、勾留差しつかえなしという判断がなされたので、検察官としては勾留継続をした、こういうふうに考えている次第でございます。
  9. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私のお尋ねをいたしたいのは、荒川医師の言うことにおいて、ことさらに虚偽の診断をして被疑者を不当に擁護しようという、そういう関係が明らかになりません限りは、荒川医師診断も尊重すべきではないか。すなわち、荒川医師診断によれば、血圧最高八十ミリ、最低六十ミリ、これは専門医の言うところによりますれば——あとでもし必要とあれば一つ鑑定を願いたいと思うのでありますが、非常に危険な状態だそうです。そうして、先ほどお読み上げになったような、その他に幾多危険な症状が現われていて、その症状のもとに、血圧最高八十ミリ最低六十ミリの危険な状態があるためにビタカンファーの連続注射をいたしております。そうして、荒川医師診断があったときに直ちに報告のありましたことはただいまお答え通りであります。報告があったが、事実重大だからというので高橋医師に見せたのです。高橋医師荒川医師の応急処置を受けた直後に見ておるのです。荒川医師診断の結果は検事報告を受け、どういう治療をしたかということの結果の報告は受けておるのです。そこで、さてそれは容易ならぬことだからもう一度高橋に見せようということで見せたのでしょう。病気の内容も知っておるし、手当の内容も知っておる。そこで、高橋さんが今度は血圧最高百十五、六、最低八十で危険がないと言っても、それは、今荒川医師応急手当をやった直後の、危険な状態を脱して回復された状態にあるときに見た高橋さんの診断だから、高橋さんの言うことだけをとるわけにはいかぬ、こう検事は判断すべきであると私は思います。それが私は最も注意を払った正当な判断ではないかと思います。その荒川さんの診断がことさらに被告をかばうために虚偽の診断をしておるものと見たのならば、これは何をか言わんやであります。そうではなく、それも大いに参考にしなければならぬという前提にもし立つといたしますならば、血圧最高八十ミリ最低六十ミリというときに荒川さんが注射をして応急手当をした、その報告を受けた、そうして血圧がもり返しておる、そのもり返しておるところへ持っていって高橋さんに見せたので、高橋さんがはかったときに最高百十五、六、最低八十あったとしても、それは応急処置を加えた結果の症状である、だからその応急処置を加えられた以前の荒川医師の言われるところの危険状態は根本において存在するのだ、荒川さんの言うところの、勾留を続けて取調べを続行するということについてはこれは考うべきであるという、この点を検事はまともに受け入れてしかるべきであったと思いますが、何がゆえに、荒川医師報告検事が受けながら、その報告に従わないで、応急処置を加えた直後に、応急処置の結果が現われた際における高橋医師診断を採用しておるか、ここに誤まりがあるのじゃないか、ここに私は判断において欠けるところがありはしないかと言うのであります。この点、間違いはないと言われるのでありましょうか。
  10. 長戸寛美

    長戸政府委員 病状診断はフレッシュなときになされることが必要であると思いますけれども、荒川医師診断の結果、勾留に耐え得ないというふうな診断が出たので、それに対して慎重を期してさらに高橋医師診断を受けまして、それに反する診断を得た、それで大事をとりまして第三の友影医師診断を受けた、これは検察官として相当な配慮をしたというふうに私は考えております。
  11. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私の聞くのはそこではないのであります。友影さんをあとで呼んだこと、これは前に私が詳しく聞きましたから、これは略しましょう。そうして、友影さんは言うた言わぬと言っておるけれども、公判廷でも、先ほど報告のあった通り友影さん自身も、疑問である、専門医でないから自分にも判断ができないと言っており、こういう気持であったことがわかります。そうして、ただいま御報告になりましたように、あとで今度は他の専門医に判断させておりますが、そういうことをこの際すべきではなかったかと言うのであります。私の言うところは、荒川さんが、血圧が最高八十ミリ、最低六十ミリで危険である、このままではいけないと言って応急手当をした、その応急手当をして血圧がもり返したときに高橋さんが見て、そのもり返した状態を見て、やあ、これはけっこうである、勾留をやってもかまわぬと高橋さんがかりに言っても、荒川医師報告を受けた検事としては、もっと掘り下げた検診を乞うべきではなかったか。友影さんの報告を記録によって見ても、そんなに専門的に荒川医師診断いたしましたような精密な検査をした結果ではございません。どうも、荒川医師高橋医師との意見が対立して、どちらが正しいかということを診断させるのに適当な友影さんではございません。またそのように掘り下げた詳しい鑑定はその際いたしておりません。だから両者の意見が食い違っておるとき、友影さんの意見が一つあったからこちらへ賛成なんていう、そんな関係ではございません。三のうちの二がこうあったから二対一で決定するというような問題ではなしに、事人命にかかわる問題であります。事人命にかかわる問題については、ここに科学的な判断を加えさせて、いよいよ心配ないということにならなければ、そう軽々しく判断をすべきではないと私は思うのであります。  私は、高橋さんの診断を当局がしきりに御強調なさいますので、さらに一つここに申し上げたいことは、堂森芳夫氏の公判において、この高橋医師福井の地方裁判所証人として出廷をいたしました。そのとき堂森氏から高橋さんに質問をいたしております。打診、聴診だけで心臓の病気を診断することはきわめて危険だと思うがどうか、すると、高橋証人は、その通りです、専門的に診断する器械設備もありませんので、私の三十年間の経験によってそうした診断をしたのでありまして、科学的ではありませんと答えておる。危険千万であります。りつ然とせざるを得ない。その人の言うことだけを信用いたしまして、危険なしとして勾留を続ける。しかし荒川医師はそこに科学的に詳細なる判断を下しておる。その荒川さんの言うところは聞かないで、そうして、かようにまことに貧弱なる、しかもその病状をほんとうに深く検討するに十分な方法でないところの方法によって軽々しい診断をいたしておりますことは、法廷における供述の通りであります。その軽々しい、しかも器械設備などがないので単なる経験でやった、科学的ではありませんと言っておるその診断が採用されて、最も科学的によりよく診断をいたしました荒川氏の所見が一切採用されていないというがごときは、私はこれは相当なる注意をもって両医師診断の結果に対して適当なる判断が加えられたものと見ることはできないのであります。何がゆえに、荒川氏と高橋医師の言うところのどちらに正しい点があるかということをいま一歩掘り下げ、そこに第三者の診断を得てその処置をしなかったか、それについていかなるお調べができておりますか、これを承わりたいのであります。
  12. 長戸寛美

    長戸政府委員 診断の方法は三人の医師とも大体同じでございます。高橋医師はエルマの標準血圧測定を行い、友影医師血圧の測定を行なっていないのであります。荒川、友影の両医師心臓弁膜症高橋医師心臓既往症以外に故障はない、こういうふうに診断しておるわけでございます。先ほども申し上げましたように、検察庁としては、事急の場合でございましたので、それぞれの医師診断の結果の口頭報告によって事を処置したのでありますが、お話のように、人の生命に関するというふうに一人の医師が申したことでもありますから、正式に診断書を徴するということになりますれば、さらに精密なる診断をしてその結果を出しておられると思うわけであります。それによって決定するということがより妥当であったということは、結果として申せるのでありますが、長年の経験のあられる医師として結論を出されたことを信じたということについて、私は、特に不当はなかった、こういうふうに考えるわけでございます。
  13. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 人命に危険があると  一人の医師が言ったときに、他の医師がきわめて非科学的な、そして多年の経験なりと称して軽い診断をした程度で、その生命危険なりとの前の医師診断を排除し、かつ、前のお医者さんのやった手当に基いて相当回復いたしておりますそ状況を基本として、これは大丈夫だ、勾留を続けていいなどと言ったこと、その前後関係を全部知りながらさような判断をしたということについては、検事としても相当私は注意において欠けるところありと見ざるを得ないのであります。  さらに進んで伺いたいのは、三月二十六日の卒倒であります。これについても、前に局長が出て参りまして、いかにも卒倒を否定するがごとき答弁をなさいました。きわめてゆるやかにいすからすべり落ちた、いわゆる卒倒ではない、また事務官が手伝ってほかに寝かした、意識もはっきりしておるといったような、つまり卒倒を否定するがごとき答弁をなさっておりました。本日の御答弁におきましては、ややそれを緩和されたかのごとき御答弁ではありますが、しかし、結論においてはほとんど同様の御答弁と見ざるを得ません。しかし、先ほども局長代理においてお読み上げになっております通り高志警察署の一件書によれば、三月二十六日午後十一時証人帰署したが、意識はなおはっきりせずとあります。そうして、高橋医師が法廷に出て証言をしたときに何と言うたかといえば、検察当局から高橋さんのうちに、卒倒したから早く来てくれと言うてきたから、あわてて自転車で行ったとあります。これは高志警察署被疑者動向簿によって明らかであるのであります。高橋医師自身に対して被疑者卒倒したから早く来てくれ、そうして手当てを加えた。警察へ連れて帰ったが、午後十一時なお意識が十分でないというのでもこれをもっていたしましても、当日大したことはない、卒倒などということはない、意識を欠いたことはない、本人から何か苦痛を訴えた程度であって大したことはないと言われるのでありましょうか。いま一度承わっておきたいと考えます。
  14. 長戸寛美

    長戸政府委員 ただいまお話のように、高橋医師に対する裁判所の第十三回公判廷における答弁によりますと、三月二十六日には卒倒したから来てもらいたいという検察庁からの電話があったので、私が行って検察庁二階の宿直室の畳の間に横臥している堂森一枝診察したことがあります、それは午後九時半過ぎではなかったかと思います云々の記載があり、先ほども読み上げましたように、動向簿の記載等から申しまして、この検察庁において倒れた際には意識が不明になるというふうな状態ではなかったようでありますけれども、その後かなりの失心と申しますか、そういうふうな状態が出たことは事実のようでございます。
  15. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 検事調べておる際に失心状態がにわかに起ったのではないというふうに極力弁解をいたしたいようであります。しかし、それなら、何で高橋医師のところに卒倒したから至急に来てくれということを言う必要がありましょうか。記録がはっきり現われておるのです。この問題は、検事調べておるうちに、被告が何か弁解したようです。すると、検事が大声を上げてどなったようであります。そこで失心状態が起ったことを本人が強く訴えております。被疑者の涙ながらの手記の中にもそれが入っております。検察当局といたしましては、このことからのがれたいのでしょう。調べておるうちに大声を上げてどなった、それで倒れた、こうなると大へんである、何としてもそれはのがれたい。だから、井本局長が過日答えた際にも、最初別に卒倒したんじゃない、すべり落ちるように、じっとゆるやかに何か横になろうとしたとか、あるいは、事務官が来て手伝ったが、自分で起き上ろうとして、決して意識を失っていなかったとか、こういったようなことをしきりに言っておりますが、しかし、本人はどこまでも、——そのときゆるやかであったかわかりませんけれども、意識を失ったことをはっきり述べております。局長代理もお認めの通り、午後十一時に警察に帰った当時意識不明であったことも事実である。ところが、いつから意識不明になったかというと、検事調べておるその際からであるということを極力否認なさるので、私はそういう弁解はとうてい真実なりと受け入れることはできません。高橋医師の法廷における証言の、ごとく、卒倒したから早く来てくれということは、検事調べ中に卒倒したものに相違あるまいと思います。もしそうだといたしますならば、実に五十日の長きにわたって勾留を続け、先ほど来重ねて申しておりまするが、ごとく、相当危険な症状にあってしかもこれにビタカンファー注射その他を連続して行なっております。そのお医者の手当それ自体だけでもわかるように、非常に危険なる病状にあるところの被疑者に対して、勾留取調べが繰り返されておる。そして、十三貫もあったからだが九貫幾らになって帰るような、その少し前のことです。そういう心身ともに疲れ切っておるときに、どなり上げれば、それは大がい倒れてしまいます。そういう病人に対してどなりつけて調べるなんていうことは、それはまさに人権じゅうりんとして容易ならぬ問題でありますから、極力それを逃げたいでしょう。しかし、それではいつから意識不明になったかといえば、これは局長代理も明らかにせられません。しかし、高橋医師のところには、卒倒したから早く来てくれと言っておる。そうして、午後の十一時に署に帰ったときもなお意識不明であることも事実であって、その点はお認めになる。一体いつから意識不明になったのでしょうか。どういうお調べをされたのでしょうか。
  16. 長戸寛美

    長戸政府委員 岡田検察事務官に対する公判廷における取調べでございますが、検察官が「堂森一枝いすからずり落ちる前に、同人井村検事がしかったようなことがありますか」、これに対する答えとして、「矛盾はついていましたが、しかるようなことはありませんでした」と、こういうふうに申しておるわけであります。私はずり落ちる云々というようなことを決して弁解として申し上げておるのではないのです。これは、山根検事をやりまして調査させたところによりましても、やはり静かに崩れ落ちるような格好でいすから倒れた、こういうのが真相である、こういうふうに考えておるわけであります。これは余談でございますが、私自身が検事の際に、私の目前におきまして被疑者が、これはすでに調べを終わりまして、調書を整理しているときでありましたが、書記のすずり箱の中にあったきりを用いまして胸を突いたのであります。その際に、やはり静かに崩れ落ちるような格好で倒れたのであります。これは事重大で、アンダー・シャツ一枚でございましたが、胸一ぱいの血になって倒れた。そういうふうな場合もございまして、決してばたっと倒れるばかりが重症というわけではなし、崩れ落ちるような格好で倒れたといたしましても、これは決して私が弁解として申し上げておるわけでないことを御了解願いたいのであります。その際に、それは倒れたくらいでございますから、非常に苦しんでおられたかとは思いますけれども、意識ははっきりしておって、先ほど申し上げたように事務官等に言われておる、これが真相である、かように私は信じた次第でございます。
  17. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 その三月二十六日、卒倒という言葉をもって表わしますことはどうかわかりませんが、ともかく意識を失った。そこで、そのとき高橋医務課長も、当分調べてはならぬということを言うておる。ところが、その翌日は九時から川崎警部補がまた無理にお調べをなさっておる。連絡不十分であったとは先ほど弁解されましたが、しかし、検事指揮のもとに調べておりまするそういったような案件を、しかもそういう重病人を、検事の了解なしに勝手に調べるとは受け取れません。いま少しくその了解のなかったことに対する実情を私は承わりたいと思います。
  18. 長戸寛美

    長戸政府委員 これは、検察官の方から警察の方に、こちらから別命のあるまで取り調べないようにというふうに事務官を通じて連絡さしたようで眠りますが、その連絡が確かに不十分でございまして、翌朝高橋医師が参りました際に、川崎警部補が取り調べ中であった。これははなはだ遺憾であります。連絡不十分の点については検察庁として相済まないことと思っております。
  19. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私はそれが理解できない。検事がみずから調べておる。そうして、意識を失って、午後の十一時にも意識が不十分であった。警察署に送り帰しておる。それを何で警察調べましょうか。そういうことはありっこありません。検事が直接調べて、意識を失って帰しておる。それを今度は警察官が横取りして、検事の了解なしに調べるなどということは、私は了解できません。一体どうなんでしょう。検事が直接調べており、意識を失って、検事自身が取調べ不可能になっておる場合に、警察が横側から勝手にそういう調べをするなどということが普通にございましょうか。これを承わりたい。
  20. 長戸寛美

    長戸政府委員 先ほども申し上げましたように、午後になりまして検事取調べをしようとして、検察事務官をあらかじめやりまして病状を見させておるわけであります。その際に本人の訴えもあり、取調べをやめておるのでありまして、もし取調べをし得ると考えましたならば一もう午前中に取調へさせたということでありますれば、そういうことなしに検事は直ちに取調べをしておる、こういうふうに見られるわけでございます。これは私は連絡の不十分であったことはまことに申しわけないと思いますけれども、検事が特にそういう事情を知りながら川崎警部補調べさせたというふうなことはないと信じております。
  21. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 そうではなしに、検事自身が調べておるときに、被疑者卒倒して取調べ不可能になった場合に、検事の了解なしに勝手に警察官が取調べをするなどということが通常あり得るかと言うのです。
  22. 長戸寛美

    長戸政府委員 通常の問題としてはあり得ないと思います。
  23. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 そこに了解があったのであろうと思わざるを得ない事態があると思います。本案件を見て実に遺憾に思うことは、本人に対してビタカンファー注射その他一生懸命その治療の方法は講じております。しかし、その治療の方法は、本人の病気をなおすためにあらずして、本人から証拠をとるためにやった注射であるとより見るのほかありません。注射をして少しの健康を回復しておいては、これを調べて証拠をとる。悪うなると注射をやっておいては証拠をとる。証拠をとるための注射というものは、これは許されません。米国においても、相当衰弱をしておる人間に治療を加えては証拠をとり、注射をやっては取調べをする、その結果とったところのその証拠は証拠とならぬという判例があることを聞いておる。私はその詳細な判例を取り寄せることが多忙のために十分できなかったのでありますが、おそらく法務当局においてはそれくらいのお調べはできておると思う。被疑者が重病人であるときに、それを病院その他適当の所に入れて治療をせしむることなしに、注射を打ってはその証拠をとり、悪くなるとまた注射を打っては証拠をとり、卒倒数回に及び、十三貫のがらだが九貫のからだになって、肉はついえ、骨削られて帰ってきた。かくしてしぼり上げられた証拠が形においてできておりましても、一体それがほんとうの証拠と言えるかどうか、私は問題だと思う。真に生命危険な状態にありますところの被疑者に対して、注射を打っては証拠調べをし、悪くなればさらに注射を打って、これに対してまた証拠調べを進める。そうして二回の発作以外は通常であったと言うけれども、その注射なくしては生きておられなかったであろうと認められるその被告に、注射を打っては生命を長らえさして、それから証拠調べによって証拠を搾取する、搾取するという言葉は当りませんでしょうが、証拠をとる。まさに本案件はかくのごとき案件ではないかと私は思う。  全体としてこれを見たときに、相当の地位にあるところの夫人に、入院等適当な療養手当の方法を与えることなしに、また、秘密が他に漏れるようなおそれがあれば病院の一室なんかを借りて適当にやれることを荒川医師が進言しておるにかかわらず、これを採用することなしに、何で、かくも最後まで長きにわたって勾留を続けて、注射を打ち注射を打ちしてその証拠をとったのか。かくのごときは全体として一体どうお考えになるでありましょう。これは、はなはだしく人権じゅうりんであるし、かくのごとくして作り上げた証拠は全く正当でないと私は考えますが、いかがでございましょう。
  24. 長戸寛美

    長戸政府委員 私は、人の生命が尊貴であるということは信じておるものでございまして、検察官が、人の生命を犠牲にして、事件を大事にするといいますか、証拠収集のために注射を打つ、こういうふうなことは考えられない次第でございます。当時、捜査当局といたしましても、本人につきまして現われた被疑事実についてあくまで捜査を遂行して、その真相を糾明しなければならなかったということはもちろんでございますけれども、他面、事案の態様から見まして、少しでも勾留に耐えないという疑いのある者を無理に勾留継続して取調べをしなければならないとは考えられなかったわけであります。また、特に御本人が名流の夫人で社会的地位を持っておられるわけでございまして、こういうふうな方にあるいは生命の危険があると認め得るにおきましては、勾留継続をする意図はかりそめにもなかったというふうに考えるのでございます。ただ、こういうふうな事案におきまして、御病人を長期にわたって勾留をするということは、できるだけこれを避け、お話のような特別な措置によってまかない得るものはまかなうというふうなこともあわせ考えるべきものとは考えております。
  25. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 時間が長くなりましたから、私はいま一点お尋ねいたしましておしまいにいたします。  堂森夫人の手記によると、病人を欺いて病監から警察の独房に移されたと、今なおそれを訴えております。本人の病気が回復していないのに、取調べの不便を理由に一方的に高志警察署の独房に移しております。先ほどの御答弁によると、高志警察署には手当をするに十分なところがないために、刑務所の方へ回したと御答弁なさいました。ところが、事実は、この長きお取調べの途中において、本人の病気が回復しないのに、取調べが不便だといって逆に警察の独房に移している。しかも、その間、何とかしてお医者さんに来てもらいたいといって数回訴えたのに、見せておりません。そうして、未決勾留場の係の警察官は何とうそぶいたか。警察は金を払わないから、お医者さんは来てくれないよ、こう言ったということであります。これは驚くべき言葉であります。そういったようた事実を本人は極力訴えておるのでありますが、その事実の有無、それから、もしそれに似寄ったことがあるといたしますならば、いかなる事実があるか、これを承わりたいのであります。
  26. 長戸寛美

    長戸政府委員 昨年三月四日にお託のように高志警察署に移しておるの中あります。これは、捜査関係におきまして、本人が健康を一応回復し、取調べ便宜のために移した、こういうふうになっております。
  27. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 それは大へん違うと思うのですが、同僚がなおこの点について質問をすることでありましょうから、あまり時間を費したことでもありますし、一応私はこれをもって打ち切ります。
  28. 高橋禎一

  29. 細田綱吉

    細田委員 法務省からは山根検事がお調べになったというのですが、どういうふうなお調べをやるのでしょうか。関係検事並びに警察官に一応聞き取ってくれ、この程度でしょうか。どういうお調べをやっているか、その経過を御説明願います。
  30. 長戸寛美

    長戸政府委員 先ほども申し上げましたように、刑事局山根検事福井地検金沢高検支部名古屋高検に派遣して実情を調査せしめたのでありますが、記録によりましてその全貌を把握し、特にその人権問題との関係部分を全部謄写いたしたのであります。そのほかに、主任検事である井村検事から直接に説明を徴し、さらには高橋医師友影医師、横山丸岡警察署長、金沢高検支部の須賀検事等のそれぞれ説明を徴しておるわけであります。
  31. 細田綱吉

    細田委員 これは、率直に言ってどうです。長戸さんに伺うのだが、あなたも一線の検事の経験があるのだ。前に人権じゅうりんをやった立役者連中にずっと聞いておる。そうでないところは、しいて言えば医師です。これで真相がわかるでしょうか。これは一般論として伺うわけだが、検察庁取調べというものは大体こういう程度のものですか。この点伺いた。
  32. 長戸寛美

    長戸政府委員 堂森一枝さんの事件は現在福井地裁において裁判中でございますし、堂森氏の事件は最高裁において審理中であるというような状況下にありますので、公判廷における取調べ状況というようなものと、その当時の模様を個々に尋ねまして、それによって総合考かくして判断をなす、こういうふうに考える次第であります。ただ、こういうふうに調べ検事のみではなしに、たとえば私がある事件について特命を受けて調査に参りました場合には、その実際調べられた人たちにも、特に検察庁にお呼びすることを避けて、人権の方をやっておられる法務局に来ていただきまして実情を聴取した、こういうふうな場合もございます。これは事案事案によって調査の方法が異なる、こういうふうに考えております。
  33. 細田綱吉

    細田委員 そうすると、本件はそういうことをやっておられない。法務局なんかの助力を得て調べていない。本件は大した人権じゅうりんの事件ではないというふうなお考えでございますか。
  34. 長戸寛美

    長戸政府委員 いやしくも人の生命に関する問題でありますから、私どもはこれを重視しております。普通でありますれば、その長あるいはその監督官庁に対して調査を命じて、それによって満足する場合があるのでありますが、これは本刑事局から特に検事を派して調査せしめておるという点からも、われわれが重要性を痛感しておるということを御了承願えると思う次第であります。
  35. 細田綱吉

    細田委員 これもまた率直にあなたの御意見を伺うのだが、今佐竹委員からいろいろ事実を指摘しての質問でわかったと思うし、また本件はそういうふうにお調べになっておるのでさらにおわかりだと思うのだが、われわれしろうとでは、ビタカンファーの連続注射といえば相当の症状だと思います。ビタミンの注射くらいのものはしろうとでもやりますが、少くともビタカンファーの連続注射です。先ほど、あなたは、佐竹委員質問に対してまあこの程度ならば勾留に耐え得るというのが検事たちの考えではなかったかということですが、これは一般論として伺うのですが、勾留に耐え得るならば、出てから死んでもいい、勾留に耐えておる限りはこちらの責任ではないから、まあビタカンファーの連続注射でもやったならばここでは死なないのだからというような、一般論として、勾留に耐え得るということは、本人の健康を損じないということではなくして勾留中に死ななければいいというような御趣旨ですか。その点を一つ伺っておきます。
  36. 長戸寛美

    長戸政府委員 勾留継続というのは、その間だけでなしに、もちろんその近い将来にそれが因となって死亡を促進するというような場合でありましたならば、これは勾留継続することはもちろんやめなければならぬ。これはもちろんのことであります。
  37. 細田綱吉

    細田委員 佐竹委員が再三指摘したように、十三貫あった人が九貫になった。これは、出所してから直ちに日赤へ入院しているから、うそも隠しもない。この九貫というと、二十三貫の人が四貫減って十九貫になったのと違って、わずか十三貫の人が九貫になったのですから、それはわかるはずである。これがわからないというのだから、高橋医師というのはよほどやぶだと思う。同時に、上司の命を何でもそのまま迎合して診断書を書く人だと思う。こういう事実を検察庁から行ってどういうふうにお調べになったか。高橋医師が最後までぴちぴちした御婦人だと見ておったか、また取調べ検事もそういうふうに見ておったか、だんだんからだが衰弱していくのをなおかつ見られなかったか、その点はどういうふうに御調査になったのですか。
  38. 長戸寛美

    長戸政府委員 先ほども申し上げましたように、ビタカンファー等の治療によりまして、特によくなりもせず悪くなりもしないという状態が続いておった、こういうふうに見ておったようであります。
  39. 細田綱吉

    細田委員 検察庁の方針として、勾留中の人間が専門医の診断を必要とするような場合には専門医に見せるのか、あるいは遺憾ながら予算がなくてそういう方法はとらないのか、その点はどうですか。
  40. 長戸寛美

    長戸政府委員 普通の状態におきましては、いわゆる警察医あるいは裁判医と称せられる人たちに見せておりますが、重症の場合には外部の専門医に見せることももちろんでございます。
  41. 細田綱吉

    細田委員 先ほど長戸さんは、検事の職を執行中の経験を言われた。私も、乏しい経験ですが、われわれの先輩に麻生久という人がいた。支那事変のころで、近衛内閣当時でありましたが、たまたま私は当時東京都制前の市会議員をやっておった。そういう関係で、何だか心臓が悪いという話なので、生きたタイを見舞に持って行った。非常に喜んで、すぐそいつを魚屋へ回して刺身にし、なおかつ奥さんがその一部を吸いものにして、一緒に昼飯を食ってきたが、太っておった人で、われわれが見たのには何も異常がなく、元気で、自分でこういう見舞を持ってきたことを何だかおかしいなと思ったのであります。ところが、私が出て五分かたったらぽっくりと死んじゃった。夕方ラジオのニュースで聞いておかしいな、そんなことはない、おれは昼飯を一緒に食って元気なところを見てきたのだと言ったのだけれども、心配して電話をかけたら、いや、あなたが出て三分か五分後に死んでしょったということだった。いかに心臓弁膜症が危険な病気かということがわかる。ある口の悪い私の先輩が、お通夜に行って、細田君、心臓弁膜症というのは悲しましてもいけないし喜ばしてもいけない、お前そんなものを持っていって喜ばせるから死んでしまったのだと冗談に言っていた。この心臓弁膜症というのは三氏とも大体意見が一致しておる。これを五十何日も入れておいた。これは確かにビタカンファーの連続注射でもっておった。これはたまたま堂森君の細君だったからいいですよ。あとの養生がきかなかった人なら、おそらく刑務所から出て死んでいる。あなたもずいぶん刑務所から出て半年や一年でぽっくり死んだというような例を聞かれると思う。私は環境の相違だと思っておったが、そういう無理もやはり出てくる。こういうような専門医に見させるべき心臓弁膜症を、なぜ高橋という刑務所付のやぶ医だけを信用したか。この点は調査の結果どうだったのですか。
  42. 長戸寛美

    長戸政府委員 私は、先ほども申し上げましたように、医師はそれぞれ良心に従って診断しておった、こういうふうに考えておるわけでございます。従いまして、高橋医師診断につきましても、検察庁がその意見も聞いて判断した、こういうふうに思っておるわけでございます。ただ、お話のように、私は医学のことは何も存じませんが、これも余談になりますけれども、私の母も心臓弁膜症で死にましたので、心臓弁膜症なりその後遺症が非常に危険なものであることはよく承知いたしておるのでありましてこういうふうな場合におきまして、それが非常に危険である状態でありました場合には、拘置所医師のみでなく、外部の医師、専門医にも見させる方がより妥当であるというふうに考えております。
  43. 細田綱吉

    細田委員 三十年三月七日付の堂森一枝の尋問、これは実は七日に調べていないですね。一審で芳夫君の弁護人がその事実をついた。ところが、当時担当検事は、いや、絶対に間違いないと言い張って、控訴においてその証拠を直してやったところが、それは実は八日の間違いであると言う。その検事は名古屋の地方検察庁へ転勤されたそうで、何だか栄転のような気がするのですが、係検事はこういう悪意に満ちた無理な調べをしている。すんなりと検察官として虚心たんかいに事実を調べているのではない。同僚佐竹委員質問にもいろいろあったように、かなり無理をしている。しかも、これはもちろん調書にはないのですが、堂森君に対して、お前と女房と二人一緒に入っているから気持がよいだろう、今度二人出ていくところを一つよく見てみたいから、こういうことを言ったので、さすがに堂森君もたまりかねて検事に食ってかかった。ところが、いや、失言で悪かったと言ったという。こういう調べ方、特に堂森君は、いやしくも一国の政治家です。その地方において病院長で、社会的にも地位のある人に、こういう悪意に満ちた調べ方をしている。今のようなカンフル注射を連続して八日に調書を取ったというから取ったに違いないが、とにかく全然調べていない七日付の尋問調書を証拠に出している。率直に言って、あなたの経験からして、これはすなおな調べ方であるか、若干行き過ぎがあったとお思いになるか、どうなんですか。
  44. 長戸寛美

    長戸政府委員 井村君がそのような発言をしたかどうか、その点までは調べの上では出て参らないのでございます。一般事件についてもさようでございますが、選挙違反調べにつきまして、その検事の片言隻句にも特に留意して、不必要な発言はせぬように注意をしておるわけでございます。もしそういうようなことがありましたならば、それは十分に戒慎すべきものと思っております。  それから、全般を通じまして、こういうふうな病人については一日も早く身柄の拘束が解かれることが望ましいということは申せる次第でございます。当時、検察庁としては、他に重要なこれに直接関連する被疑者の逃亡というふうな問題等もありまして、五十数日の期間にわたったようであります。いずれにしましても、こういうふうな案件においては、なるべく早く身柄の拘束が解かれることが望ましいということは言い得ると思います。
  45. 細田綱吉

    細田委員 ただいまのは考え違いで、井村検事だと思っておったところが、高田次席検事です。特に夫婦が二人して出ていくところをあとで写真にとってやるという毒舌まではいて、本人に精神的な苦しみを一そう強くしている。これは井村検事ではなくて高田次席検事だということを御記憶願います。  時間の請求がありましたから、私は残余の質問を留保しておきます。
  46. 高橋禎一

    高橋委員長 吉田賢一君。
  47. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 なお本件は継続して御審議になるようでありまするから、私はこの機会にちょっと伺って、この次の機会に十分に伺うことにしたいと思います。  第一に、一般的な御方針を聞きたいのでありますが、検察庁勾留されておる病人を尋問するのに、病気のいかんにかかわらず夜尋問するということは一般に許されているのですか。これをちょっと伺っておきたい。
  48. 長戸寛美

    長戸政府委員 健康体の者でございましても、夜間はなるべく早く切り上げるように申しております。病人の方につきましても夜間取り調べることはその病状のいかんによってあり得るわけでございますが、これまたなるべく早く切り上げるというのが私どもの指示しておる方針でございます。
  49. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 なるべく早く切り上げるようにということで、これは常識論としてはわかるのですが、何か、夜間に取り調べるようなときに、特に制限するとか、特に健康の診断をするとか、何らか特別の考慮をしなければならぬというふうにはなっておりませんか。これは、被疑者の人権を尊重するということは申すまでもなく基本的な態度でございまするので、なるべくということじゃなしに、検察庁としまして、内規とか、通牒とか、基準とか、あるいは方法とか、積極的、消極的制限とか、手配とか、そういうものは何もおきめになっておらぬのですか。あるいは何かきめてあるのではないでしょうか。
  50. 長戸寛美

    長戸政府委員 そうした訓令書類はございません。ただ、病人に対しましては、その刑務所医なり、あるいは専門医に見させた場合に、その取調べがいかなる方法によってなさるべきであるかというふうなことまで大体聞かせております。従いまして、それはいわゆる臨床尋問、寝たところへ行って聞かねばならぬ、その時間もどのくらいであるというふうな場合もございます。また、昼間のみで夜間の取調べはやめるというふうな医者のあれがありますれば、夜間の取調べはやめる。いずれにしましても、そういうふうな医師診断と良識によって行われている、これが実情でございます。
  51. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 その際、医師診断なるものは、病状が尋問に耐えるかどうかという消極的な面だけでなく、積極的に被疑者は問いに対して正当な陳述をなし得るような状態にあるかどうか、こういう点は診断をしないのですか。たとえば、今最高裁の通牒等によりまして、医師診断の方式は御承知の通りに大体要綱もきめてあります。そうして、これは、裁判所に出頭をして正当な権利行使ができるかどうか、あるいは旅行ができるかどうかということまで必要事項として書くことになっております。今お説によれば、医師が非常に重大なかぎを握っておるようであります。その医師は、被疑者がみずからの権利を防御し、みずからの陳述、主張を十分になし得る状態にあるかどうか、可能かどうか、そういう点まで診断するのですか、しないのですか。
  52. 長戸寛美

    長戸政府委員 私の経験から申しますれば、普通の場合にはそこまでの診断はしないというふうに考えておりますが、特に重症のような場合に、それを特に検事廷なら検事廷に呼び出してするということは非常に無理だというふうな程度、従って、そういうふうなところに呼び出して取り調べるということになりますと十分の供述は得られない、つまり真実の供述が得られないというふうなことは申す場合もあろうかと思いますが、普通の状態においては昼間あるいは夜間、あるいは刑務所、あるいは病監に来て調べる方がいいとか、そういう程度の話であろうと思っております。
  53. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私は常識論を聞くのじゃなしに、あなたのお説によれば、医師診断によって取り調べるかいなやを検事はきめるらしい。その医師診断の内容は、今の私の申した点に触れるのかどうか。触れないとすると、病気が高進するやいなやというようへことにとどまるならば、これは被疑七の正当な権利を行使し、もしくは防御するのに十分な考慮が払われずに取調べをするということになるおそれがあります。でありますから、いやしくも医師診断によって取り調べるかいなやをきめる以上は、その診断の趣旨、内容、何をどう診断するかということは、相当厳密でなければならぬ。ことに、ただいまの私の申しまする点は、自分の権利を防御しもしくは主張するということは被疑者の当然の持っておる権利でありますから、この面に対しての考慮が払われなければいけませんので、御答弁によりますると、その際は普通には私が申す趣旨の診断は行なっていない、こういうふうに聞いていいのでございますか、それとも、今おわかりにならぬということになりますか、どちらでしょう。また、もう一つ、具体的に、堂森一枝氏の案件の場合にはそこまで診断が及んだのかどうか、その点いかがですか。
  54. 長戸寛美

    長戸政府委員 この堂森一枝さんの三医師診断につきましては、先ほども……。
  55. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それだけでいいのです。一般的に私がお尋ねする点だけ……。
  56. 長戸寛美

    長戸政府委員 先ほど申し上げた踊りでありまして、任意の供述を任意に供述され得るかどうかの診断まではしておりません。
  57. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私はやはり任意に供述が可能かどうかが重要な問題点で去ろうと思うのです。任意に供述がなし得ないような病状の者を取り調べるということは、ともするとやはり拷問になる危険がある。そのような危険なことは当然避けねばならぬと思うので散ります。これは一つその医師について少しはっきりとさせなければならぬと思います。  もう一つ伺いますが、高志警察署裁判所検察庁かへ提出した被疑者動向簿なるものも、昭和三十年三月一十六日付の堂森一枝動向についての記載によりますと、警察取調べが午前から午後に向ってあった、夜井村という検事の呼び出しがあって取調べがあった、それから夜の十一時に高志署へ帰着した、こういうことになっております。この点がだんだんと佐竹委員の御尋問になった点であります。そこで、私の伺いたいことは、人事不省、意識不明になったような病状の者を、たとい一時間といえども、昼といえども夜といえども取り調べるということは、憲法、刑事訴訟法によって許されたる検察官取調べの行為の範囲を逸脱するのではないのであろうか、こう考えるのであります。これは私の考えというよりも、この事実に基く判断でありますが、あなたとしては非常に重要な判断になりますので、軽々にはなし得ない点でありますが、人事不省になった、意識不明になった者が、ともかく相当自由な任意な陳述、判断がなし得る健康状態を回復しない限りは、一時間といえども三十分といえども十分といえども、夜といわず昼といわず取り調べるべきではないと私は思います。これに対する御所見はいかがでざいましょうか。
  58. 長戸寛美

    長戸政府委員 先ほども申し上げましたように、三月二十六日の晩に卒倒されまして二十七日、二十八日の両日は検察官調べておりません。ただ、遺憾なことは、二十七日の朝検察庁の連絡不十分のために川崎警部補調べた。これははなはだ遺憾である、こう思います。
  59. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、その点は御答弁が繰り返しになっております。私の聞いた点は繰り返しでないと思うのでありますが、そうしたら、三月二十何日というのを抜いて一般的に、意識不明になった者をその後取り調べようといたしますと、診断書によりまして、その後任意の供述ができる健康状態を回復したという証明、あるいは相当時間尋問に耐えられるというような証明が専門家によって判断せられるということは必要であると思うのでありますが、これは一般的にも、もしくはこの場合にもなさったのでございますか。
  60. 長戸寛美

    長戸政府委員 私は医学のことはわかりませんけれども、いわゆる脳貧血症状で一時的に失心状態になる、こういうふうなことで、その後回復せられてくるというふうなことでありますならば、これは、医師診断により、勾留に耐え得、または任意の供述の可能性もあるというふうな場合があろうと思うのであります。ただ、病気によりましてその失心なりあるいは意識を欠く状態というものが相当継続的なものであるというふうな場合におきましては、これはやはり医師の精密なる診断によって処理すべきものと考えております。
  61. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それから、数回にわたり数名の医師診断しておるのだから、概してこれは病人と見ていいのであります。とにかく、健康障害をしております病人に対しまして、その病気の程度のいかんにかかわらず、病状のいかんにかかわりませず、大体取調べ時間はどのくらいと、何か限度でも検察庁においてはきめておるのでありましょうか。——こういう尋ね方では適切な御答弁が得られないかもわかりませんから、こういうふうに聞きましょう。健康者たると病人たるとにかかわらず、検察庁の尋問は八時間も十時間も半日も継続するということは今日許されておるのでありますか。もしくは、何らかの通牒、訓示、訓令、何かによりましてまあ婦人ならば、子供ならば、病人ならば、最長どのくらいの時間というような概括的な時間の線でも引いておるのでありますか。その点いかがです。
  62. 長戸寛美

    長戸政府委員 これは、ことに選挙違反事件取調べにおきましては、人権問題につきまして慎重な配慮をすべきであるというふうなことは一般に指示してございます。時間等は検察官の良識にゆだねまして、特に通牒その他出しておるというふうなことはございません。ただ、健康体におきましても夜間はまず十時というふうなくらいで切るべきものと申しておるわけでござ  います。
  63. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 夜間十時に尋問するというようなことは、一体普通許され言ことでありましょうか。ここにも、私は全部通読しておりませんけれども、たとえば三月の十八日は、午前の十一時十五分から午後の九時二十分まで警察川崎警部補が取り調べた、十一時十五分から夜の九時二十分まで調べたということを警察署長自身が言っておる。一体夜の十時に取り調べるということで普通の正常な任意な供述が得られるのでありましょうか。われわれ健康体におきましても、普通に働いておれば、夜の十時といいましたならば心身ともに疲労しております。ましてや病人、ましてや拘禁されておる、そんな者が午前十一時から夜の九時半近くまで調べられるということ、こういうことは許していいのでしょうか。良識良識とおっしゃいますけれども、こういうことについては何らかの、——主観的な判断だけでまかしておくというようなことは大へんでないかと思うのであります。この事件はあなたも直接間接お取り調べの結果は十分に時間関係等は御了承のことと存じまするが、ともかく、こんな長時間、十時間も調べるというようなことは、自体、人間の生命を尊重するとはあなたのお述べになるところであるが、これは心身に対する非常に過大な負担を課すことになりはしないでしょうか。
  64. 長戸寛美

    長戸政府委員 ちょっと訂正申し上げます。原則的には昼間の取調べをするわけでございます。ただ、取調べをなるべくすみやかに終了するというふうな建前、あるいは、本人からの希望によりまして、夜間でも調べてもらいたいというふうなこともございますので、夜間の取調べをする場合もあるわけでございますが、これはおそくとも十時という意味で申し上げたわけでございます。  それから、なお、病人の場合に、そう長時間引き続き調べることは一般的に申して置くべきであるというふうに私は考えております。
  65. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それは、そんななまやさしい問題でございません。申し上げるまでもなく、刑法の百九十四条片は、裁判、検察警察の職務を行いまたはこれを補助する者はその職権を引用することはできないということになっております。また、あなたは、今市人の承諾によって夜間取り調べることがあるけれどもとおっしゃいますけれども、本人が進んで取り調べてもらいたいと言うことは、おそらく異例で去ります。支障ないかと尋ねたときに、その立場も考えなければいけません。イエスと言ったからといって直ちに取り調べていいというような考え方は、やはりその際の両者の立場を考えないと、私は危険があると思うのであります。今お述べになったことが法務省もしくは検事もしくは捜査官のほんとうの考え方であるとするならば、やはり自発的に承諾をしたのかどうか、申し出をしたのかどうかということも取り調べていただかなければならぬ。また、さっきの三月十八日及び三月十九日、この日も午前午後川崎警部補調べて、午後の九時三十分まで取り調べた午後の九時三十分まで十数時間ぶっ通しであったのか、あるいは休み休みやったのか、それは明らかでありません。いずれにいたしましても、夜の調べは例外である、本人の申し出があるならば調べておる、病人ならなおさら、病人調べることが適当かどうかについては医師診断を必要とする、こう言われるのですが、医師診断には、体力が耐えられるかどうかということだけではなく、積極的に権利を主張し防御するだけの、ほんとうに心身の働きをなし得るということの証明が必要なんです。何も取調べを援助するために医師があるのではないと思うのです。一面において、被疑者も国民でありますから、被疑者の権利義務を守って公正な取調べをさすということが医師の技術的協力だろうと思う。検事側に立って、あるいは一つの先入主、一つの僻見を持って見るようなことがもしありとするならば、断じて協力でないことはもちろんのこと、いずれにいたしましても、技術者である医師は第三者的な公正な立場を堅持しなければならぬのであります。ところが、それらについても、みずから権利防御ないしは権利主張、心身の健康を保持するということもまた当然われわれの権利でありますから、このような人間の持っておる基本的な人権を守る上におきましても、やはり拘禁されている人の地位を考慮する、その配慮があってしかるべきだろうと思うのです。そういう点について、警察の書類というものも非常に一方的な感じがするのでありますが、同時に疎漏きわまるものであります。ことに、これは連日ですよ。連日病人を夜まで調べて、そうして他に支障がない限りは、これを十時間以上もぶっ通しでやっておる。ことに三月十七日は午後十時三十五分まで取り調べておる。むちゃくちゃなことをやっておりますね。驚き入ったことであります。一二月十六日は、これはまた午後の十時まで井村検事が取り調べたと書いてある。午前の九時五十分から取り調べておる。これはむちゃくちゃなことですな。一体、こんなことでは、日本に人権が守られておらぬというおそれを国民が持ちますよ。こういう事実を世間、天下に公表しましたならば、りつ然として検察庁はほんとにどんなことをやるのだろうというような、そういう危険すら感ずると思うのであります。検察官に与えられている権限というものはそんなものではございません。検察官は刑事訴訟法以外にはないはずなんです。警察はまた刑事訴訟法並びに警察官についての特別な法規があるのでありますから、いずれも基本的人権を尊重するという原則は明確に守ってもらわねばならぬのである。ところが、警察が堂々と、夜の十時二十五分まで調べましたということまで書いてある。これに対して不思議に思わぬ。一体、こういうのは、連続十時まで調べたのか、休み休み調べたのか、その間において訴えたのか、承諾したのか、申し出でもしたのか、そういうことについて、そもそもあなたの方ではお調べになったのですか。
  66. 長戸寛美

    長戸政府委員 留置人出入房の時間は房から出し入れしている時間を言うのでありまして、その間じゅう全部調ベたわけではないのであります。途中食事をさせ、あるいは休養もさしておるというのが実情であろうと思います。ただ、各日について個々には正確に調べておりません。
  67. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これはまことに重大な御発言でありまして、やはり個々に、人権じゅうりんがあったかどうか、あるいは権限逸脱の行為があったかどうか、取調べが過酷にわたっておったかどうか、調べられた者が病状から言って調べに耐え得たかどうか、これはやはり臨床的に当時の状況は明にして、正当な取調べがあったかいなやを判断すべきだと思う。にもかかわらず、それらの点についてお調べがなかったことは、まことに遺憾でございます。ただし、私は、この種の事実関係がかなり反復して連続しているように思われまするので、その点重大損しまするが、きょうはごく簡単にといっておきましたので、一応この程度で終ることにいたします。  これは御相談というよりも委員長にお願いを申し上げたいのでありまするが、どうも直接的な感じがいたしません。人権じゅうりんがなかったら私はけっこうだと思いますし、もし相当権限逸脱の行為があったといたしましたら、こういうものは払拭せなければいかぬと思うのであります。これは理事会で御相談願ってけっこうだと思いますが、調べた人に直接当委員会へ来ていただきまして、われわれの間に答えていただくようにするならば非常にいいと思いまするのですが、一つ理事会で御相談を願うことにして、なお資料につきましても少し資料を取り寄せを願います。さしあたりましては、先ほどからだんだん問題になりました荒川、高橋友影の三医師診断書、それから被疑者の尋問調書、最高裁にあるようでありまするから、最高裁にある堂森君の一、二審の判決書、謄本でけっこうでありますから、お取り寄せ願います。
  68. 高橋禎一

    高橋委員長 ただいまの吉田委員の申し出に関しましては、一度理事会でよく相談して、いろいろ方針を決定いたしたいと思います。さように御了承願います。
  69. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ついでに、さっき私が引用いたしましたのは抜粋でありますけれども、高志警察署が、選挙違反被疑者動向簿と申します見出しで、堂森一枝さんが勾留せられまして以来の、いつまで続くか存じませんけれども、三十年七月二十日付で作成いたしました文書があります。これにずっと書いてあります。これはぜひ一つ一緒に取り寄せていただきますようにお願いいたします。
  70. 細田綱吉

    細田委員 先ほどの、一般的にそういうことはない、しかし三月二十六日には卒倒して、そして二十七日の早朝から川崎警部補が、一般的ではないが、このときに調べた、ただ検事の方で連絡があったかなかったか知らぬが、不十分であったというような法務省の調べは、さっぱり当てにならない。この点は、なぜ川崎警部補調べたか、これは法務省と連絡がなかったかどうか、また別個な判断で調べたのか、これは一つ中川刑事部長にその点をお調べおき願いたい。  なお、朝の十時半から九時二十分とかあるいはまた十時十五分という深夜にわたり取調べをしている。何か刑務所の人たちでも必ずついて行って、今長戸局長代理の言われるように、休み休み十分の安静を与えてやったか、あるいはそうでなかったかというようなことを、一つ人権擁護局長の方でもお調べあって次の委員会までに御報告願いたい。
  71. 高橋禎一

    高橋委員長 ただいま細田委員の発言された点は、法務省及び警察庁の方はお聞き及びの通りと思います。従って、戸田人権擁護局長と警察庁の中川刑事部長におかれては、ただいま御発言の点に関しておのおの関係部門を調査して御報告なさるように希望いたします。
  72. 佐竹晴記

    佐竹(晴)委員 私もあわせて述べておきたいことは、被疑者が釈放されて今日に至るもなお公判廷へ出ることを許されないほど実は衰弱が続いております。病状が続いております。従ってこういう病人になったということは、今回の不当勾留の結果であると私は思うのでありますが、いやそうではないという御見解でありますならば、その内容を一つ科学的に御証明をいただきたいと思います。これについては人権擁護局長においても十分のお調べおきを願いたいと思います。先ほどの質疑応答の中で出ております、調べて後数日のうちに死亡したとか、あるいは勾留が解かれて後数カ月に死亡したといったようなときには、これは重大な問題になりましょう。しかし、そういう死亡の事実がございませんでも、勾留の結果容易に立つあたわざる難症がその後続いたというようなごときは、人権じゅうりんの結果ではないかどうかということを、これはとくとお調べを願わなければならぬ事項であると思います。この点について、なお本件はさらに質疑応答が続けられると思いますから、私においてもその点を確かめたいと存じます。十分の御調査をお願いいたしておきたいと存じます。
  73. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは、次回は公報をもってお知らせすることとして、本日はこれにて散会いたします。    午後一時四十七分散会