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1956-06-03 第24回国会 衆議院 文教委員会 第46号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年六月三日(日曜日)    午前十一時四十六分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 坂田 道太君 理事 米田 吉盛君    理事 辻原 弘市君 理事 山崎 始男君       伊藤 郷一君    稻葉  修君       杉浦 武雄君    田中 久雄君       町村 金五君    山口 好一君       小牧 次生君    高津 正道君       野原  覺君    平田 ヒデ君       八木 一男君    小林 信一君  出席政府委員         防衛庁政務次官 永山 忠則君         文部政務次官  竹尾  弌君         文化財保護委員         会委員長    高橋誠一郎君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 岡田 孝平君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 六月三日  委員小松幹君辞任につき、その補欠として八木  一男君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文化財保護に関する件     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  本日は文化財保護に関し調査を進めます。なお、調査の便宜上、文教行政に関する質疑もあわせ行うことといたします。質疑の通告がありますので、これを許します。八木一男君。
  3. 八木一男

    八木一男委員 本日の質疑については、外務省関係と、それから文化財保護委員会関係文部省関係、それから防衛庁関係の方の御出席を求めているわけでございますが、文化財保護関係以外の方はいつごろおいでいただけるでしょうか。
  4. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 今呼んでおりますから。条約局長はちょっと工合が悪いので、日比賠償の方に行っておられますから、もう少しあとで係の者を出しますから。
  5. 八木一男

    八木一男委員 それでは文化財保護委員長に御質問を申し上げたいと存じます。武力紛争の際の文化財保護のための条約というものが、多分条約が、各国で結ばれまして、わが国も仮調印いたしました。現在批准準備中でございます。またそれの国内法準備中であるわけでございます。この内容につきましては、委員長十分に御承知通りでございますけれども、こういうことは特にわが国のような、文化財をたくさん持っておって、そしてそれを保護しなければならない立場にある国としたら、非常に歓迎すべき条約であると思いますが、委員長のお考えはどうでございましょうか。
  6. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 むろん文化財保護委員会におきましてもかような条約が成立いたし、実施せられますことを歓迎いたしておるのでございまして、文化財保護委員会からも関野課長があちらに出張いたしまして、いろいろ意見などを述べて参ったのであります。ただいまお話のありましたように、やがてこの条約批准せられ、国内法制定せられますことを祈っておる次第でございます。
  7. 八木一男

    八木一男委員 保護委員長が私どもと同じお考えであることを伺いまして大へんけっこうであります。ただ、この条約が結ばれてから批准が大へんおくれておることについて、私どもは非常に遺憾に思っておるのでありまして、批准並びに国内法準備というものをもっと促進しなければならないと考えております。この点について、批准については外務省、それから国内法制定については文部省関係に、その促進を強力に要求しなければならないと思っておるわけでございますが、特に文化財の問題について中心的な立場におられる文化財保護委員会で、これらの関係当局との連絡を緊密にせられて、強力にこの運動、この批准及び国内法制定促進していただきたいと思いますが、それについて伺います。
  8. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 われわれ文化保護委員会といたしましても、この法律を促進して参りたいと存じまして、それぞれ関係官庁とも連絡をとっておる次第でございます。
  9. 八木一男

    八木一男委員 少し言葉が過ぎるかもしれませんけれどもわが国政治において、今まで経済関係や何かの問題については、非常にてきぱきと早く処理されることが多いのでありますが、このような文化関係のものについては、問題の処理が非常にゆっくり過ぎるように思うわけでございまするから、その点について、特に文化財保護委員会が、通常の状態よりももっと強い決心で強力に推進していただくようにお願いいたしたいと思いますが、それについての御決意をもう一回はっきり聞かしていただきたい。
  10. 岡田孝平

    岡田政府委員 お話しの通り、できるだけすみやかに条約批准し、その条約に加入いたしたいと考えておりますが、ただいまのところこの条約に調印いたしました国は約五十カ国に及んでおりますけれども批准いたしました国はわずか四カ国ないし五カ国と聞いております。ユーゴスラビア、ビルマ、エジプト、インド等と聞いておるのであります。いましばらくたって、大国がこれを批准いたしますならば、この条約もやがて実施の段階になりますので、その他国の状況をもややしばらくにらみ合せまして、適当な機会になるべくすみやかにこれに加入いたしたい、外務省方面とも、その時期等につきましていろいろ打ち合せいたしておる次第であります。
  11. 八木一男

    八木一男委員 今の事務局長の御答弁でははなはだ不満でございます。このような、先ほど委員長の言われましたように、好ましいものである、歓迎すべきものであるという信念があったら、他国はどうであっても、まず第一にでも日本の国が批准邁進しなけばれならないものと考えるわけでございます。よいものとわかっていながら、ほかの大国がどうだからこうだからということで、これの促進に熱心でないということでは、文化財保護委員会使命ほんとうに果してはいないと思う。また、文化国家としての日本立場を推進する気持が薄いように思われます。わが国は、国民的に、文化国家として進む気持でおるわけでございます。またそのほかに、憲法で示されておるように、平和という問題、戦争の被害を避けると同時に、平和全体を強力に確保するために進むような国家になっているわけでございます。ですから、他の国が一つ批准しなくても、日本は率先して文化財保護、さらに広くこのよいものを拡大いたしまして、戦争の絶滅まで進めていかなければならない立場にありますのに、すでに四カ国が批准しているのに、まだこれから大国の動向を考えて、そして進めていくというような手ぬるい態度では、実に遺憾であります。  国の政治面にはいろいろ担当がありまして、たとえば、われわは反対でありまするけれども防衛その他の関係主張をする人もございます。しかしながら、少くとも文化財保護という仕事をしておられる方は、その問題に集中して、その問題を第一義的に考えて推進しなければ、国の全体の政治において文化財保護というものが非常に軽く見られ、バランスを失することになるわけでございます。文化財保護委員会の中枢である事務局長がそういうお考えでは、私どもはなはだ心もとないのであります。今御答弁言葉が少いために、私ども考え方と同じ考えを持っておられても、私どもそれを誤解したのかもしれませんけれども、それでありましたら仕合せでございまするから、どうかその意味では委員長事務局長も、強力にこの問題の批准を進め、国内法整備を進めるように、関係当局と強力に交渉されることを要望したいわけでございますが、もう一回委員長事務局長の御両人の御答弁を願いたい。
  12. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 むろんこれがすみやかに批准せられ、国内法によりまして整備せられますることを、われわれ先ほど申しましたように祈っておりますので、先ほど岡田局長からの答弁がございましたが、委員会といたしましては、一日も早くこれが批准せられますることを希望いたして、その意見を表明いたして、外務省そのほかと連絡いたしておるのでございます。
  13. 岡田孝平

    岡田政府委員 先ほどちょっと言葉が足りないためにあるいは誤解を招くようなことになりましたら大へん恐縮でございますが、ただいま委員長の御答弁通り、私どもできるだけすみやかにこの条約に入りたいと考えておりますがこれには、国内法整備しなければなりません。この国内法整備の仕方につきましては、実はわが国わが国の独自の考えで進みたいとは思っておりますけれども、この条約は、加入いたしますと加入国相互に非常にめんどうな権利義務関係ができますので、他国がこの国内体制をいかにするかということも、実は大きな問題になって参りまして、この国内体制の、国と国との間の態勢によりましても、いろいろめんどうな問題が起って参りますので、できるならば、たとえばこの条約に非常に熱心でありましたフランス、スイス、ベルギー等のヨーロッパの諸国、それからアメリカ等国内体制をいかにするかということも実は非常に参考にいたしたいと考えておるのでございます。現在これらの資料もいろいろ集めておりますけれども、まだ十分でございません。しかしながら、他国がどうだからといって、決して、私どもこれを忌避するわけではありませんが、いろいろ非常にめんどうな権利義務が起って参りますので、そういう点もなお慎重にして、十分な国内体制を作り、国内法の完全なるものを作りたいということで、関係各省ともいろいろ打ち合せておる次第であります。精神といたしましては、全く御質問通りに、できるだけ早く加入いたしたいと思います。
  14. 八木一男

    八木一男委員 今の委員長事務局長の御答弁で非常に安心したわけでございますが、さらに強力に進めていただきたいのでございます。今の言葉じりをつかまえるわけではございませんけれども、いろいろとめんどうなことが起ると事務局長が言われましたけれども、めんどうなことが起るというその問題についての配慮は、たとえばそれについての防衛庁関係とか、たとえばそれについての軍需工業関係で、通産省関係とか、そういう人たちが言う問題でございまして、文化財保護委員会関係といたされましては、これが一番大事である、特にこれを推進しなければならないという立場で強力に進めていただきませんことには、防衛庁関係者の、ここに自衛隊を置きたいんだ、あるいは通産省関係の人の、ここは立地条件軍需産業工合がいいというような意見に押されてしまいます。ですから、文化財保護委員会文化財保護立場から強力に押していただく、またほかの諸関係者は、諸関係者立場から主張して、初めてそこに一番よい結論が出るのでありますから、文化財保護委員会自体がめんどうなことというようなことをお考えになると、この問題は推進できないと思う。それで御答弁は要りませんけれども、この点ほんとう日本文化財を守るという立場から、文化財保護委員会使命を果す意味で、強力に委員長事務局長も推進していただきたいと思います。事務局長の先ほどの御答弁について、私が幾分反駁的なことも申し上げましたけれども事務局長文化財保護について熱心にやっていただけることを信じまして、この問題については一応これで打ち切りたいと存じますので、これから具体的な問題について御質問をいたしたいと存じます。  実は、奈良市の少し北の方でございますが、史跡でございまして、磐之姫命御陵のある近くでウワナベ、コナベと申します非常に代表的な古墳のある、そして御陵の伝説のあるところに、現在アメリカ駐留軍がおるわけであります。これは法華寺のすぐ北でありまして、法華寺町か佐紀町か、どっちかの町名にわたっておると思いますけれども、そこに現在駐留軍がおります。ところが駐留軍計画によって七月に接収解除をする予定になっておる。そうしてこのあと自衛隊航空学校幹部訓練所ができまして、千五百名の自衛隊の学生が入ることになるという御計画を進めておられるようであります。そのような場合に、この保護条約によりますと、その四条の文化財の尊重というところに、「締約国は、武力紛争の際に破壊され、又は損傷を受ける危険がある目的に自国及び他の締約国の領域内に所在する文化財、その直接の周辺及びその保護のために使用される施設を使用しないようにすることにより、並びにその文化財に向けていかなる敵対行為をも行わないようにすることにより、その文化財を尊重することを約束する。」という条文がございます。こういうふうな条文がございますので、ここに自衛隊が入っていってしまいますと、この文化財保護条約を進めました場合に、これを撤去しなければならないことになるわけであります。奈良というところは御承知通り文化的なところであり、そしてまた教育的なところでありますから、その問題と関連なしに軍隊あるいはそれに類似するものが入ることは好ましくないわけでございます。現状においてそういうものが入らない方が教育上、文化上よろしいわけでございますが、それとともに、もしここに入ってしまった場合に、との条約批准した場合に、そうして国内法整備したときに撤去しなければならないということが起るわけでございます。でございますので、この問題は自衛隊計画を一部変えて、ここに航空自衛隊幹部訓練所を設置しない方が文化財保護立場としてよいのではないかと私ども思いますし、特に奈良市の周辺に住みまして奈良市の古文化財のことによく関心を持っておられる学者の諸君とか文化人諸君とか、その関係者はこの問題に猛烈に反対しておるわけでございます。その点につきまして文化財保護委員長は、ここに自衛隊が参ります点について好ましくない、自衛隊の設備、使用を避ける方がいいとお考えになると思うわけでございますが、これについて保護委員長のお考えを伺いたいと思います。
  15. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 この問題はかなり前、何日ほど前でございましたかから承知いたしておるのでありまして、ただいまお話のありました自衛隊訓練所法華寺の近くに設けますることは、まことに文化財保護の上におきまして好ましくないことと存じまして、防衛庁方面申し入れをいたしておるのでございます。ただこの法華寺には非常に尊い国宝がたくさんに保存されておるのでございますが、万一武力紛争の起りました場合にこういうものは他に移転させることができるものでありまして、その点から申しますると幾分安心ができるのであります。それから建物重要文化財に指定せられておりますので、建物防衛の上から申しまするならば、むろん先ほど申しましたこれらの訓練所のありますることははなはだ望ましくないことなのでございます。法文上これがどういうことになるのでありますか、いささか懸念なきを得ないのでありますが、初めこの武力紛争に関しまする条約の問題が起りました際に、文化財保護委員会は特に先ほど申しました関野課長を派遣いたしまして、奈良京都、できれば鎌倉までも全体を広地域にわたりまして保護対象としたいものである、この希望を強く主張したのでありますが、これが通りませんでございまして、それでこの特別保護対象となりまするものはきわめて狭く解釈せられてしまったのでありまして、これはまことに遺憾なことでございます。先ほど申し上げました法華寺の仏像そのほかのものは特別保護対象となることと存じますが、あの建物は比較的新しいものと聞いておりますので、これまでが特別保護対象となりまするかどうか、たしか法華寺から今度の訓練所までは約五百メートル離れておるそうでありますが、たとい五百メートル離れておりましても危険は十分認めなければならぬのでありますから、こういうもののできないことをむろんわれわれは望んでおりますので、防衛庁申し入れをいたしておるのでございますが、一そうこの点につきまして努力いたしたいと存じております。
  16. 八木一男

    八木一男委員 今のことでちょっとこまかいことを伺いたい。奈良京都鎌倉地域全体を非武装都市か何かにしようという提案をなすったわけでございますか、その点もう一回お答え願いたい。
  17. 岡田孝平

    岡田政府委員 ただいま委員長の御説明は、都市全体を非武装都市にするとか、あるいは文化財として都市全体そのものを指定するというようなお話でございまして、これは日本側といたしましては奈良京都等あるいは日光等も入ると思いますが、そういうところは文化財集団都市として、全体としてそのもの文化財として指定してもらいたいという主張を強力にいたしました。これは一昨年ヘーグにこの条約採択会議がございましたときに私が参りまして、そういうことにいたしたのでございますが、これは遺憾ながら文化財条約の草案が、そういう都市全体を保護するという趣旨ではできておりません。個々文化財もしくは文化財集団対象としており、その他のいろいろな要素がある町全体というようなことにはしていない、こういうことでございまして、それは通りませんでございました。従ってきわめて重要な文化財がありますところは、その個個の文化財をそれぞれ条約対象として指定するか、あるいは非常に多いところは集団としてその文化財都市一つにまとめまして保護対象にするということになっておる次第でございます。
  18. 八木一男

    八木一男委員 文化財保護委員会の方で条約のときに京都奈良あるいは鎌倉等地域的に指定して、保護地帯、非武装都市と申しますか、そういうものを主張されたことは非常によいことでございまして、私どもはかねがねその主張を持っておったわけでございます。ところでこの条約でその問題がくみ入れられなかったといたしましても、日本人の考え方として、それから世界中の文化財を愛し、また平和を愛する人々の考え方としては、そういう方向に条約を進めていくという考え方に立たなければならないと思うわけでございます。現在の条約がはなはだ不十分なものでございまして、将来はこれを拡大していくという立場に立たなければいけないと思うわけでございます。その点で、特にこれは外務省の方にも申し上げなければなりませんけれども文化財保護委員会の非常に熱心な、そして粘り強い御推進をお願いしたいと思うわけでございます。それにいたしましても、たとえばそういう地域的の非武装地帯保護地帯が認められるような条約ができました場合に、わが国において主張するものは方方にありますけれども、まず第一には、今言われました通り奈良とか京都とか鎌倉が第一に主張のおもな点になると思うわけでございます。まだほかにもございますからそれを拾いたいのでございますが、少くともはっきりわれわれの主張すべきものとわかっているものにつきましては、その条件を整えておかなければならないと思うわけでございます。その地域的な問題が条約にくみ入れられなかった原因を私は推察いたしますると、イタリアのローマという都会は古文化財が集中いたしております。しかしながらこれは首都であって交通の中心である。あるいは私つまびらかには存じませんけれども、おそらくそこに軍事的施設を撤去しがたいものがあるということが一つ原因ではないかと思うわけであります。でございますから、そのような文化的都市はそのような条件をできるだけはずしていった現状を作り上げて、だからもういいんだ、地域的に全部を指定しよう、指定すべきであるという主張を積み上げていかなければならないと思うわけでございます。その意味において、わが国においてはたとえば奈良京都鎌倉またその他の重要な文化地点において、軍事的施設がないという条件を積み上げることによって、地域指定も広くすべきだという立場が生まれ、また各国の同調を得ると思うわけでございます。その広い立場から、このような文化地帯には、特にそのような軍事施設とか軍需工業施設とか、あるいはまたそれに類したものがないように持っていくのが、わが国文化財保護立場であると思うわけでございます。この広い意味において、現在起っております奈良自衛隊の問題から考えていただきまするならば、大きくわが国文化を保存するという立場から、この問題について強力に反対をしていただかなければならないと私は思うわけでございます。その広い立場と同時に、また先ほど委員長の言われました実際的な立場から考えましても、このことが言えると思うわけでございます。たとえば特許地においていなかの文化財がところどころに指定される、そうして建物が指定されないかもしれないといわれます。しかしながら現在の軍事的な非常にわれわれの好ましくない進歩はめざましいものがございます。爆弾の種類も、その効力も偉大なものがございます。また原爆、水爆という問題を考えますると、そこに一つのちょっとした軍事施設があったために、奈良文化財が全部、あるいは水爆の場合には、奈良京都文化財が尊い人命とともに粉砕されることは、予測されないわけではないわけでございます。水爆を免れ得たとしても、そのような巨大な爆弾の照準が狂えば、たとえば落した爆弾があるいは正倉院の真上に命中することも考えられるわけでございます。その意味であらゆるそういう危険性を排除する必要があると思うわけでございます。ですから条約はたといそのうちの特許地の中の文化財だけが対象になりましても、わが国としてはそういう立場をとって、そのような自衛隊のために特許地文化財だけでなしに、その家も焼かれる。さらにその周辺のたとえば正倉院、東大寺、二月堂、三月堂、新薬師寺あるいは興福寺、あるいはまた薬師寺、またさらに越えて法隆寺というようなものが破壊されるような原因を作るべきではないと思うわけでございます。もしここで自衛隊建物が、ほかに振りかえがつきにくいからとか、すでに計画書を作ったからとか——作っているかどうか知りませんが、そのくらいの理由でもし文化財保護委員会が押されてこれを許しまするならば、ほんとう日本文化財保護のために、将来ほぞをかむような危険性が起るわけでございます。文化財保護委員長といたされましては、どうかこの場合、どんなことがあっても、身を挺してでもこれを食いとめるという勢いで、防衛庁あるいはすべての諸官庁に当っていただきたいと思うわけでございまするが、それについて強い御決意をお示し願いたいと思うわけでございます。
  19. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 われわれもむろん強い決意を持っておる次第でございます。どうぞさよう御承知願いたいと思います。  それから先ほど私御答弁申し上げました際に、記憶違いと申しますか言い間違いと申しますか、誤まりを犯しましたので訂正いたしますことをお許し願いたい。一昨年ヘーグ文化財保護委員会から参られましたのは関野君と私申したのでございまするが、これは京都博物館長神田喜一郎博士でございます。それにこちらの岡田事務局長が一緒に参られたのでございます。その点訂正さしていただきます。
  20. 岡田孝平

    岡田政府委員 ちょっと補足を申し上げますが、都市全体を文化財にするということにつきましては、先ほど御答弁申し上げた通りでございますが、この条約ではこれは取り上げませんで、個々文化財対象にする。その際に条約によりますと、一般保護特別保護とございまして、一般保護の場合には、文化財及びその直接の周辺とする。それから特別保護の場合には、これはきわめて数を限りまして、非常に重要なる文化財に限るわけでございます。それに限って国際的にユネスコ本部に登録する、そのかわり完全な保護を受ける、こういうものでございます。これは直接の周辺ではございませんで、やや広い距離をとりまして、その文化財周辺には、いろいろの軍事施設を設けてはいけない、設けるならば文化財保護されないということになるのであります。その距離はしからば何メートルかということは、これは条約には書いてございません。この条約ができます前に、各国専門家会議がございまして、その際に先ほどの関野課長が参ったわけでございますが、その際には、特別保護の場合には約千メートルくらいのところということでございまして、はっきりした距離はその際にもきまらなかったのでございます。その後条約会議の際にも別に距離の問題は出ませんでした。しかしながら約千メートル内外は離れていなければ、特別保護条件は備えない。そういう点で今回の学校の問題は、なお五百メートルから離れておりますので、かりに千メートルが条件ということになりますれば、まあまあ条件には当てはまるということになりますけれども、しかしながらこの千メートルということが、実際問題といたしまして、各国によってもいろいろ違うのではなかろうか。これは私先ほど申し上げました国内態勢が各国によって違うということの一つでもございますが、ある国はもう少し幅を広くとるというようなことにもなりますと、どうも千メートルでは危ないということも言えますので、できるならば幅を広くとりたいというのが私ども考えでございます。
  21. 八木一男

    八木一男委員 簡単に防衛庁の永山政務次官に御質問と御要望をいたしたいと思います。ただいま文化財保護委員長にいろいろ質疑あるいはご要望申し上げておったわけでございますが、政務次官には、そばで聞いておられまして事情をおわかりかと存じます。一応簡単に申しますと、この間ヘーグにおいて、武力紛争の際の文化財保護のための条約ということが各国で討議されまして、でき上りました。わが国においても仮調印をいたしまして、現在これが批准並びに国内法整備準備中でございます。これによりますと、この第四条で、そういう文化財のそばには他国から武力紛争のために破壊されるようなものを置かない、そういうようなものに使わないというような条項があるわけでございます。端的に申し上げますると、文化財のそばには軍隊を置いたり、あるいは軍需産業を置いたり、そういうことをしないという条項があるわけでございます。それで文化財保護委員長にお伺いしたところではっきりいたしましたことは、そのようなことのために、たとえば奈良とかあるいは京都とか鎌倉というようなところに重点を置いて考えておられるようでございます。現在実は奈良市の北辺におきまして史跡があり、また有名な古墳のある場所に駐留軍がおるわけでございまするが、七月に撤退いたしまして、そのあと自衛隊航空学校幹部訓練所の設置が計画されておるようでございます。そうして千五百名の自衛隊の学生がそこに入るというような計画があるように承わっておるわけでございますが、それについて政務次官御承知でいらっしゃいますか。
  22. 永山忠則

    ○永山政府委員 ただいまの点は、いろいろ話があっていることは承知いたしております。
  23. 八木一男

    八木一男委員 担当の局課長の方はおられませんから、全体として御要望申し上げておきます。このような、わが国が仮調印して批准準備をしている条約が発効いたしました場合には、そこにもし自衛隊が入りました場合には、当然それをどこかに移さなければならないということが起るわけでございます。それからその条約が発効しない前においても、やはりどんな非常事態が急速に起るかもしれませんが、起った場合に、事実上そういう軍事施設がございますると、そこに爆撃等の危惧が生まれれば、日本人の一番大事な精神的遺産であるたとえば正倉院における御物あるいはまた東大寺、薬師寺、少し離れておりますが法隆寺、それから直接そばにある法華寺文化財が非常に危殆に陥るわけでございます。でありますから、条約が発効するといなとを問わず、そういう爆撃を受けるおそれのあるようなものをそこに持って参らないことが、文化財保護立場から非常に大事であると私ども考えておりまするし、文化財保護委員長もわれわれと同様な考えを持っておられるわけでございます。そうして文化財保護委員会といたされましては、防衛庁に、そこに航空学校幹部訓練所を置かないように要望されているようでございます。防衛庁としてはいろいろなお立場があると存じますけれども、特にこの文化財の集中しているところにそのような訓練所をお置きにならなくても、防衛庁の御努力によって、ほかに計画を変えられる余地が十分あると私どもは思うのでございます。ほんとうにわれわれの精神的遺産であるこの文化財を守るという立場から、防衛庁としても、御計画ができておりませんでしたら幸いでございますが、計画進行中でございましたらそれをとめられて、組み直されて、そこに自衛隊が来ないようにしていただきたいと思うわけでございますが、それについて政務次官の好意ある御答弁をお願いしたい。
  24. 永山忠則

    ○永山政府委員 御趣旨の点もございますので、関係当局と十分協議しまして慎重に検討してみたいと考えます。
  25. 八木一男

    八木一男委員 文化財保護に御熱心な御答弁をいただきまして非常に私ども満足でございます。しかし計画は現在進行しつつあるようでございますし、駐留軍の撤退するのが七月、現在はもう六月になっております。特に政治関係では参議院選挙等でこの問題を忘れがちになるおそれもございます。でございますから、特に政務次官は即刻この問題について関係の方にお話いただきまして、日本の精神的遺産の文化財を守ることができるよう強力な御措置を下さいますことを重ねて御要望しまして、重ねて御好意ある御答弁をもう一言だけ承わりたいと思うのです。
  26. 永山忠則

    ○永山政府委員 関係当局と十分慎重に検討してやりたいと考えております。
  27. 八木一男

    八木一男委員 御検討ということでは困るのでございます。自衛隊日本全国にたくさんありますから、ただ一部分のこの学校だけの問題は、ほんとう自衛隊の場合なら計画を変えられたら実現できるものだと思うのです。ただもう紙に書いてしまった、事務当局の人はめんどうだからこれを変えにくいでしょう。けれどもほんとうに自由民主党の方が、あるいは鳩山内閣の方がわれわれと同様文化財保護に熱心でおありになれば、必ず変えられる問題です。ただ一言おっしゃっただけでは事務当局はめんどうくさいし、またほかを探すのに手数が要るからできませんと言うにきまっています。できませんというのをできるようにしていただくのが大臣であり、それを補佐される政務次官でおありになる人の責任であると思うわけでございます。その点一つそういうふうにやってやるというはっきりした御答弁を願いたいのでございます。
  28. 永山忠則

    ○永山政府委員 お言葉の点は大臣にもよくお伝えいたし、庁内にも伝えて協議を進めたいと考えております。
  29. 八木一男

    八木一男委員 おっしゃった御意思は、政務次官として政治力を全部発揮してそれを阻止することに尽していただくという意味に解釈して、私ども希望をお託し申し上げたいと思いますが、それでよろしゅうございます。
  30. 永山忠則

    ○永山政府委員 まあよく大臣に話をいたしますから……。
  31. 八木一男

    八木一男委員 永山さんに全力をあげてやっていただくという御答弁をいただきたいとお願いしているわけで、永山さんは日本人として日本人の精神的遺産を守る信念をお持ちだと思います。ですから、永山さんと同程度の力で文化財保護に不熱心な人が強硬にがんばった場合にも、永山さんは全力をあげてここに自衛隊が来ないように努力するということをおっしゃっていただきたい。
  32. 永山忠則

    ○永山政府委員 御意見はよく拝聴いたしました。
  33. 八木一男

    八木一男委員 政務次官は文化財保護についてやろうという御意思であるが、大臣がおらないのに返事をするのは政務次官としての責任上困る、ここまで出ているけれどもはっきり言えない状態にあることはお聞きになっておわかりだと思います。そこで文化財保護委員会委員長さんが、防衛庁その他関係官庁に対して、ほんとう文化財を守る立場から強力にそれを御推進願えば、防衛庁も大乗的立場から必ず計画を御変更になっていただけると思います。ですから、その中核としての委員会の強力な推進を特にお願いいたしまして私の質問を終ります。
  34. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 野原君。
  35. 野原覺

    ○野原委員 ただいまの八木委員質問に関連いたしますが、永山政務次官はどうも内閣委員会で相当しぼられたと見えてなかなかしっぽをお出しにならぬ。私は、自衛隊奈良の問題は相当話が進んでおると聞いている。だからこの委員会ではほんとうのことを御答弁願いたい。アメリカ駐留軍兵舎跡に自衛隊航空学校を作るという話はどの程度進んでおるかお聞かせ願いたい。
  36. 永山忠則

    ○永山政府委員 米軍の撤退が七月以後でございますから、まだ具体的に決定しておりません。八木さんの言われるごとく話があるという程度でございます。
  37. 野原覺

    ○野原委員 これは単なるうわさの程度だ、このように本日のところは甘く解釈しておきたい。しかし八木委員も繰り返し質問し、文化財保護委員会委員長が明言しておるのです。こういうことではいけないというのですかた、一つご協力をお願いしたいと思います。  そこで文化財保護委員長にお尋ねをいたします。正倉院の問題について、高橋委員長も御承知のように、私は前国会から本国会にかけて数回にわたってお尋ねをして参ったのであります。奈良の肥鉄土会社、しかもその社長は奈良においては有名なボスと言われておる。そのボスが経営する奈良の肥鉄土会社の作りました道路によって、正倉院の宝物の保存に影響することがあるのではないかというのが私の質問の第一点でございます。もう一つの点は、この会社が肥鉄土を採取すること自体、あるいは採取をして運搬する、そういう道路の問題は奈良の史跡の現状変更と申しますか、史跡保存にこれまた影響があるのではないか。つまりその肥鉄土会社の道路によって正倉院の宝物の保存に影響があるかないかというのが一つ。もう一つ奈良の史蹟保存という点について問題があるのではないか、こういう点で私は数度にわたってお尋ねしてみたのであります。これに対する文化財保護委員会答弁は、私ここに衆議院の速記録を持って参っておりますが、ここで答弁をお聞きした上になお私はこの速記録によってしさいに読み返してみたのであります。その後私自身また奈良の知人——私は大阪でありますから、奈良は隣でありますので、奈良の事情等もよく知っておりますし、直接奈良にも参りまして、いろいろ私自身個人で調べてみたのでありますが、あなたが今日まで答弁した、その御答弁は必ずしも誠意ある答弁と私は受け取ることがどうしてもできぬのであります。時たまたま学習院長の正倉院評議会議長の安倍能成博士が私どもと同じ考えを持たれまして、奈良に直接この問題でお出向きになり、いろいろ安倍さんは安倍さん自身としての調査をいたしました結果、五月二十九日の読売新聞に「国民の義務として守ろう」「奈良の自然と正倉院の芸術」という見出しで時評が出されておることも委員長お読みのことと思うのであります。従って本日は委員長にも相当な決意を持っていただかなければならぬので、私の質問も相当きびしくなろうかと思いますが、まず最初にあなたにお伺いいたしたいことは、国民の義務として、奈良の自然と正倉院の芸術を守らなければならぬ、文化財保護委員会は一体何をしておるのかという、非常な憤激で正倉院評議員会議長の安倍能成博士がこの論文を出されておることに対して、あなたはどういう御所見をお持ちになりますか。重ねて申し上げます。正倉院の評議員会議長の安倍博士が断じて文化財保護委員会のやり方というものはなっていないと、大新聞である読売新聞に論評しておる。このことをあなたは保護委員会の責任者としてどういう御所見を持ってお読みになられたか、どういうお考えでございますか、まずその点から承りたいのであります。
  38. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 ただいまの御質問でございますが、私は安倍能成氏の論文を読売紙上において読みます一日前、二十八日に安倍氏に会いまして、安倍さんの御意見を詳細聞くことができたのであります。そしてそのときには特にただいま野原さんのお使いになりましたような激しい言葉文化財保護委員会を非難してはおられなかったようでありますが、とにかく手ぬるいではないかというような語気ではあったように記憶いたしております。それであの肥鉄土会社が自動車を通すようになったがために、どれだけの影響を正倉院の御物の上に及ぼしておるのであるか、この点はこの席におきまして野原さんの御意見を伺いまして、それから東京の文化財研究所におきまして調査を進めたのでございますが、その方法などはここにくだくだしく申し上げることを避けますが、その結果は全く現われておらぬのであります。今日までこういう影響があるということを確かめます結果というものは全くないのでありまして、もしこれが今日まで現われておりますならば、われわれといたしましてもよほど大きな手がかりが得られるのでありますが、まだこの影響が全然四辺そのほかに現われておらぬのであります。調査に当っております人たちはいましばらく時期を待たなければならぬ、こういうことを申しておるのでございます。その上にどういう影響が生じますか、今日のところでははかり知ることができないのであります。過日の正倉院委員会におきましては——これは宮内庁に開かれる委員会でございますが、これにはわれわれの文化財保護委員会からは細川護立委員と私が出席いたしておったのでありますが、とにかくこの塵埃を防ぎますことが第一であるということに意見は一致いたしておるのであります。その塵埃はそれでは何によるのが一番大きいのであるかと申しますと、ただいま問題になっております北側道路よりも、むしろ東側の道路、これは公道になっておるものでありますが、これから生じます塵埃が一番大きい、こういうことを言われておるのでありまして、さきに参議院の予算委員会におきまして八木幸吉さんの御質問を受けたのでありますが、これは地方の新聞に出ております記事によっての御質問であったのでありますが、その際には、非常な塵埃である、大阪の都心よりもかえってひどいというようなことが見えておったのでありまして、今回委員会などにおきまして多くの人たちの言われておるところによりますと、ことに宮内庁の図書部長の言われるところによりますと、一時減少した、と申しますのは、この公道にくいを打ちまして立札を立てまして、公道でございますから全然交通を禁止するわけには参らぬのでありますが、なるべく通行を遠慮してもらいたい、こういう立札をいたしました。その効果が現われたのでございますか、わずかに一日一台という程度に減少をして、塵埃はよほど減少した、こういう報告を早く受けておったのであります。ところが正倉院委員会におきまして聞くところによりますと、その後に至りまして自動車の通行がまたふえまして、塵埃ははなはだしくなった。これを何とかとめなければならぬのである、これに向って全力を注ぎたい、こういう申し合せができまして、解散いたしたのであります。これによりまして東側の道路の通行を制限することができますならば、よほど塵埃は防げるのではないかと考えておるのであります。それからこの肥鉄土会社のやりましたことがまことにどうも遺憾な点の多いことは、たびたびこの席におきまして私野原さんの御質問に対してお答え申しておる通りでありまして、まず許可の条件でありますところの舗装、散水、植樹というようなことを励行させまするように申し入れておるのであります。特に奈良の教育委員会文化財保護課長を経まして申し入れておるのでございまして、向うは必ずこれを行うと、こう申しておるのでございまするが、われわれといたしましてはどうもまだ信用が十分にできない、安心ができないというので、実施状況を問い合せておるのであります。四月の初めから必ず散水を行う、こういうことを申しておるのでございまするが、そこにも心配がございましたので、四月何日でございましたかに問い合せたのであります。ところが散水はいたしておる、こういうことであります。それならば、なおこういう点を特に十分注意してやってもらいたいものであるというので、詳細の点を指示いたしておったのであります。その後になりまして、たしかこれは五月に入ってからだと思いまするが、ただいま申しました散水そのほかの点においてこれだけのことを実施しておるということを、かなり詳細にしたためまして、写真なども挿入いたしまして送って参ったのであります。しかしながら樹木などはだいぶ枯れておるものなどもございまするような状態でございまするので、なお厳重にこの会社の社長に申さなければならぬと存じまして、東京へ出てきて文化財保護委員会に来るように、こう申したのであります。ところが先方では、最近になりまして五月三十一日に文化財保護委員会に来るから、こういうことでございました。三十一日はちょうど私いろいろ用事のあった日でございまするが、特に時間の差し繰りをいたしまして、ぜひこの鍵田氏に会いたいと存じておったのでありまするが、その朝になりまして、やむを得ない用事ができて、どうしても文化財保護委員会に——東京には来ておったそうでありまするが、文化財保護委員会にあがれなくなったので、どうかいましばらく猶予してもらいたい。六月になれば早早伺うから。それで今のところ四日でありましたか、四日には必ず来る、こう申しておりまするので、文化財保護委員会考えておりまするところを厳重に同君に申したい、こういうふうに考えておるのであります。正倉院評議員会におきましては、罰則を適用してはどうかというような意見も出たのでありまするが、この前こちらで申し上げましたように、果してこの罰則の適用ができるかどうか。もしあの車を通したことによりまして、史跡を破壊しておるということが言い得られまするならば、罰則の適用も可能と考えられるのでありまするが、果してこれをもって史跡の破壊と称し得るかどうか。それから他の罰則、過料などになりますると、最高三万円でございまして、その道の人に聞きますると、最高まで課することはまれであって、大体二万円程度ではないか。これくらいの過料でありまするならば、ほとんど痛痒を感じないのではないか、ここに実は文化財保護委員会の悩みもございますので、罰則の適用というようなところへいかずに、何とかして正倉院の御物その他を守り抜く道がないのであろうかということに実は頭を悩ましておる次第でございます。
  39. 野原覺

    ○野原委員 私は、高橋委員長のお人柄に今日まで非常な敬意を払って参っておるものでございますが、あなたのただいまの御答弁を聞いて、あなたに対する考え方を残念ながら変えなければならぬ、このように思うのです。  そこで一々お尋ねをして参りましょう。まず委員長は、安倍博士のこの読売に寄稿をされた時評をお読みになりましたか、いかがですか。
  40. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 ただいま申しましたように、すでにその前日安倍さんとは十分に話し合っておりますので——読売に載せたということは申されなかったのでありまするが、十分話し合っておりまするので、その後になりましてこの新聞を見ました際に、そう熟読含味するというところまでは必要ないと考えたのでありまするが、一応目は通しました。
  41. 野原覺

    ○野原委員 その中にこう書いてある。ずっと一番後段のところに「文化財保存委員会に至ってははっきりした態度をとらなかったために、会社の実績強行に便利を与えた結果になったことは争えず、いろいろな陳弁は試みているが」と書いてある。あなたは安倍博士に会っていろいろ陳弁を試みられたに違いない。「いろいろな陳弁は試みているが、文化保存に熱意が乏しいことは否定できない。」と断定しておるのです。これはまあ安倍博士もああいう方でございますし、あなたとはいろいろ旧知の間柄でもありましょうから、面と向っては言葉穏やかに申されたかもしれない。しかしながらこの論文には、天下の国民に対して御発表なさった論文には、今日の文化財保護委員会文化財保存に熱意がない。これは正倉院の事例を見てもわかるといって、一番最後の結びとしてこう断定をされておる。私はこのことに対するあなたの重ねての所見はあえてお尋ねいたそうとは思いません。正倉院評議員会議長も今日そういう御所見を持っておるということをここで申し上げたいのです。  そこでお尋ねをいたしますが、東京の文化財研究所から正倉院の塵埃調査に係官を派遣した、あるいは塵埃調査の装置をなされたという御答弁でございましたが、これはいつからその係官を派遣して、いっその塵埃調査の装置をなさいましたか承わりたい。
  42. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 これはたしか五人の研究委員を任命いたしまして、その諸君たちの協議が行われ、準備を整えまするのに何日かの時間がかかったのでありまして、その時間がどれくらいの期間を経過したか、今私はっきり申し上げることができないのがはなはだ遺憾でありまするが、前に申し上げましたように、東京文化財研究所における保存科学技術の研究は、発足いたしまして日はなはだ浅いのでありまして、いかなる方法によるべきであるかこれを研究いたしまするのに何日かの日数を要したことと存じます。そして先ほども一言いたしました百葉箱とかあるいは試片とかいうものによることが一番いいという結論によりまして五カ所にこれを据えるに至りましたのは、かなりおくれておりまするが、今日資料を持っておりませんが、今局長の記憶によりますると四月に入ってからというふうに申しております。据え付けまするまでにそれだけの時日を要したわけでございます。
  43. 野原覺

    ○野原委員 どうも答弁が要を得ていないのです。私はいつ装置をしたかというのに四月に入ってから、どうもあなた方の御答弁は速記録を調べてみても実にあいまいで、何とかして奈良のボスの立場を擁護しよう擁護しよう、遺憾ながら文化財保護委員会がああいうような態度を今日までとってきておるから、今までおとりになられた態度の弁解にのみ努めよう努めようとしておる。安倍博士もこのことを指摘しておる。この装置をしたのは私の調査では四月二十五日、二十六日なのです。私は昨年の前の国会、これはおそらく十二月であったと思うのです。それから私が質問したのは二月から三月にかけたこの国会の初期なのだ。この奈良の桜の花盛りというのは御承知のように四月の上旬です。だからその奈良には関西あるいは東京の人たち、全国の人が修学旅行だけでなしに、一般の行楽シーズンでにぎわうところですから、そういう花見盛りの塵埃について調査してもらいたいということを私は要請したのです。東京文化財研究所に対していずれ私はこの国会が終るまでには質問をするということを申し上げておきましたし、新聞その他も正倉院の問題に注目をしていろいろな批判が寄せられて参りましたために、やっとみこしをお上げになられたのは四月の二十五日、六日ごろじゃないですか。東京文化財研究所の岩崎技官が奈良に行って長期塵埃測定装置を据え付けているのは四月二十五日、六日です。事務局長、これは間違いないですか。
  44. 岡田孝平

    岡田政府委員 準備に非常に手間をとったのでございます。一つはこの調査の予算がございませんために非常に苦心いたしまして、学術研究費の方からようやく若干の研究調査費をもらうことになりましたが、そういう関係がございましていろいろ当初の予定よりもずっとおくれまして、大体四月の——日は覚えておりませんが下旬だと存じております。
  45. 野原覺

    ○野原委員 四月下旬なら下旬といってもらいたい。四月に入ってからという答弁は、聞いておられる方に四月上旬という印象を与えられる。私はそういうことをはっきり言ってもらいたいということを申すためにあえてお尋ねをいたしたのです。ほんとうのことを言ってもらわなくては困るのです。  もう一点先ほどの御答弁で問題なのは、正倉院については塵埃の影響は現われていないという断定をなさる。何のために長期塵埃測定装置を据え付けたのですか。塵埃の影響が現われておるか現われていないかということは、これからこの装置によって出てくる結論だろうと私は思うのです。今ごろ現われるか現われぬかわからないのです。正倉院の御物の、たとえば銀製の器にいたしましても、あるいはガソリンのしぶきや塵埃がかかって、どういう化学的変化をなすかということは、一年や二年じゃわからないのです。安倍さんの論文を見ても、たとえば世界に誇る天平時代の銀製のつぼがある、このつぼが明治の初年にまっ白だったのが今日黒くなっておる。これは一体どういうことなのだ。今まで道路も何もつけないでおってもあれだけの校倉造にああいう装置をして保存しても黒くなっておるという。このことは今度の道路とは関係ないに違いないのです。けれどもやはり五年、十年、三十年、五十年とたっていくうちに塵埃の影響が問題になってくるのです。とにかく塵埃やガソリンのしぶきがどんどん放射されておれば、その影響が出てくるに違いないということはしろうとが考えても私はわかることじゃなかろうかと思う。それにあなたは正倉院についての塵埃の影響は現われていないと言う。あなたの前の答弁を読み上げてみましょう。これは三月七日の衆議院文教委員会速記銀の第一段から第二段に述べられておる。塵埃がひどくなったのは東側道路だが、交通制限がよい成績をおさめて、昨年十二月には自動車がたった一台しか通らなかった云々ということを言っておる。私ども考えによれば東側の道路が塵埃の影響を与えておるとは見ていないのです。私は鍵田君の作ったといういまだに公認許可をせられていないという北側の道路にだけ問題があると考えておるのです。大阪気象台員が十二月十五日に調査をした結果——これは宝物に対する影響の調査ではございませんけれども、空気中に含む塵埃の分量についての調査をした答えを見てみますと、やはり北側の道路の塵埃が日増しに多くなってきておると発表しております。ところが北側の道路にはお触れにならないで、問題もない東側道路だがという、常に弁解に弁解を重ねていくという態度がどうしても解せない。私はこういう態度をほんとうに良識がある尊敬すべき高橋博士ともあろう方がなさることは、あなたの人格のために残念に思うのです。しかもあなたは日本文化財、世界の文化財保護する日本の唯一の責任者であり大事な方なのですが、そういう大事なお方が一意奈良のボスを擁護する立場に回っておるという印象を国民に与えておる。このことを私はあなたのために言うのではない、日本のために遺憾に思うのです。だから私は執拗に、本日は国会の最終日であるにもかかわらず、与野党の理事諸君にも頼み、委員長にも要請してこの委員会を開いておる。私がこれからお尋ねいたしますことについては、委員長であるあなたも、一体どうして奈良の史蹟を守っていかねばならぬか、正倉院の宝物を大事にしていかなくてはならぬかというお考え方で御答弁を願いたいのであります。  そこでお尋ねをいたしますが、あなたのただいまの御答弁の中で、史蹟は破壊されていないというお言葉がありましたが、奈良の肥鉄土会社はほんとうに史蹟を破壊していないという御判断でしょうか。奈良の史蹟は区域を限られております。御承知のように若草山から線が引かれておるはずです。その史蹟を奈良の肥鉄土会社の肥鉄土の採取は破壊していない。そういう御認識に立っていらっしゃるのかどうか承わりたい。
  46. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 ただいまの御質問にお答えするに先立ちまして、野原さんは私の人格までもお疑いになっておるようであります。私の至らぬところはむろん多々あると存じまするが、何か私が肥鉄土会社という営利業者を特に保護するとか弁護するとかいうような態度をとっておるかのごとく私の耳に響いたのでありまするが、これは非常に遺憾なことであります。私は今日までいまだかつてこの会社の社長とも会ったことがないのでありまして、世上ある政党の幹部の手が作用したというようなことも言われておるのでありまするが、少くも私といたしましては、この問題に関しまして政党の有力者などと会見したこともなく、一度といえどもこういう諸君から話の申し入れのあったこともないのであります。われわれはなはだ力が足りませんでございまして、十分にこの肥鉄土会社の行為を糾弾することができなかったという遺憾は多々あるのでございますが、しかしながらそこに一点のやましいところがあるとは、私は自分みずから何度考えてみましても決して考えられないのであります。またたとえて申しますならば、今のようなお言葉を伺いますると、何か私が買収でもされたかというふうに響くのでありまするが、さような事実は毛頭ないのでありまして、私自身これらの者から一銭といえども受けていないのであります。この点はどうぞ御了承願いたいと存じます。それからまた事務局におきましても、たとえば先月でございましたか、先々月でございましたか、奈良の高沼という人が出て参りまして、私会うことがついできなかったのでありますが、局長そのほかと会見いたしまして、前局長は何かもらったろうというようなことをしきりに言っておったそうであります。前局長も決してさようなことはないというふうに申しておったのでありまして、他人のことははっきり申すことができないかもしれないのでありまするが、私の調べました限りにおいて、事務局においてもかような醜聞はなかったと存じます。ただいまのようなお言葉を伺いますることは、まことに心外にたえないところであります。  それから史跡を破壊しておらないかどうか、こういう御質問でございまするが、私の申しましたのは、この法文の百七条の二に「史跡名勝天然記念物の現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をして、これを滅失し、き損し、又は衰亡するに至らしめた者は、五年以下の懲役若しくは禁こ又は三万円以下の罰金若しくは科料に処する。」こうあるのでありまするが、この法文に規定せられておりまするような滅失、棄損あるいは衰亡に至らしめたということが言えるかどうか、そこが疑問であると私は申したのでありまして、許可をいたしまする場合には、すでに申し上げましたような舗装、植樹、散水というようなことを励行させますることが条件になっておるのであります。各方面の意見を徴しました結果、これだけのことをすればまず許して差しつかえなかろう、こういうことに相なっておりまするので、われわれとしては許したのであります。しかしながらこれがどうも十分に励行をされておりませんので、われわれとしてはこれを励行させよう、この励行が行かれまするならば、塵埃、ガスなどはよほど少くなりはしなかろうか、こういうことを考えまして、罰則の適用などということになりまする以前におきまして、何とかいい方法はないかと思って苦慮している次第であります。
  47. 野原覺

    ○野原委員 私は、あなたがそのボスと結託してどうしたということを断言しておるわけじゃありません。私が申し上げますのは、ややともすればそういう印象を与える。私は具体的に申してもいいのです。それは私の亜観だといえばそれまでですけれども、あなたが今日までこの委員会で御答弁になられましたその事柄が、どうもその会社の立場を擁護するかのような印象を受ける御答弁に思われて仕方がない、私はどうもそう思われて仕方がない。安倍博士もこのことは巧妙な言い回しで書いておりますが、そういうような傾向がないとは否定しがたい、こういうことも言っておるのですが、そのことは高橋さんはほんとうにそういうお人柄でないし、そういうことをされる方でないことを私は確信いたしますがゆえに、そういう印象を与えるような御答弁はまことに遺憾ではないかということなんです。昨年の十二月十五日私は史跡の破壊問題についてお尋ねをいたしました。これは史跡の現状変更ということになるのじゃないか、文化財保護委員会の許可を得ないで現状変更するということは問題があるのではないか、こういう私の質問に対して委員長は、十二月十五日の速記録をお読み下さればおわかりいただけますように、文化財保護委員会専門審議会の答申をもって決定したいということを申されておるのであります。当時私はなるほどそれは当然だろう、こう考えておったのでございますが、いろいろ調べてみますと、この専門審議会の史跡部会というのは、史跡の破壊を審議するだけであって、正倉院の被害を審議する権利は持っていないという見解が委員の方々の間でなされたようであります。だからこの正倉院の問題にからんでやったときに、正倉院の被害を審議する権利を持たない、史跡の破壊については審議することができる、こういうことになって参りますと、正倉院の塵埃被害というものはどういう専門委員会でなさるのかあいまいになってくるのです。その他私は本日はたくさんあなたの御答弁を分析して持って参っております。従ってそういう印象を私が受けておるということは、あなたが私に逆問されれば、私は幾らでも申し上げることができる。ただしあなたがそういうものと結託してやったと断定しておるものではありません。重ねて申し上げます。あなたの人格は私は尊敬しておりますし、りっぱな方であることを今日まで確信しておりますから、この問題でそういう印象を人に与える。安倍さんのような方までがそういう文化財保護委員会非難の論文を書くというようなことは、きわめて遺憾なことではないかということを申したのであります。  そこで史跡の破壊の問題に入りますが、史跡を破壊しておる事実はないかということです。この点についての御答弁はなかったと思うのです。私は第百七条の損壊、毀棄または隠匿という語句の内容についてお尋ねしたのではなしに肥鉄土株式会社は奈良の史跡を破壊しておるか破壊していないか。破壊ということは損壊であり毀棄であるというところから御答弁がございましたが、損壊、毀棄ということはお互い現場を十分調査をしてみなければ、なるほど百七条に該当するかどうかの判断はむずかしかろうと思いますけれども、破壊しておるかいないか。私は実は破壊しておると見ておるのですが、いかがですか。
  48. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 ただいまの御質問に、ある程度までは破壊しもしくは破壊するおそれのあるものとは申すことができるだろうと思います。この点におきましては、前に申し上げましたように、肥鉄土会社からも念書をとっておるのでありますが、こういったものを二回も受けておるのであります。   〔委員長退席、山崎(始)委員長代理着席〕 しかしこの際に直ちに現状復旧命令を出すとか、罰則を適用するとかいうことは、考えなければならぬのではないか。許可を取り消すとかあるいはまた原状復旧させるとかいうような場合におきましては、賠償そのほかの困難な問題が起るおそれが十分にありますので、そういう点をわれわれ心配いたしておりまして、できるならばそういうことにしないで、何とか史跡を守り、正倉院を守るようにしたい、こう申しておるのでありまして、前国会においても答弁いたしましたように、ある個所におきましては、ごく軽微なところではありますが、原状復旧命令も出しておるのでありまして、いよいよになりますれは、たといわれわれの主張は通らないまでも罰則の適用を裁判所に申し出るという決意もいたしておるのでありまするが、しかしながらでき得る限りこれを避けたい、それで最近におきまして、決して彼らを擁護するという意味ではないのでありますが、まずこの鍵田という社長と会見いたしまして、果して誠意があるのであるかこれを知りたい、こう考えておるのでございます。
  49. 野原覺

    ○野原委員 肥鉄土の採掘場ですが、これは史跡外ですか、間違いありませんか。
  50. 岡田孝平

    岡田政府委員 採掘場そのものは史跡ではなかったやに考えます。
  51. 野原覺

    ○野原委員 委員長私はここに地図を持ってきておるのです。肥鉄土の採掘場は今日まで九カ所なされておるのです。三月の十二日のあなたの御答弁を承わりますと、肥鉄土の採掘場は史跡地外だ、こういうことになっておりまするので、私いろいろ調査をしてみました。ところが今日までこの会社は九カ所にわたって肥鉄土の採掘をやったのでございますが、そのうち五カ所は史跡地内にございます。私がけげんに思うのはこういうことです。史跡地外だと事務局長も言われるのだが、これは一体ほんとうに間違いないのかね。そういう認識をされるということは大へんなことになる。史跡地でこれは無断で原状を変更したということになりますよ。これは何でしたら地図を——私史跡地は点線で囲んで作成して調査しておりますから、これが間違いかどうか、これをもう一度お尋ねいたします。
  52. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 この点は実は私も疑問としておりましたので、だいぶ以前のことでございましたが、平間記念物課長を呼びまして、果して肥鉄土を採掘いたしましたところが史跡地内に入っておらないのかどうかという質問をいたしたのであります。ところがただいま岡田局長の言われましたような答弁がございましたので、その後奈良の教育委員会文化財保存課長坂元氏に会いましたときに、その点をさらに確かめたのでありまするが、どうもそこにだいぶ問題がありますようでありまして、ただいまお見せになりました地図、それと同様のものかどうか存じませんが、それを坂元氏が指摘いたしまして、どうもこの辺になりますと、地域が広いのであって、果してこれが史跡の中に入っておるか入っていないか、はなはだ問題になるところが若干ある、こう坂元氏は申しておるのであります。この点をはっきりさせる、たとえば標識を行うというようなことが、どうも広地域になりますと、これも文化財保護委員会の怠りとおしかりを受けるかもしれませんが、まず予算関係などによりまして、十分な標識をなし得ないという事実があるのでありまして、はなはだ問題になる点が多い、こういうことを坂元氏は申しておったことを、ただいま思い出すのでありまして、この点はさらに御指摘の点の五個所が果して指定地内に入っているかどうかということは厳重に調査いたしたいと考えております。
  53. 野原覺

    ○野原委員 ななるほど私が申します五個所は境に近いところがあるのです。しかし昭和二十七年に採取した場所のごときは、境からはるかに内なんです。この青写真は正確な地図によっておるのですが、これはあなたの方で御調査になるということであれば、これから調査してもらうことはけっこうだと思いますがそこで史跡地内にあって、無断で採取した、こういう事実が上ってきた場合にはどうなさいますか。
  54. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 この点はただいま申し上げましたように、十分調査いたしたいと存じておりまするが、果して史跡の指定地内にあり、しかも特別の損傷を与えておるということでございまするならば、これは委員会にかけまして、どうしても原状を回復させるということにいたさなければ相ならぬことと存じます。
  55. 野原覺

    ○野原委員 つまり罰則の適用をやる御決意がございますか。
  56. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 先ほど申し上げましたように、この条文によりまして罰則の適用を行い得るものである、そうして確かにこれは史跡を破壊した、損傷したということが歴然たるものがありまするならば、その決意を私持っておるのでございまして、このことはたびたび申しておったのであります。これは保護委員会にかけまして、五人の意見も徴さなければならぬのでありますが、先ほど来たびたび申しておりますように、できる限り避けたいと考えておるのでありまするが、最後にはその決意を固めておらなければならぬと存じます。
  57. 野原覺

    ○野原委員 原状復旧命令という行制処分をなされましても、山はだは荒れて赤土が出ておるのです。これは肥鉄土をとったのですから、もとに復旧するはずがないのです。あの奈良の美しい史跡の若草山の一帯が荒らされておる。雨が降ると掘ったあとからまた土砂を押し流しておる。これは原状回復命令を出しても簡単に原状にはできなかろうと思う。どうしてもこれは罰則の適用ということになるでしょう。そうなれば果してこれが第百七条の重要文化財の損壊、毀棄云々になるのかということも問題になってこようかと思いますが、そのことはさておきまして、原状復旧の命令を出して、そして罰則の適用についても決意を持たれる、こういうことでありますから、私はその御処断を期待いたしたいと思うのです。なぜ私はこういう執拗なことを言うかというと、ことしの三月九日の大和タイムスという新聞が奈良から私に送られて参りました。その大和タイムスを読んでみますと、この肥鉄土会社の社長は大和タイムスという新聞の大株主だそうです。従ってこの新聞に掲載した社長談話というものは、私はこれは決して誹謗したものでも何でもなかろうと思う。そういう特殊な関係もございますが、そこでこういうことを言っておるのです。「昭和二十七年にこの道路をつけ初めたころは県知事、奈良市長、県教育長らはこの許可うんぬんについてはなにも知らなかった。ところが同年十二月に約半分ほど道ができたとき、急にやかましくいいだし、けっきょよく二十八年五月許可申請をだすに至った。ところがこんどは申請から許可がおりるまでの間細かいことでさんざん文句があったのでこちらとしては工事のつごうで“許可はいらない”とつっぱねたわけだ。だのに二十九年の六月二十六日に許可があった。」これは改正文化財保護法の適用をされる四日前です。このことについても私は非常な疑惑を持って、私は私なりに、これは私の勝手な憶測の疑惑と言われればそれまでです。けれども、七月一日から罰則を強化するこの保護法が出される四日前です。二十六年ごろから工事を無断でやっておる。私はもっとはっきり言うと、黙って人の所有権を侵害してやっておって、名前を調べてきましたが、二人を裁判所に告訴しておる、しかも代金も何も払わぬというひどい仕打ちなんです。それがあなた方の方はわかっておって四日前に許可したところを見ると、私はいろいろ、疑惑が持たれて仕方がないのです。これは事務局かどこかで、委員長じゃなかろうと思うのです。なぜそういうことをやったか、このことはあとでまた申し上げましょう。あなたの方で反論があれば私は十分お聞きしたい。この六月二十六日許可を与えるときの宮内庁とあなたの方との書類の往復日付等についても調査をいたしますれば、これは疑念は晴れましょう。さておいて二十九年の六月二十六日に許可があった。ところでそれから先は大へんです。「私は公共に害もないのに所有権者の承諾もなしにその所有者の権利に優先する法律自体がまちがっていると解釈しているので、」文化財保護法なんという公益的な法律は間違っておる、こういうようにこの人は解釈しているので、「文化財保護法というこうした法律に全面的には服従したくないし、それよりもこの悪い法律を改めたいと思っている。だから罰則の適用や、許可の取消しがあればあらためて法改正について戦うし、」こういう社長なんです。一体この社長はどうですか。こういう社長が、どうも経過をたどってみると庇護されておる印象を払拭することは断じてできません。そこで私はあなたの方で史跡地内に無断で肥鉄土の採取をやったという事実が明確になれば行政処分なり罰則を適用する決意があるということでございますから、先ほど申し上げたように期待いたします。  そこで問題は、それじゃ今日まで、こういうものを放置した文化財保護委員会にその後に責任問題が起るかもしれません。しかし私はあえてそこまで私自身としては考えておるわけじゃない。すみやかにこういった奈良の史跡をなくなすような工事というものはやめてもらわなければならない。これはもう一度繰り返しますが、安倍能成博士が「イタリアでサン・フランシスコの古寺のある、アシジは、景勝において奈良に及ぶものではないが、この町では民家の改造の一つ一つにも古色を毀損せぬ制裁が厳しいのである。」これと比較して奈良京都どころではない、世界一のこの奈良は天下に誇る景勝と自然と文化を持っておる日本の国宝だ。太平洋戦争で、あの熾烈なときでもアメリカ爆弾を落さなかった。それがこういう事態に持ってこられておるということになると、文化財保護委員会というものの存在を私は疑わずにおれないのです。従ってこの際きぜんたる態度で、無断で肥鉄土の採掘をなされたことに対する御処断を私は要望いたしておきます。  最後にもう一点、これは前からお尋ねしておるわけですが、昭和三十年に工事をいたしました未許可道路九百メートルですね。知足院の北側を通っている道路です。この九百メートルの道路は今日まで未許可でございますから、肥鉄土運搬自動車なりトラックなり、それから観光バスというものが通ってはいけないのじゃないかと思いますが、いかがなものでしょう。   〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕
  58. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 この点でございますが、これはおっしゃる通りでありまして、まだこれを許可いたしておらないのであります。しかしながら私ども調査の結果を聞いておるところによりますと、正倉院委員会などにおいても同様であまりすが、一度許可いたしました道と、正倉院に及ぼします影響の方から申しますと、大した相違はない、むしろ今度の方がやや遠のいておりますために幾分いいのじゃなかろうか、心配になりますことは土砂を流してくるということであったのでありますが、二十八日の会議のときに書陵部長から聞きますと、その後の調査の結果この心配はまずなくなった、こういうことでございます。そうしますと事実問題といたしまして、いずれの道をとりましても大差ない、むしろ幾分今度の方がいいんではないか、こういうことでありますので、許可を得ずして道をつけた、実はこの点をわれわれ非常に重視いたしまして、かつて申したと思いますが、坂元君などは果して車が通っておるかどうか、何時間かしゃがんで見ておったなどということも申しておったのでありますが、今日になりますと通っておることは事実でありますが、これをすぐに今お話のありましたように、罰則の適用に訴うべきであるかどうか、これはまだ保護委員会といたしましてもその態度を決しかねておるところでございます。
  59. 野原覺

    ○野原委員 高橋委員長、事実であることは確認しておりますか。許可されていないこの道路にバスを通しておる、観光バスから料金を取っておる、その事実はお認めになりますね。
  60. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 この事実は認めます。
  61. 野原覺

    ○野原委員 どうもそういう点が保護委員会のやり方は手ぬるいのです。その事実を認めておりながらほおっておく、安倍さんはこう書いておる。「ここに不思議なのは、この新道路がまだ公許されないといいながら、公然自分のバスを通じ、しかも外から料金を取って、県営の春日奥山道路と共通の切符を売って居ることである。」あなた方はいつからその事実をお認めになったのか、私がこの前質問したときも触れておったのです。ほおっておるのですよ。だから図に乗ってやるのではないですか。どうもこういう点委員長考えてもらわなければならぬ。何のために保護法があるんです。こうなれば保護法はもうなくしなさい。国の歴史、国の文化を一個人の利益のために毀損しては困るから、これを守るために国会は保護法を作ったんです。その保護法を執行すべき責任のある保護委員会が、全く私に言わせれば怠慢というよりほかない。これをしも怠慢と言うことが無理であると言うならば、私は反論が承わりたい。こういう点があるから私はあなたに対して主観的に、人からそう見られても仕方がないということに触れたんです。このことは私は罰則を適用すべきだと思う。断固たる処断をしてもらいたいと思います。個人の利益のために、この世界に誇る奈良と、一千年の宝物を持っている正倉院が侵害を受けようとしております。重ねて申し上げます。私はここで、この未許可の道路及び史蹟の破壊が無断でなされておるこの二点については、断固たる処分をすみやかにしていただきたい。これはまた向うに持っていくと、向うの会社がどういう工作をするかわかりません。法律はすみやかに執行すべきです。その御決意を重ねて承わりたい。
  62. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 先ほど申しましたように、結局においては罰則の適用を行わなければならぬことに相なるかもしれないのでありますが、でき得る限りこれを避けまして、結局におきましては、との北側の道路につきましては、両者いずれを選ぶか、影響の相違はきわめてささいなものでありまするので、会社におきまして、十分条件を満たすという誠意が認められまするならば、許可を与えた方がむしろ得策ではないか。これはまた、彼らを保護するとか擁護するとか御非難があるかもしれませんが、観光その他の見地から見まして、この場合においてはむしろ条件を履行させることにして、許した方がいいのではないかというふうに考えております。  それから、なお先ほど野原さんのお言葉の中にありました、保護法改正直前四日前におきまして許可を与えた——この点においてはなはだ疑問が深い、疑惑が深いというお言葉でございましたのですが、しかしながらこれをやりましたのはだいぶ前のことでありまして、法の改正によりまして、既往にさかのぼらせることができないのでありまして、この点におきましては特に罰則を規定した改正が行われます直前に、彼らの利益のために許可をしたという御疑念はいかがかと存ずるのでありまして、この点もわれわれは事務局にたびたび聞きただしたのでありまするが、これは何しろ許可の申請がありましてから、今はっきり覚えませんが、一年幾らか立っておるのでありまして、その間にいろいろ研究も行い、各方面の意見を徴しまして、条件を満たせば許してもよかろうという結論が得られましたので許可をすることになったのでありまして、何もこの改正四日以前において大急ぎで許可をしたという御疑惑は、いかがかと存ずるのであります。
  63. 野原覺

    ○野原委員 私はもうやめようと思いましたが、あなたがそういうことをおっしゃるなら私も言わなくちゃならぬのです。三月十三日の、私の質問に対する委員長の御答弁がこうなっておる。六月二十六日に許可したというわけは、宮内庁にあなたの方から連絡をとりまして、確約条項を実施するなら差しつかえない、こういう回答がありましたので二十九年の六月二十六日付で許可したんだ、こういうことです。これは御記憶なさっていらっしゃると思う。ところが私調べてみますと、宮内庁の回答は、たしか七月十日の日付になっていはしなかったかと思う。これは再度お調べ願いたい。七月十日の日付で事後に出されておるとすれば、宮内庁からそういう回答があったということはおかしいじゃないですか。これはまあいろいろいきさつもあって、あるいは言いわけもあろうかと思いますが、そうなってくる。そはからあなたの方から宮内庁に通知を発送した日付は、六月二十五日付なんです。宮内庁が受け取った日付は二十八日です。そうして宮内庁では本郷監理課長を送って、柳生街道へ道路が抜けるように文化財当局に頼んできておる。ところが文化財当局はこれは有料観光道路ではない、肥鉄運般道路だ、と口頭でお述べになられたようであります。ところが実は肥鉄運般道路だけでなく、この道路は有料の観光道路も入るわけですね。だからこの点が、——文書の上でも有料観光道路とか何とかということは全然頭を出してきていない、こういう点ですね。これは故意ではなかろうと思いますけれども、やはり問題があるんじゃないか。昭和二十七年ころから無許可で道路を作ってきたのが、約三年たった昭和二十九年の七月一日に文化財保護法が施行されると、無断で許可なくそういうことをやった者には第百七条なり第八十条第一項ですかの行政処分の罰則が適用になるというと、それは業者にとってはあわ食いますよ。これはえらいことになる。うっかりしたら五年以下の懲役になるじゃないかというので、保護委員会に猛運動するのは当りまえです。私どもそういう立場であればやるかもしれません。それで六月二十五日——四日前にこれがやられるということは、私はどうも疑問にたえないんです。こういうことはどうも決断がないというのか、文化財保護に対する御熱意がないというのか、疑わずにおれないということを申したのであります。  お気の毒ですからこれで終りますが、私は今あなたが御答弁になった、むしろ許可した方がいいのではないかということに反対です。こういうおのれの利益しか考えないようなもの、無断で肥鉄土の採掘場を作ってみたり、人の土地に無断で道路を作っていまだにその代金すら支払わないで、ひどいのは東大寺にまで入っていこうとした、こういう事実の上ったものを、むしろ許可した方がいいというような生ぬるい考え方で臨まれるということには反対であります。しかし私は保護委員会の責任者ではありませんから、これは私の意見にとどめておきますが、問題は、今日まで無許可でなされたことに対するきぜんたる処断をすみやかにしてもらいたいということを、重ねて要望しておきます。以上で終りますが、最後に御所見だけ伺っておきましょう。
  64. 高橋誠一郎

    高橋(誠)政府委員 それでは一言申さしていただきます。先ほど御質問のございました、私の答弁と宮内庁小らの返事のありました日との食い違いでございますが、私の答弁以後において宮内庁の返事がきておるのではないかという御質問と存ずるのであります。これはかつて申し上げたかとも存じますが——あるいは申し上げなかったかもしれませんが、私の記憶しておりますところでは、きょう実は日曜でありますので、みな休んでおりまして書類を持参いたすことができないのははなはだ遺憾でございますが、初め宮内庁に口頭をもって、その意見を徴したのであります。そしてただいまお話のありましたように、また私の申し上げたような答えが得られたのであります。ところがその後になりまして、特にこの点は重大なことであるので、口頭だけでは後に問題が起るおそれがありますので、あらためて文書をもって回答を要求し、また回答してもらうべきである、こういうことでありまして、それで御指摘になりました七月何日でありましたかに文書をもってする回答があったわけでございまして、その際口頭をもってこういうことを申し上げておいたということは、今ここへ持ってくることができないのははなはだ遺憾でございますが、その際確認しておったと存じます。  それからまたお話のありました改正の四日以前に許可をしたという点に関しましては、特に事務局に対しまするいろいろ御疑惑があるようでございますので、この点は岡田事務局長から一言お答えさせていただきます。
  65. 岡田孝平

    岡田政府委員 委員長から答弁がございましたが、一昨年、文化財保護法改正の際に罰則が改正になったのでありますが、その罰則強化の改正規定は、改正法施行以後の事実について、これを適用するというようなことになっておりまして、その改正法施行の、つまり昨年の七月一日でございますが、それ以前の違反事実につきましては、旧法によるということになっております。従って改正法直前にこれを許可いたしましても、別にそのために罰則の強化規定は適用されないのであります。直前に許可いたしましても、何ら意味がないのでございますので、この点から申しましても、特に故意に許可したということはないのでございます。
  66. 野原覺

    ○野原委員 もうこれで終りますが、舗装にしても散水にしても、それから植樹にしてもやっていないことをお認めになりますね。これは道路許可についての六条件がありましたが、どうも誠意がないのです。これは委員長もお認めになると思うのです。そこで私はここに最後に申しておきますが、こういう史跡を無断で犯すことがないように、あなたの方で責任のある処置をとっていただけばいいのです。しかしどう考えてもこの人はそういうことをなさっても応ずる心がまえはないように思う。従って私は厳然たる態度をとって臨めということを要請しておる。  それからただいまの罰則の適用の問題は、事務局長と私は見解を異にする。なるほど改正法以後に適用になるでしょう。法律というものは常識です。しかしながらその改正法以後に適用になっても、その以前の行為でありましても、それは継続しておるのですから、これは法解釈の問題になりますが、適用されないとは断言できないのです。法律が改正後でありましょうとも、これは継続なんで、はっきりそこで切断されていないのです。だからそういう点を考えてみるならば、六月二十六日などとあわてて許可を与える必要はない。七月一日を考えた措置であるような私の疑惑がどうしても払拭できません。重ねて申し上げます。これは一つ厳然たる態度をもって臨まれるように要望いたしまして終ります。
  67. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 午前の会議はこの程度とし、この際暫時休憩いたします。    午後一時四十五分休憩      ————◇—————   〔休憩後は開会に至らなかった〕