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高橋(誠)
政府委員 ただいまの御
質問でございますが、私は安倍能成氏の論文を読売紙上において読みます一日前、二十八日に安倍氏に会いまして、安倍さんの御
意見を詳細聞くことができたのであります。そしてそのときには特にただいま野原さんのお使いになりましたような激しい
言葉で
文化財保護委員会を非難してはおられなかったようでありますが、とにかく手ぬるいではないかというような語気ではあったように記憶いたしております。それであの肥鉄土会社が自動車を通すようになったがために、どれだけの影響を正
倉院の御物の上に及ぼしておるのであるか、この点はこの席におきまして野原さんの御
意見を伺いまして、それから東京の
文化財研究所におきまして
調査を進めたのでございますが、その方法などはここにくだくだしく申し上げることを避けますが、その結果は全く現われておらぬのであります。今日までこういう影響があるということを確かめます結果というものは全くないのでありまして、もしこれが今日まで現われておりますならば、われわれといたしましてもよほど大きな手がかりが得られるのでありますが、まだこの影響が全然四辺そのほかに現われておらぬのであります。
調査に当っております
人たちはいましばらく時期を待たなければならぬ、こういうことを申しておるのでございます。その上にどういう影響が生じますか、今日のところでははかり知ることができないのであります。過日の正
倉院委員会におきましては——これは宮内庁に開かれる
委員会でございますが、これにはわれわれの
文化財保護委員会からは細川護立
委員と私が
出席いたしておったのでありますが、とにかくこの塵埃を防ぎますことが第一であるということに
意見は一致いたしておるのであります。その塵埃はそれでは何によるのが一番大きいのであるかと申しますと、ただいま問題になっております北側道路よりも、むしろ東側の道路、これは公道になっておるものでありますが、これから生じます塵埃が一番大きい、こういうことを言われておるのでありまして、さきに参議院の予算
委員会におきまして
八木幸吉さんの御
質問を受けたのでありますが、これは地方の新聞に出ております記事によっての御
質問であったのでありますが、その際には、非常な塵埃である、大阪の都心よりもかえってひどいというようなことが見えておったのでありまして、今回
委員会などにおきまして多くの
人たちの言われておるところによりますと、ことに宮内庁の図書部長の言われるところによりますと、一時減少した、と申しますのは、この公道にくいを打ちまして立札を立てまして、公道でございますから全然交通を禁止するわけには参らぬのでありますが、なるべく通行を遠慮してもらいたい、こういう立札をいたしました。その効果が現われたのでございますか、わずかに一日一台という程度に減少をして、塵埃はよほど減少した、こういう報告を早く受けておったのであります。ところが正
倉院委員会におきまして聞くところによりますと、その後に至りまして自動車の通行がまたふえまして、塵埃ははなはだしくなった。これを何とかとめなければならぬのである、これに向って全力を注ぎたい、こういう申し合せができまして、解散いたしたのであります。これによりまして東側の道路の通行を制限することができますならば、よほど塵埃は防げるのではないかと
考えておるのであります。それからこの肥鉄土会社のやりましたことがまことにどうも遺憾な点の多いことは、たびたびこの席におきまして私野原さんの御
質問に対してお答え申しておる
通りでありまして、まず許可の
条件でありますところの舗装、散水、植樹というようなことを励行させまするように
申し入れておるのであります。特に
奈良の教育
委員会の
文化財保護課長を経まして
申し入れておるのでございまして、向うは必ずこれを行うと、こう申しておるのでございまするが、われわれといたしましてはどうもまだ信用が十分にできない、安心ができないというので、実施状況を問い合せておるのであります。四月の初めから必ず散水を行う、こういうことを申しておるのでございまするが、そこにも心配がございましたので、四月何日でございましたかに問い合せたのであります。ところが散水はいたしておる、こういうことであります。それならば、なおこういう点を特に十分注意してやってもらいたいものであるというので、詳細の点を指示いたしておったのであります。その後になりまして、たしかこれは五月に入ってからだと思いまするが、ただいま申しました散水そのほかの点においてこれだけのことを実施しておるということを、かなり詳細にしたためまして、写真な
ども挿入いたしまして送って参ったのであります。しかしながら樹木などはだいぶ枯れておるものな
どもございまするような状態でございまするので、なお厳重にこの会社の社長に申さなければならぬと存じまして、東京へ出てきて
文化財保護委員会に来るように、こう申したのであります。ところが先方では、最近になりまして五月三十一日に
文化財保護委員会に来るから、こういうことでございました。三十一日はちょうど私いろいろ用事のあった日でございまするが、特に時間の差し繰りをいたしまして、ぜひこの鍵田氏に会いたいと存じておったのでありまするが、その朝になりまして、やむを得ない用事ができて、どうしても
文化財保護委員会に——東京には来ておったそうでありまするが、
文化財保護委員会にあがれなくなったので、どうかいましばらく猶予してもらいたい。六月になれば早早伺うから。それで今のところ四日でありましたか、四日には必ず来る、こう申しておりまするので、
文化財保護委員会の
考えておりまするところを厳重に同君に申したい、こういうふうに
考えておるのであります。正
倉院評議員会におきましては、罰則を適用してはどうかというような
意見も出たのでありまするが、この前こちらで申し上げましたように、果してこの罰則の適用ができるかどうか。もしあの車を通したことによりまして、史跡を破壊しておるということが言い得られまするならば、罰則の適用も可能と
考えられるのでありまするが、果してこれをもって史跡の破壊と称し得るかどうか。それから他の罰則、過料などになりますると、最高三万円でございまして、その道の人に聞きますると、最高まで課することはまれであって、大体二万円程度ではないか。これくらいの過料でありまするならば、ほとんど痛痒を感じないのではないか、ここに実は
文化財保護委員会の悩みもございますので、罰則の適用というようなところへいかずに、何とかして正
倉院の御物その他を守り抜く道がないのであろうかということに実は頭を悩ましておる次第でございます。