○辻原
委員 この点は一般の間でも非常に問題にせられている点でありますし、おそらく与党の間でも
法案作成の過程においては相当論じられたと思います。従って公式にこの種の問題が
委員会で述べられたことがございませんので、特に関連ではございますがお許しをいただいて若干問題を明らかにしておきたいと思います。
今
大臣は学校の買収は可能だとおっしゃいました。私はこの買収が起るか起らぬかの可能性はあくまでも架空論でありますから続けようとは思いませんけれども、しかしこれは御認識を願いたいと思うのです。往々選挙の際に買収違反行為というものが出ます。しかしその場合に買収行為をやろうとした者の相手方というものは、相当数大体地方において得票を相当量得せしめることができるであろうと
考える、俗な
言葉でいえばボスを対象として買収行為が行われておるのであります。そうして一票心々持っている、一票の行使力しかないであろうと予想される人々に対しては事実上の買収行為というものは起っていないのであります。私はそれと同じ論理になると思うのであります。これは学校だけの採択であります。ところが選定
委員会あるいは
教育委員会、こういうものを合体したものは、これは
表現が適切じゃありませんけれども、非常に多くの力を持っているわけです。どこを焦点にするかといえば、多くの力を持っていて、その打ち込んだ
一つの買収に要する力以上、その買収行為によって威力を発揮できるであろうと判定されるから買収行為というものが起るのです。従って学校ごとの全国買収などということは、選挙事犯と同じように、そういうことを起そうと
考える可能性というものはきわめて少いと思う。これは私は断定してもいいのじゃないかと思う。例外として起り得ることはあっても、どちらに可能性があるかという相対論になるならば、私は
大臣の説を肯定するわけには参りません。この点は
大臣においても
一つお
考えを願いたいと思います。
それといま
一つは、現状は大体学校単位ということにはなっておるけれども、実際は郡市単位で採択をやっておるのじゃないか、だからそれを法制化することは現在のやり方と何ら変りない、こうおっしゃったと思う。私はそこに
一つの認識の誤まりがあると思う。これは私は現地において調査をしたことがございます。それはなぜかというと、今度の
法案においては採択の関係者というものは、法的に少くとも都道府県の
教育委員会に持たしておる。それを補助する役割として、採択の主たる関係者として選定
委員会というようなものを設けておる。それから教員というものは、この間少しく論争いたしましたように、この法律の法的な根拠としては採択権は何ら与えられていない。現行法においては採択権は否定されてないがために、現実に教員の採択権、学校の採択権というものが事実上認められてくる、慣行として今日に至っておると私は
考えておる。そこで今度はこの
法案によれば、少くとも採択に関する事項は教員が切り離されるわけです。そして権限というものは選定
委員会、それから都道府県
教育委員会に集中されるという形態です。それと現在行われておる郡市での採択というものは、それではどこが違うかという問題をお
考え下さったことがあるか。これは私しばしば強調いたしておりますように、足を持っておる場合であれば、ピラミッドの頂点の上において物事がやられる、これは民主主義であります。ところがそうじゃなしに、ぽっと上から任命される者によって運営される場合には、これは非民主的なやり方であります。現在の採択のやり方は、私は九州の場合と相当調査いたしましたが、確かにでき上った形は郡市で採択しているところが相当数ありました。それはどういうやり方をやっているかといえば、それぞれの学校の教員、校長、さらには教科の関係の主任、こういう
人たちが研究会を
構成して、その積み上げてきた
意見によって、その
意見を代表する
人たちが最終的に協議会を作って
意見の交換をやって、その総意によってそこに何種類かの
教科書をきめる、それを選択するのは学校の自由だというやり方が多いのであります。おそらく
文部省の資料もそうだろうと思うのです。そこに少くとも採択協議会あるいは選定
委員会の独自の
考えによって
教科書が一種類にしぼられるというふうなことは、現行においてはあり得ないのであります。そういう大きな開きがある。それをもって同じようなやり方だから今回それを法制化したんだということは、
一つの事実を知って他の事実を隠蔽しておるものだということを申し上げざるを得ない。この点については私は
大臣もそうだろうと思うけれども、
文部省においては調査が行き届いておると思うから、私の申し上げることに相違があるならば
一つおっしゃっていただきたい。