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1956-05-18 第24回国会 衆議院 文教委員会 第41号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月十八日(金曜日)    午前十時二十九分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君    理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    稻葉  修君       杉浦 武雄君    田中 久雄君       千葉 三郎君    塚原 俊郎君       並木 芳雄君    野依 秀市君       山口 好一君    河野  正君       小牧 次生君    小松  幹君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    斎藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 安達 健二君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 本日の会議に付した案件  教科書法案内閣提出第一二一号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 これより会議を開きます。  この際申し上げます。昨日の委員会において、高村君より提出されました、内閣提出教科書法案に関する質疑打ち切りの動議につきましては、委員長に対し、提出者よりこれを撤回する旨の申し出がございましたので御報告いたします。  なお、申し上げます。昨日の理事会におきまして、ただいま本委員会において審査をいたしております、内閣提出教科書法案につきましては、来たる二十一日に質疑を終局いたすことに協議決定いたしました。以上御報告申し上げます。     —————————————
  3. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 それではこれより内閣提出教科書法案及び議員提出教科書法案を議題とし、昨日に引き続き質疑を進めます。質疑の通告がありますので、これを許します。小林信一君。
  4. 小林信一

    小林(信)委員 大臣にきのう私の一番大事な点としてお伺い申し上げて、大体結論が出ようとしたときに、思わざる事態が起きまして、中途で終ったわけでございますが、もう一度その点を繰り返すようですが質問してみたいと思います。  大臣は、この法案の趣旨はよい教科書を作ることなんだ、よいということはそれが正しいということを意味しておるし、あるいは低廉な教科書を作るというようなことも加えてのよい教科書でございますが、それを私は、大臣考えでは検定制度あるいは検定の仕方、あるいは採択の仕方によってよい教科書ができるんだというような印象を受けたのです。しかし私は、あくまでもそういうところからはよい教科書は生まれてこない、やはり現場先生考えというものが生きるようにしてやらなければよい教科書は生まれないといろ考えを持っているわけなんです。もう一度この点につきまして大臣に御質問いたしますが、戦争前まで、国定教科書であったときには、教科書というものに準拠して先生指導計画を立てたわけなんです。この教科書はどういうことを意図しておるか、その内容を検討いたしまして、そして指導計画を立てて、いわゆる教案というものを作って授業に臨んだわけなんです。ところが現在の制度では——この法案もしかりでございますが、指導要領というものがありまして、その精神に準拠して先生指導計画を立てるわけなんです。従って従来の教育の仕方と教科書のあり方が非常に違っているわけなんです。その指導計画ができまして、先生要望に沿うように教科書発行業者がいろいろ工夫をするときに、そこに順次よい教科書というものが生まれてくるわけですが、しかしその教科書を製造する場合にも、ただ単に先生要望に沿うだけではいけない。やはり検定基準があり、そして検定というものがあって、その範疇で先生要望するような教科書を作っていく。そこでどっちの方に業者重点を置くようにするかというところに、こういう法案の大事なところがあると思うのです。やはり検定というものはなるべくあまり窮屈なものにせずに、一応の軌道をはずれないものを持ったら、あとは教師要望に沿うような点で業者創意工夫をする、そこを生かしてやらなければいけないと思うのです。私は、業者が今後意図するものは教師要望に沿うよりも検定を受けることにきゅうきゅうとするという形でもって、幾ら教科書がたくさんできましても、それは似たり寄ったりの非常に無味乾燥な画一的なものになってきはしないか。つまり教育というものが生きてこない。そういう形になってくれば教師は自然にだんだんと情熱がなくなってくるおそれがあるわけなんです。きのうはこういう観点から大臣に御質問したのですが、中途で終っておりますので、これを蒸し返すよりも、私は今度は逆の面から大臣にお伺いして参りたいと思うのですが、今のような見解からいたしましても、先生が、自分たち教育の使命は、この指導要領に基いてしかも土地事情とか、あるいは土地の文化、経済、そういうものを総合いたしまして指導計画を立てる。そこに大事な問題があるわけなんですが、それを生かそうとするならば、その先生要望というものを生かした採択方法というものを考えていかなければならないと思うのです。この法案を見ますと、それを非常に殺してしまっておる。先生がいろいろな計画を立てましても、その計画に沿ってたくさんにある教科書自分意図に沿って選ぼうとする、その仕事をこの法案が阻止しておるような感がしてならないのですが、大臣としましては、そういう先生教育に一番情熱を生かすところをそいでおらないと、きっとおっしゃると思いますが、そういう点を、こういうところで大丈夫先生のその気持は十分生かしておるというところを御説明願いたいと思います。
  5. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今回の法案のみそと申しますか、重点、ねらいは検定制度にあるわけです。検定制度国定と違いまして自由競争であります。よりよき教科書編さんを競争してますますよくなろうということで、逐年よい教科書ができていく、こういうことがねらいであります。それが国定検定との違いであります。しからば自由競争——どういうことをねらって、ほかの社よりもよく、去年よりもよくというふうに、よい方に教科書が向くかと申しますれば、結局採択でございます。よいものが採択されるということで、需要者たるもの——ほんとう需要者子供でありまするが、それに使わせる採択、こういうことをしたらなお採択が容易になるだろうかということがねらいで、編さん者、著者及び印刷会社等が相競争してよい教科書がで登る、こういうことになるのであります。いわゆる自由主義制度であります。ただしかし教科書を野放図にしておけば脱線のおそれもありまするから、教育目的と、それから教育の目標なりあるいは構成要求なり科目の特徴に関して基準を作りまして、基準に合うかいなかを検定するということであります。あなたは今現場教員とおっしゃいまするが、その通りであります。採択においては現場教員、また教員意見を代表する校長、始終学校服務等を管理しておりまする委員会諸君が寄られて、この法律案にありまする選定協議会というものができまするから、選定協議会要求に合おう合おうとして教科書が著作され、編さんされ、出版される、これで逐次よい教科書ができる、こう思うのであります。そこで検定はその限度をきめるものでありまするから、なるべく私は検定基準は粗な方がよい、よいところだけをつかんで、そういう網の目のようにしてしまっては妙味がない、私はかように思っておりますが、しかしながら検定基準検定審議会でお作りになるのでありまして、文部省自身が原案を出すというわけのものではございませんから、私どもの心持は検定審議会にはお話をする機会も得られると思いまするが、達識の審議会委員諸君基準をお作り下さいます。あなたの御心配は、基準があまり厳密になってしまって教科書を拘束してしまう。いいものができぬようになっては困るという御心配の上からの御質問と感じましたが、そういう弊害はないようにいたしたいと心得ております。
  6. 小林信一

    小林(信)委員 大臣も時間がないから、あれこれと一緒に御答弁なさって、検定にいったり採択にいったり、非常に混乱をするわけですが、私の今御質問申し上げたのは採択の面でございます。しかしその方はまずさておきまして、検定に対して、よい教科書を作るためのお考えというものが述べられましたから、これに対してまず私の意見を申し上げて、また大臣の御意見を承わりたいのです。確かに大臣のおっしゃるように、検定基準というものは粗がよろしい、あまりこまかくやってはいけない。これは確かに大臣のお考えを私は尊重いたします。私もそれを問題にしておりますが、そこに問題を置いておるのではなくて、きのうも申しましたけれども、検定基準というものよりも、検定をする際のいろいろな手順が非常に複雑で、これがいい教科書を作るということよりも非常に業者を脅かすような傾向がありはしないかということを非常に心配したわけなんです。検定基準に対して私はとやかく言うのではありません。それは大臣の言うようになるべく網の目のようにこまかいものでなく粗がよろしいというのは私も賛成でございますが、しかしそれはおいて、採択の問題を今御答弁になったのですから、それに対して私の考えを申します。大臣選定協議会がある、それから始終先生の周囲におります校長とか教育委員会とかいうふうなものの意見をよく聴取する、選定協議会というものがあってこれが選定するからよろしい。その選定協議会要望するような教科書を作るように業者が努力しておれば自然によい教科書ができるという御答弁ですが、私はその選定協議会現場先生たち要望がどれだけ取り上げられていくか、満点に取り上げられていくかどうかということを心配して、大臣の、こうこうこうであるから必ず協議会はそういう人たちの声が十分反映できるという確信ある御答弁をお伺いしたのですが、ただ先生の周辺に校長がいるからあるいは教育委員会があるから、選定協議会十分意思が反映するというふうなばく然たる御答弁です。その辺の実態から考えていただいて御答弁願いたい。
  7. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 選定協議会には現場教員諸君も入ってもらうつもりであります。それから校長もその他の教育関係の者は入っていただくつもりであります。
  8. 小林信一

    小林(信)委員 教育が従来の制度と違って指導要領に基いて指導計画を立てる。その指導計画は一律的なものではなく、そこの生徒の特性に応ずる、その土地事情に応ずるように配慮した、能力に応じた計画を立てるわけなんです。そういうふうなものが事こまかくこの協議会に反映するかどうか御質問したのですが、その中に先生も入ってもらえるだろう、校長も入ってもらえるだろうというようね御答弁です。それではお伺いして参りますが、第二十二条に、「協議会委員は、都道府県教育委員会市町村教育委員会意見をきいて任命する。」これだけしか任命に対する規定はないわけなんです。意見を聞いて任命する。これは校長さんでもよろしゅうございますが、これにはどういう内容が含まれているか、おそらく今までいろいろこういう点で御質問申し上げますと、文部省は、国は教育委員会意思を尊重して、それは教育委員会の御決定にまかせるので、教育委員会意思を尊重すれば大体そういうふうになるだろうというような御答弁が多いのですが、これは地方には指示しなくても、文部省としてこれが理想であるというようなそういう具体的なものをお述べになっていただきたいと思います。
  9. 安達健二

    安達説明員 協議会委員任命範囲につきましては、第二十九条政令への委任というところがございまして、「この法律に定めるもののほか、協議会委員及び議事その他採択に関し必要な事項は、政令で定める。」ということがございまして、ここで委員構成と申しますか、選任分野というようなものを定めようということを考慮いたしておりますから、御心配のようなことはないと思います。
  10. 小林信一

    小林(信)委員 心配がないとは何事ですか。私たちはその点を疑問にしている。それに対して政令できめるから御心配ないとは何事ですか。そういう考えを持って御答弁になっては困る。大臣それでよろしゅうございますか。そういう御答弁の仕方で審議ができますか。
  11. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 心配がないと説明員が言った言葉をとらえてさようにおっしゃるけれども、せっかく国家のために御心配下さっているような悪い結果は生まれぬということでありますから、その言葉にどうか拘泥しないようにお願いいたしたいのであります。今説明員並びに私の言いましたことは、教員もこの選定委員の中に実質上入るのだということであります。それを補充して説明員は、二十九条でこの法律に定めるもののほか協議会委員議事その他のことは政令できめる、政令委員の中に教員も入るような構成をしておれば教員が除かれてしまってその意見が反映せぬといったような心配はなくなる、かように言うたのですから、あなたの御立腹のことは少し行き過ぎではないかと思います。もう一ぺん申し上げます。この委員構成には大体こういうことを考えている。校長教員教育委員会委員教育長指導主事学校関係の職員、少くともそういうものは構成員に入れようと考えております。それを法律に規定するとあまりぎごちないからして政令で定めるようにいたしたい、かように思っております。そうして教員意思が全然反映しないようなことはおのずからないであろう、こういう意味でありますからさよう御了解を願います。
  12. 小林信一

    小林(信)委員 大臣の御意見は私も了解いたします。しかし私の非常に不愉快に思ったということは、そういうものを入れるか入れぬかということではない。入れたところで当初の目的を達することはできないという考えなんです。結局採択地区を設けるでしょう。だから広い範囲で画一的になって現場先生要望というものは全面的には入れられなかったのです。そういう点でもわれわれは非常にこの制度に対しては不満なんですが、委員任命する場合に、校長さんもあるいは普通の先生も、指導主事も入るかもしれませんが、あらゆる地区から全部網羅されるなんという方法は私はとれないと思うのです。そういう点が不満であると同時に、私の聞くのは、意見を聞いて任命する、その意見を聞く、それをどういうふうにやるか、具体的にそれを説明してくれというのが私の要望だったのです。しかしそれに対して、こういう政令でもって定めるものがあるから御心配ないというような、そういう答弁じゃいけないと私は憤慨したわけなんです。意見の聞き方、これが非常に問題ですが、ただ意見を聞くというだけでは、君らの希望を言えというだけでも意見を聞くことにもなるし、あるいは丁寧にこういう人たちを私たちは用意しているが、この中であなた方がいいという人を一つ推薦してくれというような方式をとるのか。しかしそういうことはおそらく教育委員会の意向にまかせるということになるでしょうが、どういうことが最もこの法案を作った人たち理想であるかを私は聞いておる。それをひっくるめてあなたは心配しないでよろしいというようなことだから、私は非常に残念に思ったわけです。その点を御答弁願います。
  13. 安達健二

    安達説明員 ただいま前の方の、都道府県教育委員市町村教育委員会意見を聞いて任命する、この具体的な意見の聞き方はどのように考えておるか、こういうお話でございます。これにつきましては先般加藤先生からもお話がございました。これにつきましては二つの方法考えられる。一つ市町村教育委員会にあらかじめ名簿を出させて、その上で県の教育委員会がセレクトをして、さらにそれを市町村教育委員会に回しまして意見を聞いていく、こういうような方法がまず考えられます。しかしながらその場合に意見を聞くことをはっきりした手続でやるということが二十二条の第四項の要求でございますが、それだけは必ずやらなければならない。都道府県教育委員会である程度の名簿を作って、それを市町村教育委員会意見を聞くということが最近でございまして、それ以上に、最初に推薦をさせる方法にするかどうかということにつきましては、県の教育委員会の判断に待つべきではないか、こういうふうに考えたわけでございます。
  14. 小林信一

    小林(信)委員 大体郡市を採択地区にした場合に、どれくらいの人数を予想しておりますか。
  15. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 委員は大体十名ないし三十名くらいにいたしたい、こういう考えでおります。
  16. 小林信一

    小林(信)委員 十名ないし三十名としましても、今のように指導主事の方からもあるいは一般学識経験者というふうなものも選ばれるだろうし、それから校長教員というふうなことになりますと、現場先生というものはほんとうにあらゆるところを代表する数にならぬと思うし、またその選定の場合が、今御答弁がありましたように、最終的に都道府県教育委員会できめるということになりますと、これはもちろん教育委員会を信頼いたしましても、ほんとう現場先生方の声を聞くということが私はやはり十分じゃないと思うのです。  それから次に御質問申し上げますが、それは採択地区をきめる場合、同じように第二十一条の三項に「教育委員会意見をきかなければならない。」こうありますが、非常に弱いものである。その意見の聞き方というようなものもこれでははっきりしませんが、どういうふうな御意図を持っておられるか。課長さんからでよろしゅうございます。
  17. 安達健二

    安達説明員 この採択地区につきましては、市町村希望等がいろいろあろうかと思いますので、おそらくは県の教育委員会関係教育委員会の代表を集めて協議会を開いてきめるとか、そういうような方法がとられるだろう、その上で調整がついたところで府県の教育委員会からあらためて町村教育委員会意見を聞く、こういうことになるだろうと予測されます。
  18. 小林信一

    小林(信)委員 聞かなければならないという弱いところはどこに根拠を持っておられるのか。
  19. 安達健二

    安達説明員 市町村同士でどうしても意見が合わないような場合にどうするかということでございまして、それをやはり県の教育委員会が全体的な立場に立ちまして、公益の立場に立って調整するということもございますので、やはり県の教育委員会が独断できめないで、意見を聞くことを義務づけておくということが必要である、こういうふうに考えたわけでございます。
  20. 小林信一

    小林(信)委員 あなたもちょっと御発言になりましたように、町村町村意見が合わないということが予想されるとおっしゃいましたが、何かほかの問題ならですが、私のところでもって希望する教科書を、それをほかの地区一緒になって、向う地区の言う通りになるのか、こっちの言う通りになるのか、そこら辺が非常に問題なんですが、何か町村合併のような、そういうものならいいのですが、教科書採択するという問題でもって、向う町村一緒になるかならぬかということは、当然起る問題で、そこには妥協する問題はない。もし妥協するなら、教育というものは、いいかげんなものでいい、おざなりでいいという考えがある場合に妥協ができる。一般に行われる政治的な問題の妥協じゃない。教育の問題ですから……。従ってあなたの心配されるような、どこの町村一緒になる、これは簡単に解決できない問題で、もしそれを簡単に妥協するようだったら、それはおそらく教育というものにすでに熱意のなくなった証拠なんです。そういう点からしましても、この採択地区をまとめようなんていう、そんなことをすることは、もうすでに問題がいけないと思う。そういうふうなことから、自然に統一がつかぬから意見を聞かなければならないということにして、もし意見統一できなければ、県教育委員会でもってまとめてしまおう、それが順々にそんなことが積み重なっていけば、あまり下の言うことを聞いておれぬし、聞いておっては統一がとれぬからといって、結局だんだん教育というものが統制化される傾向になるわけです。そういう点で、この意見を聞かなければならない、その一つ言葉からしても、採択地区なんていうものをまとめるということは、すでに問題である。あくまでも現場先生要望に従って、その意見が偶然一致するような場合には、自然的に発生するものなら、地区をだんだんまとめていってもよろしいけれども、これは教育を非常に逆行させるような形になっていくと思う。採択地区の問題で、まず先生の声というものは十分に取り上げられないし、それから選定委員もこの任命の仕方におきましても、現場先生の声というものは、もうだんだん薄れてしまう、こういう心配が私は出てくるわけなんです。  さらに今度は第二十四条に参りまして、「市町村教育委員会は、毎年、その所管する小学校及び中学校校長から翌年度に使用すことを希望する教科書申出をさせ、その申出をとりまとめ、これに意見を付して、都道府県教育委員会に報告しなければならない。」、ここでどういう教科書希望するかということが取り上げられてくるわけです。その取り上げ方の東方というものは、校長とありますから、おそらくその校長はその学校先生方意見も代表すると、こう簡単にお考えになっておるようですが、すでにもうその点からしても、現場先生の声はまずここでもって一応薄らぎます。その校長教育委員会にこれを申し出る。そうするとこれに教育委員会意見をつける。果してそのまま現場先生の声が生きてくるか、これも問題です。そうしてその教育委員会が統括するところの各学校意見を結局調整をするわけでしょうが、調整したものを都道府県教育委員会は各地区選定協議会のところに送るわけでしょう。送った場合にこれがまた調整されるわけですが、だんだん現場先生の声というものは統制されて一つのワクへ入っていく。この経過から考えましても、決して大臣が当初お考えになるように、選定協議会があるから大丈夫現場先生の声というものは失われないのだ。これは失われないばかりではない、土地事情というようなもの、あるいはその土地子供特性、そういうふうなものがみんな画一的になってくるわけなんです。従ってこの声、この協議会要望に応じようとする教科書編さんというものは、どういう形になるかといえば、要望にこたえればいい教科書ができるというけれども、それは非常に普遍的な画一的ないい教科書になってしまって、熱意のこもる生きた教師の声というものは反映しない教科書になってくるおそれがあるわけなんですが、この点につきまして大臣はどういうお考え——その間その心配がないというようなものがありましたら、そのお考えをお述べになっていただきたいと思うのです。
  21. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 実際の行政でありまするから、現場教員の御意見だけで行うというわけにも参らず、選定協議会という、いろいろな分子もまとまった協議会採択決定をするのであります。なるほど選定協議会現場教員さんだけで作るんじゃございませんけれども、学校で教えるのは教員でありまするから、その意見は尊重されると思います。ただしかしシカを追う猟師山を見ずで、あまりそこへ走ってしもうても、またこれに偏する場合があるので、そのほかに各種の委員、しかしながらこれは教育委員とか教育長とか校長とかいう人で、教室へは出ないでもやはり教育のことは日々夜々関心を持っておる人でございます。それゆえにこの構成現場意見が窒息してしまうということにはならない。今お問いの二十四条に関係して申しますと、一々の教員から申し出ちゃ、一村にも百人も教員がおりますから、それで校長から申し出るということは、結局は教員意見を代表するものと考えておるのであります。それからその次に教育委員会はその意見を取りまとめというのは、取捨選択をするんじゃないのです。それを一括して、そのままに持っていくのであります。取りまとめていくので、この二十四条第一項の委員会がそこで早や教員の言うことを削除するという意味じゃございませんから、全部取りまとめまして、そうしてそれに意見を付して都道府県教育委員会に報告さす、こういうものが使いたいという、全部がそれでわかりますから、その申し出及び意見をまた第二項で全部取りまとめて協議会に付する、この県内ではこういうものが使いたいというんだ、こういうのを全部やりますと、一々学校によって違うようになるから、そこで第三項でその出てきた多くの申し出、多くの意見を基礎として学年ごとにその種目に応じて選定する、こういうことでございます。その基礎となるわけであります。一個の教員から見れば、自分の申し出たものと違うものが選定される場合もむろん多々でございますけれども、一つの地域社会として均斉を得た教育をしようというのには、やはりこれよりほかに道はなかろう。初めから学校ごとによって別だ、学校内の教室によって勝手にやる、こういう原則でいくならばこれではいけませんけれども、これはわが国の状況に応じた実際の便宜を考えて、できていることを御了解願いたいと思います。
  22. 小林信一

    小林(信)委員 私の申し上げたことも大体大臣が御了解になって、やはり地域的にまとめなければいけない、それはいろいろ理由がございましょう。これもお聞きしなければわかりませんが、だからこういう形をとらざるを得ない。そうならば個々の教員教育に対する熱意というものは多少取り入れられない場合があるかもしれないが、それはやむを得ない、こういうふうに申されたと思いますが、そこで何ゆえに地域をまとめていく方がいいのか。私はやはり教員のその当初やる指導計画、これが何といっても教育上一番大事な問題ですから、それを生かすためにはそういう地域を統一するなんという方途はとらぬ方がよろしい。その方がよい教科書も生まれるし、よい教育も生まれるということを強調するわけです。大臣の地域をまとめた方がよろしいという点につきましては、いろいろ御意見がございましょう、そういうふうにまとめられたものの中に、百分の一ぐらいは自分が提案した意見が入っているかもしれませんが、あとの百分の九十九というものは自分意見とは違うというよりも、意見でないという場合は、結局昔のように自分計画に基いて要望するものでなく、どっかできめて持ってこられた教科書を教えなければならぬということになりますから、これは昔の国定と同じことになりはしないか。国が定めないけれども、やはりあてがわれた教科書自分意図しないけれども、あてがわれた教科書によって、勉強を子供に教えていくということになれば、大臣指導要領というものはどうなりますか。これは指導要領の意味がなくなってくると思う。
  23. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これはちょうどきのうあなたが質問の初めにおっしゃられたところに戻るのですが、今の教科書は昔の時代に見た教科書と違って、教育指導要領に基いた教育の教材の一つなのであって、この教科書ではここが工合が悪いと思えば、また教員さんの方でこれを補正する教育ができるのでございます。きちっと画一にやるということではございません。そこらのゆとりはありますから、やはり各教員が良心に従って日本のためにこれが一番いい、ことにこの地域社会ではこう教えなければならぬといったようなお考えがあるならば、決してその教科書に束縛されないでいいのでございます。
  24. 小林信一

    小林(信)委員 大臣のお考えも一応筋が通ると思います。しかしそれはまた私どもの考えとは非常に逆であって、きのう私の申しましたように、あくまでも教科書というものは指導要領が根本であって、それを施行するために、目的を達するために教科書というものは教材の形でもって今はあてがわれておるのだ、こういうふうに私確かに申しました。従いまして大臣、その指導要領に基いて指導計画をするということが今教員として一番大事なことであって、教育行政をなさる方は、これを先生が忠実にやっておるかどうかということが一番問題なんですよ。その指導計画の方向も大事でしょうが、それを真剣にやっておるかどうかが問題なんだ。それが出ておったら、それに基いて教科書を選ぶということが必要であって、教科書の方がきたら指導要領をそれに当てはめていくというならば、この指導計画を立てるということを先生が非常に怠ってくるわけなんです。きのう私は指導書の改訂というところで局長に質問申し上げましたが、あんまりあそこを重視してはいけないと思う。なぜならば先生たちは、今の指導書というものは、教科書を出しまして、そうして指導書を各発行所で出しますが、これは悪く言えば先生指導計画を、カリキュラムを構成しなくてももうその指導書を持てばそれでもって一切の心配は要らないというふうに出ておるのです。それを見て、構成されておる、りっぱに仕上っておる、完成されたものをもってその教科書を扱えば、問題ないじゃないかというが、その指導計画をするところが教師教育情熱の沸くところなんです、真剣さが出てくるところなんです。それがあれば、いかに売らんかなという業者が商魂をたくましくして参りましても、そこに真剣な努力が払われておれば、おれはそんな教科書は使えない、この教科書でなければならぬというところで、不正なんという問題がなくなってくるわけなんです。それを指導書なんというものがこういうふうに重視されれば、もう先生指導計画を立てない、その指導書を持ってきて、それでもって教科書を教えてしまうというような形になってしまうのであります。私は大臣の見解とは違って、先生がどうしても子供を教えるには指導要領を分析し、そうして土地事情というものをそれに加えて指導計画を立てるところに教育重点があると考える。それを尊重するには、いかに土地事情が画一的なものであって、あるいは国家的の目的がありましても、それから決定された教科書であるからいいじゃないかというふうな見解をお持ちになったら、これは本末を転倒するものだと思うのです。大臣はその指導計画というもの、先生の仕事の一番中核になるものをお考えになっておらないのじゃないかと思うのですが、どうですか。大臣はやっぱし現場のそういうこまかいことはお知りにならない、無理もないと思うのですが、そこが一番大事だということを果して御認識になっておるかどうか。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 指導計画によって教育に熱心な者が熱情を傾けて教育することはあなたのおっしゃる通りでございます。しかしながら指導書というものが別に印刷されたものがあって、手元にあっても、その熱情をさますということはなかろうと思うのです。(小林(信)委員「その通り、これは賛成します。」と呼ぶ)世の中で他山の石ということがあります。いくら熱心であっても、また人の言うことを参考にするということは必要でありますから、指導書が発行されるということを禁じる必要もないのであります。それは教育のごときことはもう非常な熱心を持ってやらなければならぬということは承知しております。また教育には指導計画が必要であるということも承知いたしております。私は小学校教員をしたことはありませんけれども、小学校子供をやった経験はございます。(小林(信)委員「行ったこともある」と呼ぶ)(笑声)それで戦後の教育のあり方ということもかねがね考えてはおります。私の考えておることとあなたのお考えになっておることとはちっとも違わないと思う。ただしかしながら指導書が世の中にあることが悪いことだとは思っておりません。これを参考としてますます研さんさるることを希望いたしております。
  26. 小林信一

    小林(信)委員 私は指導書があることを悪い、いいと言っているのではないのです。最近の先生はそういう傾向があることを一つ大臣に認識していただきたいと思うのです。指導書にたよってしまったら苦労しなくても教えられる。それが非常に教育上問題になるということを私は言っているのですから、指導書がある、ないなんということを問題にしているのではない。それはやはり、どうしても研究ができないという場合にはかえって指導書によった方がいい場合もありますよ。私はそれは問題にしてないのです。大臣は地域でもって決定された教科書なんだ、きのうも教科書というものは教材というふうな形のものであるという意見が出たから、お前の言う通り教材として考えればそう大した問題ではないというのですが、その教材の選び方というものは指導計画によって選ばれるものであって、あてがわれた教科書でもって今度は逆に指導計画を立てるというふうなことになるのか、そういう心配を私が申し上げた。だから大臣が今非常に力説されました問題は、私の問題にしたことに対してとんでもないところを非常に力説されておったわけなんです。そこで今野原さんが急な用ができて議長に呼ばれておるそうですが、どうしてもこの際大臣に質問申し上げたいということを今委員長の方から要望されておりますので、ここで一応私留保いたしまして、またあらためて御質問申し上げて参りたいと思うのですが、ここだけ完結さしていただきますが、第二十四条の校長というそのところを、補足説明の方によりますと、ここで校長の職責を明確にするという言葉が補足説明の中にあるのですが、こうすることによって校長の職責を明確にするというのか、あるいは校長教科書のことについて大体学校を代表するものという、そういう意味であるのか。何か補足説明から見ますと、こういうことによって校長の職責、立場というものを明確にするのだというふうな印象を受けるのですが、補足説明をもう一ぺん御説明願いたいと思います。これは補足説明ですから課長さんの方からでよろしゅうございます。
  27. 安達健二

    安達説明員 従来、教科書採択につきましては教育委員会法に教育委員会の権限として「教科用図書の採択に関することと。」いう文字が規定されておったわけでございまして、従って教科書採択について校長がどのような権限、職責を持つかということははなはだ不明瞭であったわけでございます。そこで教科書についてはやはり学校意見を代弁する校長というものが、その代表者という面において採択について教育委員会に申し入れをするという権限をはっきりいたしまして、教科書採択についての校長の職責を明らかにする、こういう趣旨でございます。
  28. 小林信一

    小林(信)委員 この点だけでもって終らしておきますが、この法律はきのうも大臣もお作りになったということを言われたわけですが、どういうお方がお作りになったか知りませんが、この法案を作ることによってむやみに規則を作っていこうというような気持があり過ぎると思うのです。きのう、つまらない教科書の販売店が、親類の子供には安く売ってもよろしいということを認めるためにこういう条項を入れましたなんという、これは大臣は御承知かどうか知りませんが、この法案の中にそういうことがあるんですよ。観類の子供が買いにきた場合に、それには安く売ってやらなければならぬ場合があるからこういうことをきめましたというのです。そんなことは教科書の値段というものを確定する上からいってもあってはいけないことなんですが、そんな便宜まではかるような法案を作るという、こんなところに無理に校長の権限を強調しなくても、学校全体の意向だというふうにしてやることの方が教師の声というものを上の方へ響かせることだと思うのですが、どうしてそういうふうにこまかいところまで規定をしようとするのか、私には納得がいかないわけなんです。これは質問ではないのですから、それではどうぞ野原さんの方に……。
  29. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 野原貴君。
  30. 野原覺

    ○野原委員 ただいままで大臣教科書法案についての御答弁を拝聴して参っておるのでございますが、そこで私は大臣の御答弁をお聞きいたしまして、この教科書法案というものは国定教科書考えてはいない——なるほど法文の上で形式的にながめて参りますると、国定教科書というものは考えられておりません。ところがこれに対して質疑をされる野党側の諸君は、この法案の底には国定考え方が流れておるじゃないか、こういうような立場質疑が続けられておるようであります。そこで私は、問題は国定検定か、単にそれは形式的な法文の上のことでなしに、一体私どもが教科書考えるときに国定教科書というような考え方で臨むのか、それとも検定の精神の上に立っていくかという精神的な底に流れておるところのものがやはり重要になってくるのではなかろうかと思いまするので、むし返しになるかもしれませんがお尋ねします。  一体大臣国定教科書というものをどういうようにお考えになっておるのか、つまり大臣の心の底のどこかに、国定もいいところがあるのじゃないか、こういうお気持がやはりあるような気がいたしてならぬのであります。検定にもいいところがある。そこで国定検定の利害得失の上に立って国定教科書というものをどう考えていらっしゃるか、もっと端的にお尋ねいたしますと、あなたはまっこうから国定教科書というものに反対されるのか、国定教科書というものに積極的に反対をしていくお気持でいらっしゃるのかということであります。お尋ねします。
  31. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国定教科書というのは読んで字のごとく、国家において編成した教科書を国内の学校に使わせるのを国定主義と申します。それから編さん、すなわち著作は民間にゆだねまして、一定の基準を設けてそれを検査認定する手続をとってやるのを検定制度と申します。その利害得失から言えば、国定の方は全国一定し、また安くできましょうけれども、しかしながらそこに競争というものがありませんから進歩の動機がなくなります。そこで検定制度で、著作者、発行者相争っていい教科書を安く作ろうという人間の本性を利用して、検定制度というものがここに生まれておるのであります。この法案においても検定制度をとっておりまするが、私自身のことをお尋ねになりますれば、私自身は徹底的に検定主義をいいと考えております。国定に逆転する考えはごうも持っておりません。
  32. 野原覺

    ○野原委員 そこでお尋ねをいたしたいのでございますが、国定は値段が安い、それからその逆を言いますと、検定は値段が高いということです。それから国定自由競争ということがないから、国定教科書内容、形式、外観、どの点からながめても進歩がない。こういうことは検定制度をとれば教科書の質がだんだん高まってくるのだ、こういうことにもとれようかと思うのであります。ただそれだけですかね。私は大事な点が抜けておるようにも思うのですが、国定の害はただ教科書に進歩を来たさないということだけでございますか、国定教科書が最も非難されておる点は、実はそこでなくてほかにあるような気もいたしますが、大臣はその点をどのようにお考えでございましょうか、お尋ねします。
  33. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 お答えする前に、検定は値段が高いと私が言ったようにおっしゃられましたが、高くなる素因を持っておる、こういうふうにゆとりをとって御了解願いたいと思います。  それからあなたの今お問いのことは私にはよくわかっておるのです。(笑声)国定にすれば国家の思想統一になる、これを言えとおっしゃるのでしょうが、それは編さん方法いかんによることであります。
  34. 野原覺

    ○野原委員 なかなか大臣は頭脳御明晰でございますから、私が問わないことまでもお見破りなさって御答弁下さるのでございますが、実はあなたがおっしゃる通りでありまして、検定制度本来のねらいというものは、定価とかそういうことではなくて、やはり教育における国家統制の問題、教育における画一主義の問題、こういうところにあろうかと私どもは考えるわけであります。御承知のように日本が戦争に負けましてから急激に民主主義の風が吹きまくってきた。日本を民主化するためにはどうしても教育を民主化しなければならないということになって参りました。そこで教育の民主化ということになると、教育内容の上から一つ考えていかなければならない。もう一つ教育制度の面から、一体どうしたら民主化されるかということを考えなくてはならない。教育行政の面であります。もう一つ教育方法の面からの考察が加えられて、そうしてそこに教育基本法、学校教育法あるいは教育委員会法というようなものが生まれてきておるわけであります。そこで教育内容の上から考えられたものは、これは検定制度ということ、教育方法なり、教育行政の面から考えられて参りましたものが、あるいは制度の上では六・三制あるいは教育委員会というようなことになって参ったのでございますが、それが行き過ぎであるというような、そういうお考えの上に立たれて、それらのものが漸次つみ取られて、そうして表面的には何ら教育の民主化というものは踏みつぶされていないかのように思いますけれども、その実態というものは、実は気がついてみると完全に正体はもとのもくあみに返っておる、そういう方向に今日の日本の教育というものは進んでおる。その方向に歩き出しておることは、これは私否定はできないと思うのです。  そこでお尋ねをいたしますが、日本がかつて超国家主義の立場に立ち、軍国主義の教育をやってきたことは否定できません。これは単に士官学校あるいは陸軍、海軍の大学校だけで軍国主義教育をやったのではなく、戦争前の日本の教育が小学校から大学まで——単に学校教育だけでなく、社会教育においても、日本という国全体が軍国主義の立場に立って教育されてきておるわけであります。超国家主義とか軍国主義という、そういう国柄に作り上げてきたのは、国定教科書というものにも責任があるのではなかろうかと思いますが、今日の教育民主化という考え方、あるいは戦争前の教育、そういうものの反省の上に立って、国定教科書の功罪とでも申しましょうか、あるいは国定教科書に対する価値判断とでも申してよかろうかと思いますが、その点について大臣はどのようにお考えになられるか、お聞かせ願いたいのであります。
  35. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 わが国の国民教育教科書のやり方は、明治の初めにはまだ教科書も少いことでありまするし、ほとんど自由にいたしておったが、しかしながら、明治十九年から三十六年まで、私どもの子供の時分には、やっぱり検定教科書であったのであります。その後国定に変りました。これは功罪二通りありまするが、あなたのおっしゃるように、超国家主義とまではいきませんけれども、教育勅語を基準といたしまして、修身教育、公民教育というものをやりました。そのときの日本の国家理論は、主権は天皇にあることをきめて進んでおるのであります。国家のために一身をささぐることが忠だ、こういうふうな教えをいたしておりまするから、アメリカ人の言う超国家主義というのは少し言葉は過ぎておりまするけれども、国家主義の鼓吹のあったことは事実であります。従って、またそれが戦争に和する大きな動機になっておることも、私は否定するものではございません。あなたのお問いに対する答弁はこれでございます。
  36. 野原覺

    ○野原委員 国家主義とか国粋主義とか軍国主義の教育、これは私どもが小学校以来習ってきた教科書を思い起してみても、民主主義のかけらもないのです。一年生に入ったときから国家主義、国粋主義——日本は世界万邦無比の国体であるという教育、日本の兵隊は世界一りっぱな兵隊なんだという教育、そういう国粋主義の上に立った教育が行われ、そういう内容によって教科書が作られてきたことは、これは大臣お認めの通りなんです。そこで、そういう教科書になったというのは、やはり国が教科書を統制したからじゃないか、国が教科書編さん、発行をやってきた、つまり国定教科書ではないか、このように思いますが、この点についてもう少し突っ込んだ大臣の御所見が承わりたい。そういう方向に日本の教育が向ったのは国定教科書にその罪があるとあなたはお認めにならぬかどうか、明確に承わりたいのであります。
  37. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国定ということが唯一の原因とは私は考えておりません。一番もとは、そのときの日本の教育考え、世の中の理論がそうであったのです。教育勅語を基礎として国定をいたしておる、しかもその当時わが国の国民は、だれ一人これに反対はしておらなかったのです。あの教育勅語の精神です。哲学はシナの朱子哲学です。それをもととして国をあげて道徳教育をしたのであります。これは国定でなく検定でも同じことです。明治三十六年までは検定です。その時分の検定教科書は、後の国定とあまり違っておりません。やはり忠、孝、国家といったようなことを非常に重く書いております。しかしながら、あなたのおっしゃる通り国定、しかも最後の段階において小学校を国民学校と称した時代の教科書は、国家主義の鼓吹が非常に濃厚であったことは、これは事実でございます。
  38. 野原覺

    ○野原委員 明治初年、つまりあの教育勅語が発布される前後まで日本の教科書検定制度をとってきたことはおっしゃる通りであります。私は、年代はちょっと明確に記憶いたしませんが、わが国の教育制度の上で最初検定制度をとって参りましたのは、申し上げるまでもなく、当時日本は開国進取の気に燃えて、欧米の文化を輸入してヨーロッパ、アメリカの国々に追いつかなければならぬという時代の要請のあったことも事実でございましょう。ところが、日清戦争、日露戦争ということになって参りまして、日本の教育国策というものは富国強兵ということに置きかえられておる。私は思い起すのですが、私が小学校六年のとき、書き方の時間に富国強兵ということを書かされたことを覚えている。富国強兵というような立場で日本の教育がなされてきたことは、やはり国が教育に干渉してきた。国が教科書を作るということになって参りますと、どうしても国家正義の立場に立ってくるのであります。国が教育内容にタッチしてくると、必然的に国家主義というものが頭をもたげてくる、国粋主義というものが頭をもたげてくる。これは世界の歴史が証明している。そういうところから、今日民主主義の立場に立つすべての国々が子供に教える教科書というものは、国定立場をとっていない。ソビエト、中国は共産正義というものによってその国が立っておるから、あなた方の言ういわゆる自由主義の基調に立つ民主主義の立場にその国柄が立っていないから、教科書の統制をしていることは事実でしょう。そうではなしに、ほんとうの意味の民主主義の立場に立つ場合にはみな検定制度をとっている。そういう点一体どうお考えなのか。回りくどいことをお尋ねするようでございますが、いずれ逐条審議が明らかにして参りたいと思いますので、ただいまはきわめて抽象的に触れておるのでありますが、この法案の至るところに実は教育というものに国が強く干渉してきている部面があるからお聞きいたしておるのであります。そういうところから、この教科書法案国定の精神の上に立った考え方で貫かれておるという批判、これは私ども考えてみなければならぬと思う。あなたは、この法案検定制度の精神によって貫かれておるのだ、こう御主張なさるかもしれませんが、あなたにほんとう検定教科書立場に立たなければならぬという純粋なお考えがあるならば、そういうたくさんの人々の国定の精神に立っておるじゃないかという批判には率直に耳を傾けなければなるまいと私は思う。そこで大臣にお尋ねします。この教科書法案が世間から国定じゃないかといって指摘されているところはどういう点だとお考えですか。相当人々の批判に耳をお傾けになられていると思いますのでお聞きしますが、こことこことここじゃないか、しかしこれはこういうことなんだということになろうかと思います。最も批判の対象にされておる点は法案のどこだとお考えでございますか、お聞きします。
  39. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 世間でこの案をまじめに国定案だと言うておる者はないと思います。ある漫画に国定ということを私の顔と一緒に書いたのがあるのです。あれは冗談ですよ。国定というのは国で編さんする教科書です。国じゃ編さんしておりませんです。民間の編成したものを教科書審議会検定するのですから、これは明らかに検定で、これを国定というのは目が悪い人か耳が悪い人か、それは間違っておる。それは検定制度です。
  40. 野原覺

    ○野原委員 どうも新聞や雑誌をあまりお読みにならぬのじゃなかろうかという心配もいたすのでございますが、第二条をお読みいただきたい。第二条の第一項に「文部省が著作の名義を有するものをいう。」というのがございます。この文部省著作名義の教科書というのは国定ですか、検定ですか。文部省著作名義の教科書というのは何ですか、お尋ねします。
  41. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これはたびたび説明いたしました通り、あるいは盲学校、ろう学校、職業学校等で民間の編さん発行を待ちては供給ができない場合に、非常な例外として文部省が著作するのです。こういう規則があるがために全部が国定になってしまったというんじゃこれは本末転倒ですよ。
  42. 野原覺

    ○野原委員 今日文部省著作名義でどういう教科書を出しております。
  43. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 局長から答弁します。
  44. 緒方信一

    ○緒方政府委員 これは大臣からお答えがありましたが、職業学校教科書、盲学校、ろう学校教科書でございます。これは先日も申し上げましたけれども、全体の教科書の数から申しますと、〇・〇九%しかありません。
  45. 野原覺

    ○野原委員 今から四年前の昭和二十七年の一月であったと思う。当時清瀬さんは政界にはまだ返り咲きなさっていなかったかと思うのでございますが、当時の文部大臣が昭和二十七年度の予算編成の中に百五十万円を計上いたしまして、算数、社会、産業教育関係教科書作成の計画を立てておるのであります。緒方さんは当時文部省にいらっしゃったかどうか知りませんが、百五十万円計上して、その計上された内容としては算数、社会、産業、そういうような教科書を作るためだとある。ところがこのことが世間から非常な反撃を食らいまして、遂に産業教育教科書のきわめて需要部数の少い教科の発行についてだけ文部省がその刊行助成をするのだということに私はなったと思うのでございますが、課長でもその辺の事情を知っておれば承わりたい。このことは何を意味するか、この法案とも関連がざざいますから、そういうことが四年前にあったかなかったか、承わりたいのであります。
  46. 緒方信一

    ○緒方政府委員 私はその当時まだ就任いたしておりませんでしたので、詳細な事情は存じません。しかしながら現在行なっております文部省著作名義の教科書の編集でございますが、これはただいま申し上げております通り、発行部数のきわめて少いものでございまして、これは民間の教科書業者にまかせておきましたのでは採算がとれぬというような事情からいたしまして、十分に教科書が出ないおそれがございます。従いまして、これはやはり国で相当力を入れまして編集をし、発行する必要がございました。これはそういう意味でやっておるわけでございまして、そのほかの計画は現在全然ございません。特に今申しましたような技術的な関係の深い教科書、あるいは盲、ろう等の特殊な教科書だけでございます。その他算数、国語等の教科書につきましては全然ございません。
  47. 野原覺

    ○野原委員 四年前のことであるから課長の方ででも調べてあらためて御答弁されることを私は要求いたしておきます。そこで特殊な教科書にしろ、文部省著作の名義は国定でしょうね。いかがですか。
  48. 緒方信一

    ○緒方政府委員 それは名前のつけ方はいろいろあろうかと存じますけれども、文部省が著作の名義を持っておりまして、そして発行、供給は、今度の法案におきましても、発行業者、それから供給業者、そのルートで発行、供給することにいたすわけであります。そういうことであります。
  49. 野原覺

    ○野原委員 言をそらしたらいかぬ。多い、少いは私は聞かなかった。文部省著作の名義は国定と言って言い過ぎかと聞いておる。国定とは何かということになりますよ。これをはっきり言って下さい。たとい部数が多かろうと少かろうと、そういう教科書を出さなければならぬ。それは諸般の事情もあることは私は知っております。そういう部数の少いものでは商売が成り立たぬし、単価が高くつくし、そういう点で出しておるのだろうと思うのですが、文部省著作の名義で出された教科書国定でしょう。
  50. 緒方信一

    ○緒方政府委員 国が一部責任を持ちまして、編集について責任を持ってやっておる。そのために予算も計上いたしまして、その発行が円滑にいくように力を入れている。そういうのを国定と言われるならば国定という名前をつけてよろしゅうございましょうけれども、しかしそういうような、業者にまかせておいては十分にいかぬというものを国がやる、責任は十分ある、それを放置していいということにはならぬと思います。ただ今申しておりますのは、教科書を作りますについては、編集をし、それから発行をし、供給をいたすわけでございます。その全階梯を文部省がやっているというわけではございません。今申しましたように、発行も供給も、これは法律によりまして民間の業者でやっているわけであります。ただその内容につきまして特殊な教科書につきまして、文部省編さん委員等を設けまして、そうして専門技術は専門家に依嘱しまして、これをやっているわけでございます。
  51. 野原覺

    ○野原委員 国定かどうかということは、発行、供給は大して問題ではない。国定かどうかということは、私がさっき回りくどい質問ではありましたが大臣にもお聞きしておる、教科書内容なんですよ。文部省著作の名義のものはそういう意味では国定になるかもしれませんというような答弁をするから、この委員会審議は遅々として進まない。だから私どもはっきり勇敢に質問をし、やはり勇敢にその実態の上に立って答弁していかなければならぬと思う。これは明らかに国定である。そこでお尋ねをしますが、今日の教科書の法令で最も重要な、教科書の発行に関する臨時措置法第二条第一項に、教科書とは、「教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であって、文部大臣検定を経たもの又は文部大臣において著作権を有するものをいう。」とうたってある。ところが今度の教科書法案の第二条を見ると「文部省が著作の名義を有するものをいう。」とうたってある。これは一体どう違うのだ、臨時措置法の「著作権を有するもの」と「著作権の名義を有するもの」というのはどう違うのか御説明願いたいのであります。
  52. 緒方信一

    ○緒方政府委員 この臨時措置法の字句を今度は変えて規定いたしたわけでございます。実体につきましては違いはございません。ただ文部大臣が著作権を有するという、これは表現から言いましても適切ではございませんし、現在の文部省著作教科書の出版権等に関する法律にも「文部省が著作の名義を有する教科書の著作権」云々という規定もございますし、この方が表現といたしましても適切、正確でございますからこういう字句に変えたのでございます。  なお先ほどの御質問に一つ申し落しましたけれども、産業教育教科書を全部文部省の編集に待っているということではございませんので、これは一般検定、出願を認めておるわけでございます。ただ十分でないものについてだけ文部省が一部責任を持ってやっているということであります。その点は誤解のないようにお考えいただきたいと存じます。
  53. 野原覺

    ○野原委員 私は大臣に質問しておるのですからこういう大事な点は大臣が御答弁に立たれることを要求いたします。  後学のために承わりますが、「著作権を有するもの」と「著作の名義を有するもの」は全然違いませんか。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 全然違いません。著作権ということで言葉を立てると、文部大臣が著作権を持つなんということは言葉が適切じゃありません。そこで適切のように「文部省が著作の名義を有するもの」、著作権者は国であります。
  55. 野原覺

    ○野原委員 私は違うと思う。どういうわけで変えたかというと、今大臣が御答弁されたように「著作権」というものは適当でないから「著作の名義」ということにしたのだ、ただそれだけではないと私は考えるのであります。大臣も御承知のように「文部大臣において著作権を有する」という場合には、その著作権が本来文部大臣にあるということなのです。ところが「文部省が著作の名義を有する」ということになるとこれはどういうことになりますか。だれかほかの人に書かせて文部省の名義を貸してもいいのでしょう。だれか適当な者に書かせて、そうしてこの本はけっこうだというふうに大臣が御認定になって文部省の名義を貸しても、これは文部省が著作の名義を有するということになる。ところが著作権ということになると本来文部大臣にその著作権がなければならぬのでしょう。他人に書かせて文部省の名義を貸してもよいということになると、実は今度の第二条の方が臨時措置法の第二条よりも広く文部省教科書編さんにタッチしようという意図が出されておるのではないかと思うのですが、間違いですか。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はそうではないと思っております。これは権利義務のことで、法律論でございまするが、著作権は不動産の所有権、動産の所有権と同じく無体財産権といって一つの権利でございます。権利の持ち主がすなわち権利者であります。文部大臣は国の行政をやっておりまするが、ほんとうは文部大臣が著作権を持っておるのじゃないので、権利者というのは実は国なのです。国の代表として文部大臣が名義だけを持っておるのでございまするから、著作権法、民法の上から言えば文部省が著作権を持っておるというのはあまりにも俗語に過ぎておるのであります。著作権がだれだということだったら国です。しかしながら国の代表として文部省が著作権法上名義を現わしておるのです。それは別の法律、昭和二十四年の法律第百四十九号というので、「文部省が著作の名義を有する教科書」という文字があるのです。また法務省関係で法務省が著作名義を有する出版物というものもあります。そういうふうに各省が著作の名義を著作権法上表示しておりまするけれども、権利者がだれだといったら国であります。そこで昭和二十四年の法律百四十九号の用例にならいまして今回は、私はこんなことを潔癖に言う必要もないかと思うのですけれども、せっかく法律を変えるときでありまするから、民法に従ってやはり名義は文部省、権利は、だれだということだったら国の権利である、こういうふうにはっきりとする方がよかろうと思って書きかえたので、決して実体において間違いはないのであります。
  57. 野原覺

    ○野原委員 その点は私とあなたはだいぶん考え方が違う。著作権ということにすれば広く他人に書かせて名義を貸すということはできないのです。臨時措置法は、著作権というものは本来文部大臣にあるところの著作権でございまするから、これは融通がきかないのです。だから広く国定教科書を出し得る用意をするためには、今度の第二条のような形にしなければならぬ、これはあなたも今ちょっとお触れになられたかと思う。著作権では融通がきかぬのだ、やはりどこかに問題があるから書きかえたのでしょう、問題がなかったら臨時措置法の第二条でいかれたわけです。お尋ねしますが、なぜ書きかえたか、やはり第二条では融通のきかぬ面があるのです。あるとお考えになるのはどの点ですか。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 時臨措置法はその名のごとく臨時法でありまして、この用語は適切でないのです。ほんとうに民法、著作権法を研究した人はこれはおかしいと気がつくのでありますけれども、終戦直後の臨時措置法で起案者がこういう適切ならざる文字を使っておるのです。この委員会にも法律家もいらっしゃいまするが、それは何も政治上の意図があるのじゃありません。わが国の現在の著作権法の第六条には、官公署学校社寺協会その他の団体において著作の名義をもって発行するものという文字があるのです。そこで官公署の著作の名義すなわち文部省の著作の名義で発行するという方が正しいので、著作権者という権の主体を表わすには国といわなければならぬ、これは法律上当然でございまして、どうか社会党内の法制部にも一つ御研究をわずらわしたいと思います。文部省が著作権を持っておるということは穏当じゃありません。著作の名義を持っておる、これは民法と著作権法第六条によった解釈である、ひっきょう適当ならざる表現を適当に直しただけのことで、これで政策上の変化はちっともありません。
  59. 野原覺

    ○野原委員 あなたは臨時措置法の「著作権を有するもの」というのは穏当でないと断言をされた、そうしたら穏当でないところの根拠に立ってあなた方は教科書を出してきたのかということになる。穏当でないとは何ですか、私どもは臨時措置法の第二条が穏当でないとは思わないのです。これはこれでいいと思うのです。それから今度の教科書法の第二条もこれはこれでいいと思うのです。ただその内容にやはり広いものと狭いものがあるということをお聞きしておる。私は穏当でないとは思わない。穏当でないとか、適切でないとあなたは言われるのですが、適切でない法文、穏当でない法文の上に立ってあなた方が特殊学校教科書を出してきておるとすれば、これはきわめて不穏当だ、こういうことになりますが、もっと具体的に、適切でない、穏当でないというのはこういうことだ——社会党の法制部で研究せいと言うのだから研究もしますが、まああなたは法学者でもありますからお教え願いたい。私は両方とも穏当だと思っておるのです。穏当でないとはどういうことですか。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 第二条が穏当でない、そう広く広めて御議論になると限りがありません。この文部省が著作権を有するという表現は穏当でない、それに限って一つ御議論を願いたい。文部省が著作権を有するということは、日本の法制上穏当ではない。著作権をだれが有するという権に重きを置いて書くならば、国が著作権を有するけれども、名義は文部省という名義を使っておるのです。それは著作権法六条によって官公衙名義の著作権ということがあるのであります。その方が正確である。たったその四つ、五つの言葉だけを言っておるのですよ。二条全体を言っておるのじゃないのです。文部省が著作権を有するということは、それなら法務省が著作権を有するといって、権利の主体がたくさん国内にあるが、そうじゃない。こういうものの権利は国が権利を持っておるのです。これは一種の国有財産です。
  61. 野原覺

    ○野原委員 それではお尋ねしますが、文部大臣は著作権を有することはできませんか。あなたは、著作権というものは国が持っておるのだ、国有財産だ、法務大臣、文部大臣、農林大臣は著作権を持たないのだ、こう割り切ってお答えになるのですが、文部大臣は著作権を有してはいかぬのですか、有することはできませんか、お尋ねします。
  62. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 清瀬一郎は著作権を持っております。けれども文部大臣としては文部省の著作権の名義をもって管理しておるだけです。権利主体は国でございます。
  63. 野原覺

    ○野原委員 その点はとんでもない御見解です。清瀬一郎は著作権を持っておりましょうが、私は文部大臣において著作権を持って何ら差しつかえないと思うのです。しかしこの法的な根拠その他については、これまたこの次に——あなたの方でも御研究下さい。私の方でも研究してみます。そうしてこの点は明確にして、この臨時措置法の第二条が、今度の教科書法案第二条において変ってきたその考え方というものを、私どもはやはり究明しなければならぬかと考えておるのであります。  そこで次にお伺いいたしたいのは、昨日関連質問でお尋ねをいたしました学習指導要領の問題です。学習指導要領というものは、文部省の設置法を読みましても、あるいはその他の規則から考えてみましても、文部省初等中等教育局がこの指導要領を作るということになっておる。そこで、学習指導要領というのが教科書検定基準の絶対条件の中にあるのであります。必要条件の第一にもございますし、絶対条件の中にもちゃんとうたわれてある。検定基準の絶対条件は、御承知のように三つございます。第一、わが国の教育目的と一致しているか、第二、立場は公正であるか、第三は各教科の指導目標と一致しているか。そこで各教科の指導目標というものは、これは学習指導要領の指導目標ということなんです。そうなると、その指導目標というものはだれが作るのかというと、文部省初等中等教育局が作る。なるほど今度の教科書法案を読んでみますと、第五条に「教科書検定基準は、文部大臣教科書検定審議会に諮問して定める。」従って絶対基準も必要基準教科書検定審議会に諮問をするのでございますけれども、しかしながらその諮問をするところの絶対条件の第三の各科の指導目標と一致しているかというその学習指導要領は、初等中等教育局が作る。絶対条件のわが国の教育目的として一致しているか、これは法律ですね。教育基本法と学校教育法、教育目的ですね。それから立場は公正であるか、これも法律ですね。特に教育基本法の第八条などはこれが入っておる。だから絶対条件の一と二は、国が定めるところの基本的な条件に合致しておるかどうかというのですから問題はないのですが、その第三の各教科の指導目標と一致しているかという点になりますると、これはあなたが監督をされる初等中等教育局で作るわけでございますから、そういうようなところででき上った学習指導要領によって教科書が規定されるということは、これは検定の精神から見ていかがなものか、実は心配にたえぬのであります。この点をどうお考えでございますか、お伺いいたします。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたの御指摘のように現在でもそうなっており、今度の改正でもそうなっております。さようにいたしました根拠は、やはり国の法律から渕源いたしておるのであります。すなわち学校教育法の第二十条に「小学校の教科に関する事項は、第十七条及び第十八条の規定に従い、監督庁が、これを定める。」監督庁は、百六条によって、「当分の間」という字が書いてありまするが、文部省でございます。この二十条を受けまして、現在は学校教育法施行規則の第二十五条に、学習指導要領基準によって教育をするということになっておるのです。この基準によって教育をする以上は、教育のおもな教材となるものにやはり指導要領とマッチしていただかぬと教育が混乱いたしまするから、そこで絶対条件の一つとして、教育基本法なり、あるいは立場の公正を望むと同時に、やはり教育の指導目標と一致するようなことを要求いたしておるのでありまして、必要条件の第一項にも、内容は現行の学習指導要領何々科に示されたる教育課程に基いておるか、すなわち基いておることを希望する基準を現在は使っております。この法律ができればこの基準もまたおのずから審議会にかけまするけれども、しかし指導要領とマッチするようなものでなければならぬということは、おそらくは審議会においても要求されることと思います。   〔委員長退席、山崎(始)委員長代理着席〕 あなたのねらいもよくわかっておるのです。そういうことを文部大臣がするのは国定主義と同じようなことだ、こうおっしゃるのでありましょう。あなたの方の案では教科委員会がなさるのだろうと思います。けれどもそこはどっちがいいか、教科委員会といったような独立の官庁でやるのも一つのお考えでありまするが、日本の現在の制度においては議院内閣制度をとっております。だれか責任者がなしに国から独立してしまって、昔の参謀本部のようなものができることはよろしくありませんから、終局の目的は責任大臣に持ってくるということが、今の憲法、議院法を通じてみられる議院内閣制度でございまするから、この論は教育よりもっと大きな日本の国の組織のことに関するので、私は現在その責任を文部大臣に負わす。私は負いましてもこの内容は知らぬのですよ。実際は教科書検定審議会でこしらえてくるんです。けれども責任は文部大臣に負わして、それが悪ければ国会で皆さん方の糾弾を受ける、こういうことで、国が持つというこの制度は、私は今のところはいい制度だと思っております。
  65. 野原覺

    ○野原委員 実はその点は非常にあなたと私との間で考え方の相違する点です。あなたの考え方は、文部大臣教育における最終の責任者だ、——私は教育行政における最終の責任者ということは認めます。当然そうなる。ところが、責任者だから教育内容についても何についても文部大臣がやるということになると、せっかくあなたが検定を鼓吹されて国定はいけないと言う考え方と矛盾してくるんであります。これはあなたのために私はきわめて悲しみにたえない。あるいは悲しみにたえないというよりは、むしろもっと突っ込んでいえば、あなたは国定反対と言われるけれども、やはりそういう文部大臣教科書にも全面的にタッチするという意味で、あなたは国定反対ではなく、国定教科書の礼替着ではなかろうかという疑惑が起ってくるんです。  端的にお聞きしますが、教科書指導要領で規制されます。これは今お認めになられた通り。そしてその指導要領はあなたが作るんだ、——初中局が作るということは、あなたの御意向であなたが責任を持って作るんです、指導要領は。これは国会議員でもタッチできないし、文教委員会でも審議できないんです。そうすると、教科書指導要領で規制される、その指導要領大臣が作るということになれば、文部大臣教科書内容を規制するんじゃないかという、やはりここに文部大臣教科書内容に対する干渉というものが問題になるんじゃございませんか。私はこれでもう押し問答はいたしませんが、そこでこういう指導要領というものは、今日日本教育学会もこれを文部省に建議しておるはずですが、教育学会等の代表者を民主的な手続を経て選んで、学習指導要領教育課程要領の大綱は作るべきじゃなかろうかという、やはり民主教育立場から大きな疑問が出てきておるんであります。この点はしかしながら、私ここで申し上げましてもいかんともできませんから、やはりこういう面から教科書というものが文部大臣の監督、文部大臣意思によって動かされるという意味において、国定教科書の精神というものが依然としてこの法案の底にも流されて、あなたは検定々々と言われるけれども、実際はそうじゃないということがはっきりして参ってきているのではなかろうかと考えるわけ旭あります。  時間がございません。ただいま議長から私を呼びに参りましたので、十二時ということでございまするからこれで私は本日の質問を終りますが、なお質疑打ち切りまでまだ数日残されてございまするから、自余の点はあとに留保しまして一応終ります。
  66. 山崎始男

    ○山崎(始)委員長代理 先ほどの小林委員の質問に関連して、質問の通告がございます。平田ヒデ君。
  67. 平田ヒデ

    ○平田委員 大臣にお尋ねいたします。先ほど小林委員の質問に対して教科書は教材の一部であるという御答弁がございまして、私もその通りであると思っております。参考書的性格のものであるということになるわけでございますけれども、そういたしますならば、学校教師、あるいは児童、生徒が、一体どれだけの補助教材を持っているか、その点についてお伺いいたしたいと思います。
  68. 緒方信一

    ○緒方政府委員 教科書は……。
  69. 平田ヒデ

    ○平田委員 大臣はおわかりにならないんですか。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教材の数などについて私が不正確なお答えをしてもなりませんから、専門の政府委員にお答えをさせまして、それが正しければ私も確認するということにしたいと思います。
  71. 緒方信一

    ○緒方政府委員 教科書は主たる教材でございます。法律もそう規定しております。ところが御承知の通り学校教育法第二十一条第二項におきまして、教科書以外においても有益適切なものは使うことができるという規定がございまして、これに基きまして、教育委員会学校におきましてそれぞれの教育計画に基いた補助教材を使っておるわけでございます。従いまして文部省としまして、どういうものを使っておるかということは一々具体的にはわかりません。これは御承知のように現在の教育行政の建前あるいは教育法を運営していきまする建前が地方分権でございまして、文部省が一々これを作って教材を指示し、あるいはそれを使わせるという仕組みじゃございませんからこれはわかりません。しかし一部調査いたしましたところによりますれば——そういうことでございますからなかなか正確な調査はできませんけれども、小学校におきまして副読本のような教材につきましては平均して七・二九%、それからワーク・ブック、学力テスト問題集なども教材といたしますれば八四・九%、夏休み、冬休み練習張等につきましては九二・三%というくらいの計数が一応の調査としましては私どもの手元にございますが、ただいま申し上げましたような建前でございますから、正確にどれどれどういうふうな教材をどれだけ使っておるかということは申し上げられないと思います。
  72. 平田ヒデ

    ○平田委員 私は子供たちに最も親しみやすい、そして子供たちが別にお金を出さなくても済むような設備としては、学校図書館の充実であると思うのでございます。そこで学校図書館の数が全国の小中高校についてどのくらいあるか、パーセンテージにして一体どれくらいあるかということをお伺いしたいと思います。副読本とかワーク・ブックとか夏冬の休みの練習張というようなものよりも、私は学校図書館の充実ということがもっと大切な点ではなかろうかと思いますので、お伺いをいたします。
  73. 緒方信一

    ○緒方政府委員 学校図書館の数の御質問でございますけれども、ただいまここに資料を持ち合せませんので、なるべくすみやかに申し上げることにいたしたいと存じます。
  74. 平田ヒデ

    ○平田委員 およそどれくらいあるかということもおわかりになりませんか。小中学校全部にはまだ学校図書館がないところがあるのでございますね。
  75. 緒方信一

    ○緒方政府委員 まだ全部の学校に普及しておるという状態ではございません。今御承知のように学校図書館法によりまして国でも予算を計上いたしまして、これを充実しつつある過程でございます。
  76. 平田ヒデ

    ○平田委員 そうすると蔵書の数なども結局おわかりにならないということでございますか。
  77. 緒方信一

    ○緒方政府委員 わからないと申しますのは、私がここに資料を持ち合せませんので、正確にお答えできないということでございまして、文部省としましては、それらにつきましては十分調査をいたしておりますから、後刻なるべくすみやかに申し上げたいと存じます。
  78. 平田ヒデ

    ○平田委員 学校図書館法の第三条には「学校には、学校図書館を設けなければならない。」と規定されております。それから第十三条には「国の負担」として、設備、図書が基準に達しない場合には、基準まで高めるために要する経費の二分の一を負担すると規定されておるのでございます。私は、教科書の問題ももちろん重大でございますけれども、図書館の充実とかその中の蔵書とか、そういうものに文部省はもっと力をお入れになる必要があると思うのでございますが、それに対してはいかがでございますか。
  79. 緒方信一

    ○緒方政府委員 仰せの通りでございまして、先ほど申し上げましたように国の法律もできております。それに基きまして年々予算を要求いたしまして、学校図書館の設備並びにその蔵書につきまして補助金を出してあるようなわけであります。これは三十一年度の予算におきましても、先般御審議をいただきました二億一千万円を計上しております。三十一年度の新しい学校図書館の予算の考え方といたしましては、特に従来当初の一冊当りの単価が非常に低かったものでございますから、単価を改訂いたしまして、小学校におきましては二百円、中学校におきましては二百三十円、高等学校におきましては二百六十円、こういうふうに引き上げて予算を組んだようなことでございまして、今後とも学校図書館の充実につきましては、文部省としまして努力をしなければならぬと考えております。
  80. 平田ヒデ

    ○平田委員 教科書が高いとか、副読本のいろいろな問題がございますけれども、国や府県などがほんとうに教材を豊かにするための計画に尽力されなければならないと思っております。いつまでたってもこの状態でありましては——この教科書の最も大切なものはいわゆる教科書の教材であるということです。子供たちほんとうに持っているものは教科書以外にないというような学校も相当あるということが、ただいまの緒方局長の答弁からもうかがわれるのでございまして、こういう点を充実させてやることが子供ほんとう考える措置だと思います。どうかこの点については十分に力を注がれるようお願いいたしたいと思いますけれども、この図書館の充実というようなことについて何か年次計画でもお立てになっていらっしゃいますか。それともその場当りの予算でもって、去年はこれくらいだから今年もこれくらいということではいけないので、毎年々々新しい本が出て参るのでございますから、同じ予算であってはいけないと思います。私今度初めて国会に出て参ったのでございますけれども、昨年度と比較した表しか見せられていないのです。一本どれだけ必要かというようなことは出ていないものですから、私はその点を大へん疑問に思っておるのでございますけれども、来年度予算などについてはこういう点も十分にお考え願いたいと希望いたします。これに対して大臣の御答弁をお願いいたします。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の御質問はごもっともでございまして、学校図書館の充実のためには十分に尽したい考えております。
  82. 平田ヒデ

    ○平田委員 もう一点だけ。先ほどから指導要領がずいぶん問題になっております。これはもっともだと思いますけれども、この指導要領というものは十分お考えになって作られていくだろうと思っておりますけれども、なぜこれをひんぱんに変えられるかというその理由でございます。この一点だけをお伺いいたしまして私の質問を終ります。
  83. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ひんぱんに改訂されるというお話でございますけれども、さほどひんぱんに改訂はいたしておりません。たとえば例を社会科にとってみますと、一番最初は二十二年にできております。そのあと二十六年に改訂いたしまして、先般三回目の改訂をいたしております。三回でも多いというお話であればこれは別でございますけれども、何と申しましても、占領直後占領軍当局の指導によりまして、この学習指導要領ができておりますが、率直に申し上げましてやはり日本の国情に合わない点がございます。従いまして、漸次改訂していくことは必要であろうと存じております。非常にたくさん改訂が行われるような御印象があるのは各教科にわたって改訂いたしますので、社会科につきまして申しますと、今申した通りでありますけれども、各教科ごとに順次改訂いたしておりますので、いろいろな報道等でお耳に入る場合には非常にたくさんの改訂があるという御印象をお受けになるのではないかと思います。大体現在私どもが改訂を進めて参りましたのは、社会科と高等学校関係が大体済みまして、小・中学校につきましては、なおただいま検討いたしておりまして、これはやはり改訂をしなければならぬと考えております。
  84. 平田ヒデ

    ○平田委員 最後にもう一点。先ほどお伺いした学校図書館のことでございますが、それの数字をはっきりとこの次にお示しを願いたいと思います。
  85. 緒方信一

    ○緒方政府委員 これはしたためまして、平田委員のお手元に差し出したいと思います。
  86. 小林信一

    小林(信)委員 大臣が一時まではここにおられるというお話でございますので、それまでに私のどうしてもお聞きしたいところをまとめて十分ばかりお尋ねしたいと思います。  先ほど主として採択の面で私の疑問にしておる点を大臣に伺ったわけでございますが、要は現場先生たちの意向というものがなるべく多く反映しなければいけないという私の意見に対しまして、大体この法案の示すところによれば、採択地区の設定につきましては地方の教育委員会意見を聞いてやるから差しつかえないとか、あるいは選定協議会につきましては、その委員選定の場合に先生もあるいは校長もいるからいいとか、あるいはいろいろ希望を申し出る場合、あるいは意見を具申して出す場合、これらも十分に取り入れられるからいいというふうなお話ですが、私どもは先生の意向というものは薄くなってしまって、先生もその熱意がなくなるということは、単に教育に一生懸命やるということでなくて、先生が良心的に責任をもってやるところに不当な支配に属さない、しかも民主主義を育成する基本的なものがあるわけでございますが、これが薄らぐことは教育そのものの効果をなくすばかりでなく、また業者がこの選定協議会に対して希望するような教科書を作るというだけではよい教科書も生まれてこないということを心配するわけです。大臣としましても、その点は多少犠牲があるが、また地域として一定することが大事じゃないか、多少認めながらも、あくまでもこの方式を御主張なさっておられるようですが、もし運営を誤まるようなことがあれば、これはたとい国定でなくても、国定検定の間くらいには必ずいくと思うのです。現在にしましても、教科書業者に作らしておるけれども、ある意味では国が相当に管理しておるのですから、いわゆる世に言われております民編国管というむのは一応形をなしておるわけです。それが非常に強化されてしまうと、先生はいわゆる基本的な態度でございます民主主義を育成するあるいは政治的な圧力に屈しないというようなものが薄らいできて、あてがわれる教科書によって押えさえすればいいということになれば、教育基本法も要らなくなるし、学校教育法も必要なくなる、指導要領もあまり意味がなくなってくる、教育に大きな悪影響を及ぼす、こういうふうに言わざるを得ないのですが、もちろんそれは先ほど前提として申しましたように、これが悪用される、乱用されるような場合にはそういうおそれがある、こう思うわけですが、大臣としましてはそういう疑念さえもないとお考えになられるかどうか伺います。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 なるほど教育現場でつかさどっておるのは教員でございますから、教員が好きな教科書を一校ごとに、さらに極端に言えば一クラスごとに使うということも一つ考えです。イギリスなどではそうやっておるようであります。しかしながらまたわが国の実情といたしましては、やはりある採択区域を設けて、地域社会の産業、文化、歴史等にかんがみて、隣近所の村町が歩調をそろえて教育をし、教育を受けるということも、これも一つ考えでございます。この案には第二の考え方をとっております。しかしながら善意で今日の教育の実際をやるということを、採択委員会の方々、教員出身の人も、校長出身の人も、委員会出身の人も、子供のために悪かれと思うものは一人もないのでありますから、各方面から考えまして選択された時分には、ちょうど教員それ自身が、自分の思ったものが採用されなかったとしても、やはり選定協議会がいいだろうと思って選定したものをすなおに受けて、その上に個人の教育に対する熱意を加えてやれば、教育は決して低下するものではない、かように考えておるのであります。
  88. 小林信一

    小林(信)委員 もうそれでそれ以上お伺いしても意味がないと思います。熱意を込めてという最後のお言葉があったのですが、自分計画を立てたものへそれにふさわしくないものがくる。それは普遍、妥当なものであるから適用できるだろうというようなお考えですが、木に竹を継ぐような仕事をして、ほんとう熱意が傾注されるかどうかということを私は心配するわけなんです。それ以上心配をすることは意味がないことですから申し上げません。やはりそれは、今いろいろ御意見があったようですが、私は純真な立場考えているわけなんです。何かこういう教育をしよう、こういう意向に対しては、これはもちろんいろいろな制度があるのですから、それが適用されれば、そういうものは排除しなければならぬ。それまで入れてこの法案考えることは、法案の精神をまた害するものですから、あくまでもまじめな気持においてやっておるのです。お作りになりました方としましても、これにいろいろな雑件を入れて作るというようなことはおそらくないと思います。  そこで、この問題についての最後の問題としてちょっとお伺いをいたしますが、もし今後教科書業者あたりが、選定協議会というものはいろいろな人を網羅しておるといいますが、これは部分的なものですから、やはり先生方意見を聞きたいというような欲望で、今まで多分に不正行為の材料になったのですが、教科書会社が教師を集めて意見を聞くというような会を従来も持っておったようです。そういうことが行われてもいいか、悪いか、それだけお聞きいたします。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 善意を持ってやる場合には、一がいに教科書会社が説明したからといって排除はできないと思いますけれども、なるべくはどの発行業者も、均等の機会で教科書を見て、良心的に選定が行われるようにいたしたいと思っております。
  90. 小林信一

    小林(信)委員 それは業者の方は本を作ろうという立場から、また教師の方は今のようなこの法案が実施される場合は、やはり意見を述べる機会が少いので、教師の方でもそういうものを希望すると私は思うのです。そういう意味から、そういうことが了解されるならばよろしいと思うのです。  そこで、時間もありませんが、きのう最も中心にしてお話を伺おうといたしました問題をお聞きするわけですが、きょうの質疑の中にも、大臣検定の問題につきまして、検定基準というものはなるべく厳密にしない、こういうふうなお話で、この検定基準に基いて業者自由競争をするところによい教科書が生まれてくるという御見解でしたが、この法案によりますと、非常にその希望が失われるような傾向が私には感ぜられてならないのでございます。教科書を作る人たちが一番関心を置くところは、教師がどういう教科書要望するか。これを言いますと、非常に杞憂する人は、教師の左傾したものに迎合することを君は主張するのか、こういうふうなことを言うかもしれませんが、そういうものは除外しまして、正しい立場からしてあくまでも検討して参りたいのです。教師希望するもの、その教師が先ほど申しましたような立場要望するときには、これは正しいものを要望するわけなんです。その場合に、その教師希望に沿おうとするときには、業者には非常な創意工夫というようなものがなされて、よい教科書ができると思う。ところが採択の方は選定協議会というふうなものになって、現場の声というものを理解するといえばするでしょうが、あまりしない傾向が多いと思うのです。そうしてみますと、やはり検定をされる方に引っぱられやすいわけなんです。その引っぱられるところも、きのう一応は申し上げておきましたが、検定基準は、なるほど大臣が作るのでなくて、審議会が作ります。しかも大臣の方針はなるべく大綱であって、厳密であってはならぬという御方針であれば、その通りに出てくるかもしれませんが、しかし今度は検定の手続にこの法案は非常に厳重である。もう一ぺん重ねて申しますが、まず第一番に登録をさせる、しかもその登録を取り消す形も行われておる。それから完全本でもって出さなければならない。これは業者にとっては大きな問題だと思うのです。それから検定拒否、あるいは検定の執行、あるいは会社に立ち入りをして検査するというようなこまかい条件をもちまして検定というものは扱われるわけなんです。そうしますと、業者はこの方に関心を置いて、これに了解を得るための教科書を作るとすれば、これは現場教師要望というふうなことでなくて、千編一律の、興味のない教科書が生まれてきやしないか。私はできるならば、ここのところをもっと簡易にして、こういう厳重な採択をされるならば、せめて検定の方でももう少し従来とほぼ同じような形をとったらどうか、こういうふうに思うのです。こうなってくれば、採択の方でも非常に制約を受けるし、検定の方でも制約を受ければ、これはやはりさっき野原君が言うように、国定という形に実質はなっているじゃないかというような感も受けるわけですが、大臣はこの点いかにお考えになっておりますか。   〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この登録のこと、また立ち入り検査等のことは、検定じゃなく、発行に関することなんです。かようなる規制を必要とするわけは、教科書は非常にたくさんの人に使われるものです。そこで一教科書発行業者が倒産のために教科書子供の手に入らぬということがあったら困りますから、そこで相当信用のある発行者を選ばうというのが考えでございます。これは空想で考えたことじゃございませんで、いろいろ問題があって、行政管理委員会の記録を見まするというと、ありありとその必要をわれわれは感ずるのでございます。  それから基準のことですが、検定主義のみそは自由競争でいいものを作ろうというのでありますから、検定の目安たる基準は、なるべくおもなところを押えて、簡単な方が私はいいと思っております。けれども簡単な基準でも一たん基準を作った以上は、それに合うか合わぬかはこれをよく調べなければならぬ。一歩誤まったら大へんです。この前私はある教科書を見て驚いたのです。ポツダム宣言はフランスも入ってこしらえたと書いてある。そんなことを子供に一ぺん教えたら、一生そう思うのです。やはり厳密にやらなければならぬ。昔楠正成は後醍醐天皇が奈良へ行かれてから後に死んだかのごとき文章があるのです。ですから検定基準は粗でありますけれども、検定は丁寧にしなければならぬ。そこで十六人の審査員を今度は八十人までにふやして、よく検査をしまして、あやまちのないことを期したいというのがこれです。この案は急に思いついたのではなく、昨年以来教科書の問題が各方面に取り上げられまして、いろいろ実地について必要を感じてこれをこしらえたものでございます。どうぞ一つ立法の動機についても、十分に御同情ある考察を願いたいと思います。
  92. 小林信一

    小林(信)委員 それでは大臣はお急ぎのようですから、どうぞ御昼食をとって、参議院の方へ参って下さい。そうすれば委員長、このまま続けても中途半端になりますから、私は一応これで終ります。
  93. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 高津正道君。
  94. 高津正道

    ○高津委員 きわめて簡単ですから。この法案の第四十五条を見ますと、供給業者のことを書いてあるのでありますが、最末端は取次供給所というものであります。その最末端のことをこの法案ではどういうように扱っておるのでしょうか。
  95. 緒方信一

    ○緒方政府委員 この法律で発行、供給のルートとして取り上げましたのは、発行者それから登録教科書供給業者、この二つでございます。そこでこの四十五条で登録教科書供給業者の供給義務を規定しておるのでございますけれども、これはその取次業者、つまりこの法律で書いておりますのは、使用者に対する教科書の供給を業とする者の需要に応じて、供給する義務を負うというふうに規定しておりますので、登録教科書供給業者は、その取次業者の需要に応じて供給する、こういうことでございます。私が先ほど申し上げましたルートとして二つだと申しますのは、これは二つを登録制にしまして押えておるわけでございまして、供給業者が取次業者を通じて行うことが常態であるということは、この四十五条にも規定しておるわけであります。
  96. 高津正道

    ○高津委員 私の言うのは、小学校、中学校などに本をじかに持って行って売っておる取次供給所というものがありますね。そのことを言うのですが、それでは角度を変えてお尋ねしますが、そのことの調査をこの法案を用意するためになさったか。調査をなさったならば、それに対するどういう見解に到達されたか、こういうことをお尋ねいたします。
  97. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ちょっと御質問の御趣旨が私のみ込めないのでございますけれども、調査は十分いたしました。そして今申しますように、この法律で特に登録制をしき、直接監督の規定を作りましたのは、発行業者と登録供給業者であります。しかし登録供給業者は、取次業者を通じて供給をするのが常態であるということを四十五条に規定してございます。
  98. 高津正道

    ○高津委員 学校に一番近いところにある——ずいぶん遠いところもありますけれども、取次供給所があるわけです。その現情はどうなっているかといえば、第一はそれが必ず売れる本ですから、十校も二十校も持っているような独占的なものもあるし、それから書籍を扱う専門業者、小売店というものが一般にあるのでありますが、必ずしもそういろ人でなく、材木屋とか文房具店などが教科書を代々権利で取り次いでいる、学校へ売り込んでいるという事実もあるし、それからまたその取次供給所があまり遠いところにあるために、学校として非常に不便に思っている、こういうような実情もあるのでありますが、この法案では、これは法案の中に浮んできておりませんが、これに対して文部省はどのように考えておられるのか、それをお伺いします。
  99. 緒方信一

    ○緒方政府委員 先ほどから申し上げますように、この法案で直接取締り規定を作っているわけじやございませんけれども、ただいまおっしゃいますように、これは直接学校に対して供給する末端の機関でございますから、これは円滑に、公正に、あるいは迅速に供給義務を果される必要がございます。そこで直接には規定いたしておりませんけれども、三十六条に発行者並びに登録供給業者に対する監督の規定がございますが、この登録教科書供給業者の監督を通じて、間接的にそのサービスも、あるいは適当か不適当かといったような面につきましても、規制を事実上できるようにいたしていきたいと考えております。この三十六条をごらんいただきますと、登録教科書供給業者に対して教科書供給の事業に関して報告をさせることにいたしております。あるいはまたこのことに対しまして、権限を都道府県教育委員会に委任することができるように第三項でいたしているわけでございますけれども、これらの報告の事項といたしまして、その登録供給業者と契約を結んでおります取次業者に対しましても、その報告の中に出させまして、それが適当かどうかということにつきましては、都道府県教育委員会におきまして、その意見を付して文部大臣の方にも出てくるようにいたしたい、それによって十分指導をいたしていきたい、かように存じております。
  100. 高津正道

    ○高津委員 そうすると、最末端の取次供給所に対する指導監督というか、それは各都道府県にある特約供給を通じてやる、こういうお考えであることがわかりました。  それから一般論としてお尋ねしますが、材木屋とか文房具店などがそれを扱っておるのも、各地に見られるところであります。また特約供給所に対して、その株が取り合いになっておるような、利権の対象になっておるような実情で、なかなかいっても自分のところへ許可してくれない。新しい学校が建った場合に、取り合いが起ります。相当金を持っていかなければ、その権利が取れないというような実情でありますが、その点一般の書籍の小売店がこれを扱った方が適当である、材木屋とか雑貨店よりも、一般の本屋がやった方が適当である、このように文部省はお考えでありましょうかどうでしょうか。
  101. 緒方信一

    ○緒方政府委員 これは私、一がいにはなかなか申しにくいと思います。地域の実情にもよりまするし、それぞれその地域々々によりまして、適当な業者がこの業務を担当しているものと、一応一般論としては見ていいのじゃないかと存じます。ただ今おっしゃいましたように、やはり教科書、書籍でございますから、その専門の業者が取り扱うことが、やはり一番よかろうと存じますけれども、しかし僻地等におきましては、必ずしもそういうことは期待できませんので、あるいはほかの業者が兼業をして取扱う場合も出て参ると思います。要はそれらの業者が、誠実にこういう大事な教科書を供給しておるかどうかということが、一番大事なことであろうと存じます。そこで今おっしゃいましたような、登録供給業者の方で、何か利権みたいなものを与えるという関係でございますか、そういう関係で、よりいい業者がいるにかかわらず、それを無理に排除しまして、従来のものを固守するというようなことはいけないことだと思います。これらの点につきましては、これは公正取引の観点からいたしましても、そういう取締りの対象に相なることでございまして、必ずしもこの法律にそういう取締り規定を設けなくてもいいんじゃないかと考えた次第でございます。先ほど御説明申し上げましたように、三十六条の規定の活用によりまして、都道府県教育委員会も、これに対しまして十分関心を持ち、努力もしてもらいまして、適当な適正な取次業者がこの業務を担当するようにいたしていきたい、かように考えます。
  102. 高津正道

    ○高津委員 それから今第三十六条を御引用になりましたが、登録教科書供給業者の営業所、事務所その他の事業場に立ち入り——まあ立ち入り検査の権利です。それから発行会社に対しても同様でありますが、このような特権、文部省の権限というものは、従来は見なかったところであります。文部省がかくも大きな権利を得るということは、発行業者に対して非常に拘束するものであって、発行業者は紙とか活字の誤植とか、そういう問題だけでなしに、原稿を用意して、大きな資本を投じてやることでありますから、文部省の鼻息をうかがうというか、その意向に忠実であろうとして、その心理状態は戦々きょうきょうたるものであろう。この立ち入り検査は官僚の過当な中央集権ではないか。この場合は文部官僚でありますが、文部官僚が、教科書の発行に対して、内容にも影響を及ぼすほどの大きな過当な権限を、このたびこの法案に織り込んでおるものではないか。従来このような権限があったのかないか。報告も立ち入りも検査も——報告はあったと思いますが、このような権限があったのかないか。それに対する御意見を承わりたいと思います。
  103. 緒方信一

    ○緒方政府委員 これは申し上げるまでもございませんけれども、教科書というものは、児童生徒の最も大事な学習の教材として使われるものでありますし、これが最も完全に迅速に的確に供給されることは、教育上最も大事なことだと存じます。かように非常に公共性の強い事業でございますから、それに対しましてやはり一面監督をし規制をしていくということも必要であると存じます。従いましてこういう監督の権限を明確にこの法案にもいたしておるわけでございます。  お尋ねでございますが、従来の臨時措置法におきましても、第十条の第三項でございますか、「文部大臣は、必要に応じ、発行者から報告をとり、又はその業務の履行の状況を調査することができる。」これは今お話のありましたように、立ち入り検査までは書いてございませんけれども、この臨時措置法は、たびたび申し上げますように、急速の間にできた臨時措置法でございますので、法律の体裁としては十分ではございません。こういうのは、ただ状況を調査することができるといったようなばく然とした規定でございまして、これはやはり監督する側におきましても、どういう手段方法でやるか書いてございませんから、かえって行き過ぎがあったりするおそれも出てくる危険があると存じます。従いましてむしろ新しい法律を総合立法として作りますにおきましては、十分その内容を吟味いたしまして、その方法等をきちんと規定しておく必要があると存じて、かような条文にいたしたわけでございます。この前も御説明申し上げましたけれども、ここにもございますように、第四項、第五項等の規定も特に入れまして、そうしてただいまおっしゃいましたような権限の行使について行き過ぎがないようにという配慮は十分いたしておる次第でございます。なおこれが運用につきましては十分注意をしていかなければならぬと存じております。
  104. 高津正道

    ○高津委員 今読まれた前の条文では調査となっており、これは検査となっておるのであります。法文を読んでみると、「教科書の発行又は供給の事業の状況に関し、帳簿、書類その他の物件を検査させ、又は関係者に対し質問をさせることができる。」こういうようにきわめて厳重になっておるのでありますが、前にあったものをここに文章の上に載せたにすぎないと、こういう御答弁であるけれども、私は最近の政府の癖が出て、国民の権利あるいは営業者の権利を行政面で押える、行政面の方にそういう権利を取り戻すという形がここにも現われておると思うのであります。局長は、従来あったと同じことで、文章の整理だけであって、変ったことは一つもないというのですか、前と変ったことになるのですか、それを聞きます。
  105. 緒方信一

    ○緒方政府委員 私申し上げましたのは、前のままをここに引き写したということを申し上げたのじゃございませんで……。
  106. 高津正道

    ○高津委員 新たに付加したものがあるのですか。
  107. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ございます。それは明らかに、厳密に、いたしたわけでございます。これは先ほどから申し上げますように、教科書発行供給業のこの高い公共性にかんがみまして、こういう規定を必要だと考えたからでございます。ただ私先ほど申し上げましたのは、臨時措置法の規定というものは非常に整備されておりませんので、ただ調査をすることができる、これはどういう方法で、どこまで調査していいものか、またその権限があるか、明確ではございません。従いましてここに明確にその方法や限界等もきめた、かように先ほどお答え申し上げたわけでございます。その方がむしろこういう権限の行使のためにはいいのじゃないか、その方がはっきりいたしますから、行き過ぎ等を注意していく上におきましてもいいのじゃないか、かように申し上げた次第であります。
  108. 高津正道

    ○高津委員 文部大臣は、その職員に、発行者及び教科書供給業者の営業所等々に立ち入らせて検査させる、こう書いてあるのでありますが、文部省の局課でいえばどの局課であるか。出かけていって検査をやるのはどのくらいの人であるのか。どういう人が出かけていくのですか。
  109. 緒方信一

    ○緒方政府委員 それは具体的に申しますと、教科書行政を担当いたしますのは初中局でございますから、初中局に所属いたしまする文部事務官、こういうことに相なるわけであります。
  110. 高津正道

    ○高津委員 一時を一分過ぎたようですから……。
  111. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 午前の会議はこの程度にし、この際暫時休憩いたします。    午後一時一分休憩      ————◇—————   〔休憩後は開会に至らなかった〕