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小林(信)
委員 大臣のお
考えも一応筋が通ると思います。しかしそれはまた私どもの
考えとは非常に逆であって、きのう私の申しましたように、あくまでも
教科書というものは
指導要領が根本であって、それを施行するために、
目的を達するために
教科書というものは教材の形でもって今はあてがわれておるのだ、こういうふうに私確かに申しました。従いまして
大臣、その
指導要領に基いて
指導計画をするということが今
教員として一番大事なことであって、
教育行政をなさる方は、これを
先生が忠実にやっておるかどうかということが一番問題なんですよ。その
指導計画の方向も大事でしょうが、それを真剣にやっておるかどうかが問題なんだ。それが出ておったら、それに基いて
教科書を選ぶということが必要であって、
教科書の方がきたら
指導要領をそれに当てはめていくというならば、この
指導計画を立てるということを
先生が非常に怠ってくるわけなんです。きのう私は指導書の改訂というところで局長に質問申し上げましたが、あんまりあそこを重視してはいけないと思う。なぜならば
先生たちは、今の指導書というものは、
教科書を出しまして、そうして指導書を各発行所で出しますが、これは悪く言えば
先生が
指導計画を、カリキュラムを
構成しなくてももうその指導書を持てばそれでもって一切の
心配は要らないというふうに出ておるのです。それを見て、
構成されておる、りっぱに仕上っておる、完成されたものをもってその
教科書を扱えば、問題ないじゃないかというが、その
指導計画をするところが
教師の
教育の
情熱の沸くところなんです、真剣さが出てくるところなんです。それがあれば、いかに売らんかなという
業者が商魂をたくましくして参りましても、そこに真剣な努力が払われておれば、おれはそんな
教科書は使えない、この
教科書でなければならぬというところで、不正なんという問題がなくなってくるわけなんです。それを指導書なんというものがこういうふうに重視されれば、もう
先生は
指導計画を立てない、その指導書を持ってきて、それでもって
教科書を教えてしまうというような形になってしまうのであります。私は
大臣の見解とは違って、
先生がどうしても
子供を教えるには
指導要領を分析し、そうして
土地の
事情というものをそれに加えて
指導計画を立てるところに
教育の
重点があると
考える。それを尊重するには、いかに
土地の
事情が画一的なものであって、あるいは国家的の
目的がありましても、それから
決定された
教科書であるからいいじゃないかというふうな見解をお持ちになったら、これは本末を転倒するものだと思うのです。
大臣はその
指導計画というもの、
先生の仕事の一番中核になるものをお
考えになっておらないのじゃないかと思うのですが、どうですか。
大臣はやっぱし
現場のそういうこまかいことはお知りにならない、無理もないと思うのですが、そこが一番大事だということを果して御認識になっておるかどうか。