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1956-04-11 第24回国会 衆議院 文教委員会 第28号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月十一日(水曜日)    午前十時五十四分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君    理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    伊藤 郷一君       稻葉  修君    杉浦 武雄君       田中 久雄君    塚原 俊郎君       並木 芳雄君    野依 秀市君       町村 金五君    山口 好一君       河野  正君    小牧 次生君       鈴木 義男君    高津 正道君       野原  覺君    前田榮之助君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    斎藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局地方課長)  木田  宏君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 本日の会議に付した案件  地方教育行政組織及び運営に関する法律案(  内閣提出第一〇五号)  地方教育行政組織及び運営に関する法律の施  行に伴う関係法律整理に関する法律案内閣  提出第一〇六号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  地方教育行政組織及び運営に関する法律案並びに地方教育行政組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律整理に関する法律案一括議題といたします。  この際清瀬文部大臣より発言を求められております。これを許します。清瀬文部大臣
  3. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 昨日の会議の終りに、加藤委員より私に対し一、二の質問がございました。その一つはこういうことと承わったのであります。すなわちこの案では教育委員会性格と、これを構成する委員の資格と、それから教育委員会教育長との関係についてどう考えるか、また現在暫定的に助役教育長を兼ねておる者があるが、その経過の規定にどう考えておるか、この問いは今問題となっておる行政組織法の二十三条、十七条、四条及び整理法の方の一条の五項、六項等に関係して問うのだ、こういうふうに了解いたしました。  お答えをいたします。教育委員会教育事務を専門的に担当する独立の行政委員会でありますので、教育委員会委員となる人は教育学術文化に関して識見を有するものであることを必要といたしております。人格高潔はむろんのことであります。すなわち広い見地に立って地方公共団体教育振興に関し、大局判断して指針を与える人であることを期待いたしておるのであります。従ってこのことは委員教育または教育行政について、専門的な力量をあわせ有する者を排除するものではありません。と同時にすべての委員がそのような専門家であることを要求するものでもございません。委員会にはこのように大局判断教育振興指針等を期待するものでありまして、現実行政事務執行には十分の力量ある専門家としての教育長をこれに配することにいたしまして、教育委員会判断、方針に基く専門的な事務処理をこれに担当させるものであります。ただ市町村教育委員会にありましては、委員のうちから教育長を任命することといたしておりますのは、都道府県の担当する教育事務性質と及び事務量差異は、実際的に見まして多少の相違があるのであります。すなわち都道府県教育委員会都道府県の設置する学校管理するばかりでなく、市町村教育委員会に対して全般的に指導援助を行うものでありまして、事務の多量であること、また専門的に分化されておること等から、委員教育長とを別個に選任することとして、市町村教育委員会にありましては、教育事務性質及び事務量から考えまして、委員のうちから教育長、これにふさわしい知識、経験を有する者を加えて、その者に教育長の職務をとらせることが、さきに述べた教育委員会委員教育長関係から見て不都合でないのみならず、機構の簡素化にも役立つことと考えたのでございます。  なお最後に、助役教育長を兼ねることは、教育委員制度あり方としては、決して満足すべき方法ではないのであります。暫定の方法であります。財政上の理由等から現在もやむを得ない措置として暫定的にこの兼任を認めておるのであります。新制度になりましてはかようなことは改めるべきでありますが、ただ財政上の事由から急激に、直ちにそれがいきませんので、昭和三十一年度中に限り、すなわち今までは当分の間といったのを、三十一年度末ということで、これを特例として認めたのでございます。  加藤さんのお問いの第二は、組織法の方の五十二条に関連いたしまして、現在の学校法令について疑いがある。本案ではなくして学校教育法等でございましょう。元来義務教育というのは国家的問題であって、公立であろうと私立であろうと国家的目的の濃いものである。学術あるいは文化といったようなものは国境を離れても存在するものであるが、文部大臣責任学校種類によって相違すべきものではなかろうと思う。私立学校への指導援助措置をとるといったようなことについてどう考えるか、こういうお問であったと考えております。「地方公共団体の長又は教育委員会教育に関する事務管理及び執行法令規定に違反していると認めるとき、又は著しく適正を欠き、かつ、教育本来の目的達成を阻害」していると認めるとき、措置要求が行われるということは、義務教育についてであろうが、大学についてであろうが、また私学の事務についてであろうが、本来差異はあるべきではございません。しかし現実にいかなる措置要求を行うかという点については、義務教育大学私立学校社会教育等それぞれの事務内容によって具体的に判断さるべきであります。事務種類に応じてその求める措置内容差異があると考えます。すなわち義務教育のごとく国家的色彩の強いものや、大学私立学校のごとくその自主性独自性の強いものにあっては、それらの特色から措置要求内容がおのずから異なると考えるべきであります。しかし右の差異があるからといって、大学私立学校について措置要求制度をとらないということではございません。この義務教育に属する学校、すなわち小学校、中学校、これを加藤さん御指摘のように私立で経営しておるものがございます。これらのものについては、現行法では学校教育法規定がありまして、そのほかにまた私立学校法というものが御承知のようにございます。主としてその第五条でございますが、学校教育法違反運営をいたします場合には、都道府県知事が監督するということになっております。この知事監督法法令に違反したり、その他著しく適正を欠いて教育本来の目的を阻害するといったようなことでありましたら、文部大臣知事に対して措置要求をするということでありまして、加藤さん御指摘のごとく、同じく国民の生活、次代の国民の運命に重大な関係がありまするが、義務教育程度学校でありながら、私立の場合は少し管理方法が相違いたしておるので、あるいは後日さらに十分検討すべきものであると存じております。  もし漏れましたらどうか補正してお問いを願いたいと思います。
  4. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 先会に引き続き質疑を続行いたします。質疑を許します。山崎始男君。
  5. 山崎始男

    山崎(始)委員 昨日今回の御提案になりました法律案のうちの三十三条の教材に関する質問をいたしたのでありますが、大体政府の御提案になりました気持というものが、きのうまでのところある程度私にはわかったのでございます。それはすなわち御提案趣旨というものは、要約いたしますると、暴力教室のごとき、要するにそういうようなものを規制したい、あるいはかつての山口日記のごとき、ああいう偏向的なものを規制したい、こういったようなお気持からこの法律案をお出しになったという意味の御答弁がありましたが、その点をもう一度御確認願いたい。
  6. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 大体山崎さんの御指摘通りでありまして、教科書以外の教材教育に影響するものが相当たくさんあることを世間からも指摘せられております。これらについて適切なる——この第一項の初めにあります通り、現在の法令、条例に違反しない範囲において、せっかくの教育委員会でありますから、その考えで適当な教育規則でも作っておく方がよかろう、こういう心持からであります。
  7. 山崎始男

    山崎(始)委員 大体お気持おぼろげながらわかりました。そこで私たち心配いたしますことは、教材の定義といいますか、この言葉の持つ概念というものは非常に広い。この法律案の中には、立法のお気持でありまする、ただいま言いましたような特定なものを届けさせたり、承認を必要としたりするのだというふうに書いてないところに、ただ教材という言葉だけで書いてあるところに、私たちの非常な心配がある。なぜといいますると、教材というものは申し上げるまでもございませんが、おそらく動物、植物、鉱物、極端に言いましたならば森羅万象一切、これは扱い方によれば教育教材だ、かように私は考えておるわけでございます。そこでこの法律が適用されますると、昨日申し上げましたように、要は教科書以外のこういうふうなあらゆる生きた教材を随時随所に教師が使うところに今日の民主教育の発達いたしました大きな役割があったのだ。この点今後はこういうふうな規則ができたばかりに、せっかく大臣とすれば、視聴覚教育なり、あるいはその他の——そういうふうな民主教育は伸ばしていかなければならないと思いながらも、目先の特定のごく一部分のそういうふうな不良文化財であるとか、あるいは山口日記のような偏向教育だとお思いになるようなものを押えるために、いわゆる角をためて牛を殺すというたぐいになるおそれがあるのじゃないか、こういう観点から私はお尋ねをいたしておるのでありますが、現実の問題といたしましても、文部省とすればこれは自分らの知ったことでないのであって、全国にありまする各教育委員会の方で届け出さしたり、あるいは承認を与えたりするところの定めを作るのであって、しかもその作った定め、いわゆる教材範囲といいますか、そういうものは自由に各教育委員会にまかすんだ、こういうふうに理解したわけなんであります。そういたしますと、全国にたくさんありまする各教育委員会の中で教材というものの考え方が、甲乙丙丁その他いろいろの地区で非常に違ったものが出てくるだろう、これは当然なのであります。そういうことは一応の筋書きとして予想できるのでありますが、この場合に、私はこの教育委員会扱い方によりますると、非常にわれわれが心配いたしておりまする教材を使っての教育の方向というものを消極的なものにしてしまうおそれが多分に出てくる、これは現実の問題をつかまえて考えてみましても予想できることでございまするが、そういうふうな御心配立案者とされまして予想されておられますか、されておられませんか。きのうはあまりされておらないんだというような御答弁であったのですが、一応立案の過程においてそういう点は十分お考えになったかなりませんでしたか、一つ文部大臣にお伺いいたします。
  8. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現在では学校教育法二十一条第二項に、教材で有益適切なものはこれを使用することを得、こういうのです。今でも抽象的に有益適切なものを使用することを得、こういうことであります。そこで有益適切なるものが何であるかは、これは重要な問題であります。それを全国五十万の教職員一人々々が御判断なさるよりも、やはり教育委員会で、ある程度の基準を示すことは、教育を進める上において有益だと考えております。きのうもたびたび申し上げましたが、この規定は三十三条の第一項に、ほかの必要でないところを省いて読みますると、教材の取扱いその他学校教育機関管理運営の基本的なものについて、必要な教育委員会規則定める、こうなっておるのです。すなわち第一項において教材については必要なものを教育委員会規則定める、必要のないものは定めないのであります。教材種類をどういうものと思っておるかということは委員長よりも御指名がありまして大体考えたところを持ってきておりますが、その中で規則などを作る必要なかろうと思うものは、これは規定しないでもいいのです。また規定することは不可能でしょう。あなたのおっしゃる通り森羅万象、非常にいろいろな教材があります、学校では社会科といったようなものもありますれば、理科とか地理とか、もう天体から地球の底に至るまでのことですから、すべては書けませんけれども、そこはまた世の中に常識の限度というものがございますから、先刻加藤さんの問いに答えました通り教育委員会大局において教育あり方を知っておる達識の人を推薦するのでありますから、その人の良識によって必要な、教育委員会が何が一体有益適切であるかという学校教育法第二十一条第二項を補足する規則をこしらえておくことは日本の教育のためには非常にいいことだ、悪いことではないというかたき信念をもって、この規則を作った次第であります。
  9. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいま学校教育法二十一条の第二項の例をお出しになりましたが、この点は私も昨日申し上げましたように学校教育法二十一条の第二項というものは一つのくくりがない、ただ「有益適切な」という言葉を使ってあるきりで、どちらかといえばこの教材を使う教師権利を使うことができるのだというふうに、むしろ権利を自由に認めておる規則だと私は思いましたので、今回の御提案教育委員会に届けさせたり承認を得させたりする精神と、ただいま文部大臣がおあげになりましたこの二十一条の二項とは、その精神においてむしろ逆じゃないか、矛盾するのじゃないかと私はお尋ねをしたのでありますが、私がお聞きいたしておりますのはその点ではございませんので、有益適切なという判断あり方というものが、非常にむずかしいのじゃないかと私は考える。そこでお尋ねしておるのでありますが、むしろ具体的な例を私は申し上げましてお聞きした方が話がわかりやすいかもしれません。今まではかりに——やがて五月の一日がやってきます、五月一日がやってきますると、御承知のようなメーデーというようなものも起ってくる、そういたしますると社会科先生が四月三十日、前の日にあしたは五月一日でメーデーだ、いわゆる労働者のお祭なんだ、そしてこの由来なりあるいはいわく因縁なりを子供に、おそらく明日は新聞にも大きくこの問題を取り上げるだろうというので、五月一日の朝になってメーデーの大きく載っている新聞を持ってくると同時に、かりにアカハタならアカハタというものをもって現実一つ教える道具にしてやろう、こういうようなことを考え先生がおったといたします。そのときに、今回の法規でいきますると、これは当然事前に持っていって教育委員会へ届けさせなければならない、あるいは承認をとらなければならない、こういう問題が起るだろうと私は思う。ところが今までの学校教育法二十一条だけの問題ならば、これは当然だれに遠慮も会釈もない、相談もなく教師の良心に従って、少くともこれは有効適切なるものだという判断のもとに教師は教えておった学校もあったんじゃないか、こういうふうに私は考えるのです。そうすると今後はこういう問題のときに、今文部大臣がおっしゃったようなこういう規則ができて、しかも各都道府県市町村末端に至るまでの教育委員の人が、届出が出たときにどういう判断現実にするか、これが有益適切だと判断をするのかこれは有益適切でないと判断をするのか、そういう問題がすぐぶつかって出てくるのだ、私はこう思うのです。これは具体的な例でありますから、こういう場合の今の処理の仕方といいますか、そういう場合はどういうふうに御判断をされるのでありますか。
  10. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは達識なる教育委員会にまかせておるでありましょうが、あなたのお問いに即して考えれば、あるいは新聞種類等をあげて、これ以外のものを使う時分には一ぺん言うてくれ、届け出てくれといったような規則ができはせぬかと思います。あの有名な京都の旭ヶ丘中学事件は、アカハタという新聞教材に使ったことが起りでございます。これは皆さんのお立場によっていい新聞ともお考えでありましょうが、しかしながら土地の父兄はそうは考えておらなかったのであります。そういうことが起りまするから、あるいは新聞名を指定したり、あるいは新聞の欄を、まあ書けるか書けぬか知りませんけれども、考えたりするような規則ができはせぬかと思います。規制をするからといって、毎日使うときに、きっと先に言うてこいといったような拘泥した規則ばかりが行われるものじゃないと私は考えておるのであります。要は教育委員会は、その地方の状況、世論、地方父兄なりかわりとして、一番いい教育をしようという観念でありますから、非常に極端な場合のことを言ってここで論じますると、いろいろ心配が起りましょうけれども、こういう規則教育委員会にまかしておくということは、私はいいことだ、こう考えております。
  11. 山崎始男

    山崎(始)委員 実は私が問うておりまする趣旨とは、少し違うのでございまして、むしろあなた御自身こそ、今のような御答弁が出るというところに、下手をするとこの問題の本質の扱い方規則扱い方のおそろしさがあるのであります。たまたまそういうような、いわゆる旭ヶ丘ではアカハタ新聞を使っておったというようなことをあなたがおっしゃるのは、非常に何だか妙な感じがするのであります。私が聞いておりますのは、五月一日なら一日という日をとって、同じ五月一日にいたしましても、あしたはアユ解禁だというので、どこか五月一日に解禁になるところもあるはずなんです。たまたま社会科なら社会科先生に非常に釣が好きだ、漁が好きだというような先生がいて、しかも子供に対して、明日はアユ解禁の写真は必ず新聞には出るのだというときに、その先生が、一つあしたはアユをとっていって実地の教育——五月一日は解禁だという印象的な日をとらえて、そこで生きた子供教育をする人もあるだろうと思う。おそらくそのときには、事前アユ教材に使うからといって届出をすると有効適切だ、こう思われるだろうと思う。ところがたまたま同じ五月一日でも、朝日新聞であろうとあるいは読売、毎日にしても、ほとんどどこの新聞でも、メーデーを大きく取り上げるだろう。ちょうどアユ解禁と同じことですよ。そのときに先生が、いわゆるメーデーのいわれを子供社会科一つ教材としてやってやろうという場合に、赤旗なら赤旗というものを一つ教材として——これはアカハタ新聞じゃございません。赤い旗のことでございますよ。それを持っていってかりに教えたとした場合に、その間の扱い方判断をする地方教育委員人たちの頭において、片方のアユの方は有効適切だ、問題はない。ところが赤旗の方は、これはどうもちょっと、こういうことになるのですか、ならぬのですか。どうなのです。そういう場合は必ず起ると私は見ている。(「教育委員会に聞けばいい」と呼ぶ者あり)
  12. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのお問いの真意を少しとりかねましたが、アユのことなら新聞に書いてあっても教えてよろしい、赤い旗のことは教えるな、そういうことを言うのは、ここに書いてある届出させるという趣意と少し違っているのです。ここでは、大てい新聞にも新聞性格がありますから、こういう新聞ならよろしいくらいなことになるのじゃないかと思っているのです。将来での内容を、どうして教育委員会だって予見できますか。時々刻々一秒先のことはわからぬのですから……。ただ届出というのは、こういう新聞ならよかろうくらいなことじゃないかと私は思っているのです。
  13. 山崎始男

    山崎(始)委員 法律を作る人がそういうように、あとは教育委員会がやるのだから、教育委員会に聞いたらいいじゃないかとか、それはわしらの知ったことじゃないというようなものの考え方は、これは私は非常に遺憾だと思うのです。私が今一つの例を引きましたことでも、この法律が出ましたら、末端の各教育委員会では、これに類似したような教材扱い方に対して、今後非常に問題が起ってきはせぬかという心配現実に持っております。またそういう心配が起りはしないかというところに、視聴覚教育にいたしましても、教材による教育というものの衰微を来たす、こういう心配から実はお尋ねしているのでありまして、どうも先ほどの文部大臣お答えでは、それは教育委員会の方が自由にやることだから、わしらの方は知らぬことじゃというふうな御答弁に聞えるのでありますがどうですか。そんなら緒方局長事務的に一つ……。
  14. 緒方信一

    緒方政府委員 教材の選択につきまして、教師意思が尊重されなければならないことは、これは当然のことであると存じますけれども、教材をいかに使うかということについての最終の責任は、これは教育委員会にあることは当然であります。教育委員会は、学校運営管理をいたしまする全責任を持っているわけです。従いまして、その運営管理の所管に属する学校で、いかような教材が使われ、いかような方法でこれが使用されるかということにつきましては、教育委員会がその責任を持っております。従って教育委員会といたしまして、必要がある場合あらかじめそれを届出させ、あるいはまた承認を受けさせるという定めを作らせるというのがこの規定趣旨でありまして、昨日から繰り返して申し上げますように、教材の全体について必ず届出させなければならぬとか、あるいは承認を受けさせなければならぬという趣旨じゃないのでございまして、これは第一項、第二項の関連において、そのことはここに十分出ております。第一項の規定によりまして、教育委員会が基本的な事項について必要な教育委員会規則定める。それにつきましてはいろいろございましょう。教材につきましても基本的な事項について定められるわけであります。その基本的な事項について定めたその定めの中に、必要があれば、あるいはあるものにつきましては届出させる。あるものにつきましては承認を受けさせる。承認届出も必要のないものもございましょう。それを教育委員会判断によってそういう定めを作るわけであります。学校教育法二十一条第二項の話も出ておりますけれども、これは大臣から御答弁もございましたが、有益であり適切であるという判断は、これは先ほども申しましたように、教師意思がそこに尊重されなければならぬことは当然でありますけれども、その責任は、これは教育委員会にある。その判断をするのは、最終的の法律的権限といたしましては教育委員会にある。従いまして、その教育委員会が適切でないと思う場合もございましょうし、それからまたいろいろ届出等を受けまして、より適切なものがほかにあるじゃないかという判断をすることはございましょう。そういうときには、教育委員会が積極的な指導もいたしましょう。文部省視聴覚教育課等があって、その関係はどうかというお話も出ておりますけれども、視聴覚教育等について文部省地方指導いたします。それに基いて教育委員会が、されに学校について有益なあるいは適切な教材の使用について指導することも必要であると思います。そういうことに資しますために、必要なものについて届出をさせる、あるいは承認を受けさせるという規定は当然必要だと考えております。(「明快々々」と呼ぶ者あり)
  15. 山崎始男

    山崎(始)委員 少しも明快ではない。ますます複雑怪奇になっております。いわゆる教材というものの種類森羅万象あるんだという前提は認めていらっしゃる。そうでしょう。ところがこの規則では、特定なものはしなくてもいいという規則じゃないのです。それは各教育委員会の自由にまかす、こうなっている。でありますから、扱い方のいかんによったら、全国教育委員会は非常にまちまちな規則を作るだろう、こういうことが考えられるわけです。そこで今あなた方はそういうふうな答弁をされておられますが、有効適切なという言葉自体ですら、甲の者が見たら有効適切でないかもしれない、乙の者が見れば有効適切であるのかもわからない、そういうふうな教材委員会で問題になる可能性が私は多分にあると言いたい。そのときにそういうしちめんどうくさい、むずかしいことならば、地方教育委員会学校先生にいたしましても、非常に困る場面ができてくるだろう。かりに地方学校先生から教育委員会へ、この規則通りに届けた。そのときにいろいろ基準なり考え方が違うのでありますから、そこにある程度のトラブルが起ってくる。起ってきますると、今度は地方教育委員会が必ず聞いてくるところは、おそらく文部省へ向って、どういうふうな基準を定めたらいいかとか、どういうふうにこういう問題は処理したらいいかということを聞いてくるのに違いないのであります。これは筋書なんです。その場合に文部省の方とすれば、初めの間はおそらく、それは君たち自主性にまかすんだから、教育委員会の方で良識によって判断をしておやりなさい、こういう返事をしておっても、それではこっちは困るんだ、こういう事態が起ってくる。そうなってくると結論的には、文部省とすれば、最後にはトラの巻みたいなものが必ずできてくる。そうまで君たちが尋ねるのなら、文部省の見解は一応こうだというトラの巻がいつの間にかできてくる。できてこざるを得ないのです。私はそういうことになってくると思う。そうすると、この扱い方のいかんによりますると、良心のある、教育に熱情を持っておる先生でも、教材による教育に対しては、下手をして自分らがにらまれるようなことになるのならば、これは扱わぬ方がいいだろうというような傾向になることは、私は火を見るより明らかだと思うのであります。その点を心配しておるのであります。  それなら私は、具体的の例をかりに引いてお尋ねいたしますが、きょう配られましたこの教材一つ種類としての中にも、放送あるいは映画、その他レコードにいたしましても、いろいろと十ばかり出ておりますが、かりに放送なら放送、今日日本全国で、おそらくこの学校放送をいわゆる教材として利用しておるところはずいぶんあると思うのであります。これはおそらく全国のほとんどの学校が利用しておるだろう、かように想定いたしまするが、こういう場合には教材扱い方として、その日その日の放送、そのつどそのつどの放送を届け出るのではなしに、一年分なら一年分を前もって届け出ておけばいいのですか、どうなんです。
  16. 緒方信一

    緒方政府委員 いろいろ御質問の中で出ました各教育委員会でまちまちになるじゃないかというお話でございますけれども、これは教育委員会といたしまして、独立した権限として教育委員会学校運営管理に任じておるわけであります。これはいわゆる地方分権でございまして、各公共団体の教育委員会が、独立してその学校運営管理に任じておるわけであります。従いましてその判断に待つということは当然のことでございまして、その地域の事情によりまちまちになることはあると存じます。それはその教育委員会判断によって運営されることと存じます。それがこの法の趣旨であろうと存じます。  それからいろいろございましたが、ただいまの放送等につきまして、これは全部届け出なければならぬかというお話でございますけれども、これは昨日から繰り返して申し上げます通りに、全部を全部届出しなければならぬとか、あるいは承認を受けさせなければならぬという規定ではございません。これは第一項、第二項の関係から申しまして明らかでございます。そうしてまたかりに届出をさせるということにいたしましても、これは届出をさせる方法もいろいろございましょう。学年の初めに教育計画が学校において立ちますから、その場合に、自分の学校ではこういう教育計画に基いて、教材としてこういう種類のものを使う、あるいは新聞を使うといったような包括的な届出もございましょう。それは教育委員会判断によって、その方法につきましてもいろいろと考えていくべきことで、それはものにより場合によって、いろいろのものができていいと思います。
  17. 山崎始男

    山崎(始)委員 今あなたのような御答弁があるから、ますます心配になるのですよ。そうでしょう。全部が全部じゃないと思う。そんなら部分的にはどれかということを私はもう少し具体的にはっきりとお聞かせ願いたいのでありますが、教育委員会によってばらばらのものができ上るということになると、甲の教育委員会は、前の日に明日の放送のこういうものは使ってもいいとか悪いとかいう届を必要とするところが出てくるかもしれない。あるいは中には、一年分ああそんならけっこうだ、あるいは一ヵ月分前もってけっこうだというものも出てこぬとも限らぬ。また一つの放送にいたしましても——学校放送ばかりではございません。いろいろの放送で、いなかの方へ行きますと、授業の時間に学校先生が、きょうは一つの娯楽の時間だというて、かりに時局なら時局のラジオを聞かせる。そうすると、たまたまかつての冗談音楽みたいなものをもしかけたとしたときに、どういうふうにお考えになるのです。また、こういうふうな扱い方というものはどういうふうにしたらいいのですか。これは非常に困るのですね。今あなたの御説明では、ますます複雑怪奇になって、何が何やらわけがわからぬ。そうなりはしませんか。
  18. 緒方信一

    緒方政府委員 教材種類としては、お話の通りいろいろなものがございます。ただこれを教育的に見ました場合に、教育委員会判断によりまして、これだけのものはどうしても事前承認を受けさせたいというものもございましょうし、そうじゃなくて、ただ届出だけでいいと考えるものもございましょうし、全然そういう手続は必要なく、学校判断によって使わせるのにまかせるというものも出て参ると思います。それでよろしいのでございます。そういう規定を作るという趣旨が、この三十三条の内容趣旨でございます。そこで放送につきましても、あるいはラジオの放送、テレビ等もございますから、教材としてそれを取り入れる場合もございましょうけれども、それにつきまして教育委員会があらかじめ届出を受けたいということであれば、これは包括した届出方法もありましょう。学年の初めにどこどこのどういう放送を教材として取り入れる、こういうことを学年の初めに包括して届け出るという方法もあると存じます。あるいはまたそれは全然必要ないと判断すれば、一般的なニュース等を十分利用していくということにつきましては、学校にまかせるという方法もあると思います。
  19. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部大臣お尋ねいたします。今の局長の御答弁を聞きますと、いよいよもって私たち心配せざるを得ないんです。ただ抽象的に適切だと判断をすれば、あるいは有効適切だと認定すればというのでは、非常に言葉があいまいもことしている。それで私が先ほどの例と同じように、放送教育教材として使ってよろしいといった場合でも、随時随所に生きた教育をするためには、あるいは学校先生は、学校の設備にある放送でもって、かりに時局の動き、政治なら政治の動きを簡明率直に、しかもユーモアを交えて、諷刺を交えて子供に聞かしてやろうと思って、もしもそれを冗談音楽みたような、ちょうど今ごろで言えば漫画みたいなものでしょう。そういうようなものをかりに聞かした。これは聞かす方が有効適切だと思う人もあるし、とうとう三木鶏郎というような人を追放しなければならないように、不適切だと見る人もある。そうでしょう。そういう場合に問題を起しやすい。それを使った学校先生なら先生に、その責任を追及されやすいようなことが起りはしませんか。こういう点に対して文部大臣の御見解を一つお聞かせ願いたい。
  20. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 地方教育委員会の性質は(発言する者あり)お聞き下さいよ。あなたがお問いになっておるから答えておるのです。地方教育委員会の性質は、原則として法案第二十三条にあります。二十三条にあることを行うのであります。でありまするから、教育委員会が常識はずれなことをするという前提でお問いになるというと話は尽きません。やはり人格は高潔で教育学術文化に対して識見を持っておる人が 教育を愛するがためにいろいろなことをするのであります。その事項は二十三条にあるのです。さらにまたもう一つ御注意を願わなければならぬことは、届出といっても、この規則に書くことは、基本的事項について、必要な教育委員会規則を作るんです。基本的事項について作るという文字も一つ頭に置いてお問いを願いたいのであります。そうしますれば、放送にもおのずから放送の性格もできております。私は冗談音楽が非常にいいものだという御意見とは少し違っておりまするけれども、このいいか悪いかは、やはり教育委員会の合議制で地方のために考えて原則を立てるということが、決して悪いことだとは思っておりません。私はどんなことでも、まず想像し得べき常識の限度内でなさるものだと考えておるのでございます。
  21. 山崎始男

    山崎(始)委員 その常識の限度内という言葉が、私たちにはほんとうは気に入らないのであります。それだからこそしいて言うておるのであります。  私はそれならばちょっと方向を変えまして、映画のことでも一つ聞いてみたいと思うのです。御承知のように農山村の僻地の学校、こういうところでは、私らが知っておりまする県内にでも、一つの村に七つくらい学校があるような僻地がございまするが、途中に辞職坂なんというような、学校先生が赴任したならばすぐ辞職するというようなひどい難所がある。こういうところでは年に盆か正月ぐらいしか魚もあまり入らない。まして映画なんというようなものも、盆か正月くらいにしか持ってこない。しかもそれが、商売人が学校向けの教育映画だと言って持ってきましても、その中には一本くらいは大がい娯楽映画というふうなものも組み合されて入っておる。ところが、そういう僻地の先生たちは、実際に動くそういうものを現実子供に見せてやろう。これを教材に使ってやろうというような場合に、今の緒方局長の御答弁によりますると、映画というものは教材としてよろしい、一括してよろしいというようなことをきめられる教育委員会もあるかわりに、あるいは中には、個々の教材に使う映画は、事前承認をとれというようなことをきめられるところもあるだろうと私は思う。そうした場合に、各教育委員会考え方にまかすというのでありますから、それならば、こういう場合に教材とするのに、おそらくその映画の内容その他というものは、事前教育委員会の、俗に申しますむずかしい言葉で言いますれば検閲といいますか、これは見る必要が起ってくる場合もあるのではないか。こういうふうに私は考えられるのですが、そういう場合には絶対に見る必要はありませんか、ありますか。そういうふうな検閲をするような場合が起り得る可能性があるとお考えになりますか、どうですか。
  22. 緒方信一

    緒方政府委員 今のお話は、この届出あるいは承認といったような、こういう制度にかかわらず、いかような教材が有益適切であるかという、その判断をどうやってやるかということだろうと考えます。今お話のような場合には、これはおそらく事前に見る必要がございましょう。見て、それは判断するのが教育者として、あるいは教育委員会責任者として適当な態度であろうと存じます。これは学校教育法二十一条第二項におきましても、有益適切なものは使うことができるというのでございまして、何でも使ってよろしいというわけではございません。有益適切でないものは使ってはいけないわけでもります。その最終の責任を持つのは教育委員会でございますので、教育委員会として十分な配慮をして、そういう場合に使うか使わぬかの決定をすることは、これは普通の場合当然であろうと存じます。
  23. 山崎始男

    山崎(始)委員 その有益適切なものはという、それはもうわかっておるのでありまして、それを今回の法律で、事前届出させるという規則をここで作って規制されておるから、私は問題にしておるのであります。具体的な例として、そういう場合に今の説明では、事前に見る場合があり得るということを認められたのでありますが、かりにそういう僻地の学校で、いわゆる盆かお正月か、年に一度くらい子供たちにこれを教材として、学校の講堂を借り切って見せてやるというような場合に、事前に実際問題として検閲ができましょうか、できませんか。私はこれはとうていできっこないと思う。ところが現実にはここに規則がある。届け出なければいけないという規則がある。たまたまその映画にあるいは娯楽映画が一本くらい入っているんですが、必ずしもそれは見方によれば、純粋に全部が全部その映画は教育的であるとは見れないものが娯楽映画の性質として出てくる場合がある。ところが現実的にはそれを事前承認を得えたり届け出て、そうして教育委員の人が試写会ぐらいやってみるなんというようなことは、これは私はとうていできないと思う。こういう場合の扱い方というものは、私は非常にむずかしい問題が起るんじゃないかと思う。(「常識だ」と呼ぶ者あり)ところが、そこで常識だと言われる人があるから、その常識という言葉が私に気に入らないのは、かりにそんならそういうような場合に、娯楽映画の中に接吻をしておる場面が出てきた。それもおそらく常識だと言われる。そんなら今度はその度合い、何ぼ接吻したかということが問題になる。そういう問題が出てきて、あるいはその教材を採用した先生教育委員会で問題を起して、あの先生は実にどうも不都合なことをやった、あるいは見てきて帰った子供が、こういうふうな映画があった。そうすると、そういうふうな村ですから、今度の法律でいきますと、教育委員が三人くらいになりましょう。年のいった、おそらく七十五、六くらいの教育委員長や五十四、五くらいのもう一人の教育長、あるいは二十五、六の大学出の、どう言いますか、芥川賞を取った、太陽の季節を書いた石原慎太郎みたいな人が、教育委員であったとかりにいたします。そうすると、七十五、六の教育委員長は、わしらは男女七才にして席を同じゅうせずできたのだ、こんな娯楽映画を学校の生徒に見せるなんて不都合じゃないか、こういう問題が起ってくる。そうして五十四、五の教育長は、まあ教育委員長、そうまで言わぬでもいいじゃないか、あのくらいの接吻ぐらいはそう影響はないと思う。こういうような問題が起ってくる。そうすると今度は石原慎太郎みたいな教育委員は、何を言うとるんだ、とんでもない、こういうような問題が起ってくる。そうするとこういう場合にきっと——これは一つの例を引くのでありますが、そういう場合は、文部省へ向って、映画の内容は一体どの程度までを基準として、われわれは認めたらいいのかというような問題が当然起ってくる。そうなると、有効適切な、常識をもって教育委員会判断をしておきめなさい。これでもって一体結論が出てきますか。この法律の結論は、私は出てこないと思う。これは文部大臣に御答弁願いたい。
  24. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それが合議制の妙であります。だれか一人がきめるのであったら心配が起りますが、まあ人間が五人寄って、この地方ではこれがよかろうかということをきめたら、その良識に従っていいと思うのであります。
  25. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうも実際は答弁になっていないのです。とにかく非常に抽象的な良識で判断をして、結論をする、そうやればいいのですが、人間の良識であるとか、あるいは常識というようなものは、見方によったらどっちにもなるような境がたくさんある。こうなってくると、今日の新しい生きた教材を使っての教育というものが、どうしても先生自体が、もうさわらぬ神にたたりなしという気持になってくる。これはわかっておる。これを私は心配しておるのであります。それならまた、方向を変えますが、かりにそういう場合に、結局この法律ができますと、僻地の場合なんか、電話も何にもございません。御承知のようにそういうところは電話一本もございません。一つの村に学校が七つもあるのですから、それこそとうふ屋へ三里、酒屋へ二里というような場所なんですが、そうすると、事前届出させるとか、承認を得るとかいう場合には、これは実際問題として、私はこの法律だけのためにも多額の経費を要するだろうと思う。こういう場合は一体どうなるのですか。
  26. 緒方信一

    緒方政府委員 先ほどから繰り返して申し上げております通りに、その地域地域の事情に応じて、教育委員会の必要によって適当な規定を作るだろうと申し上げておるのは、そういう意味も含んでおります。あるいはおあげになりました僻地の事情と、都会地の事情とは異なりますので、僻地は僻地の事情に即するような取扱い方教育委員会としましてきめることは当然であると思います。
  27. 高津正道

    ○高津委員 関連して……。ただいま政府の見解で明らかになったことは、文部大臣答弁の中に、地方教育委員会では、届出承認を受けさせることとする定めを設けるのであるが、その場合には、新聞たるアカハタ届出承認を要すると指定するのだろう、すなわちよい雑誌あるいはよい新聞、あるいはその新聞の何の面ならよかろうと指定するのだろう、こういう御発言を私は承わったのであります。悪い分は指定を要することになっておるし、よい分は、黙ってそれを使っていい分だと、こういうよい方をずっと並べるので、それに書いてない分は、届出承認を要する、こういうようにするのだというように私ははっきり聞いたのであります。そうであると学習研究社が、学年別の学習雑誌を出しておる。むろん私はよいと思うのですよ。それから小学館が同じように学年別の学習雑誌をやはり出しておる。これらはいい分に入れられるに違いないが、書き出す分に入れられるに違いないと私は思うが、その他にも学習雑誌が市販されておるのであります。これらはどうされるのであるか、二つ今出版社の例を引きました。その分はあげられるが、その他の分をどこまで書き入れられるか、これが一つ質問です。  今の質問者は山崎委員でありますから、私は関連たが、ここでもう一つ質問を提起いたしますが、教師よりも教育委員会の方がその能力がありとされるその根拠いかん。御答弁を聞いておると、これが有効適切な教材であるとする、その最終の判断の権限も責任も、教育委員会にあるのだ、こう言われるのだが、教師よりも教育委員会が、いい権限がなければならないのだ、その方がすぐれておるのだとされるその根拠を伺いたいと思います。関連で大へん失礼ですが、あとは返しますから……。
  28. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はアカハタという新聞がいいと言うたことはございません。また悪いと言うたこともないのです。しかしながら、あの地方父兄アカハタ教材に使うことは悪いと考える。先生は現にお使いになったのが京都の旭ヶ丘事件でございます。こういう趣旨の説明を、今日の朝いたしました。それゆえに教材の選択ということは、やはり委員会でやっておけば、この問題は起らなかっただろう、すなわち、新聞なども一つ教材だから、その指定の仕方は、新聞にも一つ性格がありまするから、これこれの新聞届出をしないといけないぞといったような規則でもできるんじゃないかと申し上げたのであります。それから小学館その他の学習の雑誌、印刷物についても、私は、あれがいい、これがいいと、ここで申し上げたことはございません。それまでは、各教育委員会の良識によっておきめになることと思います。山崎さんのおっしゃる通り、酒屋へ二里、とうふ屋へ三里という所もございましょう。それゆえに委員会ごとにやるのであります。一律にいって、今、文部大臣がこんなものはいいんだなんて言う時期でも何でもございませんで、教育委員会の良識によることでございます。それからまた最後のお問いの、先生教育委員会と、どっちが一体必要適切の判断をする力があるんだといったようなお問いでありまするが、それはどちらの人が見識があるかといったような比較論ではなくして、教育委員会は、わけても本案では第二十三条の職責があるのです。この職責を遂行するためには、教材などは、教育委員会で原則的な定めをする方がよかろう、こうことであります。
  29. 辻原弘市

    ○辻原委員 関連して……。まことに重要な点でございますので、高津委員が触れられた点、山崎委員が触れられた点について、二、三お伺いをしたいと思うのでありますが、先ほどから大臣答弁、それから局長答弁を聞いて参りますと、あたかも教材に対する取扱いの権限が、初めから教育委員会の権限に属させることが最も教育上正しいという観念の上に立っておる。逆論いたしますと、実際の教育内容を扱う教師には信頼が持てないということであります。そういう観念の上に立っておりまするから、従来の教育委員会法を見ましても、教材の取扱いという形には明示されておりません。教育内容という形において、概括的、基本的な規定だけが、従来の教育委員会の権限として置かれておる。私はここではっきりお伺いしておきたい一点は、先ほど教育委員会にやらせるんだから、それが地方の実情に即した教育になり、また分権的な教育趣旨だといったようなことを説明もし、また与党席からそういうようなヤジも出ておりましたけれども、私はそうは考えない。それは、教育委員会教育行政の機関である。現場の教育者は、教育内容を実践する立場にある。この職務内容の分析がきわめて不明確なために、あなた方の答弁が出ておるわけです。教育行政というものと、それから教育内容の実践というものは相関連するものだけれども、主たる職務というものは、分析をして考えなくちゃならぬ。教材はいずれに帰属するかといえば、今日までやってきた教育は、少くとも教材というものは、個々一つ一つの、こういうものが教材であり、ああいうものが教材ではないということではなしに、その教育実践をする場合に必要となるもの、先ほどから二十一条の説明で言っている、その教育に必要なもの、そうしたものが教材であって、その教材を通して、教師の持つ力、教師の持つ人格を通して教育が行われるということが原則である。そういうふうに考えて参ると、これは何も委員会でやるということが分権であるとか、自立性ある民主的な教育であるとか、そうでない現場の教師である場合に、これは民主的でなくなるという議論は出てこないはずであります。これは誤りであります。私の見解に対して、大臣の見解はどうですか。
  30. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻申し上げました通り教育委員会性質からくるのでございます。先生を不信任というんじゃないのです。第二十三条をごらん下さいまするというと、第五号には、「学校組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。」第六号には、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」こういうことが委員会の仕事の一つであります。これは今回始まったことじゃなくして、今行なっておる教育委員会法にも、四十九条の三号には「教科内容及びその取扱に関すること。」これにやはり教材は入っておると考えられておるのでございます。それゆえに、この職務を遂行するということについては、過去数年間の経験からして、印刷物のほかにも、テレビもあれば放送もある、新聞もどんどん出る、この状態において、今世間の父兄は、あるいは子供が漫画などを見て大へん悪くなったという訴えも、ひんぴんと私どもの耳に入るのであります。先刻から例に出ております某新聞のことも訴えらるるんであります。また学校に関するいろんな事件が教材と関連いたしておりまするから、教育委員会が完全にその職務を発揮するためには、やはりここはそうこまかいことを言っておるのではないのです。原則的、基本的の事項について、やはり教材についても目を光らしてもらいたい、こういうことなんですよ。私はまことに親切ないい法律案と思っておるし、世間もこれを賞賛しておるのであります。
  31. 辻原弘市

    ○辻原委員 世間が承認しているかどうかは、これは輿論に徴して見ればはっきりわかるんですが、抽象的に申し上げますと、この規定くらいおそらく今後の教育に、教師をして全くあやつり人形のような、しかも積極的に自分の人格を通して、自分の能力の範囲において教育をやっていこうというような意欲を減殺させる規定は、私はないと思うんです。これは教師をただ通り一ぺんの教科書中心、こういうような教育のやり方を、みずからやれと慫慂している規定である。こういうふうに考えざるを得ない。こういうことは意見になるから申し上げませんが、そこで今大臣が最後に述べました、こまかいことを規定するのではない、原則的事項規定するにとどめるんだと、こう言っておるのでありますが、昨日から私も資料を要求いたしてただしておりますように、一体三十三条の第一項の規定というものは、ここでいう教材に関する委員会規則というものは、どの範囲にきめさせようとしておるのかということが、いまだに不明確であります。きのう私は資料を要求いたしました関係からも、この資料についてもお尋ねいたしますが、教材として使用されるものの例、こうあげておりますが、これは教材として現在考えられているものの単なる例にすぎないのか、ないしはこの三十三条の一項で、必要な委員会規則定めるという場合に、その必要なというものは大体この範疇に、この程度のものであろうという意味でこれを出したのか、一体どちらなのか。その点いかがでしょう。
  32. 緒方信一

    緒方政府委員 御要求によって資料を出したんでございますが、これは教材として使用されるものの例でございまして、必ずしもこれについて各委員会が基本的な事項としてこの三十三条の第一項の規則を作るであろうという意味じゃございません。これは教材といたしましてこういうものが使用されることになるという例として出しただけでございます。
  33. 辻原弘市

    ○辻原委員 それでもなおわからぬのは、三十三条の一項は今大臣も言う通り、「基本的事項について、必要な教育委員会規則定める」こういうふうに書いてあるわけです。そうすると、きのうの説明によると、この必要な事項ということは、範囲定めることも必要な事項なんだ、こういうふうに言っておるんですね。だからその立案者の意図する必要な事項というものの内容を明らかにしていただかないと、これはどういう形にあなた方が教材の取扱いを制約、制限しようとしているのかという意図が明瞭にわかりません。だから、きのう申し上げたように、その通り条文を読むと、基本的な事項に関して必要なというのは、届出をさせるということを委員会規則定めるというのが基本的な問題の必要な事項ではないかというのが、これが常識的に考えられるこの法律の解釈であります。ところがそうじゃないんだ、全部をやらせるんじゃないので、その必要な事項というのは、第二項にかかっておる届出をさせる、しなければならぬという、その規定と同時に、その届出承認を受くべき教材はこれこれの範囲だということをきめるということも、その必要な事項範囲に入っておるんだということ、その通り解釈して間違いはありませんか、そこを一ぺん念を押しておきます。
  34. 緒方信一

    緒方政府委員 第一項の、教材の取扱いその他の基本的事項とございますが、教材の取扱いで申しますと、教材の取捨選択についての、あるいはまた、これを使用していきますについての基本的な方針、心がまえといったようなこともございましょう。あるいはまた使用希望の教材の取りまとめ方、あるいはまたこれを購入したり配布したりするその基本的な事項につきまして、教育委員会規則にきめるということもあるかと存じます。そのほか教育委員会としまして教材の取扱いについて基本的と考え事項についてこれを規定すればいいわけであります。その際に、今お話しのように、届出または承認を受けさせる教材範囲等についても、この基本的な事項として、定めるわけでございます。
  35. 辻原弘市

    ○辻原委員 どうもはっきりしないのだが、ここでいう基本的な必要な事項として範囲立案者は含めておる、これはその通りわかりました。範囲は含む。それからその次は何ですか。そのほかに基本的事項として立案者考えている、教材の取扱いに関して委員会規則定めるであろうと予測されるその必要な事項というものは何か。一つもっと具体的に、しっかりと押えて答弁をしていただきたい。
  36. 緒方信一

    緒方政府委員 教材を使用する、選択をするその基本的な方針、教育委員会としてきめる方針がございましょうから、それらについて規定をすると存じます。
  37. 辻原弘市

    ○辻原委員 委員会がきめますからではわからないのです。こういうことが必要だからこういう法律をあなた方は作ったのでしょう。その場合に教材の取扱い方について必要があるということになれば、一応何々ということは想定できるわけです。その中で委員会の権限にゆだねておるとなれば、取捨選択をしてきめることはあり得る。想定されるものとしてはかくかくの事項だということはあなた方の頭の中になければならぬ。ここで基本的なということの解釈は、人によっていろいろな解釈をする。私は最もシンプルに、基本的な必要な事項といえば、第二項の届出をさせ、承認を受けさせるというそのことが最も必要なんだ、それを委員会規則定めさせるのだ、こういうふうに私は解釈する。しかしあなたの説明を聞けば、それ以外に範囲もきめさせるのだ、こういう。範囲も基本的な事項だということになると非常に具体的な問題になる。われわれは範囲ということは必ずしも基本的な運営の問題じゃないと解釈する。そうなれば、そのほかにそれに類似したようなことがいろいろ出てくるだろうと考えられるわけです。そうすると、法律にいう基本的なということは、必ずしもその言葉通りに当らなくなる。そうすると解釈の幅というものは非常に広くなるわけです。そこで立案に当ってはその点を十分解明しておく必要があるから、そこで範囲は必要な事項だというのだから、そのほかに何があるかということを、もう少し具体的に説明していただきたい。
  38. 緒方信一

    緒方政府委員 これは三十三条一項の規定をごらんになればおわかりのように、「学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項」でございまして、教育委員会が所管しまする学校その他の教育機関について、管理運営の基本的事項定めるということが、この趣旨でございます。この教材につきましても、この教材の取捨選択、あるいはそれを使用することにつきましての基本的な方針というものが、教育委員会として立つわけでございますので、それをきめるのは、この管理運営の基本的事項一つに入ると考えております。その際に、教材届出をさせ、あるいは承認を受けさせる規定をこの教育委員会規則の中に設けてその範囲をきめる、こういうことでございます。
  39. 辻原弘市

    ○辻原委員 まだわからない。教材について範囲定めるという基本的事項——届出をさせるということ、範囲定めるということ、この二つのことはここで言う基本的事項の必要なということの条項の内容だとあなたは言うのですが、そのほかにどういう点が教材についての——基本的な基本的なと言うが、そのほかに何かあなた方が立案者として想定されたものがあるかどうかということ、その二つだけなら二つだけというふうに言ってもらえば、教育委員会規則で将来定まるであろう問題の基本がわかってくるわけです。しかしそれがわからない。そのほかにあるのかないのか明瞭にしてもらいたい。取捨選択に関する基本的事項というのは一体何ですか。
  40. 木田宏

    ○木田説明員 ちょっと具体的な一、二の例を御参考までに申し上げてみたいと思いますが、たとえば今視聴覚教材の利用のためにも、各学校共通で使えるような教材の利用組織というものを作っておるのでございます。それをどのようにして育成するかということは、教材を豊富にいたしますために非常に大きな問題とされております。個々の学校ごとに映画フィルムを購入するとか、スライドを置くとか、あるいは録音テープを整備するということは、実情からみまして効率的ではありませんので、各学校が共同でそういう教材の利用態勢というものを作っておるわけでございます。それらの各学校個々に使う教材についてだけではなくて、ただいま申し上げましたような共同で利用する場合にどういう利用の形態を作ったらいいか、どういう工合に各学校の希望を持ち寄って教材を購入したらいいか、それを整備する方法、共通で利用するための利用の方法、それらのことにつきまして、教育委員会が積極的な指導を加え、管理方式を規定するということは、それぞれの実情に応じ必要が起ってくると考えておるのでございます。そのほか地域の実情によりまして、各学校がいろいいろ教材を利用します場合の方法等についても考えられることでございますが、具体的な例として、ただいま申し上げましたようなことを御参考に供したいわけでございます。
  41. 辻原弘市

    ○辻原委員 そうするとそれは教材の共同利用に関すること、これが基本的必要な事項の中に加わってくるというわけですね。
  42. 木田宏

    ○木田説明員 それは地域によってやはり異なると思います。たとえば……(辻原委員「そういうことはいいのだ」と呼ぶ)それは教育委員会教育振興のために、そういう態勢を教材等の取扱いの基本的な方針として、視聴覚教材を豊富にするためにこういう運営をしようという判断にかかわるものと考えております。
  43. 辻原弘市

    ○辻原委員 そのほかにありませんか。
  44. 木田宏

    ○木田説明員 そのほかには先ほど局長が包括的に申し上げましたけれども、教材購入の場合にたとえば一定の料金の限度を置くとか、あるいはその料金の限度をこえるものについては届出承認にかかわらしめるとか、そういった基本的な教材利用の方針というものが、三十三条一項の規則で書かれてくることと考えております。
  45. 辻原弘市

    ○辻原委員 だんだん聞いていきますと、ここに書いてある法律の条文とはだいぶ意味合いが違う。ここに書いてある意味合いは、運営に関する基本的事項——基本的事項の解釈にもよりますけれども、常識的に解釈すれば、教材というものを届出制にするかしからざるか、あるいは承認を求める事項にするのか、単なる届出にするのか、こういった事項は、これは確かに基本的な問題だと思うけれども、しかし教材購入に関する料金云々の規定までこれを委員会規則定めるということになれば、これは基本的事項範囲よりも、むしろ全く具体的な、基本的事項ではなしに教材の取扱いに関する必要なあらゆる諸条件というものをきめられ得るわけなんです。その点はどうなんですか。大臣の御答弁を求めます。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはよくわかっておることで、管理運営の基本的事項であります。ある教材を使用するのに費用を要すれば、やはりこれは管理運営で、このうちに入るのであります。何も原案を広げて木田君が答えたのじゃありません。この範囲内で答えておるのです。(加藤(精)委員「明快」と呼ぶ)
  47. 辻原弘市

    ○辻原委員 加藤氏の言うように、まことにこれは明快であって、この条文においては、そうこまかい規定まで行政機関である教育委員会でやるのじゃなしに、いいように解釈すれば、一応の届出というような検閲制はとっておるが、そのほかの点については、ある面においては実際の教材を取り扱う教育者の側に裁量をゆだねておるというふうに考えられない向きはない。ところがだんだんそう尋ねていきますと、今大臣答弁にもあったように、むしろ基本的事項ということには何らのウエートがなく、何らの法律用語的な価値を有せず、管理運営の万般にわたって必要なものをきめるというのですから、これはきめようと思えば、どんなに具体的事実だってきめられ得るという法律である。そういたしますと、私は将来の参考に、あなた方立案者が想定された例をあげてもらったのだけれども、さらに今晩家へ帰って頭を冷せば、こんなこともあった、あんなこともあったということも出てくるかもしれない。また地域の実情としてゆだねられた、事教材に関するどんなことであっても、この法律においては委員会規則に作ってよろしいということになる。問題はそこなんです。最初に私が申しましたように、教材の取扱いというものは、これは人間のやることですから、その主観という問題が伴うので、間違いもままあるけれども、しかしそれは教員の良識と、また学校運営責任者の校長という立場にゆだねて、そうして誤まりなき運営をしていくのが、これが教育の実践である。それを事こまかにきめられる余地——きめるかきめないか、そんなことを言っているのじゃない。あなたが言うように委員会がきめるというのですから、だからきめるかきめないかは言ってない。きめられ得る余地を法律が持っているということになれば、最も極端な例をあげれば、細大漏らさずその委員会が、これは三人委員会でありましょうとも、五人委員会でありましょうとも、一応合議制であってもこれはやはり主観なんです。行政機関の考え方なんです。いいか悪いかを言うのじゃありません。そこが、こういう徹底した形においてきめてやろうとするならば、学校教育において、教育者が教材を自由に取捨選択して行えないというような場合がまま起ってくるというこの事柄は、現在の教育の方向に対してきわめて大きな影響を与えるということは、これは事実でございます。大臣、この点については何ら心配要らないとおっしゃいますか。
  48. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教材の取捨選択は、あなた方おっしゃる通り大きな影響を及ぼすから大切にしておるのであります。大きな影響を及ぼさなかったら、この規定は要らぬのです。大きな影響を及ぼすことは、あなたのお説の通りです。しかしながら今回の法規の建前は、やはり先刻指摘いたしましたように、案第二十三条で教材の取扱い、これが自然学習、生徒指導にも関係いたします。こういうことを教育委員会にまかそうという建前なんです。私は現在の教員諸君、先生諸君が悪いからこれをやるなんというような考えは少しもありません。けれども今の教育の立て方が、学校内であるいは薫陶、あるいは教化の任に当ります現場の教員のほかに、教育委員会という達識の人をもって合議機関でやろうという建前になっているのであります。これが悪いのだというのだったら、この根本の、この案そのものが全部いけないということになります。(加藤(精)委員「明答」と呼ぶ)
  49. 辻原弘市

    ○辻原委員 あなたの考えは、加藤さんの言だが、今度は明答ではないのです。大きな影響を及ぼすというのは、あなたが非常に何か妄想感にかられている点は、私の言う大きな影響を及ぼすという言葉とは違うのです。教材というものは、影響を及ぼすから教材たるの価値があるのです。私が大きな影響を及ぼすと言うのは、その影響を及ぼす教材が、できるだけ広範囲に、実際に教える先生が、また学校全体として教育的な見地から、この教材を選びたい、あの教材を使いたいとしたときに、それが身体不自由児みたいに、自由にならないという事柄が大きな影響を及ぼすというのです。それをあらかじめ教育者の側に至るまでにセレクトされて、そういうものがあっても使えない。毒薬でも使い方によっては良薬になるのですが、それをすべてこれも毒だ、あれも毒だという、そういう教育をあえておやりになるというのでは、これは何をか言わんやであります。しかし大臣とてもリベラリストで、いい教育をやりたいというので、何か知らぬけれども、地方分権でもいいからというので、わざわざ骨抜きにしてでも委員会を残そうとなさった趣旨からいくと、かほどの重要な問題を、さして心配はないと言われることについては、これはまことに失礼な言い分でありますが、私は大臣の良識を疑わざるを得ない。  もう一つ、私もこれは非常に困った問題だ、何か妙案がないかと思って、この間も大臣質問した不良文化財の問題でもそうです。手っとり早くいえば、今あなたがここで書かれたような趣旨からいえば、これも届出制にし、検閲制にすれば、むしろけっこうだという理論に通ずるのですよ。映画も検閲、図書も検閲、放送も検閲、これが一番手っとり早い方法だということになるのです。これらはすべて学校教育でないけれども、国民教育に至大の影響を与えるものです。同時にまたその中に含まれる学校教育に至大の影響を与えて、その影響はいい面と悪い面とがあるのだから、あなたがそういう悪い面を感づかれてやろうということであれば、この法律趣旨でいくと、そういう検閲も決して行き過ぎではないという議論になる。ここの問題が実に重大な問題だと私は考えておるのです。しかしこういうことは議論になるから申し上げません。また申し上げても、あなたは提案をされた方だから、よもやそれを承認はなさるまい。そこで私は関連でありますのでこの点は言いませんが、きわめて事務的な事項についてのみあと一、二点だけ指摘しておきたいと思います。  話を前に返して、私はきのう、あなた方がこの法律範囲をきめると言うから、その範囲に含まれるであろう教材というものは何々か、こういうふうに質問をし、またそれを一つ列挙して出してもらいたいという要求に基いてこれは出されたものだ、こう解釈するのです。それは間違いありませんね。
  50. 緒方信一

    緒方政府委員 今お話の趣旨と少し違うのでございまして、これは教材として使用されるものの例として出したのでございます。三十三条第二項の規定を作られる場合に、これらのものが問題になると思いますけれども、これだけが対象になってそういう規定が作られるという意味じゃございません。教材は、これは非常に広い範囲でございますから、その一部をここに掲げたのでございます。全部掲げろと言われましても、それは不可能でございます。
  51. 辻原弘市

    ○辻原委員 「必要な」という場合には、これは全体を総括する場合もある。だから極端にいえば、全部も規定する場合もあり得るわけですね。しかし立案者としては、教材として使用されるようなものはこの程度のものだ、こういう考え方規定されるかされないかは別として、一応教材として現に使用される、また今後も使用されるものはこの程度だ、こういうような考え方提出をした、こういう趣旨ですね。
  52. 緒方信一

    緒方政府委員 教材として使用されるものは、これに掲げましたほかにもいろいろあると存じます。これは部類の仕方もいろいろでございますので、これが全部だというふうにおとりなされては少し違うのでございまして、一つの例として差し上げた、こういうことでございますから、そこは御了承願います。
  53. 辻原弘市

    ○辻原委員 そうしますと、きのうの御答弁によると、積極的にひな形を作って地方に示すことはございません、こう言われた。それはまことにけっこうであります。ところが逆にこの法律では、私どもが読んだだけでも非常にわかりにくい。問い合せが来た場合に、一体この範囲というものは、文部省においてはどの程度とお考えでありますか。問い合せが来た場合にはどういうふうな回答を出されますか。教材範囲について当委員会においては的確に判断いたしかねます、一つ文部省の見解を承わりたい、こういうような問い合わせが地方から来た場合に、あなたの方としてはどの程度のものを地方に対してきめたらよかろうという御回答を出されますか。
  54. 緒方信一

    緒方政府委員 もちろんこの法案が成立いたしました暁には、その施行について、いろいろ解釈等につきまして地方に示すことはございます。これはどの法律ができましても、その法律の施行のあやまちなきを期さなければならぬと考えます。これにつきましても同様に考えております。従いましてこの三十三条に対する説明といたしましても、十分いたさなければならぬと考えます。その際には、先ほど来御質問があって答えておりますように、これが成立いたしました場合には、立案者として考えておる法の解釈を十分徹底させたいと考えます。その内容答弁で申し上げております通りのことを考えている次第でございます。
  55. 辻原弘市

    ○辻原委員 私の尋ねておるのは、先ほどの法解釈ではなしに、教材範囲としておそらくそういう疑問が起ってくるだろうと思う。全部といったって先ほど山崎委員が言ったように、極端にいえば森羅万象全部だ、あなたの方の法解釈として必ずしも全部を出さなくてもいいという指導をやる、それでは一体具体的にどういう範囲までそれを列挙することがいいのかという質問がくると思う。あなた方は指導しなければならぬと考えておるのだから、その指導の場合に、列挙すべき教材はどういうものだというふうに具体的にあげますか、と私は聞いておる。
  56. 緒方信一

    緒方政府委員 今お答えいたしましたのはそれにお答えしたつもりでございますけれども、これは地域の実情、教育委員会判断によっておきめ願うという趣旨でございますから、その趣旨を十分徹底させたいと思います。
  57. 辻原弘市

    ○辻原委員 その趣旨はよくわかっている。その趣旨でもって、具体的に将来にわたってそのような問い合せがかりに来ても、文部省としては、これは地方の実情に即してやればいいので、その範囲についての具体的な事例は当方においては考えておりません、こういうふうに回答なさると承わっていいですね。  これはもう少し突っ込んで大臣にも聞かなければなりませんし、この法律案の四十八条の二項の二号ですか、文部大臣の権限にある指導と助言の範囲というものは、この項にいったときに具体的に聞きますが、この指導と助言に基いてあなたの方の指導が行われるのだろうと思う。その場合に、具体的に個々の教材について——今、私が参考のために求めたように、こういうものは地方に流しませんね、地力でおきめになるのが法律趣旨でございますからそのようにやっていただきたいという回答であって、それ以上一歩も出ませんね、と私は念を押しておるのです。こういう具体的な列挙は、いかなる形においても指導はいたしませんか。これは大臣、どうなんですか。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 問いに対する答えとしては、現実問いがないと正確に答えられませんけれども、また答える人の地位、心持にもよりますけれども、教材という意味はどういう意味だという問いがありましたら、学校教育法第二十一条の二項で従前教材といったものと同じことであります。もう一つ詳しく言えば、全部はあげられませんけれども、きょうお配りしたこういうもの、そしてこういうものに類するものであるという答えはするだろうと思います。
  59. 辻原弘市

    ○辻原委員 やはりこれは聞いてみなければわかりません。局長答弁を私、まるのみに信用しておるととんでもないことで、私の質問の方向も変ってくる。局長は、法律趣旨地方でおきめになるのだからそのようにやってもらいたいということで、地方自主性に対して善意であろうと悪意であろうと、その決定を促すような指導はいたしませんとおっしゃる。ところが大臣は、そういうように問い合せてくるならば、学校教育法第二十一条の二項に基いた教材範囲で、たとえばこの刷りものにあるようなものを具体的にあげてとおっしゃる、それは間違いございませんね、指導の場合具体的にあげられるのですね。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それが、具体的の問いがないと、仮定で答えるとよくないと私が始終言うのはそういうことなのです。ただ、かりに「教材」という二字がどんなものだという問いがあったとすれば、教材ということは今までの法律にある、二十一条二項に書いてあるのと同じ意味であります。さらに向うから、しからば少しでもいいから例をあげてくれと言ったら、こういうものはそのうちに入るということなのでありまして、およそ仮定の問いについて答えると非常にまどろっこしくなります。問う人の立場にも言葉にも、いろいろなことで適切に答えて上げなければなりませんが、教材とは何ぞやという人はなかろうとは思いますが、かりにそういうことを言ってきたら、私は二十一条二項を見よ、こういうのです。
  61. 辻原弘市

    ○辻原委員 仮定の質問の方がよりおわかりやすいだろうと思ってあげたのですが、(「ちっとも仮定じゃない」と呼ぶ者あり)これはちっとも仮定じゃないので、逆にお伺いすれば、教材に関しての指導と助言という形の極限はどこだと言えば、この法律に基いた教材の取扱いについての指導と助言をやる場合の最大限の具体的な内容というものは何か、こういうようにお伺いすれば、仮定の問題だからといって拒否される、そんな理由はないと思いますが、まあ大体わかりました。  そこで、こういうものは例としてはないだろうけれども、その場合にあげますのはこのプリントだと了承していいですか。
  62. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 このプリントは、昨日教材として考えられるようなものをあげよと委員長がおっしゃったので、それを全部あげることは困難でございますということを申しました。ところがそのうちのおおむねこれだろうという例でもよろしいとのことでありましたので、それで書いたのでありますから、同じ意味になります。
  63. 辻原弘市

    ○辻原委員 そうすると大体ここで範囲定める、その範囲について、もし文部省指導と助言を行うということになれば、ここにかかっておる具体的な教材範囲までくらいは文部省は示すということになる、そういうふうに受け取って差しつかえありませんね。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 指導助言ということは別ですよ。ただ「教材」という二字について意味いかんという問いがありましたら、教材というのは従前の法律でいえば二十一条二項の通りであります、あなたもそれを知って教員になっておられるのだから、御承知でしょう。しかしもう一ぺん繰り返して、それならせめて一つでもいいから例をあげてくれと言ったら、やっぱりこの例をあげていいと思います。
  65. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 辻原君、簡単に願います。
  66. 辻原弘市

    ○辻原委員 時間がありませんのでそこまでにとどめ、これをどう取り扱うかということはこの次に回しておきたいと思うのであります。  そこではっきりしたことは、指導と助言ということになりますか、ないしは回答ということになりますか、いずれにいたそうとも、こういう形のものが少くとも五千に及ぶ教育委員会に何らかの伝達機構を通じて流れていくことだけは、これは実際問題として、起るとは言いません、起りそうです。それによって地方教育委員会規則というものが定まる、こういうことが事実上行われる。それは結果としては、あなた方は教材というものは、委員会自主性と言うけれども、実際問題としては委員会自主性にあらずして、少くとも文部大臣の、今度の法律ができて、指揮監督というものが動いてまず定められるというところに一つの大きな問題がある。その次の段階は、教育委員会は三人の合議制の機関でありますからけっこうでありますということが、教育論として果して正当であるかどうかについての問題がある。それから今度は実際個々の教材のそういう届出とか承認という事柄、これが教育上いかなる悪影響を及ぼすかというこの次の問題が起ります。従いまして、この項は条項はきわめて簡単でありますが、内容はまことに広い。これはすべての検閲制度の先駆を開くものとして十分な審議を今後も続けていかなければならぬと思いますので、本日はきわめて簡単にいたしまして私の関連の質問を終ります。
  67. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 ほかに小林、小牧両委員より関連して質疑を行いたい旨の申し出がありますが、だいぶ時間が経過いたしておりますので、午後にこれを行うことといたします。午後一時四十分より再開いたします。  この際休憩いたします。    午後零時四十一分休憩      ————◇—————    午後二時八分開議
  68. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  午前の山崎委員質疑に関連して発言を求められておりますので、これを許します。小林信一君。
  69. 小林信一

    ○小林(信)委員 先ほど来の三十三条をめぐっての質疑応答を聞いておったのですが、大臣にこの点、教育行政をつかさどっていただくという立場からして、よほど考えていただかなければならない問題があるのではないか。要するにこの法案のそれが根拠ともなり、今後の運営方針ともなるわけでございますので、その点を文部大臣お尋ねをしたいのでございます。それは教育の上で教材というものが決して私は決定的なものではない、教材よりもその教材をいかに取り扱うかということが、教育の一番重大問題だと思うのであります。もちろんその根拠となるものは、教師指導しようとする積極的な意欲に燃えて、熱意と努力を傾注して、しかもそこにみずからの責任を自覚する、こういう教師教育的な態度があって、初めて教育というものは成り立つわけなんですが、その意欲を持った者が、あらかじめこういう教材を取り扱おうとして、一年の当初に当ってこういう教材を取り扱いますという準備をすることもあるでしょうし、あるいは常に児童の批判力を高めようとするような気持教材というものを探す態度も、私は教育上非常に必要だと思うのです。それはいわゆる社会事象というようなものでございます。そうすると、必ずしも用意しておらない教材というものも取り扱わなければならぬわけなんです。またその教材を取り扱う場合にも、児童が一つの事象にぶつかって、ある一つの刺激を受けておる、その瞬間において取り扱うということが最も効果的であると思うのです。それが時間がたってあとに感激とか刺激とかいうふうなものがなくなっておるときに教材を取り扱っても、むしろ意味がないと思うのです。してみれば、教材というものは、先ほど来の質疑応答の中に大臣のお述べになるような教育上の価値、位置というものは、私はもっと教師の取扱い方、熱意、そういうふうなものに置かなければならぬと思うのでございます。してみれば、この三十三条の二項にあるような規定を設けた場合には、先ほど来の応答から受けたところの印象では、生きた教材にもならないし、教師の情熱をわかすとか、指導的な意欲というものが盛り上るというようなことにはならない。もし無届でもって扱ったような場合に、それが委員会の意向に反するようなことをおそれて、年度最初にきめた教材というものを取り扱って終ってしまうというような形になったら、いよいよ教育というものは冷たい、意味のないものになるんじゃないか。従って私は、この法律を作った人もおそらく——作った人といえば大臣ですが、教育的な理解を持ってお作りになったと思うのですが、私はこの第二項は、おそらく当初はなかったのではないか、あとからつけ加えられたような、蛇足のような感がしてならないのですが、今のような私の考え教育というものがもし成り立つとするならば、私はこういう条項というものは全然入れない方が、かえって教育の効果を上げることができる、こういうふうに考えるのです。つまり教育の効果の上げ方という問題についてもう一度大臣の御意見を承わりたいのです。  それから第二の問題といたしましては、この条項が何ゆえ必要であるかという中に、第二十三条の教育委員会の権限のところに、教材という問題も出ておるとか、ほかにどういう条項もあるとかいう大臣は御説明をなさって、だからそれを規定するところの教材そのものに対する条項も必要だと言うのですが、私は逆なんです。そういう教材に対して教育長がどういう指導、助言をすることができるかという条項があるから、こういう特別なものを書き出す必要はない。もし大臣のおっしゃるような法律論的な考えでいくならば、きのうあたり問題になりましたように、この教材なるものを全部附則か何かで網羅して、かかるものが教材であって、これは届出なければならないというところまで細分化しなければ意味がないわけなんです。やはり教育委員会あり方から考えて、二十三条のような条項を持てばそれでいい、私はこう考えるのですが、大臣の御意見を承わります。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 物事は、いかなる場合でも、利益と、またその反面の不自由さはあるのであります。小林さんも教育についてみずから御体験でございまするが、なるほど敏速活発に、生きた教材を即刻使うということは非常に印象的で、子供によく熱情を持って教えられることはお説の通りでございます。そういう利益もありまするが、またしかし本日もけさから申しましたが、少くとも父兄において異存のあるような新聞を使って大騒動を引き起した事件もあるのであります。そこで、教育委員会の良識に待って、これも、教育委員会は悪いことをするものだと初めから考えちゃいけないんで、やはり人格高潔で、教育文化には識見を持っておる人、それが一定の基準をこしらえるということは、あながち排斥すべきものではない。先年以来私ども、あなた方もそうですが、選挙区を持ち、多数の人に交際をしておりまするが、教科書教科書だが、あの教材もどうかならぬものだろうかという声は非常に聞くのです。事例をあげると非常にいけませんけれども、山口日誌ですね、あれに南朝鮮が北朝鮮へ攻めて入ったのだと書いてある。どうもこういうことはどうだろうかという声を聞くのです。けさからも申し上げました通り、いい新聞か悪い新聞か知りませんけれども、アカハタ教材に連続して使ったということが、旭ヶ丘事件の発端でございます。そういうことがありまして、教科書だけを言わないで、教材の方も届出たり、また場合によって、高いものを買わすといったようなことは父兄に負担をかけるから、何かその規定をしたらどうだろうというので、しかし私ども国の法律でそれをやるのも行き過ぎだから、教材の取扱いはやはり教育委員会でその土地の地域社会に即したような取扱いをするがよかろう、かような考えをしたのでございます。小林さんのお説の通り、二十三条だけで教材の取扱いについて一定の申し合せなり規定はできるのです。これはなくてもほんとうはできるのです。しかしながら大切なことでありますから、明らかにするためにこの規定を置きました。だからあなたのお説の通り教材自身でないのです。取扱いが必要なんです。そこでこの三十三条にも、教材の取扱いその他云々、取扱いについて管理の基本的事項定める、こういうことに書いてございます。ただ定めるといいましても、定める中には、届出をさすこと、それからまた、これは金銭負担のことがおもでありましょうが、委員会承認を受けさせること、常識的に届出承認も要らないようなことについては、要らぬと書くか、何も書かないか、そういうふうな格好で、教材の取扱いが教育目的にかなうように、また地域社会の父兄等のお気にも召すようなふうにやったらどうだろうか、こういう考えでございます。
  71. 小林信一

    ○小林(信)委員 大臣のお考えも一応うなずけるのですが、やはり教育という問題はもう少し深く考えていかなければならぬと思うのです。たとえば今大臣があげたような問題を起す教材もあると思います。それから学校教育法規定されているものは、必ずしも正しい教材とか、いい教材とかいうものでなくて、適切とは、それが社会悪というふうなものである場合もあると思うのです。そういうふうな悪の面もよい面もこれは教材になり得るのです。しなければならないのです。そうすると、今大臣のおっしゃったようなそういう心配があるかもしれませんが、無難な教材だけを選んで、そうして問題になるような教材は選ばないというようなことがあったら、これはやはり私が当初に申しました教師の積極的な意欲というものを阻害することが大きいのです。もちろんこうした日本の教育の現状でありますし、問題がありますが、角をためて牛を殺すような結果になったら大事な教育の効果が減退するわけなんで、その点教材に対しては教師の良識にまかして、指導助言というような教育長なり教育委員会の権限によって見ていくことが私は大事だと思うのです。つまり教材一つ取り扱って、その問題ばかりを教育長あたりが注意していればいいということになれば、教育行政というものは何にもならないと思うのです。悪い教材を使っても、その教材をどういうふうに使うかというその取扱い方教師の心がまえ、つまり思想も傾向もあるでしょうし、工夫創造というようなものもあるわけなんです。そういう傾向というようなものについて指導助言をするとか指揮監査をするべきであって、私は教材そのものに問題を置くべきじゃないと思うのです。もしそうなったら半面教材さえ承認されればいいんだということになって、生きた教育をするのでなく、死んだ教育をする結果になると私は思うのですが、この点大臣としてはどういうふうにお考えになりますか。
  72. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお問いも前のお問いの続きでございますが、ここにこうあるからと申しまして、あなたのおっしゃる無難なものまでみんな届け出ろ、許可を受けろと書くつもりじゃございません。また書いてもらうつもりじゃございませんので、必要な教育委員会規則を作るというのでありますから、ある場合には届出をせいというておっても、ただしこうこうのものはそれに及ばぬという書き方もありましょうし、それから数ヵ条書いてこのほかは教員で適宜選択せいということもありましょうから、それはその内容いかんによるのでありまして、やはり教材教科書と相並んで、教科書の方は検定もし、採択もし、非常に丁重にやっておるのに、教科書でないということだけで、はや副読本は自由自在というのもそろわぬことじゃあるまいか。しかし何もかも文部省でやるということは今の世の中の議論に沿いませんから、やはり地域社会に沿うてこのくらいのことを教育委員会がする。この合議機関をわざわざ立てて、乏しい日本の地方財政からわずかでも俸給も出し仕事をするのだから、このくらいなことはやるのがいいだろう、こういう考えなんです。
  73. 小林信一

    ○小林(信)委員 そこまで大臣が言えば、私もそこだけを考えればなるほどと言わなければならぬのです。しかし広い全国教育委員会でございますし、いろんな人も出てくるのでございます。そういうふうな教育委員会あり方考えたときに最小限度にこれが使われるんだという前提を考えれば、それは無難でございましょう。しかし今私が申し上げましたような教育の真髄というものを無視するような形になって、これが大きな悪影響を及ぼすこともまた考えられるわけでございます。従って果してこの条項がなかったならば、ほかに何らこれに対して教育長なり教育委員会なりが注意をしたり、指導助言をする機会が与えられておらないかということを考えて参りますと、ほかにりっぱにあるんですから、こんなことを無理にうたって、教師がそれじゃ形だけにしておけというような教育に終ることを心配するわけなんです。大臣があくまでも最低限度のものだというお考えになられれば、教育の根本問題も論議する必要がなくなるわけでございます。先ほどからお話を聞いておれば、主として思想方面あるいは経済的な問題が出ておりますが、私の考えた場合にそのほかいろいろな問題が教材をめぐってあると思うのです。たとえば副読本の程度が高いとか低いとかいう問題もあると思うのです。それが地方の実情に沿っておるかおらないか、先ほど言われましたが、あるいはそれが地方の経済から考え、高いとか低いという問題があるのですが、そんなことを取り上げてそういうところまで世話をやかなければ教師教育をまかせることができないということになったら、日本の教師というものはほんとうにラジオの拡声機に過ぎないことになるのであります。そのくらいの判断教師自身にまかせてよい。そこに日本を再建する教育の大きな責任という問題が生まれてくるのではないか。その場合に出てくる二、三の障害というもの、悪い影響というものを考えて、そうした大きな目的をなくすということは、清瀬文部大臣にあってはそこのところを直してもしらいたいと念願するものであります。  なおついででありますが、この際昨日お伺いした問題について局長にお伺いしたいと思います。きのう私が機関と申しましたら、時間的の期間に局長はお取りになって話が合わなかったのでありますが、ただいま大臣もおっしゃったように、教科書の方は検定もあり、採択機関もできてきておる。その他の教材についてはそういうようなものがないから、届出あるいは承認という制度を作ってやる。こういう御趣旨でありますが、それを了として、これから考えてみますと、きのう申し上げましたように、教科書を採択すると同じように、いろいろ不正の問題も考えなければならぬし、あるいはほんとうに承認ということが教師の信頼を失うような承認の仕方や認可をしたら問題なのであります。やはり教師以上の良識を持ち、あるいは賢明さを持ってその承認というものがなされなければこれは問題なのであります。そういう場合に果して三人の教育委員でよいかどうか、局長はその場合は事務職員もいるというのですが、やはり私は清瀬さんがおっしゃる通り、採択委員というようなものが用意されなければならぬのじゃないかと思うのであります。そういう点については文部省では考えておらなかったのかどうか、これをお伺いいたします。
  74. 緒方信一

    緒方政府委員 教材承認をかりにいたすといたします場合に、その承認について教育委員だけでは不十分じゃないかというお尋ねだと思います。教育委員はこれは午前中の大臣の御説明にもありましたように、教育について識見を有する人であって、教育を大所高所からながめて、教育方針について指針を与え、方針を立て得る、こういう人を選ぶ、こういう建前になっております。従いまして必ずしもこれは教育専門家でなくとも、相当教育に対して識見を持った人が選ばれることになるわけであります。そういう教育委員会の決定によって、この承認は結局において与えられるわけでありますけれども、しかし私きのう申し上げましたように、何も教育委員会の仕事を——教育委員三人とおっしゃいましたが、原則は五人でありますが、五人の教育委員だけでやるわけではありません。この教育委員会の職務権限というものは相当広範にわたっております。行政面もございますし、教育内容もございますので、それはそれなりに応じてそれぞれ事務局の組織がおり、大きい県について申しますと管理関係の仕事も、指導関係の仕事もちゃんと職員がそろっておるわけであります。あるいは大きな都市につきましては、これは相当整備いたしております。この教材関係の取扱いは指導関係の職員が担当することになると思います。従いまして、多くの場合、これはそういう専門の教員の研究によって、十分やっていくことができると私は考えております。ただ今もお話になりましたように、三人の教育委員、これは人口の事情によって少いところもございましょう、そういうところではあるいは事務局の内容も貧弱である、事務局の指導関係の職員も十分でないというところもございましょう。そういうところにおきましては、今もお話がございましたように、教育委員会所管内の学校に専門のそういう先生がおりますから、そういうすぐれた先生たちを集めて研究協議会のようなものを作ってそこで十分検討する、こういうことも考えられると思います。しかしながら私の方としましては、権限としては教育委員会承認を与えることは当然だと存じますし、そのやり方につきまして、一々文部省がこうしなさいということを、何か一律に形を作ってこれを指導しようという気持は、今のところございません。しかしそれは教育委員会考えによりまして、指導組織等が十分でないところは、特別な協議会でも作ってやるということは十分考えられることである、こう考えております。
  75. 小林信一

    ○小林(信)委員 まず第一番に、教育委員会の構成人員の問題をあなたは非常に強調なさっているのですが、その人があらゆる階層から選ばれて良識を持っておるというふうなことをおっしゃるが、それだったら、教科書の採択選考も教育委員会でいいわけでしょう。しかし教育委員会だけでは公正な教科書の選択というものはできないから、実際教科書を扱う人の中からも、父兄からもというような希望が非常に出てきているわけです。そういうような点は別に考えておらなかったわけですか。とにかくそういうものを文部省があらかじめ考えておくのは非常に行き過ぎである。これは地方教育委員会考えるべきことであるというのですが、この条項を深く考えていけば、これはやはり教科書と同じような扱い方考えているわけなんですから、それを選択することを承認するというような場合のことも、私は一応責任考えておかなければならぬと思うのです。そういう責任提案者にはなければならぬと思うのです。だからその点で、たとえばどんな理想を持っておられるかという質問をしたわけなんですが、今のように数だけの問題でいいのか、やはり教科書を採択する場合と同じような、構想の大きい小さいはあっても、そういうふうなものが必要になってくるほど煩雑な問題になりはしないか、こうお聞きしておるわけです。
  76. 緒方信一

    緒方政府委員 今のお尋ねは、私先ほどお答えしたつもりでございますけれども、教科書の選定が引き合いに出されましたので、その点について申し上げます。これは教科書法をこれから御審議願うわけでありますが、そのときに十分に御説明申し上げますけれども、このたびの教科書法がとっております採択、選定の方法といたしましては、一定の地域を定めましてそこで総合的に、統一的な採択をする、こういう方式をとっておるのでございます。従いまして、その区域の中に所属する市町村教育委員会の意見を聞いて、そこに一つの協議会を県の教育委員会が作りまして、そこで選定をする、こういう方式でございます。これは一定の地域におきまして総合的、統一的な採択をするという建前をとりましたので、さような機構を考えておるわけでございます。この教材のただいまの問題といたしまして、これは各学校を所管いたします教育委員会がきめる、これが本来の建前だろうと存じますし、教育委員会それぞれの力により、考え方によって適当な方法考えて、その承認を与える方法考えるべきである、かように考えます。
  77. 小林信一

    ○小林(信)委員 同じような答弁ですが、教育委員会は右に片寄っても左に片寄ってもいけない、この条項というものは、教育が左に片寄ったり、右に片寄ったりしてはいけないという意味も多分に持っておると思うのです。従って教育委員会が右に片寄ったり、左に片寄ったりするようなことがあってはならないし、上から特別な指令がきて、それが教育委員会判断でしてはいけないと思った場合には、自分たちはそれを拒否するということも自主的にあり得ると思うのです。そういうふうな教育委員会とすれば、ただ教育委員会は絶対的なものだから、これが承認すればいいということは言ってはいけない。それでは非常に一方的だと思います。やはり使用する教師あるいは承認を受けようとする人たちの立場からも意見が具申されるような機関を作ってこそ、初めてこの条項が生きてくるのではないかと思うのですが、同じような答弁しか受けられませんので、この問題はこれで終ります。  それから昨日から大臣及び局長答弁が非常にまちまちなんです。局長答弁そのものも一貫しておらないのですが、たとえば「昨日夏休みの友」のようなもの一冊だけ承認を受けるようなことでもいいのですかと言ったら、一冊でもよろしいとあなたはお答えになっておる。これは私には何が何だかさっぱりわからない。非常に形式的なものにも解釈される。一冊でもというようなことならやらなくてもいい。しかしどうでも一冊だけはやってもらわなければ困る。そうしないと、これは法に違反する。そこら辺がはっきりしない。そうしてきょうあたりの答弁を聞いておると、教材と称するものについてはやはり相当なものを届け出あるいは承認を受けなければならぬようにもとれるのですが、昨日は「夏休みの友」一冊だけでも承認を受ける、それでけっこうですという御答弁であった。もう少しそこのところをはっきり御説明願いたい。
  78. 緒方信一

    緒方政府委員 昨日の御質問は、三十三条の第二項の解釈からいうと、その全部を届け出させる、あるいは承認を受けさせるということは必要ない、その一部を届け出させることでもいいのか、あるいは極端な場合には一種類のものを承認を受けるという規定を作ればそれでいいのか、こういう御質問であったように記憶しております。これに対しまして、この解釈といたしまして、理論的にはさように相なります、こういう御答弁をいたしたわけでございます。それは、ここにございますように、「届け出させ、」「又は承認を受けさせることとする定を設けるものとする。」こういう定めは設けなければならぬわけです。しかしながらそのどういうものを届け出させ、あるいは承認を受けさせる、あるいは全然その必要はないという判断教育委員会がいたすわけでございますから、理論的に申しますと、この規定の解釈は、かりにたとえて申しますと、極端な場合にただ一つ種類教材だけを承認させる、こういう規定を作ってもいいかというお話でございますから、さようでございますというお答えをしたわけでございます。
  79. 小林信一

    ○小林(信)委員 その点は了承いたしました。つまり教育委員会自主性にまかせる、そして必ずしもそれはあらゆるものを使う教材を全部網羅するわけではない、こういうふうに承わったわけです。そこでここに「使用」という言葉がありますが、この「教材の使用」についての限界を御説明願いたい。子供が勉強するために自分で店に行って副読本を買ってきて学習に使っておる。あるいは家庭でお母さんやお父さんがこれを使っておる。これも広い教育上から見れば使用なんですね。それから教室というふうな場から考えても、教室で子供が見ているのですから、これは使用です。それから先生が実際にそれを取り上げて授業する形でもって使うというふうな場合、この「使用」というものは非常に問題があると思うのですが、これに対する御見解はどういうふうにお持ちになっておりますか。
  80. 緒方信一

    緒方政府委員 この「使用」と申しますのは、いろいろ例におあげになりましたけれども、子供が任意にうちで使うといったようなものを含んでおるわけではありません。学校教育法二十一条の二項におきましても「使用する」という言葉を使っておりますけれども、これは学校教育といたしまして教室で使う教材、こういうふうに解釈いたしております。
  81. 小林信一

    ○小林(信)委員 そこも、この条項をこうやって堂々と掲げる以上は、もう少し明確にしてもらいたいと思うのですが、学校で使うということはさまざまあると思うのですよ。教師責任になるというふうな場合とか、教師責任にはならないというふうな場合とか、そういうような限界をはっきり作っておかなければならないと思うのですが、これはまたあとで御研究願ってお伺いすることにいたします。  今度ここへ出されたこの「使用されるものの例」というのは、これはごく一部だというお話なんですが、これについて多少お尋ねいたします。局長は、これをあらかじめ学期の初めあるいは学年の初めに届け出ろと言うのですが、副読本はどんなものを使うか、あるいは解説書はどんなものを使うかということは非常に簡単でいいと思うのです。ところが新聞というふうなものは、新聞社の名前を届け出ればいいのか、あるいはその中の談というふうなものを出すのか、ここら辺も、この際でございますので、やはり見解を承わっておきたいと思うのです。  それから、新聞などは一応新聞社の名前だけでいいというのであるならばとにかくですが、その内容等に立ち入るということまではおそらく考えておらぬと思うのですが、あるいはそうかもしれぬ場合がありますので、お伺いいたします。  それから、ここに映画フィルムというのがありますね。いなかの学校ではときどき子供を連れていって一緒に映画を見せるのでありますが、これは映画フィルムの中に入るのか、あるいはこれは別個に考えているのか、ここら辺は非常に問題なんですね。一々届出をして映画を見せに子供を連れていくというようなことをやるのかどうか、まずこれだけをお伺いいたします。
  82. 緒方信一

    緒方政府委員 先ほど来お述べになりましたように、学校教育活動におきまして教師教育意欲というものを阻害するようなことがあってはいかぬということは、御意見の通りだと存じます。従いまして、教育委員会におきましても、これらの規定を作ります場合に、その点は十分考慮して作られると私ども期待いたすわけでございます。従いまして、今おあげになりましたような新聞とか、あるいはラジオでございますとか、かようなものにつきましては、必ずしもこれは一々届けなければならぬというふうな規定を設けるべきものじゃないだろうと思います。ただしかし、場合によっては、教育委員会考えといたしまして、ただいまおあげになりましたように、学期の初めに教育計画を立てますので、その際にこれこれの新聞教材として使う、こういう計画であるということを届け出させる方法もあろうかと存じます。その方法につきましては、ただいま私が申しましたような心がまえの上で、教育委員会がこれを作られることを私ども期待いたしておるわけであります。  なお、映画を見せる場合に、これはどれに当るかというお話でありますけれども、ここには一応例として掲げたのでございまして、物の面から見ますと映画フィルムになると思いますが、内容の面から申しますと映画に出てくる内容の事実だと思います。これはやはり教材として考えてよろしい。教材として使用されるものと相なるだろうと存じます。これも同じようなことを申し上げるわけでございますけれども、教育委員会としまして、必要な場合にどの限度に事前に届け出させるという規定を作るかは、教育委員会の必要によって作るわけでございます。これはいろいろきめ方はあろうかと存じますけれども、特別の場合については、これはこういう場合には届け出ろというような規定もできましょうし、それから一般的に学校にある方針を示してまかせるということもできましょうし、いろいろ地域々々の事情によってその委員会自体の判断によってきめられることと存じます。
  83. 小林信一

    ○小林(信)委員 表面は法律があってもそう大した影響はないのだということをおっしゃりながら、事実においては、その教育委員会自主性によって、判断によってというようなことになれば、これはどこまで取り締られるかわからないわけです。新聞などそのまま届け出させて、何々新聞でなければいけないというような限定というようなものがおそらく出てくるのではないか。もちろん一つ新聞でなくても、この新聞とこの新聞とこの新聞がよろしいというようなことを向うが出されてくるだろうと思うのです。放送なんかでも、まず国内放送とそれから外国から来る放送とがありますね。そうして今度は国内放送にもローカルがある、あるいはNHKもある。こういうふうなものを一々届けるのかどうか、そういうふうなものを認可を受けるのかどうか。もしそれが自由でいいというなら、放送というものは、これはもう問題はないわけです。放送というようなものは届け出る必要がないということになる。それがあるからには、どこの放送は聞いていけない、どこの放送は聞けというようなことにするのか。ともかくこれは責任を持ってお書きになったのですから、放送というからには、どこの放送は聞いてよろしい、どこの放送は聞いていけないということになると私は思うのですが、いかがですか。
  84. 緒方信一

    緒方政府委員 ここに放送と掲げましたのは、ラジオの放送もテレビの放送もいろいろございますが、こういうものが学校教材として使用され得る場合もございましょうからここに例として掲げました。そこでこれをいかような工合に届出をさせるかということにつきましては、これは何べんも繰り返すようではなはだ恐縮なんでございますけれども、教育委員会判断して適当な方法をきめると思います。御承知のように文部省でもいろいろと視聴覚の研究等をしておりますし、学校教育放送等につきましてもいろいろ研究したりしておりますので、場合によりましては、その面の積極的な指導というものを文部省としても教育委員会に対していたすことに相なります。でございますから、教育委員会といたしましては、学校学校教育に取り入れたいという放送をあらかじめ届け出させておいて、そうしていろいろ研究いたしまして、文部省指導等によってさらにいい教育に利用するために、より効果的な教材として、適当な放送であるということになれば、それを積極的に指導するという面も出てくるかと存じます。でございますので、教育委員会としての判断によりまして、その必要によって積極的に届け出させるという立場をとる教育委員会もございましょうし、あるいは刻々のニュース等を学校教育教材として取り入れるのに一々届出をさせなければならぬということを考えるところはまずなかろうと思いますので、そういうものは学校にまかせる、そういう態度をとるところも出てくるだろうと思います。でございますので、一律にここに掲げましたからといって、これを全部届け出させるためにここに例示をして出したということではございませんので、御了承願いたいと思います。
  85. 小林信一

    ○小林(信)委員 私はそういうことを聞いているのではないのです。つまりこれは、承認を受ける、あるいは届出をする、そういう教材の列挙だと思うのです。されるべき範囲内に入るべきものだと思うのです。それはもちろん教育委員会自主性によって届出をしなくてもよろしいという判断もあるかもしれぬ、あるいは届出をしろという教育委員会もあるという、こういうお考えでしょう。だから放送ということもここに書いたと、こうおっしゃるのでしょう、そうですね。そうすると、きょうの日本に行われる国内放送と国外放送——この問題はあるかもしれません。どこの国の放送は聞いちゃいかぬというようなことは、これはほかの国の問題ですから考えられないとして、国内放送の問題だけを考えていきますと、どこかに聞いていけない放送がありますか、放送局がありますか、それを私は聞くのです。おそらく私の判断では、どこの放送局の放送を聞いても、現在の教育事情からすれば絶対問題ないと思うのです。その問題ないものへ、ある場合にはどこどこの放送局の放送は聞いてはいけないということがあってもよろしいということを、あらかじめあなたはここで証明していいることなんですよ。もし日本の現在の放送で、世論がこれだけ批判をして、ローカルなんかでまずい放送なんか聞かないというふうに世論が判断をしているときに、しかも商業的にやっている放送というものは、それはやっぱり多少行き過ぎもあるかもしれませんけれども、それくらいのものもやっぱり聞かせなければ、あるいはそれを利用しなければ、私は生きた教材じゃないと思うのです。その日本に行われている放送局、あるいは番組、そういうふうなものに対して取り締れ、ただ黙認しちゃいけないぞというようなことを暗示する態度だと思うのですが、どうですか。
  86. 緒方信一

    緒方政府委員 どうもここに掲げましたから、このことは全部規制するために、これは聞いちゃいかぬというために届出をさせるというふうに御解釈のようでございますけれども、必ずしもそう言っているわけじゃございません。教材の選択、これは申し上げるまでもございませんけれども、教育効果を上げる上にどういう教材を選んで使用していったらいいかということは、教育的な観点からいろいろ研究しなければならぬ問題でございます。そういう意味におきまして、その責任を持つ教育委員会が、いかような教材を使うかということをあらかじめ知るということは、これは場合によりまして必要だと思うのです。でございますので、先ほど私が申しましたように、必要があると考え教育委員会におきましては、放送についてもどういう放送をどういうふうに取り入れるかということを届けさせることもあり得ると思うのです。
  87. 小林信一

    ○小林(信)委員 あなたはこの問題についての答弁の中で、教育委員会が最高の、最終の責任を負わなければならぬ、だからこういう条項を作っていかなる教材を使うかということをあらかじめ承認をする、自分たち責任者であるから、そういうふうなものをあらかじめ届出をさせる、あるいは承認をするなんということを、繰り返しお述べになっております。今も、結局それでもって問題は解決するんじゃないのだ、こうおっしゃっておるのですが、最終の責任というものを持っているだけに、あらゆることについて指導、助言がある。そういう責任を感ずれば——すわって教育行政をやっているんじゃないのです。始終先生教育指導状況、指導の傾向、あるいはそれによって受けるところの子供の影響、こういうふうなものを見てこそ、初めて最終責任を負うというものが出てくるわけなんです。従ってそのためにはいろいろな権限で与えられておるわけなんですが、その最終責任を負うという意味からいたしましても——自分がすわってさえいて、何をやっているか机の上でもってすでにわかる。それにもし違反した場合には教育的効果が抹殺される。その場合には、この教師はこの条項に違反したからやめさせてしまえという権限がありさえすれば、教育というものが、成り立つという考えが私はうかがわれるわけです。最終責任、最後の責任、最高責任者というものは、やっぱり私はそれだけに常に教師の動向というものについては実際に見ていなければならぬと思うのです。見ておって、教材そのものよりも、教材の取り扱い方、取り扱う傾向というようなものに注意をしてこそ、初めて最高責任を負うことができるのです。教材へ問題を持っていくことは、まことにあなたのおっしゃる最高責任というものを形式的にするものだと私は思うわけです。今のその問題についてのお考えを私お伺いしたいと思うのです。  放送の問題ですが、やはり教材である、これを取り扱う場合には届け出ろというのですが、そこまでいけば、どこかの教育委員会では、きょう日本のどこかで放送されておる放送はある場合には否定されることがあり得る、こういうふうに私は予想もされるし、ある場合には、この放送を聞かなければならぬ、こういう放送は聞いちゃならぬという指令によって、教育というものを統制する機会も生まれてくるというふうにも曲解をしなければならぬわけなんです。これは曲解でなくして、すべてこういういう法案審議の場合には、最悪の場合も考えなければならぬと思うのです。ここへ放送と出て、放送局の名前あたりまで一々承認を受けなければならぬというようになったら、日本の教育というものは徹底的に縛られていく、こういう印象を受けると思うのです。放送なんかのことについては届出をしなくてもよろしいという積極的な考えをあなたたちの方から出してこそ、初めて教材に対して何か規定する考えをもっとりっぱなものにすることができると思うのですが、どうですか。
  88. 緒方信一

    緒方政府委員 あとの方の御質問からでございますが、教育効果を上げるために、教育委員会が、教材がどういうふうに使用されておるかということを知る必要は、やはりこれはいなみ得ないと思います。でございますから、ここにあげましたのは、こういうものが教材として使用されるであろうという例としてあげたのでございまして、これを全部どこでも、届出をさせたり承認させたりするというふうに考えているわけじゃございません。今おあげになりましたいろいろなニュース放送等は、おそらく常識的に考えましてもさほど問題にすることはなかろうと思います。しかし極端なことを申し上げますと、一年生の子供に非常にむずかしい、かりにニュースにしましても——そういうことはないでございましょうけれども、むずかしい放送を聞かせるということであれば、それはやはりおかしいんじゃないかという感じもするのでございますから……。
  89. 小林信一

    ○小林(信)委員 そんなばかな質問をしておるのじゃございませんよ。そんなことまで心配しなければならぬのでは、日本の教育行政はできませんよ。そんなことは指導助言で簡単にできるじゃないか。
  90. 緒方信一

    緒方政府委員 教育効果を上げるための必要からこういう規定を設けることをこの三十三条は規定しておるということを説明いたしておるわけでございます。極端な事例を申し上げましたのはまことに恐縮でございますけれども、しかし先ほどからそういうことを御説明しているということを申し上げたのであります。
  91. 小林信一

    ○小林(信)委員 これは速記録に載りましたから、この法案を出す日本の政府教育理念というものがはっきりしたと思うのです。低学年に聞かしているラジオの放送が程度が高いから、こういう法律を作ってこれを取り締らなければ、適切な教育が行われぬなんという——指導助言という言葉はどこにいっているのですか。あなたはそれでも、教育行政に携わる人として恥かしくありませんか。もう一ぺんお伺いいたします。
  92. 緒方信一

    緒方政府委員 今極端な事例をまげて、何と申しますか、御説明の便宜として申し上げましたけれども、法律趣旨というものは先ほどからお話しておる通りでございます。ここにあげましたのは、繰り返して申し上げますと、こういうものが教材として使用されますから、教材という範囲はこういうようなものであろうか——まだこのほかにもございます。これと限定しておるわけじゃございません。教材として問題になるのはかようなものであろうかという例を掲げたのでございますから、御了承願います。
  93. 小林信一

    ○小林(信)委員 内容を説明するために極端な例を取り上げた。隣りにおいでになる清瀬文部大臣は、きのうから繰り返して、あなた方はそういう極端な例を取り上げてこの法案に反対されているというけれども、やはりお互いにこういう極端な例を取り上げないとはっきりしないからやるわけなんです。しかしあなたの言う極端な例は、日本の教育の権威を失墜するものだと思います。そういうふうに私は感じております。  その次にお伺いいたしますが、雑誌という条項がございます。雑誌という種類がございますが、今各出版社から出されておるあらゆるものの中から図書館なんかに設置される場合に、やはりこれは認可を受けるのか、許可を受けるのか、あるいは承認を受けるのか、受ける場合としたら、これらはどんなふうにお考えになってこれをお書きになったのですか。
  94. 緒方信一

    緒方政府委員 これも同じように御説明をするほかございませんけれども、いろいろ出されております雑誌を学校教育教材として取り入れる場合もあろうかと存じますので、この教材として使用されるものの例の中に雑誌を掲げたということでございます。そこでそれぞれの教育委員会におきまして、雑誌を教材として使用する場合に、必要があると考えれば、やはり届けて下さいということを学校に対して求める場合があると思います。あり得るでございましょう。あるいは生徒に全部買わせる、そしてそれを使うというような場合もあろうかと思いますが、そういう場合に、やはり生徒の父兄の経済的な負担という問題もございましょうから、そういう観点から承認を受けさせるとか、あるいは届出をさせる、こういう規定はやはり作られる場合があろうかと存ずるわけであります。
  95. 小林信一

    ○小林(信)委員 初めての問題になるのですから、いろいろ食い違いが出てもやむを得ないことなんですが、私のお聞きしたのは、この雑誌の問題で、図書館なんかに子供の読みものを備えつけようとする際、今までは大体教師の良識によって何百冊、何千冊というものが用意されたわけです。ところが今度は局長のお言葉をかりれば、全部とはいわない、しかし中には承認を求めなければならぬとか、そういうことがあり得るという特殊な場合を予定している。そこでこれについてお話を承わりたいと思うのですが、そういう場合に、図書館に設置する何百冊、何千冊のいろいろな子供の読みものというようなものを備えつけるときに、どういうふうにして承認を受けるのですか。ただ買ってきたのではだめなんですね。買ってきてしまうと、先生が自腹を切るかどうかというような非常にわずらわしいことになるのですが、やはりこの法案を作るときには——盛んにうしろからメモをお出しになっているようですから、地方課長でもよろしいですが、そういう場合には、どういうふうに構想されてこれをお作りになられたか。とにかく地方教育委員会が迷惑になったり、繁雑になったり、混乱したり、それから教師から責任が薄らいだり、情熱がなくなってくるようなことはめったにすべきものではないと思うのです。やはりある程度自主性を持たせて、責任を持たせるところに私は教育があると思うのですが、こういうことをやり得るところがあるとしたならば、おそらく私はそういうところの教師はほんとうにでくの坊で、教育は絶対にできないと思います。そういう場合のことを想像なさって御答弁をお願いいたします。あなたのは、どうもあり得るとかどうとかいうことでお考えになっているのです。
  96. 木田宏

    ○木田説明員 先ほどからお答え申し上げておる通りでありまして、今御指摘のような場合に、教育委員会承認を必要とする、こういう規則が作られる、そういったことを申し上げて御説明を申し上げたわけではなかったと私は存じておるのでございます。雑誌につきまして、そういった場合にそれを教材として使って、しかも一律に父兄の負担を引き起すというような事例も起ることでございましょうから、そういった実情に即して教育委員会届出なりあるいは承認を要する、こういう規則を作ることはあるかもしれません、また規則を作ることはございましょう。雑誌について従って教材範囲からはずれておるとか、雑誌についてそういった届出承認規定が作られないとか、そういうふうに申し上げることは、これはここでは予定できないことでございます。教育委員会先生の御心配になっておりましたような、いかにしたならば教育振興に役立つか、しかも父兄の立場も考えながら学校教育をよくしていくかという観点から必要に応じて措置をとる、こういうことでございまして、学校図書館の図書の場合に、これをどのようにして承認さすか、おそらくは良識ある教育委員会がそういったことはやらない、こう考えておるわけでございます。
  97. 小林信一

    ○小林(信)委員 おそらくやらないというそういうことが果して言えますか。いよいよ文部省にこれから実権ができるから、そういうことはやらなくてよろしい、そういうことがあなたに予想されるからですか。
  98. 木田宏

    ○木田説明員 良識ある教育委員会にそういった点の権能をゆだねておるわけであります。それを教育委員会が適正な判断に基いて処置するわけであります。(「適正な判断に基いてやるなら要らぬじゃないか」と呼ぶ者あり)
  99. 小林信一

    ○小林(信)委員 あなたとの話し合いになってから非常に抽象的になってしまって、具体的な問題をごまかそうとするのですが、実際こういう際詳しく御意見を承わっておかぬと、今後この法律が通った場合に、その運営の上でいろいろ問題が起きてきたときに、こういうように速記にあるということが私たちは大事だと思って、なるべく具体的な問題に触れようとしておるのですが、良識ある教育委員会が適当に判断をするだろう、あなたはそれだけしかお答えにならないのです。それよりは良識ある先生に一切まかせておいた方がいいわけです。問題はここに書かれた以上——きのうこのパンフレットを要求した辻原君がおそらく届出をしなければならぬ、それも特殊な教育委員会ですよ、全部とは私は申しません、特殊な教育委員会があって、届出をしろという場合に、どういうふうなものがその範囲の中に入るのか、こういう質問でこれが出てきたわけであります。その中に書いてある雑誌です、その雑誌を書いておきながら、おそらく良識ある教育委員会が適当に処置されて、そういう問題は問題にならないでしょうという、何という無責任な御答弁です。しかし万一あるということを仮定してあなたはお考えになっておると思うのですから、そこのところは今後どういうふうにやるかということを具体的に一つ述べていただきたいのです。
  100. 木田宏

    ○木田説明員 万一そういうことがあると仮定してというお尋ねですけれども、この教育委員会がここに規定してあります趣旨によって規則を作ります場合に、私どもはそういうことを予定しておらないのでございます。
  101. 小林信一

    ○小林(信)委員 予定しないということは、どういう根拠があって予定しないのですか。
  102. 木田宏

    ○木田説明員 先ほど局長もいろいろと御説明申し上げましたように、図書館の図書の購入について一冊々々承認を要する、こういう規則を作りますことがここの法案の三十三条第二項の趣旨に適合するもの、こう判断する、そういう教育委員会というものは実際から見ましてあり得ない、こう想定いたしております。
  103. 小林信一

    ○小林(信)委員 そうすると、この際学校の図書館に設置する図書については、承認あるいは許可を受ける必要がないとはっきりおっしゃったらどうですか。
  104. 木田宏

    ○木田説明員 今の御質問は、私の御説明につきまして御了解の違いがあると思いますから申し上げますが、学校図書館の本について承認を要しない、こういうふうに申し上げたのではないのでございます。図書館の図書を購入いたしますにつきましては、ただいま私が申し上げましたのは、一冊々々についてその都度その都度承認をとるような趣旨ではない、こう申したのでございますけれども、それは図書館の本については一切承認ということがあり得ないというふうに御説明申し上げたわけではないのでございます。
  105. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この小林さんのことは、問題自身がはや答えをしていると私は思うのです。今、この雑誌、図書は教材として使用というのですね。よく第二項をごらん下さい。学校における教科書以外の教材の使用について、先刻局長が教室において使用すると言ったのは、少し言葉が足りません。たとえば夏休み帳は家でやるのですから、(「家でやるとはきまっていない。」と呼ぶ者あり)けれども先生には出すのです。それゆえに学校における教科書以外の教材で、学校図書館は何万という本を蓄積して、必要に従って先生の研究にも供するし、地域社会の研究にも供するし、またときには子供もそれを放課後に見るという便に供するのでありますが、今われわれがここで問題としているのは、学校における教科書学校における教材、こういうものでございます。そこで雑誌でありましても、ある雑誌をいいと称して、先生教材にしようという場合には、父兄の御負担があまり重くなりはせぬかとか、あるいはまたそのほかの見地からして、そういう雑誌は一つ考えたらどうだということも浮びましょう。それゆえに今研究しております今回の案の三十三条、わけてもその第二項の承認とか届け出ということには問題ははずれているのでございます。
  106. 小林信一

    ○小林(信)委員 だから大臣、私は初めに教材の使用とはどういうことであるかということを局長にお伺いしたのです。教材の使用というのは、家庭で子供が読む、こういうものは入るか、あるいは学校で使う教科書の参考書に子供が買ってきて、自分自身で見ているものは教材使用ということになるか、それから授業時間一齊に副読本として扱うようなものだけが教材としての使用ということになるのか、見解を私は聞いたのです。そうしたら今のあなたのおっしゃることは、だいぶ局長の意見とは違っておりますよ。一つ二人でよくそこのところを相談して、教材使用の限界をもう少しはっきりしていただきたいと思います。大臣、私の言うことをもう少し落ちついて聞いて下さい。そんなことは常識だとおそらくお笑いになるかもしれませんが、私たち実際に授業をやって子供を扱ってきた経験のある者としては、やはりこういう問題が出てくると思うのですよ。一つ二人で相談してもう一ぺん局長、いかなる言葉教材として使用ということになるのか、それをお述べ願いたいと思うのです。そうお年寄り、あわてないで。図書館という問題は除外されるというようなことになりそうなんですが、これは学校に常設するものですよ。いつ行って子供が読み、それを題材として授業が行われるかわからぬし、指導が行われるかわからない。とにかく子供が読んでいれば、先生がそこへ行って図書館の本を読む傾向、読みぶり、把握の仕方、こういう問題については先生指導を怠ったらおかしいのです。教室の中の授業だけが教育じゃないのですから。そういうふうに考えていくと、図書館なんかはりっぱにそのまま教材なんです。私はそういうように考えるのですが、これを教材としておのけになるならば、図書館のは教材という範疇に入らないとはっきりおっしゃっていただけばいいのです。とにかくお二人の意見が合っていませんから御調整願います。
  107. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それではお答えいたします。教材として使用するということは、学校における教育活動の一環として採用する材料でございます。
  108. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいま大臣からお答えになった通りであります。
  109. 小林信一

    ○小林(信)委員 そうすると学校図書館はいわゆるその問題になる教材でない、こういうお考えでよろしゅうございますか。
  110. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私の答えましたのは、図書館に収蔵する数万冊の本を、これを一つ一つ教材とは考えておりません。
  111. 小林信一

    ○小林(信)委員 それでもいいのです。その中から引き抜いてきて今度は取り扱うときに、それが教材だ。その引き抜いてきた場合には、すぐ隣りであるけれども、教育委員会にこの本を使ってよろしいか聞いてくる、こういうふうに繁雑になってもいいのですね。
  112. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それが教育活動の一環として採用され、子供にもそれを使わすという時分には、たくさんの本ですからいろいろな本がありましょうけれども、これを教材として使用する時分には、やはり教育委員会の意見を尊重しなければならない。
  113. 小林信一

    ○小林(信)委員 結局今私が言った通りだというふうになるわけですが、これは非常に大臣もう少し——大臣は具体的に学校教育の実情をお知りにならぬですから、私これ以上は責めようとしませんが、ここはあまり老いの一徹でもって我を通さないようによく実情をお聞きになって、そうして適切な御答弁をしていただいた方がいいと思う。学校図書館の書物は、子供がいつでも行って読んで、そうして子供教育のためになるという、そういう考えがない以上は図書館というものは成り立たないのです。それをいよいよその中から一冊でも引き抜いてきたときに初めて教材になるので、そのときには教育委員会の認定を受ける。局長地方教育課長もそれでよろしゅうございますか。とにかくこの問題は、この法律を作る人が学校教育の実情に対してこんな無責任な無関心な態度でもって法案を作ったかというような大きな批判を教員諸君から受ける問題だと私は思う。まことに小さい事柄でございますが、とにかくそれだけにこの条項というものは十分御検討にならなければならない条項だと思う。おそらくこれはもっとしばるようなところはないかというようなことで、あとからつけ足したような形になっているものと私は判断せざるを得ない。  以上で私は、これ以上清瀬文部大臣を煩わすことを避けて、これで失礼いたします。
  114. 辻原弘市

    ○辻原委員 関連して。今の小林委員質問でありますが、これは考えようによると、非常に極端というあなた方の答弁であるかもわかりませんけれども、しかし法律はやはり、かりに常識がどうあろうとも、極端な場合の例を考えておいて、その極端な場合の例に不都合があれば法律は是正しなければなりません。従って今一例を学校図書館の問題にとっておりますが、この点に対する解明がきわめて不徹底であります。それは大臣教材というものを届け出させ承認させる原則的な理由として、学校教育の一環である場合においてそれが教材となり得るのだからそれが対象になるのだ、こういう答弁でありましたね。それは間違いございませんか。
  115. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ここで学校における教科書以外の教材とは、教育活動の一環として採用されるものでございます。
  116. 辻原弘市

    ○辻原委員 そうするとこれは物理的に言う学校というふうに限定する考えであると私は承わりましたが、差しつかえございませんね。
  117. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 少くとも今研究いたしておりまする三十三条第二項で教材といっておりまするものは、法案に書いてありまする通り学校における教科書以外の教材の使用について、」こういうことでございます。
  118. 辻原弘市

    ○辻原委員 大臣がはっきり申されましたので私もその点ははっきりいたしておきたいと思います。それは私が物理的にとあえて申し上げましたように、いわゆる学校というその中で行う教授内容において取り扱われる森羅万象その他すべての教材をもって対象としているということになっておる、こういうふうに理解をいたしておきます。
  119. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 いや違います。学校というのは物理的の、あなた手でこうなさったが、物理的の建物、敷地だけじゃないと思う。学校教育として先生がやっておることは、子供の学習を中心として薫陶教化をやっておる。でありまするから、家庭へ持って帰って夏休み帳を作るのも学校における教育であります。そこのところがあなたの了解と少し違いましたから、お手の動かし方で私は気がついてこれはいかぬと思ったので申し上げておきます。
  120. 辻原弘市

    ○辻原委員 身振り手まねはしないでもわかるように一つ聞いておいてもらいたい。私は正確に物理的にと申し上げた。あなたの方はわざわざ条文を読み上げて、学校における場合だけだ、こういうふうに申されたから私はそういうふうに理解をしたのです。ところが私の常識ではそうではないと考えておった。それはおかしい、学校教育の一環として取り扱うべきものを全部言うのだ、こういうことになりますと先ほどあなたが小林委員質問に答えられまして学校図書館の例をあげましたね。そのときに小林委員が念を押しましたから、速記録に残っておると思うのですが、図書館がありまして子供はその中から随時本を持っていきます。先生はそれゆえ学校図書館についての使用その他を教育指導いたすでありましょう。指導しなければ学校図書館というものの存在価値がないのでありますから、その中から子供が持ち帰ってうちでいろいろ読みます。ところがあなたはその場合において子供が使用すべきものはこれは教材ではない。だから届出の必要はない、こうおっしゃる、ただ先生が引っこ抜いてきて教室で自分が数える素材とする、教材として活用する場合において初めてそれは届出の必要が生じるのです。こうおっしゃる、それでいいですか。
  121. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それも少し違うのです。学校図書館というのは、これは学校図書館法の第二条なのでございまするが、子供の使うものだけじゃないので、教師用のもあるのです。それから法律教師用、児童用といっておりますけれども、地方文化のために地方人にも示すように充実するだろうと思います。その図書館の蔵書ということと、個々の学校における教科書以外の教材というのとは少し意味が違うということを申し上げておるのです。この蔵書をほかのことで教育委員会は見るかもしれませんけれども、この三十三条の第二項で、学校図書館の蔵書について規定をするということではございません。
  122. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 辻原君、簡潔に願います。
  123. 辻原弘市

    ○辻原委員 これは委員長大事なところですからとっくりこういうことは大臣に聞かしておかなければならぬ。もちろん法律は限定をいたしません。学校図書館というからの問題ではなしに、学校図書館の中にある蔵書、これの教材的価値を論じておるわけなんです。あなたはそのうちで児童向きのもあるし教師用のもある。ですからその場合においてどういうふうにおっしゃっておるのかわかりませんですが、私はすべて教材であると思っておる。これはすべて教材である。その教材という意味は学校という物理的の範囲内においては俗にいわれる教材ではないかもしれませんけれども、あなたの先ほど訂正された学校教育範囲において活用されるということであれば、あながち児童用書だからこれは教材には適しない。教師用書のみが教材である、そんなかた苦しいことは今日の教材概念にはないと思う。この点は局長どうですか。
  124. 緒方信一

    緒方政府委員 先ほどの大臣の御答弁は、(辻原委員「いや私の問いに答えて下さい」と呼ぶ)学校図書館の歳書は、法律にもございますように、児童生徒の利用に供する本と、教師の用に供する本と両方ございます。でございますから全部これが教材であるというふうには考えられないわけでございまして、児童生徒用の図書につきましても、教材として利用されるものがあると思います。
  125. 辻原弘市

    ○辻原委員 そういうかた苦しいことを言うから、そういうふうなごりごりの頭で言うから、いわゆる官僚行政、教育が官僚によって支配されるというような言葉がそこから出てくるのですよ。たとえば私は確かに図書館というものの蔵書を分ければ、法律に書いてあるように児童用あるいは教師用、そういうランクはついておるかもしらぬけれども、教材に活用するのは、教育者その人の考え方によるわけなんです。現実にそうでしょう。たとえば児童用読みものの中に中江藤樹という人がこういうような一生涯を送った有名なこんな話がある、先生はその話をもって教材にする場合はありませんか、どうですか。そういう場合は私は何も教師用書だけを教材として活用するのではなくて、児童用のものの中にもずいぶんそういう教材となり得る価値のあるものがあると思う。またどれを持ってきても教材とするだけの先生の教授力がなければ、少くとも今の先生教育者としての資格はありませんよ。そんな先生はおそらく私はないと思います。教師用書だけ見て教授をしておるというような先生はおそらくないと思います。緒方局長にこの点聞きたいと思います。
  126. 緒方信一

    緒方政府委員 そこから持ってきて教材として使用することがあるということを申し上げたのであります。
  127. 辻原弘市

    ○辻原委員 そういうところから持ってきて教材にすることがあるのですか。簡潔に答えて下さい。
  128. 緒方信一

    緒方政府委員 お答えします。児童生徒用の図書は教材となります。
  129. 辻原弘市

    ○辻原委員 そういうことになれば、大臣が先ほど言っている教師用書は、これは教材となり得る、しかし児童用の物は、これは子供のものだからその対象にはならないというのは、現実におかしいじゃないですか。児童用書も教師用書もとにかく図書館の中に詰まっているこの本はすべて教材としての価値があるという意味になりましょうか。そうするとセレクトするというのはおかしい。違うといって手を振っているがどうなんですか。
  130. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この図書館の問題はこちらから申したのではないのです。あなたの方から学校図書館と言われたので、学校図書館法を引用するに至ったのです。学校図書館法をごらん下さると、ここで、「図書、視聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによって、学校教育課程の展開に寄与する」、これが学校図書館なんです。この学校図書館はそれゆえに図書のほかに他のものをも図書館資料に収集いたしております。それで、これを教材として使用する場合には、これによって教育委員会に届け出たり、場合によっては届け出ぬでもいいという規則を作るかもわかりません。図書館にあるものが教材として使用される時分には教材の扱いを受ける。そうでない図書館、つまり先生だけの見るものもありますし、あるいはだんだん学校が古くなりますと、数万冊になり、その地域社会の歴史なり、郷土の歴史を書いたものも収蔵いたすでありましょう。けれどもこれを教材として使用する場合には、教材の扱いを受けるのです。これは非常にはっきりしておると思うのです。ただ、図書館ということを言い出されたのは、あなた方が言い出されましたので、始終教材として使用しておる場合には、教材の扱いを受ける、図書館の数万冊の蔵書自身を教材とは見ておらぬということであります。
  131. 辻原弘市

    ○辻原委員 そうしますと、もちろん最初から数万冊の蔵書全部について許可を得るということではないでしょうけれども、しかしそれ自体あなたは先生が単に読むもの、児童が単に読むものと言われますけれども、単に読む場合、単に読まずして教材として活用する場合もあるわけですね。そういたしますと、そのつどその数万冊の中から、きょうはこれを引例して使いたい。あすはこの参考書を一つの基礎として使いたい、これは児童に教材的価値を持っておるということにおいて読ましたい。こういう場合においては初めから届け出ることは要らないけれども、そのつどかりに数万冊あろうが、十数万冊あろうが、やはり逐一それは届け出、承認を得なければ教材として活用できないということになりますか。
  132. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはきのうの初めに戻ることで、教材はみな届出とは書いてないのです。必要なものは届出であります。そこで学校図書館に収蔵するときに、おそらくは教育委員会承知の上のことでありましょうから、学校図書館などに収蔵して、しかも児童用のものについてはそれを許可を受けなどという規則は、おそらくできないものと思います。しかし何ぼいい本でも、大きくなって、先生だけの理解がある時分に、先生用のトラの巻を生徒が教材として先に読んでしまうということは悪いことではありませんけれども、教育の上ではあまり役に立たぬことと思います。しかしながらそこの本を児童に見せべからずなんというふうな、そんなことはない。きのう初めから申しておる通り、すべての教材をみんな届け出させ、みんな承認を受けろとは書いてない。おそらくは学校図書館にある本は、悪い本はなかろうと思いますから、それは緩和した規定ができるだろうと思います。
  133. 辻原弘市

    ○辻原委員 みんな規定することはないだろう。こういうことは書いてないと言いますか、みんな規定してはいけないということも書いてない。だからあなたの御議論もこれは仮定であります。だから私は前提を申し上げたように、いろいろな場合を想定しておかなければ、ここで先ほど小林委員も言っておりましたようにこういう内容において作らせるのだというようなサンプルがあれば、これは的確でありますけれども、しかしそれが全然ないわけです。あげて委員会の自主的な判定においてきめさせるのだ。法律はしかもその間に膨大な内容を含んでいるわけです。それだから申し上げておるのであります。必ずしも学校図書館を省くというような限定を全部が全部するとは限りません。また学校図書館のみに限らず、学校で持っておる蔵書についても、使う場合には逐一それをやらなければならぬということになるので、もしそういうことが除外されるということになれば、あなた方が考えている一つ目的が充足されないということにもなる。しかしそういう具体的問題は論じておってもつまりませんが、ともかく教材として使用される場合には、これは全部一応届出をしなければならぬという煩瑣な事実が起るのだという例証であります。そういうことが実際問題として行えるかどうか、また教材的価値ということも伺ってみなければなりませんが、いかなるものをもって教材的価値というか。一冊の雑誌であっても、どう取り扱う場合にこれが教材となり、取扱いによって教材とならないような場合も私はあり得ると思う。その点も伺っておきたい。  関連でありますので簡単にやります。あと一問、これは重要な問題でありますのでお伺いいたします。  私は先ほどからのあなた方の答弁を聞いて、課長もそうでありますが、局長答弁も、ちょっと私どもの耳ざわりになる点がある。それはどういう範囲においてきめよということも書いてたいし、また全部を規定せよとも言っていない。あげて委員会の自主的な判定に求めているという背後には、それはその地域の実情に即してまことにけっこうなんだ、私はそれであなた方の考え方、思想が一貫しておるならば、まことにここで見直したと申し上げたい。ここでお伺いしたいのは、前提があるわけです。それはだんだん聞いて参りますと、この法律もそうですが、教科書、それからその他の教材というものは何らかランクづけをしておるように思えてならぬ。少くとも従来文部省がとってきた教育内容に対する指導方針というものは、教科書を含んで教材という考え方であったと思う。法律に書く場合には教科書を別に除いておるが、観念として、思想として、教科書それ以外の教材というものに対する価値判断をあなた方はどうしておられるかという点は、私は非常に重要だと思います。教育的に教科書、それ以外の教材をどういうふうに価値判断をしておるか。教科書が一番中心であって、主であって、それ以外のものは教育価値的に低いものであるというような観点に立っておられるかどうか。この点は従来の文部省指導方針並びに今後の教育あり方の上に重大な一つ考え方の影響を与えるので、高邁な御識見を承わっておきたい。
  134. 緒方信一

    緒方政府委員 これは学校教育法第二十一条にも規定がございますが、第一項は、小学校においては、文部大臣の検定を経た、一口に申しますと教科書を使用しなければならない、第二項は前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる、こういうふうに書いてあります。教育的な効果を上げる、その教育価値から申しますと、それは教科書もそのほかの教材も使いようによって、価値はどっちが主であって、どっちが従ということにはいかぬかと存じます。しかしながら教科書はやはり何と申しましても主たる教材でございます。実際上の使われておる状況を見ましても、教科書は主たる教材でございます。その意味におきましては教科書が主になると考えております。
  135. 辻原弘市

    ○辻原委員 前段は私も同意見でございます。しかし後段はあなたの考え方は多少行政的になり過ぎておる。もう少し教育的な頭を持てば、そういう答弁にはならない。ここでこの法律が、二十一条が規定しているのも、教科書はいわゆる本来教材である。従って本来教科書であるものと本来教材ではないが、扱い方によっては本来教材たり得べき価値を持っておるもの、だからその時刻々々における価値判断からいうならば、教科書もその他いわゆる有益適切なるものも教材としての価値には変りはない。これは肯定されますか。法律的にこう書いてあるから、ウエートが違うんだろうということは、行政的な頭、法律的な頭で、教育的な頭では私が申し上げたようなことになるのじゃないかと思うのですが、あなたの見解はいかがですか。
  136. 緒方信一

    緒方政府委員 教育効果の上から申しますと、それは同様に価値があると思います。
  137. 辻原弘市

    ○辻原委員 そこでちょっとふに落ちないことがあるのです。それは今度同時に提案されてる教科書法を見ますと、教科書法の第二十二条には教科書の選定について、「市町村立の小学校及び中学校において使用すべき教科書の選定を行わせるため、都道府県に、教科書選定協議会を置く。」となっております。いいですか。教科書については都道府県範囲で限定採択をやろうというのが教科書法の趣旨であります。その提案の理由を伺ってみますると、小さな範囲においてはいろいろな不便が生ずる。地域の実情とはいうけれども、義務教育だから、その地域ということは大体都道府県くらいが、いわゆる地域の実情として統一的に採択しても差しつかえない、これが一番地域の実情に即するという意味において——現在は極端にいえば学校々々ということになりますけれども、しかし大体市町村くらいにおいて事実上採択されるという形が出てきておるわけなんです。ところがそれを今度は都道府県範囲に広めて、そこでやらせよう。そのやらせようと改正する趣旨は、あまり小さい範囲では義務教育の水準維持ということがむずかしい、こういう趣旨なんです。そういたしますと、ここで今あなたも言われたように、教材としての価値判断においては、教科書もその他の教材も変らぬのだという。さすれば、その教材として使用せしむるか、使用せしめないかということの取扱いを、片やにおいては市町村にゆだね、片やにおいては都道府県にゆだねるという、このへんぱな考え方、思想というものは、まことに首尾一貫しないではありませんか。先ほどから御説明を聞けば、地方の実情、民主的な教育委員会の手にゆだねる、そういうことを理由にあげて、当該市町村教育委員会範囲において、その所轄する教育委員会が認定をすることが最も望ましいのだ、こう説明している。ところが教科書の場合には、それは不適当なんだ、都道府県範囲でやるんだという。教材というものの観念、地域の実情に即する教育というものに対するあなた方の思想というものは、全くそこで首尾一貫してない、場当りである、こういうことなんです。どうなんですか、その点は。具体的に納得できるように一つ説明を聞かしてもらいたい。
  138. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいまのは、教科書法案の内容に関連しての御質問であると思います。これはまた教科書法の御審議のときにも詳しく御説明を申し上げたいと思いますけれども、ただいま御質問になりました点について申し上げますと、今度の教科書法の考え方は、一定の区域を定めまして——この区域を定め定め方は、都道府県教育委員会定めさせる。その定め方は、教育的な見地から判断いたしました場合に、あるいは地理的な、あるいは自然的な条件、文化的な条件、経済的な条件が似通ったところであって、そこに同じ一種の教科書を使わした方が教育上効果がある、こう判断されたところには、そういう区域を作って、そこでその教科書の選定をしていく、こういう考え方に立っております。ただしその場合に、何も各関係市町村教育委員会または関係学校の意向から離れて、いわば天下り式にそこで選定しようというわけじゃございませんので、選定する場合の選定協議会の構成にいたしましても、十分市町村教育委員会の意見を聞いて、学校の校長や教員その他市町村教育委員会の職員等を交えまして、そこで選定協議会を作る。なおまた選定協議会が選定いたします場合の基礎といたしまして、まず第一に学校長の申出を聞きまして、それに今度は市町村教育委員会がそれに対して意見を付して、それを都道府県教育委員会に持ち上げて、それを選定協議会にかけて、そこで選定をする、かような仕組みにいたしておるのでございまして、その学校々々あるいは市町村教育委員会、この意見は十分そこに選定の基礎として出るように仕組まれておるわけでございます。それに基きまして教科書を、その採択地区におきましては一種選択をする、かようなことに相なるわけでございまして、これは教科書のそういういわば若干の広地域において一種選定するという要請は、これはまたほかの面からもいろいろございます。従いまして、総合的に考えてこの制度がいいと考えまして、こういう制度をとったわけでございます。必ずしも先ほどお話のありますように、一県で一つにきめてしまう、こういうことになっておりません。そういう場合もあり得ますけれども、そうはなっておりません。  そこで教材の取扱い、これはもちろん同じような教育効果を上げる限りにおきましては、教科書と同じでございますけれども、これは教科書は一定の検定、採択あるいは発行、供給、一連の法制的な制度が立っておりますけれども、ほかの教材というものは非常に個々まちまちのものでございまして、先ほどから御論議のように、いろいろな種類にわたっておりますので、かりにそれが教育的に教科書と同じような採択をした方がいいという理論が出ましても、実際上そういうことはとり得ないと存じます。やはり今回のところは、その学校々々を所管をいたします教育委員会がこれを判断して、それを選択していく、これが最善の方法であろうと考えます。
  139. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 辻原君、簡単に願います。
  140. 辻原弘市

    ○辻原委員 それは私に対する答弁にはなっておりません。理解できない。手続がかりにどうあろうとも、この教科書に対する取扱いの趣旨は、全県下的に同じものを使う方がよろしいという思想に立っておる。だからその場合に、学校長の意見、市町村教育委員会の意見を聞こうと聞くまいと、そのことはその思想をくつがえすものではないのです。それが民主的な手続としていい悪いという方法論の問題はありますけれども、しかしやろうとしておる思想は、これは教科書という教材都道府県範囲で統一的に同じものを使ったがよろしいという思想なんです。同じように片や、その他の価値のある教材というものがある。それは市町村でてんでんばらばらに使ってもいいんだという思想。片っ方はそういう思想なんだ。そこに思想の食い違いがあるじゃありませんか、こう言うんです。教科書はむしろ教材としては使いやすいんです。本来教材として使って、その間に多少の程度の差はあれ、教材としての価値においてのその幅というものは、比較的少いというのが常識です。ところがその他の教材というものは、その選択の場合にその人の主観あるいはそれを実際使う人の識見、考え方などによって、価値が非常に変ってくる。どちらがむずかしいかといえば、その他の教材を選定し、これを活用することの方がむずかしいというのが、これも常識なんです。そうすると、よりむずかしいものを小さな市町村範囲においてこれを選べという苛酷な義務を与え、片や学校長の意見も聞き、市町村の意見も聞き、そうしてきわめて合理的に限定採択、それ自体私は賛成ではありませんけれども、方法においては少くともそういった民主的な手続をとっておる。あなた方なりに疎漏のないように手続をやってきている。ところが一方、むずかしいものはあげて市町村責任にかぶせてしまっておる。こういうような思想の食い違いというものがあなた方にある。答弁の中に、その他いろいろな事情もありましてという話があったが、そういうことはむしろ教科書といい、その他教材を活用する教育的な価値判断の基礎にはならないのです。もう一度大臣からこの点を明快に御答弁願いたい。
  141. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 すでに緒方局長お答えもいたしておりまするが、教科書は強制使用でございます。それから教科書以外の教材は、有益適切なるものは使用してもよろしいということなんです。すでに一律に使わせるということになれば、文部大臣の検定を経て、地方の人がよかろうと合意採択するものを強制使用さすということは、民主主義国でありますから、よほど合理的の広範な手続きが要ります。ところが片一方の教材は、重要ではありますが、一律にきめては値打がないのです。先刻小林さんが御指摘のように、各地域社会の要求によって、場合によれば朝起ったことを晩に教える、こういうふうなものでありますから、教科書と同じように文部省で検定して、郡市の区域でこれをとらすというまどろっこしいことはできないのです。まどろっこしいことはできないということは、しからば教育価値がないかというと、価値はあるのです。それほど微妙な作用を持つものでありますから、価値はありまするけれども、両者の性質の差よりして選定の方法にこれだけの段階がつくのでございます。御了承願いたいと思います。
  142. 辻原弘市

    ○辻原委員 そういう説明では納得はできません。強制的に使用する、しかももともとこれは教材というものであるなれば、かりに市町村範囲でそれを使いましても、教育的価値においてはさしたる大きなそごは来たさない、こういうふうに私は考える。ところが、非常にむずかしいその他教材であればあるほど、これについてはやはり高い教育的見地から、相当その教材に対する価値判断を行わなければならぬということになれば、むしろあなた方が、かくかくのものを使ってはならないというふうに制限規定を設けるならばいざ知らず、どういうような教材を使うか使わないかについての基準をそれぞれ市町村定めさせるというのでありますから、それ自体非常に無理なやり方を押しつけている。だからその点、同じように教材としての価値をあなた方が考えられているならば、これはどちらか一つにすべきなんです。同じ教材が、甲の場合においては非常に価値ありとして判定されて利用されている。そうして教育効果を上げている。ところが、乙の方に行った場合に、その価値を判断することができないということがあり得るわけです。同じものであっても、毒薬を薬に変ずることができる名医とできないやぶ医者とがある。それが甲と乙、絶えずちぐはぐな形でいくような場合には、あなた方が言うこのくらいの範囲での教育効果というものは、大体一つの水準を保ちたいという趣旨とは合致してこない。だから、そういう同じ教材において取扱いに差をつける、またでこぼこを来たすようなことをやるのがいい悪いという問題じゃないのであります。いい、悪い、どちらがいいということを私は議論しているのじゃなしに、首尾一貫していないではありませんかと言うのです。しかしこの点は、あとの質問もありますから、さらに後日の問題にいたしますが、あなた方もそういうことを具体的に十分考えられた方がよろしかろうと思います。
  143. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 関連して、高津正道君。
  144. 高津正道

    ○高津委員 大臣も御承知のごとく、およそ法律はいかなるものでも国民の利害に対して大なり小なりの影響を与えるものでありますが、この地方教育行政組織及び運営に関する法律案は、量からいって、附則の二十五ヵ条を加えて八十六ヵ条という大法案であります。また内容から申しましても、せっかく旧自由党の御主張も強くて、三年有余市町村教育委員会が活動しておるのでありますが、今やそれが自主権を奪われるという意味で骨抜きになる。さらに文部省教育への介入の末端機関化される。それは言論、思想の自由、教育の民主化、あるいは民主主義自体にも大きく影響があるわけであります。量からいっても内容からいってもこれは大法案であって、その一部分たる第三十三条の二項のみでもこのように問題があるので、まだわれわれは納得ができません。この法案では中央集権が戦前の方向に向って強くなるし、地方自治権が侵される憂いが多分にある。あるいは教育委員会を骨抜きにするこの法案では、必ずや教育予算の縮小という結果をもたらすであろう。その結果は、父兄の肩にというか、父兄の上に負担がはね返ってくる。そういうような、RTAも黙っておれないような法案である。あるいはまた、昭和二十三年七月の十五日に制定された教育委員会法、その後昭和二十八年八月十五日に最終改正をされたこの教育委員会法、そのうちの第一条の、「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。」という一番大事な条項は抜かれてしまってあるということ、そのことだけでも大きな問題であります。だからこれを逐条審議するためには、五日や十日ではとても済むものではないのであります。各条項の内容を厳密にきめておかないと、後日大へんな問題になる。拡張解釈をされるおそれがあるので、これは非常に重要な法案であると思うのであります。  そこで、この法律に出てくる教材という具体的内容、その範囲いかんという同僚辻原委員質問に対し、本日午前文書をもって御回答になりましたところによると、「教材として使用されるものの例」として、「副読本、解説書その他の参考書、雑誌・新聞その他の図書、各種学習帳、ワークブック、練習帳、地図、掛図、年表、写真、レコード、映画フィルム、幻灯スライド、録音テープ、放送」となっておるのでありますが、私がお尋ねしたいのは教材というのだから教具は含まないと解釈してよろしゅうございましょうかということで、これが第一点であります。
  145. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 よろしょうございます。御説の通りです。教具は教材とは別であります。
  146. 高津正道

    ○高津委員 第二にお尋ねいたしますが、今この委員会に入る前に、学校に直販しておる業者の団体たる直販協会の実情について、電話で簡単に調査してみたのでありますが、この直販協会では、直販するものを三つの部門に分けて、おるのであります。第一はテスト・ワーク部会、第二は教材・教具部会、第三は図書・雑誌部会、こうなっております。そこでその教材・教具部会で扱うものの中には、いろいろございますが、工作道具、備品、鉱物見本、粘土模型飛行機、このようなものがありますが、これらは一切この法律教材の中には入らないのであるから、それらには一切手を触れない、こういう意味に了承して、ようございますか。
  147. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今検討して下さっておる三十三条第二項の意味においては、これはその外であります。
  148. 高津正道

    ○高津委員 大臣は第三十三条第二項においては含まれておらぬ、その外であると言われるが、ほかの方面のどこかの法律でこれを規制する道がある、そういうお含みの上のお答えでしょうか。
  149. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教材、教具についても、教育価値のあるものと、ないものとあろうと思います。しかしながら、今の三十三条の第二項には含まれておりません。もう一つ補充しますれば、教具の方も教育委員会関係はあるのです。すなわち二十三条をごらん下さると、教育委員会は次のようなことを管理するということで、「校舎その他の施設及び教具その他の設備の整備に関すること。」とある。委員会が教具の整備をしなければなりませんが、何しろ金とも関係しますから、あるいは機関車の模型を置くことも、鉱物の見本を備えることも、それらのことについて、いろいろ委員会考えることはございましょう。
  150. 高津正道

    ○高津委員 私は午前の質問で、この法律教材のよい悪いの判断をなさる場合、教育の中立性を侵すかいなかというような内容の検討のほかに、あまり高いものでは父兄の負担が多くなるであろうからという意味で、定価の面でもこれを判断しなければならぬ。そのような判断をする能力は、教師よりも教育委員会の方にあるんだという、その論拠いかんという質問をしたら、大臣はすぐ法律に持ってきて、ただいま御引用になった第二十三条の教育委員会の権限に属する事務のうちで、第六号をあげられて、そこに「教科書その他の教材の取扱に関すること。」とあるから、それが根拠だ、こう言われたのでありますが、私は関連であったので、すぐに本質問者に返しましたけれども、私は法律的根拠ではなしに、理論的な根拠——小林さんからも言われ、同僚の多くの委員からも言うように、それだけは教師にまかせたらよかろう。それを教師にはまかせられぬ、教育委員会にどうしてもやらさなければならぬという、その理論的な理由を、法律にあるからというのじゃなしに、御説明願いたい。この点をもう一つお聞きしたいと思います。
  151. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは今日の世界の教育制度からきておるのです。大陸においては違いますが、イギリス、アメリカ等、われわれの今模範としておるところでは、現場で教える人と、また地域社会を代表して学校教育の方針を大局より見るものと、二つ作っております。わが国も戦争後、新教育においてはそれがいいということで、現にやってみたらいいところがはなはだ多かったのです。それで前制度はやめましたけれども、同じ性質教育委員会、本質的に同様な教育委員会を設けまして、一方、現場で子供を相手に教壇に立って教えて下さる先生と、実はこの村は一体こういう地域社会なんだ、ここは漁村なんだ、だから先生一つこういうふうにやって下さいといったような、地域社会の要求を反映したものと、二つ置くようになっておるのです。そうすると、教材の選択は二つの方の目から見る方がよかろうというので、われわれは教育委員会廃止には賛成せず、これを置いて、こういうふうなものを審査、研究する。父兄と連絡もとり、町村の村政のことも頭に置き、最善の教育をしようというので、世界において一番進歩したる教育制度だと思っておるのであります。
  152. 高津正道

    ○高津委員 大臣お答えは、それは今日の世界の、ことに英米の教育制度からきておるものであってと、こう言われる。時には、自由民主党が選挙の公約で占領政策の是正をうたったから、外国のは悪いから日本的なものに直すんだというので出てきたのが教育委員会法、教科書法、今度はNHKに対する統制の企てとか、そういうようなものになって出て、あまり出過ぎて国民はみんな驚き入っておるのでありますが、きょうは、地域社会自体の必要ということを考える欧米流はなかなかおもしろから、そこをとったんで、その長所は生かすんだと、こういうお言葉が出てきたのでありますが、これに国家の要求というものをもう一つうんと強くくっつけるというのが、この法案の本質的なバック・ボーンになっているわけであります。それに中央集権制というものがからんでおるのでありますが、あなたの御理解による教育委員会教材の判定者としてはそこに権限があり、そこに責任があるようにしておるのがどうしていいかということに対しては、中央がきめるより地域社会の教育委員会がきめた方がいいと、こういうお答えになるわけです。しかし、教師とどっちが能力があるかという問いに対しては、あなたのお答えは答えになっておらぬと思うのですが、いま一度御老体を煩わしたいと思います。
  153. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の制度は個人個人の能力があるのないのということは第二なんであります。同じような教員生活をされた方でも、その地位を変えて教育委員会委員長にもなられることがあります。年齢の関係でむずかしいでありましょうが、教育委員長をした人がまた学校の校長なり教員になることもあります。個人の能力が優劣じゃないので、民主主義の国家の組織においては、そういう権力の、または力の分割ということをいたしておるのです。地域社会を代表して、教育委員会として高邁な識見で教育を見ておるという立場のものが、やはり教材、教具について考える方がいい。世間ではよくシカを追う猟師山を見ずというたといもございますが、先生はほんとうに教育に没頭して、それからまた県内各所を一年、二年の間に転任されることもあります。それゆえに、その地域社会を代表した教育委員会の人が偉いの、偉くないの、そんなことではございません。そういう立場を一つこしらえて、そのめがねで教育に関することを見、それから教材を検討するということはいい制度だと私は思っておるのです。
  154. 高津正道

    ○高津委員 一つの町あるいは一つの村の単位をとって考えてみる場合に、そこには役場というものが幾つも新聞をとり、十人、二十人の人間がおって、それが一つの知識の集合体です。もう一つ、農協というものが、機能は少し違いますが、それと同じような相対比するものがあるわけです。それから教育を担当する知識集団というものがあるわけです。学校の場合、そこには二十人、三十人いますが、教育についてはほんとうのくろうとであるが、その人々の方が教材については、地方公共団体の首長のお選びになった五名の人よりも、そこの総合的に集積された知識として、その判断の方が上にいくのではあるまいか。この間の公聴会に出ましたが、この教育委員会制度なるものは、教育をレーマン・コントロールのもとに置いたものだ——レーマンをしろうとと訳すか、しろうとの手で、エキスパートでない人の手で扱う、こういう行政を、行うそういうことであったのでありますが、教材の判定などということは、今の十人、二十人の集団の総合知識——あなたも転任などといって二十人一ぺんには首にしないでしょう。集団の知識を縦に伝承して受け継いでおる、そこにある大きな知識、その知識の判断の方が、教育委員会判断よりも上手であろうということは常識だろうと思いますが、あなたはやはり自説をとって動かないですか。
  155. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 前にも丁寧に申し上げたつもりでありますが、上下ということじゃないのです。先生は下で委員は上だとか、委員は下で先生は上だとか、そういうことはないのです。しかしながら、学校の現場で生徒を一日教える人のほかに、これは間接でありますけれども、やはり別に地域社会を代表しておりますその人が、もう一つ違った目でこれをきめるということが目的を達するゆえんだろう、こういうことです。
  156. 高津正道

    ○高津委員 まだほかにも重要な問題がございますので、私は承服しませんけれども、山崎委員質問権をお返しします。
  157. 山崎始男

    山崎(始)委員 午前中映画の取扱い方に対してお尋ねいたしておりましたが、午後から関連の方で雑誌の問題が出まして、特に雑誌、図書という問題で、先ほどのお話の中で疑問を持っております点をお尋ねしてみたいと思うのであります。  先ほどの木田課長と文部大臣のお話は、かなり食い違いがあるように考えておるのであります。まず第一に、こういうふうな雑誌というようなものは、検閲といいますか、教育委員会の認可、許可が要らない、届出も要らないものもある、こういうふうに文部大臣は言われたのでありますが、この点はもう一ぺん御確認願いたいのです。
  158. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 雑誌を教材として使用する場合、または教材として採用する場合、言葉は同じことですが、こういう場合には、父兄の金銭負担ということから、またはその雑誌の内容から、今高津さんにお答えしたように、地域社会の利益を考え教育委員会考えることもあり得ると思います。しかしながら、それはきっと雑誌は承認を求めろとか、届出をさそうということをきめての案ではございません。
  159. 山崎始男

    山崎(始)委員 そうすると、雑誌というものは届け出なくてもいい範疇に入るのですか。届け出なければならないというものももとよりあると思うのですが、私お尋ねしておるのは、雑誌を教材として使う場合には必ず届け出なければならないような事態になるのとは違うのですか。
  160. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 最後のお言葉のようじゃございません。雑誌次第によって、父兄の負担は非常に軽く、教育価値は非常に大といったようなものはむろん賛成で、教育委員会は御賛成なさると思うのです。しかしながら賛成しろということではありません。しかしながらそうでない場合には多少の規制をしようということもありましょう。その目的の事物の中には入っておるということでございます。
  161. 山崎始男

    山崎(始)委員 この立法の趣旨というものは、文部大臣が今まで二度ばかりお話になっておりました。すなわち山口日記のような偏向教育というものを内容としたものを取り締るのがこの法案の立法の趣旨だという建前から考えますと、教材として使ういわゆる雑誌というものは、やはりこのあなたのお考えが基本である以上は——まあ雑誌といいましても御承知通りいろいろな雑誌がございます。それは対外的な信用度においてもりっぱな——りっぱなという言葉は当るか当らぬか知りませんが、種々雑多な無数の雑誌があるわけなんでありますが、先生の自由によって、一応先生教育的な一つの良識によってこれを使ってみようという無数の雑誌について、あなたのいわゆる偏向教育を避けるために規制を作っておるのだといわれる立法の趣旨からいいますと、現実の扱いとすれば、やはり地方教育委員会ではほとんどが届け出なければならないということになってくるのじゃないかと私は思っておるのであります。そうすると、文部大臣はその中には届け出なくてもいいようなものもあるだろう、こういうふうなお答えなんでありますか。
  162. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 さようでございます。
  163. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、ただ届出だけで、やはりそれには教育委員会が使ってもよろしいあるいはいけませんということになると思うのですが、ここで私は問題になると思いますのは、今高津委員も言うておられましたが、選定するとかしないとかいうことは教育内容そのものに関係してきておるのでありますから、少くとも大きな市町村都道府県ならこういう場合にでもあまり実際の取扱いにおいて心配をいたしませんが、小さな町村のような、しかも末端の三人くらいで構成をしておるような委員会の場合に、これは使ってもよろしい、いけませんという内容をきめるということは技術的に非常にむずかしい、しかも重要な問題だと思うのです。高津委員からも今それに類したことをお聞きになったと思いますが、私は一番この点を心配するのであります。言いかえますと、悪く言えば教育委員会が雑誌の検閲——強過ぎる言葉かもしれませんが、そういうようなことになってくるのであります。そうすると、検閲するためには、されるもの以上のいわゆる教育的な特殊の技術、あるいは専門的な知識というものがなければ意味がない。申請した人間より、そういう方面の知識なりあるいは技術というものが低いものに頼むはずはないのです。もしそういう人が選定するなら、これは非常な誤まりということになるのです。これが、あるいは大都市であるとか都道府県の一本の教育委員会であるとか、充実した事務局があって、十分予算の面においてもそれに適した人が指導主事なら指導主事としておるとかというなら、私の杞憂もそうまでないかもしれませんが、私が心配しておりますのは、御承知のように末端市町村教育委員会というものがある現在、小さな町村では果してそういうときに教材を選定するだけの内容のあるいわゆる委員会事務局の充実ができるのか。果して三人なら三人の教育委員自体の知識がそこまで期待できるかどうかという問題があります。この点について、一つ文部大臣の御答弁を願います。
  164. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたは今盛んに事務局という言葉を二度も三度も使われましたが、これは全くの事務的なことじゃないのです。最も高い識見がなければなりませんので、法律では人格が高潔で、教育学術及び文化に関して識見を有する者のうちから委員を選ぶ、五人であります。三人寄れば文殊の知恵で、これだけえらい人が五人寄れば教材の選定にあやまちを生ずるということは少かろう。今高津さんからも、むしろ教員がいいじゃないかとおっしゃいましたが、教員もよろしいけれども、実際あまり児童教育に没頭いたしますると、また誤まりがあるのです。けさ新聞を見ましたら、四十二名の子供を竹でもって頭をなぐったという先生があるのです。そういう人よりも、やはり委員会でもって落ちついてやった方がいいのじゃないかと思うのです。
  165. 山崎始男

    山崎(始)委員 私が聞いておりますと、あなたの答弁は非常に離れておるのです。あなたは、教育委員というものは、言葉の上では人格、識見ともに高いという抽象的な言葉なんです。それはその通りなんです。ところが教育委員というものは、先ほども高津委員も言っておりましたが、いわゆる教育専門家であるというよりは、むしろしろうとの委員行政の方が望ましいということは私も承知いたしております。そういたしますとこの三十三条の第二項というものは、この法律性格自体がもはやしろうとの域を出ておるのです。なぜ出ておるかと申しますと、地方教育行政組織及び運営に関する法律とあなたは言っておられながら、この三十三条の第二項というものは教育内容そのものに入っておる条項なんです。地方教育行政組織及び運営という言葉を使って法律提案されておりますが、三十三条の二項だけはしろうとではできない問題なんです。いわゆる教育知識なり教えた経験なりを持っておらなければできない条項だと私は思うのです。一つの例を申し上げましても、小学校の六年生のものが、こういうふうな雑誌の教材を使いたいといって持ってきたときに、何ぼ人格、識見が高邁であっても、これが果して教材に適するか適しないかということは、人格、識見だけが高邁だけじゃ判定がつかない。なぜならば、これは教育内容そのもののことなんだから、そうでしょう。その点お認めになりますかなりませんか、まずそれから入っていきましょう。
  166. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私は、教育文化に関して高い識見を持っておれば、これを使っていいか悪いかという判断はできます。自分でそういうものを書く力がなくても、書いたものを見て判断はできる、識見さえあれば。私も学校の教員など一ぺんもしたことはない、けれども皆さんのおっしゃることはよくわかります。
  167. 山崎始男

    山崎(始)委員 驚いた答弁ですね。私は現実の問題をつかまえておる。いわゆる雑誌を中学校の三年生なら三年生の教材として使う場合、その雑誌が三年生の社会科なら社会科あるいは国語なら国語に向くか向かぬかというようなことにこれは入っていく。すなわちこの三十三条の二項というものは、教科内容自体に関する法律なんです、そうなんでしょう。それがあなた御自身、清瀬文部大臣は法学博士であり、法律の大家であられても、おそらくそういうふうな問題であなたが判定される立場になったら、私から言わせれば、まことに失礼ながらその資格はないと見ておる。それと同じように地方教育委員に三人おろうと五人おろうと、そういう人が果して今の教科内容そのものにまで判定を下すだけの専門的な技術なりあるいは良識なりを持った人が得られますか。もし得られねばどうするかという問題になるわけですね、それは大切な点ですから一つ明らかにして下さい。
  168. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのおっしゃる教科内容ということを文字のまま受け取ってお答えいたします。あなた方が是認せられております現在の教育委員会法の第四十九条には、教育委員会は次の権限を有するということで第三号に「教科内容及びその取扱に関すること。」現在でも教科内容については委員会がやっておるのです。現在は選挙でありますからどんな人が出るかわからないのです。投票さえとれば出るのです。その結果でも教科内容なんです。ところが今度はそういう選挙じゃありませんで、選ぶときから人格は高潔で、教育文化に堪能な人を選んでおるのでありますから、教科内容には、ちっともこれを取り扱うについて不自由はございません。御心配無用であります。
  169. 山崎始男

    山崎(始)委員 そこが私が言いたいところなんです。今までは届をする必要がないものだから学校先生が自由にやっておられた、そうでしょう。今回は先ほども私が言っておりますように、都道府県教育委員会であるとかあるいは大都市の教育委員会というものであって、五人なら五人の教育委員の人が、あなたのおっしゃる通りに良識のある人格高潔で、社会公共の念に厚い人であるならば、大きな目から見て教育判断を下す、これはわかるのです。ところがこういうふうな規則にしぼられて、規制をされたものを出されますから、今度は直接そこの小さな教育委員会に、使ってもいいとか悪いとかいう、先生とは別個の判定を下さなければならぬ問題がここに起ってきておる。今まではこの規則がないから、今大臣がおっしゃったように、心配なくやっておった。今度はこの規則ができるから、そういう点に不便があるから、私は聞いておるのです。あなたは間違われぬように一つ答弁願いたい。
  170. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 こういうことをすることは教科内容だからしてできぬとおっしゃるから、私は教科内容は今でも取り扱う権限があるので、できるのだ、こう申し上げておるのであります。これ以上は言葉を重ねるだけのことになろうと思います。現在でも教科内容については委員会の方々は注意をされておるのです。ただ現在と逢うことは、きのうからも申し上げまする通り、私どもの耳へ、教科書はあの通りやってもらってけっこうだが、どうも副読本とか、あるいは夏休み帳とか、あんなものにいろいろ議論があるのでございます、ということが問題なのです。きのうからも言う通り京都の旭ヶ丘事件というのは、材料がまずかったのです。アカハタを使ったのです。いい新聞かもしれませんけれども、父兄はこれを心配しておるのです。学校で見せたところがあるかどうか知りませんけれども、暴力教室という映画が非常に影響を及ぼしまして、各方面でいろいろな問題を起しておるのです。もしこれを学校ででも教材に使うたら大へんなことです。これは二、三の例でありますけれども、この教材については昨年来いろいろと——あなた方もそうでありますが、私も代議士で地方の訴えを受けております。現実にこの要求がある以上は、今委員会法をきめる時分にこの世の中の要求を無視することはできません。これはこういうことになるということを大へんに喜んでおるのです。
  171. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうも話が遠方の方へ飛んでしまうので……。その点はわかっておるのです。私の方からも申し上げておるように、あなたの方の御提案趣旨というものは偏向教育、いわゆる教育の中正の問題、あるいは不良文化財というものを心配するあまりにこういうものを出されておりますが、法文の上に示すところの、明示するところのものは、何らそういう点には触れてない。ただ教材と書いてあるだけなんです。あとは全然書いてないんですよ。だから私のようにしつこくお尋ねいたしまするが、こういう心配が出てくる。だからその点はあなたはもはや御答弁をされなくとも……。私は実際の問題を聞いている、現実の取扱い方の問題を聞いているのです。この点に対してあなたのお答えというものはいつも飛んでおるのです。これは緒方局長あたりは事務局にいらっしゃるから、実際の面を、多少大臣とは違って専門家だけにおわかりになるだろうと思うのですが、私が今質問いたしましたように、町村の小さな教育委員会でこの取扱いの許可を与えるとか与えないとか、実際の面において不便を感ずることはありませんか、こう聞いているのです。この点に対してどうですか。
  172. 緒方信一

    緒方政府委員 お尋ねの前提が、この教材について全部教育委員会承認を受けなければ学校は使えないじゃないか、こういう御心配があるからそういう御質問があるのだろうと存じますけれども、これは昨日からるる申し上げておりますように、教育委員会といたしまして必要と認めますものにつきまして、そういう制度教育委員会規則定めるわけでございます。でございますから、先ほどから大臣もおっしゃっておりますように、たとえばある教材を生徒に全部買わせる、雑誌なら雑誌を買わせるという場合に、それが父兄負担を非常に高めるのじゃないか、こういう心配がある場合があろうと思います。でございますから、そういう場合には全部に買わせるといったようなときには、これは教育委員会承認をあらかじめ受けてもらいたい、こういう一つ教育委員会規則ができる場合があろうと存じます。これらの判断につきましては、やはり教育に対しまして識見を有する教育委員の高い見地から判断をした方が最も適当じゃないかと思うわけでございます。それからまた教育の価値の点につきましての判断の場合もあると存じますけれども、これにつきましても大局的な判断ということが教育委員会制度の建前でもございまするし大局的と申しましても、今度の法律から申しますと相当教育学術文化について識見のある人がその局に立つわけでございますので、この人たちの慎重な研究によってこれは行われると存じます。なおまた極端に小さい、三人々々というお話でございまして、非常に人口の小さいところを特にお取り上げになるわけでございますが、しかしこれは山崎先生のお話のございましたように、相当大きな市あるいは都道府県、それからまた町村にいたしましても大きなところには、指導主事とかあるいは指導部局がございまして、専門的に研究してございます。小さいところにおきましてもいろいろと工夫をいたしまして、あるいは専門家に研究してもらうという協議会のようなものを設けてもよかろうと思います。さような工夫によりまして適当な運営が私はできていくと思います。そういう意味でそういう観点から適当な教育委員会規則を作るのはよろしいのでありますから、全部届出を求めるとかあるいは承認を求めるとか、そういうことをこの法律は期待をしておるわけじゃないのであります。
  173. 山崎始男

    山崎(始)委員 だいぶんはっきりしたのです。さすがにあなたは専門家です。ただ私はそこでやはり問題になることがまだあるわけです。そういうふうに小さなところではその届け出られた教材が適か不適かの判定を下すのに、あるいは協議会を作るとかなんとかされるとか、そういう答弁が出るということは、いわゆる三人の教育委員だけではそれだけの能力がないということを、あなた自身は気持の中では認められていると思うのです。それがためにその委員会事務局にかわる一つの認定機関として、あるいは諮問機関としてそういうふうな協議会みたいなものを作られるというようなことも一方法として考えられる、こういうふうな今あなたの御答弁です。当然それはそういう方向にいかざるを得ないと私たちも思います。そのときに必ず起ってくる問題は予算の方の面なんです。ただ口でそういうふうな協議会を作るとかなんとか言いましても必ずこれは予算面が起ってくると思うのですが、そういう点に対してはどういうようなお考えを持っておられますか。
  174. 緒方信一

    緒方政府委員 これは一つ方法としてそういうことを例示したのでございまして、そういう方法を全部の町村がとるであろうということを私の方で予想しておるわけじゃございません。かりにそういうものを作ったといたしましても、これは予算を要するような大がかりなものでなくても十分まかなっていけるだろうと考えます。それから第一、教材でございますので、これはいろいろと御意見がありますように、教師教育活動、教育意欲を阻害するような方向に持っていくことは、これはそういう性質のものでなかろうと思います。ですから十分教師の主張、意見等も取り入れた上ではかられていくと思います。さような点からいろいろと工夫をされて、教育委員会におきまして届出を受け付ける方法あるいは承認を与える方法、こういうものは教育委員会の工夫によって適当に運営されていくことと期待いたしておるのであります。
  175. 山崎始男

    山崎(始)委員 それでは映画の問題で少しばかりお聞きいたします。私午前中からのお話を総合してみますと、文部大臣のお言葉の中の、新聞の中でも、端的にいえばアカハタのような新聞はこれは使わすことは絶対まかりならないというような言葉からお察しいたしますと、日本的に信用のある大新聞、こういうようなものは何ら差しつかえがないだろうと、こういうような問題があり、また小林委員の方からも放送の問題が出ましたが、甲の放送はよろしいが乙の放送はどうですかというような問題も心配をしなければならない要素が多分にあるわけなんでありますが、私はこの法律が通過いたしまして最も直接に影響があると思うのは映画教育、それからスライドというようなもの、雑誌なんかも相当実際の面においては困られる面が私は相当出てくると思うのでありますが、特に映画教育というものは、実際問題としてこの法律が通過したあかつきは、これも大都市というところならいざ知らずですが、農山村に至るところではこれはもうほとんど衰微してしまうのじゃないか、実はこういう心配を持っております。それは端的に申しますと、今雑誌の場合はそういうふうないろいろの協議会みたいなものを設けて、その地域社会の中で適か不適かの判定を下すようなこともできるであろうと言われることも、これはわれわれもある程度是認できる。ところが映画のような場合は、そんなら松竹の映画は届出せぬでも教材に使ってよろしいということはないだろう、あるいは東宝の映画もこれもよろしいということもないだろうと私は思う。そうすると現実の場合は、かりに個々の学校でいわゆる営利会社が作った映画というものを教材にする場合は、個々別々にそのもの自体がそういう催しをして教材に使うときには、個々に私はその検閲というものを受けなければならないような羽目になるのではないか、こういうふうに考えるのでありますが、この点実際の取扱い上から見ての御答弁をお聞かせ願いたい。
  176. 緒方信一

    緒方政府委員 これは午前中にもお話が出ておりましたが、私はこの規定があってもなくても、学校教育といたしまして映画を子供に見せようという場合に、その責任者である教師あるいはまたさらにその責任を持っております教育委員会等が、その内容につきまして十分吟味してやっていくということは、当然やらなければならぬ責務であると存じます。ただしかしこの規定届出をしたり、承認を受けたりするものをどういうふうな工合にその教育委員会がやっていくかということは、これはたびたび申しますように教育委員会が適当な方法考えてやってもらえばいいのでございまして、必ずみんな個々に届出しなければならぬということは当然には相ならぬと存じます。しかし教育委員会がそれを必要だということになれば、個々のものについてその内容を十分聞き取って、それならよかろうということを言う場合もあろうかと存じます。また教育計画が各学校で立ちますから、そう行き当りばったりに映画を見せることにはならぬと存じます。あるいは毎月あらかじめ教育計画を立てる、あるいは学年の初めに、学期の初めに立てるというように、いろいろなことになるだろうと存じますが、そういう場合に大体予想いたしました映画教育というものがあるわけでございますから、そういうものをあらかじめ概括的に届け出てもらう、こういう場合もあろうかと存じます。そうして教育委員会教育目的に照らしてその届出を見てみまして、さらに自分の方の見当で、文部省のあるいは視聴覚教育等で映画等につきましてもいろいろやっておりますから、そういう面からその学校指導していくということも起ってくるだろうと存じます。それらはいずれもその教育委員会教育上の配慮から必要な定めをしていけばよろしいのでございまして、私はその教育委員会にまかせて適当に運営がやっていけると存じます。
  177. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういう御答弁では実は満足できませんので、それはやはり大都市あたりでそれだけのいわゆる映画教育というものの教育計画が組めるような、しかもこれもやってよろしゅうございますかとお伺い立てて、さっそくその内容にまで適否の判断が、簡明につき得るようなところならそれはまだいいでしょう。私が申し上げておりますのは、先ほども小林委員が聞いておりましたが、農山村に行まますと、一里も二里もあるところへ月に一ぺんとか、三月に一ぺん、子供を連れて教師一つ教材として映画を見せに行く場合もあり得る。また年に一ぺんか二へん盆と正月に、農山村の山の中に映画の商売人がやってきて、古い映画に少しばかりの教育映画をはさんで、学校の講堂なんかでいわゆる教材として見せる場合もあり得るのです。そういう場合は全国に私は無数にある、こういう認識を持っている。こういう場合に果してあなたが今御答弁されたようなお取扱いになるのかと聞いているのです、それを心配しているのです。そうでしょう、かりにお盆ならお盆のお休みに学校の講堂へフィルムを持ってきてこうだと届ける。見てよろしいか悪うございますかというたときに、果してそれを判定する——これは検閲でもよろしいが、これが教育的に見ていいか悪いかを判定し得る能力のある教育委員会というものがあり得るか、現実に私はないだろうと思う。もしそれをまじめに許可するということを認定するのならば、教育委員事前に試写でもして見るとかいうことが厳密にいえば考えられる。あなたの答弁では、こういう場合に各地方教育委員会の良識にまかしてあるのだからと、こういう言葉なんです。そういたしますと、私が心配しておりますように、映画はもういつの場合でも個々に届け出なければいけないと言う教育委員がないということをあなたは断言できないと思うのです。そうじゃありませんか。
  178. 緒方信一

    緒方政府委員 かりに届出をさせる規定を作りました場合におきましては、先ほど雑誌のところで申し上げましたような工合に、私は適当な方法によってそれが教育上いいか悪いかという判定は教育委員会でつくと存じます。
  179. 山崎始男

    山崎(始)委員 私は雑誌ならあなたの今の答弁を肯定したのですよ。映画ならこれが肯定できますかというのです。こうした届出をしたら、教育委員がそんならむろん適当な協議会へ諮って、そしてそれを事前一つ検閲しようじゃないか、試写を見て判定を下そうじゃないか、こういうことになるのですが、私は映画であるから肯定できない。雑誌であるからある程度肯定したのです。この点は私は人間の常識の問題だと思うのですが、あなたはそういうふうな答弁であなたの良識か許しますか。
  180. 緒方信一

    緒方政府委員 まあ映画にもいろいろございましょうが、大体今のお話は非常に田舎の町村等のお話のようでございますけれども、そこに来ますには私は大体内容はわかっておると思うのでございます。フィルムにいろいろございましょうけれども、大体それが教育上適当であるかどうかということは、そこに来るまでには大体わかっているのじゃないか、私はやはり教育委員会の工夫によって、それが教育上適当であるかどうかという判断は、小さい委員会でも田舎の三人の委員会のところでも、いろいろ工夫をいたしますならば、またいろいろそれを問い合してみたりすればよろしゅうございますから、できると考えております。
  181. 山崎始男

    山崎(始)委員 やはり答弁にならないのです。この映画を学校の生徒を連れていって見せるとか、あるいは山の奥へわざわざ都会からフィルムを持ってきて教材のかわりとして生徒にそれを見せる、それを判定するのは先生がいいと思うから判定するのです。いいと思うから、判定した先生がおるからこそ教育委員会届出が出る、こうなるのです。そうすると今度はそれに対して委員会が許可といいますか、かまいませんというイエスかノーかの判断をする立場の者が、どうやって敏速に、金銭を伴わずにそれに対して事務処理をすることができますかと、こう聞いているのです。ここに非常に大きな問題があるのです。
  182. 緒方信一

    緒方政府委員 お答えいたします。届出があれば十分教育委員会先生問いただせばいいと思います。それから内容につきましても十分届け出させるときに詳しく聞けばよろしゅうございますから、ただいまお話のように先生がそれをいいと思つたとすれば先生が十分内容を知っているはずだと思いますので、そのことを十分聞いて判断すればよいと思います。
  183. 山崎始男

    山崎(始)委員 あなたの言葉は机の上で、東京におられて文部省でビロードのいすにすわられて判断するからそういう答弁が出るのです。現実の農山村の教育委員会、ことに現場の教員というものの関係を知っておるわれわれは、だから私が午前中一つの例をあげて聞いたのは——これは実際の例ですよ、起り得る典体的な例を私は申し上げておるのですよ。七十五くらいな教育委員長がおって、五十五くらいな教育長がおって、石原慎太郎みたような青年団を代表したような二十五、六のもう一人の教育委員がおれば、見せた映画そのものが、内容の問題で、適否ということについて必ずそれは問題が起ってくる。これははっきりしているのです。その審査をする場合に、かりに先生なら先生というものが、日ごろ教育委員会から俗にいうにらまれておったというような先生の場合だったらこれは必ず問題が起ってくる。教材としてああいうようなものを使った、使わぬという問題が起ってくるのです。そうなりますると許可する側の教育委員会というものはこの基準といいますか認定を与える、それに対して私は非常に迷うことが当然出てくるだろうと思う。必ず出てくると思う。だから私がこの問題を心配をして、こういうことが問題になるようですと日本の映画というものを通しての特に農山村における教育というものは衰微の一途をたどってくる、そういうむずかしいものになると、従来まで教材として子供が楽しんでおった農山村の映画教育というものは当然衰微の一途をたどっていくことははっきりしておる。これが雑誌であるとかいうものならばまだあなたのおっしゃったような解決方法でもって、われわれもそういうものができるならばあるいは解決できるかもしれない。それにも私は問題があると見ておるのでありますけれども、一応その雑誌の問題は引っ込めるとしても、映画だけははっきりしているから私は聞いておるのです。その点に対して文部大臣に御答弁をお願いいたします。
  184. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたは声をはげましてさようにおっしゃいますけれども、しかしながら三名、五名の教育委員会がよかろうといって認可したものについては父兄も非常に安心して子供を送り出しておるので、ますます映画教育は盛んになると私は思います。
  185. 加藤精三

    加藤(精)委員 関連してお伺いしたいのですが、ただいま山崎委員からきわめて心細いようなお話をいろいろ承わりましたが、私は元来日本の初等教育者というものを非常に尊敬しているのでありまして、日本の初等教育は相当進歩しているものだと思っておるのです。わが国は明治の初年からかなり新しい教育思潮を取り入れまして、最も恵まれない薄給の学校先生でございましたけれども、日本の文化のために非常に貢献したのであります。現在の文部省の御当局は非常に尊敬しているのでございますけれども、明治以来必ずしも文部御当局は優秀でなかった時代もあったようであります。また府県の学務部その他のものはかなりしろうとだったのでございまして、(辻原委員「お前はどうだった」と呼ぶ)私も辻原君から言われましたが、きわめて力のない学務部長でありました。しかしながらそれにもかかわらず涙ぐましい初等教育者の努力のために、わが国の教育は今日の盛大をいたしておると私は考える。しかも自発的に各職場にいる先生たちが、各科目あるいは学科全体についての研究会、たとえば理科教育の研究会とかあるいは映画教育の研究会とか視聴覚教育の研究会というようなものを縦横に織りなす組織をもって自分らの時間と力の届く限り勉強しておられるのであります。それでそれに呼応いたしまして日本の国は非常にたくさんの地方センターがあります。地方都市があります。そして地方都市には現在の生活に欠くべからざる文化施設として映画館がある。また映画批評を載せる各新聞や雑誌が地方的にも発達しているのでございます。そこで大体の問題につきましては、私はわが国の映画教育が間違った方にいっているとは考えておらないのでありまして、そういうようなことから終戦後もナトコ映画の普及とか教育映画の普及とかいうことがありまして、終戦後十年を経た現在の初等教育者はかなり進んだ見解を持つようになっておるのです。そしてまた大体どういう映画がその県に入ってくるかというようなことぐらいは、府県庁の社会教育課で相当専門家がおって調べておるのです。それでございますから、そういう基準、映画に対して承認を与えるというようなことがもしあるといたしましても、そういう基準を作ることぐらいは電話その他の連絡でまた相当僻陬な農山漁村の教育委員会にもわかるのです。わかるのですからそういう基準を作ることも、そういう教育委員会の方たちが妥当な——先ほど緒方初等教育局長が非常にいい言葉で申されましたが、現場教育者の教育意欲を阻害しないような方法によりまして基準を作ることができるのでございまして、その点はかなり農山漁村へいっても——私は山崎先生よりもはるかに山奥の僻陬の地も海岸の僻陬の地も歩いているのでございますが、日本の初等教育の進歩の状況というものはかなり詳しく知っておるつもりでございます。また同時に一般の方から特に教育芸術、文化等に深い理解があると称されて選ばれて任命される教育委員さん方の水準も高いのです。そういう意味から物事は心配したら切りがないのでございますけれども、まあ新しい制度は新しい制度として生まれましたらみんなでこれを活用して善処することにいたしますれば、画期的にわが国の初等教育制度も初等教育の実態も改善されるであろうというような気がいたしますが、御当局はそういうふうにお考えになっておりませんか。
  186. 緒方信一

    緒方政府委員 お説のように映画につきましては、地方におきましても十分研究もされておることでございまするし、またただいまの御説の中には出ませんでしたけれども、文部省といたしましても教育的に価値のある映画は特に推薦をするような制度も設けておりまするし、これらにつきましては、地方においても十分今後とも指導していきたいと考えております。かような意味からいたしまして私は一々全部の映画を教材として使う場合に、教育委員会届出を求めなければならぬということには相ならぬかと存じます。かりにそういう制度をとりましても、先ほどもお答え申し上げましたように、またただいまもお話がありましたように、教育委員会におきましてその教育的価値の有無ということにつきましては十分判断ができるのじゃないか、かように考えておるわけであります。
  187. 山崎始男

    山崎(始)委員 時間もだいぶ経過いたしましたが、一点。先ほどの大臣の御答弁では、お話をしてもきりがない。私の質問とは全然違う御答弁をなさっていらっしゃる。私は実際問題を聞いている。ところがあなたは教育委員というものは人格、識見の高い人だからそういうことはないと思うと、こういうふうな御答弁があったのでありますが、こういう答弁ならば私がいくらお尋してもこれはらちがあきませんので、一点だけ一つお聞きしておきたいことは、私はこの法律が通過いたしましたならば、日本におけるいわゆる教材を中心にしての今までの教育効果というものが減殺されてくる。特に視聴覚教育においてはそのものが衰微の一途をたどってくる。これはもうはっきりしているという信念を、確信を私は持っております。おそらく文部省には現在いわゆる放送教育なりあるいは映画の教育なり、その他いろいろの視聴覚関係、その他の関係教材を使用した教育効果の実績というものが数字的に出ていると私は思うのでありますが、おそらくこの法律が通過いたしまして半年たち、一年たち、二年たつうちには、これが今度は逆のカーブを描いて衰微の数字が出てくるということを、私は今から実は予言いたしておきたい。  それで文部大臣に最後に一つお尋ねいたしておきますことは、文部大臣はこの法律が通過しても、視聴覚にしても、こういう教材を中心にした教育効果というものは上っていくんだ、少くとも今より下りはしないんだ、こういうふうな論拠でなければあなたのような御答弁はできないと私は思うのですが、私が予言をし、私が確信をいたしておりますような、こういう傾向が必ず数字で出てくると思うが、もしこれが出てきました場合には、あなたはそういう御心配があるやいなや。また出てきたときにはあなたは一つ深い責任を感じていただかなければならないと私は思うのですが、この趨勢といいますか、見込みといいますか、あなたはこういう法律をお作りになったからには、やはり視聴覚なら視聴覚、その他の教材を中心にした教育の趨勢というものに対する大いなる一つの識見なりいわゆる見込みなり、そういうものを持っていらっしゃることだと思いますので、この点を最後に一つお聞かせ願っておきたいのであります。
  188. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今山崎さんのおっしゃることは、教材、わけても視聴覚のこと、すなわち映画等を含んだ点であろうと思います。私はこの法案が皆さんの御賛成により通過いたしますと、視聴覚教育の方はますますよくなると思っておるのです。それは映画をたくさんの人が回数多く見るという、数量でもって教育の効果は言えませんですよ。私も孫を持っております。子供は映画を見にいきます。非常に心配することは、ほんとにいい映画であるかどうかということなんです。たびたび例にとりますが、暴力教室です。暴力教室じゃなくても、必ずセックスの方のことが現われてきたり、うちへ帰って何を見たかといったら、赤い顔をしてよう言わぬような映画があるのです。映画に関してはそういうことがありますが、もし教育委員会でこれならけっこうだという保証のついた映画がどんどん出るということになりまして、安心して孫をそこへ行けといって奨励してやるということになりましたら、その映画は教育上非常に効果もあり、親たちも安心する。安心する映画を安心して子供に見せにやるのでありますから、たとい見る回数は減っても、教育効果は昔の倍になると私は信じております。(「違う、違う」と呼ぶ者あり)ほんとですよ。その考えがなければ教育責任を持てませんですよ。こういうことを考えたのも実はそれなのです。私の友人あるいは選挙区でも、どうも映画の子供に与えるところの影響については非常な心配をしておる。この間野原君でしたか、あなたでしたか、不良文化財を追放しようという御相談を非公式に受けて、私は非常に関心を持っているのです。不良文化財とこれとは場合が違いますよ、場合が違いますけれども、学校で映画を見せるということを言い出すというと、せがれは孫はどんなものを見てくるんだろうかという心配がすぐ起ります。けれども、このごろでは教育委員会さんが同意を与えているんだということで、安心して見せることができます。(「それはピントが違う」と呼ぶ者あり)それは私は山崎さんと反対の予想を持っておるのです。
  189. 小林信一

    ○小林(信)委員 関連して。今大臣の御答弁は確かに大事な点でございますが、ただ私は、それだけで大臣が日本の教育行政をやろうとなされるならば残念なことがあるから申し上げますが、それに対して大臣がまたお考えがありましたらお聞きしたいのです。  暴力教室の問題も、あの当時新聞の投書欄や何かに父兄が相当意見を出しておりました。そしてある人は大臣のおっしゃるように、ああいう映画を見せないようにしてくれという人たちもありました。それからある父兄は、そうこわがることはない、見せて、それに対して正しい思考をした場合に——とにかく子供の周囲にはいくら文部省が推薦制をとりましても、チャンバラ映画もあればセックスの映画も出てきているわけです。これはもう営利会社がやるわけですから、人の関心を買うためには多少道義的なことにも無関心でやる場合があるわけです。そういうようないろいろなものがある複雑な社会に子供が伸びていく場合に、悪いものは見せるな、悪いものに対してはふたをしておけというふうな考えであなたは教育行政をなさるわけですか。私はそういう場合に一番大事なのは、悪い教材に触れるなということでなくて、触れることを予想して、それに対して正しい批判力、そういうふうなものを指導するという、その扱い方に私は問題があると思うのです。今のような考えだけで文部大臣教育問題をお考えになるなら、教育全体に、昔のような何となく片寄った教育が行われる気がするのです。私は、あらゆる事象に対して子供が実際に触れているのですから、それに触れて子供が正しく批判していくことの力をもっと養成するために、暴力教室をあえて見せにいく場合があってよろしいと思う。しかもそのあとにおいてこれに対する適切な批判を子供にさして、適切な指導をしていく、そこへ教育の重点を置いていかなければならない。(「それは冒険だ、手を考えなくちゃいかぬ」と呼ぶ者あり)もちろんそれはそうです。だれにも見せるというわけじゃないのですけれども、そういうふうにすべて悪いものに対しては触れるなという形でもっていくことは非常に危険だと思う。これに対してはどういう御意見でしょうか。
  190. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 子供教育についてもう一つの原則は、身心の発達の状況に応ずることでありまして、批判力は養成しなければなりませんが、養成できておらぬ者に見せれば害がくるのです。こういうことを言いますれば、私の教育学に対する全般のことを話さなければなりませんが、しかしながらわけても映画に限っては、やはり子供の身心の発達を見て、それゆえに教育委員会でも三年以下にはこれはいけない、四年になったら見せてもいいといったようなことを言うかもわかりません。それは相対的なことであります。今の教育もあなたも御賛成のように、昔のヘルバルトの教育のように詰め込みじゃありません。それは身心の発達をするようにやらなければいけませんが、それを考えるのが教育委員会の良識でございます。一がいに何もかも禁じたらよくなるということじゃございません。それから「暴力教室」などは、大学、わけても学芸大学等の学生に見せれば、こうなっちゃいけないぞということの非常にいい参考になると思います。けれども、見たらすぐまねをしそうな小学校子供に見せることはよくないのであります。世の中のことはよく刻んで——一本調子で子供のときの民主主義を一生覚えておるというようなことでは政治になりません。
  191. 小林信一

    ○小林(信)委員 大臣がそうおっしゃれば、私もその点は納得しますけれども、あなたの先ほどのお話では、一方的に見せちゃいかぬ、もしこういう制度がなければ見せては困ると言われたような印象を私は受けたから質問したのです。今のように大臣がお考えになっているのなら、一応概念としていいと思うのです。しかし教育委員会がついているから正しく指導するとか、あるいは年令に応じてやることができるのだというふうなことは、これは教師であっても可能である。かえってそういう場合に教師責任教育的な判断というものがますます強くなっていくという見解はあなたとは違いますが、そういうふうにお考えならば私も一応了承いたしますが、先ほど来のお話を聞いておりますと、くさいものにはふたをしろ、もう悪いものは見せるなという式にお考えになっておられて、もし速記録等を通して国民が聞きまして、何と古いお考えだろうという印象を受けては大臣にいけないから一応お聞きしたわけであります。
  192. 山崎始男

    山崎(始)委員 だいぶ時間も経過いたしましたので、まだほかにたくさんお聞きすることがございますけれども、また次会に譲りまして、きょうはこれで一応終っておきます。
  193. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 本日はこの程度とし、次会は明十二日午前十時より開会いたします。これにて散会いたします。   午後五時十二分散会