○小林(信)
委員 先ほど来の三十三条をめぐっての
質疑応答を聞いておったのですが、
大臣にこの点、
教育行政をつかさどっていただくという立場からして、よほど
考えていただかなければならない問題があるのではないか。要するにこの法案のそれが根拠ともなり、今後の
運営方針ともなるわけでございますので、その点を
文部大臣に
お尋ねをしたいのでございます。それは
教育の上で
教材というものが決して私は決定的なものではない、
教材よりもその
教材をいかに取り扱うかということが、
教育の一番重大問題だと思うのであります。もちろんその根拠となるものは、
教師が
指導しようとする積極的な意欲に燃えて、熱意と努力を傾注して、しかもそこにみずからの
責任を自覚する、こういう
教師の
教育的な態度があって、初めて
教育というものは成り立つわけなんですが、その意欲を持った者が、あらかじめこういう
教材を取り扱おうとして、一年の当初に当ってこういう
教材を取り扱いますという準備をすることもあるでしょうし、あるいは常に児童の批判力を高めようとするような
気持で
教材というものを探す態度も、私は
教育上非常に必要だと思うのです。それはいわゆる社会事象というようなものでございます。そうすると、必ずしも用意しておらない
教材というものも取り扱わなければならぬわけなんです。またその
教材を取り扱う場合にも、児童が
一つの事象にぶつかって、ある
一つの刺激を受けておる、その瞬間において取り扱うということが最も効果的であると思うのです。それが時間がたってあとに感激とか刺激とかいうふうなものがなくなっておるときに
教材を取り扱っても、むしろ意味がないと思うのです。してみれば、
教材というものは、先ほど来の
質疑応答の中に
大臣のお述べになるような
教育上の価値、位置というものは、私はもっと
教師の取
扱い方、熱意、そういうふうなものに置かなければならぬと思うのでございます。してみれば、この三十三条の二項にあるような
規定を設けた場合には、先ほど来の応答から受けたところの印象では、生きた
教材にもならないし、
教師の情熱をわかすとか、
指導的な意欲というものが盛り上るというようなことにはならない。もし無届でもって扱ったような場合に、それが
委員会の意向に反するようなことをおそれて、年度最初にきめた
教材というものを取り扱って終ってしまうというような形になったら、いよいよ
教育というものは冷たい、意味のないものになるんじゃないか。従って私は、この
法律を作った人もおそらく
——作った人といえば
大臣ですが、
教育的な理解を持ってお作りになったと思うのですが、私はこの第二項は、おそらく当初はなかったのではないか、あとからつけ加えられたような、蛇足のような感がしてならないのですが、今のような私の
考えで
教育というものがもし成り立つとするならば、私はこういう条項というものは全然入れない方が、かえって
教育の効果を上げることができる、こういうふうに
考えるのです。つまり
教育の効果の上げ方という問題についてもう一度
大臣の御意見を承わりたいのです。
それから第二の問題といたしましては、この条項が何ゆえ必要であるかという中に、第二十三条の
教育委員会の権限のところに、
教材という問題も出ておるとか、ほかにどういう条項もあるとかいう
大臣は御説明をなさって、だからそれを
規定するところの
教材そのものに対する条項も必要だと言うのですが、私は逆なんです。そういう
教材に対して
教育長がどういう
指導、助言をすることができるかという条項があるから、こういう特別なものを書き出す必要はない。もし
大臣のおっしゃるような
法律論的な
考えでいくならば、きのうあたり問題になりましたように、この
教材なるものを全部附則か何かで網羅して、かかるものが
教材であって、これは
届出なければならないというところまで細分化しなければ意味がないわけなんです。やはり
教育委員会の
あり方から
考えて、二十三条のような条項を持てばそれでいい、私はこう
考えるのですが、
大臣の御意見を承わります。