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1956-03-28 第24回国会 衆議院 文教委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年三月二十八日(水曜日)     午前十一時三分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 坂田 道太君 理事 米田 吉盛君    理事 辻原 弘市君 理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    稻葉  修君       植木庚子郎君    北村徳太郎君       久野 忠治君    杉浦 武雄君       田中 久雄君    千葉 三郎君       塚原 俊郎君    並木 芳雄君       町村 金五君    山口 好一君       河野  正君    木下  哲君       小牧 次生君    高津 正道君       野原  覺君    平田 ヒデ君       山本 幸一君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君     ————————————— 三月二十八日  委員町村金五君辞任につき、その補欠として植  木庚子郎君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  地方教育行政組織及び運営に関する法律案(  内閣提出第一〇五号)  地方教育行政組織及び運営に関する法律の施  行に伴う関係法律整理に関する法律案内閣  提出第一〇六号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  地方教育行政組織及び運営に関する法律案並びに地方教育行政組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律整理に関する法律案一括議題とし、審査を進めます。質疑の通告がありますからこれを許します。高津正道君。
  3. 高津正道

    高津委員 昨日に続いてこの法案について質問をいたします。この法案に対しては目下ごうごうたる非難が起っており、その非難の台風は日を追つて吹きつのるばかりであります。私はこれは文部大臣として十分に御留意いただきたいと存じます。すなわちその実情を申しますが、第一は、東京方面教育界最高権威矢内原東大総長初め現役大学学長八名、元大学総長二名、計十名の反対声明がありました。  第二は、これに続く関西教育界最高権威、これまた滝川幸辰総長を初めとする十三名の反対声明であります。  第三は、大学教育を受けつつある大学生十八万人の一大集団である全学連の右の反対声明に対する支持声明であります。  第四は、全国都道府県教育委員会協議会すなわち全教委と、全国教育委員会委員連絡協議会すなわち全地教委と、これら全国の全部の教育委員がこぞって反対声明を出しているという事実。しかもこの教育委員の諸氏は総辞職を決議しているという事実。文相自身に対する不信決議をしているという事実。  第五は、これらの教育委員と日教組との関係は、従来犬とサルとの間柄であったわけでもありませんが、しかし親類同士という間柄でもなかったのであります。ところが一たびこの法案内容を見るに至り、一切の行きがかりを一擲して、この法案に関する限り、教育危機事ここに至っては黙視できないとして共同戦線に立ち、本法案反対共同声明を発表するという新しい事態まで生まれつつあるのであります。第六は、大臣委員各位御存じ教育界の元老、ペスタロッチ研究権威たる長田新氏を会長とするあの日本教育学会は、この法案学問的立場から検討中でありましたが、今月十九日本法案反対する第一次声明を発表し、これを文相あてにはもちろん、私たち文教委員にも提出して参りました。第七は、学問、思想の自由を守り、教育統制反対する声明発起人会から、昨日私たち文教委員に対して反対声明を持って参ったのでありますが、これも二百四十四名の連名になるものでありまして、非常に権威のあるものと認めます。  第八は、これまた昨日東大勝田守一教授ら五名の代表が全国六百十七名の有名教授の本案に反対する抗議文を当文教委員長佐藤觀次郎君に提出されました。第九は、学校先生方に常々会って、教育を語り合い、教育についてともに種々な協議や行事を行なっているところの、一般国民水準以上に教育愛好者であり理解者であるPTAが続々としてこの教育委員会骨抜き法案反対に立ち上ろうとしておるのであります。  かくのごとき足並みそろった反対機運の大きさ、高さ、深さと申しましょうか、それは全く前古未曽有のものでありまして、教育界はこれより大荒れに荒れようとしておるのであります。おれたちは多数党だ、数で押し切ればいいのだという態度で臨むことは、はなはだ乱暴な文部行政ではないでありましようか。このような、教育関係者のほとんど全部といっていいほどの人人が反対する場合には、それらの事情を大所高所から冷静に勘案され、とにかく大切な教育のことでありますから、強引な処置は見合せられるのが妥当ではないでありましようか。このような反対があるのに、この法案を通過させ、実施するのははなはだ乱暴な文教行政であるという点、他と違い教育のことなのだから、これらの圧倒的な反対は十分に勘案してこの法案は見合せるがよかろうという点、この二点が質問の要点であります。突進するばかりが——いい言葉があります。強いばかりが男でないというわが国に伝わる貴重な人生訓を一応大臣が思い浮べられて御答弁をいただきたいと存じます。
  4. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今御列挙の九つの意見について、私がまだ存じないものもございますが、しかしながら教育に関する立法はきわめて大切なものでありまするから、私の手元に来ますれば、よく拝見いたそうと思っております。
  5. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 ただいま清瀬文部大臣内閣委員会から呼ばれておりますので、三分間だけちょっと中座されますので、まことにおそれ入りますが、竹尾政務次官にまず質問をしていただきたいと思います。
  6. 高津正道

    高津委員 昨晩新聞を読んで見ますと、一日一盗、一日に一つずつ盗みをする。刑務所を釈放されて毎日一回は必ずどろぼうをするという悲願を立てて、四十万円だか四百万円だかのどろぼうをした、そういう記事を読んだのであります。(「四十五万円だよ」と呼ぶ者あり)第一回が四十五万円であったかと思います。それから同じように、昨晩の夕刊に、交番の前に行って、あの憎むべき霊友会の放火はおれがやったんだと言って来た者がある。その申し出をいろいろよく調べてみると、刑務所を三月の中旬に出たが、どうもこの社会は暮しにくい、もとの刑務所の生活がむしろ安全だというので、虚偽の申し立てをしていたという事実があるのであります。このような、刑務所から出てまた刑務所を慕い、出て悪いことをする者は非常に多いのであります。それだからといって刑期の満了した者を、保護監察のようにまた予防拘禁のように——共産党の人をそのように扱ったことがありますが、これだけの実例が一週間に四つあったからといって、そういうことをやるということは、私は乱暴な処置だと思います。竹尾政務次官にお尋ねするのでありますが、現在の文部大臣が持っておられる材料は、教育の中正が侵されておるという。何だ何だどいつで聞いてみれば、かびのはえたような京都旭ヶ丘事件、あるいはまた山口県の日記問題、あるいは卒業証書をもらったらすぐに先生をなぐった。教育は非常に今問題になっておるので、この法案をやはり出さねばならない事情があるのだ、中正に欠けておるし、国民一般考えておるように教育が進んでいないから、この法案を出したというように言われるのでありますが、そんな二つや三つや十五のそういう材料によって大きなものに取っ組むにしては材料が足りないだろう。不完全なる論拠によって事を行わんとするものであろう。一日一犯の記事があったからといって、刑務所を出さないようにするという、それほどこれは乱暴な法律案だ、こう考えるのであります。そういう不完全なる論拠に基いて、そうしてこういうような法律案をこしらえることは、不穏当である、論理において欠くるところがある、私はこう考えるのでありますが、あなたはどのようにお考えでしょうか。
  7. 竹尾弌

    竹尾政府委員 ただいまの高津委員のお尋ねは、この新しいと申しましょうか、今度の教育委員会法案提出のことだと思いますが、この法案は御承知のように全文ほとんど書きかえてはおりますけれども、その精神は従来の教育委員会法を改正する、こういう立場提出したものでございまして、事新しく全然変った委員会法案を出す、こういう意味ではないのでございます。従来の教育委員会法精神を取り入れまして、条文ごらん通り全然変ってはおりますが、その精神は従来と同じような教育委員会法精神にのっとって出したものであるということをよく御了承願いたいと思います。
  8. 高津正道

    高津委員 この法案を見ると、今までにも問題になりましたが、文部大臣中央において県の教育委員会を押え、県の教育委員会からまた市町村教育委員会を押さえるようになり、文部大臣中央から統制するというようになっておるのであって、地方分権というものはまるで殺されておるというようにわれわれは考えるのであります。前の教育委員会法をほんの少しつついただけであって、その精神は死んでおらないと言われるのであるが、これは問に入りますけれども、前の教育委員会というのは直接選挙によって行われるというところが非常に重要なのでありますが、それを思いのまま任命制に切りかえたのであるから、前の教育委員会法をちょっと修正したというのは詭弁のように私は考えます。その他にも理由はありますか。
  9. 竹尾弌

    竹尾政府委員 ただいま申し上げました通り精神におきましては従来の教育委員会法精神を取り入れましたが、しかし条文全体を見ますと、ごらん通り非常に変つております。変っておりまする点は、高津委員の御指摘通り公選制任命制に変えたというようなところももちろん変っておりまするし、また市町村との調整、調和をはかるという意味合いにおきまして、予算その他の点におきましては非常に変つております。それから人事権の問題につきましても御承知のように変つておりますが、しかしながら行政委員会といたしまして、教育プロパーのことはこの委員会でやつていこうということで、精神そのものは従来の教育委員会精神と変つておらない。私どものねらっておるところはその点でございまして、教育プロパーの点を充実、民主化いたしまして、従来の委員会制度をもってさらに充実した民主的なものを作つていきたい、こういう考えのもとに提案したのでございます。
  10. 高津正道

    高津委員 文部大臣がお見えになりましたが、竹尾さんにもう一つ伺います。人事権は上に握られてしまった、いわゆる地方自治体の長に。また都道府県教育委員会教育長任命の場合も、あらかじめ文部大臣が承認を与えなければいけないというように人事権も握られ、そして今度、大臣答弁を聞いても、また当然の論理でもあるが、罷免権もちゃんと持っておる、予算に関しても権限がなくなる、そういうようにしておって、前の教育委員会法精神はちっともこわしてはいないのだ、あなたは教育プロパー行政機関としてそこでやるのだ、こう言われるけれども権限をすっかり骨抜きにしてしまつて、形だけを存してあるのがこの法律案であって、精神はまるで殺されてしまっていると私は思うのです。形だけほんの少し残してある、八割と二割とすれば、二割残して八割を殺してしまったというのが公平な見方だろうと思うのですが、精神は生きておる、教育委員会は存置したのだ、やはりこう主張されるのですか。四捨五入的にいえば、二対八ですから常識的にいえばこれはもうなくなったものです。
  11. 竹尾弌

    竹尾政府委員 ただいま人事権の問題が出ましたけれども人事権につきましては、これは主として地教委の問題になりましようが、従来いろいろの面において非常に欠陥が多い、これは直していかなければならぬということは私どももそう考えておりましたし、おそらく高津委員人事交流その他にかんがみまして、この人事権の問題は直さなければならぬというお考えが非常に強かったのではないかと私は拝察申し上げるのですが、そういう地教委の悪い点はこれを直していきまして、従来の姿よりかもより民主的なものに変えていきたい、こういう考えのもとに人事権の問題も解決したわけでございます。これは地教委の方から見ますれば非常に四捨五入的なものになるかもしれませんが、教育委員会全体として見ますれば、人事権をこれから変えていくということについては、やはり非常な前進である、こういう工合に私は考えておるのでございます。  さらに高津委員地方分権あるいは中央集権というような問題についてお説を述べられましたが、民主主義のそうした本質問題については、高津委員は一番よく御存じのはずでございまして、今中央集権的な民主主義あるいは地方分権的な民主主義については私どもが議論する場面ではございません。その点はむしろ高津さんから御指導をいただきたいという気持でやつておるのでございます。
  12. 高津正道

    高津委員 私は竹尾政務次官に対する質問は保留しておきまして、大臣が帰ってこられましたから大臣にお尋ねいたします。  戦後はまるで変った新教育時代に入っているのですが、新教育にもいろいろな美点があったと思うのであります。大臣の、新教育に対する欠点ばかり拾わないで、美点に対する御認識を聞いておきたいと思うのであります。だらだらと言うのがむずかしければ個条的でけっこうです。
  13. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 戦後の教育は第一に従前の詰め込み教育、章句の暗唱といったような方法を改めて、学徒また児童が自発的に啓発するという方法に進んでおります。これは一つの進歩だと思います。第二には自由主義精神が浸透してきたことも私はいいことだと思っております。それから教育服従基準としないで個性の発達を基準としたこともいいことだと思っております。さらに教育の期間を世界水準に、すなわち六・三制の九年間にしたこともよかったと思っております。反面これが財政に及ぼす影響もございまするけれども教育自身はよかったと思います。もう一つ児童に機会の均等を与えることにしたのもよかったと思います。  なお教育制度に関しましては、一般行政とまるきり離れてはいけませんが、教育委員会というものを設けて、教育行政に専心することにしたこともいい方面だろうと思っております。ただしかし、それがために多少の弊害を生じ世間の非難も出ましたから、ここにわれわれはその改善の案を提出した、こういうことになっております。
  14. 高津正道

    高津委員 今五つ美点を拝聴したのでありますが、第三の服従でない、個性の何とおっしゃったか、もう一度失礼ですけれどもおっしゃって下さい。
  15. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私も言った言葉を忘れましたが、道徳根源服従に置く、昔の教育勅語は上から徳目を示されてこれに服従せよという傾向でありましたが、新教育においては個性、良心の発露をもって道徳の重要なる基礎といたしたことは、戦前よりもいいと私は考えております。よくなったと思っております。
  16. 高津正道

    高津委員 これだけの長所のある新教育をあなたからいろいろと答弁を承わり、あらためてまた速記録を読んでみると、戦後教育が乱れてしまって見ておれないような状態で、天下ごうごうたる非難があるので、その非難を聞いてこのような法案を用意せなければならないことになった、こういう御説明でありましたが、あなたもこれだけの長所を知っておられるならば、この長所をますます育成し培養するようにしていかれるのが当然だ、これを押えつけるような法案を出されるのは矛盾ではないかと思う。きょうは大臣から新教育に対する深い御理解を聞いて私は喜んでいるのでありますが、その理解からはこの法案は出てこないと思うのですよ。これを矛盾する、これと対立するものがこの法案ですよ。私はこれが必ず殺されてしまうのだ、こう考えるのでありますが、もう一度大臣の御意見を承わりたい。
  17. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そこで物事には、練達なる高津さんの御承知通り長所は同時にまた短所を伴うのでございます。自由ということになると、あまり自由を主張すれば放任に流れがちなのでございます。それゆえにこの長所を一そうもっとよくしよう、よりよくしようということで考えたのがこの案でございます。
  18. 高津正道

    高津委員 戦前、戦中の日本教育が強度の国家統制を受けて、そうして教育現実政治の手段にされて、教育本来のあり方としての教育中立性というものが、無残に踏みにじられておった。それが戦前教育欠陥だと思うのです。その結果として教育そのものが破壊されただけでなくて、国家そのものまでが戦争にかり立てられて今日の敗戦、アメリカ支配を受けておる、こういう状態が生まれたのであります。それを否定するものとして、今五つ長所を数えられたような新教育が現われた。あなたは自由主義精神がびまんし、浸透した点はよいが、その自由に行き過ぎがあって、放任に流れるような欠点を生む状態になったから、こういう法律案を出さねばならないことになったんだ、こう言われるが、私は自由主義精神はまだまだ足らないと思うのです。今からそれを行き過ぎだといってどんどん抑制し、牽制し、押えるような方に回るべきではないと考えるのでありますが、大臣のお考えを聞きたいと思います。
  19. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今自由主義ということですね、これは私の信条なんです、私の信念です。しかしながら自由主義を、すなわち個人の自由を認める場合には他人の自由も認めなければならぬ。そこで寛容ということが出てくるのであります。それゆえに自由の新たな空気に触れたことは非常にいいことでございまするけれども自由主義を長く国民の理想とする場合には、やはり素朴な、自由というのは勝手次第だといったような簡単な理解じゃいけないんで、他人の自由を認め、また寛容の態度をとるということも、これは必要なことなのです。それからして個人の尊厳はいいのです。自分個性をとうとぶ以上は、他人個性も認めなければならぬ。個人を尊厳するという教育基本法に書いてあることは、これを十分に認める場合には、そのまた第二次の考案が要ります。平等もいいのです。しかしながら平等といっても、自分の親も人の親も平等だというのでは、これは悪平等というものです。仏法の言葉で言えば、報恩感謝の念という別の念慮もやはりあるもので、きのう平田さんからおしかりをこうむったが、私は本を見たのです。孝行無用論という本があるんですよ。それを読むと、自分の親だけに孝行するのは平等の主義に反すると書いてある。これは理屈はそうでありまするけれども、子供の時分から、すなわち繦褓の間、おむつに包まれた間から育ててもらって、お乳を飲ましてもらって、そうして学資をもらって卒業したといった、この親と人の親とを個人平等だということで差別するなといったような考えがもしありとすれば、これは私間違っておると思います。それゆえに今度の案は、自由主義個人主義、平等の主義を否認するものではなくして、一そうこれをリファインして、よりよくして日本人の品性をよくする。また善悪のほかにもう一つ気品というものがあります。においというものがあります。日本人らしい気品を保っていこう、こういうことが私の考えでございます。この案は教育内容にはそれほど関係しておりません。別の教科書案の方がそれに直接でありまするけれども、やはりそういう考えのもとにこれは組み立てられております。今の中立のことをおっしゃりまするが、私はこの案の方が中立になると思うのです。今日の現状においては、二大政党がどんどん進みよるのですけれども、一村で一党が教育委員を独占するというようなことではこれはいけないので、またそのきざしが、私はここで言葉を知りませんけれども、見えつつあるのです。そこで中立を維持するために、この案の、この間うちからたびたび言う、構造をとった次第であります。
  20. 高津正道

    高津委員 大臣が席をはずされておったときに、政務次官から聞いてお答えが満足できませんから申すのですが、大臣教育根源服従でなく、個性に重点を置くようになった点がよろしい、あるいは自由主義精神が浸透した点がいい、こう言われて、そうしてまた自由主義が非常に奔放に流れるようになっている、行き過ぎになったという御指摘がありました。そうしてあなたがこの委員会で何べんもおあげになる京都旭ヶ丘中学の例だとか、あるいはこの春卒業に際して高等学校学生が恩師の頭をなぐったとか、からだをけったとか、こういうような実例をあげて、天下現在の日本教育を憂えない者はないのだ、その声に応じてわれわれはこの法律案を用意するに至った、こういう御説明であったのでありますが、私はそのようなことを現在の教育やあるいは学校教師責任だけで見て、教師教育行政でうんと締めつけていくという対策を用意することは、初めの治療が間違ってはいないだろうかと思うのです。それは政府大臣やり方を見ても、役人のやり方を見ても、たくさんスキャンダルが現われると、次は東京都アメリカ極東軍司令部ががんばっておって、昔の伊藤博文朝鮮総督のようなものがいて、いつも来ていろいろ督促をしたりしてネジを巻いておる。日本政府は外国から動かされておる。そういうような考えを青年が持つ場合には、ことに向学心に燃えておる学生が持つ場合には、きまった国是国策に従ってずっと進んでいくということでない、希望を失ってしまうのであります。そういう政治が、教育行政ではなしに、政治責任を負うべきであり、主として政権を持っておられる保守党政治家諸君責任があるので、保守党政治家を規制するような法律でもこしらえるなら論理が少し合ってくるのであるが、教育教員をいじめるような、教育委員会骨抜きにして、中央集権文部大臣権限を持って、それでものがおさまるように考えるのは、やぶにらみではあるまいか、こう考えるのでありますが、私の頭によくわかるように御説明をいただきたいと思います。見当違いではありませんか。
  21. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお話の前段に、アメリカ極東軍ネジを巻いておるかのごとく、ちょっと聞こえましたが……。
  22. 高津正道

    高津委員 アリソン大使も、中に入っているのです。
  23. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは少し思想的にあべこべで、私の教育観は、むしろ占領中アメリカの方の第一次、第二次の教育ミッション等の勧告を受けて、少しアメリカの方が入り過ぎている。露骨に言えば、そこのところをむしろ除こうといったような考えなのであります。自由主義個人主義にしても、純日本的にやってみたい、こういうので、私就任以来、教育に関し米人などに一ぺんも会うたことも、手紙をもろうたこともありません。語弊がありますから、またいろいろ言われては困りますが、いわば占領中にできたものだから見直そうという私の言葉のうちには、もっと純日本的にやりたいということでございます。  それから、教員諸君のみを締め上げるというようなことは決してございません。教員諸君が日夜児童のために親切に教授して下さっておることには感謝いたします。しかしながら、世の中のいいことというものは限りがございません。いいが上にもまたよくやりたいと私は考えておるのでございます。むろんこの情勢を持ち来たしたのは、ひとり校内ではなく、日本かくのごとく大戦争に負けまして、一時国民自身虚脱状態に陥ったことも事実であります。それからまた、ことわざに言う、衣食足って礼節を知るのでありますが、衣食も足りなかったがために、道徳基準が下ったということも事実でございます。いろいろなことが関連して、今日の状況に相なっておるのでありますが、人間としては絶望してはいかぬ、できるだけいい方へ進むという念願から、こういう案を用意したのでございます。
  24. 高津正道

    高津委員 私はアメリカ日本支配は、政治の面に現われ、経済の面に現われ、またアメリカ文化支配というものが、すばらしく大きなものであって、アメリカ映画輸入映画の六割五分くらいを占めておるのでしょうか、あるいはまたアメリカ文化支配日本に対する宣伝洪水というか、文化支配という面が非常に多いと思うのであります。大臣はその点を、純日本的な見地から、どのようにお考えになっておりますか。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのおっしゃる文化支配という言葉は、初めてきょう拝聴したのでありますけれども、戦後の状況から、アメリカの文化のいいところも悪いところも合せて、わが国は影響を受けておることは事実であります。いい方は人をもって言を捨てずで、たとえ外国から来るものでも摂取したらよろしいので、日本の文化は中国、インドの文化を摂取したのであります。それと同様でございますけれども、また反面は、捨てなければならぬことがたくさんあります。映画、印刷物等の影響についても、どうすればいいかと私は苦慮しておるところでございます。
  26. 高津正道

    高津委員 この間ダレスさんが来て、日本はソ連に抑留者がおるのであるから、そこのところをついて、その真意を、私の言葉に直せば、意味は同じですけれども、反ソ感情をあおり立てればいいじゃないか、こういうようなことまで勧誘をしておるのであります。そうしてまたもとへ戻れば、あのダレスがあとのことはロバートソン国務次官補と話し合ってくれといって、数日間残していったあのロバートソンなる人物は、一昨年池田勇人氏が向うへ行かれた場合に、会談をして、その議事録が朝日新聞にスクープされて、それは作りごとでも何でもない、そういうことをはめることができないのでありますが、愛国心やいろいろなことを広報活動を通じ、教育を通じて、もっとやらねばならぬ、日米両当事者はこれを了承したということがはっきり書かれておる。私たち——複数ですよ、高津個人ではない、私たちは、すべての文化行政根源はそこから出ておるので、海のかなたからあやつられておるのであって、その回り舞台の上に乗っかっておる人間が、直接にアメリカ人と会おうが会うまいが、手紙をもらおうがもらうまいが、回り舞台の上で自分は回っておることを知らないで、踊りを踊っておるのである。文部省の行政アメリカのひもがついておる、こういうように良心に誓って私は確信しております。アメリカ文化支配はここにまで至っておるのだ、こう思うのであります。大臣はそれは誤解だと言われるでしょうが、あなたは純日本的なものに直そうと言われるのだから、私どもまるっきり違うと思うのだけれども、純日本的という立場から、この私の発言をどういうふうに理解されますか。
  27. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 前にお答えしたと同じことになるのです。昭和二十二年にできました日本教育基本法なり教育制度は、占領中にできたことは事実なんです。あの占領の初めに降伏条件というものがありまして、降伏条件は、日本の天皇も行政府もマッカーサーの支配にある。その時分にできておる。それゆえにそのときは自由にやったと思っておっても、やはり占領軍の息がかかっておる。その意味において、今までの教育行政が海のかなたの息がかかっておるとおっしゃっておるのだったら、その通りでございます。ところが幸いにして昭和二十七年に——あまり幸いではありませんけれども、それまで長く占領されたということを言うのですよ。二十七年にともかくも独立の権を得て、今われわれは国会で何を言おうと自由であります。また文部省においても極東軍からの来訪は一つも受けておりません。この自由の天地においてわれわれが新たに教育を見直そうというのでございますから——きょうは討論じゃございませんからこれ以上は言いませんけれども、今の御質問の点は、私どもが海のかなたの支配を受けておるのではなく、実は海のかなたの支配を受けた疑いのある基本法を改めようというので、はなはだ失礼だけれども、この点は私は高津さんとはちょうど反対考え方なのです。
  28. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 関連して。今高津委員とのお話を聞いておりますと、文部大臣は、かつては海のかなたの教育行政であった、その弊害をただすために——実は逆なんだというような御答弁がありましたが、たまたま今高津委員が、一昨年の十月に池田勇人氏が当時の吉田さんの特使として向うに行ったときに、あの有名な池田・ロバートソン会談というものを開いた。これは文部大臣も御承知だと思いまするが、先ほど高津さんの言うた通りで、私が日本教育が再軍備に関係があるということを申し上げると、あなた方はまた社会党の紋切り型が始まったかと思われるかもしれませんが、そのときの会見の内容は、テニヲハ残らず記録されている。当時御承知のように、日本は再軍備の漸増をやらなければならないという大きな国の方針を日本保守党は持っておられた。それで再軍備増強のための会談を池田・ロバートソン会談という名においてやった。ところが日本の国が再軍備を増強するためにはじゃまになるものが四つあると言っておる。その中にはっきりと、現在の日本の憲法がじゃまになる、もとより日本の国に資源が少いということも再軍備をするためにじゃまになる、その他言っておりますが、その四つの中にはっきりと現在の日本教育制度がじゃまになるということを言っている。それならばこのじゃまになることをどうやってため直さなければいけないかということを二人でひざ突き合せて相談をしているのです。その相談の中に、結論的には、日本においてもっと愛国心を涵養させるような教育をしなければならないということを言っているのです。それがために、今後日本における行政の中で愛国心を起させるためには、日本政府アメリカ政府は共同の責任を持つということまではっきり言っている。だから、この点もし私たちが申し上げることがうそであるというのなら、その当時の記録を持ってきてはっきりお目にかけてもかまいません。今大臣の御答弁を聞いておりますと、かつてはアメリカ占領政策の言いなりになって日本教育行政その他のことをやった、それでいわゆる占領政策の一つ行き過ぎを今日日本が是正をするのだという、なるほど一応ごもっともなような御答弁でありますが、そうではない、本家本元が変ってきている。だから高津委員がただいまのような質問をあなたにされたのじゃないかと思うのであります。直接にダレスさんがあなたに会って、あるいは向うの責任者があなたに会って、日本教育行政に愛国心を入れろと言うたとは私は申し上げません。申し上げませんが、いわゆる向うの文化政策と日本教育政策というものとが、やはり影の形に従うように、実際いうたら二人三脚をしているのだ。だから私は今のあなたの御答弁を聞いて、あなた御自身の認識が、知らずしてそういう御答弁をされておるのか、あるいは知っておりながらもそういうことは言えないからというので御答弁をされておるのか、このどちらであるか一つ聞きたい。もう一ぺんあなたの先ほどの御答弁考え直される必要があるのじゃないかと思いますので、一点だけでよろしゅうございますから一つ答弁願いたいと思います。
  29. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 池田君とロバートソン国務次官補との話がどうであったかは私よく存じませんです。あのときは池田君とは別の党派にも属しておりましたし、知りません。しかし、知る知らぬは別といたしまして、この案はそういう会談とは少しも関係ありません。全然関係ありません。  この地方教育行政組織のことについては直接関係はありませんが、私は日本教育において、国に対する忠誠の心も養わなければならぬということを申しました。また考えております。昔と同じ愛国心という言葉を使って、国のために死ぬのだといったような連想がつくことは遺憾でありまするけれども、今の制度において、国というものを認め、また国民としての恩恵も受けておる以上は、その一員とじては国家に対する忠誠ということは捨てがたいことだ、民主主義国においてもみな国に対する忠誠というものをとうとんでおるということを私が始終繰り返して言いましたのは、これは日本的の考え方でございます。ロバートソンに教えてもらって言うのじゃ決してありませんから、どうぞ御安心を賜わりたいと思います。
  30. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 もとより大臣はそういう御答弁をされるだろうと私は実は予期してお尋ねしたのです。しかし、そういうこともあった。あなたは日本的な教育行政に変えるのだとおっしゃる。ところが、たまたまもうすでに一昨々年アメリカ日本教育行政日本的に変えなければいかぬというて、偶然一致しているところに国民は非常な疑問を持っておるということなんであります。中教審へも諮らすに、保守合同をされたとたんにあなたの方の政党の中で特別な教育制度審議会を作られ、急拠こういう非常に大きな法律案をお出しになった。中教審へなぜ諮らぬかという質問をいたしますれば、今年の秋に選挙をしなければならぬから、急ぐから諮らなかった、こう言う。あなたの御答弁を聞いておりますると、都合のいいときには、一片の法律を出して何べんも選挙を延期しておいて、それで今ごろそういう御答弁をされておられる。とにかく国民は今高津委員が申し上げましたような点に対しては非常な深い疑問を持っておる、どうしても割り切れない、ただこの点だけを申し上げまして、関連でございますからこれでやめます。いずれまた私の順番が回ってきたときにゆっくりお話いたしたいと思います。
  31. 高津正道

    高津委員 私は、教育は、よく御存じのように、十年、百年につながる重大な、政治の中でも大きい部分を占めるものだと思います。そして、それに急ぐ問題がずいぶんあろうと思うのです。ちょっと考えてみても、僻地教育ということは、予算を見ても、非常に急ぐことだろうと思うが、あまりにもないがしろになっておる。あるいは小学生、中学生が非常にふえるが、それに見合うだけの教師を割り当てるということは、小学校六千、中学千五百というふうに非常に少い。あるいはまた危険校舎、老朽校舎の問題は、文部大臣は火のついたように騒がれなければならない問題だと思う。これは朝野両党の文教委員において異論のないところなんです。あるいは長期欠席の児童が非常に多いとか、いろいろ緊急な問題が一ぱいあるのですよ。それは異論のないところであって、野党も賛成をしておる問題です。PTAも全教育界も異論のないところであるのに、そういうところには不熱心である。この法案に対する有力なる反対は、さきに私が数えたように九つもこんなに今巻き起っております。こういう基本的なものはそう急ぎやしない。十分検討してやるべきだが、この異論のあるものをなぜこんなに急がれるのか。何がうしろについているのか。何があなたをしてそんなに急がしめるのか。根本的なものは、ゆっくり考えて間違いのないようにするということこそが非常に重大だと思う。気をつけなければならぬことだと思う。異議のない、異論のない、朝野両党、天下万民の望んでいることについては不熱心で、こんなに反対のあるものを、アメリカなんだか、財界なんだか、何がうしろについておるのか、どんなに議論があってもしゃにむに通そうということがわれわれには理解できないのですよ。緊急なすべきことは文部大臣に一ぱいある。それをないがしろにしておいて、軽く考えて、異論のあるものをぐんぐんしゃにむに押し切ろうというのがどうしても私にはわからぬのですよ。それから河野農林大臣、あの人は何でもかんでも馬車馬のように押し切るかと思えば、全国の農協が反対すると、あの農民会を引っ込めちまったんですよ。それからまた行政機構の改革を三大緊急政策としておれがやってみせるのだといったけれども、内政省という構想はくずれちまったんです。今行方不明ですよ。それからやはりあなたの同僚の小林厚生大臣は、新医療費体系なるものを出しておったが、これも世論がそう反対するのではと、六月の選挙のこともありましょうし、やはり引っ込めたんですよ。あなた一人がどうしてこう異論のあるものをここで突っぱられるのか。これはどういうわけなんですか。何かがうしろについておるとしか考えられぬが、私の判断によれば、黒い目と青い目、財界とアメリカと二つがついておると思う。しかしどうして異論のないところに不熱心で、異論のあるところをしゃにむに押し切ろうとするのですか。これは天下万民の疑いとしておるところであります。明快に御答弁を願いたい。
  32. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 初めに仰せられた僻地教育の改善、教師の増員、危険校舎の改築、長期欠席児童の処理、欠食児童、これらはできるだけ日本の国の力の及ぶ範囲においてやりたいと思っております。また現にこれらのことはいずれも今回の国会に予算を要求いたしまして、すでに両院の同意を得ております。この地方教育行政組織運営に関する法律案についていろいろと各方面で批判のあることは私は歓迎しておるのです。どういうことでもいいという人もあれば、悪いという人もあるのです。両方に耳を傾けて公平な判断をするのがこの国会であります。一部の人が院外でがり版の声明書を出したからといって、一時にこれを引っ込めるなんという、そんな信念のないことはできません。河野君、小林君の担当しております行政は、その行政の性質において、問題の性質においておのずからこれは処置が違うことであります。これはすべて連帯責任で、私のやることにも河野君は連帯責任を持っておられます。河野、小林両君のやることは私は連帯責任で、人が違うからものが違うというのじゃございません。
  33. 高津正道

    高津委員 りっぱな印刷紙にりっぱに印刷してある、著明な学者が数百名署名をしたものを、批判はあるがよい、院外でガリ版で声明書を飛ばすと言うのは、ずいぶんこれまた人を刺激する、あまりにも傍若無人な言葉である。それだからいよいよ法案が難航するのだと思います。英語を使うと木下君からしかられるかもしれぬが、プロヴォーク、呼び起すという言葉で、意味が通じますか、あなたは反対運動をあなた自身が何割増しかで呼び起しておられる。寝ている子を起すようにしておられる。八割か十割増しといっていいのです。中央教育審議会の委員は現行教育法律という諸法律の建物の中の掃除をやっておるだけだ、今度の臨教審はこの建物をどうしようかという掃除人夫にしてしまった。それから子供のときに習った民主主義一本槍ではものはわからぬ、こう言って、また十六総長や九つの私のあげたるものが、院外のガリ版刷りのものだ、私はそれは批判のあることを歓迎するという言葉には、全く誠意も何にもないと思うのです。りっぱな印刷で、実にりっぱな文章で、推敲に推敲を重ねて書かれたもので、ガリ版刷りじゃないのです。その言葉はお取り消しになってはどうですか。
  34. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 りっぱな印刷の方は私の手元にまだ来ておらぬのです。今まで来たのはガリ版ばかりでした。しかしあなたの勧告によって取り消します。
  35. 高津正道

    高津委員 私はこの行き過ぎの自由、教師も生徒や学生も、自由々々で放任に流れ行き過ぎておるから、こういうのが本心であることはわかるのです。それであなたが合同される前の民主党において、教育に関する特別委員会を作られて、そうして牧野さんやあなた方かたい頭で……(米田委員「それはいかぬぞ、失言じゃ、君だってかたい頭だ」と呼ぶ)それじゃかたいという言葉はよしましょう。米田君に敬意を表します。そうして出された「うれうべき教科書の問題」というものがありますが、私は何べんそれを繰り返して読んだかしれないが、忘れることのできない部分があるのであります。それは国の侵略というものは、必ずしも武力をもってくるものではないのだ。精神的に国を侵略してくる場合がある。今日本全国教師はソ連や中国の侵略を応援しておるのだ。ある者はこれを意識的に応援し、ある者はその前にたたずんで何もできないであるが、とうとうとしてみな知らずしてこれを援助して国家は侵略されつつある、それは教育の面からである。こういうことをその中に書いてみたり、それから驚くべきことは、日共及び日教組はと七、八ページの中に十三ヵ所出ておるのです。日共が悪い、日共が悪いということを一ぱい書いて、そうして今度はあとで日共及び日教組はという言葉が十三カ所も書いてある。いかに日共が悪いかという宣伝は、アメリカの宣伝と、それから日本における宣伝でよく徹底しおりますが、それと日教組とをくっつけて十三カ所も書くというような悪意で日教組攻撃を盛んにやって、それだから教科書はこうせねばならぬというところに本音があるのであります。だれが読んでも教育界を混乱させ、全国教師に対して不信の念を民主党の幹部は持っておるのだ。ここまで憎まぬでも、攻撃しなくてもよかろう。恨み骨髄に徹したが、教育の公務員ですから、それで胸の中にしまっておられるのであろう。日教組としては反対声明を出されたけれども、これは実にもう大へんなことであります。こういう考えをあなたは持って文部大臣のいすに今ついておられるわけですか。「うれうべき教科書の問題」のあの表現や日教組攻撃や現在の教育中立を侵しているという激しい激しいあの弾劾、あれと今あなたは絶縁されておるのですか、あの思想はもうお取り消しになったのですか。あのままの考えを今もその頭の中に持ってここに出ておられ、この法案を出されておるか。ああいう考え方というものはどうなっているのでしょうか。
  36. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私の思想をすっかりここで申すわけにも参りませんけれども、しかしながら日本政治を、ことに教育を一方に偏しないで、いい教科書を作りたいということは考えております。
  37. 高津正道

    高津委員 私の質問はあの「うれうべき教科書の問題」に盛られた内容にはあなたは重大な関係を持っておられるので、あのような考えを今もお持ちであるか、こういう質問ですよ。それなら持たないとか、持っておるとか、実に簡単ですよ。一口でようございますよ。
  38. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あのパンフレットの趣意は現在の教科書の内容の問題と、採択の問題及び値段の問題、この三つについて私の属しておった前の党派が研究したものでございます。やはり私は教科書は一方に偏せず、正しいものを作り、それから客観的事実の誤謬をなくすること、また採択手続にいろいろと不正の陰がひそむことは除きたい。また安い教科書で教育したいという念慮には満ち満ちております。
  39. 高津正道

    高津委員 日教組に対し、あるいは全国教員の最近の傾向に対し、憎悪と敵意に満ち満ちた、あの「うれうべき教科書の問題」——値段の問題とか、採択がどうのとか、それらは小さい問題で、あなたの前々任者があの当時の教育法案をもって日教組を押えたつもりだったが、どうも押え切れなかった。その遺業を受け継いで、またその精神たるや「うれうべき教科書の問題」に盛られた精神——値段のことじゃないですよ。それからどこかの教科書のテニオハが違っておったとか、そういうような問題じゃないですよ。この全国教員に対する敵意から、すべてのものがむくむくとわき出ておるとわれわれは思うのであります。そのもとを透視すれば、これは海のかなたにある。しかし日共及び日教組は、という表現や武力によらざる侵略が始まって全国教師がこれを手伝っておるというような、そういうような表現で教師の信用を台なしにするようなことを企てるということは、これはひどいことだと思いますが、日本政治家として、あなたはあれに責任を持っておられるのかどうか。あれはどうなんですか。わしの言うのは値段のことじゃないですよ、ああいうようなことに今も責任を持っておられるのかどうか。あれは行き過ぎだと思うか。責任を持っておるか、持っておらないかということを聞いておるんですよ。
  40. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻御答弁申し上げた通りでございます。
  41. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 午前中の会議はこの程度とし、午後一時二十分より理事会を開会いたします。  この際暫時休憩いたします。     午後零時十九分休憩      ————◇—————     午後二時四十八分開議
  42. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を再開いたします。  質疑を続行いたします。高津正道君。
  43. 高津正道

    高津委員 お尋ねいたしますが、この法案教育基本法第十条に違反すると考えるのであります。このことについての質問です。教育行政の学者でもありますが、慶応の山本敏夫助教授はこういう論文を書いております。この法律教育基本法の趣旨に違背するものである、といって差しつかえないのであります。またすでにというところを飛びまして、たとえば教育委員の公選を廃することも、教育基本法第十条の趣旨に沿わぬことである。「国民全体に対し直接に責任を負って」という条文、この第十条に即応する制度が公選制であるという説明は、教育委員会法施行当初はもちろん、その後も文部当局が繰り返し説教してきたところである。文部当局みずから教育基本法を破るがごとき暴挙に出るのは、法治国の役人として、いや法律万能の役人としてなすべきことではない。ともあれつい最近まで指導してきたその言説の舌の根がかわかぬうちにそれとうらはらなこんな手のひらを返すような法案を作って、これでもかこれでもかと地方の教育の現場をたたきつける心情は不可思議である、政権のありどころによって仕方がないのであろうが、すまじきものは宮仕えか、こういう論文であります。私はこの論文の論旨に全く同感をするのでありまして、今申し上げました「国民全体に対し直接に責任を負って」というのは公選のことであるということが、法案の提案された当時がそうであるし、その後も文部省はその解釈を今日までとってきたのであります。この法案のために関係法律を調整するというところには、むろん教育基本法の第十条の読みかえをやるとかそれから条項を直すという教育基本法の改正というものが全然入っていないのでありますから、これではこの新しい法律教育基本法とは矛盾する、矛盾するというよりも教育基本法を根本のものとみなすからそれに違背しておると考えるのであります。これははなはだ大きな問題であると思いますが、文部大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
  44. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 お説の通り大きな問題ではございまするけれども、今回の地方教育行政組織及び運営に関する法律案も、またこれに関連する整理法案教育基本法第十条の第一項の精神にも第二項の精神にも反しておらないという自信を私は持っておるのです。
  45. 高津正道

    高津委員 私の指摘した点は制定当時の正しい意味の解釈、その後もずっとその解釈で来ておるのでありまして、そうしたならば今のお答えのように国民に直接の責任を負ってというそのことをまるで砕いてしまうのじゃないですか。任命制に変えるという一点をとって考えても私は矛盾はしないと思います。一項にも二項にも矛盾しない、その精神は生きておるというか、直接選挙という意味に文部省は解釈をしておったのであります。そこでこの点を他の政府委員から、そういう考えをとってきておったに違いないと私は思うが、いつから変えたのか、変えておるはずはないと思うが、その点をまず聞きます。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私がお答えいたします。この法案は私の責任で出したので、前任者の法律解釈のことはいかがであろうと私は違反しないものと思っておるのです。第一項は教育委員会に限ったことではないのです。ごらん下さい、「教育は、」ということなのですよ。教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して責任を負って行われる、学校の校長さんも職員さんもそのうちなのです。校長、職員を選挙したことはないのです。ですから私は第一項は選挙とは関係ないと思っております。不当の支配に服することなく、国民全体ですから、その村だけじゃないのですから、国民全体に対して責任を負う、こういうことを私は考えておりますのです。
  47. 高津正道

    高津委員 前任者の法律解釈に対しては自分責任を負わぬ、自分法案を出したのだから自分はこれと違背するとは思わないと言われるのであるが、それは法治国ですから一貫性のある解釈、一貫性のある文部行政でなければ困るのです。それだから事務当局に今までそういう解釈できたのではないか、きたのに違いないのでありますからきたのであろうと事務当局に聞けば、おれが答弁が好きだからおれが答弁するという。事務当局に直接に聞いたっていいでしよう。
  48. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ただいま大臣からお答えがありましたように、教育基本法第十条の第一項は教育の行われるべき基本的な心がまえの問題を書いてあるわけでございまして、これを教育行政の上に実現していきますためにいかような制度をとればいいかということが制度論であるだろうと存じます。従いまして現行の教育委員会法を制定いたしましたときには、現行の公選制をもってこの教育基本法の趣旨を実現するための制度として考えたわけでございますけれども、実施以来今日までの状況等にかんがみまして、このたびこの制度を改正しようというわけでございます。改正するに当りましては教育行政教育基本法その他のいろいろな教育の理念に照らしまして、これが一番適切に行われるためにいかようにしたらよかろうかということをあらゆる観点から総合的に判断してこのたびの制度を作ったわけでありまして、その観点から公選制をこのたびは任命制に変える、こういうことでございます。
  49. 高津正道

    高津委員 二十日の速記録を読んでみますと、大臣は、小さい選挙では約束をしたりひもがついたりするので、選挙から出てきた委員では公正な教育行政はできないと、選挙ということをボロカスに言われておるのであります。だから任命制ならば公正にできる、それには任命制でも片寄らないように、同じ政党から二人以上は任命できないような制限を加えてあるから心配はない、こう言われるのでありますが、それは選挙ならば私は最も民主主義的であろうと思うのです。その選挙をそういうように批評するということは、文部大臣民主主義に対する理解のほどを、私は疑いたくなるくらいであります。(「国会議員も任命したらどうだ」と呼ぶ者あり)われわれは任命されちゃ困る、県会議員、村会議員も任命されちゃ困るのです。地域が狭い場合と広い場合とどう違うのですか。どの程度以上は選挙でも民主主義だ、どの程度からは民主主義に反する、かえって民主主義でない、任命の方がいいのか。大臣は地域が狭ければひもがついてしようがない、こういう論拠で非常に選挙に反対をされるのでありますが、選挙こそ最も公平に民意が反映されるのであろう、こうわれわれは考える。民主主義の原則を私は守りたいと思う。前の人の質問した部分でありますけれども、そこをお尋ねしたいと思います。
  50. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 選挙の区域が小さいから選挙はいけないと私は言った覚えはないのです。ただ特に中立を要する選挙でありますから、その結果が一党派に固まってはおもしろくない。お説の通り私も直接選挙がいわゆる人民による政治ということで、民主主義を貫くことは私もそう信じております。ただ問題が一方に片寄り過ぎてはいかぬ、中立を守らなければならぬということで、直接選挙をやめて一方に片寄らぬようにして、しかも任命といっても選挙によった人が任命するのでありますから、それで民主主義を貫こう、こういう考えでございますから、どうか御了解をお願いいたします。
  51. 高津正道

    高津委員 これが中央集権的になっていることはもちろんであって、その一番根本を握っておるのは文部大臣であります。そうすれば文部大臣の振るタクトのままに大衆が動く、教育行政が自由になる、こういう結果を来たすので、それは戦前の否定されたるいわゆるわれわれの排撃したる方向に歩んでおることはもちろんであるが解釈をどんどん拡張していったり、省令や施行細則のようなもので動かしていくと、あなたの希望されるように、全く時の政府が全部の教育を動かすようになる。蒋介石が現われれば抗日教育の教科書を使うようにまでなる危険性は十分にあると私は思うのであります。選挙ならばそういうことのないように、ちゃんと国民がチェックしております。大達文政、安藤文政、それから松村文政、それから今あなたでありますが、ずっともう続けて同じ線を押してきておりますが、その反動攻勢を今押えておるのが直接公選による教育委員会であり、そしてまた日教組である。現在の教科書である。こういうように思っておるのであります。選挙によらないで、任命をもって臨む場合に、今までよりも公平にいくということは言えないので、時の政府は時の政党ですよ。あなたは党議が優先だという御主張を常に持っておられますが、そういう党の考え全国の子供の教育行政を動かすようになる。それだからこそ私は午前中の質問で九つも大きな反対運動が黒雲のごとく巻き起っておるのだ、これを見なければと御注意を喚起したのであります。直接今度は任命でいこう、いけば中央支配するようになる、これは何人も認めるところでありますが、逆コースで前に戻すのでないという理由を説明してもらいたい。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今あなたの御指摘教育基本法第十条はそのまま存するのみならず、われわれはこれを尊敬しておるのであります。従って不当な支配をいたそうという考えはありません。今回の改正は地方教育行政組織に関する法律でも教科書法でも、中央集権学校教育一つにぬりつぶすというような権能はだれも持っておりません。ただしかし国民全体に対して責任を負うというのが趣意でございますから、その村だけで別々にやってはよろしくあるまいというので、その間のいわゆる教育水準の維持ということには努めて参りますけれども、決して専制政治教育に関してやろうなんという考えは毛頭ございません。
  53. 高津正道

    高津委員 中立維持のためといって地方分権であったものを中央に権力をもぎ取ってしまう。教育中立性を維持する、片寄らないようにするためにといい、あるいは水準を維持すると言われるが、水準の差が出るのは学校差であろうと思うが、それをなくするのには僻地教育などの助成、その他の措置によってそれはなさるべきであって、選挙制を任命制にすればそれがなくなる、こういうのは見当違いではないでしょうか。私の質問の意味がおわかりでしたでしょうか。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 もし誤解しておれば重ねてお問いを願いたいのですが、任命に際しては人格高潔で教育、文化に識見のある人を選びまして、たびたび繰り返す通り一党に偏しないよう数の配慮をして、教育委員会を構成し、教育行政をある意味において指導なり監督なりしてもらう。こういうことをやることがいいことだ、私はこういうふうに考えておるのであります。そこでどの村もそういうふうにやれば、おのずから教育水準が一致して参ります。選挙でもって、一方は社会党の委員が全部支配する、こちらの方では自由民主党が支配する、こういうことになってはでこぼこが出るおそれがございますので、やはり中立性ある委員会を、今度は全国で五千ほどになりますが、全国町村に向ってずっとそれをやるということになると、公平な教育水準を保つのに役に立つと思います。それだけじゃいけません、いろんなことを待たなければなりませんけれども、しかしそれに資するところ大なるべしと考えておるのでございます。
  55. 高津正道

    高津委員 ある村では社会党が多く出、ある村では保守政党が多く出るということは民主主義には免れないことであって、その差が出るから、これは全国同じようでなければならぬからやめると言うが、民主主義というものはそういうものではないのじゃないですか。あなたの論法をもってすれば、全国に何百という市があるが、ある市では社会党がたくさん出る、ある市では保守政党が圧倒的に出る。市会議員の選挙などをやれば日本の都市行政というものはでこぼこになってしまうから、やはりこれは翼賛選挙のように、選挙でなしに上から任命してしまえ、そうするともう全国でこぼこのできないように、ちゃんといい工合に都市行政というものが行われるんだ、こういう議論と全く区別はないと思うのです。それでそういうでこぼこのないようにするためには、教育基本法学校教育法や、あるいはその他の法規がちゃんとあるのであって、学習指導要領なるものもあり、教科書というものもあり、その教科書も一定の基準よりワクは出ていないのであって、そういうものがあればそれらのでこぼこというものはニュアンスの違いくらいなものになって、何ら意に解すべきものではない。それどころかそれどころか、世の中がどんどん進んで参りまして、そして世界の人類の自覚という大きな大きな嵐の中にわれわれはおるのであるから、都市は社会党の教育委員が割合に出やすかったというが、文部大臣にとって悲しいことには、だんだん村から町から離れ島に至るまで社会党が多くなってくる場合があるとするのです。大臣は非常にそれを憂えられるのか知らぬが、そうなった人民の意思がそのものを押し上げて教育委員を一にし、二にし、過半数にする場合もあるので、それをおそれるというのは民主主義を否定するものではないですか。社会党になっていこうが、今のあなたの政党がまた割れて二つになってそのどっちが大きくなられようが、それをおそれて法律をこしらえてこのでこぼこをなくすという考えは、非常に融通のきかない、自分意見だけを押し通そうとする考えだと思うのです。私は法律家でないからきちんとした質問にまとめにくいが、前のたとえだけはよくおわかり下さるだろうと思う。そういう片寄るところは法律やいろんなものがあるのですから、それを使えばいいので、党派に片寄るからこういうものをこしらえたんだという説明は了承できない。私のような人間でも了承でき得るような話を一つしてみて下さい。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのお説には半分以上賛成しておるのです。民主主義を貫こうといえば直接選挙がほんとうでしょう。そこまでは賛成しておるのです。ただ教育には単純な民主主義という薬一本ではいけないことがあるのです。それはあなたも好んで御引用になる教育基本法第八条の二項を見て下さい。「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」をしてはならぬ、こういうことになっておるのです。これを世間で中立性というのです。それは委員がどの党派であっても学校は別だという論は立ちますよ。けれども一党派の者に全部教育委員を独占せしめる、その状態が二年、三年、四年、五年と続くと、どうしても学校が一党派を支持するようになりがちであります。そういうことをしいてする必要はないじゃありませんか。やはり公平にどの党派も半数がとれ得るように中立性教育委員会を作っておくということは、教育中立を保つ上において、また児童をして初めから一党に偏した教育を受けさせないようにした方が民族の健全なる発達によいのだ、こう思っておるのでございます。そこのあとの半分はあなたと意見が相違いたしておるのです。
  57. 高津正道

    高津委員 今は二大政党で、労農党や共産党には気の毒ですけれども、二大政党です。だからあなた方の資本主義制度を擁護する政党の人がほとんどその半数を占めておられるのでしょう。八割五分というか、ほんとうの統計はわかりませんが過半数でしょう。そうならば、あなたの論理を聞けば正式に入党していなくても、二大政党と言うが、一方の政党が何代も続いて選挙されれば一党の色がついてしまうので許しておけぬということになりますが、社会党が出た場合を何だか変種が現われたような、そこだけが悪いくぼみができたように頭の中ではお考えかもしれぬけれども、どっちでも同じことでしょう。二大政党が法律では同じ資格でしょう。現在のところ教育委員は入党した者でなくても保守の方が多いでしょう。その論理は私は通用しなかろうと思う、あなたの党派としても。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 高津君は非常に高邁な識見をお持ちですが、ここに実際に統計をとったものを持っております。現在今日まではほんとうに党籍を持っておる委員の数は少いのです。けれどもこの情勢から見れば、これはどうも、急に私は党籍を持っておる人がふえるという情勢があると思うのです。しかしながらふえないようにこれだけの予防手段を張っておくことは非常によいことであると思います。     〔「本音が出た」と呼ぶ者あり〕
  59. 高津正道

    高津委員 そうすると、今の質問の中には資本主義擁護の政党員及びその同調者、社会主義社会を理想としておる党員及びその同調者、この二つがあるわけなんです。今のところは自分の方が多いがそれがだんだんあっちこっちふえる傾向にあるとその傾向をにらむので、予防措置として法律をこしらえるんだ、悪者の出ないように予防を今するんだ、これは録音がないのだが、速記者は正直であると思う。圧力はかからぬわけでありますが、これは実に大きな失言だと私は思いますよ。自分の党派が今は有利だと思うが、将来だんだんそういう傾向があるのでこの法律を予防のためにこしらえた。そのような党派的なことがありますか。それはどうです。社会党征伐の予防のためですか。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことはたびたび申し上げましたが、私の方は近く全国町村にも支部を設けようと思っておるのです。おそらくはあなたの方もそういう行き方じゃないかと思います。(「私というのは文部省ですか。はっきり言って下さい、あなたは今文部大臣として発言しておるのですから。」と呼ぶ者あり)自由民主党で組織をした内閣文部大臣でございます。それゆえに支部といえば党の支部でございます。私の勤めておりまする文部省には支部はございません。そこで私の話は長くなりまするから言葉は簡単にお聞き願いたいのです。私の党派の支部は近く各町村にできるのです。そうしますれば町村に登録党員も多数できます。おそらくは村内の有力者が入ることと思います。それはもう目の前に見えておるのです。その場合に一党派専制の委員会を作っては実に相済みませんから、みずから抑損、制限するようなことなんです。何も社会党征伐とかそんなことじゃございません。もっと純真な考えでこれをやっておるということを御了承願いたい。
  61. 高津正道

    高津委員 現在は自由党の正式党員並びにその同調者が委員に多く出ておる。それで私の党派では村から町へどんどんこれからやるのだ、それから社会党がだんだん独占するようなところもちょいちょい現われる、これではいかぬから予防措置としてこういう法律を出したんだ、この言葉をお取り消しにならなければ、これは委員長に総理大臣をお招き願って、総理大臣から御意見を聞かねば私はどうも質問も審議も進めにくいのですが、それは重大な発言ですよ。そしてその前の質問に、速記を読んでみればわかるが、今のところは資本主義擁護が多いでしょうけれども、社会党がだんだん出てくる、これは総理大臣の見解をただしたいのです。これはこの議会、二十四国会の重大法案ですからね。憲法調査会——重大法案をわれわれは扱っておるのであります。総理大臣のことは委員長そのようにお取り計らいを願いたいのであります。
  62. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 総理大臣の出席はあとで理事会を開きまして協議いたすことにいたします。質問を続行願います。
  63. 高津正道

    高津委員 総理大臣にお尋ねをするということは理事会でおとりきめ下さるのでありますから……。前会の審議の場合に並木委員が、市町村における行政教育一般部門と二つに分れておる、そして今度教育委員会というものが任命制に変わるので、まるで骨抜きになってしまう、大部分の権利が、教育を除ける部分の行政の長あるいは議員として選ばれておるのでありますから、そこへ今度教育が、予算においては教育費が六割のところもあるし五割のところもあるが、こういう大きなものがごそっと入っていくのであります。現在の市町村の首長を選ぶ場合には、教育はまかせないのだから、教育以外の一般行政をやるのだからという意味で選挙したのでありますから、その選挙はやりかえなければならぬことになるのじゃないか、こういう並木君の質問の趣旨であったと思いますが、それに対する大臣の答えは、役をやっておる場合に仕事がよけい入ってくることもあるし減る場合もある——文部省にも今河野行政改革構想で二割を言いつけられて、どこをどうされるのか知らぬので私は大へんだろうと思うが、仕事の分量が減る場合、少々付加される場合、そのくらいの問題ではなしに、選ぶ場合に教育委員長、教育委員にはこの人がいいんだ、教育を除いた行政にはこの人がいいんだというそういう認識のもとに現在の首長を選んでおるのだから、こういう一片の法律を出してこそっとその機能、職分といいますか、仕事の量、業務量というか——私は法律家でないからいい言葉が浮かびませんが、意味はおくみ取り願えたと思いますが、向うの選挙もやりかえなければいかぬことになるのじゃないか。一人の課長、一人の局長の単なる事務の加わりあるいは減ずるのと事は違いはしないですか。半分くらいの仕事を持っておるのだから……。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 御趣旨は町村長の仕事またはその半面責任もこの法律の結果多くなるから、そこで市町村長の選挙もやり直すべきだ、こういうふうな御趣旨を含んだ質問と了解いたしましたが、法律の改革等については始終管轄事務が多少は移動いたすのであります。性質においては同じことで市町村長は自治行政の首長として選ばれておるのでありまするから、この法律ができたからといって市町村長の改選を必要とするとは考えておりません。(「名答弁」と呼ぶ者あり)
  65. 高津正道

    高津委員 ただいま同僚委員の中から名答弁だという不規則発言がございましたが、私にはまだ納得ができないのであります。それは質においても量においてもちょうど半分々々みたいなものだろうかと思います。予算面においては教育委員会の方が多い場合さえもあるのであります。そういうことを了承した上で選挙したのですから、片方をつぶして片方に全部合わせてしまえばほとんど権限はないのでありますから、それでは有権者の投票をしたときの意思をじゅうりんするものではないでしょうか。きっとあなたが私と同じ立場質問者になられれば、ここのところをつかまえて許されるはずはないと思う。有権者の投票したときの意思というものはそういうものではないのです。あの者に教育のそういう権限を与えるつもりではなかったという有権者は相当あるはずで、これらの意思はじゅうりんされてはならない。あくまで尊重されなければならないものだ、こう私は思いますが、一片の法律でさっと片づけて何ら支障のないものですかね。常識的にも法理的にも……。やっぱり大臣に一ぺん聞きたいと思うのです。
  66. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 市町村長は自治体の長として選挙されておるのでございますから、自治体の長たる資格が変らぬ以上は、所管事務に増減がありましても、それがために選挙をし直すということは必要なかろうと思います。さればこそどの団体からも、この法律が通ったら市町村長を改選するなどということはどこからも来ておりません。
  67. 高津正道

    高津委員 それはこういう法律をこしらえなけりゃいいのであって、われわれは反対する。そんなことはできないからといっても、法理上そういうことになればやらなきゃならぬでしょう。そんなことはできるものではないというのは答弁にならぬですよ。一人の人間が死にそうな場合でも、助かるものなら五十万円でも百万円でも、一千万円でも、あればかけにゃならぬでしょう。有権者の意思を尊重するのが民主主義であろうから、それはどういうものでしょう。
  68. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 有権者の意思は、村長さんは自治体の首長だという一点に集中しておるのであります。その村長の権限は多少の出入りがありましても、村長を変えようなんということは、私は有権者の意思ではなかろうと思います。
  69. 高津正道

    高津委員 私は教育基本法制定当時の速記を今写してきたのでありますが、辻田政府委員がこう言っております。「第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育国民の公正な意思に応じて行われなければならぬことは当然でありますが、従来官僚との一部の政党とか、その他不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによって教育内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります。そこでそういうふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配教育が服してはならないのでありまして、ここでは教育権の独立ということについて、その精神を表わしたのであります。」  次にやはり辻田政府委員答弁を見ますと、「次の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と申しますのは、さればとて、教育者が単なる独善に陥って、勝手なことをしていいということではないのでありまして、教育自身国民全体に対して直接に責任を負っておるという自覚のもとに、教育は実施されなければならぬということを徹底いたしますために、まず教育行政上において教育自体のあるべき姿をうたったわけであります。」これは直接選挙という文句はありませんが、直接選挙になることの説明なんですよ。これがほんとうの解釈だと時の局長が答弁しております。この文部省の解釈を、前任者のことは知らぬといわれるかもしれぬが、前任者の解釈を全部受けておるのです。教育基本法を変えるならまた話は別ですよ。前にはこういう内容を盛っておいて、今度は別な内容を織り込むというのは、憲法第九条に対するあなた方のお扱いと一緒じゃないですか。それをお伺いします。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今あなたが御朗読になったうちには、私聞き漏らしたのかもしれませんが、教育委員会は直接選挙に限るといったような言葉はないと思います。不当な干渉を受けないという例として、官僚や一部政党が従来やったような例もないじゃないから、そういう不当なことは排除して、国民全体のために責任を持て、こういうことでありますから、私が先刻以来言っておることと衝突しておるところはないように今聞いたのです。私その速記録を見ておりませんけれども、そう聞きました。いかがでしょうか。これは教育委員会のことじゃなく、教育全体のことをいっておるように聞いておるのです。むしろその例のうちで官僚や政党の干渉を避ける方がいいというふうな意味でありましたら、私の言う通り一党独裁で、五人とも一つの党派に属したり、三人以上一つの党派に属したりするようなことを避けることが、むしろ政党の不当な干渉を避けるに適しておるようなふうに私さっきのあなたの朗読を聞いて思ったのですが、いかがでしょうか。
  71. 高津正道

    高津委員 同じところをまごついて悪いのですが、今まで文部省の解釈は、国民責任を負ってというのは、直接選挙ということで解釈がきまっておったのですが、それを今度はそういうのでない方法でやるという解釈をその文字に与えることになるのです。直接に国民責任を負うという基本法第十条をそういうふうに変えてもいいものでしょうか。
  72. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 文部省の解釈として集めたものはないのです。ただ文部省に奉職しておった者が書いた本はございます。いずれにいたしましても、私は国民全体に対し責めを負うという規則は、直接選挙をすべしと解釈するものじゃないと思っております。一々七年間の文部省のそれを全部読みませんけれども、おそらくそんなことはいっておらぬと思います。
  73. 高津正道

    高津委員 どうも教育の問題は単純な民主主義ではだめだ、これはおもしろい言葉をお使いになりますが、またさっき一党派の専制になることは悪いということをあなたもおっしゃるし、教育基本法にも書いてあるのでありますが、二大政党になって一方の政党が全国教育行政組織を指揮するようになれば、一党の支配がそこで確立するようなことにならぬですか。これだと一党派の時の政府が十分動かせるのでありますし、罷免権も持っておれば、任命権も持っておる。いわゆる措置要求という言葉はなかなか含みのある言葉で、調査もできる。学者はこれを批評して、もはや府県の教育長も何もみんなまないたの上に載せられたコイであって、参勤交代をするようにこれからはどんどん文部省へお伺いを立ててこなければならないことになる。古い頭の人、新しい頭の人、中くらいの頭の人、これは古さの程度ですが、どういう方が文部大臣になられようとも、その党の一党専制がこの法律案によって確立するんだということは、間違いないです。今われわれは三分の一程度であるから、われわれが被害者であるが、もし時来たってわれわれの方が多数になれば、われわれはこの法律によって全くどんなことでもできるような法律だ。私たちの方は教育にそんなに干渉したくない。中立であらせたいと思うんです。あなたの方は、こういう法律をもって多数を持たれ、党議が優先するのだ、文部行政も例外ではない、こういう主張を強引に突っぱっておられる文部大臣でありますが、これは一党専制を禁じておる法律があるのに一党専制を確立するものである。任命で、ゆるぎなき教育面における一党専制の基盤を固めてしまって、握って放さない、こういうものです。これは私の常識でありますが、一そう研究してきて、御質問をいたしますが、こんな一党専制の法律で固めるというのはあんまり過ぎやしないですか。あんまり攻勢に出過ぎやしないですか。動あれば反動がありますよ。ギブがなくてテークばっかりだ。人民の民主主義やら権利をみんなとるばっかりだが、どうも木下さんがおられるが、アクションがあればリアクション。事は教育だからこれは大事なことですよ。
  74. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 わが国では議院内閣制度をとっておりまして、某国のように一党専制主義——某国と言わんでも、これは遠慮はない、ソ連とか中共でありますが、ああいうふうな一党専制主義は、私ども大きらいなんです。決してそれはとりません。しかしながら議院内閣制をとる以上は、やはり文部大臣を党内からとり、それからまた提案は内閣が代表してやる。これよりほかに仕方があるまいと思うのであります。
  75. 高津正道

    高津委員 今のは私の質問にどうも的がはずれておるように思うのですが、先輩に対して大へん失礼ですけれども、わしの質問わかっているでしょう。一党専制になるだろう。とこれだけの質問ですからね。それでいいと言われれば、イエスかノーでいいんですから簡単だ。文部省が任命権も罷免権もみな持つことになると一党専制になるぞ……。速記録がものを言いますよ。
  76. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一党専制にはいたしません。それからまたこの法律教育の一党専制を希望せざるのみならず、むしろそれを排除するために苦心が存しておるのであります。教育委員会は一党でとってしまうといったようなことがないように、また行き過ぎがあるならば報告を求め助言をする、こういうふうなことなんで、たとい政党内閣でも、この通り教育をせいなんという命令はできないんです。監督という文字を使ってありません。ただ指導助言はいたします。
  77. 高津正道

    高津委員 政府が選挙制度調査会を設けて委員任命される場合、顔ぶれを見ると、どういう結論を出すためにこういう顔ぶれをそろえたか、くろうとはすぐわかるわけです。それに六年半も政権をとっておられたあの吉田さんの時代に、経済の審議会やら経済顧問のようなものを選らばれる場合に、ちゃんと顔ぶれがそろっておるのですよ。水野成夫とか、名前は気の毒だからあげないが、経済畑、財界畑の顔ぶれがずらっとそろっておるのです。自由党に入ってはいないだろうけれどども、そういう者をいつもちゃんと出されるのであって、任命ならば中正公平にいくのだということはだれも考えるものはないのです。党員たる、党籍を持っておる者よりは同調者の方にはるかに有力な人間もおりますから、党のためになる。だから任命ならば自分の党派でずっと任命していく、そうすると、あなたのような積極的なお方が文部大臣にでもなられたら、あなたのおめがねにかなう者、自分全国の全部の都道府県の者に目が届かないと思えば、あなたの腹心がおりるだろうし、同じ系統の者でブレーントラストにして選ばれては全く一色になってしまうのです。これはおそろしいことであって、任命制は科学的な正確さを持って超党派的に行われるものなり、こういう証明がなさされば私はそれで満足しますよ。そんな証明はできないはずです。党派的になる、教育が一党一派の道具に使われるということになる、改選論を持てば改選論に引っぱっていける、憲法改正に引っぱっていこうと思えば、そういうふうに教育をやることができる、こういうようなことになることは神聖なるべき、永遠性のある、あなたでいえば継続性のあるこの教育に対して、この空気に乗って、私からいえば日本政治やり方は、世界の大きい潮流に日本だけのけものになるように、まるでずれていますよ。そして教育に介入されて強引な手をお打ちになるのであります。私の質問はこういうことになります。任命制は科学的な、きちんとした数字的な確かさを持って、公平にやり得るものだという証明を私は要求するわけです。しかしそういう証明はできないはずであります。そういう答えは出ないはずであります。それならば多少の弊害はあろうが、今までの民主主義の方が教育にとってためになる。任命は公平にやり得るものである、人格識見の高き者が得られる、この証明を一つ聞きましょう。
  78. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 お答えします。一番公平を要する公平委員会というものが、これと似た人格識見を持っておる者を、一党派に偏しないように任命しておるのであります。これが不公平だという非難は今までございません。公安委員会も公安のためでありますから、公正を要します。これも任命制で一党に偏しないように任命して、公安委員会が不公正のことをしたという弾劾はございません。人事委員会もまたしかりで、任命制によってしかも一党に偏しない工夫をいたしております。これも人事が非常に不公平だという非難は、個人として思っておる人もありましょうが、世論として今の人事委員会は不公正なりといったような世論も起ってはおらぬのであります。この経験から申しますると、一党に偏しないように制限をつけて、そうして選挙であがったところの町村議会の同意を得て町村任命するということで、ほぼ公正なる結果を得ておるということは現にあるのでございます。これが証明のようになっておると私は思います。
  79. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 関連して山本幸一君。
  80. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 ちょっと大臣にお尋ねしますが、さっきからあなたの答弁を聞いていますと、要するに選挙でやればどうも政党員がふえる。おれの方も各町村に支部を作るし、社会党も当然各町村にそのようなものをやられるであろう。そうすると政党員がふえて、場合によれば一党が多数出てしまうおそれもある。従って任命制にするのだというお説なのですね。これは間違いありませんね。——そこで私はお尋ねしたいのですが、その予防措置として任命制になさるとおっしゃるのだが、町村に支部を作って政党員を獲得せられることは——獲得する、しないは結果を見なければわかりませんね。これは私は言うまでもないと思うのです。そこであなたは両方の党が競争してやれば政党員が非常にふえるとお思いですか。その点をまずお尋ねしたいと思います
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今回確立した二大政党主義は大体世論の支持を得ておると思います。これを伸ばしていって両党とも、あるいは第三、第四の党派もありまするが、国民に党の主義を徹底するために拡張をはかるならば党員は非常にふえると私は思っております。
  82. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 それではさらに突っ込んでお尋ねしますが、あなたのそういう意思は非常にふえると思うという一つの仮定なのです。もしその仮定を発展させれば、その町村の有権者が自由民主党かあるいは社会党かのいずれかの政党に全部所属する場合もあるという仮定も成り立つのです。そういうときに任命にすれば当然そのとき権力を持っておる、あるいは多数党を持っておる政党員ばかりを任命することになりますが、それが果してあなたのおっしゃる趣旨に反していないかどうか、その点をお尋ねします。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のあなたの前提の、全部がどっちかへ入るということは非常に希有な場合でありまするけれども、それはとがめません。とがめませんが、この法律はそうならぬように同じ党派は二人きりで、同党派の者は三人以上は任命しないのです。ですから全部任命されるということはございません。
  84. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 それはちょっとおかしいと思うのです。あなたは今の状態のもとにそういうことをおっしゃっているが、両党がそれぞれ各町村で政党員をふやす努力をした場合には、非常にたくさんふえる場合、それから政党員にあらざる者がごく少数の場合、それから、仮定をすれば全町村の有権者が両方の政党員になる場合、これはあり得ると思うのです。それをないとおっしゃることは私は絶対できないと思います。絶対あり得る。その三つのどっちかがあり得る。もしその三つのどっちかあり得るもののうちで、政党員にあらざる者がきわめて少数であった場合、あるいはその町村の全有権者が政党員になった場合ということを考えるならば、あなたの任命制は一党を多くしたくないという御答弁に反するじゃありませんか。それはおかしいと思うのですよ。食言はだめですよ、ちゃんと同じことを言わなければ。
  85. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 緒方政府委員。     〔山本(幸)委員大臣に聞くん   じゃないか、黙ってろ。」と呼ぶ〕
  86. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私からだいぶ同じことをたくさん申し上げましたから、補足説明を局長に求めたのでございます。しかしながらあなたの問いに対して答えることは私はちっともやぶさかじゃないのでお答えいたします。私は一つ町村が全部一党に属してほかの党派または中立から任命することが不可能に陥るなんということは非常に希有なことで、おそらくなかろう、かように考えておるのであります。
  87. 緒方信一

    ○緒方政府委員 法律関係をちょっと簡単に申し上げますが、第四条の第三項に委員任命につきましては同じ政党に所属する者は三名以上になってはいかぬ、こういう規制がございますので、ただいま大臣がおっしゃいましたように同じ党派が三名以上占めるということは法律自体が禁止をしている、こういうように補足して申し上げておきます。
  88. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 だから事務官程度の答弁では聞きたくないと私は申し上げた。そうくるだろうと思っていた。そんなことは万々承知なのです。清瀬文部大臣の先ほどからの答弁を聞いておると、私の方の自由民主党も今後は各町村に支部を作りましてそこで党員を獲得いたしますと社会党もそうされるであろう、その予防のために任命制にするのだとおっしゃったのです。現在は両党の党員がごく少数かもしれません、従ってそこで任命せられると今の政党員の任命の制限はあるいは論理上可能かもしれません。けれども両党が各町村で積極的に党員獲得倍加運動をやった場合には、極端な例をとれば一つ町村の有権者全部が両党の党員にならないとも限らない、これが一つあると思う。もう一つは、そうでなくとも清瀬さんのおっしゃるように、非常にたくさんふえますという言葉をとるならば、政党員にあらざる者がごく少数に残ってしまうということにもなるわけです。前段の全部が党員になった場合には結局党員を制限しようとする任命の趣旨には反してくると私は言うのです。第二は、ごく少数の人が党員にあらざる場合があっても、その少数のところから任命することは適在適所の人が非常に困難であるという事態が起きるのです。そこで私は清瀬さんの説を発展させれば、あくまでもあなたの説は仮定です。われわれが努力をすれば非常にたくさんふえると思いますというのが仮定なのです。ふやしてその結果を見なければわからぬのです。仮定論です。従って私はその仮定論を伸ばしていけば、その町村の有権者が全部の両方の党へあるいはその他の党員にならぬとも限らぬ、これも成立すると思うのです。そうすれば任命制というその言葉の趣旨に反するじゃないか、これを尋ねるのです、それを明快にしてもらいたい。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ちょっと冷静にお聞き下さい。私は非常に希有な場合、極端な場合について実は言うことを避けておったのであります。そういう場合が起りますれば第四条をよくごらん下さいませ「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、」こういうのです。よろしいか、長の被選挙権はその場の住民には限らないのです。ですからほかのところから有力な者を選ぶことはできるのでございます。
  90. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 あなたはまれな場合の答弁を避けたとおっしゃるが、私はそういう三百代言的な詭弁は許されぬと思います。あなたは政党が積極的にやれば非常にたくさんの党員が獲得できるとおっしゃったのですから、非常にたくさんということは全部獲得できる場合もあり得ると思うのです。まれじゃないと思う、これは現実なんだから、そういう場合は、任命制のあなたの趣旨に反してくると思う。そんな法律は適用できませんよ。そこを明確な答弁をしてもらいたい。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この法律委員になるのには、必ずその土地の住民じゃなくてもいいのです。だからひとり委員だけではなくして、町村長も知事もその通りです。住民を要件にいたしておりませんからして、任命不可能な場合は起りません。けれども私は原則としては住民になってもらう方がいいと思うておりまするから、そういう希有な場合について先刻以来は答弁を避けたのでありますけれども、全有権者が一人残らずみんな一党派といったような希有な場合を想像すれば、やはり住民でない人を選任するのほかはなかろうかと存じます。
  92. 山本幸一

    ○山本(幸)委員 ともかく大臣は、その場限りの詭弁で逃れようと努力なさる、その気持には十分に同情できます。今両党で話し合いをせられて大臣は参議院に行かれるそうですから、これ以上やるということはあるいは恐縮かもしれませんが、結局はあなたの腹はこうなんでしょう。要するに、そういう賛成、反対はおのおの党の立場があって、おのおの党の立場から反対、賛成するんですから、問題は答弁を正直に言ってもらいたい。要は任命制にすると、文部省の思う通りになるんだ、こういう答弁をなさるのが一番はっきりしていいんですから、私はそれが望ましいと思うのです。あなたの答弁にはほんとの腹を言ってもらいたいと思うのです。この辺で打ち切ります。この次に私が質問するときに申し上げます。
  93. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 この際申し上げます。文部大臣が参議院の外務委員会文教委員会連合審査会に出席を要求されております。そこで本日はこの程度にし、次会は明二十九日午前十時より開会いたします。  なお委員会理事会を開会いたします。  これにて散会いたします。     午後四時四分散会