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1956-02-21 第24回国会 衆議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月二十一日(火曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 鈴木 義男君    理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    田中 久雄君       並木 芳雄君    町村 金五君       山口 好一君    河野  正君       小牧 次生君    高津 正道君       野原  覺君    平田 ヒデ君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     齋藤  正君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 二月十七日  委員久野忠治君辞任につき、その補欠として高  木松吉君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 同月二十日  学校給食法の一部を改正する法律案内閣提出  第六五号) 同日  教職員の退職年金等勤続年数通算に関する請  願(山口丈太郎紹介)(第七〇四号)  写真技能師法制定に関する請願山本猛夫君紹  介)(第七四〇号)  同(藤枝泉介紹介)(第七八四号)  地方教育委員会制度存続に関する請願平田ヒ  デ君紹介)(第七四一号)  青年学級運営費国庫補助に関する請願(長谷川  保君紹介)(第七六三号)  盲学校及びろう学校高等部への就学義務制に関  する請願野原覺紹介)(第七八五号)  航空機爆音による学校施設移築費国庫補助に関  する請願床次徳二紹介)(第七八六号)  松岩寺の単立寺院認証取消に関する請願(村松  久義君紹介)(第七八七号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第五号)  日本学士院法案内閣提出第六号)  日本学術会議法の一部を改正する法律案内閣  提出第七号)  就学困難な児童のための教科用図書給与に対  する国の補助に関する法律案内閣提出第二〇  号)  文教行政に関する説明聴取     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  まず国立学校設置法の一部を改正する法律案及び日本学士院法案一括議題として審査を進めます。質疑を許します。河野正君。
  3. 河野正

    河野(正)委員 ただいま上程になりました二案につきまして若干の質問をいたしたいと思います。  まず第一に国立学校設置法の一部改正案ウイルス研究所の問題でございますが、法案の提案の趣旨から考えてみますと、ウイルス探究並びにウイルス病の予防及び治療に関する学理及びその応用を研究するものであるというのでございますから、大体医学的な立場研究所だ、とこういうふうにわれわれ理解するわけでございますが、さよう理解してよろしゅうございますか。
  4. 稻田清助

    稻田政委員 ただいまのお話のように、設置いたしますのが京都大学医学部関係者を中心として設置するいきさつから考えましても、またウイルス探究ということが、やはり病理的にあるいは予防衛生的に非常に大事というような点から見ましても、この研究所の第一目的といたします。また研究出発点医学的の意味でございます。しかし研究いたします場合に、ウイルスそのものの物理的、化学的性状その他を探究する必要がありますことはもとよりでございます。
  5. 河野正

    河野(正)委員 大体性格はただいまの答弁で理解できるわけでございますが、今日日本の国内でウイルス研究所というものは、一体どのくらいあるのですか。
  6. 稻田清助

    稻田政委員 これは国公私立の医学研究いたします大学におきましては、御承知のように多かれ少なかれ研究いたしますけれども、特に目立っておりますのは、東京大学に付置せられました伝染病研究所、それから大阪大学に付置せられました微生物病研究所、それから京都大学医学部、これらがこの関係におきましては一番顕著な研究業績をあげているように聞いております。
  7. 河野正

    河野(正)委員 ただいまの御説明によりますと、東大その他におきましても、ウイルス研究の一環として、それぞれの研究機関が設けられているというふうなお話でございますが、今回京都大学に生れましたウイルス研究所というものは、具体的に名称もはっきりとウイルス研究所という名前もうたっておられるわけでございますが、しかしながら九大等におきましても、ただいま大学局長からお話がありましたように、大なり小なり研究しておるようでございます。そこで将来はだんだん医学というものが発展いたしますと、ウイルス研究に対します分野というものは非常に広いと思うのです。そういう建前から、今後そういったウィルスに関しまする研究機関というものが、全国の各大学に普遍的に設置せられるものかどうか。あるいはいろいろ経費関係で、一応総合的に京都大学におけるウイルス研究所利用するという建前考えられておるのかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  8. 稻田清助

    稻田政委員 一応今回設置いたします京都大学ウイルス研究所は、単に京都大学利用ばかりでなく、全国的にこの方面研究者共同研究に稗益するように運営していただきたいと希望して、大体そういうような下約束をもって京都大学と計画いたしておるようなわけでございますが、お話のようにこればかりでなく、その他のウイルス研究につきましても、今後それぞれの特徴を伸ばしていきたいと思っております。現に今御審議いただいております予算におきましては、阪大微生物病研究所におきましては、はしかの部門を新設いたしまして、そちらの研究はそれとして伸ばすつもりでございます。
  9. 河野正

    河野(正)委員 それでは一応京都大学に付置されましたウイルス研究所を総合的な研究機関とするという御意思であって、普遍的に各大学が次々に設置するというお考えは当分ないのかどちらか、その辺を重ねてお伺いいたします。
  10. 稻田清助

    稻田政委員 今まで予算要求のありましたのは、お話阪大だけであります。将来各大学から予算要求がございましたら、それぞれの特色を考えながら措置したいと考えております。
  11. 河野正

    河野(正)委員 ただいまのウイルス研究所につきましては了承いたしましたので、将来そういった希望がございますならば、今後ウイルスに課せられました研究分野というものは非常に広いし、今後非常に重大な研究部門となって参りますので、一つその節には御善処願いたいと思うことを希望いたしておきます。  それから学士院法案の内容につきまして、若干御質問を申し上げたいと思うのでございますが、御承知のように組織の第二条二項には、会員定員は百五十人とするというふうな規約が明確にうたっておられるわけでございます。ところが会員終身とするということが、会員の項目の第三条第二項にうたっておられるわけでございます。そういたしますと、一応学士院の百五十名の定員が満たされますと、今後新しく学術的に貢献した人はこの会員組織の中に入らないというようなことになって参るようになるわけでございまするが、その辺の御事情をお伺いいたしたい。
  12. 稻田清助

    稻田政委員 御指摘のごとく法案第二条に規定いたしております会員定員は百五十人でありますが、これは学士院の長い歴史におきまして、大体この定員をもって継続して参ってきております。御承知のように学士院会員の選任につきましては非常に慎重を期しておりますものですから、現在におきましても百五十人に満ちてないのでございます。欠員が十三名ございます。従いましてこれは終身でございまするけれども、なお近い将来におきまして相当いろいろな分野において補充できる状態にあるわけでございます。
  13. 河野正

    河野(正)委員 私ども一番心配いたしますのは、ただいま申し上げましたように会員終身である。しかも定員に一定のワクがはめられておりますので、最終的にはどうも学者の養老院みたいな性格になってしまいまして、清新な学問の意欲というものがこの中から生れてこないのではないかというふうな心配をして申し上げたのであります。たまたま今日では百五十人に満たないというような状態でございますからけっこうでございますけれども、いよいよ定員が満ちて参りますと、死亡されますか、何か一身上の事故が起るというようなことがないと、新しい優秀な学術上の貢献のあった人が入れないということになるので、この法案から受けます印象は、学術に貢献なされました方々の何か養老院みたいな印象を強く受けてならないのです。将来その辺の心配がないのかどうか、一つ承わっておきたいと思います。
  14. 稻田清助

    稻田政委員 ごもっともでございまするけれども、私ども学界における組織といたしましては、常に学士院日本学術会議と対比して考えたいと思っております。一方日本学術会議の方は清新はつらつたる方々自然中堅を占めて活躍されると思いますけれども、一面学士院は碩学の優遇機関というような意味において、御指摘がありましたように比較的年功を積まれた方々のみによって占められることだろうと思いますけれども、おのおのその働きが違いまして、学界における新しいいろいろな企画その他を推進いたしますのは学術会議の職分とし、学士院の方は顕賞あるいは優遇というような点に重点を置きまする場合におきましては、自然現在の組織が適当だろうと私ども考えるわけでございます。
  15. 河野正

    河野(正)委員 ただいま局長からも御指摘のありましたように、本院というものは学術上非常に顕著な功績のあった科学者優遇する機関であるということはなるほどけっこうでございます。そこでお尋ね申し上げたいのでございますが、もちろん事業の中でそういった学術顕著な人々の業績、アルバイトといいますか、そういったものを発表する、あるいはそういったものを発行するというようなこともございまするけれども、この法案の中に年金という規定がございます。その中では会員予算範囲内で文部大臣の定めるところにより年金を支給することができる。このことにつきましては先般の委員会鈴木委員からも御指摘があったようでございますが、もちろん優遇するということは年金だけじゃない。先ほど申し上げました事業の面にもうたわれておることでございまするからけっこうなことでございまするけれども、ところがこの年金につきましてはただいま御指摘申し上げますように、予算範囲内でという規定で明記されておりますので、あるときは予算が許せば年金はもらえるけれども、非常に予算が圧迫されて年金がどうも工合が悪いというような場合には軽減されたり、あるいはもらえなかったというような事態も生まれてくるかと思うのでございますが、その辺の御事情はどういう御事情か、一つ承わっておきたいと思います。
  16. 稻田清助

    稻田政委員 年金につきましてはただいまお話のごとく、これは年々予算で御審議いただきます際に、その単価等を常に明らかにいたしておりまするが、この法律が制定せられますれば、この法律に基きまする必要な事項を規則として規定いたすつもりでございます。そういうことによりましてこの年金の金額が不明であるというようなことをなからしめるように努めたいと思っております。
  17. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 大学設置法に関連して質疑を許します。山崎始男君。
  18. 山崎始男

    山崎(始)委員 ちょっとお聞きしておきたいのでございまするが、広島医科大学の分離しているのを統合する問題ですが、事情をいろいろ聞いてみますると、今日の段階ではなかなか簡単でないように見受けるのですが、この間のいろいろの経緯を一つこの際承わっておきたいと思います。
  19. 稻田清助

    稻田政委員 広島大学統合、つまり県立広島医科大学でありましたものが、二、三年前にこの国立学校設置法改正によりまして国立広島大学医学部としたことに伴いまして、現在呉市に位置しておりまする医学部になるべき従来の県立大学基礎臨床施設広島に移るという問題についてのお話と存ずるのであります。これは県立大学統合の話がありましたときに、文部省といたしましてはとにかく第一に現在の広島医科大学施設を検討いたしたわけでございます。ところが現在は基礎臨床施設が別々の建物にあり、臨床病院も三つの部分に分れておるというような状態でございまして、将来これを充実するにつきましては非常に経費もかかるし、またその処置に苦しんだわけでございます。しかるところ当時県庁が入っておりまする建物県庁の新築によってあくという状況が明らかでありましたので、広島に所在いたしまする県庁跡不燃性建物にこの医学部基礎臨床すべてが入るとすれば、これは国立大学としてもらいましても将来経費増高も来たさないし、大学統合の実もあがってけっこうだ、そういう状況が実現せられるならば移管を受けようというような考えで出発いたしたわけでございます。従いまして文部省側といたしましては、この三月に県庁の新しい建物ができて従来の建物があくということになりますれば、そこに移転いたしたいと考えておったわけでございます。これに対して呉市関係者におきまして現状維持現地に置いてもらいたいといういろいろな御要望もございまするが、従来これらの方々お話し申し上げておることは、何としても大学教育施設でございますから、将来大学教育施設としてどちらが適当であるかということをよくお互いに考えて善処したいというようなことで、お話し合いを現在進めているような状況でございます。われわれといたしましては、やはり財政的にも、教育的にも何とかして最初計画通り広島に移したいものと考えておるような次第でございます。
  20. 山崎始男

    山崎(始)委員 当局の方では、いわゆるもっぱら国立大学としての正しいあり方からお考えになって統合という線をお出しになったんだと思いますが、地元事情を聞いてみますと、やはり呉市民日常最も生活関係の深い医学部だという立場から、主として利用といいますか、生活に直結しておるという立場からだと思いまするが、伺ってみますと、かなりやはり理由はあるように思います。聞くところによると、医専ができる当時から呉市は莫大な犠牲を払っておる。同時に先ほども申しますように医学部であるだけに、日常利用度が非常に高いというような相異なった観点から、かなりこれの統合に対しては強硬な反対があるやに見受けるのですが、ここでわれわれが心配することは、あなた方当局の万では、純学問的な大学あり方という立場から考えられると片一方は先ほども言いますように相異なった立場から考えておる。かなりこれは並行線が続けられるものだと思うのですが、文部行政立場から見て、同じ統合するにしてもできるだけ摩擦を少くしていかなければいけないと思うのでありますが、今のお話だけではわれわれちょっとわからないのですが、その間に呉市の当局並びに一般市民市民感情というものとに隔たりがある、これをどういうふうに調和をはかって円満にこの話を進めていくために現在どういうふうな努力が払われておりますか。最近の事情をいま少しお聞きいたしたい。
  21. 稻田清助

    稻田政委員 この件につきましては私どもここ二、三年来統合の当初からその方針は内外に明らかにして参ったつもりでございますが、お話のように、昨年の夏ぐらいから呉市において一面反対な御意見が非常に明らかになったのであります。それ以来そういうお話を持ってこられる方に対して、文部省側がいろいろ御説明申し上げると同時に、現地におきましても学長その他の関係者が始終寄り合っていろいろ会合いたしております。委員会というほど正式なものではないと思いますけれども、いろいろこの問題について現地においてお話し合いが進んでいるようでございますから、それとにらみ合いながらまた文部省側においていたすべきことがあれば十分考えたいと思っております。
  22. 山崎始男

    山崎(始)委員 あまりはっきりしないんですが、私はこういう問題は必ず裏面では政治問題に結びつくのだと思っております。ざっくばらんにお尋ねいたしまするが、現在また話が円満に解決しない過渡期だと思いますが、これがもつれた場合に当局としては何か腹案といいますか、呉市の市民を納得させるような仲裁的な代案といいますか、何かお考えになっていらっしゃいますか。
  23. 稻田清助

    稻田政委員 一般統合の場合に、お話しのように最後的にはいろいろな案が出てくるのでございますけれども、その案が出て参りますにつきましては、やはり現在反対しておられる方が一体何があれば満足するかというようなことのお申し出があった場合、それについていろいろ具体案が出てくるのでございますけれども、現在呉市の場合におきましては、それじゃ医学部病院に変えてどういうような措置をという話がまだ出てきていない段階だと思うのです。もっとはっきりしたい御要望でもございますれば、それは可能であるかどうかをよく研究いたしたいと思います。
  24. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部省当局としてはあくまで受け身の立場から、案が出てきたらそこで考えようというようにお聞きするのですが、私らが聞いております範囲では、これはかなり深刻なように思えるのです。ですから私は文部省の方でもある程度地元を納得さすだけの代案といいます世か、医学部という、たびたび申しまするが生活に直結しておる機関だけに、これは呉の市民立場にとればかなり重大な問題だろうと思いますので、こちらが先手を打つという言葉は強過ぎるかもしれませんが、ある程度積極的に文部省の方から何か出してやって、早くこういう問題は解決をつけていただきたいと思うのです。これはあくまで政治的に大きな観点から考えなければいけない問題と思います。この点に対して大臣の御所見を一言承わっておきたい。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 仰せの通り行政の局に当る者としては、現地事情も察し、またわれわれの方も適当なる考えをしなければならぬと思いますが、本年の予算でこの移転のためにそこばくの金を要求いたしております。もし予算が成立すれば四月一日からやらなければならぬことになりまするが、今では国も御注意のほどをよく考えまして適当に善処したいと思っております。
  26. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 ほかに御質疑はありませんか。  他に御質疑がないようでありますので、これよります国立学校設置法の一部を改正する法律案討論に付します。  別に討論通告もないようでございますので、討論を省略し、直ちに採決したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  27. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  これより採択いたします。  本案を原案通り可決するに賛成諸君起立を求めます。     〔総員起立
  28. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 起立総員。よって本案は原案通り可決するに決しました。  次に日本学士院法案討論に付します。  別に討論通告もないようでありますので、討論を省略し、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  29. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  これより採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。     〔総員起立
  30. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 起立総員。よって本案は原案通り可決するに決しました。  なおお諮りいたします。ただいま可決せられました両案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  31. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 御異議なしと認め、さよう取り計らいます。     —————————————
  32. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 次に学術会議法の一部を改正する法律案及び就学困難な児童のための教科用図書給与に対する国の補助に関する法律案一括議題として質疑に入ります。なお文教行政に関する質疑もあわせこれを行うものといたします。質疑通告がありますのでこれを許します。野原覺君。
  33. 野原覺

    野原委員 大臣にお尋ねいたします。一つ教育委員会法関係でございますが、これは一体いつごろ国会に出す御予定でしょうか、お伺いしたいと思うのであります。
  34. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 三月上旬には成案を得て提出いたしたいと存じます。
  35. 野原覺

    野原委員 いずれ提出になりました場合に私ども質疑いたしまするから、これ以上この点についてはお伺いをいたしません。  二つ目の私の質問は、学校給食の例のミルクの横流し問題でございますが、その後どういう進展を見ておりますか。私ども文教に籍を置いておる者としては、教育委員会その他各方面から実はいろいろな問い合せを受けるのであります。非常に重大化しておるやにもお聞きいたしますのでお尋ねいたしますが、どういう一体進展状況なのか。大臣給食会監督責任の地位にあらせられますから、一つこの委員会で今日までの状況をかなり突っ込んで御報告願いたいと思うのであります。
  36. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 このことは今検察当局捜査中でありまするが、広島における件につきましては給食課長は起訴されました。去年の五月、六月、九月、十一月にそれぞれ必要以上のミルク要求をいたした、必要以上の額は文部省の係をだましたのだということで、詐欺罪の名目で起訴されております。五名ありましたが、あとの二人はまだ起訴状には接しておりませんけれども最初起訴状のうちに両名と共謀してということがありまするから、あるいは残り二人も起訴さるる運命にありはせぬかと思っております。  そのほか川口市その他において似た事件が起っておりまするが、これは文部省からだまして取ったというのじゃなくして、県委員会の方で正当に取ったものを自分で横領したという事件のようでございます。何分捜査中のことでございまするから立ち入って調査はできませんけれども、かくのごとき事件が各方面に起ったことは大へん遺憾と存じております。
  37. 野原覺

    野原委員 実は今御答弁広島県とございましたが、間違いでありませんか。
  38. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そうですか、私は言葉が違ったかもしれません、長崎のことを言っております。言葉の間違いです。
  39. 野原覺

    野原委員 まだ捜査中ですから、大臣としてはこれ以上立ち入ったことは申し上げにくいというお心持もよくわかりますが、実は大臣が申し上げなくても新聞は仮借なく書くのです。私も新聞を読んで実はいろいろの問題を教えられておるので、私はこういうようなあり方について実は非常に遺憾にたえぬのでありますが、新聞は天下の公器でございますから、しかも責任ある大新聞が報道する場合には、相当の確信の上に立ってこれは書いておるのではなかろうかと思うのであります。そこで私はこういう委員会では大臣が公表をはばかる、あるいは捜査中であるから今触れたくないというような点は、秘密会というような要求もできぬことはないのでありますから、でき得る限りこういう真相はやはり文教委員会には御報告していただきたい。私はこのことについて、まずその遺憾の意を表しておきたいのであります。  そこでお尋ねをいたしますが、ミルク業者が相当関係しておる、いやしくも学校給食物資に対して利潤を日当てとしたそうい、業者が立ち入って、給食物資をネタにして金もうけをやろうというような最も悪らつなやり方というものは許すことができぬ。このように思うのでありますが、この点はどうなっておりますか。ミルク業者は、今まであなた方の知っておる限りでは、一体どの程度関係しておるのか、どういう業者なのか、これを一つ御発表願いたい。
  40. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ただいま捜査中と言ったのは、検察庁で捜査の最中でございますから、いわゆる捜査の機密でありますか、われわれにもあからさまに言ってくれないのであります。起訴されましたものについては——さき申しましたのは、起訴状だけはもう起訴されたのですからもらいまして、ここで申し上げておるので、私どもが知ることができましたら、こちらは捜査責任者じゃありませんから、ちっとも隠しませんです。ただ当局に照会いたしましても、被疑者をつかまえようという捜査中でありますから、責任ある調査ができないのでございます。
  41. 野原覺

    野原委員 検察庁から摘発をされて、いろいろな事柄が明るみに出た場合に、行政上の監督責任者は何も知らなかった、こういうことになったときの責任はどういうことになりましようか。
  42. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 具体的にこの事件の全貌がわかりましたら、そのときに考えたいと思います。
  43. 野原覺

    野原委員 なおこの問題から発展をいたしまして、実は学校給食ミルクの横流しだけではなく、今日の日本学校給食会にまつわる問題は、これは相当根深いものがあるようであります。私は今ここに確たる証拠をまだ十分収集しておりませんから、申し上げることは遠慮いたしますけれども、とにかく全国にわたる学童にあれだけの膨大な物資が長年にわたって出されておって、しかもミルクだけでもこういうような問題を起すのであるから、これは大へんなことだというので、目下検察庁はその方面に実はほこ先を向けてきたように聞くのであります。そうなって参りますと、私は純真な学童に対する影響を教育上の観点から非常に憂えておるのでございますが、大臣としてはそういう点に御懸念を持たれたことはないのか。ミルクの横流しが問題になってから、かなりの時日を経過いたしておりますが、そういう点に御心配を持たれたことがあるかないか、あるとすれば一体どういうお考えでこれらの問題を大臣立場から究明されていらっしゃるのか、承わりたいのであります。
  44. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この事件が始まりましてから、私大変心配いたしております。それと同時にこの給食の制度は、今日は日本学校教育一つの大きな制度になっておるのでありますが、それにしては戦後早々にできたので、制度自身も不備でございます。これらを一つ理論的、系統的にただいま調査を命じておるところでございます。よく言うただいま調査中という意味じゃなくして、実際に調査を命じて何かこれを完全な統制のもとにおきたい、かように思っております。
  45. 野原覺

    野原委員 いずれこの問題は、検察庁の捜査の発表もまとめてあることでありましようし、なお私どもは私ども立場から実は関心を持ってその成り行きを注目し、やはりうみは徹底的に手術をして出さなければならぬと考えておりますので、いずれそれらの時期が参りました場合に、私はあらためてまた御質問もし、私の考えも述べたいと思うのでございます。ただここに私の全く老婆心であれば幸いでありますけれども大臣は、何回も申し上げますが、日本学校給食会の監督の地位に立っておられるのであります。しかも全国の父兄、今日は学童、生徒までが、ミルクを飲むたびにこれは横流しではないかといって、純真な子供までが実は給食の話題に供している。こういう事態を引き起した文部省当局の責任はきわめて軽視できないものがあろうかと思うのであります。従ってミルクの問題だけではなく、学校給食物資が今日まで一体どういう経路でこれが下部に流され、そうして問題点がなかったのかどうか、大臣みずから——私は清瀬さんの高潔な人格を信頼いたしますからあえて申し上げますが、大臣にこの責任が個人的にないことは私も知るのでありますけれども、政治上の責任ということになればおのずから別でありますから、そういう立場で、あなたとしてはこの方面に対する究明あるいは対策について万遺憾ない措置をとられんことを私は要請いたしたいのであります。  そこで次にお尋ねしたいことは、先般高知県の紀元節の式典について質問をいたしまして、あの具体的な事実、それに対する大臣の所見を私が求めたのでございますが、委員長から聞くところによりますと、私が本委員会に出ていない席上で、何でも緒方局長から報告があったやに承わるのであります。従って私としては、これは私が出ていなかったのがよくないことでありますから、とやかくは申し上げませんけれども、二、三やはり疑点が残っておりますので、重ねて大臣にお尋ねをしたいと思います。私は紀元節がよいとか、建国祭は悪いとかいう意見をここで持ち出そうと考えているのではないのであります。今日の憲法とそれから改正されない今日の教育基本法のもとにおきましては、いやしくもああいう高知県の紀元節の式典というものは許されるものであるかどうか、今日の法制のもとにおいて、今日の学校教育あり方の上に立って許されるものであるかどうか、このことに大きな疑問を持っているのであります。もちろん帝国憲法時代、戦争前の日本教育からいけば、これを持たなかったら大へんな問題を起すのであります。しかし今日のわが国の初等教育、今日まで文部省が指導して参りましたこの教育から考えて、あの事態が許されるのかどうか、そのことをお尋ねしたいのであります。大臣の御所見をお願いしたいと思います。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 過日報告をいたさせましたときに、野原君おいでにならなかったことは私も目で見て遺憾だとは思っておりますが、すでに記録をごらん下さったことと思います。この速記ごらん下さったでしょうか。
  47. 野原覺

    野原委員 いやまだです。
  48. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そうですか。ここに申し上げた控えもございますが、あのうちで学校がああいうことをやるのは、教育長には言っているようでございます。それゆえにその点については非常に責むべきことでもなかろうと思いますが、当日土曜日であったというので、式典が済んでからすぐ子供を帰しております。すなわち授業を休んでいるのです。これは私は少し遺憾だと思っております。教育長がはっきり同意しておればともかくでありますが、教育長または教育委員会の明らかな同意を得ずして子供を帰してしまって休日同様にしたということがあれば、これは遺憾なことだと思っております。そのほかにやりましたことは、たとえば人間天皇、すなわち今の天皇は神様ではないのだということを、昭和二十一年に天皇みずからおっしゃったことをそこで読んで訓話いたしておるのでありまするから、天皇神格化を鼓吹したということでもないのでございます。高知県の教育委員会自身ではそのことを知って適当に処理をいたしたと思うのでありまするから、直接文部省よりこの学校または校長に注意をする必要もなかろう。この報告を得て、自来そのまま推移いたしております。
  49. 野原覺

    野原委員 式の次第はどういうことでございましょうか。その式典をあげました式の順序ですが、どういうような項目になっておりますか、承わりたいのです。
  50. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 式の次第は、まず皆が入場いたしまして、これには生徒のみならずその父兄も一緒に入っております。それから礼拝をして、開式の言葉を申し、国歌を——君が代でありましょう、国歌を斉唱し、今申しました天皇陛下の昭和二十一年一月一日に賜わりました人間天皇のお言葉を拝読し、校長が訓話をいたし、来賓、すなわち父兄及びPTAの諸君が祝辞を述べて、紀元節の歌、すなわち「雲にそびゆる」を斉唱いたしております。それから学校の校歌があると見えて、学校の校歌を歌っております。それから閉式の言葉、こういうことでございます。
  51. 野原覺

    野原委員 これは大臣としては紀元節の式典とお認めになりませんか。ならぬとすれば、どういう理由でしょう。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国家的式典ということではないのでございます。当日は祭日でもございません。しかしながらこの校長が自分の計らいで、昔の紀元節に当る日に日本の肇国を、国の始まったことを祝うために集まった私の会、こう見ておるのであります。
  53. 野原覺

    野原委員 国家的式典か私の式典かを聞いておるのではないのです。紀元節の式典が国家的式典であっていけないことは当然であります。今日国家は紀元節を認めていないのでございますからね。だから国家が認めていないような式典を、校長が全校の生徒、しかもおまけに父兄まで動員をして、学校教育の場でやったということがやはり問題になろうかと思うのであります。そういう意味で私はお尋ねをしておるのでございますから、重ねてお伺いをいたしますが、これはいかがでしょうか紀元節の式典——国が認めた紀元節とはいかなくても、従来あった紀元節に類似するといえば変でございますが、同様の式典を、国が認めていないものをこの校長はやったのだ、こういうようなお考えはございませんか。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたの類似という言葉を広く解釈すれば、やはり昔の紀元節に類似したことを私にやった、こういうことと思います。
  55. 野原覺

    野原委員 国が禁止をしておる。これは明らかに今日許していないのでございますから、裏を返せば、禁止しておるわけでございます。今日のところでは学校教育では紀元節の式典はできないということになっておるんです。大臣、これは御承知だろうと思います。大臣御自身建国祭を復活をしたい、二月十一日に紀元節を持ってきたいということは、大臣個人のお考えでございますけれども、今日の日本教育を律する法令のもとにおきましては、できないのであります。そのできないことを校長が、いかに教育委員会の許しがありましようとも、やっていいのかどうか。これはいかがですか。こういう式典は教育委員会の許しがあればやってよろしいものでございましょうか、その点承わりたいのであります。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育委員会が明らかに許可すれば、私は非常に差しつかえる点もなかろうかと思います。ただこの日休業をしておるかどうかが、私非常に疑問となっておるのでございます。
  57. 野原覺

    野原委員 これは非常に重要でありますから、きょうは私はお聞きして帰ります。これはあなたの責任に関係しますよ、今の答弁は。緒方局長もそばにおって、そういう補佐をしないということになると、重大だと思う。教育委員会が許せば、こういう式典ができるというのは、一体どういう根拠に立ってそういう考えを持たれるんです、大臣、いかがですか。教育委員会が許せば、こういう今一から十まであげたような式次第のこの式典は、校長はやってもよろしいんですね、教育委員会はこういうことを個々にやってもよろしいのでございますね、いかがですか。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 法律に触れるとは私は思っておりませんです。わが国の今の教育法のもとにおいても、やはり国民に歴史的事実を教え、愛国の精神を喚起するということは、違法ではないと思っております。ただ、現在始終引用されまする教育基本法においては、愛国心という文字は書いてございません。けれども、正しい伝統を教えることを非常にとがめるということでもないのでありまするから、この範囲のことを文部省から責めていくということは、適当な措置ではないと思っております。
  59. 野原覺

    野原委員 教育の場で歴史的事実を教えたり、愛国の精神を振起したりすることが悪いというようなことを私は言っておるのではありません。問題は、その歴史的事実とは何か、愛国的精神とは何かということです。少くとも今日の教育では、愛国的精神とは、天皇をあら人神とあがめ奉る愛国的精神であってはいけないということになっておるのであります。天皇は決してあきつみ神ではない、国民は民草ではないということが、今日の教育の精神でしょう。ところがこの式典は、なるほど式次第の五番のところで、人間天皇の詔書を読まれた、こういうことではありますけれども、一体どういう式辞がなされたのか、ここにも問題があるのです。有志の方がお祝いの言葉を述べられた、校長があいさつをされた、一体その言葉は何であったか。それからこういう式典全体の雰囲気の中に生徒を置いて「雲にそびゆる高千穂の」を歌った。私は「雲にそびゆる高千穂の」を個々人が歌うことは何ら差しつかえないと思いますが、「雲にそびゆる高千穂の高嶺おろしに草も木も」ですか、なつかしい歌です。まことに昔なつかしいですね。 (笑声)郷愁を覚えるような歌なんですな、曲といい、歌詞といい。それから「なびき伏しけん大御代を仰ぐきょうこそ楽しけれ」この歌の歌詞全体でも問題はあるんです。こういう点に問題があるから、こういうことは学校式典の中では好ましくないからというので、昭和二十三年に国の祝日に関する法律ができました場合には、これがお預けになっております。そういう問題のある個所を校長が教育委員会の許しがあったからやったのだ。一体その教育委員会はどういう見識を持って許したのかにも、また大きな問題はございますけれども、そういうことは許されるのだ、こういう大臣のただいまの答弁は、きわめて重大でなければなりません。私はこの問題は私自身もう少し掘り下げまして日をあらためてせん大臣の責任に触れることになろうと思いますが、いかがでしょうか、お取り消しになるつもりはありませんか。可許すれば可能だというその言葉は、お取り消しになった方が無難ではなかろうかと思うのですが、どうですか。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 理屈より事実が一番大切と思いまするから、もう一つ付加いたしておきます。今のところの校長がどういう訓話をしたかということでありますが、これは電話問答でありますので非常に正確とは言いませんが、当日こういう話をしております。校長先生は、個人にも誕生日があるごとく、国にも誕生した日がある。これが今日二月十一日で、日本ができてから今年で二千六百十六年目である、国の歴史を大事にしてこの国を育てていこうではありませんか、こういう趣旨の訓話をしたものであります。これが果して二千六百十六年であるかいなかについては、歴史家の間に議論はあります。しかしながら長い間の伝説として日本書記にある通り、辛酉の年庚辰の朔日、一月一日、このときに大和の橿原で神武天皇が御即位になったということは、通常の伝説じゃありません。われわれ祖先が長くこれを信じ来たったものだ。少くとも明治以後終戦まではこれを実行したのでございます。客観的目付といえば、キリストさんのお生まれになった日だって、これは正確じゃありません。仏誕すなわちお釈迦さんがお生まれになってから二千五百年ということも、必ずしも正確でありませんけれども、国民感情あるいは国民の信念で、日本は神武天皇が大和の橿原で即位になったときに国が始まったというこの広い感情は、これを抹殺すべきものではないと思っておりますゆえに、今の読本にこれがなくても、子供にこのことを教え伝えるということは、日本教育としてはわが国の伝統を伝えるとして妨げないと私は思っております。あるいは当日の歌の歌い方とか、あるいは頭の下げ方といったようなこまかなところについては、私は目で見ておるのでありませんから、一々これを非難も賞賛もいたしませんけれども、今日次の時代の国民に向ってわが建国の事実を教えるということは私は差しつかえがない。今まで申し上げたことは言葉に拘泥せず、私の意味をもって御了承願いたいと存じます。
  61. 野原覺

    野原委員 了解できません。はっきり言います。あなたのただいまの御答弁は私は了解できない。二千六百十六年でありますか、そういうことはそういうような見方もあるでしよう。しかしそのことが歴史的事実であるかどうかということは、あなたと議論するだけやぼなんです。それはあなたの個人的な考えであって、私ははっきり言いますが、そういう見解を持って今日の文教行政をあなたが主宰される、こういう限りにおいて、日本教育者はあぜんとするでしよう。今日の私の質問答弁の速記を少くとも教育に関心を持たれる識者が読んだ場合に、一体どういう反響が起るかを御反省願いたい。私はあらためてこの問題を取り上げます。終ります。
  62. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 関連して山崎始男君。
  63. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいま野原委員の方から高知県の紀元節の問題で御質問がありましたが、私はその精神において非常によく似た問題を申し上げまして、大臣の御所見を聞き、同時に私自身の日ごろ疑問に思っておるその疑問の解決の一助にしたいと思いますので、お尋ねいたします。  御承知のように、最近全国の津々浦々に至るまで遺族会が忠魂碑の再建ということを非常な勢いでやられておるのであります。私はそのこと自体のよし悪しということをお尋ねするのではありません。ただ問題は言葉の問題、文字の問題で、忠魂碑という文字ですね。御承知のように、占領治下にはジープに乗ってあちらの監督官があちこち回って、わざわざあれを倒させたものです。びっくりして倒して、それを二つに折ったり三つに折ったりしたところもございましたが、中にはそれを見えないように倒したやつを土の中に埋めておった町村もたくさんある。そういうようなものを最近土の中から出して建てておる。これはまだしもですが、新しく石屋に頼んで作るのに、わざわざ忠魂碑という言葉のものをまたそこへ再現しているのです。私の知っておるある町でありますが、その忠魂碑を新設いたしまして、学校の生徒をその前に全部並べて、その落成式といいますか完成式をやった。こういう例もたくさんあるのでありますが、そのときに、現在の子供というものは——先ほど野原委員から尋ねておりましたように、新しい憲法に基く教育基本法の精神にのっとって、天皇は人間であるという考え方がすべて教育のあらゆる面に出ておると思うのであります。そういうときに、現在の子供というものがそういう文字を見たときに、どういうふうな気持になるだろう、これは文教行政をあずかる立場の者として非常に考えなければならない問題ではないか、私はそういう場面にしょっちゅう出っくわすのでありますが、常にそれが私の気持の中に大きな疑問となって残るのであります。大臣はこういう問題に対して、忠魂碑という言葉があるいは英霊の塔とかなんとかいうなら問題はないかもしれませんが、そういうふうな言葉と文字でもってそういうことをすることは、果して新しい教育あり方の上から見ていいことなのか悪いことなのか、好ましいことなのか好ましくないことなのか、この際一つ御所見をお聞かせ願いたいと思います。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 言葉にはそれぞれ薄葉の持ち味のあることでございます。それからまたおのおのの社会観、人生観にもよることであります。ただ歴史というものがあるので、封建時代には藩主に忠をしたのはいいことで、今に至るまでわが国では赤穂の義士といって、藩主のために尽したことを義、すなわちよきことといっておるのです。明治大正の間はわが国では天皇が主権を持たれていたのであります。国際法からいえば、国家に主権があるのでありましょうが、これを天皇が持たれると解釈して国民教育をしておったのであります。国民も軍隊も学生も、みんなこれを信じて身を犠牲に供したので、これを忠魂と称することは私は差しつかえはないと思います。ただ国家がかくのごとく、たとい占領下といえども、国家の主権の所在が変って、今日人民主権となった場合に、昔と同じように天皇に対して身をささげよという教えは、学校ではすべきものじゃないと思います。そのときわれわれの父兄がやったことは、むだなことじゃ、犬死にじゃというべきことじゃなくして、これを忠魂と唱えて奉仕することは何ら差しつかえないと思います。
  65. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうもただいまの御答弁は、先ほど野原委員が遺憾の意を表しましたが、それと同じような気持を私は持つのでございます。要するに、私は漢学者じゃありませんから、大臣が今おっしゃったようなことはよく知りませんが、いかに占領治下とはいえども、忠魂碑というその文字からくる、一つの目に見えない教えといいますか、そういうようなものを建ててはいけないという、これが現在のように占領治下の行き過ぎは是正をするんだというあなた方のお考えでありまするが、これは是正をするしないにかかわらず、やはり憲法が残り教育基本法が残っておる以上、私は純心な子供というものは、大臣が今おっしゃったようなふうには現実問題として受け取らぬと思うのです。日常学校で習っておる社会科にしたところで、あらゆる教育というものは相反することを習っておる。自分が住まっておる町なら町、村なら村の、お宮の境内とかあるいは学校の校庭へ行ってみると、相反する一つの味わいの出てくるものが立っておる。しかもそれが村をあげ、あるいは町をあげて、中には学校の生徒が全部そこへ行って、いろいろの訓辞なり話を聞いてそのお祝いをやるという、全く教育というものと実際社会の環境というものは分離されておる現状なんです。それを文教行政の責任者であられる大臣が、ただいまのような御見解を披瀝されるということは非常に遺憾じゃないかと思うのでございます。重ねてお尋ねしまするが、やはり私は当時のそういう忠魂碑というものはいけないんだというて取り除かせた、たしかこれは社会教育の所管でありますか、当時どこでありましたか私もはっきり覚えておりませんが、やはり法的な所管の所在というものは、文部省関係じゃないかと思うんですが、あなたの御所見を再度お聞かせ願いたいのです。これは非常に小さいことのようでありますが、現実の教育の上からみたら、かなり大きな問題も含まれており、常に私は非常な疑問を持っておるのです。どうも大臣の今の御見解では、私の疑問も氷解をしませず、むしろ逆に大臣自身のお考え方が、非常に遺憾だといわざるを得ないのです。もう一度御所見をお聞かせ願いたいと思います。
  66. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私もこれを小さい問題だとは思っておりません。非常に大きな問題だと思っております。しかしながら幾ら幼小の子供の頭にもこの区別はできると思うのです。今は日本は国民主権の時分であるから、一番尊いのは国民で、尽そうと思えば国民に対して尽すべし。しかしながら過般の戦争以前においては、お前たちのお父さんもおにいさんも、やはり天皇に主権があると教えられ、またこれを信じておったのであります。戦争前の学校や軍隊では、すべて天皇に主権があることを信じ、活動しておったのであって、また明治憲法は事実そうであったのです。その時代において天皇に尽すことは忠と入って人間の一つの美徳であるのだ。今天皇を神だと思えというのじゃないぞ、今天皇のために死ねというのじゃないけれども、お父さん、おにいさんの身を尽されたのは、この崇高な考えのもとにいっているのであるということの教えはできるものと思うのです。現在と過去と二つに切って教えることは可能と思います。おとなには直ちにできる。なるほど相手が子供でありますから、少し込みいってはおりますけれども、それだけの労をとって、あなたのお父さんも、おにいさんも犬死にしたのではなかったのだ。その時分の日本としてはすべき義務を尽したのだ、国民としての神聖なる義務をお尽しになったのだということは教えていいと思います。現に靖国神社には死んだ兄あるいは死んだ弟を祭るために地方から陸続として国民は参拝しているのです。靖国神社の目の前で、これは犬死にしたんだから帰れ帰れと言ったら大へんなことです。私はやはり死んだ人の功績はたたえていいと思います。その時分の日本の国体がそうであったのです。ただその後国体が変ったのでございますから、この区別は容易にできることで、それができないはずはないのであります。
  67. 山崎始男

    山崎(始)委員 私がお尋ねしておるのとだいぶんピントがはずれているのですが、私はそれを祭ることがいい悪いを言っておるのではないのです。忠魂碑という言葉をわざわざ新しく石屋を頼んで作らなければならぬか、こう言っているのです。いわゆる戦士の墓であるとか、あるいは英霊の塔であるとかいう言葉も使えることは使えるのです。それをわざわざ何を好んでか、忠魂碑という言葉の復活をやっているのが現状です。しかもその前で純真な生徒児童が逆の教育を受けておるのが現実なんです。言葉の問題であるから非常に小さいように見えるが、これは必ずしも小さくない。この忠魂碑という言葉がいいか悪いか、イエスかノーか、それだけお聞きすればいいのであります。
  68. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 占領時代においては、何しろ占領軍というのは、もと敵であって人ですから、それが忠魂碑をいやがったのは、これはアメリカ人としては無理はないのです。しかしながら当時われわれは、これを破壊することは断腸の思いでありました。今日当時の勇士を守る記念碑に忠魂碑と書くということは、今の日本としては禁止すべきものじゃないと思います。
  69. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、忠魂碑という言葉を倒したときに、占領治下ではありましたが、これは私も記憶はありませんけれども、社会教育の方でずいぶん指導をやられたと思うのです。もとより文部大臣の通牒も出ておったと思うのですが、やはりその後その通牒あたりを取り消されたのですかどうですか。御存じないですか。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 その当時は、公けの機関としてはいけないということだったろうと思います。われわれ個人が、自分の仏壇で、自分の庭でやることは、何ぼ占領軍といえどもやるべきものじゃなかったろうと思います。しかしながらそれは過去のことです。昭和二十七年四月二十八日にわが国が独立した以上は、われわれはどんな墓を作ろうと、どんな記念碑を作ろうと、米軍からの指図を受くべきものではないと思います。
  71. 山崎始男

    山崎(始)委員 最後に一点だけ。私はあえて結論を急ぎますが、そうすると大臣のお考えでは、忠魂碑という言葉を使ってもいいということなんですね。
  72. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 忠魂に対して忠魂碑という言葉を私は使っていいと思うのです。忠魂でない人に忠魂碑というのではいけませんが……。
  73. 山崎始男

    山崎(始)委員 私やめようと思うのですが、そういうふうに言われると申し上げなければならぬ。今日町をあげ村をあげて、忠魂碑というものの内容はあなたがおっしゃる通りで、昔日本の国のために一生懸命にやられて戦死された人のことなんですから、それをお祭りするということはけっこうなんですよ。その場合に、新しい憲法下ではもとより、今日の教育にはないのにかかわらず、わざわざそのお祭りをするときに忠魂碑という言葉を使っていいか悪いかだけを聞いておるのであって、それだけでいいのです。ほかのことは要らないのです。
  74. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それについてはすでに答えてあると思うのです。わが国が憲法を改正する以前において、すなわち天皇に対しては忠をしろと教育勅語でも教えられ、軍隊勅諭でも教えられて、それを信じて身を犠牲にしたる人を忠と称し、その記念碑に対して忠魂碑ということは、われわれは決して禁ずべきものじゃないと思います。言葉の趣意です。あるいは殉国塔とか忠霊塔とかいろいろ言葉は使えましょうけれども、言いなれた忠魂碑ということを選ぶ人があったならば、それを政府からとめべきものじゃないと思います。
  75. 山崎始男

    山崎(始)委員 とめるとかとめぬのとか言っているのじゃないのです。好ましいか好ましくないかを聞いておるのです。
  76. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 好ましいとか好ましくないかということは一つの趣味のようなことで、ここで答え得ることは、法律で禁ずるか法律で禁じないか、われわれ内閣が行政でとめるかとめぬかでございます。清瀬一郎の社会観あるいは趣味ということならば、しいて言えといえば申し上げますが、御参考にならぬと思います。
  77. 佐藤觀次郎

  78. 河野正

    河野(正)委員 御承知のように大臣は今日まで教科書の内容にいろいろ誤謬があるので、教科書を改訂したいというようなことで、近く教科書法案というような法案を出される予定のように承わっております。こういった教科書の抜本的な改革というものは、今日の教育制度に非常に重大な影響をもたらすものと私ども考えておるわけでございます。そういった立場から、ただいま議題になっております紀元節の問題を取り上げて質問申し上げたいと思います。ただいま申し上げましたように、教科書の改訂というきわめて重大な問題については、その改正の根拠は教科書の内容にいろいろ誤謬があるというようなことでございますが、今日の紀元節の歴史的な根拠と申しますかあるいは科学的な根拠と申しますか、そういった紀元節の根拠につきましてはきわめて不明確なものがあるわけでございます。先ほどから二千六百十年とか十一年とかいう話も出て参りましたけれども、そういった点にきわめて歴史的にあるいは科学的に不明確なものがある。そういったことで国民の祝日に関する法律の中では除かれて参ったと思うのでございますが、そういう不明確な根拠に基いて行う紀元節の行事を、あたかも文部大臣がお認めになるという御意思を発表なされますことは、教科書を改訂して大幅に教育制度を改革していこうと、この中でも申し述べられましたいろいろな理由と矛盾するものがあるような印象を受けるわけでございます。その辺の大臣の御所見をまず承わっておきたいと思います。
  79. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 まことに幅の広いお問いでありましたが、教科書の改正は三つの目標があるのです。まず今の教科書に誤謬が非常にあることを発見したのが一つ、もう一つは全部ではありませんが、あるものについて思想的偏向があることを発見したのが一つ、もう一つは価格が高過ぎるので、この三つを改めようというのであります。思想的偏向はひとり左の方への偏向のみならず右の偏向もよくないので、中正なものを教科書としては作りたいという考えであります。今私が紀元即、忠魂碑等について答えたことは、私は言葉が下手でありますから、響きにおいて幾らか昔に戻るような意味で教科書を作りはせぬかというお問いであると拝察しますが、そういう考えは毛頭ございません。検定制度でいいものが申請されることを希望しております。いい教科書は検定して次の時代の国民に読ましたい、これだけのことで何もほかに野心はございません。
  80. 河野正

    河野(正)委員 ただいま教科書改訂については重要な三つの理由があるのだというようなことが開陳されたわけでございますが、その中で思想的な偏向という言葉が使用されたと思うのでございます。ところが今度行われました高知県の紀元節の問題にいたしましても、御承知のように学校は公けの場所でございます。国におきましては国民の祝日に関する法律が制定されておりながら、そういう公けの場所で国の法律を犯すかのような印象を受けるような行事を行いますことは、私どもといたしましてもまことに遺憾だと思いますし、そういったことを特定の学校が全国に先がけて率先してやりますことは、先ほど大臣も右あるいは左の偏向というふうな御言明もあったと思いますけれども、むしろ復古調的な偏向した一つの運動に値するような行事ではなかろうかというように考えるのでありますが、そのような学校の態度に対しまして、大臣はいかなる御所見を持っておられるか、その点を伺いたいと思います。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この点は先刻野原君のお問いに対しお答えいたしました。ただ全体を見まして、天皇は人間であって神じゃないということは十分に教えておるのでございます。個人に誕生日がある通りに国にも誕生日がある、こういう限度であって、私は右翼偏向の行事をやったとは思っておらぬので、ただ当時学業を休んでそれをやったということに少し行き過ぎがある、かように感じております。
  82. 河野正

    河野(正)委員 ただいま大臣答弁を承わって参りますると、校長は、天皇は神ではないのだ、人間であるというような訓辞をやったのだというような話。あるいはまた先ほどからいろいろ大臣答弁を承わって参りますると、日本の当時の国情と申しますか、慣例と申しますか、あるいは国体というものがさようであったので、先ほどどもの同志であります山崎委員から御指摘がありましたように、忠魂碑という言葉を使っても差しつかえないのだというような、当時の国体がそうであったからというふうな話を再三再四承わって参るのでございますが、しからば、当日校長がなびき伏しけん大御代というあの紀元節の歌を歌わしたということでございますが、これは当時はそうであったかもわかりません、明治あるいは終戦までの間はそうであったかもわかりませんけれども、少くとも今日におきましては、なびき伏しけん大御代というふうな言葉は、今日の新憲法にうたわれております主権在民という立場から考えて参りますると、私は全く適切を欠くというふうに考えるわけでございまするが、その点はいかがでございまするか。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あの歌は神武紀元の当時の日本の国情を歌った歌であります。
  84. 河野正

    河野(正)委員 そこで先ほどから大臣がいろいろと開陳されますように、当時の国体がそうであったから当時そういう歌を歌うことは、私どもといたしましても了解いたすわけでございすまけれども、少くとも今日の憲法のもとでそのような歌を歌うということ、しかも批判力のない小さい学校の子供たちに、無批判的にそういった歌を歌わせるということが、果して今日の新しい憲法のもとで正しい指導方針であるかどうか、その点をお伺いいたしとうございます。
  85. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それが先刻山崎さんのお問いに対して申し上げたのと同じことであります。今日本国民は天皇になびき伏せよ、今日を言うのじゃございませんで、二千数百年前大和の橿原で式典をあげられた時分には国民全部がなびき伏したのだという昔を追想してそのときの状況を歌っておるのでございますから、これはとめる必要はございません。しかしそれと混雑して、今でも天皇は神さんではないが神さんに近い人で、陛下のおっしゃることには何でもなびき伏せよというふうに聞える説話をすればそれはいけません。今の憲法に反しております。現在の憲法が民主主義の憲法だということはおそらくは校長は日夜子供に教えておることでございましょう。しかしながら往古を回顧すれば、どこの国でもそうでございますが、日本肇国の初めはやはり君主制であって、しかも神武天皇は名のごとく武の天皇であって、大和平原の橿原の宮で式典をあげられた、その時分には万民がなびき伏したのだ、こういういにしえを描写したまことにいい歌だと私は思っております。
  86. 河野正

    河野(正)委員 学校の生徒がたくさんおる中で、ただいまの大臣のような紀元節の歌を歌わせるということには、私は誤りはなかろうと思います。ところが御承知のようにこの学校は小学校でございまするから、全く批判力のない学童たちでございます。そういった学童たちに今のような歌を単に歌おせるだけで正しい指導ができるかどうか。大臣がおっしゃいますように、この歌は、われわれの祖先がそうであったのだ、当時の国体がそうであったのだというよう註釈を加えあるいは説明を加えて歌わせるということになれば、私は多少わからぬでもないのでございますけれども、無批判的に何ら註釈を加えることなく、説明を加えることなくして、このような歌を今日の新憲法下において歌わせるということにつきましては、私どもといたしましてはどうしても納得のいかぬ点があるわけでございます。そこで私がお尋ね申し上げたいところは、ただいま申し上げましたように、こういう歌を何ら説明することなく、反省することなくして歌わせることがいいことか悪いことか、その点を大臣にお尋ね申し上げておるわけでございます。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 まことにごもっともなことで、私の論旨とやや接近してきておるのであります。この報告によると、紀元節の趣意は校長は教えておるらしいのです。われわれが生まれると誕生日があると同じく国の生まれたときにはこらであったといって、昔のことだということは教えておるように見えるのであります。むろん学校では、今教育基本法、学校教育法でやっておるのですから、朝から晩まで今の日本は民主国だということは教えておるのに相違ないのです。しかし紀元のときにはそうじゃない——このごろ私が、近ごろ使っておる歴史の本などを見ると、これが間違っておるのです。原始社会といって、昔共産社会があったように書いてあるのですが、そうじゃない。ごく昔の社会は、一家には家長があり一群には酋長があり、日本全体に大和朝廷があったのだ、これがほんとうの原始社会の姿でございます。そのことは教えておるようなんです。これを教えないで、今でもなびき伏せなんということをいったら、それは責任があります。私は何らこの校長先生を弁護する考えはありませんが、あとさきを見ると、その混雑はしておらぬのじゃないかと見ておるのです。
  88. 河野正

    河野(正)委員 大臣個人が紀元節を実現すべしというきわめて熱意をお持ちでございますから、御答弁を承わって参りますと、どうもこの行事に対して何か御支持をなさっておるような印象を強く受けてならぬのであります。こころが、現地教育長のごときは、三時の行事は行き過ぎであったということを明白にいたしまして反省の態度を示しておるわけでございます。少くとも現地教育長すらその行事が行き過ぎであったということを反省しておる。しかも今日いろいろ偏向教育という問題が地方におきましても論議されておる。大臣は、文教に関する一国の最高の責任者でございます。そういった立場から、少くとも今日いろいろ論議されましたように、今度行われました紀元節式典につきましてはいろいろ誤解を生んだことは事実でございます。こういった事実に対しまして、こういった問題を起しました学校当局に対しまして、教育委員会を通じて反省を求めるとかあるいは何か善処するようなお気持があるのかないのか、その辺を一つ承わっておきたいと思います。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私も、多少行き過ぎておることは、先刻の答弁でわかる通り認めておるのです。子供を学校を休ませてこういうことをしたことは行き過ぎだと思っております。しこうして高知の教育委員会も同様に考えてその旨の表示をしておるようでありますから、この上文部大臣から特に校長に対して反省を求めるといった手続はとりませんです。
  90. 河野正

    河野(正)委員 とられなかったが、しかし今日この問題が非常に物議をかもしておることは否定することのできない事実でございます。そういたしますと、いい悪いは別といたしましても、これが物議をかもしました以上は、大臣といたしましても、直接学校関係ないかもわかりませんが、教育委員会等を通じまして何らかの善処をされる御意思は当然私は必要ではなかろうかというふうに考えるわけでございますが、その点を重ねて御答弁をお願いしたいと思います。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 このことにつき深甚の考慮をめぐらしたのでありまするが、こちらからてんまつを聞いてやり、委員会においてそのてんまつを報じ、その行き過ぎなる旨を高知教育委員会が認めて、適当に善処すれば、しいて中央よりかれこれ言わない方がいいという結論に達したのでありまして、あなた方のおっしゃる教育の地方分権、文部大臣教育内容には干渉せずといったようなことで、これ以上かれこれ言えば、あなた方の方から御批判でも受けやせぬか、こういう考えを持っております。
  92. 河野正

    河野(正)委員 私がそういう心配をいたしますのは、これは新聞の報ずるところでございますから真偽はわかりませんが、この高知県の小学校の校長の談話を聞いてみますと、いろいろ批判はあるけれども、自分は正しいと思うという。現地教育委員会は行き過ぎである、こう言っておるにもかかわらず、校長さんは、いろいろ批判はあるけれども批判は甘んじて受ける、自分はこの運動のために、もし将来紀元節が復活する一つの大きな動機になるならば仕合せだという意味の談話を発表いたしておるわけであります。そこで高知の教育委員会は行き過ぎであると言い、また世間におきましても非常に大きな物議をかもしておる、ところが校長は何ら反省の色なくして、批判は甘んじて受けるというふうな態度であるということが新聞で報道されておるわけであります。そういったことで、私がただいま申し上げますように、教育の地方分権を尊重されることはけっこうでありますけれども、しかしながら、尊重するあまりに、自由あるいは反動というものが許されるべき筋合いのものではなかろうと思うのでございます。そういった意味で私はお尋ね申し上げておるわけでございます。教育の地方分権ということを尊重されることはまことに感謝いたしまするけれども、しかしながらそれだからといって、こらいった反動的な態度を許すべきではなかろうと私は思うのでございます。そういった意味でお尋ね申し上げておるわけでございまするから、その点につきまして大臣の御所感を伺っておきたいと思います。
  93. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今御引用の校長の申した言葉は、私存じておりません。校長が教育委員会の言ったことに反抗的の言辞を弄するということであったら、内容いかんにかかわらず、好ましくないことでございます。  その他のことは先刻お答え申した通りと御了承願います。
  94. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 文部大臣内閣委員会に呼ばれておりますので、本日はこの程度といたし、次回は二十三日午前十時より委員会を開会いたします。  これにて散会いたします。     午後零時十三分散会      ————◇—————