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山崎(始)
委員 地方財政の
現況ということは私
たちも多少知っておりますが、問題は、私
たちあの
新聞発表を見て詳しいことがわからないのでありますが、
スポーツ関係にいたしましても、それから御
承知のようにもうすでに
昭和三十五
年度くらいまで主催される
都道府県がきまっておると思うのであります。そういうところは、あの
発表が出まして、暗やみで手探りして進めてよいのか打ち切ってよいのか非常に迷っている
現状であります。
大臣は末端のことを
御存じかどうか知りませんが、少くともあれだけの行事をやりますと、あるいは
青年団の
協力を得るとか、あるいは
婦人会の
協力を得るとか、どこそこの場所にはどういう種目を持っていくとか、相当長い時間をかけて各
民主団体が
協議をしてやっているわけです。ところがあの
閣議決定が出ましてから非常に迷っておる。ここで特に一言申し上げたいことは、なるほど
地方財政の
現状から見れば、そういうふうな
決定をされるということも半面無理はないかもしれませんが、私は忌憚なく申しますならば、いささか
行き過ぎじゃないかという気がいたすのでございます。なぜと申しまして、こういう
スポーツとかいうふうな問題は、あくまで民主的に下から発達してこさせるように仕向ける。しかも今
大臣の
お話では、東京の
中央へ持っていって、その機関、
設備を作ってやるのだ、それも
地方財政の
しわ寄せを
地方に与えぬためには仕方がないのだということでありますが、私はここは非常に
考え方の差があるところではないかと思うのであります。すべて国の
産業にしてもあらゆる文化にしましても、何といいましても
一つの
基盤といいますか、
日本全体にタコの足の先のいぼに至るまで
一つの
基盤、
すそ野というものが広がつていかなければ、決してこういうものの
ほんとうの
興隆はできるものじゃないのであります。
一体大臣は今までに
——まことに失礼なことを申し上げますが、
国体を行って
ごらんになったことがあるのでしょうか、ないのでしょうか、私は疑いたくなるのであります。あの厳粛な
気持、しかもその
地方へ
団体が行ったということになりますと、その
地方の
体育の
興隆に目に見えないものがあるのであります。私はこの目に見えないものが非常に大切じゃないかと思う。これがいわゆる
一つの
すそ野になるのだ。この点の
認識が
一つの基礎になるのではないかと私は思う。これは何も
体育ばかりに限ったことではございません。すべてそういうふうな形をとらなければ、国の
ほんとうの向上、発展というものはない。特に
スポーツにおいては、
学校教育におきましても
青年学級なり何なりというて、今力を入れていらっしゃいますけれ
ども、
教育的に見てもあるいは
体育的に見ても、これは目に見えない、口では言えないよいところがあるのであります。私は一度
ごらんになったらいいと思うのでありますが、いずれにいたしましても、一片の
閣議でもって、ただ
地方財政の
しわ寄せをやらないのだというだけの理由でもっていきなりああいうものをぶつけられるということは、非常に官僚的なといいますか、一方的なといいますか、
ほんとうの国の政治を知らぬものだと私はあえて言いたいのです。
大臣の今の
お話を聞いておりましても、私は矛盾があると思うのでありますが、私がただいま言いましたような御
認識がおありになるのならば、なるほど
地方財政という点だけから
ごらんになって、ああいうふうな
閣議決定をおやりになるといたしましても、
地方には
財政の健全なところもある。そこが、いついつかの
国体はわれわれの方でやりたいのだともし言うたならば、あなたはどうなさるのだろうかと私は思うのであります。いずれにいたしましても非常に
行き過ぎじゃないか。特に前会のと遂に
文部大臣に聞きましたところが、
地方でやってはならないという
法律があるわけじゃないのだから、それはやってもよろしいと言う。そういたしますと、ここでわれわれは非常にもやもやしたわからぬものを感ずるのであります。片万では
閣議決定で
持ち回りを禁止するのだと言う。片方では
法律ではないのだからやってもよろしいと言われる。そうすると、ただ七百万円の国が出す
国体に対する
補助金を出さぬぞというだけのことで、ああいうふうなぎょうぎょうしい御
決定はされないだろう。これはわれわれの
邪推かもしれませんが、結局真綿で首を締めるように、そのやろうとする
都道府県がかりに
自治庁へ
起債の問題なりその他の問題で行ったときに、そういうところへは
起債なんか一切おろさぬぞ、あるいはその
設備そのものでなくとも、そういろわれわれの
方針に
協力しないような
都道府県へはほかの
起債も
手心をするぞ、あるいは
特平でも多少
手心をするぞというような威圧をかぶせて、やらせないようにしむけようという意図があるのじゃないか、こういうふうな
邪推をせざるを得ないと私は思うのです。わずか七百万円の
国庫の
負担金だけを打ち切るぞというのではないだろうと私は思う。この点のあやふやな点をもう少し明確にしていただきたい。