○吉川(久)委員
森林開発公団と
森林開発事業、
家畜取引市場における
家畜取引の事情、香川県下における
小作地返還申請の問題等に関する事項並びに台風第十二号及び第十五号の
農林水産業の
被害状況につきまして、
現地調査を行いました結果につき御報告申し上げます。
二つの調査班は、便宜これを合体して同一行動をとることとしたのでありますが、
派遣委員は、私のほか伊東岩男君、松浦東介君、足鹿覺君、
石田宥全君、
伊瀬幸太郎君、
神田大作君、
田中幾三郎君、中村時雄君及び中村英男君の各委員でありまして、愛媛県における
台風被害の調査に際しましては
井谷正吉議員が参加されましたのであります。
まず
調査日程について申し上げます。十月十一日に東京を出発いたし、十二日早朝奈良に到着いたしまして、奈良県庁及び
森林開発公団奈良支所にて
熊野地区の
森林開発事業について関係県当局及び
公団支所の責任者より概要の説明を聞き、さらに三重県側より
山路農林部長、
加納県議会農林委員長、紀和町長、新宮市
木材組合長、和歌山県玉置村長、奈良県十津川村有志等より瀞路線に関して陳情を聴取したのであります。次いで下市町から五条町、天辻峠を越え大塔村に至り、同村辻堂にて、大塔村長を初めとする
地元関係者の陳情を聞き、旭林道を
現地調査しながら十津川村に至ったのであります。
十津川村長及び
森林組合長等の陳情を受けるとともに、
森林開発事業について事情を聴取いたしたのであります。
なお、十津川村の宿舎に向う途中、
字宮原河津谷という所で、二級国道一六八号線が、山間の狭小な曲り角で前方の見通しがつかず、私と
伊東委員、
松浦委員、
中村英男委員の乗っていたジープがトラックと衝突し、私と
松浦委員がかなりの打撲傷を受けるという一幕もあったような次第で、第一六八号線は国道とはいうものの、いかに危険で貧弱なものであるかが御想像願えると思います。
〔
委員長退席、
白浜委員長代理着席〕
十三日は早朝十津川村の宿舎、湯泉地を出発し、折立から五十人乗りの
プロペラ船にて十津川を下ったのでありますが、小雨煙って両岸の山々、家々はかすみ、蕭々たる景観を呈しておりました。船中より
上湯川林道の現地を見ながら説明を聞き、十津川と北山川の
合流点宮井にて宮井橋の架橋計画を聞き、それより北山川を遡行しまして
竹筒地区の関係者より陳情を受け、笠捨林道及び公団の
基本計画に内定する
笠捨線並びに三重県側が強く要望しており、当初計画で内定していたが、その後保留となっているいわゆる瀞線の事情につき説明を聴取するとともに、船上より現地を視察したのであります。
プロペラ船は、十津川の水深が浅いため、スクリューのかわりに
プロペラを備えた吃水の浅い木造船であって、
プロペラの回転音が高くうなり、船中での談話はかき消され、船頭はへさきにおいて水先案内を兼ねて操作するのであります。船は山と山との間の急流を下りますが、和歌山、奈良県境より両岸に迫る山々はにわかに低く、川幅は広がり、眼界はとみに開けるのであります。これらの山々の中にも人間の生活が営まれてはいますが、それは原始に近いものであります。その未開の地帯に国道を中心に多数の林道が開設されるのであります。これによってこの未開社会は今後大きく変貌しようとしているのであります。山とともにある人聞の生活は、悠久不変のごとくであって、実は刻々移り変るのであり、林道開設、
奥地開発の意義は、単に木材需給の面に与える影響のみならず、その
社会的側面についてわれわれの関心を強くつないだ次第であります。
以上をもって
熊野地区の
森林開発事業の
現地調査を終り、熊野川を下って新宮に出、列車で和歌山県下の台風第十五号調査のため和歌山市に向い、十三日の日程を終ったのであります。
十四日午前中は和歌山県下台風十五号の被害につき県当局、
農林省和歌山統計調査事務所等の関係者よりその概況及び対策についての要望を聴取いたしたのでありますが、時間その他の事情より
現地調査を省略し、午前十一時和歌山港より
南海観光汽船の南海丸にて徳島県小松島に向い、
剣山地区森林開発事業現地調査に参ったのであります。途中船中にて
林野庁浅川造林課長より
造林事業団の構想について説明を聴取いたし、懇談したのであります。午後二時過ぎ小松島港に上陸した私ども一行は、
剣山地区の
森林開発事業現地調査のため直ちに出発いたし、徳島県当局及び
森林開発公団徳島支所の責任者とともに木頭林業の
中心地出原に向ったのであります。車を飛ばすこと九十キロ、約四時間、山中の国道を経て現地に到着し、宿舎にて
剣山地区の
概況説明及び
地元木頭村長、
森林組台長等より陳情を受けたのであります。
十五日は
剣山地区のうち第一期計画の南川線について木頭村西宇地内の山頂にて現地を視察し、上木頭村に、至り、海川にて海川線を調査した後宮原村にある県営長安に、堰堤に立って多目的ダムの事情を聞き、さらに
公共事業によってすでに完成した古屋川林道の現地を調査いたし、それより徳島市に帰りまして県庁にて
徳島県知事を初めとする県当局より陳情を聴取し、さらに
森林開発公団徳島支所にて所長等より事情を聞き、懇談を行なったのであります。この宿舎に、香川県下の農地問題の調査に関し香川県
農業会議会長が打ち合せのため参っておりまして、現地の
地主団体と
自小作団体の間に緊迫した空気がみなぎっており、明日以降の
調査方法等について打ち合せをしたいとの申し入れでありました。
県農業会議会長等の説明によりますと、
地主団体は私どもの着く高松桟橋に五百名以上を動員して歓迎を行うよう準備をしており、また一方
自小作団体は高松駅より手前の志度駅にて集団陳情のため、列車に同乗するよう動員準備を行い、双方とも気勢を上げて不慮の事態の発生をおそれるというのであります。そこで私どもといたしましては、同一の場所にて両団体の集団的な陳情は受けないこととし、代表各二、三名の者より個別にそれぞれ事情を聴取し、また両団体の会合の場所には当方より出向いて陳情を十分聴取する方針をとりまして、
農業会議会長にその準備を行うよう要請したのであります。
かくて翌十六日は汽車で行く予定を変更して自動車で、正午県庁に参りまして、まず記者会見を行い、私より一行を代表して、わが調査班の使命、去る六月三
日本委員会が全会一致をもって決議しました
農地改革の成果の保持に関する決議の趣旨、内容を明らかにし、あわせて本問題の調査につき現地の協力を依頼する趣旨の
ステートメントを発表いたしたのでありますが、この
ステートメントはお手元に回覧いたしましたように、一斉に新聞に掲載され、かなりの反響を呼んだようであります。
次いで
小林農林省農地課長、
和栗岡山農地事務局長等同席のもとに、
金子県知事、
喜多農地部長等より最近における香川県下の
農地事業について、また
宮脇農業会議会長より香川県下における
地主運動をめぐる農地情勢について、それぞれあらかじめ準備作成された詳細な資料に基いて説明を受け、あわせて今後農地行政に関する要望を聴取したのであります。
次に県会の議事堂において、
地主団体たる
全国農業再建協同組合連合会副
会長天野次太郎、同河内好次の両氏及び同
会長代理として佐賀県より来たという江口勘七氏より
地主運動の趣旨、目的、組合の事情及び陳情等とともに、高松市
木太地区地主代表松原稔同じく真鍋幸平の両氏より地主の立場について説明を聴取いたしたのであります。その後、時間の都合上予定を変更し、県公会堂に至り、自小作農の団体たる香川県新
農村建設同盟連合会が、時あたかもわれわれの来県を迎え、約千名の自小作農を集めて開催いたしておりました大会の会場に臨みまして、同連合会の決議事項を聴取いたし、さらに反転して、
市内玉藻城内に約二百名を集めて大会を開いておりました
地主団体の大会会場に臨み、地主側の陳情を聴取したのであります。
これらの両陣営の大会行事への出席を終り、再び引返し、
県会議事堂において
自小作団体たる香川県新
農村建設同盟連合会会長大塚亀次、同副
会長児玉勇、同じく加治繁一の三氏より同連合会の趣旨、目的、運動の現況、将来の方針等につきその説明を聴取いたし、あわせて
耕作農民代表としての
太田政太郎、同じく上枝正数の両氏より耕作農民の立場からの意見を徴したのであります。さらに、当初私どもが
現地調査を予定し、かつ
地主運動の発祥の地と言われる高松市
木太農業委員会の管内の事情につきまして、同
農業委員会会長上枝正行、
委員鈴木徳光、遠藤喜助、大熊正行、
松原勝国等の各氏より、さらに同
委員会書記山根信渕、高松市
木太支所長小西弥五郎の両氏から事情を聴取いたし、十六日の調査を終ったのであります。
十七日朝、宿舎にて、
岡山農地事務局長より
管内災害復旧事業の概況を聴取した後、昨日に引き続き農地問題に関し香川県綾南町
滝宮地区農業委員会に参りまして、町長、助役、
町会議長等同席のもとに、
農業委員会会長、同委員、同書記、
地主代表四名、小作代表三名から個別にそれぞれの事情を聴取いたしたのであります。
以上で農地の返還申請をめぐる
地主運動の
概況調査を終り、ついでに
香川農業の特徴といわれる
ため池農業の実体に触れるべく、
県営満濃池用水改良事業の現地を視察いたしたのであります。
さて十七日午後より
派遣委員を二班に分けまして、一班は私と
足鹿委員、
中村時雄委員をもって、愛媛県下の台風第九号、第十二号及び第十五号の
被害調査、及び広島県尾道市の
尾道家畜市場の
家畜取引状況の調査を行うこととし、他の一班は
伊東委員、
石田委員及び
伊瀬委員による高知県下の台風第十五号の
被害状況調査を行うことといたしたのであります。
すなわち前者は十七日午後三時半、高松を出発いたしまして、県境の川の江町より県当局及び
農業団体等の関係者の出迎えを受け、車中にて説明を聴取しながら、沿線の潮風害の状況を視察したのであります。十八日は県庁において、久松知事を初め県当局より、災害及び
農業事情について、
概況説明と
要望事項を聴取した後、松山市、堀江町地内の
南海地震による
地盤沈下、北条町、新居浜市
船木地区等の台風九号及び十二号の
被害状況の
現地調査を行い、
家畜取引状況調査のため、夕刻船にて尾道市に向ったのであります。同日夜宿舎にて県当局、畜産団体の関係者より、尾道及び十日市の
家畜取引について、
家畜取引法第十五条の運用に関し、同条のただし書きにより、せりまたは入札によらない特例を認められるよう陳情を受けたのであります。十九日は
尾道家畜取引市場に参りまして、その
取引状況の実態を調査いたし、午後高知方面の調査班と合流して、三重県
下台風被害等を調査すべく、糸崎より大阪に向ったのであります。
高知県下台風第十五
号等被害状況の調査班は、十七日午後三時半高松を出発いたし、夜高知に着きまして、宿舎にて一応の概況を聴取いたし、十八日は県庁に参りまして、まず高知市長より、
被害状況の説明及び、これに加えて
南海地震によって生じた
地盤沈下の対策について陳情が行われたのであります。次いで県当局より台風第十五号の
被害状況の概要説明及び要望を聴取し、さらに
高知営林局管内の
被害状況を聴取いたし、引き続いて
現地調査に向ったのであります。すなわち高知市周辺のいわゆる香長平野と呼ばれております介良、
桂島地区の
地盤沈下の状況をつぶさに調査いたした後、御免町にある
県農業試験場に参りまして、本県における
水稲二期作の説明及び
試験状況を調査するとともに、
周辺地区の二期作の状況を調査いたしました。次いで県営にかかわる
物部川総合開発事業による仙頭ダムを
現地調査した後、十五号台風によって崩壊した土佐山田町にある
大法寺林地、及びその下部にある
大法寺水路の決壊現場を調査いたし、当日の調査を終了いたしたのであります。
十九日は朝高知をたちまして、夜大阪着、愛媛及び尾道の調査班と合流いたし、大阪に一泊したのであります。両班は再び合して二十日大阪を出発、三重県下の台風第十五号の
被害調査を行なったのでありますが、三重県庁に到着後、知事を初めとする県当局及び
県議会議長等より、
被害状況の概要及び
要望事項などを聴取いたし、あわせて
森林開発団体の事業について、
基本計画において保留されている
林道瀞線の実現方について、陳情を聴取いたしたのであります。
次いで
現地調査のため伊勢市に向ったのでありますが、その途中におきまして、十五日夜
国鉄参宮線六軒駅における列車衝突の現場を訪れることといたし、事故によって死亡された四十名に及ぶ方々の霊に対し花束をささげ、つつしんでその御冥福を祈って参ったのであります。伊勢市におきましては、伊勢会館に参りまして、
県志摩地方事務所及び同
伊勢出張所、鳥羽市、磯部町等の関係者並びに
真珠組合等の代表者より、それぞれ
被害状況及び陳情を受けたのであります。三重県における被害の甚大な地区は、志摩地方の
水産関係者でありますが、日程の都合上二十日をもって調査を打ち切ることとし、以上をもって十日間にわたるわれわれの
調査日程は全部を終了いたしたのであります。
次に、調査の内容につき、御報告いたすことといたします。まず
森林開発公団の事業について申し上げます。
森林開発公団は申し上げるまでもなく、去る四月二十七日法律第八十条として施行された
森林開発公団法によって設立され、七月以降
公団本部の陣容を整え、その後支所の設置から職員の配置を完了するとともに、逐次執行態勢の整備を終り、その間林野当局は
開発事業の
基本計画を策定し、その実施にかからんとしているのであります。
公団の総事業量と
事業経費は、三十一年度
熊野地区で、林道六十九キロメートル、七億四千四百万円、三十二年度以降林道百二十七キロメートル、十四億三千八百万円、造林二千二百町歩、一億三千三百二十万円でありまして、合計二十一億八千二百万円、
剣山地区は三十一年度林道十七キロメートル、一億九千三百万円、三十二年度以降林道四十三キロメートル、四億七千五百万円、造林三十二年以降千三百八十町歩、六千六百四十二万円、計六億六千八百万円、
公団経費一億五千万円を加え、総計三十億円となっておりまして、
費用負担区分は国五二%、県一〇%、
地元受益者三八%で、国の補助金は開設翌年度より四カ年以内に公団に繰り入れられ、県及び
地元受益者の負担金は十五年の均等年賦で公団に繰り入れられることになっているのは、すでに御承知の通りであります。
昭和三十一年度における
熊野地区の
開発林道実施計画によれば、奈良県における路線、前鬼、奥池川、池津川、旭、内原、今西、上湯川、笠捨瀞、神納川、篠原の十線、四万二千メートル、工事費四億四千五百万円でありまして、設計及び調査は九月から十月にかけて完了し、十一月早々工事に着手するような進捗を示しているのであります。
これら奈良県下の
対象面積は約三万三千町歩であって、千八百四十万石余の蓄積を有しているのであります。
また和歌山県においては、奴田、静川、大塔川、和田川の四路線一万五千三百メートル、一億五千百万円、
対象面積八千六百五十町歩、百八万石の蓄積でありまして、設計は九月一日、調査は九月三十日にそれぞれ完了し、十一月一日に工事着工の運びに立ち至っているのであります。
三重県においては尾川、和田、揚枝川の三路線七万九百メートル、一億二千百万円、
対象面積五千六百五十町歩、その蓄積二百十万石余でありまして、十月初旬設計完了、十月末までに調査を完了し、十一月一日から工事着手にかかる運びでありまして、以上によって総計七万九百メートル、七億一千七百万円、
対象面積四万七千二百七十町歩、蓄積二千三百六十余力石が三十一年度の
実施計画の内容となっているのであります。
次に、
剣山地区における概要は、昭和三十一、二年の第一期
開発計画として千本谷、出原谷、南川、南川大谷、槍戸、海川、海川東俣、高瀬、釜ヶ谷の九路線、林道延長約六万メートル、事業費六億六千八百余万円、うち三十一年度として千本谷、出原谷、南川、海川、高瀬の五路線、一万五千メートル、一億九千三百四十余万円の
事業内容であります。去る本年一月、
熊野地区は本委員会より
委員派遣を行い、つぶさに調査いたして参り、その状況はすでに御承知の通りでありますが、
剣山地区の調査は今回初めてでありますので、若干本地区の概要に触れてみたいと存じます。
剣山地区は、千九百五十五メートルの剣山を中心として地味、気候に恵まれ、しかも最も森林の生育に適し、いわゆる
木頭林業地と称されているのであって、総面積十万町歩のうち林野が九万二千町歩を占めているところであります。本地区は木頭、上木頭、平谷、木沢、木屋平、東祖谷山、西祖谷山、一宇の八カ村に及び、近時
国土総合開発法に基く
電源開発、道路、林道の整備、拡充が進展し、今まで流送による搬出が著しく制約を受け、中止のやむなきに至り、従って陸送に切りかえる必要が生じていたのであります。このような事情にあるとき、地味良好、気候温暖、多雨により杉、ヒノキの育成に適し、
優良森林となる資格要件を備えたこの地域は、最も
開発効果が大きいのであります。
経済力低位のため資金の調達が困難であり、運搬費が大で、間伐材の利用が少い等の事由によって開発がおくれていましたが、このたび公団の
開発事業に加えられるようになったのでありまして、現地の喜びはすこぶる大なるものがあるのであります。この地区はほとんどが民有林でありまして、百町歩以上の所有者約九十名によって五七%の面積が占められ、平均一戸当り約十町歩という所有形態でありますが、五町歩以下の所有者が約八〇%を占めている事実は特に注目すべきところであります。
以上のような事業の
概況説明を聴取いたしますとともに、あわせて
現地調査を行なったのでありますが、現地の
公団関係者による話では、
地元負担金の折衝、計画線の施行等に完全に意見の一致を見ない点もあり、中央において早急に決定するよう要望がなされたのであります。一方
受益者側の県及び市町村にあっては、
森林開発事業に全面的に賛意と協力の意を表明し、
公団業務の早期開始を希望いたし、私どもといたしましても
公団方法による事業に対する若干の批判もありますので、危惧の念を抱いていたのでありますが、
現地調査に参って関係者より賛意と協力を表明され、意を強くした次第であります。
なおこの際
熊野地区における瀞線の開設問題について申し上げます。すなわち
熊野地区においては、三重県側より強く要望されました三重県南牟婁郡紀和町小川口より
北山川左岸をさかのぼり、奈良県吉野郡十津川村田戸に至る瀞線が当初計画に含まれ、その後これを保留して北山線に変更されましたことは、地元三重県をいたく刺激し、
地元負担の準備を終り大きな期待をかけた地元民を失望させ、かつ南紀州の
開発計画に支障を来たすとして、瀞線の復活が強く要望されたのであります。三重県側の説明によりますと、
基本計画による北山線は、笠捨、玉置より北山に至る林道は延長一万六千五百メートル、工費一億八千二百八十四万円、蓄積百九十三万四千石、
対象面積四千百四十六町歩、
石当り工費九十四円、一キロメートル
当り工費千百六万円、一
町歩当り工費四万四千円、そのほかに
宮井橋工事費約一億円というのでありますが、三重県の希望する笠捨より瀞に至る線と玉置を経て北山に至る線との並行線の開設案によりますと、林道の延長二万五千九百九十メートル、工費一億九千五百二十四万円、蓄積二百三万八千石、
対象面積四千五百十六町歩、石当り九十五円八十銭、一キロメートル
当り工費七百五十一万八千円、一
町歩当り四万三千二百三十三円であり、現在の案より
工事費総額、
石当り工費はやや高いが、林道の長さ、蓄積、対象区域が大で、一キロメートル
当り工費、一
町歩当り工費が安く、従って
経済効果は大であり、当然この案によるべきであるというのであります。この点につきましては、政府側は、並行的な路線は必要ではないとして、
基本計画から一応除外し、予算七千万円は別途に不定路線として使途を保留しているのであります。
本件についてわれわれが調査しました結果に基く感想としましては、一たん決定された北山線を瀞線に計画変更することは、言うまでもなく困難でありましょうが、三重県側の主張する
エックス線型並行線の開設について、その
経済効果を専門的に再検討して、三重県側の主張のごとくであるとすれば、この並行線の開設を第一義的に考慮することとし、
経済効果が劣ることが明らかであれば、不定経費として保留されている七千万円を三重県内の瀞線の周辺地域において別の路線の開設に充当するよう速急に決定し、公表することによって地元民の要望を満足させることが当然であると存ずる次第であります。また
現地調査に参りました際、関係者から
森林開発事業はきわめて時宜に適したもので、全面的協力を惜しまないが、ただ、林道の整備のみでは
経済効果が十分でなく、あわせて陸送の幹線路となる国道の整備をはかられたい旨の意見が続出し、私どもも同感の意を表したのであります。特に十津川村の二級国道百六十八号線及び徳島県
剣山地区の出原に至る道路は、国道とは名ばかりの、幅員きわめて狭隘、屈曲は多く、トラックのすれ違いは全く不可能であり、待避線少く前進後退に時間を浪費して能率著しく低下しているありさまで、林道開設と同時にこれら幹線道路の整備、なかんずく待避線の早急な増設が絶対必要であると認められるのであります。また十津川に至る国道百六十八号線には、四トンの重量制限を行なっているつり橋に、自重四トンのトラックが四トンないし六トンの材木を積んで墜落寸前の状態で渡っており、鉄製の欄干は腐朽し、危険きわまるものであります。これらの老朽化した橋梁を一刻も早く改修しなければ不祥事の発生は必至であることを林野当局及び運輸当局にはっきり警告しておくものであります。また林道工事に当って、土木工事は技術的に許される限り地元業者及び労務者を使用し、もって地元経済の振興に役立てるよう公団当局の善処方を特に望んでおく次第であります。
次に農地問題について報告いたします。
土地取り上げ問題を申し上げる前に、香川県の一般的農地事情を述べたいと思います。すなわち香川県における農地改革は昭和二十年農地総面積五万三百五十七町歩、そのうち小作地二万六千五百九十六町歩、五二・八%であったが、二十二年三月三十一日の第一回買収より二十五年七月末までの間十六回にわたり約一万七千八百町歩の農地が約二千二百人の地主から買収されたのであります。そのほか物納財産税や従来の国有農地約四千九百町歩も逐次売り渡され、牧野二百七十町歩、宅地約二百八十一万坪、建物四百七十二棟、農業用施設が小作農に移され、小作地の八七%が解放され、残有小作地は三千五百三十七町となって、五二・八%よりわずか七%となったのであります。
右によって不在地主や大地主は姿を消したが、現在なお一万九千三百四十人の地主を残し、小作農家の解消率は六八・九%にすぎず、今なお三割以上の農家が小作地を耕作しており、これが今回の取り上げの対象となっているのであります。
その後三十年八月、県において小作地等一斉調査による農地の概況は、総面積四万九千七十三町、うち自作地四万四千九百八十六町歩、小作地四千八十七町、農家戸数九万三千五百十七戸で、一戸当り平均耕作面積五反二畝となっているのでありまして、香川県が典型的な過小農地域であることは明らかであります。
次に小作料及び農地の価格について一言触れておきますが、農地改革前の小作料は全国一の高率物納小作料であり、また農地価格も他に例を見ないほど高額であったといわれておりますが、農地改革以後においては二十五年農地価格の統制撤廃以来騰貴を重ね、最近上田二十万円、中田十五万円、下田十万円程度に落ちつき、耕作権価格は農地価格の五割ないし七割程度をもって売買されているというのであります。
さて次に地主の集団的取り上げ運動についてでありますが、昭和二十五年二月高松市木太地区農地委員会において小作契約文書化問題を契機といたしまして、石当り七十五円の小作料を公定米価まで引き上げるために小作料金換算率引き上げ運動が起り、約六十名の地主が参集協議し、十月に香川県転落地主擁護連盟を結成し、天野富太氏を会長に、天野次太郎氏と横田寿三郎氏が副会長に選任されて発足したのであります。しかし団体等規整令違反の疑いで県当局より解散を勧められ、二十六年二月一日これを解散したのであります。その後二十七年講和条約発効となるや、旧称転落地主擁護連盟を農業再建協同組合と改称し、占領中行き過ぎの諸制度に再検討が加えられ是正されつつあるとき、転落地主の救済なくして日本農業の再建はないという趣旨のもとに結成されたのでありまして、組合の獲得をはかるため地主層農地委員、二十八町村長等手ずるに旧地主、小作地保有地主の名簿を作成し、個別に面接し署名捺印を求めて、保有地一反につき百円の会費を徴収してきたのであります。
その後全国的な運動に盛り上げるべく、各県の旧地主農地委員に趣意書を送りその決起を促し、二十九年一月高松公会堂において約千二百名の参集を得て、全国農業再建協同組合が結成されたのでありまして、その目的は
農地改革法規の是正、農地所有権の確立、農地買上価格の追加補償、小作料の物納制還元、地主の耕作希望に対し無条件農地還付、農地解放地主の生活困窮者政府補償、農地耕作者の家屋固定費産税の免除等六項目の運動目標を掲げているのであります。
以上のように当初小作料の引き上げから、漸次
農地改革の否定、農地法改正へと運動の幅を広げ、香川県より全国的な組織に拡充しながら組織の拡大をはかり、西日本を中心にして天野氏ら幹部の遊説が行われ、二十九年四月から八月にかけて二十府県の支部結成が行われ、時たまたま全国農政連盟を中心として補償問題を主体とする全国的統一組織の
地主運動が進められ、三十年一月には、全国解放農地国家補償連合会が下條康麿氏を会長に発足したのでありますが、土地返還を主とする再建協組は参加せずにいたところ、やがて両者の意見調整が行われ、天野富太氏は顧問、天野次太郎氏は常任理事の地位を占め参加したのでありますが、国家補償実現までは小作農との対立を避ける補償連合会と小作地返還、農地法改正ないし廃止を主張する再建協組は同一行動がとれず、三十一年二月補償連合会は天野氏を解任しているのであります。そこで再建協組では三十一年四月高松に代表七百名を集め、農地法無効への法廷闘争、小作一辺倒の農業委員会、小作官制度の廃止を決議しているのであります。
このような全国農業再建協同組合の運動経過でありますが、その間昭和三十年に入りますと、「小作地が返還になると地主は勝手にだれにでも時価十五万円ないし二十万円で売却することができ、また今までの小作人あるいは他の小作人に対し戦前と同様の物納で貸してやってもよい」と、農地返還請求書を農林大臣に提出するよう下部に指令いたしまして、三月、六月、七月の三回にわたり、小作面積七百八十八町二反、人員千三百七十三名分を個別に添付し、副
会長天野次太郎氏より農林大臣あてに小作地返還要求がなされたのであります。
この返還請求は地主の生活手段として小作地の返還を求めるのであり、また最高裁の判決で敗訴したが、農地法は憲法違反であり、これを無効確認の提訴に導き、そのため民法第五百四十条の意思表示をもって全地主が漏れなく請求書を出すこと、民法第百六十二条の所有権取得時効の中断にかからないよう、小作側に使われない先に地主が請求書を出すこと、農地法の第三、四、五、二十、二十二、二十三、二十五の七カ条は民法の所有権を完全に侵しているから、農地法無効確認を勝訴に導くため請求書を提出すること、憲法第二十九条第一項を農地法は侵している等の理由を掲げているのであります。このような要領で農林大臣に小作地返還の請求をなしたのでありますが、これが農林大臣より全面的に却下されますと、農地法二十条の小作地返還を知事に対し申請することに切りかえ、三十一年三月より天野氏の居住地高松市
木太農業委員会を皮切りに、三十一年九月三十日現在で県下一円、四十一農業委員会に対し、件数四千三百三十五件、地主数千六百八十六名、小作者数三千七百七十九名、面積四百七十一町五反九畝の申請が提出されたのであります。この申請書は再建協組代表者天野次太郎氏を代理人、町村の支部長的存在の者を副代理人として、すべて同一形式をもって印刷され、空欄に必要な数字を記入すればよいようになっているのでありまして、その理由として地主の生活困窮と小作料が安く公租公課を支払うことができないということを強調しているのであります。
次に耕作農民側の事情について申し上げます。農地改革中の農民組織約五万名の組合員を有し、はなやかな運動を行なったようでありますが、
農地改革後は階級的対立も解消したという考え方に立ってその組織の九五%が解体したといわれておりますが、今回土地取り上げ事件が発生しても、取り上げ対象農家が
農地改革に取り残された階層であったため、即時防衛体制が取り得なかったようであります。しかしながら各地に集団的な土地取り上げ運動が発生するに及び、行政機関の方針が明確に打ち出されてからは、各地区農業委員会等が中心となって、五月第一回の懇談会が開かれ、小作地取り上げのみでなく、農地法の改正ないし廃止、解放農地の返還を意図している点から、全耕作者の問題として対策をとるべきであるとの方針をきめ、同月香川県農民代表者会議が開催されたのであります。この会議では
地主運動に対応するため全耕作農民をもって組織する新農村建設同盟を市町村ごとに設置し、これをもって県下の統一組織を作ることにし、
地主運動は農地法と政府の自作農政策に対する挑戦であるとなし、大塚亀次氏を代表者として
農地改革の後退を阻止する旨の宣言を行なったのであります。その後建設同盟は農繁期その他の事由で組織化が遅滞し、七月に至ってようやく第一回準備会が開かれ、八月末に香川県新
農村建設同盟連合会が結成され、この大会で小作料の一括納入、農地の取得農地取り上げに対する耕作農民の委任状の取りまとめ、団体交渉権を確立し、耕作農民の要求を請願する署名運動を展開すること等をきめたのであります。その組織の状況は、連合会に加入するもの五千三百十名、既設のもの二千五百七十六名、準備段階のもの千百二十四名、計九千十名となっているのであります。
次に末端の農業委員会の審議等について申し上げます。以上のような
地主運動、特に集団的
小作地返還申請に対しましては、末端の農業委員会におきましては、既に意見書を付して県に提出したものが九地区委員会、県でそのうち七地区、五百二十件を不許可処分にして通告し、他は目下検討中であります。
本問題の審議経過から各農業委員会の態度を見ますと、一、
地主運動は
農地改革を否定するから農業委員会の任務に照らし、不当な申請は全面的に不許可意見を付す、二、農業委員会は地主、小作の中立機関であるから、法二十条に基き適正に審議するが、地主に正当な理由がないから不許可意見を付す、三、審議により村内対立をかもすから、他地区の状況を見て適当にやり、もしくは県当局に依頼する等の三つにわかれているようであります。
審議の状況につきましては、最初申請が提起された高松市木太地区の場合は、小作及び地主側が出席し、天野氏はテープ・レコーダー持参でありまして、また賃貸借解除請求の趣旨なる印刷物を配付し、憲法二十九条の財産権と民法の賃貸借規定を説明後、個々の審議に入るのでありますが、双方の言い分は大きく隔たり、合意によるものではなく、地主の一方的な形で出されているが、小作人は小作地を返しても生活に支障を来たさない、いつでも返還すると約束したというのをほとんどの小作側が否定しているので、農業委員会は不許可相当としており、県知事も同様全部不許可処分にしているのであります、また個々の地主の申請書提出の動機も薄弱で、農委、小作等の追及にあうと、全部天野さんにまかせてあるとか、判を押せと言われたから押しただけ、と取下げの事例も九百七件出ているような次第であります。また審議に当り、小作側は全員出席するのに、地主側は天野氏にまかせてあるとして、一人も出席しないものや、天野氏が出席しても個々の事例の内容を知らないので、一般論を繰り返すので、代理人の資格に欠けていると追及される始末で、一件三−五分程度の審議時間に終っているようであります。しかしながら、中には小作一辺倒の農地法改正や小作料の値上げまたは返還はあくまで要求するとして、取り下げの勧告に応じない者もあるようであります。
集団的小作地返還の
地主運動に対しまして、県農業会議及び香川県当局のとりました処置に関し申し上げることにいたします。
まず県農業会議においては、集団的小作地返還運動の発生を見るや、県と緊密な連絡をとりながら
現地調査、事情聴取を行いつつ、
地主運動の目標等の把握を行い、協議の上、農地法に基き厳正な態度で対広する方針を決定し、あわせて対策要領を決議し県当局に要請しているのであります。その要領によりますと、一、農業委員会職員は既定の定数を確保し、担任業務を明確に区分すること、二、
小作地返還申請事案については認可基準を明確にし、合意解約のものは厳重調査すること、三、農地行政の経過を定期的に緊密に連絡すること、四、農地行政の運営と推進のため予算措置を講ずること、五、農地法四条、五条については認可証明書を表示し、無断潰廃の識別を明確にすること、六、自創地の売買は制限を加えること、七、地主保有地の適正価格による耕作者への譲渡の促進指導を行うこと、八、農地法四、五、二十各条の審議基準を設定し、答申の適正を期すること、九、農委事務処理のため要領を作成し配付すること、十、県下農業委員の講習会を催すこと、十一、農民に対し宣伝啓蒙すること、十二、
地主団体に対し自粛を要請すること等でありまして、これに従い、県当局と連携上の、農地法の解説を配付するとともに、五月県下農業委員会を対象に六日間を費して講習会を、さらに八月に第二回を、また八月には一般農民を対象に十六日間を費して十六カ所において、さらに農委職員を対象として三日を費し、それぞれ講習会を開催したといわれているのであります。また一般農家に対し、耕作権を守るようビラを配付するなどなかなかの努力をしているようであります。
次に県当局におきましては、申請書の大部分が目下各地元農業委員会において審議過程にあり、知事に申達されたものは前述の通りであるが、県当局としては、根本方針として農地法を厳正に施行することにし、一、法の厳正公平な適用に努めること、二、審議は慎重にし、議事録等の関係書類を完備すること、三、合意解約は真の合意かいなか審議すること、四、賃借人に背信行為のないよう指導すること、五、悪質な脱法行為のないよう注意し、法の厳正な執行をはかること等の方針のもとに事務処理を行なっているのであります。また県当局は、農業会議農業委員会等と連携して講習会、啓蒙宣伝、
農業委員会会長あての通達等をもって対処しているのであります。
なおこの際、香川県農業会議において農地返還申請地主の実態調査を行なったところによりますと、三十九地区農業委員会において、小作面積千二百五十町歩、うち申請面積四百五十四町八反で三〇・六%、地主数四千九百三十五人中、申請地主数千六百三十一名で三三%、小作数八千三百十九名中、対象小作数三千六百五十四名で四二%ということが明らかにされております。農地取り上げに参加していない地主は六七%となっているのであります。また申請地主の職業を見ますと、農業六〇・二%、農業及び俸給生活者一三・四%、農商業者六・九%、俸給生活者六・三%、その他でございまして、農業が六割を占めていることは、経営拡大によるものと思われるのであります。また地主組合代表者の経歴を見ますと、元教員二八・六%農業三五・七%、商業一一・九%、役場吏員一六・七%でありまして、役場吏員は八割まで元村長等、教員は九割が元校長等であります。
次に申請地主中の公職の種類は、三百九名のうち教員四七・二%、公務員一八・八%、農協役職員一三・三%、農業委員八・一%、市町村会議員七・八%、役場吏員四・八%であります。
また地主の返還申請の理由にあげている生活困窮程度の調査をいたしたところ、税務署の調査から見ると、所得十五万円以下八十名、申請数の五%、十万円以下は二%となっているというのでありまして、小作地取り上げ申請者のほとんど大部分は十五万円以上の収入のある者と見られているのでありまして、生活の困窮は大部分表面上の理由にすぎず、
地主運動の風潮に便乗している者も相当の数に達するであろうことは明らかであり、現地側のある人の言によれば、昼は最も先鋭な日教組の闘士が、夜は最も悪質な反動地主となっている例もあるというのであります。
以上が香川県下における
小作地返還申請の概要でありますが、
全国農業再建協同組合連合会副
会長天野次太郎氏外数名の
地主代表者の行なった主張の概要は次の通りであります。
すなわち、一、農地買収対価として農地証券を受け取ったが、これが現金引きかえの時期には、八百円の農地が、八万円ないし九万円に上昇していたこと、また対価決定の算定方式は、賃貸価格の田四十億、畑四十八億と決定したことは、経済原則より見て不当であり、無効であること、以上により国家補償を要求すること。
二、さらに宅地買収のやり方はほとんど違法であり、道一つ、畦畔一つの隔てによって不在地主として買収されていること、農耕以外に使用することを相当とする土地が農地として低廉に買収されたこと、本人の意思に反し、全面解放を強要し、または公用者、出征兵士を不在地主として買収し、未墾地を買収した等の不当買収が行われたこと、以上により不当買収の取り消しを要求すること。
三、土地を所有しながら餓死を待つ事実があり、憲法に保障された個人の所有権、生活権、人種、性別の平等の原則等より見て、現行農地法は、憲法を犯すものである、以上により保有小作地の返還を要求すること。
四、農業委員会に小作地返還請求をしたところ、共鳴する者は一人もいないし、農業委員は、農地法に基いて忠実に審議すべきにもかかわらず、実質上地主をつるし上げ、強迫を行う者もあるから、農業委員会は廃止すべきである。また
小作地返還申請に対する香川県当局の処分は、農業委員会において申請人を強迫し撤回せしめたり、実地調査は行わず、審査は延滞しているのみならず、不許可処分に当りその理由が付されていない等横暴きわまるものであり、不法不当の措置である。また農林大臣に対し、七月及び十月に四十五件の訴願を提起したが、今に至るも一件の裁決がないとして、私どもに、早急に公平適正な裁決書の下付と政府買収の取り消しないし変更を措置するよう要望を受けたのであります。また他の地主諸君の言も天野氏とほぼ同様でありまして、現地に参りました綾南町滝宮農業委員会管内の
地主代表者も同様であり、特に不在地主で、ほとんど全面解放をし、その日の生活に困る老人の救済方の陳情を受けたのでありますが、しさいに問いただすと、これはおじとおいの間の争いで、むしろ家事調停に属する問題であったのであります。また地主の組合より提出を受けました証拠書類によりますと、「農業委員会において取り下げの強迫を受け、生命財産上の恐怖を受け、意に反して取り下げた」とした者が多数ありますし、さらに小作者が一反歩三百万円に及ぶ価格で解放農地を他に転売した事実の証拠書類を提出いたしたのであります。
以上地主側の要望に現われておりますように、旧地主または現地主のうちの若干の者は、戦後における経済事情の激動に抗し得ないで、生活に困窮している者のあることは事実でありますが、しかし天野氏等の主張は、
農地改革の結果と経済変動の結果とを混同し、憲法の諸条項の曲解に基く単純な反動的言辞に堕したものであって、われわれに対してはいささかの説得力をも持ち得なかったものと申さざるを得なかった次第であります。
次に耕作農民の組織であります、香川県新
農村建設同盟連合会会長大塚亀次氏外数名の自小作代表者より事情を聴取したところによれば、地主側のいう小作料の滞納、無断転貸、使用目的変更のような信義誠実の原則への違反の事実は全くないし、逆に地主側が小作料を受け取らないこと、小作料は適正であって、これを増額するほど起過利潤はなく、また
農地改革はたとい占領政策の一環であったとしても農民の支持を受け、農業生産が高揚している点を認識すべきであり、農業委員会の機能は耕作者の地位の安定をはかるものと思うが、逆に一部の委員会では、返還申請がなされているのに小作人に周知させず、審議を行わず、
地主運動に協力し、農地法の厳正施行を怠っているものもある等の事実が指摘され、また小作契約の文書化に当り期限を付したことが、直接小作地取り上げ運動の契機となっているので、この期限はなかったものと考えたいこと、今後小作地返還問題の処理に当っては、農地法の厳正な施行を行い、
農地改革の後退を阻止し、小作地の自作化の促進をはかり、小作料の引き上げを行わないこと、物納小作料の復活を阻止すること、さらに進んでは小作地の全面解放をはかられたい旨の要望がなされたのであります。
このような小作地返還の
地主運動が特に本県において起った原因につきましては、関係者の一致した見解といたしまして、平均耕作面積が五反という過小経営であること、古来香川県では高額物納小作料が支配的であり、麦年貢の制度もあり、またこれらの物納小作料のほかに甘土権といって、耕作の代償としてまくら金のようなものを支払う慣習があり、これが相当高額に売買されていたこと、また地主、小作の対立が昔から激しかったこと等でありますが、また私どもが
現地調査の際直接農民より聞きましたところによると、返還申請をしている地主が小作地の解放を受けていたり、現在小作地を耕作している者が農地を解放したり、その内容は地主兼自作兼小作というような所有関係もあり、本県における農地所有関係は複雑に入り組んでいるものと見なければならないと存じます。しこうして農地法四条、五条あるいは二十条を中心とする農地所有権の移動は、かなり激しいものがあるように見受けられたのであります。以上が香川県下における
小作地返還申請の概要でありますが、県農業会議、市町村農業委員会がわれわれに提出した具体的な
要望事項を申し述べますれば次のごとくであります。
保有小作地六反歩を残したことは、これを取り上げてもよいとの誤認を与えたことは遺憾であるが、小作料の算定が自作収益価格方式によっていることは妥当である。農地価格の統制を撤廃したことが農地価格の高騰を生じ、農地問題をいたずらに紛糾させる原因となっていることは事実である。地主の言う生活困窮という理由も調査によればはなはだ根拠薄弱であって、また若干の生活困窮者については、農地法によるべきでなく、別途の社会保障制度によって救済すべきである。さらに農地法の改正は、旧地主制への復活の方向ではなく、自作農の育成と耕作権の確保を前提として
農地改革を前進させねばならない。解効農地は正当な対価によって買収、売り渡しが行われたことは、最高裁の判決にもある通り明らかであり、財産権擁護の観点からの返還要求は妥当でない。しかしながら農村内部には農地価格の高騰、創設農地の売却、宅地への転用等地主の感情を刺激していることも認めなければならないので、現行の農地制度や機構にかなりの問題点があると思うとの立場に立って、次のごとき事項を私どもに要請したのであります。
まず農地統制方式の強化についてでありますが、昭和二十七年土地台帳法の改正により、農地価格は無統制となったが、これを統制ないし抑制の措置をとること。二、小作地取得協議請求権を設定し、小作地の解消をはかること。三、農地管理組合を法制化し、農地を管理させ、小作料の授受、移動のあっせん、不在所有者の一時管理、交換分合等の成果保持をはかる。四、不在地主及び在村地主の小作地または法定外小作地を譲渡方式より強制買収方式によって行うこと。五、創設農地の売買は、政府に先買い権を設定して抑制すること。六、創設農地に限らず、自作農地に対しても一時賃貸以外の賃貸を禁止すること。七、農地の転用については、原状回復権の設定と 罰則の強化をはかるため立法措置を講ずること。八、水利調整に対し立法措置をもって紛争調停権を農業委員会に付与すること。
次に、農地行政機関につきましては、一、農地行政遂行のため、各都道府県に農地官制度を設け、その任免を農林大臣として身分の安定をはかること。二、農業委員の選任を階層別公選制に改めること。三、農業委員会職員を増員し、その身分安定をはかるため経費を全額国庫負担とすること。四、農業会議の審議権限を拡大し、新たに買収、売り渡し、権利移動等の審議を加えること。
次に、現行農地法の運用に関しましては、一、不在地主の小作地、在村地主の法定外小作地、やみ小作料、農地転用規定の不履行等、農地統制規定の励行対策の確立をはかること。二、小作地の解消、解放農地の確立、紛争調停等に対し、その必要資金として自作農維持創設資金を大幅に増額すること。三、
農地改革の成果を維持するため、農業委員会の予算を増額すること。以上であります。
現行農地制度に対してはなお今後検討を要する点は少からず存在するのでありますが、与えられた法律規則のもとにおいて、香川県当局、農業会議の措置はおおむね妥当と思われ、今後の活動を念願して本件に関する報告を終ります。
次に、広島県尾道定期家畜市場に関する調査の概要を報告いたします。
この家畜市場は、明治十二年の創設にかかり経営の形態は数次の変動を見ておりますが、現在は広島県畜産農業協同組合連合会の経営するところとなっております。市場の敷地は三千五自四十四坪、家畜の収容力は牛馬二千頭、昭和三十年度の入場頭数は約七万頭、うち取引成立頭数は約五万頭、金額にして約十億四千万円といわれ、その取引規模においてはまさに東洋一を誇るものであります。
家畜市場の経営内容は、売り主より入場料百円、買い主より売買交換手数料百円を徴収することを主たる収入源とし、年間おおむね九百万円の収入を上げ、これに対し経営費約六百五十万円程度、年間平均して二百五十万円程度の剰余金を上げ、これらを広島県内の畜産振興費に充当しているとのことであります。
取引の方法は言うまでもなく、売り主及び買い主間の相対売買であるわけでありまして、過般第二十四国会において制定いたしました
家畜取引法により、このような長い間の慣行となっておりまする家畜商間のいわゆるそでの下取引は、遠からず同法の命ずるところによってせりまたは入札の方法に変更しなければならないものとせられておるのであります。しかるところ、この家畜市場に関する限り、せりまたは入札は、この市場の持つ立地条件及び経済条件のもとにおいては、きわめて不適当であるから、同法第十五条ただし書きの適用によりせりまたは入札の方法によらない取引方法によるべきであるとの主張が現地側よりなされ、われわれ調査班の調査の対象に取り上げることとなった次第であります。
私どもは十八日夜尾道市に到着し、十九日
現地調査を行い、またその間大原広島県知事を初め、県会農林委員の方々、久宗県農林部長、同畜産会長等現地の市場関係者多数の人々と長時間にわたり意見の交換を行なったのであります。県側及び市場経営者側の意見を総合いたしますと、一、
家畜取引法の趣旨には賛成であるが、本法の運用に当っては
家畜取引の実態から判断して弾力的な措置を講ずる必要がある。二、しこうして
尾道家畜市場及びその分場たる十日市市場は産地市場ではなく、中継市場であって、家畜商対家畜商の取引の場であり、敏速な流通機能を発揮させるためには、せりまたは入札は適当な取引方法とは考えられない。三、すなわち本市場には一日二千頭以上の家畜が集まるのであるが、せりまたは入札では一日最大限度三百頭程度の取引が可能であるにすぎない、というのであります。すなわちせりまたは入札が不適当であるというのでありますが、しからばせりまたは入札以外のいかなる方法が適当であるかという点については、公式には何ら積極的な意見が示されておらないのであります。私どもが現地側の意見を種々打診いたしましたところでは、正札売買または立会人による仲立ち売買を考えているようであります。私どもが場内を視察いたしましたところによれば、場内は狭隘であり、今後平面的な拡張の余地はほとんどないように見受けたのであります。しかして取引の交渉は家畜商の集団と集団との間で行われているようでありますが、取引そのものは閉鎖的な相対売買であります。法律の目的はこのような閉鎖性を打破して取引を開放化し、産地での取引から枝肉市場での取引までをすべて公正明朗化しようというのでありますから、尾道でのそれが単に中継市場たるのゆえをもって簡単に特例的位置を与えることは一考を要するものがあるやに思われますが、市場の物理的要件、市場の経営者、取引参加者の経済的要件の一切を考慮に入れ、しかも法律の範囲内で取引の敏速性と開放性を巧みに調和し得る代案があるとすれば、この際検討すべきものと判断した次第であります。いずれにしろせりをもって原則とするが、一挙にこの制度へ切りかえることは著しく現実を無視することとなるから、部分的にしろせりによる売買を行う態勢をとり、せりをもってしては処理し切れない、家畜があるときは暫定的には従来の相対売買を続行し、諸般の準備の整備につれ、本来の軌道に乗せていくというのが妥当な方策であろうと存ずるものであります。現に群馬県等においてはせり売買が実際に成功を見ている例があるように伝えられておるのですから、関係者はそれらを参考とし、政府、現地とも万全の措置を講ぜられるよう念願する次第であります。
最後に台風第九、第十二及び第十五号の
被害状況の調査につき報告いたします。すでにこれら台風の気象の概況は御承知のことと思いますので省略いたすことにいたします。
まず和歌山県について申し上げます。和歌山県における台風第十五号は九月二十五日ないし二十七日、和歌山市等を中心として局地的には連続雨量四百八十ミリの豪雨を降らせたのでありまして、これがため各河川は増水はんらんし、堤防の決壊、道路山林の崩壊等を招来し、このため死者、重軽傷者等を出し、耕地、土木、林業、農作物、住宅等被害総額十九億七千万円を生じたのであります。農作物の中では大根等の蔬菜が発芽直後やられ、水稲も十二号の被害と相まってかなりの被害を与えているようであります。和歌山県は昭和二十八年の大水害によって約千二百億円の大被害をこうむり、その惨状はいまなお記憶になまなましくよみがえってくるものでありますが、その復旧も六割を終り現在四割を残しているとき、さらに今回の災害を受けたのであります。まことに同情にたえぬ次第であります。県当局、
農業団体等の関係者はこれらの対策といたしまして国庫助成の早期決定と概算交付、大幅な起債の認可、復旧事業の促進、地方交付税の増額、応急復旧の融資等の要望のほか、特に農災法対象外の蔬菜、果樹、特用作物等の救済措置、なかんずく種子、肥料代の助成、予約米の補正、家畜衛生に要する経費の高率補助等の要請がなされたのであります。またこれが復旧額は十四億円、緊急復旧分として五億三千万円、応急措置として二百八十万円をそれぞれ措置するよう要望されたのであります。
愛媛県における台風第九号、第十二号及び第十五号による農業災害並びに県下の一般
農業事情の調査は、香川県境において県当局及び農業団体の方々の出迎えを受け、その説明を受けながら沿線を見まするに、至るところ潮風害及びこれに誘発された穂首いもち、枝硬いもちによって黒変化した水田を見受け、意外の大被害であることに一驚を嘆したのであります。翌日県庁において久松知事以下の説明によれば、第九、第十二及び第十五の各台風によってほぼ同一地域の田畑、果樹園が被害を受け、九号によって特に南予のイモ類、佐多岬の柑橘類、温泉郡のナシ、南方の桑等を含めて五億数千万円、第十二号台風によっては時あたかも二百二十日前後の水稲の開花期に当り、特有の山路風という突風を発生した東部地方を初め、各地において水稲、陸稲の激甚な被害を受け、果樹、農業施設、林道、水産施設の被害を含めて実に十二億円の損害を記録することとなったのであります。なお本県においてはイモ類、陸稲に干魃によるかなりの被害のありますことをつけ加えておきます。県としましては、これらの被害に対して、天災融資法による営農資金一億五百万円、自作農創設維持資金二千五百万円を要求されているのであります。
次いで、私どもは
現地調査に当ったのでありますが、まず松山市堀江町大西地区におもむきましたが、ここは二十一年の
南海地震による
地盤沈下の被害を受け、満潮の場合の排水が不良化して塩害または湛水による被害を受けているのでありまして、他の数地区を合せ、残事業量は約六億と称せられ、一日も早い復旧を望まれていたのであります。
それより北条町に参りましたが、第九号及び第十二号により長十郎ナシが大きな被害を受け、約六割の落果により、しかも残ったものも商品価値の低下により数千万円の損害を受けたと見られております。ことに同町浅海地区は四十年来いまだかってない激甚な被害であって、特に専業果樹農家の痛手は相当なもののように見受けました。
さらに私どもは新居浜市船木地区に参ったのでありますが、ここはいわゆる山路風及びこれを誘因とするいもちによる災害常襲地帯でありまして、今回もまた第十二号台風に際し、南方の山より吹きおろした熱気を含んだ風によりフェーン現象を起し、農林第十八号、二十二号以外の中稲、晩稲はことごとく白穂化しているのであります。地区内の水田約三十町歩はこの状態であると見られます。カキもまた同様であります。これらの被害農家に対しては自作農創設維持資金等により早急に手厚い救済の手を差し伸べることが必要であります。
なお本県におきましては道前、道後平野農業水利改良の推進、急傾斜地帯農業振興対策事業の促進、百円硬貨鋳造絶対反対、ジャガイモガの防除対策、新農山漁村建設総合対策の是正、カンショ価格対策の実施等に関する陳情がなされ、本県としてはいずれも切実な問題であり、対策に関し意見の交換を行いましたが、他日その詳細を申し述べたいと思います。
次に高知県における被害について申し上げます。
高知県においては台風第九、第十二及び第十五号の三つの台風によりまして、それぞれ被害をこうむったのであります。その被害総額は十二億七千万円に及び、第九号において二億二千万円、第十二号において三億八千万円、第十五号において六億六千万円となっているのであります。また、いずれの台風もその中心がはずれたことは、不幸中の幸いと申すべきでありましたが、それでも十五号台風においては、高知市で三百七十ミリの雨量、二十六メートルの風速に見舞われ、鏡川、物部川、安芸川等の河川の流域、高知市周辺の
地盤沈下地帯の農作物に被害を及ぼし、その他小被害は各地に続出しているのであります。水稲にありましては、三期、四期のものが刈り取り、登熟の前後にありまして、十二号台風による倒伏、穂ずれ等による被害をさらに増大させたのであります。そのほか園芸作物、蔬菜、林産物または農地、漁船、農林水産施設等にも与えたのであります。台風第九、第十二及び第十五号の被害額は、農作物五億円、開拓地の農作物一千四百万円、林産物約一千万円、林業施設二千万円、耕地七千万円、治山一億円その他全般的に相当額の被害額を見ているのであります。
このような被害に対しまして溝渕知事を初めとする県当局は、他の県と同様の要望を行い、特に農災制度の改善について基準収穫量、損害評価、農単方式、共済金の支払い、無事戻し制、農家負担等について被害農家を正しく救済し得るよう要望されたのであります。さらにまた災害によって生じた下等な品質の産米について災害等級を設け、これが無制限買い上げの要請があったのであります。
また高知県及び高知市より、昭和二十一年の
南海地震により
地盤沈下がはなはだしい高知市周辺の海岸線及び河川堤防について助成措置の陳情があったのであります。すなわち香長平野の河川堤防は約一メートル沈下し、その耕地の排水と高知市の排水に重大な影響を及ぼし、このため四十二カ所五十二台の排水機と、百二十五カ所の水門によって維持されているのでありますが、台風によりこの施設が老朽化したため、住宅の浸水、水田の冠水等直ちに被害をこうむり、これを救済するため維持費、施設取りかえ等に助成されたいというのであります。
最後に三重県における台風等の被害につき申し上げます。
二十五日から特に志摩、度会方面に豪雨をもたらし、磯部町では一日で三百ミリ、鳥羽市百八十ミリの豪雨を降らせ、二十六日にはこれに百五十から二百五十ミリの雨量を追加し、風速は最大四十五メートルでありまして、河川ははんらん増水し、人家の全壊、流失、浸水、田畑の埋没、流失、道路堤防の決壊、山くずれ等の被害をもたらし、遂に関西線関町地内にて土砂が崩壊して、列車一両が加太川に転落、死者七名、行方不名一名、負傷三名を出す惨事を引き起したのであります。さらに本県では、十月二日の不連続線による豪雨によって、多いところで三百五十ミリ、少いところで四十七ミリの降雨を見、県南及び中部に大雨を降らせ、十五号台風の復旧を停滞させ、さらに被害を増加させたのであります。
田中知事の説明による被害総額は二十二億一千四百余万円、うち農業関係十一億五千六百万円、林業一億三千四百万円、水産業二億六千六百万円、土木三億五千七百万円、家屋二億八千百万円その他となっておりまして、農林水産関係の額は十五億五千八百余万円に上っているのであります。
右の被害に対し、天災法による経営資金の貸付及び既貸付資金の償還延期、農災法の再保険金の概算払いと共済金の仮払い、農地、農業用施設、林地、林業用施設等の復旧費の早急助成とそれまでのつなぎ融資、膨大な小災害復旧に特に国家助成を講じ、被害農林漁家に対し、所得税の減免等の要請がなされたのであります。
私どもが参りました伊勢及び志摩地方は被害が甚大でありまして、志摩地方事務所管内で農林水産関係被害額約三億円で、特にこのうちで水産関係として真珠養殖及びその施設、漁具等が二億二千万円の被害をこうむっているのであります。なお真珠漁業協同組合長の説明によれば、真珠の被害は十五号台風にて養殖、真珠貝、稚貝の損害二億五千四百万円、これに七月下旬から八月上旬にわたる夏期の高水温により五億二百万円の損害を加えますと、真珠業者の損害は七億五千六百万円に及び、その理由は出水により貝が五、六時間ひたると死滅するので、これが救済として治山治水の植林をすること及び災害復旧と生産のための資金を、被害の半額で低利長期に融資する道を講ぜられたいというのであります。
右のほか磯部町長、鳥羽市助役等現地関係者の説明及び陳情がありましたが、そのほか製氷冷凍用の電気税免除の陳情、伊良湖水道水中機器設置反対の陳情等がなされたのでありますが、これらは省略いたします。
以上台風の
被害状況について四県の調査をいたしたのでありますが、今回の台風の特長は、小被害地が累積し、かく災害復旧法適用線以下のものがきわめて多いのが実情でありまして、これの救済を考慮するとともに、台風常襲地帯として年々台風等の脅威を受けている地方として、要望にこたえ、すみやかに復旧を行うよう希望いたすものであります。
以上をもって私の報告を終ることといたします。