○原(捨)
委員 本
調査班の受け持ちました
福岡県、
佐賀県、
熊本県及び
鹿児島県における
台風第九号による
農林水産業の
災害状態について
調査の概要を御
報告申し上げます。
派遣委員は
稲富委員と私とでありましたが、
佐賀県においては
井手以誠議員、
八木昇議員のお二人が、また
熊本県におきましては
石坂委員が、
鹿児島県におきましては
赤路委員がそれぞれ参加せられ、去る八月二十八日より九月三日まで七日間にわたって各県の
被害状況を詳細に
調査して参りました。
私は、この
報告を申し上げる前に、本
調査のために各
県当局を初め、
熊本農地事務局及び各
統計調査事務所並びに
関係団体、
地元民多数より与えられた御協力に対し深甚なる謝意を表するとともに、住むにその家は流され、働くにその田畑や
漁船等を失い、家族より死者、行方不明者合せて二十七名の尊い
犠牲者を出しましたことにつきまして心より御同情の念をささげるものであります。
御承知のごとく、九
号台風の進路は、
鹿児島の
薩摩半島西岸洋上を北上し、
九州の西
海岸をかすめ、
北部九州海岸沿いに対馬海峡を通り、日本海に抜けたのでありますが、
中心の近くでは
最大風速五十メートル、
中心から四百キロ以内では二十五メートル以上の
暴風雨となったのであります。しかして今回の
台風の示しました
特徴は、およそ次の三点に要約できるようであります。従って
災害の型もこの
特徴と関連せしめることによって最もよく理解することができるのであります。
すなわち、第一は
台風が
九州の
西方洋上を通過したために、
長崎、
佐賀方面に特に激しい
被害を生じた点並びに草垣島
付近に副
台風の発生を見たため、
鹿児島方面にはきわめて長時間にわたり風が吹いた点であります。
第二は、大正三年以来初めてといわれるような非常なスピードで通過し、
海岸線の
各地に
施設災害をもたらし、また
水稲の葉先に数ミリないし数センチの裂傷を生じたのでありますが、
降雨量は
長崎、
大村、
佐世保等を除いては比較的少く、場所によってはむしろ旱天の慈雨となったことであります。
第三は、
台風によって潮位が上っていたところにちょうど
満潮となり、波の高さは三池において四七メートル、
有明において四五メートルないし六メートルを示し、
異常事態となったことであります。しかも
満潮に風が南に回りましたために、
有明の
干拓地には真正面から
暴風浪が激突し、
各地の
干拓堤塘が破壊され、大事に至ったわけでありますが、ただ一つ不幸中の幸いともいうべきことは、当時小潮であったことでありまして、これがもし九月五日ごろに参ります八朔の大潮であったならば、
被害はけだし言語に絶するものがあったであろうと思われ、われわれはりつ然といたしたのであります。
以上のような次第で、今回の
台風が
九州一円に残したつめ跡を総括的に申しますならば、
災害の範囲は比較的狭少でありましたが、局地的に見ますならば、かなり深刻な影響を
被災民に与えており、また今後の
災害対策として幾つかの教訓を残しているのであります。以下、私はその細目について御
報告申し上げたいのであります。
本
調査班は、二十九日まず
福岡県庁に参りまして、
県当局、
熊本農地事務局、
統計調査事務所等の各当事者より、
県下全般の
被害状況並びにそれに対する
災害対策、
要望事項を聴取いたしましたが、それによりますと、
福岡県
全般の総
被害額は実に二十八億円でありまして、そのうち農林
水産関係の
被害のみについて申し上げますと、
農作物関係において冠水、浸水、流失、埋没等によって皆無作または減収による
被害が七億四千四百万円にも達するものでありまして、特に
有明海岸地帯の
水稲にありましては、満
潮時に加えて
暴風浪による塩水の冠水、浸水、あるいは潮風などによる塩害が一千四百五十
町歩にも達し、また倒伏などによりその減収量は四万五千六百五十五石で、平年作の二一%の減収ではなかろうかというのであります。実に
水稲だけで
被害面積が三万一千四百五十二
町歩、
被害額にして約四億六千万円となり、
蔬菜類においても一億六百万円、果樹その他特用作物などにおいても一億五千六百万円をこえる
損害を受けた模様であります。
また
耕地関係被害については約二千万円で、その六割以上が
被害の最もひどかった柳川市正面の昭代
干拓地でありまして、本
調査班は特にこの昭代
干拓地区と橋本開
地区の二カ所について現地
調査をいたしましたが、これらの
地区は
有明海の真正面から、いずれも高潮と
暴風浪によりまして
海岸堤塘が決壊いたしまして、昭代
地区の堤塘に四カ所、延べ八十五メートルの崩壊があり、橋本開のごときも延長二千九百メートルの堤塘が七カ所、延べ四百十五メートルも崩壊し、土俵積みをもちまして応急の処置を施しておりますが、崩壊寸前という危険な個所も相当あり、九月五日ころの八朔の大潮を控え、
地元民は戦々きょうきょうとして次の
台風におびえているというありさまでありました。また昭代、橋本開両
地区における
水稲の
状態は、一部海水の冠水、浸水にて枯死したものもあり、その他のものは潮風による塩害で枯死寸前という
状態でありまして、これによる減収は相当の
被害を予想せられるのであります。特に橋本開においてわれわれが奇異に感じましたことは、この正面の
干拓堤塘は土木部所管となっておるわけでありますが、堤塘の先端コンクリートの上のパラペットは、単に上に載せてあって固定されておらないためほとんど倒壊して、何らの役割を果していないのみならず、第二線堤塘との間の約八十
町歩の水田はほとんど冠水に近い
状態を示しておりながら、これらの排水作業を実施することによって
水稲の
被害を軽減する努力が一向に講じられておらない事実でありました。もし堤塘の所管が建設省
関係であるのゆえをもちまして、背後の
農地並びに
農作物について無関心であるとするならば、これはゆゆしき問題であるといわねばなりません。
林業
関係では比較的雨が少かったため
被害は軽微でありましたが、それでも立木の倒伏あるいは倉庫などの林業
施設の
被害が三千万円程度ありました。
また
開拓地関係におきましては、開拓農家の
住宅が五十四戸全壊し、百五戸半壊、二百八十二月の大破、
被害額にして三千五百四十万円、それに
施設物において約一千二百万円、
農作物において一億七千六百万円、
開拓地関係被害は
合計して二億二千三百万円に達するものでありまして、零細な開拓農民にとってはあまりにも大きな痛手であるのであります。かつ、山地方面の開拓農家。
住宅は、いわゆる三千円
住宅と称するきわめてお粗末なバラック建築が多く、今次の
台風により倒壊したものが少くないのでありまして、この際
開拓者の
住宅対策を真剣に再検討する要があるものと思われるのであります。
なお、
水産関係におきましては、総額一億一千百万円の
被害のうち特に
被害の大きかった
有明海のカキ、ハマグリの養殖が全滅となりまして、四千万円、
漁港被害の三千九百万円と、六百六隻の
漁船被害一千四百万円の
損害を受けておる
実情であります。
漁船につきましては、
有明海における小
漁船の
被害が多かったようでありますが、これらはほとんど
漁船保険に加入しておらないという現状であります。単に
福岡県の
地区にとどまらず、各県とも今日まで
漁船保険制度の普及と保険加入のための積極的な奨励の
措置に欠くるところがあるのではないかということを痛感いたしたのであります。
われわれは次いで大市川及び柳川市を訪れたのでありますが、特に大川市は筑後川の改修工事が夫着工のまま放任されておりましたことの犠牲となり、旧堤はほとんど溢流して、県下最大の
被害を受けることとなったのであります。
八月十七日未明より海水は一瞬にして全市に侵入し、
住宅二千四百戸に侵水、うち百七十戸の破壊、また耕地は一千六百
町歩に及ぶ風害を受け、うち二百
町歩は冠水し、
水稲を主とする
農産物の
損害一億余円に達するとともに、一方筑後川下流の沿岸漁民は、
漁船四百隻のうち二百二十隻が破損流失したのでありまして、しかもこれらのうちわずかに二隻が
漁船保険の加入を見ているにすぎないありさまであります。しかも筑後川下流
地域においては、船だまりとおぼしきものは全くなく、
台風来襲に当っては全く無抵抗という情ない
状態であります。かつまた水産養殖において、カキは種ガキを含めて完全に全滅し、三十年度の実績より見ますと、五千数百万円の
損害と推定され、ノリについても同様の
状態を示しているのであります。
柳川市につきましても、さきに述べました
干拓地の
被害のほか、百四十四戸の
住宅が
被害を受け、
漁船の大破したもの六十隻、貝類は全滅という
実情であります。
なお、大川市において三瀦郡南部土地改良組合の
災害について熱心な
陳情を受けたのであります。それによればこの組合は、二十八年災において二千三百三十二万円の
損害の査定を受け、今日までわずか百四十四万円の補助金を受けたにとどまり、農林中金より一千五百万円の
融資を受けているというのでありますが、今回の
災害により電柱、ポンプ電動機等に数百万円の
損害を受けているのでありまして、このような累年
災害については、速急に補助金交付を終了すべきものと考える次第であります。
以上が
福岡県における
農林水産関係被害の概要でありましたが、県が国に対して
要望した諸事項はおよそ次の通りであります。
一、公共土木
施設関係については早急に査定を終了し、緊急施行の認定を行うとともに、これが
復旧資金について
融資の
措置をとること。
二、建築物
関係としては、公営
住宅法第八条の規定による
住宅の建設を行うとともに、自力
復旧者に対しては、金融公庫の特別ワクの
措置を、とること。
三、
農作物関係としては、天災
融資法を
適用して営農
資金の貸付
措置を行うこと。また稲作病害虫防除費について国庫助成の
措置をとること。
四、
耕地関係については、
被害が代行
干拓地域であるから急速な予算
措置をとること。
五、
水産関係としては、
漁船、
漁具、その他共同
施設の
復旧について天災
融資法を
適用すること。
六、商工
関係として、中小企業金融公庫、商工組合中央金庫、国民金融公庫より中小企業に対する
資金ワク増加
措置をとること。
七、
開拓者の
施設関係について、早急に
国庫補助の
措置をとること。特に補助金対象外となっている全壊以外の
住宅についても、開拓営農育成の見地から補助すること。
八、町村
関係の公共
施設に対し、
復旧費の負担または助成を行うこと。
九、県財政の現状及び被災町村の財政
事情は極度に急迫しているから、
地方負担額については起債または
特別交付税について特別の考慮を払うこと。以上であります。
なおわれわれは
福岡県におきまして、筑後平野の南部を貫流する矢部川の改修工事に伴って、県営施行
河川飯江川改修区域延長に関する
陳情を受けたのでありますが、本
河川は山門、三池両郡に境してえんえん十五キロ、その流域面積四十八平方キロメートルの死活を掌握し、食糧の給源地として筑後平野宝庫の一部をになう役割を果しておりますが、一たび降雨に遭遇すればその猛威はただに本川の流域のみならず、矢部川流域にまで及び、その
被害面積は実に八百
町歩に達し、山門郡山川村、瀬高町、三池郡高田村の
関係町村民五万の人々は、世々代々その災禍により塗炭の苦しみに呻吟し、悲運に明け暮れておるのでありますが、国鉄
鹿児島本線鉄道橋より上流は旧態依然として藩政時代の治水計画のまま無堤防
地帯がありまして、また築堤部分といえども過去数十年の間一度も改修されたことがなく、加うるに戦時中山林乱伐により上流より土砂の流出がはなはだしく、特に
有明海よりする微粘土の流入堆積は一そうの悪条件をもたらし、本川下流部の河積は年を追うて縮小の一途をたどり、増水したる飯江川の水はようしゃなく無堤防
地帯より田畑及び民家に侵入すること年々数回に及び、本年四月中旬の洪水のときは農家が半歳の労苦を捧げ尽して実りを待った麦作のごときは、ことごとく立ち腐れとなり、一億数千万円にも達する
被害を生じたのであります。これは巨額の費用を投資して、せっかくの矢部川改修工事に本
地域の改修工事が包含されないところの本川の改修は、全く意義のないことになりまして、矢部川の支川である飯江川の丁子橋より上流山川村梅津橋まで延長三千二百メートルを矢部川改修工事指定区域に延長して施行されるならば、
関係三カ町村民が真心より叫ぶ飯江川水害防止
対策が確立し、かつ
関係住民五万の生命財産の保全と農耕地の確保とをはかる必要があるとの見地により、本
調査班より
関係当局に対し、その実現方について善処せられることを要請するものであります。
翌三十日は、
佐賀県庁に参りまして、鍋島知事より県下の
災害の
状況を聴取し、引き続きジープを走らせて大正
干拓、南川副
干拓、西川副
干拓、大福
干拓、
昭和干拓及び
有明干拓の
災害状況を
調査いたしましたが、これらの
干拓地における
農産物は、全く壊滅的な
被害を受けているのであります。すなわち堤塘の下部から海水が漏水、湧水したり、また決壊個所からどんどん海水が越えて入り込んで参りましたために、その背後地の
水稲のほとんどは侵、冠水し、塩分のために全く枯死いたしまして収穫皆無という
状態であります。大正及び南川副
干拓は堤塘の盛土が全線にわたり決壊し、百七十六
町歩の水田は無一物に帰しておりますが、次いで私どもは大福
干拓地区を訪れるに及び、ここで被災農民から涙の出るような苦衷の叫びを聞いたのであります。訥々とした訴えに私どもは言い知れない感に打たれたのであります。開拓農協の組合長より、どうかこの哀れな有様をよく見て下さい。私らはこの通り日二度の
満潮のために海水が侵入し、わが家に帰って寝ることもできません。家族は皆よその家に泊めてもらっております。この八朔の大潮に心配で夜もろくろく眠られません。私らは火事で焼けた方がまだましだったと思っております。なぜなら火事になっても明日から野らに出て働くこともできますが、このような水害では住むこともできません、作ることもできません。一体私らはこれから先何をして暮すのかかいもく見当がつかず、目先がまっ暗です。いろいろ申し上げたいことがありますが、もう胸がつかえて申し上げることができません、どうかお察し下さいという悲痛な叫びでありました。しかしてこの
地区はいまだ共済加入の資格がなく、共済制度の恩恵を受けることができないのであります。この人たちの大部分は終戦により外地からの引揚者あるいは戦災者であり、からだ一つをたよりに入植した
開拓者八十戸であって、しし営々としてよく困苦を忍び、苦闘十年ようやく本格的に
水稲栽培に着手しての第一年目に、とたんにこの
災害を受けたわけであります。百四十
町歩に及ぶ被災田は一面に死の泥海と化し、空々莫々、寂として声なく、民に生色なしとでも由しましょうか、夢にまで見た豊作の尊びが一夜にして悲しみに変じたその心情を適切に表現するすべを私は知らないのであります。
次いで
昭和干拓を見たのでありますが、ここは堤塘の石垣が八百メートルにわたり決壊し、海水の侵入により水田八十
町歩が全滅に帰したのであります。
また国営
有明干拓事業の
状況を見ましたが、ここにも
海岸堤塘の決壊、作業船等の
被害などがありました。しかし国営
干拓に対しましては、ほんのかすり傷程度の
被害を与えたにとどまったのは、不幸中の幸いでありました。
以上、われわれの視察しました
干拓堤塘の
災害の概況を御
報告申し上げましたが、この
災害に関連して、
干拓堤塘の建設、管理の面において、現地の
関係者と会談の結果得られました若干の問題点を述べて、
委員各位の御参考に供したいと存じます。
今回の
災害は、堤防の南正面から
最大風速五十メートルの南西の
強風と、一メートル八十程度の
満潮が重複し、六メートル前後の高潮が襲来したために、激浪は堤防をオーバー・フローし、裏側から盛土を洗い、このために傾いた堤防をさらに正面から波が吹きつけ、石垣がくずれ落ちることによって発生したのでありますが、
被害を受けた堤防は、いずれも代行
干拓でありまして、四メートルから五メートルまでの高さで数年間未完成のままに放任されていたわけであります。堤防の標高はおおむね六メートルを基準としているのでありますが、大潮の満
潮時を予想したならば、六メートル基準が適当であるかどうかについてそもそも技術上の問題があるわけである。のみならず、四メートルないし五メートル程度で未完成のまま予算をつけず放任していたということは、あまりにも怠慢きわまる行政の態度と申さねばならないのであります。今回の
災害が示すように、完成するまでの間に片っ端から崩壊していくのであります。
また
干拓堤防は大福は農林省が所管し、他はことごとく建設省の所管となっているようですが、今回全滅のうき目を見た
昭和搦は三十年度に建設省が一千二百万円を投じて盛土の中に杭を打ち込み、高さ一メートル、長さ八百七十メートルにわたってかさ上げを行なって、この四月に補強工事を行なったばかりだというのでありますが、胸壁と杭がくしの歯のように残骸を残してもろくも崩壊しているのであります。補強工事を行なった部分が破れ、補強しない部分が残るということは常識的にも全く奇異の感を受けるのであるが、一体盛土の中に直径三十センチ、長さ二メートル前後の杭を打ち込むということが補強工事になるのかどうか、私どもは建設省の
責任者よりその詳細な技術的
説明を承わりたいものであります。
他の
地区においても、農林省所管の堤防工事と建設省所管の堤防工事との間に工事上、予算上の点において統一を欠き、ある場合には競合する等の欠陥を随所に露呈しているように思われるのであります。しかのみならず、これらの
干拓堤防の
復旧工事に当っては、原形
復旧主義が堅持せられるもののようでありまして、かくては百年さいの川原を繰り返すの愚を演ずるものと断ぜざるを得ないのであって、われわれはこの際
海岸法の施行とも関連して
干拓行政のあり方について徹底的な再検討を要求するものであります。
さらに私どもは自動車を走らせて、去る八月二十七、二十八の両日、
佐賀県下に降った豪雨のために再度の水害に見舞われた塩田町に至り、塩田川はんらんによる決壊個所の
復旧工事の現場を
調査いたしましたが、流失埋没田畑十五
町歩、冠水田畑二百十
町歩、農家の全壊流失が四一尺半壊三戸、浸水家屋四百戸の
被害が発生しているのであります。
以上申し上げましたように、
佐賀県の
被害はまことに激甚をきわめ、その総
被害額は実に三十三億円をこえるのであります。
そのうち農林
被害は、
水稲の
被害面積五万一千五百
町歩、その減収量の見込みは十三万七玉石、金額にして十三億四千百万円に及ぶといわれておるのであります。蔬菜において一億八千四百万円、果樹において一億五千六百万円、
被害の最も大きかった
干拓関係では先ほど申し上げました通り堤塘の決壊による
被害は二億一千二百万円という莫大な数字に達するのであります。
水産業
被害については、
漁船の滅失五十五隻、その他合せて三百三隻の
被害がありまして、
漁港が五千二百万円、特に
有明海はカキ、モガイ、アサリ等の養殖貝類の
被害が三億六千三百万円、水産業
被害の全部を
合計いたしますと実に四億三千万円の多額に達する
実情でありました。
さらにつけ加えて
佐賀県側の
要望されました点をごく簡単にかいつまんで申し上げます。
一、
干拓関係について、被災激甚の
干拓地復旧工事を三十二年の稲作期前に完了するように取り計らうこと。その他の
干拓地については早急に
復旧工事に着手できるように予算
措置をとること。また大福
干拓地の八十戸の
入植者には、
住宅その他の
農業用施設にさしあたって二百万円必要であるからこれを全額国庫の補助をすること。また国営
有明干拓地の六十戸の
入植者には、
復旧資金として開拓営農
資金を
融資すること。また畜舎、農舎等の非
住宅の
復旧に要する費用として七百四十万円を全額
国庫補助すること。また大福
干拓地においては、
農業災害補償法の対象となっていないので、共済金に見合う
災害補償の
措置をとるとともに、これらの
入植者に新らしく入植したものとして開拓営農
資金の
融資をする道を講ずること。また大幅
干拓地の除塩作業実施に要する費用約二百八十万円を補助すること。
二、
開拓関係については、被災
住宅及び非
住宅の全、半壊分の
復旧に全額の
国庫補助をすること。また
農作物被害復旧のため開拓営農
資金の
融資をすること。また
開拓者が既
融資金の償還困難なものに対し償還期限の延長をすること。また代行開拓道路の
復旧を早急に着手すること。
三、自作農
関係については、自作農維持創設
資金の
災害分の増額支給を講ずること。
四、
農地農業用施設関係については、早期
復旧の
措置をとること。
五、金融
関係については、農林漁業
資金の既借り受け分について今次
災害のために償還困難なものに対しては、償還計画の変更を認めるために特に考慮すること。また
災害営農
資金及び
災害経営
資金の既借り受け分について今次
災害のために償還困難なものに対しては返済期限の延長を講ずること。また
災害関係で既借り受け分の三十一年度繰り上げ償還目標額四千八百万円の減額変更を考慮すること。また天災
融資法に基く経営
資金融通の道を開くこと。
六、食糧
関係については、予約出荷不能の
被害農家に対し、予約金の返納延期と延滞利子の免除を特に考慮すること。また保有米の流失、水ぬれの被災農家に増配米の考慮をすること。
七、共済
関係については、塩害による収穫皆無の
水稲に対しては、共済金の概算払いまたは基金よりの借り入れによる仮払い
措置をとること。
八、種苗
関係については、収穫皆無の
被害農家に対し、代作用種子並びに翌春播種用種子の購入費及び保管輸送費を全額
国庫補助をすること。
九、
畜産関係については、
有明海岸被災地における家畜の飼料に要する費用を
国庫補助を行うこと。
十、林業
関係については、林地の被災個所
復旧工事を早急に実施すること。母上であります。
以上、
佐賀県を終えまして、三十一日
熊本県荒尾市に参りましたが、ここでは主として荒尾市の果樹農園の
被害を
調査いたしましたところ、ナシ、ブドウ、桃、ミカン等の
被害が百五十町、ナシのごときはちょうど成熟期でありましたが、
台風によって落果し、三千百万円の
損害をこうむったというのであります。
それより
熊本県庁に参りまして
県当局並びに
農地事務局、
統計調査事務所及び
関係者より県下
災害の
全般にわたって
被害状況を聴取いたしました。
その概要を申し上げますと、特に
天草地方においては
風速三十五メートルという
強風にあおられて、
天草地方だけの総
被害は五億九千四百万円でありまして、そのうち最も
被害の大きかった部分は
水産関係で二億三千万円、その内訳を見ましても
漁港六十九カ所、六千五百万円、
漁船は九百八十五隻で四千五百万円、
漁具三十件九千三百万円、養殖物その他で二千四百万円という
被害をこうむっておるのであります。
県
全般の総
被害は二十五億六千九百万円でありまして、そのうち農林水産について申し上げますと、
農産物関係十二億四千七百万円、
開拓関係八千八百万円、
耕地関係四千七百万円、
畜産関係二千六百万円、蚕糸
関係二千万円、林業
関係八百万円、
水産関係二億六千九百万円、計十七億五百万円でありまして、総
被害額の六六割にも達しているのであります。
私どもはまた玉名郡岱明村の鍋大正開
地区の潮風による
水稲被害の
状況について
陳情を受けましたが、この
地区は
水稲が潮風による
被害を受け、相当の減収が見込まれるようであります。また
海岸堤塘は決壊寸前の
被害を受け、官民合同による必死の水防工事を行いましたので、決壊より救うことができましたが、この水防工事に要した人員は、実に二千六百六十名を動員し、三十万円の資材費を要したとのことであります。
午後より県の取締り船に便乗いたしまして、三角港より
天草本島に渡り、龍ケ岳村瀬戸港に
上陸、村役場において同村の
被害状況を聴取いたしましたが、
漁港の崩壊が六カ所、
漁船の
被害百六十八隻、農林
関係の
被害と合せて一億四千二百万円に上り、一村にとりましてはあまりにも大きな
被害であったのであります。村民の切なる
要望といたしましては、
漁港及び船だまりの
復旧が一日も早くできますように、また
漁船建造に要する
資金の
融資方を急速に実現して、漁民が一日も早く生業につけるように、特段の配慮を願うということでありました。
私どもは再び乗船し、
天草沿岸の脇浦、小屋河内、高串、東浦、西浦、池ノ浦、葛崎の各
漁港と、井牟田及び田浦の
漁港の
被害状況を
調査いたしましたが、これらの
漁港はいずれも小規模の船だまりでありまして、漁業を専業とし、他に交通の便に恵まれぬ漁民にとっては、港が唯一の生命線でありまして、その港も壊滅的な
災害を受けておりまして、中には防波堤の入口の両面が破壊されたために港内から
漁船が出漁できず、くぎづけにされておるところもあるのであります。
私ども
調査班は野に山に海にと、
農林水産業の
被害のあるところをくまなくたずねて、九月一日、最後のコースを
鹿児島に入り、串木野
漁港における
被害状況を
調査いたしましたが、あの巨大な港内防波堤の上から
暴風浪が乗り越えて港内
護岸を五十メートルにもわたり破壊したばかりでなく、港内に避難しておりました
漁船二隻をも大破沈没せしめた
風速三十五メートルに及ぶ風浪の猛威を如実にうかがい知ることができたのであります。同港の
被害個所を
調査いたしますと、地盤が砂
地帯でありまして、
護岸堤防の背後においてコンクリートブロックの下部がえぐり流されて決壊しているのでありますが、これらの
復旧については、単に原形
復旧のみにとどまらず、その
被害の原因となった欠点をさらに改良、整備の必要があると思われたのであります。
それより枕崎市に向いましたが、途中加世田市に立ち寄り、
農業事業計画の概要を
調査いたしまして枕崎市に至り、同
漁港の
被害状況を
調査いたしましたが、当港はカツオ漁業、まき網漁業の根拠地として多数の
漁船がひんぱんに出入し、混雑をきわめている
状況でありましたが、港口が湾曲しておりますために、夜間の航行特に荒天時における出入は、南防波堤灯台の倒壊によりはなはだ危険でありますので、航路標識の持つ重要性にかんがみ、本灯台の設置方を
要望しているのであります。また港内は、荒天時においては
漁船の安全が保たれない現状にありますので、いかなる激浪からも港内が守れるよう防波堤の完璧を期し、港内の浚渫を行い、恒久的整備
対策の実現を期する必要があります。同港においては、今次の
台風により、激浪のためカツオ
漁船大栄丸八十八トンは浅瀬に吹き上げられ、ついに沈没のうき目を見ておるのでありますが、他の
漁船は近隣の山、川、港に避難して辛うじて事なきを得たというありさまでありまして、同港の整備は
鹿児島県カツオ漁業、まき網漁業の進展のため緊急を要するものと信ずる次第であります。
なお、私どもは坊ノ津及び坊泊の
漁港に参りまして、長井坊ノ津町長初め多数の
地元民より、坊泊第四種
漁港修築工事の促進方について
要望されましたが、この坊泊
漁港は、今次の
台風によりまして、
昭和二十八年から一千六百万円をもって工事に着手しました松島防波堤が跡形もないほど烏有に帰したのであります。御承知の通り、当港は天然の良港として、
九州の最南端にある避難港として、またカツオ漁業の基地として重要な
漁港でありまして、松島防波堤の壊滅は、同港にある
漁船に対して大なる支障を来すことになりますので、同防波堤の設計変更等により再施工を必要とするのでありますが、さしあたり同港の経済的価値から考えまして、第四種
漁港整備計画にある通り、一番利用度の高い坊泊漁協地先の陸上
施設の工事を三十一年度に実施するとともに、これに関連して松島防波堤の壊滅により、港湾
施設計画の泊防波堤の工事を早急に着手する必要があるというのでありますから、この点特に当局に
要望しておきます。
次いで、私どもは
鹿児島市に至りまして、
県当局並びに
統計調査事務所の当事者より、
鹿児島県
被害の
全般について聴取いたしましたが、
鹿児島県における
被害の
特徴は、枕崎市西方海上を
台風が通過しましたために、主として薩摩半島が影響を受けたのでありますが、その際、近海において副
台風の発生を見たもののごとく、実に二十時間の長きにわたって風が吹きまくり、意外の
被害を生じたのであります。その概況を簡単に申しますと、
被害総額は十四億六千八百万円でありまして、そのうち
農作物が最も大きく、主として風害または塩害によるものが多く、水陸稲において五%の
被害を推定して七億一千万円、甘藷において七%といたしまして三億円、雑穀、果樹、蔬菜、甘蔗、桑を合せて一億八千万円、計十一億九千万円であります。
耕地関係で六百万円、
漁船、
漁具、
施設その他で四千三百万円、
漁港関係三千三百万円の
被害をこうむっておる現状であります。また林業
関係におきましては一千万円の
被害でありまして、農林
水産関係、計十二億八千二百万円に達している
実情であります。ただし
鹿児島統計調査事務所の
農作物被害速報によれば、水陸稲
被害において約八千七百石程度と見ているようであり、県側の
報告とはかなりの食い違いを示しておりますが、風害による葉先の裂傷の与える
被害は今後の成長をまって詳細が判明するわけであります。しこうして本県の場合、水陸稲の基準反収は著しく低位に定められています
関係で、
被害量はそれだけ低く現われてきますので、今後の調整については、慎重を要するものと存ずる次第であります。
なお、本県に対してはいまだに統計
調査用のジープの配当がないことは、
調査活動を阻害するものと思われ、そのすみやかな配当を望むものであります。
なお、
鹿児島県における
要望事項もありましたが、はなはだ長時間になりましたことと、先刻も各県の
要望事項を申し上げてありますことと大体同様なことでありますから、これを省略いたしまして、私の
報告を終りたいと思います。