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河野国務大臣 小平さんのお尋ねでございますから、この機会にテンサイ糖工場設置の問題について、私の
考えを具体的に率直に申し上げて御了解を得たいと思います。
御承知の
通りテンサイ糖の増産計画をはかり、あ
わせて有畜
農業の指導奨励をして参りたいというような意味から、
各位から非常に御熱心な御
要望もございましたので、
政府におきましては昨年度より余剰農産物の見返り円
資金のうちの一部をこれに充当して、この計画を進めることに準備をいたしたのでございます。準備をいたしましてだんだん
調査いたしましたところが、将来の計画としては、少くとも全道にわたって畜産の奨励とあ
わせて十工場くらいのものはできていくのじゃなかろうか。
——ある人によっては十五工場という計画を持っておいでの人もあるようでありますが、そこでこれらを全道にわたって畜産振興の拠点としてやっていく必要があるという
考えのもとに、だんだん
調査を進めたのでございます。さしあたり現在の日甜の工場とは別に、道南
地区に一工場を建設いたしたいという
考えを持っております。ところがその後
政府のこの意のあるところが一般農民諸君にも非常な共鳴を得、またかたがた企
業者の
方面からいたしましても、ぜひ自分もやってみたいというようなお申し出もだんだんあったわけでございます。その中の有力なる
希望といたしまして、道南
地区に台湾製糖会社から工場設置の申し出があり、道北と申しますか他の
地区におきましては芝浦精糖から工場設置の申し出があったわけであります。その他にもむろんありましたけれども、この二会社が有力なものとして私は
調査をしておったわけでございます。しかし
最初におきましては、まず道南
地区に
一つ作ることが妥当であろうということから、道南に申し出のあります台湾製糖をこれに充てることが妥当ではなかろうかということで、だんだん
調査をいたして参りました。その当時道南におきましてこの工場誘致の運動も大分ございまして、たとえば倶知安、長万部、伊達というような
地方からそれぞれぜひ工場を誘致したいという運動があったわけでございます。一方道北の方におきましても、ぜひやりたいという話がございまして、これについて具体的に当ってみますと
——まず
最初に私の
考えといたしましては、このテンサイ糖の工場を作るのに大体十五億の
資金が要るということを聞きました。そこでその半額の七億五千万円を融資しようというのが
最初の案であったのであります。そこで七億五千万の融資をしようということでおりましたところが、私も実は不案内でありましたので、だんだん勉強しているうちにいろいろ
考えたのでございますが、この工場は今年着手して来年の十月に完成するのだ、そして来年の秋から工場を操業するのだということでございますので、今申すように二カ年間にわたって工場が建設されそして動き出すのだということでございますから、それならば今年七億五千万円一ぺんに金を出す必要はない、二年かかるならば半額ずつ出せばよろしいじゃないかということで、一工場に対して三億五千万ずつ貸して、そしてどうせ計画を立てるならば、何も五年、十年かからぬでもすみやかにこれが増産をする方がよかろうという意味で、二工場誘致ということを
考えたのでございます。そこで、それならば今申しました道南の台湾製糖それから北の方の芝浦精糖、この
二つに作らしたらどうだというふうに
考え、しかもその金は
最初は一年に三億五千万ずつ七億出せば同じ結果になって、同じように
二つ動き出すということでよかろうというふうに
考えておりました。ところがそのときに、今度は北海道連の方から、ぜひ自分たちも道連として、農民のほんとうの代表として工場を建てたいという御
要望がありました。ご
もっともなこここ
考えまして、それも
一つおやりになったらいいでしょう。元来農民の側から申しますれば、畜産振興の拠点とし、あ
わせて国策としてテンサイ糖の増産をするということは、大へんけっこうなことでございますから、五年かかるものが三年でできれば、三年でできる方がけっこうだ、何もことし
一つ、来年
一つというより、スピードが早くかけられるならかけた方がよろしいんだ。そしてどんどんやりたいという
希望があれば、そういう人たちが、どうせ
政府が全額出すわけじゃありませんから、七億のものは五億で、
あと自己
資金でやるというならばけっこうだというふうに
考えて、初めは一工場を二工場にし、さらに御
要望があってぜひやりたいというならば三工場やることもけっこうじゃないか。
資金の面においては七億五千万を二億五千万ずつ出すこともけっこうじゃないかというふうに
考えて、それらの人たちにぜひおやりなさいということを申しておったわけでございます。ところが実はその後ここにまた中間として申し上げなければなりませんことは、日本甜菜製糖でございますが、この会社は長年にわたり御承知の
通りテンサイ糖の
仕事をやっていた会社でございます。むろん
政府との間にも長年にわたっていろいろ
関係のある会社でございますが、非常に業績もうまくいっておいでと私は
考えております。この会社が、
最初は私の知る限りにおきましては、
政府のこの新設工場を設置することにはあまり協力的ではなかった。私たちのところに、自分が新工場を作ってやるというお申し出がなかったのでございます。ないときに他の会社はぜひ新工場を作ってやりたいということでございましたから、本来から申せば、こういう経験のある会社が、それぞれ基礎のある会社が、積極的に道南のようなむずかしいところでも、自分のところでやろうというふうに
考えていただけば一番よかったと思うのであります。ところが今申しますように、本年のいつごろでありましたか、四、五月ごろでありましたか、三、四月ごろでありましたか知りませんが、そのころまではあまり自分のところでやるというお申し出がありませんでした。そこで他の会社、今申し上げたように、これらの会社がやろうということで、それを
政府としては推進しようという
考えになったのでございます。いよいよこれらの会社が具体的に話が進んで参りますと、今度は日甜の方でも、おれもそれならやるという申し出があったわけでございます。そこで私は、新会社が新しくやる場合にはこれは大いに奨励してやらせなければいかぬ、しかし従来経験のある
相当業績をあげていらっしゃる会社は、なるべくならば自己の責任において、自己の計算でやっていただければ一番けっこうであって、新しい人に新しくやっていただくことの方がいいのじゃないか、独占企業になるよりも複数の企業体によって、農民の方からテンサイを勉強して買っていただく、そうして大いに奨励の面においても競争していただくことの方が、農民の立場、
農林省の私の立場としてはけっこうじゃないかというような
考えのもとに、日甜がやろうということについても自分でおやり下さい、
政府の方の奨励の対象としてお金を差し上げるということは、ほかに会社がなければともかくも、ほかに新会社があれば新会社の方を奨励していった方がよかろうという
考えで参ったわけでございます。ところがその後、どうしたことか、台湾製糖は今年は
仕事を自分のところはやめたい、こういう申し出が現在はあるわけでありまして、ただいまの条件といたしましては、台湾製糖は先般会社の
決議として、今年はせっかく願書を出していろいろ御配慮を願ったが、自分のところは手をつけたくないという申し出がありました。それで途中からはなはだ困ったことだとは思いましたが、何分会社の方でそう申しますので、これはやむを得ぬことだと
考えております。それから道連の方は、またいろいろ準備の
都合もあるから、自分のところはぜひやるけれども、今早急にということも無理と
考えるから、準備はどんどん進めるから、
政府もその心組みでおってもらいたい、こういうことでございますから、私といたしましては、それはぜひおやりなさい、その心組みでおりますからということになっております。一方芝浦の方は着々準備を進めまして、ぜひ早急に着手いたしたいということで進んでおるのが現在の進行
状態でございます。これを最終的にどういうふうにいたすかということは、皆さん御承知の
通り、各
方面にいろいろ御意見もあるようでございますから、これらの御意見を十分承わった上で、私といたしましては最終的な決定をいたしたい、こう
考えているのが現在までの進行の
状態であり、現在私の
考えておることでございます。