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永田参考人 私、
永田であります。今の御
質問についてお答え申し上げます。
昨年の九月十二日と記憶いたしているのでありますが、本日やはり同じ
参考人といたしまして私の
秘書木村君が参っておりますが、本社の
社長室に
木村君が参りまして、
農林省の
畜産局の
本多事務官がたまたま来られて、馬の
輸入に対する
外貨が一万五千ドル余っているから、君のところの
社長が最近
アメリカに行かれるらしいが、
アメリカに行かれたならば、
種馬でもこの一万五千ドルで
輸入されたらどうかということを
本多事務官が
自分、すなわち
木村秘書に言ってくれた。だから
社長、もしもあなたが馬を買う気があるならば、一万五千ドルの
輸入の
ワクがある、こう言っておられますから、そのことを申し上げます。こういうことで初めて私
自身は馬の
輸入の一万五千ドルの
ワクがあるということを知ったのであります。そこで私は当時、同月すなわち九月の十八日に
ニューヨークに要件がございまするので、
日本時間九月十六日の。
パンアメリカンで出発いたしました。
サンフランシスコで
ニューヨーク行の
飛行機に乗りかえるものでございますから、
サンフランシスコ・タイムで十七日の午前中と記憶しておりまするが、
サンフランシスコへ着きましたら、たまたま
アメリカの私
どもの
友だちと
河野君がエアポートに見えておりました。そこで初めて
サンフランシスコに
河野君がおったということを知ったわけであります。あなたはどうされるかと言いましたところが、
自分はワシントンで
用足しをして、今晩か明朝の
飛行機でもって
ロスアンゼルスを経由して
日本に帰るんだ、君はどうするんだと言うから、私は
飛行機待ちをして、
ニューヨークヘ九月十八日、明日中に入らなければならぬ、それならば半日あるじゃないかということから、私
どもの
友だちと野君と同伴で、私のフェアモントとう
ホテルへ参りました。そこで
友だち並びに
河野君
たちから最近の
アメリカの話、いろいろなことを雑談しておりまするときに、たまたま私はその一万五千ドルの馬の
輸入の
ワクがあるということを思い出したのであります。それで私は
河野君に、君は
農林大臣をしておられるんだからわかるだろうが、一万五千ドルの馬の
輸入の
ワクがあるということを聞いたが知っておるかと聞きました。そのとき
河野君は、知らぬ。実は私の
秘書の
木村君に
本多事務官が、一万五千ドルの
ワクが余っておるんだが、
種馬でも入れたらどうかとわざわざ親切に知らしてくれたんだから間違いないと思う。だから私は都合によれば、時間の余裕があれば、
アメリカで
種馬を買い、その馬の
能力を検定したいと思うが、君はどうする。こう言って私は
河野君に尋ねましたところが、ぜひ僕も半分乗せてくれということで、一緒に買おうじゃないかということはそこで決定したのであります。
この
機会に申し上げたいと思いますが、私がその馬を買うというときの心境は、当時
河野君に私は申し上げたのでありまするが、今までに
アメリカの
サラブレッドを三十頭ずつ二回、ここ二、三年来入れたことがあるのであります。そしてこれを
日本の
馬主に
日本金で百五十万円で
抽せん馬として配付いたしまして今なおこれが走っておるのであります。ところがその馬を三十頭二回入れたのでありまするが、そのうちの十頭内外というものは、
日本の
競走馬の
一流の下に相当するくらいの
程度の
能力を持っておるのであります。そこでその
金額を調べてみますると、
USダラーで大体において二千ドルから二千五百ドルくらいしておる。その
程度の
値段の馬が
日本に来て、
日本の
競走馬の
一流の下に位するくらいの
能力を持っておる。だから、もしもその倍額である、すなわち五、六千ドル
程度の馬を買えば、
アメリカでもその
値段からいけば
一流の下である。このくらいの
程度の馬を
輸入して、
種馬の前に一応
能力検定で
日本の馬と
競走させれば、私は
日本の馬の方が勝つと思う。現在
日本でも、長距離は
日本の馬の方が
能力があると思う。だからこの
機会に一応
能力を
検査して、幸いにして
日本の馬の方が速いということがきまれば、逆に
日本の馬を
輸出しようじゃないか。こういうようなことを
河野君と話し合ったのであります。だから、この一万五千ドルの馬の
輸入の
ワクが残っておるなら、これを利用して、
種馬を二、三頭入れよう、
能力を
検査してみよう、こういうことだったのであります。
そのときに
河野君が私にいわく、
永田君、君にしても僕にしても、馬は好きだけれ
ども、なかなか馬を見るということはできない。たまたま
中央競馬会から
井上君が
中心でカリフォルニア州におけるところの
トロッター・
レースその他の
競馬の
視察に来ておるから、彼に見せて馬を買わしたらどうだろう、
お互い馬はわからぬじゃないか。ごもっともだ、ところで
井上君がこちらにおることはわかっておるのか。大体
ロスアンゼルスにおるということだから、
自分は一日
ロスアンゼルスにおるから、
井上君を探して、もしも
井上君がおったならば、彼は獣医の資格を持っておるから、馬をよく見ることができるだろう。じゃ、彼に依頼しようじゃないか。もしも
自分が
ロスアンゼルスに行って彼
井上君に会えなかった場合には、君は
ニューヨークから帰りに
ロスアンゼルスに寄るんだろうから、そのとき
井上君を見つけて頼んでくれということで、私は
ニューヨークに立ち、
河野君は
ロスアンゼルスに立った。こういうことなんであります。引き続いて述べさせていただきますが、それから私は九月二十六、七日ころと記憶いたしておりますが、
ニューヨークに
用足しをいたしまして、
ロスアンゼルスに参りました。そうすると、私の旅館であるところのビヴアリー・ヒルス・
ホテルという
ホテルに、
井上君がたずねて参られました。そのとき
清水という
輸出商店の主人と、ほかに
日本人が一人で、三人で私の
ホテルにたずねて来られたと記憶いたしております。そうして久しぶりに
アメリカの土地で会ったものだから、
井上君何しにこちらに来ておるのか、
河野君に聞いたんだが、何か
視察に来ておるのか。いろいろと
視察に来ておる、というような話がございまして、
井上君が私に、実は
農林大臣にお目にかかったら、一万五千ドルの馬の
輸入の
ワクがあるということをお前知っておるか、ということを聞かれたが、
井上君いわく、
自分は知らない。
永田君が言っておるんだから間違いないだろう、ついては
種馬にもなり、
能力の
検査もできる、一万五千ドルの
ワクの
範囲において買い得る、なるべくその
範囲において、いい馬を二、三頭買えと言われたが、買っていいんですかということを、
井上君から私に念を押されましたので、その
通りだ、買ってもらいたい。ぜひ将来
種馬にもなり、
能力検査しても十二分であるということを
一つ君研究をお願いする。そうしたところが、そのときに、買うには
手付金が要る、こういう話だったのであります。そこで私は、今旅行の帰り道だし、
アメリカの
映画業者に金を借ろうと思えば借りられる、しかしまさか馬を買うのに金が要るから金を借してくれということも言えぬ。それで私は
清水商店のあるじに向って、あなたは私を信用いたしますか。信用いたします。あなたはこの馬を購入して、やはり
輸出をやられるでしょう。そうすると、
エキスポートとして手数料をとられるでしょう。いただきます。それならば、私は帰らなければ一万五千ドルの
ワクがもらえないんだから、あなた信用するならば、あなたの方に払い込むまで
手付金をお
立てかえになったらいいじゃないか。もちろん
立てかえさせていただきます。ということで、それじゃ
井上君お願いしますということで、私は別れたのであります。そうして
日本に帰国いたしましたのが、十月四日と記憶いたしております。そうすると、私帰りますと同時に、
秘書の大村君に、実は
井上君に頼んで馬を二頭ないし三頭買ってもらうことにしたよ、だから大丈夫なんだね、と言ったところが、その明けの日の五日だと思いまするが、私は
本多事務官に一万五千ドルは大丈夫なのかと聞いたところが、いや大丈夫ですからという返事でございましたから御安心願いたい。こういうことで実は安心しておったのであります。それから約十日間ほどしてから、
中央競馬会の
業務部長の
井上君から、
藤井という
輸入商店を紹介しますから、それに一万五千ドルに相当する円貨を払ってもらいたい、一切の手続はその
藤井商店がやってくれるということの紹介で、
藤井商店の者が参りましてそこで
藤井商店に一万五千ドルに相当する五百四十何万円というものを領収証をもらって払い込んだのであります。そういたしまして、
最初は十一月か十二月に
輸入してくるというものがおくれまして、一月十日ごろに
横浜に到着した。そうしてちょうど金を払い込んだあとでありましたが、
最初私は二頭だと思ったら三頭になった、こういうことであります。それで一頭が
牡馬、二頭が
牝馬でありました。でありますから
横浜に着きましたので、
河野君に僕は
牡馬の方をとる、君は
牝馬の方をとってくれと言ったのです。
牝馬の一頭は私はあまりいい馬でないと思うのですが一頭はいいと思います。でありますから一頭を私がとって、二頭を
河野君がとったのであります。それから私は
牧場へ持って行く前に
能力検定をしたいというので、私は私の馬を直接
競馬場の
田中和一郎厩舎に預けてあるというのがただいまの御
質問に対しましての事実を申し上げておる。以上でございます。