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河野国務大臣 私はアイゼンハワーの言ったくらいのことはわれわれの先輩は皆言うておったと思うのです。皆それはすでに
日本では実行済みだと思うのです。何も私が今あらためてそういうことを申さぬでも、今まで、私の先輩の歴代の
農林大臣は皆その
程度のことは
考えて、すでにそういう
方針で
農業政策を実行してこられたと思うのであります。たとえて申しますれば、明
年度の
食糧政策につきましても、外米、外麦の
輸入差益において約二百億以上のものを
国内の
米麦の
価格差に入れて販売しようという
計画を立てております。このごときは
予算の面には全然現われておりませんけれども、二百億といろものが
国内の
米麦の
価格維持に使われるのであります。消費者の
負担においてこれは使われるのであります。これは明らかに農村
政策、
食糧価格政策の上において大きな
施策だと私は思います。こういうことは何もアメリカのアイゼンハワーが
価格政策の上においてどうでこうでということを言いますけれども、こちらはすでにそういうことを長年実行しておることである。今珍しくアイゼンハワーの言うことを取り上げるほどのことではないと固く私は信じております。今私が強く申し上げようと思いますことは、問題は人口問題だと思うのであります。このふえていく人口をそのままにしておいて、この領土内において、たとえばこの与えられたる農地において、
日本の農村人口の問題に触れずに
施策を完全にやっていこうということはなかなかできることじゃないというふうに思うのでありまして、
日本は農村人口をどの
程度に
考えるか、どの
程度に持っていくかということにあると思うのであります。農村人口のふえることもしくは先ほども申し上げました
通りに、
国内の景気、不景気、
経済事情がことごとに逼迫を加えて参りますような
現状に置いておいて農村問題を円満に遂行していこうとすれば、これは極端な保護
政策をもって臨むよりほかに仕方がない。これはあえて私が申すまでもないことだと思うのであります。しかしそういうふうにして
農家の
経済を常に保護の対象にするような最低の状態に置くということは私は取るべき
政策ではない、この点はアイゼンハワーも言うておるようですが、少くとも
農業も他の産業に比べて同等のレベルもしくは同等以上のレベルの産業として成り立つように持っていくのには、少くとも
農業を
自立経済に持って行くような
施策を講じなければならぬ、これは
農業問題を
考える者としては理想だと私は思うのです。しかしそれをやるには今申しました
通りに、与えられたる
条件におきましては人口問題を勘案いたさなければできない。農村人口の構成をどうするかというところに
基本があると思うのであります。そこで私は今申し上げましたように、新しい農村の建設ということにして、そうしてその地区その地区における
農業構造を
確立し、固定して、その固定の上に立っていくようにしなければいかぬのではなかろうか。ただ入ってくるものは無制限に入ってくるというようなことをしたのではいかんのではなかろうかと実は
考えておるのでございますが、これについてもいろいろ御意見もございましょう。また国策として人口問題はどういうふうにするかということは、農村問題を超越して国策としてあることと思うのであります。ないしはまた
国家全体の人口とは別に、農村人口をどういうふうに持っていくかということにつきましてはこれはまた
国家の
政策の一環として
考えなければならぬ問題もあるでしょうから、軽軽に一
農林大臣としてこの問題の解決点を出すことはできないと思います。思いますが少くとも理想、目標はそこにおいてやるべきものなりと
考えておるわけでございまして、今
お話の
通り、二十貫の者に二十五貫しょえといってもしょえぬじゃないか、その
通りだと私も思います。しかししょえる
限界をきめて、そうしてその上に立って
施策を講じていくということでなければ、二十貫の者に二十五貫しょえといってもしょえぬから五貫分は補助金でいくのだ、十貫になったら十貫分は補助金でいくのだということなら、常に最大のものをしょわされて歩かなければならないというみじめさに農村を置かなければならないということになるので、私は共鳴できない、こういうわけでございまして、しょう
限界をきめて、そのしょう
限界を上げるように自分が持っていくというところに理想をおいて、その理想の達成に進めるようにしなければならぬ、こう思うのであります。
芳賀委員 河野さんがアイクの言うぐらいのことはわかっておるというのですが、わからぬでやらぬというならまだ話はわかるのですが、わかっておってやらぬというのは、これは非常に悪質なんです。アメリカにおいてすらアメリカの産業構造の中において、アメリカの
農業というものはその後進性をみずからの力で脱却することができないというところに
農業の
一つの特性があるのです。そうでしょう、だからアメリカにおける
農業に対する強い保護
政策というものは、
日本農業に対する
日本の
政府の保護
政策よりも強いものを講じておる。向うの方が強いけれどもまだやはり保護
政策を強化しなければならぬわけです。
わが国の場合は弱いにもかかわらずその保護
政策を捨てて、一本で立ってみろ、もっとしょえるのではないかというところに間違いがあるのです。その間違いに気がつかないで、自分のやっておることだけが正しいというようなそういううぬぼれの中で
農業政策を進めるということは、
日本の
農民の最大の不幸なんです。ですから私はその点を
指摘しているのです。たとえば
農業教書の中においても、すでにアメリカは
生産制限を強くしなければならぬという事態に来ておるわけです。いわゆる土地銀行の制度を作って、
主要農産物の耕作面積の二〇%
程度は休耕させる。しかもそのうちで二千五百万エーカーは、耕土保全という形でこれは非農地にするというような強い
政策を立てて、そうして
生産を制限することによってその
価格の維持をはかる。それからこの九項目の中のもう
一つは、今後の
余剰農産物の処理の
方針なんです。今の
政府は
余剰農産物をアメリカから受け入れることに努力されておるようですが、この処理
方針によりますと、アメリカの支持
価格に対して一〇五%の輸出
価格をきめて、それに輸送費を加算したものが
余剰農産物の処理の基準
価格ということになっておったわけです。ですから
余剰農産物がなぜ高いかということはここに問題があったわけです。今後はこの
余剰農産物を一そう消化するために、今度は支持
価格に輸送費だけをプラスした値段で外国の市場を開拓する、しかも今までは自由主義
国家群だけにこれを押しつけておったのですが、今度は東西交流の形で、共産諸国に対しましてもこの
余剰農産物の市場を求めるというところまできているわけです。ですから、アメリカの一連の
農業政策というものは、
わが国の
農業に対してどういうような影響を与えるかということは、十分なる判断をもってこれに対処する
対策を早期に立てておかなければ、これは取り返しのつかないことになると思う。この点に対しては、どうお思いになりますか。
河野国務大臣 はなはだ御無礼でございますが、おっしゃることが私に理解できにくいのです。アメリカの非常に余っておるものと、
日本の非常に足らないものとを両方一緒にして話をしていらっしやるように私は思うのです。今
お話のように、アイゼンハワーのやっておりますこと、それはかって
日本が戦前に朝鮮、台湾の米が入ってきて余ってしょうがないときに、品川の沖に持っていって捨てようということを
考えて、そのくらい勇断を持ってやられた
農林大臣もおられた。後藤文夫さんのごときは大いに
考えられた。減産も大いにやろう——今アイゼンハワーのやっていることは、すでに
昭和の十年ごろに
日本の議会でもってさんざん論じたことです。でありますから、歴代の
農林大臣が、そういう場面には今のアイゼンハワーの
考えている以上のことを
考えて、
日本でもやった、こう私は申し上げたのです。これは私はちっとも不思議でないと思う。アメリカほどの国だったら、もっと金があったら、もっとやることはたくさんできるだろうと思う。あの
程度の
農業の保護
政策をもって、これを模範にするとか、これをうらやましく思うような
程度ではありません。現在
日本でやっているのは、もっともっと数等上のことで、脆弱な農村を相手のことでございますから、
政府としては、すでに歴代の
農林大臣がやって参られたと私は申し上げたのでありまして、これはすでにみなやっております。その
程度のことではいけない、こう私は
考えているのであって、現在は保護
施策をやる必要はないということは、私は決して申しておりません。たとえば
食糧の面で申しますれば、
わが国は足りないのでございます。であるから、自
国内のものを
圧迫しない
限界において
輸入を
管理しております。外国の
食糧が幾ら安くなっても、その安いものを安いなりで
国内に売るというようなばかなことを
考える人は一人もないと思います。
政府におきましても、これらについては厳に戒めまして、
輸入等においては、極端に申せば、一番特異の例はコンニヤク玉においてその例が見られると思います。
国内のわずかな一地方の
生産でありますコンニヤク玉でさえ、安いコンニヤク玉がたくさんあってもこれは入れてはいかぬといって
輸入を押えている。その他の
生産物につきましても、いやしくも
国内の
農業生産に
圧迫を加えるというようなものについて、これを手放しに入れるということはいたさぬのでありますから、極端に保護
施策を講じておるということは、御
了承願えると思うのであります。これは消費者の
負担において
国内の
農産物の
価格を維持して、そして十二分の保護を加えておることは御
承知の
通りであります。
価格の面においては
輸入を防止して、適正な
価格に維持することに専念し、あとは
生産の奨励をすることによって
国内の
農民の
自立達成の
方向にいく。私はこの
方向よりないと思う。その場合に、
輸入を防遏しつつ
国内の
自給度を
向上する面において、
農業生産もしくは
農家経済を
圧迫してまで
自給度を
向上するということは
考えなければいけないというふうに、私は最善の配意をしてやっておるつもりなんでございまして、その間に今御
指摘のように、こんなことでどうするか——
余剰農産物にしてもそうであります。
余剰農産物は今御
指摘の点で、アメリカで何ときめよう炉、日米間の取りきめは国際
価格でございまして、アメリカが売りたいというその値をいかにきめておっても、国際
価格以外にはきめない。自由にきめられた国際
価格と同様の値段でなければ、
価格はきめません。なお、
輸入する数量につきましては、決して余りものは入れない、これも厳重にいたしておるのでございまして、それによって
わが国の
農家経済、
農業生産を
圧迫するというようなことは絶対にいたさぬということにきめておるのでございますから、その点ははなはだ言葉を返すようで恐縮でございますが、
一つ御
了承いただきたいと思います。