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清瀬国務大臣 ただいまのお
問いは、この
法案提案について非常に大切な御
質問でございましたから、丁寧に
お答えいたしたいと思います。これは今の
教育制度にどういう
欠陥があるかということを私が無理にせんさくして
考えたんじゃないのです。
国民の側から、今の
教育制度についての
不満がございますのです。
議員諸君のうちからも、
国会外においても、また
世論機関たる
新聞等においても、今の
教育についてあきたらぬ声が天下に満ちるというと何ですけれ
ども、相当盛んであります。これなどを総合いたしまして、これは独立後
一つ考えてみなければなるまい、こういうことで私
どもかような案を発案したのでございます。そこで国内なりあるいは院内なりで、今の
日本教育について、どういうところに御
不満を持っておらるるだろうかというと、私はこれを分類しますと、次の三種類に分けられると思うんです。第一の
皆さんの御
不満は、今の
日本教育の目録でございます。戦争によって敵国が
わが国を占領し、ほかの省よりも
文部省はなおさら
進駐勢力の強かった省でございますが、むろん米国が悪忍を持って
指導したとは
考えて陥りませんけれ
ども、しかし征服した国と負けた
国民との間では、力の優劣がございました。今の
教育の
根本はどこかといえば、
平田さん御
承知の
教育基本法でございます。
教育基本法には
道徳の
基準として
八つのことを掲げておるんです。その
一つは人格の完成で、これは何人も異議はございません。それからして
平和国家、
平和社会の
形成、これも
異存はございません。真理、正義、
個人の価値、勤労、
責任、これを重んずること、
自主精神を養うこと、この
八つをあげておりまするが、これには
異存がないんです。
日本人としてみると、これだけでは一体わが
日本国に対する
忠誠というのはどこに入っておるのだ、この問題が
一つあるのです。
八つのうちには
平和国家の
形成ということがあって、
国家いう
文字が一カ所出ておりますけれ
ども、これで国に対する
忠誠とまでは
子供には響かない。それから
日本は
家族の
制度を持りておりまして、
個人の平等とはいうものの、
家族内の恩愛の感情というものは捨て去ることはできません。これはどこへ入っておるのだろう。はなはだしきは、
孝行は無用だ。してもいいけれ
ども、せんでもいいんだ。
個人は平等じゃないか。自分の親だけを別に取り除いて尊敬するの、愛するのということは、どうもおかしいというような言説さえ、
教育家の中に行われておるんです。これが主要な主張だとは言いませんよ。でもそういうことを言う人もあるんです。本まで著作しております。
で、第一に今日の
教育で
道徳基準というものを反省すべきではないかという声が起って陥ります。
〔
山本内閣委員長退席、
佐藤文教委員長着席〕
二番目は
教育の
内容に関して、一体だれが
責任を負うか、だれが
日本の
教育の
責任者だということなんです。
現行憲法においては、すべての
国民はその
能力に応じたる
教育を受くる権利がある、こうなっております。そこで
国民は、
公立学校に児童を通学せしめる
義務を持っておりまして、その所管はやはり
文部大臣、私になっておるのでございます。しかし
現行法を見てみますと、
学校教育について
文部大臣は
教育課程、今では
学習指導要領というものを作って頒布しておりますけれ
ども、
学習指導要領に従って、
ほんとうに
教育が行われるように
監督する権限はないんです。
教育委員会に対しても、
教職員に対しても、
監督権は私は持っておらないんです。この状況で
国民教育のような、ある程度の水準を維持しなければならぬ
教育がうまくいけるかどうかは、これは疑問であります。私が疑問としておるんじゃない。
世間が疑問としておるのであります。ことに
私立学校に至っては、これは直接に私の方より何ら口を出す力もないようなことになっておるのでございます。間接にはできるだけのことはいたしたいと思っております。東京の近くにも、
私立学校についていろいろ問題の起っておるものがある。私が
国会から
文部省に行く中途に、目の前にあるのでありますけれ
ども、これはどうもいたし方がないようなことになっておる。これが第二の点であります。
それから、やはりそれと牽連しますが、
学校、ことに
わが国の
大学の数は、本日現在で四百九十九でございます。私が聞いておりますのに、イギリスは十七、フランスは十六、
北米合衆国という
世界最大の
文化国家でありますが、これが九十と聞いております。
日本はその五、六倍の四百九十九ございまして、まだ各地から、
大学の
設置希望がたくさんきております。もう一カ所私が認めたら五百です。しかし、これが
ほんとうにうまくいっているか。
卒業生、この三月三十一日で卒業する人が十五万五千人ございます。そうしてその
就職がきまったものは、今日の
調べではございませんが、去年の十一月の
調べでは一九%です。ほかの八〇%くらいというものは
就職もきまらない。かような
状態であります。学問のうんのうをきわめるということは、どこの国でも必要でございますけれ
ども、しかし片寄ったことには弊害がございますから、そこで
世間では、
日本の
発達のために、
経済方面でも五カ年計画といったようなこともやっておる。
卒業生がいずれ
経済界へ入るのでありますから、やはり
大学の講座、科目、研究所といったようなものが、国の
発達に比例、順応するようにしなければなるまいということは、
新聞の
社説等においても、だびたび出ることでございます。今
平田さんの御
質問の、どういう
欠陥を認めたかと申しますれば、繰り返して言えば、
わが国の
道徳目標を
考えてくれ、それから国の
監督権、行政的にいえば、
文部大臣の
監督権、
責任これが第二、及び
わが国の
学校、わけても
大学について再
検討しろ、まず
世間で広くおっしやることを集めてみたら、この三
通りだろうと思うのです。それを適当に今回は
考えていただきたい。こういうことからして、この案を提案するに至りました。御了承をお願いいたします。