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1956-02-22 第24回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月二十二日(水曜日)     午後一時四十三分開議  出席委員   内閣委員会    委員長 山本 粂吉君    理事 大平 正芳君 理事 保科善四郎君    理事 宮澤 胤勇君 理事 受田 新吉君       大坪 保雄君    大村 清一君       薄田 美朝君    田村  元君       辻  政信君    床次 徳二君       林  唯義君    福井 順一君       眞崎 勝次君    横井 太郎君       飛鳥田一雄君    石橋 政嗣君       総村 隆一君    片島  港君       中村 高一君    細田 綱吉君   文教委員会    委員長 佐藤觀次郎君    理事 高村 坂彦君 理事 米田 吉盛君    理事 鈴木 義男君 理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    稻葉  修君       北村徳太郎君    田中 久雄君       野依 秀市君    河野  正君       小牧 次生君    高津 正道君       野原  覚君    平田 ヒデ君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         内閣官房副長官 田中 榮一君         文部事務官         (調査局長)  福田  繁君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     齋藤  正君         内閣委員会専門         員       安倍 三郎君         文教委員会専門         員       石井つとむ君     ————————————— 本日の会議に付した案件  臨時教育制度審議会設置法案内閣提出第一〇  号)     —————————————   〔山本内閣委員長委員長席に着く〕
  2. 山本粂吉

    山本委員長 これより内閣委員会文教委員会連合会審査会を開会いたします。  私が法案の付託を受けました内閣委員会委員長でありますので、先例によりまして委員長の職務を行います。  臨時教育制度審議会設置法案を議題とし、政府より提案理由説明を求めます。清瀬国務大臣
  3. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 臨時教育制度審議会設置法案提案理由を御説明いたします。  終戦後行われました教育制度根本的改革は、わが国教育史上画期的なものでありまして、教育の発展に少からぬ役割を果して参ったのでありますが、他面この改革は、占領下の特殊数状態のもとに急速に行われたものでありますから、実情に即さない点も少くないのでございます。  思うに、教育は次の時代国民性格能力とを決定するものでございまして、この意味において、国政基本でございます。ゆえ教育制度改革については慎重を期さなければなりませんが、同時にまた、これが必要なる刷新改善は一日もゆるがせにすることができないのでございます。従って現行教育制度に関し改善すべき点についてば、緊急に再検討を加える必要があると考えるのでございます。  こうした観点から、内閣諮問機関といたしまして、教育制度及びこれに関連する制度国政全般立場から総合的に調査審議するために、内閣臨時教育制度審議会設置いたしたいと考えまして、本法案を提案したのでございます。  なお、本案の内容につきましては、政府委員から補足をしてもらいます。何とぞ慎重御審議の上すみやかに可決あらんことをお願い申し上げます。
  4. 山本粂吉

  5. 福田繁

    福田政府委員 ただいまの大臣説明補足して逐条的に御説明申し上げます。  第一条は、内閣にこの審議会設置する旨を規定いたしたもので、文部大臣諮問機関でなく、特に内閣諮問機関となっておりますのは、先ほどの提案理由説明にありました通り教育基本的政策は、国の大遂な任務であり、また教育政策は他の各省政策とも深い関連を有しておりますので、総合的に検討される必要があるからであります。  なおこの審議会は、付則に掲げてありますように、二年以内でその任務を終了する予定であり、その名称の示す通り臨時的に設置されるものであります。  第二条の所掌事務は、先ほどの提案理由説明通りであります。  第三条は、審議会組織でありまして、国会議員十人以内、学識経験者三十人以内、合せて四十人以内の委員で構成するものでありますが、国会議員を加えました理由は、先ほどの提案理由説明にもありましたように、教育基本政策国政全般立場から検討していただきたいといろ趣旨でございます。学識経験者といたしましては、教育界、学界の権威を初め、産業、経済言論各界権威、さらに地方行財政権威等、広く各方面権威考から構成される予定であります。  第四条は、会長、副会長、第五条は、専門委員規定でありまして、専門委員は、審議会炉審議の際、特定の事項について専門的学識経験を有する者に調査させる必要が予想されますので、その設置規定したものであります。  第六条、第七条は、別に御説明するまでもありませんから省略いたします。  第八条は、調査審議を完全にするため、必要に応じ関係者行政機関の長から資料を提出させ、または意見説明を求めることができる旨を規定し、関係各省との連絡を保ち、総合的な審議ので遂るようにいたしたものでございます。  第九条は、御承知通り内閣法第三条に「各大臣は、別に法律の定めるところにより、主任大臣として行政事務を分担管理する」旨の規定があり、この審議会を分担管理する主任大臣を、内閣代表としての内閣総理大臣としたものであります。  第十条は、審議会に関する議事の手続、庶務等の細部を政令に委任したものであります。  附則は、この審議会設置時期と設置期間規定し、二年以内に任務を終了した現今、廃止を政令で定めるようにいたしたのであります。  以上がこの法律案内容の概要でございます。
  6. 山本粂吉

    山本委員長 これより質疑に入ります。通告がありますのでこれを許します。平田君。
  7. 平田ヒデ

    平田委員 大臣にお伺いいたしますが、現行教育制度の再検討をうたっておりますが、教育的に見て現行制度によほどの不都合があることを、国民納得のいくように説明していただきたいと思います。それでなければ、国民政治の都合によって子供教育がいじられておるというような印象を消すことはできないと思うからでございます。
  8. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ただいまのお問いは、この法案提案について非常に大切な御質問でございましたから、丁寧にお答えいたしたいと思います。これは今の教育制度にどういう欠陥があるかということを私が無理にせんさくして考えたんじゃないのです。国民の側から、今の教育制度についての不満がございますのです。議員諸君のうちからも、国会外においても、また世論機関たる新聞等においても、今の教育についてあきたらぬ声が天下に満ちるというと何ですけれども、相当盛んであります。これなどを総合いたしまして、これは独立後一つ考えてみなければなるまい、こういうことで私どもかような案を発案したのでございます。そこで国内なりあるいは院内なりで、今の日本教育について、どういうところに御不満を持っておらるるだろうかというと、私はこれを分類しますと、次の三種類に分けられると思うんです。第一の皆さんの御不満は、今の日本教育の目録でございます。戦争によって敵国がわが国を占領し、ほかの省よりも文部省はなおさら進駐勢力の強かった省でございますが、むろん米国が悪忍を持って指導したとは考えて陥りませんけれども、しかし征服した国と負けた国民との間では、力の優劣がございました。今の教育根本はどこかといえば、平田さん御承知教育基本法でございます。教育基本法には道徳基準として八つのことを掲げておるんです。その一つは人格の完成で、これは何人も異議はございません。それからして平和国家平和社会形成、これも異存はございません。真理、正義、個人の価値、勤労、責任、これを重んずること、自主精神を養うこと、この八つをあげておりまするが、これには異存がないんです。日本人としてみると、これだけでは一体わが日本国に対する忠誠というのはどこに入っておるのだ、この問題が一つあるのです。八つのうちには平和国家形成ということがあって、国家いう文字が一カ所出ておりますけれども、これで国に対する忠誠とまでは子供には響かない。それから日本家族制度を持りておりまして、個人の平等とはいうものの、家族内の恩愛の感情というものは捨て去ることはできません。これはどこへ入っておるのだろう。はなはだしきは、孝行は無用だ。してもいいけれども、せんでもいいんだ。個人は平等じゃないか。自分の親だけを別に取り除いて尊敬するの、愛するのということは、どうもおかしいというような言説さえ、教育家の中に行われておるんです。これが主要な主張だとは言いませんよ。でもそういうことを言う人もあるんです。本まで著作しております。  で、第一に今日の教育道徳基準というものを反省すべきではないかという声が起って陥ります。   〔山本内閣委員長退席佐藤文教委員長着席〕  二番目は教育内容に関して、一体だれが責任を負うか、だれが日本教育責任者だということなんです。現行憲法においては、すべての国民はその能力に応じたる教育を受くる権利がある、こうなっております。そこで国民は、公立学校に児童を通学せしめる義務を持っておりまして、その所管はやはり文部大臣、私になっておるのでございます。しかし現行法を見てみますと、学校教育について文部大臣教育課程、今では学習指導要領というものを作って頒布しておりますけれども学習指導要領に従って、ほんとう教育が行われるように監督する権限はないんです。教育委員会に対しても、教職員に対しても、監督権は私は持っておらないんです。この状況で国民教育のような、ある程度の水準を維持しなければならぬ教育がうまくいけるかどうかは、これは疑問であります。私が疑問としておるんじゃない。世間が疑問としておるのであります。ことに私立学校に至っては、これは直接に私の方より何ら口を出す力もないようなことになっておるのでございます。間接にはできるだけのことはいたしたいと思っております。東京の近くにも、私立学校についていろいろ問題の起っておるものがある。私が国会から文部省に行く中途に、目の前にあるのでありますけれども、これはどうもいたし方がないようなことになっておる。これが第二の点であります。  それから、やはりそれと牽連しますが、学校、ことにわが国大学の数は、本日現在で四百九十九でございます。私が聞いておりますのに、イギリスは十七、フランスは十六、北米合衆国という世界最大文化国家でありますが、これが九十と聞いております。日本はその五、六倍の四百九十九ございまして、まだ各地から、大学設置希望がたくさんきております。もう一カ所私が認めたら五百です。しかし、これがほんとうにうまくいっているか。卒業生、この三月三十一日で卒業する人が十五万五千人ございます。そうしてその就職がきまったものは、今日の調べではございませんが、去年の十一月の調べでは一九%です。ほかの八〇%くらいというものは就職もきまらない。かような状態であります。学問のうんのうをきわめるということは、どこの国でも必要でございますけれども、しかし片寄ったことには弊害がございますから、そこで世間では、日本発達のために、経済方面でも五カ年計画といったようなこともやっておる。卒業生がいずれ経済界へ入るのでありますから、やはり大学の講座、科目、研究所といったようなものが、国の発達に比例、順応するようにしなければなるまいということは、新聞社説等においても、だびたび出ることでございます。今平田さんの御質問の、どういう欠陥を認めたかと申しますれば、繰り返して言えば、わが国道徳目標考えてくれ、それから国の監督権、行政的にいえば、文部大臣監督権責任これが第二、及びわが国学校、わけても大学について再検討しろ、まず世間で広くおっしやることを集めてみたら、この三通りだろうと思うのです。それを適当に今回は考えていただきたい。こういうことからして、この案を提案するに至りました。御了承をお願いいたします。
  9. 平田ヒデ

    平田委員 ただいまの懇切な御説明、まことにありがたく存じますが、第一の日本教育道徳目標については、私何か修身の時間に御講義を聞いているような感じがいたしました。それから第二の国の先任、監督ということについてでございます。教育国家的性格とか、あるいは日本の国情に即してとかという言葉をよく使われておりますけれども、この場合の国とか、国家意味するものは何であるかということは、十分考えなければならないと思います。これは申し上げるまでもなく、戦前教育国家に奉仕する教育でございましたが、戦後は国民に奉仕する教育に振りかえられております。国家の手による、国家のための、統制された、絶対主義的な教育のあやまちを反省して、今日の民主的な地方分権的な新教育制度が行われて参っているはずなのでございます。この解釈、あるいは意味を取り違えますと、これは公正な民意によるところの、地方の等情に即した教育行政が、戦前教育行政に戻ることになりはしないかということを、私は非常に案じて陥る次第でございます。教育指導要綱につきましての御説明もございましたけれども、これは文部省の方で絶えず検討されておるようでございまして、このために私はいろいろな教育課程の問題などが出てくるのではないかと考えております。ただいまのこの三つの点についての、あるいは大学制度のこと、こういったことは、大臣が就任されたときから、もうたびたび伺っておりますので、今あらためてお伺いいたすまでもなく、よく存じております。そこで私は、それらの一つ一つの問題については、またあとでゆっくりお伺いいたすことにいたしまして、ただいまのお言葉の中に孝行論がございました。親に孝行しなくてもというようなこと、それから忠誠というようなことをおっしゃいましたけれども、これは二月十七日の朝日新聞に載っておったのでございますが、学校先生が作文の指導をされた。そして町の財政を救ったという記事がございます。こうした、りっぱな指導をされておる。こういう点も私はお見のがしになってはならないと思うのでございます。大へん風水害で赤字ができて、そして融資してくれないので町ではどうしたらいいか大へん困っておったというのでございます。これは京都府の井手町というところでございますが、この風水害で百八人が死亡して、百五十戸が流失した、二十五億円の損害を受けたというわけでございます。ここでこの小学校先生指導されたところが、子供たちがみんなで手紙を出したというのです。町長さんがその手紙に感激して、こういう手紙がきているといって銀行の万にお願いした。その手紙を読んで感激した銀行では、三カ月の短期で二百万円と百万円に二回に分けて融資しますといって、この町が立ち直った。こういう事実もあるのでございます。悪い点だけを取り上げますと切りがありませんけれでも、美しい話題もたくさん私はあると思います。子供病気をした、お友だちが病気をしたので、その学童みんなで相談をしてお見舞に行って、きょうはこういうことをお習いしてきたというような、やさしい気持の表われも、私はたくさん知っておるのでございます。そういう点を考えましても、ただ悪い点だけを取り上げて、それを全称肯定するような考え方に持っていかれるということは、文部大臣としてどうかと思うわけでございます。いい話題もたくさんお持ちでございましょうけれども、特にこの際はそうおっしゃったのかとも考える次第でございます。  それからその次にお伺いいたしたいことは、この委員会組織のことでございます。委員組織につきまして国会議員十人、学識経験者三十人、合せて四十人ということになっております。国会議員を加えました理由はここに書いてございますように、教育基本方策国民全般立場から検討していただきたいというので、こういう案を出したといわれておりますけれども、この国会議員選定方法はどんなふうになさるおつもりでございますか。
  10. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の御発言の前段のことでございますが、私は今の学校先生なり委員会なりが、全般的に悪いというんじゃございませんよ。今日多数の教職員の方には、りっぱな方があって、いい成績をお上げになっておることは、もうその通りであります。それからまた、今日の教育制度もいいところはいいのです。現に、先生詰め込み教育が自発的の知能啓発に至ったということも、これはいいところなんです。非常にいいところはありますけれども、やはり実際に欠陥があると見えて、世間ではわが国教育道徳性が少いとか、あるいは子供が自由を誤解しておるとか、現に新聞にちょいちょい出ますように、暴力教室を地でいったというような——新聞に出すことは、これはもう現存の事実と思いまして、道徳性の涵養ということを一ぺん皆さんに聞いてみたい、こう思っておるのであります。この会の組織は、それゆえ学識経験者ばかりに事務的にお願いするんじゃなくして、国会議員の方の御意見、これは国会についての観察はいろいろありますけれども、私どもは一人の国会議員国民代表、である。あるいは選挙区があるけれどもひとり選挙区の代表でない。党の公認を受けておるけれども、党の代表じゃない。エドモンド・バークの言った通りに、真の国会議員の認務は国民代表だ、こういう考えであります。こういう大切なことはやはり国会議員が入っていただくということが一番いいと思いまして、世間でいう中央教育審議会とは違って、ここには、一つりっぱな国会議員さんも入っていただこう、こういう考えをいたしたのでございます。
  11. 平田ヒデ

    平田委員 いわゆる教育中立ということをうたっておりますけれども国会議員はそれぞれ政党に所属しております。大臣の就任されましたときのごあいさつに、私は党意によってその政策を行うというような意味のことをおっしゃったように記憶しておりますけれども、私今ここで国会議員が入るといたしましたならば、政党文教政策が多数に織り込まれはしないだろうかということを非常に不安に感ずるのでございます。りっぱな方をとおっしゃいますけれども、私、お出になっていらっしゃる方はみなりっぱな方だと心いますけれども、どうもその点が大へん不安になるわけでございます。
  12. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この案を出そうということは、平田さん御指摘の通り、私どもの属しておる自由民主党で研究した結果であるのは事実であります。けれども、一たん日本の一番大切な脳髄、脊髄ともいうべき教育改革をしようということでありましたら、国会議員さんをお願いいたしましても、おそらくは大局的中正な御意見を出して下さると思います。経済問題はあの通り経済理論社会主義、それからわれわれの言う資本主義というふうに大別されておりますけれども、事、後代の教育に至っては、その区別は私はないと思うのです。子供のかわいいのは人間の通有であります。さればこそ、先日来文教委員会を開いておりますが、党派の関係で非常に違った御意見というものは出ておりません、でありますから、国会議員の方をお入れ願ったところで、教育の中正を害するといったようなことはなかろうと、私はもう信用いたしておるのでございます。
  13. 平田ヒデ

    平田委員 ぜひただいまの御答弁のようにありたいと思うのでございますが、それでは文部省の中に設置されておりますこの中央教育審議会とは、どのような関係になるのでございましょうか。私、考えますのに、中教審は、教育に関する、最も重要な問題について文部大臣諮問に答えて参ったのでございます。まさかそのお答えが気に入らないからといって、屋上屋を重ねるというようなことではなかろうと思いますけれども、現在の中教審に対して、何ゆえ教育改革についての諮問ができないのか、この辺の理由をまず明らかにしていただきたいと思います。
  14. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この中央教育審議会も非常に重要な会でございます。これは終戦以後、教育刷新委員会というものがございまして、今の日本教育を組み立てた、まあ大工さんのようなものでございます。これができました時分に、刷新委員会は解散して、それをよく運用するために、今度は中教審といろものを作ったのでございまして、これはまあその家を保存するための会——保存行為は決して建築よりも劣った行為ではありませんが、もともと組み立てるということについては、また別の見地からいかなければなりませんので、あの中教審には国会議員は一人も入っておりません。今回は、教育憲法ともいうべき教育基本法についても研究し、日本学校制度国家学校に対する責任監督というふうな、もとに戻っての研究をしなければなりませんから、そこで別に臨時教育制度審議会を作っていただこうと思っておるのであります。これをやっておる最中にも、やはり中教審は必要なので置くのです。そして改革案が立ったら、この臨時制度はもう必要ありませんから解散いたしまして、引き続いて中教審はやっていただく、こういうことでございます。たとえをとるとたとえにひっつく観念があっていけませんが、前の刷新委員会日本教育の家を建ててくれたんだったら、今度はその一部分の改築をやろう、中教審はその前後を通じてその保存ふき掃除をする、こういうふうなこととお考え願ったらいいのだろうと思います。
  15. 平田ヒデ

    平田委員 この中央教育審議会令の第一条に、こう書いてございます。「中央教育審議会は、文部大臣諮問に応じて教育に関する基本的な制度その他教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する。」と、こううたっております。これと今度の臨時教育制度審議会設置につきましては、要するにこれは同じようなことであると思うのでございますけれども、ただここに不思議に思いますことは、これはワクが違うというような御説明に結局なるのでございますけれども中教審は今日まで諮問に対してどういう答申をしてきたのか、一応承わりたいと思うのでございます。何ですか私ども、ただいまの御説明、よく納得がいきませんので……。
  16. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ごもっともなお問いでございます。文字の上においては、どちらも強い文字が書いてあるのです。しかし何を申しても中央教育審議会は、文部大臣諮問機関でございまして、文部大臣限りで改め、計画するようなことを諮問しております。今、政府委員より、諮問し、お答えを得ましたことを、表題だけでも申し上げておきます。今度は、内閣審議会にいたしまして、教育根本制度基本制度を一ぺん見直してもらおう。占領時代に立てたものを、全部つぶすつもりではないけれども、その根幹に向って、一つ調査を願いたい。こういうととでありまして、言葉はやや似た言葉を使っておりますけれども性格は違います。だから国会議員を入れるか入れぬかといったようなメンバーのとり方も、やはりその意味合いで、おのずから違って参ったのでございます。今お問いのうちの、どういうことを今までやったかをお答えいたしておきます。そうすると次のお問いにも便宜かと思います。
  17. 福田繁

    福田政府委員 ただいまの御質問お答えいたしますが、中教審は、昭和二十七年にできましてから、今までに十回の答申をいたしております。第一回目の答申では、義務教育に関する問題を取り上げて貼ります。第二回目は、社会教育改善に関する答申を行なっております。第三回目には、教員政治的中立性の維持に関する答申を行なっております。第四回目には、医学及び百子の教育に関する答申をいたしております。第五回目には、義務教育学校職員教員の給与に関する答申を行なっております。第六回目には、大学人学者選考及びこれに関連する事項についての答申を行なっております。第七回目には、特殊教育並びに僻地教育振興に関する答申を行なっております。第八回目には、かなの教え方について答申を行なっております。第九回目には、私立学校教育の振興について答申を行なっております。最後に、最近第十回目でございますが、教科書制度改善方策についての答申を行なっております。今まで答申を得ましたのは、全部で以上の通りでございます。
  18. 平田ヒデ

    平田委員 これらの答申につきましては、全部採択されておったのでございましょうか。
  19. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 諮問機関でございますから、答申はむろん浮上いたしておりますけれども、この答申のうち、まだ実地に施行し得ておらぬものも残っております。
  20. 平田ヒデ

    平田委員 この中教審には、もちろん専門家があって、そして人材を付て、教育問題に関して翼に公正な答申をしておられると思うのでございますけれども、私のお伺いしましたところによりますと歴代の文部大臣はこれにあき足らないで、常にその答申を無視して、専門的な人を、改選期になると追い出しておったというような傾向があるということでありますけれども、私は中教審答申というものは、新教育政党の支配から救ってきておったと信じて陥るのでございますが、その点についてはいかがですか。
  21. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 歴代の文部大臣は、すべて中教審諮問には敬意を払い、その大部分は実行いたして出ると思いす。私の時代になってから出てきましたものは、教科書のことでございます。まこれも私かねて考えておったこともございますが、中央教育審議会でお調べになったものを尊重して、大部分それによって提案をしようと思って、今せっかく工夫中でございます。そういうものがございましても、やはりもう少し立ち入った基本的のものを御相談願うために、今回は、国会議員も交えたこの審議会ど置くことを御承認願いたいと思っておるのでございます。決して中教審の会それ自身、また会のメンバーそれ自身について、私は軽しと考えたのじゃございません。種類が違うのです。それだけのことでございます。
  22. 平田ヒデ

    平田委員 ただいま御答弁ですが、今まで十回の答申のうち、ほんとうに生かされたものはどれどれでございましょうか。
  23. 福田繁

    福田政府委員 これは具体的に一々申し上げますと何でございますが、あと取り調べましてお答えいたしたいと思いますが、これは大体大臣からも申されましたように、中教審答申というものは、私どもとしては相当尊重いたしまして、実施できる面はほとんど実施している、こう申して差しつかえないのであります。   〔「それを答弁しなければ次の質問ができない」と呼び、その他発言する者あり〕
  24. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 今の答申で、実行されたものだけ簡単にお答え願いたい。
  25. 福田繁

    福田政府委員 答申通りに実施いたしました問題を申し上げますと、教員政治的中立性の維持に関する答申、これは法律として御承知通り制定されております。それから医学及び歯学の教育に関する答申でありますが、これも大体答申通りに実施せられております。それから特殊教育並びに僻地教育の振興に関する答申につきましても、これも大体実施されておるのでございます。それからかなの教え方についての答申でございますが、これは国語審議会との関係におきまして、一応中教審のかなの教え方についての意見を聞いたのでございまして、もとは国語審議会の方できまっておりますので、これも方策としては、一応その通りに実施していると申して差しつかえないと思います。その他部分的にも実施されたものもあると思いますけれども、ただいま判明しておりますのは以上でございます。
  26. 平田ヒデ

    平田委員 それならば、こんなにりっぱな答申が出されているのですから、今度の臨教審におきまして、こういう基本的な問題につきまして、この中教審意見を生かされても差しつかえないと思うのでございます。だから私はどうしても屋上屋を重ねていかれるというような感じがしてならないのでございます。結局答申は、今度新しく出されました臨教審と変らないと思うのでございますけれども、その点いかがでございますか。
  27. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の中教審委員の方も、みな国内の教育の専門家または実業界の脅宿、大家でございますから、さらに、これに問うことも一つでございますけれども、本日の答弁の初めに申し上げましたように、今回の改革国家的に非常に重要なことを含んでおりますので、やはり別の角度から、すなわち教育刷新審議会及びこれに続いたものの、教育制度に関与されたのじゃない、別の角度から一つこれを見直す必要が起ってきたのであります。しこうして、それが重要でございますから、国会議員の方もお入り願って、国家的に見て一つ検討をしようということにわれわれは考えております。
  28. 平田ヒデ

    平田委員 ただいま国家的に非常に重要な問題であると仰せられましたけれども、そういう教育上の大きな改革は、慎重の上にも慎重を期すべきものであろうと私は思います。そういう重要な問題について、臨時というような言葉が冠せられておりますけれども、恒久策の審議機関に臨時というような言葉が冠せられているということは、私はまことにふに落ちないのでございます。しかもこの臨教審は性格がきわめて大ざっぱでございまして、教育百年の大計を立てるというような基本的問題に触れようとしていることが、実に大きな問題ではないかと思うのでございます。ちょうど臨時雇いが会社の経営にタッチするのと同じではないかと思います。その場あたりの思いつきの、勘だけの結論にならなければ非常に幸いだと思います。地道な調査や研究を軽視して、少数の体験や事例から大きな文教政策を割り出すことになれば、これは新教育発足以来積み重ねてきたりっぱなものを、わずかの審議で、一瞬に突きくずされてしまうことにもなりかねないと思うのでございます。新教育制度がそれほど大切なものであるならば、今それほど迫られているということでありますならば、私は緊急というような言葉にして、そして臨時というような言葉は取り除かれなければならないと考えるのでございますけれども、その緊急に改革しなければならぬほど、実はこの教育の問題は実際に追い込まれているのでございましょうか。
  29. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ものの見方でありますが、教育制度は非常に大切なんで、年中変えてはいけません。教育制度の変更を、毎年行事にしてはいけませんので、一ぺん変えたら——万世というと支那人の言う言葉で大き過ぎますけれども、一ぺん変えたら、あとは年中行事として変えないで、一つそれを今度やろう、こういうことでございます。憲法の改正も同じことで、その意味の臨時でございます。年中行事として教育基本を改正するというようなことではなく、一ぺん思い切ってやろうというので、臨時雇いの臨時とはちょっと意味が違うのです。大切なことですから……。年中行事にはやらぬ、そう言いましても、世の中は変りますから、八年、十年の間にはまた世論で変えよというかもわかりませんけれども、当分はこれで日本人が満足するものを、ことし、来年にこしらえて、こしらえてしまったらそれで退却する、こういう格好です。
  30. 平田ヒデ

    平田委員 この問題につきましては、昨年の十二月の十二日に、大臣は読売さんの記者と一問一答されておりますが、そのときに、臨教審を置いて、これで広く深く研究をすると言っておられましたけれども、こういう重大な問題を、いわゆる臨教審などで広く深く研究することができますでしょうか。
  31. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはっけ焼き匁じゃなく、よく教育界にも定見を持たれ、またシカを負う猟師山を見ずで、教育界ばかりにおってもかえって目が届かぬから、外界のりっぱな方を頼んで議してもらいます。これらの方々は平生すでに見識を持っておられる方でありますから、その協議をするのに、二年間かかれば結論が出ないということはあるまいと私は思っておるのです。こいねがわくば一年間ぐらいでやっていただきたい、こう私は考えております。
  32. 平田ヒデ

    平田委員 私は教育というものは決してつけ焼き匁などということは言われたくないと思うのでございます。私は小さいながらも自分の意見を申し述べておるわけでございます。すべて物事はそうでございますけれども、ことに新教育制度になりましてからまだ日も浅い。これは長い年月をかけてということはあえて申せません。改めることは改めなければなりませんけれども、慎重にしなければいけないということ、恒久の機関を設け、長い時間をかけて、そうして今までの歩んできた道を振り返り、改正すべきところは改正してよろしい、そう私は信じております。けれども、今何かしら足元から鳥が立つように、昔の中央教育審議会というものがあるのに、こうしたものが生まれてきて、しかもそれが緊急に改革しなければならないということそれ自体に、私非常に疑問を持っておるので、ただいままで質問を申し上げたのでございます。私はこれはあくまでも臨時の仕事ではなく、恒久の機関を設けて、長い時間をかけて、そうして徐々に改めていくべき問題ではないか、そうして結論を出すべき問題であろうと考えて、私は今まで質問を申し上げた次第であります。
  33. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あるいはあなたのお言葉と私の言葉と表現が違うだけで、同じことをお互いに考えておるのかもわかりません。私は教育のことは非常に大切だと思います。それからつけ焼き刃という言葉がありましたが、つけ焼き刃のものじゃないということを言うのですよ。そういうふうな委員を選ばないということで、今の中教審の人がつけ焼き刃であるという、あるいは世の中につけ焼き刃が多いというのではなくて、今度はそういう人じゃない人を選ぼう、こう言うのでございます。それから一たんこの臨時教育審議会で一案をこしらえても、それを固定のものとはいたしません。世の中には、何ぞ常ならんやで、固定のものはないのです。しかしながらここで一つ、何といっても今のは占領中にやったのです。それから今の中央教育審議会は、系統から言えば、今の制度をやったこれは続きなんですから、やはり角度を新たにしてよく研究する時代になっておるのだ、こう考えておりまするので、あなたが胸中に蔵しておられる教育が大切だということと、私どもが研究してみようということは、目的、精神においては違ったことでないと思っております。どうぞ御了解を願いたいと思います。
  34. 平田ヒデ

    平田委員 私おしまいに一言申し上げます。これで終りますが、これも十二月十二日の新聞記事でございましたけれども清瀬大臣は、今の教育制度は占領前期のマッカーサー教育だ、この教育方針はどうしても検討する必要がある、こうおっしゃっておられます。よくマッカーサー憲法だの、マッカーサー教育だのとおっしゃいますけれども、私どもその言葉を聞きますと、何かしら外国の制度への反発と、古い日本制度への郷愁とが相待ってこういう措置をとられるような感じがしてならないのであります。
  35. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のはお問いでもないようでございましたけれども、私は決して反発という意味では考えておらないのです。ちょっと話が長くなりますが、お許しを願えれば、道徳とは何かということです。人間はほかの生物と違って、本能通りに行動はしないんです。どう行動するかといえば、一つの理想を描いて、理想に向って行動を規制する。これが道徳なんです。ところが日本人の理想というものは外国人にわかろうはずはないんです。それゆえ道徳律についても日本的なものと幾らか違っておりはせぬか。こういうことで、マッカーサー将軍を私は目のかたきにするのじゃございません。また米人が必ずしも日本に悪意を持ってこの教育制度を作ったとばかりは思っておりません。今日の自発的、啓発的教育はいいんです。ただ悲しいかな、人間は立場が違えば違うんで、日本人の理想を彼は了解し得ません。そうすれば、その理想に適合する行動の基準、すなわち道徳律もおのずから変ってくるんです。非常に違いはしませんけれども、しかし大切なことでありますから、寸亳の差があっても子孫に対して悪影響をもたらしますから、日本人同士寄って、日本民族、日本国家、日本個人の理想を反省して、その理想に到達する、すなわち道徳律を言え直す、かように考えておるのでございます。
  36. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 鈴木義男君。
  37. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 大へん大切な問題が提示されておるのでございますから、この機会に臨時教育制度審議会においてどういう問題が取り扱われるか、およそ取り扱われると考えられるような問題について現在の文教当局の信念を承わっておきたいと思うのであります。  まず第一に、この審議会性格、構成であります。ただいま平田委員質問に対して一応のお答えがあったわけでありますが、重ねてお尋ねをしておきたいと思います。この審議会は、普通あるところの審議会と同じように、単に参考として意見を聞く、別の言葉で言うと、一部世論を取り入れたような顔をして、都合が悪ければ採用しない、都合がよければこれを利用してやろうという式の審議会であるのではないかと疑うのであります。そうでないというお考えならば、一つその構想を承わりたいのであります。
  38. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この審議会性格は、法第二条にございまする通り内閣諮問機関ではございます。しかしながらこの審議会設置内閣が発案し、また内閣において国内の大家を委嘱いたしました以上は、その決議については最大の敬意を払うことは当然でございまして、責任回避の審議会じゃございません。どうぞ鈴木さんにおいてもよろしく御協力を願いたい、かように思っておるんです。
  39. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 一応そうお答えになるだろうと思うのでありますが、しかしその他の委員会において常に言うところは、政党内閣時代になりましてはよほど御注意にならないと、この委員の人選についても結局は文部大臣が人選をされるのであろうと思うのであります。まあ、自分の方に都合のいい意見を持つ人を集める。あの選挙制度審議会のごときは、露骨きわまるものでありまして、初めから小選挙区賛成の者ばかり集めて、反対の人は社会党と一、二の学者だけでありまして、結論は出ておるのであります。あんなものは作らなくてもいいようなものです。作って一応審議したということでごまかそうというのです。ああいうものを作ります場合には、せめて人選については、政党内閣大臣が一人でやらずに、真に世論を取り入れた人選の方法というようなことをお考えになるべきじゃないかと思う。この場合でも同様でありまして、真に日本文教政策を百年にわたって決定しようというのであるならば、よほど慎重なそうして多方面の選定を必要とするはずであります。私が内閣におるときに、最高裁判所を設定したのですが、そのときに十五人の判事を選ぶのにたやすく選ぶこともできるのであるが、わが国司法制度の根幹を定める大問題であるからと考えまして、いろいろ考えた末に、朝野のこの職業の方面における権威者を網羅して、これに投票をさせて、そうして選考委員を選択する、そうして選考委員によって候補者を選定し、候補者のうちから内閣がこれを選任するというようなことをやったわけであります。今もってそれが正しい態度であると思う。その後の選任の方法を見ると、裁判官というようなりっぱな中立的態度を維持しなければならぬものに対する選任の方法が、はなはだしく情実にとらわれておるかのごとき印象を受けるという非難が多いのであります。それと同じように、こういうものは、最高裁判所の判事を選ぶ問題と同じくらいに、国家にとって重大な制度であると思うのでありまして、これに対する選考の方法、そういうことについて何か腹案があられるかどうか承わりたいのであります。
  40. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の鈴木さんのかっての実際の御経験から割り出された御発言は、大いに尊重いたしたいと思っております。この審議会は何しろ非常に大切なお互いの子孫の運命に関することでありますから、一時の政治上の権変によって不公平な選任をしようとは毛頭考えておりません。また会の初めに当ってこれを政党色だなどと言われては、それだけで値打ちを落してしまいます。十分な慎重な選考方法をとりたいと思います。
  41. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 十分慎重といったところで、文部大臣がお一人でその下僚とともに御選定になるのではしれておる。御自分ではきわめて公正におやりになったつもりでありましょうとも、何といっても感覚にずれがある、と申し上げては失礼になりますが、どうもだいぶわれわれと違うところがあるように印象づけられますので、そうそう人が選定する場合——だから年令について申してもいいくらいのものであります。七十才以上の人を入れていけないということにするがごときも一つの方法かと思うのでありますが、そういうことははなはだ失礼に相なりますから、あえて提案いたしませんが、いろいろ考えなければならぬはずである。この重要な審議会を作るについて、ただ慎重にやりますということだけで、もう少し具体的な構想がないということは大へん残念に任ずる次第であります。もしあるならばいま一応承わって質問を進めたいと思います。
  42. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは案の第三条第二項によって、内閣において選任するのでございます。十分に議を尽しまして世間の非難を受けないように、あなたのおっしやる年令等も参考の一つにいたします。いい御注意と承わっておきます。慎重公明なる選定をいたしたいと思います。
  43. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 内閣できめるといって何かのがれられるようでありますが、内閣できめるにしても、文教に関することは文部大臣がその第一次の責任を持っておることはもとよりであります。そういう逃げ口上は大へん遺憾に存ずるのであります。  それからこの委員会を重んずるならば、先ほど平田委員質問されました通り中央教育審議会というものは不要になると思うのであります。これを作る以上は、中央教育審議会というものがあるために、かえってここに二つの諮問機関——かりに一方は内閣のものであり、一方は文部大臣のものといいますけれども、異なった答申をされた場合どうなされますか。初めから参考であって、あまり重んじないというふうに考えておればこそ、そういうことが平気でやれる。真に尊重すべきものであり、答申が出たらそれを実行するというならば、二つの機構を持つことははなはだ危険ではないか、その点をどうかお考えであるか、重ねて承わりたい。
  44. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中教審と今回の臨時教育制度審議会とが性質的に異なることは、平田委員の御質問に対して先刻来述べた通りであります。必ずしもそうはいっておりませんが、中教審の方ではそのときの制度根本があることを建前として、教育の運行上重要なことを答申してもらっておるのであります。ところが今度は一つその元を考え上うというのでありますから、そこに区別があるのです。どちらも国のために考えておる答申でありますから、大きな開きがあろうはずはございませんけれども、これから制度を変えようかという、白地に絵を書く場合と、できておる制度を前提として運行するという場合とはおのずから違いますからして、もし同じ問題について違った答えが出ましたら、どれをとるべきかは、やはり内閣においておきめになることであろうと思います。
  45. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 それはきわめて形式的なお答えでありまして、私の見るところでは、中央教育審議会というものは「教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議」するこれ以上ちょっと広いものは考えられない。今回の審議会の使命を見ますと、「現行制度検討を加え、教育制度及びこれに関連する制度に関する緊急な重要施策を総合的に調査審議する、」どこに違う目的を見出すか、私は見出すことができないのであります。ただわずかに人的構成において国会議員が除かれておるだけです。現に私が知っておるある中教審委員の方で、真にまじめに日本文教政策考え審議しておるにもかかわらず、結論が出ても歴代の文部当局は実際にこれを実行する意思も迫力もない。われわれはただ無用に審議を重ねるような感じがして、非常に遺憾にたえないということを漏らされたことを知っておるのであります。そういう意味において、いずれ国会の方で質問をすると、目下中央審議会に諮って慎重検討中七あります。このためにだけ設けるような、そういうことではしかたがないからひっ込んでしまう。そういう従来のやり方はこの際やめなければいかぬ。いやしくもこういう制度を設けます以上は、正しくこれを運用する、そう考えるならばおそらくこの二つのうち一つを選ばなければならぬ。二つのものを並行して設置するということは、いわゆる問うに落ちず語るに落つるものであると思うのであります。お答え願います。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 このお手先の案の第二条をごらん願います。現行制度検討を加えるということは、非常に強い文字です。すなわち昭和二十二、三年にきまったこの現行制度検討を加えるという、これは重大なことが書いてあります。こちらの方もそれは審議でありますから、日進月歩で、それは制度にも及ばねばならぬ、改善もしなければなりませんけれども、今回の案は、現行制度検討を加えて下さい、こういうことなんです。みなが日本の触れてはならぬと思っておる教育基本法にも触れてよろしい、学校教育法にも触れてよろしいのです。憲法だけは別です。これは別の会があります。そういうことで実に重要千万な案なんです。そこに区別が、私ははっきり語感の上においてあろうと思うのです。
  47. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 ますますもってそれは詭弁に近いものであります。まことに意外に存ずるところであります。それは現行制度という字が書いてあるか、ないかというだけで、まさか中央教育審議会がギリシャの制度を研究したり、ローマの教育制度を研究したりするものじゃなかろうと思うのであります。いわんや教育審議会令を読んでみると、「文部大臣諮問に応じて教育に関する基本的な制度その他教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、」とある。そうするとこれは一体どこの、昔の制度でも研究するといろのでありましょうか。現行ということは書いてあるかないかだけの話であって、だれが読んでも常識上当然今日行われている制度に関する調整審議をするということは明らかであります。そんなところに区別を求めるということは、三百代言的弁明といわなければなりません。
  48. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 だんだんと理論が長くなって、言葉のことに及びましたから、鈴木さんも私も共通の法律家の議論に失するというような空気なんでございますが、しいてお問いでありますから、現行制度という文字を見て下さいと申しますのは、今世間で現在の教育が悪い、占領時代にやった教育基本法が悪いという、現行制度に対しての非難は、ごうごうたるものじゃございませんけれども、広範にあるんです。その最中に現行制度検討せよという言葉の感覚は、それは相当私は明白なものがあると思うのでございます。どうか私の言葉が足らぬところをとらえないで、意味について一つ検討願いたいと存じます。
  49. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 それでは、その点についてはそれ以上に追求していくとあまりこまかい議論になりますから、他日に譲りまして、しからばこの審議会を設けるくらいの現内閣でありますから、教育制度、ことに現行教育制度についてそれぞれ御意見があると信ずるのであります。これを一つ承わって細くことは、今後の審議の土に大切なことであります。ことに内閣との連合審査におきましては、基本的な問題だけを承わりまして、あえて文部大臣と私は論争をしようとは思わぬ。真に謙虚な気持で今の文部大臣の抱負経論を一つ承わっておいて、それをさらに掘り下げる必要がありますならば、文教委員会においてやりますから、その点は御心配なく、この機会において十分一つ清瀬文部大臣わが国教育制度に関する抱負経論を明らかにしていただきたいと存ずるのであります。  まず第一にお尋ねをしておきたいのは、教育委員会制度であります。これは新聞紙上その他この、委員会においても相当論ぜられているようでありますから、重複のおそれがあるかもしれませんが、今問題になっている最も大切なことで、当然この委員会において審議される問題であろうと思いますから、第一にそれから承りたいと思うのであります。教育委員会についてどういう構想を持っておられるのであるか、文部大臣の必見を承わりたいのであります。
  50. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の教育制度ができましたときのことは、私はよく知らないのです。その当博は政界外に置かれておったのでありますが、大体この考えは、一般中央政府、府県、市町村という明治以来の一つの系列の政府のほかに、地方教育委員会、県教育委員会及び文部大臣、こういう別途なピラミッドを作ろうという考えでなかったかと思います。しかして文部大臣自身も何か制度を変えるつもりで、当分の間文部大臣となっているのです。この文教のピラミッド、それも一つ考えではございますが、何しろ国家国民生活は有機的一体でありますから、文教だけを一般の行政と離してしまうことはどうだろう。やはり横にも始終連絡をとりつついくのがいいのではないか、そういう考えからして、今回は教育委員会制度改革考えまして、不日国会の御審議を得ようと思っているのでございます。
  51. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 不日国会の御審議を得ようというくらいでありますから、今文部大臣の胸中には構想ができているはずだと思います。別にそれについて論争をしようというのではないのでありますから、構想を一つ明らかにしておいていただきたい。他の委員会でそれをやることは留保しておきますが、今ここでやろうと思ってお用きするのではないから、その点は御心配なく構想を明らかにしてもらいたい。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ただいままとめておりますことを簡単に申しますれば、地方府県の教育委員は、そのための直接選挙にはよらないで、地方においては村会、町会、市会、すなわちその会議体の承認を得まして、任命はその首長、すなわち市町村長がする。県の段階においては県会の決議を経て知事が任命する。すなわち間接選挙と同様な形になります。  それから今まで教育ピラミッドと府県と違いましたがゆえに、あの予算を世間で二本立といいますが、二本に出したことによって、教育委員会と府県との争いなどが起ったことがございます。それを避けるために、いわゆる二本立予算は廃そう、こういう考えでございます。  教育委員会のもとには教育長というものを置いて、これを実務者といたしますが、地方段階においては、教育長は置くは置くが、教育委員の中の一人がこれに当る、こういう改革をいたそうと考えているのであります。  そうして教育委員長の指名は、その当時の教育委員間のいわば互選になりますが、その任命については県教育委員の承認を得る、県の教育長は文部大臣の承認を得る、こういうことでございます。その意図するところは、日本教育の水準を画一、というとおかしいけれども、一定程度に維持するために、これを一つの有機的一体にするような連繋を持つ——各段階に分断してしまってはよくない、こういう考えを持っておるのであります。
  53. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 大体構想がわかりましたが、ただ一つぜひ聞いておかなければならぬと思うのは、占領後の政策において、わが国民主化のために非常に努力をし、いろいろな制度がとられたことは御承知通りです。それが民主化にならないというならば、これは別であります。われわれはやはり民主化になると信じて採用したものもあり、賛意を表したものもあるわけであります。この教育委員制度のごときものは、その最たるものであります。その民主化に役立つというのは、どこが役立つかというならば、公選という、選挙させるということが最大の生命であると思うのでありまして、民主主義はまことに手数のかかる制度ではありますけれども、いわゆるよらしむべし、知らしむべからずで、任命をすれば簡単明瞭であり、費用もかからない、また行政部にとってこれくらい楽な、よいことはないのでありますが、しかしたといわずらわしくとも、またいろいろな困難があり、啓蒙のために努力しなければならぬということがありましても、選挙させることによって初めて教育の民主化、ことに各地方に独特の自主性を持った教育を積み上げていくことができるのだという根本理念に基いて、教育委員という制度はできたものとわれわれは心得ておる。しかるにその最も生命となるものを否定して、一体何の民主化があるのか。ただそういうものを置けばよい——本音はやめたいのでありましょうが、やめるのもちょっと工合が悪いというので、形ばかり存置するということに相なるのではないかと思うのでありますが、この公選と民主主義の原則について文部大臣はどうお考えになっておるか、この一点だけは一つ確かめておきたいのであります。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国民の選んだ者が、国会でいえば国家、町村会でいえば町村ですが、国家なり町村を全体に見て行政をするということが民主主義の理想でございます。町村会議員は、町村全体を見て町村行政をやる委員としてあるのでございます。この町村の衛生なりあるいは財政なり、すべて町村の全体を見てやる人が、さらに良心に従ってある委員を選んでやらしめるということは、私は民主主義の極致であろうと思うのです。その町村全体のやるものをまた分断して、別に教育委員を置かなければ民主主義じゃないとはいえないじゃなかろうか。それなら、今度は町村で道路を建設するというと、道路委員会をこしらえて、また道路委員を作りますか。やはり問題は、一つの町村行政を全一に考えてやって下さる機関があるのだから、これに託することは、民主主義を否定するものじゃございません。問題は、過去における実験と現在の情勢においてどちらを選ぶかということにあるのでありまして、われわれは先刻申し上げた方が実用的であろう、こう考えたのでございます。
  55. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 それ以上言うとまた論争になるおそれがありますから略しておきますが、文部大臣と私の考え方には根本的な相違がある。この教育委員も、それから警察——道路にも道路委員が要るだろう、そういうことを言えば幾らでも言えます。それは、できたらあった方がいいのでありますけれども、そういう問題じゃなくて、警察と教育というような国民生活の基本に触れる問題については、民主主義の国では、御承知のように市町村警察、市町村教育委員というものが、われらの警察であり、われらの学校であり、われらの教育であるという矜恃と自覚を持ってやっておるのであります。そこにとうとさがあるのです。だからして御承知のように、警察と教育とはこれを民主化したわけです。ところがいち早く警察については、やはり中央集権的官僚的警察の方が能率が上る——能率は確かに上るのです。それから金がどうもなくて困る。これは初めから難点があることは承知しておったわけでありますが、しかし民主主義の制度を採用して、五年か十年やって、それでだめだからといって、数百年の長い悪戦苦闘の歴史を経て今日他の国では実を結んでおるものを改廃するという考え方は、実に浅見もはなはだしいものであると思うのであって、次第に民主的制度がくずされていく姿を見て私は痛憤禁ぜざるものがあるのであります。よく一つその点は、文部大臣とわれわれと考えが違うからやむを得ませんが、お考えを願いたいところであります。  それから質問としては少し逆になりますが、文部大臣は憲法の大家でもありますし、憲法については今度主任大臣になられるということも新聞で承わっておりますから、この機会に承わっておきたいのですが、現行憲法のうち、教育制度との関連において改正すべき必要があるとお考えになっておるものがあるか、その点を承わりたいのであります。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現行憲法教育に関する規定は、非難すべきものはございません。国民教育制度を認め、また児童に対しては、義務教育制度を認めておるのでございます。ゆえにもし憲法が改正さるるとしても、教育に関することは文字の上の整理ということにとどまりはせぬかと思います。これはどこの文明国でもほぼ共通な規定でございます。
  57. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 それでよろしいのですか。何かありますか。改正する点はないと言われますが……。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現行憲法でとっておりまする教育制度は、鈴木さん御承知通り、第二十六条において能力に応じたる教育をせしめるという規定、また義務教育規定、それから二十三条の学問の自由を保障する規定及び二十条の信教の自由、二十七条の児童を酷使することのできぬ規定でございます。これらの規定は今日文明国共通の考えでございまして、いずれ憲法調査会でやられると思いますけれども文字の上において修飾は必要でありましょうけれども、私自身は憲法自身の改正を考える必要はないと考えております。その以降の、この憲法の規定によって立つるところの教育基本法なり学校教育法なりを見直す必要があるのではないか、こういうことでございます。
  59. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 それは今おっしゃったようなことを改正などされてはたまらない。そんなことは夢にも考えることはできぬ、そうではなく、たとえば憲法八十九条は、国家の金は公けの支配に属しない教育、慈善、その他ありますけれども教育に与えることができないというような規定になっておるのであります。これも第九条にああいうふうに陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないと書いてあっても、十五万五千の兵隊みたいなもの、兵隊類似のもの、あれは軍隊ではないんだそうでありますが、持ってもいいというように解釈しても一向差しつかえないようでありますが、これは非常に厳格に解釈されて、私学には補助金はやれない、仕方がない、低利の金を少し短期間貸してあげましょうといって貸してくれておるわけです。こういうのは一体文部大臣としてどうお考えになっているのか。私学などはこの憲法の条章のために非常に困っておる。幸い文部大臣は、法律解釈は縦横無尽、自由自在でありますから、できるなら一つこの制度のもとに、私学に教育の機会均等の根本精神からいったならばもっともっと——国学または公立の学校に学ぶ者に比していかに恵まれざる教育を受けておるかということは、私学の実情をごらんになればわかる。これをそうでないようにすることを、一つこういう席上において誓っていただくならば、非常に国民は喜ぶであろうと思います。
  60. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 まず現在の法規のことを申し上げますが、私どもはこう解釈しておるのです。日本私立学校は、国の法律たる学校教育法のうちにありまして、はなはだ微弱でありますけれども、公けの支配に服しておるのであります。進んで監督ということはできませんが、しかしながら指導あるいは助言、また学校の規則等の認可、設立の認可ということで、公けの支配に属しております。そこで憲法の八十九条を見ますと、公けの支配に属しない慈善・教育もしくは博愛の事業には支出できないというので、公けの支配をしておる私立学校だからというので、今でも十分じゃございませんけれども、補助の金を出すようにいたしておるのです。しかしながら御注意のごとく憲法八十九条は、ほかの関係においていい規定とは私は思っておりませんです。慈善、博愛のことに国家が金を出せないといったようなことはおかしなことなんです。むろん国費の乱費はこれをチェックしなければなりませんけれども、あなたのお気づきの八十九条については、憲法調査会において御審議願いたいと思っております。
  61. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 今の文部大臣の御意見は、その点においては非常に進歩的であってけっこうなお考え方でありますから、ぜひこれを記録に残して、今後一つそれを実行していただきたいと思います。ところがごく微弱にしか私学には関与しておらないと文部大臣は仰せられますが、かなり強力に監督、指揮しておるのでありまして、御承知のように、私立大学基準法とかいろいろああいうものがありますが、そういうものにのっとって、がんじがらめに縛りつけてやっておることは、ほとんど官僚統制と選ばないものがあります。むろん各大学の教授などを委員にして、民主的に監督をしておるようなことにはなっておりますけれども、その原案及び実際の監督をし、合格、不合格の点をつけるものはひとり文部省にあるのでありまして、これはろくな補助金も与えないで、そうしてかなり厳格な基準というものを守らせている。あれを文字通り守るならば——文部大臣お答えになれないときは、私は無理に文部大臣に答弁を要求いたしませんから、その方の責任者お答えになってよろしい。そこで急に勉強して答えられてもわれわれも迷惑であります。とにかくほんとう基準というものを厳格に実行しますと、私学というものは立っていかないのです。四十人に一人の専任教授を置くべしというようなことも、みな文部当局も大目に見ておられるから私学の運営が成っている。それがまたあまり乱暴な大きな網を漏れるようなものもありますけれども、とにかくそういう点では決して微弱ではないので、十分監督権を行使するのでありますから、一つ補助金については、第九条を解釈するような縦横無碍に自由法学的解釈をもって、私学を援助するということをこの席で公約をしていただきたいのであります。
  62. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお問いのことは、私のさっき申しました公けの支配に属しておる学校だということを再確認されようということと思います。私は責任をもってその解釈を維持いたします。その解釈のもとに本年は直接の私学補助として五千万円出しております。それから私学の方で理科をやられる時分にはさらに別の補助を出しております。これは少いのでありますが、私学振興の会に対して八億、これは貸付金になりますが、これを出しております。こういうものを出す解釈は、だんだん考えて、私学は単純な学術、慈善の事業じゃなくて、公けの支配のもとに立っておるということを確認して出しておるのでございますから、国家財政は窮乏の際でありまして、日本における多数の私立学校に八億円貸し、五千万円補助するのは、非常に微々たるものではございますけれども、解釈はこれに確立いたしております。
  63. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 貸す方は何も憲法の規定を参照する必要はない。利息をつけてお返しする以上は、そう恩に着せられる必要はないと存ずるのであります。しかし八億と言って大へん文部大臣たくさんのものをお出しになったような顔をしているが、私学は四千くらいあるのですから、あるところは二千円ちょうだいする、あるところは十万とか二十万とか、まあ大きいところは五百万、六百万くらいあるかと思いますが、それはないよりは非常に助かることでありますけれども文部大臣が得々としていばるほどの額でないということは、よく一つ御記憶を願っておきたいと思います。これを十倍にしても決して足りるものではないのであります。それからあとの五千万円といろものは、これは私学の理科教育の実情に顧みますと、真に大旱の慈雨程度のものでありまして、それこそそれに十億も出して下さるならば、初めて理科教育らしい教育ができる。顕微鏡をのぞくこともできない理科教育というものは一体あり得ないのでありますが、実際は私学の大部分が、貧弱きわまる理科の教育をしておるということは、遺憾ながら認めざるを得ない。そんなことを言っていると長くなりますからその点は省略いたしまして、それでは教育基本法についてお尋ねをしておきたいと思います。これについてどういう改正の構想を持っておられるか、ごく大綱を述べていただけばけっこうであります。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻平田さんにお答え申しました通り、私ども方面において教育基本法には足りないところがあるという声を耳にしておるのであります。もっともこういう事道徳にも触れることは、文字の選択においても非常にむずかしいのでございます。今の基本法にある八つの徳目は、おもなものは尽しておりますけれども日本国民の大多数は、日本民族の集団である国に対する忠誠といった点において欠けておりはせぬか、また人格を重んずる——個人は平等といいましても、社会生活の一番基本細胞である家族間の徳義ということになると、これだけでは足りないじゃないか、こういう論が多いのでございます。ただいまはこの教育基本法このままを教科書の検定基準にいたしておるので、これがずっと日本にいっておるのであります。しかしどこの国でもいやしくも道徳という以上は、やはり本能的のことを制御するために、自己の犠牲、アルトルイズム、愛他ということがなければ、道徳はいけるものではない。この点について来るべき臨時教育制度審議会において十分に検討してもらいたい。今ここでどういうふうにしますということを私が言うのは僭越でございます。そういう感覚をもつて基本法の三条、三条あたりを再検討願いたい、こう思っておるのでございます。
  65. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 もし、将来審議会にかけるのだから、今言うことは潜越だと言い出すならば、何を聞いてもそうなるので、これは文政当局として自信のない、ある意味においては卑怯な言い方でありますから、お慣しみを願いたいのであります。私の聞いておるのは、将来審議会の議に付することはもちろん予想しますが、現在の責任ある文政当局として、清瀬文部大臣はどう考えておるか、どういう考えわが国の文政上の問題として持っておられるかということを確かめたいために質問しておるのでありますから、どうかそういう言葉を発しないようにお願いをしたいのであります。  できるだけ論争を避けますために私の言いたいことを言わないつもりでありますが、ただ国に対する忠誠とか、家族関係における徳目が足りないというようなこと、これはそもそも日本教育の間違っておった点ではないかと思うのでありまして、占領年当局もそこを認めて、これはぜひ改めなければならぬ、日本人というのは何か国家とかいうわからないものに対して、ファナティックな感情を持っておる。そうでなく、真に理性の上に立ち、批判の精神に基いて自己の生まれた国土を愛し、自分の同胞を愛するということなら、決してほかの国でも戦前日本とそんなに違った教育をしてはいないので、アメリカの人間は愛国、心がないと言う人がありますが、われわれの見るところではあり過ぎるくらい持っておるようです。しかも教育はほとんど教育基本法的な教育を受けておるので、そういうところに認識の相違があるのじゃないかと思うのです。何でも国家忠誠なれという——この国家というのがほんとうにわかっての国家ならよいのでありますが、戦前にはこれを象徴するものとして天皇というものをかつぎ出した、天皇に対する忠誠という名のもとにあの大いなる誤りを犯したことは御承知通りであります。また孝行ども今度自民党では憲法の中に入れろそうでありますが、一体親孝行義務というようなものを法律規定するということはナンセンスであります。われわれも決して親孝行を否定するものでもなく、孝行であることは非常によいことであると思っておりますが、道徳上の要求を法律規定するというようなことはこっけいなことでありまして、そういう考え方のずれが常にわれわれとの間に調和しがたいものを持ち出すのであります。まことに遺憾千万であると考えておる次第であります。しかしそういう問題についてこまかく論じることは、この機会には略しまして、またあとで文教委員会等においてお尋ねをいたすことにいたします。それで教育芸木法を改正したいという意図があることはわかったわけであります。  それでは今度は義務教育についてお尋ねをいたしますが、義務教育について改正すべき点、こういう点は考えなければならないという点をおもちでありますならば、この際お示しを願いたいのであります。
  66. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の御発言の前段でありますが、道徳に関することを法律に書くのはお気に入らぬとおっしゃいますが、教育基本法それ自身が第一条に幸いて「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、」こうあるのです。そうすれば同じような道徳律を、よくわかるように、ここに入れることは決して無理ではないと思います。
  67. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 そこまでの問題について再質問いたします。私は教育基本法のような道徳規定している法律について申しておったのではないのでありまして、親孝行義務を自民党は憲法改正に際して憲法の中に取り入れるということを発表しておるのであります。ゆえに私はそれはどういうものであろうかと批判しておるわけであります。一体憲法の発達考えればおわかりになります通り国民の権利を国家に向って保障するのが憲法の期限なのです。ですから権利の規定があって義務規定がないのは不思議はない。私どもは納税義務規定することはおかしいと思ったのであります。規定しないと日本国民はどうも税金を納めなくてもいいということを思いがちであるからその中に入れた、それはいいとして今度は親孝行というものは、親を捨てるということはいけないとして憲法で規定する——親孝行をやった者は今度できる憲章でやったらけっこうなことだと思う。しかし親孝行をどういう形で憲法の中に規定するのであるか。もし文部大臣もそういう考え方を憲法改正について——教育基本法の改正については別です、これは全体が道徳的な規定なのですから、その徳目を増加したり減らしたりすることは、これは別問題ですが、お考えがあるならば大いにその点は論争をしておかなければならぬ重大な問題であります。
  68. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 憲法におきましても、第二十四条をちょっとごらん下さい。それには婚姻関係規定しておりますが、「夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」という道徳律が書いてある。憲法は大切なものでありまして、聖徳太子の憲法などはほとんど道徳律であります。大切なことは憲法に書いてはならぬということはありません。自由民主党になりましてからはまだ憲法の案を決定しておりません。今山崎君が会長として御調査を預っておりますが、自民主党の母体の一つたるもとの改進党は、私が憲法の案を調査いたしておりました。そのときには家族についてこういう考えを持ったのです。今の家族制度、二十四条は個人の尊厳と両性の平等と、二つの柱しか見ておらぬ。けれども第三の柱たる友愛、協同といろものがないと家族は成立しない。今の個人の尊厳も一つ道徳律です。両性の平等も一つ道徳律です。夫婦が平等だ、尊厳だと言い合っては、これは夫婦じゃないです。その間に和親協同というもう一つのことを入れろがいいといって、私の方の改進党ではそうやったのです。自由党の方の案はしりませんが、二つ一緒になりましてからはまた成案はございません。
  69. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 今文部大臣がお読み上げになったのは、立法の指針を書いたものであります。指針を書くなら何を書いても差しつかえはありません。親孝行すべし、しかし親孝行すべしということを立法の指針とする以上は、これを具体化しなければならぬ。どういうふうに具体化するのであろかといえば、親孝行した者を表彰するとか、親不孝の最大なるものとして遺棄する者を処罰する、そういうことのほかにあり得ないのであります。何か法律で親孝行規定すれば、日本国民みな親孝行になるというふうにまさかお考えになっておるまいと思いますが、そういうふうな考え方ならばむしろこっけいに近いということを御指摘申し上げたわけであります。これはちょっと余談になりましたから、この問題はまた文教、委員会一つこまかく論ずることにして、ここでは打ち切ることにいたします。  そこで前に戻りまして、義務教育について文部大臣はどういう改正の問題を持っておられるか、承わりたいのであります。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 義務教育のことは、現在では学校教育法第十七条以下に十数カ条の規定がございます。そのうちで義務教育根本を定めたものは第十八条でございます。第一号から第八号に至るまで小学校教育すべき事項を書いております。それから三十六条から三十九条にわたって、小学校に継ぎ足した中学校で教えるべきことを書いておるのでございます。わずらわしいからこれを朗読はいたしせんけれども、この十八条にいたしましても、三十六条にいたしましても、やはり私は足りないところがあると思っておるのです。いとけない子供を教えるのは十八条でありますが、その第一号に、人間相互の関係について正しき理解をせい、それからして協同と自主、自律の精神を養え、そんなことを言ったところが子供には直ちにわかるものでもないので、まあ子供はこの間まで乳を飲んできた坊やでございます。でありますから、やはり家庭の和親、お父さん、お母さんにはよく仕えろといったような家族関係のことがここへ入ってしかるべきでございます。郷土及び国家の伝統とあって、自分のうちのことについては書いておらないのです。でありますが、この根本の十八条なりあるいは三十六条に関しても、教育の経験者あるいは世の中の宿老が集まって、どう教えたらいいだろうかということを、もう一ぺん研究してもらいたいと私は心から考えておるのです。私も子供を持っております、孫を持っております。日夜これに接しておりますが、やはりこの子供、孫の教育については、心から、言葉を飾らないで、一つ改革したい。義務教育が一番であります。大学になりますと、もうおとなでありますから相当の見識がありますが、義務教育については根本的に、一つとらわれざる見識で御審議を願いたいと私は心から思っております。
  71. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 文部大臣は、十八条または、三十六条のような規定は改正する必要があると考えておる、こう承わってよいと思います。私は、これに関する限り少しも改正する必要はない、文部大臣の言っておるようなことはみな書いてある。人間相互の関係について正しい理解と正しい協同といったら、親孝行も入れば、兄弟の友愛も入れば、みな入っておるわけで、何も徳目が入っていないわけじゃない。これは文部大臣の国語の知識が少し足りないのじゃないかということになるだけのことであります。しかしそういう問題もあとで一つ文教委員会ででも審議することにいたしまして、町村の合併によってだいぶ学校区域等が変更され、われわれのところへもいろいろな陳情が参っておりますが、これについて文部大臣は何かお考えになっておられないか。
  72. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 町村合併は現在八分通りできておるので、今町村は四千何百に統合されました。これに引き続きまして、可能なる範囲において町村の学校をも統合するようにいたしたいと思いまして、せっかく本年学校統合に関する経費を予算でちょうだいするように願っておるのでございます。
  73. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 予算でもらったのは三億円ですか。
  74. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 三億円でございます。
  75. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 三億円もらってどういうことをやろうというのです。
  76. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 学校を統合しますれば、行く行くは教師の数も減り、有能な人が多数のクラスを受け持つようになりますけれども、統合のそのときにおいては施設、設備等においても金がかかりますから——むろん地方自治の原則でありますから、地方において負担すべきものではございますけれども、国庫からこれを補助、助成いたす、こういうことでございます。
  77. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 その中に校舎などを増築する費用を見込んでおるのですか。
  78. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 校舎の増築等に必要なものが主でございます。
  79. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 これもよほどお考えを願わぬと非常な無理を生じます。スクール・バスを動かすなんということをけさの新聞は書いておりましたが、動かしてくれるならほんとうにけっこうです。私の郷里から棚倉に行く鉄道でも、わずか二億円ほどあればできるものを、終戦後十年かかって、来年はやる、来年はやる、そうして起工式を二度あげ、選挙の前になると大臣がやってきて起工式を行います。起工式だけで決して鉄道は開通するものではない。そうして実にこっけいなことが多いのでありますが、ようやく今度できることになって喜んでいたら、鉄道は時代おくれだからやめて今度はロマンス・カーを動かして、アスファルトを塗って、その上に専用道路を作って、レールのかわりに走らせるというのですが、それはとんでもない話だと思うのです。それは別論としても、そういう調子でそれが十年かかったつでできないのです。ですからスクール・バスなどがほんとうに動くならそれは双手を上げて賛成しますけれども、まず動かないことは見越しています。そう無理なことをしてもどうもこの統合というものは大したものもできそうもない。三億円でどれくらいできるのですか。一県で一校ずつですか、その程度ではないかと思いますが。
  80. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 学校の増設によって大体の見込みは二千くらいなものが目標となりまして、それを干数百に縮められはせぬか、こういう考えでございます。
  81. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 われわれの方で考えておるところによると、中学校だけを言うとこの金では一県で一校くらいが実現されるのではないかと見ておるわけなんです。そうでなければ幸いでありますが、もっと各論的には文教委員会でやりますが、よほどそれは注意してお考えを願わなければならぬと思います。  それから先ほど聞いた方が順序がよかったわけでありますが、結局義務教育学校基本法等を改正するとともに考えておられるのが、教科書制度の改正であろうと思う。これも二、三の機会に御発表になったようでありますが、今度の審議会では最も重大な問題になると思います。それを待たずにやるつもりか、または教科書の改正は重大であるがゆえにこの審議会の議を経た後にやるのか、まずそれから承わりたい。
  82. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教科書のことは前任者が中央教育審議会に御諮問になりまして、私の就任早々にその答えが参りました。それを検討いたしまして、またわれわれ所属の党それから内閣等で研究をしたものとあわせまして、ほぼ教科書法の草案を起案したい程度に行っております。その内容についてももはやこの程度になりましたら、一度文教委員会に発表申し上げて御批判を受けようとは思っております。きょう申し上げてよければ大体申し上げるつもりであります。
  83. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 ぜひきょうその大綱だけは承わりたい。
  84. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教科書のことは、教科書の検定と採択と配給と大体この三段のことでございますが、第一のことは世間文部省は国定を考えておるなどということを盛んにいわれて、今度の豊島公会堂でやっておられる教員諸君の会合には、国定反対などと書いておられるが、国定をやるつもりはないのであります。やはり検定制度を維持いたします。ただ過去における検定の——明らかに失敗と認めていいと思うのです——失敗にかんがみまして、今度は検定のために専門の、また名前を公然と出した四十数名の検定官を置きたいと思っております。それらが他の者の補助を得て検定いたしたものを、これもまた教科書検定審議会という責任を持ったところで審議してもらう、これは大きな改善でございます。それから採択については、各府県に教科書採択のための機関を作ってもらいたいと思います。その区域はまだはっきりとはきめておりませんが、小さい県ならば県単位になるかもわかりません。大きなところでは数区に分れるかもわかりません。採択区域というものを作って、この区域で採択されるということを知らせておいて、そうして先年からやっておる展示会といったような一時のものではなく、恒常的の俗にいう教科書センターとでもいうものをこしらえて、平常からどの教科書がよかろうかということを審査で送るようにいたしたいと思うのでございます。この教科書の配分のことでありますが、一つは発行者と供給者と、いわゆる商業的組織のことに関するもので、何もかも法律でというのはいかがと思いますが、一般の取引においても、今日不正競争防止法があるくらいでありますから、この採択につきいろいろな運動が起ったりするので、各種のことを制限いたしまして、なるべく安く子供の手元に入るような制度にいたしたい、かような考案でございます。
  85. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 これは重大な御発言でありまして、これを検討するためには長時間を要しますから、今は約束に従って、文部大臣意見を承わっておくだけで、これを掘り下げることは他の機会に譲りたいと思います。われわれはこの問題については大いに意見を持っておることを留保いたしておきます。  それから次に高等学校の教科課程等について何か改正を加えようという動きがあるやに承わっております。そういう構想があられるのかどうか、あられるならばその内容を承わりたいと思います。
  86. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これも世間から強い要求がございましたので、審議会の議を経まして、すでに高等学校の教科改訂の発令をいたし、四月一日からこれによるように通達いたしておるのでございます。その目的とするところは、今までは全部ではありませんが、子供が教科を自由に選ぶという原則になっておるのです。そうすると子供にしても父兄にしても、どれどれを組み合わしていいかわからないのです。洋食の名前を知らぬ人がメニューを選ぶようなわけで、選びそこないをするのです。そこで大体次の学校へ行く者あるいは高等学校でやめる者、そういうことと本人の性格を勘案して簡単に選ぶように科目の組み合せを作る、こういうことが今度の改訂のカリキュラムの案でございます。これはすでに発令済みでございます。各府県に賄いてもこれがいいと言ってすでに採択を表明しているものが続々あります。四月一日までには全国的に採択されるものと思います。
  87. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 高等学校については、ただその点だけをお考えになっておりますか、私のむしろ聞きたかったことはそういうところではなくして、いわゆる職業教育・技術教育というようなものを、高等学校制度の上においてどう置くかということについて、文部大臣として構想がおありになるんじゃないかと思ってお尋ねをしたわけです。これはあとで大学と関連してお尋ねしたいと思っておる点でありますが、今ここでお尋ねした方がいいと思います。わが国の高等学校教育並びに大学教育というものが、著しく文化的な方面教育に偏しておって、技術的な教育——職業教育といってもいいかもしれませんが、そういう方面におろそかであることは、いかにも日本の実情にかんがみ、また日本の産業の将来を考えた場合に、教育制度として、不適当じゃないか。学校経営者から見れば、一番簡単な、机と白墨と先生があればで送る教育が一番安上りでありますから、そこで世界に例を見ないほど文化系統の学生が多いのです。正確な数字を私は持っておりませんが、大体八〇%が文化的な教育を受けておる。二〇%くらいが技術的な教育を受けておる。ところがほかの国では、アメリカでも六〇%までは技術教育を受けて、それぞれの生産に従事する方に入っていく。ソ連のごときは八〇%までが技術教育である。二〇%だけが文化的な教育を受けておる。お隣りの中共などでも比率がそういうふうになっておるように承わるのでありますが、そういう点について文部大臣が何か構想を持っているんじゃないかと思って、実はお伺いしたのでありますが、そういう点はどういうふうにお考えですか。
  88. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この点については、ただいま鈴木さんの御指摘の通りでございます。世間でもそれをあげて非難をいたしておるのであります。今回の審議会では、そのことを一つ具体的におきめ願いたい。先刻平田さんのお問いに対して、第三の改正必要の理由としてあげた通りでございます。この状態は一日も早くこれを改めなければならぬ、かように考えております。
  89. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 改めたいとお考えになりましても、これは学校の経営その他から考えますと、国家が本腰を入れて、教育全般に対して、自衛隊に力を入れる半分くらい、あるいは四分の一くらい力を入れないというと、りっぱにいかないのであります。私は日本国家のためにも十年間あんなことをやらないで、一つ憲法九条を守って、教育に全力を入れて、国家予算の二%でもよろしいし、二〇%ならなおけっこうでありますが、そうしたらりっぱな文化国家ができたはずだと思うのです。実に骨を刺すような遺憾を感じておる一人であります。そういうのができ上った後に、自衛隊のようなものを作りたければ、われわれは必要ないと思いますが、作ってもそれにあえて異議を唱えない。今日必要なことは、何もやらないで、そうしてカービン銃をかついで訓練をしておる。そしてある軍人が、おもちゃの兵隊である、原子力時代においてほとんど風前のともしびのごときこっけいなる軍隊を、莫大な国費で養っておる、大下これよりおろかなるはないといわれておるようなことをやらないで、学校の方に一つ力を入れていただきたい。清瀬文部大臣のように伴食大臣でない、ほんとうの文教の任に当る気魄と迫力と重みを持ておられる大臣が、こういう点に一つ活眼を開かれなければ、文教の将来ははなはだ慨嘆にたえないと思うのであります。希望を述べて文部大臣の奮起を促す次第であります。  それから今日の大学制度については、どういうお考えを持っておられますか。これもまた改正すべき点が多々ありとお考えになっておられるか。その構想のあらましを承わりたいのであります。
  90. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今御発言のうち、自衛隊のことについてはここで申し上げる筋合いではないと思いますから、文教のことをお答えします。大学制度改革を必要とすることは同感でございます。ただこれは尋常一様のことで容易にできませんので、そこで中教審のほかに、別に政治家もお入りになるところの強力な、または広範な委員会を作っていただくのでございます。その委員会の答案ができないうちに、僕はこう考えるということを、今ここで申し上げることは、かえってよくないと思います。しかしながらこれには非常な決心を持って改革しなければならぬということは、あなたと全く同感でございます。
  91. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 どうも文部大臣は、自分の意見を述べることはあとの審議会に非常に拘束でも与えるようにお考えになって、述べない方がいいなどとときどきおっしやるのでありますが、それは別問題だと思います。文部大臣は今現実に毎日国務を見ておられるのでありますが、現在抱負を持っておられないというような文部大臣では情ない。その現在の抱負を承わりたいのでありますし、将来問題になる場合には、君子は誤って改めるにはばかることなかれであって、この審議会文部大臣考えは間違っているとして反対の答申をされたならば、それを採用されることが文部大臣のりっぱな態度であろうと思う。どうもそれにこだわって、何か述べられると、審議会がそれに服従して自分の言う通りになっては大へんだというような——それほど文部大臣の御意見だけを編言のごとく尊重する審議会であるともわれわれ考えられない。ゆえに御遠慮なく述べられて差しつかえないと思います。大学については実はあまり御意見を持っておらないものと解釈をいたしまして、先の方に進めることにいたします。  そこで最近の——本日述べられただけでもよろしいのでありますが、文教政策を見ていると、やはり中央集権時代の郷愁というか、だんだん文部大臣の権限を拡大していって、よらしむべし、知らしむべからずでいきたいというふうに見えるのでありますが、文部大臣は、決して清瀬文部大臣のためでなく、歴代の文部大臣の権限をもっと拡大する方が国家のためだというふうに、大臣くらいの御年輩になると考え込んで、ちょっとこれを曲げることはむずかしいように見受けるのでありますが、そう考え込んでおられるのじゃないか、そういう方へ持っていこうとしておるのじゃないか、こうわれわれは疑いたくなるのでありますが、そういう点についてそういうお考えがあるのかないのか、承りたいのであります。
  92. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育地方分権、教育中立性ということは、いずれもいいことでございます。占領中にこれを法規に入れなくても、これだけ世の中が進んだのでありますから、それはやらなければならぬことです。ただどんなセオリーにも、おのずから実際において限度というものがございます。ことにわが国は、一つの民族で、一つ言葉で、国家理想も明白にはいまだ書き上げておりませんが、おそらくは今度の審議会で出るものと思います。そういう国においては地方の分権だと申しましても、ある程度の教育水準というものはあってしかるべきものと思います。私は一部右翼者流のように、何もかも国家権力でやろうという考え一つも持っておりません。戦前よりむしろそれは自由主義的の方向に進むべしということを、三十年間の政治生涯言い来たったむのであります。世間で、私の考え時代おくれだ、反動だとおっしやるけれども、毀誉褒貶はどうでもよろしい。私はわが国戦前のような官僚行政、官僚文教にしようとは思っておりません。しかしどういういい制度でも、またどういういい理論でも、理論、制度にはおのずから限界があって、ぴたっと、ちょうど注文をした洋服のように、からだに合うようにしなければ、何ぼいい洋服でも、レディメイドではどうも肩がこったりあるいは腰が細過ぎたりするのであります。ちょうど日本のからだに合うような、すなわち注文をしたテーラード・スーツのようにやっていきたいと私は考えております。
  93. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 大切なところをかいぎゃくをもってぼかしてしまわれる。さすがに老練であられますが、それではちょっと困るのです。ちょうどレディメイドの洋服とは違って、われわれが新しい家を建てた。新しい家はなれるまではちょっと住み心地が悪い点があるけれども、なれるとやはりりっぱな家になる。自分の家という意識がわいてくる。それには相当の時間と努力を必要とするので、また五、六年やって、どうもこれはだめだ、われわれには合わない住宅だといって捨てることが早まっておりはせぬかという考え方を、われわれはしておるわけでありまして、文部大臣の引例は適切でないと考えておるのでありますが、とにかくわれわれは大臣の権限を強化する正当な理由があり、正当な意義のある、価値のあるものにあえて反対しようとは思いませんが、どうもそういう郷愁をもってその方向に持っていこうとするならば、せっかく民主化しつつある、分権化しつつある、中立性を確立しつつある教育のために、一つ大いにこれを守らなければならぬと考えている次第であります。大臣はリベラリストであって、自由主義のために長い間戦われたことはわれわれの最もよく知っているところで、その晩節を汚さないように、ぜひ一つその点はあくまで民主主義を死守し、教育中立性と地方分権を助長する上に御努力を願いたいと考えるわけであります。  さらに教員政治活動、一体教員は人間にあらずというような考え方を持っている人があるようでありますが、私はやはり教員も人間の一種だと思っておる。そうであるならば、政治活動を初めもろもろの活動をいたしてよろしいので、これを制約するものは法律でなくして良識でなければならぬ。しかしどうもこういう教員を目のかたきのようにして、何とか政治的だけでなくそのほかの活動も制約しょうというような動きがあるやに見受けられるのでありますが、それが文部大臣から出ておる、文部大臣の腹の中にはその意図があるということを伝えられるのでありますが、この機会にそういう点について文部大臣はどうお考えになっているか、教員の活動を制限しなければならない、はなはだしくは刑事罰をもって臨まなければならないなどと、お考えになっているかいないか、お伺いしたいと思います。
  94. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻からお答えしておるのは、答えでありますからああなりますが、決して鈴木さんの御意見に反発して言っているわけではないのであって、御意見の全体のトーンは賛成です。政治活初ということは、私の前前任者時代に問題になったことであります。単に政治というと広い意味になります。広い意味では何もかも政治で、孔子さんがおっしゃったように、朝起きるのも食事をするのもこれが政治ではないかと思います。あの当時の前任者が政治活動の中立といっていわゆる二法案を提出いたしました。あの当時の世の中のありさまを見ますと、解放された観があったのでありますか、教育をもって当りまえの労働行為、これは労働者だというので、労働組合に準じていろいろ矯激な言葉があったため、世の中も教員政治活動は憂うべきだというので、院内外に問題が起ったのでございます。あの当時の立法が役に立ちましたのか、また日本の独立後数年を経て世の中が鎮静いたしたか存じませんが、今日ただいまにおいて刑罰を重くしてこれを取締らなければならぬというふうなことは考えておりません。しかしながら学校教育は中正でなければなりません。あずかっております子供のお父さんも、日本においてはあなたの属しておられる社会党の方もありますし、われわれの党を支持している人もおります。ですからして、学校先生が一方の政党を支持して、教室内でこれをやることには弊害があろうと思います。なるべくそれを立法の手段によらずに、就任当時から間接的にこれを説く、また勧誘といったような手段で、この中立を維持して平和な教育を進めていきたい。これが私の心持でございまして、この国会にすぐに刑罰法を立案しょうというようなことは今のところ考えておりません。
  95. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 この審議会の議題になることを予想して、よいか悪いかということを承わりたかったのでありますが、それもついでにお答えを願いたい。この法案の第二条によりますと、教育に関する現行制度検討を加えて、教育制度及びこれに関連する制度に関する重要政策調査審議するというのでありますが、それはどういうことを意味するのか、一つお示しを願いたいのであります。
  96. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 さしあたりすぐ頭に浮かぶのは、義務教育は府県市町村の経営にかかるのでありますから、地方自治法でございます。それから地方公務員の待遇を受けている職員がありますから、これも幾らか影響すると思います。恩給のこともはなはだ影響が多いと思うのであります。かように教育に対する制度検討する際には、今の日本法律組織ではいろいろなものに響きますから、こういう種類のものを意味しておるのであります。私の今言ったのは、お問いに従ってのほんの即答の言葉でむろん漏れているものも多々ございますから、その意味でお聞きを願いたいと思います。
  97. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 この審議会が取り扱う問題として大事な問題ですから、事務当局からもよろしいですから、漏れないようにお答えを願いたい。
  98. 福田繁

    福田政府委員 ただいま大臣からお答え申し上げましたように、これに関連する制度に関する問題といたしましては、地方の行政制度あるいは財政制度といったものを予想しておるのでございます。この意味は、もちろん教育制度そのものについての問題を審議しようということと、教育制度に関連する、今申し上げましたような財政制度あるいは行政制度といったようなものも取り上げよう、こういう趣旨でございます。
  99. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 私だけあまり長く質問するのもどうかと思いますから、この辺で打ち切りますが、どうも問題が一応はわかってきたようでありますけれども、必ずしも網羅したとはいわれない。そしてこの審議会が非常に大切な審議会であり、野頭に申し上げたように、この委員の選び方、人選、構成等については、非常にわれわれは関心を持っておるわけでありますから、いわゆる御用機関に堕するようなことのないような用意がなければならぬ。われわれはこういう審議会を置くことを是認するかどうか意見を留保いたしますが、どうも先ほどの文部大臣の慎重に選びますなどという、そういう抽象的な言葉では納得がいかないのでありまして、これだけ重大な問題を取り扱うというならば、文部大臣が四十人集まらなければならぬほど重大な審議会であります。この点について内閣総理大臣に承わりたいので、質問を留保いたしておきますが、文部大臣一つその点については十分にふんどしを締めてお考え願いたい。他の質問あるいは総理大臣に対する質問は、文教委員会において継続することを留保いたしまして、打ち切ることといたします。
  100. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 河野正君。
  101. 河野正

    ○河野(正)委員 本日問題となっております臨時教育制度審議会の論議の争点というものは、やはり本審議会性格を明確にする。その性格がきわめて不明確であるので、いろいろ疑問も生じ、またいろいろの疑惑も生じて参っておるものと、私ども強く感じておるわけでございます。そういった意味で、まずお尋ね申し上げたいと思うのでございますが、先ほど来大臣は、今度の臨時教育制度審議会は、いわゆる占領下の特殊な状態のもとに今日までの日本教育制度というものがきめられたので、今日日本の実情に即したものに急速に改革する必要がある。それが今度提案されました臨時教育制度審議会の最も大きな論拠になるわけでございます。ところが御承知のように、中央教育審議会が発足いたしましたその発足当初におきまして、時の岡野文部大臣が、昭和二十八年一月二十一日のことでございますが、その第一回の総会におきまして、次のようなあいさつをなさっておるのであります。そのあいさつの中の一端でございますが、占領下という特殊事情のもとに決定され——とれはわが国の文教制度でございますが、このわが国の文教制度占領下といろ特殊事情のもとに決定され、その中にはわが国の実情に即しない点もあるように考えられますので、これに対して特に慎重な検討を加えて、必要なる改善を行う必要があると存じます、というようなあいさつをされておるわけでございます。そういたしますと、発足いたました精神といろものは、今日大臣が提案されております精神と全く同一の精神であると、私ども理解するのでありますが、その辺の食い違いがあるといたしますならばどの辺か、まずその性格を明らかにします意味におきましても、明確にしておいていただきたいと思います。
  102. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 日本が独立いたしましたのが昭和二十七年の四月でございます。岡野文部大臣昭和二十八年の一月から一年足らずの間文教を担当されまして、すでにこれではどうも少し合わないのではないかとお考えになったに相違ないと想像いたします。それから数年間実際やってみますと、占領中育った子供もかれこれ二十才前後になります。また占領直後に学校へ行った者もすでに上級生になっている状態でございます。ここで占領中の学校教育のいいか悪いかが顕著に昨今現われて参ったのでございます。そこで世の中では——これは私が言うのではございません。世論でやはりこれは根本的に再検討すべしという声が、昨年以来非常にやかましくなりました。ことに私どもの属する党派ができました昨年の下半期においては、日本国家のために、これが一番大切だといったような新聞の論説も多々出たのでございます。そこでこの時代に新たに党派を作るというのなら、一番国家の大切なことを一つ第一に考うべしというので、一般政策の上において文教の改革を第一に取り上げたのでございます。同じような言葉が使ってございますけれども、岡野前任者が中教審においてこれを述べたときと、私が今日皆様の前に声をからして叫んでいることとは、だいぶまたその意味合いが違って参りました。一つ新たな眼識で、日本の将来のために確固たる文教が立てらるるようにお願いいたします。これがこの案の性格でございます。
  103. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 先ほど鈴木委員より要求のありました内閣総理大臣の出席につきまして、委員長において次会に出られるよう申し入れることにことにいたします。
  104. 河野正

    ○河野(正)委員 大臣は最近顕著に現われた事態に対して、どうしても改革しなければならぬので、臨時教育制度審議会というものが必要であるというふうなことを、しきりに先ほどから強調せられているわけでございますけれども、しかしながら文部省設置法第二十六条には、これは先ほどもちょっと述べられたと思いますが、その第二項に、中央教育審議会というものは、文部大臣諮問に応じて教育、学術または文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議するということが、規定されております。この規定を私ども常識的に判断いたしますならば、この規定を生かしますならば、ただいま大臣が申されます、顕著に最近起って参りました事態に対するところの改革というものも、当然行われるというふうに私どもは理解するわけでございますけれども、こういった条文があるにもかかわらず、あらためて臨時教育制度審議会を設けなければならないという御趣旨が、どうも私ども理解できないわけでございます。この辺はどうでございましょうか。
  105. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻平田さんのお間いに対しても繰り返しお答えし、また鈴木さんのお問いに対しても申し上げましたが、いわゆる中教審と、今度お願いします臨時教育審議会、略して臨教審とでも申しましょうか、この間には、私はよほどはっきりした区別があろうと思います。中教審はとりあえずの文部大臣諮問機関なんです。文部大臣がなし得るようなことを問うて答えていただくんです。今度は内閣諮問機関で、そうしてはっきりしたことは、現行教育制度を再検討する。それで委員には学者とか実際家のほかに、国会議員を入れるんです。これだけでほぼ両者の性格が客観的にわかろうかと存じますが、いかがでございましょう。
  106. 河野正

    ○河野(正)委員 わからないから、再三質問しておるわけでございますが、ただいま大臣中教審というものは文部大臣諮問機関であり、今度できますところの臨時教育制度審議会というものは、内閣諮問機関であると言う。そういたしますと、私ども常識的に判断いたしまして、日本教育に対します最高の責任者というものは文部大臣であるというように、私ども今日まで大臣を信頼して参ったのでございますけれども、ただいまの大臣のお説を承わっておりますと、大臣みずからが、自分の力というものを過小評価されて、いかにも無力だというような御表現をなさっておるようでございます。そのようなことでございますならば、私ども文教に携わっております委員といたしましても、まことに残念に存ずるのでございます。その意味で、大臣というものは日本文教政策については、最高の責任者としての強い態度と、強い自信を持って進んでいただきたいと思うのでございます。ただいまの御答弁では、多少私ども不安を抱いておりますので、大臣の御所信を承わっておきたいと思います。
  107. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私は文教行政の責任者でございます。私のあずかっておる行政について悪いことがあれば、みな私の責任であります。ところが教育道徳のことは国家の一番根本であって、今の芦法政治においては、国家の最高機関は国会でございます。そこヘイギリス流の議院内閣制をとったのでありますから、内閣国会の委任を受けて政治をしておるので、文教政策ということになりますと、最高責任者は実は国会で、それにかわって責任を負うのは内閣でございます。私はわずかにそこでおきめになった文教行政を実行し、これに対して責任を負うのでありまして、内閣においては閣僚の一員であって、一番大切な憲法にも比すべき教育基本に関する法律は、文部大臣限りでどうこうというわけに参りません。さような次第でございます。
  108. 河野正

    ○河野(正)委員 そういたしますと、私ども今日まで中央教育制度審議会というものは、まことに権威ある審議会だというふうに信じて参りましたけれども、ただいまの大臣言葉を返して申し上げますと、この中央教育審議会というものは、全く権威のない、大臣として責任が持てないこの答申については、どういうような御所存であるかどうか、この辺をお伺いしたいと思います。
  109. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中央教育審議会は、文部省の所管でございますから、これについては私は責任を持ちますけれども日本の文教制度についての一番の責任者は、あなた方国会議員でございます。それゆえに、国会文教委員会は、これは非常に重大な責任があります。これは決議をなさるところで、中教審は、私が質問したことについて答えて下さる、こういうものであります。しかしながら、ものに種類があるということであって、中教審の人は偉くない人だとか、この委員の方が偉い人だという格づけじゃございません。おのおの分業でございます。
  110. 河野正

    ○河野(正)委員 おのおの性格が相違するということを、盛んに強調されるわけでございますけれども、ただいままでいろいろ御答弁を承わって参りましても、私どもその性格の相違ということを理解できないわけであります。その理解できないということの背後にいろいろなものがあるということを、私ども心配して参るわけでございますが、重ねて私は、先ほど賞聞いたしました中央教育審議会の方に戻って参りたいと思います。文部省設置法の第二十六条でございますが、この中の第四項には、「特別の事項調査審議するため心要があるときは、中央教育審議会に臨時委員を置くことができる。」第五項には、「専門の事項調査するため必要があるときは、中央教育審議会専門委員を置くことができる。」こういったように、文部省設置法の第二十六条の中に、それぞれ明文化された規定があるわけでございます。そういたしますと、特に今日取り上げなければならぬ——大臣言葉を承わって参りますと、顕著に最近現われて参った事態、そういった昨今顕著に現われて参った事態がありましたならば、この文部省設置法第二十六条の四項、五項を適用いたしまして、こういった問題は十分に審議できますし、また十分なる検討が行われるものと私ども考えるわけでございますが、その辺に対する大臣の御所見はいかがでございますか。
  111. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 諮問をしようと思えば、できぬこともあるまいと思います。しかしながら、日本教育の根幹に関するようなことは、やはりアドホックの、そのための委員会を作る方が、私はいいと確信しております。
  112. 河野正

    ○河野(正)委員 先ほど大臣の御答弁によりますと、そういった機関——具体的に申し上げるならば中央教育審議会でございますが、それに諮問すればやれないことはないだろうというような御答弁があったわけでございますが、それならば、今日このような臨教審に対する疑惑、誤解あるいは論議というものが行われますならば、もしできるといたしますならば、私はわざわざ今日臨教審というものをあらためて設置する必要はなかろうと考えるわけでございますが、いかがでございますか。
  113. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 遺憾ながら、その点については私はあなたと反対なんです。やはり日本教育道徳の根幹、また教育制度根本について改正するということは、実は憲法の改正と同じく非常に重要なことであって、一方教育の専門家といったような人を中心とした委員会よりも、あなた方のごとく練達な、国家全体のことについてにらみ合されるところの国会議員も入れ、実業家も入れ、地方行政の代表者も入れて、新たな目をもって、一つ独立日本にふさわしき教育制度を作ろうということで、これを今までの中教審諮問して、それで━━━━━といったようなことは、無責任のことでございます。どうしてもこれは角度を新たにした重大な委員会でこれをきめることが適当だと、私は心から信じております。
  114. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいまの大臣の答弁を聞いて参りますと、全く私ども不満の意を表せざるを得ないのでございます。それは中教審の名誉のため、あるいは中教審権威のためにも、私は不満の意を表せざるを得ないのでございます。と申しますのは、今日まで教育上きわめて重要な案件というものが、十回にわたって答申が行われて参っております。その中には、先ほど当局から御説明がありましたように、教科書制度改善に対する答申もございましょうし、いろいろな答申がありました。またその中で四項目につきましては、その答申が妥当であるということで文部省が御採択になったというふうな報告も受けて参っておるのでございます。ところがただいまの大臣の答弁を聞いて参りますと、中教審諮問するようなことで━━━━━ようなことでは、今日の制度改革はできないというようなことになりますと、今日まで中教審の方々が非常に熱心に熱意を持っていろいろ論議検討されたと思いますけれども、そういった業績に対しても大臣が非常に侮べつ的な態度で臨んでおられるということを、私感ぜざるを得ないのでございます。その点につきまして大臣いかがお考えになっておりますか、御所見を承わっておきたいと思います。
  115. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 なるほど私の━━━━━という言葉は誤解を生じますから取り消しましょう。しかしながらこういう重大なことを、そのための委員会を作らないで従前のものにたよるということは、問題を軽く扱うことと私は思います。これに反して今度できる臨時教育制度審議会にかなの教え方をどうするとか、歯医者の学校をどうするとかいうことを私が諮問しましたら、これもまた諮問すべからざるところへ諮問しておるので扱いが悪いのであります。およそ委員会設置のときの本来の使命に合したものを、それに適当な機関に諮問するがいい、すなわちお門違いというか、おのおのの問題を適当した機関に諮問すべきものだということを私は申したのでございます。御了承を願いたいと思います。
  116. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま適当な機関に諮問をしたい、それで臨時教育制度審議会というものが必要だというふうな点を強調されるわけでございますが、そういたしますと教育に関しまするいろいろ重要な問題を中教審諮問されるということは、不適当であるというふうにお考えになっておるのかどうか、一つお尋ね申し上げたいと思います。
  117. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現行制度根本に再検討を加えるということはやはり今度できます委員会が適当と思います。それができまして、新たなる教育制度ができ、その実行について適切なことをどうしたらよかろうということは、中教審は存置いたしますから、これにさらに諮問する機会は多々あろうと思います。
  118. 河野正

    ○河野(正)委員 大臣の御答弁を聞いておりますると、どうも中教審と臨教審に非常に比重の差をつけられておるような印象がいたします。そういうことになりますと、中教審の方々が今後いろいろな諮問を受けられましても、熱意を失するでございましょうし、また意気というものが非常に低下するということは当然だと思います。そういった意味でも私は、少くとも大臣が今後日本教育の発展の願い、あるいはまた日本の次の世代を背負っていきます新しい国民の発展を考えられますならば、もっと中教審を重要視するというような態度を大臣は示していただきたいと思うのでございますが、お示し願えませんかどうか。
  119. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 同じことを繰り返すようでありますが、委員会それ自身の格に上下はないのです。いわんや委員その人に区別をする考えは毛頭ありません。けれども現行教育制度の根幹に検討を加えるというのだったら、その目的のために作った委員会諮問するのがいいのであって、そのほかにも国家国民に経営的に非常に重要なことでございます。これを中教審諮問するのでございます。二つの委員会の上に上下をつけたのでありませんし、また委員に差別をつけるのではございません。問題の性質かきっぱりとしておるのでございます。
  120. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま大臣の答弁を承わりますと、中教審というものは教育の根幹に触れるものではない、というような御答弁だったように理解するわけでございますが、ところが今日まで十回にわたって中教審から答申が行われたのでありますが、こういった一つ一つの具体的な事例を見ても、教育の根幹を無視して答申ができておるということは考えられないと思うのです。そこで私が重ねてお尋ね申し上げたいのは、ただいま御答弁になりましたように、中教審といろものはどこまでも教育の根幹に触れるべきものではない、教育の根幹を無視していろいろな答申ができるというふうにお考えになっておるのかどうか、その辺を一つお尋ね申し上げておきたいと思います。
  121. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これはこちらの出した諮問事項にもよりますけれども、無視ではなくて、現行教育制度のもとにおいての御答申になっておるようでございます。今度はその現行教育制度自身を変えようというわけなんでございます。
  122. 河野正

    ○河野(正)委員 しかしながら文部省設置法の第二十六条第四項には、「特別の事項調査審議するため必要があるときは、中央教育審議会に臨時委員を置くことができる。」という規定があるわけでございますから、特別の事態が生まれて参りましても、必ずしも中教審審議できないというわけではなかろうというふうに考えるわけであります。
  123. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そういうことが可能であるかないかとおっしゃるならば、それは広い文字でありますから、特別事項だといって持っていっても文字の上においては可能なことだと思います。そのことは先刻お答えしました。ところが国家のことは非常に大切ですから、それでもよかろうというのではなくして、そのためにこしらえた委員会にびしゃっと当てはまるように諮問するのが、最も国に忠なるゆえんであろと思うのであります。
  124. 河野正

    ○河野(正)委員 くどいようでありますが、そういたしますと、中教審といろものは大して存在価値がないというふろにお考えになっておるのかどうか、重ねてでございますがお伺い申し上げます。
  125. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そんなことは考えたことも、申し上げたこともございません。中教審のような機関は永続的の審議機関として、臨教審のある間もずっと継続してもらうつもりです。また臨教審がなくなっても継続してもらいたいのです。日本教育制度がある以上は、こういうものは必ず必要なんです。臨教審はただ現行制度を変えようというためにこしらえるので、変えてしまったらそれは要らなくなる。臨時という名前はそれでつけておるので、臨時教育制度審議会ができたがゆえ中教審は断絶する、そうは考えておりません。
  126. 河野正

    ○河野(正)委員 きわめて重大な改革をするわけでございますから、そういった点を大臣も強調しておられるのだと思いますが、そういったことを前提といたしますならば、やはり恒久的なある機関を用いるべきである、そういう機関を利用していくべきだというふうに私ども考えるわけであります。教育の百年の大計を立てて参るたにめも、また改革に対する責任審議会に持っていただくためにおきましても、恒久的な機関がそういったものを取り上げるべきだ、まずそれにつきましては、先ほどから申し上げますように、文部省設置法の第二十六条の中の第四項、第五項におきまして、特別の委員を任命することができるようになっておりますので、やはりそういった重大な問題であればあるほど、恒久的な委員会責任を持つという意味におきまして、そこでこういった問題を審議いたすべきだといろ所信を強く持っておるわけでございます。くどいようでございますけれども、それでもやはりどうしても臨教審でなければいかぬというふうにお考えになるのかどうか、重ねてでございますがお伺い申し上げます。
  127. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお問いの後段の通りでございます。中教審は行政官たる文部大臣諮問機関なんです。私は代議士でありますが、代議士でなくても、行政官として文部大臣はある。その諮問機関です。片方は内閣諮問機関で、あるいは憲法の改正とも相比すべきものであります。法制上の種々の障害がなかったならば、国会諮問機関にしてもいいくらいなんです。国の根本一つ検討しよう、こういうものであります。御了解を願いたいと思います。
  128. 河野正

    ○河野(正)委員 この際委員長一つ要望を申し上げたいと思いますが、先ほど私は冒頭に指摘いたしましたように、中教審の発足にあたりまするそのものの精神につきましては、時の岡野文部大臣が第一回の総会において述べられたところでございます。ところが現行制度についてはどうしても審議できないので、その点については臨教審を設置することによって審議をしたいというような答弁が、るるとして述らべれて参っておるわけであります。そこで委員長にお願いを申し上げたいのは、私どもその辺の性格、実情というものが明確でございませんので、次の委員会におきましては、中教審代表の方を参考人として喚問されんことを委員長に要望いたしたいと思います。
  129. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 連合の委員会ですから、委員長だけのあれではできませんので、あとで両委員会理事の方に話をし、また委員長とも相談して処理いたします。
  130. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま質問申し上げましたように、臨教審、中教審性格について、私ども納得のいかない点が多々ございますけれども、ただいま委員長のお計らいによりまして、来るべき委員会におきましては、中教審代表を参考人として喚問していただこうといろ御処置もいただけるようでございますから、その点は一応留保いたしまして、さらに私は質問を続けて参りたいと思います。  御承知のように、大臣は先ほどから今度の臨教審の構成の中には、国会議員を入れるので、臨教審としての使命達成のために非常に重要な意義があるというようなことを強調されて参っておるわけであります。ところが私ども一番心配いたしますのは、もちろん国会議員が入ることもけっこうでございますけれども国会議員というものは必ずしも教育におきますところの権威者であるというふうには、限っておらないわけでございます。そこで一歩誤まりますならば、国会から委員が出て参りました委員会の構成というものは、必ずしも学識経験者というわけではないのでございますから、しろうとの政党色の強い委員構成となる危険性というものが、当然生れてくると思うのでございますが、そのような危険性があるのかないのか、一つお尋ね申し上げたいと思います。
  131. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 公平なる人選をすることは鈴木さんに答えた通りでございます。各委員は良心に従って御討議を下さることであって、一党一派に偏した不公平な結果は現われないと信じておるのでございます。
  132. 河野正

    ○河野(正)委員 先ほどからいろいろと大臣と問答を繰り返して参っておりますと、私どもはいま一つ大きな杞憂を持つわけでございます。と申しますのは、今度の教育委員会法におきましてもそうでございますし、また教科書法案におきましてもさようでございますが、そういったきわめて重要な問題というものが、大臣個人の主観あるいは既成観念で、そういったきわめて重大な問題が今後改革されていくというふうな印象を、私ども強く受けてならないわけでございます。そこで先ほどから大臣が御答弁なさいました言葉じりをつかまえるわけではざいませんけれども、一、二具体的な例を取り上げて、大臣の御所感を承わっておきたいと思います。それはとりもなおさず今後大臣個人的な主観やあるいは既成観念で、こういったきわめて重大な制度改革されるということを、私は非常に憂えるわけでございます。そういった意味で御質問いたすわけでございますから、一つ明確に懇切に御答弁をいただきたいと思うのでございます。先ほど大臣がいろいろと御答弁なさいました中で、たとえば最近世間暴力教室というふうな遺憾な問題が起ってきたが、こういった問題を解決するためには、道義の高揚をはかっていくために、教育基本法の改正をしなければならぬというふうな意味の御答弁もあったようでございますが、やはりこのような問題を解決するためには、そのような事実で教育基本法を改正しなければならないのかどうか、その点を一つお尋ね申し上げておきたいと思います。
  133. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 近時ややともすると学校内にいろいろな不祥事件が起ります。われわれ過去を顧みましても、学校内に明治、大正時代幾分騒動が起ったことはなきにしもあらず、なんです。しかし最近起ったことを新聞で見、また文部省より人を派して調べましたが、あるところでは学生が万引をするというのです。現に某高等学校では三十五名に及んでおります。これはどろぼうです。それからある学校では上級生が下級生をおどかして金を巻き上げ、それがために下級生は学校へ行かなければ家庭においてしかられるし、行けばなぐられるというので、公園で遊んで帰っていく。これも新聞に出ていただけではなく、調査をいたしました。こういう問題が起るたびごとに、世の中はどういうかというと、今の教育が悪いということを言う。その次には、一体学校においては道徳を教えておらぬだろうか。こういうことがすぐ次々と連鎖反応で起ってくるのであります。だんだん調べてみると、学校教科書には一体倫理、修身はないじゃないか、こういう非難が起こっておるので、初めは聞き流してありますが、だんだんこれを聞くに及んでは、文教をあずかっておるわれわれとしては、その根本に向って改革をしなければなるまい、こういう気持に相なっておるわけでございます。抽象的にこの教育法を見て、寝ておって、これは改良しようというような、そんな法律改正の問題ではなくして、現実に日本に起っておる事象から考えて、この必要を痛感いたしておる次第でございます。
  134. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま大臣は私の質問に対しまして、やはり教育基本法を改正しなければ、そういった暴力教室等のいろいろの事態を取り締っていくことはできぬというお話のようでございますけれども、私ども教育基本法を読んで参りましても、これはもう大臣の方がむしろ専門でありますから、かえって失礼になるかもしれませんけれども、第一条の教育の目的の項には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、」というような明文が明らかに規定されております。私どもは今日こういった規定されております教育基本法教育の目的の項そのものを十分守っていくということだけで、今日ただいまの道義の高揚というような問題は解決できるというふうに理解するわけでありまするけれども、あえて大臣が改正しなければならないという点につきましては、私ども理解困難に考えるのでございます。  なお先ほどの答弁の中に孝行無用論というようなお話もございましたけれども、こういった問題も、御承知のように、憲法十三条あるいは十四条等を私どもが忠実に守っていくならば、当然孝行というような問題もあらためて憲法で規定するまでもなく、こういったものは当然国民の道義的立場から問題ないと思うのでございます。ところがことさら、今日の憲法では要するに個人の権利が主張されておるということを論拠といたしまして、憲法を改正しなければ孝行ができないのだというふうに歪曲して、何か教育基本法なりあるいは憲法の改正を考えておられるような印象を、私ども強く受けてならないわけでございます。もちろん憲法につきましては、大臣御専門でございまするから、私どもとやかく言う筋ではないと思いますけれども、しかしながら私ども大臣の御所感に対しまして非常に疑問を持っておるということは、これは否定できないわけでございます。私どもが一番おそれますのは、臨教審等においては、今後重要議案というものが審議されると思いますが、そういった重要な審議というものは、大臣個人の歪曲した一つ考え方、あるいは個人的な主観、あるいはまた既成観念に基いて、そういった問題が審議されるということを私どもは非常におそれるわけであります。そういった点から私はただいまの問題を取り上げて参ったわけでありますが、その点に対しまして、大臣は主観あるいは既成観念に基いてこういった問題を考えておらないという納得のいくような御説明で、お答えをお願い申し上げたいと思います。
  135. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ただ私の主観でやっていこうというのであったら、諮問機関を作りはしません。すでに諮問機関を作る以上は、多数の人のまた専門家の一番いい意見を聞いて、それによろうというのでございます。  第二段として、私の意見がいいか悪いかは、私自身は批判しかねます。しかしながら私は良心に従って、日本の現在の教育のあり方は、やはり改正の必要ありと考えておるのでございます。
  136. 河野正

    ○河野(正)委員 少くとも大臣が臨教審を設置しようという御意図は、私はただいま御指摘申し上げましたいろいろな問題を、今後実行しょうということが前提で、こういう臨教審というものが設置される、そういった法案が提案されたというふうに理解するわけです。ところがただいま大臣のお言葉では、ただ自分はそういった考え方を持っているけれども、そういった点を諮問するのだというようなそのくらいの根拠で、今日私どもが非常に重大視いたしておりまする臨教審等を設置されますることは、私ども全く納得がいきません。やはり大臣大臣としてのお考えと、初志を貫いていこうというような強い決意と確信に基いて、今日の提案が行われたというふうに私ども考えて参るわけでありますが、要するに自分はそういう考えを持って曲るけれども、海のものとも山のものともわからない、諮問機関に諮って初めて決定するのだというような、まことに根拠薄弱な考え方で、今日の審議会というものが提案されておるものかどうか、その辺のお考えをお尋ね申し上げたいと思います。
  137. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この審議会設置を必要とした動機は、本日平田委員の御質問に対し三点に分けてお答えをいたしております。この法案を提案する以上は、この三つの欠陥ありということは私は認めて曲るのです。これに対する対処策は、専門の、また識見の高邁な、来たるべき委員会委員の御意見を聞いてきめようと思っております。今日の民主政治のもとにおいては、重大な問題について提案をするのには、やはり広く諮問をして案を作るということは、当然のことでございます。かような諮問を省いてお前の言う通りにやれとおっしゃるのであったら、非常に簡単なことでございますけれども、私の民主政治家としての良心はそれを許しません。やはり諮問いたして、反省の上に反省をして、人の言うことを聞いて案を出そうと思っておるのでございます。
  138. 河野正

    ○河野(正)委員 一貫した大臣の御答弁というものは、事きわめて重大な問題であるから、臨教審を設置したいというふうなお説のように拝聴して参りました。  そこで私最後に大臣に御質問申し上げておきたいと思います点は、事ほどさように臨教審の存在価値というものを重要視されておるわけでございますから、おそらく大臣もこの臨教審から出て参りました答申につきましては、十二分な尊重が行われるであろうということを確信して疑いません。そこで最後に申しておきたいと思いまする点は、もし臨教審から出て参りました答申が、党の方針と相違したというふうな事態も生まれてくるかと思うのでございますが、そういった場合も——先ほどからいろいろと大臣が御答弁されました内容を聞いて参りますと、臨教審に課せられましたところの使命というものは、事きわめて重大であるように考えられます。そういった東大である臨教審の答申と党の方針とが相違したような場合におきましても、臨教審の答申を、先ほどからいろいろ大臣が申されますように、いろいろな人の意見を聞いて、自分の考えが誤まって曲るならば、答申の方針に従うのだというような強い御意見もあったようでございますけれども、私はいろいろ御指摘申し上げますように、答申意見を絶対に尊重していただけるものか、その辺を一つ最後に明確にしておいていただきたいと思います。
  139. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 尊重はいたします。大いに尊重はいたします。しかしながら臨教審のおっしゃることをうのみにして提案するということは約束できません。臨教審の答案ができれば、それに従って一案を立ててみて、そうして党議にかけ、内閣の議にかけてから法律を作るので、非常に敬意を表しますけれども、初めからそれをうのみにしたら、立法提案権というものはなくなってしまいます。やはりこれは諮問機関ですから、諮問機関の性質上これに敬意を表するということに努めたいと思うのであります。
  140. 河野正

    ○河野(正)委員 それでは委員長に要請いたしましたように、中教審の参考人等の召喚がありましたならば、保留いたしました質問がございますので、これで次回の委員会質問を譲りたいと思います。
  141. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 大臣もだいぶお疲れのようでございますから、残余の質疑は次会に譲ります。  次会は来たる二十五日午前十時より本連合審査会を開き、質疑を継続することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時一分散会