○北
委員 私は衆議院において昭和十二年から出ておりますが、昭和十六年のときに戦時予算に協賛したという名義で、議員として
功労ありというので初勲の勲四等
瑞宝章をもらったのです。私はそのとき事変は見込がないというのでもらいに行かぬといったところが、清瀬君が、湯浅倉平君はかつてシベリヤ出兵のときに
勲章をいただいたけれども、もらわぬとがんばったところが、これは陛下のおぼしめしだからそういうことはいかぬというので圧迫されてついにもらったから、君もがんばっても、ひとり新聞にせかれるだけでだめだ、こう言われて、仕方がない、私は二、三日後にいただきに参りました。これはどうせ用いられないからというて、たんすの底に入れてそのままになって、見たこともありません。私は初めからこの
戦争は負けると思ったけれども、戦時中に予算に反対することはできぬから、いやいやながら賛成したものであります。その
功労によって勲四等をもらった。みんな議員は初勲は勲四等をもらっておる。衆議院議員というものは、いかに長くても勲一等はもらえぬ。議長は勲一等がもらえる。これについておもしろい話があります。原口中将は勲二等であった。陸軍中将で衆議院議員に出ておった。それで動一等にしなければならぬ。そのときには一等ずつ上げた。ないものは初勲をくれた。ところが、君は衆議院議長になったわけではないから勲一等にするわけにはいかぬというので、金杯の三つ組をいただいた。ところが戦後に勲一等をもらうよりもよかった、これを売ったら三十万円くらいになる、そう言われておりました。こういうような議会人などを叙勲したということは、これは
戦争に行ったのとは違うのです。ただ軍事予算に協賛したというだけで、
勲章をもらっておる者はみんな一級進められ、われわれのような無典組は初勲をもらったのです。議会で
瑞宝章を持っておる者、そのほか
勲章は八年に一回ずつ上げるらしい。そういう点からいうと、これも戦時に準じたものであるから、私は
金鵄勲章廃止するならわれわれの
瑞宝章も
廃止して当然だと思う。それは戦後に
考えたのです。初めアメリカの
憲法の草案のうちには、貴族というものは、現在なっている華族は残してよろしい。ところが、これはどうせ将来作らないのなら今までの貴族を全部
廃止したらいいというので、私はその当時の
自由党の政務調査会長をしておったが、その
議論が勃然として起きて、それを、
廃止することにした。幣原さんが私を呼んで、貴族を一代限り許すというのはアメリカの
日本にくれた涙の一滴だから、これだけは残してくれ、幣原さんは男爵であったから、それに執着する
意味はないと私は
考えたのですけれども、これはもう廃した方がよかろうというので、松本治一郎君が部下を率いて私に感謝の辞を述べた。階級
制度は、すべて華族、士族、平民というのは徳川
時代からの遺物であるというので、これを一掃してくれたのは、われわれの水平運動には非常に
功労のある方だといって感謝を受けた。そのときに華族は残す、そして
栄典には特権を伴わない、というのは、政治的特権の
意味だと思うのです。今の
文化勲章に年に五十万円の年金をくれておる。これも特権です。解釈すれば、
憲法違反です。これは政治的特権の
意味に解釈した。言いかえてみると、華族が貴族院議員になれるというのは政治的特権の
意味に解釈しなければ、
文化勲章に五十万円の年金を与えるということの弁明がつきません。必要は
法律を破るという
言葉がドイツにあります。その
意味で、
憲法でも必要のときには破るのです。たとえば、私立大学には援助してはならぬと
憲法に書いてあるのに、私学振興会に十五億の金を前年度も出しております。そして私学振興会から、私学に安い利子で金を貸して間接に援助しております。
憲法であっても、やはり時勢に伴わないときには、自然に破るところが出てくる。この二つは顕著なのです。政治的特権を伴わずというのは――すべての
栄典には特権を伴わずということになっておる。金をくれるということは非常な特権です。英国の
勲章のごときはみな金がついておる。
日本は非常に名誉を重んずる方で、金がつかぬ
勲章もあります。
金鵄勲章は、今は
廃止されたから金はもらえませんけれども、ついております。そういう
意味で、
憲法の重大なるところでも、必要においてはそれたところがある。それであるから、現在生きておる華族の一代だけは称号を許すという、アメリカがやったのと同じような
意味で、
金鵄勲章を認めないでほかの
勲章を認めるというのは――
瑞宝章をもらったり
旭日章をもらったり、当時議会に出ておる者はみなもらったのですから、そうすれば、やっぱり
廃止した方がいい。
廃止するなら絶対的に
廃止した方がいいと思います。取り上げる必要はないかもしれない。
国民にくれたのだから……。それに勲七等というのはみんな
兵隊の墓に書いておる。それをけずるわけにはいかぬから、やはり既定の事実はある
程度まで認めなければならぬ。既定の事実を認める
意味において
温存しようというお
考えでしょうけれども、
金鵄勲章を廃した以上は、ほかの
勲章を廃すべしというのが、私は徹底した
理論だと思います。
廃止しないならば、みな過去の
功労者として認めてもよろしいと思います。一方を廃して他を廃せぬということはよくないと思う。現に私のおいは、フィリピンの緒戦で、偵察機に乗って、敵の潜水艦を撃沈した。これは陸軍で初めての
功労者であったが、グラマン戦闘機六機に囲まれて死んだ。そして
金鵄勲章をもらって、年金も何ももらいませんが、その母親が、辻さんの言う
通り、今でも
仏壇に
位はいと一緒に飾って参っておりまして、これを唯一の慰めとしています。
瑞宝章、
旭日章は、みな議会に関係があったからといってもらった。議会人のもらったものは全部それです。それで八年続けば一級上ることになっておった。われわれは昭和十六年にいただいたから、その後八年になっておりますが、まだいただきません。そういう事情でもらったものであるから、
金鵄勲章を
廃止したくらいならば、これも一諸に
廃止した方が私はよろしいと思う。私はそれが徹底しておると思う。華族をなくしたと同じことです。これは私が三役
時代にやったものですが、松本治一郎君はわざわざ部下を率いて感謝を述べたことがあります。そういった
意味で、その方が徹底しておると思うがいかがですか。