○粟山
委員 関連――この
内閣委員会で、意外にも、皇太子殿下の御一身に関する質疑がたびたび行われました。けだしこういうこともあり得ることとして、私
どももこの貴重な時間を割愛して拝聴をし、静かに
考えさせられておるのである。そこで要は、天皇たるべき皇太子殿下は学習院を御卒業といおうか、まず学習院の課程を習得されたというような形において、一応学校生活は終られたわけである。こういう
機会に
国民の関心がここに寄せられるということは当然だと思うのです。従って御年齢が御年齢であればこそ、女性との
関係も種々うわさされるのは当然だと思う。しかしここで私は
長官に伺っておきたいし希望することは、今の
日本の現実というものは、戦前と戦後と、そういうものの歴史と人々との間によって構成されておる。これはもう戦後派の人が戦前を抹消しようといっても抹消し得ない。戦前の人間、戦後の人間、戦前の歴史、戦後の歴史を通じて、
日本の今日というものは現実に作られておる。そこで最近は戦中派というようなものも浮き彫りにされておる。私はこれも見方によっては一顧の値を寄せなければならないものと思いますけれど、これは歴史の一こまである。現実の姿である。そういう点から
考えますと、以前の常識からいえば
考えられないようなことも、こういうような議事堂の中で、貴重な時間を費して論議をされるということも、これが世相であるから、
長官も真剣にこれをお聞きになってよろしいと思う。そこで私のお願いするところは、今のように、ラジオ、新聞、鉛筆等によるマス・コミュニケーションというものは、まことにおそるべき力をもっていろいろな両に重大なる影響を与えておる。この現実にも兄のがしてはならぬ。そういう中にわれわれが置かれてる。これがいいとあしいと、これが高い目で見てどうであろうと低い目でながめてどうであろうと、これが現実なんである、そういう場合に宮内庁に要職を持たれる
長官ないしは
長官の周囲の人々は、非常に強い人格の力と判断力とにおいて、きぜんたる態度を持ってもらわなければならぬと思う。私はいささかたりとも、
質問によく聞き、世論によく聞いて、あなた方の判断は、この国家を誤まらざる、この皇室を護る上において、不動の信念の上に出所進退してもらいたい、その上に
言葉を使ってもらいたい。その上に筆に乗せ、電波に乗せてもらいたい。私はそういう正しい強きものを要求するのであります。それが思い起すことは、私はあの終戦当時において、事なくしてあの終戦が終るであろうかとだれもが
心配されたことが、今の天皇のお声によって終止符を打った。これはだれがさせたのか。だれがさせたというより、天皇みずから非常な御決心で、マイクをとられたことにあると思うのです。教えられたり、しいられたことじゃありますまい。そういうことを
考えると、どうして陛下があの当時それだけの勇気をおふるいになったかということを
考えれば、私は教育であったと思う。杉浦重剛先生が書いて著されたいわゆる「倫理御進講草案」というものは千何百ページあるはずである。
長官はお読みになりましたか。この千何百ページというものは、杉浦重剛先生の人格――
日本人としては戦前、戦後、戦中を通じても、私
どもは今の学習院大学の学長の安倍さんなどでも、散見する文書の上から見まして、当然こういう人も杉浦先生には頭を下げて教えを受けてもよろしい。死んだ杉浦先生に教えを受けてもよいくらい、私は輝やける存在であると
考えておる。しかも国学にはたんのうである。漢文には精通しておる。そうして英語にも達し、そういうような広い識見の上に、人格またすぐれたる人である。きぜんとして今の皇后陛下の問題のごときも、ごう然たる世論の間に、この杉浦先生の正しい行動が結論を与えておる。そういうことを
考えますときに、御成年になるまでに教えられた経路を見ると、ずいぶんといろいろな人の意見を聞いて、自分も心胆を砕いて、一文一章まで先生の魂を浮き彫りにしている。そうして御進講を申し上げている。人間としての天皇はいかにあるべきか。御成年になったときには、初めて性の問題を御進講申し上げますとして、男と女の
関係を教えておる。後醍醐天皇に対する批判のごときも、当時のわれわれ
国民感情からいかがかと思いますが、後醍醐天皇のごときも、不世出の英才をもってして、あの歴史に遺憾なものを残されたことは、婦女子に甘かったということ、論功行賞というものにははなはだその当を得なかったことを摘出しておるような、それくらいの秋霜烈日たる態度をとって御進撃申し上げた。でありますから、そういうような教育が何年か積り積って現天皇の終戦に臨んでのマイクを通ったお声が出たものと私は拝察する。同時に……。