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茜ケ久保委員 宮内庁の人たちの
考えておることは少しおかしいと思うのです。競技会や音楽会等に出力けられることが、必ずしも
人間的な、
国民とのつながりとは思わぬのです。出かけましても、出るときにとにかくえらい警戒をし、行っても周囲には
宮内庁の役人とか
政府の高官とかいったような特殊な
存在の諸君が取り巻いておって、ただ同じ会場におるというだけで、同じ会場にありながら全然
一般の者とはそこにつながりがない。こういう
状態では私は幾らどこへ出かけられてもだめ、かえって逆だと思う。もっと英国の皇室のように
——英国の皇室がいいか悪いかは別として、先般もニュースを見ておると、皇太后が競馬馬を持っておられてダービーに出して、自分の馬にも
一般の
国民がかけるし、自分も馬券を買ってそして競馬場の中でみんなと一緒に楽しんでやっておる
状態、これはニュースですから、どこまでどうだかわかりませんけれ
ども、こらいったようにはっきり英国の
国民と英国の皇室というものは、教科書で教えたり、あるいはだれかが強制するのでなく、自然の形で生まれておる、そう思うのですが、とにかく
日本の場合には、こうだこうだと一生懸命教えながらも、
感じがだんだん
国民と遠ざかっていく。先ほ
ども私が言ったように、私は志賀高原で偶然皇太子と同じゲレンデに出てスキーをしたことがありますが、あのときは別に警戒もないし、自然の形でスキーができましたし、皇太子も非常にうれしそうな姿でスキーをしておりました。たとえば下手でころんでも、ころぶと思えばまたその周囲のスキーヤーは非常に親しみを感ずるのです。あれが皇太子が猪ヶ谷みたいに非常に上手で、われわれと段違いに上手だったら案外親しみを
感じない。へっぴり腰ですべってころんでいるところにむしろ
一般スキーヤーは親しみを感ずる。同じように、皇太子は
一般の
人間と精神的にもあるいは学科的にも隔絶して偉いというときには、
国民からかけ離れたものになる。この間も進学問題であなた方が頭を悩ましておりましたが、
学校の課程が足りなければ原級にとどまるのは当然であって、そこに私は
国民の中に解け込む姿が
一つあると思うのです。それをしゃにむにそうでないようにするところに誤まりがあると思う。そういう
意味において私は今度の孤独の人、これは別として、そういった今あなたのおっしゃった演劇やスポーツを見に行くから、
国民と一緒にあるという
考え方の中には、非常な誤まりがあると思う。もっと密接なつながりを持つような、たとえばあるいは利用されるというが、利用されてもいいではありませんか。利用されるような皇太子の方に
国民か非常な親しみを持っているのです。もちろん悪質な利用に対しては困るのです。もっとその点で
宮内庁という
組織が
考え直してもらうことがいいのではないか。この点について私は
機会を見てぜひ宮城に出かけていって、
宮内庁のあなた方の
仕事の様子や何かを見たいと思う。私
どもがそういった心配をするのは、
天皇の
存在を利用する……(「杞憂だよ」と呼び、その他発言する者あり)この人たちはそうなんです。この人たちは今や利用しようとかかっている。利用されては困るのだ。
それともう
一つ最後に聞きたいことは、先般原爆の図に対して、
天皇、皇后それから皇太子並びに義宮に、こういった
日本の一番大きな悲劇であり、再びこういう悲劇を起してはならぬような原爆の
一つのあの
状態を、これは
主催者がおおったのかあるいは
宮内庁の指図でおおったのか。さっきの皇太子の
意見は私は
一つの希望として言っておきますが、今の原爆
関係のものを
天皇初め皇室の皆さんに見せなかったのは、
宮内庁の
意思かあるいはその博物館その他の
意思か、この点に対して
一つ伺いたい。