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細田委員 私は
日本社会党の
立場から本
法案に反対の討論をいたします。
まず申し上げたいことは、私が申し上げるまでもなく、
日本の
憲法はもちろん
独立を
規定して平和と自由を徹底的にうたっております。この意味において世界に類例を見ないというほど進んだ
憲法だといわれていることは皆さんも御承知の
通りでございます。従って
憲法が
日本の
独立、平和、自由というようなことをうたってある限り、また教育もこの線に沿って進めていかなくてはならないということはこれまた当然な話で申し上げるまでもございません。現在の教育
制度がこの
民主主義制度を十分に
考えて設けられておることも、また私が申し上げるまでもございません。
そこでこの
立場から本
法案を検討してみますと、まず本
法案の指向するところが少しも明確でないということ、と言いかえればその性格がさっぱりわからない。もしこの
法案をしいて性格づけるならば、戦前の教育
制度に戻そうというようなことがむしろ
考えられてくる。もちろんわれわれは文相の意図はまさかそうではないと推測するにやぶさかではないのでございます。従ってそうでないとすると、この臨時教育
制度審議会というものが何を指向しておるか、これがさっぱり明確でないと私は
考えるのでございます。すでに中央教育
審議会というものがある限り、なぜ屋上屋を重ねてこういうことをしなくてはならぬかということを
考えるのでございます。私が申し上げるまでもなく、中央教育
審議会は文部大臣の諮問に応じて教育に関する基本的な
制度、その他教育学術または文化に関する基本的な重要施策についての調査、
審議をし、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する、こういうことが中教審の性格としてはっきりうたってある。しかもその総会において当時の文部次官は、終戦後
政府は民主的教育の健全なる発達を期するための、これに必要な教育施設の実施にあらゆる努力を重ねてきましたが、過去六年有余にわたるこれらの新教育施策の運営の実際に徴し、かつ
独立後の新事態にかんがみまして教育全般にわたってその
制度、内容及び運営などに再検討を要するということを説明の中に付加し、そうして当時の岡野文部大臣も根本的に検討をするということで、これが中央教育
審議会の使命として生まれ、しかもこれは二十七年の八月、正確に申しますならば第一回の総会は二十八年一月二十一日ですから、まだ三年余しかたっていないのに、さらにこの機構の上に積み重ねるというようなことは、この設置法の趣旨がさっぱりわからないのでございます。こういうことを
考えてみますと、屋上屋を重ねるようなこの臨時教育
制度審議会設置法というものはもう必要ではないのじゃないかということを、われわれは強く
考えるのでございます。
第二に本案に反対する点は、
審議の対象がまた明確ではない。文相はこれに対して教育目的に関する反省、教育内容に関する国の責任と、それからまた教育も国のため民族のためでなくてはならぬ、こういうことを言っておられるんだが、教育目的に関する反省というようなことは、これは冒頭に申し上げました
日本の
憲法が
独立、平和、基本的な人権ということを強くうたって、この線に沿って
日本の教育
制度がしかれている限りは、そうしてまた中央教育
委員会というものがあって、今申し上げましたように、根本的な
制度その他重要施策についての調査、
審議をするという以上は、これも文相の言われる点はきわめてあいまいもことしてくるのでございます。もちろん私が申し上げるまでもなく、戦前の教育というものは、極端な国家奉仕の全体主義の
立場から強制したものであることは、文相のよく御存じのところでございます。しかし
民主主義の新
憲法下においては、そういう教育であってはならない。国家の手による国家のための統制された絶対主義的な教育なんというものは、これはもう弊履のごとく捨て去られておる。そうして国に奉仕する教育ではなくて、
国民に奉仕する教育に置きかえられているわけです。従って教育に関する国の責任というようなことは、これはどういうことを意味するのかわからない。文相は
内閣文教の連合審査の場合には、指導、助言、勧告ということは
規定してあるがということを説明されている。その中から
考えてみますと、指導、助言、勧告は現行法ではあるけれ
どもという文相の意の次には、ただし強制ということがないということを裏づけしている。教育というものは強制するものじゃないので、これは指導、助言、勧告で十分なんです。教育を強制的にやろうという意図があるならば、さっき申し上げましたように、おのれを捨てて国家に奉仕するというような全体主義的な教育に導いていくということは申し上げるまでもない。こういうようなことを
考えるならば、どうも危険きわまる
法案ではないかと
考えるのでございます。もちろんリベラリズムのオーソリティをもって任ずる文相ですから、そういうことがないとするならば、
審議の対象がきわめてまたあいまいもことして明確でない、これが私の反対する第二点でございます。
第三は、現在の教育があまりにも
憲法の線に沿って、平和と自由ということを強調し過ぎているということを文相がお
考えになっておるから、この前の連合審査のときの文相のお言葉を拝読してみまするならば、
国民の不満は
日本の教育の目標にある、こういうことを言われておる。これは別に現在の教育の目標に対して
国民は不満に思っていない。もちろんいろいろ各個の問題については、年とともに改善されていくべきことは当然でございますけれ
ども、しかし現在の教育の根本的な方針について、
国民はどこも不満に思っている点はないと私は思うが、もし現在の
国民でなくて、教育に不満を持っておる人の目標はどこにあるかといえば、先ほど申し上げました国に奉仕する教育を押しつけようということが、その裏にひそんでおるということを、明らかにこの言葉で物語っていると
考えるのでございます。言いかえてみますならば、今申し上げました平和と自由、あるいはまたそういうことを強くうたっておりまする現在の教育に対して官僚が文部省が強い干渉をはかっておるというのが、この臨教審
法案の趣旨ではないか。従って現在の教育
制度を強く反動化の方へ導いていこうというのが、本
法案をこしらえたならば当然進むであろう
一つの目標であると私は
考えるのでございます。教育は官僚が強制したりなんかすべきものじゃないので、責任と強制は全く違う。教育は責任を強く高揚して教えても、強制あるいは干渉というようなことは教育では全く無用なことでございまして、これから
考えましても、本
法案が全く意味をなさない、むしろ有害無益の、反動化へ役立つものであるということを
考えて反対するのでございます。
なお最後に申し上げますることは、機構がいたずらに複雑になるということ、先ほど申し上げましたように、中教審の総会のとき、あるいはその説明で、十分その設置の目標がはっきりしている、言いかえれば臨教審の設置とほとん同じである。こういうような
制度のある上にさらに屋上屋を重ねて複雑化するというようなことは、これまた有害無益である。行政機構の簡素化ということは
鳩山内閣の表看板である。しかるにここへ四十人も並び大名を置いて、そうして大臣の指導のもとに、いや官僚の指導のもとに
日本の教育を再編成しよう、こういうようなきわめて危険な
法案が本
法案であると
考えるのでございます。従って行政機構の簡素化という
鳩山内閣の表看板からいきましても、こういうものは設置すべきでなく、いわんや反動化の目標へ進むとするならば、なおさらわれわれはこういう反動
法案は絶対に通してはならないと
考えるのでございます。こういうような数々の欠点を網羅しておりまする本
法案に対しては、社会党は断じて反対であり、また与党の諸君も、いずれの方々も、戦年中の軍部、官僚の全体主義の横行には辟易した
経験を持っておられる方々で、今この
制度を通すということは、やがてはまた
日本を戦前の教育
制度に戻す第一歩を踏み出すというようなことを十分お
考え下さいまして、本
法案の撤回を私は切に望みまして、反対討論を終る次第でございます。(拍手)