○受田
委員 それは
新聞の伝えるところに年号が書いてあったので、私はそれを確かめたいと思うのでありますが、私はあなたがよろしいと言われたこの紀元節の式典について、
一つ問題が起ると思う。それは、今あなたは二千六百十六年というある程度伝説を何か期待的なものにさせたいと思っておられるようでありますが、大体六百年の差は辛酉革命から発したものであって、仁徳天皇までは歴代の天皇の生存が百歳以上、たまに九十歳というのがありますが、大体百歳以上です。ところが履中天皇以後は急に五十歳以下に下っておられる。この天皇の年令を見ても、仁徳天皇以前の天皇はみな百歳以上生きておられ、十七代の履中書天皇以後はみな五十歳前後でなくなられておるということになれば、これは明らかに紀元年数において約六百年くらいの差があるという辛酉革命説は、ある程度肯定せざるを得ないと私は思う。そういうようなことを文教の府の最高
責任者である大臣としては――少くともわれわれは、国の初めの日を祝うという気持を持つのは
個人の誕生を祝うと同じように私も否定しません。むしろこの
法律を
審査するときも、紀元の日を設けたらいいという空気は各
委員の口からも叫ばれたような次第であるから、われわれはそれを絶対に否定しておりませんが、この二月十一日という日を切って、そしてこれが紀元節だという儀式をあげた、ここに問題があるので、一家がまだはっきりした決定をしていない儀式を勝手にやるということになるならば、今後その
教育委員会が
考える
通りに勝手な儀式がどしどしやられることになる。ことに民間の年中行事などどしどし、やられることになる。私はそこに非常な危険があると思うので、少くとも
文部大臣としては、紀元節の儀式をやるというそのことに対しての何かの
見解を表明されなけれ、ばならぬと私は思うので、紀元節を肯定され、紀元節の儀式を挙行することを
教育委員がやれば認めるというようなやり方でなくして、いま一歩進んで県
教育委員会が解釈をするとかいうようなことまで持っていって、もつと広くしていかないと、地方の
教育委員、ことに山間僻地では、
教育委員の皆さんは、校長が強力に張すると、あの校長はりっはな人だからいいじゃないかということで同調するおそれが多分にあるのです。そういうときには
教育委員会の五人の構成人員というのは、明らかに校長の意図に同調せざるを得なくなるのです。
日本のどの一角かにそうした復古調の式典が行われて、それを
文部大臣が容認したということになるならば、これは
日本の文化問題としても非常に重大だと思うのでありますが、大臣、あなたは今まで御容認された御発言を何とか是正されないと、これは今後各
学校でかかる類似のことがしばしば起されてくると思うのでありますが、いかがでしょう。